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石原莞爾

1 :日本@名無史さん:2005/07/14(木) 23:08:19
微妙なポジションの軍人だった石原莞爾について語れ。

2 :日本@名無史さん:2005/07/14(木) 23:19:44


      ま た 軍 国 主 義 者 ス レ か !

3 :日本@名無史さん:2005/07/14(木) 23:28:17
微妙だな

4 :日本@名無史さん:2005/07/14(木) 23:33:43
石原って創価なんでしょ?
やだやだ。

5 :日本@名無史さん:2005/07/15(金) 01:28:05
カンジ悪ぅ〜い

6 :日本@名無史さん:2005/07/15(金) 02:04:50
日蓮宗信者だよな
井上日召の影響受けてるんだよな


7 :日本@名無史さん:2005/07/15(金) 02:32:20
>>4
石原は国柱会信者。


8 :日本@名無史さん:2005/07/15(金) 05:11:43
東條はバカだ!
俺と東條はレベルが違うんだ!

9 :日本@名無史さん:2005/07/15(金) 08:25:59
統帥権干犯の大悪人。
確かに東条とはレベルが違う。

10 :日本@名無史さん:2005/07/15(金) 09:24:59
満州事変勃発時、石原を銃殺にしていれば
その後の亡国は防げた。
こいつこそ統帥大権の干犯者。

11 :日本@名無史さん:2005/07/15(金) 09:40:25
こいつと昭和天皇と岸信介の3名を東京裁判に掛けて処刑してれば、東京裁判の
正当性を云々される事は無かったろうな。東京裁判の正当性が云々される最大の
要因は東條を始めとする太平洋戦争開戦時の政府首脳を、開戦の首謀者扱いして
訴追・処刑してしまった事とその際の最高責任者を訴追しなかったという2点に
尽きる。日本が断罪されるべき最大の理由は国際条約違反の中国侵略であり、その
点では満州侵略の発端の石原と、満州国支配の中心の岸こそが訴追されるべきだった。
無論昭和天皇は、あらゆる問題の最高責任者としてだ。日本の主権者であり統帥権を
持つ軍の最高司令官だったのだから、これを訴追しないほうがおかしい。
逆に処刑された多くは気の毒は気の毒だな。

12 :木戸幸一:2005/07/15(金) 09:59:57
「いやだって、万が一皇族内閣で開戦し予期せざる結果を得ない時、
皇室が国民全体の怨府となるじゃねえか。東条、おまえなら出来るだろ?」
「はい」(昭和16年東条内閣奏上時)

「なにーっ、近衛が逮捕を恐れて自決した?ちっ、臆病ものめ。
ま、いいか、近衛なら手前の身可愛さにお上に罪を被せる所だからな。
東条、おまえなら出来るだろ?お前のところで罪(のボトムアップを)
停められるだろ?」
「はい」(昭和20年、巣鴨にて)


13 :日本@名無史さん:2005/07/15(金) 10:50:56
石原カンジの大アジア主義が日本を滅ぼした

今も大アジア主義を夢見る政治家財界人がいる

14 :日本@名無史さん:2005/07/15(金) 19:15:50
日華事変拡大を全力で食い止めようとした石原莞爾が>>11のように評価されたんでは浮かばれないな。
石原莞爾は頭は良かったし作戦面のセンスもあったんだがな。
宗教的信念で国家戦略を語るのはナンセンスだったな。

本当は永田鉄山が生きていれば石原も東條も使いこなして日米避戦も可能だったかもな。

15 :日本@名無史さん:2005/07/15(金) 19:50:59
>>14

>>11みたいな無知偏見の輩の発言はそもそも真っ当な「評価」じゃないし
当然無視して良いけれど、
しかしそれでも、やはり一般に石原タンの評価が低杉だとは思う

16 :日本@名無史さん:2005/07/15(金) 23:20:20
大アジア主義って彼の大アジア主義じたいはそうとうしっかりしたものだと思うけど・・。岸信介などの無能な輩とは別格だよ。


