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  武田勝頼はザコな武将か?  

1 :日本@名無史さん:2005/05/28(土) 10:54:46
武田勝頼に対する評判はよくないが
されど、彼の死後、数ヵ月後にして
本能寺の変が起きたことを考えると
天下取りに近かった存在といえる。
 勝頼対秀吉
なんてこともあったかもしれない。
みんなで武田家滅亡を検証しようぜ。


2 :日本@名無史さん:2005/05/28(土) 10:59:27
信玄の犠牲者

3 :日本@名無史さん:2005/05/28(土) 12:04:08
不器用だっただけで、ザコではないと思うが…
強いていうなら、手をかける順序を間違えたのと、
名門武田家っていうプライドが、捨て切れなかったんだろ。

4 :日本@名無史さん:2005/05/28(土) 12:10:35
12:10:30


5 :日本@名無史さん:2005/05/28(土) 14:28:38
「捨て切れなかった」のではなくて「捨て切らしてもらえなかった」のである。
俺は勝頼は非常に優秀な武将だと思う。

長篠の戦いの負けの原因は誰にあるかという論議は今はしないが、彼はその戦いの負けから武田家の弱点を悟った。
そして、それを改善する政策をいくつも実行しようとしているが、周りのアホどもが「御館様の時代は〜〜〜」とか抜かしてことごとく反対している。


6 :日本@名無史さん:2005/05/28(土) 14:47:20
負けから悟っても遅いだろ
家を潰したのは事実。まあ結果論だけれど

長篠なんかより御館の乱の対応が問題じゃなかったのか
謙信の跡継ぎ問題に巻き込まれて北条とも仲が悪くなるし、やっぱりダメだな


7 :日本@名無史さん:2005/05/28(土) 14:48:45
>>6
嫁が北條家だから、仕方なかったのではないか?

8 :日本@名無史さん:2005/05/28(土) 14:56:25
だから、景勝を応援する事になったのが問題でしょ
あんなとこ行かなきゃ良かったのさ
優等生みたいな答えだけど

9 :日本@名無史さん:2005/05/28(土) 15:29:41
>>5
>俺は勝頼は非常に優秀な武将だと思う。

一武将としては優秀かもしれないが、当主としては失格だろ。

>それを改善する政策をいくつも実行しようとしているが、

戦国大名ならどこでもやってたことをやろうとしてただけの話。

>周りのアホどもが「御館様の時代は〜〜〜」とか抜かしてことごとく反対している。

誰?

10 :日本@名無史さん:2005/05/28(土) 16:33:45
講釈師見てきたような嘘を云い

11 :日本@名無史さん:2005/05/28(土) 16:51:34
御館の乱もだが、手を組んで信長を討とうみたいな書状を
毛利に出したり、織田との和睦のチャンスを、2回とも潰したりと、
外交政策には、かなりの問題点有りじゃないかな?

長篠後に、穴山を処刑しなかったという家臣への甘さもまずいがね


12 :日本@名無史さん:2005/05/28(土) 17:08:49

どうせ三戦板のスレのように、議論ループして終わるんだよ。

三戦スレの議論用テンプレ貼っとけ

13 :日本@名無史さん:2005/05/28(土) 17:09:39
>>12
「がな」とか「だな」「ですが」と言いながら無限ループ

14 :日本@名無史さん:2005/05/28(土) 17:12:58
現在三戦の勝頼スレは無い模様

15 :日本@名無史さん:2005/05/28(土) 18:32:52
景勝>勝頼=信忠>>>>>>>>>(越えられない壁)>>>>信康>>秀頼

16 :日本@名無史さん:2005/05/29(日) 08:55:28
>>6
家康だって負けた戦いからいろいろと勉強して成長していってるだろ。
自分の苦虫を噛み潰したような顔を書かせてのこしたり、、、、。
勝頼もそうしたことをしようとしたんだと思う。

というか、そもそも武田騎馬隊ってのがそもそもそんなに強くなかったんだと思う。
三方が原以外で武田が圧勝した戦いってあるか???
家臣たちは武田騎馬隊が最強だとかいう愚像を勝手に抱いてただけ。

信玄は甲斐と信濃を平定したから、平定後に神格化されて反則的に信望があった
だけで、もし勝頼と信玄が生まれる順番が逆だったらお互い全く逆の立場になって
評価も全く逆になってると思う。


長文になってまじすまん。
結論としては勝頼はかなりの武将だったが確かに日本全国を治められるような
器ではなかったと思う。
そして、非常に運の悪い武将だったと思う。

17 :日本@名無史さん:2005/05/29(日) 09:10:20
勝頼は嫡男では無かったため、家臣の信頼を得られなかった。
これが、武田家滅亡の最大の原因だろう。

18 :日本@名無史さん:2005/05/29(日) 16:33:40
>>9  よ俺は5だが
俺は当主としても申し分ないと思うぞ。9のいう優秀な当主とは自分の国を守って善政をしく当主
のことかね?毛利元就のような。
それとも、他国を取ってどんどん国を大きくしていく当主のことかな?信長のような。

どちらにしても、勝頼は後の方を選ばざるを得なかった。それは武田騎馬隊最強と信じる
家臣達が戦いたくて戦いたくてしかたないからだ。
家臣の意見をまとめて方針を決定していくのが当主の役目だ。仮に、勝頼が戦わずに国を
守ると言い出したところで三方が原で大勝してして「敵は無し」と勘違いしている家臣を
もう止められるわけがない。誰であっても。
さらに、御館様が隠せと言っていたその死は3年どころか数ヶ月も経たない内に全国に広
がっている。
しかも、その3年間の間武田家では事実上真の当主ともう死んだ当主と2人の当主の2人
がいる形となったおかげで大事な就任直後の時期に勝頼は当主としてうまく力を発揮する
ことができなかった。
その時期の混乱がのちのちの武田家にさまざまな形で悪い影響を及ぼしている。

つまり、信玄の時期が虚像に包まれた武田バブルの絶頂期だった。
信玄が背負った借りを勝頼が背負わされただけだったんだと思う。

ちなみに反対してるのはほとんど全員だけど、例えば高坂昌信

19 :日本@名無史さん:2005/05/29(日) 16:37:23
ちなみに15の方は理由を教えてくれるとうれしいんだけど、、。
最後の秀頼はいいとしてもこういう順序で評価してる人をはじめてみた。
ぜひとも、理由が聞いてみたいです。

20 :日本@名無史さん:2005/05/29(日) 19:45:46
>>18
>どちらにしても、勝頼は後の方を選ばざるを得なかった。それは武田騎馬隊最強と信じる
家臣達が戦いたくて戦いたくてしかたないからだ。

そういう根拠は何?

21 :日本@名無史さん:2005/05/30(月) 00:37:46
妄想で反論するなら、三戦へカエレよ
20氏とダブルが、戦いたくて仕方ないとか、敵は無しと勘違い
している家臣って具体的に誰?

22 :18:2005/05/30(月) 11:14:10
なんかここには、こすい奴しかいないんだな。
20、21よおまえらはちょろっと人につっこみをいれてるんじゃなくて
おまえらはどういう風に考えているのかを述べてからそれのおまえらの好きな
具体的な根拠とやらで考察しろ。そうした後に20、21のような意見を書き込め。

正直、2ちゃんとかで俺の今までしらなかった知識とかをつけれるかと思って
いると現れるのは見るからにこずるそうな社会の隅でおいしい汁でも吸って生きて
いけたらな系のばかりがでてきて、まったく為にならん。
特に21は妄想も・現実でも何にもしないでいきなり挑発的な言葉であきれ返るばかりだわ。

ちょっとだけ、ヒントをやると信玄が死んだ後の武田家の状況をよくよく考えてみろよ。
あの状況で「自分らは強い、京までいける」と考えない奴がいるか?

そのときの武田家の主力な意見が「侵略」でなくて「保守」であったおまいらの好きな
「根拠」をあげて言ってみろ。
人の批判をする前に自分の意見を言え。


23 :日本@名無史さん:2005/05/30(月) 11:24:05
負けてるのは、信玄も信長も家康も滅亡しても不思議でない負けは数度経験してるでしょう。
武将としてザコではないが、大国同士の削り合いによる併合戦という新しい戦いに対応出来
なかった人。あるいはその家臣団。


24 :日本@名無史さん:2005/05/30(月) 12:36:03
結構、戦上手ではあったらしいねぇ

25 :日本@名無史さん:2005/05/30(月) 12:37:19
>特に21は妄想も・現実でも何にもしないでいきなり
>挑発的な言葉であきれ返るばかりだわ。

2ちゃんねるってそういう場なんだが・・・

26 :日本@名無史さん:2005/05/30(月) 12:43:22
義信事件の黒幕が旧諏訪家臣?で
そのときの感情的なしこりが
のこってたんじゃないのかな?
あと山県内藤馬場高坂とかが
「所詮、諏訪の子だろ?」という
態度で接していたとか。

まあ妄想だけどね。

27 :日本@名無史さん:2005/05/30(月) 12:43:56
上杉景勝は感謝してると思うよ。
御館の乱で生き延びることができたのは勝頼のお陰だし、嫁さんくれたし
織田信長に対する盾になってくれたし(勝頼から援軍要請あったけど無視したし)
勝頼討死後、弟の武田信清が家臣になったおかげで武田家の主君になれたし

28 :日本@名無史さん:2005/05/30(月) 13:09:15
>>22
信玄はともかく、勝頼に上洛目的があったという
説はいまのところないと思ったが・・・
仮に家臣団が、そう思っていたとしても、最終決定権は(陣代だが)勝頼。
勝頼が、やると言わん限り家臣団は動かんよ。
それとも、領土拡大は全て家臣団の暴走から始まり、
勝頼はそれを止めることができなかったにすぎないということなのか?

29 :日本@名無史さん:2005/05/30(月) 13:24:24
>>28


30 :日本@名無史さん:2005/05/30(月) 13:28:36
29だけど、間違って空白のまま書き込んでしまった。スミマセヌ。

>>28
勝頼情けない

31 :日本@名無史さん:2005/05/30(月) 14:01:04
情けない以前の問題だろw

32 :日本@名無史さん:2005/05/30(月) 18:59:36
勝頼が対陣した長篠の戦いは、天下人の信長、秀吉、家康の豪華メンバーが揃っていたわけで。
そこへ強行突入を命じた勝頼は、狂気の沙汰としか思えないね。

33 :日本@名無史さん:2005/05/30(月) 20:31:04
>>32
>天下人の信長、秀吉、家康の豪華メンバーが揃っていたわけで

この部分は、結果論に過ぎないと思われ

34 :日本@名無史さん:2005/05/30(月) 22:05:02
なんか日本史板とは思えないほどレベルの低いスレだね。
三戦板以下。

35 :日本@名無史さん:2005/05/30(月) 22:10:51
だって三戦板の連中が日本史板の住人巻き込んでやろうと立てたスレだけど、結局三戦板の住人だけでやってるスレだから


36 :18:2005/05/31(火) 16:01:08
>>22
たしか、信玄が死ぬときに「必ず京に武田の旗をなびかせろ」のような
ことを言ったと思ったのだが。

それから
自分ら最強と思ってるやつらが初めて遠征のような形で外にでる

当時相当勢力を伸ばしていた織田・徳川連合軍に圧勝する。(織田は主力ではないが)
(当然、俺らやっぱ強いと自信が深まる。)

さあ、これからという時にやむなく引き返すことになる。

この流れで国内の意見が「保守」になるとは絶対に考えられない。
それに、武田は反信長同盟の盟主的な立場にいる。
あらゆる状況から勝頼は打ってでなければいけない立場にあったと思われるのだが。

例えば、家康だって序盤のころは酒井忠次なんかの自国内で勢力の強いやからには
手を焼いているわけで
ある程度家臣の意見を入れてそしてまとめていかねば組織なんてものは維持していけない
のではないかと俺は思うのだが。

結局武田家全体も信玄の時代に見せかけ上まとまってただけの気がするんだが。


37 :日本@名無史さん:2005/05/31(火) 18:49:56
まぁ内部の意見がそこまで分裂しなかったってのは、それを作った信長
と、名家を受け継いだ家との差だろうな。武田の内部分裂も仕方が無い。
信玄の遺言の「喪にふくせよ」ってのも嫌がらせに近いし。

38 :クラウンライター:2005/05/31(火) 21:26:03
武田勝頼は、やはり戦国大名としての器量に欠けていたと言わざるを得ない
それに運も悪い人ですよね
仮に死んだ信玄の後を、親族の穴山梅雪あたりが継いでいたら
武田もあんな滅び方はしなかったはず
信玄がが亡くなったとはいえ
信玄以来の宿将と強力な騎馬隊は残っているのだから、
それらをうまく使えば、覇権を争うとまでいかなくとも
上杉や伊達のように大名として生き残ったかもしれない
それを思うとやはり長篠の合戦は痛かったという気がする
あそこで我慢して自重しておけば・・・・
太平洋戦争の日本軍におけるミッドウエイ海戦のように
完膚なきまでに回復不能な致命傷を負いましたよね



39 :日本@名無史さん:2005/05/31(火) 21:40:43
>>36
>この流れで国内の意見が「保守」になるとは絶対に考えられない。

厳しい軍役負って新たな領地を得るよりも所領安堵と軍役から逃れることが第一だった当時の国人の事情理解してないね。
信玄最後の遠征ですら軍役が厳しくて家臣は一杯一杯だったの知ってる?
長篠前後の勝頼の書状みても勝頼が主戦派でなかったというのは無理ありすぎ。

>>結局武田家全体も信玄の時代に見せかけ上まとまってただけの気がするんだが。

親父のせいにするだけで勝頼の評価が上がると思ったら大間違い(勝頼贔屓はいつもそれしかできない)。
勝頼が当主としてどこが優れていたのか具体的に説明してくれ。
信玄死後9年も持った、とかいう変な論理も無しで。

40 :日本@名無史さん:2005/05/31(火) 22:28:46
長篠の合戦までは良かったんだけどね。
信玄の頃より、家康追い詰められてるし

41 :日本@名無史さん:2005/06/01(水) 00:06:19
この、北条ウジムシめ!

42 :日本@名無史さん:2005/06/01(水) 08:40:16
ループ

43 :日本@名無史さん:2005/06/01(水) 08:57:52
長篠の戦は本当はどういう戦いだったんですか?
一般に信じられてる「ひたすら突撃する騎馬隊を鉄砲隊が全滅させた」
などという単純な内容だったんですか?

44 :日本@名無史さん:2005/06/01(水) 09:35:14
>>43

大軍が立て篭もる、堅牢に作られた野戦陣地と
元々数の上で劣勢の武田軍との攻防戦

そもそもセオリー的に勝ちはない。

武田軍は散会形式で各自撤退したので、一見壊滅に見える。
加えて信長の戦後宣伝工作&江戸時代の家康マンセー伝説により、
誇大気味に今日伝わる。

ただし、武田軍の旧閣僚&中堅将校らが多数戦死しているのは事実。



(さーこい。)

45 :日本@名無史さん:2005/06/01(水) 11:57:12
義信が生きていれば天下は取れた。

46 :日本@名無史さん:2005/06/01(水) 12:03:10
古いイメージの騎馬隊が集団自殺をしたような戦いならともかく
武田家滅亡の原因はなんだったのか?
長篠の戦いは決定的なものだったようには見えない

47 :日本@名無史さん:2005/06/01(水) 12:55:33
実際、信長に解体された。武将は殺され、再起不能にした。
・・・というか、実は有能な武将は徳川家に抱えられて、家康に使われた。
勝頼が自害した今、いまさら騎馬隊を再編成して対抗するやつなんていなくなったてオチ。

48 :日本@名無史さん:2005/06/01(水) 16:34:51
>>46

織田と武田の「物量」の差。



49 :日本@名無史さん:2005/06/01(水) 23:58:53
五郎盛信が継いでいれば…。

50 :日本@名無史さん:2005/06/02(木) 00:12:53
四郎勝頼
三郎景虎

あいつ何しにに来たの?


51 :日本@名無史さん:2005/06/02(木) 10:48:12
勝頼様意外に当家を継ぐべきお方はおられません

52 :日本@名無史さん:2005/06/03(金) 00:45:37
>>49
盛信が、武田家の家督を継いでいたら、滅亡せずに繁栄したであろうと
当時噂されたと、書いてある本があるよ。

勝頼と盛信は、仲が良かったというから、信勝が元服するまでの間、
勝頼が全てを引き受けるのではなく(多分荷が重すぎた)、
統治関係は盛信・戦関係は勝頼って感じで、うまく役割分割を
すれば良かったのかもと、結果論からの愚考

53 :日本@名無史さん:2005/06/03(金) 01:38:29
戦闘は無能ではないと思う。信玄でも落せなかった城を抜いているし、
最大の版図を作ったのは彼だ。

ただ外交手腕がなあ。
織田徳川と敵対しているのに、北条を敵に回してどーするつもりだったのやら。
北条が織田徳川と懇意になってしまったし、あれで完全に終わった。

ちょっと妄想。
北条と協力して、景勝を撃破、速やかに上杉領を安定させる、
実際景勝が治めたあとも、反乱は減らず、織田に能登越中を奪われているから、
ここで上杉影虎と強力な同盟関係を築けておれば、この失態もなかったはず。

そして北と東を安定させてから南下。北条の援軍も宛てに出来るし、
上杉が北陸で出て織田軍を分散、北条が敵に回らなければ、史実よりずっと早めに、
進出できるから、織田が多方面への対処で忙しいときに、動けたのではなかろうか。

54 :日本@名無史さん:2005/06/03(金) 01:57:07
>>53
北條と協力しようにも、氏政相手では一緒じゃね?
景勝を討って、上杉領を安定させたところで、
影虎は、元は北條云々とか言って、結局もめそうな感じもするが・・・

55 :日本@名無史さん:2005/06/03(金) 23:42:11

だいたい何で氏政はとっとと救援に来なかったんだ。
遅くとも7月ぐらい迄の時点で共同戦線でサクサク押しまくれば勝てたんじゃないのか。
勝頼の外交のまずさを言う人が多いが、そういう氏政への根深い不信もあったのでは?

>>54
そう思う。
結局は北條に呑み込まれるのがオチなんじゃねーか、と警戒するだろう、普通。
だいたい越後の宿年の膿がドロドロの奔流になったようなあの御館の乱で、
景虎死後も数年も続いた乱が、逆に景虎の勝利だったとして、
たとえ北條の援護があったとしても、速やかに終息したと云えるのだろうか?
雪降って来たからって帰ってたら、その間にまた盛り返されるし。
そのうち織田が攻めてきて・・・てな展開はそう大きく変わらんのでは。

56 :日本@名無史さん:2005/06/04(土) 00:03:33
氏政としては織田との関係向上に考えていたから
織田と敵対していた上杉武田両方と縁を切りたかったというところだろうね。

57 :日本@名無史さん:2005/06/05(日) 00:40:46
>>53
なにをやっても、当時の織田の物量には勝てない。
どんな英才秀才な大将をもってしても、最初から負けは確定。

もう「どうやって負けるか」しか残ってないと思う。
それもこれも信玄が悪い。

58 :日本@名無史さん:2005/06/05(日) 00:49:41
>それもこれも信玄が悪い

跡目については同意するけど、他に例えば何がある?

59 :日本@名無史さん:2005/06/05(日) 02:11:56
>>57
それならなぜ、織田に従う道を選ばなかったのかという話になる。

60 :日本@名無史さん:2005/06/05(日) 03:14:24
っていうか、なんで信玄入道や四郎は右府様に土下座して命乞いをしなかったの?

61 :日本@名無史さん:2005/06/05(日) 04:17:18
>>58-59
三戦板で出尽くしてるじゃないっすか。

わかっててループを煽るなwww

62 :日本@名無史さん:2005/06/05(日) 05:23:42
右府様だとw

63 :日本@名無史さん:2005/06/05(日) 08:18:54
甲斐のアナグマ最狂!

64 :日本@名無史さん:2005/06/05(日) 14:15:55
>60
その右府サマは天正元年に信玄入道が死んでくれて、ようやっと、
ホンマにわいが首もつながったぎゃ〜、とホッとしておられた訳ですわ。
それまでは右府サマが信玄入道に土下座外交しまくりだった訳ですわ。
自分もどっちかっつーと信長スキーだが、日本史板の勝頼スレにまで出張る織田厨うざw

65 :日本@名無史さん:2005/06/05(日) 15:45:14
>>64
天下様への道を驀進していた信長
田舎の山猿春信

猿が天下様の首をどうやって取るの?

66 :日本@名無史さん:2005/06/06(月) 01:18:31
http://academy3.2ch.net/test/read.cgi/history/1108262931/l50
このスレと一緒
三戦板から引っ張ってきたバカ連中が、同じこと繰り返してるだけ

67 :日本@名無史さん:2005/06/07(火) 02:47:32
あのな、61や66他のニート君たち。
社会一般の人たちは君たちみたいに暇人じゃないから
ずっと2ちゃんにはりついてるなんてできないんだよ。

なにも、することなくて暇で2ちゃんばかり見てるからって他の人をおまえらと
一緒にすんな。
スレを一つか二つとかしか見てないやつもいっぱいいるんだよ。
暇人

68 :日本@名無史さん:2005/06/07(火) 03:07:28

おちつけよ。
こんな時間にカキコしてるとは、君こそリアルニートなんだろうなw

69 :日本@名無史さん:2005/06/07(火) 05:45:43
勝頼はザコ。

信玄は肉親に恵まれなかったな。

70 :日本@名無史さん:2005/06/07(火) 06:03:12
物語ではなく史実から判断すると
やはり信玄は突出して優秀だったんだと思うよ。
家康が天下とったあと信玄の武田軍の人間を重要ポストにつけたことからそれはわかる。
家康は周辺諸国に睨みを利かせなければならなかったが
それができたのが信玄の武田軍の武将だったということ。
事実から判断するとね。

逆に史実から判断すると勝頼はザコと言わざるをえない。
当時は弱い国に攻め込むのは嫌悪された。とくに当主が死んで弱ってる国なんかにはね。
つまり勝頼率いる武田軍は
周辺諸国からどうしようもなく弱いと思われていたということ。
信長は当時としては珍しいリアリストなので例外で弱い勝頼率いる武田軍と戦うことを選んで圧勝した。

71 :日本@名無史さん:2005/06/07(火) 06:08:38
当時は弱い国に攻め込むのは身内からも嫌悪された
という基礎的な知識がない似非歴史研究家が
勝頼は実は強かったのではと言ってるだけのことで
大昔から言われてる勝頼ザコ説が素直な見方なんだよ。

72 :日本@名無史さん:2005/06/07(火) 07:27:58
信玄が攻め込んだ今川は?
おまえ、しったかが多すぎる。
もすこし、まともなこと書け。
それから、徳川の下に行った旧武田家臣はもう必死こいて働くしかなかった
だけだよ。
武田バブルがはじけてしまったので。
当時、武田家は現実が見えてないやつが多かった。


73 :日本@名無史さん:2005/06/07(火) 07:37:16
>>72
今川に攻め込むためにイロイロあったんじゃなかったっけ?
上の方のレスはそういう意味もあるんだと思うけど。

74 :日本@名無史さん:2005/06/07(火) 09:02:16
>>70
>やはり信玄は突出して優秀だったんだと思うよ。
>家康が天下とったあと信玄の武田軍の人間を重要ポストにつけたことからそれはわかる。

誰?大久保長安なんかは信玄の時代雑魚だったしな。
江戸時代旧武田家臣の土屋氏なんか老中を多数輩出してるけど信玄関係ないし。

75 :日本@名無史さん:2005/06/07(火) 12:19:10
>>74
>大久保長安なんかは信玄の時代雑魚だったしな

は?雑魚w

76 :日本@名無史さん:2005/06/07(火) 13:32:11
ってかみんなアホな71は相手にすんな。
じゃあ、織田や徳川が武田家に攻め込まなかったのは武田家が弱すぎるからというんだな。
当時、浅井・朝倉・本願寺を相手にしてた信長が。
勝頼に押しまくられて領地けずられてた家康が。
どっかで、なんかの1文献かなんかにおまえのいってるのが書いてあったのかなんか
しらんけど、あまりにもふざけたことを平然と言うな。
どこの国でも弱くなった国が攻め取られてるなんておきてることだろ。

ほんとに、顔が見えない発言の場だからってあまりにもおまえみたいなのが
いるってことがなさけない。

77 :日本@名無史さん:2005/06/07(火) 23:54:17
徹底的に弱いところ、攻めやすいところを
攻めたのが信玄なのにね。面白いことを
書くね71って!

