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長州閥の切り札、児玉源太郎について!

1 :日本@名無史さん:2005/07/01(金) 01:04:45
神風連を収拾し日露戦争を勝利に導きメッケルに「天才」と称された長州の
リーサルウェポン、児玉源太郎閣下について語ってくれ!

2 :日本@名無史さん:2005/07/01(金) 01:11:26
宇垣一成が事実上最後の「長州閥」?

3 :日本@名無史さん:2005/07/01(金) 21:30:00
児玉のスレは他になかったんだな
確かに長州閥でもっともスマートに、そして心から
尊敬できる類い希な人物だな。存在自体が長州の奇跡

4 :日本@名無史さん:2005/07/02(土) 22:30:07
神風連のとき真っ先に山県が打った電報が「おいおまいら!児玉無事なんかゴルア!」
だったんだよなw
長州が生暖かく育成した天才やな

5 :日本@名無史さん:2005/07/03(日) 00:43:08
もう少し長生きしてほしかった。
江ノ島に児玉神社ってあるね。

6 :日本@名無史さん:2005/07/03(日) 00:54:28
あと、10年生きていたら、政界にいってたんだろうな。
死んでいく元老の変わりに、政治をしきったかもしれん。
ただその代り、議会政治が発達してなかったかもしれん。

7 :日本@名無史さん:2005/07/03(日) 09:26:46
「児玉」って事は毛利氏の家臣系の人なんだろうな。


8 :日本@名無史さん:2005/07/03(日) 10:44:58
児玉ファンのおれは児玉神社に参拝しましたよ。
江ノ島神社の帰り道下り坂の中ごろに児玉神社入り口の案内があって、
そこからちょっと山道を登ったとこにひっそりとあったなあ。
人があまり詣ってる形跡はない感じがしたが、こぎれいに保たれてた。
誰か学生っぽい人が境内で地味にスケッチをしてたのが印象的だった。
多くの江ノ島詣りの客は、児玉神社入り口前を通っても目にも止まらず素通りか、
児玉神社?何じゃそれ?って感じで素通り。
寂しいもんだが現実はこういう宿命の神社だろなあと思いつつ後にした

9 :日本@名無史さん:2005/07/03(日) 11:25:31
現在の教科書はアンジュングンとユグアンスンについてはコラムが有り、東郷さんは一行、
児玉さんは無しです。よっぽどイギリスの人の方が東郷さんについて知ってます。

10 :日本@名無史さん:2005/07/03(日) 11:29:37
糞スレたてるなヴォケ

11 :日本@名無史さん:2005/07/03(日) 11:30:19
黙れ薩摩っぽw

12 :日本@名無史さん:2005/07/03(日) 11:37:36
山県は児玉を贔屓にしていたのかな。元々は山田顕義の子分でしょ?
河上操六、桂太郎、児玉源太郎には長州閥、薩摩閥という意識は希薄だったんじゃない?
長州閥を前面に押し出して来るのは寺内のような気がする。

児玉神社を作ったのは杉山茂丸だっけ?

13 :日本@名無史さん:2005/07/03(日) 11:49:03
>11
海の薩摩も当然、陸の児玉を素直に評価、認めてます。
ありもしない対立を煽るのはよくない

14 :日本@名無史さん:2005/07/03(日) 11:57:20
さすがに対外戦争の時は藩閥云々言ってる場合じゃなかったからなw
庄内藩の少将の指揮下に長州藩の大将が一時的にだが入ったこともあったし。
中国の工作でてんやわんやの自民党も学んでくれい。

15 :日本@名無史さん:2005/07/03(日) 12:33:38
ま、世良が生きてたら世良のかばん持ちが関の山だっただろうけどね。

16 :日本@名無史さん:2005/07/03(日) 12:47:57
世良!?誰ソレ??

17 :日本@名無史さん:2005/07/03(日) 14:52:28
ていうか秋山とか児玉とかって写真とか見ると目が似てるよ。
なんかトロ〜ンとしてちょっと危ない感じw

18 :日本@名無史さん:2005/07/03(日) 14:56:33
児玉といえば、台湾総督時代の厦門事件について詳しく知りたいんだけど、
いい本ないですかね?


19 :日本@名無史さん:2005/07/03(日) 15:04:47
>>18
廈門事件の公式記録は全て処分されたはず。

切り札は切り札なんだろうが、
抑えの切り札というより敗戦処理の切り札的な起用のされ方だね。
台湾総督も参謀本部次長も、どうしようもなくなった時に起用されている。
桂、寺内だと、もっと大事に扱われている気がする。

20 :日本@名無史さん:2005/07/03(日) 15:16:46
旅順で乃木の尻拭いまでしてやった支那。ああいうのをまさしく「尻拭い」って言うんだよな。
まだ2ちゃねらーの中に乃木信者がいるもので困るよ。

21 :日本@名無史さん:2005/07/03(日) 15:37:31
旅順は、乃木について色んな批判があるが、乃木だけではなく参報伊地知幸助のほうがよっぽど能無しだと思うんだが。現に児玉も伊地知に対しては、かなり強烈なカミナリを落としたらしいしな。武士道を地で行く乃木は、俺は好きだよ。

22 :日本@名無史さん:2005/07/03(日) 15:41:42
>>19
公式記録消されてるんですか。(;゚Д゚)
本読んでも、事件の名前だけで、経緯が分からなくて、
知りたかったんですが...


23 :日本@名無史さん:2005/07/03(日) 16:07:51
かつてから言ってるんだが、
乃木さんは決して無能な人間などではなかったよ。
日本陸軍の指揮官の座まで上り詰めた男が無能なはずがない。
ただ、そもそも乃木はほんとのとこは体育会系じゃなくて、
文化系の人間だっんだよな。芸術の分野で突出した才能があったんだよ。
乃木さんの書いた文章や毛筆の字からは、彼の美学をかいま見ることができる。
それが運命のいたずらというか宿命というか軍人になった訳だが、
軍人として現場の最高指揮官としては、
あまりに多くの犠牲者を出してしまったのは事実。
体は小さかったが生粋の体育会系男かつ戦略家の児玉とは、
そこには決定的な差があったのは言うまでもない

24 :日本@名無史さん:2005/07/03(日) 17:18:06
乃木の文才は青年期から高く評価されてたしね。山県もそんな寡黙な知性溢れる乃木が好きだったんだろうな。日本陸軍の頭脳である児玉も俳句では、乃木には遠く及ばなかったみたいだしな。

25 :日本@名無史さん:2005/07/03(日) 20:04:21
203が落とせるが漢詩は書けない。 事務家クオリティー
漢詩が書けるが203は落とせない。 人格者(ry

26 :日本@名無史さん:2005/07/03(日) 22:46:57
実際に203高地を落としたのは児玉だよ。乃木は、軍人としての評価は確かに低いが、一日本人としては神のような存在だ!

27 :日本@名無史さん:2005/07/03(日) 22:49:45
文化系で軍才抜群の秋山最強

28 :日本@名無史さん:2005/07/03(日) 22:50:29
秋山「乃木さん、記者が社会主義についてどう思うか聞いてます」(社会主義知ってんのかな)
乃木「社会主義は全て平等と聞くが、お互い助け合う武士道の方が勝っている」

ネ申……か?

29 :日本@名無史さん:2005/07/03(日) 22:53:42
武士道はお互い助け会うって具体的にはどういう事?


30 :28:2005/07/03(日) 23:12:03
「武士道というのは身を殺して仁をなすものである。
社会主義は平等を愛するすると言うが武士道は自分を
犠牲にして他人を助けるものであるから、武士道の勝ちでおk」

意味不明w

31 :日本@名無史さん:2005/07/03(日) 23:37:42
長州の元下級武士同士が相互扶助で人事し合う。
帝国陸軍の本質は武士道。
乃木式でいうなら社会主義

32 :日本@名無史さん:2005/07/03(日) 23:42:06
それって坂の上の雲のあとがきだったよね。2007年あたり、大河ドラマやるらしいよね。児玉役は誰がやんのかな??

正岡子規=オダギリジョー
秋山真之=木村拓哉
秋山好古=唐沢寿明

乃木希典=仲代達矢
児玉源太郎=丹波哲郎

こんなキャスト??

33 :日本@名無史さん:2005/07/03(日) 23:46:58
層化の息がかかんなけりゃ何でもいいがな。
野沢さん死んだよね?あのころは一部で陰謀説が流れてワロタ。


34 :日本@名無史さん:2005/07/03(日) 23:51:52
廈門事件って何ですか?

35 :日本@名無史さん:2005/07/03(日) 23:53:21
>34
ググレって言っても出てこないんだよな。廈門事件は

36 :日本@名無史さん:2005/07/03(日) 23:55:25
鮫○の再来!ってそりゃ記録に残ってないもんな。

37 :日本@名無史さん:2005/07/04(月) 10:29:43
>>27
秋山も若い頃の写真を見ると、
運動神経が良さそうな顔をしてるぞやっぱり。
どうも歴史マニアの中には帰宅部系の本を読むのが趣味みたいな
運動音痴が多いのも事実だから、
軍の頭脳である上層部は、ガリ勉の文化系の人間が占めてると思いがちだが(そう思いたい?)
参謀本部は別としても、現場の指揮官や戦略戦術家は
元々運動能力も高い上に、頭脳も明晰な天賦の才を持つ者だけが
本物の中の本物だとおれは思うぞ。
でなければ机上の論理に終わり、
実践で通用する生きた戦術など生まれないし、
戦場の第一線で命をかけて戦う兵士らの気持ちなど汲み取れない

38 :日本@名無史さん:2005/07/04(月) 12:01:15
>>37
まあ、ちょっと秋山について調べれば河東碧梧桐がコンプレックスを持つほど
の悪ガキでありさらに頭脳明晰であったことがわかるわけだが。

39 :日本@名無史さん:2005/07/04(月) 13:04:48
>>37
運動能力と現場の兵士の気持ちと何の関係が?叩き上げってこと?

つ竹中半兵衛

40 :日本@名無史さん:2005/07/05(火) 21:09:39
>>9
私も二度詣でました、江ノ島の児玉神社。
長生きされておられたら、後藤新平の帝都改造も縮小されずに済んだかも。

41 :日本@名無史さん:2005/07/05(火) 23:47:22
>>15
東北にいって、殺された人。
兵の指揮は非常に上手かったが、人格者ではなく(長州はこんなんばっか)
現地の人の怒りかって、暗殺され、この結果奥羽列藩同盟と新政府は、戦争になりました。

実績としては、大島に上陸した幕府軍数千を、たった500の兵で打ち破り、
なおかつ、死傷者は十数人、幕府軍は10倍以上の数百人だったかな。
鳥羽伏見でも、中央敵陣を単独で突破して、幕府軍を蹴散らした。

暗殺されてなければ、1000石前後の宝典禄をもらったと思う。

42 :日本@名無史さん:2005/07/07(木) 09:47:25
>>41
> 現地の人の怒りかって、暗殺され、

それで実際戦争になったらボロ負けなんだからプライドだけ高くて実力なかったんだな。
こんなヘタレ仙台人のせいで日露戦争完勝を逃す羽目になったんだから仙台人は国賊だ。

43 :日本@名無史さん:2005/07/10(日) 15:56:30
児玉が天才といわれるゆえんは、外国語が出来ないのに、西欧軍隊の知識を
誰よりも吸収した、とか、これといった学校も出ていないのに、戦略戦術で
天才的指揮能力を発揮したところにあるんですよね。

44 :日本@名無史さん:2005/07/10(日) 16:03:16
それ司馬

45 :日本@名無史さん:2005/07/10(日) 17:03:48
では、何が児玉を天才と呼ばしめるのか。天才、天才というが、その
根拠はなにか。どんな「天才的な」業績があるのか。司馬の小説ではなく、
史料に基づいた説明を求む。


46 :日本@名無史さん:2005/07/12(火) 12:38:07
>>45 
 児玉のこと天才と呼んだやつはいないだろう。
 まあ、メッテルも評価した情勢判断、実務能力の高かさポイント。
 長州でも山田昭義系だから山縣とは不仲だし、仕事の人選に閥にこだわらない
 から、内相や文相も勤まるわけで、後藤新平と組んだ日清戦争後帰還兵の
 検疫問題や台湾興業政策なんていい仕事だろう。

 

47 :日本@名無史さん:2005/07/12(火) 14:12:05
それにしても、江ノ島にある児玉神社の荒廃ぶり、ひどいもんだよ。
東郷神社とえらい違いじゃ。

グッズは、1回100円の御神籤しかないし。
御札や御守りすら売っていない。

灯篭は壊れたままだし。

48 :日本@名無史さん:2005/07/12(火) 17:45:44
>>1
>長州閥の切り札

 児玉源太郎は山口県でも徳山藩の出身だから、エンカルタでは
「薩長藩閥のバックをもたずに頭角をあらわした人物」
Microsoft(R) Encarta(R) Reference Library 2003. (C) 1993-2002 Microsoft Corporation. All rights reserved.
 と記載されているぞ


49 :日本@名無史さん:2005/07/12(火) 18:01:00
7月24日 江ノ島児玉神社 例大祭


50 :日本@名無史さん:2005/07/12(火) 18:20:22
児玉は系譜上長州閥ですよ。長府出だが。
山形との仲もそんなに悪くない。むしろいい方。
日露戦争後は政界に…というか、日露戦争前から軍籍のまま政界に居たが、開戦直前に参謀本部次長(総長大山)に。
開戦後はさらに降等して総軍(現地軍統括司令部)の参謀長へ。
台湾経営は戦前から任されていて、その面の功績は極めて高く認めるべき。
面白いのは、軍部内の人事がそのようになり、とても掛け持ちなど不能な状況下でも、
児玉は台湾総督の肩書きだけは把持していたこと。
なお、台湾統治に関しては児玉の死とともに暗い影を落とし始めると言われている。
児玉でないと駄目な何かがあったらしい。

ちなみに兵曹長から振り出し、徐々に、途中からは異例のスピードで昇格を重ねた。
能力閥力ともに恵まれた人だったらしい。
性格は賢明で風通しがよく、極端な小男が料亭でも人気だったという。

51 :日本@名無史さん:2005/07/12(火) 18:32:50
小坂千尋が早世しなければ長閥の棟梁になっただろうけどね。

52 :日本@名無史さん:2005/07/12(火) 20:05:25
>>50
>山形との仲もそんなに悪くない。むしろいい方
以下参照あれ
http://www.kokubou.com/document_room/members/kodama02.htm

>ちなみに兵曹長から振り出し
 これが閥の援助を受けていない証拠。山縣直系の乃木は海外留学して、その後常に
 児玉より早く昇格している。

53 :日本@名無史さん:2005/07/12(火) 20:18:19
児玉が天才かどうかはわからないが、旅順、奉天、日本海と勝って
浮かれまくっていた桂以下政府、元老などを
「浮かれているんじゃねえ!とっとと和平しろ!ゴルア!」と一喝し
終戦に持ち込ませた政治的能力が超一流と言えるのでは?

