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明智光秀は歴史上の偉人!

1 :日本@名無史さん:2005/05/15(日) 23:04:31
暴君信長を誅した光秀は日本史上最高の人物でしょう。
光秀の再評価願う!

2 :日本@名無史さん:2005/05/15(日) 23:45:52
日本史上最高かどうかはわからんけど
でもやっぱり2ゲット。

3 :日本@名無史さん:2005/05/16(月) 00:25:26
333

4 :日本@名無史さん:2005/05/16(月) 00:27:26
666

5 :日本@名無史さん:2005/05/18(水) 18:17:43
もっと明智光秀を評価するべきだ!

6 :日本@名無史さん:2005/05/18(水) 18:21:44
真面目だけど陰気な男

7 :日本@名無史さん:2005/05/21(土) 16:36:14
時代劇板に下記のスレッドが建ちました。皆さま、ぜひ、お立ち寄りくださいませ。
          ↓
【光秀を】<ときは今>制作委員会【大河で!】
http://tv6.2ch.net/test/read.cgi/kin/1115998835/


8 :日本@名無史さん:2005/06/08(水) 23:53:55
天海大僧正ですか

9 :日本@名無史さん:2005/06/21(火) 23:47:59
天王山
物事の重大な局面を表わすときに使う「〇〇の天王山」ということばについて
山崎の合戦で天王山は羽柴・明智の攻防の的になったのは確かだが、実際には秀吉軍の右翼方面の軍の層が厚く、これが明智の左翼を圧倒し、つまり斜線陣の形となって雌雄は決した。
すると天王山は戦いの決定的な勝因にではないことにならないか。

10 :日本@名無史さん:2005/06/21(火) 23:54:18
おい、天王山で光秀と秀吉の軍勢が争奪戦してないぞ
秀吉の軍が天王山を先に占拠してたし、光秀の軍勢は淀城辺りでの迎撃しようとしてますが

11 :日本@名無史さん:2005/06/22(水) 00:18:19
だから天王山は関係ないという話。

12 :日本@名無史さん:2005/06/22(水) 00:22:38
山崎の合戦で天王山は羽柴・明智の攻防の的になったのは確かだが
山崎の合戦で天王山は羽柴・明智の攻防の的になったのは確かだが
山崎の合戦で天王山は羽柴・明智の攻防の的になったのは確かだが
山崎の合戦で天王山は羽柴・明智の攻防の的になったのは確かだが
山崎の合戦で天王山は羽柴・明智の攻防の的になったのは確かだが
山崎の合戦で天王山は羽柴・明智の攻防の的になったのは確かだが
山崎の合戦で天王山は羽柴・明智の攻防の的になったのは確かだが
山崎の合戦で天王山は羽柴・明智の攻防の的になったのは確かだが


攻防の的になってないのは確かだという話

13 :日本@名無史さん:2005/07/04(月) 22:46:37
質問されて困ってます。もし、明智光秀と真田幸村が合戦したら、どっちが勝ったんでしょうか?

14 :日本@名無史さん:2005/07/04(月) 22:53:58
真田幸村が死ぬ気でやったら誰でも大怪我させられると思われ。

15 :日本@名無史さん:2005/07/04(月) 22:57:07
明智光秀と石田三成とが重なる時がある。

16 :日本@名無史さん:2005/07/04(月) 23:05:07
>>1
はぁ?こいつのおかげで金喰い&無能な朝廷が存続し
徳川体制による連邦国家になり
おまけに国がひきこもって
近代社会への移行を大幅に遅らせた。
信長が生きて入れば
天皇や皇族、貴族を断絶させ
強力な中央政権を完成させ
日本全体の技術革新や生活の質の底上げが実現し
国際的な植民地政策全盛時代には
東アジア〜東南アジア一帯は日本の植民地に成っていた。
資源を確保した日本はベルサイユ会議などでも
対等にアメリカやイギリスと渡りあうアジア随一の国になっていただろう。

17 :日本@名無史さん :2005/07/05(火) 00:53:21
天海が明智光秀と同一人物と言われた背景のひとつは、家光の乳母であり、三代将
軍家光の時代に江戸城に君臨した春日局が光秀の最側近の斉藤利三の娘だったことに
ある。

天海と晩年親交があった藤堂高虎の養子・高吉(丹羽長秀の子)が慶長十三年に名張に津藤堂藩の藩
内領主として入城したが、この名張藤堂家の家紋は桔梗紋である。名張城の建っていた丘
を「桔梗ケ丘」と呼び、現在近くに近鉄の「桔梗が丘」駅があるが、これは天海・光秀同一説
を裏付ける残照ではないか。

18 :日本@名無史さん:2005/07/05(火) 00:59:19
我慢できなかった人

19 :日本@名無史さん:2005/07/05(火) 01:15:11
禿

20 :日本@名無史さん:2005/07/05(火) 01:53:14
やり方はどうあれ、信長に勝利したので、信長より評価は上だ。
もし、毛利が和平に応じず、秀吉が、あれほど早く戻れなければ、
明智の天下になっていた。


21 :日本@名無史さん:2005/07/05(火) 03:09:16
>>20
わけが無い!

22 :日本@名無史さん:2005/07/05(火) 07:13:14
緑川光カコイイヨね

23 :日本@名無史さん:2005/07/05(火) 11:34:56
山崎の合戦の際には既に近江一国を完全に掌握しており、
丹波、山城、近江の兵(計130万石)を動員できた。さらに、
上杉と対戦していた柴田程度に秀吉の行動が遅れれば、
日和見の、摂津、河内、泉、大和、丹後の諸将、もともとが
近畿管領的な立場の光秀の組下の立場なので、なびいただろう。
それだけでも300万石だが、中央を抑えているので経済活動での実入りも多い。
これだけ、実力差があれば、光秀の天下取りの確率は95%だろう。

24 :日本@名無史さん:2005/07/05(火) 11:54:33
>>16
ずば抜けた先見性、柔軟な思考、
いいものは素直に受け入れる、こんなどえらい事が出来ても、
最終的に、やり方が強引で
家臣や庶民に不審や恐怖を与える独裁者のやり方では、
長く天下泰平を維持できないという教訓を信長は後世の我々に教えた

25 :日本@名無史さん:2005/07/05(火) 12:02:46
>>24
本当にその教訓は現代に生かされているのだろうか?
小泉氏を見ているとつくづくそう思うのである。

すいません。
ちょっと格好つけてみたかったんです。orz

26 :日本@名無史さん:2005/07/05(火) 12:12:51
>>16
天皇家の断絶は無理だね。
朝倉勢が叡山に寄り、信長は大軍を長期間、張り付けざるをえなくなり、
八方ふさがり状態のとき、朝廷の仲介で和睦しているし、本願寺勢との
和睦でも天皇の権威が必要だった。
馬揃えの威嚇で、天皇に自分の息のかかった親王への譲位をせまったが
柳に風とばかりに受け流された。

27 :日本@名無史さん:2005/07/05(火) 13:27:28
明智?足利義昭に踊らされた馬鹿禿

28 :日本@名無史さん:2005/07/05(火) 13:42:51
>>27
くだらない陰謀説に毒されているね。
朝倉に仕えていた時は、あまりの朝倉のヘタレぶりに失敗したが、
織田を太らせ、後で自分が乗っ取る作戦はうまくいった。
織田の軍団長(畿内の軍を全て掌握)レベルの人間は、人に踊らされる
ようでは務まらないよ。明智にすれば義昭は出世のための道具にすぎない。


