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「魏志倭人伝」等を読む(邪馬台国はどこですか16)

1 :日本@名無史さん:2005/06/28(火) 11:32:13
立場、主義主張を超えて真摯な議論をしましょう。
荒らしは徹底無視の基本方針でマタ〜リとお願いします。
歴史的スレタイを変更しないで! 写本の心で。

過去スレ:
「魏志倭人伝」等を読む(邪馬台国はどこですか15)
http://academy3.2ch.net/test/read.cgi/history/1105421912/

2 :日本@名無史さん:2005/06/28(火) 11:52:06
に GET

3 :プラム:2005/06/28(火) 11:57:26
たくさんの人が居ないと
何かまずい事情でもあったのではないか

『親魏倭王』に箔が付かないとか

3 GET

4 :日本@名無史さん:2005/06/28(火) 16:13:51
それはあると思う。
ある程度の兵力、さらにそれを支える人口がなければ
当時絶賛内乱中の中華帝国にとっても頼むに足るとは思われまい。
そんな中で人数を厳密に調べたりするだろうか?
海の向こうの蕃国に赴く官僚も、中原を遠く離れた地でそこまできっちり任務を果たすだろうか。

5 :プラム:2005/06/28(火) 18:42:57
>>4
確かに ?の取れない数字だと思います。
それに 確か
魏の勢力範囲である西の外れと東の外れは確か同じ『親魏』として同じ『位』ではなかったでしょうか?
その辺の政治的配慮もチラホラと、
(現在出先のカキコで手元資料がないため間違っていたらスマソ)

6 :日本@名無史さん:2005/06/28(火) 19:26:18
中国自体も、複数の皇帝が長期的に対立すると言う状況は極めて異常。
禅譲されて建国され、また中原河北を制圧している魏とて、不安定な状況に変わりはない。
そんな中で漢の光武帝が注目した東方の国が使者を送って臣従を申出てきたということは
魏にとっても大きな政治的意味を持つはず。
そういう意味でも誇大の数字を出している可能性はある。
容易に確かめうる情報でもないし、隠蔽言い訳も簡単だ。

7 :日本@名無史さん:2005/06/28(火) 20:01:58
ニュース板の天皇スレで、古代について話題になっているので、
よければ少々知識を披露してあげてください。
ほかのスレにも張ります。

http://news18.2ch.net/test/read.cgi/news2/1119715154/l50

8 :プラム:2005/06/28(火) 21:44:57
そのように 誇張した数字の可能性があるとすると
わざわざ 五万(投馬)や七万(邪馬壹國)にみあった場所を設定する必要が無いことにも繋がりますな

9 :日本@名無史さん:2005/06/28(火) 21:55:28
>>8
しかし少なくとも奴国(博多湾沿岸)と
同等規模の遺跡を有する場所を想定する必要はあるんだけどね。
投馬国も邪馬台国も、そして狗奴国も。

10 :プラム:2005/06/28(火) 22:01:20
>>9
どうして?

こうなると伊都の千戸も多すぎる(誇張)ように思えてきた

11 :日本@名無史さん:2005/06/28(火) 22:14:25
>>10
博多湾沿岸地域や加布里湾、松浦半島沿岸を再開発できるだけの経済力が必要だからさ。
これは邪馬台国と投馬国の条件。
まあ邪馬台国に関しては宗教施設に特化したと仮定すれば
もっと少なくてもいいんだが、それには共立主体となる
各地域が相当な経済力を拮抗状態で有していたことになる。

狗奴国はその連合に依存せずとも存続できると判断が可能な力が必要だろう?

それと伊都国は逆に魏略の「万余戸」が正解かもしれないよ。
井原や平原の規模からして千戸は考えにくい。

12 :プラム:2005/06/29(水) 01:02:37
>>11
博多、加布里、松浦にしても未だに壱岐の港施設規模の遺跡が確認されていないのだが、その点はいかに

伊都の魏略における萬餘戸だけど これこそ眉唾と思わざるおえない数値です。(比較対象が?ですが)
現在でも 一万戸の都市とは人口三万人規模の都市となります それを当時東西最大六百里の国(魏略と魏書に変化無しと仮定)に押し込めるのです。
当時幅六百里の国に三万の人口は、現在の博多市を上回る規模の都市となると思うので 私の脳内では流石に信じがたい数値です。

13 :日本@名無史さん:2005/06/29(水) 04:13:10
>>12
11氏じゃないけど
>博多、加布里、松浦にしても未だに壱岐の港施設規模の遺跡が確認されていない
とっくの昔に発掘されてますよ、原の辻ほど完璧な残り方をしていないけどね。
特に加布里湾は志登を中心に8ヶ所ほど、当時最大規模の複合港湾施設だと考えられています。

>当時東西最大六百里の国
戸数は眉唾なのになぜ距離は信じるのですか?
だいたい東西六百里もある遺跡なんて、日本に存在しませんよ。
だからといって短里とか言わないでくださいね。

14 :プラム:2005/06/29(水) 07:21:41
>>13
では、貴方はどのようにお考えでしょうか?

私は、>>11氏の玄界灘沿岸の再開発にともなう質問であり、再開発を行ったなら壱岐に匹敵する規模の港施設が存在してもいいのではないか

それに魏書の千戸より魏略萬戸の方が正解かも
についての自分なりの考え

15 :日本@名無史さん:2005/06/29(水) 09:55:13
壱岐に千戸は多すぎ。農業ができないってかいてあるし。
朝鮮の鬱陵島は80人だったらしいし。



16 :日本@名無史さん:2005/06/29(水) 13:04:01
>>15
一戸が家族四人だと仮定したら、鬱陵島は二十戸だわな。

17 :日本@名無史さん:2005/06/29(水) 15:18:54
太宗実録
太宗十七年二月壬戌条
安撫使金麟雨、還自于山島、献土産大竹・水牛皮・生苧・綿子・
検樸木等物、且率居人三名以来、其島戸凡十五口男女并八十六、
麟雨之往還也、再逢颶風、僅得其生

時代確認と対訳
太宗17年は西暦にして1417年である。于山島という
島名が韓国の文献に最初に表れるのが、この太宗実録である。
金麟雨は島民3名を率いて于山島から本土に還ったときに、大竹、
芋、アシカ等を持ち帰っている。また于山島にはおよそ15戸、男女併せ
て86人が住んでると報告した。

86/15−5.733...戸数は昔だからこれが妥当でしょ


18 :日本@名無史さん:2005/06/29(水) 15:20:23
>>17
うわ。下の文は翻訳じゃなかった。すまん

19 :日本@名無史さん:2005/06/29(水) 15:46:43
先週、所謂中国の国会図書館のような所の書物を全てデータベース化して、さらにそれを日本語の漢字で検索できるシステムのデモを見せてもらったんですが、邪馬台国って魏志倭人伝だけじゃなくて複数の書物に出てくるんですな。
全然知らんかった。

20 :日本@名無史さん:2005/06/30(木) 13:46:34
確かに壱岐に3千戸は多すぎるような、かといって数十戸とは考えにくい
正確に戸数をはかったとは思えないし、仮に数十戸であったとするなら
正確に戸数を記録することも可能だったと思う。
末盧、4千戸も同じ、一戸に3,4人が住んだとしたら、現代の町に相当して
しまう、これも考えにくい。
それから行政機関があり使者が必ず立ち寄ったとされる伊都は1千戸たらず
これは、どのように考えたらいいの?
人口はもちろん領域や距離、誇張や誤写による狂いがあると思って読むべし。
かな。

21 :日本@名無史さん:2005/06/30(木) 13:54:37
なぜ、壱岐だけ「餘戸」でなく「許家」なのだろうか。

22 :日本@名無史さん:2005/06/30(木) 13:59:06
不彌國も許家だろうがよ
よくみれや

23 :日本@名無史さん:2005/06/30(木) 14:06:49
ん〜
一方で餘戸をもう一方で許家を使っていた書が存在していて
転写を繰り返すうちに、混じってしまった。とか、ありえないかな?

24 :日本@名無史さん:2005/06/30(木) 14:14:28
>>22
不彌國は「許家」じゃなく「餘家」ですね。

壱岐「許家」

その他「餘戸」(不彌國「餘家」)

25 :日本@名無史さん:2005/06/30(木) 15:33:09
こうなると倭を大きくみせて呉を牽制するために方角も変えたのは当たってるきがする

26 :日本@名無史さん:2005/06/30(木) 15:48:14
>>25
つーか、当時の地図では日本は南北さかさま

27 :プラム:2005/06/30(木) 15:58:35
>>26
当時? 日本を描いた地図ありましたか?

28 :日本@名無史さん:2005/06/30(木) 16:44:05
そうだね、あれは中国の官吏を買収でもして虚偽の報告させたのだろう。
単なる集落を国と偽ったりw

29 :日本@名無史さん:2005/06/30(木) 16:58:14
海流の関係上、呉からでも使者が行き着けないことはないしね。多分帰れないけど。

30 :日本@名無史さん:2005/06/30(木) 17:07:15
風を利用して島伝いにいけば帰れます。
九州の縄文人もそうして沖縄まで移動したと思われている。

31 :日本@名無史さん:2005/06/30(木) 17:18:04
風がなきゃ海も渡れんのか?

おとなしく陸にこもってろ。

32 :日本@名無史さん:2005/06/30(木) 19:37:41
港湾施設の件だが

壱岐のように小さな島で、川が無い所では、潮の満ち干に対応した船着場が必要だが
九州島、本州島では川を遡った所に潮の満ち干に影響受けない船着場が出来る。

33 :プラム:2005/06/30(木) 20:34:51
>>32
それは解りますが
かなり水量の豊富な川(筑後川など)でないと、潮の干潮の時、河口付近は滞積した砂が露出するくらいに浅くなり川に作った船着き場の意味が無くなりますよ

34 :日本@名無史さん:2005/06/30(木) 20:44:58
だから河口付近ではなくかなり奥に係留したと思われ。

唐津も競艇場より上流に船を繋いだと思われる。


35 :プラム:2005/06/30(木) 21:03:10
確かに、唐津では現在の河口よりも上流に船着き場が有ったようだが
当時の海岸線を想定すると海岸近くと、とれそうだが確か
虹ノ松原も当時海の底のはず

36 :日本@名無史さん:2005/07/01(金) 00:46:47
>31
どうして無用に場をあらそうとするのかねえ。こういう手合いは。

37 :日本@名無史さん:2005/07/01(金) 11:33:03
地形が変わっても標高が変わらなければ潮の満ち干に影響されない位置はほぼ同じ。
松浦川の上流、内陸側に船着場があったということは、伊都国=前原を否定し、畿内説に不利になるのではないか?


38 :日本@名無史さん:2005/07/01(金) 15:56:39
上流言うても鏡から久里の河川沿いでしょ?不利になるほどの距離ではないよ。
末盧国は鏡神社がある付近が比定地としては最適だね。

39 :日本@名無史さん:2005/07/01(金) 16:59:01
まあ久里までいかんでも手前で十分だろ。
現在では河川工事や護岸工事などで川幅は広くなっているが
当時はもっと狭くてもっと深かっただろうことは容易に想像しやすい。
末盧の船着場は前原より良かったということ。これは何を意味する?

40 :ハラリトサイサイ:2005/07/01(金) 18:44:34
木造船はふなくいむしを取り除く為、真水(河川や湖沼)にいれるらしいですよ。

41 :プラム:2005/07/01(金) 21:19:18
船で唐津に来たヤシは、わざわざ山越えしてまで前原には行かんだろう。
たとえ
前原付近の港が唐津の港より劣るとしても
前原付近に目的が有れば直接行くだろうし

42 :日本@名無史さん:2005/07/01(金) 21:22:46
浜玉海岸は当時歩けなかったと言う話だからな。

43 :日本@名無史さん:2005/07/01(金) 22:02:13
浜崎海岸だろ?
山越えするわけ無いじゃん、乗り継いで小船行ったんだろう、帯方郡の船は唐津に
停泊、あるいは引き返すなりしたと、融通が利く利口な選択だよ。

44 :日本@名無史さん:2005/07/01(金) 22:43:27
壱岐から唐津でも前原でも距離は殆ど変わらん。
なぜ、遠回りして唐津に立ち寄らなきゃならなかったんだ?
しかも川を遡って上流に。
官名さえ記載されていないどうでも良さそうな国に。

唐津に立ち寄ったと言う事は、唐津が邪馬台国へ行く為に避けて通れない国だったから、と考えるべきだろうな。
前原は伊都国じゃない。
前原を伊都国というヤシはお宝(遺跡)に目が眩んだ盲(妄)者って所だね。

45 :日本@名無史さん:2005/07/01(金) 22:55:35
【少女監禁】「"泰剛ちゃん許してあげて"と母親が」 エロゲー1000本押収の"王子様"、同級生が当時を語る
http://news19.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1116067859/


【12歳少女わいせつ事件】の犯人 在チョソ牧師パウロ永田(本名:金保) に続いて
【18歳少女監禁事件】の犯人 小林泰剛(旧姓:木村泰剛) やっぱりコイツも 在チョソのレイパー でした。

少女を複数監禁して「ご主人様」と呼ばせていた小林泰剛容疑者、
中学時代の卒業文集で日本人と天皇を批判!!
.              ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
「戦争の元を作ったのは、やはり、日本の人々や天皇だと思います。」 と書いている

同じ文集で、将来の日本について、「他国に乗っ取られている」とコメント


各所で在チョソ工作員が擁護しようと自演中
奴らの自演キーワードは 被害者非難 イケメン 抱かれたい エロゲーオタ氏ね です。


46 :日本@名無史さん:2005/07/01(金) 23:00:45
>>44
直接前原に行ったとしても海岸沿いの水行だから、あんまかわらんと思うけど?
それやったら船乗り継りついで、新しい船頭の案内で目的の場所へ連れて行ってもらった方が
安全だし逆に効率的だと思うぞ。帯方郡の船は良港に停泊。うん、問題ないやんw

47 :日本@名無史さん:2005/07/01(金) 23:08:26
>>46
荷物船から降ろして新しい船に乗り継ぐなんて面倒な事やるか?
前原だって良港は無かった訳じゃないぞ。

48 :日本@名無史さん:2005/07/01(金) 23:11:14
変わらんの意味は、唐津に寄ろうが寄るまいが大して変わらん
という意味、漏れが使者なら休憩を兼ね、安全航行が約束され、かつ
自国の船が傷みにくい唐津で一泊するよ。

49 :日本@名無史さん:2005/07/02(土) 01:05:07
>>44
>前原は伊都国じゃない、

あれまあビックリ、前原付近が伊都国でないとするなら、何処だと思いですか?

50 :日本@名無史さん:2005/07/02(土) 01:37:32
唐津て名前からして、そのまんまアレじゃんw
出航入港いずれもメイン航路はここからだよね。
国際線で入国、国内線で目的地へ、現代の国際空港みたいなもんだ。

51 :日本@名無史さん:2005/07/02(土) 02:04:53
>>44
キチガイだねw
逝ってよしw

52 :日本@名無史さん:2005/07/02(土) 08:04:15
倭人伝の路程記事を魏使が実際にたどった行程表だと
決め込むのもどうかと思うぞ。
帯方郡と玄海灘諸国は、公孫氏時代から密接な交流があるのだから、
季節や目的によって複数の航路が有っただろう。
海流の関係で往路と復路も異なるはず。
単に伊都を中心にした相互の位置関係を記載した記録を
流用しただけかもしれん。

53 :日本@名無史さん:2005/07/02(土) 08:58:40
磐井の乱の時、継体天皇は物部麁鹿火に「長門より東は私が治めよう。筑紫より西はお前が統治し、賞罰も思いのままに行え。」と言った。
鎮圧後、大和朝廷側は粕屋屯倉を手に入れただけだ。

つまり大和朝廷側は磐井の乱以前は山口県すら支配下に無く、磐井の乱以後も九州全土を押さえたともいえない事がわかる。
6世紀に山口県すら支配していなかった大和朝廷が3世紀に九州を支配していたなどと考えているヤシは頭がどうかしている。


54 :44:2005/07/02(土) 09:00:40
伊都国は吉野ヶ里だよ。

55 :日本@名無史さん:2005/07/02(土) 09:20:34
伊都国は糸島だろう、那珂川(奴国)の北というのは
ほぼ間違いない。
糸島が北限でもうちょっと南である可能性はあるがな・・

56 :日本@名無史さん:2005/07/02(土) 09:23:12
>>53
それはない、九州(倭)が関西の倭になっているようにすでに
関西の勢力下に入っているのは間違いない。
ただ、属国レベルの緩い統治
かもしれない

57 :日本@名無史さん:2005/07/02(土) 09:35:32
帯方郡出発して邪馬台国まで九州島をぐるりと回ってるうちに
夏になっていったもんで南にきたと勘違いしたとか。帰りは
逆に寒くなりかけて北にいっているものだと勘違い。

58 :日本@名無史さん:2005/07/02(土) 09:49:37
前原はその昔「伊蘇」と呼ばれた。
伊都ではない。

伊都は「いつ」と読む。

59 :日本@名無史さん:2005/07/02(土) 09:56:10
なんともつかみところの無い反論・・
伊蘇だったとしても糸島じゃないとはならないだろ
筑後平野とは無関係

60 :日本@名無史さん:2005/07/02(土) 11:40:17
>>58
キチガイが多くて困るよw


61 :日本@名無史さん:2005/07/02(土) 12:31:10
>>53
〜〜の乱 を理解してない馬鹿ハケーンw

基本解釈すらデタラメナ香具師は黙ってろ。

62 :日本@名無史さん:2005/07/02(土) 12:35:06
乱=ばらばらの状態にする。秩序をなくする。また、物事を平穏でなくする。

つまり、それ以前は逆だったてことだw

63 :日本@名無史さん:2005/07/02(土) 13:38:08
今ここには、アフォとトンデモしかいないのに
まぐれ当りで>>62がまともな件について(ry

64 :日本@名無史さん:2005/07/02(土) 20:27:42
>>52
> 季節や目的によって複数の航路が有っただろう。
渡れる季節からして限定されるから、結果として航路は限定される。

> 海流の関係で往路と復路も異なるはず。
そのとおりではあるものの、寄港可能の港が限定される関係で、航路
は限定される。


65 :日本@名無史さん:2005/07/02(土) 20:33:47
>>57
方位は主に航路に関連して書いてあるのだから季節は関係なし。

66 :日本@名無史さん:2005/07/02(土) 20:35:31
日本書紀がどういうスタンスで書かれたかを理解していないアホが多いね。
渡来人による征服王朝を正当化し、滅ぼした前政権を引き継ぎ、自分の歴史として歴史まで簒奪して高句麗など近隣諸国より長い歴史を持っていると主張するために書かれたのだ。
九州には倭国があり、大和政権とは別の物だった。

磐井の乱は大和と九州の戦いではなく、九州王朝内の権力争いだった。
物部と磐井の戦いで大和政権は無関係だったろう。結果、物部が勝利した。
九州王朝が滅んだのは白村江の戦いの後だ。
継体天皇が応神朝を奪うのに20年を費やし、九州王朝を滅ぼす余裕などなかった。
ようやく応神朝から皇位を奪うのに成功したばかりで、翌年朝鮮出兵などするはずは無い。

大和側は九州が内乱と半島出兵で疲弊し自滅するのを待っていた。
九州王朝が滅ぶと大和は九州王朝の史書を奪いあたかも九州王朝の歴史が自分の歴史であったかのように偽装しようとした。

しかし、九州王朝と戦った唐に対しては自分が九州王朝ではないと言わざるを得なかった。
だから、「倭と日本は別種」とか、「元日本は小国、後に倭を併せた」などの記述になったのだ。
一方日本国内では日本書紀が書いてあるから又変な言い訳が必要になる。
旧唐書の記述の混乱がそれを示している。



67 :太国:2005/07/02(土) 20:41:25
うぷっww

68 :日本@名無史さん:2005/07/02(土) 20:47:53
>>66倭の五王はどう解釈するの

69 :日本@名無史さん:2005/07/02(土) 20:49:54
倭の五王は当然九州王朝だす。


70 :日本@名無史さん:2005/07/02(土) 20:55:59
東朝鮮系の出雲族と江南系の安曇族は仲悪かっただろう

71 :日本@名無史さん:2005/07/02(土) 22:12:37
>>66
スレ違いの話題にするな
「記紀」を論じたくば 神話スレにて

72 :プラム:2005/07/02(土) 23:36:32
「楽浪郡」
前漢武帝が古朝鮮を滅ぼしBC108年〜高句麗によって駆逐されるAD313年迄存続
「楽浪郡平壌説」は、漢式土器の製作地確認検証からその妥当性が確認された
(東大社会文化学資料)
楽浪郡設置以前には馬韓が対中交渉の拠点であり、次段階では弁辰韓、その後は弁韓が楽浪郡との交渉関係の中心だった

73 :プラム:2005/07/02(土) 23:45:36
>>72訂正

東大社会文化学…×

東大文学部 大学院人文社会系研究科…〇

スマソ

74 :プラム:2005/07/03(日) 00:22:24
倭と半島の交易中継拠点である壱岐(原の辻遺跡)は、前三世紀〜紀元四世紀初頭

玄界灘に浮かぶ「海の正倉院」沖の島経由航路が四世紀頃から

と、半島⇔倭の交易ルートは移り変わっていった
この四世紀初頭には 大陸で楽浪・帯方郡が高句麗によって駆逐され
倭では邪馬壹國(壹与)が書物より消える時期に相当する

半島で勢力分布が変わり、倭では資料から消え、交易ルートも 壱岐経由から沖の島ルートに移り行く時になる
倭では四世紀を境に変化が訪れたと 考えたい。

75 :日本@名無史さん:2005/07/03(日) 01:42:14
お前の頭で考えても答えは出ない。

76 :日本@名無史さん:2005/07/03(日) 05:55:53
九州王朝、出雲王朝、吉備王朝、河内王朝‥‥
ヴァカばっか

77 :日本@名無史さん:2005/07/03(日) 06:12:02
>>76ヴァカというなら反論してからいえヴァカ


78 :日本@名無史さん:2005/07/03(日) 06:23:15
反論するほどのもんかい。今どきだれも言わないよ。

79 :日本@名無史さん:2005/07/03(日) 06:27:42
>>78
邪馬台国が九州だとしたら少なくとも九州王朝は存在するし、
出雲についてはもっとも早く統一王朝が成立している。

>反論するほどのもんかい。今どきだれも言わないよ。
つまりそこまでは言えない、おまえがヴァカ

80 :日本@名無史さん:2005/07/03(日) 13:41:19
ココで感じたことは九州説論者って極端で強引過ぎるから生理的に嫌いだな。
頭の中は完全に一辺倒だもん。

81 :日本@名無史さん:2005/07/03(日) 13:54:13
すべて 畿内説の自演ぽい

82 :日本@名無史さん:2005/07/03(日) 18:13:18
まるで、ゴミタメ状態ですね・・・・
空気浄化を兼ねて燃料投下。

 「卑彌呼以死大作冢徑百餘歩殉]葬者奴婢百餘人」

 この卑弥呼の冢、皆さんは円型墓だと思いますか?
 もし、円型墓だとすると、三世紀前半、卑弥呼の時代に対応する大和・北部九州の墳型と一致しません。
 大和は、前世紀から主流の方形周溝墓主体の中、纏向型古墳が出現した時期。
 北部九州では、依然として方型主流でしょう。

 実は、二世紀から引き続いて円型タイプを保持していたの瀬戸内東部(吉備、播磨、讃岐、摂津)なのです。

畿内説、九州説の皆さんは、これについて、どう考えているのでしょうか。

83 :日本@名無史さん:2005/07/03(日) 18:20:46
もったいぶった言い方しないでハッキリいえよ

84 :日本@名無史さん:2005/07/03(日) 18:57:50
>>82
>この卑弥呼の冢、皆さんは円型墓だと思いますか?

少なくとも前方後円墳じゃないな。
だが四角でも径100歩の円周の中に入る場合、径100と表す事もありうる。


85 :日本@名無史さん:2005/07/03(日) 19:02:21
だから、卑弥呼、台与は倭(九州)の女王でしかなかったんだよ。
この後、統一大王が生まれる。
畿内の王は別にいた。おそらく出雲と関係の深い王

86 :日本@名無史さん:2005/07/03(日) 20:07:52
葛西王朝と大和朝廷は並行王朝だった、結果はご存知の通り
葛西が衰退、大和が繁栄。
遡って倭国乱、葛西・物部・天孫ら全国の王たちは争いに疲れ
三輪山の麓、共立女王に卑弥呼を立てる。

87 :日本@名無史さん:2005/07/03(日) 20:11:30
>>86
邪馬台国畿内説の人ですか?

88 :日本@名無史さん:2005/07/03(日) 20:15:46
>>85
同感、倭人伝の記載はあきらかに南方系う覗わせるのも。

89 :日本@名無史さん:2005/07/03(日) 20:17:58
578 :日本@名無史さん :2005/07/02(土) 12:15:05
邪馬台国は豊国(耶馬溪)だろう。日向の領有権を
邪馬台国と筑後(不弥)が争っていたのかもしれない?
筑後の支援を受けていたのが狗奴国。(今でも筑後は日向とは深い
つながりがある)そこで邪馬台国(豊国)は日向を諦め、
伊都国はじめ玄界灘周辺諸国と統一の動きを始める。
すると今度は、中国出雲族が中津方面から九州北部に進出し始めた。
そこで北九州勢力は海運で力をつけていた宗像族の力を
借り畿内の勢力と同盟締結、出雲族を包囲、西日本統一へと向かう。
筑後の勢力は大和政権とは直接的には関係がないと思う。

だいたいこんな感じ、日子山(英彦山)は卑弥呼が祭祀をしてた山。
耶麻国、耶麻川、耶馬渓、日田(日子)耶麻山系
ほぼ確定。

90 :日本@名無史さん:2005/07/03(日) 20:36:47
豊(=台与国)の葦原の中津国に出雲・宗像勢力が入って初めて
大和統一王ができる。高句麗に戦争仕掛けたころは既に
畿内統一大王の時代。

91 :日本@名無史さん:2005/07/03(日) 21:32:39
台与というが「臺與」というのは魏志倭人伝には出てこない。
出てくるのは「壹與」だけだ。
邪馬壹国は一回しか出てこないから写本を繰り返す内、間違えた可能性は皆無ではない。
しかし、「壹與」は倭人伝中に何度も出てくる。
「壹與」が「臺與」の間違いだった可能性は少ないだろう。
畿内説の学者でも「壹與」が正しいとする人が多い。

豊と「壹與」は繋がらない。

92 :日本@名無史さん:2005/07/03(日) 21:42:08
http://ja.wikipedia.org/wiki/壱与
>ところで、「臺與」を「とよ」と読むのが通説となっているが、これには異論があることも付け加えておく。


93 :日本@名無史さん:2005/07/04(月) 00:05:03
>>85
卑弥呼の前と後には、それぞれ政治的混乱があったが、
前が「以男子爲王住七八十年倭國亂相攻伐歴年」
後が「國中不服更相誅殺當時殺千餘人」と称され、騒乱があったこと間違いない。

問題は、後の方では「國中不服」と、既に出来上がった体制内での諍いと表現されているが、
前の方では「乃共立一女子爲王」と新しい体制が形成されたことを強調している。

そして、壹與の後、帯方郡滅亡時まで、政治的な変革が起きた記述はないため、
三世紀後半〜四世紀初頭に掛けて、倭國には大きな政治的変動は起きなかったと思量される。
さすれば、北部九州から畿内への権力移動は、卑弥呼の前の「倭國亂」時に起こったことになる。





94 :日本@名無史さん:2005/07/04(月) 00:14:45
>そして、壹與の後、帯方郡滅亡時まで、政治的な変革が起きた記述はないため、
>三世紀後半〜四世紀初頭に掛けて、倭國には大きな政治的変動は起きなかったと思量される。

これだけで、邪馬台国が畿内にあったとは言い難いよ

95 :日本@名無史さん:2005/07/04(月) 00:19:33
>>85
>だから、卑弥呼、台与は倭(九州)の女王でしかなかったんだよ。

基地外は逝ってね。

96 :日本@名無史さん:2005/07/04(月) 02:07:52
乱=内乱という解釈でいいのなら、本州、近畿までふくまれると、明らかに内乱じゃなく戦争と考えられそう

97 :日本@名無史さん:2005/07/04(月) 02:14:36
>>92
んなもん、いちいち説明しなくてもここの皆は知ってるよ。


98 :日本@名無史さん:2005/07/04(月) 02:21:19
>>91
「イヨ」じゃなくて「トヨ」が大正解です!
わかったか!キチガイ君w

99 :日本@名無史さん:2005/07/04(月) 04:50:04
そうか、「台」は「ト」と読むのか。ヤマタイじゃなくて、
ヤマトなんだね。なあんだ、すっきりした。


100 :日本@名無史さん:2005/07/04(月) 06:51:49
>>99
>そうか、「台」は「ト」と読むのか。ヤマタイじゃなくて、
ヤマトなんだね。なあんだ、すっきりした。

んな訳ねえだろ厨房くん。「台」は「だい」だ。「ど」なら可能性なしとはいえないが。


101 :日本@名無史さん:2005/07/04(月) 06:52:28
危険だぞ、最初に、こうしたい!!という希望で
データ、真実、ねじ曲げるキチガイが跋扈してるぞ、
騙されるな。

102 :日本@名無史さん:2005/07/04(月) 10:33:07
>>100
まんずこごでも見れ。
ttp://www.d8.dion.ne.jp/~kouji-kd/hougen/7Days/yamato.html

103 :日本@名無史さん:2005/07/04(月) 14:14:30
>>100ゲットも
簡単に論破されちゃったらザマねえなw

104 :日本@名無史さん:2005/07/04(月) 14:26:06
>>102のリンク先>>>>>>>>サガミハラハラ>>>>>>>>>>100の雄叫び

105 :日本@名無史さん:2005/07/04(月) 14:31:03
臺湾

106 :日本@名無史さん:2005/07/04(月) 15:46:22
古代において 甲類・乙類 別々の音とされたもの
「キ」「ギ」「ケ」「ゲ」「コ」「ゴ」「ソ」「ゾ」「ト」「ド」「ノ」
「ヒ」「ビ」「ヘ」「ベ」「ホ」「ボ」「ミ」「メ」「モ」「ヨ」「ロ」

表音表記として用いられる漢字も2つのグループに分かれていると考えられる。
表音表記として用いられる漢字も2つのグループに分かれていると考えられる。
表音表記として用いられる漢字も2つのグループに分かれていると考えられる。

「臺」は乙類の「ト」乃至「ド」を表記するのに用いられる典型的な音を有する漢字の一つです。
「臺」は乙類の「ト」または「ド」を表記したものであり、したがって「邪馬臺」は「ヤマト(乙)」または「ヤマド(乙)」
「臺」は乙類の「ト」または「ド」を表記したものであり、したがって「邪馬臺」は「ヤマト(乙)」または「ヤマド(乙)」
「臺」は乙類の「ト」または「ド」を表記したものであり、したがって「邪馬臺」は「ヤマト(乙)」または「ヤマド(乙)」

・・・なるほど

107 :日本@名無史さん:2005/07/04(月) 15:53:11
>>103
畿内論者のHP見て自己満足していりゃ幸せだよな。

108 :日本@名無史さん:2005/07/04(月) 15:58:00
君はHP見て歯痒い思いをしたのかい?w

109 :日本@名無史さん:2005/07/04(月) 16:04:39
http://www.d8.dion.ne.jp/~kouji-kd/hougen/7Days.html
「畿内説の想定する倭国は、九州説の想定する倭国を包摂している」

つまり倭人伝に書いてある風俗も、植生も、墓制も、生産品も、殆どが九州の事で、畿内説に合致するものは殆ど無いが、
それは魏使が畿内に到る前の九州の事を見て報告に書いただけだ。
だから畿内説には何の矛盾もない。
と言うトンデモドシロートのホームページを根拠に論破したなど片腹痛い。


110 :日本@名無史さん:2005/07/04(月) 16:20:49
魏志倭人伝で【壹】とされたのがどうして後漢書では【臺】になったかを、つらつら考えてみるに、
三世紀頃はまだ「倭国の中で【一】番大きい国」だったが、五世紀頃になると倭国を統一して「【大】国」になっていたからだ。

と言ってみる。
どうよ。

111 :日本@名無史さん:2005/07/04(月) 16:23:14
妄想だなw

112 :日本@名無史さん:2005/07/04(月) 16:27:35
>>109
三角縁神獣鏡が中国から一枚も出ていないがそれは特注したからだ。
と言う屁理屈に似ているあ。

113 :日本@名無史さん:2005/07/04(月) 16:37:08
>>109
>100君、君の悔しさはよく分かる。

114 :日本@名無史さん:2005/07/04(月) 16:40:36
屁理屈と感じた時点で思考停止だな。
>>110は屁理屈とは思わないが彼の脳内は頑張ってるなんだと感服する。
が、まだまだ相手にするレベルではないな。

115 :サガミハラハラ:2005/07/04(月) 19:37:56
>>110
壱(イ)が台ー旧字がでない(ダイ)になったですが、邪馬壱国は倭人の間では邪馬の壱国
だったのですが、中国から金印を貰ってから、わが国は偉大な国であるとして
大いなる壱の国として、邪馬の大壱国つまりヤマダイ国と称し、それを中国人は邪馬台国としるしたのです。
尚邪馬壱国と称したのは239年の1度だけで、その後はすべて邪馬台国となのりました。

116 :日本@名無史さん:2005/07/04(月) 19:43:21
巴利国:杷木の可能性

117 :サガミハラハラ:2005/07/04(月) 19:51:15
そうですね、原鶴(温泉)は杷木ですね。

118 :サガミハラハラ:2005/07/04(月) 19:54:05
かきこむところ間違ったかな?

119 :日本@名無史さん:2005/07/04(月) 21:49:54
>>115
筋金入りの基地外。

120 ::2005/07/04(月) 22:01:03
>>119
>>115氏は一生懸命研究して発表している。それをくんでやってくれよ。
努力点だな。間違いだとは思うが、そういう所は評価も必要。

121 :日本@名無史さん:2005/07/05(火) 00:06:23
邪馬台国は九州。
卑弥呼は天照。
壱与は天照とスサノオの娘あるいは孫。
宇佐に祭られてるのは壱与。

122 :日本@名無史さん:2005/07/05(火) 00:28:17
>121
三女神のうちの一人が壱与として、
残りの二人は誰になるんだろな?