78 :日本@名無史さん:2005/06/08(水) 01:17:41
とりあえず71は死ね

79 :日本@名無史さん:2005/06/08(水) 01:21:53
たしかに>>71氏は頭悪すぎw
もう少し学を身につけてもらいたい。

80 :日本@名無史さん:2005/06/08(水) 14:48:07
71があまりにもアホなこと書き込んだから急にみんなの発言がとまたったな。
俺、勝頼きらいだけど71にはほんとビックリした。
勝頼も家臣達もこいつみたいなんばっかだったんだろうな。

81 :日本@名無史さん:2005/06/08(水) 16:05:42
当時は弱い国に攻め込むのは身内からも嫌悪された
という基礎的な知識がない
人たちが必死になっているようですね。(笑)

82 :日本@名無史さん:2005/06/08(水) 16:08:45
71氏は痛いが、71=勝頼は言いすぎだろう

83 :日本@名無史さん:2005/06/08(水) 16:14:29
なんか本屋で売ってる初心者向けの歴史本では
「勝頼は本当は雑魚ではなかったのだ!」って説が流行ってるから
それに影響されてる人が多いのだけでは?

84 :日本@名無史さん:2005/06/08(水) 16:16:27
まともな研究家の間では
「勝頼は雑魚だった」でFAされてるけどね

85 :日本@名無史さん:2005/06/08(水) 16:29:16
しかし、先代が反信長だった勝頼はどうすればよかったんだろ?

86 :日本@名無史さん:2005/06/08(水) 16:31:04
信長に土下座して全国お詫び行脚

87 :日本@名無史さん:2005/06/08(水) 16:34:11
勝頼がザコと言われる理由は、武田家を存続させれなかったからなのか?
正直、勝頼だけを悪くいうのは酷というものではないのか?

88 :日本@名無史さん:2005/06/08(水) 16:35:21
勝頼だけが悪い

89 :日本@名無史さん:2005/06/08(水) 17:13:48
信長が武田ほどの大大名をそのまま残すとは考えにくいし
対立しても先が見えてるし

90 :日本@名無史さん:2005/06/08(水) 17:17:58
いくら優秀な武将でも長篠の合戦で信長にあんな鉄砲の使い方されちゃ誰も勝てないよ

91 :日本@名無史さん:2005/06/08(水) 17:49:07
並の武将でも長篠の合戦であんな負け方はしないでしょ

92 :日本@名無史さん:2005/06/08(水) 17:50:57
信長に勝てないまでも、せめてなんとか信長と折り合いつけてないとね

93 :日本@名無史さん:2005/06/08(水) 17:55:59
>>92
無理だよ
勝頼は武田家の当主ではなく後継人にしか過ぎない
先代の政策にケチをつけられませーんw

94 :日本@名無史さん:2005/06/08(水) 18:47:17
いやあ、それでもなんとかしてないとね。先代はもう死んでるわけだから

95 ::2005/06/08(水) 18:54:24
俺思うんだけどな、はじめから天下を取れる器の武将なんてのはいないんじゃないかと
思うんだよ。
信長才能はあったと思うんだけどああいうやり方だからああいう死に方するのは半ば
運命であったといえると思う。
秀吉だって家康だって育っていく過程ですこしずつ成長してあそこまでの人材になったと
思うんだよね。
家康だって若いころから苦労して、そして戦いを経て失敗や成功からすこしずついろいろ
と得て天下人へとちかずいて行っている。
そして、忘れないで欲しいのがそうした人材は譜代の家臣の忠誠というものに
とても恵まれている。
どの時代でも覇者になるやつはそうだろ?
この点はどんな歴史学者でも否定できないと思う。


96 ::2005/06/08(水) 18:55:16
そこで、勝頼をみてみたい。
勝頼が当主になった当時の年齢は家康・秀吉・信長もみんな一介の田舎の大将
としての資質しか持ち合わせていない年齢だと思う。
この3人や他の勝ち組武将もそうしたところから経験を得てすこしずつ大きくなって
言っているわけだ。
その、田舎侍の年齢での勝頼の活躍は他のやつにけして見劣りしないものだと思う。

そして、譜代の家臣の忠臣という観点でみていくとこれが勝頼には圧倒的にない。
信玄がのこしてしまた間抜けな遺訓、信玄信仰の信者達、諏訪家からという血筋、
それに付随する親類集のわがまま。それから武田家家臣全体にどうも必死になって
家を守るといった心が見えない。これは寄り合い所帯の甲斐という国柄にも原因が
あると思う(最後の小山田を武田家臣の裏切りまくりが見事にそれを物語っている)。

それから、もう一つ忘れないでもらいたいのは信玄の時代には豊富な財力があった。
それは、金山によるものだがちょうど勝頼の代になるころにこれが底をつきだしている。
おとなりの徳川・織田・上杉には親父が散々喧嘩を吹っかけている。


97 ::2005/06/08(水) 18:56:09
こうした悪い条件をすべて背負い込んだ形で勝頼の代ははじまっている。
もちろん広大な武田領、最強の騎馬隊とやらは残されてたのかもしれないが、
さらに不幸なことにこの時代ちょうど騎馬隊は時代遅れなものになる時だった。

そんな中での勝頼の戦いはどうだろうか。彼は善戦したと思う。
はっきり言ってあの武田家をついでなんとか命脈を保てる武将はいないのでは
ないだろうか。
唯一86のような手があるがそんなことは家臣の誰もが許さないしそれこそほん
とうのヘタレだ。
勝頼はいろんなジレンマや悔しいおもいを必死にこらえて戦っていたはずだ。
何せ彼は当主であって当主でない立場に最初に追い込まれている。
最初の印象というものはとても重要なのはいうまでもない。
そして、勝頼は実は逃げようと思えば逃げられる立場にいた。
けど、勝頼はそれを最後まで選ばなかった。
勝頼は男の中の男だと思う。

98 :日本@名無史さん:2005/06/08(水) 18:59:10
>>94
何とかしていたよ
内政面では勝頼の側近を重用したり
軍事面では高天神城を攻略して徳川家に圧力をかけたり

でも、
当主代行者と馬鹿にして合戦で逃亡する親族達
信玄を盲目的に信仰して合戦で死に急ぐ重臣達

こいつらが足を引っ張るんだようw

99 :日本@名無史さん:2005/06/08(水) 19:06:44
81よ。身内から嫌悪されたのは事実かもしれないが
どこの戦国武将もそんなことはやってるんだよ。
ってか当時でなくてもそんなのは嫌悪されるわな。

お前のその、インフォメーションとこのスレは全く関係ないんだよ。
おまえみたいなのはただの荒らしっていうだよ。
わかったかな。あさはかくん。
教室に帰って何にもしらんやつに知識ひけらかしといてね。そして嫌われて。

100 :日本@名無史さん:2005/06/08(水) 20:26:05
甲陽軍艦によると
長篠の合戦の軍議とき、山県、馬場、内藤などは退却を主張したんだよ。
なかには、退却しながら信濃に誘い込んでそこで迎撃(大反撃)するという
作戦まで出されたのだ。
今で言ったらナポレオンのロシア遠征をクツーゾフが退却して補給路を伸ばして
大反撃したあの作戦に似てるあのやつだ。
なのに勝頼は長坂という非軍人の建策(総攻撃をするべし!退却は不要)
を支持した。(大勝利==信玄と同じ名声!!)
長坂がいけねんだよ!なんであいつ軍議なんかに参加したのだ?
勝頼は軍人だけで固められた軍議を非民主的なものとおもったのだろうか?

101 :日本@名無史さん:2005/06/08(水) 20:29:40
甲陽軍艦 ... orz
素人の俺でも信じられん。

102 :日本@名無史さん:2005/06/09(木) 04:48:18
95-97
ほんとにいいこと書いてる。
三戦版にもはっとこ。

103 :日本@名無史さん:2005/06/09(木) 05:20:44
>>95
家康は経験の中で成長した凡人だと思うが、
秀吉は「天才」だと思う。

農民の小倅で、大名や武将の子のような英才教育を受けていない
彼が常勝将軍になったことのは「天才」としか思えん。
戦国時代に名を残した武将はさすが激動の時代だけあって、島津、
長曽我部、伊達という連中はもちろん、やや小大名だった津軽、
最上、上杉(景勝)らも有能な武将たち。
しかしこういう連中を見ても、秀吉との「格の差」を感じる。

やはり秀吉は義経と並ぶ日本史上最高の「天才」と思う。

104 :日本@名無史さん:2005/06/09(木) 06:29:42
毛利も伊達も島津も秀吉だから存続できたような気がする

105 :日本@名無史さん:2005/06/09(木) 06:47:28
勝頼を評価する連中は言い訳が多すぎるよ。

信玄はクーデターをおこしたわけだから
勝頼よりずっと厳しい立場からスタートしたがあそこまでなってる。

何もできなかったやはり勝頼はただの駄目武将。

106 :日本@名無史さん:2005/06/09(木) 06:49:36
>81よ。身内から嫌悪されたのは事実かもしれないが
>どこの戦国武将もそんなことはやってるんだよ。

どの戦国武将がやったの?
当時の武将は誰もそんな汚いことやってないけど。

107 :日本@名無史さん:2005/06/09(木) 08:30:14
>>105
言い訳ではなくて事実。
ちなみにクーデターは家臣、領民の大多数の望みであったわけだが、、、。
それから、信玄のスタート時は周りが圧倒的に弱い。

108 :日本@名無史さん:2005/06/09(木) 08:41:36
勝頼ファンもアンチ勝頼も106にはただ唖然の一言。
まあ、干しとこうや。
こういう妄想家はどこいっても浮いてるだけだからさ。


109 :日本@名無史さん:2005/06/09(木) 10:19:00
三戦板でやってりゃいいのに日本史板に出張までしてくる低脳ぶり・・・
なんだ?ファンとかアンチとか?春先からこういうアホどもが住み始めたよな・・・

110 :日本@名無史さん:2005/06/09(木) 11:34:32
>>109
君の言葉は君自身対しての言葉だよw

日本史板なんて三戦板とたいして変わりはしない!

111 :日本@名無史さん:2005/06/09(木) 11:46:46
それとも、日本史版の住人は特別だとか思っていたいのか?
ほんとエロいな。

112 :日本@名無史さん:2005/06/09(木) 11:49:52
ファンとかアンチとってのは一つの表現として使ってるだけだろ。
尻の穴の小さいことしてないでまともな文献の一つでもちゃんと
出典付でさらしてみろ。

113 :日本@名無史さん:2005/06/09(木) 11:51:26
住み分けも出来ないニワカが逆ギレかよw

114 :日本@名無史さん:2005/06/09(木) 12:10:12
住み分けだってよ。
やっぱ自分らはエリートかなにかかと思ってるのか?
あと、誰も切れてないけど。
それに逆切れっていってるけど別にここはおまえらの所有物でもない。

115 :日本@名無史さん:2005/06/09(木) 12:11:12
日本史板の住人が特別ではなく三戦板から出張してくる低脳(代表例>>110-112)が特別痛い。
さらに必死加わって厨をアピール。

116 :日本@名無史さん:2005/06/09(木) 12:23:47
●板の主旨に合うスレッドをたてましょう。
   ここは「学問・文系」の日本史板です。

 戦国時代・武将をネタとして楽しむ→戦国英雄・三国志・戦国時代

住みわけはマナー
逆ギレしてる厨はここは天下の往来よろしく、不特定多数が利用する場所すらわからんらしい
消防並の思考w

117 :日本@名無史さん:2005/06/09(木) 12:51:22
結局三戦でも歴史でも同じことかいてるんだから一緒なんじゃないの。
とくに、歴史版だからってまともな文献にそった史実とかがでてきてる
わけでもないし、同じことやってる人間がただちょっと違う場所に
いるだけだろ。
まあ、おまえら仲良く論議しろや

118 :日本@名無史さん:2005/06/09(木) 12:54:59
ヲイヲイ、日本史“板”でも歴史“板”でも版にしてるからバレバレだぞ厨
掲示板の“板”なw

同じことやってるとわかってるなら巣に帰れ

119 :日本@名無史さん:2005/06/09(木) 12:56:47
ttp://academy3.2ch.net/test/read.cgi/history/1108262931/520
またageてるわw

こいつってあれ?リアル消防?


120 :日本@名無史さん:2005/06/09(木) 13:00:00
それがどうした???
どうもここにいるやつはほんとにレベルの低いことにしか突っこめないな。
ようするに自分は特別だ気取りしてる臆病者しかいないってことな。
あっでも一人のアホで全員を指すのもよくないな。
とりあえず、俺はもう書かないので。
書く奴のレベルがあまりにも低い。
知能も知識もないのにでてくる言葉は「三戦版帰れ。」  ださっ。

121 :日本@名無史さん:2005/06/09(木) 13:01:16
120が特別バカなのに気付いてない...あ、だから特別なバカなのか!

122 :日本@名無史さん:2005/06/09(木) 13:10:38
厨理論炸裂してるけど、こんな輩相手にしてるのもどうかと…。
生温かく見守ってやるのが親心というものですよ。

123 :日本@名無史さん:2005/06/09(木) 13:16:50
釣られてみるか。
私(>>110)はかなり昔からの日本史板の住人ですが、

>>109
>>113
>>115
>>116

何でそんなに必死なの?
日本史板と三戦板、私から見れば同等だよw



あとスレの流れを戻すが、
勝頼は雑魚とは言いがたいな。
ただ坊やではあったと思うがw

織田信長と戦うには外交戦略が弱い。
本願寺や毛利家と連携しているわけでもなさそうだし。
高天神城を攻略して自身を見失ったかなw

124 :日本@名無史さん:2005/06/09(木) 13:29:26
>>123は何でそんなに必死なの?

かなり昔からと書けば、重みが出ると勘違いするわ
私から見れば同等だよと、個人の主観で板の主旨すら変えるわ


厨らしさ満載でつねw



装っても思考レベルが同じだから、レスに低脳っぷりが滲みでるなw

125 :日本@名無史さん:2005/06/09(木) 14:22:03
ちょっと見ない間になんか別の板になってるな。
>>124は人を攻撃してるんじゃなくてちゃんとまともな意見を言おうな。
お前のはただの荒らしな。
まず認めてほしいなら三戦板と日本史板がどう違うのか説明しみなよ。

>>123
かなりいいことを言ってると思う。確かに外交の重要度に気がつくのが
すこし遅かったのはたしかだと思う。
ただ、彼も大敗戦いらいそういった方面でもいろいろと努力してるし、それに
向けての人事一新などの政策をとろうとしている。
彼は敗戦から学べる1流の武将であった。
ところがここでまたご親類集が邪魔をするわけだ。

126 :日本@名無史さん:2005/06/09(木) 14:37:12
●板の主旨に合うスレッドをたてましょう。
   ここは「学問・文系」の日本史板です。

 戦国時代・武将をネタとして楽しむ→戦国英雄・三国志・戦国時代

文盲?

127 :日本@名無史さん:2005/06/09(木) 15:03:52
っと書いてはいても実際にやってる内容は一緒だよな。
このスレに限らず他の日本史板にあるスレもな。
つまりこの2つに対した違いは全くない。
ついでにいうとここにいる住人にも学問として歴史を語るだけの知識が全くない。
三国志・戦国にいるやつのほうがよっぽど知識もってる。

そうだ。おまえ「三戦と歴史は違う板か?」っていう議論するスレ
たてろ。そして、そこにいてくれ71と同一人物の124君。
違うやつだとしても頭の悪さと生産性の無さのレベルが全く一緒だからバカって意味では一緒。

はい、この話はもう終わりな。
勝頼の話に戻ろうな。


128 :日本@名無史さん:2005/06/09(木) 15:11:36
書いてる内容が一緒なのは書いてるアホが一緒だから

板の使い分けしろと言われても理解できず、知識知能がと>>120と同じ内容w
脳内フィルターですべて同一人物認定してしまうぐらいの低脳っぷり


装っても思考レベルが同じだから、レスに低脳っぷりが滲みでるなw

129 :日本@名無史さん:2005/06/09(木) 15:13:06
俺は書かないからと言いつつ悔しくてまた現れたんでつか?

130 :日本@名無史さん:2005/06/09(木) 15:20:22
一つ理解できたのは

必死になってる約一名は、三戦板が馬鹿にされてる!!!
日本史板もレベル変らんし、三戦板住人の方が知識も豊富だぞ!!!
と言いたいだけだと。

知識関係なしに板違いだし、以前は三戦板でやってたのを持ってくるなと
しかるべき板でやれ
というのを理解できないと。

なるほど、納得!

131 :日本@名無史さん:2005/06/09(木) 15:25:31
>>125
穴山信君、武田信豊などの武田一門は長篠合戦で無傷です。
彼らに期待はできまい。無念だな勝頼。


あと外交の重要度に気がついたかどうかは、
勝頼は御館の乱で北条家を敵に回してしまっているから厳しいな。
弱体化した上杉家(景勝派)と新たに結ぶより、
強国の北条家と同盟継続の方が、
駿河・遠江方面の徳川家に対する攻防が有利だったであろう。
それに織田家に敵対する勝頼にとって上野を死守するのは無意味。

132 :日本@名無史さん:2005/06/09(木) 15:40:10
>>131に付け加え
天正四年九月に勝頼が毛利に書を送っているのも確認はしています。

133 :日本@名無史さん:2005/06/09(木) 16:40:23
前にも書いたが、氏政では、結局一緒だろ 
 
いずれ裏切られたよ。

134 :日本@名無史さん:2005/06/09(木) 16:46:49
>>133
北条家が裏切ることはないよ。(裏切るのは武田の方だがw)
武田勝頼は上杉景虎を支援して北条氏政との同盟維持をするべきだったよ。
武田勝頼一人では織田信長・徳川家康に対抗できない。(史実でも滅んだしなw)

135 :日本@名無史さん:2005/06/09(木) 16:56:45
>>134に付け加え
織田信長も別所長治と荒木村重が敵対はしているが毛利水軍を討ち破っている。
これ以降は毛利家・本願寺も劣勢にまわっている。

136 :日本@名無史さん:2005/06/09(木) 20:42:23
景虎を支援したところで、もし負けたらどうするんだ?

137 :日本@名無史さん:2005/06/09(木) 22:59:47
>>136
もし負けても上杉景勝に武田勝頼を攻める力は無い。
上杉景勝も織田信長と敵対しているのだからいずれは救援を求めてくる。

長篠合戦で敗北したとはいえ武田家に内訌が起きた訳ではないから力がある。
しかし上杉家は御館の乱で内訌を起こして力を落としている。
それにその時点で織田家と交戦中は上杉家の方で、
柴田勝家がすぐに加賀を平定している。
天正八年に本庄秀綱と神余親綱を攻め落として御館の乱は終結するも、
石山本願寺は織田信長に降伏してしまうので上杉家の孤立化は決定的になる。


まあこんなところでどうでしょう?


138 :日本@名無史さん:2005/06/09(木) 23:21:29
>>136
よく考えれば武田勝頼がつけば負けないだろうw

139 :日本@名無史さん:2005/06/10(金) 01:46:37
>>134
>>135
>>137
>>138









140 :日本@名無史さん:2005/06/10(金) 02:02:42
>>139
それしかみつけられないのかw

141 :日本@名無史さん:2005/06/10(金) 02:22:51
いい加減、自演はやめてくれないか?

>>134
北條が裏切らないという根拠はあるのか?
氏政は、結局援軍を送らなかった人間だぞ。

142 :日本@名無史さん:2005/06/10(金) 02:27:24
>>141
北条家が武田家を裏切って意味があるのか?

143 :日本@名無史さん:2005/06/10(金) 02:43:32
当時の情勢的に、織田と確執がある武田と組んでると、
その火の粉が、北條にまで飛んでくるとも限らない。

あと、勝頼が氏政に不信を抱いたのは、武田に援軍要請を
しておきながら、肝心の北條からは援軍が来なかったからとも
いわれている。
こんなでは、勝頼でなくても不信を抱くのは当たり前だと思うが。

144 :日本@名無史さん:2005/06/10(金) 03:19:22
>>143
北条家はすでに三方ヶ原合戦で武田家に援軍を派遣して、
織田家と徳川家に敵対行動をとっているよ。


あと、言われてるレベルの話なら、
御館の乱において、
5月に武田軍が派遣され、
6月には勝頼も出陣している。
この時点では上杉家の内訌の調停が目的。
この援軍は合戦が目的ではない、むしろ圧力が目的。

ここからは憶測ですが、
勝頼はこの調停を成功させ北条家に恩を売っておき、
さらに上杉家にも恩を売っておこうと考えたのかもしれませんね。

しかしここで武田家は景勝派に肩入れをし始める。
8月に甲越同盟が成立する。



どちらにしても、
勝頼が景勝と同盟するのは早計と思うし武田家にとって意味は無かったよ。
景勝は勝頼に援軍を一回も送っていないしね。

145 :日本@名無史さん:2005/06/10(金) 03:33:27
言い訳しながらしか勝頼を高く評価できない時点で・・

146 :日本@名無史さん:2005/06/10(金) 05:35:10
>>131
御館の乱の時北条は自分ではあまり手を下さないが武田が援軍をだせといいた趣旨の態度だったはず。
北条の態度がそんな感じの流れだったと思う。
もし、武田が景虎を支援して景虎が勝ったとすると事実上、北陸も関東も北条家とういうことになる。
そしたら、武田は完全に北条の植民地状態・織田徳川への盾として生きていくしかなくなる。
もちろん、勝頼がこれを選択できるはずがない。

そして、景勝側の態度だがこれはとても誠意のこもったものだった。
何もしないだけで金をだす。当時の財政難の武田家にとってありがたい申し出だ。
さらに、景勝はその後も武田家に誠意をもった態度で接している。
そうした、心理的な点や人間性といった点でも景勝擁護は必然ではなかったのかと思うのだが、、。






147 :日本@名無史さん:2005/06/10(金) 06:37:08
>>146
上杉家が北条家の植民地状態になることはないよ。(歩調は合わせると思いますがw)
上杉家という家の立場があるし、千葉家や佐野家、大石家、藤田家の場合とは異なる。
それに織田・徳川への盾は仕方あるまい。勝頼自ら選んだ織田・徳川との抗争だ。
北条家が武田家側ということに感謝しなくてはならないはずだね。(上杉家も織田・徳川と戦闘状態だよw)


あと、いくら誠意をもった態度で接していても、
景勝は勝頼に対しての援軍は一回も送っていない。(送れる訳がないがw)


勝頼、景勝の甘い言葉に騙されているよw


148 :日本@名無史さん:2005/06/10(金) 09:06:34
景勝にそんな余裕はないし、
「出さなかった」というのは結果論だし

149 :日本@名無史さん:2005/06/10(金) 11:30:23
そういや勝頼が景勝に組したのは、後を北条に取られるのを恐れたというけど、
(だから無能じゃないという論法をよくみる、小説家とかでもね)
いやそれならそれでいいけど、その場合織田徳川と講和しないと駄目だろ。
で、北条と戦う。勝ち目は薄いが、織田よりはあるだろうし。
俺がよくわからんのは、織田と戦っているのに、北条を敵に回すこと。
それも上杉と同盟を組んでだよ?
正気の沙汰とは思えない。内乱で力を落としている上杉にどれだけ、両者と争う力があるというんだ。


150 :日本@名無史さん:2005/06/10(金) 11:54:16
>>148
結果論・・・それが重要なんじゃないの?