17 :日本@名無史さん:2005/07/15(金) 23:28:45
日蓮宗バカ

18 :日本@名無史さん:2005/07/16(土) 03:48:17
「私と東条は意見が対立したことなど一度もない、
対立とは等しいレベルにある者同士がすることであって
私とあの馬鹿の東条が等しいレベルなどとんでもない」
という意味の発言を終戦後の裁判でしたっつーのは本当ですか。

19 :日本@名無史さん:2005/07/16(土) 05:32:55
>18
自分の意見のない人間と意見の対立をすることは不可能だ。だっけ?


あと戦犯はペリーだって言ったようなw

20 :日本@名無史さん:2005/07/16(土) 05:41:06
戦犯一号はトルーマン。
ペリー呼んで来い。
ヒットラー捕まえて顧問に雇え。

これのソースきぼんぬ。

21 :日本@名無史さん:2005/07/16(土) 08:16:46
>>18>>19>>20
「ペルリを墓から掘り起こしてつれて来い。あいつこそが大東亜戦争の元凶だ。
次なる第一級の戦争犯罪人は原爆投下を指令したトルーマンだ。」
これは、入院中の石原に東京裁判の証人として臨床尋問を受ける際、検事団が
「日清日露まで遡って裁く」と言われた時のタンカ。

「東条には思想もなければ意見もない。そんな間に思想や意見の対立があるわけない。愚問だ」
は、酒田で出張尋問を受けた際、検察官が
「あなたは東条と意見が合わなかったということだが」との質問に対する返事。

22 :日本@名無史さん:2005/07/16(土) 08:57:55
武藤にやりこめられてんじゃねーよ

23 :日本@名無史さん:2005/07/16(土) 10:57:06
戦争史大観かなんかの最後のページにその対談はあったね。五十年くらい前の本に書いてあった。まさに石原の言い分が正しいわな。

24 :日本@名無史さん:2005/07/17(日) 02:38:40
>>21
上段の坂田裁判の談話は、「東亜の父 石原莞爾」(高木清寿 錦文書院)の作者の
作り話という話もあるよ。

http://www.geocities.jp/dainipponjyuku/01-bangai2.html

25 :日本@名無史さん:2005/07/17(日) 05:46:26
学生の頃チンポを写生して提出した話しは本当か?

26 :日本@名無史さん:2005/07/23(土) 01:37:30
なんか日本史の参考書に東京裁判でのやりとり書いてたぞ
その本には結構石原莞爾を良い風に書いてたな

27 :日本@名無史さん:2005/07/23(土) 04:43:37
>26
石原を持ち上げといて東条を悪者にしたいんじゃないのか?石原は電波っぽいのにな。

28 :21:2005/07/23(土) 10:01:30
>>24
わしのはソースってほどのもんじゃないが、
三根生久大とかいう人の「ドキュメント東京裁判」という本からのもの。
そこではペルリ発言は酒田ではなく、飯田橋の逓信病院に入院中、臨床尋問を受けた際、と書いてある。
真相を知りたいとこだが、いかに痛快であっても石原のド悪人がひっくり返るもんじゃあないわな。
あと、満州事変や満鉄爆破をすっ呆けるのは当たり前では?
そもそも謀略だし、それ以上に統帥権干犯の大犯罪やってんだもん。自慢なんかできるわけがない。
が、人のせいにするあたり結構ケツの穴小せえな。



29 :日本@名無史さん:2005/07/25(月) 08:21:44
>>27
つうより東京裁判がめちゃくちゃだったと行いたかったみたいだな
アメリカの判事が「東条」と言う答えを期待しての「平和の一番の悪は誰ですか?」質問に「トルーマンだ」と答えてアメリカの判事はやりこめられたっぽく書いてるし
ちなみにインドのパル検事の事も凄い誉めてたしな