太平洋戦争のときも、こういう政治的能力がある人がいればね。
武藤章などは、戦線拡大に危機感を持っていたが、浮かれまくっている
当時の政治家、軍人などから相手にもされなかった。

54 :日本@名無史さん:2005/07/12(火) 21:42:27
>52
いや、逆。
本藩出身で松蔭の弟弟子にあたる乃木が先で、支藩の児玉が後というのは、
藩閥秩序としてむしろ当然な話。閥内人事に組み入れられていた証。
要するに客観視点では2人とも閥内にいた。
じゃあ主観視点、つまり乃木児玉が藩閥社会をどう思っていたかというと、
2人とも同じくらいの温度。
っていうのは2人とも山形から数えて第二世代だからね。


55 :日本@名無史さん:2005/07/12(火) 21:52:00
>52
そのサイト見てみた。
日清〜日露の派閥史で【長州閥】の項、
山形、桂太郎の次に児玉の名前があるのは錯覚でしょうか。
山形は元老、桂は若手政治家の旗手で、日露戦争の遂行内閣の首相。次いで記載が児玉です。

ちなみに乃木がいきなり佐官で任官されたのは有力なコネが背景にありますね。

56 :日本@名無史さん:2005/07/15(金) 17:36:20
>>55
世良が生きていたら同じ周防人の児玉もかなり抜擢されていただろう。

57 :日本@名無史さん:2005/07/15(金) 17:53:05
>55
乃木のコネって
玉木文之進〜御堀耕助〜黒田清隆だから
松陰直系なんだよな。

58 :日本@名無史さん:2005/07/16(土) 11:57:00
生出 寿氏が書いた「謀将 児玉源太郎」は一読すべき。
体の大きさに似合わず、周りがビビるほど号令のかけ声がデカかったらしいな。
内相兼台湾総督の経営・執務もこなす児玉だが、やっぱ
生死をかけた戦の現場の中でもみにもまれて頭角を表し抜き出てきた軍人だわ

59 :日本@名無史さん:2005/07/18(月) 05:11:35
7月24日 江ノ島児玉神社 例大祭

60 :日本@名無史さん:2005/07/19(火) 01:45:47
>56
児玉は長府だろ。

>57
出てきた時期と筋目のよさが乃木の人生を大きく変えた。
ちなみに児玉が台湾総督を務める前が乃木。
この時も乃木は旅順の時ほどではないにしろ憔悴し、結局児玉がケツを持っている。
その前が桂(太郎)ですね。あまりやる気もなかったらしい。
桂は確か奥羽鎮定軍差遣のときも嫌がったんだったか何かじゃなかったかな。
じゃあしょうがねえやってんで差遣されたのが全く無名の世良。
しかもこのとき桂は若輩も若輩で、その代わりに世良があてられた。
じゃなかったか?
この記憶が正しいなら世良は女神の前髪をつかみ損ねた一旗組。

61 :日本@名無史さん:2005/07/19(火) 02:11:14
世良は第二奇兵隊を率いて、大島口の戦いで大勝しているぞ。
無名なんてとんでもない。当時では桂よりもよっぽど有名。

ただ第二奇兵隊ってのは、やっぱ、第1奇兵隊の山縣などの主流派と仲が悪く、
この役を押し付けられた可能性が高い。
第二奇兵隊の面々は、その後も軒並み閉職にまわされているし。

62 :日本@名無史さん:2005/07/19(火) 14:07:08
児玉は長府でなくて徳山か。勘違い。
まあ天才かどうかは別として、
頭の働きは活発で鋭く、創造的で、実務に明るくて即断即決、
何事もざっくばらんで風通しのいい男だったみたいだね。
働く男の理想型のひとつではある。
そのかわり重厚沈着からはほど遠くて「弥次喜多」と諷されることも。

63 :日本@名無史さん:2005/07/19(火) 18:07:31
乃木が長府藩
児玉が徳山藩
二人とも萩本藩ではない。

64 :日本@名無史さん:2005/07/19(火) 23:10:26
坂の上の雲を読むオヤジの90%は児玉に感情移入。

65 :日本@名無史さん:2005/07/20(水) 10:26:34
>>64
残りの10%は伊地知に感情移入。

66 :日本@名無史さん:2005/07/23(土) 00:31:03
>32
児玉:丹波哲郎 は映画二百三高地だね。
あれを見て以来、児玉は丹波以外に考えられん。
ただ、うちの弟によると、児玉=背が低い
丹波=背が高い なので、そこだけ違和感とのこと。

ところで昨年2月の開戦100年目の当日、児玉神社と
三笠に行ってきた。
なんと!児玉神社は閉まっていたぞ!
日本人よ・・・米に負けて、誇りを失ったか・・・

67 :日本@名無史さん:2005/07/23(土) 17:01:19
明日 7月24日 江ノ島児玉神社 例大祭


68 :日本@名無史さん:2005/08/03(水) 02:03:04
こんな偉い人物はおらん!教科書で、大きく掲載しろ!
日本史上最大最高の傑物!!!!

69 :日本@名無史さん:2005/08/03(水) 02:06:47
ゲスな長州閥の中ではマシな部類だから際立って見えるだけだろ。

70 :日本@名無史さん:2005/08/03(水) 02:11:56
いま。仕事の相方が乃木系メンヘラー
乃木の様に上の受けが良いわけでもないが
漏れ orz ‥

71 :日本@名無史さん:2005/08/08(月) 13:07:13
>>70
君も伊地知になるんだ

72 :日本@名無史さん:2005/08/08(月) 19:28:28
長男の秀雄が寺内の娘を嫁に貰ってるな。
仲良かったのかな?

73 :西瓜小玉300円:2005/08/09(火) 00:45:30
児玉は山県とはそう険悪ではなかったけど井上光ともども長州非流派だったみたい。
乃木が心底嫌った桂は山県や特に寺内のことが大っ嫌いだったとか。
複雑だよね。
で、児玉と杉山茂●、後から桂の三人秘密結社が誕生している。
これに目くじらをたてていたのが山本権兵衛。

74 :日本@名無史さん:2005/08/09(火) 03:01:30
スレ違いだけど高杉新作のスレはある?

山県は高杉の部下でなければ出世しなかっただろうな。
武士そのものが嫌いだったらしい
青年時代、武士に身分の違いで屈辱を味わったらしい。

75 :高杉:2005/08/10(水) 00:10:30
彼は相当苦労したようです。
若い頃の苦労は買ってまでしろというけど
ちょっとその質がちがったみたい。
苦労にも種類とか性質とかあるのかしらん?
まあ、山県自身の受け取る側の資質なのでしょうかね。

76 :日本@名無史さん:2005/08/10(水) 06:53:01
高杉みたいな基地外相手にしてたら苦労が絶えんだろw

77 :日本@名無史さん:2005/08/11(木) 13:39:00
えっ、高杉って、そんなに変だった?

78 :日本@名無史さん:2005/08/11(木) 14:12:13
山県は蔵元中間の出だったというが、倉庫番の家系?

79 :日本@名無史さん:2005/08/16(火) 21:37:13
西南戦争で熊本城を死守、台湾経営に手腕を発揮、日露戦争では乃木に
代わり旅順を落としたとの説あり。諜報と補給の重要性を深く認識していた。
日清戦争における川上操六のポジション。彼が急逝しなければ、日本陸軍が
神がかり的な方面へ進むのをある程度は阻止できただろう。

80 :日本@名無史さん:2005/08/16(火) 21:37:39
長州の切り札、児玉源太郎!

81 :権太郎:2005/08/16(火) 21:58:47
日本の切り札、児玉源太郎!

82 :日本@名無史さん:2005/08/16(火) 23:17:31
わりとまじめに手腕を評価してるだけに、
そういう低俗なまつりあげは不快だ
釣りだろうけど

83 :日本@名無史さん:2005/08/16(火) 23:40:38
それ位の釣りで不快になるようだったら
どっかお行儀の良い掲示板にでも篭ってろよ

84 :日本@名無史さん:2005/08/17(水) 00:01:03
ところで何で2CHのやつらは
児玉源太郎陸軍大将を呼び捨てにしてるんだ

東郷平八郎は東郷元帥って読んでいるのに?

児玉大将って呼べよ。

85 :日本@名無史さん:2005/08/17(水) 05:11:28
馬鹿な事を言うなよ。
東郷に元帥が付いてそこはかとなく、困った爺さんのニュアンスを
醸し出しているではないか。
我が尊敬する児玉源太郎はそのような肩書きなしに
存在感を未来永劫に持ち得る存在なんだよ。
それに陸軍大将なんて、他の馬鹿共と同じ位置にされる
危険もあるしね。

86 :日本@名無史さん:2005/08/17(水) 12:33:00
>>85
議員に「センセイ」って付ける様なもんだな。
持ち上げて「先生」と付けてるヤシもいれば嘲って「センセイ」と付けてるヤシもいる。
大正期以降の東郷元帥も東郷ゲンスイと呼んでやったらいいんでないかい?

87 :日本@名無史さん:2005/08/17(水) 13:30:23
そうだね。
せっかく児玉源太郎の掲示板なんだからもっと盛り上がろうよ。
なんか最近の風潮では児玉がカッコ良すぎるとかいって、
旅順は児玉が来なくても木が熟すがごとく自然に堕ちたと
宣う輩が多いのだが、それも訳尻顔で、すっごくむかつくよ。
福田和也は児玉源太郎のような優秀な人間は現代でも
掃いて捨てるほどいるが、乃木希典のような人間はもういない。
なんてニュアンスのことを書いていたが、
児玉のような人間はそうざらにはいないような気がするんだが
どうでしょう。

88 :日本@名無史さん:2005/08/17(水) 14:07:10
>>87
> 乃木希典のような人間はもういない。

当たり前だ、乃木みたいなのがどの学級にもどの職場にも何人もいたら息苦しくて仕方がない。

89 :日本@名無史さん:2005/08/17(水) 14:43:51
>>88
そらそうだ。

90 :日本@名無史さん:2005/08/17(水) 15:26:56
>旅順は児玉が来なくても木が熟すがごとく自然に堕ちたと
>宣う輩が多いのだが、それも訳尻顔で、すっごくむかつくよ。

それが事実なのだから仕方がない。
逆に、こんなことを児玉の功績の一つとするのがおかしい。
児玉の日露戦争の功績は、満州軍総参謀長として多大な貢献を残した事、
これに尽きる。

それはともかく、その誤字オンパレードはなんとかしろ。

91 :日本@名無史さん:2005/08/17(水) 16:00:08
おっ!
やっと食い付いてきたね。
ちゃんと誤字は添削しろ。
赤ペン君。いや桑原君かな

92 :日本@名無史さん:2005/08/17(水) 16:15:41
>それが事実なのだから仕方がない。
>逆に、こんなことを児玉の功績の一つとするのがおかしい。
>児玉の日露戦争の功績は、満州軍総参謀長として多大な貢献を残した事、
>これに尽きる。

ほんとに、馬鹿がヒョットコ面しやがって
頭おっかしいんじゃない。
お前だよ、お前!だったら一生尽きてろ!


93 :日本@名無史さん:2005/08/17(水) 16:24:06
ははは、酷いね。
桑原君もきっと反省してるよ。きっと

94 :日本@名無史さん:2005/08/17(水) 17:18:51
しっかし、なんで桑原は他人のコメントに噛みついて
自分の知識やこだわりを主張しようとするのかね。
本物志向とかひと味違う素敵な人のなりたいのかな。
多いよねこのタイプ。背伸びするなよ。じゃあな。

95 :権太郎:2005/08/17(水) 17:30:54
もう、いい加減ヒトをオモチャにするのよしなよ。

96 :日本@名無史さん:2005/08/17(水) 18:26:12
誤字が恥ずかしかったのはわかるが、なんなんだそのエキセントリックな
反応は。
自分の書き込みへの批判的なレスが返ってくるのがそんなにイヤならば、
こんな公開された場所には来ない、書かない方がよい。

97 :日本@名無史さん:2005/08/17(水) 18:35:52
>旅順は児玉が来なくても木が熟すがごとく自然に堕ちたと宣う輩が多い

そういう人達が多くなったというのはいいことだ。
しかしこのことは昭和40年代、「坂の上の雲」が発表された直後から、それへの
反論として心ある著名人が述べてきたこと。
正直何を今更、という気もするが、本当の事がようやく広まってきたということか。

98 :日本@名無史さん:2005/08/17(水) 18:59:35
>>97
>>木が熟すがごとく自然に堕ちた
 こんな戦国時代的発送で近代戦が戦えると考えてる時代錯誤の見識。
>そういう人達が多くなったというのはいいことだ。
 なにアホなこといってんだ。ボケの増加は平和でいいってことか?。



99 :日本@名無史さん:2005/08/17(水) 19:02:33
>>98
落ち着きなさい。みっともない。

100 :日本@名無史さん:2005/08/17(水) 19:14:18
児玉は旅順に行くべきではなかったと思う。
児玉が来なくても、あまり戦局の推移は変わらなかっただろう。
対して、児玉の旅順行が参謀の越権行為の前例となってしまった
ことの方が、はるかに害が大きい。
しかしながら、これは後の参謀達の問題である。児玉自身はこの
旅順行はいろいろ問題のあることというのを自覚し、周囲にも注意
していたのだから。

101 :日本@名無史さん:2005/08/17(水) 20:32:38
誤字っていったい何?
俺、気づかなかったけど・・・。
「訳尻顔」のこと?

