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【マターリ】古墳の終末について【語ろう】

1 :出土地不明:04/06/04 13:23 ID:279oDVQc
前方後円墳の廃絶から、キトラ古墳まで
古墳がなぜ造られなくなったのか
そこにどんな歴史的意義があったのか
マターリと語って参りましょう。

2 :yufgbvbzpodfdjk:04/06/04 18:43 ID:I0YU69YX
2
da---


3 :出土地不明:04/06/04 20:27 ID:eVk4STfC
大化二年三月二十二日条
「廼者、我が民の貧しく絶しきこと、専墓を營るに由れり。」
だから止めようということらしいね。
本当かどうかは知らないが

4 :1:04/06/04 20:59 ID:279oDVQc
>>3
キ・キ・キ・キタ━━━━━━(゚∀゚)━━━━━━!!!!
カキコ、サンクス。あーよかった。。。

「大化の薄葬令」ですね。
昔は、これと「仏教の影響を受けた火葬の流行」が古墳消滅の原因と
考えられていましたが、実際には7世紀後半の築造と考えられる古墳も
多い訳でして。特に東国では、その傾向が強いですね。


5 :出土地不明:04/06/04 21:56 ID:11U3fFqg
大正や昭和天皇の墓は立派な古墳形式だと思うが?
前方後円じゃないけどな。

6 :1:04/06/04 22:12 ID:279oDVQc
>>5 レス、サンクスです。

明治天皇(京都)、大正天皇・昭和天皇(多摩)の御陵は、
コンクリート製の、リッパな上円下方墳ですね。

明治天皇崩御の際、「大化の改新」の天智天皇にあやかって、
上円下方墳形式を選択したみたいですが、
現在では、天智天皇陵は八角形墳と考えられているようです。

ということで、「古墳」といえなくは無いですが、
やはり、系譜としては断絶していますので。。。

7 :岩屋山亜式 ◆CAT9FZUkUk :04/06/05 00:28 ID:Nhuv1yTc
>>1
こんばんは。学生(専攻生)さんですか?
また、マニアックなスレッド立てましたね(w

このテーマ、大昔の学生時代にやりました。
このコテハンは、
白石太一郎(1982)「畿内における古墳の終末」『国立歴史民俗博物館調査研究報告書 第1集』
に由来します。
ひょっとして、卒論の準備ですか(w

>八角墳
白石さんは、舒明から文武へいたる即位大王陵はすべて八角墳であるとして、
前方後円墳廃絶に続く第2の画期としていましね。
ちなみに、「岩屋山式石室」は大王系(非蘇我系)の墓室だそうです。


8 :出土地不明:04/06/05 23:18 ID:I80lT1NZ
あげあげ


9 :出土地不明:04/06/06 02:48 ID:HjuXCLD4
>>6
古い墳墓じゃないから、「新墳」になるのでは?

10 :岩屋山亜式 ◆CAT9FZUkUk :04/06/07 21:14 ID:67KkMPDM
あれれ、>>1さん、いなくなっちゃったの?

11 :出土地不明:04/06/08 00:03 ID:C2MUrKBk
>マターリと語って参りましょう。

だから、マターリしましょうや。

12 :岩屋山亜式 ◆CAT9FZUkUk :04/06/08 12:18 ID:tIZeLeOu
う〜ん、そうですね〜

13 :出土地不明:04/06/08 18:43 ID:IvQHqXCx
つか、どうして巨大墳墓をつくる必要があったのか、
の方が答えに近づけるんじゃないか?

14 :出土地不明:04/06/09 13:19 ID:mN2BRHy1
薄葬令に合致しない石室をもつ古墳って
全国規模でみるとどれぐらいあるんだろう。

15 :岩屋山亜式 ◆CAT9FZUkUk :04/06/09 15:16 ID:CIAN1P+z
>>14
7世紀中葉以降の大型横穴式石室は、
西国で少なく、東国で多いことは、
間違いないでしょうね。

『古代学研究』の「特集:最後の前方後円墳」で、
各地域の前方後円墳廃絶後の大型石室墳を
取り上げていたと思います。18年ほど前ですが。

16 :出土地不明:04/06/10 00:53 ID:H+JqL+59
>>15
ありがとうございます。
7世紀後半、畿内では特殊な石室として横口式石槨が挙げられますが
やはり渡来人の要素が強いのでしょうか。
薄葬令とのかかわりは否定できないと思うのですが。


17 :岩屋山亜式 ◆CAT9FZUkUk :04/06/10 09:06 ID:/3KfXn9z
>>13 遅レスですが…
>どうして巨大墳墓をつくる必要があったのか
西嶋定生さん(「古墳と大和政権」)は、西嶋さんがいうところの
「カバネ制」の成立により前方後円墳体制が発生し、
律令制へ移行によって必要が無くなった古墳が消滅した、
としています。
>>7に書いた白石さんも、西嶋さんをベースにしているようですね。

18 :岩屋山亜式 ◆CAT9FZUkUk :04/06/10 09:37 ID:/3KfXn9z
>>16 「横口式石槨」、懐かしいですね(w
>渡来人の要素が強いのでしょうか
結論から言うと、横口式石槨は渡来(百済)系の要素が
強い墓制だと思われます。
河内で発生し、野石積みから切石造りや刳り貫きに構造変化し、
7世紀後半には飛鳥の中枢部にも現れました。
ただ、技術的には(在来の)家形石棺の系譜を引く部分が多いようです。

>薄葬令とのかかわりは否定できないと思うのですが
そう思います。飛鳥では。
ただ、地方の終末期古墳を見ると、必ずしもそうとはいえない訳で、
その部分での研究は未だに進んでいない気がしますね。

19 :出土地不明:04/06/10 12:26 ID:1B1LpF7D
>>17
その説明に納得できないからスレたてたんでないの?

20 :岩屋山亜式 ◆CAT9FZUkUk :04/06/10 13:03 ID:/3KfXn9z
>>19
なるほど(w

21 :出土地不明:04/06/10 16:06 ID:YdeWk/w8
とりあえずは古墳の放射年代測定やってからでないと・・・。
推定年代で議論しても、あとで全部ひっくり返る恐れもあるし。

22 :岩屋山亜式 ◆CAT9FZUkUk :04/06/10 17:51 ID:/3KfXn9z
>>21
あの〜、
後・終末期古墳から出土して、サンプルとすることが可能な普遍的遺物は、
何がありましょうか??

23 :出土地不明:04/06/10 19:55 ID:AXFfq6xa
>>22
今日の報道によると、キトラ古墳で漆棺片がザクザク出てきてるな。
楽しみだ。

24 :岩屋山亜式 ◆CAT9FZUkUk :04/06/10 21:23 ID:/3KfXn9z
>>23
それは、是非とも較正年代を出して貰いたいですね。

>22にもふれましたが、終末期古墳からは出土遺物が残っているケースの方が
珍しいのです。特に横口式石槨では。

25 :出土地不明:04/06/10 23:46 ID:YdeWk/w8
下に木ひいたりする。あと溝の枠とか。小枝でもなんでも工事に使ったものは
全部対象になるよ。

26 :岩屋山亜式 ◆CAT9FZUkUk :04/06/11 00:17 ID:gMVjxaqM
>>25 ありがとうございます。

墳丘封土にパッキングされた状態で、残っている木片があればいい訳ですね。

終末期古墳ではあまり見た記憶が無いですが、後期古墳では、かなりサンプルが増えそうですね。

暦年資料が増えることは、喜ばしいことです。
編年に定点を与えることになりますから。

7〜8世紀では、較正年代の誤差範囲は68%確率で、大体、50年ほどと考えていいですか?

27 :出土地不明:04/06/14 18:49 ID:+AttjjyH
>>2
> 2
> da---
【社会】DV相談の女性に警部補が乱暴、容疑認める−東京
http://news13.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1086565994/

28 :14と16:04/06/14 23:46 ID:XMgM4hmQ
白石太一郎(1982)「畿内における古墳の終末」
『国立歴史民俗博物館調査研究報告書 第1集』を読みました。
基本的には白石論文から研究が進んではいないように思うのですが
どうでしょうか。


29 :岩屋山亜式 ◆CAT9FZUkUk :04/06/15 00:34 ID:OP9nwdY3
>>28
白石論文は20年前の研究水準を集大成したものと言えますが、
今読んでも確かに〈生きて〉ますね(w
修正を加えられながら、あと10年くらいは〈生きて〉いると思います。

ただ、白石さんも最後に書いてますが、「地方における古墳の終末」が
ハッキリしない。その点は、未だ研究が進んでいない。

各地域で、古墳が残るのか、いつまで残るのか、どう残るのか、
その消滅過程がどう違うのか、この辺の実態が見えてくると、
地方への初期律令制の受容状況が、墳墓の面で明らかになると
期待しています。

30 :14と16:04/06/16 21:07 ID:/Bt8EJFM
地方における古墳の終末、たしかに進んでいないようです。
ほとんどが盗掘されていてわからないことが多いうえ、文字資料がないから
比定ができない・・・。だから、具体的な地域像が結べない。
でも律令国家への形成期という重要な時期であり、
すごく大切なことだとは思うんですどね。

31 :出土地不明:04/06/16 22:06 ID:1iqFNyLj
キトラ古墳関連で検索していてひっかかったんだが、こういうものを放置しておいてもいいのかね?

ttp://www.inetmie.or.jp/~jin/GKAI.htm

32 :岩屋山亜式 ◆CAT9FZUkUk :04/06/17 10:25 ID:5wgXANKC
>>30 レスありがとうございます。
まあ、難しい部分も多いと思いますが、各地域(旧郡単位がベスト)で、
1:最後の前方後円墳とその時期
2:その後の大形(定義が難しい)の方墳・円墳出現の有無と時期
3:最後の横穴式石室墳(単独墳)の形態と時期
これくらいのデータが揃うと、だいぶ見えてくるような…
卒論のテーマだったんですがww

1・2・3とも、西日本ではバラバラでした(目立つ地域だけしかやれませんでしたが)。
7世紀後半まで単独の横穴式石室墳が残るような地域は、ごく少ないです。
7世紀前半に比較的大形の方墳・円墳が残る例も多くないような。

まあ、いわゆる群集墳までは、手が回りませんでしたがw、
大形の横穴式石室墳が、7世紀に入って群集墳中に潜り込むケースはあるみたいです。
いわゆる墓域規制の問題なんでしょうが…

33 :岩屋山亜式 ◆CAT9FZUkUk :04/06/17 10:27 ID:5wgXANKC
>>31
頭痛くなったんで、コメントは差し控えたいとww

34 :  :04/06/17 23:08 ID:uky9PhZ/
>>31
ワロタ。
世の中にはいろんな人間がいるんだねえ。
信じる人もいるんだろうなあ。罪作りなことで。

>>岩屋山亜式さま
かなりの通の方とみました。
当方ミーハーですが終末期古墳について関心を持っているものです。
当方の住んでいる地域にはなぜか終末期古墳が結構あり(目立つ地域
ではないんですが)、なんとかその理由を知りたいと思っている次第
です。
これからもいろいろご教授願います。

35 :14と16:04/06/18 00:19 ID:8yZ2ZMet
研究者によって、横穴式石室や横口式石槨の編年も若干のずれがありますよね。
だいたいは同じせんいってる気はしますが…。
>大形の横穴式石室墳が、7世紀に入って群集墳中に潜り込むケース
って、具体的にはどういうのがありますか?