30 :日本@名無史さん:2005/07/25(月) 14:34:18
>>25
げっ

31 :日本@名無史さん:2005/07/25(月) 16:15:57
ところで

いしはら
いしわら

どっち?
俺は「いしわら」説を取りたいが

32 :日本@名無史さん:2005/07/25(月) 17:08:24
東久邇宮が首相になった時、宮は石原を内閣顧問に任命するつもりで使者を派遣した
だが、石原は持病の膀胱肉腫が悪化してそれどころではなく辞退してそのまま逓信病院に入院

33 :日本@名無史さん:2005/07/25(月) 20:53:23
貴様ら最終戦争論と戦争史大観は読んだ?
石原の思想は今アメリカが地でやってる事そのものだ。
石原を電波扱いしてる奴は世間の評判などに惑わされず著作を読んでみろ。
不世出の戦略家なのがわかるから。

>>4
それは同じ苗字の某アイドルだろ。

34 :日本@名無史さん:2005/07/26(火) 19:36:52
大学の図書館で戦争史大観・世界最終戦争論読んだよ。稀な人だね。

35 :日本@名無史さん:2005/07/27(水) 17:45:53
日蓮の予言とか出てくるとなあ…

36 :日本@名無史さん:2005/08/06(土) 00:24:08
東条→岩手
石原→山形

( ´,_ゝ`)プッ

37 :日本@名無史さん:2005/08/06(土) 00:51:25
>36は薩長

38 :日本@名無史さん:2005/08/06(土) 00:54:17
全てはあの松岡先生の賜物です。


39 :日本@名無史さん:2005/08/06(土) 13:17:03
東条英機自身は東京生まれ、と岩手のみならず東北全県必死に言い張っている。
仙台にある伊達正宗館にも石原や小磯の人形はあっても東条のはなかったよ。

40 :日本@名無史さん:2005/08/07(日) 08:02:49
石原莞爾は天才だ。偉い!しかし昭和天皇には不可解でよく分からない
人物と思われたらしいがね。

41 :日本@名無史さん:2005/08/07(日) 11:03:43
>>40
雑魚に巨鯨が理解できる訳ないだろうw

石原が失脚していなければ今頃日本は米帝と世界最終戦争を争ってたw

42 :日本@名無史さん:2005/08/07(日) 11:20:14
>>41お前は雑魚以外だがな。(^○^)

43 :日本@名無史さん:2005/08/07(日) 11:27:10
>>42
当然私は「雑魚以外」だが?w
巨鯨の考えは巨鯨にしか解らんw
今からでも遅くない、石原莞爾と石橋湛山を学べw
雑魚は雑魚なりに学ぶところがあろうw
それが夏休みの自由研究の課題だw
高校受験の勉強よりは余程将来の役に立つw

44 :42:2005/08/07(日) 11:28:02
以外…×以下…〇

45 :日本@名無史さん:2005/08/07(日) 12:02:27
43の石原石橋観は誤認でしょう。

46 :日本@名無史さん:2005/08/07(日) 12:39:45
>>39
東北の貧乏と差別が体現されていたような男だな、石原は。

47 :日本@名無史さん:2005/08/07(日) 15:04:32
>41
アメリカに勝てる訳ないだろw石原は日本の国力わかってたのか?

48 :日本@名無史さん:2005/08/07(日) 15:40:11
日本単独の力で勝てないのは充分にわかっていたでしょうね

49 :日本@名無史さん:2005/08/07(日) 16:34:27
>>40
満州事変はよろしくないけど、2・26の時の終始一貫した態度は評価、しかし結局良くわからん人物やね、とか述懐した云々ってのをどっかで読んだなあ。
しかし、天皇の上に日蓮さん置いて、統帥権なんか歯牙にもかけなかった不忠者って気づかないのはアホ。