102 :日本@名無史さん:2005/08/17(水) 20:49:30
結果を知っている我々であれば児玉の旅順行きについて
あれこれ言えるのだろうが、あの次点ではたして・・・
どうなのかなあ?
一瞬、戦局以上にもっと深い意味を考えてしまった。

103 :日本@名無史さん:2005/08/18(木) 00:21:55
太平洋艦隊(でいいんだっけか?)はバルチック艦隊が来る前に
始末しておく必要があった。
だから熟して自然に落ちる迄なんて

”待ってられない。”

だから無能な乃木に変わって児玉が指揮を執った。


以上が坂の上の雲しか読んでいない俺の認識です!!

104 :日本@名無史さん:2005/08/18(木) 07:40:47
確かに結果として旅順要塞は陥落したのだけれど。
第七師団を投入した次点で、児玉が旅順に向かった次点で、
攻撃目標を203高地に決定して、攻撃した次点で
という次点で「熟して自然に落ちる」要塞だったのだろうか。
消耗戦という理論だけではどうにも納得できないね。
それに「熟して自然に落ちる」は桑原嶽の表現じゃあなかったけ
太平洋研究会・近現代史編纂会もしてたかな…
ロシア軍の食料?砲弾?兵員?戦意?
乃木の無能は横に置いて、自然の落ちる状況説明を誰かして

105 :日本@名無史さん:2005/08/18(木) 08:04:40
>>104
児玉が旅順に行った目的は、二○三高地攻撃の督戦。
児玉は二○三高地奪取後、すぐに総司令部へ戻った。
二○三高地については、既に山頂の争奪戦は何度も繰り返され、
ロシア側の守備兵力は枯渇しはじめ、まさに熟し柿が落ちるのを
待つ状況だった。
この時点で児玉が来ても、それほど二○三高地の戦局に変わりはない。
また要塞としては二○三高地陥落後も抵抗を続け、主要堡塁が陥落する迄は
降伏の気配はなかった。児玉が督戦に出向いた二○三高地戦は、要塞の生死
を制するものではなかったので、児玉が旅順に来たのが要塞陥落に影響した
可能性は低い。

>「熟して自然に落ちる」は桑原嶽の表現じゃあなかったけ
桑原嶽なる者が書いているから納得できない、そういう心情が見受けられる
が、もしそうだとすればそれは偏見というものだ。
この表現は昔から使われていた。昭和40年代に福田恒在が既にそういう表現
を用いている。

106 :日本@名無史さん:2005/08/18(木) 08:35:15
なるほど、ありがとう。
で、もう少し聞いていい。
児玉は督戦して二○三高地奪取後、すぐに総司令部へ戻った。
わけだよね。それで、よく批判される
『坂の上の雲』の二○三高地に向けて重砲の移動と集中砲撃
奪取して後の攻防戦での危険な援護砲撃。それに伴う
第三軍の参謀や砲兵指揮官たちとのやり取りはなかったのかなあ
だから『坂の上の雲』が批判されているのかな
そこのところを宜しくお願い致します。

107 :日本@名無史さん:2005/08/18(木) 09:18:55
つか食料があと数ヶ月分しかなかったそうだから、
児玉の言うとおりにそのまま、柵でもつくって封じていれば、
自然と一兵も損なわずに落せたと思うのだが。

108 :日本@名無史さん:2005/08/18(木) 09:44:49
坂の上の雲で日露戦争云々するなばかー

109 :権太郎:2005/08/18(木) 09:45:47
>昭和40年代に福田恒在が既にそういう表現を用いている。

司馬遼はその後に『坂の上の雲』を著したわけだよね。
当然膨大な資料を睨みながらの執筆であり、筆を入れるにあたっても
準備期間も相当あったと思う。彼の得意とする戦国物や幕末物とは
延長線上にあっても異質な時代背景だったよね。
相当神経を使ったとも思う。
にも関わらず、「熟して自然に落ちる」という姿勢はとらなかった。
それが、司馬の姿勢のいいかげんさとか悪意とかにどうしても
結びつけないのだが、どうだろう。
福田恒在氏の表現の位置付けはどれほどの信憑性があったのかとか
そのへんをもっと知りたい。

110 :日本@名無史さん:2005/08/18(木) 11:07:16
性根が単純な非武装中立論者(恐らく司馬は自覚してない)が、当時の国際環境を不服ながら、認め、捻り出された珍説=坂の上の雲。(その他個人的な軍隊経験も珍説ぶりに微妙な味付けを加えた。)

111 :日本@名無史さん:2005/08/18(木) 11:19:32
司馬遼太郎は非武装中立論者だったとは。
軍隊経験云々というとその経験をした者たちが80歳以上の現時点で
そう云える者は限られてくるなあ。もしくはそういう者たちが
著してものに強く影響を受けているのかな。

>坂の上の雲で日露戦争云々するなばかー
>珍説=坂の上の雲

となると、「坂の上の雲」はまったくのねつ造作品で
歴史を語る上での禁じ手となっているのかな

112 :日本@名無史さん:2005/08/18(木) 11:30:34
戦争で戦うよりは、北朝鮮に征服されればいいとか言っていた>司馬

113 :日本@名無史さん:2005/08/18(木) 12:07:58
ええ?言っていたかあ?

114 :日本@名無史さん:2005/08/18(木) 12:11:37
>>112ソースは?

115 :日本@名無史さん:2005/08/18(木) 12:43:12
司馬なら言っても驚かない。

116 :日本@名無史さん:2005/08/18(木) 13:31:46
なんで、そんなに司馬を否定、拒否、拒絶するの?
文面から憎悪が滲み出ているようなんだが
あなただけじゃなくて、そういうタイプ多いよね。
歴史オタク共通トレンドなの?
そういう風に振る舞うと知的に見えるのかな
はたで見ているとどうにも見苦しいのだが、
乃木論が関わっているのかなあ?

117 :日本@名無史さん:2005/08/18(木) 14:05:10
>>116ちなみに司馬作品以外で日露戦史何か読まれましたか?

118 :日本@名無史さん:2005/08/18(木) 14:23:50
>>109
>>昭和40年代に福田恒在が既にそういう表現を用いている。
>司馬遼はその後に『坂の上の雲』を著したわけだよね。

逆。
司馬が『殉死』『坂の上の雲』を著したのち、福田がその批判を書いた。
そして、その批判に対して司馬は返答しなかったとも聞く。
ただ、福田は司馬の本に嫌悪感は感じていないようで、理解を示している
ところもある。むしろ、特定の作品(この場合坂の上の雲)ではなく、当時
の時代小説全体について物申す、といった書き方だった。
ちなみに、同時期に同じような乃木愚将論を展開した福岡徹の小説は「論外」
の一言で突き放している。

119 :権太郎:2005/08/18(木) 14:40:56
なるほどそういうことなのか。
もっと聞きたい。
その福田恒在の本って何ていう本なんですか?
結構、まともな本なんですよね。
やっぱり「木が熟す」感じなんですかね。


120 :日本@名無史さん:2005/08/18(木) 14:46:03
>>119
ずーっと気になってたんだが、木は熟さないよ。
熟すのは機か柿だろ。

121 :秋山真之『天剣漫録』:2005/08/18(木) 14:47:50
23,世界ノ地図ヲ眺メテ日本ノ小ナルヲ知レ24,世界ヲ統一スルモノハ大日本帝国ナリ 秋山中将はこの様なメンタリティの持ち主であった(これは戦前のエリートの素朴な気概ではないか?まれにそうじゃない人もいたが…)

122 :121続き:2005/08/18(木) 14:53:13
坂の上の雲での真之像と全然違う。上で指摘してる方がいるが、乃木像など論外。その他諸々…

123 :権太郎:2005/08/18(木) 15:47:52
どふぉ、「柿」です。柿でがんすよ。
やっぱり。熟して傷んですかね?

124 :日本@名無史さん:2005/08/18(木) 16:12:15
陸軍的には旅順なんか竹矢来で囲んどけばすむ存在。海軍のために攻撃した。

125 :日本@名無史さん:2005/08/18(木) 16:16:21
乃木がいずとも児玉がおるの
長州には

126 :日本@名無史さん:2005/08/18(木) 16:18:42
>>120
粘着ウザい。とっとと新でくださいね。(はぁと)

127 :日本@名無史さん:2005/08/18(木) 16:27:52
こないだ、江ノ島の児玉神社に行ったんだけどさ
平日の昼前、女性ばかり30人ほどが拝殿でお祓いを受けてて
しかもお祓いをしてる神主さんも女性なの。
なんかすげーカルトっぽかったんだけど、
詳細わかる人いない?
そもそもなんで児玉源太郎を祀る神社にあんなに女性ばかりが
集まってるのかも謎だ。

128 :日本@名無史さん:2005/08/18(木) 17:38:01
初めて知った、児玉ちゃんの神社が江ノ島にあるって!?

129 :権太郎:2005/08/18(木) 18:36:54
児玉神社ってね。盟友の杉山茂丸が自費で建立したんだよ。
泣かせるよね。おかげで借金のカタで差し押さえられたり、
大変だったみたいだ。火事にもなるし。
江ノ島にいったら児玉神社にお参りしよう。
お賽銭は五円じゃだめよ。百円ね、百円。

130 :日本@名無史さん:2005/08/18(木) 18:40:59
児玉源太郎は天才じゃい!!

131 :日本@名無史さん:2005/08/18(木) 18:45:17
児玉の故郷の徳山にも児玉神社があるが、駄菓子屋並みに小さく、地味で目立たない
ので詣でる人は少ない。地元の人も児玉のことを余り知らなそう。
過去には児玉の徳を偲んで台湾から訪れる人も居たそうだが。

132 :日本@名無史さん:2005/08/18(木) 18:55:38
後藤新平を起用しての児玉の台湾経営はほんとに画期的な成果をあげたからね。
もうすこし長生きしてれば確実に総理大臣になってたろうけど(本人もその気だった)、
児玉の行政手腕を国政レベルでみてみたかったな。
もうしこし長生きしてれば、明治末の桂園時代が、
玉園時代になってたかもしれんね。

同じく台湾総督だった明石元二郎も、総理大臣にしたかった人物だが。

133 :権太郎:2005/08/18(木) 18:56:26
そう、それ。全国で二軒だけ、徳山っていれられなかった。
そうか、駄菓子屋並みに小さいのか。
児玉さんは台湾の人にも人気があったんだねぇ。
いい話だ。しかし、駄菓子屋並みとは・・・。

134 :日本@名無史さん:2005/08/18(木) 19:40:22
司馬の小説に対しては、今村均元大将も、読売新聞紙上で反論してるな。

135 :日本@名無史さん:2005/08/18(木) 23:01:18
徳山藩出身ということで、長州閥の「養子」という表現をよく見たことがある。
台湾総督兼任は内務大臣専任になると予備役編入
(現役軍人が陸海軍大臣以外の大臣に就任すればその時点で予備役編入。
 故に、現役軍人が首相に就任する際に「特に現役に列す」という勅語を
 賜って現役のままでいるというのが第一次山県内閣以来の慣例)
となるので、現役軍人の身分を保持するために台湾総督
(当時台湾総督は現役軍人でなければ就任できない職)
を保持していたと推測する
(台湾総督兼内務大臣であれば、台湾総督との関係で現役軍人という身分は維持できる)

ただ、生きていれば首相確実かどうかについては、日露戦後の満州経営をめぐって、
児玉参謀総長(当時)が陸軍による排他的経営を主張して、伊藤(+山県+山本権兵衛)に
「何寝ぼけたことを言っている。 ゴラァ」
と一括されているのが不安材料。

136 :日本@名無史さん:2005/08/18(木) 23:26:24
>伊藤(+山県+山本権兵衛)に
>「何寝ぼけたことを言っている。 ゴラァ」
>と一括されているのが不安材料。


児玉はたしかに本藩ではないし、早くに死んだ山田顕義の直系だから
筋目としては桂よりは弱いのは事実だが、
同世代でいえば、あの寺内正毅でさえなれた総理だよ?


137 :権太郎:2005/08/19(金) 07:22:51
確かに寺内あたりが総理になったよね。
しかし、「あの寺内」の「あの」が総理になる原動力だったのかも
児玉には「あの」はなかったから、そのような意志も本人は持たなかった
のではないだろうか。児玉の原動力は「時代の場」だと思う。
児玉の寿命がもっとあって、その「場」を危機感として、彼が感じれば
長州閥に関係なく総理になったと思うなあ。
山本権兵衛も好きだけど、児玉をハナ差評価を上げてしまうのも
そのへんにあって、惜しまれつつ死んだ者の特権なのかな・・・。

138 :日本@名無史さん:2005/08/19(金) 11:14:18
をいをい、みなさん田中義一って首相も山口出身だぞ 
たまには何か書き込んでくれ

139 :日本@名無史さん:2005/08/19(金) 13:21:14
だって、切り札、児玉のサイト、でしょ。
田中義一は切り札じゃあないもん。
でも、長州なのになんで「オラが」なの?
「ワシが」なら分かるけど・・・。

140 :日本@名無史さん:2005/08/19(金) 14:12:16
田中も切り札だったんだけどね。
晩年の田中は?だらけだけど、若い頃はなかなかのものだったらしい。

141 :日本@名無史さん:2005/08/19(金) 15:43:42
ロシア通の田中は旅順侮りがたしと警告を発した。よね。

142 :日本@名無史さん:2005/08/19(金) 16:21:52
ロシア留学組の田中が日露戦争の事実上の作戦立案者。

143 :日本@名無史さん:2005/08/19(金) 16:57:22
松川じゃあないんだ!?