36 :岩屋山亜式 ◆CAT9FZUkUk :04/06/18 08:45 ID:2RYj8wCN
>>34
おはようございます。
「かなりの通」とかいったものじゃございませんが、
これからも、よろしくお願いします。
何か、ネタフリして下さいねw

37 :岩屋山亜式 ◆CAT9FZUkUk :04/06/18 09:24 ID:2RYj8wCN
>>35
おはようございます。

>横口式石槨
羨道が付くタイプでは、ズレ幅が大きいような…

>>大形の横穴式石室墳が、7世紀に入って群集墳中に潜り込むケース
蓋杯の口径が縮小した時期に造墓活動のピークを迎える群あるいは支群では、
蓋杯が逆転する時期に最後の造墓(南斜面の方墳が多いような)が行われる
ケースが多かったと思います。その最後の横穴式石室は、小型化・退化
(簡略化)したものであることが通常ですが、稀に岩屋山系の石室などが
突然出現することがあります。そうした例をイメージしているんですが…
地方であっても、それまでの連続性から断絶した大形の横穴式石室が出現
している例もありますね。
本来、単独墳としてふさわしいものが、群集墳中に入りこんでくる。稀な
ケースではありますが…

須恵器の暦年観、20年前は同じ杯のセットでも、30年くらい幅がありましたが、
蓋杯の逆転は、第3四半期に食い込むということで、良いですか?

38 :14と16:04/06/20 21:09 ID:rfOL2jfd
>>37
この土日、ずっと横口式石槨の文献を読んでました。
飛鳥編年のことをおっしゃっているのでしょうか…。
とはいえ、須恵器は全くのシロウトなので、暦年観にはお答えできず…。
スイマセン・゚・(ノД`)・゚・。


39 :岩屋山亜式 ◆CAT9FZUkUk :04/06/20 22:35 ID:z3UiepRI
>>38
あ〜、いやいや、乙です。

白石論文で下げて、反発されて上がって、
現在、みなさん、どの辺を考えてるのかな〜
と思ったものて…

40 :14と16:04/06/22 01:19 ID:pVIkQZG3
よくわかりませんが、飛鳥編年ではT期のおわりがU期に食い込むみたいなことを
書いてるのを、今日読みました。山田寺下層の土器は型式学的にはU期のものだと。

…やっぱり器編年は分かりません・゚・(ノД`)・゚・。

41 :岩屋山亜式 ◆CAT9FZUkUk :04/06/23 01:41 ID:iQ+cYpMz
>>40
いや、どうも、混乱させてしまって、申し訳ありません。
ただ、どうしても、石室や石槨の暦年観は、須恵器に引っ張られるもので。
まあ、おおもとは、須恵器と共伴する初期寺院の創建期の瓦なんですが…

しばらく、横口式石槨のネタで行きますか?

42 :14と16:04/06/23 21:58 ID:+7ki7TbR
マターリとゆきましょう。
よろしくお願いします。

43 :出土地不明:04/06/26 11:37 ID:27cjr5EN
age



44 :岩屋山亜式 ◆CAT9FZUkUk :04/06/28 10:10 ID:YXD43m7C
>>42 「14と16」さん
チョット、くたびれてますので、何かネタフリお願いします。

45 :出土地不明:04/06/28 21:10 ID:hWS3X0jq
>> 26
> 7〜8世紀では、較正年代の誤差範囲は68%確率で、大体、50年ほどと考えていいですか?

7cの精度は、も少しよくなるかもしれません。
いずれにても、弥生に引き続き、歴博は今年から古墳時代遺物のAMSを重点的にやるそうです。
とくに漆を中心に計測データを積み上げるそうです。

46 :岩屋山亜式 ◆CAT9FZUkUk :04/06/28 21:43 ID:YXD43m7C
おお、今、気が付きましたが、なんとIDの末尾が「7C」になっている(w

>>45 どうも、ありがとうございます。

>とくに漆を中心に計測データを積み上げるそうです。
古墳時代の漆製品、特に7世紀では棺桶が多そうなので、期待します。

まあ、歴博が7世紀を古墳時代としているかは、別の意味で興味ありますが…

47 :45:04/06/29 19:50 ID:l8JY19Kb
>>46

> まあ、歴博が7世紀を古墳時代としているかは、別の意味で興味ありますが…

分析サイドの人たちは、考古学的範疇をめぐってはあまり細かいこと言わないから、7世紀でも古墳時代で問題ないでしょう。

48 :45:04/06/29 19:52 ID:l8JY19Kb
すでに7世紀の漆棺を何点かやってるはず(ここだけの話)。

49 :岩屋山亜式 ◆CAT9FZUkUk :04/06/30 11:10 ID:LbzZn/jM
>>47-48
情報、ありがとうございます。
7世紀中葉から後半あたりで年代的な定点が決まってくると、
色々助かりますね。

50 :14と16:04/07/04 23:36 ID:g9rB7wWd
久しぶりにのぞきました。

終末期古墳ってほんとにいろんな人がいろんなこと言ってて、
ちゃんと理解できなくて消化不良起こしてます。

床石があるか否かで、横口式石槨の定義が分かれていますよね。
家形石棺から派生したとする猪熊説をとるなら、床石はあって然るべきだし、
広瀬説は、横穴式石室からの系譜を唱えているし…。
説の違いで、編年も変わっているので、どれが正しいとはいえませんが
床石があるというのが、定説になりつつあるんでしょうね。

51 :出土地不明:04/07/04 23:57 ID:LAcwnb0L
>>50
石槨部の底石の有無が条件だとしたら、
曽根田白塚古墳あたりの扱いが問題になってくるのでしょうかね・・・

52 :岩屋山亜式 ◆CAT9FZUkUk :04/07/05 11:52 ID:yxoo3Lpz
>>50 お久しぶりです。

>床石があるか否か
型式学的に云うと、玄室幅が羨道幅より狭い野石積みの横穴式石室(底石無し)から、
羨道が付く観音塚やオーコー8号墳のようなタイプが導かれると思われますね。

家形石棺から派生するタイプは、もっと後出ではないですかね。
お亀石や松井塚のようなものもありますが。

それから、猪熊さんが使ってる「石棺式石室」の呼び方は、個人的には止めて欲しいな、
と思っています。出雲地方の「石棺式石室」と混同しますし、先取権は向こうにありますし…

53 :14と16:04/07/06 00:04 ID:3LzBidOo
家形石棺からの派生タイプは、お亀石の年代が平瓦の製作年代から考えて、7世紀中葉から
動かないとするなら、そのころに出現し、松井塚や仏陀寺につながっていくのでしょう。
家形石棺は石室と石槨の折衷様だと思っていますが、系譜をたどれるものもなく
やはり7世紀中葉に突如として現れるのかなと考えているところです。
お亀石の評価は、本当に難しいですね。

54 :岩屋山亜式 ◆CAT9FZUkUk :04/07/07 10:18 ID:0/eQ6CrO
>>53
山陽道・山陰道・西海道の横口式石槨をまとめてみました。
東と北の方は詳しく知らないので、誰かまとめてくれるとうれしいな〜
  岡山県  長砂古墳     組合石槨  羨道付
  広島県  尾市古墳     組合石槨  羨道付  双墓?
  広島県  猪の子1号墳   組合石槨  羨道付
  広島県  曽根田白塚古墳  組合石槨  羨道付  底石無
  鳥取県  山ヶ鼻古墳    刳貫石槨  羨道付
  島根県  廻塚古墳     刳貫石槨  羨道付
  島根県  古海13号墳    刳貫石槨  羨道付
  大分県  古宮古墳     刳貫石槨  羨道付
年代的には、みな7世紀中葉から後葉とされています。古宮は、被葬者が日本書紀の
「大分君」だとすると没年から第4四半期でしょうか。
こうして見ると、分布が飛鳥周辺に限られ、年代的にも後出する家形石棺系の特殊性
がある程度わかりますね。

55 :岩屋山亜式 ◆CAT9FZUkUk :04/07/07 10:47 ID:0/eQ6CrO
底石の有無の問題ですが…

最初に云いだしたのは、秋山日出雄さんだったと思うんですが、
横穴式石室は奥壁を最初に設置するが、横口式石槨は底石を最初に設置すると。

この頃は、横穴式石室の際奥部の側壁と天井石が、羨道や前室より狭くなって
いるものも、横口式石槨にしているような気がします(底石無し)。
〈槨〉という場合、棺を覆って包み込むイメージがありますから、あまりスカスカな
ものまで、無理に石槨とするのはどうでしょうかね。
その点から考えると、レアケースはあるにしても、底石が出現した段階で石槨とした
方がスッキリしそうな気がしますね。

56 :出土地不明:04/07/07 14:00 ID:w3j2fliO
羽曳野市教育委員会編『河内飛鳥と終末期古墳』の
巻末の横口式石槨一覧には、梶山古墳や宮地嶽古墳も含まれてるけど、
さすがにそこまでいったら微妙すぎる罠w

57 :出土地不明:04/07/10 08:57 ID:MyMQZlBM
はじめまして。死生観について卒論を書いているものです。
質問なんですが、「大化の薄葬令」についてもっと詳しく
教えていただけないでしょうか。もとの文献とか、一般論とか
よろしくお願いします。

58 :岩屋山亜式 ◆CAT9FZUkUk :04/07/11 00:15 ID:hsk1cIMR
>>57
「大化の薄葬令」そのものを論じる力量は無いので、一応、目についた文献を上げときます。

古典的なところでは、
 森 浩一編(1973)『論集終末期古墳』縞書房
この中に、「薄葬令」そのものやモガリの考察も入ってます。現代的な研究の出発点かと。

比較的新しくて、読みやすいところでは、
近つ飛鳥博物館(1998)『大化の薄葬令』(大阪府立近つ飛鳥博物館図録16)
巻末の文献目録は、かなり参考になると思いますよ。

あとは、かなり古い文献ですが、
岡田清子(1966)「喪葬制と仏教の影響」『日本の考古学V』(古墳時代下)
この文献は、それまでの仏教と火葬の影響によるものとされていた「古墳の終末」について、
初めて現在の研究状況に通じるアプローチを行ったもので、私は高く評価します。



59 :出土地不明:04/07/13 08:48 ID:nyf3LoZg
>>58
丁重なご回答ありがとうございました。
ぜひ参考にさせていただきます。

60 :尾行価格で:04/07/14 03:16 ID:puIVlIjQ
トヨタ尾行自動車ですか トヨタ交尾自動車ですか
トヨタ社員によると三菱車は放火だろうと 
トヨタ社員でなければいいが。

61 :14と16:04/07/19 23:45 ID:PxFbXVaL
暑中お見舞いです。
本当に暑いですね。
終末期古墳を見て廻ろうと思いつつ、暑さとムシへの恐怖に負けています。

62 :出土地不明:04/07/20 01:28 ID:1g2wUh9M
今期のレポート「終末期古墳について」にすることにした。
このスレに手伝ってもらおう

63 :岩屋山亜式 ◆CAT9FZUkUk :04/07/20 02:17 ID:ghDvkdv3
>>61 
お久しぶりです。
ムシもアレですが、「マーさん」と睨み合いになった時は、ホント怖かった。

>>62
まさか、出題する方じゃないでしょうね。

64 :出土地不明:04/07/20 22:24 ID:rl3s/E1f
>>62
引用・参考文献に「2ちゃんねる考古板」って書いてあったら
俺だったら速攻で不可にする。

65 : :04/07/27 22:16 ID:c/Y9jSlt
兵庫県の若狭野古墳(7C中ごろ)はここで言う終末期でいいのかな?