123 :日本@名無史さん:2005/07/05(火) 00:33:24
>>121
根拠も書けや。

124 :日本@名無史さん:2005/07/05(火) 00:40:32
>三女神のうちの一人が壱与として

ありえません。

125 :日本@名無史さん:2005/07/05(火) 02:40:19
>>110 >>115 >>121
素人バカの書き込みが多くてウザイね。

126 :日本@名無史さん:2005/07/05(火) 07:08:26
>卑弥呼は天照。

天照は神功皇后だよ。
大和朝廷には卑弥呼の記憶なんて無かった。
魏志倭人伝読んで神功皇后を卑弥呼に比定しようとしたがね。

真実は「大隈正八幡本縁起」を読めば解る。

127 :日本@名無史さん:2005/07/05(火) 07:15:49
>大和朝廷には卑弥呼の記憶なんて無かった。

一部同意、大和にとって卑弥呼のような地方(倭)の勢力なぞ
取るに足らない存在であったことも確か、しかし葦原中国?(筑紫)平定
ストーリーは大和にとって歴史の大転換点であったことも確か。
それに、神功皇后=天照大神という説唱えるならその前後の話を聞きたい。

128 :日本@名無史さん:2005/07/05(火) 07:17:57
>>125

三人だけが、素人バカ?
じゃあ、>120氏は・・・その上を行く玄人馬鹿か。

129 :日本@名無史さん:2005/07/05(火) 08:13:09
「大隈正八幡本縁起」によれば
「震旦の陳大王の娘・が光に感じて身篭ったので大比留女をやがて生まれた王子とともにうつぼ舟にのせて
大海へと流したとされ、この舟は九州の大隅(八幡岬)へと流れついた。この王子が後のホムタワケである。」

この記述を解釈すればオオヒルメ=天照であるし、応神天皇の母であるから神功皇后ということになる。


130 :日本@名無史さん:2005/07/05(火) 08:18:32
文章の切り貼りがまずかった。

「震旦の陳大王の娘(大比留女)が光に感じて身篭った。王はこれを畏れ、娘をやがて生まれた王子とともにうつぼ舟にのせて
大海へと流したとされ、この舟は九州の大隅(八幡岬)へと流れついた。この王子が後のホムタワケである。」


131 :日本@名無史さん:2005/07/05(火) 08:20:48
天照が誰であったかはともかく、その時点で大隅は畿内政権に制圧されてない
その部分はでっち上げと考えるのが自然。

132 :サガミハラハラ:2005/07/05(火) 08:32:33
>>115が理解できないのは壱は台の誤写であるという固定観念から1歩も出ることができないからですよ。

133 :日本@名無史さん:2005/07/05(火) 08:41:22
>邪馬の壱国

面白い解釈です、漏れは
邪馬台国は倭(筑紫)の邪魔な異国=田川、遠賀、中津、豊国と考えます。


134 :日本@名無史さん:2005/07/05(火) 09:03:52
「震旦の陳大王の娘(大比留女)が光に感じて身篭った。王はこれを畏れ、
娘をやがて生まれた王子とともにうつぼ舟にのせて
大海へと流したとされ、この舟は九州の大隅(八幡岬)へと流れついた。
この王子が後のホムタワケである。」

応神天皇の母であるから神功皇后
と考えるのは一理ある、大和畿内政権が南九州に進出しだした頃とだぶる

135 :日本@名無史さん:2005/07/05(火) 09:20:03
筑紫から銅剣銅矛が多く出土するのはこの地が小国分裂国家で
常に争いが耐えなかったせいではないか?
銅鏡の出雲は騎馬民族ウラルアルタイ系の太陽信仰パク=白とだぶる

136 :日本@名無史さん:2005/07/05(火) 09:41:48
応神天皇が伽耶から騎馬民族を引き連れて畿内に攻め込んだというのがもっとも素直な考えだろう。

桓武天皇の時、「日本は三韓と同種なり、と書いた本を焼き捨てた」と神皇正統記に書いてあるが、
その記述は応神紀にある。
要するに「日本は三韓と同種なり」=「応神天皇が渡来人(騎馬民族」である事を隠そうとして
桓武天皇が焚書を行ったと神皇正統記は証言しているのだ。

 万世一系の皇国史観の立場からは受け入れられない話だろうが。w


137 :日本@名無史さん:2005/07/05(火) 09:52:19
>>136
出雲(騎馬民族)の後裔だし、当時騎馬について先進だった
半島に援軍を頼んだ可能性はある、しかし人口比率を変えるほど
大挙して押し寄せたとは考えにくい。
応神天皇自身が騎馬民族と深い関係にあるという可能性はある。

138 :サガミハラハラ:2005/07/05(火) 10:45:13
騎馬民族が4,5世紀に日本に大挙しておしよせたという証拠は、文献上も考古学上もまったくない。
騎馬の技術を持った人をスカウトして日向や信濃等で牧場を経営させたことはあるが、かれらは現地人に飲みこまれ
一般人となったということです。
応神天皇は注仲哀天皇の子息であり、半島から渡ってきたと言うことはない。
母の胎内にいて、半島に行って戻ってきたのは事実であるが。

139 :日本@名無史さん:2005/07/05(火) 10:50:59
応神天皇が渡来人だったと言う文献は沢山あるだろうが!!

5世紀に拡がった膨大な数の積石塚はどうするんだ?積石塚は渡来人の物と確定しているぞ。


140 :日本@名無史さん:2005/07/05(火) 10:57:42
>>138
頼むから基地外妄想の書き込みは止めて。

141 :日本@名無史さん:2005/07/05(火) 11:11:57
>>140
139は支持しないが、そういう言い方は賛成しない、具体的に反論しな

142 :日本@名無史さん:2005/07/05(火) 11:44:11
>>140
具体的な反論などしなくていいぞw

143 :日本@名無史さん:2005/07/05(火) 16:16:46
卑弥呼と天照大神の同一視って、役割の類似、名前の類似(日霊女と卑弥呼)だろう。
遠く元を辿れば卑弥呼に行き着くのかもしれないが、直接のモデルは神宮皇后と、元明天皇だと思うけどな。
記紀の成立時期と合わせて。

144 :日本@名無史さん:2005/07/05(火) 17:14:56

古田支持者も安本支持者も日本書紀の記述から少し距離を置いて考えることだ。
近いところまでは来ているのだから。



145 :日本@名無史さん:2005/07/05(火) 17:21:44
>遠く元を辿れば卑弥呼

著者は当時生きている人に当てはめて考えがちだから直接は
そうかもしれないな・・

146 :日本@名無史さん:2005/07/05(火) 17:38:04
だから邪馬台国の記憶は大和朝廷には無かったと言っているだろ。

147 :日本@名無史さん:2005/07/05(火) 17:44:13
>だから邪馬台国の記憶は大和朝廷には無かったと言っているだろ。

邪馬台国しか知り得ない情報は畿内政権には伝わらなかっただろう、
しかし、畿内政権、出雲政権が邪馬台国と関わった記憶はあるだろ。


148 ::2005/07/05(火) 19:18:16
>>136
Pu!隠そうだと? 出鱈目だと怒ってだな。w

149 :日本@名無史さん:2005/07/05(火) 20:14:42
「三韓と同種なり、と書いた本を焼き捨てた」
のは何故だ?

結果としてその手の本は残っていない。

150 :飛瀬:2005/07/05(火) 21:39:08
そういえば、四国説があるがどうだろう?


151 :日本@名無史さん:2005/07/05(火) 21:42:31
>>125
君でも分かる程度かね?

152 :日本@名無史さん:2005/07/05(火) 21:42:41
>>150
四国には畿内より古い前方後円墳があるからな。

153 :サガミハラハラ:2005/07/05(火) 22:17:33
>>140さんへ
138のわたしの書きこみが妄想だというが、あなたのあたまの中はどうなっているのか。
そもそも妄想という言葉の意味がわかっているのか。

154 :日本@名無史さん:2005/07/05(火) 22:24:05
>>138
は、孟宗です。間違いなし!!(w

155 :サガミハラハラ:2005/07/05(火) 22:44:23
>>154ばんさんは>>140ばんさんと同じかたですか?
どなたかいい日本語学校を紹介してあげてください。

156 :日本@名無史さん:2005/07/05(火) 22:48:54
結論

最初北九州

出雲国に潰される

奈良に再建、出雲国討伐


でFA

157 :日本@名無史さん:2005/07/05(火) 22:49:52
>>145
当時は考古学も歴史学もなかった時代だし、誰が監査をするわけでもないしで
わざわざ当時から比してさらに五百年前の地方政権を元に辿ることもなかろうしな。
その地方政権が朝廷の直接の前身なのか元敵なのか関係ないのかはともかく。

158 :日本@名無史さん:2005/07/05(火) 23:36:18
>>155
は、基地外です。間違いないw
大爆笑!!!!!!!!!!w

159 :日本@名無史さん:2005/07/05(火) 23:51:40
>>156
違う、九州を平定したのは豊前の出雲勢力、九州統一王朝は一度も
成立してない。太陽信仰の巫女がその証明。
九州は元々そんなものは信仰しておらん

160 :日本@名無史さん:2005/07/05(火) 23:55:52
じゃあ何で倭奴国の金印が福岡から見つかるんだよー

161 :日本@名無史さん:2005/07/05(火) 23:59:52
倭ってのは地方政権。馬鹿ん頭政権のねつ造教育が根深い・・

162 :日本@名無史さん:2005/07/06(水) 00:01:27
倭奴国は入れ墨して漢に使節送ってるんだ、彼らの歴史を
忘れてはならない。

163 :日本@名無史さん:2005/07/06(水) 00:03:10
>>161
根拠ねーじゃん
仮に倭が地方政権なら、なんでそれが大和政権に
引き継がれて、「和」に改名されるんだよ

164 :日本@名無史さん:2005/07/06(水) 00:59:49
>>150 吉備や畿内よりはショボそうですね。

>>158 ヤツの相手してる時点でアンタも(ry

>>161 じゃ、隋書はどうする?



165 :日本@名無史さん:2005/07/06(水) 01:01:31
どうやら>>156でFAのようだね

166 :日本@名無史さん:2005/07/06(水) 01:43:14
>>158 うるせーからヘラヘラ笑ってんじゃねーよ!
パンパンパーン
       ∩
  (,,゚Д゚)彡☆
   ⊂彡☆))Д´)
       ☆


167 :日本@名無史さん:2005/07/06(水) 01:48:01
>>155
は、基地外です。間違いないw
大爆笑!!!!!!!!!!w

168 :日本@名無史さん:2005/07/06(水) 01:48:13
大爆笑!!!!!!!!!!w

169 :↑このように荒れるから要らぬ刺激は与えぬように!:2005/07/06(水) 02:18:37



170 :日本@名無史さん:2005/07/06(水) 02:56:02
>>169お前なに様のつもりだ

171 :日本@名無史さん:2005/07/06(水) 06:09:58
>>163
>倭が地方政権なら、なんでそれが大和政権に
>引き継がれて、「和」に改名されるんだよ

長い歴史を持つ国であると主張したいが為に
中国に記録のある「倭」を詐称したのだな。

大和政権は新興勢力だった。中国とは没交渉だった。
大和の記録は梁書の「扶桑国」としてしか残っていない。




172 :日本@名無史さん:2005/07/06(水) 10:41:17
>>171
>長い歴史を持つ国であると主張したいが為に
>中国に記録のある「倭」を詐称したのだな。

僕はその可能性が高いとみてるね。
それまでの中国への使節と明らかに異質だもの

173 :日本@名無史さん:2005/07/06(水) 11:02:54
その新興勢力の大和政権は、
ある日どこから湧いて来たんだ?うん?
この周辺の地に、カリスマ的な人物が降臨でもして、
その道しるべを造ったかな?

174 :日本@名無史さん:2005/07/06(水) 17:00:38
委奴国   天孫降臨によって成立。出雲王朝から王権を奪取。倭国の創始。漢王朝に朝貢。
     「漢委奴国王」の金印。紀元前後?〜紀元後三世紀初頭。

邪馬壱国 委奴国の乱後、卑弥呼の共立によって成立。王家の交替。魏・晋朝に朝貢。
     「親魏倭王」印(未発見)、銅鏡百枚(未確定)。壱与の死後、再び内乱か。
      三世紀初頭〜三六八年。

邪馬台国   神功皇后(倭王旨、玉垂媛)のクーデターによって成立。倭の五王がこれに続く。
      水沼の皇都を造営。東晋以降の南朝に朝貢。都は太宰府とも呼ばれた。この国のとき
      「日本」と称したか。七支刀の銘文、高句麗好太王碑。三六八年〜五三一年(日本の天皇及び太子皇子倶に崩薨す《百済本紀》)。

タイ国 九州王朝の成立。磐井の滅亡と九州年号に関わる王朝。多利思北孤のとき絶頂期を迎え、倭京(平城京)を建設し、
日出処天子と称し、隋と対等外交。薩夜摩のとき、唐と戦争。敗戦後、筑紫都督府(再び太宰府となる)が置かれ
薩夜摩の死後・唐軍の撤退後に大和王朝に併合された。五三一年(発倒)〜七〇一年。


                   ↑
  
 これって古田関連ところから仕入れてきたんだけど、どれくらいの信憑性あるのかね?


175 :日本@名無史さん:2005/07/06(水) 17:24:38
どうみても、奴国の人は南方系、天孫なんてあり得ない。
他に天孫だという証拠もないだろ・・

この銅鏡百枚、邪魔異国こそ日本の最初のツングース天孫だろ

176 :日本@名無史さん:2005/07/06(水) 18:10:49
そもそも 「天孫」って何ですか

177 :日本@名無史さん:2005/07/06(水) 18:27:58
出雲神話、日本神話よめば答えはでる。
間違いない
出雲・日本海、東日本一帯、大分(豊国)の宗像、宇佐
こいつらの出目は外人ツングース!!


178 :日本@名無史さん:2005/07/06(水) 18:37:24
大嘘つき人種ツングース

179 :日本@名無史さん:2005/07/06(水) 18:41:32
ヤマトの邪魔な異国人(ツングース)です

180 :日本@名無史さん:2005/07/06(水) 18:48:14
宗像から北の遠賀、北九州市、カンダ、豊前一帯、
大分全土。
この地域に倭国(九州)にとって
邪魔な異国=邪馬台国(天孫=ツングース)はあるよ。
どうりで全然言葉が違うわけだ・・

181 :日本@名無史さん:2005/07/06(水) 18:58:37
>>177氏よキチガイ!!

182 :日本@名無史さん:2005/07/06(水) 19:03:28
ツングース房はイッテヨシ

183 :日本@名無史さん:2005/07/06(水) 19:16:34
出雲神話、日本神話よめば答えはでる。
間違いない
出雲・日本海、東日本一帯、大分(豊国)の宗像、宇佐
こいつらの出目は外人ツングース!!


184 :日本@名無史さん:2005/07/06(水) 19:30:19
白、金に由来する町、苗字は全部東朝鮮系だな・・
東日本に多いこと・・

185 :日本@名無史さん:2005/07/06(水) 21:04:43
>>174
>どれくらいの信憑性あるのかね?

信憑性は、まったくありません。

186 :日本@名無史さん:2005/07/06(水) 21:08:46
大嘘付き人種ツングース(馬鹿ん頭人)には怒りを覚える

187 :日本@名無史さん:2005/07/06(水) 21:23:17
私が興味を持っているのは青銅器の分布です。

1.ホコ(↑)は博多から筑後川流域、大分、四国へと広がっているわけですが、
忘れてはならないのが大隈半島のホコ(↑)です。私には宮崎地方をグルリと
取り囲んで押さえ込んでいるように見えます。宮崎県には、銅ホコ勢力が入れ
なかった何者かが居たようです。
2.戈(「)は博多から筑後川流域を中心に、東では大分別府湾を南北から
挟み込む形で二箇所、さらに瀬戸内のところどころの商業地を威圧する形で
数箇所(広島県や尾道の流域)、トドメは畿内を南北から挟み込む形で
二箇所(兵庫県南部や吉野川河口域)ほど確認できます。
 この銅戈勢力は、地名を見ると「佐伯氏」と関係がありそうですが、実は古代
の支配勢力だったのでは?というか、このルートは・・・・・・いや、やめておきま
しょう。
 「佐伯氏」といえば日本書紀の中では、天皇の一存で「気持ち悪いエミシを
追放した」とされていますが、なぜか追放先は西日本の超重要拠点です。
 まさか日本書紀の編纂者は、昔の支配勢力に文章の中だけで憂さ晴らしを
したのでないでしょうか。

188 :日本@名無史さん:2005/07/06(水) 21:32:54
キモイと思う、ツングースだもん・・

189 :日本@名無史さん:2005/07/06(水) 21:54:10
倭大王魂様・・・

190 :日本@名無史さん:2005/07/06(水) 22:02:21
迫り来る、吊り目のシャーマン系の勢力と勇敢に戦ったんだね。

191 :日本@名無史さん:2005/07/06(水) 22:16:08
ツングース爆発事件は怖かった夜ね。

192 :日本@名無史さん:2005/07/06(水) 22:19:57
もう、間違いないでしょ、今の今まで日本人は先人に
騙され続けてきたわけだ・・
ヤマトこそ日本の保守本流大王と先住民族の混血人種
後に天孫と称する外人が朝鮮から侵入してきてヤマト
の男達は勇敢に戦った。

193 :日本@名無史さん:2005/07/06(水) 22:24:28
戦うマングース日本へ進入?

194 :日本@名無史さん:2005/07/06(水) 22:45:33
中国のインターネット事情

中国政府賛美ばかりのホームページだらけで、
少しでも中国政府の方針が矛盾していたり事実と違うことを
批判しようものなら、削除及びアクセス禁止され、個人情報を
中国政府当局に調べられて監視される

中国においてのインターネットに自由というのはどこにもなく、
中国国内のインターネットは、すべてが中国政府賛美のための
プロパガンダのためにあるといっても過言ではない

人権擁護法案は、こうした中国国内のインターネットと同じ監視体制が
敷かれるものであり、そこには真実の暴露も正当な批判も矛盾も追及
できない、自由を完全に剥奪されたインターネット利用者しか存在しなくなる。

195 :日本@名無史さん:2005/07/07(木) 00:30:35
>>187は、かなり興味深いことを言ってるよな

196 :日本@名無史さん:2005/07/07(木) 02:04:20
地名を優先的に証拠とすると本質を見失う。
言葉が通じない者から正確に地名や部族名を知りえたのか?
記録の便宜上、現地民の話す耳に付く言葉を地名とした可能性もある。


197 :日本@名無史さん:2005/07/07(木) 07:13:10
>>187>>195は自演か

198 :日本@名無史さん:2005/07/07(木) 08:49:21
中津だよ。現地人だからよくわかる、
ツングース人=豊国人は異人だった

199 :日本@名無史さん:2005/07/07(木) 08:55:00
だからさー、韓人て言ったら問題なの?

なんでツングースって呼んでんだよ

200 :日本@名無史さん:2005/07/07(木) 09:27:41
中津から北の支配圏を巡り先住のヤマトと新参者の天孫と
徹底抗戦したんだ。それが倭国大乱。
あんまりいうとあれだが
邪魔な異国(邪馬台国)と戦ったのは佐伯氏の
系統日向に勢力をもったヤマト(狗那国)
筑後のヤマトも彼らを支援した。

201 :日本@名無史さん:2005/07/07(木) 09:35:13
福岡が今でも地域ごとにバラバラなのはそのせいか・・

202 :日本@名無史さん:2005/07/07(木) 09:39:07
>>200
だから論拠を出せよ
全部おまえの妄想じゃんw

203 :日本@名無史さん:2005/07/07(木) 09:46:26
山国川(中津)、その南にある山香は本来ヤマトの勢力圏だったと思う。
宇佐は天孫の支配領域、結構モザイク状だったと思う。
地名一個一個探っていくと土井が浜のツングースと先住のヤマトの
手に取るような攻防が目に見えるようだ・・

204 :日本@名無史さん:2005/07/07(木) 09:57:23
制海権争いも熾烈だったろう、
ヤマトの安曇と土井が浜タイプの宗像で
瀬戸内海路、関門海峡と日本海で壮絶な海戦が行われたに違いない。

205 :日本@名無史さん:2005/07/07(木) 10:02:15
>>196
そういうこと。
日本古代史は、あまりにも情報不足のために、
地名のこじつけゲームしかやることがない手詰まりの状態なのだ

206 :日本@名無史さん:2005/07/07(木) 10:30:19
推論立てないと先に進めないよ東朝鮮人

207 :日本@名無史さん:2005/07/07(木) 10:32:29
古いアマテラス系の神社の場所はだいたいツングース系

208 :日本@名無史さん:2005/07/07(木) 10:45:20
畿内、四国、瀬戸内も相当モザイク

209 :日本@名無史さん:2005/07/07(木) 10:46:56
>>204

>関門海峡と日本海で壮絶な海戦
・司令長官は東郷平八郎かい

210 :日本@名無史さん:2005/07/07(木) 10:50:07
地図帳眺めてみな、当時の勢力図が手に取るようにわかるから


211 :日本@名無史さん:2005/07/07(木) 10:52:47
なんだよ
結局地図眺めながらの妄想かよ

212 :日本@名無史さん:2005/07/07(木) 10:55:23
ツングース王朝が成立して、日本書紀が編纂された頃
相当地名は変えられている

213 :日本@名無史さん:2005/07/07(木) 10:56:56
だから人種名で呼ぶなって
大雑把すぎるだろが
いわゆる東ヨクソってことでいいんだな?

214 :日本@名無史さん:2005/07/07(木) 11:04:53
南北朝の南朝側、北朝側とも無関係ではないのか

215 :日本@名無史さん:2005/07/07(木) 12:23:58
どうでもいいから
お前ら いい加減「メルヘン板」に帰れ
スレ違いも甚だしい

216 :日本@名無史さん:2005/07/07(木) 13:16:10
僕の家は仏教も神道も完全にヤマト系です。
ありがとう
これから神様を大切にします。

217 :日本@名無史さん:2005/07/07(木) 13:58:53
ツングース房のせいでどこのスレも荒れまくり、いいかげん放置よろ。
自演てのは調べればすぐに解かるから無駄だよ。


218 :日本@名無史さん:2005/07/07(木) 20:18:00
つまり、こういうこと

韓国、朝鮮人は、非常に人種差別的、権威主義的、 階級意識の強い人々

韓国、朝鮮人は、自分たちの階級意識や権威主義的、人種差別的、価値観を他国に押し付けたがる人々

韓国、朝鮮人は、日本の権威、権力と自分達とを無理やりに こじつけて、日本人に対する優越感を持ちたがっている

219 :日本@名無史さん:2005/07/07(木) 20:19:47

なんで、涙がでちゃうでしょ!

http://bbs2.orange-e.net/?id=1357

220 :日本@名無史さん:2005/07/07(木) 20:21:31
日本人はその血を引いているから朝鮮人に優越感を持ちたがっているのだろうな。


221 :日本@名無史さん:2005/07/07(木) 20:24:48
こんばんは。(*^▽^*)

222 :日本@名無史さん:2005/07/07(木) 20:40:33
こんばんは。(*^▽^*)
卑弥呼が大好きではまっています。
あとそれに関連してツングースとかにも。
卑弥呼が好きな方いろいろ情報交換しませんか?


223 :日本@名無史さん:2005/07/07(木) 20:44:42
>>221-222
好きな事は解ったから
いい加減「お花畑」に帰れ

224 :日本@名無史さん:2005/07/07(木) 20:51:17
>>222
こんばんは。(*^▽^*)
嘘吐き人種はツングースらしいですよ

225 :サガミハラハラ:2005/07/07(木) 21:05:48
>>222
私が知っている卑弥呼の情報
卑弥呼の墓は、佐賀県小城市小城公園の桜ヶ岡です。都はその南の甘木地区です。
卑弥呼はヒミカと発音するようです。これはピカピカの一年生のピかと同じ意味です。光のヒカとも同義です。
アイヌ語のピリカとも同義語です。朝鮮語にも同じような発音であるようです。
つまりこの語は日本朝鮮アイヌモンゴル等の環日本海種族(ツングース系?)の言葉なのです。

226 :日本@名無史さん:2005/07/07(木) 21:18:14

厨房野朗!
あなたはもっと勉強してから書いて下さい。
「呼」は、カ行音ではなく、ハ行音です。

227 :日本@名無史さん:2005/07/07(木) 21:20:50
ヤマト人がヒミハを発音出来なかった

228 :日本@名無史さん:2005/07/07(木) 21:50:22
ピカデリーサーカスのピカだな

229 :日本@名無史さん:2005/07/07(木) 21:52:47
>>225
ピカチュウのピカを忘れんなよ

230 :サガミハラハラ:2005/07/07(木) 21:56:54
英語でビューテイといいますというと、皆さん眉につばをつけるでしょうね。

231 :日本@名無史さん:2005/07/07(木) 22:02:38

そんなことはないです、ツングースの言葉はスキタイ繋がりもありますから

232 :日本@名無史さん:2005/07/07(木) 22:31:09
>226
上古音だとする根拠は?

233 :日本@名無史さん:2005/07/07(木) 23:06:56
↑ネットで検索してしらべてね。

234 :日本@名無史さん:2005/07/07(木) 23:08:25
半島にかえってくだしい

235 :日本@名無史さん:2005/07/07(木) 23:37:25
>>229
どうして、ピカチュウが進化すると、ライチュウになるのですか?

どうして、クリリンには鼻が無いのですか?

236 :日本@名無史さん:2005/07/07(木) 23:42:58
氏ね!!!!!!!!!!!!!!!!!

237 :日本@名無史さん:2005/07/07(木) 23:44:25
ニニギのファビョーン

238 :日本@名無史さん:2005/07/08(金) 00:01:41
卑弥呼とオ○ンコしたーいw

239 :日本@名無史さん:2005/07/08(金) 00:06:02
安本、井伊、井伊、白、本、金、新

240 :日本@名無史さん:2005/07/08(金) 00:19:57
>>233
本場で定説がないのだから、明確な根拠などいくら捜してもあるわけないでしょ?

241 :日本@名無史さん:2005/07/08(金) 01:00:40
基地外ですね。

242 :日本@名無史さん:2005/07/08(金) 01:04:13
>>241
いや、単なる無知では?

243 :日本@名無史さん:2005/07/08(金) 01:26:57
まったくです。

244 :日本@名無史さん:2005/07/08(金) 02:34:54
ヤマト勢力結集してニニギの悪行三昧をインターネットで暴け!!

245 :サガミハラハラ:2005/07/09(土) 07:21:34
オオヤマツミノ神の娘のコノハナノサクヤ姫をつまみ食い(一宿婚)して捨ててしまった。

246 :日本@名無史さん:2005/07/09(土) 18:50:45
>>245
コノハナサクヤヒメの姉はぶさいくだから相手にしなかった!
最悪の男

247 :日本@名無史さん:2005/07/09(土) 19:17:42
サチミガハルココトミコは実妹に双子の姉妹を産ませ、姉は八方美人で
子沢山、妹は神に処女を捧げ実子太子に殺されノるTωT)ノワーン!!

248 :サガミハラハラ:2005/07/09(土) 19:19:57
ぶさいくは私でもいやだ。
やっぱり女性は吉永小百合様のようにお美しいのがよい。

249 :佐賀県佐賀市十七歳君おっかけ娘 ◆nc5vQ9UrVg :2005/07/09(土) 21:12:07
>>248
女心のわからん香具師に、伊都国が多久だと言われてもね……

250 :日本@名無史さん:2005/07/09(土) 21:16:46
>>248

女が吉永小百合とは、こいつ、けっこうジジイなんだな。

251 :日本@名無史さん:2005/07/09(土) 21:20:57
”サガミハラハラ”でググってみた(w

ttp://www.google.co.jp/search?hl=ja&q=%E3%82%B5%E3%82%AC%E3%83%9F%E3%83%8F%E3%83%A9%E3%83%8F%E3%83%A9&btnG=Google+%E6%A4%9C%E7%B4%A2&lr=

252 :日本@名無史さん:2005/07/09(土) 22:00:19
チ、チカン!?w

253 :日本@名無史さん:2005/07/09(土) 22:07:49
ワロス

キマグレアンケート結果報告 第24回 ...
... 裏風俗探し。 《赤玉》. 池袋の人妻系 《slakcer》. 痴漢プレイ 《サガミハラハラ》.
ホテヘルデビューしたこと。 《ギン》. アナル舐め 《SSK》. ... デリヘルで、長時間???
《亀吉サンタ》. 痴漢プレイです。 《サガミハラハラ》. ...

254 :日本@名無史さん:2005/07/10(日) 01:00:48
>>246
そういえば沖ノ島の女神はブサイクだから、美人が島に入るのを許さないって逸話があったっけ。

255 :サガミハラハラ:2005/07/10(日) 10:16:07
>>251 253
サガミハラハラで八件ありましたね。
この名が偶然の一致とは考えられないので、誰か名をかたったのでしょうね。

256 :日本@名無史さん:2005/07/10(日) 10:24:26
>>255
遊人氏のアンケートを荒らしたのも騙りか?

257 :サガミハラハラ:2005/07/10(日) 10:28:59
>>251253の話をしています。

258 :サガミハラハラ:2005/07/10(日) 10:33:10
邪馬台国はどこにあったのか?のコメントですか。
私としては正しい知識を皆さんにお伝えしたかっただけです。

259 :日本@名無史さん:2005/07/10(日) 10:34:01
吸い取る

260 :日本@名無史さん:2005/07/10(日) 10:53:32
>>257
つまり、あのアンケート荒らしはお前本人ということだな?

261 :日本@名無史さん:2005/07/10(日) 10:56:06
顔の見えない神が現れるのです。

262 :日本@名無史さん:2005/07/10(日) 10:57:48
ツングース一族よ悪いようにはしない。

263 :日本@名無史さん:2005/07/10(日) 12:23:40
>>255

『偶然の一致とは考えられないので、誰か名をかたったのでしょうね』

 Pu! とぼけ方の下手なヤシやなあ。
 オマエ、ハンドル騙られるような有名人かよ。

 風俗サイトへの書き込みが昨年12月、他のサイトへの書き込みだってそれ以降のものばかり。
 2Chデビューに到っては、今年の3月ごろだろう?
 そんな、オマエの糞ハンドルをそんな前から騙るような暇人はいないよw

 これ以上、恥を晒したくなかったら、アラシは止めて真っ当に生きなさい。
 

264 :日本@名無史さん:2005/07/10(日) 17:50:17
>>263
真剣に問いたい、あんたそんなのをわざわざチェックしたわけ?

265 :日本@名無史さん:2005/07/10(日) 18:33:41
>>264
>251のリンク先はグーグルの検索結果だぜ。
出力サイトのキャッシュ取得日に目をやれば誰でも気が付くことだが・・・

266 :サガミハラハラ:2005/07/10(日) 21:58:42
>>263私はハンドル騙られるような有名人であるようです。
サガミハラハラの名はかなり前から、いろんなサイトで使用しております。
が、風俗サイトでは使用しておりませんし、風俗サイトに書きこんだこともありません。
第一同じハンドルを使用するはずはないでしょう。別名か、人の名を使うのが通常ではないでしょうか。
サガミハラハラという名を使った人のように。


267 :日本@名無史さん:2005/07/10(日) 22:03:12
>>266
これ以上、恥を晒したくなかったら、アラシは止めて真っ当に生きなさいw

268 :サガミハラハラ:2005/07/10(日) 22:06:02
>>260あのコメントは他のコメントとくらべても遜色はないと思いますけど。

269 :日本@名無史さん:2005/07/10(日) 22:32:49
>>268アラシは止めて真っ当に生きなさいw

270 :日本@名無史さん:2005/07/10(日) 22:52:43
>>268アラシは止めて真っ当に生きなさいw

大爆笑!!!!!!!!!!!!!!!w

>>268アラシは止めて真っ当に生きなさいw

大爆笑!!!!!!!!!!!!!!!!w

>>268アラシは止めて真っ当に生きなさいw

大爆笑!!!!!!!!!!!!!!!!w


271 :日本@名無史さん:2005/07/10(日) 23:02:42
>>265
だから、そんなのをわざわざ見たわけね?

272 :日本@名無史さん:2005/07/10(日) 23:35:12
邪馬台国=ハワイ




おわりーーーーーー

273 :日本@名無史さん:2005/07/11(月) 00:08:54
↑超キチガイ登場!

274 :日本@名無史さん:2005/07/11(月) 12:37:16
邪馬台国は、、、サイパンです。

275 :日本@名無史さん:2005/07/11(月) 14:12:32
いや、台湾ですよ。

276 :日本@名無史さん:2005/07/11(月) 14:20:10
ジャマ大国と読んでジャワ島のことに決まってます。

277 :日本@名無史さん:2005/07/11(月) 14:29:18
「マ」→「ワ」
ありえませんねw

278 :日本@名無史さん:2005/07/11(月) 14:54:31
もうその辺で「地理」のお勉強は、お仕舞いにしようね。
残りは宿題にしておくから、家に帰ったらきちんと予習しよう。
では、寄り道しない様に
自分のスレに帰るんだよ
サヨウナラ

279 :日本@名無史さん:2005/07/11(月) 15:53:28
邪馬台国→ヤーバドゥイーヴァ国→ジャーブドーバ国→ジャンプドーバ   つまりインドの東隣「ジャンプ州」

280 :日本@名無史さん:2005/07/11(月) 16:06:02
キツィグァヰ野朗!

281 :日本@名無史さん:2005/07/11(月) 16:50:04
ウチの大学の考古学の教授が邪馬台国は畿内にあり、証拠もあるとか何とか
言っとったけど俺は九州にあった王権が何らかの理由で大和に遷ったとおも
うわけよ。実際畿内という証拠はあるのだろうか?誰か詳しい方解説してく
だされ。

282 :プラム ◆RvhHf7kqyY :2005/07/11(月) 17:28:56
>>281
全てが解っているなら
関連スレが幾つも立つはずないだろうし
古代史関連スレだけで、かなりの数になる これがすべてを物語っているよ
それに、誰かの自説を拝読するより 過去の古代史関連スレを読み返すだけでもかなりの知識が身につくはず 間違いないよ。

283 :サガミハラハラ:2005/07/11(月) 19:22:28
>>実際畿内という証拠
もし新井白石が、大和説を唱えなければ、邪馬台国大和説はなかったでしょうか。

284 :281:2005/07/11(月) 20:45:36
確かに言われてみればそうでしたね。レス感謝です。

285 :日本@名無史さん:2005/07/11(月) 23:29:10
>>268
あそこで君と同じことをやってる高祖山君だがな。
有名な荒らしだぞ。一時期ネット中を荒らし回っていくつもの掲示板を機能不全に陥れたヤツだ。
それと遜色ないって、自分で荒らしだと自慢してるのといっしょ。

ともかくあそこは5件しかコメントが保存されないんだ。
お前が連続レスしたおかげでまともなコメントは流れちまった。

286 :日本@名無史さん:2005/07/11(月) 23:56:03
>>281
まず先生の講義をよく聴いて、彼に分からないところは質問するなりして
彼の論理を理解してみたら面白いんじゃないかな。
教説とかじゃないんだから、自分と仮に結論が異なっていても
それなりに面白い接を教えてもらえるかもしれないし。

287 :サガミハラハラ:2005/07/12(火) 07:17:01
>>285まともなコメント  え?
それに私は、同じ項に複数入れることは、あまりなかったとおもいますが、
5件しかはいらないので、自分のが流れてしまいますからね。

288 :サガミハラハラ:2005/07/12(火) 08:12:38
私の余計な感想で大混乱を招いてしまったようです。話を元(二二ギの悪行三昧をインターネットで暴け!!)に戻します。
コノハナサクヤ姫が妊娠したのを知ると、他の男との子だろうと疑い認めようとしなかった。
姫は身の潔白を証明するために産屋に火をつけて出産したという。
始めに生まれたのがホデリノ命、次がホスセリノ命、最後がホヲリノ命である。
(この背景をかんがえると、二二ギノ命は複数の妃がいたが、子宝に恵まれなかったようである。だから疑ったのである。
命は生殖能力が弱かったのではないだろうか。二二ギの父のオシホミミはアマテラスの子であるが、無性生殖で生まれたという話
になっている。イエスキリストのように。生物界では珍しいことではなく、人間でもある人が数えたら数十人いたという。ほとんど
男子であるという。ただこのようにして生まれた子は、生殖能力は弱かったということである。
イエスキリストは独身であった。となると、二二ギノ命もなかなか子がなかったということもなっとくできるのではないであろうか。)

289 :サガミハラハラ:2005/07/12(火) 08:27:23
>>288生殖能力の弱かったオシホミミの子の二二ギも生殖能力は弱かった.と付け加えてください.

290 :日本@名無史さん:2005/07/12(火) 10:18:44
百済ないこと書いてんじゃねーよボケが!

291 :日本@名無史さん:2005/07/12(火) 11:43:17
もっともだぁ
なんかまともにレスするの馬鹿らしくなってきた。
このように
他のスレ荒らし回り歩いてるのかい

さがみ さんW

292 :日本@名無史さん:2005/07/12(火) 12:39:47
中国大陸に近い九州にあったと考えるのが妥当だと思われ

293 :日本@名無史さん:2005/07/12(火) 12:56:23
↑基地外のアタマで考えれば妥当でしょうね。

294 :日本@名無史さん:2005/07/12(火) 13:00:46
皇国史観のウヨが考えれば、ヤマト以外にありえない。
これは学問じゃありません。信仰です。

295 :太国:2005/07/12(火) 13:59:53
>>294
邪馬壹国は九州である。大和にあらず。

296 :日本@名無史さん:2005/07/12(火) 14:36:27

クィツゥィグァイですねw

297 :太国:2005/07/12(火) 14:38:02
何ですか?その意味は?

298 :日本@名無史さん:2005/07/12(火) 14:40:32
「気違い」だろ。

299 :太国:2005/07/12(火) 14:50:52
すると、陳寿さんも「気違い」になるわけか?

