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【矢田義清】実は山名氏は足利一門?【山名義範】

1 :日本@名無史さん:2005/04/18(月) 09:52:50
山名氏は新田一門とされるが何故か足利氏に優遇されている。
また、開祖の山名義範は新田義重の長子とされてるが小生は
以前から疑問に感じていた。
何故なら次子の里見義俊が大新田、三子の新田義兼が小新田と
呼称されているから。因みに義兼が義重の後継者。
また、足利(矢田)判官代義清は義重の弟の足利義康の庶長子だが
系図には義範という子が記されている。これが山名義範か?
一説で義範は父義清が備中で平家と戦い戦死し大伯父義重が
引き取って猶子(養子)にした説があるらしい。

2 :日本@名無史さん:2005/04/18(月) 09:58:43
ほー・・・

3 :日本@名無史さん:2005/04/18(月) 10:35:30
以前にも興味ある人が結構いたらしいので、
それぞれ独自の持論でなんでもどうぞ。

4 :日本@名無史さん:2005/04/18(月) 20:36:39
新田義重の次子の里見義俊が大新田氏で、
三子の義兼が小新田氏とされた由来を
知っている人がいたら、是非詳しく!

5 :日本@名無史さん:2005/04/18(月) 22:00:32
そういや一色スレがあったなと思って
探してみたら700番目にいたからageてきた

6 :日本@名無史さん:2005/04/18(月) 22:08:53
新田本家と山名氏と矢田判官代義清らの微妙な関係の記述のコピペ。
(ポイント部分のみ)

>ただ以仁王の挙兵の頃になると足利氏も新田氏もそれぞれ独自に行動するようになっていた。
>足利義兼の庶長兄の矢田義清は以仁王側として戦い、後に義仲の配下となる。
>義兼は頼朝挙兵後すぐにその配下となった。
>(先に書いたとおり、義兼は母親の系統でも頼朝に近いのでその影響もあるかもしれない)

>義重は頼朝挙兵後、自領に戻り石橋山合戦に参加はしてないらしいがその様子を清盛に報告。
>さらに寺尾城で反頼朝の兵を集めようとした。しかし兵はあまり集まらず頼朝に降伏している。
>また義重の子の山名義範や孫の里見義成は独自の判断で頼朝についている。

>鎌倉時代の足利・新田氏の明暗を分けたのはここが大きな理由だったと思う。
>つまり足利が嫡流で新田が庶流というのはあまり関係がない。
>(どちらも頼朝からみれば庶流だろう)
>この時の行動が逆なら足利が冷遇されて新田が栄えたかもしれない。

7 :日本@名無史さん:2005/04/19(火) 19:47:25
この疑問スレをageてみる。

8 :日本@名無史さん:2005/04/21(木) 21:54:24
またこの疑問スレをageてみる。

9 :日本@名無史さん:2005/04/22(金) 16:26:04
歴史板らしい問題提起ですな

10 :日本@名無史さん:2005/04/22(金) 16:39:13
山名と細川の争いは新田と足利の戦い。

11 :日本@名無史さん:2005/04/25(月) 10:48:25
またまたこの疑問スレをageてみる。

12 :日本@名無史さん:2005/04/30(土) 16:15:46
>>1
> 一説で義範は父義清が備中で平家と戦い戦死し大伯父義重が
> 引き取って猶子(養子)にした説があるらしい。
ソース希望

13 :日本@名無史さん:2005/04/30(土) 16:50:58
>>12
足利氏の系図

                                源(足利)義国
                                  ├────┐
                                足利義康   新田義重
                          ┌─┬──┼─────┐     
                         義兼 義良  義房    矢田義清      
 ┌──────┬─────────┤    ┌─┼──┐   ├───┬──┐
桃井義助    畠山義純         義氏   頼長 頼実  回願 義寛   義縁   義範 
 │         ┌──┬─┬─┬──┤    ├───┬──┐      │   │
義胤        有氏  義継 泰氏 吉良 長氏   義宗   実国  細川義季  頼実 (重国)


※まだ確定してるわけでは無いが、矢田義清の孫に重国という人物がいることは確かのようだ。    
これが新田義重の孫の山名重国の名と何故か不思議に重なるが…。

14 :日本@名無史さん:2005/04/30(土) 16:56:53
>>13の訂正。
    
    矢田義清      
      ├───────────┬────┐
     義寛               義縁     義範 
      ├───┬──┐      │      │ 
     義宗   実国  細川義季  頼実    (重国)