先日見に行ったら「マーさん」が羨道部でとぐろ巻いてましたw。
知らずに側で写真を撮ってましたw。
暑さがいっぺんに吹き飛びました(怖かったよー)。

66 :岩屋山亜式 ◆CAT9FZUkUk :04/07/27 22:49 ID:yvhvRCaV
>>65
>ここで言う終末期でいいのかな?
よろしいかと、多分。
まあ、〈終末期〉と〈終末期古墳〉、
〈終末期〉を定義してそれに属するものを〈終末期古墳〉とする人と、
〈終末期古墳〉そのものを定義する人と、大きく二つに別れますが…
あ、あと、〈飛鳥時代の古墳〉ね。

>「マーさん」
私は、半分埋まった羨道に匍匐前進で侵入した時に、目が合ってしまったんですよ。
フリーズしてしまいました。口の中がカラカラ…

67 :65:04/07/29 23:31 ID:iTA+g+QG
>>66
そりゃ洒落になりませんなあ。
私なんぞそんな状況になったら、パニックでどうにもならんでしょうな。

よくぞご無事で・・・・。


68 :岩屋山亜式 ◆CAT9FZUkUk :04/07/30 10:16 ID:rVkh/qOf
>>67
冷静に匍匐姿勢のまま、ゆっくりバックしてきたつもりでしたが、
実は、天井石で頭を擦りまくりで、外へ出てみたら血だらけでした…

69 :出土地不明:04/07/30 19:51 ID:JSA79g/h
蛇は基本的に恐がりだから、目を見ずに棒で叩くとか。

70 :出土地不明:04/08/15 23:00 ID:vGr8OAdy
古墳がなくなったのは、墓荒らしの技術が進んで、
どんなに厳重に作ってもすぐ荒らされるようになったからでは?
あと、「最近の若い者は先祖の墓を敬う気持ちがなくなった」
と当時でも思われるようになったから。

71 :出土地不明:04/08/16 12:15 ID:B1Oy/9bm
>>70
禿同です
大体中国以外の国では時代がたつにつれて馬鹿でかい古墳を作るとか墓に宝物
を入れるということをほとんどしなくなるものです。

72 :X?X:04/08/16 14:00 ID:B1Oy/9bm
>>1
そのいう質問をするならなぜ古代の人は大きい墓を作ったり、墓の中に
宝物を入れたりしたのかいう言い方にしたほうがいいのではないでしょうか
日本だけではない、世界中で昔の墓には宝物を入れたり、なるべく大きな墓
を作ったのだから。そして中国以外のほかの地域ではだんだん墓はシンプルに
なってきたのだから

73 :岩屋山亜式 ◆CAT9FZUkUk :04/08/17 01:32 ID:qgnso6Qg
>>70 >>71
あの〜、違うと思いますよ、多分…

>>72
>1さんじゃないですが、『日本書紀』に出てくる「大化の薄葬令」に
からむ話をしたいのではないでしょうか?

74 :出土地不明:04/08/17 21:31 ID:R0k39/Ar
地元の話ですが、
6C中から7Cくらいまで続く群集墳があって、
調査で7C中の終末期古墳が見つかりました。
で、そのふもとに同じ頃の寺院跡が残っていて。
要するに、古墳が力を示すシンボルだと古墳作りにいそしんでいた
一族が、中央で仏教寺院が有力者により盛んに造られるようになったと
知るや、シンボリティックなものを寺院に求めるようになったと
言われています。

75 : :04/08/18 00:20 ID:UOcysoYk
>>74
よく聞く説ですな、終末期(後期)古墳 + 寺院跡。
私の地元(岡山)だと唐人塚 + 賞田廃寺ですな。

76 :岩屋山亜式 ◆CAT9FZUkUk :04/08/18 10:19 ID:Bx9TANiS
>>74
群集墳中の終末期古墳ですか。興味深いですね。横穴式石室系ですか?
>要するに、古墳が力を示すシンボルだと古墳作りにいそしんでいた
>一族が、中央で仏教寺院が有力者により盛んに造られるようになったと
>知るや、シンボリティックなものを寺院に求めるようになったと
その群集墳の造営主体と関連するとすると、いわゆる氏族系寺院(氏寺)ですかね。
確かに現象面からは7世紀の中葉から後葉にかけて、古墳が寺院に転換したように
見える地域もありますが、古墳そのものの変容はもっと前の段階で進んでいたと
思われます。

>>75
古墳が先か、寺院が先か、ときどき問題になりますね。
有名なお亀石は、寺院が先ですが。
地域の支配者層墓としての終末期古墳が先に造営された後に寺院が建立されるケースでは、
氏族の菩提寺の可能性が想定されることが多いようです。
>唐人塚
岩屋山式石室との関連を指摘する意見もありましたが、地元ではどんな感じです?
実見したところ、構築技術が異なる全く別物ではないかという印象を受けましたが…

77 :出土地不明:04/08/18 19:00 ID:t3lJ5YDo
>>76
横穴式ですが、規模は小さめです。
しかし、面白い特徴がありまして、
玄室の中ほどに玄室を二つに分けるように
板石が仕切りのように設置されていました。
どうやら、仕切りを境に奥壁側の方に土を入れて
壇状にしていたそうです。丁度御殿の上段の間のような感じで。
古墳は小規模な方墳ですが、墳丘の裾部に大きめの石積みをし
石垣のように裾部を取り巻いていました。
普通の古墳の葺き石とは違う基壇のような乱積みです。
もしかしたら、寺院建築の技術の影響もあるのではと
おっしゃってましたね。
岩屋さんのおっしゃるとおり、ふもとの寺院跡は氏族系のものだろうと
言うことです。
寺は白鳳期のものだそうです。

78 :出土地不明:04/08/18 19:09 ID:t3lJ5YDo
もう一つ言うと、その終末期古墳になるまでは、
普通の円墳ばかり。。葺き石のない横穴式です。

終末期になって、規模がやや小さくなり
古墳も方墳に、外側も内部もこれまでの古墳とは
変化が見られるというわけです。

79 :岩屋山亜式 ◆CAT9FZUkUk :04/08/18 23:56 ID:EgZmw4RS
>>77
>玄室の中ほどに玄室を二つに分けるように
>板石が仕切りのように設置されていました。
>玄室の中ほどに玄室を二つに分けるように
ははぁ、一種の屍床みたいですね。屍体配置が縦から横に変わったということですか。

>古墳は小規模な方墳ですが、墳丘の裾部に大きめの石積みをし
>石垣のように裾部を取り巻いていました。
おぉ、外護列石を伴う方墳ですか!!
興味深いですね。各地の終末期古墳にある程度共通する特徴でもあります。
昔に書いた卒論の主眼は、「多様性を示す埋葬施設に比べてむしろ外表施設に対して、汎西日本的に畿内的な影響が認められるのではないか」
というものでした。

>外側も内部もこれまでの古墳とは
>変化が見られるというわけです。
おっしゃるとおり、古墳時代的な墳墓からの連続性が断ち切られている部分があることが、終末期古墳の一つの特徴と思われます。

80 :出土地不明:04/08/19 00:26 ID:pt1T9b0H
>>79
報告書ありますから、図版とりこんでUPできますよ。
興味がおありならやりますが。
ただし、明日になりますけど。

81 :岩屋山亜式 ◆CAT9FZUkUk :04/08/19 00:57 ID:Tlk/HJNC
>>80
よろしかったら…
御無理にならない範囲であれば、お願いいたします。

82 :80:04/08/19 07:02 ID:pt1T9b0H
UPしましたのでご覧ください。

一号墳全景(外護列石のある古墳)
ttp://v.isp.2ch.net/up/76fd49504ee0.jpg

一号墳遠景
ttp://v.isp.2ch.net/up/584fc308241b.jpg

96号墳全景(石の仕切りのある古墳)
ttp://v.isp.2ch.net/up/14138d158840.jpg

96号墳実測図
ttp://v.isp.2ch.net/up/9dc6a2c03d50.jpg

一号墳実測図
ttp://v.isp.2ch.net/up/e2c73654570d.jpg

2CHのあぷろだですので重いと思います。
見れないようでしたら、夜に再度UPします。

ちなみに、石の仕切りのある古墳と外護列石のある古墳は
別々の古墳でした。

83 :出土地不明:04/08/19 11:57 ID:krmaYk2E
古墳の終末ということで、
最後は宅地造営かなーって思ったじゃないか。

84 :岩屋山亜式 ◆CAT9FZUkUk :04/08/19 22:37 ID:Tlk/HJNC
>>82
ありがとうございます。
開きました。
取り敢えず、御礼まで。

85 :岩屋山亜式 ◆CAT9FZUkUk :04/08/20 12:05 ID:4z8VIF18
>>80さん
どうも、ありがとうございました。

>1号墳
典型的な腰高方墳のようですね。
写真では斜面に見えませんが、尾根上の立地みたいですね。
群集墳に含まれながらも、半ば独立墳的なあり方を示してると楽しいですw

96号墳と比べるとだいぶ小型化しているようですが、
無袖で全長2.5m程度というと、この地域では再終末の様相になるのでしょうか。
いわゆる小石室墳とかはないですか。

86 :80:04/08/20 18:53 ID:adMYxPrq
>>85
あります。同じ古墳群です。
この古墳と一緒に調査されています。

87 :岩屋山亜式 ◆CAT9FZUkUk :04/08/22 22:00 ID:1ToykBEA
>>86
検索かけたら見つかりました,多分…
報告書探してみます.

興味深い資料です.ありがとうございました.