50 :日本@名無史さん:2005/08/07(日) 16:55:54
石原に限らず全国的に明治期、軍学校を目指したのは廃藩置県で俸禄を失った祖父、父らが
下級官吏や勤め人になったため金銭的に上級学校に進めない連中の子弟が多い
石原もその例に漏れず庄内藩士の祖父、山形県の警察官をしていた父の下で育った

51 :日本@名無史さん:2005/08/07(日) 17:05:14
>>47-48
石原の構想では、アジアを侵略して日本がアジアの盟主になった後、対米戦争をやるってんだろ
だから対米戦争は早すぎた、と
都合のいい構想だよな

52 :日本@名無史さん:2005/08/07(日) 18:05:59
>51
軍人のくせにご都合主義なんだな。
日本がアジアの盟主になるまで他の国が待ってくれるとでも思っていたのかな?石原は宗教電波だな。そんな男に意見がないなんて言われた東条が少し哀れだ。

53 :日本@名無史さん:2005/08/07(日) 19:47:44
田中智学国柱会というのはまだあるらしいね。
石原の最終戦論とやらは、それに色つけたようなもんなんじゃないのかい?

東亜連盟ってのはきれいさっぱりなくなってるんですか?

54 :日本@名無史さん:2005/08/08(月) 02:37:25
模試で出たな

55 :日本@名無史さん:2005/08/09(火) 00:55:24
大川周明も山形だね。

56 :日本@名無史さん:2005/08/09(火) 13:51:34
>>53
あの極真空手の創始者の大山倍達が石原の弟子で東亜連盟の会員だったことは、あまり知られていない。
石原は、朝鮮独立を主張してたから、朝鮮独立運動の青年が多数石原信者だった。

57 :日本@名無史さん:2005/08/09(火) 16:47:43
状況分析と予測では近衛のが上

58 :日本@名無史さん:2005/08/09(火) 17:03:31
何で石原は終戦直後に自決せずに天寿を全うしたの?

自分の仕出かした結果を考えればとても生きていられないと思うんだけど。

59 :日本@名無史さん:2005/08/09(火) 18:47:35
小さい頃、お盆になると山形県庄内のじいちゃんの家に遊びに行ったんだが、海岸の松林の奥深く、盛り土に太い棒が刺さった謎の古墳があったんだよ。じいちゃんが言うには偉い軍人の墓だと言ってたんだが、今思えばあれが石原完爾の墓だったみたい。
今はどうかわからんが、かなり粗末な墓だったよ。
ちなみにじいちゃんは3年前に…
(´・ω・`)ショボーン

60 :日本@名無史さん:2005/08/09(火) 18:51:09
ああ、太い棒じゃなく竹筒ね。通気口。
ガンで余命幾ばくもないと悟った莞爾が鈴を持って自ら埋めてくれって
頼んだ墓だよ。それ。

61 :日本@名無史さん:2005/08/09(火) 18:58:29
日中戦争拡大後は
石原の理想だけが一人歩きした感じだな
石原がご都合主義だったのは同意
自分が陸軍中枢から忌避されることを想定してなかったのかな
でも石原が東條よりも世渡りがうまけりゃ、
日本史もどうなってたか分からんなぁ・・・

62 :日本@名無史さん:2005/08/09(火) 19:00:40
死に様まで変わり者だな〜…彼らしいよ。

63 :日本@名無史さん:2005/08/09(火) 22:42:54
変人だけど鬼才であることは認める。
宗教に毒されてはいたものの、直面する時局に対する状況判断は適切だった。
ただ天才の常として、凡才の気持ちを理解できなかったんだろうな。

64 :日本@名無史さん:2005/08/09(火) 23:20:09
>>56
それは石原の出自にも関係大だな。
>>59
くだらん堤家の墓地よりかはナンボかましだな。