>>12
※ソースは只今検索中。すまんがしばらく待ってくれ。

15 :日本@名無史さん:2005/04/30(土) 19:22:30
一つだけわかったことがある。

山名義範が本当に新田義重の長男としたら、
『太郎』となるはず。だが『山名三郎』となっている。
そして肝心の『太郎』は次男の大新田の里見義俊。
『次郎』は義重の嫡子で三男の小新田の新田義兼。
四男の得川=世良田義季が『四郎』となってるが、
どうも『三郎』が正しいような気がする。
義季の後裔と称する家康が先祖代々『次郎三郎』
という通称があるから。
五男の額田経義は『五郎』となっている。

また引き続き、情報を伝えるから…。

16 :日本@名無史さん:2005/04/30(土) 19:29:17
こんなのもあった。

【山名八幡宮】
創建年代は明らかでないが、新田義重の『三男』山名義範が文治年間(1185--1190)
に社殿を造営したと伝えられている。鎌倉街道沿にあって、鎌倉時代には
門前町として宿も形勢されていたという。現在の社殿は本殿・弊殿・拝殿からなる権現造りで、
三手先の軒や腰部の彫刻がすばらしい。本殿は銅板葺きの三間社流造りで、
彩色した彫刻が施されている。拝殿部分は、なんらかの理由で後に建替えられている。
境内には他に、随身門・神楽殿などがある。
尚、「金井沢の碑〜根小屋城址〜山名城址〜山ノ上の碑〜山名八幡宮」の間は、
“関東ふれあいの道”指定による“石碑の路”として良く知られている。

所在地:群馬県高崎市山名町

17 :日本@名無史さん:2005/05/02(月) 18:34:59
>>1
>大伯父義重が 引き取って猶子(養子)にした説があるらしい。
この時点でもう新田一門じゃないか‥‥

18 :日本@名無史さん:2005/05/02(月) 18:42:20
>1
>山名氏は新田一門とされるが何故か足利氏に優遇されている。

血統的にいうと、山名氏は遠い祖先は新田義重でも
鎌倉末期になると足利一門に近かったんだよ。
確か山名時氏の母は足利尊氏の母と同じ上杉氏の出身。

19 :日本@名無史さん:2005/05/02(月) 18:59:06
「新田もお粗末にしてませんよ」
という意味では充分価値がある<山名優遇


ってか、そんだけ山名くんが頑張ったんでしょう。
>>18もあるし。

20 :日本@名無史さん:2005/05/02(月) 19:10:29
>>15
世良田義季の通称は、
新田二郎。
長楽寺文書の寺領注文に残ってる。

21 :日本@名無史さん:2005/05/03(火) 22:35:46
>>20
情報乙!

では義季の兄・里見義俊の通称は『次郎』とは違うの?
仮にも『大新田』と呼称されてるけど。
なにかの手違いなのかな?

22 :日本@名無史さん:2005/05/27(金) 11:44:26
そうやろ。

23 :日本@名無史さん:2005/05/28(土) 00:45:06
大新田こと里見義俊の通称はなんだろう?
「一郎」かな?一応、義重の長男だしね。

24 :日本@名無史さん:2005/06/11(土) 10:24:55
age

25 :日本@名無史さん:2005/06/11(土) 12:25:11
>>23
普通に考えりゃ太郎でしょう。

26 :日本@名無史さん:2005/06/11(土) 12:32:37
イマジネーションを膨らませて荒唐無稽に史学的手法の禁じ手を使うならば、
「清和源氏新田氏は別々に2つあった」という考え方もできるが・・・。
論理的に無茶なので、とりあえずカキコに限らせていただきます。

27 :日本@名無史さん:2005/06/11(土) 14:44:33
>>25
確か「太郎」は義重の次男の小新田の新田義兼(後継者)でしょう。
でも大新田の長子の里見義俊が「太郎」なら違和感は全くないけどね。
それとも義俊は父の義重と同様に庶長子なのかな?わからんけど…。

>>26
こっちも慎重にやるつもりです。(山名氏の足利一族説に関して…)