88 :14と16:04/08/26 23:39 ID:fxdl4ezg
発掘三昧の夏休み。
みなさまお元気ですか。岩屋山亜式さん、お久しぶりです。
研究そっちのけで発掘やっていると、修論なんか書けそうにないんですが
これから半年、死ぬ気でやってみたいと思います。
なんかいいネタないですかね(w


89 :岩屋山亜式 ◆CAT9FZUkUk :04/08/27 02:11 ID:Ytg/XkuK
>>88
お久しぶりでした.
修論って,今からネタ探して大丈夫w

90 : :04/08/27 08:23 ID:UsHncfq+
>>88
このくそ暑いのに発掘とは・・・・

修士論文云々よりも健康に注意してくださいな。

91 :14と16から改名希望:04/08/29 03:16 ID:zoxmJ66T
14と16のコテハンから変えようと思っています。

それはさておき、最近は〈終末期〉の定義について考えています。
6世紀末に終焉を迎える、いわゆる「前方後円墳体制」とは明らかに異なり、
もはや墳丘形態にシンボリック性を求めなくなった結果の墓制だと考えています。
ほぼ機を一にして、外国の墓制の移入が認められミックスされた結果、横口式石槨の
出現にみられる〈終末期〉になるのではないかと。

あくまで推論で、実証性には欠けるんですけどね…

92 :岩屋山亜式 ◆CAT9FZUkUk :04/08/29 12:18 ID:Ri7fureW
>>91

>最近は〈終末期〉の定義について考えています。
と云うと,〈終末期〉という時期に属する古墳が〈終末期古墳〉ですか?
〈終末期〉そのものが,〈古墳時代〉に含まれるか否か,
「飛鳥時代の古墳」という呼び方もありますしね.

>横口式石槨の出現にみられる〈終末期〉
森さんは,群集墳の動態で後期と〈終末期〉を区分していましたが…
古墳の形態による時期区分ですか?

>もはや墳丘形態にシンボリック性を求めなくなった結果の墓制
私の感触だと,〈終末期古墳〉には多様性を示す埋葬施設より,
外表施設により強いプレッシャーが掛かっていると思われます.

93 :出土地不明:04/10/03 20:15:48 ID:VWatuL9e
ひさびさにあげ。

94 :出土地不明:04/11/27 05:55:42 ID:Ov5R/1vm
お願いですから、7C代の古墳を位置づけるとき「古墳時代終末期」というのは止めて下さい。
聖徳太子や蘇我馬子の時代まで「古墳時代」ってことになります。


95 :出土地不明:04/11/27 09:32:29 ID:4Rcngk4Z
古墳時代っていつまで?
欽明朝はバリバリの古墳時代でいいんだよね?
何せ、300m超の見瀬丸山古墳が真陵といわれている。

で推古は、欽明の子。
聖徳太子は俗に推古の摂政と言われてる。

馬子の墓は石舞台というのが通説。巨大な横穴式石室を持つ立派な方墳。

考古学上の分類では古墳時代末期でも悪くないような?・・・

96 :出土地不明:04/11/27 17:54:54 ID:vwxisRmO
>94
別にいいんじゃねえ?
俺は「古墳時代=前方後円墳の時代」とかして、
終末期のやつを飛鳥時代とか呼ぶの嫌いなんだよね。同じ古墳じゃねえか、古墳時代に入れてやれよ。

97 :出土地不明:04/11/27 20:26:11 ID:Z2M+5KPf
>95
>96
じゃあ、飛鳥寺の創建は古墳時代ってことになりますが…。
考古学上の分類では、寺院は古墳時代につくられてることになりますよ。
それって歴史学としての一分野である考古学にとってもおかしくないですか?
そもそもの定義として、古墳時代終末期というものはおかしいと思いませんか?
終末期古墳が造営された時代を、「古墳時代終末期」と都合のいいように
解釈した感が否めません。

98 :出土地不明:04/11/27 21:54:12 ID:/A3rYX6O
>97
意味不明。論拠を明示して。なぜ寺院が古墳時代に作られたらいけない?
なぜそれが歴史学の一分野云々となる?
なぜ時代の細分に終末期があってはいけない?

99 : :04/11/28 06:30:25 ID:TeuSk590
なんかよくわからん人がいるねえw。
古墳が作られた時代が「古墳時代」で、その終わりごろ(終末期)に
作られた古墳だから「終末期古墳」と呼んでいるだけなんだけどねえ。

100 :岩屋山亜式 ◆CAT9FZUkUk :04/11/28 08:04:30 ID:vV+0SkRn
>>97
>そもそもの定義として、古墳時代終末期というものはおかしいと思いませんか?

「終末期古墳」を(多分)最初に定義した森浩一さんは,古墳時代が終わった後の古墳として位置付けてますね.「発生期古墳」として古墳時代が始まる前の「古墳」も定義してますから.
森さんは「古墳時代の終わり」を,群集墳における造墓活動の終焉に求めています.森さんの定義では,古墳時代が終わった後の「終末期」に属する古墳が「終末期古墳」です.
だから,これによるかぎりおっしゃるとおり「古墳時代終末期」という用法は成立しないと思います.

しかし一方では,埋葬施設の構造上の特徴で「終末期古墳」を定義しているが,「終末期」の設定をしていない人たちがいるから話がややこしい訳です.
これによると,「終末期古墳」である横口式石槨と併行する横穴式石室は「後期古墳」だったりします.こうなると「終末期」の設定なんて,無意味ですね.

まあ,なにげに白石さんも古墳時代終末期と書いたりしてますが…

101 :出土地不明:04/11/28 10:13:51 ID:J6iWsrj6
そもそも、古墳時代の設定理念なしに、場当たり的な

>「古墳時代の終わり」を,群集墳における造墓活動の終焉に求めています.

なんていう定義をしてしまったのが諸悪の根源なんじゃないの。

102 :岩屋山亜式 ◆CAT9FZUkUk :04/11/28 22:00:47 ID:vV+0SkRn
>>101
まぁ,そうも云えますが,30年以上前の定義ですからね.今なら「前方後円墳の終焉」でしょうか.

ただ眼目は,「古墳時代が終わった後の古墳」と云うところです.この部分は高く評価できると思います.

103 :出土地不明:04/11/28 22:58:02 ID:J6iWsrj6
>>102
>「古墳時代が終わった後の古墳」

僕は全然評価できないね。
こんな自己撞着してるような定義。

古墳時代じゃないというなら、古墓などと呼べばいいんだよ。
総称で飛鳥古墓とかにして、個々には
高松塚古墓とかキトラ古墓とか。その方が混乱が少ない。

大塚初重という先生が少し前に『「古墳時代」の時間』という本出してるけど、
それによれば、終末期古墳を

『現在の日本の考古学界では、一般的には古墳時代の終わり頃の古墳、と理解している人のほうが多い』

だと。これが正しいかどうかは知らないけど、もし間違ってるなら、いいかげんな本を出すなと、
大塚さんをとっちめておいてくだされ。



104 :出土地不明:04/11/28 23:37:17 ID:EBWGh029
大塚は78歳。とっちめなくてももうすぐ氏ぬ。

105 :出土地不明:04/11/29 00:02:26 ID:3kgqDTJB
そんなに目くじらたてるほどのことか?
時代なんてそうスパッと区切れるもんじゃないだろう。
両方の特徴を持っていてもいいじゃない。
どちらの特徴を重視して呼ぶかはその人次第でいいんじゃないの?

106 :出土地不明:04/11/29 00:33:20 ID:uM8QhJAt
>>105
その通り。

だけど、そのどちらで使っているかがスパッとわかるようにしないといけない。
一つの学術用語に複数の意味があるなんて正気の沙汰じゃない。

今度の場合は、古墳時代じゃないと主張する墓に『古墳』と名付けていることで
混乱が生じているということ。

古墳時代に弥生土器があったらまずいから、古墳時代の素焼き土器を土師器と呼ぶんだろ。
弥生時代に古墳があってはまずいから、弥生時代の盛土を持った墓を墳丘墓と呼ぶんだろ。

同じこと。古墳時代じゃないと主張するなら、その墓を古墳と呼んじゃいけない。

107 :岩屋山亜式 ◆CAT9FZUkUk :04/11/29 00:44:34 ID:EY5j5gQU
>>106
とすると,古墳時代の終末と,それに後続する時代の定義をどうします?

〈日本史〉におけるこの時期の時代区分の狭間の揺らぎが,この問題の根本だと考えます.
つまり7世紀をどう呼ぶか,と云うことですが…

108 :出土地不明:04/11/29 20:38:05 ID:sG6zzNXH
日本史板に藤原京は何時代なのか?というスレがありますね
http://academy3.2ch.net/test/read.cgi/history/1045327351/

109 :出土地不明:04/11/29 22:51:06 ID:uM8QhJAt
>>104
じゃあ・・・

『古墳学入門』(2003年)という本に右島和男という人が『時期区分としての終末期』という見出しの下に

『現在では、全国的に前方後円墳の築造が最終を迎えるおよそ六世紀末葉の時期を定点とし、
これに続く七世紀いっぱいを終末期とする四時期区分が定着しつつある。』

と書いてる。この人は群馬県立歴史博物館学芸課長という肩書きだから、
そんな年の人じゃないでしょう。

私(右島氏)はこう思うじゃなくて、四時期区分が定着しつつあるそうですぞ、皆様がた。
苦情・お問い合わせは右島さんまで直接どうぞ。

もっとも、この本の編者である土生田という先生は6世紀で終わり派なんですけどね。

ちなみに、Wikipediaの古墳時代の項目も四時期区分が採用されている。
また、おなじWikipediaの飛鳥時代の項には『飛鳥時代(あすかじだい)は、
古墳時代の終期と重なるが』と堂々と書いてある。
これは典拠にはならないけれども、一般に認知されているという証左にはなるだろう。


110 :出土地不明:04/11/29 22:57:53 ID:uM8QhJAt
>>107
七世紀は政治史・文化史的には飛鳥・白鳳時代、考古学的には古墳時代という区分もありでは?
分野によって時代区分が異なるのは当然じゃないですか?
切り口が違うんですから。

他分野のことは視野から外して、考古学としてのスタンスを確立しておくことが先だと思うんですが。


111 :出土地不明:04/11/30 23:49:50 ID:eyn89EF1
>>110
その考え方に賛成。

112 :岩屋山亜式 ◆CAT9FZUkUk :04/12/01 05:44:30 ID:cFVkuL4R
>>100
 最初に「終末期古墳」を言い出したのは,斉藤忠でしたね.1960年代初頭から.
 6世紀中葉から「飛鳥・奈良時代」を古墳時代後期に後続させています.その「飛鳥・奈良時代」に築造された古墳を「終末期古墳」にしていますね.
 区分原理が不明確ですが,信頼性がある文献記事が増えてくることを理由にしているようです.

