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【ちょい】信玄だったら信長を倒せた?弐【無理?】

1 :日本@名無史さん:2005/07/01(金) 08:28:50
天下人の地位を目前にした織田信長に挑む、甲斐国住人武田信玄。
土地は痩せ、兵力は乏しく、また周囲は上杉、北条、徳川といった有力大名に囲まれている状況で、
はたして信玄は、無謀とも思える信長打倒を成し遂げることができるのだろうか?
末は天下か、生首か。

前スレ
http://academy3.2ch.net/test/read.cgi/history/1108262931/l50

2 :日本@名無史さん:2005/07/01(金) 10:40:31
前スレより。信玄は武将の手なづけや育て方が巧かったと思う。信長は人材の適材適所の登用が巧かった。人事面での時間のかけかたも末路や晩年を反映している。性急すぎた信長、制球すぎた信玄。制覇した時のことを考えると、信玄の方が統一のビジョンは堅固と思う。

3 :日本@名無史さん:2005/07/01(金) 11:25:12
信玄に統一ビジョンなんてあったのか?
ってか、信玄は室町幕府にとって代わるつもりだったのかね?

4 :日本@名無史さん:2005/07/01(金) 11:54:19

死児の齢をかぞえる・・無益なもののたとえ

5 :日本@名無史さん:2005/07/01(金) 13:32:24
>>1
このスレ趣旨文、なんかのifシュミレーション小説で
読んだ記憶があるんだが・・・
もう少し、文章を考えた方が良いように思う。

6 :日本@名無史さん:2005/07/01(金) 13:41:52

不満な武田ヲタが吼えております。

7 :日本@名無史さん:2005/07/01(金) 13:49:25
でも、信長が信玄に土下座外交したというのは事実だぽ
信玄が死んでくれたおかげで、かなり助かったのも事実だぽ
僕は、武田ヲタでも織田ヲタでもないけど、
これを無視しているみたいな感じで、論議をすすめる織田ヲタは
如何かと思うぽ


8 :日本@名無史さん:2005/07/01(金) 14:27:22
それは謙信にたいしても同じ。
洛中洛外図などを送り、「謙信さまの上洛の先払いをしています」などと言っている。
戦術能力では、二人のほうが自分より上だと思っていたのだろう。

信長を倒せた可能性はある。
厳島合戦で大内(実態は陶)、桶狭間で今川が滅亡への引き金となるような
敗北を喫したが、そのように経済力、軍事力の実力差を跳ね返す戦術的
勝利をあげればよいのだ。
ヘタレの朝倉義景が一条谷に引きあげず、信玄の寿命が少しだけ伸び、
うまく本願寺勢と連携して、戦術的勝利を積み重ねるか、信長自身を討ち取ればいいのだ。
 また、当時は織田も、まだ畿内には確固とした支配力はなかったから、
信長を討ち取れなかったとしても、畿内からは追い出せたろう。

9 :日本@名無史さん:2005/07/01(金) 15:49:08
信玄謙信は信長におだてられて木にのぼってしまったブタ。
気付いたときはもうあとの祭り。
信長は陰でさぞかし嘲笑していたことであろう。

10 :日本@名無史さん:2005/07/01(金) 16:02:53
>>1



11 :日本@名無史さん:2005/07/01(金) 16:05:00
本来なら信玄謙信は信長の貢献を突っぱねておくべきでした。
でも、この餌付けは山猿2匹を田舎に縛り付けておくことに成功
信長は目的どおり中央での基盤を固めることが出来たとさ。

12 :日本@名無史さん:2005/07/01(金) 16:14:23
日本の在来ウマ
ttp://zookan.lin.go.jp/kototen/uma/u324_4.htm

13 :日本@名無史さん:2005/07/01(金) 17:08:15
>>11 
勝てば官軍みたいな発言は良くないぽ 
信玄も謙信も、信長にとって良い時期に死んでくれただけぽ 
どちらか一人でも、生きていたら、信長はあそこまで 
順調に駒を進められたか疑問だぽ

14 :日本@名無史さん:2005/07/01(金) 17:25:04
仮に信玄の寿命が少し延びていたら三方が原の合戦後は信長はどうしていたかな?

機内を捨てて岐阜城に籠城?
岐阜を捨てて将軍を人質に京都籠城?


15 :日本@名無史さん:2005/07/01(金) 18:10:53
朝香の曖昧な動きが、信玄の采配を狂わせたのは惜しい。戦国に曖昧は壊滅を意味するね。特徴、性格は語り草となる。デフォルメされて。小早川、久永、高虎、蜂須賀、清正等。贈物があろうと、へりくだろうと何か調略があるのは見抜く。信玄、謙信に遜色ある語り伝えがない。

16 :日本@名無史さん:2005/07/01(金) 18:24:43
>>14
どうもしない。
野田城如きにてこずってるような武田が織田領までたどり着けるわけがない。
信長は座して武田の消耗、敗走を待っておればよい。
途上の城を放置して織田領に特攻したとしても、敵国内に孤立し、前面には織田の大軍、
後方には迫り来る徳川の小軍を目の当たりにすれば、武田の武将たちは臆病風に吹かれ、
秋山や木曽、穴山の如く先を争って降伏したことと思われ。

そして信玄は思わぬかたちで上洛を遂げることとなる。

17 :日本@名無史さん:2005/07/01(金) 18:32:43
>>16
野田城落ちるまで1ヶ月掛かってないしw
それにしても、誰とも戦わず勝手に敗走してくれると思えるなんて
とっても素敵な脳内ですね♪

18 :日本@名無史さん:2005/07/01(金) 18:45:35
>>17
だろ?
実は自分でも素敵だと思ってをる。

19 :日本@名無史さん:2005/07/01(金) 21:09:38
またこんなスレ立てたのかよ?
懲りない奴だな>>1

20 :日本@名無史さん:2005/07/01(金) 21:20:52
>>1


素朴な疑問なんだが、武田は何故甲斐から出ようと思ったの?
ずっと引きこもっていればみんな平和でハッピーだったのに。
そんなに人の領国がうらやましかったのだろうか?

21 :日本@名無史さん:2005/07/01(金) 23:45:32
純粋に戦争オタクで、あまり領土の拡張に関心がなかった謙信を除けば、
領土を拡張したくない大名はいないね。攻撃は最大の防御ということもあるし。
日清、日露の戦役が防御的領土拡張であったのと同じだ。

22 :日本@名無史さん:2005/07/01(金) 23:49:47
謙信は関東管領大好き人間


23 :日本@名無史さん:2005/07/01(金) 23:53:05
>>22
おまいだって、ある日突然「関東管領にしてやる」とか言われたら
喜んでなるだろ?そういうもんだ人間って

24 :日本@名無史さん:2005/07/02(土) 00:37:17
>>23
喜んでなります


25 :日本@名無史さん:2005/07/02(土) 01:17:23
信玄よりは謙信のほうが、可能性はありそうだ。永禄四年の小田原攻めで、
首尾よく北条を葬り、実質的な関東管領に就任していたら、信玄もそれに従う
しかなくなる(でなければ滅ぼされる)。今川も管領の意向には従わざるを得ない。
かくして信玄は謙信の先方衆として信長(まだ尾張の掌握もできない)を倒すのであった。


26 :日本@名無史さん:2005/07/02(土) 01:22:57
25
官位で敵を抑えられる位なら幕府は滅びて無いよ、まぁ小田原落としたらそのまま駿河に攻めこみ信玄を3方から包囲は可能、信玄も加賀や越中の一向一揆を煽ったりして対抗すると思うけど。

27 :日本@名無史さん:2005/07/02(土) 01:44:14
誰か謙信だったら信長を倒せた?スレを立ててよ
でもどうせ倒せないって結論になると思うけど

28 :日本@名無史さん:2005/07/02(土) 03:11:44
謙信は長生きしても無理。兵力が既に違いすぎる。

1573年の時点で武田も織田より総動員の兵力では劣ってたわけだが、
それでも信長が全ての兵力を武田に割くことはできなかったことを考えると、
だいたいトントンくらい。少なくとも、2倍までの差には、たぶんならない。

1578年時点での上杉と織田では、恐らく動員できる兵力が何倍も違う。

29 :日本@名無史さん:2005/07/02(土) 06:30:01

何で兵力が違うと無理なの?
戦で兵力が劣った方が勝つことはありえないと思い込んでる痛い人ですか?

謙信と信長を語ってるのに、信長の桶狭間での戦勝が頭から消え去ってるとしか思えん・・・。

30 :日本@名無史さん:2005/07/02(土) 08:49:30
>>23
佐竹義昭はしっかり断っていたがなw

31 :日本@名無史さん:2005/07/02(土) 10:04:11
賢いね。

32 :日本@名無史さん:2005/07/02(土) 10:53:08
>>29
桶狭間のような事が何度も起きると思ってるんでつか?
あなたの脳内では少数兵力の奇襲はいつでも成功するんでつかw
信長でさえ生涯に一度しかやらなかったことなのに。

33 :日本@名無史さん:2005/07/02(土) 11:03:00
武田厨は奇跡が起こることを信じているらしい。

34 :日本@名無史さん:2005/07/02(土) 11:04:12
ていうか、桶狭間で奇跡的に吉本の首を取ることができたわけだが
それでも、今川氏を滅ぼすことができたわけじゃない。
実際上杉は織田と戦って勝ってるが、だからといって織田は潰れない。
>>29の方が痛い。

35 :日本@名無史さん:2005/07/02(土) 11:05:24
スレタイのテーマである「信玄だったら信長を倒せた?」

ちょっとさ、まじめに書ける人いるの?
武田厨の書き込みを見ていて一度も納得したことがないのですが。

36 :日本@名無史さん:2005/07/02(土) 11:06:20
>>33
だから謙信が織田を滅ぼすことがもしできたらそれは奇跡だが、
武田の場合は、必ずしもそうではない、という話なんだが。
織田厨は論理の通らない香具師が多いな

37 :日本@名無史さん:2005/07/02(土) 11:09:20
>>35
三戦板に行くと「武田と織田の直接対決では、兵力は同程度」と推算してるよ。
だから武田にも勝機はある、というのは自然な考えだが。
三戦板よりも低い議論しかしてないのがこのスレの現状。
上記の三戦板の論拠を論破してからそういうこと言ってね。

38 :日本@名無史さん:2005/07/02(土) 11:14:49
桶狭間の例を言うなら、逆にいくら勇戦しても結局負ける真田の例もあるわけだがw

39 :日本@名無史さん:2005/07/02(土) 11:22:47
>>37
織田、徳川連合軍は防御に徹すればいいわけだが、
本拠に近づくほど、動員可能兵力は増え、城などの防御施設も利用可能になる、
それに対して、信玄は兵站は延び、本国の防御も疎かになる、
同程度の兵力で一進一退の攻防を繰り返す状態になれば
信玄の方が先に力尽きるか、北条や上杉の同盟破りや
国人の反乱で引き返せざるを得ないわな。


40 :日本@名無史さん:2005/07/02(土) 11:25:37
>>39の言うとおりだね。
仮に信玄があそこで死ななかったとしても、
京にたどり着くまで武田の本拠地がもたないと思うよ。
そういう支配体制が確立していないもの。

41 :日本@名無史さん:2005/07/02(土) 12:02:26
>>32
プゲラ
誰が「いつも」といっておるのかね?
信長は桶狭間後は敵よりも多い兵力を動員できたことを知らないのかね?
織田厨兵力しか誇ることのできない織田厨はイタイなァ。

42 :日本@名無史さん:2005/07/02(土) 12:17:35
あおるなた。
冷静に話そうぜ

43 :日本@名無史さん:2005/07/02(土) 12:29:40
>>41
>敵よりも多い兵力を動員できたことを知らないのかね?
出来るようにした、出来る相手とだけ戦った、
これ立派な戦略ね、何も考えずに突っ込む謙信とは違うの。

44 :日本@名無史さん:2005/07/02(土) 12:32:50
>>41
>誰が「いつも」といっておるのかね?
お前が思ってる、謙信なら少数でも勝てるって事だろ
お前の言いたい事はw

45 :日本@名無史さん:2005/07/02(土) 12:35:31
謙信公は常に少数の兵で大軍を蹴散らした。
ごくまれに大軍を動員したことがあるが、これは謙信公を慕う地侍が勝手についてきただけである。

46 :日本@名無史さん:2005/07/02(土) 12:37:02
>>44
よくわかったな。お前エスパーだろ?

47 :日本@名無史さん:2005/07/02(土) 12:47:03
いくら勝っても上杉の勢力強化には全くつながらない、
勝って兵を引いたら敵に取り戻されて元の木阿弥、
そんな無意味な戦いばかりだけどな、
少数で戦わざるおえなかったのはそれが原因。

48 :日本@名無史さん:2005/07/02(土) 12:54:13
>>46
漏れはニュータイプだからな
人と人はいつか分かり合えるんだよ、
分かり合っても争いが無くならないのは
2chをみれば明らかだがw

49 :日本@名無史さん:2005/07/02(土) 14:05:25
桶狭間をやたら美化する織田厨がいるが、
毛利の厳島合戦、島津の木崎原の合戦に比べたら屁の突っ張りにもならん。

50 :日本@名無史さん:2005/07/02(土) 14:34:08
信長って、陶晴賢と大して変わらん印象だがなあ。

51 :日本@名無史さん:2005/07/02(土) 14:34:17
厳島合戦、木崎原の合戦は田舎大名の小競り合い
桶狭間は天下を狙う今川と織田の決戦。

52 :日本@名無史さん:2005/07/02(土) 14:42:59
天候に惑わされて、本陣を手薄にした痴呆の義元に勝ってもなあ。

53 :日本@名無史さん:2005/07/02(土) 16:32:26
っていうかさあ、義元って実戦経験ないじゃん。
って事は、その旗本もほとんど同様だろ。
信長はド素人のお歯黒ブタ集団を屠殺しただけ。
そんなことは稚児小姓でもできる。

54 :日本@名無史さん:2005/07/02(土) 16:57:37
>>53
で、そのド素人のお歯黒ブタ集団を信玄は勝ち目なしと見て同盟結んで北に向かったと。
信玄は、「ド素人のお歯黒ブタ集団」にも勝つ自信がなかったんだね。

55 :日本@名無史さん:2005/07/02(土) 17:08:10
>>53
太原崇孚雪斎が戦のことは全部やってたからね。

56 :日本@名無史さん:2005/07/02(土) 17:34:02
>>54
今川などいつでも討てる。 武田は真の猛者を求めて北上したの。
信長が真の猛者ならもっと早く西進してたがな。

57 :日本@名無史さん:2005/07/02(土) 18:35:28
黒澤明の「影武者」だといくさでは鉄砲ばかり使ってたけど、実際はどうなんじゃ?

58 :日本@名無史さん:2005/07/02(土) 21:27:38
>>57
武田軍には鉄砲を買う金がないから、代わりに投石隊がいたYo
武田騎馬隊はうそ。武田投石隊はほんと。

59 :日本@名無史さん:2005/07/02(土) 21:58:39
58
金もあったし騎馬隊もあったさ、鉄砲が少なかったのは山国故に仕入れが難しかった事と信玄が鉄砲に信長程の価値を見い出してなかったからだと思う。

60 :日本@名無史さん:2005/07/02(土) 22:11:19
金は無い、金山が有名だが、基礎体力の石高が低いんだからそれを補う事は無理。
硝石は100%輸入品だから貿易を抑えてないと鉄砲の大量使用は無理。

61 :日本@名無史さん:2005/07/02(土) 22:28:27
>>58
甲斐の金山に匹敵するものが尾張三河にはあるのかよお (w

62 :日本@名無史さん:2005/07/02(土) 22:32:22
津島の交易による利益は信秀の時代から莫大な額
公家もビックリで日記に金何十枚モロタ、朝廷に金何十枚モロタとかいてありますがw

63 :日本@名無史さん:2005/07/02(土) 22:51:12
>>60
硝石に関しては、日本で製造が可能だったとかなんとか読んだ事があるがほんとなのかね?
少なくとも、完全輸入だのみではあれだけの消費を支えられたはずがないとか。

64 :日本@名無史さん:2005/07/03(日) 00:59:56
ところで本屋の片隅にある
IF歴史小説って面白いの?なんかオススメある。

65 :日本@名無史さん:2005/07/03(日) 01:01:01
>>61
美濃尾張三河には豊かな平野がある
貿易港の熱田もある。
甲斐のショボイ金山が有名なのは
逆にそれ以外何も無いということ。

66 :日本@名無史さん:2005/07/03(日) 01:25:06
>>64
越中五箇山で製造していたようです。

>>47
大軍だと決戦に引きずり込めないので、少勢で戦うという
側面もありました。
実際に1万の兵を率いて越山して、北条軍が4万という状況でも、
北条勢は損害をおそれ城にこもって戦わない状況でした。
いわゆる第四次川中島合戦でも、部隊を分割して小勢で妻女山に陣取っています。

実際の可能性としては、謙信と同盟を結ぶのが得策でしょう。
川中島4郡を割譲し、関東は謙信、東海は信玄とい住み分けすれば良かったのです。
そうすれば、対織田戦に集中できます、織田は対朝倉、対本願寺で戦力を分散
せざるをえません。
上杉からの財政援助も期待できます。なにしろ、武田、上杉、北条のなかで
最も経済力があったのは上杉でしたから。

実際、重商主義の上杉家は、青麻座を支配し、越後上布の流通の中間マージンを取り、
日本海沿岸の直江津などの主要港を直轄領にして船堂前という関船をとり、
しかも米の流通も自前で行い、京、界、越後の商人に金を貸して利息を取り、
そのうえ、有望な金山もあったので、表の石高を遥かにこえる実入りがありました。
謙信の死後、いち早く春日山上の金蔵を押さえた景勝は、その一部を使って勝頼
を買収することもできました。

67 :日本@名無史さん:2005/07/03(日) 01:28:17
バカだな、ここの奴等。
歴史に”もしも”は有り得んのだよ。
いつまでも夢見とけ、ばーか。

68 :日本@名無史さん:2005/07/03(日) 01:49:07
>67
歴史家は「もしも」というロマンを追い求めてしまう

69 :日本@名無史さん:2005/07/03(日) 01:54:42
>>63
国産が可能だったとしても、日本の硝石は生産可能になるまで何年も掛かる悠長なもの
平和な江戸時代ならともかく、戦国時代の硝石供給の主力は輸入。

70 :日本@名無史さん:2005/07/03(日) 01:57:53
>>66
>大軍だと決戦に引きずり込めないので
決戦しなきゃならないのは、長期対陣に耐えられないから
経済と雪の関係だな。

71 :日本@名無史さん:2005/07/03(日) 02:37:34
>>70
雪はともかく、経済力は>>66にあるように、上杉はダントツだったようだ。
永禄2年の5千の軍勢をひきいての上洛でも各方面に金品をばらまいている。
まあ、このこきは信玄が信濃で策動し始めたのでひきあげざるをえなかったが。
まるで戦争オタクのように例年のように越山できたのは、経済力のバックがあったから。


72 :ベンゼン中尉 ◆DYfZNhP6fc :2005/07/03(日) 07:43:26
武田信玄には捨てきれなかったものがある。それは非常さだ。
謙信との戦なんて、後年ではほとんど戦友達のような関係になっていただろ。
天下取りが最優先ならば、決して無駄な戦は行なわなかったはずだと思う。
信長は言うなれば非常さに徹した武将だったから天下が取れた。だが、信長の恐怖政治を慕う奴なんて見たことはない。
信玄は今でも地元の英雄だし、戦以上に人情のあつい武将だったと思える。


73 :日本@名無史さん:2005/07/03(日) 08:34:24
>>68
そんなロマンはいらない

74 :日本@名無史さん:2005/07/03(日) 10:12:34
>>72
領土の為に同盟破って姉も息子も甥も排除して虐殺した信玄が「非情さが足りない」ねえ

75 :日本@名無史さん:2005/07/03(日) 10:18:00
>>66
その場合、北条が敵に回る。講談では北条は信玄謙信にいいところなしにやられている
ようなイメージがあるが、実際にはその両者の侵攻を全て撥ね返して逆に領土を広げて
いる。
もう一つ、上杉は父親の代から越中一向宗とは敵対関係で、謙信が信長と同盟を結んだ
のは対武田だけでなく、対一向宗の意味もあった。敵の敵は味方。信玄が上杉と同盟を
結ぶには、この上杉-一向宗の対立関係もどうにかする必要がある。

76 :日本@名無史さん:2005/07/03(日) 12:23:35
桶狭間が起きた時すぐに織田と今川を倒しておくべきだったな。
桶狭間の合戦って実は織田と今川の総力戦だったらしいし。

77 :;:2005/07/03(日) 14:51:42
>>40 義昭に頼んで毛利と同盟結んだらどうだった。毛利が動きだでば.
播磨.摂津 くらいまでは無人の荒野だぞ。北九州の情勢にくらいので.あっち
のことはわからんが。信長あわてたぞ。信玄がツッパシたら.毛利も腰をあげ
ただろう。

78 :日本@名無史さん:2005/07/03(日) 15:33:40
>>77
織田と友好関係にあった、三好とどんぱちしてた、北九州の情勢は一応落ちついてきているが、
山陰山陽もまだ播磨摂津とかまでいける状況じゃない。浦上とかとも争ってるし。

79 :日本@名無史さん :2005/07/03(日) 15:36:33
信玄が突っ走ったら、信長は慌てただろうね。
ただ、毛利が腰を上げたかとなるとわからない。
他人の身代は当てにならない。

80 :日本@名無史さん:2005/07/03(日) 17:08:28
結局、信長が時間稼ぎをしたときに、
信玄が織田の防御を突破できるか?
突破できなければ一進一退の長期戦に信玄が耐えられるか?
だね。

他の大名は当てにならん、朝倉が良い例だ。

81 :日本@名無史さん:2005/07/03(日) 17:16:27
ゴキブリは取るに足らない生き物だが、突っ走ったら人間は大慌てだ。
では信玄が突っ走ったら信長は慌てただろうか。

人目に触れる場所でゴキブリが突っ走るのは、人間に驚いて逃亡する場合であることが多い。
その際に、錯乱しているのか、人間に向かって突っ込んでくる事がよくある。

四面楚歌の小名、信玄は何故か遥か格上の大大名、織田家に突っ込んだ。
正確に言えば突っ込もうとして三河の地侍に討ち取られたのだが、
これはまさに血迷ったゴキブリの所業である。
血迷ったゴキブリが人間に突っ込もうとして、机の脚に激突死した、といったところだろうか。

この信玄の意表を突く、突飛な行動に際し、常人ならば多少は恐怖し、慌てたかもしれない。
だが、信長は百戦百勝の霊将である。冷静に信玄の行動を見極め、人知れず、
背中に隠し持っていた殺虫剤をしまったことだろう。


82 :日本@名無史さん:2005/07/03(日) 17:21:56
信玄みたいにウチワのでっかいやつもって戦場の後ろでデーンと座ってたら鉄砲で簡単に撃たれるぞ

83 :日本@名無史さん:2005/07/03(日) 17:46:26
っていうか、信玄ってなんで白いふわふわのかつらかぶってたの?
ひょってして、家出したのは禿を隠すため?

84 :日本@名無史さん:2005/07/03(日) 18:02:48
保温だろ

85 :日本@名無史さん:2005/07/03(日) 19:04:43
現代感覚で考えてはいかんよ、誰かの言う通り信玄が攻めて来ても信長は冷静だったかもしれないが、配下の武将や織田に属してる大名はどうだろ、荒木の用に突然裏切る事も有りうる。

86 :日本@名無史さん:2005/07/03(日) 20:39:22
穴山、木曽、曽根らのようにこっそり内通しとるかも試練。

87 :日本@名無史さん:2005/07/03(日) 23:07:42
戦国時代に寝返り内通謀反はよくある事、武田や上杉にもゴロゴロ
だが謀反常習者の松永久秀を重用した信長の神経の太さには恐れ入る。

88 :日本@名無史さん:2005/07/03(日) 23:09:07
87
それには色々意味があるらしいが同感。

89 :日本@名無史さん:2005/07/04(月) 02:11:22
>>87
神経の太さというが、人を見る目が無いだけの話。
松永弾正は、結局、手取り川の戦いの後、軽い中風の発作でを引き返した謙信に呼応し、挙兵した。
まあ、この時には都では羽柴勢が上杉に撃破されて逃げ帰っただの、北陸勢
が壊滅しただのの風説が都に広がっていたことも背景にある。
結局は光秀に裏切られて、無能ぶりをさらしたわけだ。
これだけ、臣下に愛され、忠誠心をもってもらえない武将もめずらしい。
まるで、赤松に殺された足利義教のようだ。

90 :日本@名無史さん:2005/07/04(月) 02:23:28
家来に殺されたアホ殿って、信長以外にいるの??

91 :日本@名無史さん:2005/07/04(月) 03:03:43
90
おまえマジで言ってんのか?

92 :日本@名無史さん:2005/07/04(月) 03:12:11
>>91
マジですが、何か??
一国の守護たる戦国大名で、家来に殺されたバカ殿、誰ほかに居ますか??
ぜひとも答えてくださいよね!!!

93 :日本@名無史さん:2005/07/04(月) 03:21:10
>92
たしかに、天正年間の大名には、そんなヴォケはいねぇな(笑
信長のヴォケだけだよ、はははっ・・・

94 :日本@名無史さん:2005/07/04(月) 03:24:35
松平広忠

95 :日本@名無史さん:2005/07/04(月) 03:29:34
>>92
陶晴賢に討たれた大内義隆とかは違うのけ?

96 :日本@名無史さん:2005/07/04(月) 03:31:39
>>94
>松平広忠
だって?? プッ!!!
広忠は一族の松平信定(桜井松平氏)に追放されたんだろ。
その後、今川の先方衆として三河に侵攻。家来に殺されたわけじゃねぇよ!!
それも戦国時代の国取り合戦が煮詰まってない天文前期の話。
ブッ!!! 家来に殺されたアフォ殿織田上総介(僭称)より長生きしてるわぁ!!

97 :日本@名無史さん:2005/07/04(月) 03:33:55
>>95さん ご名答です!
無責任な作家たちがもてはやす織田信長公も
公家大名を気取った大内義隆公あたりと同じだってことだね


98 :日本@名無史さん:2005/07/04(月) 03:38:55
ま、ある意味では武田氏も一族家臣(家来)の裏切りで
滅びるわけだが、衰退期で見放されたのが真相。
信長の場合は絶頂期に家来に殺されたわけだから、本人の問題が大きいよね

99 :日本@名無史さん:2005/07/04(月) 11:28:12
最初から人望がなく、有力な家老は信行側についていたのだから、
あの時点で歴史から消えていたほうが、天寿を全うしていたかもしれない。

100 :日本@名無史さん:2005/07/04(月) 11:32:05
100ゲットー!
すでに前スレで結論が出てるじゃんw
武田厨、何必死になってるの?