29 :日本@名無史さん:2005/07/05(火) 21:15:31
本能寺の真相は秀吉に踊らされて、やっちゃった!って感じだと思う。
なので秀吉ほ方が一枚上手っぽい。
信長<家康<光秀<秀吉
これに1票。

30 :日本@名無史さん:2005/07/05(火) 21:18:46
少なくとも従五位下日向守に復位還任させて
名誉回復をさせるべきであろう。

31 :日本@名無史さん:2005/07/06(水) 17:22:50
踊らされるほど光秀は甘くないよ。
下克上で天下をとるのに最良の条件がそろったので、
天下取りを目指しただけさ。
いつもは岐阜にいる信忠(すでに織田家の当主)、安土の信長が
共に小勢で洛中に宿泊し、有力な武将が畿内に光秀しかいないという
真空状態は、家康・義昭・秀吉が作り出せるわけもない。

このようなチャンスがなかったら、今現在でも、
近畿管領として絶対的な信頼を受けているくらいなので、
天下統一後も織田家の執政的な立場を維持できたろう。


32 :日本@名無史さん:2005/07/06(水) 19:42:38
「お上」を上回る権勢を欲すれば必ず滅ぶのがこの日ノ本の習い
信長もその一人
まあ、オモテは光秀だが裏は・・・

33 :日本@名無史さん:2005/07/07(木) 10:51:41
公家の日記に、信長を討つことについて光秀と談合した、という記述があるようだが、
たまたま利害が一致したということでは?

34 :日本@名無史さん:2005/07/08(金) 19:45:56
>公家の日記に、信長を討つことについて光秀と談合した、という記述があるようだが

晴豊日記の別記に、斎藤利三について「かれなと信長打談合衆也」と書いてるのであって、立花のオバはんがいうような
公家が光秀側と談合したという文章ではないよ
これを額面通り読めば、斎藤利三が明智光秀の家臣で、本能寺の変を画策した首謀者の一人と書いてあるだけ
言経卿記でも似たような記述してあるよ

ただ兼見卿記の別本では、吉田兼見が誠仁親王の意を受けて行動しているような節があるので
朝廷関与は確実かとは思うけど

35 :日本@名無史さん:2005/07/09(土) 03:04:06
AB型

36 :日本@名無史さん:2005/07/15(金) 12:35:39
明智光秀の最大の功績は、本能寺で織田信長を葬ったことであろう。
しかしながら、信長が死んだ時点で、光秀はその存在価値を失ってしまったのではないか。

光秀が真に天下をめざしていたのなら、信長をもうすこしの間生き長らえさせておいて、信長の権威を最大限に利用しつつ、羽柴や徳川らのライバルたちの力を削いでおくべきだったろう。


37 :日本@名無史さん:2005/07/15(金) 12:41:52
本能寺の直前に領地を召し上げられていたので信長を利用するも何も...

38 :日本@名無史さん:2005/07/15(金) 13:11:40
>>37
領地召し上げは本当に事実なの?
領地取られたら中国に出兵できないと思うんだが。

39 :日本@名無史さん:2005/07/15(金) 14:19:05
>>38
領地を召し上げは、俗説なのでご安心を。
史料的裏づけはありません。

>>36
羽柴や徳川、滝川、柴田などはライバルとは思っていなかった。
なにしろ、当時光秀は実質は近畿管領で、細川、筒井、摂津の諸将
への上級命令権があり、近畿の行政、対朝廷工作、各地方方面軍への
補給業務など、実質織田家を動かしていたのは光秀である。

また、義昭を擁しての上洛後の最初の2、3年は、信長は京に滞在する場合、
ほとんど明智邸に宿泊していたし、天王寺砦で玉砕の危機になれば、
自身で手傷を負いながらも救出してくれる、大名にも真っ先に取り立てられるし、
佐久間への折檻状でも功績第一と激賞され、信長は光秀に絶対の信頼を置いていた。

光秀は、織田をある程度太らせた後で、自分が取って代わる(下克上)
つもりだった(義昭をつかっての朝倉義景のかつぎだしには失敗)ので、
ちょうどタイミングだと思ったのでは?

羽柴の大返しが柴田なみに遅れていたら、光秀が天下人になっていたのは確実だ。

40 :38:2005/07/15(金) 14:30:11
>>39
俺の妄想だが、佐久間信盛・林通勝の事件のあと、重臣の間には「いつかは自分も
同じ目に遭うのでは」という不安感は共通してあったのではなかろうか?
「自分が信長殺害に手を下すのは嫌だが、誰かがやってくれるなら歓迎する」という
空気はなかったのだろうか?

41 :日本@名無史さん:2005/07/15(金) 19:11:33
林は兎も角、佐久間信盛の追放は
織田家に対する影響力の大きさ、権限の大きさから排除されたと思うのだが
美濃・尾張で織田家を除けば、一番の実力者だった訳だし

42 :日本@名無史さん:2005/07/16(土) 01:05:42
>>39
光秀ほどの才覚の持ち主が、前々より天下をうかがっていたならば、もう少し慎重に根回しができたはず。
毛利・長宗我部・上杉らと語らい連携して兵を動かすとか、朝廷を動かし信長追討の勅状を仰ぎ大義名分が立つようにするとか、のちのちの事を考えて織田家の他の重臣を味方に引き入れておくとか、そういった事前のはたらきかけなしに謀反とはいかにも御粗末。
裏切り者、卑怯者、大逆人のレッテル貼られてどの面さげて天下に号令できようか?
事実、本能寺の変後に組下の細川や筒井にもそっぽを向かれている。



43 :日本@名無史さん:2005/07/16(土) 01:25:36
また南光坊スレか

44 :日本@名無史さん:2005/07/16(土) 01:56:49
>>42
禿同。
その点があったから多くの小説家は光秀をノイローゼ気味に描いて、本能寺の変を発作的のものにしてる。

てか、自分の推測を断定調に語るのはやめよう。



45 :日本@名無史さん:2005/07/16(土) 02:07:55
安国寺恵瓊が言ってた通り、信長のやり方では光秀がやらなくともいずれ誰かに寝首取られたと思う。信長の歴史的役目を背負ったサガみたいに俺は感じる。

結局、天下統一への強力な意志と合理性と、権威や価値観に縛られず徹底的に敵を殲滅できた信長が、ある程度の地域をスピード進行し、
人を纏めるのがうまい秀吉が後腐れなく残りをまとめ、政治力のあった家康が最終的に丸くおさめたというのは、
必然的な歴史の流れだったのではないかと思う。

46 :1/2:2005/07/16(土) 02:15:20
根回しは相当やってる。これがまた巧妙な方法なんだよ。

毛利に宛てた密書は、まるで羽柴秀吉に見せるために、
送ったかのような、不思議な密書なのである。

ちなみに秀吉が毛利と和睦交渉を始めたのは「本能寺の変」が
起きる少し前からである。不思議だと思わないかね?