151 :日本@名無史さん:2005/06/10(金) 12:17:40
>>149
勝頼は徳川家と北条家との戦いですでに苦戦。(遠江、駿河、上野方面)
景勝は織田家の武将の柴田勝家に苦戦。(能登、越中方面)

これで織田家の主力が投入されたら滅亡必然!(武田家は滅亡しましたがw)


双方とも力は無いし、正気の沙汰ではない。


152 :日本@名無史さん:2005/06/10(金) 12:32:41
凄い単純思考で進んでるな・・・ここの戦国時代はw

153 :日本@名無史さん:2005/06/10(金) 12:36:44
>>147
誤解を与えてしまったかもしれないのだが俺は一応「武田」が「北条」の事実上の
植民地状態になると言ったのだが。
「上杉」が「北条」の植民地になることはまずないだろう。。
でもそれで東海・岐阜方面は完全に敵だから、北陸・関東が敵になったら完全に周り全部が
敵になってしまう。だから、それ以後一切北条家に対して頭が上がらなくなる。
上杉と北条は歩調を合わせるだけといってもその合わせ方は半端じゃないのは間違いない。

それから、まともに考えてくれ。北条に半植民地状態で生きていく。
たしかに、これで武田家の命脈を保てる可能性は高まるかもしれないが果たしてそんなことを
武田家の家来が許すと思うか?あの親類衆はいうまでもなく、勝頼が信頼してた真田昌幸だって
反対するだろう。
「甲斐の名門武田」この肩書きが引っかかってそれは実現しえない。
もちろん、勝頼自信もそんなことをするつもりはさらさらなかったと思うが。

あと、この文気に障ったらごめんな。はっきり言って何人かとてもいいことを書いてくれる
やつがいるからけして俺はそういうやつとこの板でケンカをしたくない。
途中変な小学生みたいなのがしつこくいついておかしくなったからな。

154 :日本@名無史さん:2005/06/10(金) 12:37:30
>>152
君の単純意見には負けるよw

155 :日本@名無史さん:2005/06/10(金) 12:43:54
>>153
それが理由で織田家に滅ぼされる道を選んだのね。
もう少し時代背景を考えた方がいいよw

あと、最後の3行の文は意味無いよ。

156 :日本@名無史さん:2005/06/10(金) 12:46:38
>>153
あの〜家を残すのが、当時の最大にして、唯一の目的。
天下取りより、確実に家を残すことを考えている武将が当時の大半でしょ。
毛利なんて何度も可能性があったのに、全て捨てて、家を残す事に終始している。

勝頼には、氏政同様変なプライドにこだわった結果、国、家を滅ぼしたとしかいえん。

157 :日本@名無史さん:2005/06/10(金) 13:02:13
もう少し時代背景を考えた方がいいよw
↑これは誰に向かって言ってるんだ?

158 :日本@名無史さん:2005/06/10(金) 13:06:59
長篠の戦いで大敗をしたあととはいえ
その当時まだ甲斐は領内を踏み荒らされていない。
そんな無条件降伏みたいなことをあの段階でできるはずがない。
勝頼が一人そんなことを言っても全く無意味。

159 :日本@名無史さん:2005/06/10(金) 13:09:07
毛利の場合は元就が家訓のような形でそういう風に遺言を残している。
武田家は全く別。

160 :日本@名無史さん:2005/06/10(金) 13:15:49
三戦(厨隔離)よりレベル低くてどうするのか

161 :日本@名無史さん:2005/06/10(金) 13:20:19
>>159
どこでも一緒だけど。

162 :日本@名無史さん:2005/06/10(金) 13:41:54
>>153
普通、戦国大名は生き残りをかけて戦うはずだ
武田は四方に他国に囲まれているのだから
どこかと同盟しないと生き残れないぞw

あと、オマエがケンカしたがっているように見えるぞw
必死な弁明に、いと哀れ

>>157
オマエに言っているんだろ?
もっと勉強しろよw

163 :日本@名無史さん:2005/06/10(金) 13:44:03
まあ北条だって影虎が勝ったらすぐに武田を裏切る可能性があるわけで、それを見越して苦汁の選択をしたつもりなんだろうけど
信玄ならうまく切り抜けられた気がしないでもないな。
結局は織田に頭を下げるのがいちばんだったってことだ。
松姫なんて武器もあるわけだし

164 :日本@名無史さん:2005/06/10(金) 13:52:45
>>163
信玄も単独では無理だなw
甲駿同盟→三国同盟→甲三同盟→甲尾同盟→甲相同盟
(他に本願寺とかとも手を結んでいるが・・・)

まあ誰であろうともきついなw

165 :日本@名無史さん:2005/06/10(金) 13:58:51
桶狭間並みの奇跡を起こすしかなかったな。
しかし、もし勝ったとしても信忠しか死なないだろうと思われるので意味がないな

166 :日本@名無史さん:2005/06/10(金) 14:43:58
こうしてみてみるとたしかにその時点では織田と同盟ってのが
一番だったかもしれないな。
秋山信友の妻をなんとかしたりしてな。
それが、実現可能なのかいまいちなんとも言えんが。武田家は反信長同盟の盟主だったからな。
織田には勝頼と同盟のメリットなんかあるか?

167 :日本@名無史さん:2005/06/10(金) 15:20:26
>>163
北条家がすぐに裏切るのか?
関東に敵を抱えて背後の武田家を襲う理由が無い。
天正五年に桂林院を輿入れさせている氏政が、
織田家と徳川家の動向を気にしているのかなw

松姫・・・ワロタw



まあ、北条家を敵に回したために、
しなくてもいい上野・駿河方面の軍事行動をさせられて、
挙句の果てに徳川家に高天神城を奪われている。
あと、この頃になると欠落も激しくなっているしなw

上杉家は御館の乱のゴタゴタと織田家との戦闘状態の継続で、
信濃・上野に援軍を送る力も無い。

どう考えても景勝擁護は失策だろうな。


168 :日本@名無史さん:2005/06/10(金) 15:31:29
>>166
織田信長が武田家と和議を結んでもいいかなと思ったのは上杉謙信が目障りなので。
謙信が死んで、なおかつ御館の乱で国力を落とした上杉家には脅威は無い。

したがって、織田家に武田家との同盟はメリットは無い。(これは武田家滅亡後の北条家の立場と同じ。)
下手に残すと武田家と北条家と徳川家が合力しそうで怖いよ。


これが豊臣秀吉だったら気前よく許しそうですがw

169 :日本@名無史さん:2005/06/10(金) 20:24:32
俺もそう思う。だから現実的に織田との同盟はありえない。
北条は裏切るとか裏切らなくても武田を下に見た態度ででてくるだろ。
それに武田すこしやばくなったら裏切るのはそれまでの行動をみてれば明白。
当主の考え方がそうしたこすい戦略をずっとしてる。
だから、景勝擁護は最良の策。
景勝擁護でなければ資金繰りがもっとやばいことになってる。

170 :日本@名無史さん:2005/06/10(金) 20:26:40
ん。
今書いてて思ったんだが北条が下の方から徳川をけん制してくれたりする
可能性とか北条に対する利点とかってあるのか???
それが、強い確率であるなら景勝擁護は失敗かもという方にもなるのだが。

171 :日本@名無史さん:2005/06/10(金) 21:11:25
>>169
最良の策が越後以外の国との全面戦争かw(遠江・駿河・上野の三方面)
この事が領内の民衆に圧迫を加え、甲越同盟以降の武田領内では欠落が急増していく。
人がいなくなれば資金繰りも厳しくなり国力消耗を加速していく。

甲越同盟から三年後の天正十年に武田家は見事に滅亡w


>>170
武田家は北条家との同盟の利点はありますよ。
駿河・甲斐の安定。(放置状態の岩殿城を修築する必要もないしw)
上野での共同歩調。(まあ、上杉家が攻めてくることがあるとも思えませんがw)
遠江への援軍は厳しいと思いますが、
北条家との合戦がなければ高天神城の陥落があれほど早くはなかったと思います。
さすがに駿河が危なくなれば援軍を送るでしょうね。

あと、北条家との同盟維持は上杉家においても景虎擁護という事になります。
信越国境も安定するでしょうから武田勝頼は遠江だけを攻めればいい。(場合によっては美濃に攻め込んでもw)


172 :日本@名無史さん:2005/06/10(金) 22:13:53
ここ一日ほとんど同じ人が書き込みしてるような
気がするんだけど…

173 :日本@名無史さん:2005/06/10(金) 23:48:28
>>172
まっ、生暖かく見守ってやろうや(笑)
厨に何言っても始まらないからな

174 :日本@名無史さん:2005/06/11(土) 01:18:32
ここは、北条厨に占領されました。よってこれにて終了させて頂きます。

175 :日本@名無史さん:2005/06/11(土) 01:28:09
w多用の人はやはり単なる北條厨だったのか。
三郎景虎サマを裏切ってしまったから武田は滅びてしまった訳ですねw


176 :日本@名無史さん:2005/06/11(土) 01:42:52
つうか、御館の乱より勝長返還の方が問題じゃね?
実際、何のためにあの時期に返還したのやら…
人質の意味がなくなったという説を良く見かけるが、
あの状況だからこそ、勝長の存在は重要だったと思われ

177 :日本@名無史さん:2005/06/11(土) 01:51:59
>>176
・いてもいなくても、信長はもうやる気満々。関係ない
・逆に、手元にいると物騒
・ジャ、イラネェ

プラス、優しみ。

178 :日本@名無史さん:2005/06/11(土) 02:45:38
ほほう、当時の人質についての新説だな

通説では、勝長が返還されてきたから、
信長は武田討伐を決めたわけだが…

179 :日本@名無史さん:2005/06/11(土) 03:54:06
どこの通説ですかと。

180 :日本@名無史さん:2005/06/11(土) 09:23:34
今日休みで図書館行ったら偶然ながしのの戦いの詳しい本があったわけよ。
多分、普通のファンが足元にも及ばないような研究家達がまじめに書いたやつな。

それによると、勝頼の代の武田が一番良い形で残るには勝頼が当主になった瞬間くらいに、武田が奪った駿河を徳川に
美濃は織田に、信濃の上の方は上杉にただで差し出してそれぞれと講和することなそうな。

それで、思ったんだけどなんで信玄は西上作戦なんてしたんだ?そんなのしてなければもっと
講和だってしやすいと思うんだが、、、。


181 :素人さんでごめんなさい:2005/06/11(土) 10:51:22
>>180
上洛するため。
地方政権なんか幾ら大きくしたって意味がないでしょ?
朝廷や周辺貴族を押さえずして権力を増大させるのって相当難しいと思う。
よほど大きな経済力があれば良いだろうけど
関東地方だけだと苦しいものがあるんじゃないかな。
西上というよりは交易を図る港がまず欲しかったと考えてます。

講和云々は織田家の毛利家に対する講和条件を見て、
研究家?が勝手に夢想してるだけじゃないかな。
可能性については良く分からないのでコメントは控えます。

182 :日本@名無史さん:2005/06/11(土) 12:48:22
いえ、俺は研究家を持ち出して煽りたいんじゃなくてまともな論議がしたいだけな。
この板荒らしみたいなの多いからさ。181の気にさわってたら謝るよ。
その研究家ら曰くその時点で時代が織田を中心に動いていくのは明白だからそれを
みこして同盟しておいて力のたまった時点で関東方面をすこしづつ落としていくのが
一番版図を広げられるし、滅亡の可能性の少ない選択だった。
みたいなことが書いてあった。あと、戦国武将で優秀といわれるやつは
常に滅亡の確立の低い方向を選び続けているといろいろと例をだして書いてあった。
ちなみに、全体的に「勝頼はダメ武将」的な意見が多いやつだった。

これが正しいとしたら、信玄の時点で相当時代を読み違えたことになる。
あと、さらにこれは俺が思った事だけどもし信玄が死に際に勝頼に「もう一度上洛して
今日に武田の旗をたてよ。」みたいなことを言ったとしたら信玄は最後まで時代を読めなかったということになる。
それから「もう、国の外に打って出るのはやめて国力を蓄えよ。」みたいなことを言ったとしたら
自分はやりたい放題やっといてただ尻拭い、責任転換を勝頼にしたことになる。
もし、ほんとに勝頼や武田家を思うなら全家臣の前で「俺の方策は間違っていた。これからは国力を蓄えよ。」
などと自分の間違えを認めておかなければならない。
ようするに、晩年の信玄は豊臣秀吉よろしく全然時代というのものが見えてなかったんじゃいかと
俺は思うのだが。
家臣は信玄信者だから、武田家全体も時代の見えていない方向に行く。
それが、あの時代の武田家だったんじゃないかと思うのだが、、。

183 :日本@名無史さん:2005/06/11(土) 14:19:03
>>182(=>>153
最初の2行はオマエの言いわけか?
オマエが荒らしにしか見えないぞ!

>>181のレスは気に障るような内容に見えないが。

184 :日本@名無史さん:2005/06/11(土) 15:02:04
183はどうでもいいこと書くなくていいから

185 :日本@名無史さん:2005/06/11(土) 15:04:02
181の発信者の名前をみてみろ

186 :日本@名無史さん:2005/06/11(土) 15:41:34
北条を敵に回さずに、
織田と講和のチャンスを逃さずに
勝永を返さずに
あのまま徳川を殲滅してればよかったんだよな。

難しすぎないか?

187 :日本@名無史さん:2005/06/11(土) 17:15:42
徳川を殲滅してても厳しい気がするんだが。
状況にもよるが。

188 :日本@名無史さん:2005/06/11(土) 17:22:29
織田が徳川を切って武田とつくってことですか?
それは、現実的にはないと思うが。


189 :日本@名無史さん:2005/06/11(土) 17:42:20
武田勝頼は所詮、無位無官だから相手にされないのです。

190 :日本@名無史さん:2005/06/11(土) 18:21:34
>180
そんな事したら皆は「もっとよこせ〜」と言うだろうな。


191 :日本@名無史さん:2005/06/11(土) 18:38:29
>>188
妄想の範囲だけど、織田と徳川の蜜月は、
信康事件あたりを境に翳りが出てきていたのでは?

192 :日本@名無史さん:2005/06/11(土) 22:22:24
>>191
こっちも妄想。

それは董承のクーデターに巻き込まれた劉備が、曹操を
裏切って逃亡し、徐州代理の車冑を殺害した時点で、
曹操と劉備の蜜月関係の終焉したのと似てるなと思われ。

193 :日本@名無史さん:2005/06/11(土) 23:03:08
>>191
信康が自害してから武田家と組むのは考えにくいですよ。

自害させてまでも織田家との同盟を維持させているわけなので、
危険を冒してまで武田家と組んでしまったら信康があまりにも無念。


で、私も妄想ですが・・・
それより武田家はこれを機会に信康が生きている段階で徳川家と和睦し、
あわよくば同盟にまで持ち込めたら面白かったのにね。
武田家は北条家との戦いに集中できたかもw

194 :日本@名無史さん:2005/06/11(土) 23:43:53
>>191
そもそも信長が家康に命じて信康を葬ったという説は近年否定されつつあるよ。
岡崎衆が信康を担いで浜松の家康に謀叛を企てたため、家康サイドから信長に、
信長にとっては婿である信康の処分について異存がないか尋ねた。
「信長へ内証をえらるところ、左様に父臣下にみかぎられぬる上は是非に及ばず、
家康存分次第の由返答あり」(『当代記』)
つまり信康処分は家康の決定したこと。信長はそれに口を挟まなかっただけらしい。

195 :日本@名無史さん:2005/06/11(土) 23:56:17
>勝頼対秀吉

むしろ反徳川で手を結んだかも。
秀吉も勝頼をそれなりに評価していたようだし。
勝頼を配下に加えれば東国を瞬く間に平定できると
秀吉が信長に進言したので、
信長はそれまでの方針を改め、勝頼に破格の条件での
講和を呼びかけた。長篠の戦よりもあとのことだ。


196 :日本@名無史さん:2005/06/12(日) 04:56:34
えっいつ?
どんな条件?
ちなみに根拠は?

197 :日本@名無史さん:2005/06/12(日) 05:08:46
>>195
勝頼が北条家と対決するために大人しく織田家の配下になるとも思えないが・・・。

まあ、配下になったとしても伊勢北畠家の二の舞になると思われw
養子縁組をして信長の子の勝長が武田家を継いで武田一族は幽閉ですね。

家は残る可能性はありますが血は絶えますねw


198 :日本@名無史さん:2005/06/12(日) 05:55:50
ザコ中のザコそれが武田勝頼

199 :191:2005/06/12(日) 08:46:06
>>193>>194
俺が言いたかったのは、>>188がいう、織田が徳川と手をきって
武田とくっつくことは、現実的にあり得ないという意見に対して、
そうかな?という意味合いの反論。

言葉足らずで悪かったけど、信康事件あたりを境に翳りが出たというのは、
家康が信康のことで信長に対しではなく、その逆という意味合い。

それから、他スレでも少し議論になったけど、
家康は信康死後、一年も経たずにどういった経緯かは不明だけど、
武田側から側室を迎え、同年子供が生まれている。
彼女の父親は、甲府にいた武将で、今川家経由ではない。
(一説には信玄もしくは武田一門の娘とも言われているが)
ただ、これが勝頼の許可の許なのか、家臣(穴山あたり?)の
独断なのかまでは、わからないけど…

200 :日本@名無史さん:2005/06/12(日) 09:12:44
私は個人的にだいたい歴史学者だが、そうおもう。

201 :日本@名無史さん:2005/06/12(日) 09:23:15
199は結論としては何がいいたいの?
前半では織田と同盟の可能性があったといいたい風にみえるけど
後半では密かに徳川との同盟の可能性があった敵的なニュアンスにとれるのだが。

あと、200も何がそう思うのかよくわからん。

202 :日本@名無史さん:2005/06/12(日) 09:58:55
>>199
確かに意味のよくわからない文章だな。

家康が信長の娘を妻とする信康を自らの意志で切腹させたので
清洲同盟に陰りが出た言いたいわけ?

203 :日本@名無史さん:2005/06/12(日) 10:01:15
>>200
>私は個人的にだいたい歴史学者だが、そうおもう。

さらに意味不明な文章だ。
「個人的にだいたい歴史学者」って
どういう意味なんだろう?


204 :日本@名無史さん:2005/06/12(日) 10:03:43
「私は歴史学者だ」という断定刑に
「個人的に」と「だいたい」という
表現をやわらげる言葉を二つも重ねているという事は
はっきり言って歴史学者より素人に近いという事だな?

205 :日本@名無史さん:2005/06/12(日) 10:15:02
>>201
鷲は199氏ではないが、きちんと文を嫁。
〈それから〉と区切りを入れているだろうが。
それからより前は、>>188へのレスの意味
それから以降は>>193の信康死後云々に対してと鷲は読んだ。

鷲の妄想だが、信長の中で武田>徳川に傾き始めていたんでは?

206 :日本@名無史さん:2005/06/12(日) 10:52:17
>信長の中で武田>徳川に傾き始めていたんでは?

朝廷を絡ませて考えると有りだろうな

207 :素人のつぶやき:2005/06/12(日) 11:07:36
素人且つ知識不足なんで間違ってたら訂正してください。

織田家が関東以北に勢力を伸ばそうとする場合、
関東平野に大兵力(権力)を展開したいですよね?
そうするとどうしても北条家は潰すか無害化しておきたい。

対北条への切り口は滝川一益が行ったように
反北条勢力が存在する上野が望ましい。
そのための補給ルートをどうするか。
何れにせよ、当時の輸送手段を考えれば陸路です。

越後の上杉家の勢力と比較して、どちらかと
手を結ぶことは可能性としてありえるかも知れません。
とはいえ、手を結ぶ相手の勢力が大きいので、
あくまでも一時的なものになると思いますが・・・。

208 :日本@名無史さん:2005/06/12(日) 11:19:35
>>206
現に武田を滅ぼしたんですが?
それを徳川を敵にするのは
無理があるんですけどね。

209 :日本@名無史さん:2005/06/12(日) 11:41:41
>>207
>家康は信康死後、一年も経たずにどういった経緯かは不明だけど、
>武田側から側室を迎え、同年子供が生まれている。

武田側(おそらく穴山あたり)から、織田との宥和を求めていたってこと
でしょう。その橋渡しを家康に期待した。

210 :日本@名無史さん:2005/06/12(日) 11:52:01
>>207
天正9年の11月に、信長は娘と氏直を婚約させて、
北條と手を結んでいるよ。変が起きて結局うやむやになって
しまったけど、政略結婚に娘を使うことに関しては消極的だった
信長が婚約させるぐらいだから、一時しのぎではないと思われ

>>208
また結果論厨が沸いてきたなw
>>206が言ってるのは、多分天正8年ごろの話
同年には、甲江和与も絡んでくる。仮にこれがうまくいき、
武田と和睦したら、信長の中で徳川の意味はなくなってくるよ。

211 :207:2005/06/12(日) 12:53:37
みなさんありがとう。
ちょっと興味が沸いてきたので、時間を見つけていろいろ勉強してみます。

212 :日本@名無史さん:2005/06/12(日) 13:05:00
               えー、マジ凡将!?
                                               スゴーイ

   _,,. -‐‐‐‐‐‐‐- 、        /\;;::::::::::::::::::ヘ         .。   。   。   。
   lヽ ヽ ヽ ヽ  ヽ ヽ      /,,;;;;;;\.;;;;;;;;;;;;::./;ヽ        | ヽ / ヽ ./ ヽ / |
   l }   |  |  |  |  |     L::;;,__ ヽ、::..ノ;. ..:::ゝ.     |:  V   V   V  |
   l }   |  |  |  |  |    //;;;;::::::.. ̄ ̄ ̄ ̄ ̄..::::;;;|l.    |:           |
   |ニニ''" ̄ ̄○ ̄ ̄`|    |l l;;;;;;;;;;;;;:::::::::...   ...:::::::;;;;;;|l    |________|.    / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄\
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ヽ::::::| |::::::::::.  \/     ノ \:::::::::::::::..  \/     ,ノヽ::::::::::::::::::.  \/     ノヽ:::::::::::::.  \/     ノ


平凡暗愚と言われて平気なのは
      僕たちだけだったのにねー
                                           キャハハハハハハ

213 :日本@名無史さん:2005/06/12(日) 15:02:49
ちょいまて、その武田から徳川に行った側室とやらの情報を詳しく書いてくれ。
はっきり言ってこれは重大なことだ。
いいだしたやつでも、知ってる奴でもそれが乗ってる文献だとか
そうじゃなくても行った姫の名前とか、、、。
これだけのことを言ってるんだからしっかりと最低限の責任はたせな。

214 :日本@名無史さん:2005/06/12(日) 15:07:42
>>205よまずはしっかり国語の勉強からしてきてくれ。
まず、鷲とか嫁とか勉強しなおせな。

あと、そういうのを抜きにしても<それから>と書いてあろうがなかろうが
意味がわからない(いいたい内容がいまいちはっきりしない)文であることにはかわりない。

意味がわからんから質問してるんだよ。
>>199は織田、徳川、武田の三すくみの同盟が可能だったっといいたいのか?


215 :日本@名無史さん :2005/06/13(月) 02:39:58
勝頼の最期って切腹と戦死の2つあるが、どちらが正しいんだろう?
跡部と長坂は諏訪に逃れたと天目山で戦死とこちらも2つあるし。

しかしよく、天目山に落ち延びる途中に落ち武者狩りや野伏に襲われて、
戦死とかにならなかったね。勝頼を討ち取って織田から恩賞を貰おうと
いう人間だっていたと思うけど。

216 :日本@名無史さん:2005/06/13(月) 03:29:49
戦死っぽい

ttp://homepage1.nifty.com/azalea-house/katuyori.htm

ただ自説だが、武田滅亡の真実は全てが闇の中だと思う。

217 :日本@名無史さん:2005/06/13(月) 16:43:53
なぜ?

218 :日本@名無史さん:2005/06/13(月) 21:06:30
以前、同じようなTHREADがあったけど
そこでは
信玄が死んだ直後、兵を引かずに徳川だけでも攻略する
って言うのが一番良い結果だろうと言う意見が多かったな

219 :日本@名無史さん:2005/06/14(火) 03:22:41
>>199
>>213でもすでに書かれているが速やかに最低限の責任を果たせよ

220 :>1:2005/06/14(火) 05:03:45
>されど、彼の死後、数ヵ月後にして
>本能寺の変が起きたことを考えると
>天下取りに近かった存在といえる。

??どういう意味?