>>109
 「終末期古墳」「終末期」は定着しつつあるでしょうね,使いやすいから.どの時代に帰属させるかは別として.
 まあ,「飛鳥時代の古墳」「7世紀の古墳」でもいい訳なんですが,>>32のような作業をやるには「共時的な概念」として記述の上では非常に使いやすい.「終末前期」と「終末後期」を区分すると,さらに使いやすい.
 また,定着しつつあると云うことは,現象面での実体性を示していると言えるでしょうね.つまり,時期区分として有意であることを示している.

>>110
 「時代区分」は次の新しい時代のメルクマールの出現ないし定着をもって画するのが通常ですから,古墳が築造され続けた事実をもっていつまでも古墳時代が続くとすることには意味が無いと考えます.
 問題は古墳時代に後続する「時代」とそのメルクマールを考古学が持っていないことですね.そうである以上は,次の時代の開始原理は他分野によるしかないでしょう.日本史的にはそれで問題無いと思いますが…
 実際,我々は「古墳」と云う遺構をもって「政治史」を間違い無く語っているわけですから.
 私自身は,考古学自体も「歴史学」をやる上での「方法」に過ぎないと考えています.

>>「14と16」さん
 議論も盛り上がってきましたから,またお見えになって下さいな.

113 :出土地不明:04/12/03 21:50:14 ID:55O4LGFb
>>112

>>109
> 「終末期古墳」「終末期」は定着しつつあるでしょうね,使いやすいから.
>どの時代に帰属させるかは別として.

右島さんが言ってるのはそういうことではないですよ。
七世紀いっぱい、もしくは、八世紀初頭までを古墳時代に帰属させるという時代区分が定着しているという意味です。

まあ、異論がある方はおられましょうが、昨今の学界のトレンドとしては、
7世紀は古墳時代でほぼ固まってるようですね。

たとえば、

前園実知雄・奈良芸術短気大学教授
政治史の上ではこの間を飛鳥時代と呼ぶが、考古学上の時代区分である古墳時代終末期はほとんどこれに重なる。
(季刊考古学82号)

>>110
> 「時代区分」は次の新しい時代のメルクマールの出現ないし定着をもって画するのが通常ですから,
>古墳が築造され続けた事実をもっていつまでも古墳時代が続くとすることには意味が無いと考えます.

本当にそうでしょうか?
この理屈だと、上の土生田先生他、前方後円墳を古墳時代のシンボルと見て、
その消滅で古墳時代の終わりを定義されている方々の論も、
すべて否定してしまうことになりますよ。

さすがにちょっと行きすぎではないですか?これは。

>は,次の時代の開始原理は他分野によるしかないでしょう.日本史的にはそれで問題無いと思いますが…

日本史(特に政治史)上の時代区分と考古学上の時代区分はきちんと
分けて考えたほうがいいのではないですか?

日本史で、通常、縄文・弥生・古墳・飛鳥・奈良・・と並べるのは、
飛鳥以前は本来の政治史上の時期区分がされていない、つまり先史扱いになっているものの、
先史でひとくくりにするのはあまりに粗すぎるので、飛鳥以前は考古学上の時期区分を、
“借りてきている”、と考えるべきではないでしょうか?

つまり、古いほうからみて古墳時代から飛鳥時代へとつながるのではなく、
新しいほうから時代をさかのぼったときに飛鳥時代から古墳時代へとつながる、
政治史の時期区分から考古学の時期区分へ乗り換えると見るべきだと思います。

したがって、ここはもともと木に竹を継いだようなことになっているところなので、
その接続箇所で不整合が出てもやむをえないと思います。


114 :岩屋山亜式 ◆CAT9FZUkUk :04/12/03 22:36:08 ID:j/QnYLQT
>>113
取りあえず、一点だけ。時代区分原理について。

伝統的に考古学上の時代区分原理は、下記のとおり新たなメルクマールの出現によって画されると思いますが…
(トムゼンの三区分法)
   石器時代→青銅器時代=青銅器の出現
   青銅器時代→鉄器時代=鉄器の出現
(日本考古学の時代区分)
   先土器時代→縄文時代=土器の出現
   縄文時代→弥生時代=水田の出現
   弥生時代→古墳時代=古墳の出現
 土器編年でも、古い型式の存続より新しい型式の出現を画期とすることが普通でしょう?

 私も前方後円墳廃絶という政治的なイベントは大きな指標となると思いますし、それによって実質的に古墳時代という「時代」が終了したと思っています。
 まあ、「時代区分論」としてどうかと云う問題なんですが…
 その意味で、前方後円墳廃絶後の「終末期古墳」と云う用法は評価できますし、まだ研究が進んでいない分野での「共時的な概念」として利便性が高いと考えています。

115 :出土地不明:04/12/03 22:54:30 ID:q/fhTu6B
岩屋山亜式 ◆CAT9FZUkUk さんへ
>>110
>「時代区分」は次の新しい時代のメルクマールの出現ないし定着をもって
>画するのが通常ですから,古墳が築造され続けた事実をもっていつまでも
>古墳時代が続くとすることには意味が無いと考えます

そのとおりだと思います。
古墳が築造されているから「古墳時代」ならば、
日本史的には神武陵の築造は江戸時代ですが、
考古学的にはその時期まで古墳時代になっちゃいますからね。
やはり、前方後円墳の終焉をもって古墳時代の終わりとみなし、
その後の古墳(墳墓)を「終末期古墳」とするのが、
最も筋が通っていると思います。

やっぱり「古墳時代終末期」(=7C代の古墳がある時期)とするのは
おかしいと思います。

116 :出土地不明:04/12/03 23:16:44 ID:55O4LGFb
>>114
岩屋山亜式さんが書かれている通り、古墳時代のつぎには次の指標が出現していないですよね。
そのような状況の所に次々と指標が登場しているところでの基準を持ち出して、

>築造され続けた事実をもっていつまでも古墳時代が続くとすることには意味が無いと考えます.

というのは、ちょっと筋違いじゃないですか?
つぎの指標がないのですから、その指標が継続されている間はその時代が継続するとすることは当然意味があるでしょう。

だから、問題は前方後円墳のあとの飛鳥時代の墳墓に、
古墳時代の指標としての力があるかどうかだと考えています。

実のところそこの所の議論がみたいのですが、一言“ない”というだけで、
きちんとした議論がされていないのではないですか?

上の、土生田先生の議論もそこが不満でした。


117 :出土地不明:04/12/04 02:20:54 ID:ZVrXySK0
>>115
>その後の古墳(墳墓)を「終末期古墳」とするのが、
>最も筋が通っていると思います。
その「終末期古墳」を作っている時代を「古墳時代終末期」と便宜的に呼んでなぜいけないのか?

>日本史的には神武陵の築造は江戸時代ですが、
>考古学的にはその時期まで古墳時代になっちゃいますからね。
ならないんじゃないですか?天皇陵は全部が古墳なわけじゃないでしょう。
それなりの規格やら遺物を伴わないとだめでしょう。

118 :出土地不明:04/12/04 09:12:11 ID:kWwUW/bC
>>117
>その「終末期古墳」を作っている時代を「古墳時代終末期」と便宜的に呼んでなぜいけないのか?

それは考古学を古墳という一側面だけで見ているからです。
歴史考古学的立場からは、終末期古墳の時代=「古墳時代終末期」ではないからです。
便宜的にも何も、7C代は飛鳥時代ですよ。


119 :出土地不明:04/12/04 23:22:25 ID:Qu5A9VcZ
>>117
神武陵は古墳じゃなくて新墳だろ・・・・・・・・・・・・・と言ってみるテスト

と言いつつ、神武陵は実は古墳の可能性はある。
というのは、文久山陵図の荒蕪の図には小墳丘らしきものが書かれているので、
誰のものかは知らねども、小円墳であった可能性がないとはいえないかもしれないかも。

小円墳であるとすると、終末期のものかもしれない・・・・とむりやりスレタイとつなげてみる・・・・・・・

120 :出土地不明:04/12/04 23:23:55 ID:Qu5A9VcZ
間違えた _| ̄|○

>>119>>115へのレスれす

121 :出土地不明:04/12/05 21:29:25 ID:/or9ph2L
神武陵は寺院の基壇の残りを修復したって見解みたいやな。
スイゼー陵は古墳みたいだけど。
最初はこっちが神武陵だって言われてたんだろ?

122 :出土地不明:04/12/05 21:54:12 ID:yjZt7/F2
だけど、埴輪なんかが出土していて古墳という見解もある。
文久の修復の際に水鳥型埴輪が出土しているそうな。
まあ、だから古墳だとしても終末は難しいわけだが・・・・

123 :岩屋山亜式 ◆CAT9FZUkUk :04/12/05 22:03:05 ID:on4ABaLk
>>118
おっしゃるとおりですね.
端的に論点整理してもらってありがとうございます(w

124 :出土地不明:04/12/06 01:55:58 ID:q2ILZcdz
>>118
歴史考古学っていうと考古学とはまた微妙に違ってくると思うのだが?

125 :岩屋山亜式 ◆CAT9FZUkUk :04/12/06 08:57:20 ID:HTFnKHyl
>>124
「文字記録が無い時代」と「文字記録が有る時代」では、「考古学」が微妙に異なると?

「先史考古学」と「古典考古学」、あるいは「先史学」と「考古学」のような考え方ですか?

126 :出土地不明:04/12/06 12:26:09 ID:0XpHAsyd
>>124
歴史考古学と考古学が微妙に異なるって?
どう異なるのか教えて欲しいもんだね。
比較の対象が間違ってるんじゃないの?



127 :出土地不明:04/12/06 22:44:10 ID:q2ILZcdz
飛鳥時代って言ってるけど飛鳥って文化名じゃないの?
考古学的に時代として確立してるの?

128 :岩屋山亜式 ◆CAT9FZUkUk :04/12/06 23:13:12 ID:HTFnKHyl
>>127
文化名と云うか文化史の区分ですね。
飛鳥時代(文化)→白鳳時代(文化)→天平時代(文化)

日本史としては、飛鳥時代→奈良時代でしょうね。

飛鳥時代は、考古学的な指標による区分ではないですよ。
というか、そこに意味があるのですかね?

129 :出土地不明:04/12/08 00:19:41 ID:T77ARfnJ
飛鳥時代は明日香地方で始まったんですよね?
でも日本は広いから同じ頃にまだ古墳を作っている地域は多々あるわけですよね。
そういう意味では古墳時代終末期としても差し支えないのではないかと思うのですが?

