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もしも、明治維新が起こらなかったら?

1 ::2005/06/19(日) 13:49:04
 もしも、明治維新が起こらなかったら、現在の
日本はどうなっていたでしょうか?

 徳川家が大政奉還した後、戦争が起こらなかったら、
有能な人材が死ぬ必要が事は無かった筈なのに。



2 :日本@名無史さん:2005/06/19(日) 13:50:01
しししし知らんがな(´・ω・`)

3 :日本@名無史さん:2005/06/19(日) 13:50:30
日本がチョソだらけになることはなかった

4 :日本@名無史さん:2005/06/19(日) 13:52:22
http://academy3.2ch.net/test/read.cgi/whis/1114173490/l50
ペリーが日本を素通りして、清に圧力をかけていたらどうなったか。

5 :日本@名無史さん:2005/06/19(日) 13:53:05
日本が潰れていたか、辺境の小国

6 :日本@名無史さん:2005/06/19(日) 14:46:02
明治維新ってのは薩長の下級武士によるクーデターつまり幕府の乗っ取りにすぎない。
維新後の近代化や開化政策は、もともとは幕府が進めていた規定路線で、
薩長の横槍がなくとも日本は近代化プロセスを歩んでいた。

薩長が独自に日本史にもたらしたものといえば、
天皇神格化による宗教的国家体制の構築と、
朝鮮人を異常に優遇する同化政策くらい。

7 :日本@名無史さん:2005/06/19(日) 14:50:47
おいらはニートではなく侍の禄を食んでたはずだ・・・Orz

8 :日本@名無史さん:2005/06/19(日) 15:00:06
>>7
小普請組ならあんまりかわらんような気がする。

9 :日本@名無史さん:2005/06/19(日) 16:33:15
アメリカ合衆国委任統治領日本

10 :日本@名無史さん:2005/06/19(日) 16:45:16
まぁ、恐らくアメリカかどっかの植民地かなんかだろ。

11 :日本@名無史さん:2005/06/19(日) 16:48:45
北海道 → ロシア領
本州東部 → アメリカ領
本州西部 → イギリス領
四国 → フランス領
九州 → オランダ領

12 :日本@名無史さん:2005/06/19(日) 16:49:55
アメリカの一州
みんな英語ペラペラ
サッカーよりアメフト

13 :日本@名無史さん:2005/06/19(日) 17:00:34
>>6
だから、幕府による近代化策は机上の空論だってば。
たしかに、一部の幕臣が大統領制と全国統一統治を検討していた事は事実だが、
検討した幕臣には、幕政に関する決定権はない。
政策として決定権を持っていたのは老中などの譜代大名達。
譜代大名達が、お家断絶にも等しい行為、自分の領地を徳川家に返上する事が出来ると思うか。
幕臣の文明開化策は、幕政のトップにいる老中達に蹴飛ばされるだけ。
つまり単なる机上の空論でしかない。

14 :日本@名無史さん:2005/06/19(日) 17:21:59
>>13
民主党が提案する行政改革みたいなもんかw

15 :日本@名無史さん:2005/06/19(日) 17:35:03
老中のように露骨な既得権益者がその権益をあっさり捨てて、
郡県制への移行はできんだろうな。
民主党は既得権益者じゃない(野党という意味で)ので
この場合比較対象として持ち出すのは不適切。
持ち出すとすれば「郵政族が郵政民営化マンセーする」とか
「年金受給者が年金なんて要りませんよ、若い人が大変だモンね」あたり。

16 :日本@名無史さん:2005/06/19(日) 17:51:14
>>11>>九州 → オランダ領
オランダ人じゃ薩摩隼人に皆殺しにされるのが落ちではないか・・・


17 :日本@名無史さん:2005/06/19(日) 19:42:27
>>13
現実に大政奉還をやっているのに、それこそ机上の空論だよ。

18 :日本@名無史さん:2005/06/19(日) 19:47:33
大政奉還て・・・
大政奉還した時、どんな状況だったよ?

19 :日本@名無史さん:2005/06/19(日) 19:55:04
>>17
同じだ同じw
大政奉還したというなら、幕府政治体制は崩壊している。
戦争が起こらず、坂本龍馬案の議会制になったとしよう。
坂本龍馬案に従えば、上院議員は全員大名だよ。
外様も含めた大名達が、自分の領地進んで返上する訳ないだろ。
それこそ、郡県制への移行や統一国家なんぞ夢のまた夢。

20 :日本@名無史さん:2005/06/19(日) 19:58:38
アンチ天皇から江戸徳川賛美してるやつらは
徳川家の子孫にあったら土下座するんだろな

21 :日本@名無史さん:2005/06/19(日) 20:02:42
橋本派の人間に既得権益捨てろとか、民主党に労組と縁切れとか。
公明党に創価学会の方針を無視しろとか、いうようなもんだろ。
幕府により改革。
なので幕府が自主的に近代化する可能性などまずありえない。


22 :日本@名無史さん:2005/06/19(日) 20:16:18
>>17
幕府中心で近代化するには、幕府は長州征伐に勝利して
自立化する西国雄藩を殲滅し、中央集権化を達成しなければならない。
大政奉還は、その殲滅せねばならない雄藩に対する妥協であって
幕府中心の近代化政策とは真逆の行為。


23 :日本@名無史さん:2005/06/19(日) 20:17:36
慶喜が参勤交代復活を目論むような譜代大名をどこまで粛清できるかが鍵。


24 :日本@名無史さん:2005/06/19(日) 20:41:07
徳川家がドイツ帝国の中のプロイセン家みたいになれば近代化できる
だろう。無理に薩長を滅ぼす必要はない。薩長の上級武士の多くは倒幕
など考えていないのだ。

25 :日本@名無史さん:2005/06/19(日) 21:22:43
>>24
旧幕府や上級武士の権威が残っている限り近代化は進まない。
24の考え方は、「旧来の権威を温存すれば近代化できる」という
奇妙奇天烈なものだ。

26 :日本@名無史さん:2005/06/19(日) 21:25:36
無理だって。
将軍といえど独裁者ではない。
将軍家茂は老中の言いなりだし、
慶喜の相談役だって老中の板倉だぞ。

27 :日本@名無史さん:2005/06/19(日) 21:34:39
慶喜の側用人の原市之進は譜代・旗本の廃止論者で、
旗本解雇を推進していたが。


28 :日本@名無史さん:2005/06/19(日) 21:46:11
>>25
ヨーロッパでは第一次大戦まで貴族支配が続いている。民主化
さえてから近代化がはじまったのではない。貴族制の伝統を維持
したイギリスのほうがスムーズに民主化され、旧支配者
を追放したフランスのほうはいつまでも混乱がつづいている
のだから25は知識不足。


29 :日本@名無史さん:2005/06/19(日) 21:53:27
>>28
クロムウェルの時代を意図的にスルーするのは良くないと思います。
イギリスの貴族制は名誉革命などを経て作られたものです。
28は知識不足ですね。

30 :日本@名無史さん:2005/06/19(日) 21:54:19
>>1
揚げ足をとるようでスマンが、大政奉還された時点で明治維新成立では?
この時点で徳川慶喜は単なる一大名になったわけで。
むしろ大政奉還がなく徳川幕府がつづいたらどうだったかのほうが興味深い。


31 :日本@名無史さん:2005/06/19(日) 22:06:42
大政奉還後した有能な人材って具体的に誰のこと?