144 :日本@名無史さん:2005/08/19(金) 17:00:57
>143
日露開戦前に露西亜に留学していたのは廣瀬中佐だけじゃないのですよ。

145 :日本@名無史さん:2005/08/19(金) 20:21:17
児玉神社/女性宮司でぐぐったら、ある個人名がヒット
で、その名前でもういっかいぐぐったら・・・orz

http://www.google.com/search?sourceid=navclient&hl=ja&ie=UTF-8&rls=GGLD,GGLD:2004-36,GGLD:ja&q=%E5%B1%B1%E6%9C%AC%E7%99%BD%E9%B3%A5

146 :日本@名無史さん:2005/08/19(金) 20:27:36
義一は児玉のお気に入りだったはず

147 :日本@名無史さん:2005/08/20(土) 19:46:02
>>146
お気に入りだったの?田中は田中でも、田中国重の方の間違いじゃない?

極東ロシア軍がどのように増員されるかを予想するための重要な情報、シベリ
ア鉄道の輸送力を、故意に少なく見積もった資料を田中が出した時、児玉はそ
れを知っていながら見過ごしたというが、このあたり、頼もしい奴と判断した
か、それとも信用ならん奴と判断したのか、どうだろうか。

148 :日本@名無史さん:2005/08/20(土) 19:58:43
日露戦争の計画は田中(義一)の新智識の俟つ所尠からず、
既にして戦ひ開くるや満洲軍総司令部の一参謀として
児玉(源太郎)を補佐し、児玉も夙に田中を愛すること我子の如く
なりしを以て能く彼の献策を用ゐたり

鵜崎鷺城『薩の海軍長の陸軍』

149 :日本@名無史さん:2005/08/20(土) 20:54:45
そんなんじゃなくて

>田中が日露戦争の事実上の作戦立案者。

つうのをはっきりしめしてくれ。

150 :日本@名無史さん:2005/08/20(土) 23:11:14
>>142が田中歩兵少佐が作戦立案者といっているのはこういうことだろうか。
>142どうか。

満州軍総司令部参謀部業務分担区分表(機密日露戦史)

満州軍総司令官

総参謀長

第一課(松川大佐) 第二課、第三課は省略

河合歩兵少佐・機密作戦日誌
田中歩兵少佐・作戦に関する命令、訓令、通報、報告の起案

これを見れば田中参謀の任務は一目瞭然。作戦に関する諸々の起案、である。
作戦立案、が任務ではない。勿論、少なからず貢献しただろうとは思うのだが
彼の名のみが立案者の名に相応しいというものではなかろう。

>>148
児玉を補佐し、って、松川参謀をすっとばしている時点で疑問符がつく。

151 :日本@名無史さん:2005/08/21(日) 07:54:12
田中義一の貢献は認めるとしても

>日露戦争の事実上の作戦立案者。
>(松川じゃあないんだ?のコメントに)
日露開戦前に露西亜に留学していたのは廣瀬中佐だけじゃないのですよ。

が勇み足だったね。個人的は田中義一は好きなんだけど。

152 :日本@名無史さん:2005/08/22(月) 08:25:10
菅直人の息子の源太郎って、児玉にあやかった命名なんだってね。

153 :日本@名無史さん:2005/08/22(月) 09:11:05
切り札は切り札でも中卒ニートのリーサルウェポンだからなw



154 :日本@名無史さん:2005/08/22(月) 10:36:56
変な突っ込みだな。
笑いもとれていないし。

155 :日本@名無史さん:2005/08/24(水) 15:06:09
 戊辰戦争後ニートになりかけて、山田顕義に拾われて下士官学校に入学。
 たたき上げだね。





156 :日本@名無史さん:2005/08/24(水) 18:13:00
ニートと一緒にしては児玉に失礼。ニートには友達も居ないし
何も出来ない、せいぜい、2ちゃんねるで朝鮮人の悪口書くくらいだが、
児玉は国家の舵取りが出来る。きみたちニート諸君には何が出来る?


157 :日本@名無史さん:2005/08/24(水) 18:19:03
今の政治家二世と同じで、たまたま生まれた場所が良かっただけといえなくもない。

158 :日本@名無史さん:2005/08/24(水) 22:10:08
長州(支藩だけど)に生まれたのはたしかに幸運だが、
長州人でなくてもあれだけの才能なら世には出たろう。
幸運っていうのは、乃木大将のことをいうんじゃないかね。
ぎゃくに立見尚文中将なんかはあれだけ才能があったのに、
桑名生まれだったことは不運だったね。
じゅうぶん大将になれたと思うが。


159 :日本@名無史さん:2005/08/24(水) 22:20:18
立見は大将になったし、乃木は別に無能じゃない。

160 :日本@名無史さん:2005/08/25(木) 06:07:37
立見は大将になりました。その実力で。だれも異議はないでしょう。

乃木は、残念ながら無能です。

161 :日本@名無史さん:2005/08/25(木) 13:39:43
>>160
乃木が大将になったのも、実力さ。そして相応に有能だった。
連隊長、旅団長、師団長、軍司令官と、これら戦場での指揮官の役割を
全て通って大将まで上り詰めたというのは珍しい。
これを実力でない、無能、というのはとどのつまりは偏見でしかない。

ああ、児玉のスレだったっけ。
児玉が大将になったのも実力によるものだ。そして相応に有能だった。
ただ、児玉は乃木と対照的に、現場指揮官としての経歴はほとんど無い。
言っておくが、だからといって児玉の価値が下がるものではないぞ。
適材適所というか、そういう人材だったのだろう。

162 :日本@名無史さん:2005/08/25(木) 19:02:44
帝國陸軍に関してある程度の知識があれば乃木を無能なんて看做さない。
乃木を無能なんていってる奴は、自分で、自分は馬鹿ですと触れ回ってるようなもんだ。
まあ本人がそれで気にしないというなら他人がどうこう言う事じゃないけど。

163 :日本@名無史さん:2005/08/25(木) 22:35:25
乃木ねえ。
どうしたものか・・・。

164 :己を知るもの:2005/08/25(木) 22:49:04
>乃木を無能なんていってる奴は、自分で、自分は馬鹿ですと触れ回ってるようなもんだ。

馬鹿だ!馬鹿だ!馬鹿だ!馬鹿だ!馬鹿だ!
おれは馬鹿だ!
馬鹿だ!馬鹿だ!馬鹿だ!馬鹿だ!馬鹿だ!
おれは馬鹿だ!
どうしてこんなに馬鹿なのか?
だあれか教えてくださいなあ!

165 :日本@名無史さん:2005/08/25(木) 22:50:16
乃木はさして優秀でもないが、無能呼ばわりされるほどでもない。まあ並みの人物ですね。

166 :日本@名無史さん:2005/08/25(木) 22:51:10
無能

167 :日本@名無史さん:2005/08/25(木) 22:56:34
おまえの馬鹿か、オレも馬鹿なんだ、仲間に入れろ!

>連隊長、旅団長、師団長、軍司令官と、これら戦場での指揮官の役割を
全て通って大将まで上り詰めたというのは珍しい。

馬鹿なオレには(↑)ココがさっぱりわからない。

168 :日本@名無史さん:2005/08/25(木) 23:00:29
>帝國陸軍に関してある程度の知識があれば

それほど馬鹿ではないと思うのだが
この記述がわからない。
やっぱり馬鹿なのかな。

169 :日本@名無史さん:2005/08/25(木) 23:02:34
不能

170 :並みの馬鹿:2005/08/25(木) 23:05:30
並みの無能

171 :日本@名無史さん:2005/08/25(木) 23:14:48
>>165
10段階で6くらい。第三軍に乃木というのは、ほかとの比較でいくと
まあベターな選択だったと思う。

児玉に話を戻すと、秀雄伯は親父さんにかなり似てるね。

172 :日本@名無史さん:2005/08/25(木) 23:17:39
しかし、打てば響くというか
馬鹿祭だな。
誰だ?ここに乃木をひっぱり出したのは?

173 :日本@名無史さん:2005/08/25(木) 23:23:58
10段階で4くらい。第三軍に乃木というのは、ほかとの比較でいくと
まあバターの好きな犬だったと思う。

児玉に話を戻すと、清はこの夜、星は一徹に似てないなね。

174 :日本@名無史さん:2005/08/25(木) 23:34:19
20段階で6くらい。

175 :日本@名無史さん:2005/08/26(金) 00:07:04
第四軍の野津道貫・上原勇作のコンビを旅順にもって来るべきであった。
乃木の能力以前に人事ミス。

176 :日本@名無史さん:2005/08/26(金) 00:59:17
>>175
強襲で抜ける程度と判断したから、野戦が得意という評判の軍司令官と、
専門が砲兵の軍参謀長のコンビを選択したのだろう。
大本営が、旅順をどう判断していたかがうかがえるエピソードといえる。

ここらへん、児玉も関わってるんだよな。
重砲を旅順攻略軍に加えるかどうかの判断で、必要とする意見に対して
そんなものはいらん、と突っぱねたのが当時の参謀次長、児玉源太郎。

177 :日本@名無史さん:2005/08/26(金) 06:45:27
>>176
>そんなものはいらん、と突っぱねたのが当時の参謀次長、児玉源太郎。
 そんなものはいらん、と突っぱねたのは第三軍伊地知参謀長。
 児玉が28インチ砲を取り寄せて、203高地を陥落させた。
 
 
 
 



178 :日本@名無史さん:2005/08/26(金) 09:22:33
児玉源太郎について、なのに乃木の話か
人気があるんだろうね。
しかし、そんなに乃木は有能な指揮官だったのかな。
既成の「乃木凡将」説のアンチ理論のほうが知性をアピールできると
思っているのだろうか?
>児玉の価値が下がるものではない  (としながら)
>児玉は乃木と対照的に、現場指揮官としての経歴はほとんど無い。

の表記はひっかかるなあ。日清戦争で師団長と後方責任者のことを指しているのか。
陸軍スタート(軍曹と少佐の対比)は児玉のほうがはるかに早く
佐賀の乱、神風の乱、西南戦争と児玉のキャリアは十分と思うのだが。
対照的って? 児玉が優秀で軍中枢部に位置していたことが気にくわないと
いうのだろうか? それよりも
第三軍司令官就任までの乃木クラスの中将にはもっと優秀な将官は沢山いたと思う。
藩閥人事がなければの条件付きだけれども

179 :日本@名無史さん:2005/08/26(金) 10:20:36
77777
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180 :みうほま:2005/08/26(金) 10:26:03
何?これ?

181 :日本@名無史さん:2005/08/26(金) 11:34:52
乃木は、軍事技術が進歩していた時期に休職が多くて情報に乗り遅れたという面で不運だったかもな。
もっとも、昭和陸軍でも大佐以降は勉強しない人が多かったそうなので五十歩百歩か。

182 :日本@名無史さん:2005/08/26(金) 12:02:53
いやあ、その場があっても本人が積極的に学ぼうという意識がなければ
効果はないし、身につかないよ。
結局彼が拠り所にしたとのは「山鹿流」だけだっだろう。
「近代軍事学」自体に拒絶と苦手意識があったんじゃないだろうか
もっとも、もう十年若ければ否応なく学ばなければならなかったんだろうが
現代でいえばパソコンに戸惑う中年管理職であって、それを棚上げして
社員精神教育推進顧問に邁進しなんだろう。
これを無能の絶好の隠れ蓑として。それ以上でもそれ以下でもないな。

183 :日本@名無史さん:2005/08/26(金) 13:17:31
>>52
乃木は児玉より年が上だからね。そういう配慮はあると思う。
児玉は長州の恩恵を政治家として十分に受けているよ。

184 :日本@名無史さん:2005/08/26(金) 20:01:23
>>178
佐久間左間太(長州)休職
岡沢精(長州)侍従武官長
乃木希典(長州)留守近衛師団長
長谷川好道(長州)近衛師団長
西寛二郎(薩摩)第二師団長

第三軍司令官に就任可能なのはこのあたりまでだろう。
数年開戦が早ければ佐久間だったんだろう。軍司令官要員の中部都督だったし。
しかしそれで乃木良い結果が出たとは思えない。長谷川、西も野戦の猛将では
あるけど、要塞攻めは未知数だし、人格加味して乃木が一番ましじゃないか。
まあ野津上原親子と入れ替えるというのが一番良いとは思うが。

185 :日本@名無史さん:2005/08/26(金) 21:51:43
おお、いいデータだね。
ただ、長州の長谷川にいかなかったのが
野戦の猛将でなかったというところをもう少しツッコンでよ。
批判じゃないよ。誤解しないでね。

186 :並みの馬鹿:2005/08/26(金) 22:05:48
乃木は野戦の猛将なのか・・・
知らなかった・・・
誰にも云えない・・・
また秘密ができてしまった・・・

187 :日本@名無史さん:2005/08/26(金) 22:30:42
>>177
こらこら。
日露戦争が始まる前の話だぞ。伊地知がどうやって関わるんだ。

188 :日本@名無史さん:2005/08/26(金) 22:39:36
長谷川は児玉と同じく山田に見出された人だけど、乃木以下だろうな。人間的にも。
戦争の真っ最中に、韓国駐剳軍司令官に”栄転”した人だから、その評価の程がわかる。

189 :日本@名無史さん:2005/08/26(金) 22:43:15
>>178
陸軍という組織として全体を見ると、皆が皆で第一線でドンパチやってりゃ
いいってものじゃない。戦闘に関与するものもあり、また政治に関与するも
のもあり、と、それぞれの役割があるでしょう?
第一線指揮官として活躍した人材と、参謀職に活躍した人材と、それぞれに
考えたいね。職それ自体の軽重を考えることのに何の意味がある?