101 :日本@名無史さん:2005/07/04(月) 16:30:43
結局戦国時代最強は信長倒した光秀だよね。

102 :日本@名無史さん:2005/07/04(月) 20:49:10
>>89

人を見る目が無かった根拠は?秀吉は??家康は???
まぁオマエに理解力が無いだけの話か。

103 :日本@名無史さん:2005/07/04(月) 20:50:42
>>97

信長と大内を同列で見るあたりに、素人ぶりが伺える(プゲラ

104 :日本@名無史さん:2005/07/04(月) 20:51:42
>>97
まぁゲームの知識の範囲から早く脱却しなさいよ(プゲラ


105 :日本@名無史さん:2005/07/04(月) 20:53:26
>>104
お前は基本中の基本であるゲームの知識すらないんだろう?

106 :日本@名無史さん:2005/07/04(月) 20:54:29
>>98

オマエに裏切られる程の人間を集める人望もないくせにデカい事言うね。

107 :日本@名無史さん:2005/07/04(月) 21:02:09
>>105

君は基本知識がゲームなの??
恥ずかしいから三戦板に行きなさい。

108 :日本@名無史さん:2005/07/04(月) 21:16:06
悲しいほど中身のないレスで連続age
信長厨の中身のなさを教えてくれるよ

109 :日本@名無史さん:2005/07/04(月) 21:23:17
結局最後は人格攻撃か。

110 :日本@名無史さん:2005/07/04(月) 21:28:48
くだらね〜人格攻撃なんかより信長信玄の続きは?結構楽しんで見てたのに。

111 :日本@名無史さん:2005/07/04(月) 21:32:44
「家来に殺されたバカ殿」に織田中がキレて、こうなったw

112 :日本@名無史さん:2005/07/04(月) 21:42:55
家来に殺された、というだけならある程度例はあるけど、
主君が家来を凌駕する実権持っていて、追い詰められた状況ではなく、
家来側にある程度生き残る勝算があるという例だとほとんどないな。

113 :日本@名無史さん:2005/07/05(火) 00:46:56
>>107
三戦板は光栄のゲームで勉強している初心者用の板。
日本史板はゲームをマスターし、すでに基礎レベルの知識を身につけた人のための板。

114 :日本@名無史さん:2005/07/05(火) 00:55:21
書簡で信長は信玄謙信にかなり媚びへつらっていたから信玄謙信には勝てない
って意見があるが、2万、3万動員できる勢力が、おだてれば攻撃してこないと知れば
いくらでも媚びへつらい、土下座でもなんでもできるだろ。それが政略だ。

115 :日本@名無史さん:2005/07/05(火) 00:57:21
土下座は本当なのか? もはや武士ではないな

116 :日本@名無史さん:2005/07/05(火) 01:03:55
のぶながは乞食だったのか?

117 :日本@名無史さん:2005/07/05(火) 01:09:15
>>115-116
釣りにしてもひどい。めんどくさいのか。

118 :日本@名無史さん:2005/07/05(火) 01:12:55
>土下座でもなんでもできるだろ。それが政略だ

というのだから、仕方ないじゃないか。なりふり構わずでいいんだろ?
のぶながは、土下座もいとわぬ乞食大名だったと。

119 :日本@名無史さん:2005/07/05(火) 01:14:31
>>118
まるで子供の言い分だな。

120 :日本@名無史さん:2005/07/05(火) 01:18:42
>いくらでも媚びへつらい、土下座でもなんでもできるだろ。それが政略だ

この信念が信長公の本当のポリシーだったとしたら、あまりにも恥ずかしいぞ。
少なくとも>>114は、信長公を擁護するあまり、戦国の餓鬼亡者・乞食にしてしまったわけだ。
実態に近いんだろうがね。

121 :日本@名無史さん:2005/07/05(火) 01:27:05
織田信長て、土下座する乞食だったの?

122 :日本@名無史さん:2005/07/05(火) 01:33:07
たまには乞食の精神にならんと、あの局面を打開するのは難しかったろうよ。
上洛する前後、義昭に頭下げていたのだって信長には苦痛だろ。

123 :日本@名無史さん:2005/07/05(火) 01:37:16
プライドにこだわって敵を増やして自家を滅亡させた馬鹿に比べればはるかに
政治家としてまっとう。
「必要とあればネズミにも頭を下げ、弱みをみせればライオンも殴る」
マキャベリ以前からの鉄則だよ。こういうことを本気でいうから、日本人は
外交オンチなんていわれるんだ。

124 :日本@名無史さん:2005/07/05(火) 01:45:30
>123
そこまでしておきながら、家来に殺されたバカ殿って・・・情けないというしかないわな(笑
本能寺で明智光秀に土下座することは、どうして考えられなかったのだろうか?

125 :日本@名無史さん:2005/07/05(火) 01:46:22
>>
まさに!
>「必要とあればネズミにも頭を下げ、弱みをみせればライオンも殴る」
これが信長に勝利した光秀の格言ではないか?

126 :日本@名無史さん:2005/07/05(火) 01:48:31
>>123 おもしろいね。

>必要とあればネズミにも頭を下げ

光秀はネズミではなかったからか…

>プライドにこだわって

信長は死んだのか?



127 :日本@名無史さん:2005/07/05(火) 01:49:05
>本能寺で明智光秀に土下座することは、どうして考えられなかったのだろうか?

これでまっとうな反論が出来たと思っているところが面白い。

128 :日本@名無史さん:2005/07/05(火) 01:53:58
>>127
反論になってないというのなら、答えてちょ!
のぶながバカ殿は、なぜ土下座せずに死んだのか?
武士のプライドがあったと答えた瞬間に、
>>123の論拠は、たちまち崩れるわな(笑

129 :日本@名無史さん:2005/07/05(火) 01:58:05
>>128
土下座しても助からない状況だから。「必要なら」ってあるだろ?これは
「有効なら」という意味でもある。

というか、政治外交的に土下座することと軍事的に土下座することを区別しろよ。

130 :日本@名無史さん:2005/07/05(火) 01:58:29
信長の「明智か…、是非もなし」
これは、やっぱ土下座できないプライドだったんだろな。
「遺体を渡すな」ってのも。いつものように土下座をすればよかったのに。
合掌……。バカ殿様

131 :日本@名無史さん:2005/07/05(火) 02:00:17
>>129
バカなんだからしょうがない。
まぁ、煽って楽しんでいるだけのようにも思えるが。

132 :日本@名無史さん:2005/07/05(火) 02:00:31
>>128
光秀の目的が信長の屈服じゃなく、信長の死だからだろ
あの事態になったからには、信長の死という事実が絶対条件だしな

殺す目的で来た人間に、土下座やなんかして意味ないしな
つか、それ以前にどうやって光秀のところまで行って土下座するかだがw

133 :日本@名無史さん:2005/07/05(火) 02:00:56
まぁ、家来に殺された情けない香具師が「天下云々」とか言っても、
ああ、そうですか。ふうーん・・・。としか言えんな(w


134 :日本@名無史さん:2005/07/05(火) 02:04:48
信長の「明智か…、是非もなし」
     ^^^^^^^^^

コッソリ、信長のセリフ変えてるw

135 :日本@名無史さん:2005/07/05(火) 02:05:07
最期に土下座しなかったのは、やはり立派な武将
「是非とも、日向守に土下座したい」「蘭丸!何とかせい」とか言ってたら
今日の栄誉はないわけだしね

136 :日本@名無史さん:2005/07/05(火) 02:09:43
いや、最後まで乞食大名であって欲しかったよ
土下座のほかに、のぶながの取り柄ってないじゃん

137 :日本@名無史さん:2005/07/05(火) 02:10:05
つーか、あの状態で土下座したって助けてくれないだろ。

138 :日本@名無史さん:2005/07/05(火) 02:15:39
>137 まぁな。
「おまいは俺の母者を見殺しにぃ!」「中国攻めで所領を確保しろだとぉ!?」
などと、光秀に恨みつらみを言われながら、手足を縛られて「どうだ、痛いか?」
「もっと苦しめてやるわい」と、ギリギリとノコギリで轢かれるのがオチ。

139 :日本@名無史さん:2005/07/05(火) 02:30:08
厨房が一人、暴れまくった夜だった(笑

140 :日本@名無史さん:2005/07/05(火) 02:33:25
明日もな(w

141 :日本@名無史さん:2005/07/05(火) 02:37:25
>>138
信長の肉体を苦しめるだけが目的の公開SMショーになっていたかも
土下座させたまま、竹のこぎりで指を一本ずつ切り落とすとか・・・

142 :日本@名無史さん:2005/07/05(火) 13:57:01
>>107-900
おまえ等全員、三戦板のアホ共だろうがw

143 :日本@名無史さん:2005/07/05(火) 15:39:19
>>142
まじめに議論している人たちに対して、その言い草はないだろ。
アラシは氏んでください。


144 :日本@名無史さん:2005/07/05(火) 16:14:30
いくら土下座しても光秀は許さないよ。
生かしておいたら自分が危ない。

145 :日本@名無史さん:2005/07/05(火) 18:53:09
>>143ww

146 :日本@名無史さん:2005/07/05(火) 20:32:37
力すら無いくせに土下座すりゃ出来ない君達の未来は知れた物だ。
信長公は仮に土下座をしただけであって、天下の何分の一かを有する
大勢力にのしあがった訳だ。
小さな意味のないプライドで土下座をせせら笑う君達とは根本的に人間の器が違う、と言う事だね。

147 :日本@名無史さん:2005/07/05(火) 20:33:57
信玄は信長に勝てなかったんでしょ?
死んだのは運が無かったから?運も実力の内だよね。

148 :日本@名無史さん:2005/07/05(火) 20:34:52
信長公は天下人でありながら、甲斐の山猿や越後の海蛇に土下座をした。
嗚呼、謙譲なる哉、信長公!

149 :日本@名無史さん:2005/07/05(火) 20:36:15
>>132
禿同。あんた完璧。

150 :日本@名無史さん:2005/07/05(火) 20:53:43
>>148

天下人になる前の話だろ。てか土下座したと思ってるの?
まさか甲斐の山奥に本人がわざわざ出向いてったとでも?

151 :日本@名無史さん:2005/07/05(火) 20:56:41
>>150
え?ちがうの?
躑躅が崎の茶室で一緒に柿食べたんじゃなかった?

152 :日本@名無史さん:2005/07/05(火) 21:09:01
>>151

え、そうだったっけ!?

153 :日本@名無史さん:2005/07/05(火) 21:16:20
>>152
 そだよ。

154 :日本@名無史さん:2005/07/05(火) 22:03:23
信長公が春日山城で謙信公に酌をしながら土下座し、躑躅ヶ崎館では信玄公に
柿を食いながら土下座したそうです>>148以下

155 :日本@名無史さん:2005/07/05(火) 22:26:40
>>154
人間の脳って便利ですごいね。

156 :日本@名無史さん:2005/07/05(火) 23:06:45
武田が生き延びてたら
明智は武田とくんだだろうから秀吉も家康も天下取れなかったろうな。

157 :日本@名無史さん:2005/07/05(火) 23:41:04
武田が生き延びていたらそもそも本能寺じたいがおこらなかっただろうな。

158 :日本@名無史さん:2005/07/06(水) 01:53:45
誰が生き延びても、のぶアフォは殺されていたよ
鬼畜に生きる余地なし

159 :日本@名無史さん:2005/07/06(水) 02:03:44
信長が謙信と信玄の所に行った?ソースは?

160 :日本@名無史さん:2005/07/06(水) 02:27:29
のぶアフォが謙信・信玄に土下座した直筆書状も棒寺の住職の日記もあります
ってか? アフォ!

161 :日本@名無史さん:2005/07/06(水) 03:09:06
この土下座外交を信玄謙信は調子に乗って受け入れたお蔭で
信長にでっかく差をつけられてわけだな。
甲斐の山猿も馬鹿だね。上洛時には死に際じゃん。

本当は、土下座なんぞつっぱねて、常時東から威圧をかけまくり
信長を尾張美濃に縛り付けておくことが正解だったんだろうな。

162 :日本@名無史さん:2005/07/06(水) 04:29:00
信玄の立場からすれば無理でしょ、織田と徳川と上杉を同時に的に回したら義元が死んだ後の駿河にも攻め込めないでしょ。

163 :日本@名無史さん:2005/07/06(水) 07:22:35
信玄は家康をまるで赤子あつかいだった訳だから。
その家康に苦戦した秀吉とかそこらはタダの雑魚だよな。

164 :日本@名無史さん:2005/07/06(水) 08:36:34
163
成長って言葉わかるか?

165 :日本@名無史さん:2005/07/06(水) 16:21:42
>>162
だから、上杉と同盟すればよかったわけだ。
関東管領の立場を尊重し、川中島4軍を割譲して、関東をまかせてしまえばいい。
武田・北条同盟、それと越中の門徒衆を扇動するなどしてやっと謙信を押さえつけていた
のだから、武田と同盟すれば上杉は対北条に専念でき、武田勢が西上したとしても、
背後をつかれる心配はない。

166 :日本@名無史さん:2005/07/06(水) 18:14:21
>>165
最低でも、
1…小笠原と村上の旧領の返還する。(武田領は木曾・伊那・諏訪・佐久の四郡に限る。)
2…上野から武田軍の完全撤退する。
3…関東管領上杉謙信の権威を承認する。
4…関東へ出兵する関東管領上杉軍に協力する。
5…武田と北条の同盟を破棄し、上杉と武田の同盟を締結する。
6…武田は上杉に人質を差し出す。
以上6点を了承しないと上杉謙信は動いてはくれない。


これを武田信玄が了承するとは思えない。
それなら援軍を派遣してくれる北条と同盟した方がお得です。


167 :日本@名無史さん:2005/07/06(水) 18:16:14
あ、書き忘れた。
善光寺の本尊の返還もあったよ。

168 :日本@名無史さん:2005/07/06(水) 18:42:48
>>164
信玄に敗れた時の家康って
もう3.40歳だろ。その後もうろくする事は
あっても成長はしないだろ。

169 :日本@名無史さん:2005/07/06(水) 19:17:31
>>168
>信玄に敗れた時の家康って
>もう3.40歳だろ。

知らないみたいだから教えてあげるけど家康は31歳だよ。

この場合は体の成長ではないだろう。
経験や精神などの成長のことだと思う。(老獪さと言えばいいかな。)



170 :日本@名無史さん:2005/07/06(水) 19:23:03
>>169
その分大胆さもかけるから
どっこいどっこいだよ。

171 :日本@名無史さん:2005/07/06(水) 19:25:54
>>170
待ちの家康に大胆さはいらないでしょう。
それよりも粘りと健康が重要かと。

172 :日本@名無史さん:2005/07/06(水) 19:28:17
むしろ大胆さがあったら築山殿の事件で信長に叛逆して滅亡していたかも。

173 :日本@名無史さん:2005/07/06(水) 19:51:11
>>168

関が原合戦前の島左近の逸話、知らない?

人は成長するものだよ

174 :日本@名無史さん:2005/07/06(水) 20:10:47
家康は辛抱が性分だったんだよ。でも健康は重要。つとめてどうなるものでも
ないけど、豊臣滅ぼす前にポックリ逝っていたら、考えられない程の変わりよう
になるからね。



175 :日本@名無史さん:2005/07/06(水) 21:29:31
家康って前半と後半でまるっきりキャラ違うよな。
途中で入れ替わってると思う。

多分信玄に一回 三成に一回 幸村に一回

ぐらいころされてるんじゃないかな。

176 :日本@名無史さん:2005/07/07(木) 02:29:04
上杉に返還なんかしたら残りの旧領も返せってますます要求される、
石高が減り兵士の動員数が減る。

177 :日本@名無史さん:2005/07/07(木) 18:34:51
>176
謙信はそこまで強欲じゃないよ。まあ謙信に泣きついて来た旧領主は言うだろうけど。

上杉軍相手に徹底抗戦しなけりゃ天下は無理としても京ぐらいは取れたろうに

178 :日本@名無史さん:2005/07/07(木) 20:50:50
>>177
しかし現実に信濃をとらなければ、甲斐一国では京どころか今川にも下っ端
扱いで終わっただろう。

179 :日本@名無史さん:2005/07/07(木) 23:57:51
戦国大名は孫子の兵法を読めばよかったのになー


180 :日本@名無史さん:2005/07/08(金) 00:02:08
信玄の風林火山って、何からきてるかわかるか?

181 :日本@名無史さん:2005/07/08(金) 11:52:27
信長のほうが、信玄よりも孫子をよく読んで理解していると思う。

182 :日本@名無史さん:2005/07/08(金) 11:54:13
学の無い信長、秀吉、家康と違い、謙信や信玄は漢詩を作れた。
「風林火山」は孫子から取られたものだが、呉子、司馬法、三略、
六韜、尉繚子、李衛公問対などの兵書も読んでいたかもしれない。


183 :日本@名無史さん:2005/07/08(金) 12:03:53
信玄の漢詩って残ってんの?

184 :日本@名無史さん:2005/07/08(金) 12:44:23
>>183
おいおいw

185 :日本@名無史さん:2005/07/08(金) 13:39:14
「機山武田信玄公の漢詩」という本が出ています。

186 :日本@名無史さん:2005/07/08(金) 15:12:45
信長はもちろんだが、信長厨も低知識というのがよくわかった

187 :日本@名無史さん:2005/07/08(金) 17:12:45
>>182
武径七書程度ならどこの大名でも少年時代に教育されているよ。
生き死にを賭けた戦場に無知な人間を出せるような甘い時代じゃないから。

188 :日本@名無史さん:2005/07/08(金) 19:20:51
>>187
嘘は感心しないな、三戦住人よ

189 :日本@名無史さん:2005/07/08(金) 20:41:22
信玄って孫子を学んだというが、守護大名という生まれながらのメリットがありながら
広げた領土は信州・駿河・・・片田舎の僅かだな。そして健康管理を怠り上洛叶わず倅の代で滅びる。

それが孫子の力なんだな?

190 :日本@名無史さん:2005/07/08(金) 22:08:47
分かったからお帰り

191 :日本@名無史さん:2005/07/09(土) 00:41:20
地理的条件や近隣の大名の名前を見れば、
善戦した方じゃない?

192 :日本@名無史さん:2005/07/09(土) 01:26:38
だいたい本なんかあったんか?

193 : ◆zbCwfT0Mxg :2005/07/09(土) 01:32:44
ない。

194 :日本@名無史さん:2005/07/09(土) 02:00:57
>>192
たぶん、馬鹿なフリをしているのだと思うが?

例えば、直江山城守は大量の蔵書を保有しており、
その一部が米沢文庫として残っている。
また「文選」という漢文のアンソロジーを版行している。

195 :日本@名無史さん:2005/07/09(土) 08:36:34
信長みたいに、いくら強くても文化に対して何の貢献もしなかった武将よりも
文選の刊行をしたりした人の方が好きだな。
まあ、厨は「文化なんてクソみたいなものを破壊しつくした信長はカコイイ」と
思ってるんだろうが

196 :日本@名無史さん:2005/07/09(土) 10:15:46
クソ坊主を焼き殺したのは世の中に貢献してるぞ。

197 :日本@名無史さん:2005/07/09(土) 12:20:20
>>195
茶の湯の振興には、間違いなく信長の影響があるが。

というか、時代の差と両者の立場の違いを認識しろ。

198 :日本@名無史さん:2005/07/09(土) 12:20:21
>>195
つ【茶の湯】

199 :日本@名無史さん:2005/07/09(土) 12:36:11
>>195
安土桃山文化

200 :日本@名無史さん:2005/07/09(土) 12:53:04
>>195
>信長みたいに、いくら強くても文化に対して何の貢献もしなかった武将よりも

信長を批判する為なら彼の探究も必要だ。そんな無知では突っ込まれるのがオチ

201 :日本@名無史さん:2005/07/09(土) 13:22:43
どっちも酷いなw

202 :日本@名無史さん:2005/07/09(土) 14:25:03
現代常識でしか歴史を語れない奴は
当時の時代背景等を考えてから言え。

203 :日本@名無史さん:2005/07/09(土) 17:27:41
>>197
時代はほぼ同じ(直江(当時は樋口)は謙信に可愛がられていた)。
同時代の武田信玄の漢詩は現代に20首ほど残っているし、和歌の会
なども催して、和歌を詠んだりしている。
謙信は上洛時に、和歌について公家と議論を戦わせても引けをとらなかった。
明智光秀も連歌の愛宕百韻が有名だが、当然漢詩も作れた。

信長は教養があるとはとても言えない。秀吉、家康もそれは同じだ。

この3人は信玄、謙信のようには文武両道とはいかなかったようだ。

204 :日本@名無史さん:2005/07/09(土) 17:58:48
茶の湯という新しい文化、価値観を愛した信長

文化の面でも革命児だったわけだ
まあ旧体制に媚びへつらう事しかできない連中には
無理だワナ。

205 :日本@名無史さん:2005/07/09(土) 18:42:48
信玄を呪い殺したのは事実なんですか?

206 :日本@名無史さん:2005/07/09(土) 18:56:28
>>203
漢詩と和歌だけが文化で教養といいたいんですか?

たとえば秀吉や家康は能に通じて自ら演じたり、さらに秀吉は台本も自ら書いたとか。
「能」は文化でも教養でもないと。

207 :日本@名無史さん:2005/07/09(土) 19:00:28
>>203
活動時期をまったく考慮していないね。
日本がまだまだ戦乱の時代にあった頃の中央政権の主催者と、ある程度落ち着いた
後の地方領主の部下では全然異なるのだが。

208 :日本@名無史さん:2005/07/09(土) 20:21:41
>>205
呪いで殺せるなら顕如や足利義昭を先に殺るだろ。

209 :日本@名無史さん:2005/07/09(土) 21:36:50
203
おまえの言ってる事は、詩や歌会=文化、
茶の湯や能=非文化って聞こえるぞ、
茶の湯は文化じゃ無いのか?反論してみろ。

210 :日本@名無史さん:2005/07/09(土) 22:33:18
つうか、和歌も漢詩も能も茶の湯も、
当時の武将なら、当たり前のようにたしなんだ、
云わば教養みたいなもんだと思うけど。
ただ、得意不得意、はまり具合に差があるが・・・

211 :日本@名無史さん:2005/07/09(土) 22:50:32
210
だな、信長なんかは茶の湯を利用して部下に作法を教えるとか、
堺の交渉を有利に進める為とかの政治的意味も含まれているからね。

212 :日本@名無史さん:2005/07/09(土) 23:02:08
茶の湯は信玄の頃じゃ文化ではあっても教養では無いんじゃないかな、能も教養かは微妙。

213 :日本@名無史さん:2005/07/09(土) 23:46:25
>>212
なぜ「信玄のころは〜」なのかを説明してくれ。でないと、単なる個人的なイチャモンづけにしか見えない。

214 :日本@名無史さん:2005/07/10(日) 00:01:51
>>213
そもそも茶の湯が文化として確立したのはいつか?それが教養となったのはいつか?
という問題に繋がりスレ違いになりそうだが。
茶の湯が安土桃山の時代に文化として確立したのであっては、信玄の生きてた時代とは
ズレがある、ただそれだけのことじゃね。
まあ信玄が畿内にいたのであれば違ったかもしれないが。

215 :日本@名無史さん:2005/07/10(日) 00:24:51
喫茶の習慣事態は鎌倉時代からあるし、信長以前から畿内の商人や僧侶たちの間には
ひとつの文化活動として広まっている。

それに信長に関しては茶の湯だけではないよ。歌についてだって、信憑性はともかく
里村とのエピソードなどもあるし。
むしろ、信長を文化なんかに興味のなかった野蛮人というのならその証拠を出してくれよ。

216 :日本@名無史さん:2005/07/10(日) 02:46:03
つ味が薄くて不味い

217 :日本@名無史さん:2005/07/10(日) 11:12:17
>>195
なにげに信長って経済にかなり力入れたんだよ。


218 :日本@名無史さん:2005/07/10(日) 11:17:29
名前忘れたけど経済学者の講演会聞きにいったことあるけど、良い例として信長を例にあげてたよ。
なんか、急に変化をさせないで、ゆっくりと自国の経済を変えていったみたいよ

219 :日本@名無史さん:2005/07/10(日) 11:41:53
それと信長の場合、部下たちへの意識改革もやっている。
秀吉や勝家、滝川一益なども茶の湯にはまって美術品を大事にしている。
武田家の場合、馬場だったか山縣だったか。今川侵攻で駿河を落したとき、信玄が
今川家重代の家宝を戦火から運び出したら「われらは武士だ」とかいって全て火中
に放り込んだとか。

武田がもし上洛に成功しても、木曽義仲みたいなことになって終わったんじゃないかね?
信玄の場合、信長のように「略奪禁止の一銭切」なんてとてもできそうにないし。

220 :日本@名無史さん:2005/07/10(日) 12:00:44
一般人だったら戦ばっかやって略奪ばっかしてる武将より、
一般人にやさしい武将のほうがいいさ!
一般人の力が国力となるのさ

221 :日本@名無史さん:2005/07/10(日) 12:46:13
>>217-218
経済の話なんて、今誰もしてないんだが?文化の話をしてるんだが。

でよく知らんのだけど、
信長って本人は本当に茶の湯が好きだったんか知らん?
秀吉は自分も好きで、それを政治にも利用したという感じだが
信長ってただの政治利用って感じじゃない?
ただの個人的なイメージかも知らんが

222 :日本@名無史さん:2005/07/10(日) 13:22:30
>>221
元禄文化なんかは特にそうなのだが、経済が発展すれば文化も発展する。
経済に貢献したということは、文化にも貢献したということだ。

223 :日本@名無史さん:2005/07/10(日) 15:50:33
>>221
心狭いなー
信長についていろいろ語りあおうぜ

224 :日本@名無史さん:2005/07/10(日) 16:02:22
>>221
個人的なイメージだけなら何とでも言える。
せめて一つぐらいエピソードとかあげてもらわないと
ただの妄想にしか聞こえん。

225 :日本@名無史さん:2005/07/10(日) 16:04:28
>>219
もったいないことをしたよな、信玄がせっかく文化財を保護しようとしたのに。
明智秀満なんかとは比べ物にならん。

226 :日本@名無史さん:2005/07/10(日) 16:16:29
>>221
松島の茶壺、紹鴎の茄子の茶入、九十九髪で喜んでるだろ
松永弾正を攻める際、平蜘蛛釜を何としてでも奪えと厳命している。

227 :日本@名無史さん:2005/07/10(日) 17:53:20
成金趣味と風流を混同するのはアレだw

228 :日本@名無史さん:2005/07/10(日) 19:56:52
>>225
明智ひでみつって、坂本城で寄せ手にお宝引き渡したんじゃなかったっけ課?