47 :2/2:2005/07/16(土) 02:16:09

これから光秀軍や信忠を総大将にした、織田本隊が来ると
分っていながら、一方で秀吉は和睦交渉を進めているわけだ。

この不思議な秀吉の行動の理由は、ただ一つ。

「まもなく、都周辺で何かが起こる可能性は高い。(気がする)
だからと言って、密書のことを上様に知らせて、密書が偽者だった場合、
これは色々な意味で、上様は激怒するであろう。そうなれば、
無能の烙印を押され、当然毛利攻めからも外されるだろう。
最悪の場合、追放されるかも知れない。それだけは避けねば。」

三日後「本能寺」で信長は光秀の謀反により非業の死を遂げる。

その後、秀吉は「中国の予定返し」を予定通り行っただけなのだが、
何故か史書には「中国の大返し」と記されることになったのでした。

48 :日本@名無史さん:2005/07/16(土) 02:16:37
毛利とは停戦交渉であって、そんなのは鳥取城でもやってるがな。

49 :日本@名無史さん:2005/07/16(土) 02:30:27
>>42
秀吉の大返しなんて奇跡のようなものなのだが。
光秀はそういう事態は10%もないだろうと思っていたに違いない。

@本能寺の変を毛利が知れば、講和は不可能で「大返し」は実現しない
 (光秀は当然そういう連絡網を、毛利ならもっていると思っただろう)
Aもし、情報を知らないで講和を結んだとしても、一両日中には変を知る
 だろうから羽柴軍を追撃するハズで、「大返し」は実現しない

「大返し」がなく柴田程度に動きがモタモタしていれば、既に、丹波、
山城、近江を支配した光秀の圧力に摂津衆や筒井、はては細川もなびく。

すでに朝廷からは京の治安維持を命じられていたし、信長が朝廷に対して
大逆を企てていたということにすれば、君側の奸を除いた英雄ということになる。
織田家の重臣など味方にせずとも、丹羽・信孝軍のように空中分解するか、
分解せずとも、近畿の圧倒的な石高による兵力の前には蟷螂の斧でしかない。

50 :日本@名無史さん:2005/07/16(土) 10:32:12
>>47
光秀は状況判断が甘かったんだろうな。
以下のようなことは充分予測可能だったろうに。

@秀吉は、自分(光秀)に不穏な動きがあることを、事前に察知するかもしれない。
A秀吉は、本能寺の変よりずっと以前から、小早川や安国寺らと内通しており、すでに毛利とは大筋で和睦の方向で話ができているかもしれない。
B主君信長が討たれるの報が届くやいなや、秀吉は予定通り毛利と和睦し、自分(光秀)を討ちに畿内に兵を向けるかもしれない。

51 :日本@名無史さん:2005/07/18(月) 04:02:28
もし和睦が成立、そして追撃もないとなれば、羽柴軍団が非常に危険な
存在になるのは確かだ。
なにしろ、秀吉は毛利軍が大軍で反撃してきたので、
単独では毛利を支えきれないということで、信長に援軍を要請。
明智軍はその先発隊となるはずだった。
ところが、秀吉の大返しはこの援軍の準備の転用なのだ。
光秀軍が通るので、中国へ伸びる街道沿いの村々には援軍のための食料や水、
馬匹のためのの飼葉などが準備されていた。


52 :日本@名無史さん:2005/07/18(月) 04:03:52
>>50
甘かったと言っても、信長自身は光秀>秀吉と思っていたようだ。

53 :日本@名無史さん:2005/07/18(月) 05:43:37
明智がセックスしてガラシアが産まれたんだろ?
やっぱセックスって気持ちEべ

54 :日本@名無史さん:2005/07/18(月) 08:34:56
光秀は、いったいどこでまちがえて天下を逃してしまったのだろうか?


55 :日本@名無史さん:2005/07/18(月) 09:07:51
細川殿や右近とか、京都周辺の光秀との似た者同士が仲間にならなかったというのは
二義的な事で、やはり秀吉の毛利和睦とUターンの早さだろ。

思うんだけど、光秀はとても天下を狙う器じゃないだろ。
なんつうか、人事権をもつ上官に解任されかけた大蔵省の次官クラスが
とつぜん閣僚に反旗を翻したようなもので、
「事後は誰かに道を譲るからともかくおれの味方をしろ」
て暴れたはいいが、結局百戦錬磨の政治家に殺されたようなもんだろ?

56 :日本@名無史さん:2005/07/18(月) 09:40:15
>>55
結局、秀吉が戻ってきた時点で、光秀あぼーんは決定ってとこか?
しかし、光秀の戦場での強さってどうだったのか?
Uターンしてきた羽柴軍を返り討ちにすることは、光秀には無理だったんかな?

57 :日本@名無史さん:2005/07/18(月) 10:13:14
>>56
羽柴軍 vs 明智軍
の戦ですが、下馬評で互角と見ていた人が多かったため、
後世に筒井の「洞ヶ峠」なる逸話が語り継がれることになりました。

つまり展開のアヤ一つで、明智の天下も充分あったと考えられます。

58 :日本@名無史さん:2005/07/18(月) 10:16:57
光秀は大筒使用の城攻めとか、将軍調停工作とか、近畿一円の官領検地とか
軍事テクノクラートとか、民生官、行政官として信長に重宝されたけど、
結局、幕僚というか官僚タイプだと思うんだけどな。
誰も彼が勝てるとは思わなかったんじゃないかな?

6月2日本能寺の変と、信長の嫡子信忠殺し、6月4日〜9日、近江平定、安土入城、京都
ここまでは順調にみえるとけど、秀吉はそれと平行で3日夜には毛利と講和。
11日は尼崎までUターン。
本能寺直後、細川親子に味方を断られて、9日に再び援助を求める手紙(光秀絶筆)
を出している。権力の空白で、いくら光秀が暴れても、やがて誰かに押し潰されると
みな思ったんでしょ

13日山崎の合戦も秀吉35000と光秀15000じゃ、いくら隘路決戦を光秀が選んでもな。
結局、ほとんど2:1の力押しで光秀右翼の天王山をとられて2時間で壊走してるしね

59 :日本@名無史さん:2005/07/18(月) 10:19:04
なんで光秀って謀反を起こしたの?
それを知りたい

60 :日本@名無史さん:2005/07/18(月) 12:33:00
自分のお袋、信長に殺されたから

61 :日本@名無史さん:2005/07/18(月) 12:47:42
みんなの前で信長に「この、キンカ頭!」と言って叩かれたから

62 :日本@名無史さん:2005/07/18(月) 14:56:02
明チンコ

63 :日本@名無史さん:2005/07/18(月) 14:59:02
信長から「天下に野望がある」と見られて
いっそのこと、殺られる前に殺ろうと思ったから

現に本能寺の前に信長から領地をもらっている武将が
「天下に野望がある」と疑われただけで殺害されてます。

信長の息子達がみんな能無しだったからねー
親として先行きに不安があったんだろうけどさ

ちなみに秀吉は、いつもおちゃらけて、天下に野望がないと
必死になって演じ続けたから助かった
出世する人間は上司の心理まで悟ってる
ってことカナ


64 :日本@名無史さん:2005/07/18(月) 15:29:14
俺の長年の研究によると、光秀の謀反は誰かにそそのかされたに違いない。
例えば家康と・・・


65 :日本@名無史さん:2005/07/18(月) 15:44:00
>>58
光秀は、文武に秀でた大変有能な武将だったが、官僚的な印象は少ない。

光秀の欠点は「忠」と「義」が欠如していたとこにあるのでは?
「忠」がないから、信長を殺せたし、「義」がないから支持する人がいなかったんだろう。

己の力を過信し、天下をとるには「大義名分」を軽んじすぎたのが失敗だった。

66 :日本@名無史さん:2005/07/18(月) 16:16:02
>現に本能寺の前に信長から領地をもらっている武将が
>「天下に野望がある」と疑われただけで殺害されてます。

誰?