221 :日本@名無史さん:2005/06/14(火) 13:15:01
>>219
199さんではないですけど、家康の側室や妻女等のキーワードで
ネット検索すれば、彼女のこと出てきますよ。
家康の女性関係の本にも書いてありますから、図書館で調べてみては
いかがでしょうか?

因みですが、家康は、武田関係の側室を何人か迎えています。
天正8年に振姫が生まれており、彼女の母親はお竹の方、又は下山殿といわれますが、
どちらかははっきりとしていませんが、振姫が天正8年生まれなのは、
家系図等でも確認できますので、確かだと思います。
また、お竹の方も下山殿も父親については諸説がありますが、
武田方の人間であることに変わりはなく、振姫の母親がどちらにしても、
振姫の生年から、天正8年の段階で武田家関係の人から側室を迎えたのも、
確かだと言えると思います。

全く関係ない話ですが、この2人の側室を迎えるにあたり、
実は松姫の身代わりだったと書いてある本もあります。
信憑性はなんともいえないのですが、
松姫は、信忠の婚約者(寛政家譜では妻)であり、
同家譜には、2人が想いあっていたという伝説を裏付ける?
記述もあることから、織田と武田と徳川の関係を考える上で、
なかなか興味深い話だなとも思います。

222 :日本@名無史さん:2005/06/14(火) 16:56:45
なるほど、丁寧なレスサンクス。
ここからは199にできたら答えてもらえたらうれしいんだけど
その「側室」と「信長が徳川をきって武田とつく」というのはどういうところから
結びつくのかな?
松姫が徳川家にいくはずだったのに織田のとこにいっちまったのがなんたらって部分が関係
あるのかな?(だとしたら199のレスは余りに説明不測過ぎだが)
でもそしたら信長は信忠の愛とやらで徳川を切るのか?信康はきらしといて。
その辺、わかるやつでもいいからレス頼む。

223 :日本@名無史さん:2005/06/15(水) 03:19:30
>>222
>>199じゃないけど>>199読む限りでは
「側室」と「信長が徳川をきって武田とつく」を結びつけた発言は無いよ。
9行目の「それから」以降の話はまったく別の話。
この側室についての話を出したのは話の流れから見て>>193
徳川と武田が和睦同盟が出来たらよかったのにというのに対して
可能性がまったく無かったわけではない例として出したんじゃないかな。

224 :日本@名無史さん:2005/06/15(水) 03:21:09
って書いてから気づいたけど、これって>>205ですでに指摘されてるんだね・・・

225 :日本@名無史さん:2005/06/15(水) 08:20:25
@ということは、今は織田と武田同盟対徳川がありえた、
という意見と
A織田対徳川、武田同盟がありえた
とう意見があるんだな。
それとも、もしかしてB織田、徳川、武田3国同盟がありえたといいたいのか?
どちらにしても、ではどれが一番実現可能でどれが一番よかったのか話してみよう
じゃないか。

226 :日本@名無史さん:2005/06/15(水) 14:18:04
っていうか@とかありえるのか?
Bならまだありえそうな気もするけどな、、。

227 :日本@名無史さん :2005/06/16(木) 00:19:30
もしも・・・という話になってしまうが、信繁が生きていたらもう少し
ましな展開になっていたと思うが。

武田の跡継ぎの証である「信」の字が勝頼に無いのも痛かったのでは。

228 :日本@名無史さん:2005/06/16(木) 23:49:40
竜宝が生きてればよかったんだよ

229 :日本@名無史さん:2005/06/17(金) 01:16:26
竜宝なら勝頼が死んだ後まで生きてるじゃんよ!!

たしか勝頼の死を知って後追い自殺だっけ?

230 :日本@名無史さん:2005/06/17(金) 12:05:51
竜宝がまともな武将だったらよかったのにな。

231 :日本@名無史さん:2005/06/17(金) 12:17:31


フジチク古川元久フジチク古川元久フジチク古川元久
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232 :日本@名無史さん:2005/06/18(土) 00:21:29
良雲院・市川氏、妙真院・秋山氏は松姫の身代わり、
またそういう家康好色伝承の類を・・・w
松姫厨がなりを潜めてると思ってたら、こんな所にいたんだね!

>>229
お聖道様・竜宝は天正十年三月十一日に入明寺で自害。
その子信道が生き延び、子孫は幕府に高家として仕え、
昭和元年には山梨県庁より武田家子孫の正統と認定されました。



233 :日本@名無史さん:2005/06/18(土) 02:59:44
>>232
ここまでの粘着厨もキモだなw
こいつは、以後スルーで

234 :日本@名無史さん:2005/06/18(土) 05:51:55
竜宝をお聖道様と言ってる時点で、十分キモイけどな

235 :日本@名無史さん:2005/06/18(土) 15:40:54
竜宝は出家聖道の半俗生活者で「お聖道様」と呼ばれていたはずだが。

キモだなwとか言ってないで、少し調べたらわかる事だよ。


236 :日本@名無史さん:2005/06/18(土) 15:56:33
なんか方向が違ってきてるが、
結論として勝頼は並大抵の武将ではなかったってことでいいんだな。

武田が生き残るにはってのには実現不可能に近い意見しかでてこないし、
ましてや勝頼がダメ武将だったっていう意見も全くでてこない。
勝頼がこうすればよかったっていう決定的な意見もでてこないしな。
ようするに誰がやってもあの武田家は滅亡しか道がなかったと。


もし、異論があればその辺ぜひ書いてくれ。

237 :日本@名無史さん:2005/06/18(土) 16:31:04
>>235(=>>232
というか、
234は、そんなこと承知した上でレスしたんだろ

>>236

講談社選書メチエ(#184)
戦国大名の日常生活〈信虎・信玄・勝頼〉を一読することをすすめる。
この本の中で、著者笹本氏は、勝頼や武田滅亡についてなかなかいいことを
言ってるよ。もし、知っていたらスマソ

238 :日本@名無史さん:2005/06/18(土) 16:41:27
>>236
武田勝頼は有能でも無能でもかまわん。
(私個人の勝頼に対する見解は軍事が有能、政治が無能。)
しかし、武田義信が武田家の家督を継いでいたのなら武田家滅亡も無かったのかもしれない。


まあ所詮、ifの話だが。


239 :日本@名無史さん:2005/06/18(土) 17:47:50
>>238
>武田義信が武田家の家督を継いでいたのなら武田家滅亡も無かったのかもしれない




       な ぜ  ??

240 :日本@名無史さん:2005/06/18(土) 18:47:16
どのみち信玄のない武田が生き残るのって無理だったんジャマイカ?
部下が有能でもまとめられなければ意味ないしさ
長篠の合戦なんてただの集団自殺だしさ

241 :日本@名無史さん:2005/06/18(土) 21:27:11
>>237
「戦国大名の・・・」勿論とっくに読んでるよ。

242 :日本@名無史さん:2005/06/18(土) 22:09:15
雑魚すれ

243 :日本@名無史さん:2005/06/19(日) 13:02:15
>>238は多分相続などに関連する家臣とのごたごたなどが
なかったといいたいのだと思う。
そうすれば、長篠の集団自殺もなかったから有能な家臣も残ったみたいな

244 :日本@名無史さん:2005/06/19(日) 13:29:28
田町の駅そばには雑魚場公園があったよ。


245 :日本@名無史さん:2005/06/22(水) 06:37:04
そういえば、三戦と日本史がなんたらとか言ってたのは全然現れなくなったな。
結局、言うだけ言ってまともなことをかけない連中だったってことだな。

246 :日本@名無史さん:2005/06/22(水) 10:16:58
>>245
最初から、まともに相手にされていないことには、気づかないのか?

247 :日本@名無史さん:2005/06/22(水) 16:02:15
ってかまともに相手できるだけの知識もないくせに
ただ偉そうにしてるだけ。
余分なことを言ってるのはいっぱいみたがまともな意見は全く言えないからな。
こういうのは、まったく出世せずに将来リストラの大候補生である246以下数名

248 :日本@名無史さん:2005/06/22(水) 17:13:05
他人の意見に耳を傾けられないオマエモナー

249 :日本@名無史さん:2005/06/22(水) 19:13:11
武将の評価なんて史料の解釈や状況解釈によって人それぞれ
なのに雑魚だなんだとレッテル貼りするような低レベルな話したくないだけだろw

250 :日本@名無史さん:2005/06/23(木) 08:55:53
スレの名前が悪かったのはたしかかもな

251 :日本@名無史さん:2005/06/24(金) 18:15:38
もし武田家の滅亡が2年ほど延びていたら
「本能寺の変」のあと、明智光秀は毛利と武田
に同盟の呼びかけを送っただろう!
毛利への密使は、途中で羽柴秀吉に捕らえられ計画は頓挫するが、
武田への密使は、うまく、武田勝頼に届けられただろう。
そうすれば「秀吉 対 明智・武田連合軍」という図式も
生まれたのではないか?


252 :日本@名無史さん:2005/06/24(金) 18:24:50
どーしてIF厨ってのはつまんねー妄想話したがるのかね?

253 :日本@名無史さん:2005/06/24(金) 19:06:37
秀吉は、勝頼を家臣に加えたかったらしいです。
んで、信長が勝頼を滅亡させたのを、毛利征伐のときに聞いて、
私が武田征伐を任されていれば、信長を説得し、勝頼をなんとしてでも
降させて、家臣に加えたものを、と嘆いたそうである。
・・・本や歴史の雑誌(なんて本だったか、出所は忘れたので、事実か
逸話かはしらんww)にかいてあった事だが、それが事実なら、秀吉
もみとめるほどの戦に関してはそこそこ優秀な武将であったことはまちがい
ないことになりそうだが、真偽はさておき、いくら秀吉でも信長と勝頼を
説得なんてできるわけがないのでこれはただの秀吉の嘆きですなwww

254 :日本@名無史さん:2005/06/24(金) 20:05:20
>>253
バカ級勘違いは、すでに始まっていたのかw
後年、その秀吉は信玄や謙信が生きていたとしても
自分の太刀持ち、傘持ち程度だろうと言い放ったそうだ。
人間、老いると本性が出やすいそうだからね、
所詮、その程度にしか見てなかったんだよ、多分ね

255 :日本@名無史さん:2005/06/24(金) 20:08:40
信玄が勝頼を陣代にした時点で武田家の没落は決まった。

256 :日本@名無史さん:2005/06/24(金) 20:09:29
>>254
抑えきれる自信があったから、降させようってんだろ?

257 :日本@名無史さん:2005/06/24(金) 20:20:16
>>256
では自惚れ

258 :日本@名無史さん:2005/06/25(土) 15:53:00
いやい254よ
そっちの方が酒の席やなんかのはずみで出てしまった発言だとどんなばかでも
予想できるだろ。
武田や上杉家臣が大勢生存してる中であのひとたらし秀吉がそんなそんな発言
するわけないだろ。
それに太閤になりゃ誰だって気がだかくなるわ。

普通に考えたら253の方が本音だろ。

259 :日本@名無史さん:2005/06/25(土) 22:52:51
その話って、酒でもはずみでもなく、寝る前に坊さんと語っている
途中に出た話で、その坊さんも調子が狂ってしまい困惑したってオチだよ。
ついでにいうと、信玄や謙信が早くに死んでくれて良かったよって
まずは言っていて、その後に傘持ちの話につながっていくよ。
詳しくは、関八州古戦録に載っている。

260 :日本@名無史さん:2005/06/27(月) 07:39:23
259サンクス
こういうところは、さすが日本史板というべきか。

でも、っていうことは見方によっては秀吉は信玄よりもかつよりを
高く買っていたと読み取れなくも無いエピソードだな


261 :日本@名無史さん:2005/06/27(月) 11:25:53
>>260
・・・・・。

262 :日本@名無史さん:2005/06/27(月) 19:39:37
>>261
お前の気持ちは良く分かる。
踏み止まるんだ。

     _  
    .ノ^ yヽ、
    (。・-・)
    ./  l |
"""~""""""~"""~"""~"

263 :日本@名無史さん :2005/06/28(火) 00:26:38
家を滅亡に追い込んだのは事実
勝頼は統率力、カリスマ性、政治力がなかったが高いプライドだけはあった
雑魚以外の何者でもない

264 :日本@名無史さん:2005/06/28(火) 01:37:50
長篠に関しては、勝敗というより戦後処理の方がまずかったんだろうな
やはり、穴山は首刎ねるか腹を切らした方が、良かったんじゃないかなと…
普通ならそうするだろうし、信玄でもそうしただろうと。

結局、身内には甘い、あんなことされても満足に処罰もできないヘタレって
感じで、他国はともかく武田家臣団や領国内では評価されたんじゃないのかな?
その穴山も、勝頼が思うほど義理堅い人間ではなかったしね

265 :& ◆d3P/lw/hxo :2005/06/28(火) 14:34:58
信玄が義信を自刃に追い込んだのが、そもそもの間違いだね。
(駿河侵攻で、武田家自体が滅亡の危機に瀕したしね)
義信は主スジだったけど、諏訪四郎だからね、同じレベルの同僚だ。

266 :日本@名無史さん:2005/06/28(火) 15:25:44
馬場って設楽が原で死ぬ必要なかったのに
わざわざ死んだって聞いたことがあるんだが本当?
他のやつと違って一人でずっと違うところで戦をみてて
最後に逃げることもできたのに死んだとかなんとか。
だとしたら何でそんなことしたんだろと、、、。

267 :日本@名無史さん:2005/06/28(火) 15:43:01
武田信玄が嫡男義信を自刃に追い込んだのは織田信長に唆されたから。
信長との同盟交渉直後に義信は幽閉され飯富は粛清される。
そして織田と武田はめでたく同盟する。

これにより織田信長は美濃を平定し足利義昭を奉じて上洛に成功する。
これに対し武田信玄は駿河平定に挑むが北条氏康と果てしない抗争を演じ無駄に時を費やす。

何故、武田信玄は織田信長との同盟という外交方針を選んだのか?
駿河という餌に食いついてしまったためであろう。
義信を自刃に追い込み、上洛という夢まで犠牲にしてまで得たものとは一体何だったのか?


嫡男義信の死により正当な後継者を失った武田家臣は信玄を盲目的に崇拝することで団結力を強める。
勝頼を助け武田家を盛り立てようとする老臣はこの時点で絶滅したと言えよう。


268 :日本@名無史さん:2005/06/28(火) 16:07:40
義信は病没

269 :日本@名無史さん:2005/06/28(火) 16:07:54
>>266
撤退というか、総崩れ時に殿(しんがり)を務めると、死傷率は非常
に高くなるので、べつに自分から死を選んだわけではないでしょう。
(逆に、追撃側の方死傷者が多かった最上領からの撤退戦での直江山城のような妙な例もあるが)

270 :日本@名無史さん:2005/06/28(火) 16:12:54
>>268
東光寺に幽閉中に自害(自刃)させられたというのが通説。
(一部には幽閉中に病没という説もある)


271 :日本@名無史さん:2005/06/28(火) 16:22:57
何を以って通説というの?

272 :日本@名無史さん:2005/06/28(火) 16:32:14
>>271
東光寺では自害説を通説にしていたが。

273 :日本@名無史さん:2005/06/28(火) 21:13:46
何を以って通説というの?

274 :日本@名無史さん:2005/06/28(火) 22:07:59
マジレスすると、「多数決」

275 :日本@名無史さん:2005/06/28(火) 22:09:50
通説もわからん奴は放っておきなされ。

276 :日本@名無史さん:2005/06/28(火) 22:21:53
>>273
世間一般の「通説」:(是非は関係なく)社会に流布している説を指す

史学会の「通説」:過去から(高柳氏など)唱えられてた、手付かずの説を指す

2ちゃんの「通説」:自分が知ってる話を正当化、肯定するために使われる
※例...これは通説だ、これを証明する論拠はどこにでもある、否定したければ反証だせ


277 :日本@名無史さん:2005/06/28(火) 22:24:39
カツヲリはザコだ。
これは通説だ、これを証明する論拠はどこにでもある、否定したければ反証だせ

278 :日本@名無史さん:2005/06/28(火) 23:03:28
277
誰だって?

279 :日本@名無史さん:2005/06/28(火) 23:05:19

文盲か?カツヲリとちゃんと書いてあるだろうが。

280 :日本@名無史さん:2005/06/28(火) 23:17:27
カツヨリだろ?

281 :日本@名無史さん:2005/06/28(火) 23:19:14
ちがう。カツヲリ

282 :日本@名無史さん:2005/06/28(火) 23:20:09
>>43
すごい亀レスで申し訳ないんですが、
>>ttp://www2.ttcn.ne.jp/~history/collaborate/nagashino/content.htm
あたりを見られるとよく分かるかもしれません。

武田の騎馬隊の虚構とかよく分かりますよ。

283 :日本@名無史さん:2005/06/28(火) 23:24:53
281
勝頼=カツヲリって読むのか?

284 :日本@名無史さん:2005/06/28(火) 23:59:04
ともかく死に方は雑魚だね。
まともに戦ったのは仁科信盛だけだったし、戦場で死ぬのならともかく、天目山で自害とは。

285 :日本@名無史さん:2005/06/29(水) 00:34:18
細かいことをいうようだが、天目山ではなくその手前。
遣られ方はザコかもしれないが、天目山を死に場所に
選んでいたとすれば、陣代とはいえ武田家を背負って
いたのだから、立派といえなくもないだろ。

286 :日本@名無史さん:2005/06/29(水) 10:03:44
>>284
信盛・・・って、長野県の人?

井上靖「天目山の雲」は名作だ。

287 :日本@名無史さん:2005/06/29(水) 10:51:49
>>286
仁科信盛は勝頼の弟

288 :日本@名無史さん:2005/06/29(水) 12:23:13
カツノリ?

289 :日本@名無史さん:2005/06/29(水) 16:41:23
>>287
ああ、そういう疑問じゃなくて、
長野県の県歌「信濃の国」では仁科五郎信盛と読み込まれてるので
盛信でなく信盛と書いた284は長野県の人かな?と思ったんだよ。

290 :日本@名無史さん:2005/06/29(水) 18:02:41
>>289
そうか、どっちが正しいのかな。(信盛、盛信)
ググルとどちらでも出てくるようだ。信長は長信ではないので、どちらかが
間違っているとは思うが?
ちなみに、生まれは東京。育ちは東北(主に秋田)、学生生活は京都でした。


291 :日本@名無史さん:2005/06/30(木) 00:39:36
五郎は、盛信の方が正しいと思われ。
因みに、彼は武田晴清(春清)という名もあったぞよ。

てか、いい加減↓に移動してください。
http://hobby8.2ch.net/test/read.cgi/warhis/1118993785/l50

292 :日本@名無史さん:2005/06/30(木) 11:58:01
勝頼を評価するか否かはさておいても、擁護するだけのものはあると思いますよ。

信玄死後の武田家が不安定であった要因には、信玄の配慮にあります。
幽閉された義信が歿したのは永禄十年(1567年)十一月ですが、それまでの
勝頼は永禄五年(1562年)に元服し高遠城主となってよりこのかた諏訪で過ごし、
殆ど一城主としての扱いにすぎず、信玄譜代の甲斐の重臣や国人衆とは、
繋がりがありません。

(俗に長坂釣閑斎(虎房)が信玄歿後の勝頼側近におさまり佞臣性を発揮したと
いわれていますが、長坂釣閑斎は天文十八年(1549年)から諏訪郡代として
高島城に移されている事、また長男・源五郎が義信側近として誅殺された事で
勝頼と大きく接近したといわれています。
ただし>>100さんのいう、長篠での主戦派として開戦を主張した事に関しては、
当時の長坂釣閑斎は駿河におり、また勝頼から長篠合戦前日付の書状を発し
ていることから、創作であるといわれています。)

信玄が勝頼を甲府に迎えたのは、実に元亀二年(1571年)という遅さで、義信
死後から4年もの間、武田家は後嗣が不在であったという事になります。
当時の武田家中において勝頼はあくまで諏訪勝頼(一城主)に過ぎず、それは
信玄が権威づけのため、その前年に将軍義昭に、勝頼の官途・御一字をもとめ
ている事からも察せられ、それほど勝頼と家臣団との親密性が希薄であった事、
義信の死で家中の動揺が大きかった(信玄は家臣数百名へ起請文を要求した)
事からも察せられます。

293 :日本@名無史さん:2005/06/30(木) 11:58:34
そのような事情を背景に勝頼を甲府に迎えた信玄ですが、いまいち腰が定まり
ません。
信玄は連名で文書を発給するなどして勝頼が後嗣として認知されるように腐心
しましたが、その一方では義信が歿した永禄十年(1567年)に生まれた勝頼の子
には信勝と命名しており、勝頼の立場は終始微妙であったといわざるをえません。

更にいえば、信玄は、あくまで勝頼を信勝成人までの陣代として扱い、遺言に
おいても、信玄は勝頼に武田の旗の使用を認めず、大一文字の旗を用いるに
とどめさせ、その他にも発給文書など、あらゆる面で制約をうけた格好となって
しまい、厳密には最後まで勝頼は諏訪勝頼に過ぎなかった事が窺えます。


信玄生前の(家臣団の反対にあった益薄い)織田との外交政策、三国同盟の
破棄と駿河平定の長期化、軍役負荷、経済面の停滞、国人衆との関係、上杉・
北条間の外交失策、など挙げていけばキリはありませんが、これらを全て勝頼の
責任に帰すのは無理です。
勝頼も信玄に振り回された犠牲者というべきです。
往々にして対外政策(失策)に重点をおいて論じられますが、勝頼の立場が内部
で不安定であった事を忘れては語れません。

信玄・勝頼を論じるにおいて『甲陽軍鑑』を信用できないとして切り捨てるむきが
ありますが、その一方で、別説を披露しようにも『甲陽軍鑑』以上に信用のおけ
ない史料に拠っていたり、単なる主観や推論であったりもします。

長文となり、鬱陶しくてすみません。

294 :日本@名無史さん:2005/06/30(木) 14:02:01
292,293文うまいな?
なんかの形で研究とかしてる人?