229 :日本@名無史さん:2005/07/10(日) 20:12:24
信長は天守閣とか軍の装備とか、南蛮の雑貨とか茶器とか
とにかくぱっと見てカコイイ!と思えるような、感覚的な文化が好きだったっぽいな
和歌とか漢詩とか、決まりごといっぱいあって、
しかもじっくり味わうようなのはウザかったんだろ

趣味の方向性の違いだな

230 :日本@名無史さん:2005/07/10(日) 21:15:54
信長公は新たなる文化を創造した。
信玄坊主は旧来の文化の猿真似をしていただけ。
彼我の優劣は明らか。

231 :日本@名無史さん:2005/07/10(日) 21:18:25
>>230
漏れは信玄厨だが、それは認めざるを得ない。

232 :日本@名無史さん:2005/07/10(日) 21:26:24
信長公は革命家
信玄公は改良家


233 :日本@名無史さん:2005/07/10(日) 22:02:33
適切な例えだね。

234 :日本@名無史さん:2005/07/10(日) 22:15:54
信玄が買い両者???????????????
??????????????????????
??????????????????????
??????????????????????
??????????????????????
??????????????????????
??????????

235 :日本@名無史さん:2005/07/10(日) 22:37:51
232
たぶん例えで言ってんだろ、揚げ足取らずにほっとけ。

236 :日本@名無史さん:2005/07/11(月) 04:46:05
論点がスレタイからどんどん乖離してくのにワラタ

237 :日本@名無史さん:2005/07/11(月) 13:30:34
>信長公は革命家
  ~~~~~~~~~~~~~~~~
所詮、ここに居る信長儲はこの程度だからな

238 :日本@名無史さん:2005/07/11(月) 13:42:53
ではここに居る信玄儲はどう評するのだろう?

239 :日本@名無史さん:2005/07/11(月) 15:37:38
兵法を暗記したから戦争が上手になるわけではない。
北条早雲は兵法の講義を受けた時、すぐにもう実行していると退けてるよ。

240 :日本@名無史さん:2005/07/11(月) 18:58:56
そんな講談話で例えられても(笑

241 :日本@名無史さん:2005/07/11(月) 19:24:21
変な例えで
信長はフジテレビ
信玄はNHK


242 :日本@名無史さん:2005/07/11(月) 19:29:44
いや、むしろ信長がフジテレビ、
信玄は岩手(秋田?)めんこいテレビ

243 :日本@名無史さん:2005/07/11(月) 21:50:49
信玄はヤフー
信長はグーグル


244 :日本@名無史さん:2005/07/11(月) 23:13:00
信玄はモチ
信長はうどん

245 :日本@名無史さん:2005/07/11(月) 23:37:54
つまらね〜

246 :日本@名無史さん:2005/07/12(火) 00:04:48
信玄はほうとうだ!

247 :日本@名無史さん:2005/07/12(火) 00:20:43
いうまでもないが、信長がやったという「革命的」なことには、
ほとんど前例がある。

248 :日本@名無史さん:2005/07/12(火) 00:47:52
前例をパクって何が悪い?

249 :日本@名無史さん:2005/07/12(火) 00:59:29
ノブナガはたいした武将(政治家)じゃなかったってことさ
信頼していた家来に殺された、世にも珍しい戦国大名なんだし

250 :日本@名無史さん:2005/07/12(火) 01:02:56
>>247
瞬発的な天才というよりは、ある意味では家康以上に緻密な計算家だったのかもしれないな。

251 :日本@名無史さん:2005/07/12(火) 01:07:23
政略には緻密だったが、家臣の掌握術では信玄や家康には劣るのかなぁ

252 :日本@名無史さん:2005/07/12(火) 01:09:06
>>251
家康はちょいちょい家臣に裏切られてるよ。

253 :日本@名無史さん:2005/07/12(火) 01:10:30
信玄だって武田の一族が裏切って粛清したりしてるじゃん
一番の例の義信はどーすんのかと

254 :日本@名無史さん:2005/07/12(火) 01:10:59
しかし、家来に殺されたアフォにくらべれば
なぁー。

255 :日本@名無史さん:2005/07/12(火) 01:13:13
家来に裏切られて自害したらアフォで、病死したらアフォじゃないと

死に方で全て決まるのか、ふーん

256 :日本@名無史さん:2005/07/12(火) 01:14:48
>>253
勝沼五郎のことね? でも、すぐに粛清する余裕もあったわけだし
問題なのは、油断して家来に殺された不始末よ。それを悲劇と割り切るか
バカ殿だったのなぁ、と残念に思うか。もはや歴史観の違いだね。

257 :日本@名無史さん:2005/07/12(火) 01:16:26
家来に殺されたってのが、カッコ悪すぎ。
だって、人心を掌握できなかったアホ殿の象徴じゃん?

258 :日本@名無史さん:2005/07/12(火) 01:26:25
>>257
あんたのように、欲より義理を取るような人間ばかりじゃないんだよ。

259 :日本@名無史さん:2005/07/12(火) 01:28:38
>>255
病死=寿命・天命(まぁ、しかたがない・・・)
自害=攻め殺され・やむをえない自殺(その前に、何とかならなかったのかよぉ・・・)

ではないのか?

260 :日本@名無史さん:2005/07/12(火) 01:32:14
>258
よくわからんが、バカ殿を殺した光秀は「欲」を取ったのか将軍家への「義理」
を取ったのか? はたまた朝廷への「義理」を取ったのか?

261 :日本@名無史さん:2005/07/12(火) 01:38:52
つまり最近の朝廷陰謀説(信長暗殺)は、家来に殺された情けないバカ殿を救済する
のが目的というか、信長天才(革命家)伝説をおぎなうものかと?


262 :日本@名無史さん:2005/07/12(火) 01:39:21
>>260
光秀は、信長に大名にしてもらった「義理」を捨てただろ。

263 :日本@名無史さん:2005/07/12(火) 01:55:32
結局は秀吉に敗れてアボーン。

264 :日本@名無史さん:2005/07/12(火) 02:41:16
親戚や配下の与力にまで見捨てられて三日天下

265 :日本@名無史さん:2005/07/12(火) 10:40:39
光秀は自分で言っているものな。
「路傍の石ころのように打ち捨てられていたところを信長に引き上げられた恩」
って。

しかしまあ、そうやって信長をアフォとか間抜けとか、大したことのないやつと
貶めれば、それだけ勝てなかった信玄その他の自分の好きな大名を貶めていると
いいかげん気づけ。

266 :日本@名無史さん:2005/07/12(火) 12:38:28
信長を伝説化するために
勝てなかった信玄、などと捏造するのは好ましくない。

267 :日本@名無史さん:2005/07/12(火) 14:02:15
竹生島に参詣に行って、帰ってきたら安土城の女房連中が(近くの桑実寺に参詣)
いなかったので激怒し、女房と、寺の住職の首を切ったりする行動は、
とても長く仕えようとは、思われないだろう。
性格に問題があったのは事実。

>>265
「路傍の石ころ」とあるが、最近では足利義輝の家臣の名に明智があり、
都では既に有力な武将だったという説が出ている。実際に義昭を擁しての
上洛後、公家の日記にもあるように、信長は都に滞在する場合はほとんど
明智邸に宿泊している。つまり、近習も含めて宿泊できるような邸を既に
所有していたわけで、「路傍の石ころ」は謙遜だね。


268 :日本@名無史さん:2005/07/12(火) 14:06:11
>>267
その出来事じたい疑問視されてもいるんだが・・・
その桑実寺にのこる記録では、住職は仕置きをされたものの
死んではいない。確か、その住職が死んだのも本能寺の変後だったと思う。

269 :日本@名無史さん:2005/07/12(火) 15:59:53
現実に謀反されていることを考えるとねぇ‥
謀略に掛かったとか外的な要因でない謀反は、戦国時代でもそう多くないし。

270 :日本@名無史さん:2005/07/12(火) 17:05:07
信長と信玄とじゃ、領土の大きさも兵の数も家臣の数も比べ物にならないよ。
そりゃ裏切りもあるさ。

271 :日本@名無史さん:2005/07/12(火) 17:09:22
そうか?
細川三好陶大友島津竜造寺宇喜多浅井朝倉織田斎藤武田長尾・・・
内的要因な謀反だらけではないか。

272 :日本@名無史さん:2005/07/12(火) 19:33:55
信長は基本的に、なぜか家臣は裏切らないと信じ込んでいるのですよ
部下ってのは絶対服従するものだと思い込んでるんです
何回も裏切られてるのになおりません

273 :日本@名無史さん:2005/07/12(火) 21:26:01
>>267
明智邸に宿泊?誰の日記よ?
信長の京宿泊は基本的に寺院でだが。

274 :日本@名無史さん:2005/07/13(水) 00:20:24
なんかの本に信玄は農業重視で
刈りいれの時に必ず兵を戻さないといけないから
信長には勝てないみたいなこと書いてたな。

275 :日本@名無史さん:2005/07/13(水) 01:39:19
>>273
『言継卿記』永禄13年2月30日の部分を読んでください。
またこの年の7月4日の部分も、どうぞ。
上洛して最初の2,3年は京に滞在する場合、ほとんど明智邸に宿泊しています。


276 :日本@名無史さん:2005/07/13(水) 15:22:53
>>274
漫画だよね?

277 :日本@名無史さん:2005/07/13(水) 21:09:12
>>274
信玄に限らず、どこの大名でもそれは同じだよ。
川中島での停戦は、田んぼが気になって兵士のやる気が・・・が要因。
上杉が小田原を十万で包囲しながらも落とせなかったのもこれのため。
完全じゃないにしても兵農分離を形にしていた信長はかなり有利


278 :日本@名無史さん:2005/07/13(水) 22:54:41
>>276
漫画じゃない。なんか逆説の日本史書いてる人の本だったと思う。
>>277
唯一信長だけ違ったんだと。だからもし信玄が生きてて
そのまま京都に向かったとしても信長はじらして刈りいれの時期まで
待てばいいだけだから負けるわけがないんだと。

279 :日本@名無史さん:2005/07/13(水) 23:09:30
>>277
信玄が生存中の段階ではどこの大名も兵農分離のレベルは50歩、100歩です。
兵農分離の信長が本格的に進めだしたのは、越前占領の後の話です。

280 :日本@名無史さん:2005/07/14(木) 06:43:21
武田厨は信濃も豪雪地帯である事に気付いてないのか?
刈り入れが済んだ後に攻めたら補給が困難になる。
ましてや攻められる事態を事を想定して謙信や信長レベルの
軍が迅速に動ける程の十分な街道を整備してないのならなおさら。

281 :日本@名無史さん:2005/07/14(木) 10:05:41
田んぼが気になって〜、と言う奴>>277-280
軍役の仕組みを勉強してから日本史板に来なさいw

282 :日本@名無史さん:2005/07/16(土) 01:45:07
軍役を言う前に農民の勉強しろ、戦で恩賞貰っても足軽なんて
たかがしれてる額しか貰えない、そんなんで長期に渡って田を
放置してたらどうなる?次の年には収穫が大幅に減るぞ!戦が長期
になったら士気が下がるのは当然だ。

283 :日本@名無史さん:2005/07/16(土) 05:55:02
>長期に渡って田を放置してたらどうなる?
田は放置しませんw
>次の年には収穫が大幅に減るぞ!
一切減りませんw

ヒント@ 出生率は1.Xよりはるかに高い
ヒントA 足軽は租税賦役を免除
ヒントB 納税は基本的に村や集団単位

284 :日本@名無史さん:2005/07/16(土) 11:50:23
>>283
税を免除されても、田畑に関わる時間がとられるのだから結局収入減と相殺がいいところ。
言い換えれば、収入が減る分を帳消しにしているだけ。
それと、納税の単位が家だろうと村だろうと、まず一番の働き手がとられることに注意。
10人家族から1人とられるとしたら、まず壮年の父親、2人なら次は成人した息子。後に
残された母親とか老人とかまだ年端もいかない子供たちで田畑をみなければならないわけだ。
それで収入を変わらずに維持できると思うか?

285 :日本@名無史さん:2005/07/16(土) 17:40:26
山梨って米とれたの?ほうとうが主食なら小麦じゃないの?

286 :日本@名無史さん:2005/07/16(土) 18:36:14
>>284
>税を免除されても、田畑に関わる時間がとられるのだから結局収入減と相殺がいいところ。
>言い換えれば、収入が減る分を帳消しにしているだけ。

数値を出して具体的に説明して。
普通だとどれくらい取れて、戦に行ってると収穫がどれくらいまで減って、
危険手当はどれくらいもらえるのかな?

287 :日本@名無史さん:2005/07/16(土) 18:42:54
>>286
一日米何合とかじゃ

288 :日本@名無史さん:2005/07/16(土) 19:55:25
>>283
やれば分かるが無農薬で古米を育てるのはカナーリ大変。
少し手入れを怠っただけで全滅する。農業を甘く見るな。一度やってみろ
人手が減れば収入が激減するのが当たり前。
妄想ばかりしてないでちゃんと働こうね。ニート君

289 :日本@名無史さん:2005/07/16(土) 19:56:39
古米=古代米
赤米の事ね

290 :日本@名無史さん:2005/07/16(土) 20:21:09
そうだな、当時は機械なんてないしな 俺でも分かる

そういえば、戦争中のドイツと日本の人口に対する兵隊の
比率はドイツの方が高かったそうだ 日本も総力戦だったのに

理由は、やはり日本では農業が人力に頼る割合が高いので
徴兵にも限界があったからだと何かで読んだ 坂とか段々畑も多いしね

291 :日本@名無史さん:2005/07/16(土) 20:49:53
で、>>286の答えはマダー?

292 :日本@名無史さん:2005/07/16(土) 21:40:12
>>284=288=290
軍役へ就くのは、約40人当たりに一人
働き手を5割に見積もっても20から19人へ減るだけ
それで収入が激減するのが当たり前、とかありえねー

293 :日本@名無史さん:2005/07/17(日) 00:06:54
>>292
「40人あたりに1人」ってどーゆー根拠で?
まさかと思うが、一万石あたり250人からか?それで1石=人一人の一年分の食料、って?

あのな、一万石の収入が全部農民のものになるわけないだろう。五公五民でも甘くて、大抵
は七公三民から六公四民。
この計算でいくと、人口は一万石で4千人、ただし働き手を5割としても2千人から250人。
8人に1人か。
もっとも、人口の半分が青年以上の男性だなんてそんな人口分布ありえないけどな。

294 :日本@名無史さん:2005/07/17(日) 00:14:33
283
現代感覚&飽食時代の考えで言うなよ、普通に考えりゃ放置した
田が1年で元に戻る訳ねぇだろ、ましてや農薬も機械も無い時代に。

295 :日本@名無史さん:2005/07/17(日) 00:54:02
>>293
もうちょっと突き詰めてみましょう。
人口の男女比を1:1として、男性人口から15歳未満と50歳以上を除くと、
大体6〜7割くらいですかね?(一応、日本の人口統計より)
そうすると二千の七割で1400人。ここから250人が兵役でとられるとすると、
およそ18%、5〜6人に1人の割合。
一家から1〜2人がとられる計算になりますね。それも最大の働き手が。
ただし、一万石あたり250人という徴兵率は戦国時代では低いほうで、大体
300から400、多いときには500〜600はとられたから負担はもっと大きいか。

296 :日本@名無史さん:2005/07/17(日) 01:21:57
>>284
>税を免除されても、田畑に関わる時間がとられるのだから結局収入減と相殺がいいところ。
>言い換えれば、収入が減る分を帳消しにしているだけ。

数値を出して具体的に説明して。
普通だとどれくらい取れて、戦に行ってると収穫がどれくらいまで減って、
危険手当はどれくらいもらえるのかな

297 :日本@名無史さん:2005/07/17(日) 01:31:53
田畑に関わる時間減ったら収穫も減る、農家の人なら誰でもわかる
ましてや人力に頼ってた時代になら尚更だ。

298 :日本@名無史さん:2005/07/17(日) 01:32:01
1万石で4千人なのかな?
慶長三年の日本の総石高は約1850万石で人口は約1250万なので
4千人ということはないと思うが。

299 :日本@名無史さん:2005/07/17(日) 01:44:44
>>297
減る減らないの話をしてるんじゃない。
>数値を出して具体的に説明して。

300 :日本@名無史さん:2005/07/17(日) 02:08:29
>>299
では、「人手が減っても収穫に違いはない」ということを、’数値を出して具体的に説明してください’。

301 :日本@名無史さん:2005/07/17(日) 03:54:11
>>292=296=299
今の感覚で数値を出したところで意味ないだろ、今の米は品種が全然別物なんだからさ
つーか、そのぐらい考えれば分かるやん。答えに困って数値〜だの逃げんなw
貴重な労働力が減れば米だけではなく全体の収入自体も減る。そのぐらい分かるだろ?
今と違って電気、ガス、水道、ないんだぞ?あらゆる事に時間がかかり人手はいくらあっても足りない。
一度田舎暮らしを体験してみろ。人の繋がりの大切さがよく分かる。若い男がいないのはそれだけでかなりの労働力減だよ
全然減らない??マジ面白いw


302 :日本@名無史さん:2005/07/17(日) 04:03:07

あれ?説明求められた側が答えもせずに逆に説明求めてるよ。
どういう料簡なんだろう??

303 :日本@名無史さん:2005/07/17(日) 04:50:13
>>301
ん?当時の米がコシヒカリやササニシキのような現代の米じゃないのは当たり前。
現代と違うからこそなおさら、当時の感覚がつかみやすいように、
働き手を一人とられた田畑の収穫がどれくらい減るのか、と聞かれてるのがわからんの?
今の感覚で数値を出すのがいやなら、当時の感覚で数値を出してくれよ。
そもそも単に田畑の収入云々という大雑把な話ではなく、
年貢の免除も絡めて+になるか-になるか、という話だから、
数値にして表すことは非常に意味のあることだ。


電気ガス水道がないとか、田舎暮らししてみろとか、煙に巻こうと必死なのがバレバレw


304 :日本@名無史さん:2005/07/17(日) 07:19:46
この場合の品種は収穫量が問題でコシヒカリやササニシキは関係ないと思われ

305 :日本@名無史さん:2005/07/17(日) 13:47:52
慶長三年の日本の総石高は約1850万石で人口は約1250万なので
これをもとに
甲斐の人口を仮に15万として
江戸時代の農民の割合90%をかけて、甲斐の農民13.5万人
兵を6000とするなら
徴兵率は4.4%
人口100人の村なら4〜5人分労働力が不足ということになる

まあ農業以外の人口とか甲斐一国で6000という軽い軍役とか数値がいい加減とかいろいろ問題があって
参考にならないだろうがw

306 :日本@名無史さん:2005/07/17(日) 15:09:17
>江戸時代の農民の割合90%をかけて
これだと武士の分も除外しちゃうから、その上農民から兵を6000とするなら
軽い軍役ではなく、重い軍役にならないか?
だから、その理論によって軽い軍役なら、農村に対する徴兵率はもっと低くなるはず。

307 :日本@名無史さん:2005/07/17(日) 18:26:32
>>305-306で結論出ちゃったな
村の人口100人ののうち4人分程度の労働力が不足
労働人口が12歳未満を除く80人前後として、欠けるのは20人に一人
結局どうという影響は無いだろうね。

308 :日本@名無史さん:2005/07/17(日) 23:50:46
>>307
…ちゃんと、>305-306 を最後まで読んだか?

309 :日本@名無史さん:2005/07/18(月) 01:55:21
307は日本語を理解出来ない厨。

310 :日本@名無史さん:2005/07/18(月) 02:23:11
でもいろいろ考えても結局4〜5%ぐらいにならないか?

311 :日本@名無史さん:2005/07/18(月) 04:11:59
>>310
まあある程度数値は変わるだろうけど、結局その程度だろうな
だったら農村にはあんま関係無いだろうな、それより戦争しまくっていたら、
短期的には収入減より支出の増大が多過ぎて、大名が破産すると思うが。

312 :日本@名無史さん:2005/07/18(月) 13:37:30
>>305
>参考にならないだろうがw
少なくとも電気、ガス、水道、とか、農業を甘く見るなとか
農家の人なら誰でもわかるとか言ってた連中の発言よりは
参考になるし説得力もあると思うぞ。


313 :日本@名無史さん:2005/07/18(月) 21:07:42
いい加減に板に戻ろうぜ、どんな数字で説明しても憶測でしかない。

314 :日本@名無史さん:2005/07/18(月) 22:55:10
で、結局話しの結論からどっちが勝つんだ?

315 :日本@名無史さん:2005/07/18(月) 22:58:17
鱈もレバーも好きだよ

316 :日本@名無史さん:2005/07/20(水) 00:08:45
史実通りでいいじゃん。

317 :日本@名無史さん:2005/07/20(水) 19:07:04
>>314
もし、信玄と信長が戦ったら、100%、信長が勝っていたyo

318 :日本@名無史さん:2005/07/21(木) 00:47:20
実際には、配下の者たちが負けた(三方原=信玄に・手取川=謙信に)んだが・・・

319 :日本@名無史さん:2005/07/21(木) 12:15:45
>>317
稲刈りがあるから、だまってても信玄は帰るヨ!
とかゆーアホの書き込みじゃ説得力無いなw

320 :日本@名無史さん:2005/07/21(木) 18:19:19
奥さんが恋しくて帰ります








と言ってみるテスト

321 :日本@名無史さん:2005/07/21(木) 21:09:32
信長に勝てないことは、信玄自身がよっくわかっていた。
だから、信長との戦いを避け、
家康から2城を奪って引き上げた(その帰路で死亡)のに、
厨のかいかぶりほど迷惑なものはないと、信玄も日頃から語っていますた。

322 :日本@名無史さん:2005/07/21(木) 21:48:27
>家康から2城を奪って
>家康から2城を奪って
>引き上げた
>>321の脳内にある2城が何城なのか気になるなw

323 :日本@名無史さん:2005/07/27(水) 03:38:10
戦に数は必要だけど、それにも増して戦術・戦略・錬兵等の総合力が重要。
歴史にifは無いけれど、信玄があと2年死なずにいたら、信長は危なかった
だろう。戦では信玄が勝つだろうけど、信長の立ち回りも見ものだったろう。
 でも信玄にしても謙信にしても、欠陥人間には天下は望めない。子殺しや
不妻帯のビジョンで取れるほど天下は軽くない。

324 :日本@名無史さん:2005/07/27(水) 03:39:14
┌━┐    ┌━┐
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└━┷┴━━╂┘        └╋━┘ 馬鹿にはできないコピペです
            ┃            ┃
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325 :日本@名無史さん:2005/07/27(水) 03:54:37
以前は所謂武田房でいろんな関係書を読み漁った。しかし今でも納得が
いかないのが、義信事件。川中島で軍神謙信さへも唸らせ絶賛した義信
を何故?・・・・父親を追放したトラウマなのか知らないが、そこに信玄
の限界を感じた。

326 :日本@名無史さん:2005/07/27(水) 05:10:10
325
質問、川中島で謙信さえもって、なんかしたの?ソースは?

327 :日本@名無史さん:2005/07/27(水) 12:22:18
325>川中島五箇度合戦記中 
「謙信は、義信に引き上げの時攻め込まれ、引き返して広瀬というところまで
追い討ちして義信を討った。このときの義信の手柄は、くらべる者がないほど
見事だつた。このことを甲陽軍鑑には書いてないが、作者は知らなかったのだ
ろうか?謙信も若武者義信に会って不覚をとり、
「一代の失敗であった」と残念そうで、「無念だ、口惜しい、これは自分の
油断であった」と言っている。
 以上 南麻主計物語し件より抜粋

328 :日本@名無史さん:2005/07/27(水) 12:49:14
義信事件の影響
@信玄死後の信長・家康・勝頼の年齢を考えれば・・・
A子殺ししてまで手に入れた駿河。それで得たものは三国同盟
の崩壊とそれに伴う何より大切な寿命(何年ロスしたかを考えれば・・)
B勝頼を正式な世継に出来なかったほどの後のごたごた・・

結論 天下取りのビジョンとは考え難い

329 ::2005/07/27(水) 12:56:39
信玄は北信濃を村上に返してやり.謙信と和睦をすれば.天下への道は
開けたのでは?

330 :日本@名無史さん:2005/07/27(水) 13:50:03
馬場らの別働隊が到着する前はほぼ潰走状態だったのでしょうがないが、
典厩信繁、諸角豊後守、山本勘助、初鹿野源五郎らが八幡原で
討死したのが痛いな。
当時実質No2の信繁が生きていれば信玄亡き後もなんとかなったかもしれない。

331 :日本@名無史さん:2005/07/27(水) 13:58:38
信玄が信長に勝つとしたら、早期に奇襲攻撃するしかなかったと思う。
川中島を二回くらいで手打ちして、一気に木曽から美濃・尾張に攻め込む。
その頃なら、チャンスあったのではないか?


332 :日本@名無史さん:2005/07/27(水) 14:03:32
義元がいる間はさすがにダメだろうから、
やっぱり桶狭間は起こしてもらわないとね

美濃攻めに苦労してるうちに行ってみますか?

333 :日本@名無史さん:2005/07/27(水) 14:18:03
即出かもしれんが、寿命無しなら、信玄が信長を制圧できたと思うよ。
信長包囲網だって信玄がメインの位置にあるし、徳川との合戦中に死ななければ、徳川を併呑し、信長の居城を攻略したのが確実と言えるしね。
それに、徳川が攻撃される中、信長は信玄に対し、敵対しないとかの書状を書いて、なんとか敵対しないように苦心してるし、戦略眼では明らかに劣るよ。
信長の勝る点といえば、部下の才能の使い方だろうけど、信玄の戦略の前にはそれでも無理だろうね。家康が尊敬する人物だけはあるよ、やっぱり。
近畿を平定した所までだったら、信玄が勝つと思う{秀吉のような大軍戦略には無理だろうと思う。島津義久ですら駄目だったんだし}

334 :日本@名無史さん:2005/07/27(水) 16:00:40
っていうか、信玄が打ち破っただろうからといって、それで単純に信長<<信玄ではないだろ。
本願寺、浅井、朝倉と敵対していたっていうハンデを考えないとな。

335 :日本@名無史さん:2005/07/27(水) 16:12:02
本願寺、浅井、朝倉、六角と敵対するハメになったのは、信長の責任だからね
2人の年が違うから評価に関しては何とも言えんが
あのまま推移した場合、信長に勝機は無いな。

336 :日本@名無史さん:2005/07/27(水) 19:28:23
夏休みで、リアル厨房・工房の信玄オタが、妄想大爆発しています(プゲラッチョ

337 :日本@名無史さん:2005/07/27(水) 20:06:41
>>333