130 :出土地不明:04/12/08 02:32:01 ID:m8EKAlG4
>>129
「古墳時代終末期」を設定するなら、何をもって「終末期」とするのか、
画期の設定が必要です。
単に古墳時代の終わりごろを「古墳時代終末期」と考えているなら
そんな時期設定は論外です。


131 :出土地不明:04/12/08 03:17:45 ID:SkSxg//h
前方後円墳の消滅に決まってる。
それが画期であることにだれも異論はないだろ。

問題は、その後を古墳時代が継続しているとみて終末期を設定するか、
あるいは、前方後円墳の消滅で古墳時代は終わったとするかだ。

132 :出土地不明:04/12/09 00:49:20 ID:Mhppp1mz
>>131
前方後円墳の終末っていってもさ。
最後のやつが出来た瞬間に古墳時代が終わるわけじゃないだろう?
その次に作られた大王墓で前方後円形をしてない古墳が作られた時点で古墳時代が終わるのか?

>>130
前方後円墳は作られなくなっても古墳は作り続けるから終末なんじゃないの?

133 :出土地不明:04/12/14 18:28:36 ID:E27GT35n
石室開封、再放送で見た。
あんな大がかりなことしてたとはしらなんだ。

で、そこに出てた先生はキトラ古墳に埋葬されていた人を『古墳時代の人』と呼んでいた。


134 :邪馬台国はどこだ:04/12/15 23:31:03 ID:3LhDK1hg
古墳の終末はAD600年、推古朝だ。

前方後円墳から仏具の銅椀だ出るときだよ。
次の世代は前方後円墳は無くなり
寺になる頃だ。



135 :出土地不明:04/12/16 00:24:24 ID:YygYMZSN
>>134
質問
銅椀が出るのはホントにAD600年以降に限定?

136 :邪馬台国はどこだ:04/12/16 00:34:09 ID:W1Wa/rQP
いやもうすこし早い例外もあるな。
千葉の金鈴塚古墳、埼玉の将軍塚古墳だな。
どっちみち武寧王陵出土のが523年だから
日本にくるのは550年以降だろうな。

しかし前方後円墳が一斉に消えるのは
AD600年前後だからわかりやすく言えばAD600年だ。

137 :135:04/12/16 01:10:22 ID:vV3C+CxQ
なるほど。
しかし、少し荒っぽくないですか。
そんなに大ザッパでいいなら
銅椀なんかあえてどうでもよかないですか?

138 :邪馬台国はどこだ:04/12/16 01:12:45 ID:W1Wa/rQP
銅椀以外に何が有る?

139 :岩屋山亜式 ◆CAT9FZUkUk :04/12/16 12:06:48 ID:K/BQsRes
>>134
>古墳の終末はAD600年、推古朝だ。
「古墳時代の終末」ですか?
推古朝あたりが一番、古墳の造営数が多いんですが、群集墳ですけど…
大部分の地域で「凍結」がかかるのは、その次の段階です。
群集墳がガンガン造られていた時期が「古墳時代」じゃないと云う点は賛成です。

仏教の影響で古墳が終末したとか、古墳造営が氏族寺院建立に置換した、と云うことはかなり考えにくいですね。
古墳そのものの変質はその前から始まっていますから…

140 :邪馬台国はどこだ:04/12/16 14:07:02 ID:W1Wa/rQP
いや終りがAD600年だよ。

その後も小さいものや大きな円墳や方墳は出来ているんだよ。

しかし、
古墳の様式が変わったり、
古墳から仏具である銅椀がでたりするのは
前方後円墳で首長権継承を示威していれば良い時代は
終ったと言うとことだ。

実際、群馬の古墳では
11の巨大前方後円墳がAD600年前後に終り
11の白鳳寺院に変わったのが明白なんだよ。



141 :出土地不明:04/12/16 23:37:24 ID:0GWyVvfR
首長権継承の示威なんて本当にあるのか?

142 :邪馬台国はどこだ:04/12/17 19:35:15 ID:BE8/MZXo
無いのか?

大嘗祭を
現代でもやってるようだが?

143 :出土地不明:04/12/17 22:41:33 ID:J0miS78i
食い物に感謝するのとはわけが違うだろ。

144 :邪馬台国はどこだ:04/12/18 00:30:39 ID:ni6I/KGE
↑ 無知は大嘗祭を勉強すること。

まおとこぶすま
とは何かな?

うぷぷぷぷ。

145 :出土地不明:04/12/22 00:57:47 ID:qdEmSKad
144 真床御衾のことか?「まとこおぶすま」なのだが・・・。
↑ 無知は大嘗祭を勉強すること。
てのは自分のことかね?
大体、大嘗祭の成立をいつだと思ってるんだ。

140 古墳から仏具である銅椀
確かに銅椀は仏具だが、仏教と絡んでいるかは別の問題だ。
仏具として受容されていたかはわからない。
特に、初期の銅椀の副葬は仏教の到来(公伝ではないよ)に先行するのでは。
確かに、観音山&観音塚あたりならいいのかもしれないが。それは金属器と
しては少し新しいタイプだからな。

146 :邪馬台国はどこだ:04/12/22 11:41:40 ID:Rt0hxs9U
大嘗祭の成立?
だから
まとこおぶすま
は何が起源だと言ってるだろうが?

無知だね。

銅椀は仏具だろう。
それが古墳から出始めると継ぎは
前方後円墳が消滅し飛鳥寺院の建立だ。

銅椀が先行?しようが関係無い。
新しい文物・仏教寺院の建立の一環だろうが。

仏教伝来でなくてなんで銅椀を副葬したんだ?
んんー?



147 :出土地不明:04/12/22 22:13:49 ID:rQj4vgS0
>> 邪馬台国はどこだ 君

こんなところでクダを巻いていないで、是非、研究か日本考古学あたりに書きなさい。
とても面白い。


148 :邪馬台国はどこだ:04/12/23 00:34:55 ID:aKgdBpYs
それはどこだ?

URLを張りつけろ。

149 :出土地不明:04/12/23 00:40:59 ID:Exfhofzj
『考古学研究』や『日本考古学』も知らないの?

150 :邪馬台国はどこだ:04/12/23 00:45:19 ID:aKgdBpYs
業界紙か、
掲示板ではなんか無いのか?

151 :146:04/12/23 02:37:00 ID:fFoSoUSt
真床御衾、せいぜい折口信夫説位を引っ張ってきてるんだろうが、
共寝儀礼の成立についての議論くらい押さえてからにしてくれ。
素人君。
今更絵空事のような議論を蒸し返さんでくれよ。
じゃあ、聞くが大嘗祭の最古例は今いつになってるかな?

本来の意味を失って副葬品に入れられたり、意味が転化されて
異なった用いられ方をする資料の存在などいくらでもある。
そんなことも知らんのか?呆れるな。
6世紀前半代に日本に仏教寺院があるのかね?馬鹿も休み休み言え。
まあ、研究も知らん素人に言うのもなんだな。

152 :邪馬台国はどこだ:04/12/23 12:20:50 ID:aKgdBpYs
>>>
大嘗祭の最古例は今いつになってるかな?
>>>


なんだ文献馬鹿か。
どう遡っても9世紀以降だがどうかしたか?

本来の意味を失って?
意味が転化されて?
仏具の銅椀が古墳に入ったのか?
論理的に仏教が伝播した後になるがどうする無知無知君。

6世紀前半に仏教寺院?
本とに無知だな寺院は飛鳥時代だが?



153 :出土地不明:04/12/23 16:38:22 ID:olvK03wc
邪馬台国はどこだ 君
ここで議論するのがいいと思う。
ttp://www3.realint.com/cgi-bin/tbbs.cgi?koukogakuiken
相当手強いぞ。

154 :出土地不明:04/12/23 17:13:05 ID:cQPtgxBV
九州説が多いなら、こっち。
もちろん、セミプロ級があつまる。
http://www.ha-kodai.com/ronsou/trees.cgi

155 :出土地不明:04/12/23 19:43:44 ID:fFoSoUSt
邪魔君
ホントに馬鹿だね。
ちなみに俺は考古屋だが、そんなことも知らんのか。
>どう遡っても9世紀以降
続紀みろ。8世紀は確実だぞ(w
そんなことも知らないのか。

>6世紀前半に仏教寺院
そんなこといってないだろ、日本語も読めないのか?
日本における古墳への銅椀の副葬の出現がそうなんだよ。
全然議論するレベルに達してないのに鼻息だけ荒いね。

自分で矛盾することいってどうする。

156 :邪馬台国はどこだ:04/12/23 21:44:47 ID:aKgdBpYs
考古学馬鹿のこれは良い見本だな。

8世紀になんでそんな馬鹿な儀式する?
天皇陵はまだ古墳が続くだろうが。
桓武陵にお参りするんだろうが?
まったく少しは周りを見て考えるんだな。

日本語わからんのか?

本来の意味を失って?
意味が転化されて?
仏具の銅椀が古墳に入ったのか?
論理的に仏教が伝播した後になるがどうする無知無知君。

6世紀前半に仏教寺院?
本とに無知だな寺院は飛鳥時代だが?

仏教寺院が先だと言う馬鹿な説で考えるから
6世紀の仏教寺院なんて妄想を書くんだよ。

それ指摘されてもまだわからんとは。
チミは思考力自体がレベル以下な考古学馬鹿の良い見本だよ。





157 :出土地不明:04/12/23 23:22:06 ID:fFoSoUSt
何言ってるかよくわからんぞ?
>8世紀になんでそんな馬鹿な儀式する?
してるんだから仕方ないだろ。
古墳が続くのと何の関係があるんだ?
そもそも、桓武陵は何の関係がある?古墳じゃないし。
本当に大嘗祭の意味知ってるか?
まあ、マオトコとか書いているレベルで駄目駄目だが。
おっと、間男が入ったこともあったな。

6世紀前半に仏教寺院があるわけないだろ。
寺院が出来る前の古墳に銅椀が副葬されているという事実を
言っているだけだ。
銅椀=仏具=仏教伝来以後、なんて理屈が成り立つなら、鏡の銘文の
変化とかどう考えるんかね。
いくらでもそういう例があるし、大陸には仏具ではない銅椀もあるぞ。
論理的?どこに論理があるんだ??
そもそも、飛鳥寺は6世紀だが、それも妄想なのか?(w

ちゃんとレス読んでからにしろ。口だけ君。

158 :出土地不明:04/12/24 00:00:46 ID:kNBQMaYx
(・∀・)ニヤニヤ

159 :ふーこ:04/12/24 04:14:26 ID:ykmMr3Cv
 ブラジャー・ガードル、ボディスーツ等のマルコ(株) (大証2部:9980)
が 、古墳と誤認されているらしいでっせ。
 有名やとか、ほんまに値打ちがあるとか、新聞にも重要やと、
書いとったとか… 2ちゃんでも、そんな、でたらめ、めったに
あらしまへんでぇ。


160 :岩屋山亜式 ◆CAT9FZUkUk :04/12/24 10:48:58 ID:3pNFYHA6
今のところの話題は、6世紀末〜7世紀初頭で廃絶された前方後円墳を造営す
ると云う行為が氏族寺院の建立に転換されたか、ということですかね?