32 :日本@名無史さん:2005/06/19(日) 23:18:16
>>28
イギリスとフランスを比べれば、イギリスのほうが流血の事態を避けたとは言える。
(フランス革命は阿鼻叫喚だったから)
しかし、イギリスでも清教徒革命では多くの内戦を体験し、
チャールズ一世は首を切られている。
イギリスの革命と日本の戊辰戦争を比べた場合、
むしろ日本のほうが短期間に犠牲を伴わない形で革命が達成されたと思う。
28は知識不足だ。

ちなみに、28と全く同じ論理の文を見たことがある。中村彰彦の佐幕礼賛文だった。
後になって、中村彰彦がこの文に関して「清教徒革命は流血でしたけど?」と
質問をされて、回答に窮していたのも見た。笑っちゃったよ。
奴の文章を引用しても所詮このようなことになる。

33 :日本@名無史さん:2005/06/19(日) 23:23:41
会津で官軍が輪姦しまくたって本当ですか?

34 :日本@名無史さん:2005/06/19(日) 23:26:42
むしろ会津兵にされたんじゃね?
官軍がきたら、みんな住民が官軍のとこ帰順したと言われている。

35 :日本@名無史さん:2005/06/20(月) 00:50:23
>>32
清教徒革命ではイギリスの政治は改善されなかった。中村氏の念頭には無血の名誉革命があったのではないかと思われる。イギリスでもフランスのような流血騒ぎがあったからと言って、日本も内戦が必要という理屈にはならないでしょう。

36 :日本@名無史さん:2005/06/20(月) 01:51:31
江戸開城後の戦争は薩長が私怨を晴らすための不必要な戦争だからな。

37 :日本@名無史さん:2005/06/20(月) 08:33:47
私怨ならば長州土佐が官軍最強。
しかし新政府に恭順しないようならば、武力で討伐する以外無いだろう

38 :日本@名無史さん:2005/06/20(月) 10:29:17
まぁ、蝦夷を独立国にしようとしたと言えばそう言うことにもなるんだろう。
外国の脅威が叫ばれてる時代に、何で国を2つに割るんだと・・・

39 :日本@名無史さん:2005/06/20(月) 12:04:26
本当に独立しようなんてさすがに思ってなかったろ。
佐幕側(非政府といった方が正確かな)の降伏後の処遇に関して
より有利な条件を獲得しようという狙い。
結局列強も局外中立の立場を取ったから永続的政権の樹立の可能性は低い。

40 :日本@名無史さん:2005/06/20(月) 12:32:32
幕府はしっかり恭順の意を示している。それを断固討伐とわめいていた
のが西郷で、それを「人道にもとる」と叱りつけたのがパークス。
スムーズな政権移行の最大の功労者はパークスだな。

41 :日本@名無史さん:2005/06/20(月) 19:11:40
討伐の対象は、
江戸での薩摩の狼藉を取り締まった庄内と、
京都での長州の狼藉を取り締まった会津の二藩だけだからな。
薩長の私怨以外の何物でもないな。

42 :日本@名無史さん:2005/06/20(月) 19:16:13
公武合体が成就していたらどうなっただろうか?

43 :日本@名無史さん:2005/06/20(月) 19:55:42
>>41
いつ庄内が討伐の対象になったの?
当時の史書のどこにも「庄内を討つ」なんて書いてないよ。
41は私怨で歴史を歪曲して語る傾向があるようだね。

44 :日本@名無史さん:2005/06/20(月) 20:08:32
大政奉還が公武合体の成立だよ。

45 :日本@名無史さん:2005/06/20(月) 20:09:23
それが会津クオリティ

46 :日本@名無史さん:2005/06/20(月) 20:16:01
かつて幕府が捕虜にした尊攘派を片端から処刑していたことを反面教師にしたのか
新政府側は旧幕軍捕虜を大量処刑することはしなかった。



47 :日本@名無史さん:2005/06/20(月) 20:18:41
戦争動機を私怨に求めるのはナンセンスだよ。
戦費も戦争に伴う犠牲も出るんだから。
怨みの感情だけで危険極まりない戦争など起こしません。
戦争論ぐらい読んでくれ。

>>42
どういう形で、公武合体できたかが問題。

48 :日本@名無史さん:2005/06/20(月) 20:53:21
人間は感情の動物、それと戦争論は外国との戦争が前提で内戦
である戊申戦争とは区別するべきだとおもうぞ。

49 :日本@名無史さん:2005/06/20(月) 21:25:08
>>48
おいおい。
だから感情だけで戦争は出来ないっての。
長州の大村は薩長の力と幕府の力を比べて「勝てない」と断言し、
桂小五郎は非戦論を言い出しているよ。
それと当時は藩=国という認識だよ。他藩=他国だってば。

50 :日本@名無史さん:2005/06/21(火) 00:23:40
>>42
公武合体といっても、雄藩連合志向か、幕府独裁志向かで全く違う。
この対立に決着がつかないと、公武合体は成就しないわけで。
参豫会議で対立して以来ずーっともめまくっていて、
慶喜が前者に傾くと薩摩が反発し、後者に傾くと会津が反発し
というのを繰り返してきた。大政奉還も、そのひとコマ。
当然、会津は不満だから、問題は解決していない。


51 :日本@名無史さん:2005/06/21(火) 07:15:21
>>50
大政奉還で不満なのは会津より薩摩ではないのか?