あと95〜97の文について考察してみて欲しいんだけど、、。
なんとなく、いいたい事はわかるんだけどいまいち文章がよくわからん。
292,293時間あるときでいいのでよろしく。

295 :95:2005/06/30(木) 14:03:08
俺思うんだけどな、はじめから天下を取れる器の武将なんてのはいないんじゃないかと
思うんだよ。
信長才能はあったと思うんだけどああいうやり方だからああいう死に方するのは半ば
運命であったといえると思う。
秀吉だって家康だって育っていく過程ですこしずつ成長してあそこまでの人材になったと
思うんだよね。
家康だって若いころから苦労して、そして戦いを経て失敗や成功からすこしずついろいろ
と得て天下人へとちかずいて行っている。
そして、忘れないで欲しいのがそうした人材は譜代の家臣の忠誠というものに
とても恵まれている。
どの時代でも覇者になるやつはそうだろ?
この点はどんな歴史学者でも否定できないと思う。


296 :96:2005/06/30(木) 14:03:57
そこで、勝頼をみてみたい。
勝頼が当主になった当時の年齢は家康・秀吉・信長もみんな一介の田舎の大将
としての資質しか持ち合わせていない年齢だと思う。
この3人や他の勝ち組武将もそうしたところから経験を得てすこしずつ大きくなって
言っているわけだ。
その、田舎侍の年齢での勝頼の活躍は他のやつにけして見劣りしないものだと思う。

そして、譜代の家臣の忠臣という観点でみていくとこれが勝頼には圧倒的にない。
信玄がのこしてしまた間抜けな遺訓、信玄信仰の信者達、諏訪家からという血筋、
それに付随する親類集のわがまま。それから武田家家臣全体にどうも必死になって
家を守るといった心が見えない。これは寄り合い所帯の甲斐という国柄にも原因が
あると思う(最後の小山田を武田家臣の裏切りまくりが見事にそれを物語っている)。

それから、もう一つ忘れないでもらいたいのは信玄の時代には豊富な財力があった。
それは、金山によるものだがちょうど勝頼の代になるころにこれが底をつきだしている。
おとなりの徳川・織田・上杉には親父が散々喧嘩を吹っかけている。


297 :97:2005/06/30(木) 14:04:47
こうした悪い条件をすべて背負い込んだ形で勝頼の代ははじまっている。
もちろん広大な武田領、最強の騎馬隊とやらは残されてたのかもしれないが、
さらに不幸なことにこの時代ちょうど騎馬隊は時代遅れなものになる時だった。

そんな中での勝頼の戦いはどうだろうか。彼は善戦したと思う。
はっきり言ってあの武田家をついでなんとか命脈を保てる武将はいないのでは
ないだろうか。
唯一86のような手があるがそんなことは家臣の誰もが許さないしそれこそほん
とうのヘタレだ。
勝頼はいろんなジレンマや悔しいおもいを必死にこらえて戦っていたはずだ。
何せ彼は当主であって当主でない立場に最初に追い込まれている。
最初の印象というものはとても重要なのはいうまでもない。
そして、勝頼は実は逃げようと思えば逃げられる立場にいた。
けど、勝頼はそれを最後まで選ばなかった。
勝頼は男の中の男だと思う。

298 :日本@名無史さん:2005/07/02(土) 01:04:01
まぁしいていうなら、信玄が勝頼に帝王学を学ばせてなかったからだろうな・・
もともと勝頼は諏訪の姫の子供だったからな、義信が在命中は諏訪を収めてたから無理もないが
実際は勝頼の子供信勝が信玄の後継ぎとされてて勝頼は陣代って言う風に決められたから滅亡も無理はない・・
 家臣団との結束がなかなかできてかったし家督相続後に信玄のやり方を急に変えたから反発などがでた・・
結局は信玄の後継者の育成の失敗が武田家の滅亡に繋がった・・
 まぁ義信を死なすなんて思ってなかったろうから・・

299 :日本@名無史さん:2005/07/02(土) 01:05:08
騎馬隊って時代遅れか?伊達の騎馬鉄砲隊などもあるのだが・・

300 :日本@名無史さん:2005/07/02(土) 01:07:49
300get!

>>299
伊達も時代遅れだろう。

301 :日本@名無史さん:2005/07/02(土) 13:58:55
>>296

三戦版に戻れw
程度が低すぎる。

302 :日本@名無史さん:2005/07/02(土) 16:22:30

程度の高い君の御高説を聞かせろ。
すぐにだ。

303 :日本@名無史さん:2005/07/02(土) 23:33:50
296の意見には賛成だな、義信が跡目を継げば家臣みたいな立場から、義信自刃によって信勝の後継人=信勝の元服までの武田の総帥になったんだから信玄譜代の家臣は使い難い、かなり苦労したろうな〜

304 :日本@名無史さん:2005/07/02(土) 23:37:26
陣代バカは甲陽軍鑑に浸っていなさい

305 :日本@名無史さん:2005/07/03(日) 21:37:45
甲陽軍鑑なんて見てるのか?

306 :日本@名無史さん:2005/07/03(日) 22:08:21
>>304-305は何をたよりに御高説を披露してくれるんだろう

口だけじゃないことを願うばかり

307 :日本@名無史さん:2005/07/04(月) 00:05:54
どうせ自己中理論しか言えんだろ。

308 :日本@名無史さん:2005/07/04(月) 04:07:38
>>300
いやむしろ伊達こそが時代遅れだろう。

309 :日本@名無史さん:2005/07/05(火) 00:35:31
>>296
>そして、譜代の家臣の忠臣という観点でみていくとこれが勝頼には圧倒的にない。

根拠は?跡部勝資や長坂釣閑斎、土屋宗三は違うの?
内藤昌秀が喧嘩するぐらい親密だったはずだが。
長篠で殿になって死んだ馬場達も信玄信者ってことで違うのか?
長篠は集団自殺説でも採るの?

>それは、金山によるものだがちょうど勝頼の代になるころにこれが底をつきだしている

根拠は?
黒川金山以外にも金山あるよ。
そもそも金山を武田が直轄していたかどうか明らかでないのに見てきたかのように自信満々ですね。

>もちろん広大な武田領、最強の騎馬隊とやらは残されてたのかもしれないが

日本に騎馬隊はない。信玄の代からこれからは鉄砲が重要だから用意しろって軍役に載っている。




310 :日本@名無史さん:2005/07/05(火) 02:10:57
>>309
疑問なのは、なぜ高天神城の後詰にいけなかったのか?金山の採掘量
がへり、遠征費もひねりだせなかったのでは?

311 :日本@名無史さん:2005/07/05(火) 18:58:28
時期的なもんじゃない?兵士のほとんどが農民なんだからさ、田植えや刈り入れ時期は戻らなきゃ次の年はどうすんの?

312 :日本@名無史さん:2005/07/05(火) 21:27:56
>>310

救援にも行けなくなったのは誰かの浅慮で北条とも戦う羽目になったから。
まあ高天神城が完全に敵中に孤立した位置にあるのも原因だろうけど。
高天神城に戦略的な価値はあまりなかったんじゃないかな。

313 :日本@名無史さん:2005/07/06(水) 10:05:48
>高天神城に戦略的な価値はあまりなかったんじゃないかな

314 :日本@名無史さん:2005/07/07(木) 03:19:26
313
多分312はああなってしまった時点での武田家において
高天神城の戦略的な価値は俺らみたいな冷静で客観的に歴史を
検証できる立場のやつからみたら戦略的な意味はなかったのでは
と言いいたいんだと思う。
ただ、武田家には武田家の事情があるだろうからほいっと捨てるわけには
いかなかったんだろ。

313は、文のあげあしを取るような陰険なことをする前に
戦略的価値がどのようにあったのかをついでに解説していけ。

315 :日本@名無史さん:2005/07/07(木) 11:18:42
>>311
農兵といっても農民全員を率いて戦っているわけではない。
別に刈り入れで兵をひく必要はないし、刈り入れ時期に戦っていた例などは探せば
いくらでもある。働きざかりの農民全員を動員できるなら武田軍は10万人以上動員可能だ。


316 :日本@名無史さん:2005/07/07(木) 15:25:24
働きざかりの農民全員を動員できるなら、確実に20万いくよな。
しっかし、兵士のほとんどが農民だと思ってる無知な奴がまだ居るとは驚いたよw

317 :日本@名無史さん:2005/07/07(木) 16:05:36
20万?ぷっ( ̄▽ ̄)夢物語だな、
実際には無理。

318 :日本@名無史さん:2005/07/07(木) 16:12:01
日本語読解力の致命的な奴がおるな

319 :日本@名無史さん:2005/07/08(金) 00:25:58
戦国武将で最大動員数トップは誰なんだろ?
やっぱり秀吉?武田や上杉はどの位動員した事あるの?

320 :日本@名無史さん:2005/07/08(金) 12:04:41
>>319
小田原攻めでは秀吉は20万人、謙信は10万を動員した。
信玄が指揮した最大兵力は、多くても3万程度だろう。

321 :日本@名無史さん:2005/07/08(金) 16:31:19
久しぶりに見たら昔書いた俺の文がコピペされててびっくりしたよ。
>>309
明日から出張でしばらくレスできんが近いうちに必ずレスする。
すこし待っててくれ。
そして、俺もすこし知識が乏しいところもあると思うから
そのときはまたぜひレスして欲しい。

322 :日本@名無史さん:2005/07/08(金) 17:38:16
無知ですまんが、信長は武田家を根絶やしにしようとしてたんですか?
それとも和睦も選択肢のひとつにいれてたんでしょうか?

323 :日本@名無史さん:2005/07/10(日) 00:26:28
勝頼=旧日本軍

324 :日本@名無史さん:2005/07/10(日) 00:38:36
>>322
根絶やしにする気は無かったんじゃないかな?
竜宝は助かっているし(後追いしたけど)盛信の子が、油川の家に匿われていたけど
信忠は執拗に追いかけることもせずに無事だった。
勝頼の子供も信勝以外は皆助かっている。
あと、執拗に武田狩りしたというけど、これは徳川のプロパガンダっぽい。
もししていたとしたら、あんなに武田遺臣が残っているわけないだろうから。

325 :日本@名無史さん:2005/07/10(日) 08:00:29
>>322
合理的に伊勢を取った信長としては逆らわない限りは殺さないから
根絶やしはしないよ。逆らったら凄まじいけど

326 :日本@名無史さん:2005/07/10(日) 10:24:52
>>324
盛信の子供について詳しく教えてもらえないかな?
初耳だったんで…

327 :日本@名無史さん:2005/07/10(日) 12:23:33
>勝頼の子供も信勝以外は皆助かっている。

これも詳しく。


328 :日本@名無史さん:2005/07/10(日) 13:08:45
>>325
そういえば、信長って躑躅が崎館の再建を命令しているんだよな
河尻アボーンで頓挫したけど
根絶やしの話を書くサイトがあるけど、そのくらい憎かったら
そんなことするかなと・・・

話はズレるが、信忠の戒名も最初は景徳院だったというし(信長は天徳院)、
勝頼の院号と菩提寺が同じ景徳院。この寺にある信勝の戒名は織田家の戒名と
類似点あり。偶然にしてはなんか気になる

329 :日本@名無史さん:2005/07/10(日) 15:45:37
信長も勝頼も光秀も首見つかってないから、実は生きてて案外酒でも飲んでたんじゃねーの

330 :日本@名無史さん:2005/07/10(日) 16:56:33
>>329
周りの家族郎党が自害した後、
勝頼は、体力を消耗して鎧櫃の上に座っているところを、
織田の兵士に見つかって槍で胸を一突きされて首を刎ねられているよ

331 :日本@名無史さん:2005/07/10(日) 19:58:16
>>330
それ、なんかすごい間抜けな光景だな。

332 :日本@名無史さん:2005/07/10(日) 20:28:43
まあ、あの真田幸村だってそんな感じだったらしいから仕方あるまいよ

333 :日本@名無史さん:2005/07/10(日) 21:01:57
なぜ家来達は勝頼を見捨ててさっさと遁世しちゃったの?
なぜ勝頼はいざぎよく切腹しなかったの?
実は腰が抜け果てて震えてただけなんじゃないの?

334 :日本@名無史さん:2005/07/10(日) 21:39:12
結果論だが、徳川秀忠みたいな凡将だったら、武田はもっと
続いていたかもな 結構能力があったものだからハリキリすぎた
戦争をせずに、新府もつくらずに専守防衛で行ったら長持ちしたかも?
致命的なのは、黒川銀山の金が枯渇したことだろうな

335 :日本@名無史さん:2005/07/10(日) 21:45:13
長篠に敗けた直後とかならまだ再建の余地もあったが、
決定的なのは上杉の御舘の乱でしょ、この事件を契機に、
北条まで敵に回してしまった。

336 :日本@名無史さん:2005/07/10(日) 22:13:40
>>334
暴走するだけならノリでもできるわけだが。

337 :日本@名無史さん:2005/07/10(日) 23:48:00
>>331
更にいえば、当初の首実検では他人の首と取り違えそうになるところ、
討ち取った者の痕跡で漸くこぎつけた、という経緯だったはず。

338 :日本@名無史さん:2005/07/11(月) 00:00:06
足軽の首と間違われてたわけか。
貧相だったんだろうね、勝頼さんw

339 :日本@名無史さん:2005/07/11(月) 00:29:05
>>338
貧相というより取った首が多すぎただけ
でも、この記述は脚色の可能性が高いらしいけどね

340 :日本@名無史さん:2005/07/11(月) 01:47:30
上杉景勝のミラクルなのか
武田勝頼がダメダメなのか
景勝>>>氏政>>勝頼>氏真


341 :日本@名無史さん:2005/07/11(月) 02:03:31
北條を敵に回したというより、
敵に回るようにしむけたのは氏政の方。
逆恨みもいいとこだと思うが・・・

342 :日本@名無史さん:2005/07/11(月) 13:24:57
>>341
まっ、そのおかげで弟は死んで、妹まで勝頼と共に自害して、
最期の手紙でお恨み申し上げますとまで言われる始末。
信長も、本能寺が無ければ本当に娘を嫁がせたかは疑問なところだ。

343 :日本@名無史さん:2005/07/11(月) 23:32:04
氏政も同じように死んでるからいいんじゃねの

344 :日本@名無史さん:2005/07/12(火) 00:22:08
信長も家来に殺され、武田と同じあわれな末路。

345 :日本@名無史さん:2005/07/12(火) 01:07:53
それを言い出したら家康とか関ヶ原勝ち組とか以外キリがない。
しかし信長はともかく、
信長亡き後の織田家の酷いへタレっぷりはもはや失笑モノとゆーか・・・
一度は天下の覇権に手をかけた家がねぇ。
織田スキーな自分でさえ、武田の滅亡の方にまだしも心惹かれるよ。


346 :日本@名無史さん:2005/07/12(火) 01:09:40
たしかに、織田家には後継者がなさすぎ・・・。

347 :日本@名無史さん:2005/07/12(火) 01:12:19
信忠が生き残っていればどうだっただろうか。


348 :日本@名無史さん:2005/07/12(火) 01:16:35
345ですが、本能寺で官僚機構が一夜でほぼ瓦解、
死亡した嫡男以外の庶子は徹底差別化したゆえの継嗣問題etc
汲んだ上で云ってます。いちおう。スレ違いぽくなってスマソ

349 :日本@名無史さん:2005/07/12(火) 01:18:51
>>345(348)
律儀にも、捕逸スマソ…。


350 :日本@名無史さん:2005/07/12(火) 01:53:33
信忠生きてたらフツーに織田幕府成立だろう
毛利とはあのまま講和、秀吉は一代限りで織田に戻ってくるから問題無し
森長可や団忠正、斎藤新五郎あたりの信忠直属の若い世代も育ってきてるし
あと、信忠と松姫の間に男子が生まれれば一悶着ありそうな気もするが
親族筆頭は勝長になるだろうし、武田系遺臣も多く流れてくるだろうしなぁ
どのみち勝頼の評価は芳しくないだろうな。武田はともかく

351 :日本@名無史さん:2005/07/12(火) 02:15:56
>>350
>信忠と松姫の間に男子が生まれれば一悶着ありそうな気もするが
なんでだぽ?例えばどういったことがおきると思っているぽ?

>どのみち勝頼の評価は芳しくないだろうな。武田はともかく
意味がよくわからないぽ。むしろ逆ではないのかとも思うぽ。
少なからず、今よりもう少しまともに評価されているかもしれないぽ。

352 :日本@名無史さん:2005/07/12(火) 02:18:07
織田は信忠に男子が生まれていなかったら信孝でまとまった気もする。

353 :日本@名無史さん:2005/07/12(火) 02:31:22
フツーに後継ぎ問題おこすかも知れないってこと
家光、忠長みたく
最愛の女の妻の子
その妻のバックには(おそらく吸収されたであろう)武田系の家臣団
+親族筆頭になったであろう勝長(信澄は信孝に殺されるだろうし、その罪で信孝を牽制できる。
もともと信孝は親族衆として順位低いし、信雄はアレな上、信忠と仲がよろしくない。反面勝長は信忠直属で無能では無いようである)
まぁ、信忠もそこら辺甘い人間とは思わないが


勝頼の評価は
武田は強い(そんな強い武田を倒した信忠様スゲー)
→そんな武田が滅びたのは勝頼が無能だったから(俺たち旧武田は有能なんだ)
こういう流れになるかと


354 :日本@名無史さん:2005/07/12(火) 02:48:42
>>353
ますますわけわからないぽ。
誰と誰が後継者で争うぽ?

勝頼に関しては、あまりにも単純すぎだと思うぽ。
なぜ武田が、あのような滅びかたをすることになったのかの
理由が実際よくわかっていないぽが現実だぽ。
信忠や勝長が生きていれば、そのあたりの真実もわかっている
だろうから、そんな流れにはまずならないと思うぽ。
史実でも、勝頼が無能だったなんて、織田方の記録には無いぽ。

355 :日本@名無史さん:2005/07/12(火) 02:48:54
>>328
>信忠の戒名も最初は景徳院だったというし
どこかにその戒名の位牌や供養墓でも残ってるのか?
スレ違いだけど、はじめて聞いたので気になる。
織田信忠の戒名というと大雲院があるよね




356 :日本@名無史さん:2005/07/12(火) 04:01:33
>>355
漏れもその話については読んだことあるよ。
『織田信長総合辞典・岡田正人編著』雄山閣出版の後ろの方に
もう一つの戒名として、この話を小さく載せていた(出典は確か兼見日記)。
墓や位牌までは知らないけど、日記の中で天徳院・景徳院の記述があって
確か阿弥陀寺に行った時の話だったと思う。
記憶違いだったらスマソ

357 :日本@名無史さん:2005/07/12(火) 09:45:03
>>354
誰と誰って…吉法師と松と信忠の間に子供がだよ
行間からわかりそうなものだが…(どうせ煽りたいだけで流し読みしてるんだろうけど)
織田の記録にはないって…
これも少しはそっちで考えてほしいんだが
武田の神格化をしたのは、徳川に仕えた旧武田系の家臣だよね
それは本来的には信忠の家臣になる筈だったと仮定して話している(この仮定は順当な筈)
だから史実では徳川の下で行なわれたことが織田の下で行なわれると話している
だから史実でも徳川期における勝頼の評価が芳しくない以上、それは多少の変更はあれ(織田の武田への虐殺と侮蔑は無くなるだろう。元から存在しないし)変わらない
信忠と勝長による研究?なんで彼らがそんなことするのか判らないね
泰平の殿様なら暇人だし、文化事業の一貫としてわからんこともないが
本能寺の変の時点で信長の事業を引き継いだのなら信忠も勝長も四方を駆けずり回る必要があるし
戦乱期に生まれた彼らが過去の敗北者にじっくりと目を向けるとは考えづらい


358 :86:2005/07/12(火) 09:49:39
297にある「86みたいな手」ってのが気になって
みてみたら



86 :日本@名無史さん :2005/06/08(水) 16:31:04
信長に土下座して全国お詫び行脚

だそうな。
アホか。86は。

359 :日本@名無史さん:2005/07/12(火) 13:13:38
>>357
なぜそこで吉法師?三法師の間違い?
仮に三法師なら、争いはまず起きないだろ。
正妻腹(松姫)と側室腹(塩川)だから、争うもなにもない。
例えば、伊達家がいい例。政宗の後を継いだのは愛との子で8男。
上に何人いようとも、正妻腹と側室腹というのはそれぐらい、
立場が違う。徳川家の奥関係と織田家の奥関係が同じ訳でもない。
家光と忠長みたく正妻腹同士の喧嘩も、結局、信長や信忠が
嫡男にどういった教育方法を取ったかにもよるし、仮に引き離しを
したとしても、松姫がどういう行動をとり教育したかで事態は変わる。

勝頼評価についても同じように、徳川の下で行われたことが織田家で行われるとは
限らない。354氏の文章で、なんで研究する?になるか疑問なところだが、
勝長みたく勝頼の傍にいた人間もいれば(実際仲も良かったといわれている)
松姫という妹もいる。その松姫の側には、盛信が一緒に落ちさせた勝頼を
見限った連中とは別の高遠城遺臣もいるし、勝頼が落ちる松姫につけた遺臣もいる。
これらの遺臣は、間違いなく信忠の家臣になっただろうし、
信玄を変に神格化し、勝頼を卑下した連中より、大事にしたろうから、
直に勝頼をそばで見てきた人間の目から見た勝頼ということで、
彼に対しての評価も、また違ったものになっていたとも思う。

360 :日本@名無史さん:2005/07/12(火) 13:32:49
松姫出産話にはついていけないので、サヨウナラ。

361 :日本@名無史さん:2005/07/12(火) 14:01:28
>>360
やはり現れましたな
松姫の話になると出てくるヒステリック粘着腐女子さんw







                  はいサヨウナラ

362 :日本@名無史さん:2005/07/12(火) 14:11:10
武田・織田スレに必ず現れて
2人は密会してて子供も居るんだと騒ぎ続ける奴がウザー。

そんなに自信がある説なら本でも書いて世に問うてみたら?

363 :ほんま、いい加減にしいや!:2005/07/12(火) 14:41:26
>>362
密会や子供については、三戦の本スレですらもう騒いでないやろ。
騒ぎ続けているのは、松姫の話が出てくれば文脈関係なく、
こうやって話を振っている、おまいみたいな椰子だと
いい加減に気づけや、ヴォケ!


364 :日本@名無史さん:2005/07/12(火) 14:46:03
>>357
妄想乙!
歴史を捏造するのはチョンの習慣病

365 :日本@名無史さん:2005/07/12(火) 15:21:29
>>362
秀信末裔の家では、そう伝っているらしい。
末裔の方が、その伝承をまとめたのを本にしていたような。
確か入手も可能だったと思う

>>363
同意。松姫という単語が出てくると362氏みたいな人が
出てくるような気がして、そういう話題外の松姫や信忠の話をしたくても
おちおちレスできない。実際、このスレでも於竹の方のくだりで
そういう話もあるってだけなのに、噛み付いた奴もいたぐらいだし。

366 :日本@名無史さん:2005/07/13(水) 00:16:05


>秀信末裔の家では、そう伝っているらしい。


大きく息を吸ってぇ・・・・・・・・・・・・・・・・・「  ハ ァ ? 」



バカ乙!

367 :日本@名無史さん:2005/07/13(水) 00:47:48
またループか・・・
366もバカという前に、少しはググれよ
一つはっきりと言えることは、密会や子供云々は別としても
当の織田家が、後年幕府に提出した家系図では松姫を
信忠の室と記載して、幕府もそれを認めたってことは事実だろ。
(寛永・寛政共に)
そして、一方の武田家側も、武田保存会の顧問で武田史研究の
第一人者である佐藤氏が子供の話に肯定的な記事を書いても、
保存会はなぜか抗議することもなく(織田家も同じく)、顧問を外されるような
こともなかった。保存会メンバーの家の中には、そう伝わる家もあり
実は認められているという奇怪な噂すらある。(真偽は知らん)

400年以上たった今となっては事実は闇の中
白黒つけたいなら、高野山奥院にある秀信の墓と信松院にある松の墓から
遺骨を拝借して、DNA鑑定するしかない。

368 :日本@名無史さん:2005/07/13(水) 02:58:43
勝頼の話に戻ろうよ…

369 :日本@名無史さん:2005/07/13(水) 03:21:33
>>368 賛成!

370 :日本@名無史さん:2005/07/13(水) 10:53:41
>>367


大きく息を吸ってぇ・・・・・・・・・・・・・・・・・「  ハ ァ ? 」



バカ乙!



371 :日本@名無史さん:2005/07/13(水) 13:38:51
勝頼は決して暗愚な武将ではなかったと思う。
ただ父信玄があまりにも大きすぎただけ。

372 :日本@名無史さん:2005/07/13(水) 13:41:45
いい加減に汁!

373 :日本@名無史さん:2005/07/13(水) 14:30:09
少し↑のレスも読まない奴もいれば、罵りあったり、煽ったり、
当人以外は冷めた目で見てるって気づけば?

374 :日本@名無史さん:2005/07/13(水) 15:20:44
>>1
雑魚ですよ。以上。

375 :日本@名無史さん:2005/07/13(水) 15:33:52
武田家が滅んだのは、誰のせいでもないだろ。時代の流れ。
武田家に限らず、朝倉、浅井、齋藤、北條、豊臣、
滅んではいないが家臣に乗っ取られたも同然の織田etc
結末が似たり寄ったりの家は、他にあるにも関わらず勝頼ばかりが
責められるような風潮は如何かと・・・
いちいち誰かに責任を押し付けるようなことではなかろう

376 :日本@名無史さん:2005/07/13(水) 17:16:26
これから以下の3つのタイプの低レベルは完全に放置でいこう。
@370みたいに自分の意見と根拠も持てずにただ人を小ばかにするだけの低脳。
A374みたいに自分の意見と根拠も説明できないような無職スレか童貞スレにでも
行った方がいい低脳。
B上の2つよりは幾分ましだが、371のようなすこし上のレスも読んでない
めんどくさがりや。
そんな書き込みはあってもなくても一緒だ。


正しいかどうかは別として367乙ね。
370は悔しかったら小学生みたいなことしてないでしっかり
根拠をもった反論をしてみろ。



377 :376:2005/07/13(水) 17:23:04
自分の意見は書かずに他人の論評しかしない>>376も放置してくれ。

378 :日本@名無史さん:2005/07/13(水) 17:29:56
376がどいつかはだいたいわかるけどな。

379 :日本@名無史さん:2005/07/13(水) 23:32:56
>>375
同意。勝頼を武田家滅亡で非難するなら、乱暴な言い方だが、
浅井長政あたりは、非難されて然りかもしれん。

>>377
おまい本当に376氏か?もしそうなら、結局何がしたいんだ?