28 :日本@名無史さん:2005/06/11(土) 16:00:23
「小新田」って言うのも、ひょっとして新田義兼が
「小太郎」という通称だったからという可能性はないか?
史料では義兼が小太郎と呼ばれてるものはないけどさ。
そうすれば義俊と義兼が共に太郎というのも説明が出来ないかね。

もっとも通称と長幼はあんまり関係ないとは思うけどね。
北条三郎時輔・太郎時宗・四郎宗政という例もあるし。

29 :日本@名無史さん:2005/06/11(土) 18:53:49
>>28
そういえば新田次郎の「新田義貞」でも、
義貞は“小太郎”という通称だったね。
弟の脇屋義助は“小次郎”だったと思う。

…すると、義重の長男の里見義俊は「大太郎」で、
次男の新田義兼は「小太郎」だったのかな。
なんか納得できる説に出会ったよ。乙!

30 :日本@名無史さん:2005/06/11(土) 18:58:44
>>28
北条時宗の兄弟の場合は嫡庶の区別があったかと思われる。

長兄の時輔は確か側室の子でしょう?
…で、時宗・宗政兄弟は正室の子でしょう。

31 :日本@名無史さん:2005/06/11(土) 19:05:14
荒唐無稽説なら新田義兼&足利義兼同一人物説もある。

32 :日本@名無史さん:2005/06/11(土) 19:33:56
>>31
たまたま、同族で従兄弟同士で「義兼」という名だったんでしょ?
しかも共に嫡子で。
(足利義兼の庶長兄が矢田判官代義清で山名氏の祖の説あり)

なお、新田義兼には義房と娘の二人の子がいた。
その娘が足利義兼の庶長子の義純に嫁ぎ、その間に数人の息子を儲けた。
その次男が、問題の岩松氏の始祖となる時兼である。

33 :日本@名無史さん:2005/06/11(土) 21:31:34
これも新田次郎の「新田義貞」の余談の内容だけど、
里見義俊の後裔の秀義の長子の忠義の息子が義貞で、
嗣子がなかったとされる本家の新田朝氏の養子になった説がある。
なお、そういう場合は鎌倉攻めに参加した里見伊賀守義胤は兄弟と、
いうことになるが、真偽の程は不明。

34 :日本@名無史さん:2005/06/22(水) 21:27:52
>33
里見五郎=新田義貞

35 :日本@名無史さん:2005/06/22(水) 22:18:07
…ということは義貞は新田朝氏の実子じゃなく養子だったの?
じゃあ、弟の脇屋義助も朝氏の実子とは違うの?

36 :日本@名無史さん:2005/06/23(木) 04:18:10
あくまでそういう異説もある、ということだから。
ちなみに新田次郎氏は、義貞の母が里見から嫁いで来て朝氏室となったことにして
伝説との整合性を保っているね。

37 :日本@名無史さん:2005/06/26(日) 13:56:50
義貞スレの自称『子孫の一人』って単なる荒らしの煽りでしょ?
スレ違いでスマンが。

38 :日本@名無史さん:2005/06/26(日) 14:00:19
偽称…『子孫の一人』:こいつは、はっきりいって見苦しい!
     ↓
    ∧_∧  / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
  ∧( ´∀`)< じゃあ群馬は何?w下野は現在のどこ?w
 ( ⊂    ⊃ \____________
 ( つ ノ ノ
 |(__)_)
 (__)_)
    ∧_∧  / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
  ∧( ´∀`)< 下賎民は都合の悪い質問には答えないんですねw
 ( ⊂    ⊃ \____________
 ( つ ノ ノ
 |(__)_)
 (__)_)
    ∧_∧  / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
  ∧( ´∀`)< 生まれが卑しいから根性も醜いですよ(w
 ( ⊂    ⊃ \____________
 ( つ ノ ノ
 |(__)_)
 (__)_)
    ∧_∧  / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
  ∧( ´∀`)< ボクなら切腹ものですw
 ( ⊂    ⊃ \____________
 ( つ ノ ノ
 |(__)_)
 (__)_)
    ∧_∧  / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
  ∧( ´∀`)< 下賎民は切腹すら許されず市中轢き回しの上磔ですけどねw
 ( ⊂    ⊃ \____________
 ( つ ノ ノ
 |(__)_)
 (__)_)

39 :37-38:2005/06/26(日) 14:03:25
スマン、もう二度とやらないから。
ただ、この気違いに一言釘を刺したかっただけで…。

40 :日本@名無史さん:2005/07/09(土) 06:58:20
age!