52 :日本@名無史さん:2005/06/21(火) 13:26:22
孝明天皇が長生きしてたら、多少、歴史が変わったかもね。

53 :日本@名無史さん:2005/06/21(火) 14:33:09
>>52殺されたんだろ?基本的に旧体制側での改革はむりぽ


54 :日本@名無史さん:2005/06/21(火) 15:48:33
>>52
孝明天皇はなんだかんだ言って結局は「攘夷」の主張を引っ込めちゃったからね。
「攘夷」にしたって「消極的『攘夷』」だし。
徳川幕府はともかく、自己の代行と言うべき「一会桑」にべったりだしね。
しかも徳川幕府の十五代将軍は「一会桑」の筆頭の徳川(一橋)慶喜・・・

「大君制」が実現していた可能性は大きいね


55 :日本@名無史さん:2005/06/21(火) 16:52:57
孝明天皇は殺されたなんて、未だにそんな電波飛ばす奴にお目にかかれるとはwww

56 :日本@名無史さん:2005/06/21(火) 18:15:34
兵庫開港を断行しようとした老中の官位を剥奪しているが。
幕権派との対立が表面化する前に逝ったことで一部作家は
「孝明天皇は佐幕派だった」などと決めつけている。


57 :日本@名無史さん:2005/06/21(火) 19:54:35
孝明天皇は「神国日本守ってくれる人キボン」ぐらい
抽象的な考えしかもってなかった江戸期に多かった観念的ヌルッポ右翼。

具体的事象に関して関白・伝奏を通じて幕府に申し入れている内容みたら
世の中を知らない(無理ないけど)坊やに過ぎん。
そんな坊やが生きていたらとどうこうなったかというとそうでもない。
ハッキリ言って仮定そのものに意味がない。

58 :日本@名無史さん:2005/06/21(火) 21:01:59
>>54
島津久光と朝廷のごり押しで、復権を遂げた慶喜だけに幕府内に敵多すぎ。
一会桑への幕府の嫌がらせを見れば良く解る。
惜しむらくは、慶喜の手足となる有能な人材が欠乏していた事だな。
いや、原などいたけど暗殺されてしまったし。しかも下手人は実家の水戸系志士。
ちと、大君制は無理じゃね?。

59 :日本@名無史さん:2005/06/21(火) 21:05:05
>>58
旗本出身の平岡を殺ったのはは水戸藩士、水戸藩出身の原を殺ったのは旗本。


60 :日本@名無史さん:2005/06/21(火) 21:25:34
今まで殺し捲くっていた幕府側が殺される側に置かれると
「無意味な殺人は止めろ」というのは虫が良すぎる。
最も新政府はその辺を心得ており幕府がしたような大量処刑はしなかったが。


61 :日本@名無史さん:2005/06/21(火) 22:47:38
>>59
おっと、平岡と原を取り違えていたか。間違い指摘サンクス。
それにしてもどーしよーもねーなw。かくして慶喜の手足無かりけり。

62 :日本@名無史さん:2005/06/22(水) 00:04:21
>>55
孝明天皇死亡時の症状は急性毒物中毒で病死では説明できない。
つまり孝明天皇は岩倉や薩長による毒殺だね。
毒殺を全否定する態度こそデムパなんだよ。

「幾年か後に、私は裏面の消息に精通する日本人から、帝はたしかに毒殺されたのだと教えられた・・・
やがて幕府が没落すれば、やむなく朝廷が西洋諸国と直接に関係交渉しなければならなくなると予見した人々の手にかかった・・・」
アーネスト・サトウ/A Diplomat in Japan

63 :日本@名無史さん:2005/06/22(水) 00:24:10
証明のない偏見に基づく断定、それが会津クオリティ。
実際は孝明帝の死亡に至る経過は天然痘の一般的な経過と合致する。
異論を唱えているのは病気に無知な自称研究者だけ。

64 :日本@名無史さん:2005/06/22(水) 01:13:35
孫引きだが、
「しかし数年後、その間の内幕によく通じている一日本人が、
わたくしに確言したところによると、毒殺されたのだという。
この帝は所信をもって、外国人に対するいかなる譲歩にも真向から反対してきた。
そのために、きたるべき幕府の崩壊によって、否が応でも朝廷が
西洋諸国との関係に当面しなければならなくなるのを予見した
一部の人々に殺されたというのだ。
この保守的な帝をもってしては、戦争をもたらす紛議以外のなにものも、
おそらく期待できなかったであろう。
重要な人物の死因を毒殺にもとめるのは、東洋諸国ではごくありふれたことである。
前将軍(家茂)の死去の場合も、一橋のために毒殺されたという説が流れた。
しかし当時は、帝についてそんなうわさのあることをなにも聞かなかった。
帝が、ようやく十五、六歳になったばかりの少年を後継者に残して、
政治の舞台から姿を消したということが、こういううわさの発生に
きわめて役立つことは否定しえないだろう。」
(日本の歴史 19 開国と攘夷 中公文庫439P)
このサトウの記録によると、攘夷論者の孝明天皇がいると、朝廷が外国と関係を持つようになると
邪魔だから毒殺したわけだ。
しかしだ、確かに孝明天皇は、攘夷論者ではあるが、条約勅許をおこなってる訳だ。


65 :日本@名無史さん:2005/06/22(水) 05:53:59
条約勅許はいずれは鎖国状態に戻すという条件付き。
さらに兵庫開港を断行しようとした老中の官位を剥奪。
幕府側と孝明天皇の矛盾が表面化するのは時間の問題だったが、
偶然にもその前に逝ってくれた。


66 :日本@名無史さん:2005/06/22(水) 07:06:38
孝明天皇は長州を嫌い抜いていたからね。
言いなりになる天皇が必要で暗殺の動機は十分。

67 :日本@名無史さん:2005/06/22(水) 10:16:49

孝明天皇の死については、タイミングを見れば、
幕府側が外交的窮地から救われた形なんだよね。
小栗なんか一番喜んだんじゃないかな。

そのあとの幕府優勢の反動として、武力討幕派が形成されたわけだから
孝明天皇の死を討幕のための陰謀とするのは
本末転倒なんだよね。


って、スレ違いスマソ

68 :日本@名無史さん:2005/06/22(水) 12:34:14
孝明天皇の死は慶喜が兵庫開講の勅許を得た後だから幕府は窮地にあったわけではないぞ。


69 :日本@名無史さん:2005/06/22(水) 15:57:58
あの頃になれば条約勅許の問題は、あまり重要じゃないだろう
孝明帝の佐幕派で長州嫌いが大きいような

70 :日本@名無史さん:2005/06/22(水) 16:34:31
 もしも、薩長が崇高な理念を持って戦争を起こしたのなら
何故、戦争に敗れた会津藩の人を青森県の辺境に強制退去さ
せたのですか?


71 :日本@名無史さん:2005/06/22(水) 17:24:24
>>70
猪苗代の二者択一をとらせた結果ですが何か?