300 :太国:2005/07/12(火) 15:32:21
邪馬壹国九州説は金甌無欠揺るぎ無し。

301 :日本@名無史さん:2005/07/12(火) 15:49:33

良い子だから、そういうことは↓に書いてね。

邪馬台国は九州であるという前提で話を進めるスレ!
http://academy3.2ch.net/test/read.cgi/history/1120434956/l50

302 :サガミハラハラ:2005/07/12(火) 19:43:28
やっぱ評判わるかったですね。
無性生殖で5人も生まれるわけないですよね。
では話は二二ギには、他に子がいなかったというところまでにしましょう。
けど無性生殖の話、鶏の無性卵を200個孵卵器で温めると、1羽かえるそうですよ。
学校で無性卵からヒヨコは生まれませんと性教育で教わったのは、嘘だったのですね。

303 :サガミハラハラ:2005/07/12(火) 19:48:05
訂正
無性卵ー無精卵

304 :日本@名無史さん:2005/07/12(火) 19:56:04
>>302

> けど無性生殖の話、鶏の無性卵を200個孵卵器で温めると、1羽かえるそうですよ。
> 学校で無性卵からヒヨコは生まれませんと性教育で教わったのは、嘘だったのですね。

単純に信じられない。ソース希望。


305 :日本@名無史さん:2005/07/12(火) 20:15:23
当時の生物学がどの程度であったかしらないが
金魚を作ったくらいだからかなりのものだったのではないか?
人体実験を制限する法律も無かっただろうし・・
単細胞の卵が卵割し始めるきっかけってなんだったけな・・

306 :日本@名無史さん:2005/07/12(火) 20:25:08
俺に資金と権限与えてくれ・・

307 :日本@名無史さん:2005/07/12(火) 20:46:44
有性生殖を行う生物が、単独の配偶子だけで新個体を発生させる生殖。
これに対し、両性の配偶子の合体によるものを両性生殖という。
単為生殖は、雌性配偶子(卵)による場合が多い。

 哺乳類では、単為生殖によって成体にまで成長したという
報告はないが、テンジクネズミ(モルモット)の卵巣では、
閉鎖濾胞{ろほう}の卵が分裂して神経管の初期段階にまで発生
した例がある。ヒトの睾丸腫瘍{こうがんしゆよう}のなかには
胚様構造がみられることがあるが、これは精子の単為生殖的結果
といわれている。なお、卵の単為生殖を処女生殖、精子の単為生殖
を童貞生殖という。


308 :太国:2005/07/12(火) 21:01:28
>>301
俺の言うのは前提ではない。長年いろいろ研究した結果だ。
前提では仮定のようなことではないか。九州説を正と仮定して言ってるんではな〜い。
九州説が正だから、主張しているわけだ。仮定しているんじゃぁないんだ。

309 :日本@名無史さん:2005/07/12(火) 21:16:59
漏れ達は江戸時代に出目を隠されたのかな?


310 :日本@名無史さん:2005/07/12(火) 21:22:30
出雲の渡来の人の歴史は北荻くらいまでしかさかのぼれないでしょ、
それでも構わないから、彼らの秘密をなんとしてでも明かしたい。
必要なものは結束力、政治力、資金力etc・・


311 :日本@名無史さん:2005/07/12(火) 21:34:56
気になるんで「でめ」は止めてくりょ。
「しゅつじ」にしてくれや。

312 :サガミハラハラ:2005/07/12(火) 23:34:58
無精生殖について
原色家畜家禽図鑑 京都大學教授農学博士 上坂章次著  保育社刊  p103
白七面鳥ベルツビル・スモール・ホワイトの例が載っており、同種では20分の1であるという。200分のTは鶏で、毎日新聞だかにのっていました。
うまれるのは全て雄であるとあるが、どうだろうか?
もう30年ぐらいまえの発行で、私が知っているのでは、横浜市中央図書館開架にあります。

313 :日本@名無史さん:2005/07/13(水) 00:00:59
スレ違い失礼。

>>312
ニワトリの場合、交尾して卵を産んだ後でも、
交尾しなくても受精した卵を産むことは比較的知られています。

何でだかわかります?
なんと最初に交尾した際の精子が体内に生き残ったまま、
再度受精するんですよ。

314 :サガミハラハラ:2005/07/13(水) 00:39:04
↑確かにそういうこともあります。
書名をあげただけではちょと不親切なので要所を抜書きします。
本種は、雄を配さなくても、雌のうんだ卵を、そのまま孵卵すると、ある程度発生を示すことが知られ、その卵を多数ふ化して、ついに、処女生殖(Parthenogenesis)
のシチメンチョウをえたことで有名である。この処女生殖を起しやすい形質は、遺伝的で、選抜によって、その頻度を増加することができた。このできたものは、すべて雄で、染色体は2倍体で、
ふ卵中に倍加されて発生したものと思われる.すると、これらは、遺伝子的には、完全にホモ(homozygous)であるはずである。ところが、この雄は弱くて育たないし、68羽のうち、
3羽が性成熟に達しただけで、そのうちの1羽が、雌に交配して子を作ったが、その卵の受精率は40%ぐらいで、ふつうの雄の場合の半分以下であった。このように、完全ホモの固体の能力
の悪いことは、遺伝子というものは、ある程度、ヘテロ(Heterozygous)でなければならないことを示し、このことは、互に異なった系統や、品種を交配したとき、雑種強勢(Hheterosis)現象
の起ることを、ある程度説明しているものとされている。     

315 :日本@名無史さん:2005/07/13(水) 01:24:58
↑スレ違いなこと長々と書いてんじゃねーよボケカスが!!
ホントむかつくやつだな 氏ね!

316 :日本@名無史さん:2005/07/13(水) 02:42:51
天武の畿内王権は、その王統伝承として、神武を始祖としていた。
さらに神武の血統伝承として、その先祖のアマテルやニニギの系譜であるとした。

つまりニニギの子〜神武の一代前までは「王様ではなかった」という伝承である。

また、天孫の血統を主張することで、委奴国・邪馬壱国・邪馬台国の
文化的継承を示唆している。

さらに持統天皇は畿内土着勢力と九州倭国勢力の融合を図った。
持統が孫の文武天皇を即位させ、701年大宝律令を施行してこれは完成した。
この国の名前を「日本」という。

317 :本田:2005/07/13(水) 06:18:09
>>281 :日本@名無史さん :2005/07/11(月) 16:50:04
> ウチの大学の考古学の教授が邪馬台国は畿内にあり、
> 証拠もあるとか何とか言っとったけど
> 実際畿内という証拠はあるのだろうか?

邪馬壹国が近畿にあった証拠なんて無い。
近畿説の人は、邪馬をジャバと読まず、
ヤマと読んだりするみたいなので、
邪馬と野馬を混同しているのではないのかな?
ジャパンやジパングの語源はジャバだろう。
でもヤーパンの語源はヤマかも。

>『野馬台詩』の謎
http://www.iwanami.co.jp/.BOOKS/00/5/0023190.html
http://www.iwanami.co.jp/moreinfo/0023190/top.html
>日本の予言書
>−『野馬台詩』『聖徳太子未来紀』『竹内文献』−
http://www.mars.dti.ne.jp/~techno/column/text9.htm

318 :本田:2005/07/13(水) 06:31:15
>>316 名前:日本@名無史さん :2005/07/13(水) 02:42:51
> 持統が孫の文武天皇を即位させ、701年大宝律令を施行してこれは完成した。
> この国の名前を「日本」という。


>「三国史記〜新羅本紀」文武王10(670)年、倭国、あらためて日本と号する。
>自ら言う。
>日出る処に近い、以て名とする。

>以後(統一新羅は)、倭を「日本」と表記した。
http://homepage3.nifty.com/kiya/sehachi/kiya342.htm

319 :日本@名無史さん:2005/07/13(水) 07:31:48
「邪馬台国」という名の国など、どこにも存在しなかった。

320 :サガミハラハラ:2005/07/13(水) 07:53:42
>>スレ違い
二二ギと魏志倭人伝、何の関係もないですね。
けど乗ってしまった船、目つぶってください。というわけで、続きにまいります。
二二ギノ命はコノハナサクヤヒメの生んだ三つ子の内、長男のスセリノ命(日本では多胎児の時は、二番目に生まれた子を長男とする風習がある)
だけを跡取として大事に育て、あとの二人はほったらかしにした。
そのため二人は耕す土地もなく、兄は漁師に、弟は猟師になった。(かわいそう)
尚、ホスセリのスセリは、炎が盛んと言う意味より、大国主命の妻がスセリ姫であることから、こちらと同じであろう。
ホは勿論、ホノ二二ギのホと同じ意味。

321 :日本@名無史さん:2005/07/13(水) 14:31:20
で邪馬台国と大和は発音が近いから=で考えていいの?

322 :日本@名無史さん:2005/07/13(水) 15:02:17
>>321
邪馬台国=大和ですよ。

323 :日本@名無史さん:2005/07/13(水) 15:03:53
現在では常識でつ

324 ::2005/07/13(水) 15:22:26
>>321


325 :日本@名無史さん:2005/07/13(水) 16:12:36
今日の産経に滋賀から紀元前の銅鏡の破片が出たって話乗ってたろ

326 :日本@名無史さん:2005/07/13(水) 16:18:07
当然ですね。倭人は前11世紀から支那に記述されているのですから。

327 :日本@名無史さん:2005/07/13(水) 17:01:34
どうも倭人=アイヌという説もでてきてるお

328 :プラム ◆RvhHf7kqyY :2005/07/13(水) 18:21:38
>>326
この記載文か?
『論衡』巻十九
成王(BC1115〜1079年)の時、越裳雉を献じ倭人鬯艸を貢す

でも、変だよ
越裳国人がベトナムに居住したのは 越が楚に倒されたBC334年以降のはず
それより七百年前に雉の献上とは、ちょっと変

越裳国の正式朝貢記事は
『漢書平帝紀』
元始元年春正月(BC 1年)

329 :外出だと思うが:2005/07/13(水) 18:31:47
三国志の倭人伝によると、
満州のほうに倭人が住んでいたそうだ。
魚釣りが上手いので中原に強制連行したらしい。

ちなみに、倭人は朝鮮の南の端と日本に王朝を作っていたと記述
されているが、
それが邪馬台(ヤマティー;九州)→ヤマト王朝(近畿に遷都)になった
と思われる。 九州と近畿の地名の相関からもよくわかる。
国土防衛のために、朝鮮や中国から遠い所に移ったと思われる。
東へどんどん進軍したので、首都を東にするのは必然かも知れないが。
当時、めったにくれない金印をもらったぐらいだから、我々が思うより、
この王朝は文化的で戦闘力が有ったと思われる。
総合的な国力は新羅や百済より上みたい。ハクスキノ江で負けたのは、
外洋艦隊でいかなければいけないので、疲れもあるし、ホームでもないし、
全兵力を出せる新羅には 負けて当然かと。
倭人伝のなかの水行何日とかは、首都を中国人に知られないために、
「わざと遠回り」したと思われる。
西都原から北に引き返したかと。遷都の出発も西都張る。

当時から巨大国に対して防衛を考えていた日本人って、偉いと思う。



330 :外出だと思うが:2005/07/13(水) 18:39:33
また、天皇家には秘密の歴史書が残されて秘伝となっている噂を
聞くが、天皇の朝鮮起源発言もその辺からだと思う。
朝鮮の原住民が集まって、新羅民族、百済民族、加羅(倭人)民族とか
を形成して行き、北は国が詰まっているので、海を渡って縄文人や
逃げてきた渡来の南方中国人を教育、征服、同化、組織化して
国を作ったが、敵がないだけに、本国である加羅よりも発展したので、
ついには首都を加羅から北九州に動かしたと思われる。
その後は西都原→近畿と征服同化による領土拡大とともに遷都したのでは?

金印をもらうには国力だけでなく文化力も必要だが、
文明国家の敵がいない日本で国力がアップし、本来の加羅の
文化力があり魏への行き方や礼儀、言葉を知っていたから、
皇帝に重く見られたのでは?


331 ::2005/07/13(水) 18:46:42
そうだと、記紀に日本国内に朝鮮国家ができたと明示がある。
そんなものなら、秘密は簡単に部外に漏れているよ。

332 :日本@名無史さん:2005/07/13(水) 19:05:12
西都原ヲタ君
>>330
>噂
その情報源は何

333 :オタ:2005/07/13(水) 19:54:31
>332
済まん、ソース忘れた。10年ぐらい前、古事記とか読みまくっていたとき
何かに、書いてあった。
折れも自分なりの結論がついたので、それ以降卒業してあまり読んでいないので
わからん。本来の理工系の仕事が忙しい。
ふと気まぐれで来ただけ。

334 :日本@名無史さん:2005/07/13(水) 20:01:39
>>332

ギャグでも無さそうだし、メチャ粘着臭が漂うレス内容から見て、「本物」の方だと思われる。
こういう方は、弄くっても面白いことには成りそうもないので、スルーが妥当な対応でしょう。

335 :日本@名無史さん:2005/07/13(水) 20:05:15
漏れも理系、歴史の見方が
文系のそれと全くことなる。文系だとどうしても
どの学者が言ったから正しいという権威主義に
陥りがちで発展性ゼロ。

336 :日本@名無史さん:2005/07/13(水) 20:20:51
日本神話では、いわゆる「天孫{てんそん}民族」が新しくきて、
国土を統一したように伝えている。それを歴史に読み替えて、
天孫民族が日本人、先住民族がエゾですなわちアイヌという理論に
発展した。『類聚国史{るいじゆうこくし}』では、エゾを「風俗部」
に数え、これを一種の「国内殊俗{しゆぞく}」すなわち「国内異民族」
扱いしている。歴史的経過に照らせば、北東日本に拠った「国内異民族」
にあたるものがアイヌであることは、まことに自然である。だから、
エゾをアイヌと考えることは、十分理由のあることである。しかし、
これは、蝦夷をエゾと読むようになった平安中期以降では無条件に
正しいのであるが、蝦夷をエミシ(エビス)とよんでいた古代においては、
これをすぐにアイヌと置き換えるだけの十分な理由がない。古代エゾ観念
は人種観念でないからである。それを、エミシ時代の古代エゾをも含めて、
通して、アイヌか日本人かという二者択一の人種論でとらえようとしてき
たところに、この議論の誤りがあった。

337 :日本@名無史さん:2005/07/13(水) 20:21:11
初めエゾという呼称はなかった。エミシ(エビス)であった。
それをすべてエゾと考えてきたところに問題があった。エミシは
もともと「勇者」の意味である。人名にエミシがあるのはこの意味
である。他方、この勇者は、神武{じんむ}歌謡以来、「東の抵抗する勇者」
として意識されるに至っている。「エミシを一人{ひたり}、百{もも}な人
 人はいへども 手向ひもせず」が、皇師東征の歌であることに注意すべき
である。こうしてエミシは「あずまびと」への賤称{せんしよう}ということ
になる。「あらぶる人たち」「まつろわぬ者たち」というのがその性格規定
である。「夷」はヒナとも読んだが、「あずま」もヒナ=辺鄙{へんぴ}の
意味であった。エミシはヒナ人である。律令{りつりょう}時代に彼らが無法、
無道とされるのもこの意味である。すなわち歴史上のエゾ観念は、政治的、
文化的な蛮族観念である。人種の違いに基づく異民族観念ではないのである。
古代国家の統一に抵抗し、その支配と文化を受け入れないゆえに、体制側か
らすれば、未開、野蛮な人たち、その意味での政治的、文化的異民族であっ
たのである。人種上の異民族であったかどうかは、別途の考察を要する。

338 :本田:2005/07/14(木) 06:17:04
>>321 :日本@名無史さん :2005/07/13(水) 14:31:20
> で邪馬台国と大和は発音が近いから=で考えていいの?

フランスのパリとテキサス州のパリは、同じ場所じゃないよ。

339 :本田:2005/07/14(木) 07:13:34
>>329 :外出だと思うが :2005/07/13(水) 18:31:47
>ちなみに、倭人は朝鮮の南の端と日本に王朝を作っていたと記述されているが、
新羅本紀による半島情勢年表(参考:三国史記1/平凡社東洋文庫)
http://www.tcn-catv.ne.jp/~woodsorrel/kodai/g01.files/06/shiragi.html
注目して欲しいのは、
> 532 金官国王が財宝と家族と共に来降し国王の末子が新羅に仕える
です。
532年以前は、倭人の侵入がありますが、以降は倭人の侵入はありません。
新羅にとっての倭人は、朝鮮半島南部の金官加羅だったと推定できます。
だから倭の五王も、朝鮮半島南部の金官加羅の王の可能性があります。。


>それが邪馬台(ヤマティー;九州)→ヤマト王朝(近畿に遷都)になったと思われる。
邪馬は、ジャバと読むべき、ジャパンの語源。
ヤマトの語源は、九州の山門だろう。


>九州と近畿の地名の相関からもよくわかる。
九州の地名は近畿だけでなく、朝鮮半島の地名とも類似している。

340 :日本@名無史さん:2005/07/14(木) 07:43:32
敏達天皇や舒明天皇あたりが遺言で朝鮮半島南部を取り戻せとかいっていたな。
伽耶地域は天皇家の故郷ってことか?

341 :日本@名無史さん:2005/07/14(木) 07:49:34
>九州の地名は近畿だけでなく、朝鮮半島の地名とも類似している。

具体的にどうぞ。ソース本でもいいけど。

342 :サガミハラハラ:2005/07/14(木) 08:14:25
二二ギノ命は背振山地の高天原から葦原の中っ国に降りてきてその地の王になったが、その地とは博多湾沿岸である。
そこは別名倭の前の国(前とは半島川から見た場合である)ともよばれていた。
対外的には倭前国であるが、当時は国のことをト又はドといっていたので、倭前土国となる。(土は奴という字を使う場合もある)
ところが通訳が、訛りがあり、または訛り(聞いてか)があり、マエをメェ(お前手前がオメェテメエとなるように)
といい、それを中国人はメンと聞きイメンドとしるした。よって初代倭面土国王は二二ギノ命である。
2代目はスセリノ命でこれが倭国王帥升(シュセン)である。(北部九州では、シはシュと訛る。)


343 :サガミハラハラ:2005/07/14(木) 08:19:51
>342訂正 半島川ー半島側
       または訛り(聞いてか)がありー(または訛りで聞いてか)

344 :日本@名無史さん:2005/07/14(木) 10:22:37
>>342
キチガイなこと書いてんじゃねーよ!

345 :日本@名無史さん:2005/07/14(木) 10:43:57

伽耶地域を「内宮家」(神功紀)と言いますから、天皇家の故郷で良いかと。


346 :日本@名無史さん:2005/07/14(木) 11:01:29
>>342
>二二ギノ命
あなたの説は非常に興味深いのですが、筑紫地域は
那津が博多に変わるまでは少なくとも出雲系の勢力圏では無かったと
思っています。
倭寇の頃でさえ北部九州は倭人の住む地域だったはずです。
ニニギノの勢力圏は豊国からせいぜい日向までだと思います。


347 :サガミハラハラ:2005/07/14(木) 12:34:19
私は日向宮崎説は、日本書紀編纂者の事実(場所)誤認であると思っています。
神話の舞台は博多湾沿岸一帯であるとかんがえます。
そうすると神話の流れはすっきりします。

348 :日本@名無史さん:2005/07/14(木) 12:43:04
>>347
確かに、百済、加羅地域は倭人の住む地域であり、
後の日本の国名も大倭となったことから倭国(日本?)の中心が
ここから始まったことは確かです、しかし、
倭国大乱は天孫族と倭人との争いですから、
この倭人の一大勢力圏である筑紫地域に天孫系の大勢力が
あったとは考えにくいと思います。

349 :日本@名無史さん:2005/07/14(木) 12:45:16
・卑弥呼は公孫氏(満州系)の末裔。
・農耕器具がそのまま同じ
・言語(基本語・数詞)が同じ
・山東(扶余系)の頭骨の一致
・弥生の形質は北方系
・満州にあった「倭」

350 :サガミハラハラ:2005/07/14(木) 12:47:58
あなたは天孫族は南九州の熊襲や隼人であるとお考えですか。
そうでないなら両者の関係はどうなのでしょうか。

351 :日本@名無史さん:2005/07/14(木) 13:03:08
>>350
倭→大和(ヤマト)となります、倭の出身地が仮に満州にあったとしても
倭は朝鮮半島の南部や日本列島の先住民族と結びつきヤマト民族となります。
後に土井が浜、出雲に渡来してくる天孫族とは区別されるはずです。
ヤマトは赤、天孫は白信仰でしょう。

>>350
私は親が薩摩北部出身ですが、出雲系のような信仰は一切ありません。
想像ですが、筑紫の倭勢力が天孫族にある程度譲歩したのに対し
南九州の勢力は頑なにこれを拒否したように思います。



352 :日本@名無史さん:2005/07/14(木) 13:43:26
天孫族がもし白人であったり先住民族であるならば
とっくに天皇の顔は縄文、あるいは白人顔になっているでしょう。


353 :日本@名無史さん:2005/07/14(木) 15:19:37
>>352
意味不明なこと書いてんじゃねーよボケカスがぁ!!!!!!!!

354 :本田:2005/07/14(木) 19:13:26
-----------------------------------------
>>341 名前:日本@名無史さん :2005/07/14(木) 07:49:34
> >九州の地名は近畿だけでなく、朝鮮半島の地名とも類似している。
>
> 具体的にどうぞ。ソース本でもいいけど。


>「原(ばる・はる)、丸」地名と吉野ヶ里遺跡
http://www.shochian.com/yoshinogari.htm
http://www.han.org/a/half-moon/hm026.html

あと韓国のわりと詳しい地図をみていたら、
唐津を2ヶ所見つけたことがあった。
多分、百済のあった海岸だと思う。
百済は滅亡後、唐に統治されている。
九州の唐津も多分、白村江の敗戦後、
唐に統治された事があるんだろうな。

355 :日本@名無史さん:2005/07/14(木) 19:22:02
バルは沖縄から九州一帯にある地名だから、
なぜかはわからん。

356 :馬耳:2005/07/14(木) 20:50:46
>>354-355

現代韓国語「マウル」の祖語的なものが、九州地名の原(バル)の語源である可能性は高いですね。
もちろん、原(ハラ)の語源である可能性も同様ですが。
ただ、原(バル)地名が、九州でも特定地域に偏在している現状は、その伝播が弥生早期に遡るものではなく
例えば原(ハラ)と発音する集団の展開より、かなり遅れた時期(例えば弥生中期)であるためかもしれません。
それも、最初は博多地域などに定着した集団が、数世代後に他の地域に移住して、新たに原(バル)地名を
拡大していったようなケースが思いつきます。
倭國乱とも何らかの因果関係があるかもしれませんです。

357 :日本@名無史さん:2005/07/14(木) 23:02:48
 「 ←バールのようなもの

358 :日本@名無史さん:2005/07/15(金) 02:28:43
>>356
沖縄、九州全土が原をバルと読むのです。
なぜでしょうね・・
どうも古代の封印された歴史と関係ありそうです。

359 :日本@名無史さん:2005/07/15(金) 02:37:07
一つの可能性として呉越の影響も考えられる。
東南アジアではバルという地名は多い。

360 :日本@名無史さん:2005/07/15(金) 07:11:10
>>358 九州でもハラと読むところもあるさ。

361 :日本@名無史さん:2005/07/15(金) 07:23:18
これからは、サガミハラハラ⇒サガミバルバルと、呼ぼう

362 :日本@名無史さん:2005/07/15(金) 07:26:22
>>358

>封印された歴史

「たま出版」かオカルト雑誌の読みすぎ

363 :本田:2005/07/15(金) 07:53:11
-----------------------------------------
>>345 :日本@名無史さん :2005/07/14(木) 10:43:57
> 伽耶地域を「内宮家」(神功紀)と言いますから、天皇家の故郷で良いかと。


>  ぺくすこんだるさん、はじめまして。
>
> #479、ぺくすこんだるさん
>> 話しのついでに思い出したんだけんどよ、もとの上司が宮内庁に出向し
>>ていて、東宮大夫(だいぶ)という肩書きなんだとさ。ただこれは対外的
>>名称で、宮中では「てーぶ」と呼ぶらしい。これ韓国語の発音と全くおん
>>なじ。ともかく、あそこは電話の受け答えからして浮き世離れしてるんだ
>>よなぁ。
>
> #482,ざ・ふぁろすさん
>>韓国語は詳しくないのですが、宮中言葉には韓国語に良く似たものがたくさ
>>んあるとのことです。(実際日本語とは思えません)
>>まあ、当たり前と言えば当たり前なのでしょうか。

>からのかみ‐の‐まつり【韓神祭】
>宮内省内に祀ってあった韓神の祭。古くは陰暦二月の春日祭の後の丑の日と一
>一月の新嘗祭の前の丑の日に、園神祭と共に行われたが、中世以後衰え廃絶し
>た。からかみのまつり。
>
>から‐の‐かみ【韓神】
>(朝鮮から渡来した神の意か) 守護神として宮内省に祀られていた神。大己貴
>(オオナムチ、注1)・少彦名(スクナビコナ、注2)二神をさすという。
>→園神(ソノノカミ)。
http://www.han.org/a/half-moon/hm048.html

364 :サガミハラハラ:2005/07/15(金) 08:59:17
107年の貢献の帥升(シュセン  北部九州ではシはシュと訛るはスはシュと訛るの誤記でした)はスセリノ命のことで、
出雲荒神谷の銅剣をおくったのも彼である。(くわしくは拙書「卑弥呼の登場 明窓出版刊 2002年」をご覧下さい。)
倭面土国のその後であるが、魏志倭人伝を見ると(とうとう出ました魏志倭人伝)倭国乱の前に七、八十年(二倍暦なので35〜40年)男王が治めたとある。
倭国乱は156年頃はじまったので、この王(金印奴国)の即位は、116,121年頃である。
この王の即位以前は金印奴国は衰退期にあった。その隙に倭面土国は勢力を拡大したのである。
金印奴国の新王は再び勢力を回復し、倭面土国を攻撃した。倭国の正統なる王朝は金印奴国である。

365 :本田:2005/07/15(金) 09:10:48
>>364

>後藤 幸彦さん青森市出身
>ごとう・ゆきひこ
>
><略歴>
> 1947年11月生まれ。 53歳。青森市出身。
> 甲田中、青森高校、弘前大学教育学部卒業。
> 70年から神奈川県相模原市内の小学校教諭に。
> 86年、拡張型心筋症で入院。2000年3月に退職。相模原市在住。

http://www.toonippo.co.jp/l-rensai/shutoken/shutoken15.html

366 :日本@名無史さん:2005/07/15(金) 09:43:21
「はら」「ばる」「まる」「むら」ってみな語源は同じ。
日本の古語で村を「ふり」と言っていた。これも同じ語源だろう。
韓国では「伐」と書いて「ぼる」と読む。これも同じ。
また新羅地名が日本書紀に「牟羅」として記載されるから「村」が「むら」の読みなのも新羅から来たのだろう。
九州で「ばる」が多いのは百済滅亡後百済人が九州に大量亡命したせいか?
本州側で「むら」になるのは何時かは解らないが新羅人が本州に大量に居たからだろう。
新羅といえば応神天皇新羅人疑惑がある。

367 :サガミハラハラ:2005/07/15(金) 10:29:21
早速調べていただいて有難うございます。

368 :プラム ◆RvhHf7kqyY :2005/07/15(金) 11:16:25
>>365>>367
サガミ氏って
そういう略歴の持ち主だったんだ〜。
想像よりも若いですね

369 :日本@名無史さん:2005/07/15(金) 12:47:52
そういう略歴なのにキチガイなこと書きすぎw


370 :日本@名無史さん:2005/07/15(金) 12:50:54
>九州で「ばる」が多いのは百済滅亡後百済人が九州に大量亡命したせいか?

百済人は主に畿内に亡命したみたいだ、その論理なら関西に「バル」
が多くなるだろ、東南アジア経由の可能性もあるだろ?
どうしてそう、いい加減なねつ造ばかりしたがるのだ?

371 :日本@名無史さん:2005/07/15(金) 13:12:05
百済人は基本的に東アジアの先住民族の系統
新羅、特に出雲に渡ってきた
やつらはまさに吊り目の
奇っ怪な化け物、人類の敵。
ツングース

372 :日本@名無史さん:2005/07/15(金) 13:16:06
バルは沖縄では殆どだろ

373 :日本@名無史さん:2005/07/15(金) 13:28:00
大まかな対立構図として
ヤマト(先住民族)対天孫(吊り目ツングース)
という構図からずれてはならない。

374 :日本@名無史さん:2005/07/15(金) 13:47:12
サガミハラハラさんは
小城らしいですが、倭人伝(しかも独自解釈)以外に根拠が
薄いように思います。
ヤマト(九州全土)の首都はヤマト勢力と天孫勢力の攻防があり
遷都が行われた可能性がありますが、筑後川流域のヤマト勢力圏内か
あるいは豊国一帯の天孫勢力圏内いずれかであろうと考えます。

375 :日本@名無史さん:2005/07/15(金) 14:16:02
http://www5d.biglobe.ne.jp/~tosikenn/4sumiall.htm
古代ビビンバ王国
東北の白虎隊会津も彼らの末裔かもね、吉備のビビンバ埴輪も
彼らの遺跡と関係ありそう。

376 :日本@名無史さん:2005/07/15(金) 15:28:46
バルについて 
かつて扶余は高床式倉庫をもって農耕を営んでいたらしい
彼らはバルをつかってたらしいから、その当たりからもバルが
東南アジア経由である証拠になりうる。
沖縄は原(バル)であるからやはり東南アジア経由で
何らかの形で半島の一部や九州沖縄に伝わったのだろう。

377 :日本@名無史さん:2005/07/15(金) 17:04:00
これ、昔からかなり聞く話だが中原つう妄想国家があるの知ってるか?

それでもよけりゃぁ、半島に持っててもいいよ。

378 :日本@名無史さん:2005/07/15(金) 17:18:06
新ない

379 :日本@名無史さん:2005/07/15(金) 17:39:59
シラ(白、新)ないw
中原って名前はいるな

380 :日本@名無史さん:2005/07/15(金) 19:52:31
「バル」「ツングース」専用スレでも立てなよ
そこで盛大にお祭りしなよ
そう言えば「出雲」スレどうした?

381 :日本@名無史さん:2005/07/15(金) 19:55:16
もうビビンバの本家本流東日本人は満州に帰れ

382 :日本@名無史さん:2005/07/15(金) 20:24:11
その昔、半島から列島に民が流れて着たことは事実だろう。
そして、半島での生活文化等を当時土着の人達に教え伝えたであろう。
しかし、それだけの事であり、決してその流民達が一大国家を築くなどは妄想の類
土着の権力者が 流民の新しき文化を混合させながらその地の発展に組み込んだ
その流民達も時代の経過と共に、土着の民との混血により数代もしないうちに その痕跡は外見的に区別がつかなくなる。

383 :日本@名無史さん:2005/07/15(金) 20:26:48
呪われた顔、源氏(ツングース、東朝鮮人、出雲人・・)

384 :日本@名無史さん:2005/07/15(金) 21:17:48
もうそろそろ止めとけよ
幼稚園児みたいに、「ツングースだ東朝鮮だ吊り目だ」と
《のぼせ》の様に同じカキコの連続

385 :日本@名無史さん:2005/07/15(金) 21:24:20
じゃあ少しずつでも真実を明かしていけ。
朝鮮人

386 :日本@名無史さん:2005/07/15(金) 21:28:43
このスレは「倭人伝」スレだ。
いい加減荒らしは止めろって、言ってるの

387 :日本@名無史さん:2005/07/15(金) 23:26:20
>>365
その人は相模原市在住じゃないぞ。
サガミハラハラ自身が明かしてるヤツのプロフと合わない。
写真をみても、ヤツのようにイメクラ通いをするような人には見えないぞ。
それに、今までサガミハラハラ自身が書き捨ててきたアフォレスから判断して
ヤツは教員試験に合格するような知能の持ち主でもない。

サガミハラハラはローカルBBSでは面が割れてるみたいだから、
稀代の悪役にして、実はイメクラ狂の2chネラーは、
全くの別人だったと思わせる偽装工作じゃないかな。

388 :日本@名無史さん:2005/07/15(金) 23:53:24
>387
とクンクンかぎ回る根暗犬が申しております

389 :プラム ◆RvhHf7kqyY :2005/07/16(土) 00:49:18
私が感じるところ
サガミハラハラと、名乗る人は 最低二人いるよ
レスの内容が微妙に違うキガス

390 :日本@名無史さん:2005/07/16(土) 01:09:24
ここのハラカラ氏は、これから本を出版するので、後藤幸彦氏ではないだろう。

391 :日本@名無史さん:2005/07/16(土) 01:25:05
邪馬台国は西都にありました。


392 :プラム ◆RvhHf7kqyY :2005/07/16(土) 01:26:34
でも、後藤氏もきっとサガミハラハラと名乗ってカキコしているよ
団塊の世代が好みそうな内容が、時々かいてある

393 :サガミハラハラ:2005/07/16(土) 01:27:41
おまえらシネヨ


394 :日本@名無史さん :2005/07/16(土) 01:29:24
>>391->>393 自作自演乙

395 :プラム ◆RvhHf7kqyY :2005/07/16(土) 05:50:02
>>394
お前か サガミ氏のコテハンで遊んでいる元凶は

やっと釣れたようだね
《名無し@荒らしの元締》さん

396 :サガミハラハラ:2005/07/16(土) 09:01:04
私が元祖サガミハラハラです。相模原市在住で、東奥日報社の記事の人物は確かにわたしです。(年齢は現在57才)
私のほかにサガミハラハラを使っている人がいます。


397 :サガミハラハラ:2005/07/16(土) 10:02:20
二二ギノ命の悪行三昧
ここで古代妄想をひとつ。
中興の王の元に勢力を回復した金印奴国は、倭面土国にトドメを刺す為、国都吉野ヶ里に兵を終結します。
吉野ヶ里を出発した軍は、背振山中の三瀬村に一泊、早朝軍を発し、三瀬峠を越え別働体は室身川に添っ
て北上、本体は本拠地をつくため、日向峠をこえて、イト郡に侵入、帥升の住む、周船寺(スセンジ、周船
の漢字は北部九州訛りのシュシェンからきた。帥升の名が地名として残ったもの.)を攻めた。激戦が続いたが、
精悍にして用兵にすぐれた東胡の血を引く金印奴国の圧倒的勝利となった。
帥升は脱出して西方の一の町に逃げこんだ。金印奴国郡はそをせめ、乱戦のなか帥升はうちとられた。
一の町遺蹟からは、鏡の破片と、剣の柄飾りがみつかったという。これらは普通は墓に副葬されているものなのだが、
このような形で見つかるのは、ここで激しい戦闘があった事を示しているのである。
これらの品は、帥升のものであったのだろうか。
二二ギノ命から始まる倭面土ほわずか2代で滅びさったのである。
そしてその国は幾つかに分割されたのである。          

398 :日本@名無史さん:2005/07/16(土) 12:10:49
僕は室町時代の南北朝時代もこれとは無関係ではないと考えています。
単一民族ってのは嘘なんですから

399 :サガミハラハラ:2005/07/17(日) 08:52:16
>>397の訂正
兵を終結ー兵を集結    室身川ー室見川   金印奴国郡ー金印奴国軍
そをせめーそれをせめ   倭面土ほわずかー倭面土国はわずか
  

その新しく建てられた、国の中にイ土国というのがあった。
ところが、金印奴国の本当の名は倭奴国(ヰト国とよむのが正しい。トとは国の意味)
であるので、まぎらわしいことになった。そこで、新しい国は斯馬の地域にあったので、これを
斯馬イ国と呼び本来の倭奴国は、邪馬の地域にあったので、邪馬イ国と呼ぶようになった。
これが魏志倭人伝に表れる邪馬壱国である。斯馬イ国は伊都国ではない。

さて、金印奴国軍の別働隊が駆けぬけて行った室見川沿いの山門の日向の地に、とある兄弟達がすんでいた。
彼らは、スセリノ命の三つ子の兄弟の孫であった。本家のスセリノ命家が滅んだことから、かれらは、
この地に居られないと考え、仲間を募って東へと新天地を求めて旅立ったのであった。西暦120年代のことであった。
彼らの子孫が兄弟になり、再び九州に姿をあらわしたのは、3世紀の末であった。
その時にはかつての覇者、金印奴国(邪馬台国)は見る影もなくおとろえていた。(自然消滅か)

400 :佐賀県佐賀市十七歳 ◆h2ICNvVaAw :2005/07/17(日) 12:18:41
400ごっと!