67 :日本@名無史さん:2005/07/18(月) 16:34:03
ほんとに誰?
佐久間とか言わんよな?

とりあえず、責任をもって返信よろしく。

68 :日本@名無史さん:2005/07/18(月) 16:59:38
>>64
毛利陰謀説なんてどう?


69 :日本@名無史さん:2005/07/18(月) 17:06:59
本能寺の変と秀吉の中国大返しをセットで考えると、毛利がキーを握っていたともいえる。

70 :日本@名無史さん:2005/07/18(月) 18:33:56
光秀は誰もが倒せなかった信長を倒せたときに
人生のすべての運がなくなってしまった模様。
京近畿の真空状態はまさに奇跡。
そのとき1万を超える軍勢は明智軍だけ。
そのあとの光秀はやることなすこと裏目。
細川さえ意固地にならんかったら。
毛利さえもうちっと秀吉を釘付けにできたら。


71 :日本@名無史さん:2005/07/18(月) 21:25:02
>光秀は天下狙いの謀反人

まて、それじゃ手前の後継ぎ欲目隠しの秀吉プロパガンダそのままだ。
俗説の最たるモノだ。
松永久永とか荒木村重とか謀反がつづいたなら、それは信長に何か問題があるということだ。


72 :日本@名無史さん:2005/07/18(月) 23:07:46
>>58
光秀は文武両道でテクノクラートだけの能力ではない。
もし、軍事能力に不安をもっていたら、金ヶ崎撤退戦で羽柴とともに
しんがりを、まかせなかっただろう。
また、信長も佐久間信盛への折檻状でも軍功第一とし、各軍団長の
中でも最も重要な畿内、近畿軍を任せている。だいたい、能力のない
人間に軍事指揮権を渡すほど信長は甘くはない。
(譜代だったら、ある程度、能力がなくても任せるかも)

>>60
未だに、領地召し上げとか、母が殺されたとか、くだらない俗説を
信じるやつはいないだろう。
信長は京都に宿泊する場合、わずかな供回りで明智邸に宿泊する
ことも多く、まさに全面的に信頼しきっている。
津田信澄(一門衆)を通じて親戚にもなったし、細川や荒木とも
婚姻させたり、柴田、羽柴らを差し置いて大名に最初に取り立ててくれる
し、果ては近畿管領、むしろ、信長のほうが光秀のご機嫌をとっているようだ。

73 :ハイジ:2005/07/18(月) 23:09:08
明智さんは、切痔って聞いたことあるんだが・・・。
本当なのでしょうか???

74 :日本@名無史さん:2005/07/19(火) 02:01:48
光秀は切れ者だったらしい。

75 :日本@名無史さん:2005/07/19(火) 18:44:31
>72

で、結局、なんで光秀はご機嫌取りの信長を殺したの?

76 :日本@名無史さん:2005/07/19(火) 18:45:45
>72

で、結局、なんで光秀はご機嫌取りの信長を殺したの?

77 :日本@名無史さん:2005/07/19(火) 19:08:05
>>76
それは永遠の謎
でもやっぱり怨恨説はかなり薄いな。
あの時信長の周辺に光秀軍1万5千しかいなかったということは
それだけ光秀を信頼してた証拠。
それに信長の中国出兵の先陣みたいな形での
出陣命令だからこれは名誉なことだろう。
信長が出陣することで別に光秀が
秀吉の与力的な存在になるわけじゃないし。
大体信長は光秀に日向守を与えてるから
少なくとも九州出兵までは大切に扱おうと考えてた
と考えるほうが自然ではなかろうか。









78 :日本@名無史さん:2005/07/19(火) 19:38:36
半村良だと、ここで「信長に滅ぼされる事を恐れた朝廷の示唆」てな
ことになるんだが

79 :日本@名無史さん:2005/07/19(火) 20:28:44
じゃあ、単に誘惑に屈しきれなかったってこと?
或いは信長に中華皇帝並の粛正臭を感じて先手を打った、とか。

80 :日本@名無史さん:2005/07/19(火) 23:26:09
光秀の性格ってどんなだったとか資料はないの?
慎重なタイプ?それとも破滅型?それとも…
それによって本能寺の変の謎にせまれるのでは?


81 :日本@名無史さん:2005/07/19(火) 23:50:04
>>42が核心をついてるんだよなあ

評価の分かれ道は、光秀の潜在能力を推測混じりにどのように評価するかにかかってる訳なんだが、
光秀には下克上で天下をとろうとする目的なんぞ最初からなかったと考えるな。
直後に秀吉に敗れたということで、
光秀の能力を軽視した歴史家の短絡的な後付けの解釈だろうな。
秀吉には敗れた形を受け入れて、表舞台から完全に引くとこまで予定の範囲だった可能性がある。
光秀には、歴史の表舞台に決して顕れることのない密かな大義があったと信じる
 

82 :日本@名無史さん:2005/07/20(水) 00:16:39
42のどこが核心ついてるのかわからん

83 :日本@名無史さん:2005/07/20(水) 00:56:48
本能寺の変後に朝廷工作に動いていることから、光秀が天下を握ろうとしたのは間違いないと思われる。
光秀の欲した天下とは京および畿内のことだろうから、京および畿内を統治する近畿管領たる光秀にとって信長さえ排除すれば、名実ともに天下人になれると踏んでの謀反だろう。

84 :日本@名無史さん:2005/07/20(水) 01:45:49
その朝廷工作で既に将軍の宣下を受けたという説もある。
もちろん、そんなことがあったとしても、勝利した側に無かったことに
されるが(朝廷も都合が悪かろう)。


85 :日本@名無史さん:2005/07/20(水) 01:47:58
しかし、明智は運が悪かった。
まさか、秀吉さんがすぐに戻ってくるとは計算外だたし。
明智さんは、毛利にも裏切られたのか・・・。

86 :日本@名無史さん:2005/07/20(水) 05:09:43
俺にはわかる。光秀の気持ちが。
俺は岐阜県の明智村にも丹波笹山にも
京都四条にも行った事がある。

明智光秀は優れた人物だったが故、陥れられたのだ。
家臣は当然やきもちをやき足を引っ張る。
信長もなにかと辛く当るようになり、
一種のノイローゼに陥っていたのだろう。

信長の傍にずっといるというのはそういう事なのである。

87 :日本@名無史さん:2005/07/20(水) 10:33:39
>明智光秀は優れた人物だったが故、陥れられたのだ。
ふつうは、優れた人物=陥れられないんだよ。説得力ないんだよな。
優れた光秀は、陥れられたんじゃなくて、全て自ら選んだ道。

>一種のノイローゼに陥っていたのだろう
こうやって片付けるが、一番手っ取り早いんだよな

88 :日本@名無史さん:2005/07/20(水) 12:07:26
細川殿に事態を一任し自分は隠居するとかくどくど、書状を残しているんだよな。
光秀。

天下を狙ったというのは、まあ論外かつ笑止。
・・・ところで何レスか前、一笑に付された「領地召し上げ」の話はどうなの?
あれも俗説なの?