家康が尊敬???誰を???なにを根拠に?????
門松のいきさつを知ってますか?武田の鏃を卑怯者の使う武器として全軍に、
後の幕府にまで使用禁止にしていたのを知っていますか???
こういう輩が増えるのは夏ゆえ仕方ないかもな・・・

338 :日本@名無史さん:2005/07/27(水) 20:12:52
そいつらのソースは漫画とかだろ。

339 :日本@名無史さん:2005/07/27(水) 20:49:42
>>337
尊敬していたから、そのエピソードが生まれたのだが?
信玄の軍配も作らせたしねw 井伊の赤備えの意味、わかりますか?

340 :日本@名無史さん:2005/07/27(水) 21:56:52
>>335
越後と対峙し、貢献外交により信長の上洛を許してしまったのも信玄の責任だぞ

341 :日本@名無史さん:2005/07/27(水) 22:13:35
>337
家康の松姫への援助や八王子千人同心なんかも、おまいは知らんのだろうな(暴w
信玄の家法や軍法を、家康が取り入れたのも(暴w


342 :日本@名無史さん:2005/07/27(水) 22:21:06
>>337
>家康が尊敬???誰を???なにを根拠に?????

って、幕府の軍学は甲州流(武田信玄)じゃないのか?

343 :日本@名無史さん:2005/07/27(水) 22:42:24
「長篠日記」て読んでみたんだが、信長が勝頼に大勝したという「信長公記」
よりも臨場感あって、写本にもよるんだろうが、かろうじて勝ったという印象だ。
数値でいうと、織田・徳川連合軍の戦死者6000、武田は7000。
参陣してるのが織田・徳川30000、武田15000だとすると、数で勝った
だけなのかな。


344 :日本@名無史さん:2005/07/27(水) 22:42:58
「長篠日記」て読んでみたんだが、信長が勝頼に大勝したという「信長公記」
よりも臨場感あって、写本にもよるんだろうが、かろうじて勝ったという印象だ。
数値でいうと、織田・徳川連合軍の戦死者6000、武田は7000。
参陣してるのが織田・徳川30000、武田15000だとすると、数で勝った
だけなのかな。


345 :日本@名無史さん:2005/07/27(水) 22:43:54
スマソ、2重かきこ>343>344

346 :日本@名無史さん:2005/07/28(木) 00:14:06
┌━┐    ┌━┐
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         └┘└┘ └┘└┘



347 :早運:2005/07/28(木) 00:16:44
駿河攻めして落ち着くまで10年かかっている。
人生50年の時代に10年・・・・
海が欲しいのはわかるが、天下取りのビジョンじゃない。
「親の敵を・・・」と氏真の尻叩いて三国同盟軍で織田に向かうほうが
@10年無駄にせずに済む
A大義名分がある。
B義信を殺さずに済む。自動的に最強部隊飯富兵部の温存。
まあ、駿河一国じゃ割りに合わぬものを失ってる。

情けないが、信玄は弱いものいじめに徹した訳です。

348 :日本@名無史さん:2005/07/28(木) 00:20:59
>>347さん

信玄が駿河か相模に幕府を開こうとしていたら、
無駄ではないのですが? 畿内府を天下(京都という意味)
とする双六ゲームの俗流天下史観では、戦国時代は読み解けませんYO

349 :日本@名無史さん:2005/07/28(木) 00:27:28
ところで、この無学な馬鹿者はどこに逃げたのかね?
地の果てまで追いかけて、小一時間・・・、泣くまで問い詰めてみたいのだが。

>337 :日本@名無史さん :2005/07/27(水) 20:06:41
>>333
>家康が尊敬???誰を???なにを根拠に?????
>門松のいきさつを知ってますか?武田の鏃を卑怯者の使う武器として全軍に、
>後の幕府にまで使用禁止にしていたのを知っていますか???
>こういう輩が増えるのは夏ゆえ仕方ないかもな・・・


350 :333:2005/07/28(木) 00:40:40
>>349
>>337を見て驚いた。マイナーなことじゃないはずなのにと反論考えたが・・・・
>>349さん、代わりにお願いします

351 :日本@名無史さん:2005/07/28(木) 00:44:57
>>350(>>333)

いやもう、>>337殿は散々に批判し尽くされ、なんとももはや・・・。
これ以上、追い詰めるのは本人の再起にかかわることで・・・。


352 :日本@名無史さん:2005/07/28(木) 00:51:09
信玄の家法や軍法を取り入れた結果以後の徳川は戦に弱い集団となり、
少数の兵に常に蹴散らされる、全国でも指折りの弱小軍団になったとい
う話を思い出した。

あれはなかなかのネタだったな。

353 :日本@名無史さん:2005/07/28(木) 00:53:56
夏だなぁ

354 :日本@名無史さん:2005/07/28(木) 00:54:05
まぁ>>337については、このあたりの質問に答えられたら偉い(ボケだ)わな。

> 339 :日本@名無史さん :2005/07/27(水) 20:49:42
>>337
>尊敬していたから、そのエピソードが生まれたのだが?
>信玄の軍配も作らせたしねw 井伊の赤備えの意味、わかりますか?

>341 :日本@名無史さん :2005/07/27(水) 22:13:35
>>337
>家康の松姫への援助や八王子千人同心なんかも、おまいは知らんのだろうな(暴w
>信玄の家法や軍法を、家康が取り入れたのも(暴w

>342 :日本@名無史さん :2005/07/27(水) 22:21:06
>>337
>>家康が尊敬???誰を???なにを根拠に?????

>って、幕府の軍学は甲州流(武田信玄)じゃないのか?


355 :日本@名無史さん:2005/07/28(木) 00:55:20
というか正直信玄じゃ、戦略戦術ともに信長に劣っているだろ、実績から考えて。

356 :日本@名無史さん:2005/07/28(木) 00:57:55
>352
おまい、勝海舟の「政治今昔談」の章でも読んでみ(笑
すこしは歴史観が変わるぞ

357 :日本@名無史さん:2005/07/28(木) 01:00:36
>>355
はぁ? ノブ長は三方原援軍で信玄に負け、手取川派兵で謙信にボロ負け
なんですが?? どっちも恐れて自身が出馬しない馬鹿大将のどこに実績が?


358 :日本@名無史さん:2005/07/28(木) 01:02:32
>355
戦略戦術の実績というよりも、媚びへつらいの実績かと思うのだが…

359 :日本@名無史さん:2005/07/28(木) 01:04:16
>>355
まあもし戦った場合、同数か織田の方が兵が多ければ、信玄に勝ち目は無いだろうな、
トチ狂ったりしない限り。
織田のほうが兵が少なければ、信長と信玄どっちが勝つか分からないが。

360 :日本@名無史さん:2005/07/28(木) 01:06:00
>>352
あれってこの板だっけ?
三戦のほうで見た気もするが…でも確かに面白かった

361 :日本@名無史さん:2005/07/28(木) 01:06:40
家来に殺された尾張のバカ殿なんざ、信玄公の敵ではないっしょ(笑

362 :日本@名無史さん:2005/07/28(木) 01:08:21
sage

363 :日本@名無史さん:2005/07/28(木) 01:11:15
>>357

まあ、北陸で謙信に叩かれて勝頼に泣きを入れてるわけだからなあ

364 :日本@名無史さん:2005/07/28(木) 01:17:48
>家来に殺された

このあたりが信長の情けないところで、あまりにも人望なさすぎ。


365 :日本@名無史さん:2005/07/28(木) 01:26:09
蘭丸が予言してるんだけどね

「わざわざ謀反なんて考えてませんなんていってるということは謀反を考えてる証拠です」ってね。

蘭丸は頭が良かったそうだけど、信長はどうだったんだろう

366 :日本@名無史さん:2005/07/28(木) 01:31:12
是非もなし(ワシがバカだった、もうあれこれ言うな)じゃないかな

367 :日本@名無史さん:2005/07/28(木) 01:46:13
>>359
信長はその生涯で、少数で多数を破ったことが一度ならずある大将。
一方信玄は、その勝ち戦は全て敵より多数で何度かある負け戦も敵より多数
だった。

>>357
三方ヶ原で負けたのは徳川家康。この戦を織田・徳川連合軍とするのは大きな
間違い。
手取川も今ではさまざまな異説が出されているしねえ。

>>358
前スレにもあったなこの流れ。素直に外交で負けたんだといい加減悟れ。
そして、外交というものの重要さを認識しろ。

368 :日本@名無史さん:2005/07/28(木) 01:57:22
>>367
とはいっても、尾張信長は家来に殺された稀有な戦国馬鹿大名。
少数で多勢を破ったのなら、北条氏康(川越夜戦・3000で80000)や
上杉謙信の唐沢山城攻め(40で3000を蹴散らす)
の戦力比には遠く及ばないしな。
天下布武の内実(家来に追い詰められての自殺)は、しょせん人望のさなだった
と思われ。

369 :日本@名無史さん:2005/07/28(木) 02:02:09
家臣に裏切られて殺されたのが、信長がバカ殿の証拠。だな

370 :日本@名無史さん:2005/07/28(木) 02:09:09
>三方ヶ原で負けたのは徳川家康。この戦を織田・徳川連合軍とするのは大きな 間違い。
>手取川も今ではさまざまな異説が出されているしねえ。

って、怖がって出陣もできなかった信長を、ここまで擁護するかね?
それにしても・・・・
信玄と謙信相手に極度に慎重になってた信長が、光秀の謀反を見切れなかった理由を知りたい。
戦歴は捏造できても、家来に殺されたのは確実な史実なのだから。

371 :日本@名無史さん:2005/07/28(木) 02:13:49
>>370
>って、怖がって出陣もできなかった信長を、ここまで擁護するかね?

 勝てない戦に出てくる方がよほど愚将。

372 :日本@名無史さん:2005/07/28(木) 02:14:37
いいもんだろ
ユリウスカエサルの如く最後を劇的に演出できたのは。
逆に家臣に殺されることなく生涯を終えるへタレ君主も数多と腐るほどおろう

373 :日本@名無史さん:2005/07/28(木) 02:18:45
敦盛の一節が如くに自らの生を演出した希代の英雄ですよ。

 畳の上で死ぬのがこれほど似合わない人も居ない。

374 :日本@名無史さん:2005/07/28(木) 02:19:35
>371
はぁ? >勝てない戦。て、誰が勝てなかったのでしょうか?
織田勢は信玄の先手(東美濃)と謙信(北陸)で、ボコボコにやられてますが?
武門の誉れという意味では、信長はクソみたいなもんでは?

375 :日本@名無史さん:2005/07/28(木) 02:20:02
三戦板では論破されまくった信玄厨の集いですかここは。
道理で罵倒が入り混じりの感情論剥き出しの頭の悪いスレが目立ちますね

376 :日本@名無史さん:2005/07/28(木) 02:21:33
>>374
「武門の誉れ」などは端武者の言い訳に過ぎんよ。

377 :日本@名無史さん:2005/07/28(木) 02:21:54
>373

だが、畳の上で惨めに死んだ・・・・
家来に追い詰められて・・・

378 :日本@名無史さん:2005/07/28(木) 02:23:23
374は直江状を読んだら
感極まって泣き出しそうなキャラだなw

379 :日本@名無史さん:2005/07/28(木) 02:23:36
>374
お前、もう少し落ち着いて書けよ
ところでその程度の小競り合いの勝利で信玄と謙信は何か大きい益を得たのですか?

380 :日本@名無史さん:2005/07/28(木) 02:24:00
>三戦板では論破されまくった信玄厨の集いですか

寡聞にして、シラソ。信長厨の巣窟だと思っていたわしは、スマソ


381 :日本@名無史さん:2005/07/28(木) 02:24:40
>>377
ああいうのを『畳の上』とは言わない。

382 :日本@名無史さん:2005/07/28(木) 02:25:48
>>377
あのね
畳=布団

383 :日本@名無史さん:2005/07/28(木) 02:26:35


よくわからんが、信長って自殺したんでしょ?
めずらしいんじゃ??




384 :日本@名無史さん:2005/07/28(木) 02:26:36
浅井、朝倉が背後に控えてたから出陣できなかったんだろう

385 :日本@名無史さん:2005/07/28(木) 02:27:24
>>380
いや、甲州のような一地方にとどまった大名を持ち出されましても・・・

386 :日本@名無史さん:2005/07/28(木) 02:27:56
家来に殺されたのなら、やっぱバカだね

387 :日本@名無史さん:2005/07/28(木) 02:30:16
畿内政権にとどまった大名(藤氏・のちに平氏)を持ち出されましても・・・
関東甲信越の武士(関東源氏)としましては・・・

388 :日本@名無史さん:2005/07/28(木) 02:31:36
>>384
そういうこったね。
後日シャレコウベを杯にしていることから見ても
相当ヤバかったのは事実だろうね。

義昭の旗本だった明智が
自分の将来を不安視するのも
自明といえば自明だわ。


389 :日本@名無史さん:2005/07/28(木) 02:33:15
>>387
畿内は当時の政治の中枢なのであり、関東甲信越は田舎の一地方に過ぎませんよ

390 :日本@名無史さん:2005/07/28(木) 02:36:18
>>387
んじゃ信玄は何故、畿内政権(京都)を目指したの?

391 :日本@名無史さん:2005/07/28(木) 02:38:16
>389

室町時代に戦国武将に読まれてた「太平記」「平家物語」を読んでみ

>畿内は当時の政治の中枢

って、到底思えんよ。現代の価値観で戦国時代を考える歴史観って
のは、危ういと思うね。たまたま畿内政権が成立(すぐに崩壊)したから
そう考え勝ちなのであって、鎌倉いらいの関東武士団にとって、西国は唾棄すべき
公家の天下(天子=帝の下)であったと。

392 :日本@名無史さん:2005/07/28(木) 02:38:41
http://hobby8.2ch.net/test/read.cgi/warhis/1120829881/
もうこっちに移動してくれ。

393 :日本@名無史さん:2005/07/28(木) 02:40:24
>んじゃ信玄は何故、畿内政権(京都)を目指したの?

「軍鑑」の記述で、真実ではないと思われ
伊豆に関東政権をつくる構想があったのでは?

394 :日本@名無史さん:2005/07/28(木) 02:41:48
北条氏康は関東の覇者で充分と思っていたみたいだね。
毛利といい、出る杭は打たれる的発想は当時にもあったみたい。

家康もその亜種でしょうな。

395 :日本@名無史さん:2005/07/28(木) 02:42:18
畿内府が崩壊した歴史的事実が、信長の先行きのなさを実証している
のだが。。。。

396 :日本@名無史さん:2005/07/28(木) 02:45:07
上洛=天下(じつは京都という意味)=単純な双六ゲーム
それなら、謙信が最初に天下取ってるじゃん??

397 :日本@名無史さん:2005/07/28(木) 02:47:31
>>391
京都が唾棄すべきものだって?
その割には信玄はやたらと朝廷のご機嫌を取っているよな。

398 :日本@名無史さん:2005/07/28(木) 02:48:03
>>395
しかし武田は信長が滅びるよりも早く家ごと潰れちゃったね。

399 :日本@名無史さん:2005/07/28(木) 02:52:32
今川義元の西上説も、信玄の上洛説も、ましてや史料に明確な
謙信の西上説も、江戸時代のフィクションにすぎない。
たまたま信長が畿内政権を打ち立てて、室町公方を追放(じつは勝手に逃亡)
して、家来に殺されたあげく足軽が大坂政権を打ち立てたから、
天下=上洛という図式が残されているにすぎない。武家政権は関東(朝廷から離れた場所)
にしか成立しなかったのが、鎌倉府いらいの常識。平家政権と室町府が公家化したのを
考えれば、それほど難しいものではない。

400 :日本@名無史さん:2005/07/28(木) 02:54:20
>398
ほぼ2ヶ月後には、織田も実質的に家ごと滅亡したのだが…

401 :日本@名無史さん:2005/07/28(木) 02:57:01
>>400
家は残ってるじゃん。

402 :日本@名無史さん:2005/07/28(木) 02:59:34
>401

信忠亡き後の分家でしょ?
その意味では、武田家も分家が残ってますよ

403 :日本@名無史さん:2005/07/28(木) 03:00:49
>>399
だからこそ信長の先進性が際立つんだがね。
家康などには中央政権という発想すら無かったのでは?

はやくから亡命貴族を匿っていた九州の大内や
一条家を頂いていた土佐の長曽我部には
若干ながらそういった意識が垣間見えるけどね。

上杉の意識は古代中国の覇者的イメージで
全く違ったものだろうしw

404 :日本@名無史さん:2005/07/28(木) 03:06:36
>>368
川越夜戦なんてすでに否定されているようなシロモノを持ち出されてもねえ。
謙信の唐沢山も蹴散らしたなんてとてもいえたものではないし。
小説で語るのはやめたら?

>>387
北は関東東北(北条や伊達最上芦名)から西は九州(大友)までアタマを下げに
来た大名がいるのだが。機内政権って、畿内にしか権力が及ばなかった三好じゃ
あるまいし。

>>388
しゃれこうべを杯?そんな戦後の小説の類にしか出てこないエピソードを出さ
れてもねえ。いいかげんに史料で語ってくれんかね。

405 :日本@名無史さん:2005/07/28(木) 03:07:05
>>402
直系は三法師こと秀信まで生きてるじゃん。まぁこっちはここで途絶えうるけどね。
分家は大名家として続くけど。

406 :日本@名無史さん:2005/07/28(木) 03:08:53
>>403
ぜんぜん違うと思うよ。天下(京都)を政所にしたのは足利氏が先だし、
鎌倉府(および関東管領)に散々そむかれて、政治的危機に陥ってた
わけですし。畿内で京都(公家社会・朝廷の制度を)を支配できますか?
江戸が東京になったのを考えても・・・。いまさら京都に政府ができますか?
謙信や信玄はともかく、東西の文化の違いに敏感だったのは、家康でしょう。

407 :日本@名無史さん:2005/07/28(木) 03:12:16
>>404
噛みついてばっかりだけど
結局なにを主張したいの?


408 :日本@名無史さん:2005/07/28(木) 03:15:12
>407
404さんは驚いてるだけさ、自分の天下史観が揺らぐのに。
ともあれ、信長が家来に殺されたのは畿内府にこだわった歴史的必然。
それ以上でも、それ以下でもない。歴史は雄弁なものよ。

409 :日本@名無史さん:2005/07/28(木) 03:16:01
>>406
地方に所領を持っていない足利将軍家と
戦国期の実力大名は違いまんがな

410 :日本@名無史さん:2005/07/28(木) 03:16:21
>>406
それは朝廷をも掌握しえたことが前提になりますよね?
端っから朝廷を無視して日本全国の中央集権が図れますか?

411 :日本@名無史さん:2005/07/28(木) 03:17:02
>>408
なるほど、歴史にifはないと。
じゃ、このスレも意味なしか(鬱

412 :日本@名無史さん:2005/07/28(木) 03:20:05
>410

畿内府(平家政権・足利政権・織豊政権)では朝廷の権威を掌握できず、関東から掌握できたというのが
歴史的事実(鎌倉幕府・江戸幕府・明治政権以降)なのですよ。

413 :日本@名無史さん:2005/07/28(木) 03:26:15
>412
うーん、信長も朝廷との距離を迷ってる様子
があるしなぁ・・・


414 :日本@名無史さん:2005/07/28(木) 03:27:19
>>406
家康が天下という発想を持ったのは
せいぜい小牧長久手あたりからだろ?

それも統一への意思というよりは
周囲に自分の実力をイメージづけるための
チャチャ入れてる感しか受けないし…

江戸を造ったのも、豊臣に対抗する
独立した地方政権の樹立といった概念しか
当初は無かっただろうしね。

415 :日本@名無史さん:2005/07/28(木) 03:31:46
>>414

歴史観を磨くためにも、太平記や平家物語を読んでみな
当時の戦国大名の愛読書だ。昨今の歴史解釈書ばっかじゃ、当時の人々の
意識に肉迫できんと思うが。老婆心ながら、言上奉り候
                         恐惶謹言

416 :日本@名無史さん:2005/07/28(木) 03:35:45
>414
江戸はともかく、鎌倉幕府いらいの関東を地方政権というかね?
平安末期から、関東武士団が京都を脅かしたこと、知らんの??

417 :日本@名無史さん:2005/07/28(木) 03:37:34
>>412
足利政権が朝廷を掌握できたかは難しいところですが
それなりに長きに渡って持つことは持ちましたね。

また、君の言う朝廷の権威を手にするためには
信長のように一度上洛することは
当時において、必須条件だった訳です。
それをにべもなく批判するのはどうかと…

秀吉によって引き継がれたそれが一応の成功を収めた後での
家康による再統一の時点とは、全く状況が違います。

 明治政権以降は天皇そのものが東下なされておりますねw



418 :日本@名無史さん:2005/07/28(木) 03:41:24
>>416
脅かしたんなら、支配しろよw

419 :日本@名無史さん:2005/07/28(木) 03:43:28
>>416
まあまあ、興奮を鎮めてください。

420 :日本@名無史さん:2005/07/28(木) 03:45:16
>>415
まあまあ、興奮を鎮めてください。

 アンカーつけ間違えました。スマソ。

421 :早運:2005/07/28(木) 07:28:58
>348
釣りなの?
高々甲斐・信濃・駿河・相模で幕府?
なるほどそう云う史観もあるのねw

422 :日本@名無史さん:2005/07/28(木) 08:23:44
そもそも、鎌倉幕府自体が京に対抗して作られた地方政権なのだがなあ。

423 :日本@名無史さん:2005/07/28(木) 10:21:17
>>422
その権威たる征夷大将軍はどこから頂いたんですかね?

424 :日本@名無史さん:2005/07/28(木) 15:00:19
けっきょく、非戦時に領地の安堵と新恩給与をできるかどうかが、武家政権の実質。
その意味では、信長の安土政権は地方政府にすぎない。

425 :早運:2005/07/28(木) 16:07:43
意味わかんね
そもそも現幕府が京にある以上、それを立て直すなり倒すのが近道。
平将門式に地方政権を唱える?不経済だし、誰も認めんだろ。
天皇以外誰が宣下するんだ?


426 :日本@名無史さん:2005/07/28(木) 16:27:45
幕府は本来、朝廷のような政権のように全人民に力を持つ存在じゃなかった。
あくまでも、武士、御家人を支配し、その権利を守る組織。そして、それを天皇から認められた組織。
それを北条高時などが勘違いし、「朝廷不届き」などというから、全国を支配しているように勘違いされる。
また、御家人以外にも武士が存在していたため、朝廷のような政府とは違う

427 :日本@名無史さん:2005/07/28(木) 17:23:55
武田厨の必死ぶりが面白いな

428 :日本@名無史さん:2005/07/28(木) 17:59:14
>朝廷のような政権のように全人民に力を持つ存在
 これ、何だ? 朝廷が政府?? ぶッ!
承久の変以降、地頭・追捕使・守護の任免権と裁判権は武家の棟梁(将軍・公方)にあるんだぞ。
信長が官職を返上したのも、頼朝に倣って政権の独自性を打ち出したかった
からだと思うが。

429 :日本@名無史さん:2005/07/28(木) 20:30:47
>>428
その任免権じたいが、京から認められた権利なのだが。
さらに言えば、幕府がそれらの職を任じることができたのは、それこそ幕府の
力が及ぶ範囲。簡単にいってしまえば、寺社領には手を出せなかった。
そんな幕府が全国政権?
そもそも、鎌倉室町のころは全ての武士が幕府に所属していたわけでもないというのに。

430 :日本@名無史さん:2005/07/28(木) 21:03:05
>その任免権じたいが、京から認められた権利なのだが。

はぁ? 荘園領主(朝廷ではない!)が差配できるのは、荘官の任免権ですよ。
鎌倉殿(将軍ではない!)に任命された地頭(守護)が収税を代行し、荘園を押し取ったのが守護大名の始まり。
官位以外、朝廷に何の任免権があったのか、ぜひとも史料キボンヌ。

431 :日本@名無史さん:2005/07/28(木) 21:22:26
京を制さずとも
伊達幕府、島津幕府も可能だったのね。

じゃあ、やればよかったのにw



432 :日本@名無史さん:2005/07/28(木) 21:24:55
>>429
>寺社領には手を出せなかった。

朝廷も公家も寺社領(荘園)には手を出せないのだが?
その寺社領を受領から押し取ったのが鎌倉時代の悪党で、
これも朝廷の支配下にはない。御醍醐帝が親政を試みるも、
重複綸旨の頻発で挫折。禁裏供御人衆や各種の座も、守護大名
の支配下に入っていく。朝廷に残されたのは、わずかな荘園と
有名無実の官位・官職を売るだけ。これで中央政権とは言えまい。

433 :日本@名無史さん:2005/07/28(木) 21:30:08
>その任免権じたいが、京から認められた権利なのだが。
こいつのアホなところは、平成の現代でも総理大臣が天皇に任命されてる
形式的君主制を理解してないこと。任免権は形式だけであって、天皇は拒否できんのよW

434 :日本@名無史さん:2005/07/28(木) 21:34:08
>>431
守護大名ではなく根っからの戦国大名だから、当然なのだが、
北条氏は独自の評定衆を抱え、そこでの沙汰を「公儀」と言明している。
関東公方を奉じて、みずからは関東管領を僭称していたように、
北条氏は関東幕府を開いたつもりだったんだな。だから、上洛の
必要もないし、足軽あがりの剥げネズミに屈することをよしとしなかった
のでは?

435 :日本@名無史さん:2005/07/28(木) 21:42:49
>434

謙信も古河公方を奉じてるよ
前久は越後公方と俗称されたようだが

436 :日本@名無史さん:2005/07/28(木) 22:09:03
ところで。
そうやって信長はたいしたことなかった、信長なんて全国政権じゃなかった、
と繰り返して信長を貶めても、だからって「信玄は信長に勝てた」ということ
にはならないのだが。

437 :日本@名無史さん:2005/07/28(木) 22:15:58
>436
史料に基づいてみれば、通説で言われるようには、
信玄は信長を本気で相手にしてなかった
ということでは? 「勝てた」「勝てなかった」は
しょせん想像(妄想)でしかないんだし。

438 :日本@名無史さん:2005/07/29(金) 01:24:30
>>437
>史料に基づいてみれば

 ソース希望。

439 :日本@名無史さん:2005/07/29(金) 01:36:29
>438(無学者)へ!
「北条五代記」「吾妻鏡」「本朝通鑑」「妙法寺記」「関東戦陣録」「甲陽軍艦」「太平記」「春日山日記」「北越軍談」「信長公記」「長篠日記」「武将言行録」「信越合戦録」「川中島五度合戦次第」「鎌倉日記」「戦国武将譚」その他。
ぜーんぶ読んで、よろしこ? 手に入ればね(笑

440 :日本@名無史さん:2005/07/29(金) 01:40:40
>>438

読んだ感想を、必ずここにUPするように(まず読めんとは思うが・・・)

441 :日本@名無史さん:2005/07/29(金) 01:54:15
>438
>ソース希望。
と言った以上は、>439のソースを読んだ上でレスしろよ。書き逃げは許されません。