380 :日本@名無史さん:2005/07/13(水) 23:52:19
>>375、379

それは感じ方の違いでしょ。
悲劇の将ではあると思うけど、長篠の戦いがある限り名将には程遠いし、馬鹿評価されるのも仕方ないとすら思っている。
人物の評価は結果に依存せざるを得ないものだから。


381 :日本@名無史さん:2005/07/14(木) 00:28:06
>>380
結果に依存せざる得ないのなら、なぜ勝頼ばかりが非難されるのか?
>>375>>379が言いたいのは、そういう意味じゃないのか?
俺もそこは前から疑問に思っていることだけど。

382 :日本@名無史さん:2005/07/14(木) 00:30:32
結果的に生き延びることが評価基準では今川さん以下になってしまうが
仕方ないのかな


383 :日本@名無史さん:2005/07/14(木) 00:39:51
>>376
泣くなよ園児

384 :日本@名無史さん:2005/07/14(木) 00:41:16
今川氏真はアホの代名詞みたいに言われるが、あの時代に
一応は家系を存続させ、自身は畳の上で死んだのだから、
それはそれでいいじゃないか。

385 :日本@名無史さん:2005/07/14(木) 01:03:51
>>381

別に勝頼ばかり批判されているなんて感じないってこと。

>>382
結果=お家存続、なんて言ってません。
長篠、戦略、内政外交、家臣統率の結果が悪いという意味です。

386 :日本@名無史さん:2005/07/14(木) 01:51:15
>>385
結局、結果=滅亡させたといいたいんだろw

387 :日本@名無史さん:2005/07/14(木) 02:23:04
勝頼はヨーゼフ2世となんとなくダブル

388 :日本@名無史さん:2005/07/14(木) 02:35:57
言い得て妙だな

389 :日本@名無史さん:2005/07/14(木) 06:35:56
>>384
漏れも同意。下手になにかすれば自分だけでなく、一族郎党皆殺しにされた
かもしれないのだから。自己満足のために迷惑をかけるよりも恥をさらしながらも
生きたのはそれはそれでいいと思う。後世に汚名を残すぐらい気付いてたと思ふ

390 :日本@名無史さん:2005/07/14(木) 14:03:09
今川の落日を見てたし、
(それも徳川でなく)織田の臣下に入る辛さも聞き及んでいただろうし。


391 :日本@名無史さん:2005/07/14(木) 14:37:57
その意味では織田信雄の後半生もなかなかのものだ。

392 :日本@名無史さん:2005/07/14(木) 18:38:09
傑物として逝ったものや
頂上で散ったものも格好いいけど、

時代に抗って無念の死を迎えた奴や
しぶとく、又はしたたかに生き延びた奴のほうが好きだけど。
自分はね。

393 :日本@名無史さん:2005/07/15(金) 01:09:29
>>356
遅くなったけど、レスありがと。
スレ違いで申し訳ないんだけど、お礼がてら・・・。

自分でもあれから阿弥陀寺ついて検索してたら
天正十年九月の言経卿記に阿弥陀寺での戒名・景徳院(信忠)云々の
記事があるらしい。(今度読んでみよう)
同年十月の秀吉主催の大徳寺葬では大雲院の戒名で行われた。
阿弥陀寺住持と秀吉の間に確執があったのは寺伝にもあるけれど
戒名の変化については伝承もなし・・・・のようです。
でも、阿弥陀寺の墓誌は大雲院なんだよね、
同寺は天正十五年に同志社の東側から西へ移転してるけど、
墓標はその当時のものと言われてるらしいです。

8月には京都に行くんで阿弥陀寺にも行ってくるよ。
勝頼の事じゃないのに長文だった、ゴメン、もう逝く。


394 :日本@名無史さん:2005/07/15(金) 19:34:23
>>387>>388
その人はどこの誰なの?

395 :日本@名無史さん:2005/07/15(金) 19:46:09
阿弥陀寺は一応、信長と信忠の遺体(遺骨?)を回収して寺に葬った事になってるじゃん

396 :日本@名無史さん:2005/07/15(金) 19:49:54
>>394
オーストリア

397 :日本@名無史さん:2005/07/15(金) 21:06:38
>>392
好きなのは結構だけど評価まで変えるのはやめてね。

398 :日本@名無史さん:2005/07/16(土) 01:31:44
偉大な先代の遺産をパーにしたのだから
どんなに勇猛な武将でも当主としては評価されないか


399 :日本@名無史さん:2005/07/16(土) 02:02:58
だから、このスレのいくつかの意見の一つとしてだがその
偉大な親父とやらが実は大したことなかったのかもっていう
感じになってるんだよ。

勝頼を後継者と指名してからの彼への態度とか義信のこととかな。
そういえば、信玄の西上はなんとなく秀吉の朝鮮出兵となんかかぶるな。

400 :日本@名無史さん:2005/07/16(土) 02:05:42
主体的力量を無視した暴挙

401 :日本@名無史さん:2005/07/16(土) 02:07:00
あれだけ勢力広げれば、大したもんだと思うがな。
勢力広げ維持するには、最低でも為政者として指導者として司令官として有能じゃなくては出来ないのだから。

402 :青猫:2005/07/16(土) 02:21:16
初めまして〜。
武田勝頼はザコ武将ではないです。
但し、総大将としての器はなかったみたいです。
現に犀ヶ谷の戦いで
山県軍(山県昌景)が13の首級しかとれなかったの対して
勝頼軍は63の首級をあげて、高坂昌信は「軍艦」の
中で「強過ぎる大将」と批判しています。
実は武田信玄が勝頼につけさせた(側近)が軍事面に疎く、
信玄が決めた側近ということで勝頼が信頼を置きすぎたこと
がのちの悲劇につながったということです。
義信が生きていれば猛将として活躍していたかも
しれませんね。義信の元には山県昌景の兄(飯富虎昌)が側近でしたしね。

403 :日本@名無史さん:2005/07/16(土) 02:38:41
勝頼の評価としては、やっぱり長篠が響いていると思う。

信玄についてなんだけど、駿河方面から西上するのではなくて
あくまで、三国同盟は維持して、美濃方面に勢力を伸ばしていくのは難しかったんですかね。
織田が武田に攻め入ったのとは、逆のルートで。

404 :日本@名無史さん:2005/07/16(土) 02:46:29
輸送がきつくない?

405 :日本@名無史さん:2005/07/16(土) 02:53:29
信長が美濃から信濃へ入れたのは、三河・遠江を家康が押さえ、北条も上野に侵攻し
多方面から侵攻したから、迎撃受けなかったのであって
単独侵攻は狭い場所なだけに、迎撃受けやすく、軍勢の多寡がさほど有利にならずに厳しいかと。

406 :日本@名無史さん:2005/07/16(土) 09:55:22
>>402よ。
勝頼には総大将としての器はなかったのか?

彼は総大将としても十分に様々な政策・外交策を試みてると思うのだが。
特に長篠以降真剣に取り組んでいるのがよくわかる。
勝頼は負けて外交の重要性を勉強したと言える。

ところが、謙信の死や北条の手切れを申告しているような不誠実な態度
など、あまりに不足の自体が多すぎたし、
家臣や得に親族集がまとまれなかったのは信玄の政策の失敗のつけ
によるところが多い。
っと、これは俺の意見だが反論・意見などのレスよろしく。

今書いててふと思ったんだけど本能寺の変で一番助かったのって上杉景勝だな。

407 :日本@名無史さん:2005/07/16(土) 10:02:42
信玄は弱いものいじめしかしてないな。
まあ、そういう時代だったんだろうけど強い奴には一回も勝ってない。
(上杉謙信・北条氏康・さらには長野業盛)
局地戦では勝っても領土を切り取るまでに至っていないというか。
挙句の果てには弱体化今川いじめと、義信殺しの暴挙。


408 :日本@名無史さん:2005/07/16(土) 11:17:20
戦国争乱の世の「弱い者いじめ」って・・・www

409 :日本@名無史さん:2005/07/16(土) 12:29:48
いじめ、かっこわるい。

信玄=最低のダサ男

410 :日本@名無史さん:2005/07/16(土) 13:49:04
雑魚ではないと思うよ。父が偉大過ぎただけ。武将派参謀役か、切り込み隊長、殿軍の力量がありそうな武将。総大将向きではないだけ。

411 :日本@名無史さん:2005/07/16(土) 21:02:01
もう過去のレスも読んでないレスばかりでうんざりなんですが。

412 :日本@名無史さん:2005/07/17(日) 01:13:45


だから言ったろ?ループばっかりで、そこから先へ進まないんだよ、と。



413 :日本@名無史さん:2005/07/17(日) 01:39:35
>>406
その北条を敵に回した外交が駄目ポとたたかれているわけだが、
織田徳川と戦っているのに、後背の北条と敵対してどうするのよ。
そして手を結んだ、上杉は全く頼りにならんし。
むしろ北条と一緒に潰せば、北も安定したかもしれんのにさ。
北条を敵に回したいなら、織田徳川と和睦でもしないとやってけないだろ。

414 :日本@名無史さん:2005/07/17(日) 02:53:23
>>413
影虎は氏直の弟だから、北条の力が関東+越後・越中と強大になるのを
恐れたというのが理由っぽいが、手っ取り早くは軍資金として春日山城
の黄金が欲しかったんだろう。長坂長閑、跡部大炊助が景勝から賄賂を貰った
という話もあるが、真偽は不明だ。それに、一応、景勝は自分の弟になるし、
力になってくれるかも?
只、上杉が柴田を筆頭とする佐々成政、佐久間守正、前田利家、の柴田軍団
はては、信忠軍団の越中への攻撃をささえるのに手がいっぱいで、あまり力に
ならなかったのは誤算?だ。

415 :日本@名無史さん:2005/07/17(日) 03:04:33
>>413
何回か出ている意見だが、北條と敵対したのは
勝頼だけに非があるわけではなかろうが。
敵に回したいというより、氏政が勝手に逆恨みしただけだろ
いい加減、氏政側にも非があったことに気づいたらどうだ?

416 :日本@名無史さん:2005/07/17(日) 09:39:51
北條を敵に回したから北條を・・・って
ホントいい加減、何度話題をループさせれば気が済むのか。


417 :日本@名無史さん:2005/07/17(日) 10:00:19
北条にしたら逆恨みどころか敵に回ってくれて
ありがとうぐらいじゃないのか。

>414
長坂、跡部が景勝に約束の黄金50枚を
渡すように催促してる書状が残ってるのでこの同盟で
黄金の取引きがあったのは確かだが
巷で言われてるように1000枚とか200枚の賄賂って
いうのはさすがに誇張され過ぎだろう。賄賂っていうのもこの2人を悪く書いてる
甲陽軍鑑からだから信憑性は…。
あと氏直の弟じゃなくて氏政だな。

418 :日本@名無史さん:2005/07/17(日) 10:43:00
賄賂出典は甲陽軍艦だったのれすか!!

419 :日本@名無史さん:2005/07/17(日) 11:57:29
ん?違ったっけ?
確認の為「上杉年譜」読み返してたらこっちにも
書いてあるな。黄金の枚数は書いてないが。
あの2人に賄賂贈って勝頼を味方にしましょう的内容。
もっとも上杉年譜自体、軍記を参考にしたような内容が多いから
史料としてはあまり信用できないけど。

参考までに年譜から引用
「勝頼ノ寵臣跡部大炊介 長坂長閑斎ハ寵遇他二超過シテ
甲府ノ政務ハ此両士帰スル由 兼テ其沙汰アレハ 彼両士二
厚ク賄賂ヲ与エ」

「跡部 長坂ハ天資貪欲ノ者ナレハ 賄賂ニ耽リ 
委細ニ唯諾シテ勝頼ニ達スヘキト云」

天資貪欲ノ者って跡部、長坂はとことん悪役ですな。

420 :日本@名無史さん:2005/07/17(日) 12:36:44
>>419サンクス

武田の次は間違いなく上杉、そしてすこしだけ時間稼ぎはできるだろうがそのあと
北条が織田に潰されるのは必至の流れだった。
上杉は北陸軍だけで十分だろうし、北条は滝川・川尻に散々押されまくって
小田原にこもってるところを毛利討伐から帰った信長が加わった織田軍によって
一気に終わりってな流れだろう。
その時点ではなんとか織田・北条が友好関係を保ったとしても豊臣にも臣従が我慢できずに
反抗して潰された北条のことだからこのケースでも同じことをやるのが落ち。

本能寺の変という全く予想のできない事故によって織田に潰されるのをまのがれたから北条は
織田の武田討伐戦の勝ち組みたくみられるかもしれないが全くそんなことはない。

北条・武田・上杉は3人で結束して織田・徳川にあたるしかなかった。
勝頼はそれをやろうとしていたが、
まったく不幸なことに肝心な北条に将来をみすえられる目や氏政に一国の大将
としての、器・能力・誠実さがまったくなかった。

でも、信長級の真の天才だったら謙信の死をも予測して動いたりするのだろうか、、、。


421 :日本@名無史さん:2005/07/17(日) 13:01:55
>>420
豊臣に臣従しなかったのは、信長以上の成り上がりである豊臣だからだろw
一種のプライドみたいなもん。
本能寺の変も起きず、信長の娘が氏直に輿入れしていたら、
氏政といえど、そんなバカはしないだろう。
織田へも氏政から接近しているし…

422 :日本@名無史さん:2005/07/17(日) 15:07:42
1番の逆賊は秀吉なのかも知れないな。
もちろん光秀もだけど。

423 :日本@名無史さん:2005/07/18(月) 07:36:21
たしかに氏政は一国の大将どころか、
一武将としての能力も危ない気がするね。

424 :日本@名無史さん:2005/07/18(月) 11:45:27
>>415
非があるとかそういう倫理的なもんじゃねーの。
国を残す為には、鬼畜生なことでもしなければならないんだからね。
相手にも非があるからといって、両面作戦を強いた勝頼は馬鹿以外のなにものでもない。
信玄が領土を割譲して、和平を求めたのはなんだったんだ。

425 :日本@名無史さん:2005/07/18(月) 13:44:01
信玄が今川を攻めたことで結ばれた越相同盟
勝頼は、その同盟を基に仲裁しようとしただけであって
馬鹿ではない。むしろ義を重んじた筋の通った方法。

426 :日本@名無史さん:2005/07/18(月) 14:01:09

ごめん、意味わかんない。

427 :日本@名無史さん:2005/07/18(月) 15:55:17
>>426
お館の乱時の、勝頼仲裁案のことかと思われ

結局さ、氏政にしてみれば武田は上杉と仲悪いし、同盟相手だし、勝頼は義弟にもなるから
自分の思い描くような対応をして、動いてくれるという根拠のない自信と変な甘えがあったんだろ。

428 :日本@名無史さん:2005/07/18(月) 15:57:35
>>421
秀吉が成り上がりだからって言うのは違うだろう。
秀吉の行った長宗我部、島津への甘い処置を見てしまったから
従うのなら一戦交えてからという考えが北条家全体に生まれたのだろう。

429 :日本@名無史さん:2005/07/18(月) 16:02:18
>>429
氏直は別としても、従うという選択は最初から無かったと思うが…

430 :日本@名無史さん:2005/07/18(月) 16:31:11
>>427
全くだ。北条がもうすこし時代というのがみれる連中だったらな。

>>429
もちろん、従うなんていう選択肢はなく織田との同盟という形でいこうとして
いただろうな。
でも、信長はああいうヘタレ一家には必ず厳しい態度で臨んでいる。
だから、いつか臣従をせまるかほぼ配下としての扱いしかうけないかのどちらかだ。
そしたら、あのおぼっちゃま氏政は堪えられなくなって同盟破棄なんて流れだ。

それから、秀吉の実力も見抜けず成り上がり者だからなんていうどうしょうもない
理由で従えない奴はもはや戦国大名としての資格は完全にない。

431 :日本@名無史さん:2005/07/18(月) 16:54:17
>>430
武田という名家の看板を背負っている関係上、おいそれと織田に臣従できなかったように、
伊勢の流れの北條という看板を背負っている氏政が、どこの馬の骨とも知れない奴に、
臣従できるはずもなかろう。

432 :日本@名無史さん:2005/07/18(月) 17:02:26
>>429
普通に考えてるだろ。
というか、北条以外が豊臣に従ってる状態で独立貫けるなんて
甘い幻想を氏政が抱いてたなんて考えるのは氏政を馬鹿にしすぎ。
まあ、下っ端なら何も考えずに徹底抗戦の人も居たかもしれないけど
上の人間は従うタイミングをうかがってたに決まってる。
長宗我部、島津への甘い処置が
負けても改易は無いという甘い考えを生んでしまったのだろうけど。

433 :日本@名無史さん:2005/07/18(月) 19:32:09
>>431
そうだろ?
だからこそ、あのとき武田・北条はしっかりとくむべきだった。

俺は、本能寺がおきなかった時の展開を言ってるだけな。
氏政が勝頼のように先の展開をよめるやつであれば
武田もああはならなかったんだよ。

434 :日本@名無史さん:2005/07/18(月) 19:34:09
ついでに、もう書いたがもう一回説明しておくと

武田・北条の同盟→2家とも守り通せた可能性がかなりある。
北条が武田と組まずに本能寺も起きなかった場合
→両家とも滅亡

ってのを説明したのな。

435 :日本@名無史さん:2005/07/18(月) 19:47:27
>>432
馬鹿にしすぎって言っても現にやつは考えてたんじゃないのか。
そもそも、氏政は勝頼との同盟のことや御館の乱などで物事が自分の
都合のいい方に傾くとなぜか妄想している癖があるような気がする。

多分、そんな感じで織田との同盟も対等な立場で続けていけると妄想
してたんだろ。
もう一回言っておくが、織田はああいうヘタレ大名には容赦ない態度で
常に望んでいる。
中国・北陸・北関東あたりが制圧された時点で間違いなく北条は臣従か
滅亡かの選択肢を選ばなければならなくなる。

436 :日本@名無史さん:2005/07/18(月) 20:06:11
>>433
組むべきであっても、氏政にその気がなかったのだから組めるわけがないと
何人かが指摘しているだろうがw

437 :日本@名無史さん:2005/07/18(月) 20:48:43
いつのまにか氏政スレに・・・w
とにかく家康が上洛しちまった時点で北条は対中央戦略練り直すべきったよ。
てか、せっかく氏規上洛させて一時期はいちおう臣礼の形とったのにな。
秀吉にしたってギリギリまで催促しまくり、家康まで口きいてくれていたのに、
氏政も氏直も上洛はせんわ、あげく関東惣無事令ブッチ切って名胡桃城事件。
天正16年の九州征伐終了で、もう残る大国といったら全国に北条家のみ、
雪崩をうって進軍してくる大軍を前にまだ改易はないと夢想して、
一戦のうえで矜持を保持しつつ、なお降伏のタイミングを計ってたというのかい?
やはり氏政は小田原城を頼んでの過信、状況判断のすべてが甘過ぎたとしか思えんよ。

また、伊勢氏以来の名血の誇りが最終的に秀吉の下風に立つのを許せなかったというならば、
それこそ切腹開城は本望でしょう。惜しむこともない。
まぁ後世から俯瞰して言いたい事言ってるが、家を守るというのはホント大変なことだよな。

438 :日本@名無史さん:2005/07/18(月) 21:35:52
北條討伐の話は別スレでやれ

439 :日本@名無史さん:2005/07/19(火) 01:03:05
北条の態度がどうであれ勝頼はなぜ自分から先制攻撃しかけてんだろう
家臣の支持失うきっかけの一つになったと思われるし

440 :日本@名無史さん:2005/07/19(火) 01:21:52
氏政は勝頼が徳川と、景勝が織田(柴田軍団)と戦って、押し込まれているのに、
対岸の火事だったわけだ。

441 :日本@名無史さん:2005/07/19(火) 01:54:53
むしろ火事場どろぼう
失敗したけど・・・

442 :日本@名無史さん:2005/07/19(火) 02:28:51
>>436
その組む気をなくさせたのは、勝頼だろうということだが。
あくまで織田と戦うなら、どんな犠牲を払っても口説かなければならない相手だからな。

443 :日本@名無史さん:2005/07/19(火) 02:33:59
>>442
>どんな犠牲を払っても口説かなければならない相手だからな。
口説けた時点で武田滅亡だと思ふ

444 :日本@名無史さん:2005/07/19(火) 03:02:07
>>442
勝頼のどんな態度が組む気を失わせたんろうか?
そのどんな犠牲を払っていてもというのが、臣従もしくは領土をよこせであってもか?
北條よりな考えみたいだから仕方ないことだが、勝頼が悪かった、氏政は正しかったみたいな
一方的な見方のレベル発言は、如何かなもんかな?

445 :日本@名無史さん:2005/07/19(火) 03:34:05
頼むから100くらい前のレスまで読んでそれからすこしだけ真剣に
考えてからレスしてくれ。もちろん、レスはありがたいんだがな。

>>436。お前よりたった2つ前の人のレスのコピペを3行はるが

武田・北条の同盟→2家とも守り通せた可能性がかなりある。
北条が武田と組まずに本能寺も起きなかった場合
→両家とも滅亡

という、ことに氏政が気がついてなかった。ってな話をしてるんだよ。

そこでもって余談で氏政がいかに先を見据える目がかけていたかという
話について北条の、特に氏政の話題がでてるわけだ。

だから今、氏政の話が展開されてるのは別にスレ違いではない。

446 :日本@名無史さん:2005/07/19(火) 03:38:15
つけたしだが、だからこそ北条に組む気がなかったとかの話ではなく
組むしかなかったのだ。

っていうか、あのときの状況を冷静に考えれば武田も上杉もなくなったあと
北条もやばくなるってのは簡単に考え付くことだ。
しかし、氏政が自分贔屓の妄想をしていた為にそれに気がつかなかったってなことな。

447 :日本@名無史さん:2005/07/19(火) 08:34:12
おまえ、どこまで何様状態?
組むしかなかった組むしかなかったっておうむ返しみたく繰り返すだけでは議論にならんな
そもそも氏政のあやふやな態度等について指摘したのはお前じゃないだろ?
それに、豊臣の北條討伐の話はするなと指摘されただけで、氏政の話をするななんぞ
誰も言ってない。
いちいち言い訳ばかりしてないで、444氏への回答もきちんとしような
具体的な話でなw

448 :日本@名無史さん:2005/07/19(火) 11:43:58
>>444
国を亡国から救う為なら、その選択もありだ。
北条に従うのが嫌なら、織田に領土を割譲して、臣従してでもするべきだな。
(つか俺は、413というかもっと最初から、和睦するのはどちらでもかまわんと言っている)
北条よりとか、そういう意見ですらない。
国を守るという、もっとも大切な目的を、つまらないプライドで駄目にした、
戦国時代稀にみる馬鹿=勝頼ということだ。

>>447
両面作戦をしても、生きていけるほどの能力が勝頼にあり、
それだけの国力があったというのか。
織田、北条、どちらも武田よりも国力は上だぞ。
なら、敵をどちらかに絞り、生き残りにかけるのが、正常な人間の思考。
それが出来ない勝頼は馬鹿。
氏政でいえば、豊臣と対立しているのに、東北の伊達にも喧嘩を売るような状況。

449 :日本@名無史さん:2005/07/19(火) 13:58:08
>>447
すこし書き方が悪かったかな申し訳ない。
ただな、君も小学生ではないだろうから頼むからすこしは文を読んで理解する
とうい努力をしてみてくれ。
俺は鸚鵡返しではなく何度も理由つきで説明している。
氏政という人間の性格ということから派生して豊臣の討伐戦の話になって言ってる
わけだ。
だから、氏政の話と豊臣の討伐戦は関連のあることだから君がわざわざ
「それに、豊臣の北條討伐の話はするなと指摘されただけで、氏政の話をするななんぞ
誰も言ってない。」
と噛み付く必要はどこにもない。

これらは上のレスをしっかり読めばわかることだ。
さらに、極めつけはどうしたら俺が444のようなレスを書き込む意見を持ってる
やつだという思考にたどり着くのか全くわからない。

まったくレスを読まずにゲリラ的に書き込んでるか、理解力が著しく欠如してるかの
どちらかだな。
とりあえず、文を理解する努力と能力を付けてから言ってくれ。

さらに言えば人に噛み付いているだけじゃなくてしっかりと自分の意見を言って
話を展開させてみろ。
そうした、ことができないやつとは話しにならん。

450 :日本@名無史さん:2005/07/19(火) 14:03:03
家を守る為なら守る為ならというが、名さえ残れば北畠シナリオみたいなことになっても良いと言いたいのかな? 
 