89 :日本@名無史さん:2005/07/20(水) 19:48:39
>>42
誰にも謀反の気持ちを明かさなかった。
つまり、完璧に秘密裡にことを進めたから
日本史上最大のクーデターを成し遂げれたのでは。
こそこそ事前の働きなどしてたら天才的な信長のことだから
光秀のクーデターの計画を見破ってた可能性はかなり高い。


90 :日本@名無史さん:2005/07/20(水) 20:26:49
というか光秀は天下にとどろく器ではないw
光秀は馬鹿だということでこのスレ終了

91 :日本@名無史さん:2005/07/20(水) 20:44:37
>90
光秀が何故謀反を起こしたか、答えてくれ。
「馬鹿だから信長を殺した」とする論拠は?

92 :日本@名無史さん:2005/07/20(水) 23:56:31
>>88
本能寺の変後に、光秀は「天下を平定した後は、忠興殿とわが子十五郎に引き渡して隠居する所存」という内容の手紙で藤孝に送っている。
光秀は、天下を意識していた。

93 :日本@名無史さん:2005/07/21(木) 00:22:13
光秀の評価は、
彼の存在を高く買う派と、安く見る派で、
どこまで行っても平行線。永遠に

94 :日本@名無史さん:2005/07/21(木) 00:41:16
つまりネタキャラってことね
歴史ゲームでも散々いじられてるし

95 :日本@名無史さん:2005/07/21(木) 00:44:39
>>93
そうだね、光秀の実力を「論外とか笑止とか器でない」とか言うのであれば、
信長は、人材を実力主義で登用したという一般的な説とは合わなくなるね。
信長が光秀を、実質ナンバー2の近畿管領にしていたのは、人を見る目のない
バカ殿だからということになる。


96 :日本@名無史さん:2005/07/21(木) 00:46:21
>>93
光秀の株って、本能寺の変で上がったの?それとも大暴落??

97 :日本@名無史さん:2005/07/21(木) 01:45:37
>>96
織田家では実力がなければ1,2年でポイ捨てだから、
信長の評価だと、株は変の前から最高株価だったんでしょう。
変でストップ高!

98 :日本@名無史さん:2005/07/21(木) 02:22:16
しかしその後上場廃止。

99 :日本@名無史さん:2005/07/21(木) 09:50:39
>信長が光秀を、実質ナンバー2の近畿管領にしていたのは、人を見る目のない
バカ殿だからということになる。

そうか、秀吉はナンバー3か。
よく判りましたw


100 :日本@名無史さん:2005/07/21(木) 10:23:10
織田家の人事は光通信か

101 :日本@名無史さん:2005/07/21(木) 11:09:23
柴田、羽柴、滝川、光秀らは全員が取締り役クラスだが、本社を掌握して
いた光秀が一番偉いのさ。

102 :そうなると:2005/07/21(木) 12:15:32
内心ってか、当時の武将はみんなそうだと思うけど、
全国制覇を夢見ている。その連中にとって光秀は、目障り以外のなにもの
でもない、しかも文官だから戦のノウハウはない。
それでいながら、信長の生え抜きだから近畿の中枢に領地を持っている。
一番に消すなら、光秀しかいないね。

こうなると、信長の現役時代から信長亡き後、光秀が破滅することは
暗黙の領域で、みなの認めるところとなっていたんじゃないかな?

こうなるとかわいそうですね。


103 :日本@名無史さん:2005/07/21(木) 13:45:07
>>102
72のレスにあるように、光秀は武官としての能力も相当なものだ。
第一、信長自身が武功第一に挙げている。光秀を頂点に組下に筒井、細川、
中川などの摂津の諸将もいる軍団の指揮官に、武官としての能力が無い人間を
信長が充てるわけはない。
中央軍なので丹波平定戦以外は、各地への援軍が多かったが、そつなくこなしている。

104 :日本@名無史さん:2005/07/22(金) 21:47:31
本能寺の変は人生50年の信長が企てた壮大な自殺だと暴言を吐いてみる。

105 :日本@名無史さん:2005/07/23(土) 14:28:45
半村良の「産霊山秘録」が正しいと思われ。

明智軍の京都出動を命じたのは信長だった。
信長は明智に朝廷抹殺を命じた。
朝廷を尊崇する明智は逆に信長を抹殺した。
形勢が明智の不利になると、朝廷は明智を捨てた。



106 :日本@名無史さん:2005/07/23(土) 14:32:26
こいつか鎖国の原因の1つとなった。
龍馬が開国の原因の1つとなった。
それでいいじゃないか。

107 :日本@名無史さん:2005/07/23(土) 22:31:11
>>102
お前の文章の中にいくつ間違いがあることか・・・w

108 :日本@名無史さん:2005/07/24(日) 00:37:23
正直、人間を人間でないように描写する歴史家は信じられない。

109 :日本@名無史さん:2005/07/24(日) 02:28:24
>>108
晒せ

110 :日本@名無史さん:2005/07/24(日) 18:56:38
>105
それ、おれも結構気になっているんだけど、本当なの?

111 :日本@名無史さん:2005/07/24(日) 21:05:01
なわけないでしょうが!
まだこの時点で朝廷の利用価値はまだまだありますよ。
信長が朝廷を滅ぼすなら完全に天下統一を果たしたときだと思われます。
まだ信長は天下の半分も統一してません。

112 :日本@名無史さん:2005/07/24(日) 22:38:51
以外と信長は天下統一目前で死んだといわれるが
実際はまだまだだった。
天下取った可能性は1582年ではいちばんだが

113 :日本@名無史さん:2005/07/25(月) 02:49:35
>>112
信長の天下統一事業は未完であったが、京および畿内を手中におさめていた訳だから天下人の資格は十分に満たしていただろう。
ただし、信長は確固たる武家政権を築くにいたってなかった為、惜しくも天下を逃したような印象を与えるのかもしれない。
信長が存命中に、三職のいずれかに任官していたなら後世にあたえる印象も違っていただろう。


114 :日本@名無史さん:2005/07/27(水) 09:51:45
・明智光秀・
古典的教養はあるが、どこか線の細い頼りない人物であり
几帳面ではあるが融通がきかず、放胆かつ柔軟な革新家で
合理主義者であり、信長とは正反対タイプだった。
軍人としても、初めから秀吉に対抗できるようなタマではなかった。

これが歴史家達の光秀の評価であり公論になっている。
光秀は歴史家からは大変評判が悪く、愚将扱いされている。



115 :日本@名無史さん:2005/07/27(水) 10:16:09
天才と秀才の差。
光秀が信長を殺したのは個人的には嫉妬が動機。
小賢しい策を弄して信長を倒しさえすれば権力が自分に入ると思った愚か者。
この時点で時代の大勢を敵にまわしてそれを理解して担える器ではなかった。
光秀に自己を投影して弁護する人間もどうしようもなく救いがたい愚か者。