442 :日本@名無史さん:2005/07/29(金) 02:04:43
>>439>>440
この場合の「ソース希望」というのは
それぞれの文献のどの部分に
君が>>437で断定しているところの
>史料に基づいてみれば、通説で言われるようには、
>信玄は信長を本気で相手にしてなかった
を指し示す記述があるかというところまで示して下さい
ということを言ってるんですよ。

それとも、君が>>439でダラダラと列記したすべての文献の
すべての行間からそれが垣間見えると言うのですかね?

”史料に基づいて”通説を批判していると自負する以上は
その結論に至るまでの論理構成を
逐一どの史料のどの部分に依って得たかを示さねば、
パラノイア指向の強いただのおバカさんとしか
普通の人は受け取ってくれないですよ。

443 :日本@名無史さん:2005/07/29(金) 02:06:22
>442
全部が原史料だ、バーカ
一人前に読んでから文句言え!!

444 :日本@名無史さん:2005/07/29(金) 02:07:45
>>443
まず、どれとどれを読んだか、自分の教養を告白しろ(笑

445 :日本@名無史さん:2005/07/29(金) 02:10:17
>>442>>444
では、おまいは何と何を読んだのか、ハッキリしろ。
議論はそれからだ!! 逃げるなよ!!

446 :日本@名無史さん:2005/07/29(金) 02:12:32
>>443
その原史料のどの部分を読んで、以下の結論に至ったのか?

>史料に基づいてみれば、通説で言われるようには、
>信玄は信長を本気で相手にしてなかった

それを説明して下さい、と言ってるのですよ。

それとも論理的な会話自体が不能なんですかね?君は。

447 :日本@名無史さん:2005/07/29(金) 02:16:24
>>446>>438-442
ネタに釣られたバカ、かわいそ。。。

448 :日本@名無史さん:2005/07/29(金) 02:19:27
>>447
池沼らしい逃げ口上ワロス

449 :日本@名無史さん:2005/07/29(金) 02:19:40
>446
読むのが面倒なら、そう素直に言えばいいのにネ

450 :日本@名無史さん:2005/07/29(金) 02:26:33
>>446
自分では読めないのだと白状しろ、バカが!

451 :日本@名無史さん:2005/07/29(金) 02:31:35
>>449
素直さを無くしたらひとは終わりですねw

>>450
論陣を張る以上、論拠を示すのは君の義務です。

452 :日本@名無史さん:2005/07/29(金) 02:36:49
>451
という君にも、反証の兆しすら見いだせないのだが。
内容はともかく、論陣を張っている相手に史料提示を
求めた以上、自分の仮説・論拠を示せなければ相手にされんよ。
いわば、門前払いにされたというわけだな。

453 :日本@名無史さん:2005/07/29(金) 02:39:03
>>452
論拠を示せない相手には反証の仕様がありません。

 君と話してても時間がもったいないし、寝るよ。

454 :日本@名無史さん:2005/07/29(金) 02:41:43
>453
自分の仮説(主張)も相手に示さないで、か?
情けない負け犬だね(笑

455 :日本@名無史さん:2005/07/29(金) 02:42:17
荒れてるね!ROM辞めて参戦w
「 原 史 料 」だってw

発給文書が一つもないではないか!!といってみるw
副状とかないの?
エセ史料信玄厨の449の全角さん?
あっちの板でやりなよ!
いや、参戦板じゃないよ!戦ゲ板のことね♪

456 :日本@名無史さん:2005/07/29(金) 02:45:05
>>445
何の「発給文書」ですか?
何を批判してるのか、まったく不明・・・
それとも、単なるバカですか?

457 :日本@名無史さん:2005/07/29(金) 02:45:59
バカ、アフォは>455だろ

458 :日本@名無史さん:2005/07/29(金) 02:46:33
歴史板って2ちゃんの中でも案外頭悪いヒトが多い・・・

459 :日本@名無史さん:2005/07/29(金) 02:47:27
なにをいまさら…

460 :日本@名無史さん:2005/07/29(金) 02:49:19
そういや…
知ったかの信玄厨って、他のスレにも出没してたなw

461 :日本@名無史さん:2005/07/29(金) 02:53:03
じょじょに無内容になっていくわな(哀

462 :日本@名無史さん:2005/07/29(金) 03:02:33
>>456
すまんね。意味わかんなくて
まぁ気にせんでくれ!
そういった書き方で分かる人がいるから

>>457
ちょっと君のは「 叩 き 」になってないぞ!
せっかく出てきた馬鹿な漏れをもう少し楽しませてよ・・・orz



463 :日本@名無史さん:2005/07/29(金) 03:03:04
すべてをageで耳目を引こうと?
中身のないレスだったな。

464 :日本@名無史さん:2005/07/29(金) 03:06:29
>462
おまい、出てこないほうがいいぞ。頭悪すぎる。

465 :日本@名無史さん:2005/07/29(金) 03:10:08
それを晒しageというね

史料厨を自負しているオレとしては、エセが我慢できんかった・・・。
今は反省している・・・orz



466 :日本@名無史さん:2005/07/29(金) 03:12:23
>>465
>史料厨を自負している

のならば、次回に期待する。何とも楽しみなことよ。

467 :日本@名無史さん:2005/07/29(金) 03:14:31
>>464
頭悪いかもだけど、史料くらいはよんでるよ
まぁ北条五代とか川中島とかそもそも事実においての史料になるんか?
さっきあげたような史料で叩くんならもっとやり方あんだろ?

468 :日本@名無史さん:2005/07/29(金) 03:16:35
>467

いや、おまいは立派だよ。根性があるし。

469 :sage:2005/07/29(金) 03:43:08
>>466
いやもう過去の事
他板での数年生存中の自スレ監視で忙しいので・・・

>>468
ばいばいノシ


470 :sage:2005/07/29(金) 03:44:21
空白か・・・
揚げてしまった・・・(男泣き

471 :日本@名無史さん:2005/07/29(金) 03:50:44
いや、める(ry

472 :日本@名無史さん:2005/07/29(金) 03:55:07
>史料に基づいてみれば、通説で言われるようには、
>信玄は信長を本気で相手にしてなかった
を指し示す記述があるかというところまで示して下さい

この場合だとむしろ指し示す記述が無いということから、本気で相手をしていないと
推論するべき状況では。

それはともかく439の挙げてる史料微妙なのが多いな。

473 :日本@名無史さん:2005/07/29(金) 04:05:17
>>472
史料として微妙なのも多いし、この件とは関係無い史料も、適当に史料名挙げただけじゃねーか?

474 :日本@名無史さん:2005/07/29(金) 19:01:38
>>473
アップル、オレンジ、グレープ、イレイザー、マウンテンetc…

どうだオレ英語通だろ〜!

みたいな感じに見えるw

475 :日本@名無史さん:2005/07/29(金) 19:01:59
正確な資料を上げても武田厨は現実を見ないから意味がない。
甲陽軍艦をマンセーしている時点で終わりw

476 :日本@名無史さん:2005/07/29(金) 19:07:14
>>475
単に史料のタイトルを列記しているだけでは?

477 :日本@名無史さん:2005/07/29(金) 19:42:25
史料を読め読めっていう人は、
その史料を読む方法をアドバイスしてくれればいいのに
これはこの図書館で読めるとか ネットで見られるとか

けち

478 :日本@名無史さん:2005/07/29(金) 19:56:00
>>477
実際に読んだこと無い香具師にそれを求めるのは酷でしょう。

479 :日本@名無史さん:2005/07/29(金) 21:06:55
>>478
武田厨は字が読めないから無理でしょう

480 :日本@名無史さん:2005/07/29(金) 22:57:31
>>477
信長公記はネットにあったと思う。
他は吾妻鏡甲陽軍艦太平記あたりは都会のでかい本屋とかなら置いてある可能性があるが
普通の図書館には無いかもしれん、でかい図書館なら別だが。
残りは大学の図書館か特別な図書館ならあるかもしれん。
まあ取り寄せれば別だが。

ただここに挙げられてるの全部公的文書などの類の一次史料じゃないから、ソースとしては
どうかと思うが。


481 :日本@名無史さん:2005/07/29(金) 23:03:32
>480 乙!
だが、「妙法寺記」(武田側)と「長篠日記」(どちらかといえば織田側)
は一次(同時代)史料。

482 :日本@名無史さん:2005/07/30(土) 16:11:03
なんだオマエラ、こんな所で暴れていたのかw

483 :日本@名無史さん:2005/07/31(日) 23:49:00
439で書かれてるので、信玄と信長の関係というか
信玄が対織田をどのように考えてるか垣間見えると思えるのは
甲陽軍鑑、信長公記、武将言行録だけしかないと思う
後は無関係だな…

というか戦国武将譚って何?史料名?

484 :日本@名無史さん:2005/08/01(月) 00:27:06
長篠日記は一次史料として認められてないよ

天正6年成立とあるが写本しかないし
第一、内容が地元の伝聞と言う割りに、軍議の内容も書かれてて激しく胡散臭いから
でも全面否定するほどのもんじゃないから、参考になるとは思う

485 :日本@名無史さん:2005/08/01(月) 04:13:33
本能寺の変の潔さで考えると、信玄にガチで攻め込まれたら
すぐ腹切ってアボーン












してたかもしれない、よって信長を倒せた可能性はアリ

486 :日本@名無史さん:2005/08/01(月) 05:20:43
>>485
わからんぞ。金ヶ崎での臆病さを考えると、信玄にガチで攻め込まれたら
一騎がけで信玄の元へ土下座









してたかもしれない、よって信長を倒せた可能性はナシ

487 :日本@名無史さん:2005/08/01(月) 12:08:32
信玄の元へ土下座しに行った段階で、信長は殺れると思うのだが・・・

488 :日本@名無史さん:2005/08/01(月) 12:26:13
また、信玄チュウが、恍惚の夢をばらまいてるな、、、哀れ

489 :日本@名無史さん:2005/08/01(月) 12:53:00
>>483
武将言行録も内容的にかなり怪しいと思うが

490 :日本@名無史さん:2005/08/01(月) 14:42:14
>>488
信玄厨も信長厨もどちらも哀れ

491 :日本@名無史さん:2005/08/01(月) 15:15:39
厨は微笑ましいが「もし話」を始めるとうっとうしくなる。

492 :日本@名無史さん:2005/08/01(月) 17:47:30
信玄の対上杉戦を調べると笑えてくるwww

493 :日本@名無史さん:2005/08/01(月) 17:57:31
>>492
だから何?

494 :日本@名無史さん:2005/08/01(月) 18:12:23
そういえば、上杉謙信の上洛や関東侵攻とかってあんまり有名じゃないよね。
あまりに刹那的だったからかな?
信玄って上杉と真っ向勝負したのって川中島以外にあるの?

495 :日本@名無史さん:2005/08/01(月) 18:59:37
>>1
この当時徳川って有力大名か?
一撃で信玄に撃破されてるけど。

信玄が生きてたら、信長を倒してたんじゃ。
死ぬのは怖くない武士でも、信玄は怖いなんて矛盾した話もあるし。

496 :日本@名無史さん:2005/08/01(月) 19:24:28
>>495
当時の織田と武田の国力の差から考えて不可能。


497 :日本@名無史さん:2005/08/01(月) 20:16:23
>>496
浅井朝倉が健在かつ、織田の地方戦線が拡大していただけに
包囲網によって一気に踏み潰された可能性も大きいよ。

498 ::2005/08/01(月) 20:20:23
所詮農民の寄せ集めの武田に、軍専門の織田が勝ちますね。

仮に尾張で信長が信玄と戦えば、武田軍は三河と尾張に挟まれる形
になり、どちらにしても無理でしょう。浅井・朝倉も兵を出せる程
軍事力はない

499 :日本@名無史さん:2005/08/01(月) 20:29:42
>>497
朝倉や浅井が元気だったのは元亀元年。それ以降は信長に攻撃されるだけで
特に浅井の領土は半分以上失っている。六角や三好も含めて、元亀末年には
滅亡寸前だったのが信玄が出てきたので信長の攻勢がようやく止まって命拾い
したというのが現状。

500 :日本@名無史さん:2005/08/01(月) 20:37:08
>>498
織田を潰さねば自国の存亡が危うい時期に
兵を出さない馬鹿は居ないわな。

まして当時の浅井朝倉は後顧の憂いが極めて少ない状態に
あったからね。
(織田が本願寺に食指を伸ばしている以上
 一向一揆は越前領に侵入しない)

そうなれば、領土保全政策を採っていた西の大国・毛利とても
本願寺との同盟&義昭との仲もある以上
織田領に進行するのは火を見るより明らかだったワケで…


501 :日本@名無史さん:2005/08/01(月) 20:49:22
>>494
謙信の上洛とか関東遠征は
別に歴史の流れを変えはしなかったし、伝説になるような派手なこともしてないからな。

信玄と謙信は何回も対峙してるけど、基本的に全部川中島近辺
信玄はどっちかというと調略・策略メインで謙信を攻めていて
まともに戦ったのは多分1回だけって言われてる
いわゆる川中島の戦いだな

502 :日本@名無史さん:2005/08/01(月) 21:20:11
>>500
その時期に、浅井も朝倉も三好も六角も兵を出していないんだ。
状況を理解できないほど馬鹿だったのか、判っていても出せないほど弱体化していたのか。

それから、当時の毛利は周囲に敵を抱えていてむしろ織田との友好を結んでいた。

503 :日本@名無史さん:2005/08/01(月) 23:31:17
信玄しょぼすぎ
死んでから速攻滅亡してるし、勝頼のせいもあるけど、
金山枯渇したぐらいで揺らぐ財政状況しか作れなかった
のはしょぼすぎ。慎重すぎて他国切り取るのに時間掛かり過ぎ
だし、敵をわんさか作った外交手腕も最悪
信長が信玄なら1565年までには越後も余裕で制圧して
遠江、三河なんて赤子の手を捻るごとく切り取ってるだろうな
まじ信玄しょぼすぎ

504 :日本@名無史さん:2005/08/02(火) 00:27:35
↓第一級史料なわけだが、このスレではどうよ?

天正4 安土城築城,本願寺謙信と盟す。鉄砲千挺で信長逃散(大谷本願寺由緒通鑑第3巻p.36

長篠合戦の翌年に、わずか1000挺で逃げたわけだ

505 :日本@名無史さん:2005/08/02(火) 00:48:13
信長、しょぼすぎ・・・長篠3000はデタラメ?

506 :日本@名無史さん:2005/08/02(火) 00:53:00
デタラメの可能性大
池田版信長公記では、原文1000だが上から3000という訂正が
されているそうな

507 :日本@名無史さん:2005/08/02(火) 00:58:30
その1000挺ってのも、細川らの出陣しなかった同盟者
から足軽ごと借りてきた鉄砲だったのが証明されてるな

508 :日本@名無史さん:2005/08/02(火) 01:14:11
>>503
>死んでから速攻滅亡してる

って、10年もあとのことだが?

武田氏滅亡後に速攻(2ヶ月)滅亡した信長は
越後を制圧するどころか、加賀で越後勢にボコボコに
されたわけだが?

509 :日本@名無史さん:2005/08/02(火) 01:38:07
鉄砲といえば、妙法寺記によると信玄は1555の戦の時点で300梃もの鉄砲を
調達しているんだよな。長篠での織田鉄砲隊の三分の一に値する量。
勝頼はなんでこれを活用しなかったんだろ?
同じ敗戦でも、活用していればあそこまで惨敗することもなかったんじゃないかな。

510 :日本@名無史さん:2005/08/02(火) 01:44:54
>>508
手取川合戦?
そんな眉唾説を出されてもなぁ


511 :日本@名無史さん:2005/08/02(火) 01:52:39
>509
3万(織田・徳川)対1万5千(武田)で、力負け。では?
野戦城砦を無理攻めしたわけだし。
>510
一次資料(謙信公御書簡集・柴田勝家書簡・信長公記)があるよ。
敗戦後に信長が勝頼に和議盟約をもとめた(軍鑑)も傍証だな。

512 :日本@名無史さん:2005/08/02(火) 02:03:49
信長のしょぼさは、安土に引きこもって加賀に出陣しなかったこと
謙信の書状では、信長が出馬してたと思い込んでるようだが

513 :日本@名無史さん:2005/08/02(火) 02:06:18
>>489
この際、史料の信憑性は無視して書かれてるかどうかだけなので(笑

514 :日本@名無史さん:2005/08/02(火) 02:14:12
>>511
実際に読んでないことばればれ。
すくなくとも、信長公記には手取川の記述はない。また、謙信の場合も感状の
ような公文書ではなく私的な手紙であり、その内容への信憑性には問題がある。

はっきりいうと、手取川の記述は謙信の手紙にしかなく、そのほかの織田側や
公家商人僧侶の中立者の記録、また他の大名の記録(反織田である毛利や義昭
など)にも出てこない。


515 :日本@名無史さん:2005/08/02(火) 02:24:30
信長公記 町田本

柴田北国相働く之事
八月八日 柴田修理亮 大将として北国へ御人数出だされ候
滝川左近・・・・ 賀州へ乱入 添川手取川打ち越え 小松村 本折村 阿多野 富樫の所々焼き払ひ 在陣也

まぁある事あるが、上杉側の過剰宣伝かと思われる
一方が大勝利の宣伝するなんてザラですからなぁ

516 :日本@名無史さん:2005/08/02(火) 02:25:33
>>514
勝家の出馬の記載、あります(笑
京都で逃げた信長を嘲笑する狂歌あります(笑
秀吉の戦線逃亡も諸資料に明白(笑
織田厨にとって、手取川敗戦はウィークポイントなのか??

517 :日本@名無史さん:2005/08/02(火) 02:28:13
>514

牛一が参陣してないばかりか、敗戦の報を書かなかっただけのはなしじゃろ

518 :日本@名無史さん:2005/08/02(火) 02:30:57
ちなみに敗戦の報を書かなかったとか言うが、負けた場合は負けたと信長公記は書くよ
牛一が参戦してないから書かなかったというアホみたいな妄想は勘弁ね

519 :日本@名無史さん:2005/08/02(火) 02:41:32
>>518 これ↓書いてあるんか?? 書いてなかったら、信長公記は二流史料だな(w

天正4 安土城築城,本願寺謙信と盟す。鉄砲千挺で信長逃散(大谷本願寺由緒通鑑第3巻p.36


520 :日本@名無史さん:2005/08/02(火) 02:47:29
>>519
安土御普請
原田備中 御津寺へ取出討死之事ですが何か?

本願寺と上杉の同盟が書いてあるわけねーし
バカ過ぎる指摘乙

521 :日本@名無史さん:2005/08/02(火) 02:51:38
織田軍は撤退したかもしれんが、信長は最初から出陣していない。
信長が逃げたと書いてあるのは捏造。

522 :日本@名無史さん:2005/08/02(火) 02:56:42
天正四年は安土築城、塙直政の討死、天王寺合戦、内大臣叙任、三河で鷹狩り
が信長公記には書かれております

塙直政の時に信長が敗走したとするなら、出陣すらしてないのだから本願寺側の過剰宣伝
天王寺合戦でそういうなら、天王寺屋会記など、他の史料と照らし合わせても勝敗は微妙だが
信長が敗走したという記述はない


523 :日本@名無史さん:2005/08/02(火) 02:57:43
>520>521

違うぞ、おまいバカすぎ!!! 手取川は天正5年9月だろ!
大谷本願寺文書は、天正4年に根来の鉄砲で信長が逃げた
という史料だ! バカ!!

524 :日本@名無史さん:2005/08/02(火) 02:59:08
どっちにしても、手取り川・天王寺で織田勢が逃げたのね?

525 :日本@名無史さん:2005/08/02(火) 03:01:27
>>523
>>522

526 :日本@名無史さん:2005/08/02(火) 03:11:01
姉小路領通って、上洛したらよかったのに…
その方が近道だし、わざわざ遠回りするなんて
信玄しょぼすぎ
あ、後息子殺して武田の瓦解の原因作った信玄は駄目だね
自分がした事を息子からされるのが怖かったんだろう
ほんましょっぱい奴や
あと呑気すぎやで信玄は!

527 :日本@名無史さん:2005/08/02(火) 03:11:02
逃げましたが、何か?
上総介

528 :日本@名無史さん:2005/08/02(火) 03:13:00
523が馬鹿晒してるのは原田備中が原田直政=塙直政と理解できず
これが石山攻め事を示唆してるの理解出来なかったからだろうが…

哀れすぎる。

529 :日本@名無史さん:2005/08/02(火) 03:17:46
要するに、のぶながは武田と上杉に負けたわけか

530 :日本@名無史さん:2005/08/02(火) 03:21:01
夏厨が煽りに走ってる(ホロリ
大体、由緒書は後世の口述が多いんだよね

531 :日本@名無史さん:2005/08/02(火) 03:23:16
>天正4 安土城築城,本願寺謙信と盟す。鉄砲千挺で信長逃散(大谷本願寺由緒通鑑第3巻p.36

この史料を否定する同時代史料を知りたいのだが。。。


532 :日本@名無史さん:2005/08/02(火) 03:26:59
>>531
大谷本願寺由緒通鑑と同時代のという意味?

533 :日本@名無史さん:2005/08/02(火) 03:27:32
信長は、負けてもすぐ立て直すし
最後にはうまいことやって、それが着実に天下への一歩になってるとこがすごいんだよ

厨は合戦の勝ち負けにこだわり杉

534 :日本@名無史さん:2005/08/02(火) 03:31:00
史料の話してるんだが…

約一匹ほど、捏造オンパレードですがw

535 :日本@名無史さん:2005/08/02(火) 03:33:35
信長の配下の軍団の主力って、ずっと(戦国最弱をうたわれた)尾張兵だったの?

536 :日本@名無史さん:2005/08/02(火) 03:37:42
返答がないようですね>>531より

537 :日本@名無史さん:2005/08/02(火) 03:39:33
>>536
>>532

538 :日本@名無史さん:2005/08/02(火) 03:43:39
>536

知りませんが、何か・・・?

539 :日本@名無史さん:2005/08/02(火) 03:47:14
返答がないようですね>>532より


540 :日本@名無史さん:2005/08/02(火) 03:53:19
ようするに、このスレでは史料はわからんと

541 :日本@名無史さん:2005/08/02(火) 03:57:50
知ってるが、大谷本願寺由緒通鑑を論拠に持ってくるぐらいなら
成立年代ぐらい知ってるだろうと

だから、同年代の史料と言うからには
大谷本願寺由緒通鑑と同年代なのか?
それとも天正4年近くに書かれた史料なのか?という問いをしたのだが
答えはまだない

542 :日本@名無史さん:2005/08/02(火) 04:04:25
>541

知りませんが、何か・・・?


543 :日本@名無史さん:2005/08/02(火) 04:06:24
>ようするに、このスレでは史料はわからんと

自分で調べれ!

544 :日本@名無史さん:2005/08/02(火) 04:13:42
はいはい、天正四年に織田軍は本願寺の鉄砲に敗走しました
天正五年にも上杉勢の追い討ちで敗走しました
これでいいか??

545 :日本@名無史さん:2005/08/02(火) 04:14:16
何を知らないのかさえ言わない、主語がない

知らないのにどうして信長公記を否定する論拠に持ってきたのか是非聞きたいが、答えんでもいい
ネットで拾っただけだろうし
なのに、それを否定する史料名教えろとはな

史料名教えてやるから、これで図書館に逝け、奥から引っ張り出して来てくれるから
多分、貸し出しはしてくれないけど
兼見卿記 「史料纂集」に活字化
多聞院日記 「続史料大成」に活字化
石山本願寺日記 「史籍集覧」に活字化

546 :日本@名無史さん:2005/08/02(火) 04:15:37
ついでに大谷本願寺由緒通鑑と同年代の否定する史料は知らない
なにせ編纂は江戸時代だしw

547 :日本@名無史さん:2005/08/02(火) 04:24:09
>>545-546
ありがとう(嬉(謝!

548 :日本@名無史さん:2005/08/02(火) 04:26:22
多聞院日記には注意しとくように>>547

なにせ長いので、天正4年の辺りを探すとすると、続史料大成の40か41辺りを借り出すように


549 :日本@名無史さん:2005/08/02(火) 04:31:19
>>548
わかりましたッ! おやすみなさい(♪

550 :日本@名無史さん:2005/08/02(火) 07:53:55
なにせ、手取川で合戦があったという記述すらないからな。
信長公記にあるのは、「勝家は軍を率いて手取川を越えて陣をはった」くらいだ。

>>517
信長公記は、例えば雑賀攻めを実質敗北なところを勝利と記述(名目でいえば言えなく
もないが)したりもしているが、起こった出来事については詳細に記述してある。
だからこそ、公記(それ以外の同時代史料にも)に記述のない「手取川合戦」が疑問視
されるわけだ。

551 :日本@名無史さん:2005/08/02(火) 11:14:22
勝家の信長宛の報告書状、謙信の書状・天正6年の関東出陣の軍令状(に基づくのちの軍記もの)、信長公記の記述、都の狂歌
これらで双方に、湊川(手取川)で接触があったのは事実だろう。
戦況が詳細に伝わってる合戦なんてのは皆無にひとしいのだから。
謙信没後も越後が内乱下にもかかわらず、河田長親が死ぬまでは勝家との戦線は膠着してるしな。


552 :日本@名無史さん:2005/08/02(火) 14:23:57
>>551
漏れ的には、織田軍が手取川で何らかの事態に陥っていないと、
勝頼の判断(信長からの「これまでのことを水に流して、上杉を打倒しよう」天正5年末『軍鑑』)
が不明になる。義昭からの御内書(「甲相越和議のうえ、信長を討伐汁」)
が、少なくとも氏政+勝頼≒謙信+勝頼で了解されていたからこそ、
謙信の加賀侵攻も勝頼の和議拒絶もあったんではないかと。信越国境も
平穏だしね。手取川の戦況はというと、勝家書状のとおり越後勢の動静が
わからないまま川越えしたものの、七尾城陥落を聞いて退却。
退却中にしんがりが襲われたって感じじゃないの?
「数万のうち一千を討ち取り、残りは川に溺れた」ってんだから
川中島(永禄4)で「兇徒八千を討ち取り」だった大げさな謙信の表現を
割り引けば、数百単位か。




553 :日本@名無史さん:2005/08/02(火) 16:50:05
>>552
単に北陸で織田と上杉が完全に敵対したでも、勝頼の和議拒絶はあったのでは。
なんせ和議破りの前科が信長にはいくつかあるから、ここまで敵対した以上、信長
からの和議はただの方便と考えても不思議じゃない。
それにこの時期は一応織田家にとってもそれなりに危険な時期ではあるし。

もし翌年に謙信が北陸から勝頼が東海美濃を攻め、毛利が山陰山陽瀬戸内から
進軍して、本願寺は大坂で織田軍を拘束し、別所がタイミング合わせて謀反すれば、
織田は山城以西を失う可能性もあったかもしれない。

554 :日本@名無史さん:2005/08/02(火) 17:10:30
都の狂歌とは「上杉に逢うては織田も手取川 はねる謙信逃げるとぶ長」だ。
松永弾正が、これを聞いて反信長側として、ほう起(手取川[23日]、松永謀反[27日])
しているのを見ても、大敗として各所に伝わっていたようだ。