> 佐賀の乱、神風の乱、西南戦争と児玉のキャリアは十分
西南戦争での児玉のキャリア、それも参謀としてのものだ。
児玉が第一線の指揮官として戦った功績って神風連が最後だっけっか。

190 :日本@名無史さん:2005/08/26(金) 22:50:37
乃木が第三軍司令官に任命されるのと同時に佐久間が東京衛戍総督に任命されてる。
この二人どっちを使おうかという比較論が陸軍省や大本営にあったのは想像できる。
佐久間も猛将は猛将だけど、頭が古く対露戦には使えないという判断があったんだろう。
岡沢は侍従武官一筋だし、結局乃木がベターだ。
山地や川上が生きてりゃ、色々変わっただろうけど、そんなことは言ってもしょうがないし。

191 :日本@名無史さん:2005/08/26(金) 22:57:11
>>181-182
乃木が生涯に渡って勉強家だったと聞くが。晩年の渡欧のお土産の多くが
向こうの軍事書物だったとか、軍事用にと、東北にスキーが伝わったのに
も乃木が関与しているとか。
古い事も知っていたし、新しい事も知っていた、というのが本当の所だろう。
でも、現代では「山鹿流」のみがクローズアップされているのだな。不思議。

192 :日本@名無史さん:2005/08/26(金) 23:11:06
長谷川といえば来日したクロパトキンを睨みつけてびびらせたというエピソードがあるが、
戦場での働きはあんまり聞かんな。こういう人こそ長閥の恩恵を目一杯うけた人だと思うが。

193 :日本@名無史さん:2005/08/27(土) 00:11:25
長谷川は薩長出身でなければ、中佐でクビだな。

194 :日本@名無史さん:2005/08/27(土) 07:13:34
長谷川が云々は別として、基本考察に「長州閥」というのがあるわけか。
それで乃木がベターとか結構優秀だったんだとするのかな。
長州に人がいなかった。と結論づけることになるよ。
まあ児玉と比べて優劣を論ずること自体おかしいのだが、
以外と乃木信者が多いのが歴史オタクのトレンドだからしょうがない。

黒木、野津が薩摩 奧が小倉 で長州から是非とも
で、乃木か、乃木なんだろうね。
藩閥関係なしなら、小川又次、立見尚文が中将(師団長)クラス
個人的には梅沢だが少将じゃあ、ちょっと無理だよね。

ああ、絶対長州というのなら井上光じゃあダメなのかな。
師団長のかわりはいくらでもいるだろう。

195 :日本@名無史さん:2005/08/27(土) 07:21:38
小川は人望に欠けるし立見は先任順からいって無理。井上光も同様。

196 :日本@名無史さん:2005/08/27(土) 07:37:38
やっぱり軍団長っていうのは「人望」が第一なのかな。

197 :日本@名無史さん:2005/08/27(土) 07:49:16
軍司令官の人望ってなんだ?


198 :日本@名無史さん:2005/08/27(土) 07:51:06
あの時代はまだ藩閥を無視した人事は無理だ。

199 :日本@名無史さん:2005/08/27(土) 07:51:08
小川が本当に嫌な奴かはともかく、ガミガミ煩く部下に人気はまるっきりなかった。
参謀適だろう。後年の上原勇作が同じタイプだね。
立見は年齢的には十分なんだけど何せスタートが遅かったから。
それから有能な中将はほぼ払底しており、師団長の代わりなんてそうそう求められない。

200 :日本@名無史さん:2005/08/27(土) 08:17:31
小川はイヤな奴か。
職業軍人として、高級軍人として、
その能力よりも「好きな人」「嫌な人」が優先するのかな?
まあ「人望」のあるなしでいえば、あるにこしたことはないが、
煩い上司って実際多いのも現実であって、
場所は戦場なのであれば、下手な戦で死ぬよりもましじゃないのかな。
それとも小川のガミガミは理不尽な、お馬鹿なガミガミだったのかな。
それよりも気持ちよく死んでいきたかったのだろうか?

>師団長の代わりなんてそうそう求められない。

日露の中盤から奉天会戦には
師団長クラスが結構交替してるね。長谷川や西、理由は別に土屋、松村
軍司令官の人事とくらべればそう難しい問題ではないんじゃないの
おっと、話は第三軍司令官だったね。

201 :日本@名無史さん:2005/08/27(土) 08:52:45
GD 長谷川好道->浅田信興
1D 貞愛親王->松村務本->飯田俊助
2D 西寛二郎->西島助義
4D 小川又次->塚本勝嘉
5D 上田有沢->木越安綱
10D 川村景明->安東貞美
11D 土屋光春->鮫島重雄
鮫島以外は旅団長からの昇進であり、いずれも開戦時は少将。
木越などはどこにだしても恥ずかしくない名将だが、如何せん若すぎる。

202 :日本@名無史さん:2005/08/27(土) 09:26:09
序列的にもいい頃合だしその中から旅順担当に選ばれたのは
単純に日清戦争で旅順を一日で落とした勇将だからじゃね?

203 :日本@名無史さん:2005/08/27(土) 09:38:44
佐久間が明治35年に中部都督を辞めてから、誰も任命せず、黒木に兼任させてた
ところからみても、丁度いい軍司令官要員がいなかったのは確かだろう。
乃木任命は消去法の結果だろうが、結果的にはまあまあだったんじゃないの。

204 :日本@名無史さん:2005/08/27(土) 11:15:59
大本営も総軍司令部も、乃木当人に対しては比較的同情的だった。
が、国民世論は痛烈だった。様々な嫌がらせもあったようだ。
最も同情的だったのが明治帝だが、しかし大量の戦死者報告に必ず目を通され、心痛されたそうだ。
このことは乃木にも聞こえており、慚愧に追い込まれたことが形式美を伴う死へと昇華していく。

205 :日本@名無史さん:2005/08/27(土) 13:20:41
>形式美を伴う死へと昇華 か

結局、乃木はすべてにおいて、形式的だったのではないだろうか。
ここの主役である児玉源太郎とは対極に位置している。
この二人が親友である点も面白いよね。

>丁度いい軍司令官要員がいなかったのは確かだろう。

うん。そうなるのかな。結果的はべつとして、
もし、仮に、なんらかの理由で、乃木以外の司令官となった場合は
一番現実的な(理想じゃないよ)線で誰だろう?

206 :日本@名無史さん:2005/08/27(土) 13:35:38
川村景明

207 :日本@名無史さん:2005/08/27(土) 13:43:01
>黒木、野津が薩摩 奧が小倉 で長州から是非とも
>で、乃木か、乃木なんだろうね。

そういう考えがそもそも間違ってる気がするよ。
乃木信者なんて言葉を使っているのも気になるな、偏見がかったその考え方を
変える気はないのかい?

戦歴や序列などなどから見ても、乃木が軍司令官になるのはそんなに
おかしなことではないだろう。

208 :日本@名無史さん:2005/08/27(土) 14:08:16
確か、日露開戦直前の田村参謀次長死後、乃木も参謀次長候補に上げられていたから、軍司令官の候補としては順当ではなかったのか
一番現実的なのは、上原と乃木の入れ替えだったのだろうが。
(先の大戦における南雲と小沢の入れ替えのように)

209 :日本@名無史さん:2005/08/27(土) 14:12:19
>>208
上原と乃木を入れ替えるって、乃木を参謀長にするつもり?

210 :日本@名無史さん:2005/08/27(土) 19:02:30
予備役寸前で休職していた中将だろう。
どうしても長州からださなければならない。ってことだから
乃木に落ち着くわけで、藩閥人事が絡んでいる以上
残念ながら乃木が適任だったって認めるよ。
でも、それを偏見と指摘するのが理解できない。
その当時の乃木はそんなに評価されていた将軍じゃないよ。
海軍の東郷だって同じような者だったけれど、後者は結果をだしたからね。
それをいうと、また「乃木信者」が
「乃木は旅順を陥落させたのだから立派に結果をだしたじゃないか」と
なるんで、話がややこしくなる。

211 :日本@名無史さん:2005/08/27(土) 20:55:43
乃木は結果を出してないのかw
一体何処のパラレルワールドの乃木の話なんだか。

まあそれはそれとして、じゃあ誰が良かったのか具体名を出せば話が広がる。
それを出さないんじゃどうにもならん。まるで社会党だよ。

212 :日本@名無史さん:2005/08/27(土) 23:30:21
野津・上原のコンビで大体のコンセンサスは取れてると思うけど。

213 :日本@名無史さん:2005/08/27(土) 23:39:23
上原は坑道戦を軽視してたからなあ。それに野津は野戦で使いたいし。
伊地知を落合に代えるのがいいと思う。

214 :日本@名無史さん:2005/08/28(日) 01:07:33
>213
坑道戦を軽視と言うよりも、そこまでの時間が開戦までに無かったと認識しているのだが。
それが軽視と言うならばアレなのだが。

215 :日本@名無史さん:2005/08/28(日) 01:43:44
(上原)元帥は戦後人に語って曰く「徐に旅順攻撃に対する失敗の跡を尋ぬるに、
もし戦前矢吹(秀一)兵監以来の大いに提唱した対壕坑道の教育を其の儘励行して
居ったならば、かくの如き悲惨なる犠牲を払わずとも、より速かに陥落し得たらんと、
これが予の工兵監としてただ一つの失敗であった」とあっさりかぶとを脱がれた

上原が言うように速やかに落ちたかどうかは疑問が残るが、当の本人が正直すまんかった
と言ってんだからそのままうけとればいいんじゃない。しかしこの発言は、
日本工兵は自分が背負ってるという自負が言わしめてる言葉でもあるな。

ちなみに強襲法から正攻法に切り替える断を下したのは乃木軍司令官。

ついでに上原の乃木評
「旅順攻略のことで、乃木大将と児玉大将とを比較するのは間違いだ。児玉大将と
伊地知少将との比較はされるが、あんなに死傷者を生ぜしめながら衆心一致最後まで
戦い通させたのは、やはり乃木将軍の武徳のいたしたところだよ」


以上常識的な話ばかりだと思うが一応

216 :日本@名無史さん:2005/08/28(日) 06:43:49
↑は今村均『乃木将軍は無能ではない』
(昭和四十二年七月十四日 読売新聞掲載)
と、他のレスであったけれど、それとも今村さんが上原のコメントを引用したのかな。
名将の誉れ高い今村均は良識の人でもあって、乃木の名誉が著しく傷つけられる
ことに危惧したのではないだろうか。
たしかに乃木一人が悪いわけではないことはみんな理解しているよね。
上原はその後陸軍首脳陣として、
また、対長州閥の薩摩閥の領袖として君臨した人物。
上記の発言が今村本人のものか上原の発言をもとにしたもの
かわかる人がいれば教えてください。
上原が率直に工兵の技術育成が遅れたことを認めている点は好感がもてる。
彼はその第一人者だったわけだからね。そういう事情と環境が存在した。
その責任を他に転換しない姿勢は評価していいだろうね。

217 :日本@名無史さん:2005/08/28(日) 08:17:59
> 海軍の東郷だって同じような者だったけれど、後者は結果をだしたからね

日本海海戦のことを言ってるのだろう?
だけど、東郷の功績を見てみなさい。
開戦冒頭の奇襲は失敗、閉塞作戦も失敗、戦艦二隻を封鎖作戦中に一挙喪失、
黄海開戦では取り逃がす・・・日本海海戦が無かったら、失敗続きのトンデモ
司令長官になるところだ。
これ最終的に「結果を出した」というのならそれはそれでいいよ。
しかし、それでいて乃木は結果を出していないと言うのなら、ダブスタだ。

218 :日本@名無史さん:2005/08/28(日) 08:45:48
>どうしても長州からださなければならない。ってことだから

>でも、それを偏見と指摘するのが理解できない。

では、「どうしても長州からださなければならない。ってこと」
をちゃんと説明しなければならないと思うのだが。
なんとなく、たぶんそうだろう、という程度の根拠ならば、それは
偏見であると指摘されても仕方ないことだ。

219 :日本@名無史さん:2005/08/28(日) 09:23:51
>217
失敗の内容が具体的じゃないな。やり直し

220 :日本@名無史さん:2005/08/28(日) 09:41:24
>>216日露戦史を書いていた谷寿夫に、今村を通して旅順について聞かれた上原

今村「世間では、大山総司令官が(児玉さん!けさから大砲の音がしていますが、
どの辺で戦っているのです)と、たずねたという話を、(さすがに大山さんは、
ふとっ腹の武将だ。戦争をしながら、戦争を知らんでいる。あんなに度量が大きい人だ
ったので、戦は勝ったのだ)と尊敬しております。
 これに対照しまして、乃木将軍は、難戦苦闘のために、神経衰弱になってしまい、
児玉総参謀長が、大山元帥の命令で旅順にやって行き、督戦して二〇三高地を占
領したので、ついに大勢を決したなどという人もあり、谷大佐は、この点につき元帥の
御所見を、聞いておいてくれと申しております」

上原「大山さんは、度量の大きな将軍ではあった。が、世間でいわれている、
(戦を知らんでおった)という話は、見当ちがいの説だ。上原のように、すべてのものに
めくら判がおせない性質とは反対に、大山さんは、大局上さしつかえないと思うものは、
細部に欠点があることを承知しても、黙ってめくら判のおせた人だ。それをいいことにし、
満州軍の総司令部では、大山さんを床の間の飾り物のようにし、大きな戦況は報告するが、
日々の戦況などは、すべて児玉さんどまりにしてきりもりしていた。大山さんだって人間だ。
出征軍の最高責任者として、陛下のおぼしめしや、父老の愛児の生死については、
他の者より、幾倍もの心配をしているのに、幕僚は日々の戦況を知らせない。その不満を、
(児玉さん。どの辺で戦っているのです)との言葉で、(戦況は報告しなけりゃなりませんよ)
という気持を、暗示したものだ。その証拠は、わしが第四軍参謀長として、総軍司令部に
出かけ、大山さんにお会いするたびに、(お主の軍のほうは、どんな戦況か)と、こまかく
質問し、(ここの参謀どもは、いそがしいものと見え、戦況を云いにこない)などと、
幾度も不満をもらしていた。が、あの元帥は、自己の幕僚どもを前にしては、不満の色を
顔にだしたり口にだしたりしなかったので、児玉総参謀長に発した質問を、元帥の大度量の
象徴のように語り伝えたものだ。だから今になって、しいて(あれは不満意志の表現だった)
などという必要はない。」