41 :日本@名無史さん:2005/08/05(金) 00:55:47
>>1
山名義範の妻が足利義清の娘という説も聞いたことがあるような。
あと、義清の子の「義範」は「義節」の誤記とも聞いた。

42 :日本@名無史さん:2005/08/05(金) 13:27:58
>>41
貴重な情報乙!
それが山名氏の足利一門有力説の根拠の因となってるかもな。

43 :日本@名無史さん:2005/08/05(金) 19:07:49
現実問題として山名氏は平安末期の段階で独自に行動しているからな。
頼朝挙兵のときもそうだけど、山名義範って新田本家と関係なく受領になったり
しているし。

『史料総覧』文治年8月16日条
「小除目、源義経を伊予守に、山名義範を伊豆守に、大内惟義を相模守に、
足利義兼を上総介に、小笠原遠光を信濃守に、安田義資を越後守となす」

44 :日本@名無史さん:2005/08/05(金) 19:08:43
×『史料総覧』文治年8月16日条
○『史料総覧』文治元年8月16日条

45 :日本@名無史さん:2005/08/05(金) 19:47:37
矢田義清が足利一門でありながらも不遇だった文献もあると聞くし、
父の義康との間になにかがあったのかも知れないな。
単に、庶長子という立場だけでなく、なにかが…。
最後は木曾義仲の副将として臣属してて、頼朝に疎まれたらしいし。

46 :日本@名無史さん:2005/08/05(金) 19:57:08
>>45
そうは言っても義康は治承・寿永の頃よりかなり前に死んでいるからな。
むしろ母親が頼朝母の姉妹である義兼が過剰に重用されたというべきかも。

47 :日本@名無史さん:2005/08/05(金) 20:02:36
そういえば、足利義兼の従兄の新田義兼は立場こそ違うが、
兄の里見義俊を差し置いて、父の義重の後継者となっているな。
やはり、義俊は庶兄で義兼は正室の子だったのだろうか?

48 :日本@名無史さん:2005/08/06(土) 01:24:09
新田本家って義貞まで代々通称が「小太郎」だよな。
惣領家なのに「小」って字を使うのは何故でしょう?

49 :日本@名無史さん:2005/08/06(土) 01:28:17
代々チビが多かったからじゃね?

50 :日本@名無史さん:2005/08/06(土) 02:01:18
山名って建武政権期以降は完全に足利一門として行動してるよな。
やっぱ系譜上は新田だが、周囲の認識は足利って感じだったのでは?
ちょうと岩松とは逆の立場で。

51 :日本@名無史さん:2005/08/06(土) 02:12:37
それで、里見氏が新田惣領家の長兄の系統と見られたわけだ。
一応“大新田”といわれてたしな。
>>28の説もあるが。

52 :日本@名無史さん:2005/08/06(土) 08:18:18
新田一族で後世に家が残る家って、基本的に新田惣領家を見限った家がほとんどだよな。

53 :日本@名無史さん:2005/08/06(土) 12:16:22
―生き残った新田一門―

筆頭;里見氏・大舘氏など(他には新田流桃井氏)←足利流桃井氏とは別系

別格;山名氏・岩松氏など(半ば足利一門)

その他;世良田氏・松平氏・徳川氏・酒井氏・小栗氏…

…くらいかな。


54 :日本@名無史さん:2005/08/06(土) 17:12:30
>松平氏・徳川氏・酒井氏・小栗氏…
これは捏造だろ。

55 :日本@名無史さん:2005/08/06(土) 18:06:40
ん?桃井が足利系と新田系で別系?
ソースは?

56 :日本@名無史さん:2005/08/06(土) 18:20:26
新田次郎の“新田義貞”で鎌倉攻めの武将で新田一門の桃井尚義が出てた。
これを見て、足利一門の桃井氏とは別系統の桃井氏と判断した。
新田次郎の文章によると、大舘宗氏が極楽寺で戦死した後に副将の
里見義胤(義貞の従弟?)が大将に、桃井尚義が副将に昇格したとある。

57 :日本@名無史さん:2005/08/06(土) 19:10:54
>>53
他に大島氏も。

>>54
由良氏も捏造の可能性が高いね。

>>55-56
新田流桃井氏って俺も話は聞いたことはあるけど、小説とかじゃない一次史料で
確認できるものってあるのかな?
桃井氏の苗字の地って上野国内だし、可能性はありそうだけど。
存在を確認できる史料とかあったら教えて。