北条も、正妻腹である黄梅院との間には氏直以外にも男子がいるし。 
 
結局、両家に良いように翻弄されるのがオチじゃね?

451 :日本@名無史さん:2005/07/19(火) 15:47:37
武田家臣従→甲斐のみ安堵→家臣不満爆発→信長介入→織田一門が勝頼の養子になり後を継ぐ→元の血筋は信濃で一万石の小大名

452 :日本@名無史さん:2005/07/19(火) 17:57:46
>>449
>そうした、ことができないやつとは話しにならん。
 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
話しにならんw

453 :日本@名無史さん:2005/07/20(水) 02:11:51
凄く遅レスだから見ているかわからないけど>>393

どういたしまして&こちらこそ訂正をありがと。
阿弥陀寺の伝承は、俺もあれからいろいろ調べてみたけどやはりわからなかった。
言経はなぜそのように書いたのかね?
肝心な部分が寺に伝わっていないからどうしようもないけど、一時とはいえ
院号まで同じとは、信忠はつくづく武田と妙な縁があるんだなとw
こういうのが、歴史の埋もれた部分のおもしろさという感じかな。
まじに暑いけど、京都を満喫して来いよ!

454 :日本@名無史さん:2005/07/20(水) 05:34:21
武田と北条の同盟が崩れていったのは
北条の読みのミスということでいいようだな。

本能寺が起こらなかった場合武田も北条も大名としては無くなるという意味でな。
悔し紛れのあらししか出てこない以上この話題はこの結論で終わることにしよう。

455 :日本@名無史さん:2005/07/20(水) 05:38:42
勝頼が駿河を譲渡でもして氏政と同盟を結んでいたら
よかったかもと
フラッと書いてみる。

456 :日本@名無史さん:2005/07/20(水) 07:33:14
>>454
勝手に仕切るなよ
北条との同盟破棄の話は学者の間でも見解分かれてるし、
甲陽軍鑑の捉え方だって人それぞれなんだから

457 :日本@名無史さん:2005/07/20(水) 12:28:26
反論=悔し紛れのアラシとしか捉えられないようなガキは相手にしなくてヨロシ
本能寺の変が起きなければ武田もと、変時点では既に滅んでいる武田の名を
出すようなレベルだしw

458 :日本@名無史さん:2005/07/20(水) 15:39:53
まあ北条は小牧長久手でも、ひたすら自己の権益を拡大しようとしていたしね、
徳川に援軍を送るとか上杉を牽制するとかしていれば、秀吉の天下統一も遅れて
その分、北条に有利になった可能性もあるし。

459 :日本@名無史さん:2005/07/20(水) 21:50:34
甲陽軍艦は江戸期に書かれた武田マニアのおなぬー小説
鵜呑みにすんな

460 :日本@名無史さん:2005/07/20(水) 22:56:46
>>450
当時は、残すのは家であって、血筋じゃないんだけど。

461 :日本@名無史さん:2005/07/21(木) 00:55:41
極論になるけど、
もし、織田に臣従して武田家が残ったとしても、それはそれで叩かれるような気がする。
家を残す為とはいえ、信玄様があれほどに対立した信長にくだるなんぞとか、
武田の血を引かない者に名門武田家の家督を譲るなんぞとかね。

462 :日本@名無史さん:2005/07/21(木) 02:25:28
信玄が納得しても家臣が納得しないんじゃない?

463 :日本@名無史さん:2005/07/21(木) 03:41:17
>>460
家さえ残るか怪しいと思うが。

464 :日本@名無史さん:2005/07/21(木) 06:49:02
北条も実際には家も血筋も大阪で残った訳で・・・

そういや、勝頼って武田の家督は継いでないと思うが
諏訪の家督だけ継いでたんじゃなかった?



465 :日本@名無史さん:2005/07/21(木) 10:06:21
>>459みたいな奴って時折みるけど、けして自分で根拠のある意見なんか
言えないんだよなぁ……恥ずかしくないんだろうか

466 :日本@名無史さん:2005/07/21(木) 10:43:51
生天目仁美は勝頼の部下の子孫だったのか・・・

珍しい名字である生天目について本人は「ご先祖が武田勝頼の部下だったらしいです。
その武田勝頼が天目山(てんもくさん)ってところで敗れたときに、我々武田軍はまだ生きているぞ、
負けてないぞって意味でご先祖が生天目と名乗って……。」と言っていた。(週刊少年マガジン04年29号48P談)


467 :日本@名無史さん:2005/07/21(木) 12:17:18
小山田の岩殿城に向かうより、弟の景勝をたよったほうがよかったのではないか?
越中で柴田軍団の侵攻を受けているとはいえ、勝頼+裏切らなかった一部の将が
客将として越後に来れば、相当な戦力になったハズ。(まるで村上義清だが)


468 :日本@名無史さん:2005/07/21(木) 12:35:35
他家を頼るよりも潔く切腹しそうだが。

469 :日本@名無史さん :2005/07/21(木) 13:11:12
>>467
新府城から上杉領までは遠すぎ。
織田の追撃部隊が迫ってるし、従者も侍ばかりじゃないんだから
落ちる先はなるべく早く到着できる場所に設定すべきだろう。
で、一番近場の小山田領に決定したと。

470 :日本@名無史さん:2005/07/21(木) 13:49:17
勝頼には上杉にも北条にも頼る考えはほとんど無かった
んだよ。(ただしその考えに不満の家臣は多かった)
だから新府城を建築していた。
当時の織田だって一枚岩じゃないんだし周りに
敵もいたから篭城して機を伺う方針だったんだろ。
ただ内部分裂がその計画を狂わせただけ。
織田の軍勢だって1年、2年も勝頼を相手にする
余力はないと思うよ。

471 :日本@名無史さん:2005/07/21(木) 14:01:08
>>469
真田昌幸は自分の城の上田城へ向かうべきだ(勝頼の意向はともかく)と
主張していたようだし、上田と越後はそう遠くは無いので可能性はあったのでは?
新府城を捨てた時点では木曾義昌が松本平らを押さえていたようだが、善光寺平ら
はまだ進出していないようだし。

472 :日本@名無史さん:2005/07/21(木) 14:07:15
上田行くのに碓氷峠はいかんの?

473 :日本@名無史さん:2005/07/21(木) 14:21:27
>471
小山田は一門だから、それを信用したのでは?

474 :日本@名無史さん:2005/07/21(木) 17:45:43
それなら一人で馬に乗って逃げるべきだったね。
袋に金銀や兵糧やらを入れておけば、逃げられるだろうし
もちろん小山田の方に逃げたと嘘をついて、目をかわすべき。



475 :日本@名無史さん:2005/07/21(木) 17:46:50
>>470
1577年の佐代姫を正室に迎えたことや上杉・北条との三国同盟などは?

新府城を建築したのは1581年だよな。
ほんとは3国同盟で行きたかったがその間の氏政のあやふやな態度によって
1581年頃には北条と組むという選択肢を捨てて別の方策(新府城での篭城)
を考えたとは考えられないのかな?
その時でも、上杉とは依然として仲いいし。

だから、頼るというより早くから3国で結んで織田に対抗していこうと考えていたと
俺は思うんだがどうだろう?

476 :日本@名無史さん:2005/07/21(木) 18:57:06
>>475
1578年の御館の乱の対応で勝頼は北条と事実上の
手切れとなっていますね。
以後は北条と上野をめぐり対峙しています。
御館の乱でとった行動からすれば三国同盟で
織田に対抗する考えは強くなかったんでしょう


477 :日本@名無史さん:2005/07/21(木) 21:02:54
>>475
おいおい、佐代姫なんて名は実際に伝わってるものでは無いのでは?

478 :日本@名無史さん:2005/07/21(木) 21:18:25
アホみたく三国同盟になんでそこまで拘るんだ?

479 :日本@名無史さん:2005/07/21(木) 22:33:02

そんなもんアホだからにきまってんじゃん。
そんな事もわからないの?お前アホ?

480 :日本@名無史さん:2005/07/21(木) 22:37:34
釣れたw

481 :日本@名無史さん:2005/07/21(木) 23:33:44
負け惜しみ乙

482 :日本@名無史さん:2005/07/22(金) 00:11:15
へへヘ、ばれちった…ボリボリ…

483 :日本@名無史さん:2005/07/22(金) 00:36:52
当事、敵対関係にないのは上杉しかないので、途中で捕捉される可能性は
あるが、一か八かで上杉に向かうしかないね。
岩殿城がいくら堅固な山城だといっても、織田(もしかして北条も)軍に
囲まれては、難攻不落というわけには、いかないだろう。

484 :日本@名無史さん:2005/07/22(金) 00:50:22
末弟は、高野山経由で上杉を頼って生き延びれたもんな

485 :日本@名無史さん:2005/07/22(金) 01:22:06
上杉頼って落ちてどうするの?
その後は、越中から柴田、信濃から森、
上野からは滝川、奥州から葦名、国内
では新発田で上杉も四面楚歌で終わってたよ。


486 :日本@名無史さん:2005/07/22(金) 01:33:37
戦国武将は戦争指揮力よりも外交能力の方が圧倒的に大事。
2:8ぐらいか。
織田との対立を解けなかった勝頼は武将としてだめでしょう。

487 :日本@名無史さん:2005/07/22(金) 02:17:26
486
対立を避けて譲歩に譲歩を重ねてどうすんの?1武将で生きろってか?

488 :日本@名無史さん:2005/07/22(金) 04:01:40
>>476
たしかにその通りだ。
でも、御館の乱までは3国同盟で切り抜けようと画策(外交政策)していた
と思うのだが。
そこに、突然御館の乱という上杉対北条みたいな戦いがはじまってしまって
、さらにそこで氏政の不誠実な態度が続いたために北条をだんだん信用できなく
なって行ったっていう感じだと思うのだが。
このスレの前のほうでも御館の乱で上杉の見方をしても北陸と関東を北条に挟まれる
形になって、しかも北条のあの態度では最終的に臣従のような形で生きていくしかなく
なるっていう形になってたな。
しかも、生きていけるかも謎。(北条なら生贄として差出すくらいのことはする)
つまり流れとしては
三国同盟→御館の乱→氏政の不誠実な態度→北条と組んでやっていくという考えを
考え直す→その後の政策
となっていると思うのだが。

489 :日本@名無史さん:2005/07/22(金) 11:04:06
>>475
佐代姫はドラマ「おんな風林火山」での創作上の役名だぜ。
ここは日本史板なんだがな。

490 :日本@名無史さん:2005/07/22(金) 11:36:29
一応日本史板内だが、ここは三戦厨隔離スレですよ。

491 :日本@名無史さん:2005/07/22(金) 17:19:25
>>489
諏訪頼重の娘も「湖衣姫」となっているが、同じく、実際は不明。
でも、通称佐代姫なんて書くのはめんどうだから佐代姫でいいんじゃないの。

492 :日本@名無史さん:2005/07/22(金) 17:38:00
つうか、そんな通称があったなんて知らんし、そんな通称が世間に浸透しとるとも思えんし、
仮に浸透してるとしても、学問板で使うべき名前だとは到底思えん。
なぜわざわざそんなワケノワカラン名前を持ち出すのか理解不能。

493 :日本@名無史さん:2005/07/22(金) 21:42:59
御館の乱の時点で3国同盟は武田と上杉はともかく
北条にとってメリットあるの?
ここで同盟組めても北条は織田と対立すると
なったらさくっと切りそうなんだが。

494 :日本@名無史さん:2005/07/22(金) 23:42:44
>>492
それでは、名前について学問上の疑問がわずかでも存在する場合は、
そういう名前は使わないように!
発給文書などで一度でも使用されたことが確認できればOKとします。


495 :日本@名無史さん:2005/07/23(土) 00:22:48
>>487
理屈を言うならその通り。
だから外交が大事。
できるだけ高く売れる時機を捕えて対立を解くべきだった。

実際、長篠後武田の周辺で武田を滅亡させる力があったのは織田だけ。
故に、外交は対織田を主題にすべきで、
対立を続けるなら上杉、北条とは相当良好な関係を維持する必要がある。
良好な関係を維持できないなら、対立を解くべく立ち回らないと。


496 :日本@名無史さん:2005/07/23(土) 00:37:54
>>491
湖衣姫は新田次郎が「澄んだ諏訪湖の湖水のような麗人」を
イメージしてつけた名前。
新田自身がはっきり書いてることだよ。
(武田信玄連載終了後の歴史読本)

>実際は不明・・・、
でも何でもない、小説上の命名だとはっきりしてるんだけどな。

497 :日本@名無史さん:2005/07/23(土) 00:56:27
>>491
ついでに。
湖衣姫は甲府の信玄公祭りで「湖衣姫コンテスト」なんて開催されて
世間に流布もしてるが、
「諏訪御寮人の名は伝わっていないが、井上靖の小説では由布姫、
新田次郎の小説では湖衣姫と名づけられた佳人」みたいな説明つきだな。

佐代姫という呼称は歴読とかの戦国女性特集でも出てこないよな。
通常は北条夫人なんじゃない?


498 :日本@名無史さん:2005/07/23(土) 02:33:29
>>496
実際は不明って、「実際の名前は不明」という意味なんだが。
日本語に不自由な人かね?

499 :日本@名無史さん:2005/07/23(土) 05:33:04
>>497
>佐代姫という呼称は歴読とかの戦国女性特集でも出てこないよな。
>通常は北条夫人なんじゃない?
確かに佐代姫と言われると誰それ?と思うが、北条夫人
なら俺にも通じるな。




500 :日本@名無史さん:2005/07/23(土) 09:02:27
つうか諏訪御料人では何か不都合でもあるわけ?

501 :日本@名無史さん:2005/07/23(土) 13:47:22
武田勝頼
東郷神社にでも祀られて安らかに眠ってほしいものだ。

大組織の後継者育成って難しいね。
ダイエーもファーストリテイリング、ユニクロも
同じ問題を抱えてるよ。


502 :日本@名無史さん:2005/07/23(土) 13:55:41
>>500
不都合ではないと思う。
でも、新田小説や大河の影響が大きいから、湖衣姫の方が通じているだけかと

503 :日本@名無史さん:2005/07/23(土) 16:00:00
>>502
ごめん。やっぱり問題ないんだね。

日本史板で何を言い争ってるんだって思ったもんだから。

504 :日本@名無史さん:2005/07/23(土) 17:36:33
諏訪御料人の方が一般的だと思うが・・・

505 :日本@名無史さん:2005/07/23(土) 23:38:53
>>498
>日本語に不自由な人かね?
大映ドラマの役名を真面目に信じてる奴に言われたくないよwww

506 :日本@名無史さん:2005/07/24(日) 01:05:41
>>505
ざんねん。>>491>>498は別人でしたw
しかもお前が日本語に不自由である事の反論になってないww
馬鹿自爆www


507 :日本@名無史さん:2005/07/24(日) 06:40:26
日本語に不自由な馬鹿が焦って捨て台詞を吐いたという事か?
それとも馬鹿は、日本語に不自由である事と、大河ドラマの役名をまじめに信じる事に関連性があると思っているのか?
ううむ・・・馬鹿の考える事は理解できない。

508 :日本@名無史さん:2005/07/24(日) 12:22:23
御免なさい。
反省しています。

509 :日本@名無史さん:2005/07/25(月) 16:43:09
みんな天目山温泉につかって「麗人」でも酌み交わそうぜ。

510 :日本@名無史さん:2005/07/27(水) 22:43:24
>>501
諏訪神社だろう。諏訪勝頼なんだから。



511 :日本@名無史さん:2005/07/27(水) 22:48:44
別スレからだが、、。

「長篠日記」て読んでみたんだが、信長が勝頼に大勝したという「信長公記」
よりも臨場感あって、写本にもよるんだろうが、かろうじて勝ったという印象だ。
数値でいうと、織田・徳川連合軍の戦死者6000、武田は7000。
参陣してるのが織田・徳川30000、武田15000だとすると、数で勝った
だけなのかな。


512 :日本@名無史さん:2005/07/28(木) 00:38:28
>511
だったら、ぜんぜんザコじゃないじゃん!


513 :日本@名無史さん:2005/07/28(木) 01:13:00
そうなんだが、武田は軒並み有力武将が死んでる。

514 :日本@名無史さん:2005/07/28(木) 01:15:18
むつかしいところだよね。有力武将が死んだから完敗なら、川中島(永禄4年)
なんかも、武田の負けになるわけだし。

515 :日本@名無史さん:2005/07/28(木) 05:07:38
謙信が先に引き返したからこっちが勝ったとか言ったんじゃね?

516 :日本@名無史さん:2005/07/28(木) 10:24:12
有力武将というより、高名の武将、かな。
次世代将校は死んでないでしょ?  ・・・真田兄弟がいたか・・・


長篠は、戦後の信長の情報戦が大きいよね。
「武田は退却しました!俺が追い払いました!
 勝頼弱いんでやんの!あいつ泣きながら逃げてきましたよ!」
って感じで全国に触れ回ったから。


517 :日本@名無史さん:2005/07/28(木) 10:40:31
というか、武田は主目的たる長篠城が落せず
一方で織田徳川連合軍は防衛という目的を達成している

518 :日本@名無史さん:2005/07/28(木) 14:18:55
>>514
典厩信繁、諸角豊後守、山本勘助、初鹿野源五郎らが討死したから敗戦だ。
この戦いで典厩信繁が死ななかったら、勝頼を補佐して、武田家もなんとか
なっただろう。

519 :日本@名無史さん:2005/07/28(木) 15:03:10
>517
その通りだが、長篠合戦の通説というか俗説は「軍事革命」だとか
言うわけで、合戦の実態はふつうのスタイルの激戦だったはずなのに。

520 :日本@名無史さん:2005/07/28(木) 15:04:53
手駒の武将が何個潰されようが、逃亡した上杉の負けだろ。

521 :日本@名無史さん:2005/07/28(木) 15:30:51
>>518
油川彦三郎、三枝新十郎、安間三右衛門あたりも戦死してますね。

522 :日本@名無史さん:2005/07/28(木) 20:18:35
>>511
長篠日記は織田が三段撃ちしてっからなあ。

523 :日本@名無史さん:2005/07/28(木) 21:05:57
>522
三段の陣地を築いた、の間違い

524 :日本@名無史さん:2005/07/28(木) 21:21:02
>>518>>521に比べても長篠は戦死した武将多すぎだな。
宿老だけでなく次世代の武将も軒並み討死にしている。
これだけの敗北を喫しておいて名将の評価は得られないだろう。

525 :日本@名無史さん:2005/07/28(木) 21:39:10
いや、武田は重臣が戦死するのが伝統だから・・・

526 :日本@名無史さん:2005/07/29(金) 00:20:07
長篠日記ねぇ

戦死の数はとても信用できんが…
こんなに死んでたら、双方とも壊滅的な打撃を受けたことになるわけだが

527 :日本@名無史さん:2005/07/29(金) 01:23:24
長篠合戦の武田方に戦死者の数に関して、『多聞院日記』には「国衆千余」、
『兼見卿記』には「数千騎」、という記録もありますよ

528 :日本@名無史さん:2005/07/29(金) 06:26:21
当時の鉄砲の弾は鉛で貫通しないから、徳川の誰だったっけ?のように体内で
腐って、後々死んだ人も多いような気ガス

529 :日本@名無史さん:2005/07/29(金) 08:03:44
井伊直政じゃないの?

530 :日本@名無史さん:2005/07/29(金) 16:31:50
>528
家康4男松平忠吉だったと思う。


531 :日本@名無史さん:2005/07/29(金) 16:38:23
関が原の鉄砲傷だな。

532 :日本@名無史さん:2005/07/29(金) 19:47:34
意外とえげつないな、火縄銃

533 :日本@名無史さん:2005/07/29(金) 20:48:13
徳川・織田方はまったくといっていいほど戦死した重臣いないからなあ。
一方武田は壊滅に近い敗北だったのは否定できないだろう。


534 :日本@名無史さん:2005/07/29(金) 21:50:09
家康が信長に追撃戦を進言したけど却下されたと、
後に家康が語ってなかたっけ。


535 :日本@名無史さん:2005/07/29(金) 22:59:38
>>534
どこまで追撃するつもりなのだろう?
武田の戦死者は主に退却時の被害と聞いたが。

536 :日本@名無史さん:2005/07/30(土) 06:07:58
当時、鉄砲傷にはお湯で溶いた馬糞を飲むのが流行していたらしいがキツイな。
長篠敗北→うんこ摂取
武田兵辛いね

537 :日本@名無史さん:2005/07/30(土) 08:29:54
>>536
もう撃つなら一撃で殺ってくれって感じだな

538 :日本@名無史さん:2005/08/01(月) 14:46:05
馬糞汁についてもっと勉強してくれ。

539 :日本@名無史さん:2005/08/02(火) 17:36:31

馬糞マニア登場かw

540 :日本@名無史さん:2005/08/04(木) 00:35:24
447=452=そのほかのただ荒らしのためだけだけに現れてたアホ。
君がどんな形で話を進めてくれるのかと思って何も言わずに
見てたんだが君は何もできなかったな。
ようするに、おまえはただ荒らしのためだけに現れてたってことが判明したな。
頭は小学生なみの癖に人の批判だけして遊んでるのは今後やめるように。


541 :日本@名無史さん:2005/08/04(木) 00:41:19

とっ突然亀でどうしたの?

542 :日本@名無史さん:2005/08/04(木) 01:48:00
薬が切れて発作でも起こしたんだろ

543 :日本@名無史さん:2005/08/05(金) 02:25:47
岩村城行ってきたけど、信友の気持ち思うと泣けてきた・・・

544 :日本@名無史さん:2005/08/05(金) 15:38:24
>>330
首いっぱいあるから誰の首かわからなかったようなんだよね
しかも腐ってたらしいし
ようするに信長や光秀と同じようなかんじなわけさ。



545 :日本@名無史さん:2005/08/05(金) 19:18:38
もし勝頼は真田の進言を聞き入れて上野に退いて篭城していたら
武田家は存続できたか?

546 :日本@名無史さん:2005/08/05(金) 20:27:06
無理でーす

547 :日本@名無史さん:2005/08/05(金) 22:13:21
おい447よ話をしっかり進めてみせろよへたれ。


548 :日本@名無史さん:2005/08/05(金) 22:38:47
↑こいつ何なんだ?

549 :日本@名無史さん:2005/08/05(金) 23:17:33
真性厨の登場か?!わくわく

550 :日本@名無史さん:2005/08/06(土) 00:22:34
>>548
ヒント:夏休み

551 :日本@名無史さん:2005/08/06(土) 21:17:39
三国同盟を結んでいた大名家は全部滅びてるよねそういえば。


552 :日本@名無史さん :2005/08/08(月) 15:47:00
>>545
真田もやぶれかぶれの美学に殉じた次男坊ならともかく
表裏比興な現実主義者の昌幸が当主だからな。
あまり長居は出来ないんじゃないか?