401 :サガミハラハラ:2005/07/18(月) 08:00:40
>>399訂正 彼らの子孫が兄弟になりー彼らの子孫が強大になり
      最後に終とつけて下さい。

402 :佐賀県佐賀市十七歳 ◆h2ICNvVaAw :2005/07/18(月) 13:22:26
>>401
じゃかあしい!

403 :日本@名無史さん:2005/07/18(月) 13:53:28
なんで毎年17歳なの?

>佐賀県佐賀市十七歳 ◆h2ICNvVaAw

404 :日本@名無史さん:2005/07/18(月) 14:00:40
イヒヒ・・・

405 :佐賀県佐賀市十七歳 ◆h2ICNvVaAw :2005/07/18(月) 14:01:03
本家コテが原田一派と一緒に大本批判しやがったからだよ

406 :日本@名無史さん:2005/07/18(月) 14:02:52
うざい、僕らには学説(権力者の狗)なんか一つの読み物に過ぎない。

407 :日本@名無史さん:2005/07/18(月) 16:06:04
サガミ、佐賀県・・・しかし、こいつら凄いなあ(まだ、太の域には達していないが)。
プラムとか檀君あたりがまともに思えてきたぞ。

408 :日本@名無史さん:2005/07/18(月) 22:09:40
そうか?
教科書に載ってる怪しい説なんか聞きたくもないし、正解だとも思わない。
みなさんいろんな本を読み知識が豊富なようですから
臆せず語ってください。

409 :日本@名無史さん:2005/07/18(月) 22:25:43
そういうことは、岡板で思う存分やってくれよ。

410 :日本@名無史さん:2005/07/18(月) 22:35:40
http://www.relnet.co.jp/relnet/brief/index-6.htm
ここの古代史関連の投稿参考になるよ。

411 :サガミハラハラ:2005/07/18(月) 23:36:31
それにしてもここ以外の古代史スレのレス動きませんね。
ブイエーシーエーティアイオエン 夏休み! だもんね。
また、年相応のことをかいてしまった。

412 : ◆ypURG809QA :2005/07/18(月) 23:44:38
>>411
えーと、サガミさん。
諸橋大漢和辞典は読まれた事ありますか?

413 :日本@名無史さん:2005/07/18(月) 23:52:27
>>411
アンタ達がいるから、みんな寄り付かないだけだと思うんだけど・・・

414 :サガミハラハラ:2005/07/18(月) 23:55:05
ございませんが どっか間違えましたですかね?

415 :サガミハラハラ:2005/07/18(月) 23:59:35
皆さんの論説とちとはなれていますからね。冷や水ぶっかけられたみたいで、消化不良かもしれません。
人の行く裏に道あり花の山  いや昔株やってたことあるんですよ。

416 :日本@名無史さん:2005/07/19(火) 00:24:34
>>415
「麒麟も老いれば駄馬にも劣る」

麒麟に失礼だが、あえてこの格言をあんたに送るわ。

417 :日本@名無史さん:2005/07/19(火) 00:54:21
>>416
君には「女房の焼くほど亭主持てはせず」という格言を送ろう。

418 :日本@名無史さん:2005/07/19(火) 07:16:55
>>415
いや、御説の内容じゃなくて、貴方自身の存在が問題なわけですが・・・

419 :プラム ◆RvhHf7kqyY :2005/07/19(火) 07:22:39
サガミ氏
トリップ付ける事を、お勧めしますよ。

420 :日本@名無史さん:2005/07/19(火) 13:37:37
同意。サガミ氏へ↓直リン許されよ。
http://www1.nantv.com/i/trip.html


421 :日本@名無史さん:2005/07/19(火) 18:04:16
皆さん四庫全書は活用されてます?

422 :プラム ◆RvhHf7kqyY :2005/07/19(火) 19:09:52
>>421
貴方は、全部読んだの?
「四書全庫」
清朝の乾隆帝の勅命で編纂、完成は1781年 9年間の事業、360名の職員が担当。「隋」以来の四部分類
約3500部 約80000巻

こんなの完読するのに一生かけても終わらないよ。
完読したヤシは、いるの?

423 :日本@名無史さん:2005/07/20(水) 00:05:14
大正大乗経と併せて読むとするか(嘘

424 :日本@名無史さん:2005/07/20(水) 11:58:19
>>422
いや、つい最近四庫全書電子版の日本語版のデモを見せてもらったんですよ。
日本語版というのは日本の漢字で検索できるのですが、「邪馬台国」で全文検索すると計7冊くらいの文献に出てきたんですよね。

機会があったら是非電子版で検索してみてください。

425 :プラム ◆RvhHf7kqyY :2005/07/20(水) 12:22:06
>>424
ありがとうございます

それは、初耳です。
七冊に「邪馬台国」が!
時間が許せばじっくり検索したいと思います。

426 :日本@名無史さん:2005/07/20(水) 13:05:02
>>425
また近いうちにデモを見る事が出来るかもしれないので、その時はどの書に載っていたかメモってきますよ。

一冊は後漢書でしたが、他はぱっと見せてもらっただけなので忘れてしまいました。
この電子版の凄いのは、ORCでテキスト化された文と原文を画面で交互に比較できるんです。

427 :プラム ◆RvhHf7kqyY :2005/07/20(水) 16:23:21
>>426
その時は是非ともお願いします。

428 :日本@名無史さん:2005/07/20(水) 23:03:07
>>424
7冊って言うと「三國志」「後漢書」「梁書」「北史」「隋書」「翰苑」「通典」かなあ。
中には、標記字が異なるものもあるし、「翰苑」が「四庫全書」に入ってたかどうか・・・

429 :日本@名無史さん:2005/07/21(木) 01:00:41
http://www.frelax.com/cgi-local/getitem.cgi?db=book&ty=id&id=WYGS120280

430 :日本@名無史さん:2005/07/21(木) 07:05:14
太平御覧

431 :日本@名無史さん:2005/07/21(木) 10:38:17
>>429
これ中国語版ですね。
中国語版はピンインで漢字を入力しないといけないので敷居が高いですが、日本語版は日本語で漢字変換して検索できるのでとても便利です。
価格が高いですが・・・

432 :プラム ◆RvhHf7kqyY :2005/07/21(木) 12:18:10
>>429
ただただボーゼン
圧巻の一言。

433 :日本@名無史さん:2005/07/21(木) 13:57:04
文津閣本 4914000円

よんひゃくきゅうじゅうまんえん

こんなん買う奴いるんかい?

434 :sage#:2005/07/21(木) 14:38:33
わっはは

435 :日本@名無史さん:2005/07/21(木) 15:28:37
ネタの提供者>>421
代表で購入、感想を求む
今年の夏休みの宿題だ。
ガンバレ

436 :日本@名無史さん:2005/07/21(木) 20:06:59
最近の説は
邪馬台国は、大和朝廷には
移行しなかった説が有力なんだよな。


437 :日本@名無史さん:2005/07/21(木) 20:29:45
>>436
バングラディッシュがかつて「東パキスタン」と称したようなもんかね?

438 :日本@名無史さん:2005/07/21(木) 20:38:53
しかし、どうして古事記にも日本書紀にも邪馬台国が出てこないのかね?
何の情報もないなんてことはなかろうに。

439 :太国:2005/07/21(木) 20:46:03
>>438
だから、邪馬台国というのはもともと無かったからだよ。あったのは邪馬壹國という国
なんだよ。この国名で、出てこない?というならば、それは遠隔の九州にあったから、情報
がほとんど畿内に流入してこないので、女王国の実態が記述できなかったからだよ。
わかりたかね?ww

440 : ◆ypURG809QA :2005/07/21(木) 20:53:24
>>438
えーと、日本書紀には神功皇后の記述のところに
魏志倭人伝の内容が掲載されていますが。

441 :日本@名無史さん:2005/07/21(木) 23:30:11
436さん、そうなの?。でも福岡県とおなじ地名配置が大和にみられるのは
どういう説明が付いているの?

442 :馬耳:2005/07/22(金) 00:57:45
>>441
大和の人間が九州に来て地名を変えたんじゃないかい?
大宰府に出向してきた官人が、都を懐かしんで名付けたとか、
斉明朝の朝倉の宮なんてのもあったわけで、
大和>九州と言う人的移動のケースは多いのだよ。

443 :日本@名無史さん:2005/07/22(金) 00:57:51
>>441
できたらレス番号を指定するときアンカー(>>)を付けてくれると助かります

444 :日本@名無史さん:2005/07/22(金) 01:04:36
>>442
位置関係を含めて偶然ああいう一致があるとは思えないので、九州 ⇔ 畿内
どちらかの人間が移動して後からつけたのでしょうね。


445 :日本@名無史さん:2005/07/22(金) 02:37:06
ヤマトは古代からの名称であることは確かだから
山とついた地名は全国各地にある、ただ太宰府近辺の地名は
畿内豪族が付けた可能性は高いと思うね。
人的流れとしても西九州→畿内はほとんど無い。

446 :日本@名無史さん:2005/07/22(金) 02:41:58
大和朝廷時代、太宰府より南を危険分子扱いしてるから
とてもとても。。

447 :日本@名無史さん:2005/07/22(金) 03:47:12
最初は現在の太宰府の場所には太宰府は無かったんだよね。
平和台の場所が大宰府だった
664年(天智3)水城が築かれ,まもなく大宰府の政庁が那津(なのつ)
から移された。
だからそもそもあの太宰府の地が大和政権に関係しているというのは
強引すぎるわけ。
那の津のような海岸沿いの危険な場所に政府の重要拠点を構えるんだもの
新羅高句麗に負けず劣らず博多以南は大和朝廷にとって危険だったと思うよ。

448 :日本@名無史さん:2005/07/22(金) 04:34:00
平城京と現在の太宰府(ミニ平城京)の
位置関係から三輪、久米(久留米)という地名を
付けた可能性が高い、4世紀にはほぼ間違いなく
畿内政権になってるのに、その時点で平城京(710年)の位置に
筑紫の地に似せて都を作るという計画があるわけがない。。
平城京作った後に、ミニ平城京(太宰府)作りそれに
併せて畿内大和に似せた地名つけたという方が一万倍自然なのに・・
馬鹿キチガイの歴史学者は、その超ウルトラCの神業を通説と
するんだよね・・どういう馬鹿頭してるんだろ・・・


449 :日本@名無史さん:2005/07/22(金) 04:36:17
それに魏志倭人伝の地名にも三輪やら久留米の地名はない。
いい加減にしとけ、暗記馬鹿

450 :日本@名無史さん:2005/07/22(金) 04:44:13
魏志倭人伝によると
距離的には近畿、方角的には北九州が邪馬台国ですよね。

この距離は意図的に改ざんされたものだと僕は考えます。
@中華帝国はこんなに遠い島国まで勢力下に置いているんだと誇るため
A使節が自分の功績を大きく見せるため
の二つの目的のためです。まあAは可能性薄いですが。



451 :日本@名無史さん:2005/07/22(金) 04:44:52
>>450
あっつまり邪馬台国は北九州だと思います。

452 :日本@名無史さん:2005/07/22(金) 04:59:21
北九州って漠然としすぎ、九州半分にすると熊本から上は北九州になる。
北九州市ならせいぜい遠賀川流域まで。土地勘、文化に精通していないと
比定は土台無理。
時系列、文化、言葉無視して感覚的に言ってるだけじゃん。

453 :日本@名無史さん:2005/07/22(金) 05:03:09
渡来人の感覚からすると文化もへったくれもない、あるのは距離のみ。
それとも、どっかから突如湧いて現れた渡来系関東人の感覚だろうか・・

454 :日本@名無史さん:2005/07/22(金) 05:22:47
東山道
とうさんどう
古代の地方行政区画の七道(五畿七道)の一つ。本州の中央から東北にわたる
地域。《西宮記》では〈ヤマノミチ〉〈東ノミチ〉などと読んでいる。
《日本書紀》崇峻紀にみえる東山道は後の追記。ただ672年(天武1)の
壬申の乱の記事に東山軍の名がみえ,685年に東山使者として石川虫名
派遣がみえるので,東山道の成立を天武朝末年とみることができよう。
《延喜式》では近江,美濃,飛騨,信濃,上野,下野,陸奥,出羽の8国
が所属するが,所属国はたびたび変遷を示した。出羽は712年(和銅5)に
北陸道の越後から分立しこの道所属となった。721年(養老5)信濃から
諏方が分立したが,731年(天平3)また併合された。また718年(養老2)
陸奥と常陸の数郡を割いて石城(いわき),石背(いわしろ)の2国が
設けられたが,721年ころ廃止された。さらに武蔵は771年(宝亀2)東海道
に所属変更となった。北辺の防衛で重要な地域であった。なお駅制の官道
としての東山道は〈なかつみち〉ともよばれ各駅に馬10匹をおく中路と
された。
672年(天武1)672年(天武1)672年(天武1)672年(天武1)672年(天武1) 
672年(天武1)672年(天武1)672年(天武1)672年(天武1)672年(天武1)



455 :日本@名無史さん:2005/07/22(金) 05:23:36
坂上田村麻呂
さかのうえのたむらまろ
758‐811(天平宝字2‐弘仁2)
[田村麻呂をめぐる伝承]
平安初頭の武将。犬養の孫。苅田麻呂の子。坂上氏は応神朝に
渡来したという阿知使主(あちのおみ)を祖先とし大和国高市郡に蟠踞
(ばんきよ)した倭(東)漢(やまとのあや)氏の一族で,武術に秀でていた
。田村麻呂も〈赤面黄鬚,勇力人に過ぐ,将帥の量あり〉といわれた。
785年(延暦4)従五位下,787年近衛少将となり,以後越後守などを兼任し
ていたが,791年に征東副使の一人として蝦夷との戦いに加わった。数年
にわたる戦闘で功をあげ,795年従四位下,翌年陸奥出羽按察使(あぜち)
兼陸奥守,さらに鎮守府将軍を経て,797年征夷大将軍に任じられた。
797年征夷大将軍に任じられた。
797年797年797年797年797年797年797年797年
797年797年797年797年797年797年797年797年
797年797年797年797年797年797年797年797年

456 :日本@名無史さん:2005/07/22(金) 05:39:16
一番、有力なのは
邪馬台国は、近畿北部で、
大和朝廷は、近畿南部の政権だったということだな。



457 :日本@名無史さん:2005/07/22(金) 05:54:27
狗那国が筑後川周辺からそれ以南と考えるから九州説も捨てがたい。
作為的な地名変更、磐井の乱諸々も狗那国に対する嫌がらせに思える。
それに、日向、豊、伊予、西都原古墳はどうみても

458 :日本@名無史さん:2005/07/22(金) 06:14:00
それに畿内を防衛の為に隠した可能性もありますよ。
出雲に至っては倭でさえない。

459 :日本@名無史さん:2005/07/22(金) 14:16:38
投馬トゥマ=薩摩
邪馬台国はまわりまわって、九州の反対側

460 :日本@名無史さん:2005/07/22(金) 14:39:17
>>459

>九州の反対側

アルゼンチン
(あんたの発想は、この程度)

461 :日本@名無史さん:2005/07/22(金) 21:50:57
末盧は松浦

462 :日本@名無史さん:2005/07/23(土) 09:24:58
>それに畿内を防衛の為に隠した可能性もありますよ。

魏が邪馬台国防衛のため嘘書いたっちゅうのか?
あぽとちゃうか?

463 :日本@名無史さん:2005/07/23(土) 17:56:11
辰韓、西都原、磐井(八女)、紀伊半島、富士、青森と
半島南部、列島各地に残る徐福伝説は真実のように思う。
磐井の乱で破れた磐井はその墓(岩戸山遺跡)に除福も同時に祀った。
磐井は新羅に賄賂を貰っていたという説もあるが、徐福ゆかりの新羅
勢力と繋がっていたのではないだろうか・・
少なくとも新羅新興勢力(現朝鮮政権)とは繋がってはいないだろう、
宗教文化が違いすぎる、古い辰韓勢力ではないか?
そして神武もそういう中から力を付けた集団ではないか

464 :日本@名無史さん:2005/07/23(土) 18:01:46
>>462
>魏が邪馬台国防衛のため嘘書いたっちゅうのか?
>あぽとちゃうか?

イメージできない。
どういうこと?くわしく説明たのんます。



465 :日本@名無史さん:2005/07/23(土) 18:04:04
磐井も神武も徐福ゆかりの勢力でその覇権争いが
磐井の乱だったというわけ。

466 :日本@名無史さん:2005/07/23(土) 18:27:14
吉野ヶ里の物見櫓(やぐら)の柱と柱の間隔(2.2m)は
青森三内丸山(縄文から弥生の遺跡)の矢倉の寸法と同じらしいね、
北陸の物産はいずれからも出土する。そして吉野ヶ里からは
奄美以南にしか生息しない貝殻の装飾品が出土する。

467 :サガミハラハラ:2005/07/23(土) 19:28:23
もうじき、邪馬台国に到達してから、14周年となります。(1991年8月12日)
所は、佐賀県小城市甘木地区です。
ところが、このことはあまり知られていません。
これも宣伝が足りないからであると考え、これから8月12日まで宣伝のための、書きこみをしまsu.

468 :サガミハラハラ ◆SZOL/4WL.. :2005/07/23(土) 19:37:13
邪馬台国へは、末ロ国(唐津市)」から、記述どおりに東南に500里(33.7km)進み伊都国
(多久市南多久延寿寺)の到着。そこから東へ百里(67.5km)で不彌国(小城市不二町)の到着、邪馬台国は南に接してありました。
卑弥呼の墓は小城公園内桜ヶ岡です。

469 :日本@名無史さん:2005/07/23(土) 19:45:38
卑弥呼はアマテラスだったということで良いのでしょうか?

470 :日本@名無史さん:2005/07/23(土) 19:51:24
どうも倭国において卑弥呼のシャーマン的な術は
当時の倭奴人にとって目新しいものであったようではある。

471 :サガミハラハラ ◆SZOL/4WL.. :2005/07/23(土) 20:40:08
残念ながら卑弥呼は天照大神ではありません。
卑弥呼は鬼道をおこなったようですが、天照大神は鬼道はおこないませんでした。
卑弥呼と天照大神は、弟がいたこと以外は同じところはまったくありません。


472 :日本@名無史さん:2005/07/23(土) 23:31:02
卑弥呼の時代、今の四国はどうなっていたんですか。?

473 :日本@名無史さん:2005/07/23(土) 23:36:02
小人の国は四国。その向こうはお歯黒の国は近畿

474 :日本@名無史さん:2005/07/23(土) 23:48:22
すいません。そういえば魏志倭人伝に書いてありましたね。ハズカシイ。


475 :日本@名無史さん:2005/07/23(土) 23:53:06
お歯黒の世界って異様だろうな・・・


476 :日本@名無史さん:2005/07/24(日) 00:08:11
http://inoues.net/mystery/kokusikoku.html
必ずしもそうとは限らないようですけどね

477 :日本@名無史さん:2005/07/24(日) 01:03:48
小人の国があったかどうか知らないけど、
栄養状態があまりよくない古代日本人は小さいのは
当たり前。

478 :日本@名無史さん:2005/07/24(日) 03:03:33
小人の国と少彦名って関係あるんですかね?
ってスレちがうね。ごめん。

479 :サガミハラハラ ◆SZOL/4WL.. :2005/07/24(日) 07:15:25
>>468訂正
   東へ百里(67.5km)ーー東へ百里(6.75km)


480 :日本@名無史さん:2005/07/24(日) 12:21:56
「魏志倭人伝」
信憑性はあるの?

481 :圭角:2005/07/24(日) 12:57:07
魏志倭人伝には信憑性はアリマス。
むろん、多少の誇張はありますが。
倭人伝に信憑性が在ると考える理由は次のとおりです。
ご承知のとおり、倭人伝は魏書末巻の東夷伝の最終条ですが、魏書全体を
通読してみて、魏書に信憑性が無いとは言えないはずです。
倭人伝の正始年間の卑弥呼の魏への朝貢記事は、その年次において、魏書の
帝紀に記してある年次と一致しています。
もちろん、邪馬台国の戸数などに誇張はあります。しかし、東夷伝の記事は
各伝にも誇張が見受けられる次第ですが、その外交記事年次においては、
帝紀と符合していますから、信憑性はあるとしてよいと考えます。それに又
陳寿が生きた同時代を書いた数少ない正史ということです。

482 :圭角:2005/07/24(日) 13:30:44
魏志倭人伝等を読む邪馬台国はどこかという当該スレは、邪馬台国の所在地
は文献上の問題としてのスレだと認識して以下書きます。
女王国以北という記事と一大卒が伊都国に治すという記事から、女王国と伊
都国は南北の地理位置関係になる。伊都国を糸島郡及び前原市一帯とすると
その南に背振山地を挟んで位置する佐賀平野、筑後川の北岸南岸流域となる。
女王国の東、海を渡ること千里、また国在り、みな倭種である、という記事
から、北部九州説に無理が無い。反面、近畿奈良では東にすぐ海がないから
無理が有る。

483 :日本@名無史さん:2005/07/24(日) 17:43:24
みなさんは親魏倭王の金印はどうなったとお考えでしょうか?

1 どこかの地面の下・海の中
2 溶かされてもうこの世にはない
3 誰かが隠し持っている

484 :日本@名無史さん:2005/07/24(日) 18:35:09
泥棒が隠したりして忘れられてると思う。


485 :日本@名無史さん:2005/07/24(日) 18:50:57
今や名古屋城のシャチホコになって、猫がかじっている。

486 :サガミハラハラ ◆SZOL/4WL.. :2005/07/24(日) 19:17:05
>>483
 4 として、「晋に代わったとき、中国に持って行き親晋倭王の金印と取り替えてきた.」
というのがあります。証拠として、親魏倭王の印影が中国で発見されています。

487 :サガミハラハラ ◆SZOL/4WL.. :2005/07/24(日) 19:24:29
かつてその印影のレプリカを季刊邪馬台国で大々的に売り出したことがあります。

488 :本田:2005/07/24(日) 19:43:07
-----------------------------------------
>>480 名前:日本@名無史さん :2005/07/24(日) 12:21:56
> 「魏志倭人伝」
> 信憑性はあるの?

記紀神話より、東夷伝倭人条のほうが信憑性はある。

489 :本田:2005/07/24(日) 20:46:49
>>447 :日本@名無史さん :2005/07/22(金) 03:47:12
> 最初は現在の太宰府の場所には太宰府は無かったんだよね。
> 平和台の場所が大宰府だった
> 664年(天智3)水城が築かれ,まもなく大宰府の政庁が那津(なのつ)
> から移された。
> だからそもそもあの太宰府の地が大和政権に関係しているというのは
> 強引すぎるわけ。

663年の白村江の敗戦で倭国の水軍は全滅したので、
664年に築かれた水城は朝鮮式で、新羅水軍の為のもの。
>朝 鮮 式 古 代 山 城 一 覧
http://www5d.biglobe.ne.jp/~tosikenn/yamziro.html
http://www.geocities.jp/kakitutei_pickup/mizuki/mizuki1.html

490 :本田& ◆xOS3wf.pJg :2005/07/24(日) 20:48:03
-----------------------------------------
>>448 :日本@名無史さん :2005/07/22(金) 04:34:00
> 平城京と現在の太宰府(ミニ平城京)の
> 位置関係から三輪、久米(久留米)という地名を
> 付けた可能性が高い、4世紀にはほぼ間違いなく
> 畿内政権になってるのに、その時点で平城京(710年)の位置に
> 筑紫の地に似せて都を作るという計画があるわけがない。。
> 平城京作った後に、ミニ平城京(太宰府)作りそれに
> 併せて畿内大和に似せた地名つけたという方が一万倍自然なのに・・

この考えは不自然だと思う。
九州の統治に成功した統一新羅は、
本州にあった小国と旧倭国を合併させて、
日本をつくり、大宰府から難波の宮や平城京に本拠地を移した。
ヘイジョウは朝鮮半島の地名にちなんでるんじゃないの。


>1.或は云わく「日本は旧小国、倭国の地を併す」と。
>其の人の入朝するは、多く自ら矜大。
>実を以て対えず。
>故に中国焉を疑う。
http://www2.odn.ne.jp/~cbe66980/Main/WAandNIPPON1.htm

491 :日本@名無史さん:2005/07/24(日) 20:51:42
太宰府は元は旧福岡城にあったんだよ、あんな場所に
太宰府はないw

492 :日本@名無史さん:2005/07/24(日) 21:05:08
>朝 鮮 式 古 代 山 城 一 覧

元は日本のものとい説がある、新羅のものとは限らない。

493 :日本@名無史さん:2005/07/24(日) 21:35:44
親魏倭王の金印は箸墓を盗掘すればでてくる。
そうすればすべて解決。誰か早く盗掘してきてくれ

494 :日本@名無史さん:2005/07/24(日) 22:26:10
>>490
なぜ、新羅が統一したのに新羅と戦ったの?w

495 :サガミハラハラ ◆SZOL/4WL.. :2005/07/24(日) 23:13:25
箸墓から金印が出てくるとすれば、それはにせものです。
絶対に出てこない!

496 :日本@名無史さん:2005/07/24(日) 23:19:59
>>495
>それはにせものです。
>絶対に出てこない!

と、思っているのはお前だけ(w


497 :サガミハラハラ ◆SZOL/4WL.. :2005/07/24(日) 23:34:22
いいえ、いっぱいいますよ。

邪馬台国小城説宣伝強化期間

498 :日本@名無史さん:2005/07/24(日) 23:37:36
そんなことより
今夜のパーティーに着ていく服が決まらないヨ…
早く! 早く! 早くしないとパーティーが始まっちゃうヨ!
もう、間に合わないヨ!!
だから みんな死んじゃえばいいのに!!





499 :馬耳:2005/07/24(日) 23:49:26
>>496
「金印」は、中国王朝との国交に使用する道具でしょう。
少なくとも、相手との通好関係が消滅するまでは、伝世させなくちゃならんでしょう。
それまでの間は、葬祭用具でも個人の威信材でもありませんよ。
それに、魏・晋のようにすんなりと政権交代が行われたような場合は、その時に新旧の印は交換されるように思います。
現実に、266年に倭は、新生晋朝への遣使を行っています。


500 :日本@名無史さん:2005/07/25(月) 03:28:26
>>497

いやいや、お前だけだってw

501 :日本@名無史さん:2005/07/25(月) 03:47:51
>>497

そんな幼稚な説をわざわざ宣伝しなくていいからね。

502 :日本@名無史さん:2005/07/25(月) 03:50:36
サガミハラハラさんはかなりの勉強家ですよ。
ですから、小城説も否定はしていません。

503 :サガミハラハラ ◆SZOL/4WL.. :2005/07/25(月) 07:11:57
>>501
幼稚な説ということは、『歴史研究 491号』の「卑弥呼の金印」をお読みになってくださったのですね。
ありがとうございます。

504 :日本@名無史さん:2005/07/28(木) 00:56:08
邪馬台国は、ジャワ島です。音韻学的に間違いない

505 :日本@名無史さん:2005/07/28(木) 01:35:05
>>504
物理的にあり得ない。棄却。

506 :日本@名無史さん:2005/07/29(金) 00:40:16
吉野ヶ里は女王の宮殿跡や鏡が出ないので邪馬台国ではなさそうだ。親魏倭王の
金印も出て来ない。



507 :日本@名無史さん:2005/07/29(金) 00:46:35
吉野ヶ里は伊都国。

508 :日本@名無史さん:2005/07/29(金) 01:05:07
>>507 伊都国は糸島郡というのが定説では?


509 :サガミハラハラ ◆SZOL/4WL.. :2005/07/29(金) 09:07:14
吉野ヶ里は、小城に遷都するまでは、邪馬台国の都です。
女王の宮殿は北内郭です。
親魏倭王の金印は親晋倭王の金印と交換したので中国に渡ったはずです。

510 :16歳中卒ヒッキー:2005/07/29(金) 09:11:07
邪馬台国=大和国
黒歯国=ハワイ

511 :日本@名無史さん:2005/07/30(土) 00:10:18
倭人条のたったあれだけの文章を

後世の人間が、千言万語を尽くしても解明しきれない。

新説と反論が後を絶たない。

先人たちがこの状況を見たら、「まだやっているのか」と苦笑するのか、

はたまた「しょうがないさ」と同情するのか。

万人が「そうだ」と唸る証明が

出てくる日が来るのでしょうか。

512 :日本@名無史さん:2005/07/30(土) 00:19:26
天皇は知っているだろう。

513 :日本@名無史さん:2005/07/30(土) 01:33:34
>>511 親魏倭王か親晋倭王の金印が発見されたら解決するという考古学者か歴史
学者が言っていた。


514 :日本@名無史さん:2005/07/30(土) 09:47:10
せめて箸墓を発掘させればかなりのところが解るのだろうが。

宮内庁よ。天皇陵で無いのなら掘らせろ!!


515 :16歳中卒ヒッキー:2005/07/30(土) 10:12:49
僕が頑張って将来宮内庁の職員になって
箸墓発掘の許可を出しますよ^^

516 :圭角:2005/07/30(土) 15:08:45
 サガミハラハラさんへ質問がございます。
提唱なさっておられる小城説の場合、熊本の中北部の狗奴国と相攻撃し合った戦線は
何処だとお考えでしょうか。
 筑後川を挟んで対峙したのであれば、水軍もしくは船戦になりますでしょう。
其の場合、狗奴国は有明海を北進して筑後川に進軍すれば、その戦略戦術は自然だと
想われますが、お説の通りに邪馬台国が小城であれば、邪馬台国は困難だと思います。
加えて、そうなれば吉野ヶ里近辺のいわゆる背振山地の南側も、狗奴国の勢力圏内と
なってしまうのではないですか。
 そのあたりについてお尋ね致したいのであります。

517 :日本@名無史さん:2005/07/30(土) 15:45:27
いままで忍び込んだ、或は忍び込もうとした奴はいるのかね。

518 :日本@名無史さん:2005/07/30(土) 16:18:28
>>511
倭人「条」なんて書いてる時点で
原本読んでないこと確実なわけだが
せめて百納本くらい買ってから書けば?

519 :日本@名無史さん:2005/07/30(土) 17:42:16
>>518
わかりやすいかな、と思って。
中華書局の三国志なら読んだ。あれって百納本に拠っているようですが、
校点作業は百納本も含め4種の刻本を参考にして「互相勘対、擇善而從」だそうで。

百納本自体は見たことありません。
やっぱ見た方がいいですかね?

520 :519:2005/07/30(土) 17:47:32
ごめんなさい。

×→百「納」本
○→百「衲」本

521 :日本@名無史さん:2005/07/30(土) 17:53:26
>>520
恥ずかしい
藻前、前にも倭人の条でからんだろう。

522 :519:2005/07/30(土) 18:01:52
>>521
いえいえ、違います。

519のは518の百納本というのをそのままコピぺしてしまいまして。
なぜコピペしたかといいますと、中国語読みならわかるのですが、「百衲本」を日本語でなんと読むのかわからなかったので・・・
ひゃくのうぼん又はひゃくとつぼんですね。

なんにせよおはずかしい。

523 :519:2005/07/30(土) 18:09:19
ということで、初心者は出直してきます。
では。

524 :日本@名無史さん:2005/07/30(土) 19:36:25
>>517
天皇陵・陵墓参考地侵入体験談スレッド
http://academy3.2ch.net/test/read.cgi/archeology/1077531111/

525 :日本@名無史さん:2005/07/30(土) 22:34:05
確かに、天皇陵に指定されている古墳に忍び込むと見つかって逮捕されるかもしれない。

だが、心配のしすぎではないか?

526 :日本@名無史さん:2005/07/31(日) 01:38:56
>>514
だから、箸墓は違うちゅうに。
橿原考研

527 :日本@名無史さん:2005/07/31(日) 01:55:58
箸墓は陵墓で宮内庁管轄。指定領域外をKKKや桜井市が発掘している。

だが、心配のしすぎではないか?

528 :サガミハラハラ ◆SZOL/4WL.. :2005/07/31(日) 17:32:32
>>516の質問のお答え遅れましてすみません。
狗奴国との戦線は、福岡熊本県境の山門であると考えます。
両県にヤマトの地名があるところをみると、戦の度毎に
国境が移動したようにも考えられます。また、県境に東西に渡って、
高地性集落がつらなっているそうです。
船団による攻撃を想定した場合、倭国中平地ならどこでも条件は同じであるとおもいます。
ただ筑後平野の場合、諸富から奥は、おおきな潟となっており、容易に上陸はできないでしょう。
小城についても、南は有明海の干潟があり、攻めるのは難しいと考えます。

529 :日本@名無史さん:2005/08/01(月) 11:26:53
いいか?魏側の起点となる帯方郡から数えて、一番最初の国までが「水行」7000里

狗邪韓國、これが半島での100%倭人勢力国家だ
次に1000里海を渡って對馬國、更に1000里海を渡って一大國、
また1000里渡って末盧國、ココが九州側の陸地、ココまでが1万里、次に陸で500里行って伊都國。
ココまでが通常、帯方郡の使節が来るところですよ。って事だよ

>世有王、皆統「屬」女王國。
この五ヶ国は王を持っているが女王国に従ってますよって事だ

奴國、不彌國、投馬國は王無く、女王国の行政官だけしか居ませんよ、って事だよ

投馬國は水行20日ですよ、陸行でこんなところ往復なんて誰もしないから
陸行は書きませんよ、って事だよ。

邪馬壹國は「水行」十日、陸行一月は、末盧國/伊都國から水行なら10日程度、
もし陸行なら一月掛かりますよ、って意味だよ
陸でも行けますが船で行けば早いですよ、って事だ
「水行」は陸伝いに船で移動する事ですよ。

そして船で邪馬壹國に着いたら、
>自女王國以北、其戸數道里可得略載、其餘旁國遠絶、不可得詳。
斯馬國、已百支國・・・陸地を国伝いに行けば
(伊都國から100里の)あの奴国に着きますよ。って事だよ。これが陸行一月の経路だよ
>此女王境界所盡。
そしてこの国も王無く女王の直属だよ。って事だよ
国伝い進むから、往復二ヶ月も掛かるような移動が出来るんだ、街道みたいなもんだよ

そしてその南の狗奴國は、女王に属しないで男王を建てて反抗してますよ。だから距離は不明ですよ、事だよ

そして1万二千餘里は帯方郡から伊都國でなく船で邪馬壹國まで直行する時の行程ですよ
つまり末盧國から「水行=陸伝い」に二千里餘里に邪馬壹國が在りますよって事だよ

530 :日本@名無史さん:2005/08/01(月) 11:37:20
まぁ、日数が掛かりすぎるけどね


531 :日本@名無史さん:2005/08/01(月) 11:44:08
そこの辻褄を合わせるなら帯方郡から邪馬壹國まで船で十日

一旦上陸するなら末盧國から徒歩で一月

って事かな


投馬國も帯方郡から数えた方が現実的だな

532 :16歳中卒ヒッキー ◆HCmIhYMlyc :2005/08/01(月) 12:24:24
普通に考えれば水行10日陸行1月は
帯方郡から邪馬台国までの12000里に
かかる日数のことです。
しかしこれでは邪馬台国は九州で決まりです。
畿内から三角縁神獣鏡や3世紀の古墳が
出てきているのはどう説明されるのでしょうか・・?