72 :日本@名無史さん:2005/06/22(水) 20:04:01
>>68
兵庫開港の勅許は、慶応三年の五月だろ。
どうやって孝明天皇が、勅許出すんだよ。


73 :日本@名無史さん:2005/06/22(水) 20:07:08
>>69
孝明天皇が佐幕派で長州嫌いって事はないぞw。
あの天皇は、単に黒船が来る前の平和な時代にかえりたかっただけで。
孝明天皇が、慶喜会津に肩入れしたので佐幕派に見えるかもしれないが、
あの時、慶喜も会津も攘夷を主張した為だ。幕府の開国要求を退ける手だてに過ぎない。
もっとも慶喜は対薩摩戦略で攘夷主張したに過ぎないけど。

>>70
せめて斗南藩史ぐらい読もうよ。無知は恥ずかしいぞ。

74 :日本@名無史さん:2005/06/22(水) 22:27:26
>>62
容保自らが否定しているんだが、
毒殺という説もあるが、日参している私からみれば、病死だったとね。
彼は病状が急変したとすらみていない。
つーかまともな人で、毒殺説など唱えている人などいません。

また、毒殺する動機があるという意味では、むしろ幕府ではなかろうか。
彼は佐幕派とも言われているが、それ以上に筋金入りの攘夷主義者。
フランスとの貿易を拡大し、利権を得て、またもっと開港しろという圧力に従わざるをえなかった、
幕府としては、いいなりにならない天皇は邪魔だったのも事実。
そして当時京を抑えていたのは幕府、この状況では薩長に利する可能性など皆無だよ。
むしろ幼帝をつかって、国政を思うが侭にしたかったとも見れる。
結果的に新政府軍が勝ったから、そういわれているだけで、
幕府が勝っていれば、逆に陰謀論が出ただろうね。鎖国を唱える天皇が邪魔だからやったと。
>>70
関ヶ原で西軍がどうなったと思っている、
大名は打ち首遠島、領土は召し上げ、さらに豊臣恩顧の大名は、
10年いないにその殆どが、つまらん理由で潰されている。
それに比べれば、泣いて感謝してもいいくらいだよ。
そもそも最初から新政府は、藩主の首と引き換えに、罪を許すとしていたのにさ。

75 :日本@名無史さん:2005/06/22(水) 22:38:08
幕府は見境無く投降してきた攘夷派を虐待し殺し捲くっていたが
新政府は投降してきた旧幕派を優遇したわけではないが、殺し捲くることもしなかった。


76 :日本@名無史さん:2005/06/22(水) 23:54:17
>>68
兵庫開港勅許は孝明天皇が死んだから取れたようなもの。
しかも孝明天皇の死は、慶喜の将軍就任から20日後。
当時列強は幕府に対し、新将軍による通商条約履行の確約を迫っていた。
つまり慶喜は、列強公使団に対して、翌年の兵庫開港を
何が何でも絶対に行う、と宣言しなければならなかった。

ところが天皇崩御によって、公使団との接見式が延期され
翌年には、慶喜が親幕府派の摂政から開港勅許をゲットしている。
ここで公武合体政策と開国政策との矛盾が完全消滅してしまった。
討幕派が登場するのは、このあと。





77 :68:2005/06/23(木) 04:04:03
>>73
ああ、現実に言えば急激な変化を嫌った保守派だな
長州嫌いにしても暴発したのが原因だと思うし

78 :日本@名無史さん:2005/06/23(木) 04:05:16
○現実
×厳密

79 :日本@名無史さん:2005/06/23(木) 05:31:30
兵庫開港を幕府の独断で断行しようとした老中の官位を剥奪するなど、
長州嫌いと同時に幕権派を嫌っていた。


80 :日本@名無史さん:2005/06/23(木) 13:31:04
>>74
 江戸時代の終わりに250年前以上の事件を持ち出されてもね。
大体、関が原と維新の戦争では時代背景も違うし。


81 :日本@名無史さん:2005/06/23(木) 14:27:58
何かしらんが、崇高な理念だろうがなんだろうが、
一応会津藩は敵だったんだろ?

負けて強制的に退去させられるくらい当たり前だと思うが・・・
関が原とか、そんな事は関係無しに。

82 :日本@名無史さん:2005/06/23(木) 17:56:52
テロが横行すれば取り締まらなければいけないわけで、会津藩は
貧乏くじを引かされたんだよ。

83 :日本@名無史さん:2005/06/23(木) 20:36:23
国許の帰国要請を頑強に跳ね除けたのが松平容保。
貧乏くじというよりは、藩主自身による権力への欲望で破綻したのが会津。

84 :日本@名無史さん:2005/06/23(木) 21:35:09
役料としての五万石加増は会津藩としても捨てがたい魅力があった。
京都詰め藩士にも相応の俸禄が出ており、役目を果たさんと意気軒昂であった。


85 :日本@名無史さん:2005/06/23(木) 22:09:30
>>80
パータレ。征長を主張した幕府首脳部は「関ヶ原の再現」をやろうとしたんだよ。
コレ幕府の作戦方針。将軍家茂が江戸城に留まったままなのも、
外様を先に戦わせてから出陣するという関ヶ原の故事にならったもの。

86 :日本@名無史さん:2005/06/23(木) 22:42:21
関ヶ原の頃と意識が同じなら政権放棄などありえないわけで、やはり
武士の倫理観が向上していたと思われる。

87 :日本@名無史さん:2005/06/23(木) 23:56:26
>>80
第二次長州征伐の時の、幕府の事前の占領案によると、
まず厳封して飛ばし、藩主と幹部クラスを切腹させ、幕府から養子を入れるというものだが?

88 :日本@名無史さん:2005/06/24(金) 06:00:23
幕府は降伏すれば公正に処遇すると言ったが、
長州は甘いこと言って後でばっさり殺るつもりだろうと
幕府の言い分を信用しなかった。


89 :日本@名無史さん:2005/06/24(金) 18:24:27
他人は自分の鏡

90 :日本@名無史さん:2005/06/24(金) 22:20:45
>>83
権力への欲望ねェ・・・。
その説は会津に限らず、あらゆるケースに当て嵌まるな。

91 :日本@名無史さん:2005/06/24(金) 23:40:14
諸大名は武装解除させられていただろう

92 :日本@名無史さん:2005/06/25(土) 06:54:12
どーやって???

93 :日本@名無史さん:2005/06/25(土) 07:19:42
>>1
そうとう日本は出遅れてただろうな

94 :日本@名無史さん:2005/06/25(土) 12:21:13
>>85
それにしては、芸州口の先鋒は井伊の赤備えだったが。

ここの佐幕連中は不可能な仮定を持ち出したりするのでダメだと思う。
最初「イギリスのように無血で革命を起こせなかったから明治維新はダメ」と言い、
イギリスでも清教徒革命では戦争と処刑があったことを晒されると、
「一人でも死者が出たから反省すべきだ」と書いたりする。
それでは最初の「薩長はイギリスを見習え」という発言の趣旨はどこに行ったのだ?