昌幸は織田との戦争になる前に勝頼を追い出そうとするな。
第一次上田戦の頃の徳川ならともかく、
全盛期の織田軍団を相手にする気にはなれないだろうから。

最終的に、勝頼は上杉を頼ることになると思うが、
ここで受け入れてもらえなければ真田領内であぽーんもありうる。
そうならないためには武田残党の再集結と、
勝頼もろとも上杉軍の指揮下に入ることが条件になりそう。
赤備え部隊とか大久保長安とかが上杉のものになるわけだ。

でも、前レスにもあったけど、武士だけじゃなく女衆まで連れて、
織田の追撃部隊が迫る中を上田まで辿り着けたとは思えないな。
結局、小山田領まで逃げるのが限界だったんじゃないかと。

553 :日本@名無史さん:2005/08/08(月) 18:46:43
おれも道灌だ。
真田領まで行けるかが問題だし行っても小山田とこ行くのと結果は同じ、武田氏滅亡と勝頼が死ぬのは決まっていた。彼は天運尽きていたのだ。

554 :日本@名無史さん:2005/08/08(月) 20:00:32
もう、城捨てた段階で、どこへ逃げたら良かったかなんて議論は無駄なんだと思うけどね。
じゃあ、どの段階でなにをしてたら勝頼は生き残れたのか、と。
もう何言ってもガイシュツすぎるかな。

555 :日本@名無史さん:2005/08/08(月) 20:15:05
府内を捨ててまで築いた新府城を焼いて出てきてるんだもんな。
554に禿同だよ。

556 :日本@名無史さん:2005/08/08(月) 21:14:29
何で新府城を捨てたのかな?
景勝を頼りに数ヶ月も持ちこたえてれば、光秀が信長をアボンしたかもしれんのに

557 :日本@名無史さん:2005/08/08(月) 21:58:36
>>556
武田が潰れたから信長あぼんの機会が生まれたわけで…


558 :日本@名無史さん:2005/08/08(月) 23:08:09
>557

いや、甲斐信濃を仕置きののち、毛利攻め・上杉攻めの準備でいったん上洛。
そこを光秀が襲うという筋書きも(もしもだが・・・近衛前久や細川藤孝も故謙信
と親交のあった人々なわけで)。

559 :日本@名無史さん:2005/08/09(火) 02:03:02
妄想は果てしなく膨らむ。

560 :日本@名無史さん:2005/08/09(火) 07:18:27
>>558
武田勝頼が生きている状態で信長が京都で小数の小姓とのんびり茶会なんて機会はなかなかない。
あと少なくとも信忠は前線指揮官として武田領に残ってると思われ。
信忠が京都にいたのは武田滅亡の功で信長が安心して
信長に家督を譲ってたからだしな。

561 :日本@名無史さん:2005/08/09(火) 22:28:18
ところでさ、
武田勝頼は長篠合戦での敗北後、
西国大名と共同歩調を取らなかったの?
長篠合戦後の勝頼は評判が悪かったのかなw

上杉謙信だって共同歩調を取っていたのに・・・。


562 :日本@名無史さん:2005/08/09(火) 23:53:11
安国寺への書状が残っているから、いちよ毛利とは取ろうと
したみたいだけど…。他はわからない。史料もないし。

563 :日本@名無史さん:2005/08/10(水) 00:23:53
結果論だけど武田勝頼は外交の失敗で滅亡したよな。

長篠合戦では本願寺と連携しないで単独で織田・徳川連合軍に戦いを挑んでいるし、
御館の乱では北条家との同盟を失って駿河・上野が戦場になるし、
上杉景勝と同盟しても対北条と対織田の援軍は送ってくれない(送れる訳がない)し、
人質だった織田信長の五男を返したら速攻で攻め込まれているし・・・。


外交面では散々だよなw


564 :日本@名無史さん:2005/08/10(水) 01:55:09
甲陽軍艦には次のような武将が国を滅ぼす、と書いてある。 強すぎる椰子…勝頼 ビビり過ぎな椰子…上杉憲政 あんぽんたん…今川義元

565 :日本@名無史さん:2005/08/10(水) 13:28:15
>>556
一言でいえば篭もれるだけの戦力も無くなっていたから。

新府城の存在意義と戦略プランは、甲府盆地の外に築き、信濃の諸城で
織田の侵攻軍を消耗させ、そのうえで甲府盆地に侵入させずに新府城で
打撃をあたえるというもの。
ところが木曽が裏切り、信濃の伊奈から諏訪にかけての武田方の諸城が
あっけないほどに次々に陥落し、味方の逃走が相次いで軍勢の体もなさなく
なって防衛戦略が完全に破綻。

たぶん篭もったとしても数ヶ月どころか数日も持たずに陥落したかも。

566 :日本@名無史さん:2005/08/10(水) 16:54:21
それに加えて信君が裏切ってるから、新府で防げたとしても、南から甲斐に侵入されて
おしまい。

567 :日本@名無史さん:2005/08/10(水) 23:12:12
少しスレ違いだが、御館の乱後の景勝の織田との戦いと
比べて、呆気なさすぎる。家臣に背かれて弱体化という
意味では、景勝もけっこうピンチだったと思うが。
両者の違いは奈辺にありや?

568 :日本@名無史さん:2005/08/10(水) 23:42:43
>>567
時の勢いと、重臣中の重臣ともいえる穴山の裏切りがあったこと、武田攻めでは織田主力に
徳川北条も参加、上杉はあくまで織田の一部としか戦ってない。

569 :日本@名無史さん:2005/08/11(木) 17:28:43
上杉家の場合は新発田のような反乱が下越に発生していたら危険だったと思う。
御館の乱の際に反乱分子が粛清されていることもプラスに働いているなw
あと、上杉家の弱体があまりにも酷かったから柴田勝家一人で充分と判断されていたことも大きいかな。

武田家の場合は木曾義昌や穴山信君、武田信廉、武田信豊がそのまま生き残っているからなw

上杉景勝は上杉家(長尾家)の血を認められているが、

570 :日本@名無史さん:2005/08/11(木) 18:07:24
どんな組織もその大将の個性が決まる!
織田信長、ナポレオン、
ダイエー、ユニクロ、鈴木商店、

571 :日本@名無史さん:2005/08/11(木) 18:37:57
>>569
続きです。スマソw

武田勝頼は武田家の血を認められていないし。

572 :日本@名無史さん:2005/08/11(木) 19:27:51
真田一族は何してたの?徳川とか織田に付いてたの?

573 :日本@名無史さん:2005/08/11(木) 19:39:02
武田家滅亡後は日和見っていましたよ。

武田→織田→北条→徳川→上杉→豊臣…最終的には徳川で落ち着く。

574 :日本@名無史さん:2005/08/11(木) 20:17:17
というわけで、やっていることは真田も筒井も同じです。

575 :日本@名無史さん :2005/08/13(土) 01:25:23
うん、幸村さんが漢のマロンで死ななかったら、
真田一族の後の評判は、けっこう悪役扱いだったかも知れないね。

576 :日本@名無史さん:2005/08/14(日) 00:22:54
マロンも大切だろうけどね。
一族郎党が路頭に迷わぬため
先祖の菩提を弔う灯火を絶やさぬため
一族の血脈を残すため
生き延びることは大事なことだよ。

単純な庶民から悪役扱いされようともね。

で、歴史の大きなうねりの中で、悪役とはいったい何ぞや?


577 :日本@名無史さん:2005/08/14(日) 17:37:28
>>576
松永久秀。

578 :日本@名無史さん:2005/08/14(日) 22:11:36
>>576
その時代に都合の悪い人物じゃないかなと。

579 :日本@名無史さん:2005/08/14(日) 22:35:38
たたえるべき人物の敵方だな。

580 :日本@名無史さん:2005/08/14(日) 22:55:24
例えるなら
マッカーサーに対しての東条
ってとこかな?まあ、東条は元々キティー害だが

581 :日本@名無史さん:2005/08/16(火) 03:11:49
と、いうわけで10月9日の
武田の里まつり「武田勝頼公新府入城祭り」に行ってあげよう。

「岩殿山かがり火祭り」よりワケワカメの村おこしイベントだよな。

582 :日本@名無史さん:2005/08/16(火) 20:23:35
>>580
それはおかしくないか、仮にも日本史板なんだからもう少しまともな意見を。

583 :日本@名無史さん:2005/08/16(火) 22:03:02
>>582
漏れはおかしいとは思わなかったな。そんな漏れはやや右翼w

584 :日本@名無史さん:2005/08/17(水) 02:14:18
まあ軍人としてマッカーサー元帥との比較なら、フィリピンで戦った山下大将とかが適切だな、
軍人としては東条大将は直接的には関係無いだろうし。
また東条首相を政治家として比較するならルーズベルト大統領を比較として出すべきだろう。
マッカーサー元帥がGHQのトップとして政治家になったときは東条は政治家じゃないし。

580の例えでは信玄のライバルに上杉憲政を使うような違和感は確かにある。

585 :584:2005/08/17(水) 02:17:32
右翼の人がキティーに反発しただけかもしれんが。
もっとも580がよくしらん人物をキティー扱いしたのが一番の問題かも試練がな。

まあ荒れるといやなのでこの話題は終了俺もこの件ではレスしない。

586 :日本@名無史さん:2005/08/18(木) 13:24:22
話を戻すが戦国時代の悪役は織田信長、豊臣秀吉、徳川家康に敵対した勢力であろう。
今川義元、斎藤義龍、六角義賢、朝倉義景、浅井長政、武田勝頼、明智光秀、北条氏政、石田光成・・・
代表的な人物はこんなところであろうな。


587 :日本@名無史さん:2005/08/18(木) 13:27:11
>>586
訂正
×石田光成→○石田三成

スマソ

588 :日本@名無史さん:2005/08/18(木) 14:13:07
なんか、繋ぎとしての当主となったって、始まり方が
哲学的方向性の誤りを生んで、最終的に失敗した気がする。


589 :日本@名無史さん:2005/08/18(木) 16:03:19
>>575
あれは次男の気楽さよ。

590 :日本@名無史さん:2005/08/18(木) 22:57:27
確かに守る家があるのと無いのでは違うよな

591 :日本@名無史さん:2005/08/19(金) 08:24:15
織田信長も悪役になりがちだが。

592 :日本@名無史さん:2005/08/19(金) 22:12:39
謙信も武田厨には悪役だな。

593 :日本@名無史さん :2005/08/20(土) 15:04:41
>>586
「歴史は勝者によって創られる」ってことだわな

>>591
信長は長島や比叡山ジェノサイドの印象が強すぎてな

いつのまにか悪役の定義スレになってる・・・

594 :日本@名無史さん:2005/08/21(日) 10:45:58
結果がすべてじゃないかな。

武田勝頼は雑魚な武将です。

595 :日本@名無史さん:2005/08/21(日) 18:16:44
すると徳川家以外みんな雑魚になってしまうが?

少なくとも大坂の陣が終わるまでに生き残れなかった大名家は、
結果的には雑魚だった、ってことかな

596 :日本@名無史さん:2005/08/21(日) 18:26:02
雑魚だからこそ強い勢力に逆らわず最後まで
生き残った大名も多いと思うがなぁ

武田勝頼は過小評価されすぎの武将の一人だと思うね

597 :日本@名無史さん:2005/08/21(日) 18:34:49
勝頼は、暴君

598 :日本@名無史さん:2005/08/21(日) 19:47:29
っていう亜k、勝頼って過大評価されすぎじゃね?

599 :日本@名無史さん:2005/08/21(日) 20:15:17
>>595
俺の基準は、大名として国を維持したまま死んだかどうか。

降格したサッカークラブの監督や、倒産した社長たちにくらべて、
戦国大名の評価は勝者に厳しく、敗者に甘すぎ。
(もちろん、サッカークラブの監督や社長さんも再起してほしい)

武田勝頼こそ、雑魚。

600 :日本@名無史さん:2005/08/21(日) 22:06:46
雑魚と言える程、俺達は立派じゃないけどな。
名将ではなかったのは確かだろ。

601 :日本@名無史さん:2005/08/22(月) 06:57:35
国を束ねる大名ではなくて、その下の軍団長くらいのポジションだったら
かなりの名将として名が残せたかもね。

ただ、与えられた地位とそれを受けたタイミング及び環境が悪過ぎた。

602 :日本@名無史さん :2005/08/23(火) 03:54:22
実際、義信が死ぬまでは、勝頼に与えられてたポジションって「軍団長」だったわけだしな。
毛利の両川じゃないけど、次世代の武田家は義信が仕切って、
勝頼と盛信が両脇を固めるっていう構想だったはずだし、勝頼自身もそう教育されてきたと思うんだよね。

色々事情はあるだろうけど、この次世代構想をぶちこわしたのは信玄の失敗。
しかもそれからたった6年で逝ってしまうわけで、これもまた彼の不運。

前線指揮官・諏訪勝頼が帝王学や外交駆け引きを学ぶには、6年じゃちと足りなかったようで。

603 :日本@名無史さん:2005/08/23(火) 03:59:51
まあ、普通にザコだよな〜、勝頼って

604 :日本@名無史さん:2005/08/23(火) 04:50:55
っていうかさあ、ぶっちゃけ、勝頼って・・・

せいぜいもりたへえとか、後藤又べえ程度じゃね?

605 :日本@名無史さん:2005/08/23(火) 05:14:09
>>604
そりゃ光栄のゲームでの評価だな。

606 :日本@名無史さん:2005/08/23(火) 15:16:04
勝頼は雑魚ですか。

勝頼に限った事ではないですが、厳しい評価を与える人ほど、その対象を
殆ど調べもしていないのは往々にありますね。

このところ出没している人は言うまでもないでしょうが、>>599さんなんかは
その典型です。

607 :日本@名無史さん:2005/08/23(火) 17:23:32
死に方が悪すぎる。

608 :599:2005/08/23(火) 20:12:02
>>606

では、606さんの評価する基準を教えてください。

わたしの評価基準は、

「大名として国を維持したまま死んだかどうか」

です。

609 :日本@名無史さん:2005/08/23(火) 20:16:47
>>608
じゃあ聞くけどさ、武田信玄や上杉謙信は国を維持したまま死んだが、
あなたの見解では、信玄謙信は評価に値する武将だと?

610 :599:2005/08/23(火) 20:45:57
先に評価基準を教えて欲しいな。

611 :日本@名無史さん:2005/08/23(火) 20:53:27
>>606

>>599でないがおれは勝頼について詳しい自信あるよ。
しかし勝頼については厳しい評価にならざるを得ない。
当主としては特にいいところがなかったんだから当然。
それに>>602みたいに親父に責任転嫁するのを聞くのはうんざり。


612 :日本@名無史さん:2005/08/23(火) 21:03:31
>>610
まあ、待て。まず、君の答えを聞かせてもらおうではないか。
話はそれからだ。

613 :日本@名無史さん:2005/08/23(火) 21:07:17
>>612
チキンだね。

614 :日本@名無史さん:2005/08/23(火) 21:13:57
>>613
ライスもつけてくれ。

615 :日本@名無史さん:2005/08/23(火) 22:19:00
>>608
そんなこと言っていたら、家康政権ができるまでに滅んだ大名は
みんな雑魚ってことだなw
国を維持するが国力もを含むなら、減封された大名も同じく

>>611
では、勝頼について自信があるという貴殿の
高尚な勝頼評をお聞かせ願いたい。

616 :日本@名無史さん:2005/08/23(火) 22:41:35
>>615
滅亡は当然雑魚。
減封は滅亡よりずっとマシ。

結局判断基準はないのかね?


617 :日本@名無史さん:2005/08/23(火) 23:12:52
>>608
私が言っているのは、評価する、という事ではなく、「雑魚」の一言で切り捨てる
安直な意見に対してです。

私とて勝頼を出鱈目に高く評価したり持ち上げる気はありません。
ただ経緯や情勢の推移などを全く顧みない意見に疑問を抱いているだけです。

私の意見は拙いながら>>292-293で大方は述べさせて貰っています。
(長くなったので省いてもいますが)

また、>>602さんの意見に倦んでいる>>611さんの「詳しい」中身も、是非お聞かせ
いただければ助かります。

618 :日本@名無史さん:2005/08/23(火) 23:14:00
松永も雑魚か・・・

619 :日本@名無史さん:2005/08/23(火) 23:35:33
>>618
尼子、今川、齋藤、朝倉、浅井、六角、荒木
明智、柴田、北條、豊臣もいるぞ

620 :日本@名無史さん:2005/08/23(火) 23:42:48
>>619
「大名として国を維持したまま死んだかどうか」だから、当主。



621 :日本@名無史さん:2005/08/23(火) 23:58:15
>>618>>619
スルー推奨

622 :日本@名無史さん:2005/08/24(水) 00:22:13
>>617
「雑魚」の一言で切り捨てることが安直なのは認めますよ。

ただ、「結果」のみに着目するのもひとつの評価方法ではないでしょうか?
「滅亡しなかったこと」をもっと評価するべきです。知恵を絞った部分でしょう。
滅びの美学では困るわけで。

623 :日本@名無史さん:2005/08/24(水) 00:22:53
>>621
自分の意見がないから、スルーですかぁ?

624 :日本@名無史さん:2005/08/24(水) 02:22:49
>>622
では、あなたがいうもっと評価するべき人物はどなたなのでしょうか?

625 :日本@名無史さん:2005/08/24(水) 03:55:23
>>624
毛利元就

626 :日本@名無史さん:2005/08/24(水) 10:53:03
元就は十分評価されてると思うがな

627 :日本@名無史さん:2005/08/24(水) 17:23:19
だな。たまに「全部MAXに汁!!」だの本気で叫ぶ厨がいるがな

628 :日本@名無史さん:2005/08/26(金) 14:24:43
尼子経久も毛利元就も宇喜多直家も同類。

629 :日本@名無史さん:2005/08/26(金) 14:30:00
>>599
大名として国を維持したまま死んだかどうか。

毛利輝元や上杉景勝は国を維持したまま死んだが雑魚だろう。
家康に媚び諂っている時点で戦国大名ではないなw

630 :日本@名無史さん:2005/08/27(土) 08:31:12
 これまでの議論(?)を見ていると結局、武田勝頼という男は、

   戦国武将(軍人)としては、一流。
   
   戦国大名(政治家)としては、二流。


という結果でFAかな?(で、信玄はどちらも超一流だった、と。)

631 :日本@名無史さん:2005/08/27(土) 21:43:52
優れた軍団長であるが大大名としての能力・教育・経験が不足していた
秀吉時代の加藤清正、福島正則に匹敵する

632 :日本@名無史さん:2005/08/29(月) 02:02:59
>>629
まあがんばれw

633 :日本@名無史さん:2005/08/29(月) 23:08:31
政略家としてはアレだけどザコ武将は言い過ぎ

634 :日本@名無史さん:2005/08/30(火) 17:55:17
スレタイがスレタイだからな…

635 :日本@名無史さん:2005/08/30(火) 21:24:30
信玄:気が付けば、周りじゅう敵だらけよ!な状況を自ら作ってしまった甲斐の生臭坊主。
最後っ屁が異常に高く評価されるも、
うつけ信長の美濃侵攻中、自称毘沙門天の化身な狂人・謙信の北信濃乱入を防ぐのに手一杯で、
混乱する美濃に十分な手を打つことが出来ず、その上、信長の懐柔策にまんまとハマり、
中央進出の機会を失う。金採掘と堤作りが好き。実は賊子。

勝頼:信玄嫡子義信の謀反あぼーんにより、庶子ながら父の死後、武田家の統帥権を得る。
父の無茶苦茶外交を整理し、当面の敵を織田家配下のウンコ垂れ徳川家一本に絞り、
領土拡大を図る。
対徳川一本に絞ったことで、兵力が集中出来、緒戦で大いに戦果を得るも、
織田本隊の出陣により大敗を余儀なくされる。
大敗時に老臣の多くが討ち死にしてくれたおかげで、
武田家中の組織改革にようやく着手可能となり、改革自体は順調に進んだが、
その間、一方の織田も畿内の反織田勢力を完全に駆逐。
そして、その織田家に、次なる敵は武田家、と定められ、命脈尽きる。



636 :日本@名無史さん:2005/08/30(火) 21:52:57
武田家を滅ぼしたのは信玄、勝頼は単なる盲腸ということで・・・

637 :日本@名無史さん:2005/08/30(火) 22:13:09
>>635
確かに晩年の信玄はちょっと可笑しいが、それでも長篠の戦で勝頼のように
大負けはしないと思う。当時の信長で信玄に野戦で勝てたかどうかは疑問だし。
実際、勝頼は慎重論をとる山県や馬場の意見を聞かなかったとも言われている。
天目山の時に小山田に寝返られるのは勝頼のリーダーとしてのカリスマ不足は否めない。
武田を滅ぼしたのは勝頼のリーダーとしてのカリスマ不足が最大の原因だと思う。

638 :日本@名無史さん:2005/08/31(水) 00:11:49
少し信玄を過大評価し過ぎだと思う。対謙信戦は北信濃の防衛ではなく、
明らかに越後への侵攻作戦。なのに中途半端にいつも終わらせたり、謀反を誘発させても
その後の作戦を完全に読まれ、外交と軍事で未然に防がれ逆に待ち構えられたり、成功したためしがない。
そもそも川中島の原因は信玄がいつも作っている。
武田、上杉、両方の書物を読み分析すると、誘き出されてのに気づいてないケースがほとんど。
倍近い兵で、地の利がありながら勝てない。そして作戦ミス。
政治面でも占領地に重税を課したり、逆らう者を皆殺しにしたり、滅亡の火種を作っていたのは他ならぬ信玄。
勝頼一人のせいとするには、あまりに酷だよ。

よく、勝頼のせいで武田が滅んだようにされるけど、それはあんまりだよ。
長篠の合戦は織田、徳川も同じ被害を受けて、一方的な敗北でも虐殺でもない。
事実、その年の八月には二万もの軍勢で遠州小山の後詰を行ってもいる。
長篠での敗北から、これだけの兵をすぐに集めれるのだから、軍事の才能はかなりのもの。
信長をみくびり、のさばらせ、巨大化させ子に任せた信玄の責任はどうなんだろ。
勝頼が過小評価されている一番の原因は、信玄の失敗を認めない人達(信玄ファン)が、
その責任を全部勝頼に被せているから、過小評価されているんじゃないんだろうか。
雑魚はあまりにひどいよ。

639 :日本@名無史さん:2005/08/31(水) 04:09:41
長篠合戦で老臣を多数失ったのが武田の滅亡原因という者もいるが、
生き残った高坂も、数年後に亡くなっているから、丁度世代交代の
時期で、棺桶に半分片足を突っ込んだような連中が死んだだけで、
大きな損失ではないだろう。
武田滅亡の原因を作ったのは信玄だと思う。
国人一揆を引き起こして、守護大名から戦国大名へ脱却を謀っていた
信虎を倒し、武田氏の甲斐での権力を減退させた。武田氏は甲斐国人
一揆の代表的立場に過ぎず、信玄没後の勝頼の経営に大きな足枷に
なったことだろう。これに対し、勝頼は穴山などの身内や、真田など
の信濃衆の力を借りて、武田氏の新時代への対応にとても努力したと
思う。新府の築城はその象徴であり、甲府を離れ、領土の中心近くに
居城を移す、信長のやり方を真似て、領内統治の効率化を図るととも
に、旧国人層の影響を弱めることになる。国内最大級の領主である、
穴山氏を、駿河とそれに隣接する地域に国替えしたことは、大名への
権力集中に大きく寄与することとなったと思われる。また当時の新兵器
鉄砲に対する防御の為、当時は城郭がたいへん発達した。新府築城で、
新しい時代の戦法に対応したのである。被差別的な立場にあった、信濃
の国人衆達を(真田など)を登用することで、信濃をも本国化し、領内
のまとまりを強め、巨大な周辺の敵国に対応しようとしたのだろう。
勝頼の脚を引っ張ったのは、保守的な甲斐国人、重臣層だと思われる。

640 :日本@名無史さん:2005/08/31(水) 13:17:12
わだすは信玄を絶対に崇拝しております。
いかなる理由があろうと勝頼が信玄の作った武田騎馬隊を崩壊させたのですじゃ。


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