但し、実際は小規模な戦いだった可能性もある。

信長公記には大軍を動員しただの、秀吉がかってに戦線離脱した、とかいう話は
書かれているが、肝心の戦闘の詳細は書かれていない。
まあ、太田牛一は織田軍の敗戦は書かない場合が多いけどね。

555 :日本@名無史さん:2005/08/02(火) 19:31:43
狂歌というのは、文献としては何に載ってるの?

556 :日本@名無史さん:2005/08/02(火) 19:34:08
>555
現地に石碑があるよ。

557 :日本@名無史さん:2005/08/02(火) 19:41:06
 天正5年(1577)上杉軍西上を阻むため、織田軍は手取川を背後にみる水島
(松任市)に布陣。 その後七尾城が陥落したことを知り撤退を開始したが、
増水の手取川を背に上杉軍の夜襲に遭い 大敗した。
手取川そばに当時広まった落書き
「上杉に 逢うては織田も 名取川(手取川) はねる謙信 逃ぐるとぶ長(信長)」の碑がある。

558 :日本@名無史さん:2005/08/02(火) 19:58:59
>>556,557
ありがとう。落書きの内容がずっと伝わってた(口伝?)ってことなのかな。

559 :日本@名無史さん:2005/08/02(火) 19:59:28
天正5年に信長は加賀まで行ってないし

560 :日本@名無史さん:2005/08/02(火) 20:01:20
553のような、何でも織田に不利に働くようにすれば
そりゃどんな大名でも追い込まれる罠

ま、可能性で言えばないんだけどなw

561 :日本@名無史さん:2005/08/02(火) 20:08:09
>558
フィールドワークなしの文献史学じゃ解明できないことは多いよ
その上杉謙信が女性だったってな伝承もあるらしいから

562 :日本@名無史さん:2005/08/02(火) 20:09:52
>>561
そのアホネタこっちにふるのは反対

563 :日本@名無史さん:2005/08/02(火) 20:20:46
そういえば信長が女だったという小説、毎日の夕刊に連載してたな

564 :日本@名無史さん:2005/08/02(火) 20:30:06
>>557
それが石碑の内容?だったら大間違いだな。
天正五年の北陸における軍事活動は、上洛でもなんでもない。
上杉が能登の七尾城を包囲したのに対して、当時七尾城で実権を握っていた長一族は
親織田派だったので信長に救援を依頼。
これに応えて派遣されたのが柴田の軍。

ここから推測まじり
ところが柴田軍は手取川を越えたまではいいが、加賀の一向宗の抵抗にあって進軍できなかった。
そうこうしているうちに七尾城が陥落。それをしった柴田は戦の目的は失われたとして撤退を開始。
しかし一向宗が謙信と結んでいる状況からこれらの情報は謙信に利がある、急追。
撤退中の殿軍を攻撃してある程度の成果をあげたというのが実情ではないかな。

つまり、視点の違い。
謙信は軍を動かして敵に損害を与えたので勝ちとみた。
信長は、そもそも軍の目的が七尾城救援にあったので上杉との戦闘なんてあってもなくてもよかった。
七尾城救援は失敗したが、軍にはそれほどの損害もなかったので問題なしとした。
(殿軍には損害がでるのが当然。秀吉の武勲で有名な金ヶ崎退き陣も、世間ではほとんど損害を出さずに
成功させたようなイメージがあるが、実際には秀吉隊は半数を失うという損害を受けている。それでも
秀吉が賞賛されるのは、隊をくずさずそれによって本軍を安全に退却させたから。)

565 :日本@名無史さん:2005/08/02(火) 20:41:54
救援(政治目的)に失敗したんだから、政治的に負けじゃねぇか

566 :日本@名無史さん:2005/08/02(火) 20:58:27
>>565
かりに軍事的に勝っても、軍事行動の政治目的が達せられない場合は、
クラウゼヴィツを紐解くまでもなく負け戦だよ。
川中島で謙信が武田の有力武将を討ち取っても、海津城攻略(もしくは信玄を討ち取る)
という政治目的を果たせなかったゆえに勝利といえないのと同じ。


567 :日本@名無史さん:2005/08/02(火) 20:58:52
そりゃ正しい>>565
救援には失敗してるからね

568 :日本@名無史さん:2005/08/02(火) 21:41:21
勝ち負けではなく、成功か失敗かで表現したほうが理解しやすいかと。

569 :日本@名無史さん:2005/08/02(火) 21:47:39
ま、大勢には影響なしってことで(w

570 :日本@名無史さん:2005/08/02(火) 21:48:54
>>568
こうか?
柴田勝家率いる織田勢は、上杉謙信の軍勢に「失敗」した。
謙信は織田勢の追撃に「成功」した。
北陸戦線での越後勢と織田勢の戦いは、越後勢が「成功」した。

571 :日本@名無史さん:2005/08/02(火) 22:56:03
この時に織田方で討ち取られた高名な武将はどれ位いるのでしょうか。

572 :日本@名無史さん:2005/08/02(火) 23:24:53
>>570
だから軍の目的が違うんだって。
「七尾城の救援に失敗」それだけだ。

>>571
いない。まあ自分が知らないだけなのかもしれないが。上杉家の側にも、感状も
なければ「我が家は手取川で活躍して云々」というような家譜もない。逆に織田
の側にもない。柴田や佐々は滅んで記録がなくなったのかもしれないが、明治まで
残った前田家の記録にも一切ない。
この戦いがあったとする根拠は、謙信の手紙しかない。

573 :日本@名無史さん:2005/08/03(水) 00:19:23
>>572
>「七尾城の救援に失敗」それだけだ。

って、主力軍(光秀以外)を総動員して、失敗した?

謙信にとっては、感状を発給するほどの勝利でもなかったわけか。
「(織田は)思いのほか弱く…、この分なら天下のこともたやすく候」
てな感じの書状もあったようだが。

574 :日本@名無史さん:2005/08/03(水) 00:38:35
所で上杉はそんな大勝利をしたのに、何ですぐ引き上げちゃったんだ?
戦には勝っても、勢力圏は取られちゃう、
謙信にいつもの意味なし勝利って奴かw

575 :日本@名無史さん:2005/08/03(水) 00:39:46
勝頼に和議(上杉を討伐したら、越後を与える=軍鑑)を申し入れるほどの大敗だったから
記録が封印されたとは、誰も考えないのか?

576 :日本@名無史さん:2005/08/03(水) 00:45:50
>>574
そのへんはもう「謙信だから」としか言いようがない

577 :日本@名無史さん:2005/08/03(水) 00:52:48
>574
うん? 末森城(加賀能登国境)に斎藤朝信を入れて、七尾城に鯵坂長実、
遊佐盛信・上条政繁(養子)を能登に、越中には旗本の吉江景資を配置してますが?
越中・能登・加賀攻めは、謙信が初めて分国法(自分の領土宣言)を公布した。
たぶん、信長の畿内支配に突き動かされたんだろうが。

578 :日本@名無史さん:2005/08/03(水) 01:06:18
この流れ・・・? 信長と謙信対決スレになってしまって、信玄はいずこ?

579 :日本@名無史さん:2005/08/03(水) 01:20:27
>>578
戦に負けても政治で勝つ(信玄)の謀略政治に学んだ信長が畿内を制圧して、
危機感をもった謙信が関東での「軍事的勝利・政治的敗北」を悟って
「政治的勝利」に気づいたのなら、信玄の政治哲学が最強だった証明だよ。

580 :日本@名無史さん:2005/08/03(水) 01:21:47
>>575
仮に織田側が記録を封印したとしても、だったら勝利側の上杉家関係で記録が全くないのはなぜでしょう?
当時上杉と結んで織田と戦っていた毛利や本願寺や武田の記録に風聞でも記述がないのはなぜでしょう?
敵対関係以外の第三者の記録、朝廷公家商人僧侶から外国人の記録にも全く出てこないのはなぜでしょう?

陰謀論を持ち出しても説得力は皆無。

ところで、勝頼に和議を申し込んだという記述が軍監にあるそうですが、詳しい記述とかどなたか教えてもらえませんかね?

>>573
それが、唯一の件の書状ですよ。

581 :日本@名無史さん:2005/08/03(水) 01:32:05
>>580
上杉文書(謙信公書簡・複数)に合戦の経緯は明確にあるのだが?
※学研の歴史群像「上杉謙信」に柴田勝家の報告書状も詳しくあったと思う。
のちの軍記ものには満載だよ(信長が謙信に敵対を謝る手紙も)
「軍鑑」は新研究としてNHK「その時」で放映されていた(5月頃)が、
手元にないのでスマソ。新研究というより、既刊本に詳細があるはず。

582 :日本@名無史さん:2005/08/03(水) 01:35:49
>580

元は某サイトのコピペだが、第三者の記録(伝承)といえなくもない(w


 天正5年(1577)上杉軍西上を阻むため、織田軍は手取川を背後にみる水島
(松任市)に布陣。 その後七尾城が陥落したことを知り撤退を開始したが、
増水の手取川を背に上杉軍の夜襲に遭い 大敗した。
手取川そばに当時広まった落書き
「上杉に 逢うては織田も 名取川(手取川) はねる謙信 逃ぐるとぶ長(信長)」の碑がある。


583 :日本@名無史さん:2005/08/03(水) 01:42:06
>>580

>>573
>それが、唯一の件の書状ですよ。

>「(織田は)思いのほか弱く…、この分なら天下のこともたやすく候」

違いますね。これこそ、軍記物(春日山日記)の偽書状。
謙信書状の現物は「もう信長も知っているはず(謙信は信長が出馬していたと誤解したらしい)
だが、数万で布陣していたので、能登と加賀の軍勢を出して、わたしも乗り越し、一千討ち取りました
残りの敵兵は川に溺れて、大(勝)利を」ってな書状だったと思う。


584 :日本@名無史さん:2005/08/03(水) 02:04:06
>>580さん

「織田勢が加賀へ侵攻し、十八日には加賀湊川まで押し寄せていたが、
対する謙信は、勢いに乗った越後・越中・能登の軍勢を出陣させた。
自身出陣しようとした二十三日夜、織田勢を敗り、千余人を討ち取った。
二十六日、謙信は七尾城の普請に着手し(歴代古案・越佐史料五-四〇九)、
ついで奥能登の松波城も落とし、能登をほぼ平定した」

以上、上杉氏年表より抜粋。

585 :日本@名無史さん:2005/08/03(水) 03:01:48

 記録が公式文書にないからと言えば、永禄4年の川中島合戦だって危ないわな
「前久書状」(謙信の書状への返信)「妙法寺記」(武田側)がある程度で
謙信の感状も信玄の感状も、後世の創作ではないかと言われてるし・・・。
 川中島の場合は、相互に消耗戦というか甚大な被害を出したので、家中には被害の記録が封印された
という説もあるいっぽうで、対外的には「勝った勝った」と宣伝してるが。
 謎が深まるほど面白いので、誰か「手取川の真実」とか「信長VS謙信IN北陸」とか
書いてみない?

586 :日本@名無史さん:2005/08/03(水) 09:40:21
NHKのサイトからコピペでスマソ

▼信長の使者の言葉
「過去のことは水に流し、和睦を結びたい」
「甲陽軍鑑」より、抜粋引用・意訳しました。

▼信長の使者の和睦の条件
「ともに上杉を滅ぼした暁には、上杉の所領をすべてお任せしよう」
「甲陽軍鑑」より、抜粋引用・意訳しました。


587 :日本@名無史さん:2005/08/03(水) 10:51:45
>>584
上杉氏年表は史料じゃねえ

588 :日本@名無史さん:2005/08/03(水) 19:37:11
>>586
甲陽軍艦・・・・

589 :日本@名無史さん:2005/08/05(金) 15:38:26
毛利元就と比べると、信玄のしょぼさが泣けてくる


590 :日本@名無史さん:2005/08/05(金) 23:23:56
織田信長と比べると、元就のしょぼさが泣けてくる

591 :日本@名無史さん:2005/08/06(土) 03:22:35
>>590
それは無いな 信長<<<元就


592 :日本@名無史さん:2005/08/06(土) 04:19:50
何だ、こりゃ、元就チュウまで涌いてきたのか。(ww

593 :日本@名無史さん:2005/08/06(土) 07:12:48
元就はウンコ武将






















釣れるかな

594 :日本@名無史さん:2005/08/06(土) 07:15:28
元就の偉業って全部作り話でしょ?

595 :日本@名無史さん:2005/08/06(土) 17:22:21
信長はどっちみち潰れる運命なんだよ。
ただ信玄みたいなオッサンじゃ無理。
朝廷将軍家の期待の星、
謙信ちゃんがジャンヌダルクばりに活躍してた。
光秀さえいなかったら、日本史にも女英雄が登場してたんだよね。
んでハリウッドで映画化とかされて凄い事になってた。
これは本当に惜しいことだよ。

596 :日本@名無史さん:2005/08/06(土) 17:26:22
そうはいかんざき
宗教裁判でぬれぎぬを着せられて火刑に処せられた聖女と
大酒飲みで脳卒中でひっくり返ったウワバミ女とじゃ比較にならん
絵にならないよ

597 :日本@名無史さん:2005/08/06(土) 19:51:19
マッスル火あぶり女よりはマシかと・・・

598 :日本@名無史さん:2005/08/06(土) 19:53:01
いやウワバミの上に青ヒゲ生えてるし、頭は坊主だし・・・

599 :日本@名無史さん:2005/08/07(日) 03:17:30
ここは謙信が絶世の美女で、それゆえ信玄が川中島合戦に
異常なまでに執着したというスレなのですか??

600 :日本@名無史さん:2005/08/07(日) 21:51:20
もしそういう設定なら、信玄は合戦より
調略で謙信を手に入れたと思われます。

601 :日本@名無史さん:2005/08/07(日) 22:46:58
むしろ秀吉は先陣切って北陸戦線志願してただろw<謙信=美女

602 :日本@名無史さん:2005/08/08(月) 02:28:10
>>600-601

残念ながら、史実のとおり返り討ちだろうな。
秀吉は景勝の代で思いを果たすものの、勝家を牽制する策に過ぎんし・・・。

603 :日本@名無史さん:2005/08/08(月) 02:59:07
次スレのタイトル案

【ちょい】女謙信(前スレは信玄)だったら信長を倒せた?参【無理?】

604 :日本@名無史さん:2005/08/09(火) 23:02:20
>>603
でも40代後半じゃな〜w

ココの住人は熟女がお好き?


605 :日本@名無史さん:2005/08/09(火) 23:04:08
>>604
文通を始めたときはお互いもっと若かったのにな

606 :日本@名無史さん:2005/08/10(水) 00:44:34
謙信と信長の最初の男女交際は永禄6〜7年だから、謙信が33〜34(信長は4歳年下)ぐらいだね。
はじめにラブレター出したのは謙信(当時は輝虎)だったらしい。信玄をやっつけてくれという家康をパシリに、
「だったら、信長クンが信玄と絶交するように、あなたから言いなさい」ってな書状がある。
ところが、信長というボーイフレンド(実際はペンフレンド)は多情というか浮気者で……。
彼女(謙信)を泣かせるのであった。


607 :日本@名無史さん:2005/08/10(水) 01:03:30
>>605-606

しょせんは遠距離交際。お揃いのマントを着ても、顔を見たこともなかったはず。

608 :日本@名無史さん:2005/08/10(水) 01:12:39
ほとほと、愛というものは怖いよな。愛憎に変貌・転化して、たちまち合戦になる
愛が憎悪に変わる瞬間、歴史が生まれるのか?


609 :日本@名無史さん:2005/08/10(水) 06:44:24
信玄が三国同盟してまで北進したのは
景虎を奪おうとしたからか。

610 :日本@名無史さん:2005/08/10(水) 14:40:20
信玄が埴科あたりを謙信に返上して村上さんと和睦し、
そのあと上杉と同盟交渉を図りうまくいけば…

611 :日本@名無史さん:2005/08/10(水) 16:52:12
>>610
それだと石高的には50万石以下の大名、正直上洛は絶望的
尾張一国時代のの織田や美濃一国時代の斎藤に勝つことさえできない。

612 :日本@名無史さん:2005/08/10(水) 17:17:46
>>611
また慶長年間の検地帳をもとにした年代違いの論証か?
信玄の主たる収入は金山、謙信は越後丈布の座の生産流通税
信玄はともかく、謙信の天正4〜5年の北陸侵攻をみるかぎり、
分国化した現地の兵(越中・能登・加賀の一部)を動員してるから、
本国の兵だけで戦うわけじゃない。

613 :日本@名無史さん:2005/08/10(水) 23:03:47
足軽太閤検地で甲斐源氏武田軍を評定する(笑

614 :日本@名無史さん:2005/08/11(木) 02:01:56
>>612
>信玄の主たる収入は金山、謙信は越後丈布の座の生産流通税

それぞれ収入に占める割合と、その金額は?

615 :日本@名無史さん:2005/08/11(木) 04:34:12
越後の財源の上田金山と特産品青そ、の年間収入も知りたいなエロイ人おすえて

616 :日本@名無史さん:2005/08/11(木) 06:40:17
>615

上田は銀山で、上田長尾氏の管理。青ソは津の冥加金とともに謙信(越後上杉)の大半
永禄年間に5年間以上年貢を免除しても、天正6年には2万枚の買い金(大判)
を蓄財できるほど(天文年間は借金があったらしい)の収入。
越後は謙信政権の前半をつうじて、ほぼ飢饉だった。食糧は関東で分捕り・乱捕り
でおぎなわれていた。


617 :日本@名無史さん:2005/08/11(木) 08:13:52
でも石高って普通、特産物なども含まれてると思うが。

618 :日本@名無史さん:2005/08/11(木) 09:48:03
>617
町歩と京枡の検地にか?
越後上布座(本所は三条西家)ってのは麻布の独占販売権だぞ。
いわば煙草の専売権と同じで、石高換算するのはムリ。
むしろ、○○貫文に換算して、石高と比較するのならわかるが。

619 :日本@名無史さん:2005/08/11(木) 10:05:06
石高換算は普通にする
大きな取引は金銀と、米で行うから

620 :日本@名無史さん:2005/08/11(木) 11:06:55
だから文禄4年完成の検地帳では、20年前(天正初期)の石高はわからんのだよ。
津料や上布の冥加金を石高換算してみれ。

621 :日本@名無史さん:2005/08/11(木) 11:54:50
>>617

>特産物なども含まれてると思うが。

越後丈布座(麻生地の座)は単なる特産品じゃないよ。朝廷の官吏や殿上人が着る
狩衣や衣冠束帯など、官位のある武家もふくめた公家社会の必需品の独占販売権。
まだ木綿生地が普及してなかった時代は絹布以外は麻生地しかなかった。

622 :日本@名無史さん:2005/08/11(木) 13:53:16
よく謙信が5年年貢を免除したっての見るけど、それってまともな史料に出てくることなの?
謙信の直轄領限定かね?

623 :日本@名無史さん:2005/08/11(木) 15:05:33
>>617
太閤検地だと基本的に田畑などで取れるものはすべて石高換算して計上する。
雑穀や大豆、茶、桑、も石高に換算するほか塩浜・山手・島手なども石高に換算する。
だから麻も当然石高換算しているだろうが、上杉の場合は、単なる栽培ではないため、
618も言うように付加価値にあたる麻布の独占販売権分などの部分は石高換算できない。
農地からの収入ではなく独占貿易による収入みたいな分が大きい。

ちなみに太閤検地だと屋敷や荒地なども石高換算してる。
また徳川時には藪だか沼も検地の対象になったはず。

624 :日本@名無史さん:2005/08/11(木) 18:39:19
朝倉義景あっての武田信玄だな。

625 :日本@名無史さん:2005/08/11(木) 20:31:42
>>622

府内(直轄領)ですね。
史料は越佐史料4巻の244に「諸役地子を五年間免除」「軍役はべつ」(永禄三年)
というよりも、直轄地いがいは勝手にやらせてるし、
国人領主の税制や家督相続に口出しをしてない。

626 :日本@名無史さん:2005/08/12(金) 04:58:18
信玄:気が付けば、周りじゅう敵だらけよ!な状況を自ら作ってしまった甲斐の生臭坊主。
最後っ屁が異常に高く評価されるも、
うつけ信長の美濃侵攻中、自称毘沙門天の化身な狂人・謙信の北信濃乱入を防ぐのに手一杯で、
混乱する美濃に十分な手を打つことが出来ず、その上、信長の懐柔策にまんまとハマり、
中央進出の機会を失う。金採掘と堤作りが好き。実は賊子。

勝頼:信玄嫡子義信の謀反あぼーんにより、庶子ながら父の死後、武田家の統帥権を得る。
父の無茶苦茶外交を整理し、当面の敵を織田家配下のウンコ垂れ徳川家一本に絞り、
領土拡大を図る。
対徳川一本に絞ったことで、兵力が集中出来、緒戦で大いに戦果を得るも、
織田本隊の出陣により大敗を余儀なくされる。
大敗時に老臣の多くが討ち死にしてくれたおかげで、
武田家中の組織改革にようやく着手可能となり、改革自体は順調に進んだが、
その間、一方の織田も畿内の反織田勢力を完全に駆逐。
そして、その織田家に、次なる敵は武田家、と定められ、命脈尽きる。


627 :日本@名無史さん:2005/08/12(金) 09:22:36
何だかんだ言っても、信玄には無理だったと思う。

628 :日本@名無史さん:2005/08/12(金) 09:45:08
>627

内容ゼロ・・・。
せっかく史料分析を中心にやってきたのに、ぶち壊しだね。


629 :日本@名無史さん:2005/08/12(金) 21:34:51
>>626 マルチやめれ! 武田スレ張り付きのぶなが厨房

630 :日本@名無史さん:2005/08/12(金) 21:54:33
りょうすれあげ

631 :日本@名無史さん:2005/08/12(金) 22:36:49
三河に出てきた武田信玄、信長の家康への指示は城から出るなと言うことから、
三河無視かつ三方が原の合戦の無い場合を想定してみる
武田は基本的に騎馬が主力だが、固い土地かつ平原や下り坂でないと威力は発揮できない
更に兵農分離はさほど行われてないはず
そのまま進めば尾張に侵入することになるが、肥沃な濃尾平野は水田が多いため、水田に水を張るだけで泥沼のような土地が出来上がる
この為騎馬隊は思うように進めない上に、鉄砲隊が主力の織田部隊は相手が的にでき、有利である
この対策次第では武田は勝てないし、織田軍と対峙しただけで退却後、徳川と織田で挟み撃ちで殲滅の危険性あり
水田を使った泥沼の対策がもしもできた場合、肥沃ではあるものの荒廃した尾張を取得するものの、徳川と織田に挟まれた尾張地区は本国と離れ放棄を余儀なくされる
農民が主力の武田軍が動けるのは刈り入れ後から次の春の畑仕事の準備期間まで
その間に尾張と美濃を陥落させるのは常識的に言って無理(広大かつ砦の数はかなりある)
従って、戦術的に武田は勝っても戦略的に織田の勝利はありえないということで妄想終了

632 :日本@名無史さん:2005/08/12(金) 22:59:24
新手の釣りか?

633 :日本@名無史さん:2005/08/12(金) 23:04:46
読んでないからわからん。

634 :日本@名無史さん:2005/08/12(金) 23:06:33
>>631
全く同意

635 :日本@名無史さん:2005/08/12(金) 23:10:48
>>631

>武田は基本的に騎馬が主力

というが、武田軍役帖では、わずか7パーセントだぞ(笑
上杉や徳川のほうが馬上(騎馬武者)の構成比率は高い。

>兵農分離はさほど行われてない

軍役衆を作ったのは信玄が最初。信長は模倣したにすぎん(笑

>鉄砲隊が主力の織田部隊

いつのことだ?? 三方原は元亀3年。長篠の鉄砲隊(これもフィクションだが)
は天正10年。何年間の開きがあるか、>>631は答えてみよ。

>徳川と織田で挟み撃ちで殲滅の危険性

って、信長は北近江・越前方面に釘付けなわけだが?

>武田軍が動けるのは刈り入れ後から次の春の畑仕事の準備期間まで

はぁ? 5度にわたる川中島合戦のうち、3度まで春から秋にかけて
長期対陣してるのだが??

そもそも「三方原の合戦のない場合を想定」などという妄想で歴史を語る
むなしさを、少しは自分の不勉強を省みつつ噛み締めろ!


636 :日本@名無史さん:2005/08/12(金) 23:12:46
>軍役衆を作ったのは信玄が最初

ここは釣堀スレでつか?

637 :日本@名無史さん:2005/08/12(金) 23:26:06
>>636

武田軍役帖にハッキリ書いてあるぞ、ボケ!
信長公記に「勝頼が地下人まで動員し」とあるのを、どう解釈するのか??
地下人の意味、簡単でいいから解説してみれよ!
少し高いが、このあたりの研究書↓を読んで歴史観を改めろ!

「戦国大名領の研究 甲斐大名武田氏領の展開」柴辻俊六
第三節 武田氏の知行制と軍役
1問題の所在 2戦国期の軍役と諸役 3知行制と軍役 4農民層の軍役衆化


638 :日本@名無史さん:2005/08/12(金) 23:33:32
>>631>>636

妄想を書き逃げ(笑
晒しage


639 :日本@名無史さん:2005/08/12(金) 23:35:02
>>635って釣られてるの解らんのか?
最後に「妄想」って書かれてるんだが
信玄信者なのかアンチ信長なのか知らんが、見てて痛いな・・・

640 :日本@名無史さん:2005/08/12(金) 23:36:35
>635ではないが、苦しい言い逃れだな>>639(631)

641 :日本@名無史さん:2005/08/12(金) 23:37:05
>>637
地下人は軍役衆以外の人間
つまり軍役をかけられてない在郷の農民等の事

つまり、おまいさんは最初に軍役衆を作ったのは信玄とし
軍役をかけられてない、諸役免除されてない人間を動員した話を書いてる訳

軍役は、今川でも尼子でも大内でも六角でも見られてますが何か?
信玄の軍役の初見はいつか言ってみろw

あ、やっぱ釣り?

642 :日本@名無史さん:2005/08/12(金) 23:48:31
>641
よくわからんのですが、信長以前に今川氏や尼子氏でも兵農分離はあったわけですか?
史料があれば、もしえてください。クレクレ、スマソ。


643 :日本@名無史さん:2005/08/12(金) 23:49:43
>>642
兵農分離に繋がる理由がわからんので
その辺の説明求む

644 :日本@名無史さん:2005/08/12(金) 23:52:46
>643
>641

645 :日本@名無史さん:2005/08/12(金) 23:54:22
>>644
641書いたが、軍役を課したら侍扱いになって
それ以外を農民として
軍役衆以外の人間を動員しなかったら兵農分離としてる訳?

646 :日本@名無史さん:2005/08/12(金) 23:55:59
>>644
それは兵農分離とは違うだろ、それとも武田の軍役衆が農業をしてないとでも

647 :日本@名無史さん:2005/08/12(金) 23:58:09
>641・645

すまんが、理屈ではなく具体的な史料でしめしてくれんか?
信長信仰の作家の請け売りは飽きた
知行がどうのとか、在地性を排除したとか、作家の理屈じゃなくて

648 :日本@名無史さん:2005/08/12(金) 23:59:55
武田のは農民を、農業とかだけする連中と、農業と軍役の掛け持ちの連中とに、わけてるだけだろ

649 :日本@名無史さん:2005/08/13(土) 00:00:05
647の意味がわからん

641書いたら、なぜ兵農分離となって、在地性排除、信長信仰云々とかになるんだ…
意味ワカンネーYO

650 :日本@名無史さん:2005/08/13(土) 00:00:28
>648

史料を挙げてくれ、たのむ・・・

651 :日本@名無史さん:2005/08/13(土) 00:02:25
>>649
つまり>>641>>645の論拠を、具体的な史料でしめせと。
そう云っているのではないの??

652 :日本@名無史さん:2005/08/13(土) 00:04:44
>650

ムリ言うなよ、史料なんて読んでるはずもなし…
すべてが面白おかしく書かれた小説の請け売り