95 :日本@名無史さん:2005/06/25(土) 17:45:06
イギリスの議会政治を見習えということではないかな。
開国策をとく長井雅楽を殺したり、慶喜を新政府から
閉め出してこれはおかしいと主張する山内容堂を脅したり
とろくなことをしてないからな。

96 :日本@名無史さん:2005/06/26(日) 06:54:52
>95
こちら側はイギリスが無血とも一人でも死者がとも言ってない。勝手に不可能な仮定にしているのはそちら側。
イギリス革命は王統派と議会派の争いにすぎず、元の王政に戻ってしまった。支配層に変化はなく、革命は無かったと言うものもいるくらいだ。

97 :日本@名無史さん:2005/06/26(日) 12:41:14
ヨーロッパの近代国家の始まりは、国王が商業資本と結びつき常備軍と
官僚制で封建諸侯を征したことによる。幕末徳川がやろうとしたのはこ
れで、近代化と王朝交替革命は何の関係もない。実質的な日本の王であ
る徳川幕府を強化するほうが近代化の王道だったのだ。なぜ失敗したの
かと言うと、幕府の管理貿易を嫌ったイギリスが都合の良い政権をもと
めて薩長を支援したからで、パークスの意向しだいで結果は違って
いた可能性もあるのだ。

薩長の革命でなければ改革に成功しなかったと思う人が多いのは、
ヨーロッパが絶対王政による近代化と市民革命という2つのできごと
を経過後に日本は明治維新を迎えたことにより、革命がなければ近代化
できないという誤解が生じたのだ。

98 :日本@名無史さん:2005/06/26(日) 20:58:36
参勤交代を復活させようと目論んでいた幕閣に「近代化」が出来たはずだなどと信じるのも勝手だが。


99 :日本@名無史さん:2005/06/26(日) 21:31:50
愚かな暗殺や英公使館焼き討ちをやっていた連中が近代化を成功
させたんだから幕府でもできそうだぞ。

100 :日本@名無史さん:2005/06/27(月) 05:20:30
越後に官軍がくると即行で逃げ出す長岡藩主などが老中を務めていた幕閣連中に
近代化を達成させる根性や行動力は期待できない。


101 :日本@名無史さん:2005/06/27(月) 18:01:55
殿様自身が改革する必要はないんだけどね。優秀な家臣を
引き上げればいい。幕府老中の板倉勝静は山田方谷を、
長岡の牧野忠恭は河合継之助を抜擢して藩政改革に成功
している。

102 :日本@名無史さん:2005/06/27(月) 19:26:16
無能な殿様に優秀な過信を引き上げる事が出来るのかって話になる。
それが出来る殿様は優秀だろ。

103 :日本@名無史さん:2005/06/30(木) 15:13:44
久しぶりに日本史板着たけどなんかクオリティ低下したな・・・・

104 :日本@名無史さん:2005/06/30(木) 20:26:49
vipに帰ればいいじゃない

105 :日本@名無史さん:2005/07/01(金) 05:42:33
>>29
身分制議会に関してならピューリタン革命以前から
あるものに市民が便乗した形だな。クロムウェルは議会
を無視した軍事独裁政権と言っていいから、特段貴族政治の成立過程とは関係ない。
寧ろ恐怖政治化した共和政治に否定的な考えをもたらした時代。
以後国教徒しか官職には着けなくなる。ピューリタンやカトリックを排除したわけだよ。
かえって王政と貴族政治の必要性を再認識させた時代だろ。
>>32
流血の程度はあまり意味はない。フランスでも王政復古はあり身分制三部会を
継承したのが現フランス議会。「創られた階級」と言われている連中がやはり支配
している。改革なり革命なりが上手く行きそれなりの政治的結果が出るのは、大抵は
急進化を避け或いは緩和し、表面上はともかく、継続的な政策を打てるかどうかだ。



106 :日本@名無史さん:2005/07/01(金) 05:42:54
どちらも君主制だが、さて明治政府は共和制的かそれとも貴族制的か?

多分前者だろ。だから結局は公家化していた天皇の形式的な制御では軍部の支配は困難になった。
結果維新政府は短命で終わる。天皇への直接的な忠義と言う国家神道の発想は寧ろ
ピューリタン時代のクロムウェルに似ている。新興宗教による支配と言う考えはよく似ている。
軍事力の多用とクーデターの利用と言う点も酷似している。
貴族的な議会政治と王権による政府の均衡と言うバランスが英国政治を形成したと言えるが、
維新政府はあまり議会を重視はしていない。
身分制の時代からの継承と言う伝統的歴史的背景が欠落していたからだろうな。

では日本の伝統的議会とは何だったのか?
朝廷と言うことになるだろうな。そこで公家がまたまた活躍するわけだ。
しかし公家と武家にニ分化した日本ではこれが妥当だったのか?
漏れは無理な公武合体が結局は政権破綻の原因だと思うよ。
朝廷を議会、政府を幕府と仮定すると均衡どころか離反するしかあるまいな。
鎌倉-江戸時代で天皇家を始め公家は明らかに衰退した。
もともと政府、特に軍部を抑える力なんぞなかった。
関東軍の暴走が明治政府敗戦破綻の原因とするならば議会や公武の公を
過信したことが日本の失敗の始まりかな。
公と言う概念をよく見かけるが、天子や朝廷と言う意味がある。
衰退或いは形式化してしまった権威でなぜ統治が可能と考えたのだろうか?



107 :日本@名無史さん:2005/07/01(金) 07:46:24
老中だった時参勤交代復活を目論んでいた思考の持ち主だった牧野は近代化とは反対側の人間に属する。

108 :日本@名無史さん:2005/07/01(金) 12:19:41
幕末も当初のころは攘夷を唱えるものが多かったけど、時代
が下るにつれて日本がおかれた状況を理解するようになり
開国やむなしとなっていったんだから、牧野も意見をかえる
かもしれないし、変えなければ失脚することになると思う。
長州も愚かな攘夷を捨てて開国に転じたのだ。

109 :日本@名無史さん:2005/07/04(月) 07:25:01
薩長を支持している奴は要するに暴力主義者なのか。政争は殺し合い
ではなく話し合いで解決されるようにイギリスでは変化していった
のに、日本では長井雅楽・徳川慶喜・板垣退助といった言論派を
後ろ暗いやりかたで陥れていった連中を支持している。彼らは
ファシストか「英雄豪傑が大活躍して日本は良くなりました」という
子供じみた歴史観の持ち主なのだ。

110 :日本@名無史さん:2005/07/05(火) 01:05:38
そんな感情論は、他所でやれ

111 :日本@名無史さん:2005/07/07(木) 13:46:26
 そもそも、大政奉還をした時点で、倒幕側の掲げた
「明治維新」は、終わっている訳で何の為に無駄な血
を流してまで戦争を起こしたのでしょうか?


112 :日本@名無史さん:2005/07/07(木) 14:28:25
戊辰戦争は戦国時代感覚で見るべし!