221 :日本@名無史さん:2005/08/28(日) 09:43:06
>>220続き

上原「それから乃木将軍の神経衰弱は、その時分、上原も聞いていたし、乃木さん
はじめ第三軍の首脳者幾人かを、内地に転職させ、他の人に旅順をやらせようとした者が、
大本営にも、総司令部にも、多くいたことは事実だ。いくら砲弾の補充を中央に要求しても、
思うようには送ってこないで、”唯早くやれ”とせかされる。結局幾万の肉弾が消耗される
だけで、戦果はあがらない。無神経の者ならいぎ知らず、どんな将軍が、乃木さんと代っても、
やっばり不眠症にもなろうし、神経衰弱にもなるだろう。さすがに大山さんだ。大本営や
総司令部の幕僚たちが、なんというたって乃木さんを代えることには、一切耳をかたむけず、
最後までやりとおさせた。あの難局下で、”第三軍将兵全員の、尊敬と信頼とを受け得る人は、
いくら神経衰弱になっていたって、乃木将軍の外にはない”ことを、大山さんはちゃんと
見ぬいていたのだ。児玉さんが旅順に行ったので、乃木さんの下の伊知地参謀長は、
督励されたであろう。が、旅順を攻略したのは、名実ともに乃木将軍だ。谷大佐にそう伝えておけ」


222 :日本@名無史さん:2005/08/28(日) 10:11:13
>>219
細部は自分で調べろ。
いちいち示されなければ満足できない? 子供でもあるまいし。

223 :日本@名無史さん:2005/08/28(日) 10:38:33
200-201 有難う。
非常に臨場感のあるニュアンスが堪能できた。

224 :日本@名無史さん:2005/08/28(日) 10:40:37
>222
事実の認識ではなく価値判断に関わる問題なので、看過できぬと言っている。
何をもって失敗と判断しているのかを逐一のべたまえ

225 :日本@名無史さん:2005/08/28(日) 10:57:18
話に割ってすみません。

>>218さんへ
なにを突っかかってきているのかわからないが。
181ぐらいからの読んでみて。
別に私が「長州だから」って持ってきたわけじゃないからね。
ここではそういうふうにコンセンサスとれてるのかと思ってたら。
びっくりしたな。

さあ、222 早く返答してやって!
みんな期待しているよ。

226 :日本@名無史さん:2005/08/28(日) 11:16:34
念のためいっておくが東郷は何一つ失敗しなかったと言っているのではない。
一例を挙げるなら汽船沈没作戦は明らかに失敗だった。
問題は、特に閉塞段階の精査を進めていく上で、必ず「陸上の旅順」という要因にぶち当たること。
鶏卵論争になっても仕方ないが、乃木が最終的に10万の兵を擁し、工廠が野戦砲弾の生産をストップして攻城砲弾の生産を行い、
多数の兵員損害、及び海軍並びに大本営の二○三高地への攻撃指向勧告を黙殺して東鶏冠山方面への正面白兵突撃を行い、
なお陥ちず、
その結果海軍の作戦にも支障を来したという事実は看過できない。
黄海海戦にしても、陸上の旅順要塞が日本の制圧下にあれば取り逃がしもなかっただろうと想像できる訳で。


だから、何をもって失敗と判断したのかは価値判断の問題であって、かつ重要。

227 :日本@名無史さん:2005/08/28(日) 11:33:46
>大本営の二○三高地への攻撃指向勧告を黙殺して東鶏冠山方面への正面白兵突撃を行い、

こんあ程度の知識でよくもまあ恥ずかしげもなく日露戦争が語れるもんだ。
感心するよ。

228 :日本@名無史さん:2005/08/28(日) 11:35:55
226を影ながら応援しているのだが。

>黄海海戦にしても、陸上の旅順要塞が日本の制圧下にあれば
>取り逃がしもなかっただろうと想像

これは、ちょっとまずいいよ。奴らは揚げ足をとりにくる。
こらはあくまでも想像ということで、
へんな突っ込みいれるなよ。えんがちょ!
222早く返答しろ!

229 :日本@名無史さん:2005/08/28(日) 11:40:38
強襲法による総攻撃が失敗した後は、乃木の決断で正攻法に切り替え延々と攻めてるじゃん
(まあ途中で我慢しきれず白襷隊なんてやっちゃったけど)。
それを一切無視して「東鶏冠山方面への正面白兵突撃を行い」とはこれは如何に。

230 :日本@名無史さん:2005/08/28(日) 12:14:07
>229
やってる。坑道掘ってる。
旅順が陥ちたのもそっちの積み重ねがあったことも認める。
東郷も失敗続きで最後に勝ったから名将だというなら、乃木も一緒で名将だろう、という論法で来るから話がおかしくなる。
乃木を弁護したいなら、状況への要因が乃木の能力権限云々を越えた場所にあったことを示さねばならん。

231 :日本@名無史さん:2005/08/28(日) 12:25:20
>>230
>東郷も失敗続きで最後に勝ったから名将だというなら、乃木も一緒で名将だろう、という論法で来
>るから話がおかしくなる。

そうか?
それをいうなら、これがそもそもおかしいって話になるだろう。

>海軍の東郷だって同じような者だったけれど、後者は結果をだしたからね。

まるで後者(乃木だね)が結果をだしてないみたいじゃないか。

232 :日本@名無史さん:2005/08/28(日) 12:28:41
途中で投稿してしまった。

東郷は名将だよな?
でも戦闘の経緯を見てみると、最後の日本海海戦以外は失敗の連続だ。

乃木はどうなのか?
戦闘の経緯を見てみると、たしかに失敗は多いが結果を出している。

これで東郷は(結果をだしたから)名将、だけど乃木は違うというのは
おかしいだろう。

233 :日本@名無史さん:2005/08/28(日) 12:51:28
実力が格段に上の國と戦争しているのに、個々の局面で全て完全勝利を
期待するほうが無理というものだろう。
そもそもロシア側では旅順は絶対に陥落しないと思われていたのだし、
日本側の想定を遙かに超えた強化がなされていた。
数々の困難を乗り越えて陥落させたことをもって、少なくとも乃木は良将とはいえるだろう。


234 :217:2005/08/28(日) 13:22:45
>>224
>事実の認識ではなく価値判断に関わる問題なので、看過できぬと言っている。

どこで?スレ番指定せよ。

235 :217:2005/08/28(日) 13:31:25
>>228
揚げ足もなにも、こんな馬鹿馬鹿しい話に突っ込む気にもなりません。
226の訂正、もしくは削除を待つのみである。

236 :217:2005/08/28(日) 13:43:18
連合艦隊の旅順攻撃の目的は、旅順艦隊の無力化ではなかったのか。

開戦冒頭の奇襲は、三艦に小破中破程度の損害を与えたのみに留まり
目的を達成できなかった。
港口閉塞作戦は、三度に渡り決行するも港口の閉塞はならず。
直接封鎖では、当時日本が所有していた六隻の戦艦のうち二隻を一日
で喪失した。
黄海海戦は、連合艦隊が待ち望んでいた「旅順を追い出されたロシア
太平洋艦隊との決戦」である。本来、必勝を期さなければならないこの
戦いに於いて丁字戦法を試み、あげく取り逃がした。加えて旅順遁走を
許したが、これによって爾霊山が陥落するまで長期に渡りロシア太平洋
艦隊の消長について議論せざるを得ない状況を作り、陸海軍双方につい
ての悩みの種を残した。

これらを「失敗」と呼ぶのになんの差し支えがあるのか。

237 :日本@名無史さん:2005/08/28(日) 13:45:27
まず始めに、「仮令多くの犠牲を生じ、正攻準備の一部を画餅に帰するとも最も神速
なあしむるを要する」ということで、第三軍を急かしたのは大本営である。
これによって強襲法による第1回総攻撃が行われた。この攻撃前に大本営の意を呈して
第三軍を訪れた井口少将は軍司令部と意見を交わした。井口少将の日誌に拠れば、第三軍の意見は
1.出来る限り攻撃開始の期日を短縮するよう勉めている。
2.軍の感触では、東郷聯合艦隊司令長官はそんなに急いでいない。
3.攻撃計画の順序を省略し、奇策や力攻を用いて攻めるのは、大局から見ても良くないし、
軍としても責任を持てない。
どういうわけか、3を無視し、2だけを取り出して第三軍を馬鹿にする輩が多いのは
不思議でしょうがない。尤も第三軍のほうでも、弾薬縦列を路上に5日も放置していたりと
輸送の手際が悪いのはいただけないが。

>>176に関して、重砲が要らんといったかどうかは知らんが
「次長は佐藤第五部高級部員をつかまえては(旅順への)兵力分配の不可を唱え、必要に
なったらやればいいと云った」と、旅順を軽視してたのは確かだ。



238 :日本@名無史さん:2005/08/28(日) 13:59:45
>232
何せ旅順での兵の損害は甚だしく、東郷と同日に論ずるのは難しい。海軍の損害も少なからずあったが。
乃木について言えば、事実昭和に入る頃までは裏も表もなく良将と扱われていた。

239 :日本@名無史さん:2005/08/28(日) 14:18:18
>別に私が「長州だから」って持ってきたわけじゃないからね。
>ここではそういうふうにコンセンサスとれてるのかと思ってたら。

なるほど、言い出しっぺは君じゃない、と。
要するに君は「尻馬に乗っただけ」ということだな?

では今後は、
「どうしても長州からださなければならない。ってことだから」
というのは根拠なしの戯れ言、ということを承知しておいてくれ。

240 :日本@名無史さん:2005/08/28(日) 14:25:27
小川がガミガミ言って人望がなかった、という話が199-200辺りにあったけど、ガミガミ小言を言うのについては、乃木だってかなりのものだったそうだ。
師団長自ら兵の身なりを点検し、ボタンが外れていたからどうだとか。
台湾出兵の頃は、食事運搬具に覆い蓋をしていないからと口うるさく言ったとか。
綱紀の乱れが噂される連隊では、夜に抜き打ち召集を掛けて説教とか。
この関連の話には事欠かないと言っていい。

でも、乃木には人望があったんだよな。小川とは何かが違ったんだろう。
軍司令官の選抜には、人望の有無というのがかなり重要なんだろうと思う。

241 :000:2005/08/28(日) 14:29:58
色んな記述を持ち出すのはいつものことだが、
肝心の本質をいつも外しているのもいつものパターンだな。
東郷(海軍)の戦いを失敗続きで最後の最後で成功した。とするのは
いいとしても、それを第三軍と一緒の次元におくのは不味いんじゃないかい。
一度に全部は書き込めないからちょびりちょびりといきます。
1)海軍の使命は勝利ではなく敵艦対の殲滅だった。
その意味で(仁川海戦)、黄海海戦、ウルサン海戦も戦い自体は勝った。
死傷者、艦船被害もロシア側に比べれば完勝といえるだろう。
ただし、取り逃がしてしまった(その戦果を確認できなかった)ことが
問題になっていて、「殲滅」という使命を果たしていないことになる。
旅順口閉塞作戦も苦肉から出たもので、東郷も成功の見込みの低さと戦闘員の
危険性を考慮して、なかなか煮え切らないでいた。でも戦争だからね。
で、三回失敗したんだが。
それを東郷艦隊がヘタレだったするのは酷というよりも悪意というものじゃあないかい。
では、乃木第三軍は酷じゃないのか!と当然くるだろうが。
それは次の書き込みかな。

242 :日本@名無史さん:2005/08/28(日) 14:39:43
>>241
いつも思うのだが、海軍の戦いについては殲滅という目的を達成していなくても
「死傷者、艦船被害もロシア側に比べれば完勝といえるだろう」とかいろいろ
と考え方を変えて擁護するよね。
でも、第三軍にはかなり酷な評価をする。それがわからない。

>それを東郷艦隊がヘタレだったするのは酷というよりも悪意というものじゃあないかい

ヘタレとか言ってるかな? 失敗を失敗と評価しているのは分かるんだが。
それとも君の考えが、失敗=ヘタレなのか?

旅順艦隊についていうのなら、とにかく旅順に存在しつづけたのが最後まで
問題になっているわけだ。脱出を決意した艦隊が旅順口を遠く離れた時点で、
戻らせるのだけは最低限くい止めなければなるまい。

243 :日本@名無史さん:2005/08/28(日) 14:49:14
いろいろな議論が行われている(いた)が、なんだ>>220-221で結論出てる
のか。
こういうのが世間に広まらず、「坂の上の雲」の見方が広まっているのは嘆かわしい。
最近では新聞とかでも乃木を擁護するコラムが出ているが、あれだな、小説が
絶版にでもならない限り払拭はムリなんだろうな。
でもムリだろうな〜、よく出来た作品だものな。

244 :000:2005/08/28(日) 15:02:00
いんや、僕はヘタレとはちっとも思っていないのだが、これ以前の記述が
そういうニュアンスでいっているのかと感じて先回りしてしまったのかもしれない。
気に障ったのなら誤るよ。
>戻らせるのだけは最低限くい止めなければなるまい。
それができなかったんだね。戦争の現場とはそういうものなのかもしれないな。
で、僕は東郷(海軍)は失敗したわけだ。
しかし、失敗にも色々ランクってものがあってさ。試験の回答みたいにはいかないね。
実際には日本海海戦前の三海戦でロシア太平洋艦隊は無力化していたわけだ。
それを確認できないから陸軍に旅順口攻撃の要望につながる。
制海権の確保は陸海双方の重要案件だった。
彼らはリアルタイムで戦っている。

245 :日本@名無史さん:2005/08/28(日) 15:27:23
だからさ、司馬とか「坂」とか「雲」とか関係ないって
なにかというとそれを持ち出すけど
鬼の首でもとったつもりでいるのかね。

246 :日本@名無史さん:2005/08/28(日) 15:35:04
あれだろう。司馬遼の「坂の上の雲」を読んでいるやつは
どうしようもなく馬鹿で洗脳されてる駄目な奴で
それ以外の本は読んでいない新興宗教にはまった奴ということなんだろう。
で、次にくるよ。
「そうなんだから仕方ないだろう」とか
「エッ?違ったの」とか
さあ、ふたつは潰したぞ、かぶらないようにしろよ。

247 :日本@名無史さん:2005/08/28(日) 15:51:54
>>244
>僕はヘタレとはちっとも思っていないのだが、これ以前の記述が
>そういうニュアンスでいっているのかと感じて先回りしてしまったのかもしれない。

書かれてもいないことを感じ取ってしまったということだが、それはおそらく
無意識的にしろ、君の心のどこかにあった感情なのではないだろうか。>ヘタレ
議論しようと思っているのならば、言葉選びというのは結構重要な事だ。
これで話がこじれて双方予想もしなかった方向に飛んでいったりしてな。
気を付けた方がいい。

248 :日本@名無史さん:2005/08/28(日) 15:54:21
>>246
「エッ?そうなんだから仕方ないだろう、違ったの?」とかどう?