653 :日本@名無史さん:2005/08/13(土) 00:06:08
>>631につづいて>>641も書き逃げ
逃亡しますた(w

654 :日本@名無史さん:2005/08/13(土) 00:06:21
というか647はどんな回答求めてるんだ?

655 :日本@名無史さん:2005/08/13(土) 00:07:33
>>651
それは今川等が軍役課けてたという史料で良いのかいな?

だったら
>軍役衆を作ったのは信玄が最初
の論拠を示してくれ

つか、軍役衆を最初に作ったのが信玄という言葉に釣りか?と反応したわけだし
どこにも兵農分離の話はしてないしね

656 :日本@名無史さん:2005/08/13(土) 00:08:44
あ、641書いたが、631は関係ないよ
んな釣りレスなんざ、俺知らんし

657 :日本@名無史さん:2005/08/13(土) 00:09:35
>>654
確かによく分からないな。
そもそも647にとっての兵農分離って何?

658 :日本@名無史さん:2005/08/13(土) 00:09:51
論拠(史料)をしめせと、そう言ってるんだろ
>>641が書いた論拠(史料)自分(641)で書いて、わからんのかねぇ?
史料にもとづかない請け売りの理屈なら、しかたないわけだが・・・

659 :日本@名無史さん:2005/08/13(土) 00:11:08
>>651
軍役課けたかどうかの話なら史料提示する事可能
でも645は、相手がどういう解釈して兵農分離云々になるのか理解できないので
こういう解釈して聞いてるのか?と問うただけだから・・・

それを史料提示しろって言われても訳ワカランよ

660 :日本@名無史さん:2005/08/13(土) 00:12:52
>659

ロムってる部外者なのだが

>軍役課けたかどうかの話なら史料提示する事可能

を教えてください(願


661 :日本@名無史さん:2005/08/13(土) 00:13:31
>>658
何に対して、どういう史料を求めてるのか理解に苦しむ
兵農分離の話なんて、一切誰もしてないんだけど…

>>641に対して>>642のレスをした意味っつーか
どういう解釈してレスしてきたのか説明してくれ!!
マジで訳ワカラン

662 :日本@名無史さん:2005/08/13(土) 00:13:42
>>658
でもさあ軍役かけたかどうかと兵農分離は関係無いだろ。

663 :日本@名無史さん:2005/08/13(土) 00:15:21
>651@>>641
じれってぇなぁ! おまいの解釈でいいから兵農分離の意味を解説汁!
論拠というか、史料もあげてな!!
何も史料出せんのなら、もうグズグズ書き込むな、うざったい!

664 :日本@名無史さん:2005/08/13(土) 00:16:37
>>663
まず、おまいさんの兵農分離の意味教えて
意味ワカランから

665 :日本@名無史さん:2005/08/13(土) 00:17:48
>661

つまり、拠り所になる史料は手元にないばかりか
読んだこともないと。手軽な文庫本の請け売りだったと(笑


666 :日本@名無史さん:2005/08/13(土) 00:19:17
ダメだぁ〜、理解できね〜
>>641の話が、どうして兵農分離の話になって>>665みたいなアフォレスになるんだ!?

誰か助けて、説明してくれ〜

667 :日本@名無史さん:2005/08/13(土) 00:21:04
みんな、もちつけ。

>>637が武田氏の兵農分離を史料的にしめしてるのだから、
>>641が自分の書き込み(主旨はともかく)の史料をしめせばいい
それだけのこと。史料がなければ、論拠を書けばいい。

668 :日本@名無史さん:2005/08/13(土) 00:22:43
>666 おまえがひとりで苦しんでるだけだ。引っ込みがつかなくなって

669 :日本@名無史さん:2005/08/13(土) 00:23:51
>>666

アホ…、自分で考えろ

670 :日本@名無史さん:2005/08/13(土) 00:24:01
>>667
軍役課けるのと、兵農分離は関係ありません
637は兵農分離の話をしてる訳でもなし、641では軍役を課けたのが
信玄が最初(といっても、どう最初なのか今だ論拠提示なし)というのを否定しただけであって
兵農分離の話は、当初からありませんが何か?

671 :日本@名無史さん:2005/08/13(土) 00:27:12
>>670
読まずにレスするが軍役課けるなんて応仁の乱以前からあったんじゃないの?
でないとどうやって兵集めるの?

672 :日本@名無史さん:2005/08/13(土) 00:27:29
え? 最初は兵農分離の話だったぞ
軍役衆=兵農分離という読み方をしたが?
ここに書き込んでる人たち、それを否定する史料をもとめているのでは??
>>641が史料を示せば、納得できるはずだが??

673 :日本@名無史さん:2005/08/13(土) 00:28:06
>>671
本当に何も読んでないな。

674 :日本@名無史さん:2005/08/13(土) 00:29:15
>671
軍役衆と地下人の違いをめぐっての議論だ。
>672
無理を言うなよ、641は史料なんて読んでない。

675 :日本@名無史さん:2005/08/13(土) 00:32:29
>>641は史料も確かめてない(持ってない?)から
「質問の意味がわからん」と、逃げまくり(笑
単純に、「漏れはこの史料にもとづいて書きました」と
史料文献の名称をあげれば、一件落着なのに。
「質問の意味」? お前の書き込みの原史料が何か、訊いてるんだよ!!

676 :日本@名無史さん:2005/08/13(土) 00:33:13
>>674
てっきり兵農分離だと思っていたよ

677 :日本@名無史さん:2005/08/13(土) 00:34:27
>676

え? 最初は兵農分離の話だったぞ
軍役衆=兵農分離という読み方をしたが?
ここに書き込んでる人たち、それを否定する史料をもとめているのでは??
>>641が史料を示せば、納得できるはずだが??


678 :日本@名無史さん:2005/08/13(土) 00:36:24
>>671
室町末期に守護の権力が墜ち、在郷の富農が武装化したのを
戦国大名と呼ばれる勢力が、家臣に組み込み統制化したのを言ってるのかな?

これを武士とするなら武士だし、富農であり、富農の下で戦ったのは貧農であるのだが
それが、何故か知らんが兵農分離となってんだよね
この辺を詳しく説明してくれないと、資料提示しようにも何を提示すりゃいいのかワカランし
そもそも軍役衆と地下人の差なんて、軍役か諸役かの違いであって
何をもって兵農分離とするのか理解できんよ

679 :日本@名無史さん:2005/08/13(土) 00:39:15
>>674
そうなの?何か軍役を課せた史料を出せば言いだけのはなしだったのでは?それで何故か
兵農分離の説明になるんだろ644にとっては。
軍役課せた例とか言って、防人とか鎌倉の御家人の史料でも見つけて受けを取ろうと思っていたのにw

680 :日本@名無史さん:2005/08/13(土) 00:41:41
>>678
そうだね極論すれば幕府奉公衆の名簿帳でも納得するのかってね

681 :日本@名無史さん:2005/08/13(土) 00:42:04
>>678(641)よ

もう一度訊く。武田氏の軍役衆は兵農分離ではないのだな?
織田氏の兵農分離を史料をあげて概説せよ。問題はお前が
何も史料を提示しないからなのだ。
これほどわかりやすい質問に答えられなければ、悪いが史料の裏づけなしと
判定せざるをえない。

682 :日本@名無史さん:2005/08/13(土) 00:42:55
>>680
確かにあれは軍役掛けてるし、一次史料だが・・・

683 :日本@名無史さん:2005/08/13(土) 00:45:11
>>681
武田が兵農分離したっとは思わんし、軍役なんざ富農階層を戦力として
組み込んでるから、尚更そうだ

でも
>織田氏の兵農分離を史料をあげて概説せよ。
これの意味がわからん
俺、小田が兵農分離できてたなんて書いた覚えないし、そもそも軍役の話だったはずだが…

684 :日本@名無史さん:2005/08/13(土) 00:46:09
>>682
などと言いながら、史料を提示できない言い逃れに
話をそらす>>641>>678じつは>>680 ププッ(w


685 :日本@名無史さん:2005/08/13(土) 00:47:13
>683
もういい、わかった。何もないのね

686 :日本@名無史さん:2005/08/13(土) 00:49:06
いや、だからさ
なんで織田の兵農分離の史料出せってなるの?>>685
兵農分離の話なんか、これっぽっちもしてないよ>>641

>>641のどこが兵農分離に触れて、織田の兵農分離の話になるの?


687 :日本@名無史さん:2005/08/13(土) 00:49:39
所詮織田厨なんてそんなもん

688 :日本@名無史さん:2005/08/13(土) 00:50:20
>>681
信長だって兵農分離してたは言いきれないだろう、一部馬周りは家焼かれて強制移住させられたが。
自分としては農業を一切止めて蔵米とかだけで生活するようになって兵農分離したと言えると思うのだが。

689 :日本@名無史さん:2005/08/13(土) 00:51:53
軍役衆=兵農分離
この等式が成り立ってる理由を教えて

マジ理解できん

690 :日本@名無史さん:2005/08/13(土) 00:54:45
横からだが「小田原衆所領役帳」あたりがなかなか良質な史料じゃない。
前読んだが知行高と用意する兵装まで載っていた。
これがあるから北条氏の騎馬率とか分かるんだろうね。

691 :日本@名無史さん:2005/08/13(土) 00:58:46
>>690
家臣ひとりひとりに対し、給恩の貫高こ応じて負担する軍役の内容を、
人数、武器、指物、武装内容についてまで載ってるからね。

上杉軍役帳もあるだろうが時代がちょっとな

692 :日本@名無史さん:2005/08/13(土) 01:05:44
上杉軍役帳は天正三年のはずだけど、時代に問題あるのか…

ていうか>>689の質問に答えてくれ
意味ワカンネー

軍役を兵農分離とするなら、武州古文書に記載されてる
武蔵都筑郡の、鈴木丹波宛北条氏尭印判状にある榎下郷の百姓遠藤と書かれてる件はどーすんだろ?
苗字持ちだが、百姓とあるのになぁ

693 :日本@名無史さん:2005/08/13(土) 01:06:52
軍役の始まりは文永の役のさなか幕府が朝廷に働きかけて許可された場所請負制だか何かで
非御家人にも軍役を課けれるようになったのが最初では?

694 :日本@名無史さん:2005/08/13(土) 01:08:19
>>692
だってほら天正三年じゃ軍役衆を作ったのは信玄が最初に
反論できないじゃんw

695 :日本@名無史さん:2005/08/13(土) 01:10:24
>>693
それが軍役の最初なのか

696 :日本@名無史さん:2005/08/13(土) 01:13:14
>692>694

上のほうからレス読んでみたが、
とくにおまえら、文章が意味わかんないんだよ。
何が言いたいのか、まるでワカラソ。
せめて、リンク先のレスを引用するとか、工夫しろ!

697 :日本@名無史さん:2005/08/13(土) 01:13:22
>>693
それは非武士領への軍役含めた諸役を割り当てることを可能にしたという意味で最初なのでは?
軍役という言葉自体はもっと前からあっただろ。

698 :694:2005/08/13(土) 01:15:38
俺は初めてレスしたのにorz



>>696
ちなみにどのレスが俺のになるの?

699 :日本@名無史さん:2005/08/13(土) 01:16:46
>>694
あぁ、そういう事ねw
納得

最初から最後まで理解不能な事喚いて消えていったなぁ>>635


700 :日本@名無史さん:2005/08/13(土) 01:17:50
>>693>>697

軍役自体は万葉の時代から「防人」があるよ。
ここで問題になってるのは、武田氏の「軍役衆」(一般農民ではない)
が「兵農分離」にあたるかどうか。では?

701 :日本@名無史さん:2005/08/13(土) 01:18:45


 と り あ え ず 、 お ま い ら お ち け つ 。

702 :日本@名無史さん:2005/08/13(土) 01:20:08
>>694>>698>>699(じつは>>641>>631

自演、乙!

703 :日本@名無史さん:2005/08/13(土) 01:21:26
っていうか、軍役衆ってなに?
軍役を課せられる人(武士+農民)?
それとも軍役を担うために飼われてる人(武士)?

704 :694:2005/08/13(土) 01:21:27
>>699
自分のレスを読み返してみたがひょっとして

信玄が最初に

の”に”が紛らわしかったか?

>>635の『軍役衆を作ったのは信玄が最初。』に対して天正三年成立の文書じゃ
信玄死後なので反論にはならない、ときちんとかくべきだったか。

705 :日本@名無史さん:2005/08/13(土) 01:22:42
>>700
>武田氏の「軍役衆」(一般農民ではない)
どう一般農民ではないの?竜朱印状だされて諸役免除になったから?
それとも棟別改日記で本屋・片屋・新屋・潰屋に分けたから?

706 :日本@名無史さん:2005/08/13(土) 01:23:44
>704

「軍役帖」と「軍役衆」を同じにしてねぇ??

707 :日本@名無史さん:2005/08/13(土) 01:25:31
641書いたが、631は別人だし…
あんな、面白くもない釣りレス書くわけないじゃん…orz

>>704
いや、十分理解できたよ

708 :日本@名無史さん:2005/08/13(土) 01:27:44
>707(641)

>いや、十分理解できたよ

って、自演しながらぜんぜん理解できてないじゃねぇか!
軍役帳と軍役衆を混同してる(笑

709 :688:2005/08/13(土) 01:29:38
>>700
自分の立場は>>688だから兵農分離には当たらない。
所領は形式だけで、統治経営は村人任せ、年貢の受け取りも代官が一括して行い、
所領から入る年貢分の禄米を直接支給されて、それで生活及び諸役の費用に充てる。
これなら兵農分離と認める。

710 :日本@名無史さん:2005/08/13(土) 01:30:13
704が言いたい事が理解できたと書いたんだが・・・


このバカ、たぶん軍役衆も理解できてないね
>>705で書いたことすら知らなさそう

711 :日本@名無史さん:2005/08/13(土) 01:31:07
話の腰を折ってすまんが、上杉軍役帳なら永禄年間にもあるよ。
上のほうの北条氏軍役帳と対比できるはず。

712 :日本@名無史さん:2005/08/13(土) 01:31:19
>707(641)
もう、君は消えていいよ。
自演バレバレだし。

713 :694:2005/08/13(土) 01:32:22
>>706
>>708
>「軍役帖」と「軍役衆」を同じにしてねぇ??
そういやそうだなw

714 :日本@名無史さん:2005/08/13(土) 01:35:36
>>712
さっきからお前、煽ってるだけで邪魔、議論するきないなら、どっかいけ
まあ、荒らしに反応した時点で漏れも同じだから、漏れも消えるとするよ・・・





単に眠いだけだが

715 :日本@名無史さん:2005/08/13(土) 01:36:35
>>711
それは知らなんだ
活字化されてますか?そうでなければ、どこで閲覧出来るかな?

716 :日本@名無史さん:2005/08/13(土) 01:38:34
ここの議論、バカすぎ・・。
織田氏の兵農分離は傭兵(浪人)の意味だぜ
一銭斬りの軍法ができたのも、統制の利かない浪人を
ルールで縛るためのもの。一般に織田勢が弱兵だと言われてるのは
「富裕な農兵だった」からではなく「忠義の希薄な浪人」だったから。
武田氏や上杉氏でも傭兵はたくさんいた。川中島合戦のときに、
討ち取られた首を「三河浪人某が取り戻し候」という記録が残ってるし。

717 :日本@名無史さん:2005/08/13(土) 01:39:04
>軍役衆を作ったのは信玄が最初

>武田氏の「軍役衆」(一般農民ではない)

今だに説明も論拠もないな…


718 :日本@名無史さん:2005/08/13(土) 01:39:15
>>713
史料名挙げるんだから「帖」になるのは当然じゃねーか?

719 :日本@名無史さん:2005/08/13(土) 01:43:30
いや、アホの見解は
軍役衆とは一般農民とは違う、だから兵農分離で
軍役帳にあるのは武士への軍役だから、農民へのそれとは違うんだー

ということらすぃので、軍役帳は違うと言いたいんだろう

で、その一般農民との違いなどは、謎のままw

720 :日本@名無史さん:2005/08/13(土) 01:43:48
>715

たぶん「軍役帳」ではなく「侍衆御太刀之次第」(永禄二年)のことと思われ

721 :日本@名無史さん:2005/08/13(土) 01:50:28
>>719

違いますよ。軍役帳は武田氏(国主)が家臣団に軍役を課した記録。
軍役衆とは、軍役を課せられた家臣団が領地の農民の中から公銭や年貢
を徴収しない代わりに、戦争だけを専門に選抜した軍隊。


722 :日本@名無史さん:2005/08/13(土) 01:52:52
だからその軍役衆のソースが軍役帖なんじゃないの

723 :日本@名無史さん:2005/08/13(土) 01:58:28
>>721
軍役衆の多くは本屋と呼ばれ、郷の上層階級に位置付けられていたが
戦争だけを専門にしていたとは初耳ですが

吉原の矢部というのは軍役とは別に、富士川での渡船役を命ぜられてるけど
これは戦争以外の課役を負担していたのではないの?

というか軍役帳に名前が記載されてるのは、上級家臣であり
それに従って従軍するのは、軍役を課せられたものではないのかね?

724 :日本@名無史さん:2005/08/13(土) 02:09:10
>723

農業および諸役(軍務以外の)と解釈します。
渡船役も軍務に準じると思いますけどね。
軍役帳に記載された名前は、あくまでも御屋形→国人領主の関係であって、
軍役を課する数量的な記載です。各国人領主が軍役のために領民から軍役衆を
選抜したと推量されます。この点は、地下人との区別が曖昧なのかもしれません。
たとえば、上杉氏においては早くから地下槍という徴兵形式がみられますし、
信長公記に「勝頼は地下人を動員」とあるのも、当時においては兵の身分分化が
明確だったのではないかと考えられます。

725 :日本@名無史さん:2005/08/13(土) 02:12:08
>>722

>だからその軍役衆のソースが軍役帖なんじゃないの

違う、バカ!! ぜんぜん、べつものだ!

726 :日本@名無史さん:2005/08/13(土) 02:17:18
>>725

>>636
>軍役衆を作ったのは信玄が最初
ここは釣堀スレでつか?
に対し
>>637
武田軍役帖にハッキリ書いてあるぞ、ボケ!

と言ってるからてっきりそうだとばかり思っていたが、637の言うことは違うということですね。

727 :日本@名無史さん:2005/08/13(土) 02:20:22
渡船役が軍務に順ずるのか…、まぁいいや
人それぞれの主観だしね

>「勝頼は地下人を動員」とあるのも、当時においては兵の身分分化が
>明確だったのではないかと考えられます。
妙法寺記の天文二十二年にある、「地下衆難儀無申候 皆所々ヲアケ申シ候」と
軍役課けられてる本屋の逃亡を地下衆として書いてるが、この件はどう思う?

今現在は、地下人は軍役を課けられてない人々という解釈されてるのが多いが
当時の中では、殿上人との対語として使われてた事もあるのだけど、
その辺はどう解釈してるのかな?
君の言う地下人との区別が曖昧だった事になると思うのだけど

728 :日本@名無史さん:2005/08/13(土) 02:20:44
軍役帳=軍役を課せられた家臣の名前と動員兵力≠軍役衆=家臣が選抜した常備軍≠武装農民

で、よいの?

729 :日本@名無史さん:2005/08/13(土) 02:23:21
>>728
>軍役衆=家臣が選抜した常備軍
武田氏(の家臣でも可)が選抜した兵隊にすべきですね
常備軍とはまた違うから

730 :日本@名無史さん:2005/08/13(土) 02:25:02
>>728
武装農民という概念が曖昧でよく分からんが

軍役衆=家臣が選抜した常備軍≠武装農民
こっちはおかしくないか

731 :日本@名無史さん:2005/08/13(土) 02:26:06
>727

天文22年(川中島合戦)と天正年間を同一には解釈できないでしょう。
勝頼が地下人も動員とは信長公記の記述なので、常備軍がすくなくなった
武田勝頼が農民まで動員した、と解釈できます。
地下人が殿上人というのは、かなり前の時代ですね。

732 :日本@名無史さん:2005/08/13(土) 02:29:12
三国志風に言えば兵戸制で片がつきそうだが、
それにしても何でこんな話題がこんな続いてる?
上洛はどうなった!

733 :日本@名無史さん:2005/08/13(土) 02:31:03
>地下人が殿上人というのは、かなり前の時代ですね。

>地下人が殿上人(の対語)というのは、かなり前の時代ですね。

>731(訂正)


734 :日本@名無史さん:2005/08/13(土) 02:32:22
>>733
わざわざ訂正しなくても流れから理解できるって

735 :日本@名無史さん:2005/08/13(土) 02:33:28
>>731
だったら妙法寺記の解釈はどうなの?
信長公記はわかったからさ
というか、信長公記のどこ?長篠辺り?

地下人と殿上人が対というのがかなり前とは無理がありますが
「戦国大名領国の基礎構造」と言う本で、戦国期でも同様の使われ方をしてる具体例がありますので
一読するのがいいかと

736 :日本@名無史さん:2005/08/13(土) 02:47:05
>735

「妙法寺記」の解釈は、ふつうに地下人(百姓衆)が大変な目に遭った。で
よいのでは? 天文22年は第二次川中島合戦の100日対陣ですから。

「信長公記」(四郎重来 武田四郎岩村にて勝利を失ふの事)
美濃岩村城での合戦のことでしょう。

>「戦国大名領国の基礎構造」

参考にしてみます(謝

737 :日本@名無史さん:2005/08/13(土) 03:05:36
それと軍役衆を常備軍や、一般農民と違うと標記するのは止めたほうがいい
信玄は、永禄十一年から元亀三年にかけて軍役衆を大幅に増やしてる

その際に、出されたのが下
・検地免除
・棟別・普請役の免除
・隠田の露見による課税の免除

これは何を意味するかと言うと、一般農民と「一般農民とは違う軍役衆」の差は、
やはり諸役免除に伴う軍役負担であり、差は殆ど無い
そして、棟別役などの諸役免除はあるものの、反銭(段銭)と呼ばれる田畑への課役は
軍役衆からも取られていたのを意味し、彼らは常備された軍勢ではなく
通常は農業を行って、反銭などの課役を支払わなければならなかった事実を物語ってる

その結果が、勝頼の代には税収が落ち込み、軍役退屈として逃亡・欠落が増え、それに対して
勝頼は年貢の控除等の打開策を打ち出すものの、一向に効果なく
新府築城での軍役衆に対する普請役と、それに伴う人足の粮米の負担を課して
一族衆ですら従わなかった


738 :日本@名無史さん:2005/08/13(土) 03:15:08
>>736
>地下人(百姓衆)が大変な目に遭った。
軍役衆も百姓なんですが?
付け加えれば、これの記述での軍役が課せられてない人々への表現は
「主ヲ持チ申サズ候者」で、彼らに対して過料銭と呼ばれる、通常は罪科を犯した人間に為される課税を
軍役に従ってない者に対して行い、軍役への従事を即している
その為、「皆々ナゲキ申シ候事言説ニ及バズ」となり「地下衆難儀無申候 皆所々ヲアケ申シ候」となった

俺の持ってる町田本の信長公記では「岩村へ後巻として 甲斐信濃の土民百姓などまでもが かり催し…」
となってるが、君のは池田家本なのか?

739 :日本@名無史さん:2005/08/13(土) 03:27:52
>>737

なるほど。「常備軍」とはいえないが、「一般農民」でもないわけだ。
「地下人」を「一般農民」とすると、「地下槍」を徴兵していた上杉氏
との軍編成の違い(軍役帳における槍の比率)は明らかだし、「信長公記」の「勝頼は地下人まで動員」
というのもわかる。反銭や棟別銭、普請役など甲斐の重税は有名だから、それをもって軍役負担のない「一般農民」と
同じとは考えにくいなぁ。天文年間から永禄年間の深刻な飢饉を考えると、軍役は稼ぎ場だったはずで・・・。
むしろ、勝頼の代での窮乏は軍役褒賞の碁石金の不足ではなかったのだろうか?
それと、新府城普請の過程で、真田氏が請け負った経緯は、

>新府築城での軍役衆に対する普請役と、それに伴う人足の粮米の負担を課して
>一族衆ですら従わなかった

で、確かなのですか?



740 :日本@名無史さん:2005/08/13(土) 03:28:26
結局>>635は電波発信して煽るだけ煽って、バカみたいに騒いで消えたか
まさに夏厨だった…

軍役衆=兵農分離だの
軍役衆を信玄が最初に作っただの
意味ワカランだけだったなぁー


741 :日本@名無史さん:2005/08/13(土) 03:34:09
>>740>>731 乙!

742 :日本@名無史さん:2005/08/13(土) 03:35:33
>>739
一般農民で間違いないけど
軍役課けられた瞬間から、一般農民じゃなくなる訳でもなし

そもそも、一般農民と軍役課けられた農民との差は何?
なにがどう一般農民なのか?
つか軍役衆にも反銭かけられてるんだが
重税とは別だろうに

>確かなのですか?
確か
長い論文でタイトル忘れたが、平山優氏が書いた論文で説明アリ
見つからないなら、山梨県埋蔵文化財センターにでも問い合わせてくれ

743 :日本@名無史さん:2005/08/13(土) 03:36:43
>>740>>631 乙だった!


744 :日本@名無史さん:2005/08/13(土) 03:39:22
ま、煽っても
>軍役衆を作ったのは信玄が最初
>軍役衆=兵農分離
といって、自演してた事実は変わらないのだがw

631もバカだけどw

745 :日本@名無史さん:2005/08/13(土) 03:47:17
>>744(>>641>>631・その他多数の自作自演)さん

まことにお疲れ様でした。

746 :日本@名無史さん:2005/08/13(土) 03:52:29
その他多数の自作自演)さん
その他多数の自作自演)さん
その他多数の自作自演)さん
その他多数の自作自演)さん
その他多数の自作自演)さん
その他多数の自作自演)さん
その他多数の自作自演)さん


・゚・(ノ∀`)・゚・アチャー カワイソス

747 :日本@名無史さん:2005/08/13(土) 04:05:37
武田厨の涙ぐましいまでの強がりは言わせてやるべきだと思います。

748 :日本@名無史さん:2005/08/13(土) 04:09:40
けっきょく、織田の兵農分離(常備軍?)というのが史料もなく、わからんかった

749 :日本@名無史さん:2005/08/13(土) 04:19:56
>>748
>>748
>>748
>>748
>>748
>>748
>>748
>>748
>>748

750 :日本@名無史さん:2005/08/13(土) 04:20:26
      r ⌒ヽ
     (´ ⌒`) ポッポー!
         l l
 カタカタ ∧_∧  けっきょく、織田の兵農分離(常備軍?)というのが史料もなく、わからんかった
     <`Д´ #>
   _| ̄ ̄||_)_
 /旦|――||// /|


751 :日本@名無史さん:2005/08/13(土) 04:21:11
けっきょく、誰も織田が兵農分離して常備軍と騙ってない罠。

752 :日本@名無史さん:2005/08/13(土) 04:23:05
>>751武田厨は脳内で仮想織田厨と日夜戦ってるのです


753 :日本@名無史さん:2005/08/13(土) 04:46:57