113 :日本@名無史さん:2005/07/07(木) 15:55:01
>>111
長州一藩も潰せないへタレ幕府という大所帯が邪魔なんですよ。
日本の近代化の為にはこの”根”を除かなきゃなんないんです。

114 :日本@名無史さん:2005/07/07(木) 20:43:48
>>111
「徳川家が平和に一部の領地を返上したら慶喜を新政府に加える」という岩倉との約束を破り、
旧幕府軍が京都へ進軍して起こったのが戊辰戦争ですが。なにか?。

115 :日本@名無史さん:2005/07/07(木) 20:50:22
>>108
すると井伊大老の先見の明が明らかになるわけで

116 :明治維新:2005/07/07(木) 20:56:22
御箇条のご誓文の草稿がオークションに出されるみたいです。最低価格二千万。価値ある国家文書がオークションに出されるとは…

117 :日本@名無史さん:2005/07/07(木) 23:58:48
日本人とは保守的で現状維持したい人が多い人種ですから。
変わることに抵抗を感じた人が多かったのでしょう。

118 :日本@名無史さん:2005/07/10(日) 15:03:35
>114
何故慶喜のみが条件付きで新政府に参加する権利をえなければ
ならないのですか?

119 :日本@名無史さん:2005/07/10(日) 15:09:00
倒幕派が御箇条のご誓文で言ってることは、昨日まで幕府が主張してたこと。
さんざん開国の邪魔をしたDQNが、そしらぬ顔で開明派気取りなんだから笑える。

120 :日本@名無史さん:2005/07/10(日) 17:02:50
明治維新が起きなかったら今も刀とちょん髷です。

121 :日本@名無史さん:2005/07/10(日) 17:48:12
アレ?
幕府って諸藩に対しても開国許してたっけ?

あくまでも幕府と外国に関してだけの開国だった記憶が・・・

122 :日本@名無史さん:2005/07/11(月) 12:29:47
諸藩が独自に貿易を行って、上がった利益で軍備を
増強し殺し合ったらインドの二の舞ですよ。

123 :日本@名無史さん:2005/07/11(月) 16:38:38
でも結局殺し合った形のような・・・<明治維新

124 :日本@名無史さん:2005/07/11(月) 18:51:36
>>115 不平等条約の何処が先見なの?
物価高騰に対する政策すら皆無なのに・・・

125 :日本@名無史さん:2005/07/11(月) 18:53:06
井伊に先見の明があったってのは流石に苦しいな。

126 :日本@名無史さん:2005/07/11(月) 19:03:19
中国の植民地になってるアールよ

127 :日本@名無史さん:2005/07/11(月) 19:12:37
外国相手に無謀な戦いをして惨めに惨敗したあげく全てを幕府になすりつけたアホ長州にくらべたら井伊には先見の明があったな。

128 :日本@名無史さん:2005/07/11(月) 19:17:33
話をまとめると、
薩摩が一番先見の明があったという事でよろしいですね。

129 :日本@名無史さん:2005/07/11(月) 19:39:12
明治維新起こらない→半島に進出しない→関わらない

漏れとしてはこれでお腹いっぱい

130 :日本@名無史さん:2005/07/11(月) 19:40:37
ペリーがちょっかい出すからだよ。

131 :日本@名無史さん:2005/07/11(月) 21:25:36
>>1
徳川慶喜はじめ幕府方の有能な人材は
最初から幕府は潰すべきだと考えていたし、
そうでなくても戊辰で命運を悟って上手く立ち回りました。

戦争に動員されたり戦場になった地の平民は
選択の余地がなかったからともかくとして、
幕府側勢力のそれなりの地位にあって死んだのは、
それこそ虚ろな目で精神論をふりかざすしか能のない
愚鈍な能無しどもばっかなので何の問題もありません。

132 :日本@名無史さん:2005/07/11(月) 21:32:48
つまり、>>131は慶喜が有能だと思っているわけやねw

133 :日本@名無史さん:2005/07/12(火) 11:57:30
>>132
違うのか?

精神論をふりかざし目先の戦いに勝つことしか頭になく
それ以外のことにはまったく考えの及ばない会津人には、
早々に新政府軍に白旗を上げた慶喜は無能に見えるのかもしれないが。

134 :日本@名無史さん:2005/07/12(火) 15:37:11
 京都を荒らしまわったのは、果たして何処だろうか?
新撰組は何の為に組織されたのだろうか?


135 :日本@名無史さん:2005/07/12(火) 15:43:44
96 :日本@名無史さん :2005/07/09(土) 13:19:55
徳川慶喜は将軍に就任して以来、列強諸国から「日本の皇帝」(エンペラー Emperor)として承認されていました。
その彼が、12月9日の「王政復古」の政変による幕府廃止に伴い、
将軍職を辞任(と言うよりも更迭)させられた一週間後の12月16日、大坂城(大阪城)に各国公使を引見した際、
慶喜は引き続き「自分自身が日本の主権者である」旨を宣言しており、公使達もそれを支持していたと言う事実です。
更に重要な事は、「大政奉還」にしろ「王政復古」にしろ、朝廷=新政府(薩長主体の)には、発足当初、日本を統治する何らの実力も無かったと言う事です。
「大政奉還」を受理した朝廷は、国家の重要案件や外交問題の処理については「衆議を尽くす」事、
その他の案件については「召しの諸侯上京の上、御決定これあるべく」として、諸大名に対して朝廷から上京命令が発せられたのですが、
譜代大名(徳川家の直接の家臣)の多くがこの命令を辞退(無視)し、朝廷より賜った官位を返上しようとした事実です。
つまり、彼ら譜代大名にとっては、徳川家こそが自分達の主権者であり、
外様(とざま)である薩長が主体の新政権=朝廷に指図を受ける筋合いは無い、と考えた訳です。だからこそ、
上京命令無視・官位返上と言う挙に出ようとした訳です。これが意味するものは、
例え将軍職(列強諸国が言う所の「エンペラー」)を辞したとしても、慶喜が「日本の主権者」である事に何ら変わりがなかったと言う事です。
そして、その慶喜が最終的に目指したもの、それは将軍に代わる新たな地位 ── すわなち「日本国大統領」の座だったのです。

「日本国大統領」。慶喜は、自らの政治顧問である西周(にし-あまね)に『議題腹稿』を起草させています。
これは言うなれば「憲法草案」と言えるものでした。(以下、概要)

136 :日本@名無史さん:2005/07/12(火) 15:44:06
97 :日本@名無史さん :2005/07/09(土) 13:20:39
この中に謳(うた)われている「大君」こそ、慶喜が将軍職に代わって新たに狙っていた地位なのです。
確かにその名称は「将軍」の対外的呼称であった「大君」(タイクーン:Tycoon)と同じです。
しかし、『議題腹稿』に定義されている新たな「大君」職は、行政府の長であり、立法府の長であり、尚かつ、軍最高司令官をも兼任する強大な権限を有しており、
それはさながら、古代ローマ皇帝(元首:Princeps プリンケプス)か、アメリカ合衆国大統領(President プレジデント)と言った所でしょうか。
そして、それを可能にする素地が実際にあったからこそ、慶喜は「大政奉還」の挙に打って出、将軍職を辞任しても何ら臆する事が無かったのではないでしょうか?