249 :日本@名無史さん:2005/08/28(日) 16:33:32
坂の上の雲は小説というよりルポタージュ
価値は相応に判断すべきだ

250 :日本@名無史さん:2005/08/28(日) 16:39:08
「次にこうくるよ」ってのがハヤリなのか。
こう言っとけば正論が次に来ても「ほらね」とか笑ってごまかせるね。
なんか詐欺師のテクニックみたいでどうにも見ていてつらい。

251 :000:2005/08/28(日) 16:54:31
じゃあ。次ね。
2)大本営が第三軍に旅順強襲を強要した件
海軍の要請で旅順要塞攻略つーのが陸軍番外で持ち上がりました。
陸軍は旅順を攻略するつもりはなかったから情報収拾が十分でなかったんだね。
だから、日清戦争同様に軽く考えていた。これは反省すべきだろう。
それが第二軍の南山攻略の現実から、こりゃあただ事ではない。と
現地大本営設立につながるのだが、その第一使命は南満州のロシア本隊との
早期決戦、決着にあった。旅順は海軍の要請からのもので、あくまでも番外のもの。
大本営が第三軍に強襲云々を訓示したのは第一回総攻撃以前の話だ。
それ以降は東北方面よりも西方、二〇三高地攻略を懇願している。
それを頑なに拒んできたのが第三軍参謀部だった。
したがって、乃木三軍が大本営に戦術戦略を強要されたというのは事実と異なる。

これは東郷連合艦隊と乃木第三軍を同列に扱えないという意見からのもの。
一個づついきましょうね。


252 :000:2005/08/28(日) 17:50:24
で、いいのかな。

>「仮令多くの犠牲を生じ、正攻準備の一部を画餅に帰するとも最も神速
なあしむるを要する」

の大本営の命令はあくまでも第一回総攻撃以前の話ですよ。

東郷連合艦隊は「ロシア艦隊殲滅」という使命があった。これが日露戦争の
最初から最後まで一貫して変わらぬ使命です。
ロシア艦隊とは太平洋艦隊とバルチック艦隊のことです。
途中の失敗はあっても、これを見事に達成させたのが東郷連合艦隊だ。
対して、乃木三軍の旅順攻略には旅順港に潜伏する残存ロシア艦隊の燻りだし
および殲滅を目的に旅順攻略の意義があった。が、
旅順要塞そのもの攻略にウエートが傾いていた。どうせやるんなら全部まとめて
と最初はみんあ考えたんだろうね。ところが、旅順はそう簡単には陥落できない。
海軍も大本営も懇願するが聞き入れない。そして、旅順は落ちました。
さて、これをどうして、東郷と乃木を同列にできるのだろうか。
今日食べた昼食がチキンラーメンとフランス料理でも
お腹がいっぱいになって、腹に入れば同じさ。という具合にいかないのがここですよ。
おしまい。


253 :日本@名無史さん:2005/08/28(日) 18:08:47
第三軍は大本営直隷ではない。

254 :日本@名無史さん:2005/08/28(日) 18:36:50
そうだよ。
それがなにか?

255 :日本@名無史さん:2005/08/28(日) 18:48:17
248>>「エッ?そうなんだから仕方ないだろう、違ったの?」とかどう?

まったくかぶっているじゃないか。
だから馬鹿にされるんだよ。この小手先馬鹿
気の利いたことかけ!
乃木閣下万歳! 児玉源太郎のお友達!

256 :日本@名無史さん:2005/08/28(日) 18:49:00
>>254
それが何かわからないんならどうしようもないよ

257 :日本@名無史さん:2005/08/28(日) 18:59:44
え、何をいいたいの。
言葉が少なくて意味がわからない。
もっとちゃんと言って。

258 :日本@名無史さん:2005/08/28(日) 19:18:14
開戦前は旅順を軽視し、海軍に至っては、陸軍は旅順に関るなと放言。
ところが旅順攻略が必要となると、今度は準備の整わない第三軍を急かして
大損害を出させる。さらに直隷軍でもない第三軍に対して、総軍の頭越しに、
非公式な形であれこれと容喙>大本営
第三軍としては、始めに取り掛かった所を攻め続けたいと思うのは当然だろうし、
児玉もまた同意見だった。第三軍が、海軍の重砲隊を敵艦砲撃に使っていたことに
対し、大山も児玉は大反対で、すべての兵力を本攻に向けよと怒った。
しかし、聯合艦隊に遠慮がある第三軍は結局それを実行する事は出来なかった。
大本営がどうしても第三軍の主攻方面を変更させたかったなら、正式に総軍に命令を
下すか、戦闘序列を改正し、第三軍を大本営直隷にすべきだった。
それをせずに漢詩を送ったり、無任所の人間を送り込んだり・・・・
児玉の第三軍出向によって事なきを得たが、本来あんなことはあってはならないこと。
児玉にあんなことまでさせたその責任は大本営にある。

259 :日本@名無史さん:2005/08/28(日) 19:33:10
なんだそれをいいたかったの。
東郷と乃木の失敗の話に
237>第三軍を急かしたのは大本営である。
というのとが絡んでの流れでしょう。
あなたのコメントはどっちにでも取れてるから
気をつけたほうがいいわね。
残念ながら私はあなたのコメントに対して意見をいう必要がないの。
101にでも相手をしてもらいなさい。

260 :日本@名無史さん:2005/08/28(日) 19:35:14
101 :日本@名無史さん :2005/08/17(水) 20:32:38
誤字っていったい何?
俺、気づかなかったけど・・・。
「訳尻顔」のこと?

261 :日本@名無史さん:2005/08/28(日) 19:48:49
 ともあれこうした要塞に対する基本認識は情報以前の軍事知識の問題であったが、
当時のわが大本営以下、満州総軍も乃木第三軍司令部も全部が失格者であったわけである。
 従って旅順攻略の重点を最初から西方の二〇三高地に指向すべきであったとか、
その他各種の戦術的な細部の意見は、すべて後で判った事実に基づく結果論である。
例えば地図についていうと、日露公刊戦史に使ってある詳細な地図はいずれもロシヤ軍の
ものを戦後に日本式に作りかえたものであって、実際に乃木軍が使用したものは十年前の
日清戦争当時作製した二万分の一のはなはだ粗末な略図のような地図を持たされていた
に過ぎなかったのである。
 作戦計画は情報と情報以前の関連知識が整備されていて初めて可能となる。その点、
特に要塞攻略という近代的科学戦に無知であった当時の軍首脳者たちの責任が追求され
て然るべきである。
 族順要塞攻略失敗は、犬が東を向けば、尾は西を向くというような当然の結果が、この
近代科学戦で冷厳な事実として現われただけに過ぎない。
 日露戦後、族順攻略については各種の批評があり、極端な論者は乃木大将を「無能」
呼ばわりしたりしたが、「馬鹿者呼ばわりをする者の方が馬鹿である」とは、これは昭和十四年
陸軍大学校の現地戦史研究で戦史教官森赳大佐(終戦時の近衛師団長中将、殉職)が
二〇三高地上で私共学生に対し講義したときの結論であった。
 「軍首脳部が官僚化してしまえば、軍事知識も軍情報も低能化してしまい、その結果は
 知るべきのみというのが旅順攻略失敗の教訓であった。勇戦敢闘も空しく幾万の
 霊魂が今なお旅順の空に彷徨っていることを忘れるな」
 森大佐は私共を叱りつけるようにこう教えられたが、全くそのとおりである。

島貫重節『戦略日露戦争』

262 :日本@名無史さん:2005/08/28(日) 20:00:38
だって大本営の山縣・長岡のコンビは戦争はド下手糞なんだもん・・・

263 :日本@名無史さん:2005/08/28(日) 20:37:50
>>251
>それ以降は東北方面よりも西方、二〇三高地攻略を懇願している。
>それを頑なに拒んできたのが第三軍参謀部だった。
>したがって、乃木三軍が大本営に戦術戦略を強要されたというのは事実と異なる。

逆だよ。大本営が本当に主攻方面を変えたかったなら、命令で強制するべきだったんだよ。
それをしなかったことに問題があるんだ。懇願ってなんだよ。顔見合わせてはらの内を
判って欲しかったとかほざいてた緬甸の無責任コンビと同じじゃねえか。

264 :日本@名無史さん:2005/08/28(日) 21:37:56
>>252
>乃木三軍の旅順攻略には旅順港に潜伏する残存ロシア艦隊の燻りだし
>および殲滅を目的に旅順攻略の意義があった。が、
>旅順要塞そのもの攻略にウエートが傾いていた。

第三軍が命じられたのは、まさにその「旅順要塞そのものの攻略」なのだが。

チキンラーメンとフランス料理が何ですか?
妙な言い回しを思いついて書き込むよりも前に、第三軍が命じられた事が何
なのか、ちゃんと確認して下さい。

265 :日本@名無史さん:2005/08/28(日) 21:48:04
あとのツッコミとしてはこれか。

> 見事に達成させたのが東郷連合艦隊だ

たしかに敗残のセバストポリに止めをさしたのは東郷連合艦隊だ。
だが旅順に籠もったロシア太平洋艦隊を根絶したのは、陸軍(第三軍)。
いや、させられた、か。
本来ならば、これは東郷連合艦隊がやらねばならない仕事だったのだからね。

266 :日本@名無史さん:2005/08/28(日) 21:53:58
そこまで聯合艦隊を貶める事はない。そこまでやると、乃木叩きのアホと同列になる。

267 :日本@名無史さん:2005/08/28(日) 22:05:34
>>266
265だけど、批判はしているが、貶めてはいないつもりだ。

>見事に達成させたのが東郷連合艦隊だ

バルチック艦隊については完全に同意できるが、旅順艦隊については全く同意できない。
東郷連合艦隊は、八方手を尽くした挙げ句手詰まりとなっている。
陸軍が見事に達成させた、というべきだろう。多大な損害と引き換えに。

268 :日本@名無史さん:2005/08/29(月) 05:44:41
乃木は名将だが、東郷はそうじゃない。
失敗を嫌と言うほど積み重ねて、最後に対馬でラッキーな勝利を得ることで永久不滅の名誉を得た。

269 :101:2005/08/29(月) 09:58:37
258>>
>開戦前は旅順を軽視し、海軍に至っては、陸軍は旅順に関るなと放言。(その通り。)
>ところが旅順攻略が必要となると、今度は準備の整わない第三軍を急かして大損害を出させる。

これはおかしな指摘じゃないかい。旅順攻めは海軍の要請で急遽決定した。
もともと陸軍はその必要性がなかたんだ。「準備の整わない」とは
なにをさしていっているのかな。言い訳がましいぞ。
「急かして」→第三軍がせかされた理由は、元々兵力で劣る日本陸軍から
3師団+1師団相当を旅順にあてるわけだから早くかたづけて本隊と合流して
欲しかったわけだよね。ロシア本隊は満州にあるんだ。
海軍の要請の主旨は要塞本体じゃないよ。港内の残存艦隊への攻撃だ。
いずれにしても前者の急かしは第一回総攻撃前の旅順の力を誰もが
予想しえなかった段階のもので、後者は対バルチック艦隊襲来によるもの。
急かされて「大損害を出させる」という表現もどうかしてるぞ。

>さらに直隷軍でもない第三軍に対して、総軍の頭越しに、非公式な形であれこれと容喙>大本営

外野があれこれ言うのはおかしいね。明治天皇のもとにある大本営を外野とするのは抵抗もあるが、
僕もそう思うよ。日本軍隊の頂点は明治天皇であり、その下に総司令部と大本営が位置している。
下(↓)で誰かが宣ってるけど、「こんなことなら直隷軍にしてればよかった」だろう。
しかしさ、少なくとも天皇を戴く大本営じゃないか。簡単に「外野」とは云えないだろう。

>始めに取り掛かった所を攻め続けたいと思うのは当然

ここが第三軍の駄目さかげんじゃないか。第一回攻撃で当初の目論見とまったく違ったのに
「攻めたいとか攻め続けたい」そう思うことは当然か?
そのことは強要されたのでなく第三軍の意志だろう。周囲は方向転換を懇願していても、そ
れよりも当初の方針が優先したね。
「大損害」は第三軍が自ら選択したもので誰からも強いられていないよ。
しかも外野の声は聞かなかったんだから誰の責任なんだい。まさかロシアの近代要塞のせいにするなよ。
戦争は始まっているんだ。(残りはまたぼちぼちね)

270 :101:2005/08/29(月) 11:05:41
>第三軍が、海軍の重砲隊を敵艦砲撃に使っていたことに
>対し、大山も児玉は大反対で、

第三軍は満州軍総司令部に旅順攻略の作戦案を提示して遂行している。
それを許可したのが総司令部だ。(↑)はだったら目的を絞れということ。
ただでさえ、苦戦しているのにあっちこち手をだすのよ、ということだ。
「だってお前達は今度は「自信アリ」と報告してきたじゃないか。
それを達成しないで、なんで余計なことをやるんだ、早よせんかい。」
確実な定点観測のない所から砲撃しても戦果を確認できないだろう。
間違ってもこれを大山・児玉が最強東北部の攻撃を強要したとするなよ。
「目的を絞れ」といっている。だから >すべての兵力を本攻に向けよと怒った。 になるんだ。
これはなかなか進展しない第三軍が、大本営と海軍にようやく気兼ねしてきた
弱腰と迷いを総司令部として庇護している姿勢だよ。しかし、その過程は
第三軍の作戦報告(希望・意志)→総司令部許可→実行 なんだ。逆ではないぞ。
そんな記述の文献がどこにあるんだ?