65 :日本@名無史さん:2005/08/10(水) 00:16:33
イーゼス艦がタイm・・・・

66 :日本@名無史さん:2005/08/10(水) 01:07:34
>>61
問題だったのは奴は官僚向きの人間では無かった事。
政治家に向いている人間。
何でこいつが板垣なんかの下で満州事変なんか起こしたもんだろうかねェ。

もし50年生まれるのが早かったら大いに活躍出来ただろうが
この時期の日本の軍部は優秀な人材(書生肌)を尊重しテゲの信念で命令を出せる指揮官など皆無だった。
東条見ても分かるが陰湿な官僚主義が蔓延り国民軽視の差別主義がまかり通っていた。
だから馬鹿ばかりが突出したという訳。

石原もなまじ宗教ががってる分理想論に振り切られ総帥大権破った後の風景までは見通せなかった訳だ。
ただ奴のやった満州事変が余りにエクセレントな快挙だったから当時の軍部、財界、知識人も含めてみんな奴の尻馬に乗った。

みんなが乗った所で自分が御用済みにされる事も見通せなかったけどな。その後の陸軍の暴走も。
東条ぐらい暗殺してなお自分の地位も保持して天皇を操れるぐらいの悪徳持ってたらまた違ったんだろうけど。
こいつが首相に成って陸軍仕切れたら多分太平洋戦争は無かった。
まあ、それには陸軍内部に謀略仕掛けてかなりの人数粛清する必要が有っただろうけどね。

しかしこいつはあくまで理想論に終始した。なんでかと言えば根が書生肌で日蓮宗の熱狂的な信者だったから。
これが当時の同僚からも軽く見られた決定的な原因。
予備役に落とされた後も結局内部工作らしき事はしてなかったみたいだし。
ともかく戦後色々自己反省してるが遅いってのよ。
奴が自分の子飼い集めて戦時中にクーデターでも何でも起こせばまた歴史的評価も違ったんだけどな。



67 :日本@名無史さん:2005/08/10(水) 02:39:46
武藤章に「私は閣下のやったことを引き継いだだけです」と論破されたのが痛いよなあ…。
あれさえなければ。

68 :日本@名無史さん:2005/08/10(水) 08:03:47
>>67
それで絶句してるようじゃ話にならんよな。
満州との違いすら言えないんだもんな。
俺とお前じゃ格が違うだろ、くらいの毒は吐けよって。
>>58
腹斬る気あるなら事変直後に斬るだろ。
一応辞表を書いたらしいが(真相は知らん、そういうもん軍人は制度上書けないんだっけ?)、スター扱いされて舞い上がってたんだろう。


69 :日本@名無史さん:2005/08/10(水) 13:12:25
晩年に憲法9条を何が何でも守りぬけ、みたいなこと言ってるけど、
その真意は?
まぁ、もう隠居しちゃったし、あんな時代に言ってることだから、
深い意味はないのかもしれんが

70 :日本@名無史さん:2005/08/10(水) 18:23:14
国連軍にまかせる事で世界平和が実現すると考えていたんだろう

71 :日本@名無史さん:2005/08/10(水) 19:27:03
ほんとうはあそこから
米ソの対決があって国連軍は機能しなくなるんだがね

72 :日本@名無史さん:2005/08/10(水) 22:30:10
>>53
東亜連盟の事務局長をしてたのは、同じ山形県の米沢市出身の木村武雄代議士。
この木村代議士は、戦後も自民党の代議士として活躍した。
特に、ポスト佐藤の田中角栄と福田赳夫の自民党総裁戦で、事実上の田中派を作って、福田を破った功績は木村の功績だ。
木村は、田中に石原莞爾と石原の尊敬する河合継之介をダブらせたと述懐してる。
田中は、石原と河合を尊敬してたので「買いかぶり過ぎだ」と苦笑いしてたそうだ。
木村が、田中派作りに協力する条件として「日中国交回復」を要求した。田中は、これを快諾して歴史的な外交となったわけだ。
日本と中国が同盟を結んでアジア諸国と連携してソ連とアメリカに対抗する「大アジア戦略」は、石原の東亜連盟を作った意義だった。
石原は、国民党政府だけでなく、中国共産党とも協力を考えていた。
東亜連盟がなかったら、田中角栄の偉業もなかっただろう。
自民党総裁選以来の角福戦争の恨みを福田赳夫の秘書時代からもっている小泉が、角栄の娘の支持で総理大臣になり、角栄の作った特定郵便局長会をぶっ壊そうとしてるのは皮肉な事だね。