58 :日本@名無史さん:2005/08/06(土) 20:14:12
>>56
おいおい。桃井尚義は正真正銘の足利一族だぞ。
新田一族扱いされているのは、
婚姻関係などからではなかろうか、
と『新田町誌』第4巻で峰岸純夫氏は言ってるね。

つーか、小説をソースにするなよ。

59 :日本@名無史さん:2005/08/06(土) 20:14:30
ちょっと調べたんだけど、桃井尚義が新田義貞の鎌倉攻めに新田一門として、
参戦したのは、どうやら足利一門でありながら、代々新田氏の女婿となってるために、
参戦が可能だったらしい。前例でいえば、あの矢田義清みたいな立場かな。
そのために、桃井尚義は尊氏を初めとする足利惣領家から疎まれたらしい。
まあ、それは山名氏も同様かな。代々足利家の女婿となってるために、
本家の義貞とは行動を共にせず、岩松氏と共に尊氏の武将として活躍したらしいから。
それが、真相かも知れないかな。案外と。

60 :日本@名無史さん:2005/08/06(土) 20:17:04
>>58
それだな!
小説をソースとしたのは桃井氏の資料が乏しいから。


61 :日本@名無史さん:2005/08/06(土) 20:51:50
桃井直常の名前の読みは「なほつね」or「ただつね」?

62 :日本@名無史さん:2005/08/06(土) 23:52:10
高師直の名前の読みは「もろなほ」or「もろただ」?

63 :日本@名無史さん:2005/08/07(日) 00:11:46
>>62
明らかに「もろなお」が正しい。
尊氏の弟の直義は元々『高国』だったが後に「ただよし」に改名した。
61のほうは、どっちが正しいか判断はできない。


64 :日本@名無史さん:2005/08/07(日) 00:30:26
>>63
ソースお願い。

65 :日本@名無史さん:2005/08/07(日) 00:31:40
織田信忠の初名「信直」は「のぶただ」でいいんだよね?

66 :日本@名無史さん:2005/08/07(日) 00:34:38
三好長慶は「ながよし」or「ながのり」?

67 :日本@名無史さん:2005/08/07(日) 02:28:33
>>61
桃井直常は直義党だけに「ただつね」。
>>65
信忠の初名は信直ではなく、信重。
>>66
長慶は「ながよし」。

68 :日本@名無史さん:2005/08/07(日) 03:06:47
>>67
いつ直義に従ったかにもよるんじゃないか?
断定するのは早計だと思うんだが。

69 :日本@名無史さん:2005/08/07(日) 12:04:36
つーか直常の名は直義が前提

70 :YAP?:2005/08/07(日) 13:57:03
この新田・足利一門については、どうも、従兄弟などの近い一族で、同じ「諱(いみな)」を
持つ例があり、私は、ひょっとして、「祖父」が孫の名を決定していたのではないかと疑っているのだが。
新しく「家」が分かれる場合、その後嗣が同じ「いみな」を持ち、分出した各庶家無いではその祖父が
命名した「いみな」を持つものが、「総領」となるのではないかという仮説を持ったのだが。

例@
源(足利)義国の孫・「義兼」

 義国ー「新田」義重ー(新田氏総領)「義兼」

 義国ー「足利」義康ー(足利氏総領)「義兼」

例A
(矢田義清の子)広沢判官代義実の孫・「義俊」

 義実ー「仁木(太郎)」実国ー「義俊」

 義実ー「細川(次郎)」義季ー「義俊」

山名義範については、矢田義清の子の可能性は無いだろう。
山名氏は、おそらく、新田義重を警戒した頼朝の新田一族分断策によって、源氏門葉として待遇されたものであり、
山名氏も、落ち目の宗家新田氏の「庶流」であるよりは、「足利氏一門」として行動したほうが良いという判断だったのだろう。

それにもかかわらず、山名氏も「引付衆」の地位を失うのだが。

71 :日本@名無史さん:2005/08/07(日) 15:48:05
>>69
いや、だから何で?
言いたいことは分かるが、
直常の元服、あるいは
直常と名乗った時期が分からなければ、
そんな前提は成り立たないんだが。

72 :日本@名無史さん:2005/08/07(日) 17:00:09
足利直義の初名、高国って、兄高氏と同じく北条高時からの偏諱だよね?