116 :日本@名無史さん:2005/07/27(水) 11:34:42
>>114
「線の細い頼りない人物」を近畿管領としての役割に当てるわけがないだろ。
織田軍団の人事は実力主義なんだぜ。軍人としても柴田や羽柴に劣らない
のは信長自身が光秀の軍功を激賞していることからも明白。

>>115
信長を倒しても、信忠が生きていれば織田家を空中分解させる
ことはできない。両者を殺した、この時点で織田家を実質滅ぼしたので
武将としては光秀は信長より優れている。(大内より陶が上のようなもの)
この時点で中央を掌握していたので天下を取る確率は高かったが、
結局は運と奇跡の「中国大返し」の秀吉にやられたということ。

117 :日本@名無史さん:2005/07/27(水) 11:53:15
>武将としては光秀は信長より優れている
・・・・・・・・・

>織田家を空中分解させる
糞おもろいww。お前の脳みそが空中分解してんじゃねぇのWW

118 :日本@名無史さん:2005/07/27(水) 12:23:22
>>117
お前もこの時間にレスしている時点で空中分解してるだろ

119 :日本@名無史さん:2005/07/27(水) 13:04:33
明智光秀人物像は、三成や秀秋や義昭らの人物像と混同されていることが多いんじゃないか?

>>114
融通がきかない→三成
線が細くて頼りない→秀秋
>>115
小賢しい策を弄する→義昭


120 :日本@名無史さん:2005/07/27(水) 13:24:35
>>117
結果論が全てとは言わないが、下克上で信長を倒し、一時的にしろ
都の人々に「天下さま」と言われたのだから、光秀>信長は当然の評価
だろう。

121 :日本@名無史さん:2005/07/27(水) 13:53:33
光秀が謀反に動いた経緯自体に、光秀の大きな勘違いがあった。
信長出陣が、秀吉側が毛利との和睦工作を実質的に完了している
事の表れだった事に気づかなかった。
光秀出陣の時点で秀吉は、九州平定に毛利を使う算段があり、信長
出陣→毛利降伏→毛利秀吉配下→毛利領から2国を光秀に配分の図
式が出来上がっていた。
光秀の所領没収は、光秀が労せず毛利旧領から新たな所領確保の
前提があっての事で、それもあくまで一時的で最終的には日向守の官
職が実質的にも日向周辺を納める形で出来上がる図式まで出来上が
っていた。
九州を平定すれば、北半分を筑前守・南半分を日向守の領国となる
算段が、少なくとも秀吉・信長間に暗黙の中で出来上がっていた。
信長は、光秀も当然その算段に気づいていると考えたのだろう。
光秀が、その考えを理解しなかった行動に出たと解れば、信長は、「是
非もなし」と言うほかはない。

毛利側は、戦意を完全に喪失しており、秀吉の大返しを知っても秀吉
に敵対しなかった。多分、秀吉の凄さを実感していたから秀吉・光秀間
で決着が付くまで静観せざるを得なかったと考えられる。
光秀は秀吉が、どのレベルまで事を進めていたか理解していないから、
謀反に走ったが、その事が仇になった。

秀吉勢同様、四国平定の信雄勢も挟撃を避けるため、両者で合流する
必然性があるので、ケースは異なるが金ヶ崎の前例から考えて急速の
退き陣は予想可能だったのに、毛利や長宗我部に追撃できる余力や士
気があると希望的観測を抱いたのも、若いころのような先を見通す能力
がなくなっていた表れと言える。
先を見通せなくなっていたから、短慮に走ってしまった。
千載一遇のチャンスと言っても、信長・信秀を討ち取ることだけのチャン
スでしかなく、その先の保証は全くなかった。

122 ::2005/07/27(水) 13:58:25
>>116 秀吉の中国大返しも戦闘が山陽道で行われてたからできたもの
.もし山陰道なら.そこの担当であった.吉川元春.元長.父子が.慎重派
の小早川隆景を抑えて.追撃しただろう。

123 :日本@名無史さん:2005/07/27(水) 18:18:35
九州の南半分を拝領といっても、島津と戦ったらどうなっただろうか…

124 :日本@名無史さん:2005/07/27(水) 23:33:35
>>120
光秀は信長に対し、戦で勝利したわけではないので
光秀>信長はおかしいんじゃないか?

光秀も秀吉も信長の家臣だったわけだから
 信長>光秀・秀吉…@

また、光秀と秀吉は山崎の合戦の結果より
 秀吉>光秀…A

当時、信長と同盟関係にあった家康だが、信康を切腹させられている件からわかるように、信長に逆らえる立場になかった。
したがって
 信長>家康…B

その後、家康は長久手の合戦で秀吉に勝利するも、結局は豊臣家に臣下の礼をとっているから
 秀吉>家康…C

ゆえに@〜Cより
信長>秀吉>家康>光秀


125 :日本@名無史さん:2005/07/27(水) 23:55:51
光秀個人でいうと動機は嫉妬だと思うのだかそのバック(朝廷かその近縁)もいたみたいだな。
それもひっくるめて小策といいたいわけだ。
戦国末期には日本が保有する鉄砲の数だけみても当時の西洋のそれを大きく上回っていたそうだ。
信長の生きていれば今ごろオーストラリアと日本の関係はアメリカとイギリスとの関係に似たものになっていたと思われる。
光秀の話を聞くとシーザー暗殺に加わったブルータスを思い出す。
ブルータスは共和制を守ることを名目にして民衆に人気があり自らも恩義のあったシーザー暗殺に加わり、
その後民衆の前で自らの行為を正当化しようと演説を試みたが成功したかにみえたのは
一瞬でその後すぐに演説を覆され怒り狂う民衆に追われる身になった。
単に殺したから評価が上ということにはなりはしない。





126 :日本@名無史さん:2005/07/28(木) 00:03:02
とはいえ、光秀がいなかったら秀吉も天下様になれなかったわけで、
信長が家来に殺されるのは歴史的必然だったとしても、先鞭をつけたのは
明智光秀。ってことで、やっぱ歴史を拓いた偉人ですね。

127 :日本@名無史さん:2005/07/28(木) 11:02:50
>>121
小説には少し使えるね。 「光秀の所領没収」は確かな史料にはないにしても。

>>124
陶晴賢より大内義隆が優れているとはいわないだろう。
どういう形にしろ、討ち取られたということは弱いってことなんだよ。
その後、運悪く秀吉にやられたが、もし、そのまま明智幕府でも出来て
いたら、信長はバカ殿、光秀は君側の奸を除いた救国の英雄
ということになり、秀吉は天下の夢を見たバカ武将なんて現代の授業
では教えられることになっていたかも。

>>125
「嫉妬」なんてないんだがな。
北陸軍団長(勝家)や中国軍団長(秀吉)、濃尾軍団長(信忠)、関東軍団長(滝川)
より、近畿軍団長のほうが重要だろ。
しかも、馬揃えなどの重要な行事も光秀が全て奉行してるんだよ。
出世では常にほかの連中より先頭を走っているよ。
それにシーザーみたいな人気?はないんだがな。
後世の人には人気があるかもしれないが、魔王と恐れる人が多かったのでは。
消えてくれて助かったという人のほうが多いよ。