533 :16歳中卒ヒッキー ◆HCmIhYMlyc :2005/08/01(月) 12:34:18
邪馬台国が九州なのに
当時の日本の中心部は畿内。
古墳も鏡も畿内にある。
とすれば考えられるのは
邪馬台国は畿内政権の出先機関。
後の時代の鎮西探題のように
九州を統括するべくもうけられた機関だった。
そこに派遣されたのが卑弥呼。
こう考えれば一応のつじつまは合いますが
さすがにこれを証明するのは無理がありますねw


534 :日本@名無史さん:2005/08/01(月) 12:46:34
>>532の若者よ
邪馬台国には古墳や三角縁神獣鏡が、沢山あるなんて何処に書いてあるんだ
あんたの妄想とちゃうんか?
かき氷でも食べて頭冷やしたらどうだい

535 :16歳中卒ヒッキー ◆HCmIhYMlyc :2005/08/01(月) 12:51:45
3世紀の日本の中心部は
邪馬台国ではなく機内だったといいたいわけです。
ハーゲンダーツのアイスは今食べていますw

536 :tociguri:2005/08/01(月) 14:35:20
>>533 畿内の政権が狗奴国だったのではないか?大陸貿易を独占していた邪馬台国
とその利権を争っていたのだろう。

 邪馬台国と狗奴国の関係は半島の加耶と新羅の関係のようなものだったのでは?
 邪馬台国は大陸貿易の中継地として繁栄していたが、小国だったので背後地の
大国狗奴国が段々文明化、強大化して併呑したのだろう。


537 :16歳中卒ヒッキー ◆HCmIhYMlyc :2005/08/01(月) 15:16:26
そうすると倭人伝の方角とは違ってくるわけで・・
邪馬台国の南に狗奴国でしょ・・

538 :日本@名無史さん:2005/08/01(月) 15:17:29
銅鏡や古墳が畿内にあろうが、魏書の邪馬壹國は九州だ
魏に遣使してるのが女王国配下の30国なんだから


残り70国は遣使してなんだから、邪馬壹國は出先機関じゃないだろ

539 :日本@名無史さん:2005/08/01(月) 15:28:41
卑弥呼か壹与が死んだ頃に崇神天皇が四道将軍を派遣するんだよ

540 :16歳中卒ヒッキー ◆HCmIhYMlyc :2005/08/01(月) 15:36:02
しかし畿内の3世紀の古墳から
魏の鏡が出てきたら邪馬台国が
九州ではおかしくなりませんか?

541 :tociguri:2005/08/01(月) 15:36:46
>>537 それは九州南部が近畿の勢力範囲だったのかも知れない。

 近畿は瀬戸内沿岸部を支配して大分、宮崎、鹿児島も勢力範囲だったの
ではないか?そして南から北部九州を攻撃していたのかも知れない(妄想)。


542 :16歳中卒ヒッキー ◆HCmIhYMlyc :2005/08/01(月) 15:43:55
箸墓から鏡がでてきたら
邪馬台国が九州では説明のしようがりません。


543 :16歳中卒ヒッキー ◆HCmIhYMlyc :2005/08/01(月) 15:47:18
九州邪馬台国で
朝鮮かなにかの技師が卑弥呼からもらった
鏡を量産してつくり、交易上のルートで
畿内にも鏡が出回ったとしか考えられないか・・

544 :16歳中卒ヒッキー ◆HCmIhYMlyc :2005/08/01(月) 15:50:52
そして4世紀前後に邪馬台国を中心とした
九州勢力が弱まり、崇神の畿内王朝に飲み込まれると
いうわけですか?

545 :16歳中卒ヒッキー ◆HCmIhYMlyc :2005/08/01(月) 15:58:02
とすると井沢元彦さんの説が真実味を帯びてきて
邪馬台国は宇佐を中心とした北九州で
宇佐神宮の比売大神が卑弥呼で神功・応神が
邪馬台国の末裔で4世紀後半に巻き返して
崇神王朝を倒したんですか?

546 ::2005/08/01(月) 17:42:58
ハッハッハww

547 :日本@名無史さん:2005/08/01(月) 18:57:45
>>545
早くバイト探した方がいいですよ。
仕事をしないで家にいてネットが主の生活に慣れてしまうと、社会復帰が難しくなります。

大検も昔は年一回だったのですが、最近は複数回あるようですね。
がんばってください。

548 :日本@名無史さん:2005/08/01(月) 19:05:46
>>543
漢代の舶載鏡と言うものの出土は、圧倒的に九州に多い。
しかし、その次の時代、つまり三国時代の鏡となると、
めぼしいものは、どこからも出ない。
強いて言えば三角縁神獣鏡が、次代のトレンドとなるが、
これが舶載ものの魏鏡なのかどうか定かでは無い。
ただ、国産鏡であるにしろ、その製作集団は、渡来系と考えられるので、
これを大量に所持していた人物は、対外交易ルートにも関係していたはず。
ところが、今のところ三角縁の最古式のものが、多くでるのは、
九州や大和からでは無く、山背や播磨だったりする。

549 :プラム ◆RvhHf7kqyY :2005/08/01(月) 19:28:53
中国が魏朝の時代、列島に入ってくる鏡は「魏鏡」ではなく「漢鏡」が主と、何処かの本で拝見した記憶があるぞ
間違っていたらスマソ

550 :馬耳:2005/08/01(月) 20:13:25
>>549
何をもって「漢鏡」「魏鏡」と判断するのかは難しいのですが、
少なくとも「青龍」とか「景初」とか魏の年号が記載されているものは、
数は少ないですが、魏鏡」と呼んでもいいのでしょうか。
しかし、様式的、技法的な特徴は「漢」時代のものと大差なく、
(専門家が見ると銘文や紐に微妙な特徴があるそうですが)
製造された年次が明らかになるものは少ないらしいですね。
だから、「魏鏡」の出土が」少ないと言われるのは、
一括して「漢式」の鏡と扱われてしまうものも多いからでしょう。


551 :プラム ◆RvhHf7kqyY :2005/08/01(月) 20:40:55
>>550 馬耳さん
補足ありがとうございます。
確かに「漢鏡」よりも、「漢様式の鏡」としたほうが誤解が少ないでしょう

552 :日本@名無史さん:2005/08/01(月) 21:05:53
>>529
> 邪馬壹國は「水行」十日、陸行一月は、末盧國/伊都國から水行なら10日程度、
> もし陸行なら一月掛かりますよ、って意味だよ
中国語の文法では「ありえない」そうです。倭人伝は中国語で書かれているので、
嘘読みしないように注意が必要。


553 :日本@名無史さん:2005/08/01(月) 23:34:00
「水行十日陸行一月」とは
投馬国から水行十日と陸行一月で
邪馬台国に到着すると言う意味だよ。

554 :日本@名無史さん:2005/08/02(火) 02:24:05
>>529
>>530
>>531
>>538
>>539
------------------------------------
以上が俺のレス

>>552
相手は倭人なんだぞ

ガタガタ云うな


555 :サガミハラハラ:2005/08/02(火) 07:54:15
「水行十日陸行一月」とは
帯方郡から水行十日陸行一月で
邪馬台国に到着するという意味だよ。


邪馬台国小城説宣伝強化期間
邪馬台国は佐賀県小城市甘木地区です。卑弥呼の墓は小城公園桜ヶ岡です。


556 :16歳中卒ヒッキー ◆HCmIhYMlyc :2005/08/02(火) 08:54:57
宇佐神宮になにかあるきがする

557 :日本@名無史さん:2005/08/02(火) 10:50:22
宇佐神宮境内下にある古墳は卑弥呼の墓です。

558 :16歳中卒ヒッキー ◆HCmIhYMlyc :2005/08/02(火) 11:47:23
では夜中こっそり穴を掘って金印を盗み出してきてくださいw

559 :554:2005/08/02(火) 11:48:22
>>555
それでいい屋

560 :16歳中卒ヒッキー ◆HCmIhYMlyc :2005/08/02(火) 11:56:15
僕は畿内だと思ってますが
倭人伝の解釈では北九州以外の
解釈にしようがありません。
この矛盾点を解決せねば・・

561 ::2005/08/02(火) 12:55:33
だから、畿内の元弱小勢力=神武は九州の出身で
それとは別に九州に邪馬壱国があって、
天武〜持統〜文武の時代にこの王統と血統を融合したわけ。

562 :tociguri:2005/08/02(火) 14:35:43
時代は違うが朝鮮通信使がソウルから大阪まで来るのに何日かかっているのか、
比較すれば奈良大和説が妥当かどうか見当がつくのではなかろうか?

 水行十日では無理だろうと思う。


563 :本田& ◆xOS3wf.pJg :2005/08/03(水) 00:06:51
>>535 :16歳中卒ヒッキー ◆HCmIhYMlyc :2005/08/01(月) 12:51:45
> 3世紀の日本の中心部は
> 邪馬台国ではなく機内だったといいたいわけです。

日本の成立は、
7世紀後半の白村江の敗戦後なので、
3世紀はまだ日本は存在しない。


564 :プラム ◆RvhHf7kqyY :2005/08/03(水) 01:40:27
>>563 本田氏

私の場合、日本成立は八世紀「記・紀」の編纂からと考えてます。
(記)では「倭」を使用し少し遅れて編纂された(紀)では「倭ではなく日本」を使用しています。
公の意味で「記」と「紀」が、その分岐点の役目を担っていると考えます。

565 :16歳中卒ヒッキー ◆HCmIhYMlyc :2005/08/03(水) 08:42:30
日本の成立は実質神武東遷完了からでしょ?
ニギハヤヒの支配地である日下を占拠したことに
ちなんで日本という国号がついたらしいですよ。
正式に国号を日本としたのは7世紀だとは思いますが・・

566 :馬耳:2005/08/03(水) 10:22:00
>>563-565
国号としての「日本」の初出は三国史記新羅本紀670年条です。
この年、新羅を訪れた「倭」の使節団が国号を「日本」と称した旨の記述があります。
おそらく改号は、この年かその前年ですね。
時代は、近江朝の末期にあたります。

567 :日本@名無史さん:2005/08/03(水) 17:56:51
670年ごろ日本と称した国はたぶん九州の国、
701年に大宝律令を作った畿内はその国号を横取りした。

568 :tociguri:2005/08/03(水) 21:38:08
今日、朝鮮通信使の行程を読んで見るとソウル〜江戸へ260日ほどかかっている。

これで邪馬台国関東説は完全に消えた。


569 :日本@名無史さん:2005/08/04(木) 00:19:33
通詞でなく通信使は、接待されまくりの、超鈍行行進だったから、アテにならない。

570 :tociguri:2005/08/04(木) 00:44:27
>>569 今日は海遊録がなかったので接待抜きの日数を数えられませんでした。

 暇を見つけて対馬〜大阪の実質日数を数えて近畿説が成り立つのかどうか、
計算してみたいと思います。ヨットマンなら分かるのかも知れませんが。



571 :本田:2005/08/04(木) 06:51:00
>>564 :プラム ◆RvhHf7kqyY :2005/08/03(水) 01:40:27
> >>563 本田氏
>
> 私の場合、日本成立は八世紀「記・紀」の編纂からと考えてます。

日本紀 720年。
日本書紀 成立年代不明(平安時代か?)。
古事記 713年。

なので、記紀の編纂を日本成立時期とすると、
たいへん時期があいまいになると思います。

572 :本田& ◆xOS3wf.pJg :2005/08/04(木) 06:51:47
>>565 :16歳中卒ヒッキー ◆HCmIhYMlyc :2005/08/03(水) 08:42:30
> 日本の成立は実質神武東遷完了からでしょ?
> ニギハヤヒの支配地である日下を占拠したことに
> ちなんで日本という国号がついたらしいですよ。

建国神話は、ここでなく神話スレッドでどうぞ。

> 正式に国号を日本としたのは7世紀だとは思いますが・・

白村江の戦いの戦勝国が倭国を日本に改名した。

573 :本田:2005/08/04(木) 06:57:19
>>568 名前:tociguri :2005/08/03(水) 21:38:08
> 今日、朝鮮通信使の行程を読んで見るとソウル〜江戸へ260日ほどかかっている。
>
> これで邪馬台国関東説は完全に消えた。

邪馬壹国、近畿説も完全消滅。

574 :圭角:2005/08/04(木) 08:09:52
行程里程記事について一言
水行十日陸行一月のみが、近畿説の倭人伝の文献上からの唯一の拠り所でしょうね。
しかるに、邪馬台国畿内説完全否定消滅の証左が、倭人伝記事には実は有ります。
 それは、倭の地を参問するに周旋五千余里ばかりなり、という一文であります。
狗邪韓国から伊都国までの里数は三千五百里と記してあります。
 なんとなれば、里程のバランスからしては、倭の地は周旋五千余里なのですから
つまり,一巡りが五千余里なのですから到底、近畿に行き着けるはずもないことは
自明となりますね。
 それでも、陸行と水行の日数行程を以って、畿内説を主張される人がいるならば
この、倭の地は周旋五千余里をいかが解釈されるのか、聞きたいものです。
 ちなみに、参問とは白川静氏の字通によれば、行って尋ねる、とあります。



575 :圭角:2005/08/04(木) 08:20:07
ちなみに、
珠儒国や、裸国や,黒歯国などは、東沃狙伝の記事に記してあるところの、
女ばかりで男のいない国や顔の二つある人の国と同列記事だと解しています。

576 :圭角:2005/08/04(木) 08:35:40
574で小生が里程のバランスと書いた理由は
韓伝に韓は縦横四千里と記してありますので、北部九州もしくは九州をして
周旋五千余里と記しているのは,実際の地理においても均衡がとれていると
いう意であります。
 プラムさん、周旋五千余里という記事を畿内説者はあえて無視素通りして
いるとしか小生には思えません。
 サガミハラハラさん、邪馬台国のある倭の地がたかだか五千余里という点
を重視するならば、御説のとおり伊都国から案外近い所に邪馬台国があった
としても、あながち否定できぬものかとも思います。もっとも、狗奴国との
攻防を考えるなら、筑肥山地にもう少し近くてもよいのでは、というのが
私見ではございますが。

577 :圭角:2005/08/04(木) 08:52:14
連投ですみません。
現在ニュースでも伝えているように、熊本のマカド石を近畿まで、古代船の
仕立てで,海を運んでおります。何日かかるか、関心を持っています。
この実験の今までの所要日数からすれば、
水行するなら十日、陸行するなら一月と解するが適切なのではと考えます。
魏の使節使者が草木繁茂して行くに前人を見ずという、この酷暑のなかを
あえて悪路の陸路を踏破したとするは、不自然過ぎるからです。
 ちなみに、本日の佐賀と熊本の予報気温は実に37度となっています。
炎天下では40度を確実に超えます。魏から派遣された一大卒が常に海風の
吹く海岸沿いの伊都国に常駐したというのも頷ける次第です。エアコンが
なくては、陸行一月では特に夏は熱中症もいいところでしょうか。

578 :プラム ◆RvhHf7kqyY :2005/08/04(木) 11:56:56
それにしても連日の猛暑、とにかく暑い。

圭角さん、周旋五千餘里(ぐるっと一回りすると)と、訳してもよろしいでしょうか?
国の形は様々でしょうが、円形の土地なら直径千五百餘里
正方形なら一辺が千三百餘里程度

以前より私は、周旋五千餘里でもまだ誇張が有るとみていました。

579 :16歳中卒ヒッキー ◆HCmIhYMlyc :2005/08/04(木) 13:09:42
倭人伝の記述からは邪馬台国は九州ですね。
どう読んでも畿内ではない。ではなぜ
偉い学者様たちは畿内だと言ってるのですか?


580 :1里=67〜68m:2005/08/04(木) 15:06:59
偉い学者は、明治以来の学閥の意見に従っているだけだから。

581 :相模原市在住 後藤幸彦氏:2005/08/04(木) 15:09:56
http://www.toonippo.co.jp/l-rensai/shutoken/shutoken15.html

582 :日本@名無史さん:2005/08/04(木) 16:29:22
遼東半島にあったという話は、どうなったんだろう?

583 :日本@名無史さん:2005/08/04(木) 18:58:19
>>579
始めから邪馬台国は九州ですよ
別に学者先生が畿内でも関係ないでしょう
貴方は貴方の考えを主張すればいいんじゃないかな、例え最終的にどう転んでも間違いがあったら、その部分を訂正し、また一からやり直せばいいだけですよ「学問」なんだから

584 :本田:2005/08/04(木) 19:05:58
>>566 名前:馬耳 :2005/08/03(水) 10:22:00
> >>563-565
> 国号としての「日本」の初出は三国史記新羅本紀670年条です。
> この年、新羅を訪れた「倭」の使節団が国号を「日本」と称した旨の記述があります。
> おそらく改号は、この年かその前年ですね。


>「三国史記〜新羅本紀」文武王10(670)年、倭国、あらためて日本と号する。
>自ら言う。
>日出る処に近い、以て名とする。

>以後(統一新羅は)、倭を「日本」と表記した。
http://homepage3.nifty.com/kiya/sehachi/kiya342.htm


> 時代は、近江朝の末期にあたります。
近江朝って、
1.唐は、百済の地を取りあけたので代わりに百済貴族に近江の国を与えた。
2.近江の国は、百済貴族の流刑地だった。
のどちらかなんだろうな。

>鬼室神社(きしつじんじゃ) 
http://www.bell.jp/pancho/travel/oumi/kisitu%20jinja.htm

585 :日本@名無史さん:2005/08/04(木) 20:33:43
>>581

        _,,,,,,,,,,__                 
     ,.ィ'",ィ    `' 、                 
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   !|       `‐、  ,.、 ',        
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   ||. ̄ ,'  ´ ̄   リ!|/  ',      
   !.',  i,_っ     l!|   ヽ       
 . l ',  _,,_      | l    \    
   | ヽ `゙´     , ヽヽ       わらわの陵墓、決めてくれたか?
   ヽ. ヽ、    ,.ィ   ヽ,
  /,、ri个`,゙゙゙゙´   //ヽ ,、
 // | ||| | ',',\  / / // /\


586 :554:2005/08/04(木) 20:52:32
3世紀の覇者の邪馬?国を、

大和の覇者の直系に仕立てたいから

魏書での位置を西へ西へ持って行こうとするんだろ

587 :圭角:2005/08/05(金) 10:03:43
プラムさん、こちらの方も連日の炎暑です。
周旋の訳ですが、字通並びに広辞苑でも、巡るもしくはひとめぐりとなっていたと
思いましたが、なにせこの暑さ、ご自身でもご確認を。

588 :圭角:2005/08/05(金) 13:52:27
プラムさん、暑過ぎるので、もう仕事は今日は止しました。
周旋の訳意でありますが、石原道博先生は一周とされており、白川静先生も字通で
めぐる、とされていること、あらためて確認いたしましたのでご報告しておきます。
 さて、水行の意味をあらためて考えている次第です。確か、平野氏だったかと、
記憶しますが、海岸に沿って航行することが、水行だと氏の著にありましたが、少し
疑義を感じたので調べてみました。
 字通に拠ると、水行は舟行の意としてありました。そこで舟行を字通で調べると
まさしくそのままに、舟で行く、となっております。ただ、併せて唐の時代の詩が
載っておりました。
 夢覚めて疑う。舟行忽ち千里。黄鶴楼を見ず。
つまり、水行とは河川を舟で行く、という意でも用いられるということであります。
 なんとなれば、平野氏のように海岸に沿っての航行が水行とばかりとはならず、
倭人伝の水行は河川を舟で行くと解してよいことになります。




589 :16歳中卒ヒッキー ◆HCmIhYMlyc :2005/08/05(金) 13:56:17
歴史で食っていくのは難しそうなので
余暇が多く趣味に時間を多く使えそうな
公務員を目指して勉強することにしました。
まず大検をとって高卒の資格をゲットします。
アルバイトも始めました。忙しくなるので
ネットは控えます。もっと勉強して落ち着いたころ
またきます。ではでは

590 :圭角:2005/08/05(金) 14:04:42
邪馬台国への行程において奴国から河川の水行のみにての道里について、
考えてみましたので、プラムさんのご意見賜れば幸甚です。サガミハラハラ
さんには恐縮ですが、私は筑後川南岸との私見に基づき、奴国から筑後川への
水行経路とします。
 まず、博多の那珂川を南に遡ると大宰府近辺にまで行けます。そこで少し
陸路をとれば、筑後川の支流がありますので、それを下り筑後川本流へ入り
河口へ出て、有明海を海岸沿いに南下して矢部川を遡るという経路なのです。


591 :圭角:2005/08/05(金) 14:12:58
私は、当時の川の水量は今と比べようも無いほどに豊かで多かったと思う
次第です。工業用水も灌漑用水も需要が無いのですから当然でしょう。若干の
農業用水が必要だったとしても僅少も僅少であったはずですから。
 原の辻遺跡の船着場にしても集落遺跡の近傍ですし、吉野ヶ里も同様です。
川の道が、海の道同様にもっと重視されてもよいと存じます。

592 :圭角:2005/08/05(金) 14:34:51
私がかく言う所以は、女王の都する邪馬台国のみが、その行程記事において
水行陸行と両方が記してあることであります。
もちろん、奴国並びに不弥国は百里という近距離のせいか陸行水行の別は、
記してありませんが他の国においては陸行または水行のいずれかの記述が
全てあります。
よって、590に書いたように書いた訳です。
この場合は、本居宣長以来の陸行一月を一日の誤記伝写説となるものです。
倭の地は周旋五千余里ばかりなり、という記事を重視し、郡から狗奴韓国まで
七千里とこの五千余里の合計は一万二千余里となり計算も合います。
それになにより、月と日は、東西南北よりは、よりより誤記伝写される確率と
可能性は大変高いと思料する次第です。

593 :プラム ◆RvhHf7kqyY :2005/08/05(金) 22:54:26
圭角さん今晩は!

>七千里+五千里

その意味がよく理解できません。

594 :554:2005/08/06(土) 00:15:22
狗奴韓国から五千里にある!って云うよくある話だろ

結局

595 :プラム ◆RvhHf7kqyY :2005/08/06(土) 07:48:58
>>594
いやいや、圭角氏が言ってるのは

狗邪韓国までの七千里+(周旋)五千里と
周旋の文字が入るんだよ

596 :圭角:2005/08/06(土) 08:53:13
周旋五千里の周旋が重要な理由は次の通りです。
榎説を採ろうと採るまいとも、帯方郡から伊都国までは一万五百里です。
プラムさんの言われるように、陳寿の謂う倭の地が円形でも方形でも一辺の里数の
千三百里から千五百里を加算して、さらに奴国への百里と不弥国への百里を加えて
合計すると、きちんと一万二千余里となり計算が合うと申し上げている次第です。

597 :圭角:2005/08/06(土) 09:05:34
もっとも、高句麗伝扶余伝においては、陳寿は里程里数の記述においての誇張は
しておりません。明帝紀の洛陽から遼東までの里程四千里と、高句麗扶余伝の
里程里数の記事は実際の地理と符合しています。
陳寿が里程を誇張したのは韓伝からです。縦横四千里が韓の里数ということは
韓の一辺距離が洛陽から遼東の間の距離に相当し匹敵すると記しています。
しかし、倭の地は周旋つまり一周一巡りが五千余里と記していることにおいて
朝鮮半島南半分と九州の実際の地理に合致していると申し上げている次第です。

598 :圭角:2005/08/06(土) 09:18:32
誇張された里程になっている理由は、韓と倭を服させた司馬宣王の顕彰に
在りますが、その誇張された里程においてすらも、倭の地は
周旋五千余里と記していることからして、近畿説は成立し得ません。
 邪馬台国への里程里数が記されておらず、水行十日陸行一月と記しても
外交記事に移る前半の最終段において、倭の地は周旋五千余里と、いわば
念押しにて陳寿は記しているのですから、里程行程記事においての畿内説は
成立不能とならざるを得ないことになります。

599 :tociguri:2005/08/06(土) 09:32:28
三角鏡も棺桶の外に置かれていて棺桶の中には画文鏡が枕元に置かれている
ので宝物だったのは画文鏡(魏の鏡?)の方だったと森教授が指摘している
そうだ。三角鏡は魔除け用の鏡だったらしい。


600 :554:2005/08/06(土) 14:54:47
女王国までが1万二千余里だって言ってんだろ


周旋五千里は女王国の東の話だろ


狗邪韓國までが七千里で、そこに女王国の東の周旋五千里なんか足してもイミネェーよ

601 :參問倭地、絶在海中洲島之上、或絶或連、周旋可五千餘里。 :2005/08/06(土) 17:06:16
>>600
>周旋五千里は女王国の東の話だろ

オイオイ・・・・

602 :プラム ◆RvhHf7kqyY :2005/08/06(土) 18:40:33
圭角氏の言われる筑紫平野や八女辺りの様子と
「參問倭地……周旋可五千餘里」 の内容がどうしても、重ね合わさるイメージがわかないのですが

私の頭が、暑さ負けしているのか?

603 :プラム ◆RvhHf7kqyY :2005/08/06(土) 18:51:39
圭角氏

>川を使った交通手段

魏使の役人達が利用したかどうかは解りませんが
当時、水量豊かな河川には舟を浮かべての河川利用運搬はあったでしょう。
舟や筏による運搬は、重い荷物を纏めて移動出来る唯一の手段ですから

604 :554:2005/08/06(土) 23:45:30
>>601
ハァ?なんだよ

じゃあ周旋だろうがなんだろうが
狗奴韓国まで7000里だから
そこから女王国までは5000余里だって云う何時もの話だろ

下らねぇー

605 :參問倭地、絶在海中洲島之上、或絶或連、周旋可五千餘里。 :2005/08/07(日) 00:27:42
>>604
倭地は周施5000里だというだけだ。
日本語も中国語も不自由なようだなあ。

606 :本田:2005/08/07(日) 09:30:04
>>589 :16歳中卒ヒッキー ◆HCmIhYMlyc :2005/08/05(金) 13:56:17
> 歴史で食っていくのは難しそうなので
> 余暇が多く趣味に時間を多く使えそうな
> 公務員を目指して勉強することにしました。

公務員は、難しいよ、大学の同級生に、
高校生の時、公務員試験を受けて不合格だったので、
仕方が無いので、大学に入学した人が数人居た。

> まず大検をとって高卒の資格をゲットします。

大検って大学入学や国家試験の時は高卒並みの扱いを受けるけど、
就職試験のときは役に立つのかな?

607 :16歳中卒ヒッキー ◆HCmIhYMlyc :2005/08/07(日) 09:39:57
ネットは控えますといいましたが
なかなかそうもいかないものですねw
今日は暇なので書き込みますよ。
公務員って難しいんですか?
あんまり難しいイメージはないけど・・
別に官僚になろうとしてるわけでもないので。
ちなみに中学のときは最高で県内3位の
成績でしたよ。教師や周りからはなぜ高校へいかないんだ?
ときかれましたが、無視して引きこもりました。
頑張れば地元の市役所くらいは受かると信じています。
無理なら大検とって大学へいって教師や博物館の学芸員を
目指したいと思っています。とりあえず余暇が多くて
できれば歴史関連の職に就きたいですね

608 :日本@名無史さん:2005/08/07(日) 10:03:21
この手のアフォな文章、前にも見たことあるな。コピペか?

609 :16歳中卒ヒッキー ◆HCmIhYMlyc :2005/08/07(日) 10:07:15
とりあえず邪馬台国スレなので
邪馬台国の話をしましょう。
周旋5000里でも九州にはならないのでは?
短すぎるような気がしてならないのですが・・

610 :日本@名無史さん:2005/08/07(日) 10:48:52
道は直線ではないぞ
山あり谷ありまわり道あり
5000里 執拗に考えすぎ?

611 :本田& ◆xOS3wf.pJg :2005/08/07(日) 11:48:48
>>607 名前:16歳中卒ヒッキー ◆HCmIhYMlyc :2005/08/07(日) 09:39:57
> 公務員って難しいんですか?
> あんまり難しいイメージはないけど・・

田舎だと能力よりコネが重要かも。

>無理なら大検とって大学へいって教師や博物館の学芸員を
>目指したいと思っています。
>とりあえず余暇が多くてできれば歴史関連の職に就きたいですね

専門職に就きたいなら、修士ぐらいは必要だ、
学生時代、発掘のアルバイトしたことあるけど(だだの土方仕事)
大学院出た人がアルバイトの監督だった、
たしか市役所の臨時職員かなにかだったと思う。

612 :プラム ◆RvhHf7kqyY :2005/08/07(日) 11:49:00
>>607
市町村の職員になるには、試験を受けるわけだが、これはあくまで建前の世界。どんなに優秀でも「コネ」には勝てないぞ
ましてやこんなご時世だ!ちょっとやそっとの「コネ」では入れない。
ま、君の選挙区の国会或は都道府県会議員でも「コネ」にするんだな(二〜三百万)も包めば 少しは可能性ありだ 絶対では無い

613 :tociguri:2005/08/07(日) 16:35:54
>>609 伊都国から邪馬台国まで1500里としてこの中心点まで750里、これを中心
とする円周は1500×2πr≒4710里で5000里に近い。正方形に近いとすると1500里
×4=6000里になり、これも5000里に大体近くなる。

 しかし、これが九州全体なのか北九州だけなのか「周旋」では分からない。

614 :tociguri:2005/08/07(日) 16:43:48
訂正 直径1500里の円周 750里×2πr≒4710里


615 :日本@名無史さん:2005/08/07(日) 17:58:59
倭の領域が対馬からだとすると
12000−8000(帯方郡から対馬まで)=4000里

周旋には迂回すると言う意味もあるから
邪馬台国まで直線では四千里だが実際の距離は五千余里あるという事だ。


616 :日本@名無史さん:2005/08/08(月) 03:39:10
>>566
三国史記の成立は
三国史記の信頼性は

617 :サガミハラハラ ◆SZOL/4WL.. :2005/08/08(月) 07:41:48
ところで、倭、倭人、倭種、倭地とありますが、女王国の東の倭種は、倭地(周旋5千里の)の中にはいるのでしょうか?


邪馬台国小城説宣伝強化期間
邪馬台国は佐賀県小城市甘木地区です。卑弥呼の墓は小城公園内桜ヶ岡です。

618 :圭角:2005/08/08(月) 08:51:13
プラムさん、残暑お見舞い申し上げます。暑いですねえ。
参問倭地周旋五千余里は、郡の使節使者が倭の地へいって尋ねたところ一周が五千里
余りだったということに解している次第です。
この猛暑の時に里程行程記事について語ることは不適当と存じますが、
九州全体を倭の地と看て、周旋五千里と観れば、韓の縦横四千里という記事との
実際地理上の均衡はとれていると考える次第です。よって、筑後平野八女地方領域を
のみ周旋五千里ということではありません。
昨日、有明海に船で浮かんで釣りをしておりました。熊本県中北部に菊池川下流に
江田船山古墳遺跡がありますが、当時の経路は有明海から菊地川を遡るものであった
ろうという想いを強くしました。舟からの目視距離の長さを実感した次第でした。

619 :プラム ◆RvhHf7kqyY :2005/08/08(月) 12:38:04
圭角さん、毎日暑いですね
海釣とはいいですね
有明海は波穏やかでのんびりした釣が楽しめるでしょうね! 今は何が釣れますか?
昔、島原から船で三角に渡ったことが有りますので
おぼろげながら、情景は想像できますよ。

620 :tociguri:2005/08/08(月) 20:14:46
618 圭角様へ。郡〜狗邪韓国までの7000里や狗邪韓国〜末羅までの3000里との比較
からすると倭地の周旋5000里とは何を意味するのか、この漢文だけでは確定不能です
ね。

 周旋5000里を倭地一周と解釈すれば倭地は北九州の直径1500里か一辺1500里
(狗邪韓国〜末羅の距離の半分)程度の小国になってしまうという解釈も可能になり
ます。

 韓国が縦横4000里なら倭地は縦横1500里で面積は韓国の14%、約七分の一になり
北九州の小国にしかならない、という計算になります。


 

621 :圭角:2005/08/10(水) 10:07:11
たしかに620さんのおっしゃる通りだと思います。
里程里数には不均衡誇張があり、倭地周旋五千里から導けることは、畿内説が
否定されるということのみだと存じます。
それでも、ご自身が書いていらっしゃいますように
狗奴韓国から末櫨国の距離の半分程度の小国になってしまいましても、それはそれで
よいのかという気もします。
小城説のサガミハラハラさんからすれば大賛同なされるかもしれないですね。
 プラムさんへ。
釣れた魚は、鯛、平目、カサゴ、メバル等でありました。学問版にかくなる書込み、
不適当でありますが、狗奴国は米の不作の時でも、内海の有明海の恵みにてけして
飢えることはなかったことを想った次第です。

622 :16歳中卒ヒッキー ◆HCmIhYMlyc :2005/08/10(水) 10:13:22
そうです。倭人伝からでは畿内には導き出せません。
ではなぜ最終的に畿内大和を中心とした体制になり
魏の年号が入った鏡が畿内から大量に出土するのか
誰か説明してください。

623 :16歳中卒ヒッキー ◆HCmIhYMlyc :2005/08/10(水) 14:09:33
つまり畿内政権もヤマト政権ですし
九州も邪馬台国=ヤマト国なのです。
だって同族ですから。神聖ローマ皇帝ハプスブルク家=天皇家
スペイン国王ハプスブルク家=邪馬台国王、だと
思えばいいのです。




624 :16歳中卒ヒッキー ◆HCmIhYMlyc :2005/08/10(水) 14:12:03
邪馬台国の存在は魏志倭人伝のみで確認できる。
倭人伝の記述からは邪馬台国は九州だとしか読めない。
ゆえに邪馬台国は九州である。
という命題が導き出されます。
これを否定したら邪馬台国の存在自体も否定することになってしまいます。

625 :日本@名無史さん:2005/08/10(水) 18:53:20
おい(引きこもり)
いい加減、あちこちに同じ内容でのカキコよせよ
お前、悪質な(荒らし)だろうこれ以上続けるようならNG決定
だな

626 :圭角:2005/08/10(水) 19:09:18
九州説の弱点と欠点は、卑弥呼が都した邪馬台国の比定地を未だに絞りきれないこと
にあります。その点、サガミハラハラ氏は果敢だと存じます。が、狗奴国との攻防に
おいての地理位置の説明説得力において、氏の説明を期待しておる次第です。
 ヒッキーさん、私は貴方がその御歳とは無論勿論想っておりませんが、万々一にも
おっしゃる御歳に候らえば、脱却なさるべしと存じ上げます。
 人生の方が倭人伝以上に不可解迷宮なものですサカイニ。

627 :16歳中卒ヒッキー ◆HCmIhYMlyc :2005/08/10(水) 19:14:01
ええっー
嵐扱いだのHN疑うだの
皆さんひどすぎます・・
頑張って自説を披露してるのに・・
でもたしかに若者が首を突っ込むような
話題ではないかもしれませんね。
もっと年配になってから参加することにして
今は若さを楽しみましょうか・・・

628 :プラム ◆RvhHf7kqyY :2005/08/10(水) 19:44:41
>>627 「ヒッキー」君

若いからダメだとかそういう問題じゃないと思うよ!前にも君に、レスしたと思うが
2ちゃんねるの掲示板では「レベル」以外差別は無いんだよ
参加は自由だ

ただ、君の場合レスの付け方に問題があるようだね!
関連スレに、同じような内容でしかも同じような時間にマルチの様にカキコしているのが
問題なんじゃないかな

629 :プラム ◆RvhHf7kqyY :2005/08/10(水) 20:28:44
>>626圭角さん今晩は

圭角さんの邪馬壹國と狗奴國の位置関係は、筑肥山地を挟みNに邪馬壹國、Sに狗奴國と、いう感じでしょうか?

630 :日本@名無史さん:2005/08/10(水) 20:39:04
歴史は全然素人なのだが、
たしか、神話にヤマトタケルが熊襲を攻めたときに
熊襲のなんとかタケルを倒して、
その名前をもらったという話があるよね?
(確か、名前をもらうことで
 相手の力を自分のものにするとかなんとか)

九州のヤマトを畿内の勢力が倒して、
名前をもらったということはありえないの?