73 :日本@名無史さん:2005/08/07(日) 17:19:02
足利高義。…尊氏(高氏)・直義(高国)兄弟の長兄。
なにやった人かは詳しくはわからない人物。
早世したとしか知らない。

74 :日本@名無史さん:2005/08/07(日) 18:10:31
足利高義のプロフィール
ttp://www.ksky.ne.jp/~atrbdg/siseki/takayosi.htm

75 :日本@名無史さん:2005/08/07(日) 18:17:49
http://www.ksky.ne.jp/~atrbdg/siseki/takayosi.htm

76 :日本@名無史さん:2005/08/07(日) 18:22:36
大河ドラマ「太平記」(時代考証:永原慶二)では、
足利直義は「ただよし」だが、桃井直常は「なおつね」だった。

77 :日本@名無史さん:2005/08/07(日) 18:31:13
>>67
織田信忠は「信忠」と名乗る前に一時期「信直」と名乗っている時期があるよ。
「信直」→「信忠」の改名はおそらく読み方は同じまま漢字だけ変えたと
推定されるので「のぶただ」と考えられる。

また、三好長慶は「長慶」になる前の名前が「範長」であることを踏まえれば、
読み方は同じまま上下を入れ替えた(「のりなが」→「ながのり」)だけでは
ないかという説もある。
同時代の人名で「慶」を「のり」と読んでいる例は他にもあるし。

78 :日本@名無史さん:2005/08/07(日) 18:48:25
高氏が「尊氏」と改名したのは周知の通り、後醍醐天皇の名の「尊治」の
一字を賜ったことがその由来。
だが、弟の高国が「直義」と改名した由来は、まだわからない。

79 :日本@名無史さん:2005/08/07(日) 18:56:38
足利(源)義康;
(大治2年(1127年) - 保元2年5月29日(1157年7月7日))
平安時代末期の武将、源足利式部大夫義国の次男。(或いは三男とも)

80 :日本@名無史さん:2005/08/07(日) 19:20:46
新田義重は何年生まれ?

81 :日本@名無史さん:2005/08/07(日) 21:32:42
畠山義就は「よしなり」or「よしひろ」?

82 :日本@名無史さん:2005/08/07(日) 21:33:26
成良親王は「なりよし」or「しげよし」?

83 :日本@名無史さん:2005/08/07(日) 21:38:30
>>78
高国と言えば、細川高国。

84 :日本@名無史さん:2005/08/07(日) 21:45:35
足利義晴は「よしはる」or「よしはれ」?

85 :日本@名無史さん:2005/08/07(日) 21:51:53
>>81
「よしなり」が正しい。
>>82
「なりなが」か「しげなが」のどちらか正しいと思われる。
>>84
「よしはる」が正しい。

86 :日本@名無史さん:2005/08/07(日) 21:52:02
吉良義央は「よしなか」or「よしひさ」?

87 :日本@名無史さん:2005/08/07(日) 21:59:55
足利義詮は「よしあきら」or「よしのり」?

88 :日本@名無史さん:2005/08/07(日) 22:09:20
斯波義将は「よしまさ」or「よしゆき」?

89 :日本@名無史さん:2005/08/07(日) 22:11:42
読み方厨は1つのレスにまとめてください。

90 :日本@名無史さん:2005/08/07(日) 22:16:59
敦仁親王(醍醐天皇)は「あつひと」or「あつぎみ」?
尊成親王(後鳥羽天皇)は「たかなり」or「たかひら」?
足利義宣(義教の初名)は「よしのり」or「よしのぶ」?
足利義成(義政の初名)は「よししげ」or「よしなり」?

91 :日本@名無史さん:2005/08/07(日) 22:27:39
>>86
多分「よしなか」が正しい。
>>87
当然「よしあきら」。
>>88
「よしまさ」で正しい。
>>90
@皇室だから「あつひと」。
A「たかなり」でよいと思われ。
Bこの場合は「よしのり」よいと思われ。
C今は特定できない。


92 :日本@名無史さん:2005/08/07(日) 22:41:55
>>85>>91
何故それが正しいと判断できるのか、根拠もお願いします。

93 :日本@名無史さん:2005/08/07(日) 23:04:36
>>80
新田(源)義重;
(天治2年(1125年)? - 建仁2年1月14日(1202年2月8日))
大炊介。平安時代末期から鎌倉時代初期の武将。源(足利)義国の長男。
母は上野介藤原敦基の娘。

94 :日本@名無史さん:2005/08/08(月) 02:06:53

「直冬」は?