以下は258さんの意見だね。僕もそう思うよ。でもそんなことは出来ない。
山県なんてどうでもいいよ。児玉の件は以前ここで誰かが同じ主旨のことを書いていたね。
旅順が「柿が熟すように」はわからないが、児玉が行ったのは
間違いだったのかなと最近考えないでもない。僕は第三軍を批判しているんじゃない。
よく頑張ったと思う。軍司令部の命令下にある師団以下はね。
乃木と東郷の失敗と成果を同列にしてはいけないよ。そうは思わないかい?
成果結果の過程にある失敗の中こそ、その指揮官や人間の真価が問われる。
旅順口閉塞作戦の機雷事故を揶揄する記述もあったようだが、東郷の偉さは
日本海海戦の栄光よりも黄海海戦の水雷攻撃の失敗を含めての彼の司令官としての姿にある。

271 :101:2005/08/29(月) 11:46:59
264 >>
>第三軍が命じられたのは、まさにその「旅順要塞そのものの攻略」なのだが。

それは第一回総攻撃以前の話だろう。一昨日の話をいつまで唱えているんだい。
作戦変更はできるんだよ。それをいったい誰が拒絶したんだ?
第三軍はそのチャンスが第二回総攻撃前にあったじゃないか。
第三軍の師団参謀参加で討議されている。
「旅順要塞そのものの攻略」だったら、なんでそんな会議を開くんだ。
たとえば、不慣れな山道で直進したら、前が崖だったして
迂回しないで最初の方針にしたがってまっすぐいくかい?
第三軍首脳部は、まあなんとか降りられるだろうとして、
崖から足を踏み外したんだ。そして、血だらけになってよじ登ったんだ。

272 :264:2005/08/29(月) 13:30:24
>>271
>それは第一回総攻撃以前の話だろう。

第三軍への命令「旅順要塞の攻略」が変更されたとでも言うつもりか?
これこそ、「そんな文献の記述がどこにあるんだ?」と尋ねたい。
肝心要の「第三軍に与えられた命令」というのが何なのか?という点で
大きな思い違いをしているように見受けられる。

師団参謀が参加する会議は定例で何度も開かれているようだが、いつの
会議の事を言っているのか。また、会議の開催がどうして作戦変更の有無
に繋がるというのか、これが説明されていないので全く意味が通じない。

101さんは第三軍の板挟みの特殊な状況についてどう思っているのか。
海軍の要求には出来る限り答えなければならない。もちろん要塞本体に対する
総攻撃(総司令部との協議の上で同意を得ている)の準備も行わなくてはなら
ない。そして、どちらか一方の言い分だけを採るわけにもいかない。
児玉ら総司令部からの「無駄ダマ使うな」というのに、第三軍はハイそうです
ね、と応じるわけにはいかないのだ。

苦境の中での東郷司令長官の在り方については賞賛の言葉を惜しまないようだ
が、それはこのような苦境の中にありながら、陸海協同歩調を崩さなかった乃
木軍司令官にも当然に当てはまる言葉だろう。
また、 >機雷事故を揶揄する記述 とは何だ?
失敗を失敗として述べた事はあるが、それを揶揄ととられても困るのだが。
どこが揶揄する記述と受け取ったところか、スレ番を示せ。

273 :264:2005/08/29(月) 13:35:22
>>始めに取り掛かった所を攻め続けたいと思うのは当然
>ここが第三軍の駄目さかげんじゃないか。

ここは初め方の意見にも、101さんの意見にも不同意するところだ。
初めに取り掛かった所(東北面)で、わずかながらも重要な拠点を
確保しているために、以後もそちらへの攻撃を進めたのだろう。

この攻撃で占領した盤龍山の東西両堡塁は、東北面の主防御線の屈曲
点に位置する。このような地点を占領していて、そこから占領地を拡
大しないという手はあるまい。
事実以後の攻撃ごとに、東西両堡塁の両翼から徐々に、瘤山や一戸堡
塁といった占領地域が拡大してゆき、最終的には主防御線を突破する
ことができている。

274 :264:2005/08/29(月) 13:47:52
さて投稿して見た後で気づいたことだが、保有戦艦の三分の一を一日で喪失
した件を「機雷事故」と述べているのだね、101さんは。

たしかにこちらは海軍にはやや辛目の評価をしているが、成功(日本海海戦)
は成功として賞賛を惜しむつもりはないし、失敗は失敗として認識したいと思
っているだけだ。開戦冒頭の海軍の失策続きは、如何とも容認しがたい。
こちらの見方では、上の件は「封鎖作戦中の戦艦二隻喪失」としか表現しよう
がないのだが、「機雷事故」という表現はいかにも擁護の姿勢が強すぎないか。

275 :101:2005/08/29(月) 19:27:34
264>>
海軍の要請で陸軍は本来攻める意向はなかった旅順攻めに第三軍が編成され実行された。
ここまではいいよね。海軍の要請の主旨は旅順口に潜む残存ロシア艦隊の陸上からの
攻撃による殲滅、若しくは口外への燻りだし。これもいいかな。
で、引き受けた第三軍はそれなら旅順そのものを攻略してすべてを解決させようとした。
第三軍が日本を出発するときの命令は「旅順要塞の攻略」。
第三軍が計画したのが三日間の攻略計画だった。
この時点ではみんな旅順要塞は大したことはないと考えていたんで
>>261さんの
>当時のわが大本営以下、満州総軍も乃木第三軍司令部も全部が失格者であったわけである。
だよね。それは第一回総攻撃以前の話としたのは結果失敗したんだ。
そのために三日間の攻略計画は頓挫した。そこで第二回総攻撃の前に作戦計画を練り直す
チャンスはあったんじゃないかと言っている。最初の命令書の変更はできなかったのかと。
それが最後まで有効している命令書というものがあるんなら、それは何か。
第三軍は総攻撃前に総司令部に計画内容を報告しているじゃないか。
それを許可されて行動にうつしているんでしょう。「203高地に第一目標を変更」として
命令違反になったのかな。それは戦術であり、第三軍はその戦術をとらなかったんだろう。
ちょっと話は>>261にずれるけど(これ全部文献なの?気が重いな)
>西方の二〇三高地に指向すべきであったとか、
>すべて後で判った事実に基づく結果論である。
海軍(秋山の検案)、井口、長岡の意見はリアルタイムだったでしょう。
これが違うとなるともう万歳だ。「坂」から「児島」から日露関連1000〜2000点
の書籍の半数近くをなんとかしないと、なんともならないよ。

276 :日本@名無史さん:2005/08/29(月) 19:45:06
>>269
> これはおかしな指摘じゃないかい。
おかしくない

> 急かされて「大損害を出させる」という表現もどうかしてるぞ。
どうもしてない

> しかしさ、少なくとも天皇を戴く大本営じゃないか。簡単に「外野」とは云えないだろう。
統帥の紊乱

> 「大損害」は第三軍が自ら選択したもので誰からも強いられていないよ。
主攻方面を決めた責任は勿論第三軍にある。しかし大損害が出た理由は主攻方面の
問題でなく、その準備段階にある。森赳中将のいってるように出るべくして出た損害。


277 :日本@名無史さん:2005/08/29(月) 19:51:44
>>270
> これはなかなか進展しない第三軍が、大本営と海軍にようやく気兼ねしてきた
> 弱腰と迷いを総司令部として庇護している姿勢だよ。
見当はずれ。
大山児玉の考えはそのまま、主攻方面は何処でも任せるから、とにかく
戦力を集中しろ、海軍に気兼ねするなということ。


278 :日本@名無史さん:2005/08/29(月) 20:14:14
 ああ、児玉のスレが乃木に乗っ取られてしまった
 乃木神社>>>児玉神社と同じ
 つづきはあちらでやって頂けませんか

【日露戦争】旅順攻略における白兵戦【203高地】

279 :101:2005/08/29(月) 20:27:13
264>>続き
「機雷事故」の件。「事故」っていう表現が不味いなら訂正するのはかまわない。
それほど意図的に使ったつもりはないんだ。僕に軍事知識がないのが問題なのかね。
でそこで質問だけどさ、日本語という観点でさ、
たとえば、攻撃計画があってそれが達成できなければ「失敗」
だよね。目標が達成できなかったから「失敗」した。僕は東郷の「失敗」の話を
しているよね。その中での東郷の姿勢に価値があると書いているつもりだよ。
普通「機雷失敗」って使わないんじゃない。「機雷失態」も変だし。
機雷事故→結果として失敗だったんだろう。
267>>君がそう思うんならそうでいいよ。
僕だって大本営のかたを持つ気なんてこれっぽちもない。
外野ってあつかえなかっただけだろう。
>その準備段階にある。
馬鹿なことをいうな。戦争は相手があってできるんだ。
準備ばんたんでさあどうぞといけないのが現実じゃないか。
あほらしい。自分で打ち込んでいる内容をよく考えてみて。
277>>見当はずれ。って指摘されたけど
僕は君の意見に同感。僕の表記がまずかった?

280 :日本@名無史さん:2005/08/29(月) 20:29:48
じゃあ廈門事件でも語るか?
戦時大本営常例の改正でも語るか?

281 :日本@名無史さん:2005/08/29(月) 20:34:46
>>279
> 馬鹿なことをいうな。戦争は相手があってできるんだ。
> 準備ばんたんでさあどうぞといけないのが現実じゃないか。
> あほらしい。自分で打ち込んでいる内容をよく考えてみて。

もう終わりにしましょう。
どうしようもない。

282 :264:2005/08/29(月) 21:04:33
>そこで第二回総攻撃の前に作戦計画を練り直す
>チャンスはあったんじゃないかと言っている。
>最初の命令書の変更はできなかったのかと。

作戦計画を練り直すチャンスはあったと思うし、練り直したと思うのだが。
だって第一回総攻撃のスタイルと第二回総攻撃のそれとはかなり違っている
からね。
しかし、話をしているのは、第三軍の作戦計画ではないだろう?
第三軍に与えられた命令について話をしているのだろう?
そしてその命令は、当初の「旅順要塞の攻略」から変更されていない。

以前に >肝心要の「第三軍に与えられた命令」というのが何なのか?
という点で大きな思い違いをしているように見受けられる。 と書いただろう。

283 :264:2005/08/29(月) 21:14:25
機雷の件。
機雷事故でも機雷失敗でも機雷失態でもどうでもいいんですがね。
結局279の中に戦艦喪失について一言もないのは、意図的にした事ですか。

何が起こったのか?という事に目を瞑ってはいやしないだろうか?
「戦艦二隻が一日の内に沈没した」という事にあくまで言及しないのは、
一体どういうことだろうか。

ついでの話だが、この二隻が同日に喪失した事は、一般には公表されて
いなかった。一隻喪失と公表され、他の一隻の沈没が公表されたのは、
たしか日露戦後、実際の沈没から一年くらい後だったと記憶している。
さすがにマズイと思ったのだろうね。当時公表されていたらどうなって
いただろうか。

284 :日本@名無史さん:2005/08/29(月) 21:26:09
ところで000さんはどこに行ったの?

285 :日本@名無史さん:2005/08/29(月) 22:04:57
議論が袋小路というか無限リンクというか。
引用ばかりの揚げ足とりをするからどんどん脱線していく。そして先細り。
児玉の話が乃木無能論になり、それが東郷に飛び火して今や陸軍同情論か海軍同情論の始末だ。
いやしくも日本史板なら、不必要な引用ばかりのレスは自分に有利か不利かを問わずスルーするぐらいの良心は欲しい。

286 :日本@名無史さん:2005/08/30(火) 03:52:55
良心?
そりゃあ、無理じゃって。
ないものねだりじゃ。

287 :日本@名無史さん:2005/08/30(火) 07:59:21
明治39年段階での大山・児玉と言えば歴とした第一級の政府要人で、大山は数々の大臣を歴任していたし、児玉もまた植民地の総督や本国政府の大臣など、かなりポリティカルな要職にいた。
そこへ行くと東郷というのは当時の人にとっては前職なにをしていたか分からんぐらいの人で、そこがまた面白いんだが。
まあそんな大山・児玉が現地軍の指揮をとっている。
日本首脳そのものが戦場に移動してきたような話だが、それだけに児玉は、ときに現地参謀や師団長に酷烈、子供にものを教えるような態度にでることもあった。

288 :日本@名無史さん:2005/08/30(火) 08:25:06
児玉のステージが一段高い所にあったってことかな。
単なる職業軍人とは違う。
決定的な差は職業軍人=与えられた任務から戦果をあげる
     児玉源太郎=ロシアに勝つ
ということ?

289 :日本@名無史さん:2005/08/30(火) 09:30:29
>>287
日清戦争の時に天皇が広島に行って政務上不都合が多かったようだから、
参謀本部をそっくり満州軍総司令部に持っていったんだろ。

290 :日本@名無史さん:2005/08/30(火) 11:42:10
>288
ま、広い意味でオーナーシップを持った人物だったろうね。

291 :日本@名無史さん:2005/08/30(火) 15:18:42
後藤を連れて台湾総督に赴任した際に「弥次喜多道中」と諷された件について

292 :日本@名無史さん:2005/08/30(火) 16:27:19
それ聞きたいね。

293 :日本@名無史さん:2005/08/30(火) 16:58:11
新刊の日露本。この表紙の爺様は誰じゃと見たら
秋山好古だった。超シブイ!
退役寸前の指揮刀を持って居眠りしている写真。

294 :日本@名無史さん:2005/08/30(火) 18:34:39
リス

295 :日本@名無史さん:2005/08/30(火) 19:58:35
児玉が自分の後任の陸相に寺内を推薦した時の言葉
「寺内は私のようにめくら判を押さない。書類を最初から最後まできっちり目を通す。
だから安心して私の後任に推せる」

296 :日本@名無史さん:2005/08/30(火) 20:08:04
で、寺内の藩閥人事が後年の陸軍滅亡の原因になったと・・・

297 :日本@名無史さん:2005/08/30(火) 21:33:15
>295
その太鼓判もめくら判だっただけだろ

298 :日本@名無史さん:2005/08/30(火) 21:46:39
>>297
うまいっ!

299 :日本@名無史さん:2005/08/31(水) 11:32:14
そんあにうまくないよ。
おばちゃん!この「揚げ足」火が通ってなよ。
もういいから、勘定して。

300 :日本@名無史さん:2005/08/31(水) 13:00:59
>297-299
勝負あったな

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