128 : 日本@名無史さん:2005/07/28(木) 11:39:01
光秀は秀吉や一益をどこの馬の骨かもわからないやつ、
つまり自分より下に見ていた
しかも四国征伐の折もちょうそかべとの交渉は光秀がやってきたんだから、当然軍団長も自分だと思っていたのに
違った
 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
だめだこれ以上思いつかん
続きは>>200さんがやってくれます


129 :日本@名無史さん:2005/07/28(木) 12:34:57
>>127
暗愚だった大内義隆と織田信長を同列に扱うのはおかしいと気づかないのか?
その説でいくと、小栗栖で農民の槍で殺された光秀の場合、
農民>>>>>光秀
になるぞwww

130 :日本@名無史さん:2005/07/28(木) 13:54:18
>>129
光秀は秀吉に負けたのであって 農民に負けたわけではない。
理解力がないとは恐ろしい。
その理解力でいくと、敵の大将を討ち取った足軽は、その大将より
優れた武将ということになる。


131 :日本@名無史さん:2005/07/28(木) 15:04:25
どうやら、異常なアンチ明智厨が約一匹暗躍しているようですねwww

132 :日本@名無史さん:2005/07/28(木) 15:39:36
>>130
信長は、毛利攻めに行く途中、京の本能寺で明智光秀に襲われ命を落とした。
光秀は山崎の合戦で敗けて逃げて帰る途中、農民に襲われ命を落とした。
両者とも、予想だにしなかったの相手にあっけなく殺られている。

133 :日本@名無史さん:2005/07/28(木) 15:53:23
つまり、農民>光秀>信長だな。


134 :日本@名無史さん:2005/07/28(木) 20:14:49
安重根>>(越えられない壁)>>>伊藤博文

135 :日本@名無史さん:2005/07/28(木) 20:42:06
age

136 :日本@名無史さん:2005/07/28(木) 20:48:09
光秀は朝鮮人にちがいない

137 :日本@名無史さん:2005/07/28(木) 21:01:36
金吾秀秋>>(越えられない壁)>>>石田三成

138 :金柑禿:2005/07/28(木) 21:04:40
明智って名前がカコイイ


139 :日本@名無史さん:2005/07/28(木) 21:41:28
光秀が信長を殺さなければ、信長は天皇家に取って代わったであろう
ことを考えると、確かに天皇家にとっては光秀は偉人だ。

140 :日本@名無史さん:2005/07/28(木) 22:16:22
京都連続殺人事件の犯人を讃えるスレはここですか?

141 :日本@名無史さん:2005/07/28(木) 22:39:09
人気が得るか畏れられるかどっちのほうがうまくやれるかは
東西の文化の違いなども関係してくるな。
君主の能力にもよるけどマキャベリなどは
「愛されるよりおそれられるほうが安全だ」
などとも言ってるし、
ただ信長が明智に殺されたのは個人的な恨みとか信長が暴君だったからという理由が
メインだったのでないと考えられる材料になると思う。
何故なら愛されていても畏れられていても歴史の進行の大筋は変わらないのだし
現にこの板にも行為としては裏切り、不意打ちの光秀に
立派な大儀名分をつけて賞賛したがる人種もいるのだから。




142 :日本@名無史さん:2005/07/28(木) 22:48:56
嫉妬というのは光秀とそのライバル間のものじゃなくて光秀と信長間とのことを言ってるわけだ。

143 :日本@名無史さん:2005/07/28(木) 22:55:33
>>142
男色のこと?

144 :日本@名無史さん:2005/07/29(金) 01:36:36
>>142
それは少しは、可能性があるかもしれん。
信長は上洛後、大寺ではなく、しばしば京の明智邸にわずかな供回りで
宿泊したりしてるし、近畿管領のような地位にしていたのも手元から
離したくなかった、いや、離れたくなかったからかもしれない。
でも、嫉妬の対象は誰だ? 森かな?

145 :日本@名無史さん:2005/07/29(金) 01:38:06
嫉妬というのは同格の存在に対する感情を言うのではないか?

146 :日本@名無史さん:2005/07/29(金) 02:31:34
>>145
いや、衆道(男色)上の嫉妬には身分は関係ないでしょ。
出世の上の話なら光秀は出世頭だしね。

147 :日本@名無史さん:2005/07/29(金) 10:46:34
>>119
それ言えるわ。
理由はともあれ結果として、
主君を裏切って下克上したあげくに、秀吉に完敗の三日天下のイメージが
一般の人の明智光秀の全てであって、
今の日本史では光秀に良いイメージを抱かなくて当然だな

148 :日本@名無史さん:2005/07/29(金) 12:05:45
光秀のイメージってどうよ?
「きんかん頭」「裏切り者」「大逆人」「三日天下」などしか思い浮かびませんね。
可哀想なので、みなさんで光秀になんかよいキャッチフレーズつけてあげてください。


149 :日本@名無史さん:2005/07/29(金) 18:56:07
めいちこうしゅう

150 :日本@名無史さん:2005/07/29(金) 20:38:02
明智のみっちゃん…

151 :日本@名無史さん:2005/07/29(金) 23:43:52
信長、光秀、秀吉の3人の関係って、ジャンケンのグー・チョキ・パーみたいだなwww
光秀>信長
秀吉>光秀
信長>秀吉


152 :日本@名無史さん:2005/07/30(土) 00:53:09
光秀>信長だと思ってるの?

153 :日本@名無史さん:2005/07/30(土) 00:59:29
明るい智、光り秀でる

154 :日本@名無史さん:2005/07/30(土) 07:37:31
>>152
信長>秀吉(絶対的主君)
光秀>信長(主殺し)
秀吉>光秀(仇討ち)


155 :日本@名無史さん:2005/07/30(土) 09:22:44
139>>
明智の裏に朝廷が絡んでるよね。

織田大王となってたら、今の日本はどうだろう?

156 :日本@名無史さん:2005/07/30(土) 16:54:58
>>155
信長の死後、徳川王朝が265年続く。


157 :日本@名無史さん:2005/07/30(土) 17:02:16
>>148
「孤高の策士」
「大逆の暗殺者」
「焼き討ちの鬼」
ってのはどう?

実際の俺の光秀のイメージは「裏切り者」
だけどな。

158 :日本@名無史さん:2005/07/30(土) 17:02:28
信長の男色の相手だったのは前田利家だろ
こんなのは常識
それを光秀が嫉妬したなんて無理あるから嫉妬が原因なんてのはありえないな
光秀は衝動的にやったってのが昨今の有力説だよ
日本の歴史を見ても信長タイプの専制君主は暗殺されてる例が多いけど
すべてその理由には謎が多い
ここから言えることは、日本の文化に反するタイプの人間が権力を握ったときは、
「正義」を持った基地外に衝動的に暗殺されてるってことらしいよ
そこに色々な政治的背景を探るのがマチガイ
昔の人間は今の政治家と違って自分の利益とかとは別の事情や理由で行動するもの


159 :日本@名無史さん:2005/07/30(土) 17:33:27
精神的にちょっと逝ってたわけね

160 :日本@名無史さん:2005/07/30(土) 18:29:41
結局愚痴をいう仲間と場つくりたかっただけか?
嫉妬は別に愛情に限ったもんじゃない。
カリスマ、武勇、美貌、才能、財力、などなど。
この感情の強さで自分自身も破滅していくことはよくある。
こんなことは一々説明しなくてもここでレスをたてようとする行動の原動力がまさにそれだな。
歴史にしろ政治にしろタブーがあるから特に自分に関係がない限りはそれ以上は言わないけど。