教えて、詳しいこと

631 :日本@名無史さん:2005/08/10(水) 21:42:28
>>627
様々な可能性を探っていておもしろかったのですが、
ただやはりマルチは決定打でしたね。一番嫌われる行為です。荒らしとみなされます。
以後注意されたし。そしてまたカキコなさるよう。

632 :日本@名無史さん:2005/08/10(水) 22:39:55
>>625
名無しの上に文体変えて・・・
でもね、強調の意味で( )を使う人は、この世に一人しかいないので誰だか判ってしまうぞ。
おまえ、すげーく意地悪くない?
もっとも、「ヒッキー」も誰かさんの自作自演キャラに見えるんだけどねw

633 :日本@名無史さん:2005/08/10(水) 23:32:44
倭奴国はそのままワナ国だとしたら、出土した場所がそのまま邪馬イ国では?
行程も、九州を一周したと考えればよい。

634 :プラム ◆RvhHf7kqyY :2005/08/11(木) 00:08:45
>>633
>九州を一周

なぜそんな無駄な事を

635 :プラム ◆RvhHf7kqyY :2005/08/11(木) 00:47:37
周辺スレに「ヒッキー」君の形跡がなくなった。

「ヒッキー」君
ま、マルチは良くないと思うが、気軽に参加続ければいいじゃないか
私も以前、散々荒らし呼ばわりされた事あるよ
気にすることないと思うしマタ、奇抜なレス書いてくれ
不自然な部分はツッコミ入れるから

636 :tociguri:2005/08/11(木) 01:24:43
ヒッキ-氏が本当に16歳でこれだけ邪馬台国にのめり込んでいるのならもう一生
脱け出せないだろう。(三つ子の魂百まで)

 まー、別にのめり込めるものができたら脱出できる可能性もあるが。


637 :日本@名無史さん:2005/08/11(木) 01:42:03
女しかないだろうな
のめり込むとしたら

638 :日本@名無史さん:2005/08/11(木) 01:56:16
ヒッキー君期待age

639 :日本@名無史さん:2005/08/11(木) 02:27:49
漏れは西九州人が大和朝廷にほとんど関係していないことから考えても
邪馬台国が西九州地域にあったとはまず考えていない。
もし、仮にあったにしても一時的な占領だろう。
一方、豊前、豊後、日向の連中は明らかに大和朝廷に何らかの形で
関与している。
古来から東九州の文化・宗教は畿内本州に近い。
倭人伝で記述されている国についても
夜須、甘木など学者が重要だと考える地域の名称に近いものが一切ない。
これらが倭人伝当時の伝説の要であれば間違いなく近い記述はあるだろう。
それが無い以上、これらの名称はもっと後に付けられた地名、
大和朝廷か出雲の朝廷がつけた新しい地名だと推定できる。
邪馬台国は大和朝廷誕生に繋がる国であると考える以上、
西九州には邪馬台国は無いのである。

640 :日本@名無史さん:2005/08/11(木) 02:58:13
三角縁神獣鏡祭祀を中心とした出雲渡来の巨大な権力が
近畿外延部(山背)あたりから侵入し畿内ほぼ全域を占領、
これが九州(倭)
の東部地域にも進出しこれが邪馬台国と呼ばれた。
半島南端部がもっとも北方系の侵入が遅れたとの同様
西九州ももっとも北方系の勢力の侵入が遅れたとみるべき。

そう、倭も韓も強大な権力集中(国)という意識の無い
未開の地域(小国分裂国家群)だったのです。
古墳の発展度合いとも附合します。
国、権力の集中という概念こそ極めて渡来的な思考なのです。

641 :日本@名無史さん:2005/08/11(木) 03:51:50
間違いない!!

642 :日本@名無史さん:2005/08/11(木) 04:15:02
倭に取って卑弥呼は新参者異教徒、保守的勢力は卑弥呼を受け入れなかったのです。
そして、卑弥呼は東九州にしかいなかった
当時本州各地には別の巫女がいただろな、
何度もいうけど甘木、三輪、夜須は当時は無い。

643 :日本@名無史さん:2005/08/11(木) 04:26:37
邪馬台国連合の中心は畿内だ、しかし卑弥呼がいたのは
東九州である。

644 :日本@名無史さん:2005/08/11(木) 04:51:42
そもそも畿内に卑弥呼がいて、狗奴国が畿内にあるなら
彼らがよく知っている奴国がどの勢力に入っていたかを
考える必要がある、水行一ヶ月(往復二ヶ月)かかり畿内の
邪馬台国と狗奴国の
争いをみて九州奴国が邪馬台国連合(あるいは狗奴国)に
属しているという事を把握しなけらばならないという事になる。
そしてその後、一人の女王の元
統一されるまでを把握できなければならない。
東西南北さえよく把握出来ていない使節が・・
やはりどうみても九州内部の狭い地域の争いを伝えたとみるのが自然。

645 :日本@名無史さん:2005/08/11(木) 05:01:07
甘木、朝倉、夜須、三輪 一切なーーーい!
征服された後の地名。

646 :日本@名無史さん:2005/08/11(木) 05:23:32
九州は畿内にいる卑弥呼にどういう形でコンタクトをとっていたのか
という問題もでてくる、そこクリアせんと卑弥呼が畿内に居たという
のは説得力がない。

647 :16歳中卒ヒッキー ◆HCmIhYMlyc :2005/08/11(木) 08:12:12
畿内とコンタクトをとっていたとしたら
瀬戸内ルートでしょうし吉備あたりにも
立ち寄るはずですね。しかし神武東征を
みると畿内のニギハヤヒを討つべく吉備にも
数年立ち寄って兵力を蓄えています。
これはどうしたことでしょう?
その当時の畿内と吉備の関係はどんなだったのでしょう?
また神武東征経路で宇佐にも立ち寄りますし
伊都国があった地域の岡田宮にも立ち寄るので
邪馬台国となんらかのつながりがあるきがしてなりません。

648 :プラム ◆RvhHf7kqyY :2005/08/11(木) 12:39:41
>>647 おかえり!

>畿内と卑弥呼のコンタクトは瀬戸内ルートでしょう
簡単に片付けて通すぎるなよ
書面によりとか、口答によりとか 週一とか、月一とか もっと具体的に示してくれ
遠距離地の支配に定期連絡は欠かせないぞ

649 :16歳中卒ヒッキー ◆HCmIhYMlyc :2005/08/11(木) 14:09:03
ええ、歴史や推理小説にはのめりこんでますね。
あとゲームや映画にも。ヒッキーなので室内で
できることしかのめりこめませんがw
邪馬台国を中心とした古代史についても
一生賭けて研究していきたいですね。

650 :日本@名無史さん:2005/08/11(木) 14:13:47
磐座信仰していたグループが太平洋沿いに東北まで、
四隅墓を残したグループが日本海沿いに東北まで広がっていた。
このグループそれぞれにまだ国という意識は無かった、おそらく
移住、文化の共有程度のものだったと思う。
ここに出雲のような権力の集中、国が興るからにはなんらかの
革命的な出来事、例えば都市の発展とか先進的な異民族の侵入がなければ
あり得ない。漏れは四隅墓を残したグループが古墳を作ったとみてる。
彼らは先住民族がいる中日本海一帯にその勢力を拡大していった、
そして太平洋側の先住系と対立する中、強力な支配ツールが必要に
なってきた。色々考えたと思う、一つの結論が古墳だったのかもしれない。
古墳を中心とし幾つかの掟で彼ら出雲支配層は結束し連絡を頻繁にする
こともなく支配領域を拡大していった。
殆どの先住系は圧倒的な力を持つ彼らに屈服し従った、
しかし西九州の先住系(倭)の小国家群だけは武力をもって抵抗し続けた。


651 :16歳中卒ヒッキー ◆HCmIhYMlyc :2005/08/11(木) 14:17:20
たしか宇佐にも前方後円墳がるんじゃなかったですっけ?
3世紀くらいの。。

652 :日本@名無史さん:2005/08/11(木) 14:36:37
そう考えると、もしかすると、サガミさんのいう小城の
近辺に邪馬台国の支部みたいのがあってそこで西九州の
小国群を支配しようとしていた可能性もある。

653 :日本@名無史さん:2005/08/11(木) 14:41:38
いずれにしても邪馬台国は本州の巨大国家権力で、卑弥呼ってのは
小国家群九州のみを統括していた一巫女に過ぎないと思うわけですね。

654 :日本@名無史さん:2005/08/11(木) 14:49:03
辺境にある宇佐の信仰(八幡)を西九州の
人間がなぜ信仰しなければならないかも考える必要がある、
宇佐は巨大な権力(本州)の後ろ盾があったと考えるのが自然。


655 :本田:2005/08/11(木) 20:12:23
>>616 :日本@名無史さん :2005/08/08(月) 03:39:10
> >>566
> 三国史記の成立は

>三国史記 (さんごくしき, 三國史記, 現代韓国語読:Samguk Sagi, ?? ??) は、
>1145年に高麗の金富軾らが完成させたとされる高句麗・百済・新羅三国の紀伝体正史で、
>朝鮮半島に残存する最古の歴史書である。全50巻。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E5%9B%BD%E5%8F%B2%E8%A8%98

> 三国史記の信頼性は
記紀神話より信頼性はあると思う。

656 :本田:2005/08/11(木) 20:47:08
>>654 名前:日本@名無史さん :2005/08/11(木) 14:49:03
> 辺境にある宇佐の信仰(八幡)を西九州の
> 人間がなぜ信仰しなければならないかも考える必要がある、

朝鮮半島にも倭人が住んでいることを考えると、宇佐は辺境ではない。

> 宇佐は巨大な権力(本州)の後ろ盾があったと考えるのが自然。

宇佐は、日本最古の国、東表国(豊日国)あった所。
東表国の子孫は、狗那韓国、金官加羅、新羅などの国々をつくった。
奈良時代の宇佐の後ろ盾は統一新羅と朝廷だろう。


>大分県には実に沢山の石仏があります。
>日本全国の85%がここ大分県にあるといいますから驚いてしまいます。
>一つには宇佐八幡と仏教の結びつきによるものと考えられますが、
>この頃この辺りは東表国(とうひょうこく、豊日国)として
>日本中で一番栄えていたものとも考えられます。
http://www.h3.dion.ne.jp/~hokamura/ooita-izumo-ise/index16.htm

657 :プラム ◆RvhHf7kqyY :2005/08/11(木) 21:49:22
三国史記新羅本紀によると
「二十年(173年)夏五月倭の女王卑弥呼が使者を新羅に送り、国交を求めている。」

でも、確か中国の史書では新羅建国は、356年
余りにも 年代がひらきすぎ

658 :本田:2005/08/11(木) 22:13:25
-----------------------------------------
>>657 名前:プラム ◆RvhHf7kqyY :2005/08/11(木) 21:49:22

>紀元前57年に新羅の始祖が王位(当時の言葉では居西干)についたとされる。
>新羅王の建国伝説は卵生神話であり、始祖は卵から産まれたとなっている。
>卵が瓠(ひさご)の様であったので朴氏を名乗ったと三国史記には書かれている。
>また、建国時に渡来してきた倭人(瓠公)が重臣となったと記述されている。

>中国の文献では前身が三韓の辰韓一つ斯盧国とされ、
>356年の第17代奈勿王の即位から新羅となったとしている。
>慶州盆地を根拠地として発展していった。
>歴史書ではこの356年を新羅の建国年とするテキストが多い。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%B0%E7%BE%85

659 :プラム ◆RvhHf7kqyY :2005/08/11(木) 22:18:09
本田氏
何時もながら ご説明感謝

660 :16歳中卒ヒッキー ◆HCmIhYMlyc :2005/08/12(金) 08:36:25
宇佐神宮の比売大神=卑弥呼 なのでしょうか?


661 :日本@名無史さん:2005/08/12(金) 11:53:19
三国式は成立年が500年以上はなれてる。
日本書紀より価値が低い

662 :プラム ◆RvhHf7kqyY :2005/08/12(金) 12:24:41
>>661
確かにかなり後世の編纂のようだが
(好太王碑文)(新羅本紀)(日本書紀)等を照らし合わせると、一概には言えないようだが
仲哀帝崩御後の半島遠征等は、中々興味深いものがあります。

663 :サガミハラハラ ◆SZOL/4WL.. :2005/08/12(金) 15:28:21
今日で邪馬台国発見14周年となりました。
邪馬台国小城説宣伝強化期間として、小城説を喧伝してまいりましたが、ご賛同はともかく、小城説の存在をおわかりいただけましたでしょうか。
来年は15周年となります。できたら大きなイベントをと考えておりますのでよろしくお願い致します.

664 :日本@名無史さん:2005/08/12(金) 15:38:32
>>663
存在を認識しましたよ、自分でも検討してみようと思っています。

665 :本田:2005/08/12(金) 18:09:03
>>661 :日本@名無史さん :2005/08/12(金) 11:53:19
> 三国式は成立年が500年以上はなれてる。
> 日本書紀より価値が低い

日本書記は作者も成立年代も不明。
最古の写本は鎌倉時代のはず。

666 :本田:2005/08/12(金) 19:32:25
>>660 :16歳中卒ヒッキー ◆HCmIhYMlyc :2005/08/12(金) 08:36:25
> 宇佐神宮の比売大神=卑弥呼 なのでしょうか?

宇佐神宮の比売大神=宗像三神(宗像三女神)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%87%E4%BD%90%E7%A5%9E%E5%AE%AE

667 :圭角:2005/08/12(金) 19:40:39
ご承知のとおり、倭人伝は前半の地理誌と後半の外交誌に二分大別できるかと存じます。
その前半の地理誌の最終の、倭地は周旋五千余里との文言は、けして軽視でぬものと、
私は思います。水行十日陸行一月という途中の記事文言より当然に重視されて然るべき
と重ねて考えております。

668 :日本@名無史さん:2005/08/12(金) 20:15:00
http://www.google.co.jp/search?hl=ja&q=%E8%BE%9B%E5%B3%B6%E6%B0%8F%E3%80%80%E6%B8%A1%E6%9D%A5&btnG=Google+%E6%A4%9C%E7%B4%A2&lr=
宇佐、豊、八幡、宗像というのは倭とは違う勢力です。
辺境の地宇佐で新羅系渡来人を中心に開拓がなされ、
畿内、出雲と関係を深め西九州の倭勢力と
戦争をしたのが倭国大乱とみるのが妥当です。
甘木、小城はその邪馬台国勢力の征服地(天下り地)でしょう。
丁度、方言の訛り(東京、豊国アクセント)などとも附合します。


669 :プラム ◆RvhHf7kqyY :2005/08/12(金) 20:19:41
圭角氏の言われる、地理誌部門の「周旋可五千餘里」この部分と、最初の「依山島為国邑」
この二つの文章が、私を邪馬壹國の謎に滑り込ませる事になったきっかけの文章なのです。
私の考える「女王国」は、今も以前も(A〜 朝鮮海峡・対馬海峡・壱岐水道〜B)と主張します。

670 :日本@名無史さん:2005/08/12(金) 20:29:29
>地理誌部門の「周旋可五千餘里」この部分と、最初の「依山島為国邑」

すみません、少し解説していただけませんか?

671 :日本@名無史さん:2005/08/12(金) 20:54:27
韓半島南部人は倭の吉野ヶ里と近い生活を営んでおりましたが
服装が違ったそうです、みずらやハチマキもしていなかったらしい
ですから、多少なり差異はありそこに韓と倭の民族の違いを感じてはいたでしょう。
ですが、それとは別に倭人が韓半島南部に住んでいたことも事実です。
女王擁立は倭人にとって青天の霹靂ともいうべき出来事だったでしょう
これは東九州人(新羅渡来人)のもたらした文化だったのです。


672 :日本@名無史さん:2005/08/12(金) 20:59:19
東九州人(新羅渡来人)×
東九州=新羅系中心の開拓地○

673 :プラム ◆RvhHf7kqyY :2005/08/12(金) 21:25:58
>>670
これは、あくまでイメージですので
最初に「大海之中」という文があり その後に「依山島為国邑」と続き
このイメージは、半島南部の多島風景〜対馬【瀚海(大海)】〜壱岐〜玄海灘沿岸の多島風景。
まさにピッタリなのです。【周旋可五千餘里(簡単に言うと狭い範囲)】
の説明は、先日カキコしたばかりで重複しますので省略いたします。

学問板にて「イメージ」なんてナンセンスと指摘されそうですが、
学の無い私は、全てこの最初に感じるイメージを大事にしています。

674 :日本@名無史さん:2005/08/12(金) 21:46:32
中国人には倭も韓もわかんない状態だったので
韓も倭にみえたでしょう、ただし、当時の韓人は今の朝鮮人とは
著しく異なる形質をもった人たちだった筈。
それにいまや、北部九州の弥生文化の担い手と縄文文化の担い手に
人骨上大きな差異が見られないという説が有力になりつつあります。
実際、組織的征服がまだ無かったのですから当然といえば当然かな


675 :プラム ◆RvhHf7kqyY :2005/08/12(金) 22:06:31
卑弥呼の場合、お飾り的な地位にあり
実質的権力者は
魏より正式に「大夫」と認められた難升米と考えており、この大夫難升米が即ち一大率長官として、魏の冊封国「倭」を統率し、魏王朝との調整役、卑弥呼の側に居る男は、侍従あるいは宮内庁長官的役割では無かろうか!

676 :プラム ◆RvhHf7kqyY :2005/08/12(金) 22:39:37
>>670さん >>578をご参照あれ
私の「周旋可五千餘里」の考えです

677 :本田& ◆xOS3wf.pJg :2005/08/12(金) 22:47:50
>>674 名前:日本@名無史さん :2005/08/12(金) 21:46:32

倭の大乱はもう古墳時代になってからですよ。

678 :プラム ◆RvhHf7kqyY :2005/08/12(金) 23:01:21
>>677本田氏
その情報は初耳です。
もし宜しければ、詳しい説明を希望します。

679 :本田:2005/08/12(金) 23:23:36
>>668 :日本@名無史さん :2005/08/12(金) 20:15:00
> http://www.google.co.jp/search?hl=ja&q=%E8%BE%9B%E5%B3%B6%E6%B0%8F%E3%80%80%E6%B8%A1%E6%9D%A5&btnG=Google+%E6%A4%9C%E7%B4%A2&lr=
> 宇佐、豊、八幡、宗像というのは倭とは違う勢力です。

いや倭人が中心の勢力だろう。
王は倭人ではないかもしれないけど。

> 辺境の地宇佐で新羅系渡来人を中心に開拓がなされ、

辛島氏は百済系なのでは?

>法鏡寺廃寺 ( ほうきょうじはいじ)
>辛島氏一門の氏寺か

>法鏡寺廃寺出土の 瓦(かわら) は、
>創建の時期の近い虚空蔵寺のそれとは様相を異にしている。
>法鏡寺の創建瓦は、軒平(のきひら)瓦 には虚空蔵寺と同じ法隆寺式の
>忍冬唐草文(にんどうからくさもん)のものを採用するが、
>軒丸(のきまる)瓦 には百済(くだら)系単弁蓮華(たんべんれんげ)文の様式を用いる。
>この百済系の軒丸瓦は、
>豊前地方をはじめとして筑前、筑後、肥前など広い分布をみせており、
>虚空蔵寺でみられる川原寺系軒丸瓦の限定された分布範囲と著しい対照をなす。
http://www.e-obs.com/top/heo/heodata/n664.htm

680 :日本@名無史さん:2005/08/12(金) 23:27:31
http://inoues.net/wajindenx.html
この倭人伝訳文がいいです

681 :日本@名無史さん:2005/08/12(金) 23:45:17
当時の九州人

682 :本田:2005/08/12(金) 23:48:12
>>678 名前:プラム ◆RvhHf7kqyY :2005/08/12(金) 23:01:21
前にも書いたけど、
中国では、春秋戦国時代に流民が発生する。
一部が日本列島にたどり着く、
弥生時代の始まり。

満州では、鮮卑の勢力が勃興する。
そしてシナで魏を建国する。
また、回りの勢力を圧迫する。
つまり、倭の大乱が起こる。
具体的には満州の扶余氏や遼東の公孫氏が、
朝鮮半島や九州に侵入して、古墳時代の始まる。
弥生時代以来の九州の勢力は近畿に逃れる。

683 :日本@名無史さん:2005/08/12(金) 23:52:18
>>682
古墳の中心地は日向豊、畿内、瀬戸内山陰、東北、関東ですよ。
西九州一帯にまともな古い古墳が一つでもありますか?

684 :日本@名無史さん:2005/08/12(金) 23:57:31
倭国(つまり九州)は極めて原始的な社会の延長であったと思う。
北の方でどうも巨大な権力の勃興はあったようである、卑弥呼政権も
その彼らの傀儡だったのだろう、しかし当時の九州人はそういう時代のうねりとは
裏腹に実におおらかに暮らしているのがみてとれる。
http://ime.st/inoues.net/wajindenx.html

685 :本田:2005/08/13(土) 00:01:37
>>683 名前:日本@名無史さん :2005/08/12(金) 23:52:18
>>>682
>古墳の中心地は日向豊、畿内、瀬戸内山陰、東北、関東ですよ。
>西九州一帯にまともな古い古墳が一つでもありますか?

ああそうだよ。
何を言いたいのかピンこないよ?
あと高句麗古墳群も有名だよ。

686 :& ◆FC4h7F/wV6 :2005/08/13(土) 00:14:54
>>684 名前:日本@名無史さん :2005/08/12(金) 23:57:31
> 倭国(つまり九州)は極めて原始的な社会の延長であったと思う。

縄文時代の九州は、
製鉄も始まって決して原始的ではなかった。

>重藤海岸にある縄文製鉄所跡地
http://www.infact-j.com/matsushige/sigehuji1.htm

687 :日本@名無史さん:2005/08/13(土) 00:26:30
技術的にはかなり先進だし、犯罪の連座制など法治国家体制の基礎、
徴税官、執行官、警察権などもあり制度的にも先進的ですが
どうも権力の集中というのがなくそれ故に北の勢力につけいる隙を
与えてしまったのかもしれないな・・・
http://inoues.net/wajindenx.html

688 :tociguri:2005/08/13(土) 01:43:02
>>684 北方の巨大な権力の勃興・・・魏の帯方郡のことですね。


689 :tociguri:2005/08/13(土) 01:48:02
>>684 吉野ヶ里の甕棺の中にある首なし死体を見るとあまり平和な生活でも
なかったようですが。

 卑弥呼共立までは各国が相争っていたと魏志倭人伝にも書いてありますし。


690 :日本@名無史さん:2005/08/13(土) 02:18:32
倭人伝よむと、品行方正でとても争いを起こすような
人にみえませんね。訴訟だって殆どないとか書いてるし。
原因は北の方の人なんじゃないかな?

691 :日本@名無史さん:2005/08/13(土) 02:29:24
対馬の神代文字がどうもアイヌや青森、関東でも見られることから
相当な古代文明があったことは確かですね。
インド文字とも繋がるようですし・・
日本神話は相当なねつ造です。大罪ですね。

692 :16歳中卒ヒッキー ◆HCmIhYMlyc :2005/08/13(土) 08:33:39
やけに皆さん詳しいですけど
みなさん大学生ですか?
20歳前後でここまで詳しいとは
勉強熱心ですね・・そこまでやらないと
研究者にはなれないのかな・・

693 :16歳中卒ヒッキー ◆HCmIhYMlyc :2005/08/13(土) 10:19:09
結局壱与が死んだころ(3世紀終わり)くらいになり
再び国が乱れて統制を失ったところを大和朝廷や
熊襲に各個撃破されたといったとこでしょうか?
所詮連合体制なので王が死に統制を失えばおしまいです。

694 :日本@名無史さん:2005/08/13(土) 11:10:44
>ヒッキー

 他の人からも忠告されているはずだが「マルチ」は止めたまえ。
 キミがヒマなのは判るが、同じようなスレッドに同じようなコピーを繰り返しても意味は無い。
 邪馬台国関連スレを除きにくるような奴は、このスレ以外もほとんど毎回チェックはするだろう。
 そのほとんどのところで、キミの同ような内容の書き込みを何度も見させられることに不快感を
持つものもいると思うよ。

 とりあえず、各スレをちゃんと使いけるようにしたまえ。
 例えば、このスレは文献読解に関すること。
 「邪馬台国は大和朝廷になったのか」は、大和朝廷と邪馬台国の関係について
 http://academy3.2ch.net/test/read.cgi/history/1120663124/
 「邪馬台国は九州であるという前提で話を進めるスレ」は、九州説相互の論点について
 http://academy3.2ch.net/test/read.cgi/history/1120434956/
 「邪馬台国論争に終止符を打つスレ」は、ネタスレとして
 http://academy3.2ch.net/test/read.cgi/history/1105023539/
 このように整理してみたらどうかな。



695 :プラム ◆RvhHf7kqyY :2005/08/13(土) 14:52:00
>「ヒッキー」君
先日までトリップの付け方すら解らなかったのに
今では、自分でスレ建てしてスレ主となってる

すごい!

696 :日本@名無史さん:2005/08/13(土) 17:49:53
よくあるパターンだけど、コテハン叩く奴って最低だな。

697 :日本@名無史さん:2005/08/13(土) 18:06:02
畿内とコンタクトというより
大倭と言う警備がウロウロしていたらしいから、卑弥呼はこれに
操られていたんじゃないかな、これだと元々畿内大和の連中だから
頻繁にコンタクトとる必要もなかろう。
事実、魏の大使があまりくわしく無いが、北の方で一大率の勢力が
人々に畏れられているというような事を言っている。
大和政権だな

698 :日本@名無史さん:2005/08/13(土) 18:18:30
倭国(九州)の争乱も原因はこの大倭だろう、畿内か出雲の勢力が
西九州に及びだし、最後は先住系が敗北した。(邪馬台国による支配)
そこで初めて大倭とかいう役所、役人が来たんじゃないかな。
天皇族、天孫族にとってこの真実を伝えるわけにはいかんだろう、
だからわざと不自然な形で魏志倭人伝を読もうとしているわけだ。
しかし、近年の遺跡発掘、研究成果により、そのねつ造の歴史の楼閣も
瓦解しつつありますね。

699 :日本@名無史さん:2005/08/13(土) 21:54:59
>>696
いつも叩かれまくってるコテハンさんとお見受けいたしますが、
愚痴をこぼす時もコテでかまわないと思いますよw

700 :16歳中卒ヒッキー ◆HCmIhYMlyc :2005/08/14(日) 08:57:52
卑弥呼は大和朝廷の九州統治のため
利用されていたということでしょうか?


701 :16歳中卒ヒッキー ◆HCmIhYMlyc :2005/08/14(日) 09:42:03
交易を大倭(大和朝廷)が監督していたとしたら
国内産の三角縁神獣鏡が畿内から
多く出るのもなんとなくわかりますね

702 :16歳中卒ヒッキー ◆HCmIhYMlyc :2005/08/14(日) 20:01:20
しかし学界では一大卒は
邪馬台国が送り込んだものというのが
通説らしいですが

703 :日本@名無史さん:2005/08/14(日) 20:14:49
邪馬台国は大和政権の傀儡だもの

704 :プラム ◆RvhHf7kqyY :2005/08/14(日) 20:55:38
女王国最初の遣使である、大夫難升米(率善中郎将)次使牛利(率善校尉)は、魏王朝から爵位され難升米は郡に残り女王国大使に、牛利は、女王国に帰り一大率長官の任についたと考えます。
一大率の長官は中華王朝から「率善…」の爵位を受けた者だけに許される役職と私は考えています。

そう考えると、「一大率」とは「一大国」に設けられ中華王朝から「率善…」の爵位を受けた者が長官となる役職と、いう考えも捨て難い妄想です。

705 :日本@名無史さん:2005/08/14(日) 21:13:58
最初に名が出てきたときは都市牛利だったのに次からは牛利になってる。
都市はどこに?何故省略したのかな?ただの脱落?


706 :プラム ◆RvhHf7kqyY :2005/08/14(日) 21:14:30
さらに妄想を続けますと
「一大率」の役目の中には、魏王朝と女王国間の冊封体制維持も重要任務かと
冊封とは、一対一が原則でそれ以外の国の朝貢を受け入れないものです。
冊封を受け入れた者が独占的に魏王朝又は統治国との交易が出来る権利です
それを無視し、抜け駆けする者を取り締まる重要任務があったと考えます。
そう考えますと
一大国(壱岐)に設置する重要性が理解出来るでしょう

707 :馬耳:2005/08/14(日) 22:12:02
>>705
漢文ではよくある省略。
人名は初出では完全標記されるが、二度目からは名前だけに省略されることが多い。
倭人伝でも塞曹掾史張政が二度目は「政」と標記されている。
牛利は「都市」の「牛利」と呼ぶのが正式だったわけだ。
俺は牛利は渡来人で倭では通訳兼外交顧問のような存在だったのだと思う。
「都市」が姓なのか出身地なのかは、いろいろと意見があるところだ。

>>706
面白い説だと思いますよ。
俺も同じような妄想を抱いたことがあるからねw

708 :プラム ◆RvhHf7kqyY :2005/08/14(日) 22:25:31
>>707 馬耳氏
そうですかぁ 以前…
そう言っていただけると、先に光が!
と、言っても未だ妄想段階ですし、これから(根拠の肉付け)をせねば仮定の段階に昇れませんがね
ま、気長に資料集めと、無能をフル回転させますよ

709 :日本@名無史さん:2005/08/14(日) 22:30:01
一大国には大和政権の分所みたいのがあったのかもしれん
ちょと妄想してみるとw
もし魏が邪馬台国を操っていたらいろんなこと考え直す必要あるね。
確かに九州は魏と親密、外交顧問程度はいたかもしれない、
しかし、仮に魏が完全に九州の情報を掌握していたらもっと
本州の情報について事細かに語っていると思うね。
九州人が明らかに本州各地で交易の痕跡残しているから

710 :日本@名無史さん:2005/08/14(日) 22:39:21
>>694
邪馬台国九州説は近畿説と並んでごく一般的に語られる話だが、
ヒッキーくんが九州説レスするたびに荒らし扱いするのはいかがなものか。



711 :日本@名無史さん:2005/08/14(日) 22:45:30
北部九州で天孫降臨が可能性がある場所(つまり高天原からの
天下り)。鞍手、甘木、小城
丁度今で言う政令指定都市みたいなものでは


712 :プラム ◆RvhHf7kqyY :2005/08/14(日) 22:57:32
>>709
魏書倭人には、本州の民を「皆倭種」として
全てを物語っていると思う。
魏書は、あくまで魏王朝時代の史書だと思うし
例え女王国以外の諸国の様子を把握していても、直接魏王朝又は郡が関与していない国であれば
記載がなくても不思議ではないと思う。

713 :日本@名無史さん:2005/08/14(日) 23:15:23
魏は関与していなくても九州の政権自体が安曇を始め
畿内や関東、東北の方とも関係があった事は確かのようなので
その辺りの情報がもっとあってもいいのかなと思うんですよね。
それに九州に対中交易の独占権を認めている以上九州と本州の交易という
内政にも関与している必要がある考えます。
何しろ邪馬台国の擁立の目的自体が本州と中華の橋渡しですから
この本質的な問題を知らないはずはありません。
邪馬台国という地方政権には関与するが、本州交易には一切関与しない
なんて事があるのだろうか

714 :694:2005/08/14(日) 23:25:34
>>710
馬鹿か?
日本語も満足に読めないのか?
九州説がアカンとか誰も言ってねーだろうが。
マルチは止めろ、複数のスレを利用するなら各スレの性格を考えて使えと
言ってるだけだぞ。

キミは、九州論者の書き込みに批判的らしきレスが付くと
いつも脊髄反射で同じようなことを貼り付ける粘着クンだろう。
キミのような存在こそアラシなんだと思うね。

715 :日本@名無史さん:2005/08/14(日) 23:53:13
>>714
いや、今回が初めてなのだがな。
IDでもなんでも調べてみたらいいでしょう。

「馬鹿」と「脊髄反射」とは誰のことかなww

716 :馬耳:2005/08/15(月) 00:00:11
>>708
いやー、光明なんか見られると・・・何ですな。
私の妄想は妄想のままで息絶えちまいましたからねw
まあ、気長に頑張ってください。

>>713
瀬戸内海交易に限って言えば、帯方郡などの漢人が出張ってきて
活動したような考古的な痕跡(土器など)は無いです。
弁辰や馬韓系の土器は弥生期の遺跡からはそこそこ出てきますけど。

717 :プラム ◆RvhHf7kqyY :2005/08/15(月) 00:01:08
>>713
貴方の考えは、あくまで現在の私達の希望だと思いますよ、魏書は中華側から見た書物であり、私達の希望に叶うものではないのでは!
それに、魏王朝は238年以降の宗主国であり
それ以前は公孫氏政権が宗主国の役割を果たしていたので 女王共立は
公孫政権或は後漢王朝と考えられます。

718 :日本@名無史さん:2005/08/15(月) 00:14:41

希望ではありません、それらしい裏付け資料が殆どないからです。
邪馬台国が中華征服王朝であったのなら倭国大乱も中国のせいですね

719 :日本@名無史さん:2005/08/15(月) 00:34:05
国家主権を文化・言葉の違う国に委譲するというのは革命以上の
侵略ですよ。そもそも邪馬台国なんていう国内異分子政権でさえ
九州の人は大反対し抵抗したのですから

720 :馬耳:2005/08/15(月) 00:48:50
正始四年の遣使では、初回と異なり、正使級を一挙に八人も送り込み、
掖邪狗他全員が率善中郎將をゲットしています。
これは、前回難升米が受けた官位と同等のものをこれらのものにも与えないとならない
倭人の政治情勢の賜物です。
この二回目の遣使は共立政権であるがため難升米の出身国とその他の有力国の
バランスを維持するために必要だったのです。
このように共立体制の維持に中国との冊封関係は重要なものですが、
受爵候補者の決定は倭人側にあるように思えます。
これは、親魏倭王の場合でも同じだったことでしょう。



721 :プラム ◆RvhHf7kqyY :2005/08/15(月) 01:29:00
>>718
私は、少なくとも中華の影響と考えます。

722 :16歳中卒ヒッキー ◆HCmIhYMlyc :2005/08/15(月) 08:59:22
藤原カムイさんの「雷火」っていう
邪馬台国を舞台にした漫画、結構面白いですよ。
張政が敵役で壱与がヒロインになってます。
難升米や都市牛利もでてきますよ


723 :日本@名無史さん:2005/08/15(月) 15:03:34
そりゃ茨城から九州を朝鮮や中国に認定してれば
愉しくでしょうがないでしょうね

724 :プラム ◆RvhHf7kqyY :2005/08/15(月) 15:25:55
>>723
どぉいう意味?

725 :日本@名無史さん:2005/08/15(月) 21:02:26
723がどういう意味かは知らんが

そういえば鹿島って鹿児島に似てるなあと思ったことはあるw

726 :日本@名無史さん:2005/08/15(月) 21:27:43
鹿は藤原の祖先が海の占い師をしていた時に
鹿の骨を使っていたらしく、これを基本として
全国の鹿に関して

727 :日本@名無史さん:2005/08/15(月) 21:46:07
鹿の骨占いは海で各地を移動していた人にとっては
重要な意味をもっていたのではなかろうか?
農民にとっては対した意味は無かったかもしれない
だろうが、指導的な立場の人は
各地を転々としていただろうから鹿の骨占い師は権限が
あったんだよ。

728 :プラム ◆RvhHf7kqyY :2005/08/15(月) 21:54:18
茨城県人として少しだけPR

鹿島神宮
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%B9%BF%E5%B3%B6%E7%A5%9E%E5%AE%AE

ここの境内には鹿を数頭、柵の中にて飼っている。

729 :日本@名無史さん:2005/08/15(月) 23:24:15
諏訪大社にも、鹿の頭を供える「御頭祭」という儀式があった。
鹿島でもなぜか「鹿」。しかも共に戦神。
(鹿島の鹿の字は香島の当て字だけれども)

諏訪の宝物殿では片耳を切り落とした鹿の頭骨を見ることが出来る。
諏訪大社の神長官である守矢家(現在、78代目)から、明治の
世襲神官廃止の歳に寄贈されたものらしい。方耳を切り落とす行為に、
中国は「史記」の”牛耳を執る”風習を髣髴とさせる。

なんとなく日本における「鹿」には呪術的な意味合いが強いように思う。


730 :馬耳:2005/08/16(火) 00:24:37
卜骨の素材に鹿が用いられるのは、単に在来種の獣で最も大きな肩甲骨が取れるからでしょう。
猪や猿、犬よりは大きいし、熊よりは容易に捕獲できる動物だから。
容易といえば、中国の様に亀の腹甲も比較的容易に大き目の素材がとれるのですが、
それが使われなかった理由は、鹿と違って捕食対象の動物では無いからでしょうね。


731 :16歳中卒ヒッキー ◆HCmIhYMlyc :2005/08/16(火) 10:20:06
一大卒はやはり邪馬台国から派遣されたものだと
思われますが。しかし交易を管轄する大倭というのは
畿内大和朝廷のことではないでしょうか?
大和朝廷からしてみれば北九州など交易による利権と
大陸への交通路の確保のみ保たれてればとりあえず
役割を果たしていたのだと思います。わざわざ
兵を繰り出して制圧するリスクを負うよりそちらのほうが
都合がよかったのでしょう。邪馬台国・卑弥呼を
泳がせておけば勝手に北九州の統治や狗奴国との
戦いをやってくれますしね。そして狗奴国と邪馬台国が
力を削りあってから頃合を見て邪馬台国圏の北九州を
まず吸収して、邪馬台国との戦いで力を削がれた
狗奴国(熊襲)を征伐するという筋書きだったのでしょう。

732 :日本@名無史さん:2005/08/16(火) 10:29:23

ト骨には後期には中国の影響で亀が使われているんじゃなかったですか?
いずれにしても、鹿はそのまま狩猟の対象でもあっただろうから、祭祀にも
使い易いという面は強い

733 :日本@名無史さん:2005/08/16(火) 10:31:09
>一大卒はやはり邪馬台国から派遣されたものだと
>思われますが

そうか?漏れは明らかに女王国以外の北の勢力の話に思えるが

734 :16歳中卒ヒッキー ◆HCmIhYMlyc :2005/08/16(火) 10:31:55
あの鹿の骨焼いて占う奴ですか?
あれって縄文時代じゃなかったですっけ?