「列藩会議」。慶喜は、徳川宗家の持つ強大な軍事力、
「前将軍」と言う知名度、そして、列強諸国から依然として「日本の主権者」として認知されている事実を最大の武器に、
朝廷が諸大名を招集して開催するであろうこの会議において政治の主導権を掌握し、
『議題腹稿』に則って「大君」 ── 事実上の「日本国大統領」に推戴される事を狙っていたのでしょう。
しかし、歴史の歯車が狂い、戊辰戦争において「朝敵」の汚名を受け、遂に日本国初代大統領の座を掌中にする夢は潰(つい)え去ったのです。
その後、日本は薩長土肥主体の明治新政府が成立、時をおいて内閣、そして議会が開設されていくのですが、
私は、慶喜の思惑通り事が進み、例え『議題腹稿』に沿った新国家が成立していたとしても、
我々の知る「歴史」とそれ程違った体制になったとは到底思えないのです。発足当初こそ大名主体だったとしても、
時が経てば当然の事ながら民主化されたでしょうし、天皇も現在の地位である「日本国民統合の象徴」として定着した事でしょう。
要は、「明治維新」と言うある種の「革命」があったかなかったか、改革が急進的だったか漸進的だったかの違いでしか無かったのでは無いでしょうか? 
もし、歴史に「if」が許されるのであるならば・・・そう考える時、
慶喜が目指した新国家の「その後」の歴史が、実際どの様に推移していっただろうか?と、知りたくもあります。

http://www004.upp.so-net.ne.jp/teikoku-denmo/no_frame/history/honbun/keiki.html

137 :日本@名無史さん:2005/07/12(火) 15:44:32
98 :日本@名無史さん :2005/07/09(土) 13:25:55
慶喜のめざしていた「大君」はアメリカ的な大統領とはちがうだろ。
むしろ、君主国連邦であるドイツ帝国の皇帝みたいな地位だ。

あと、天皇は政府から切り離して山城国に放置プレイなんだから、
せいぜいローマ教皇的な国家外の存在であって、象徴天皇にはならない。

138 :日本@名無史さん:2005/07/12(火) 15:45:21
慶応四年正月 小栗作戦が実行された場合の近代日本史。

1858 井伊直弼が日本を開国。日本の近代化が始まる。
     近代化に反対する鎖国主義勢力を処罰する。
1860 新見使節団が米国を視察する。
     桜田テロ事件。反近代派のテロ。井伊氏が犠牲に。
1861 軍制改革が始まる。福沢諭吉ら知識人が活躍し文明開化が始まる。
1862 竹内使節団が欧米を視察する。留学生を送る。
     薩長の乱がおこる。(〜1868) 鎖国回帰を主張する
     復古勢力の反乱。一時京都を焼く。
1863 池田使節団が欧州を視察。
1864 反乱による政情不安続くも、小栗忠順らが政府の
     建て直しに活躍する。
1865 横須賀製鉄所をつくる。日本の工業化が始まる。
1866 薩摩藩・長州藩の起こした薩英戦争・馬関戦争により、関税率が下がる。
1867 兵庫商社をつくる。株式会社のはじめ。
     軍制改革がすすむ。
1868 徳川慶喜氏が大君(=大棟梁=大統領)に就任する。小栗らと連携し
     反乱鎮圧と近代化に尽力。
     政府が最終的に反乱を鎮圧し、首謀者および
     政府側内通者を斬首。6年にわたる政情不安が
     解消される。
     廃藩置県が実施される。
1869 四民平等になる。鉄道が開通する。
1870 憲法が発布され、議会が開設される。
1871 日清 日朝間に平和友好条約が結ばれる。
1872 小栗らの主導により、富国強兵政策がすすむ。
1873 産業革命がすすむ。
1907 小栗氏が死去。日本近代化を指導した巨人。
1913 徳川慶喜前大統領が死去。すでに日本は世界屈指の
     平和国家にして民主主義国家・経済大国に。

139 :日本@名無史さん:2005/07/12(火) 16:44:22
>>131幕府が幕府を潰すなど考えとらんよw
幕府は諸藩を廃止し、幕府中心の独裁国家を企ててたんだろうが
>>133 慶喜は勝ち負け云々よりも逆賊の汚名を恐れたんだろ
水戸出身ゆえにね


140 :日本@名無史さん:2005/07/12(火) 16:46:20
>>134 答えは幕府。
朝廷には攘夷。外国には開国。
この矛盾した行動が全ての混乱の理由

141 :日本@名無史さん:2005/07/30(土) 21:01:05
矛盾してるのは薩長だよねぇ。

142 :日本@名無史さん:2005/08/03(水) 13:32:15
 戊辰戦争で、薩長が色々理屈をつけているが
要は、怨みと天下が欲しいだけなのではなかろうか?

 その証拠に、薩長出身の人間は直ぐに派閥を造って
周りを固めたがるし。(現在でも)

143 :日本@名無史さん:2005/08/03(水) 14:10:30
明治維新はクーデターで成り立った。薩長中心の明治新政府は、さまざまな醜い部分や真実を歴史から消し去り、謀略によっておのれを正当化したのである。
その後、明治新政府は
冨国強兵
殖産興業
という政策により軍国主義の道を歩み始めた。
こうしてこの八十年間で幾多の戦争を引き起こし、多くの犠牲者を出した事は多くの人々の知る事である。
日本の悲劇は、薩長を中心とする人らによって政府が作られた時からすでに始まったと言ってよい。

144 :日本@名無史さん:2005/08/03(水) 14:30:27
孝明天皇を毒殺した薩長&岩倉は右も左も分からない16歳の幼い明治天皇を手中に入れ徳川幕府を潰した。
薩長閥を中心とする明治新政府は明治天皇を大元帥陛下にまつりあげ近代国家軍国の道を歩み始めた。


145 :日本@名無史さん:2005/08/03(水) 15:46:33
まあ謀略・クーデターは政権交代の表層的な要素に過ぎんのだけどね。
技術革新、流通変化、外交などの変化による社会そのものの変化が起きていた。

146 :日本@名無史さん:2005/08/03(水) 16:21:15
>>145
 政府が大政奉還して、事実上幕府が崩壊したんだから
当時の世界状況を考えても内紛は意味が有るとは言えない
のでは?


147 :日本@名無史さん:2005/08/03(水) 16:35:37
幕府が崩壊しても、その残党が武力をもって新政府に対抗する一大勢力を形成しつつあったからね。
世界の状況をかんがみてこそ、国内を一つにまとめる必要があったといえる

148 :日本@名無史さん:2005/08/03(水) 16:52:04
>>147
>世界の状況をかんがみてこそ、国内を一つにまとめる必要があったといえる
 国内を一つにまとめる為に、何故戦争が必要なのですか?日本人は
何事も腕力でしか解決できないほど愚かな民族なのですか?