161 :日本@名無史さん:2005/07/30(土) 19:12:29
専制政治=全て悪 というのは今の時代のプロパガンダ程度の教育でしかなくて、
群雄割拠のような時代にはトップの資質や体制は重要な意味をもっていたわけだ。
あの当時信長という人物を失ったことは日本にとっても今の我々にとっても
測り知れないほとの損失になっているのは間違いない。


162 :日本@名無史さん:2005/07/30(土) 19:17:07
光秀>光秀ファン>宅間

163 :日本@名無史さん:2005/07/31(日) 03:08:27
まだまだ気がすまないようだな極右が

164 :日本@名無史さん:2005/08/06(土) 00:05:22

明智光秀の謀反自体は下克上の戦国期にあって、はたまた謀反の多い
織田家において、極悪人呼ばわりされるようなモノではないだろう。

問題は、
秀吉を甘く見た(舐めてた)事。
家康を逃してしまった事。
そして篭城の準備を怠っていた事。

この三点は光秀の明らかな失態であり、後世に汚名を残すに充分な理由
だと思う。

165 :日本@名無史さん:2005/08/06(土) 03:00:41
松平元康(家康)も今川義元から「元」の字を貰ったり、今川一門の
築山殿を世話してもらったり、今川家の優等生的家臣としての立場にありながら、
義元が桶狭間において、まさかの横死を遂げるや、主家(今川家)に対して下克上
を仕掛けるしまつ。(義元は既に氏真に家督をゆずっていたので氏真が元康の主君)

秀吉の死にぎわに、秀頼様を家臣として守り立てると何度も誓紙を書き、
しばらくは、利家と二人で、秀頼を主君としながら、その代理人
として振る舞う二頭政治、その後、お家騒動(関ヶ原)を起こして実権を手中にし、
ついには、「国家安康」などムチャクチャな難癖をつけて、かつての主家を皆殺し。

主家倒を倒しても、天下は取れるのさ。

166 :日本@名無史さん :2005/08/07(日) 02:25:15
陶晴賢

167 :日本@名無史さん:2005/08/07(日) 11:28:08
どちらにしろ光秀がいなければ秀吉も家康もここまで歴史上の重要人物になってないしな
光秀の功績はそこにあるだろ
信長が生きてたらほんと無茶苦茶な日本になってたかもしれんしな
無理に外国へ攻め込んだりさ、天皇排斥したりさ

168 :日本@名無史さん:2005/08/07(日) 13:36:25
>>167
現在の日本は存在していないわけだから
そちらの世界の日本人はそれを普通だと思ってたかもしれんよ。

169 :日本@名無史さん:2005/08/22(月) 01:35:36
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      /,,;;;;;;\.;;;;;;;;;;;;::./;ヽ
      L::;;,__ ヽ、::..ノ;. ..:::ゝ__
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    |::||:::::::::::::   \___/     ||
    ヽ\:::::::::::::::.  \/    ,ノ     光秀は何も生産的なことをやってない屁タレ。   
  __/\ ̄`ー―---oo-――'"ヽ__     
 「   \\ ヽ    ハ // /    |
/^|     \\    \//  /     |ヽ、∧

170 :日本@名無史さん:2005/08/24(水) 23:12:40
光秀は織田家にとっては
幕府や朝廷との窓口的な存在として重用されていた。
秀吉が本能寺の変を知ったのは、光秀が毛利に送った密使が
何故か秀吉の陣地に迷い込んで捕まったから。
運がなかったんだね。



171 :日本@名無史さん:2005/08/27(土) 01:17:47
本能寺の真相はどうよ? まだ先のことだけど、このスレ10001終わったら
次スレは信長スレと合流して動機説・黒幕説やらん? ここ日本史板なんだし。

【光秀の動機】
怨恨説・野心説・四国政策説・ノイローゼ説
【黒幕】
朝廷説・足利義昭説・秀吉家康共謀説・堺衆説・イエズス会説・信長自殺説

※歴史街道8月号とかが必読史料


172 :ぴーす ◆u0zbHIV8zs :2005/08/27(土) 06:42:02
この人の本名惟藤の筈なのになんで明智って呼ばれてるんですか。

173 :日本@名無史さん:2005/08/27(土) 07:17:51
惟任?

174 :ぴーす ◆u0zbHIV8zs :2005/08/27(土) 11:11:21
惟任日向守光秀ですね。同じく朝廷から豊臣姓をもらった秀吉はちゃんと
豊臣と呼ばれるのに、光秀は惟任でなく明智と呼ばれるのは何故でしょうか。

175 :日本@名無史さん:2005/08/27(土) 14:01:24
>>174
明智光秀が生きていた頃の秀吉の官位官名は筑前守です。
本能寺の前に信長が秀吉に宛てた書簡が残っており、それに「筑前」あーだこーだと書かれています。

ちなみに
幼名(日吉)→名前(藤吉郎→秀吉)→苗字(木下→羽柴)→官位官名(筑前守→関白太政大臣→豊臣)

176 :日本@名無史さん:2005/08/27(土) 14:25:44
こうじゃないかな。

幼名 日吉丸(疑問あり)
通称 藤吉郎
実名 秀吉
苗字 木下→羽柴
うじ 平→藤原→豊臣
かばね 朝臣
官位 筑前守→(略)→関白→太政大臣

177 :日本@名無史さん:2005/08/27(土) 14:32:46
名乗り方としては

1.織田家臣時代
 木下藤吉郎(秀吉)→羽柴筑前守(平秀吉)
2.本能寺の変以後
 (平朝臣秀吉)→(藤原朝臣秀吉)→(豊臣朝臣秀吉)

178 :日本@名無史さん:2005/08/27(土) 14:41:29
このように「豊臣」とは、単純に「羽柴」を改姓したものではないのです。
「うじ」が平氏だった羽柴秀吉さんが、天下人になってから藤原氏、豊臣氏と
改姓していったわけで、羽柴の苗字と豊臣の「うじ」を同時に持ってます。

明智光秀の場合、惟任(これとう)姓とは苗字ではなく「うじ」です。
もと源氏の明智さんが、「うじ」を源氏から惟任氏に改姓したわけで、苗字は
明智のままと思われます。
現在では、中世近世の歴史上の人名は苗字+実名で表記しますので、一般的に
「明智光秀」と表記するのだと思います。

179 :日本@名無史さん:2005/08/27(土) 14:56:33
惟任とか丹羽長秀の惟住は惟宗氏同様、九州の古い氏族の名前なので、
本来なら明智日向守惟任光秀と名乗るべきなのに、惟任日向守というのは
氏と名字を混同してるのだろうな。

180 :ぴーす ◆u0zbHIV8zs :2005/08/27(土) 19:33:08
戴いたレスから自分なりに。豊臣は秀吉のオリジナル、つまり豊臣=秀吉に対し
惟任は必ずしも光秀を指すとは限らないので一般に明智と呼ばれる。

こんなところでいいでしょうか。


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