735 :16歳中卒ヒッキー ◆HCmIhYMlyc :2005/08/16(火) 10:35:03
>>733
伊都国に常駐してると言ってますし
一大卒を「置いて」諸国を検察してるとも言ってますし
邪馬台国ではないでしょうか?
畿内政権だとしたらもう少し詳しい情報が書かれてるはずです。
学界でも邪馬台国が派遣したものだというのが通説らしいですが

736 :日本@名無史さん:2005/08/16(火) 10:36:43
>734藤原や阿比留の祖先はこの占いをしてたらしい、
神武と一蓮托生の仲

737 :圭角:2005/08/16(火) 13:11:53
宇佐説について一言。
 狗奴国を熊本に比定する説はいわば九州説においては通説定説だと思います。
この場合、邪馬台国は狗奴国と阿蘇久住の山々を挟んでいや越えて、相攻撃して
いたということになってしまいます。
 これは、私に限らず、地理地勢からして非常に現実味が乏しいことだと、
九州の地理に明るい方ならば、九州住人ならずとも、自明のことと考える方々が
多としてよいことです。
 現在現代においても、離島を除けば、熊本から宇佐の間がもっとも移動時間を
要する地域関係にあります。
 邪馬台国の比定においては、狗奴国との攻防の地理関係考察という点が重要と
思料します。

738 :日本@名無史さん:2005/08/16(火) 17:03:53
その意味でも宇佐はちょうどいい位置にあると思うが

739 :16歳中卒ヒッキー ◆HCmIhYMlyc :2005/08/16(火) 17:40:13
邪馬台国は北九州だったと思いますが
壱与の死後は大和朝廷に形式上は服属してますが
各地域の首長の権限は強かったと思います。
いわゆる戦国時代と似たような感じだったと思います。
大和朝廷側としても邪馬台国のときと同じように
下手に争うより同盟関係を結んで北九州と交易を
したほうがよかったのだと思います。しかし継体天皇の
時代にご存知のように筑紫の磐井さんが北九州諸国をまとめ
反乱を起し失敗。このときに完全に卑弥呼の時代から続く
北九州連合国家は大和朝廷にひれ伏したのだと思います。
それまでは大和朝廷は北九州に対し宥和政策をとっていたのだと
思います。

740 :プラム ◆RvhHf7kqyY :2005/08/16(火) 18:09:07
「ヒッキー」君
大筋の流れに同意しますよ

741 :16歳中卒ヒッキー ◆HCmIhYMlyc :2005/08/16(火) 18:47:03
>>740
若輩者の僕の意見なので説得力に欠けますがね。
まだまだ勉強不足です。ただ企業と一緒で
国家の行動もメリット・デメリットを比較考量して
最適なポイントで行動しようとするはずなので
この前提に即して邪馬台国や畿内政権の動きを
見ていけば真実に近づけると思っています。

742 :本田:2005/08/16(火) 21:57:32
>>739 :16歳中卒ヒッキー ◆HCmIhYMlyc :2005/08/16(火) 17:40:13
>しかし継体天皇の時代にご存知のように筑紫の磐井さんが北九州諸国をまとめ反乱を起し失敗。
>このときに完全に卑弥呼の時代から続く北九州連合国家は大和朝廷にひれ伏したのだと思います。
>それまでは大和朝廷は北九州に対し宥和政策をとっていたのだと思います。

近畿の勢力(秦王国、伊勢国)は小勢力なので、
統一新羅ができるまでは九州をコントロールなんて、
できなかったと思う。
逆にコントロールされたんじゃないの?

>1.或は云わく「日本は旧小国、倭国の地を併す」と。
>其の人の入朝するは、多く自ら矜大。
>実を以て対えず。
>故に中国焉を疑う。
http://www2.odn.ne.jp/~cbe66980/Main/WAandNIPPON1.htm

743 :日本@名無史さん:2005/08/16(火) 22:02:33
ウガヤ朝をどうみますか?
記紀書いた人がもっとも重点においたのが
このウガヤ朝の存在を消し去ることだったように思います・・・・・・・

744 :日本@名無史さん:2005/08/16(火) 22:18:20
神武は畿内でナガスネヒコが反乱起こしたので畿内成敗に
赴いたんだんじゃなかったけ・・

745 :日本@名無史さん:2005/08/17(水) 00:46:17
そもそも、大陸と圧倒的に交流しやすいという1点だけでも九州説のほうが
100倍有力なんだけどね。
畿内説は相当頑張らないとねw

746 :日本@名無史さん:2005/08/17(水) 01:14:24

単純馬鹿の典型だね。( ´,_ゝ`)プッ


747 :日本@名無史さん:2005/08/17(水) 01:32:46
>>745
じゃあなんでその後大和政権ができたんだ?
俺は九州説だが、おまえのような単純思考が一番きにくわん

748 :日本@名無史さん:2005/08/17(水) 01:45:57
そういう問題じゃないだろ。

749 :日本@名無史さん:2005/08/17(水) 01:47:06
>大陸と圧倒的に交流しやすいという1点だけでも九州説のほうが100倍有力
これは否定できないね

750 :日本@名無史さん:2005/08/17(水) 01:48:25
ただ、それだと大和朝廷が出来た意味が無いよな。
小学生レベルの意見としては聞くが・・

751 :日本@名無史さん:2005/08/17(水) 01:49:21
???

752 :日本@名無史さん:2005/08/17(水) 01:50:40
実際には世間に流布されている情報はそのレベルではあるな


753 :日本@名無史さん:2005/08/17(水) 01:51:44
???

754 :日本@名無史さん:2005/08/17(水) 01:55:03
大和朝廷ができたのは「魏志倭人伝」の後だぞ。
九州から追い出された負け犬の大和人が
しかたなく奈良につくったのが大和朝廷。

755 :日本@名無史さん:2005/08/17(水) 01:57:47
大和朝廷が九州の負け組?
妄想にしてももっとまともなの頼む・・
小学生か

756 :日本@名無史さん:2005/08/17(水) 01:59:43
>>754
それを正しいと考えると前後の歴史が
オカルトチックなこじつけ論になりがち。

757 :日本@名無史さん:2005/08/17(水) 02:30:07
何を言ってるんだ
奈良の皇子は、九州のクマソタケルを倒して、初めてヤマトタケルと名のれるようになったんだよ。
つまり日本の有名な伝説でも、九州に勝つまでは奈良は負け組みだったと
言い伝えられているということ

758 :日本@名無史さん:2005/08/17(水) 02:45:49
タイトルなんて読むんでちゅか?

759 :日本@名無史さん:2005/08/17(水) 02:50:32
たしかに九州に負けて、東京に負けて、負組み奈良に邪馬台国があったわけがないなw

760 :日本@名無史さん:2005/08/17(水) 02:51:49
タケルってのは一つの三種の神器のような日本の正当なる支配者を
表彰する言葉には感じるよな、関東の大王もこのタケルというのを
名乗っていたらしいな。

761 :日本@名無史さん:2005/08/17(水) 02:52:42
わざわざ大陸のエリートが負組みの地(畿内)へ行く理由もないしね

762 :日本@名無史さん:2005/08/17(水) 02:54:30
勾玉が出雲族?鏡がヤマト?剣が熊蘇(タケル)?
そんな気がする。馬鹿学者のように断定論は展開したくない。

763 :日本@名無史さん:2005/08/17(水) 02:56:53
ヤマトタケル神話にまで否定される畿内説

764 :日本@名無史さん:2005/08/17(水) 02:57:08
弁天とは加羅の事をいうわけだけど美人と評判だった。
辛島さんは美人だったのかな

765 :日本@名無史さん:2005/08/17(水) 03:07:09
弁韓ってのはつまりスイスみたいなものかな、
辰韓、馬韓、倭の中立国

766 :日本@名無史さん:2005/08/17(水) 03:09:19
神武の前にウガヤがいて、これが半島の弁韓と絡んでいる以上、
ここを解決しない事には天孫が半島系か倭系かハッキリせんわけよ。


767 :日本@名無史さん:2005/08/17(水) 03:13:25
カヤは別としても金官である以上多少北方系が混じったのが
神武かもしれない。しかしまだこの頃は未だジャパンレッドの時代。
大王から天王に変わる時にまた新羅の血が濃くなると思う・・

768 :日本@名無史さん:2005/08/17(水) 03:52:08
邪馬台国は九州北部にあって、天皇は女性だった。
しかし、邪馬台国の南にあった大国クナ国との戦に敗れて畿内に逃げた。
ここで重要なのは
邪馬台国(ヤマタイコク)とクナ国という国名から容易に想像できるが
もともと九州で一番の強国はクナ国で伝統的な正当性も有していて
邪馬台国(ヤマタイコク)はクーデターを起こした側だったということ


769 :日本@名無史さん:2005/08/17(水) 03:56:15
http://www.komisen.net/jomon-e.htm
土偶が熊本に多いのは何か関係があるか・・
しかし、水郷であり、水難の地、水天宮の地筑後平野に
遺跡が残りにくいというのは何かこの辺にも原因がありそう

770 :日本@名無史さん:2005/08/17(水) 03:56:17
天皇はもともと女性だったというのも容易に想像できるだろう。
天皇に関係のある言葉
例えば、「みやび」「みこと」などは現在でも女性的な意味で使われているから。

771 :日本@名無史さん:2005/08/17(水) 04:11:32
ヒコというのは男を表すな

772 :日本@名無史さん:2005/08/17(水) 04:25:27
http://www.e-obs.com/heo/heodata/n379.htm
縄文人の形質で既に差異が生じている件。
近視婚の結果。


442 :出土地不明 :2005/08/17(水) 04:17:22 ID:y4k72Eti
 縄文人の骨が数多く発見された遺跡は後期人で、
岡山県津雲貝塚や愛知県吉胡貝塚などである。この後期人
と九州の後期人の比較をしてみると、明らかに特徴がでている。
まず頭であるが、本州の縄文人は大頭で頭長幅指数(頭の長さと
幅の関係)から中頭形、これに対して西北九州は長頭形、
東九州は短頭形となる。つまり、西北九州の縄文人の頭は長く、
東九州では円い。そして本州の縄文人の頭はその中間となるのである。
〈縄文人の顔と体〉

本州の縄文人は大頭で
本州の縄文人は大頭で
本州の縄文人は大頭で
本州の縄文人は大頭で

773 :日本@名無史さん:2005/08/17(水) 04:33:26
http://inoues.net/ruins/uenohara_museum.html
九州の縄文人は元々東日本のような形状ではなく
弥生時代の土器と変わらない。
基本的に弥生時代と縄文時代に大した区切りはないの

774 :日本@名無史さん:2005/08/17(水) 05:00:00
東日本では縄文と弥生の遺跡の区別がハッキリ目にみえるが
西日本では殆ど区別がつかない、殆ど時代に差異が
みられない、分ける必要せいさえない。そういう状態。
東京からみる視点で西を朝鮮認定するのをやめれ。

775 :日本@名無史さん:2005/08/17(水) 07:16:38
なんやかやで夏休みもあと半月なわけです。

776 :16歳中卒ヒッキー ◆HCmIhYMlyc :2005/08/17(水) 07:33:04
とりあえず4世紀以降の
日本のイニシアチブは畿内政権に
あったと思うわけです。

777 :日本@名無史さん:2005/08/17(水) 09:43:53
>>768
俺もそう思う

778 :オイルふえち:2005/08/17(水) 11:31:35
渡来人がほとんどの地域の開発をやったのは、女王国が和をもってとうとしとするの、
精神が出来上がっていた。

779 :16歳中卒ヒッキー ◆HCmIhYMlyc :2005/08/17(水) 11:48:26
だいたいこれまでの議論の末
おおよその答えは見えてきましたね。
ということで、さて僕もそろそろ
現実世界に戻り真面目に頑張りますかな。
もうあと20年くらい年とってからすることだわ。
古代史の研究なんて。今勉強すべきことじゃないことに
気づきました。

780 :日本@名無史さん:2005/08/17(水) 18:45:36
>>768
いやいや違う。
邪馬台国は魏という後ろ盾を持ち、最新の鉄器(最終兵器!)で武装した
強力な連合国だった。 
畿内王朝を恫喝し蹂躙して乗っ取ったんだよ。

>>779


781 :日本@名無史さん:2005/08/17(水) 18:58:26
>>780
俺も鉄器は一つの最終兵器だと思っていた、しかしどうも
鉄器の起源は紀元前7世紀豊国縄文遺跡にまで遡る古いものだ
それに鉄器の中心地はタケルの故地、熊本。
これらは縄文時代から炭素有機分を完全に取り除き薄手の土器を
作る技術のあった九州縄文人が独自に編み出したものであろう、
それにカヤの鉄鉱山も倭が独自開発したのかもしれん。
鉄器については考えを改める必要がある。

782 :日本@名無史さん:2005/08/17(水) 20:25:36
八幡は本来ヤハタとよむ、このヤハタ、ハチマンの地名は
豊前の北に集中している、
これが宇佐のシャーマン信仰と
結びついたのではないか。
九州に他に八幡の地名があっただろうか?
本州の方が多いだろう。
そう本州は八幡の征服地なのである。

783 :本田& ◆xOS3wf.pJg :2005/08/17(水) 22:29:45
>>754 :日本@名無史さん :2005/08/17(水) 01:55:03
> 大和朝廷ができたのは「魏志倭人伝」の後だぞ。
> 九州から追い出された負け犬の大和人が
> しかたなく奈良につくったのが大和朝廷。

大和朝廷の起源は白村江の敗戦後の統一新羅の統治だ。
朝廷の語源は朝鮮王の庭とゆう説もあるぐらいだから。
奈良時代の正装はチョゴリだし。

784 :日本@名無史さん:2005/08/17(水) 22:42:01

いずれにしても天皇は何度か民族が変わっているな、
しかも、最終的に日本を統治したのは
畿内と関東の藤原と
関東の源氏。

785 :日本@名無史さん:2005/08/17(水) 23:06:52
簡単に割り切れるような勢力があったわけではないと思う。
現代の永田町の政治でもそうだし、南北朝の時代でも北朝系の人が
南朝を名乗っていたりしてるわけで・・

786 :tociguri:2005/08/17(水) 23:58:43
>>782 八幡は yahata,yafata,yabata とも読めるが、邪馬台国と関係があるかも
知れない。邪馬台 yamatai=八幡 yabata?説もあるだろう。

 そうすると大和=八幡とも言える。




787 :日本@名無史さん:2005/08/18(木) 00:13:14
宗像3女神と弁才天(サラスバティー)が同時に習合神として祀られているが
これって弁韓人なんじゃねーのかな。。
もちろん仏教と神道が直接結びつくわけはないのですが。

788 :圭角:2005/08/18(木) 18:59:37
このスレのタイトルの、魏志倭人伝等を読む、邪馬台国はどこか、という本来の
命題に戻っていただきたく思います。
たしかに、当該スレは等とはなっておりますが、スレもこの他にも特化したスレが
あることはご案内の通りです。邪馬台国に関連するスレは他にいろいろあります。
ならば、それぞれのスレタイトルに則った議論を期待したい次第です。
そうでなければ、話の焦点がぼやけてしまうのではないでしょうかね。

789 :日本@名無史さん:2005/08/18(木) 19:35:14
http://www.ne.jp/asahi/wacoku/tikushi/prolog01.htm
磐井、薩野摩、火君、火中君って
明らかに狗奴国ぽくないですか?
これって狗奴国政権なんじゃないの?
牟田(ムタ)=湿地帯の分布とも一致しますし

790 :日本@名無史さん:2005/08/18(木) 20:17:30
>>788
初めてまともなことを言ったなあ。

791 :日本@名無史さん:2005/08/19(金) 00:38:10
>>786
邪馬台国って魏志東夷伝、つまり中国語で書かれた文書でしょ。
なんで日本語読み(やまたい)で解釈するの?

と、「逆説の日本史」に書いてあったww



792 :tociguri:2005/08/19(金) 07:47:43
>>791 魏志倭人伝が中国語で書かれていても倭国の国名、人名、官職名などは
日本語を漢字で表記した当て字だからだ。邪馬台とか卑弥呼などという中国語は
ないだろう。

 邪馬台国は朝鮮半島の彼方に存在した島国で対馬、壱岐の先にあったこと
から九州と考えられるので、邪馬台(国)という国名は日本語(倭語)と思われ
日本(倭国)に中国語の地名や人名があるはずがない。そして邪馬台という国名
は中国には存在しない国名だ。

 邪馬台の発音がヤマタイなのか、ヤマト、ヤハタその他なのかは中国語では
分からず、日本語でどう読むかが問題なのだ。





793 :日本@名無史さん:2005/08/19(金) 21:05:48
>>792
日本の国名を東夷伝=中国語で当て字しているのに、どうして日本語読みするのかってこと。

東夷伝は古代中文。中文は中文で発音するのが正しい。
日本語の漢字の単語だって、中国語で読めるからといって中国語で発音したら、
もう日本語じゃない。そういうこと。


例えばアメリカ英語の野球は「Base Ball」。
日本語ではこれを、「ベース、ボール(Beisubooru)」と当て字している。
しかし上記を英語読みするとすれば、多分「バイシュ、ボァーゥ(ル)」
でもアメリカには「バイシュ、ボァーゥ(ル)」というものは存在しない。
英語で発音できても、Beisubooru(べース ボール)は完全に日本語。

当て字した日本を「魏」、Base Ballが存在したアメリカを「古代日本」、Base Ballを「邪馬台」と
置き換えてもらえば理解してもらえるだろうか?


本の受け売りで申し訳ないが、魏志東夷伝に出てくる他の国名「好古都国」「対蘇国」は
中国語では「ほかた」「とさ(とす)」と発音するそうだ。

794 :日本@名無史さん:2005/08/19(金) 22:39:00
こんなんでも渡れるもんだなぁ・・・・
意外に簡単だったのかもしれない。命の保証はないとしても。

ゴムボートで釜山から対馬 不法上陸の米国人を逮捕
http://flash24.kyodo.co.jp/?MID=HKK&PG=STORY&NGID=soci&NWID=2005081901005625


795 :日本@名無史さん:2005/08/19(金) 22:57:06
>>793

>中国語では「ほかた」「とさ(とす)」と発音するそうだ。

どこのキチガイがそんな読み方するって言ったんだ。

796 :tociguri:2005/08/19(金) 23:59:59
>>793 どうもその逆説の日本史の趣旨がよく理解できません。

 マルコポーロの東方見聞録に zipangu と書いてあってこれを日本国の
ことだと推定するのはおかしいと言っているようなことなんでしょうか?

 邪馬台国を現代の漢音や呉音でなく古代中国語音(魏音)でアクセントや
有気音、無気音の区別まで考慮して読めという話ですか?そいういう研究も
どこかにあった記憶がありますが(中国人による研究)。

 それによると窮臣国という発音だけが特殊でこれは中国人の国だ、という
奇想天外な説を展開しておりました。



797 :tociguri:2005/08/20(土) 00:11:55
外国人による日本の固有名詞表記は当然、不正確なものがあり、江戸 yeddo
長崎 nangasak 都 meaco 西宮 bisiloubiya などと書いてありますね。

 この不正確な表記から日本語を復元するのはパズルのようなものになる
のは仕方がありません。



798 :日本@名無史さん:2005/08/20(土) 02:16:47
>>796

> 邪馬台国を現代の漢音や呉音でなく古代中国語音(魏音)でアクセントや
>有気音、無気音の区別まで考慮して読めという話ですか?そいういう研究も
>どこかにあった記憶がありますが(中国人による研究)。

そんなようなこと。
俺は中国語には詳しくないので、それ以上コメントはできない。

当時、中文で書かれた文章中の地名の当て字は、中文の発音で読んでドコの話を
しているか考えるべきだという説明には、俺には説得力があった。

799 :日本@名無史さん:2005/08/20(土) 08:08:18
>>798
夏厨真っ盛りの2chならともかく、そんなこった世間じゃ常識だろうが!
通俗向け売文野郎の受け売りなんか自慢気に披露すんな。


800 :日本@名無史さん:2005/08/20(土) 09:06:03
「九州説を主張するサイト」は数多くの人がたてていますよ。
古田武彦氏もその一人。

「九州王朝」でサイトを検索して、
又そこに出てくるキーワードを再検索すれば、
九州王朝についてのサイトやHPは続々と出てきます。
九州王朝批判のサイトも見つかります。

九州王朝に関するサイトやHPでは、
中には大和朝廷説派の立ち入り書き込みを規制しているところもあります。
大和朝廷説派が誹謗中傷のアラシをするからです。

ただ、どの九州王朝に関するサイトも学術的なものが多いですから、
初心者入門レベルでは理解し難い内容です。
最初は前述等の書籍(サイトでも書籍の紹介ページがあります。)から取り付くのが良いかと思います。



http://www2.odn.ne.jp/~cbe66980/



171

801 :日本@名無史さん:2005/08/20(土) 12:12:57
福岡、佐賀、長崎一帯、大分の日田にも未だに沢山、
隈、神(クマ)を始め古い地名があるので
この辺一帯も狗奴国の領土だったはずです。
佐賀地方だけではなく、
筑後地方、豊後地方でも土蜘蛛、熊襲と
大和朝廷の大規模な戦闘があったそうですね。

ところで伽耶{かや}って関東の○○カヤに似ていますね。
後付けで偽装したんじゃないですか?
九州に{かや}の地名は見あたりません
狗邪韓国が正しい国名では?



802 :本田:2005/08/20(土) 12:31:44
>>792 :tociguri:2005/08/19(金) 07:47:43
> >>791 魏志倭人伝が中国語で書かれていても倭国の国名、
> 人名、官職名などは日本語を漢字で表記した当て字だからだ。

卑弥呼は遼東の公孫氏だから卑弥呼が古代の日本語を話していた証拠は無いよ。

803 :日本@名無史さん:2005/08/20(土) 12:36:42
卑弥呼が公孫氏?どこの情報ですかそれは?w

804 ::2005/08/20(土) 13:00:21
公孫←→皇孫  だったか・・・・・

805 :日本@名無史さん:2005/08/20(土) 13:14:56
>>802

キチガイ野朗w

806 :日本@名無史さん:2005/08/20(土) 13:16:00
ttp://www.geocities.co.jp/SilkRoad/2091/wajin.html

発音はこちらで調べてね

807 :日本@名無史さん:2005/08/20(土) 13:18:44
「晋書(しんしょ)」 巻九十七 「四夷伝(よんいでん)」 中に、
 [争乱に明け暮れる「倭」に一人の女王が擁立(ようりつ)され王となって
乱が収(おさ)まった。その女王の名を「卑弥呼」と云う。彼女は、かつて
  「西晋(せいしん)の始祖・宣帝(せんてい)」に滅ぼされた「公孫氏」で
  あった] と明記されている。

畿内派が正解で卑弥呼が天皇家と関係があるとしたら、天皇はそのまま公孫氏だということになるね。
苗字かないのも、氏があまりにも有名すぎたからかな?


808 :日本@名無史さん:2005/08/20(土) 13:41:00
しんしょ、よんいでん。
とても、微笑ましい表現だw

809 :日本@名無史さん:2005/08/20(土) 17:57:38
晋書 四夷伝

乃立女子爲王名曰彌呼、宣帝之平公孫氏也、其女王遣使至帶方朝見

810 :日本@名無史さん:2005/08/20(土) 18:58:00
しんしょ よんいでん by 山形明郷

811 :日本@名無史さん:2005/08/20(土) 21:01:04
>>809
ヤフで機械翻訳してみました。

そこで立った女子は王名のために弥が吐くと言って、宣帝の平公孫氏、
その女王は方面を持つことに至ることを使うことを遣わして謁見して

812 :日本@名無史さん:2005/08/20(土) 22:22:05
>>809

訂正します。(曰→卑)

晋書 四夷伝

乃立女子爲王名卑彌呼、宣帝之平公孫氏也、其女王遣使至帶方朝見

813 :日本@名無史さん:2005/08/20(土) 22:36:44
邪馬台国なんて国は、中国文献にはまったくなし。本居宣長の作った妄想。
魏志倭人伝をみてみ。


814 :日本@名無史さん:2005/08/20(土) 22:47:58
>>813
そう主張したいなら、素人にも直ぐ分かるような
何かの証拠を出してください。

815 :日本@名無史さん:2005/08/21(日) 00:11:01
>>814
倭人伝は邪馬壱国だろが。証拠も何もないぞ。

816 :日本@名無史さん:2005/08/21(日) 00:52:57
三井寺ってなぜ不気味な新羅の神を祀っているのでしょう?
調べてみると戦国時代この寺、何度も焼かれ改築され今に至っていますね。
三井とは本来先住民族に近い信仰だった筈です。

817 :日本@名無史さん:2005/08/21(日) 10:10:39
天皇は新羅が擁立した傀儡王です。
日本という国号も新羅により名づけられました。
白村江の敗戦後、唐と新羅の関係悪化により
大和朝廷が親新羅派にすべく、天武が擁立されたのです

818 :日本@名無史さん:2005/08/21(日) 12:59:40
韓国の方4000里tってのが半島をななめにみたものなら4000里ぴったりで、州故(チェジュ島)を西にしてるのとも符号する。
とすると、帯方郡からの7000りっていうのは半島を、いったん西南の端までの海路+クヤ国までの海路で7000
対馬までを1000りとしたのは海流にすこし流されたからか?
そうすると倭国の周旋5000っていうのはかなり小さい島になりそう



819 :tociguri:2005/08/21(日) 14:05:48
>>818

  5000÷π≒1600 で直径1600里程度の島なのだろう。狗邪韓国〜末羅3000里の
半分程度だが、そんな島は見当たらないので北九州だけの周旋ではないか?




820 :16歳中卒ヒッキー ◆HCmIhYMlyc :2005/08/21(日) 14:15:58
南九州は狗奴国の勢力化なので計測できるわけないでしょ。
邪馬台国はほぼ北九州で決まりでしょうが、これを実証するだけの
証拠をどうやってそろえるかが重要でしょう。
あと4世紀以降の邪馬台国はどうなったかも・・
のちの磐井さんが邪馬台国の流れを汲んでいるのかどうか・・

821 :日本@名無史さん:2005/08/21(日) 17:46:11
3世紀魏志東夷伝もちゃんと読んで、魏は半島の天君制に
つき言及している、これは魏がみた倭にはない制度である。
天君=天皇というのであれば天君は何時、どこから入ったか
よく検証されるべきだろ?
少なくとも国家権力はこれを九州北部に入った、つまり北部九州人
は朝鮮人で俺等はそれに征服された縄文人だとしたいようだが
北部九州は熊襲勢力の一大勢力があったことは間違いないとみてる。
日本でもっとも古い古代神を祀る地域であろう。
日本人とは倭人ではない日本人とはこの列島に帰化した半島人である。

822 :tociguri:2005/08/21(日) 18:00:39
>>821 半島人と言っても言語が日本語と朝鮮語には何の関係も無いので現在の朝鮮
人とは別の種族なのだろう。

 百済との関係が密接だったので百済人、百済語が日本人と関係ありそうだが、
百済人は高句麗と同族と言われている。

 何しろその百済語、高句麗語が殆ど不明なので日本との関係も闇の中だろう。


823 :日本@名無史さん:2005/08/21(日) 20:25:38
乃ち女子を立てて王とす。名は卑彌呼。宣帝の公孫氏を平らぐるや、
其の女王、使を遣はし、帶方に至りて朝見す
(しんじょ、しいでん)


824 :日本@名無史さん:2005/08/21(日) 20:31:42
>>823
ソースは?

825 :16歳中卒ヒッキー ◆HCmIhYMlyc :2005/08/21(日) 20:37:23
公孫氏ってあの三国志にも出てくる
公孫讃の一族ですか?

826 :日本@名無史さん:2005/08/21(日) 21:11:15

そうです。
でも、卑彌呼は公孫氏では無い。
>>807の様な超真正キチガイ野朗の言う事を信じるなよ。

827 :16歳中卒ヒッキー ◆HCmIhYMlyc :2005/08/21(日) 21:20:22
徐福=神武天皇 だというのは妄想ですか?w

828 :日本@名無史さん:2005/08/21(日) 21:34:18

妄想です。

829 :日本@名無史さん:2005/08/21(日) 21:55:47
>>826
ちがうだろ

830 :日本@名無史さん:2005/08/21(日) 22:17:27
断片的な知識じゃとてもとけないような代物だろうな・・
そもそも、全ての日本の歴史書は、かつてあった
北朝鮮以上の独裁国家により歪曲されたのは偽書であることは間違いない。
アマ(天、雨、尼、海女)一つに関しても何が真実か
相当な資料と考察が必要だと思われます。

831 :本田:2005/08/21(日) 22:27:58
卑弥呼は遼東の公孫氏。

>晉書卷九十七 列傳第六十七 四夷 倭人

>漢末,倭人亂,攻伐不定,乃立女子為王,名曰卑彌呼。
>宣帝之平公孫氏也,其女王遣使至帶方朝見,其後貢聘不絶。
http://www.geocities.jp/intelljp/cn-history/shin/wa.htm

832 :日本@名無史さん:2005/08/21(日) 22:32:32
「天」と「雨」は同源。
「尼」は梵語で母の意味のambaの音写。
「海女」はアマメの略。

833 :日本@名無史さん:2005/08/21(日) 22:38:43
>>831

アホか。

「乃ち女子を立てて王とす。名は卑彌呼。宣帝の公孫氏を平ら
ぐる也(や)、 其の女王、使を遣はし、帶方に至りて朝見す」

↑のどこをどう読むと卑弥呼が遼東の公孫氏になるんだ?

834 :日本@名無史さん:2005/08/21(日) 22:39:33
大日本帝国が独裁国家であったのかは知らんが、
明治以前にも多くの史書が出版されてるので、歪曲はないだろ

835 :日本@名無史さん:2005/08/21(日) 22:44:08
>>834
明治人がどれだけ真実を知っているか?
また、その情報発信者が天皇に近い筋の人間であることも
見逃してはならない。

今古代氏姓を名乗っているのは
殆どが畿内、関東の帰化系の人物で
ある事はほぼ間違いないんだよ。
朝鮮人に本当の倭国の歴史が語れるわけないだろ

836 :日本@名無史さん:2005/08/21(日) 22:44:38
ヒソヒソヒソヒソ・・・・

837 :本田:2005/08/21(日) 22:58:26
>>831
名を卑彌呼と曰う。
宣帝の平らぐる公孫氏なり、

素直にこう読む。
日本史オタクは変な読み方をするみたいだけど。

838 :日本@名無史さん:2005/08/21(日) 23:07:45
>>837
確かにそうかもしれません.
それらを裏付けする資料は他にないでしょうか?

839 :本田:2005/08/21(日) 23:45:06
>>838
前にも書いたけど。
壹と台の使い分けに注目して。

公孫氏の卑弥呼は、燕の植民地である邪馬壹国の女王。
植民地だから邪馬壹国と書いて、邪馬台国とは書かない。

840 :日本@名無史さん:2005/08/22(月) 00:03:53
>>837

もっと中国語勉強しろ。

841 :日本@名無史さん:2005/08/22(月) 00:06:20
「之」は「至る」とよみます。したがって、

「乃ち女子を立てて王とす。名は卑彌呼。宣帝、公孫氏を平ら
ぐるに至るなり、 其の女王、使を遣はし、帶方に至りて朝見す」

の方が良いでしょう。

842 :日本@名無史さん:2005/08/22(月) 00:16:11
魏明帝景初二年、司馬宣王之平公孫氏也、倭女王始遣大夫詣京都貢獻

「魏明帝景初二年、司馬宣王、公孫氏を平らぐるに至るなり、
倭女王、大夫を始めて遣わし、京都に詣でて貢獻す」

843 :日本@名無史さん:2005/08/22(月) 00:17:49
邪馬台国は滋賀県大津市ってことで。

844 :日本@名無史さん:2005/08/22(月) 00:25:07
>>837

変な読み方してんのは
お前だろ(´,_ゝ`)プッ

845 :太国:2005/08/22(月) 00:25:32
>>843
そこに女王国はない。

846 :日本@名無史さん:2005/08/22(月) 00:37:07
ん、、やっぱり卑弥呼が公孫氏とは読めない
卑弥呼の朝貢を時系列で表現したいのだろう。
公孫氏を平した帯方に、卑弥呼の使いから朝見があり、
その後、音信不通になったと言っているようにみえる。

847 :日本@名無史さん:2005/08/22(月) 00:54:08
ここにはまともに読めないヤツばかりか・・・・orz
ネタと信じたい・・・・

>公孫氏を平した帯方に、

>>833 参照

>其後貢聘不絶。

その後、貢聘絶えず=朝貢が絶えることはなかった。


848 :日本@名無史さん:2005/08/22(月) 01:01:33
遼東半島で滅ぼされた公孫氏の傍流か家臣だろう。
魏志と晋書では編纂王朝が違うから、視点が異なる
点に注意すべき。
壹国の卑弥呼は自分達で「天孫」とでも改名したんだろね。
倭の五王の中には、先祖の有名人公孫讃を偲んで「讃」を
名乗った奴もいるし。
朝鮮の王達も中華からの逃亡者が多い。あの孔子でさえ、
極東に逃げてしまいたいといってたからな。

今の天皇家の形式上の先祖、神武天皇は更にその傍流か、外戚になると
思われる。(実際は何度か血脈断絶してるんで今のはメイドインジャパン
では? )
旧唐書には、はっきり日本国はもと小国の倭人の別種ってなってるからね。

849 :日本@名無史さん:2005/08/22(月) 01:15:52

超弩級キチガイの登場です。

850 :日本@名無史さん:2005/08/22(月) 01:21:15
近畿天皇家はチョンに決まってるでしょ。

851 :日本@名無史さん:2005/08/22(月) 01:21:58
>>848
>倭の五王の中には、先祖の有名人公孫讃を偲んで「讃」を
>名乗った奴もいるし。

公孫瓚の「瓚」と五王の「讃」は字が違うでしょw

852 :日本@名無史さん:2005/08/22(月) 01:22:43
>>848
天孫というのはかなり後から天皇系が朝鮮からパクったものだと思います。
この当時天孫というのはない。
>旧唐書には、はっきり日本国はもと小国の倭人の別種ってなってるからね。
ここは同意、日本は倭ではない。
なのになぜ日本人が作った天孫逸話が倭なの?
>>847
なにか不自然な文章だと思います。
中国人固有の言い回しでしょうか?

853 :日本@名無史さん:2005/08/22(月) 01:26:14
天皇家は中国産にあらず。朝鮮産のものです。

854 :日本@名無史さん:2005/08/22(月) 01:29:03
ハタさんは新羅からきましたが、彼らは元々は中国産だと思います。
スサノオさんが本家本元の北方系ではないでしょうか?