149 :日本@名無史さん:2005/08/03(水) 16:56:40
戦争を仕掛けたのは薩長の官軍と呼ばれた明治政府。

150 :日本@名無史さん:2005/08/03(水) 17:56:50
幕府の方が上手いことやってたのは確か。
血の気の多いのは駄目なんだよ。

151 :日本@名無史さん:2005/08/03(水) 18:26:46
>>148
戦後教育に毒されたモノの見方ですねw

152 :日本@名無史さん:2005/08/03(水) 18:33:18
もしも、明治維新が起こらなかったら?
俺は今ごろ上級武士
気にいらねーレスするヤツは身元割り出して
片っ端からぶった斬ってやる

153 :日本@名無史さん:2005/08/03(水) 18:38:35
>>152
マジレスすれば、お前は生まれてないよ。

154 :日本@名無史さん:2005/08/03(水) 22:35:52
>152
マジレスするとキモヲタは家を嗣げない

155 :日本@名無史さん:2005/08/03(水) 22:46:44
>>152
ここにカキコする時点で旗本奴と決定。

156 :日本@名無史さん:2005/08/03(水) 23:19:18
>>155
武士であっても意味なく人斬ったら罰せられますが。なにか?

157 :日本@名無史さん:2005/08/03(水) 23:24:48
1878 徳川慶喜、旧旗本によって斬殺 享年43


158 :日本@名無史さん:2005/08/03(水) 23:27:46
いきなり何の話しだ!?

159 :日本@名無史さん:2005/08/03(水) 23:56:18
>>145>>151
馬鹿ほど変化変化とよく言いたがるな。


160 :日本@名無史さん:2005/08/04(木) 07:24:52
幕府のままだったら今の奥さんとは結婚できなかったな。300石くらいいただく家だそうだから。

161 :日本@名無史さん:2005/08/04(木) 08:20:37
>>159
馬鹿って言うな。・゚・(ノД`)・゚・。ウエエェェン  

162 :日本@名無史さん:2005/08/04(木) 09:40:04
>>148
ネタですか?

163 :日本@名無史さん:2005/08/04(木) 10:05:12
俺が坂本龍馬だったろな。ニートだし。

164 :日本@名無史さん :2005/08/04(木) 10:17:28
幕府もイギリスにアームストロング包30門注文してたんだろ。
届いた後に戊辰戦争が始まっていたら確実に薩長軍は負けていた。
でも、近代化の流れは変わらなかっただろ。
というか、不平等とはいえ、開国の必要性を最初に感じていたのは幕府じゃん。





165 :日本@名無史さん:2005/08/04(木) 10:33:51
>>164
それを使いこなせる人材育成も必要なわけだ。
しかし、幕府は最新にして最強の装備を持つ歩兵伝習隊でもあの様だしなぁ

166 :tya:2005/08/04(木) 13:21:37
近代においてわれわれ日本人は変革を意識し実行しようとするとき明治維新に立ち
もどってその意義を見出し、自らの行動の正当性や目標としてきたが、それはなぜ
だと思いますか?

167 :日本@名無史さん:2005/08/04(木) 20:22:55
ハイ!。市民革命だと血みどろ皆殺しで痛杉だからです!。
維新なら改革ほど甘くなく、革命ほど痛くない。

168 :日本@名無史さん:2005/08/04(木) 22:21:44
太平洋戦争も無かった。
中国や朝鮮とこじれることも無かった。

薩長の所業はクソ

169 :日本@名無史さん:2005/08/04(木) 22:31:49
>>168
中国や朝鮮は日本相手以外にトラブルを頻発させこじれさせていますが何か?


170 :日本@名無史さん:2005/08/05(金) 19:42:00
>>166
近世から近代への架け橋として明治維新というものが
時代的には近いことが大きな理由だろうな。

敗戦からの復興の方が明治維新より近いのにあまり取り上げられないのは、
現在の体制(戦後民主主義や社会主義的要素を存分に取り入れた再分配方式、自民党の55年体制等)で
起きた歪を正そうとかそういう視点から考える事が多いから。


171 :日本@名無史さん:2005/08/10(水) 18:38:01
 「革命に血がつき物」

 頭が悪い人間が良く使う台詞だが、薩長の偉い人間は戦争が終わった後
血を流した、ケジメを取ったのであろうか?


172 :日本@名無史さん:2005/08/10(水) 22:14:09
>>171
明治維新は革命じゃない。
武士階級内の権力闘争によるクーデタだよ。

173 :日本@名無史さん:2005/08/10(水) 22:25:04
>>171
維新の英傑でまともな死に方をした者の方が返って稀だが。



174 :日本@名無史さん:2005/08/11(木) 16:13:41
>>172
 武士階級内の権力闘争なら、何故日本国中を
巻き込む必要が有ったの?
 これなら、単なる薩長の私怨じゃないですか。

226のクーデターより、はるかに意味が無い戦争ですね。


175 :日本@名無史さん:2005/08/11(木) 21:47:25
幕閣が己の権勢の為に有為な人材を殺人しなければ、
討幕は不可能だった。


176 :日本@名無史さん:2005/08/11(木) 23:24:13
>>174
ん?維新政府に恭順しなかった、若しくは政府の意向に従わなかったから
戦争に及んだだけだろ?
そりゃ国内が分裂していちゃ諸外国に統一国家としての面子が立たないよ

177 :日本@名無史さん:2005/08/17(水) 11:41:14
>>175
有為な人材=テロリスト

178 :日本@名無史さん:2005/08/17(水) 15:39:43
>>174
世界にはクーデターから泥沼の内戦に至ったものもありますが、それが何か?

226は、あくまでも小規模のクーデター未遂事件だろ?

179 :日本@名無史さん:2005/08/18(木) 03:25:54
涼スレageだなあ

180 :日本@名無史さん:2005/08/27(土) 17:53:48
夏休みの宿題でもしも歴史がryってのがあります。誰かまとめを作ってください

181 :日本@名無史さん:2005/08/27(土) 18:33:17
明治維新はクーデターで成り立った。薩長中心の明治新政府は、さまざまな醜い部分や真実を歴史から消し去り、謀略によっておのれを正当化したのである。
その後、明治新政府は
冨国強兵
殖産興業
という政策により軍国主義の道を歩み始めた。
こうしてこの八十年間で幾多の戦争を引き起こし、多くの犠牲者を出した事は多くの人々の知る事である。
日本の悲劇は、薩長を中心とする人らによって政府が作られた時からすでに始まったと言ってよい。

182 :日本@名無史さん:2005/08/27(土) 19:01:39
自虐で自己完結するなよ。


183 :日本@名無史さん:2005/08/27(土) 19:35:28
幕府が続いても明治政府と同じく大陸に進出するだろう。しなければ食われてしまうからな。

184 :日本@名無史さん:2005/08/27(土) 19:45:23
そんなことない

185 :日本@名無史さん:2005/08/27(土) 20:48:30
樺太や千島を巡ってロシアと深刻な対立をきたし、水戸藩士あたりが
ニコライ皇太子を斬殺とかいった事件を起こす。


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