つまり、仏教の影響で前方後円墳(あるいは古墳)が終末した、と…

最終末の前方後円墳と初期氏族寺院の分布を、旧郡単位で重ねてみた場合、
合致する地域の方がはるかに少ないのではないでしょうか。

161 :邪馬台国はどこだ:04/12/24 11:51:32 ID:vHLW99L+
いや関東は一致してしまうんだ。
千葉・埼玉・群馬・栃木でね。
特に千葉の蘇我倉山田氏の場合は古墳の脇だ疑い様も無い。

しかし考古学馬鹿には間抜けなのが居るな。
神社の儀式と古墳での参拝を同時に合ったと
いう珍論では。
まとこおぶすま 
が白山の変形だとは知らないんだろうな。

寺院ができる前に古墳から銅椀が出る理由もわからんとは。
仏教が渡来したに決まっているのにな。

城に天守閣が出来てるならばキリスト教が渡来して教会が立った
後のはずだという馬鹿だな


162 :岩屋山亜式 ◆CAT9FZUkUk :04/12/24 13:12:14 ID:3pNFYHA6
>>161
おぉ、〈東国〉でのお話でしたか。
やはり、菩提寺と思われるものが多いのですか?

西日本ではそうした典型例は、全体から見るとごくわずかですね。
旧郡単位(実際には水系単位くらいかな)で細かく見ていくと、「終わり方」
にも色んなバリエーションがありますね。

163 :邪馬台国はどこだ:04/12/24 22:50:06 ID:vHLW99L+
千葉は龍角寺だな。
蘇我倉山田の山田寺系の瓦が出ている。

群馬は11箇所の古墳が消えるのと
合わせて11の寺が出来るからほぼ間違い無い
ということだ。

ほとんどが廃寺だから完全に誰の菩提寺とまではわからないだろう。
しかし国分寺ではないから氏寺だろう。

西日本は複雑だろうな。
同じ氏族でも裏切って大和朝廷に着いたのも居るだろうし
随時渡来氏族が流入してきたろうから。


164 :出土地不明:04/12/25 01:01:57 ID:aPS+dwKn
>161
しかし、文献馬鹿といったり、考古馬鹿といったり適当なレッテル貼りだな。

ところで大嘗祭とその際の追衾の儀礼はどこでやってる?
神社?古墳?どちらでもないぞ。
そんな基礎知識も知らんのか?
まあ、単語知ってるだけ褒めてやるが。
ちなみに、古墳への参拝?何言ってるんだか。
幣帛使とかの話か?

白山?ああ、dデモ系ね。信仰の成立がいつだかわかってるか?
まあ、邪魔耐酷とか言ってる位の低脳だからな。
その手ならまだ、辺南団弟くらい出してくるほうが議論にはなるな。あ、そんな知識はないか(w

大体、関東かよ。知識狭いな。
龍角寺と岩屋の関係は確かにその通りだと思うが、五斗蒔の検討を見る限り、蘇我倉山田と
直接結びつけるのはどうだろうか。
群馬についても、山の上の例等を見る限り、必ずしも古墳群と寺院が地域でそのまま対応している
だけではなさそうだね。
しかし、国分寺でないから氏寺だろう、にはずっこけるな。時代全然違うし。
元興寺とか二つの薬師寺とかどうする?
国分寺の成立経緯を全く理解してないね。
関東の一例だけあげてそれを敷衍すること自体が議論としておかしい。その何倍もの異なる例があるんだから。

銅椀は銅椀=仏具という前提がない限り成立しないな。
大陸では道観でも出ているが、どうする?
いくらでも反証があるぞ?論理的?都合のいいことだけ取り上げてるだけだろ。
大体、550年を遡らない?(プ

まあ、馬鹿以下に付き合うのもこの位にしておくか。
どうやら素人みたいだしな。考研を「業界紙」とか言ってる時点で、読んでる
本のレベルもわかるしな。

165 :邪馬台国はどこだ:04/12/25 13:04:02 ID:RBsegW+7
うふふ、必死の反論だが無意味だな。

宮中と言う言葉は伊勢神宮の内陣が起源ということも知らないようだな。

龍角寺はそうかもしれんが?
群馬は違う?

鮎川地区:末期円墳2基の後は白鳳寺院の水窪遺跡
鏑川地域:末期古墳2基の後は白鳳寺院の馬庭東遺跡
碓氷地域:末期古墳3基の後は白鳳寺院の護国神社遺跡
烏川地域:末期古墳4基の後は白鳳寺院の奥原遺跡、田端廃寺
広瀬川地域:末期古墳6基の後は白鳳寺院の山王廃寺
井野川地域:白鳳寺院の新保廃寺
荒砥川地域:白鳳寺院のびったり山遺跡
粕川地域:白鳳寺院の上植木廃寺
八瀬川地域:白鳳寺院の寺井廃寺
・・・・

どうする無知無知君?

銅椀=仏具という前提が無いと困る?
わしは困らんよ。
後の廃寺から銅椀が出るからそれで充分だ。

道観からも出る?
それがどうした?
まったく論理的に考えられないんかな。

チミは思考力自体が低いんだね?

166 :出土地不明:04/12/25 16:22:51 ID:bS2EMJFl
あーあ。銅鐸の術中にはまってるな。気の毒に・・・

167 :出土地不明:04/12/26 00:09:58 ID:uM1J/Uwk
おやおや、山王廃寺が出てるのに・・・。
惜しいな。もう少し知ってたら、わかるのにね。

168 :出土地不明:04/12/26 00:28:58 ID:6GNcGjEV
寺院なら寺院スレでやれば?
関東の例がそうだからだからどうなのよ?
文化の伝播のスピードでたまたまそれが一致しただけじゃないの。

169 :sage:04/12/26 01:52:13 ID:uM1J/Uwk
>宮中と言う言葉は伊勢神宮の内陣が起源ということも知らないようだな。

はあ?
阿房宮とかどうするの?
流石素人は有名どころの伊勢神宮位が精一杯か(w
何でそんな数秒でわかるような間違いするかね。
宮・宮中の事例としてはあまりに新しすぎるな。伊勢神宮じゃ。

大体、後の事例を遡らせるなよ。歴史ってものを良く理解してないな。
大嘗祭が9世紀(<誤り)というあんたの説なら、終末期古墳と全く関係ないだろ。
いきなり大嘗祭やら出しても、9世紀なんだろ(w
自分でどんどん矛盾してってるのわからんか?
思考能力とかの問題じゃなくて、脳味噌ないんだね、お前。

170 :出土地不明:04/12/26 10:52:36 ID:SZKRTNm6
>>169
そんな相手にムキになることはございませんよ。
血がのぼり過ぎてsageと書く場所を間違えていますw
スルーしていきましょう。

171 :出土地不明:04/12/26 13:49:44 ID:mShby3IV
うふふ。

論理的に反論できない
典型的な専門馬鹿が多いな。

伊勢神宮以前の宮中の例を出せば良いだろうに?
出せればな。

終末期古墳と関係あるだろうが、
古墳が有効なうちは
別の天皇霊継承儀式は不要だ。
論理的にな。

まったく
レベル以下が多いな。



172 :出土地不明:04/12/26 14:43:43 ID:uM1J/Uwk
はあ?
論理って意味知らんのか・・・。
大体、ない奴が言うんだよな、こういうこと。
まあ、スルーってことで。


173 :出土地不明:04/12/26 15:01:58 ID:mShby3IV
↑ 中味のないレスは無しってことで。

174 :出土地不明:04/12/28 22:55:03 ID:D60nI6A0
レベル以下ってなんだ?
ま、それはいいけど、自分が論理的だと思ってることが
万人に納得する論理構造をしているとは思わない方が良いよ。

175 :出土地不明:04/12/30 22:45:39 ID:CxD3HmvC
>171
>伊勢神宮以前の宮中の例を出せば良いだろうに?
レス嫁、タコ。

176 :出土地不明:05/01/01 22:38:56 ID:veMO1eGb
てか銅椀じゃなく銅鋺だし・・・みんな死んじゃってください。

177 :出土地不明:05/01/05 12:10:36 ID:JhzwZF3p
この「@@@@はどこだ」さん、いろんなところ荒らしまくってますよ。

学問的にデタラメで、漢字もロクによめません。
訳の分からない倫理で皆引いちゃってます。

相手にせず、スルーしましょう。

178 :出土地不明:05/01/05 16:26:00 ID:9edh+/fA
ほれ、
さっさと宮中の用例で
8世紀始めの伊勢神宮の宮中より古い例を出せ。

仏具で無いと証明できる銅椀の例でも良いぞ。

できなければ
ひっこんどれ馬鹿ども。


179 :出土地不明:05/02/13 12:55:39 ID:ue6/+ra4
age

180 :出土地不明:05/02/13 13:36:50 ID:HL3GXttJ
さて、このスレの終末を語りましょうか

181 :出土地不明:05/02/16 00:35:14 ID:H9of7tuD
とりあえず、ここはもう終末期に入っただろ?

182 :出土地不明:05/03/15 23:49:10 ID:EwWseh5G
もうじき吉川弘文館から出る白石太一郎編『古代を考える 終末期古墳と古代国家』、
入門書として読むにははどうかな?

183 :名無しさん@お腹いっぱい。 ◆ILM7x/T5c2 :05/03/17 00:09:55 ID:xVudBbBZ
みんなごめんな。ここ数日の流れを見て自分の罪深さをようやく知ったよ。
自分は世間で言う一流大学の一つに進学したが、そこには文学部も考古学の
講座も無かった。独学だったから、基礎が全然分かっていないと言うことに
ようやく気がついたよ。トリップのある俺が本物だから、みんな、俺の偽物
のことは以降、適宜スルーして呉よ。
 本当にすまないことをしたと反省してます。許してください。

184 :名無しさん@お腹いっぱい。 ◆ILM7x/T5c2 :05/03/17 00:33:03 ID:xVudBbBZ
ちなみに183=165=171・178です。みんなごめんな。

185 :出土地不明:05/03/18 21:32:27 ID:nGC37elY
許してやるよ。まあ早く立ち直りな。

186 :名無しさん@お腹いっぱい。 ◆ILM7x/T5c2 :05/03/18 23:46:54 ID:ESp8XT6z
>>185
ありがとうございます
 と
プププが交互に出てくるよー

お母さん、はやくぅ

187 :出土地不明:2005/04/19(火) 22:01:17 ID:7rLuR6Km
>>182
収録論文の半分が10年以上前に書かれたものだった・・・
〆切を守らずに刊行を遅らせたのは誰だ?

188 :出土地不明:2005/04/19(火) 22:18:51 ID:lHB0ddMd
10年で事情はそんなにかわったの?

