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北面、滝口、内舎人について

1 :日本@名無史さん:2005/05/20(金) 21:22:19
天皇の警護、御所、宮中の警備などを役職としていた、「北面の武士、内舎人、滝口の武士」は、南北朝、室町時代でも実質的に機能していたんでしょうか?それとも平安以降は有名無実というか単なるお飾りのようなものだったんでしょうか?

また内舎人の選考基準は 「官位五位以上の人物の子孫であり、21歳以上、かつ”性識聡敏””儀容端正”な者から内舎人を選抜」というようなものだったそうですが、南北朝、室町時代でもこのような基準の下で選抜されていたんでしょうか?

2 :日本@名無史さん:2005/05/20(金) 21:25:11
2

3 :日本@名無史さん:2005/05/20(金) 21:37:53
斎藤道三の父松浪基宗は北面の武士だったという。
戦国時代でもいたんだな。

4 :日本@名無史さん:2005/05/20(金) 21:42:54
(゚Д゚) <北面の農民
@( )>  
/ >


5 :日本@名無史さん:2005/05/20(金) 22:00:11
江戸時代でも滝口の武士はいた。

http://www.geocities.co.jp/SilkRoad-Desert/3914/jige18430201_takiguchi-konoefu.html

6 :日本@名無史さん:2005/06/09(木) 23:28:16
age

7 :日本@名無史さん:2005/06/10(金) 13:19:55
>>5

滝口の「木下(豊臣)秀有」って・・・



8 :日本@名無史さん:2005/06/27(月) 01:03:02
秀吉の関係者?

9 :日本@名無史さん:2005/06/27(月) 07:52:02
>>1
大伴家持は若いときは内舎人だったという。
奈良時代は内舎人に貴族の子供が採用されていたけど、
少なくとも平安中期以降は単なる下級官人の職になったらしい。



10 :日本@名無史さん:2005/06/27(月) 09:32:53
皇族のレス待ち

11 :日本@名無史さん:2005/06/27(月) 09:34:42
>北面、滝口、内舎人

名称は江戸時代まで続いていても、実態はまったく違う
ほかの官職と一緒

12 :日本@名無史さん:2005/07/14(木) 23:01:03
形骸化してたの?

13 :日本@名無史さん:2005/08/16(火) 01:22:57


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