95 :日本@名無史さん:2005/08/08(月) 02:46:46
>>82>>85
成良の良を「なが」と読むのは間違い。

>>86
義央は「よしひさ」

>>88
義将は「よしゆき」

>>90
敦仁は「あつぎみ」
尊成は「たかひら」
義宣は「よしのぶ」
義成は「よししげ」

>>91
嘘ばかり書くなよ

根拠は調べればすぐにわかる


96 :日本@名無史さん:2005/08/08(月) 10:23:52
>>95
煽りの荒らしかわからんけど、
小説家のドラマの観過ぎだな。根拠はそこから来てるだろう?

>>85は良「なが」が正確。
>>86は央「なか」だろ?

>>88
これは平将門と同じ将「まさ」でいい。

>>90
@仁「ひと」は今日の天皇家までそういう呼び方をしてる。
A尊成「たかひら」という根拠がどこにある?
Bこの場合は宣「のり」でいい。後に同音の義教に改名したからだ。
Cやはり義成「よしなり」だろう。発音が近い義政「よしまさ」に改名した。

…というか、質問攻めばかりするなよ。スレの意味がないだろ。

97 :日本@名無史さん:2005/08/08(月) 10:25:41
訂正;>>85>>82の間違い。

98 :日本@名無史さん:2005/08/08(月) 10:49:26
江戸初期の斯波氏家系図;

斯波義就―義銀―義近―義近(津川氏)―義冬…

99 :日本@名無史さん:2005/08/08(月) 10:55:20
>>95
人物の呼称ってのは地域によって違うんだよ。
くだらないことでギャアギャアと騒ぐなよ。
みっともないな。敢えて答えのレスしたのは俺個人の意見。

100 :日本@名無史さん:2005/08/08(月) 10:56:16
世良田政義が100をゲット!!

101 :日本@名無史さん:2005/08/08(月) 20:54:23
http://academy3.2ch.net/test/read.cgi/history/1123501362/l50
読み方厨用の専用スレを分離しましたこちらで思う存分議論を戦わせて下さい。

102 :日本@名無史さん:2005/08/08(月) 21:17:30
>>100
政義−政氏−基氏−朝兼−義貞
でOK?

103 :日本@名無史さん:2005/08/08(月) 22:08:40
>>101
乙!dケー。

>>102
全然OKよ!…と言いたいけれど、朝兼は朝氏の別称?

さらにつけ加えると…。
八幡太郎義家―足利義国―新田義重―義兼―義房―政義―政氏―基氏―

朝氏―義貞―義宗―貞方…かな?

104 :日本@名無史さん:2005/08/09(火) 02:31:27
>>96氏への批判を>>101のスレに書いておきました。

105 :日本@名無史さん:2005/08/09(火) 03:43:05
>>96
>>>85は良「なが」が正確。
おまえは何時の時代の知識だ
いまだに護良親王を「もりなが」と読むと思っているんだろ。

>>>86は央「なか」だろ?
だから「ひさ」。久は「なか」とは読まんだろ。

>>>90
> @仁「ひと」は今日の天皇家までそういう呼び方をしてる。
敦仁だけ「ひと」ではない

> Bこの場合は宣「のり」でいい。後に同音の義教に改名したからだ。
意味不明。義宣→義教への改名の理由を知らないのか?

> Cやはり義成「よしなり」だろう。発音が近い義政「よしまさ」に改名した。
意味不明。足利成氏は「しげうじ」だろ?

106 :日本@名無史さん:2005/08/10(水) 22:11:07
>>96氏も>>105氏も移動願います。
http://academy3.2ch.net/test/read.cgi/history/1123501362/l50

107 :日本@名無史さん:2005/08/18(木) 23:14:20
『史料総覧』文治元年8月16日条
「小除目、源義経を伊予守に、山名義範を伊豆守に、大内惟義を相模守に、
足利義兼を上総介に、小笠原遠光を信濃守に、安田義資を越後守となす」


108 :日本@名無史さん:2005/08/21(日) 14:12:17
age

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