189 :出土地不明:2005/04/20(水) 19:49:06 ID:40x1S/ae
いや、折角書かれた論文が10年以上陽の目を見なかったのが
惜しいってことだよ。
執筆者にとっても、読者にとってもね。

190 :出土地不明:2005/05/04(水) 17:39:48 ID:HfkAk0op

【主張】女性天皇 伝統重んじる論議を歓迎
http://www.sankei.co.jp/news/050504/morning/editoria.htm


191 :名無しさん@お腹いっぱい:2005/05/04(水) 18:35:20 ID:EQrPGW7g
さて、
元に戻すか。

古墳の終末はAD600年、推古朝だ。

前方後円墳から仏具の銅椀が出るときだよ。
次の指標は古墳ではなく寺院だ。

大宰府・観世音寺を真似したんだな。





192 :出土地不明:2005/05/14(土) 21:20:27 ID:FutqSe7R
観世音寺は斉明追悼のために天智が発願した寺のはずだがね。
一応読者のために。

193 :出土地不明:2005/05/19(木) 23:45:34 ID:jZc96BsU
建築家の渡辺 豊和氏の説に寄れば、古墳は竪穴式住居を模したもの。

三内丸山遺跡の発見により、竪穴式住居の屋根は植物ではなく土で葺いていたことが明らかになった。
(現在の復元された竪穴式住居やイラストは全て誤り)
つまり竪穴式住居は土室だった。(雪で作ったカマクラに名残が見られる)
古墳時代は竪穴式住居が一般的だったため、墓もそれを模した形の墳墓(前方後円墳)が作られたが、
支配階級が竪穴式住居に住まなくなって、急速に廃れた、と見るのが妥当だろう。
ttp://www.japanpen.or.jp/e-bungeikan/study/watanabetoyokazu.html

194 :出土地不明:2005/06/09(木) 07:49:05 ID:NEiXQCf6
おそらく前方後円墳がたくさん作られた時代は、墓は大きい方がいい、
墓と一緒に宝物をたくさん埋めたほうがいいという宗教がはやっていた思うのだが、
仏教が少しはやったくらいで、そう簡単に大きい墓や宝物を一緒に埋める風習がなく
なるものだろうか?中国だって仏教がはやってからも結構大きな墓を作って、宝もの
なんかをたくさん埋めているし、
その辺の事情が分かる人、誰か教えて

195 :岩屋山亜式 ◆CAT9FZUkUk :2005/06/09(木) 13:17:40 ID:C9AuDlaI
>>194
おぉ、久々にまともな書き込みが…

以前は、大化二年(646)のいわゆる薄葬令と仏教による火葬の流行で古墳が造られなくな
ったと説明されていましたが、事例研究が進むと古墳の築造は7世紀初頭をピークとして
衰退していることが明らかになってきました。
つまり、大化の薄葬令より前に前方後円墳を含めて古墳の築造は衰退しているし、奈良時
代以降に火葬墓が流行するころにはほとんど造られていません。

古墳時代に構成されていた様々な社会的階層は、前方後円墳を代表とする墳形や規模(大
きさ)、外表施設、副葬品などの様々な組み合わせで、現象的に表現されたものと考えれて
います。
古墳でそれを表現する必要が無くなったから、古墳が造られなくなったと云う理解が、現
在では主流です。
「古墳の終末」に関するキーワードは、岡田の論考以来、「律令制」と云うことになりそう
ですね。
  岡田清子(1966)「喪葬制と仏教の影響」『日本の考古学V』(古墳時代下)

196 :出土地不明:2005/06/09(木) 15:02:09 ID:TwBmcsqg
でも、昭和天皇陵って大きい・・
ttp://w3land.mlit.go.jp/cgi-bin/WebGIS2/WC_AirPhoto.cgi?IT=p&DT=n&PFN=CKT-89-1&PCN=C19&IDX=7&PNO=1,2,3,4,5,6,7,8,9,10,11,12,13,14,15,16,17,18,19,20,21,22,23,24,25,26,27,28,29

197 :出土地不明:2005/06/10(金) 01:45:35 ID:17tIqvey
古墳がお墓だとか、宝物を一緒に埋葬してた、とか言うけど、
何の証拠が有ってそんな事言うの?

198 :出土地不明:2005/06/10(金) 02:53:41 ID:z7al1BLI
>>197
一応人骨とかが棺の中に埋葬されて出てくるし、馬とか刀とか鏡とかいろいろ
副葬品が出てくる。
縄文時代だと貝塚(ゴミ捨て場)の中から人間の死体が出てくる。それから考えても
何か宗教的な儀礼の下に葬られたと考えるのが普通だろう。

199 :出土地不明:2005/06/11(土) 11:51:32 ID:fRjCg+Tz
>>195@岩屋山

大規模な古墳が構築された時代は貧富(変な言い方だが)の差や首長系統が
重視されてた時代がメインだったが、大化の改新前後に仏教思想が天皇家や
ブルジョワ階級に浸透し小規模化、仏教に吸収される憂い目に合い古墳時代は
終焉を迎えたと思う..言い換えれば蘇我・物部みたいな仏教・神道の争いも
明確に線引きされた為にその方面の争いも無くなり、平穏な安定期を日本が
迎えた事だと思う。

まあ、古墳の内面的な世界を神仙思想と結びつけたりはしないが
民族的な一つの象徴的なシンボルであった事は確かだと思う。
円墳、方墳(四方突出含む)等々の形状ね。

200 :岩屋山亜式 ◆CAT9FZUkUk :2005/06/13(月) 17:16:29 ID:IbJN0Tw9
>>199 どもう、レスありがとうございます。
仏教の影響で古墳が終焉したと云う話には、どうも違和感があるのです。
単純に仏教の影響で古墳が造られなくなった、と云う理解についてですが…

前方後円墳とか大型の方墳・円墳などの支配層墓の系譜と、いわゆる群集墳の系譜に分け
て整理したときに、同一地域では群集墳の方が長く後まで造墓活動が行われるし、祭祀行
為も継続する。こうした現象は、仏教の影響だけでは説明できない。

また、7世紀初頭までは追葬墓(家族墓)が原則なのに、それ以降では単葬墓(個人墓)
に移行してから、奈良時代の火葬墓に転換する。こうした事例も仏教的な影響だけでは説
明できません。

古墳の終末と仏教の受容・隆盛は、時期的に近接するので、結び付けられることがありま
すが、上記のような現象はなかなかそれでは説明できないのですよ…

201 :出土地不明:2005/06/16(木) 21:22:12 ID:fqNfigsF
宗教には流行り廃りがあるというのは理解できるが、
人間の本能として普請道楽というのがあるだろう。今の日本でもちょっと金をためると
すぐに大きな家を建てたがる人種がいるだろう。あれだけ大きな古墳をバンバン作る
情熱はどこに行ってしまったのだろうか?古墳が廃れてから、大規模な建築物を作った
形跡はないし、せいぜい奈良の大仏さんと山城が少々、誰か分かるか教えて



202 :岩屋山亜式 ◆CAT9FZUkUk :2005/06/16(木) 21:44:01 ID:hYFnHgP9
>>201
>普請道楽
中央では間違いなく都城の整備がそれにあたるし、地方では初期寺院で
しょうね。もっとも、寺院の建立が仏教の浸透とイコールであったかは
疑問がありますが…

都城と寺院、どちらも古墳と比較すると滅茶苦茶な金食い虫ですよ(w

203 :出土地不明:2005/06/16(木) 22:02:22 ID:mYXfA8QI
大阪府池田市の古江古墳が終末をむかえました。

204 :出土地不明:2005/06/16(木) 22:52:30 ID:vEf8lEfj
NTTドコモ関西が「古江古墳」の大部分を破壊 無届けの基地局建設工事で
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20050616-00000111-kyodo-soci

 NTTドコモ関西(大阪市)が大阪府池田市古江町の山林で行った携帯電話基地局の
鉄塔新設工事をめぐり、府の風致条例と文化財保護法に基づく工事開始の届け出をせず、
現場にあった「古江古墳」の大部分が壊されていたことが16日、分かった。

 古江古墳は同法に基づき、「周知の埋蔵文化財包蔵地」に指定。土木工事などを行う際は、
着工60日前までに届け出るよう義務付けられているが、ドコモは住民から指摘を受けるまで
その事実を知らず、届け出をしていなかった。

 府教委は同日までに、NTTドコモに工事中止を命令。近く発掘調査を実施する。
 府教委などによると、古江古墳は推定直径約13メートル、高さ約1・2メートルの円墳。
1976年、池田市の調査で発見された。横穴式石室があり、6世紀後半ごろのものと
みられていたが、詳細な調査は行われていなかった。

205 :出土地不明:2005/06/16(木) 23:02:11 ID:vEf8lEfj
http://www.asahi.com/national/update/0616/OSK200506160028.html

 NTTドコモ関西が、大阪府池田市古江町の山林で、府の風致条例や文化財保護法に基づく届け出
をせずに携帯電話基地局の鉄塔新設工事をし、現場の「古江古墳」(6世紀ごろ)が全壊していたこ
とがわかった。府教委は工事を中断させ、近く市が調査に入る。

 古江古墳は直径約13メートル、高さ約1.2メートルの円墳。横穴式石室もあり、地域の有力者
が埋葬されていたとみられる。76年に池田市の調査で見つかったが、詳しい調査はされていない。

 府教委によると、同社は地権者から用地を借り、高さ約14.8メートルの鉄塔建設を計画。昨年
9月に同市と府池田土木事務所と打ち合わせて、風致条例と砂防法に基づく届け出が必要だとの指示
を受けた。今年2月に砂防法の届け出を出し、4月下旬に着工した。

 しかし風致条例による届け出をしていないことが5月に住民の指摘で判明。現場が工事前に文化財
保護法で届け出が必要な「周知の埋蔵文化財包蔵地」であることも初めて認識したという。

 府教委から指摘を受けたドコモ側は5月27日に工事を中断し、府と府教委に風致条例と文化財保
護法に基づく届けを出した。現場はコンクリートの基礎工事が進んでおり、墳丘や石室の大半が破壊
されていた。

 府教委の文化財担当者は「業者が必要な手続きを怠ったことに加え、市も古墳があることを業者に
伝えていなかった。原状回復は不可能で、初歩的なミスで貴重な遺跡が失われてしまったのは極めて
残念だ」と話した。

206 :出土地不明:2005/06/16(木) 23:05:01 ID:V/33snZ8
>>205
まあ、確かに古墳の終末ではあるが・・・

207 :出土地不明:2005/06/17(金) 01:05:17 ID:VqVf61Jn
今日仕事中に滋賀の百穴古墳とその近くの古墳群(ど忘れしたorz)見てきた

208 :207:2005/06/17(金) 01:07:25 ID:VqVf61Jn
スレ間違えたorz
マルチスマソ

209 :出土地不明:2005/06/18(土) 01:24:05 ID:IxonOVat
>>202
ありがとうございます。要するにあの世のことより、現世を優先させる
ようになったのですね

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