855 :日本@名無史さん:2005/08/22(月) 01:36:28
まあ、イギリスもドイツ人の王様だし、いいんだけど。人の国の皇室を
中国産だ、朝鮮産だと安物の時計か、バッタモンのように言いやがって(藁

てめえら両方とも既に王様・皇帝いないんで、羨ましいだけなんだろ?
千年以上立ってんだ、血はもう日本種と同化してるぞ。藤原とか平とか入っ
てるんだから。競馬の血統でもいうだろ。

856 :日本@名無史さん:2005/08/22(月) 01:40:06
晋書 四夷伝
【乃立女子爲王名曰卑彌呼宣帝之平公孫氏也其女王遣使至帶方朝見】

なんじ女子を立てて王となす、名を卑彌呼という、宣帝が公孫氏を平定に
至る也〔や・なり〕 その女王が使を遣はし帶方に至りて朝見す

通典 倭人条
【魏明帝景初二年司馬宣王之平公孫氏也倭女王始遣大夫詣京都貢獻 】

魏の明帝景初二年に司馬宣王が公孫氏を平定に至る也〔や・なり〕
倭の女王が大夫を始めて遣わし京都に詣でて貢獻す

857 :日本@名無史さん:2005/08/22(月) 01:49:29
訳文ありがとうございます。

858 :日本@名無史さん:2005/08/22(月) 03:24:08
>>837

なにが「素直にこう読む」だ

訳し方間違ってるじゃんかボケw

859 :日本@名無史さん:2005/08/22(月) 04:10:33
>>839

だから卑弥呼は公孫氏じゃないってw

860 :日本@名無史さん:2005/08/22(月) 06:46:38
対馬、壱岐、伊都国、投馬国、狗奴国
伊邪国あり、次に都支国あり、次に弥奴 国あり、次に好古都国あり、次に不呼国あり、
次に姐奴国あり、次に対蘇国あり、次に蘇奴国あり、次に呼邑国あり、次に華奴蘇奴国あり、次に鬼国あり、次に為吾国あり、
次に鬼奴国あり、次に邪馬国あり、次に躬臣国あり、次に巴利国あり、次に支惟国あり、次に烏奴国あり、次に奴国

かつて、奴国連合があったことは確かなので奴国というのはつまりナカ国
倭国のナカの方にあるまさに太宰府近辺だと思う。
これは那珂川始め福岡県の各地に今も残る地名。
○奴国というのは邪馬台国の前の奴国連合の名残でしょう。
ということはつまりナカ国太宰府近辺は消えそうです。
そして狗奴国始め各国もかつて奴国に含まれていたと考えられる。

861 :日本@名無史さん:2005/08/22(月) 07:09:28
伊都国、伊邪国、壱岐国はイ国で繋がる。
伊都国は旧伊国のみやこで、伊邪国は邪魔者、伊都国から分裂した国、分割された国?
旧伊都国連合は博多周辺だと思う。
好古都国は邪馬台国、奴国の前のこの地域の要所、都だと思う。

対蘇国、蘇奴国は対になっていて隣国
華奴蘇奴国は蘇奴国と華奴国の合併した国
鬼国は旧奴国連合ではなく、鬼奴国は旧奴国連合。

狗奴国はやはり久留米か

862 :16歳中卒ヒッキー ◆HCmIhYMlyc :2005/08/22(月) 09:31:41
推論だけではもう埒があきません。
誰か国を相手どって天皇陵発掘禁止は違憲だという
裁判でもおこしてくださいw

863 :日本@名無史さん:2005/08/22(月) 09:35:55
憲法のどの条文だ?

864 :16歳中卒ヒッキー ◆HCmIhYMlyc :2005/08/22(月) 09:40:50
天皇は日本国民統合の象徴である とかいう条文でいいんじゃないですか?
戦前のように天皇は神じゃないんだし、天皇陵発掘を禁止する
理由がわからないと。まあ天皇が朝鮮からきたことがばれたら
困るので発掘禁止してるのでしょうがw

865 :日本@名無史さん:2005/08/22(月) 09:41:51
どの天皇が朝鮮から来たのか?

866 :16歳中卒ヒッキー ◆HCmIhYMlyc :2005/08/22(月) 09:49:17
応神や天武あたりが1番怪しいですねw
とりあえずもう文献史学でああだこうだと
推論をいうのは限界があるきがします。
天皇だけでなく皇族陵の発掘禁止なんて
皇族の神格化につながるんじゃないんですか?


867 :日本@名無史さん:2005/08/22(月) 09:51:26
あやしい理由は?

868 :日本@名無史さん:2005/08/22(月) 09:53:50
天皇と称した天皇は少なくとも半島由来だと思う。
畿内か出雲出身の物部も怪しい。
物部は磐井の乱の時、九州に降臨して焚書坑儒してる。
九州には物部の裔と言われる児玉の子孫は殆ど居ない。
東北に由来がありそう、末裔も多いそうな。
現代において全く語り継がれていない謎の神様、
久留米の高良山垂玉命に何かが隠されている。

869 :日本@名無史さん:2005/08/22(月) 09:55:45
天皇と称しない天皇っているのか?w

870 :日本@名無史さん:2005/08/22(月) 09:59:24
大王といっていた人は天皇ではないでしょ、
大王と言っている大王には天の字は全く付いていませんし
神武のようにイワレヒコのような土着っぽい別名(本名?)があります。

871 :16歳中卒ヒッキー ◆HCmIhYMlyc :2005/08/22(月) 10:00:19
>>867
応神は仲哀との血のつながりがあるようには思えません。
記紀を読んでも無理やり血のつながりがあるふうにかかれてます。
九州から東征して政権奪ってるし、河内に王朝置いて
さらに突然でかい古墳作ってるし明らかにそれ以前とは
別の王朝だと思うのです。おそらく朝鮮の王族が渡来したのではと。
天武も記紀に生没年が書かれてませんし、怪しすぎる。
記紀を編纂したのは天武なのになぜその本人の生没年が
かかれていないのか。。おそらく父親は天皇ではなく新羅の豪族だった
と思われます。当時の情勢から察してもそう思われても仕方ありません。

872 :日本@名無史さん:2005/08/22(月) 10:00:46
何かって何だい?

873 :16歳中卒ヒッキー ◆HCmIhYMlyc :2005/08/22(月) 10:02:01
天皇という称号も、日本国という国号もおそらく
天武の時代からつけられたものです。
新羅系の名称が名づけられたのだと思います。

874 :日本@名無史さん:2005/08/22(月) 10:04:15
WW >>871
朝鮮、新羅とかじゃなくって、ムー大陸んでねえの?w
ところで、その古墳って誰のための古墳なの?葬名は?

875 :16歳中卒ヒッキー ◆HCmIhYMlyc :2005/08/22(月) 10:06:01
つまりそういったことが詳しくわかってしまうと
韓国や北朝鮮から鬼の首をとったように所詮
日本の国王など我々朝鮮からの渡来した人間で
日本など朝鮮のコピーだと言われてしまうので
天皇陵発掘は禁止してると思うのです。

876 :16歳中卒ヒッキー ◆HCmIhYMlyc :2005/08/22(月) 10:08:26
>>874
葬名は詳しいことなどわかっていないのが現状です。
学問水準が低い時代に宮内庁のほうで勝手に
これは〜天皇の墓だと決めてしまったのでどれも
正確さを欠いています。

877 :日本@名無史さん:2005/08/22(月) 10:10:49
あっはっは?そのうちアフリカから渡来したんだろうといいだすのか?www

878 :16歳中卒ヒッキー ◆HCmIhYMlyc :2005/08/22(月) 10:13:01
まあ右翼団体の方々もうるさそうですしねw

879 :日本@名無史さん:2005/08/22(月) 10:15:44
何だろう、久留米の何かって?

880 :16歳中卒ヒッキー ◆HCmIhYMlyc :2005/08/22(月) 10:16:21
イギリスだってフランスの貴族が作った国なんだし
日本も朝鮮の王族が作った国でもいいじゃないですか。
宮内庁さん、天皇陵発掘しましょうよ♪

881 :16歳中卒ヒッキー ◆HCmIhYMlyc :2005/08/22(月) 10:19:38
久留米大学附設高校?

882 :日本@名無史さん:2005/08/22(月) 10:26:11
福岡県の地名の変遷ってないかな?
これがわかればかなり答え出そうなんだけど・・

883 :16歳中卒ヒッキー ◆HCmIhYMlyc :2005/08/22(月) 10:29:33
日向の二二ギノミコト陵なんか
発掘すると面白いでしょうね・・

884 :日本@名無史さん:2005/08/22(月) 10:30:06
>>880
中段 逆かもしれんぞ?

885 :日本@名無史さん:2005/08/22(月) 10:33:18
http://www.catv296.ne.jp/~sensyo/asakura.htm
甘木って明治以降ついたみたいね、
天孫降臨ストーリーでっち上げる為に作られたのかな

886 :16歳中卒ヒッキー ◆HCmIhYMlyc :2005/08/22(月) 10:33:59
大昔は朝鮮のほうが日本より先進国でしたし
逆は無いでしょう。100年くらい前はたしかに
日本が朝鮮を支配してましたが・・

887 :日本@名無史さん:2005/08/22(月) 10:49:12
神功の三韓征伐というのがあったような? >>886
どの点が先進国なのか?

888 :16歳中卒ヒッキー ◆HCmIhYMlyc :2005/08/22(月) 10:50:48
>>887
そんなものは架空の出来事だということは
とうに実証されてるはずですが・・
実際は敗戦で終わってますよそれ。

889 :日本@名無史さん:2005/08/22(月) 10:55:14
大化改新に筑紫国を筑前筑後に二分し、
「筑後国上管 御原・生葉・竹野・山本・御井・
三潴・上妻・下妻・山門・三毛」(延喜式民部條)の郡名が見えます。
約一、〇〇〇年昔に編された倭名抄ワ ミョウショウには、
「筑後国 御井郡 節原フシハラ・伴太トモタ・殖木フエキ・
弓削ユゲ・神代クマシロ・加駄カダ・大城オオキ・山家ヤマカ」
の郡内九郷村をあげています。 倭名抄時代の郷村は大半現存して
いませんが、大城・加駄ともに一、〇〇〇年の歴史を経て今日に
至っています。

890 :日本@名無史さん:2005/08/22(月) 10:58:14
>>888
証明がされてるわけがない。そんなことができるなら、女王国の在り処もとうに終止符だ

891 :16歳中卒ヒッキー ◆HCmIhYMlyc :2005/08/22(月) 11:06:23
>>890
朝鮮の資料で倭国が侵攻してきたが
撃退したと書かれてるはずですよ。


892 :日本@名無史さん:2005/08/22(月) 11:09:09
クマソ征伐の逸話は筑後、佐賀周辺に集中しています。
安本という奴は多分朝鮮系の帰化人なのではないでしょうか?
甘木、朝倉って明治以降の地名だし、江戸期以前の安(夜須)、安佐久良
がなぜ朝倉にあるだろうか?
チョセンと読ませたいが為朝倉にしたんじゃないのだろうか?

893 :日本@名無史さん:2005/08/22(月) 11:09:46
>>891
その位じゃ実証にならん。其の資料ってなんて名なの?
まああてにならんな。
日本の資料はあちらを撃退
あちらの資料は日本を撃退 か? 
なんであっちのが実証になるんだ?

894 :日本@名無史さん:2005/08/22(月) 11:17:09
日向には江戸の侍がハングルで書いた石碑立てているし
わけのわからん、天孫降臨の碑があるし・・
九州をチョセンに仕立てたいというのは
新羅系日本人が歴史を通じて、組織的にやってることなのか?
それとも単なる無知か?

895 :16歳中卒ヒッキー ◆HCmIhYMlyc :2005/08/22(月) 11:17:58
日本が勝ってたら
朝鮮は日本の属国だったでしょうし
実際はそうならなかったわけで
朝鮮出兵はやはり失敗だったのでしょうね。

896 :日本@名無史さん:2005/08/22(月) 11:21:17
>>885
なんで秀吉とくっつけるんか?

897 :16歳中卒ヒッキー ◆HCmIhYMlyc :2005/08/22(月) 11:21:33
しかし航海で1年がかりでいく
裸国・黒歯国と書かれてますが
邪馬台国と東南アジアかミクロネシアあたりに
その当時交流があったなんて信じられないんですが・・

898 :日本@名無史さん:2005/08/22(月) 11:22:36
>>896 訂正⇒>>895

899 :16歳中卒ヒッキー ◆HCmIhYMlyc :2005/08/22(月) 11:24:53
広開土王碑にもかかれてますよ

900 :日本@名無史さん:2005/08/22(月) 11:27:26
新羅が乗っ取った日本にとって倭国の残党九州は
もっとも危険分子だったに違いない。

901 :16歳中卒ヒッキー ◆HCmIhYMlyc :2005/08/22(月) 11:29:01
つまり倭人は南方系と北方系の混合ってことかな・・?

902 :日本@名無史さん:2005/08/22(月) 11:29:03
>>899
だから日本の記紀とその広開土碑とどっちが信用できるか?のとき
きみはあちらを実証だとか大言をはいているが、なぜだい?きみは朝韓人か?

903 :16歳中卒ヒッキー ◆HCmIhYMlyc :2005/08/22(月) 11:30:34
その前に神功皇后の存在ですら
怪しいんですけどw

904 :日本@名無史さん:2005/08/22(月) 11:31:24
きみの16歳も怪しい

905 :日本@名無史さん:2005/08/22(月) 11:32:05
広開土碑は怪しくないのか?

906 :16歳中卒ヒッキー ◆HCmIhYMlyc :2005/08/22(月) 11:32:48
僕は16歳ですよ・・
1989年生まれです。
大人の方は今ごろ会社いってますよ^^

907 :日本@名無史さん:2005/08/22(月) 11:33:04
卑弥呼の存在は、怪しく思ったことがないのね?w

908 :日本@名無史さん:2005/08/22(月) 11:34:12
>>906
神功皇后も同じように言うんじゃない開?w

909 :日本@名無史さん:2005/08/22(月) 11:35:28
神功は卑弥呼かもしれないよ、
実際、卑弥呼はクマソ征伐をし、倭国の奴国朝を滅ぼしているし。
神功のクマソ征伐の逸話も戦前は盛んに語られたらしいが、
現代ではむしろ大衆に知れ渡ると天皇の正体が暴かれるという蓋然性
が高い。

910 :16歳中卒ヒッキー ◆HCmIhYMlyc :2005/08/22(月) 11:36:35
いえ、記紀を読むかぎりでは応神と仲哀には
血のつながりはないんですよ。だから
神功の存在も疑ってしまうのです

911 ::2005/08/22(月) 11:36:50
神功は卑弥呼ではな〜い。

912 :16歳中卒ヒッキー ◆HCmIhYMlyc :2005/08/22(月) 11:38:52
みなさん、ちょっと言ってることがめちゃくちゃですね

913 :日本@名無史さん:2005/08/22(月) 11:42:10
>>911
隋に使送ってその時に持ち帰った魏志倭人伝
と整合性持たせる為に神功ストーリーを創作したという説がありますよ。

914 :日本@名無史さん:2005/08/22(月) 11:46:39
狗奴国と対峙したのは卑弥呼、倭国大乱を戦ったのも卑弥呼
クマソ、土蜘蛛対峙したのは神功皇后(後の創作?)
時代もぴったり重なる。


915 :日本@名無史さん:2005/08/22(月) 11:50:50
倭の奴国っていうのがあったのも事実でしょう?
これは魏志倭人伝をみてもその名残があり
○奴国の小国が沢山ある。実は狗奴国もそう。
この奴国連合を滅ぼしたのが邪馬台国なんじゃないかな

916 ::2005/08/22(月) 11:51:07
>>913
笑い止め先番 なぜ整合性をもたせねばならんのか?
もともと畿内には女王国はないんだよ。

917 :16歳中卒ヒッキー ◆HCmIhYMlyc :2005/08/22(月) 11:51:27
>>914
本気で言ってるんですか?
神功は4世紀の人ですよ。
卑弥呼は3世紀前半の人ですし
時代など重なりませんよ。

918 :16歳中卒ヒッキー ◆HCmIhYMlyc :2005/08/22(月) 11:53:50
>>915
北九州連合の中心部が邪馬台国というだけであって
邪馬台国単体でどこの国を滅ぼしたということはないと思います

919 :日本@名無史さん:2005/08/22(月) 11:55:55
奴国連合を戦力で
吸収したのが邪馬台国だとしか考えられないがな


920 :日本@名無史さん:2005/08/22(月) 11:57:17
いや、奴国連合を吸収する前の邪馬台国も連合国家
だったのかもしれない。

921 :日本@名無史さん:2005/08/22(月) 12:03:47
>>917
別に重なる必要ないし、神功は虚像だし

922 :日本@名無史さん:2005/08/22(月) 12:03:56
神功皇后は卑弥呼の虚像であり架空の人物

923 :日本@名無史さん:2005/08/22(月) 12:08:41
神功皇后と卑弥呼の所業は似てるんだよ、
もし別人物なら似た事をした二人の女王が居たことになる。
まあ、それでもいいけどな。

924 :16歳中卒ヒッキー ◆HCmIhYMlyc :2005/08/22(月) 12:09:10
とにもかくにももう現状の資料だけで
ああだこうだと妄想を並べるのも限界です。
天皇陵発掘が許可されるとか金印が偶然みつかるとか
しないかぎりもう議論も進展しないでしょう。
もしかしたら江戸時代からさほど伸展していないのかも
しれませんがw

925 ::2005/08/22(月) 12:15:40
エリザベスとサッチャーのように別々に神功と卑弥呼がいたんだよ。

926 :日本@名無史さん:2005/08/22(月) 12:19:08
福岡に朝倉という地名なんか鼻から無かったんだよ。
せいぜい江戸時代に安(やす)、安左久良(やすさくら?)があったのみ。
朝倉氏、朝倉の地名は兵庫、但馬の方みたいだよ。
この安左久良で天皇死んでるよね?
多分地元の勢力にコロされただねwwwww


927 :日本@名無史さん:2005/08/22(月) 12:20:08
どの天皇?

928 :日本@名無史さん:2005/08/22(月) 12:22:05
神功皇后は実在ですよ。
考古学的にも否定する要素はない。

929 :日本@名無史さん:2005/08/22(月) 12:25:15
安(アン)本(ポン)が朝倉とは朝鮮の倉である。
だから甘木は朝鮮だ!!といってたな・・
中世に甘木の地名はないw

930 :日本@名無史さん:2005/08/22(月) 12:27:57
なぜ三韓出兵してるのに九州の内陸部で天皇は死ぬのか?

931 :日本@名無史さん:2005/08/22(月) 12:32:01
現在の天皇族の最大の敵が九州だったって事だろ。

932 :本田:2005/08/22(月) 12:49:53
>>831
名を卑彌呼と曰う。
宣帝の平らぐる公孫氏なり、

素直にこう読む。
日本史オタクは変な読み方をするみたいだけど。

933 :本田:2005/08/22(月) 12:52:07
卑弥呼は遼東の公孫氏。

>晉書卷九十七 列傳第六十七 四夷 倭人

>漢末,倭人亂,攻伐不定,乃立女子為王,名曰卑彌呼。
>宣帝之平公孫氏也,其女王遣使至帶方朝見,其後貢聘不絶。
http://www.geocities.jp/intelljp/cn-history/shin/wa.htm

934 :本田:2005/08/22(月) 12:53:22
>>838
前にも書いたけど。
壹と台の使い分けに注目して。

公孫氏の卑弥呼は、燕の植民地である邪馬壹国の女王。
植民地だから邪馬壹国と書いて、邪馬台国とは書かない。

935 :日本@名無史さん:2005/08/22(月) 13:17:27
神功皇后は、卑弥呼の没後
強大になった卑弥呼の影響力を永続させる為に
卑弥呼の生まれ変わりとして擁立した、卑弥呼の虚像。だったりすると面白いかも

936 :日本@名無史さん:2005/08/22(月) 13:24:42
現在の天皇族は倭国を乗っ取った半島の一族でしょう。
昔から倭国と対立していた一族だと思う。
ところで、朝倉の宮っていうのは何なのかな?
関東の大王の墓でも長谷朝倉宮というのが出てきますが?
詳しい人はいますか?
【毛野】関東に大王あり【武蔵】
http://academy3.2ch.net/test/read.cgi/history/1105834872/l50

937 :日本@名無史さん:2005/08/22(月) 13:30:29
>>932
>>933
>>934

氏ね

938 :日本@名無史さん:2005/08/22(月) 13:44:49
北部九州にクマの字の多いこと多いこと・・この地こそ
クマソの本拠地であったことは間違いないとみるね。
それに、天皇家曰く、この地が天孫降臨なのに、なぜ天皇家と見られる
豪族を倒すのでしょうかね?矛盾してるでしょ?
テンコロ族は真相を明らかにしましょうw

<夜須町町名の由来>
日本書記によると、神功皇后が甘木朝倉の強力な豪族
(羽白熊鷹:現秋月町野鳥に居住したとされる。)を倒したその
案堵感からこの地で「我が心安し」と言われた「安」に由来する
ものだと話りつがれている。
http://inoues.net/yamahonpen19.html
画像の多い重いHPです。

939 :日本@名無史さん:2005/08/22(月) 13:48:40
>>932

いや、

「宣帝が公孫氏を平らぐるに至るや」

だろう。

940 :日本@名無史さん:2005/08/22(月) 13:50:55
>>932

いや、

「宣帝が公孫氏を平らぐるに至るや」

だろう。

941 :日本@名無史さん:2005/08/22(月) 13:54:03
>>932 >>933 >>934

あなたアタマ大丈夫ですか???
卑弥呼が公孫氏な訳ないだろ。

942 :日本@名無史さん:2005/08/22(月) 13:56:33
>>932
いい子だから
自分が間違ってるって事を
素直に認めなさいねw

943 :日本@名無史さん:2005/08/22(月) 13:56:56
アン本←帰化人

944 :日本@名無史さん:2005/08/22(月) 15:23:42
このスレにデンコロ介入

945 :日本@名無史さん:2005/08/22(月) 15:46:18
http://www.ne.jp/asahi/tokfuruta/o.n.line/kodaikiri.htm
アン(安)の説より高度で説得力ある、時間掛かるかもしれないけど
読んでね。
これでも十分とは言えないと思うけど・・

946 :日本@名無史さん:2005/08/22(月) 16:10:24
読む価値なし。
読むだけ時間の無駄。

947 :日本@名無史さん:2005/08/22(月) 16:23:51
>>932

素直に読んでないのは、
お前だろ。

948 :日本@名無史さん:2005/08/22(月) 16:30:14
>>932
かなり笑える(´,_ゝ`)プッ

949 :日本@名無史さん:2005/08/22(月) 17:43:35
邪馬台国がどこか という議論にどういう意味があるの?
そんなのどこにあってもいいじゃん。無意味なもののなぞを解くのは、無駄なだけ。

950 :日本@名無史さん:2005/08/22(月) 17:47:54
無意味なのは君位だろう。主観的に終わり。

951 :日本@名無史さん:2005/08/22(月) 18:05:22
つうか、国力自体はここ2000年くらい、日本>朝鮮 だと思う。
でも古代は大陸の朝鮮の方が進んだ文化だったので、
一方で憧れはあったけど、また一方でバカにしていた感がある(小国なので)。
その証拠にほとんどの渡来系は帰化した時に名前を日本名に変えてるし、
もしも、朝鮮が偉大で強力な国家で、当時の日本人が朝鮮マンセーだったとしたら、
名前は変えないと思う。結局、日本の権力層に帰化人は取り込まれたってことでしょ、
中世の帰化人のように。
古墳や建築物を見れば、どう考えても日本の方が国力はありそうなんだけどね。
金印を何個も貰っているし、それがたとえ中国の都合であったとしても
本当に日本が小国であれば金印なんてくれないと思う。

と、素人の私がもうしてますがw

952 :本田:2005/08/22(月) 19:21:25
>>932
>>933
>>93

953 :本田& ◆xOS3wf.pJg :2005/08/22(月) 19:23:39
952は書き損ねです。
すいません。

>>932
>>933
>>934

他人の固定ハンドルを使わないでくれよ。
まぎらわしい。


954 :日本@名無史さん:2005/08/22(月) 20:46:07

>>831 >>837 >>839

間違いを認めろ。


955 :日本@名無史さん:2005/08/22(月) 21:48:03
>>953

どう見ても、お前が書いた文章だよね。
もっと素直になれよw

956 :日本@名無史さん:2005/08/22(月) 22:40:18
>>953
そういう事は、間違いを認めてから言いなさいね。

957 :日本@名無史さん:2005/08/22(月) 23:01:45
>>954>>956

間違いとするなら
正解は何
きっちり応えてもらい、どちらの言い分が正しいか
住人達で判断しよう

逃げないで、応えてタモレ>>954>>956

958 :日本@名無史さん:2005/08/23(火) 00:48:35
時々、漢字を出鱈目につなげた出鱈目な「解釈」を披露する、論理回路が壊れたのが出てくるね。

959 :日本@名無史さん:2005/08/23(火) 00:51:34
>>958
「時々」っていうかいつも同じ人。
俺は心の中でコテハソ四天王と呼んでいる。

960 :日本@名無史さん:2005/08/23(火) 01:47:33
>倭の奴国っていうのがあったのも事実でしょう?

奴は”ナ”と発音する
国は”ラ”と発音する
つまり、奴国=ナラ
ナラとは平地にある国という意味だから
ナラがつく国名が沢山あるのは当然のこと。
韓国でも国のことをナラと言うし、それは大きな国は基本的に平地にできるからだろうね

961 :日本@名無史さん:2005/08/23(火) 02:21:50
神功皇后が架空だとすると応神はどうなるの

962 :日本@名無史さん:2005/08/23(火) 02:32:29
>>960 奴国とは野国という説もあった。邪馬(山)国や不彌(海)国、遠賀(丘)
などと同じ普通名詞だという説だ。

 それと華奴蘇奴国などの奴は助詞の「の」かもしれないという説もあった。
 (倭のソの国?)

963 :日本@名無史さん:2005/08/23(火) 03:10:42
外=ソじゃねーか?
カってなんだろ。宇美っていう地名があるが
これは不彌かもしれない、でも全然海にない盆地にある地名。

弥奴国ってのは後に神功皇后が地元のクマソの大豪族(羽白熊鷹)を
征伐した時に安(やす)とつけたらしいからここでクマソの言葉
ヤから取っているとすれば弥奴国は夜須甘木かもしれない。
地形からするとヤもやはり山に関係するかもしれない。
不弥国が宇美だとすればここは盆地になっているので山のない国
でも平地は小さいみたいな意味(盆地)かもしれない。


964 :日本@名無史さん:2005/08/23(火) 05:16:04
巨大な人口を抱える邪馬台国は御神山を英彦山にしていたと思う。
古代からの伝統
権威の中心はその頃も英彦山にあったと思う。
人口の中心は鞍手、八幡、小倉、宇佐、中津、筑豊の盆地である。
これらの小国を加えた人口は奴国連合に匹敵するだけのものはあった。
奴国と邪馬台国のかつての境界線はショウケ越えの先にある大分(ダイブ)
これは後の大分県の由来にもなる。
弥は谷、不は無を示すと思う。不弥は宇美ではなく田川飯塚の盆地だろう。
その南に邪馬台国の聖地英彦山がある。
邪馬台国の国力を支えたのは
八幡の軍事力と宇佐の経済力、政治力である。
半島大陸→小倉→畿内本州の交易の要衝を押さえた邪馬台国
は奴国連合にとって見過ごすことはできない存在だったに違いない。
言葉、文化の違いもあったと思われる。

965 :日本@名無史さん:2005/08/23(火) 06:15:48
クマソは安を神功皇后に
占領され、小郡の隈から東野に抜け松浦方面に逃亡します。
万葉集に書いてありますが地名も残っています。
ですから、佐賀に邪馬台国の本拠地、故地があったとはおそらく考えにくいと
思います。この地域には隈、熊、籠というクマソ系の名前、地名が残って
いますので史実だと思います。


966 :日本@名無史さん:2005/08/23(火) 07:18:41
伊邪国はイジャナミ、イジャナギの国だよね。

967 :日本@名無史さん:2005/08/23(火) 07:24:56
筑後草野は狗奴国に由来するかも、
しかし、現在の草野氏は関西方面の藤原ですので
全くの赤の他人、何の関係もないゆかり無関係なよそ者です。

968 :日本@名無史さん:2005/08/23(火) 07:48:22
創始改名して
関東関西の朝廷人が降臨して地元民装っているね。
まるで、現在の朝鮮人みたいね。

969 :16歳中卒ヒッキー ◆HCmIhYMlyc :2005/08/23(火) 08:21:13
二二ギはいつの時代の人ですか?

970 :日本@名無史さん:2005/08/23(火) 08:21:42
華奴蘇奴国。
「ソ」は曾だと思う。曾祖父の曾ね。つまり一代前という意味。
華奴を一代前にもつ奴国。

ちなみに、「奈良の皇子は、クマソタケルを倒して、はじめてヤマトタケルと名乗れるようになった。」
というヤマトタケル神話があるが、これもクマはヤマトの一代前の国だと言うことを暗示していると思う。

971 :日本@名無史さん:2005/08/23(火) 08:32:50
倭国のワって、分ける・別れるのワで、外って意味だと思うよ。
つまり、倭国っていうのは「外国」という意味。

972 :16歳中卒ヒッキー ◆HCmIhYMlyc :2005/08/23(火) 08:34:32
箸墓は掘れないので
ホケノ山古墳を掘りましょう

973 :日本@名無史さん:2005/08/23(火) 08:35:30
「大和」という漢字は、遠く離れた外国という意味

974 :日本@名無史さん:2005/08/23(火) 08:41:42
蒲池の由来を調べてみた。
10世紀初め頃には筑後国の柳川に降臨!!
関東の嵯峨源氏、後、宇都宮(うつのみや)氏
関東下野国宇都宮三郎
左衛門尉朝綱、嵯峨源氏の松浦党出身
倭名抄の中で「下妻郡に鹿待郷あり、鹿待は加萬知(かまち)
http://www.geocities.co.jp/SilkRoad/1235/shizokufu.html
華奴国の可能性はあるかもしれない。


975 :日本@名無史さん:2005/08/23(火) 08:44:29
華奴蘇奴国は分けて考えた方がよくない?
蘇奴国ってのもあるでしょ

976 :日本@名無史さん:2005/08/23(火) 08:49:32
>>968
ニニギはわからんが、ニギタは新北で現在の鞍手郡を指すらしい
ニギタも邪馬台国の系譜にある国だろう、ヤマトタケルと共に
行動しこの南にあるクマソを討ち向かう。
「ニ」は新という意味だろ

977 :日本@名無史さん:2005/08/23(火) 09:03:13
http://www.geocities.co.jp/SilkRoad/1235/shizokufu.html
筑後国に降臨した朝廷の連中一覧。
関東、関西の朝廷系、漢系の連中が多い。
地元民はまず居ない。


978 :日本@名無史さん:2005/08/23(火) 09:12:15
朝廷人が大量増殖して各地に降臨してる
ここに何か隠されていることは確かでしょ。
天皇でさえみてはいけない宝物もあるらしい。

979 :日本@名無史さん:2005/08/23(火) 09:53:08
関東近畿から朝廷人が降臨する前は、
ニギタ(新北=鞍手)おそらく邪馬台国出身の物部が
クマソ九州に降臨していたらしい。全国にも降臨しているみたいだね。
つまり邪馬台国が高天原、豊国である可能性は更に深まった。
磐井の乱の後ニギタ(新北)の物部が八女に降臨するよね。
火氏、磐井氏とか何処に消えたのだろう・・

980 :16歳中卒ヒッキー ◆HCmIhYMlyc :2005/08/23(火) 09:58:30
邪馬台国西遷説

981 :16歳中卒ヒッキー ◆HCmIhYMlyc :2005/08/23(火) 10:38:39
邪馬台国当選説

982 :日本@名無史さん:2005/08/23(火) 13:15:57
魏志倭人伝は全てフィクションです

983 :16歳中卒ヒッキー ◆HCmIhYMlyc :2005/08/23(火) 14:23:23
四王朝交代説

984 :日本@名無史さん:2005/08/23(火) 16:02:31
>>837

その訳しかた間違ってるんですけど。

985 :日本@名無史さん:2005/08/23(火) 16:04:50
>>984

>日本史オタクは変な読み方

変な読み方してんのはお前だよ

986 :日本@名無史さん:2005/08/23(火) 16:06:00
>>837

>日本史オタクは変な読み方をするみたいだけど

変な読み方してんのはお前だよ

987 :プラム ◆RvhHf7kqyY :2005/08/23(火) 19:44:12
スレタイである「魏志倭人伝」は 何処に行ったのでしょう
完全に神話スレに占拠され、関連スレも「イッセー尾形」を彷彿される 一人芝居
権威ある日本史学問板もマンガネタまで登場させてのオタク談議
夏休みバージョンと諦め、雨戸を閉めて、台風一家の通り過ぎるのをじっと待つしかないかな

988 :日本@名無史さん:2005/08/23(火) 22:30:00
古代の陸行も海行も現在とぜんぜん違い非常に時間がかったので、今は高速で30分のとこも
昔は、13日かかかった、草ぼうぼうで歩けないほどで

989 :本田:2005/08/23(火) 22:42:18
一大卒の意味は、
一まとまりの大人数の兵卒、
だと思うな。

990 :日本@名無史さん:2005/08/23(火) 22:48:27
(誤) 一大卒
(正) 一大率

991 :日本@名無史さん:2005/08/24(水) 01:05:34
>>960
ウリナラ、マンセー!
は、おいといて。

日本語の「ひふみ」は高句麗語由来であるが、今の朝鮮語の言語体系は高句麗語とも
日本語と言語学的にはかなり違うものだと聞いたことがある。


992 :日本@名無史さん:2005/08/24(水) 05:18:25
>>989
「率」は「軍事関係のひとまとまりの引率者=隊長(司令官)」の意味なので、
階層的な関係を説明しているとかの文章でないかぎり、単独の人物でしかあり得ないし、
率いる軍隊の規模の大中小などに応じた「位」の類いが頭につくことはありえない
から、「(複数の内の)一つの」とか「(大中小の)大の」とかいう意味では
あり得なくて、「一大の隊長(司令官)」のような意味としか受け取りようがない。

「一大国の軍事の司令長官」と受け取るのが、中国語として矛盾が少ない。

>>990
どっちの文字が使われているかは別として、率と卒は意味は同じです。

993 :日本@名無史さん:2005/08/24(水) 11:27:22
このスレの序盤に出てくる、、、
魏の使者が邪馬台国を誇張して報告したって説には説得力がありますね。さらに呉の
背後を扼する位置にあるとの「其道里当在会稽東冶東」の一文の意味も見えてきます。

東の方角を南にねつ造したのは言わば出世の為。使者が自己の功績を大きく見せる為です。
何故方位を変えてまで報告したか、道程(距離)は誤魔化さずに報告したか。全て誤魔化すなら
伊都国から「東に一日」と報告すれば良かった。がそれはしなかった。九州内に邪馬台国が
あれば呉の後背とは言えずとも大陸に近いのです。(実際の邪馬台国の位置からすれば、、、)
邪馬台国が伊都国から遥か東にあったから魏の使者が悩んだわけです。

994 :日本@名無史さん:2005/08/24(水) 16:47:12
>>992
卒と率の意味が同じだあ?

卒に率いるなんて意味はねーだろうが。
有ると思うなら用例を出しなさいな。

995 :プラム ◆RvhHf7kqyY :2005/08/24(水) 17:00:42
>>993
それは狭国の発想だろう
列島内の何処に邪馬壹國があろうとも、大陸の巨大国から見れば500q遠くにあろうとも

996 :日本@名無史さん:2005/08/24(水) 18:55:40
>>995
「狭い」のはアンタの考え。


997 :圭角:2005/08/24(水) 19:04:52
プラムさん、こんばんわ。お久しぶりです。最近は御同様に存じている次第です。
993に一言。
 正史三国志の成立編纂完成の時点。
 魏の統一の年次。
 魏が呉を滅ぼした年次。
以上を、ご確認されることをお勧め申し上げる次第です。

998 :圭角:2005/08/24(水) 19:11:03
さらに、993さんに一言。
 魏の使者、魏の使者は、けっこうでありますが、
張政をご存知ならば、この張政の倭国の滞在は陳寿の記事からして明白ですね。
ならば、この記事は、いかにお考えですか。
 失礼ですが、失当と存じ上げる次第であります。

999 :日本@名無史さん:2005/08/24(水) 19:17:19
999ゲット

1000 :プラム ◆RvhHf7kqyY :2005/08/24(水) 19:26:11
圭角さんこんばんわ
とりあえず
次スレに「つづく」
エンドです

1001 :1001:Over 1000 Thread
このスレッドは1000を超えました。
もう書けないので、新しいスレッドを立ててくださいです。。。

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