(仮想)武田信玄が倒せない織田軍の兵農分離。
史料は皆無……(哀。 しょせんは空想の産物か??

754 :日本@名無史さん:2005/08/13(土) 05:35:23
>>737
でも勝頼ってかわいそうだよな。
親父の代のツケ払わされたかんじだ。

755 :日本@名無史さん:2005/08/13(土) 14:13:38
>>754
ケツで返済すればよかったんじゃね?

756 :日本@名無史さん:2005/08/13(土) 19:55:47
753の脳内では仮想織田厨が兵農分離してると言ってるそうですよ。

757 :日本@名無史さん:2005/08/13(土) 20:42:40
>>756
ようやく理解出来たが、>>635は終始>>631の電波レスをマジレスとして受け取ってた模様
内容がアホ過ぎて、誰も本気にしてないのにな

758 :日本@名無史さん:2005/08/13(土) 21:09:17
最後に妄想終了って書いてるしね

759 :日本@名無史さん:2005/08/13(土) 21:30:35
軍役衆を作ったのは信玄が最初
武田軍役帖にハッキリ書いてあるぞ、ボケ!
軍役衆=兵農分離
軍役衆のソースが軍役帖とは違う

これはマジレスみたいでつ。

760 :日本@名無史さん:2005/08/13(土) 21:56:25
>>759
それは「武田(甲斐)でオレが始めて作った」とかいう類のことじゃね?

761 :日本@名無史さん:2005/08/13(土) 22:06:24
>兵農分離はさほど行われてない

軍役衆を作ったのは信玄が最初。信長は模倣したにすぎん(笑


無理ありすぎ>>635、もとい>>760

762 :日本@名無史さん:2005/08/13(土) 22:22:48
軍役衆を作ったのは信玄が最初
        ↓
武田信玄が軍役衆を最初に作った
        ↓
甲斐の武田信玄が軍役衆を最初に作った
        ↓
武田が甲斐で軍役衆を最初に作った
        ↓
武田(甲斐)で軍役衆を始めた
        ↓
武田(甲斐)でオレが始めて作った



635のIMEは常人には理解できない変換をする仕様です。


763 :日本@名無史さん:2005/08/13(土) 22:34:40
だから軍役衆をはじめて作ったのは信玄、つまり兵農分離をはじめたのは信玄で、
信長はパクリの亜流。だから信長が信玄に勝てるわけがないんだろ。
実に分かりやすい主張だが。

764 :日本@名無史さん:2005/08/13(土) 22:40:11
構ってほしいのでageた御様子


765 :日本@名無史さん:2005/08/13(土) 22:40:30
↑激しく同意

766 :日本@名無史さん:2005/08/13(土) 22:50:21
'`,、'`,、 '`,、'`,、('∀`) '`,、'`,、 '`,、'`,、

767 :日本@名無史さん:2005/08/13(土) 23:20:46
内容がなくなった・・・

768 :日本@名無史さん:2005/08/13(土) 23:37:46
武田厨が、不味いエサしか蒔かない・不味いエサに食いつくしか芸がないから内容が続かないのさ

769 :日本@名無史さん:2005/08/14(日) 00:00:08
だから軍役衆をはじめて作ったのは信玄>“はじめて”の時期は?

つまり兵農分離をはじめたのは信玄で>つまり軍役衆は兵農分離!?なにがつまり?

信長はパクリの亜流>パクり?亜流?誰のを?

だから信長が信玄に勝てるわけがないんだろ。>( ゚∀゚)アハハ八八ノヽノヽノヽノ \ / \/ \




770 :日本@名無史さん:2005/08/14(日) 00:16:11
>>769
アハハって最近の流行なの?

771 :日本@名無史さん:2005/08/14(日) 00:33:28
バカしか来なくなった

772 :日本@名無史さん:2005/08/14(日) 01:07:38
三戦板以下の議論だな。

773 :日本@名無史さん:2005/08/14(日) 01:39:57
家来に殺されたバカ殿を致命傷に陥れた槍だそうだ。

http://www4.nikkan-kyusyu.com/le/kyu/part1/053/miyou.html

774 :日本@名無史さん:2005/08/14(日) 02:57:38
本能寺の変(信長惨殺)は武田信玄の謀略だった説。これ、けっこう有力だぞな。
明智光秀=天海ならば、天海は川中島合戦の頃に甲斐武田に寄宿しているので、
密約あり。武田氏滅亡ののちに、徳川家康が光秀(じつは天海)から信玄の策謀を
聞いて、周到に本能寺の変をサポートした。これには、秀吉も一枚噛んでいたらしい。
信長惨殺について、朝廷説や足利義昭説、家康説、秀吉加担説、イエズス会説など多数
あるが・・・、じつは信玄が震源だった。驚愕の史実、ハケーン!



775 :日本@名無史さん:2005/08/14(日) 03:09:52
>>774
>信玄が震源だった
これがいいたいだけだろ。


776 :日本@名無史さん:2005/08/14(日) 03:14:40
>775

ご明察! スレタイに沿ってオチをつくれば・・・

777 :日本@名無史さん:2005/08/14(日) 03:24:57
>信玄だったら信長を倒せた?

>>774
なら、ちゃんと倒してるじゃん。

778 :日本@名無史さん:2005/08/14(日) 17:39:42
>>774
本能寺は何を言っても妄想の域をでない。
丹波国人一揆説とか朝廷黒幕説とかな。

779 :日本@名無史さん:2005/08/14(日) 23:02:23
後世の人々の信玄への評価を見れば実力差は明らかw
信玄よりも信長が上と評価している歴史家は何人いる?
数あるゲームの中で信玄よりも信長が上と評価しているゲームはあるか?
日本で一番売れている信長の野望はユーザーの声を反映したゲームを目指しているが、
そのゲームで表している数値が分かりやすい例だね。
信長は信玄に勝てない。
これはどの会社もそう評価している。
ただ運がよかっただけ。
信玄があと十年、いや五年生きれば確実に武田幕府が成立していたね。
これは紛れもない事実だよ。
それが全てだね。


780 :日本@名無史さん:2005/08/14(日) 23:15:44
>>779
バカな歴史家とゲームが史料で、信長(家来に殺されたバカ殿)が日本一(笑

781 :日本@名無史さん:2005/08/14(日) 23:22:54
>780

うん? >779は、バカ殿よりも信玄が優れていたと・・・。


782 :日本@名無史さん:2005/08/15(月) 00:39:16
光栄の歴史ゲームいくつかやったがデモプレイで信玄が勝ったのってほとんどみたことないけど
信長が勝つのは何度も見てるが・・・
武田も信虎や勝頼が大名だととたんに強くなったりするが

783 :日本@名無史さん:2005/08/15(月) 00:49:09
ここまで逆接ばかりの駄文は中々見た事ないがけど駿河学

784 :日本@名無史さん:2005/08/15(月) 00:58:35
635の夏厨が常駐してから駄スレ化したな

785 :日本@名無史さん:2005/08/15(月) 03:38:07
いっぱい釣れたなぁ、くっくく・・・(635)

786 :日本@名無史さん:2005/08/15(月) 12:12:13
          ,〜〜〜〜〜〜〜〜 、
|\     ( いっぱい釣れたなぁ)
|  \    `〜〜〜v〜〜〜〜〜´
し   \
゙'゙":"''"''':'';;':,':;.:.,.,  ヽ○ノ
          ~~~~~|~~~~~~~ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
                 ト>゚++<
              ノ)



787 :日本@名無史さん:2005/08/15(月) 14:36:17
妄想レスに釣られ、自演してまで多数派工作し、無知を曝け出して叩かれ、
最後には釣り宣言、635が哀れすぎる…

788 :日本@名無史さん:2005/08/15(月) 17:50:54
>>787
635は文があれだから分かりやすいな

789 :日本@名無史さん:2005/08/15(月) 18:21:07
>>635
自らの不勉強をかみしめたか?

790 :日本@名無史さん:2005/08/16(火) 01:40:54
釣り宣言ワロスwwwwwwwwwww

791 :日本@名無史さん:2005/08/16(火) 10:56:12
信長厨も信玄厨も、やたらと兵農分離したがるねえw
民衆が文弱でもない限り、戦国の世には不向きなシステムだと思うんだが。

792 :日本@名無史さん:2005/08/16(火) 13:21:42
>>791
兵農分離言ってるのは一人だけだろ
それ以外は誰も言ってない、むしろ信長だって兵農分離とは言えないという意見だってあったのに・・・
何他の人まで厨扱いしてんの

793 :日本@名無史さん:2005/08/16(火) 20:07:22
まあアレだ。兵農分離しても信長は信玄に勝てないって事で終わりだな。

終了

794 :日本@名無史さん:2005/08/16(火) 21:31:17
>>631

膨大な自作自演、乙

795 :日本@名無史さん:2005/08/16(火) 22:39:28
信長は信玄に勝てない事で話がまとまったようですね。
まあ当たり前の事か。
これ以上話す事はないな。歪曲織田厨お疲れ様www

796 :日本@名無史さん:2005/08/16(火) 22:58:36
>>795
はいはいよかったねー。満足したらよそいって遊ぼうねー。ここにはもうこないでねー。

797 :日本@名無史さん:2005/08/16(火) 23:06:47
馬鹿が2人常駐してるようですね

798 :日本@名無史さん:2005/08/17(水) 02:20:02
>>797
兵農分離で暴れてたやつと、そいつの必死なレスにいちいちレス返してるやつの二人のこと?

799 :日本@名無史さん:2005/08/17(水) 08:47:55
>>779
しかし光栄のハンドブックでは
「信長の真価は数字に現れない所にあるのでは?」と書かれてる。
革新性とか既成のものに捕らわれない自由な発想。
兵農分離、商業重視主義、楽市、身分に捕らわれない登用、鉄砲の使用や三段発射などの新戦法。
室町幕府や朝廷の権威の都合の良い部分は利用するが内心、その権威は利用しない。

何より「天下統一」という概念そのものが当時としては信長の発明に近い。
信玄の天下取りなど所詮は大内義興型とも言えるもので、
一応、京都周辺の勢力を排除し、室町幕府将軍を立て、自分は管領などの地位を貰って
室町幕府内である程度の権勢を得る程度のもの。

信玄は怪物だが、その能力はことごとく旧来という枠の中の話し。
とあえて厨房レスしてみました(部分的に)。

800 :日本@名無史さん:2005/08/17(水) 08:51:31
運と言ってしまうのはともかく、あまり革新性を強調するのもなんだかな

801 :日本@名無史さん:2005/08/17(水) 08:55:51
なお大内義興とは信長の足利義昭を擁して京都上洛に50年もさきがけて
自領に亡命してきた足利義職を擁し3万もの大軍で上洛した人物です。
彼はその功で管領補の地位を貰い、幕府内に実験を持ち、同時に明との貿易や安芸への攻勢などで
大内家の全盛時代を築きました。

信玄の天下取りも織田、豊臣、徳川らの目指したような全国統一という形態ではなく、
あくまで旧来の室町幕府の中で権勢を得る性質のものだったと考えられてます。

802 :日本@名無史さん:2005/08/17(水) 08:59:10
>>800
そんな事言ってしまえば信玄が名門武田家の嫡子として生まれてきた事自体が運なのだが。
「秀吉が天下取れたのは運」という人がいるが、
それでも下賎な生まれの彼の場合、信長や信玄よりも遥かに実力の要素が大きいと思うのだが。

803 :日本@名無史さん:2005/08/17(水) 13:04:15
運も実力の内と言う。


804 :日本@名無史さん :2005/08/17(水) 13:18:32
カエサルにしろナポレオンにしろワシントンにしろ
海外においても英雄と呼ばれる人間はここぞというところで運がいい

805 :日本@名無史さん:2005/08/17(水) 15:02:31
そうか?運悪く暗殺されたり、プロシア軍がやってきたり・・・

806 :日本@名無史さん:2005/08/17(水) 17:27:02
信長は信玄を恐れ貢ぎまくっていたわけだが。
信玄が本気になっていれば織田家は早々と滅亡した可能性は高い。
上洛だの革新性だの言う前に、織田家は武田家に生かしてもらっていただけだろ?

807 :日本@名無史さん:2005/08/17(水) 21:14:10
>>806
もっと勉強したほうがいいな。

808 :日本@名無史さん:2005/08/17(水) 21:56:32
定期的に沸いてくるよな、こーゆーの

809 :日本@名無史さん:2005/08/18(木) 03:06:19
ま、家来に殺されたバカ殿が天才とかはないな、ふつうに。

810 :日本@名無史さん:2005/08/18(木) 08:51:32
>>809
ユリウス・カエサルも馬鹿殿か。

811 :日本@名無史さん:2005/08/18(木) 09:32:58
>>810
ブルートゥスは家来かな?微妙な希ガス

812 :日本@名無史さん:2005/08/18(木) 12:46:50
実行犯の中にいた2人のブルータスのうち、一人はガリア戦役での部下。
もう一人のほうは愛人の子。

813 :日本@名無史さん:2005/08/18(木) 13:11:51
全て読んだ。

信玄が信長に勝てると主張する武田派のやつらは妄想の域から出られないのが残念だ。
織田派のやつらの方が根拠があり筋も通っているのでわかりやすい。


武田派のやつらは潔く敗北を認めるべきだな。

814 :日本@名無史さん:2005/08/18(木) 22:15:18
>>812
さらに言うと、ガリア戦役時の部下の方は遺言で後継者指名も受けていた。

815 :日本@名無史さん:2005/08/18(木) 22:25:48
>>813

光秀(天海)が信長を殺したんだろ?
信玄との約束を果たすために
よって、信玄による信長誅罰は成功した

816 :日本@名無史さん:2005/08/19(金) 01:25:54
信玄の約束は結果論に過ぎないよ(笑

817 :日本@名無史さん:2005/08/19(金) 02:42:12
光秀は信玄との約束云々の前に足利義昭に忠節を尽くすのが先だと思うがw

818 :信玄好き:2005/08/19(金) 12:07:20
信玄VS信長だからこそここまで議論も盛り上がるんだろう。
これが信玄VS秀吉とか、信玄VS家康だったら、信玄の勝ちは見えすぎててこんな議論にならんわな。

819 :日本@名無史さん:2005/08/19(金) 13:09:25
結論

秀吉>家康>早雲>元就>信長>義元>信玄>謙信

820 :信玄餅大好き:2005/08/19(金) 19:03:14
元就>家康>信玄>信長>秀吉>謙信>義元

821 :日本@名無史さん:2005/08/19(金) 19:32:43
信玄>>>>>>>家康>秀吉>元就>>>>>>>信長>義元>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>謙信

822 :日本@名無史さん:2005/08/19(金) 21:04:54
妄想比べかYO(プゲラッチョ

823 :日本@名無史さん:2005/08/19(金) 21:15:29
元就>秀吉>信玄>信長>家康>謙信>義元

824 :日本@名無史さん:2005/08/19(金) 22:01:28
元就>元就>元就>元就>元就>元就=義元

825 :日本@名無史さん:2005/08/20(土) 06:51:42
信長>信玄>元就>謙信>義元>家康>>>>>(超えられない壁)>>>>>>秀吉

826 :日本@名無史さん:2005/08/20(土) 07:54:46
元就>信玄>信長>謙信>早雲>秀吉>義元>家康

827 :日本@名無史さん:2005/08/20(土) 10:00:29
信長>信玄>>>>>>>>>>信雄>>>>>>>>>>>>>>>>>>このスレ

828 :日本@名無史さん:2005/08/20(土) 20:02:02
信玄>元就>政宗>信長>家康>秀吉>義元>謙信

829 :日本@名無史さん:2005/08/20(土) 21:49:26
信長>秀吉>家康>元就>謙信>氏康>政宗>島津>義元>道三>>>>>>>>>>>信玄

830 :日本@名無史さん:2005/08/21(日) 04:26:03
漏れ>>>>>>>信長>その他

831 :日本@名無史さん:2005/08/21(日) 13:53:58
元就>信長>信玄>義元>秀吉>謙信>家康>光秀>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>政宗

832 :日本@名無史さん:2005/08/21(日) 20:13:23
うんこ=830

833 :日本@名無史さん:2005/08/21(日) 22:36:46
このスレ、もう終わってるな・・・(苦笑

834 :日本@名無史さん:2005/08/21(日) 23:31:37
確かにな

835 :日本@名無史さん:2005/08/22(月) 18:43:38
そら三戦板に同じ内容のスレあるから
こっちよりずっとあっちの方がまともな議論になってるし・・・

836 :日本@名無史さん:2005/08/22(月) 18:59:29
武田厨が潰した

837 :日本@名無史さん:2005/08/22(月) 20:26:17
所詮イフですから

838 :日本@名無史さん:2005/08/22(月) 23:27:43
織田厨が潰した

839 :日本@名無史さん:2005/08/24(水) 13:50:24
結論

統治能力において
家康=秀吉>(越えられない壁)>家来に殺された馬鹿殿信長

840 :日本@名無史さん:2005/08/24(水) 17:21:44
>>839
信玄は?

841 :日本@名無史さん:2005/08/24(水) 17:54:58
そういえば、司馬さんが「信長は家臣に直轄領を与えず、米や銭のみを給料として与えていた形跡がある」
って言ってたけど、それって凄いことなの?

842 :日本@名無史さん:2005/08/24(水) 19:47:29
>>841
本当だったら凄いこと。

843 :日本@名無史さん:2005/08/25(木) 00:50:45
それが本当だったら家臣(一所懸命の武士)に信長がヌッコロされるのも無理は無いw

844 :841:2005/08/25(木) 02:11:30
>>842
そうか、凄いかどうかの前にまずその話の信憑性を問うべきだったか。
というわけで、ガセでファイナルアンサーですか?

845 :日本@名無史さん:2005/08/25(木) 02:40:27
>>844
確実に否定される信頼ある史料が出てこない限りFA出せない
事実だったら信長自体が日本だけじゃなく世界史上稀に見るレベルの人物に昇格するな
詳しくは常備軍と官僚について調べれ

846 :人のふんどし:2005/08/25(木) 14:13:12
信玄も勝頼も信長と戦って天下を狙う気があるなら北条との合戦は愚策だな
さすが親子だな〜と

847 :日本@名無史さん:2005/08/25(木) 15:17:56
>>841

まっかなウソ。信長公記嫁!知行地である以上、家臣の直轄領
米や銭のみ与えたのは浪人衆(これが常備軍)

848 :日本@名無史さん:2005/08/25(木) 16:00:01
>>847
ってことは領主も居たが常備軍も少なからず居たって事か?
領主の兵力と常備軍の兵力の比率によっては相当凄くなるわけだが

849 :日本@名無史さん:2005/08/25(木) 16:45:59
>848
常備軍というよりも浪人の傭兵だよ。
戦が始まれば、浪人や被官志望者が殺到したのは
どこの戦国大名でも同じ。武田にも川中島合戦の
軍忠状に三河浪人という記述がある。

850 :日本@名無史さん:2005/08/25(木) 18:20:13
>>849
それだと常備軍やあらへんがなw
単なる傭兵だね
常備軍自体は居ないとか少ないとかいう感じかな

851 :日本@名無史さん:2005/08/25(木) 18:21:56
また織田厨か

852 :日本@名無史さん:2005/08/25(木) 18:41:40
いあ、織田厨と見せかけて武田厨を釣ろうとする高度な釣り氏と予想

853 :日本@名無史さん:2005/08/25(木) 18:55:36
常備軍とか、そもそも史書にない
兵農分離という歴史学者が農兵との対比で創作した傭兵の別称

854 :日本@名無史さん:2005/08/25(木) 19:06:53
常備というのは
常に備わっていた軍勢という事なので
浪人衆は、戦時に集まってきたので常備とは言わないよね

855 :日本@名無史さん:2005/08/25(木) 19:45:03
農兵(じつは軍役衆)→農繁期に帰国(長期の戦に耐えない=ウソ)
非農兵(じつは傭兵)→通年戦える専門軍人

これを常備軍と表現したのが信長研究者の語弊

856 :日本@名無史さん:2005/08/25(木) 20:24:00
>信長研究者

研究と言うより妄想だな

857 :日本@名無史さん:2005/08/25(木) 20:34:47
>>855-856

研究者もそうだが、近年の信長人気(天才・改革者)を
演出したのは津本陽と秋山駿あたりじゃね。後世の偽書「武功夜話」(前野文書)
を重視して、「信長公記」を軽視した結果、作品をおもしろくすることで
妄想を膨らませすぎたというところだわな。
↓他スレにいいのあったから、コピペ

>信長は戦略家であって戦術家じゃないと思う。
>彼が持っていた戦力は弱くて有名な尾張の兵と津島の浪人衆。
>それを戦力にするために兵士の数と専門兵士の割合を増やした。
>それを維持するのには金がかかるので、伊勢湾の海運を押さえ、
>近畿に侵攻した際にも商業都市を押さえることを優先した。
>それでも結局烏合の衆でしかないのでよく負けた。
>姉川とか長篠見ても、予定外の事態への対応が悪すぎ。


858 :日本@名無史さん:2005/08/25(木) 20:59:35
>>857
尾張の兵と津島の浪人衆が弱兵ってのの確実な証拠が出てないんでないっけ?

859 :日本@名無史さん:2005/08/25(木) 21:30:07
>>857
姉川はまだしも、長篠の予定外の事態(さらにその対応)って何よ?
姉川だって、奇襲を受けてから直ちに横山城包囲部隊を戻しているし、「予定外の事態への対応」が
悪いとは思えないが。

860 :日本@名無史さん:2005/08/25(木) 21:51:04
信玄って極悪非道だよね
実父を追い出し、我が子を殺し、義父を殺し、婿を攻め、甥から国を奪った。
ひどい奴の多かった当時としてもトップクラスじゃないか。

861 :日本@名無史さん:2005/08/25(木) 22:00:33
信長の極悪非道も凄いぞ

伯父を殺す・実弟をだまし討ちで殺す・叔母を逆さ磔
敵将の妻を5日間にわたり惨殺(1本ずつ、指を切り落とし)
敵将の髑髏に金箔を貼って酒宴・一向宗徒を万単位で虐殺
同盟者の嫡男と嫁を殺させる・山門皆殺し・家臣の母(人質)見殺し
義兄(斎藤)、義理の子(勝頼)、義理の孫(信勝)惨殺

↑ほんの一例。まさに狂気の魔王だよ

862 :日本@名無史さん:2005/08/25(木) 22:34:28
極悪非道になれない男に頭領が務まるか

863 :日本@名無史さん:2005/08/25(木) 22:43:52
>>861
・伯父を殺す・実弟をだまし討ちで殺す・叔母を逆さ磔
→伯父については状況からの推測で証拠はない。実弟は向こうから反逆されたから。叔母は政治的に裏切られたから。
・敵将の髑髏に金箔を貼って酒宴
→当時の記録では残虐行為とみなされていない。
・同盟者の嫡男と嫁を殺させる・
→異論がいくつもでているのだが。
・山門皆殺し
→これも政治的敵対の末。しかも事前に交渉もしている。
・家臣の母(人質)見殺し
→江戸時代に作られた小説のフィクション。

864 :日本@名無史さん:2005/08/25(木) 22:48:51
また織田厨か

865 :日本@名無史さん:2005/08/25(木) 23:20:49
漏れの隣町は信濃の難民が移住してきて今に至るんだが、信玄の悪行ならちょこっと伝わってるよ。
逆らう者は見せしめに磔。村の長が反抗的なら村ごと焼き払ったり、豪族と血が少しでも繋がって
いたなら女、子供も皆殺しにしたりとか。そういうのも潔癖症な坊ちゃま(謙信)は嫌ってたらしいよ。
もっとも、漏れの先祖の出身地は信長に同じ様な事をされて移民してきたし(占領されずに村ごと焼かれた)
まあ、どこの大名でもしてたみたいだね。

866 :日本@名無史さん:2005/08/25(木) 23:21:55
織田は「人は城・・・」なんて臭いこと言ってないし
どっちも人倫の観点からはろくでなしだったが、裏表のある分信玄はいやだ

867 :日本@名無史さん:2005/08/25(木) 23:52:40
まあ信玄も志賀城でのこととか、戸隠社の焼き討ちや善光寺からの略奪及び、信濃善光寺を滅ぼすなど
いろいろあるが。

868 :日本@名無史さん:2005/08/25(木) 23:55:07
>潔癖症な坊ちゃま(謙信)は嫌ってたらしいよ。

謙信は女ですよ(笑

869 :日本@名無史さん:2005/08/26(金) 01:21:24
大量虐殺のチャンピオンは尾張のバカ殿だろ、ふつうに考えて。
裏表があるという意味でも、謙信と結びながら信玄と姻戚を進めたわけで、
陰湿な謀略家というイメージだわな。そのわりに、家臣に裏切られる
ような隙が多すぎ。ついでに、謙信も人身売買とかやってるぞ!

870 :日本@名無史さん:2005/08/26(金) 01:32:10
>>869
「誰それは悪」「誰それは残虐」というのは対戦相手にも同じくらいのエピソードがって
結局「どっちもどっち」にしかならないからやめとけ。

戦国時代の人間の行いを現代の倫理観で批判したところで何の意味もない。
それは「個人的な好き嫌い」の理由にはなっても「どちらが強いか」「誰が勝つか」を推測
する根拠にはならない。

871 :日本@名無史さん:2005/08/26(金) 01:44:34
>>870

869ではないんだけど、現代の歴史観や倫理観(価値観)で歴史を
考えるからこそ、信長の革新性や信玄の政治力に学び、批判もできるわけではないの?
「好き嫌い」の中には歴史観や倫理観(自分たちに返ってくる)があるとしても、
「どちらが強いか?」というのは、子供のゲーム観だと思う。スレテーマでは
仰せの通りなのだが、強いか弱いかは歴史観として単純すぎる。
むしろ、残虐であらなければならなかった現実(史実)と、どう向き合うかが
歴史に学ぶという姿勢なのでは? 独り言なので、レスは不要。スマソ・・・。

872 :日本@名無史さん:2005/08/26(金) 02:02:47
要は>>860がアホってことでしょ。

873 :日本@名無史さん:2005/08/26(金) 02:30:12
>871>872
そのとおりだな。。。

874 :日本@名無史さん:2005/08/26(金) 03:32:55
信玄と信長の残虐性を比べるのは意味ないな。
どっちも残虐だし。まさにどんぐりの背くらべ。

殺した人数は信長のが多いだろうがそもそも信玄とは
戦った敵の数が違うしな。



875 :日本@名無史さん:2005/08/26(金) 15:19:49
伊賀の残党が吠えるスレはここですか?w

876 :日本@名無史さん:2005/08/26(金) 17:52:16
家康をマンセーしたいスレでつ
権現様が完膚なきまでに負けた相手に信長は勝っちゃいけないと思い込むスレでもあります

877 :日本@名無史さん:2005/08/27(土) 02:54:22
いえ、単に>>860がアホなスレです

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