73 :日本@名無史さん:2005/08/11(木) 08:00:33
田中政治を崩壊させたのは小沢の分裂からと言うべきだよ。
北一輝は田中と同じく新潟出身でやはり改造論を提唱した。
継承して破綻させたのはやはり小沢同様岩手が故郷の東条だったな。

どちらも頑固で融通が効かない。大川と石原は山形だが外国のこつばっかり言っているよな。
足下が甘いと言うことだろうな。発狂と平和主義がその末路ではいただけないな。
外交は所詮は内政の延長だよ。
外交政策に関しても基本的な認識が少し変だな。
キッシンジャー訪中1971年7月9日。ニクソン訪中発表1971年7月15日。
中国国連加盟1971年10月。翌年2月ニクソン訪中。

日中国交回復1972年9月、友好条約1978年8月。

当時の角栄は寧ろ過剰な親米とさえ言われていたんだよ。
ベトナム撤兵のためのお膳立ての一つが日本の親米的な対中国外交だろ。
その結果が沖縄返還と日中友好なんだよ。列島改造論のベースは対米輸出に基づく
経済成長による潤沢な税収と預貯金、そしてその投資先としての土木政治だったはずだ。

確か角栄のピーナッツ事件の最初のリークは外国人記者クラブでのタス通信だろ?
違ったかな?

74 :日本@名無史さん:2005/08/11(木) 10:12:54
>>73
>どちらも頑固で融通が効かない。大川と石原は山形だが外国のこつばっかり言っているよな。

それが、庄内人の特徴。同じ山形県でも内陸(山形市のある村山地方)との大きな違い。
私の父親が、社会教育の仕事をしてるときに、庄内と内陸の青年との対談を企画したとき感じたそうだ。
庄内の青年は、国際的な農業のあり方を延々話をした。内陸の青年は、ローンでトラクター買ったが、その投資と利益はどうなるかという現実的な話しかしなかった。
全く、議論が合わなかったそうだ。
まあ、石原莞爾と清河八郎は、庄内人の典型みたいな人だね

75 :日本@名無史さん:2005/08/11(木) 10:24:03
>角栄のピーナッツ事件の最初のリーク

上院だか下院の多国籍企業調査委員会への謎の郵便物の配送(実質的な密告)
からだよ

76 :日本@名無史さん:2005/08/11(木) 12:16:52
>>67
ようするに油っ気が足りなかったんだよ。
奴の行動や言動とか見てもそれは明らか。

また奴を担いでも良いって言う度量の広い人間が居なかった事。
また明治以来急造してきた官僚主義が行く手を阻んだ。

とは言うがそれも自分のしようとする目的に執着が有れば幾らでも手段は有ったはず。
石原は東条が自分の上司に居た頃からその無能ぶりを公然と蔑んでた様だが
本当の策士ならそんな事はしない。

だから油っ気が足りなかったという訳。


77 :日本@名無史さん:2005/08/11(木) 12:22:54
福田和也の地ひらく読んでるけど、
石原の伝記でおすすめのあったら教えてください

78 :日本@名無史さん:2005/08/11(木) 12:27:48
追記だけど本当の現実家や策士ってのは無用に敵は作らない。
自分が不利の状況ではその相手を殺す寸前まで相手の靴裏舐めてでも御機嫌を取り
いざ事成れりと見れば一気に取り除く。それが本当の策士。

織田信長がその良い例だ。
武田家に対する忍従外交やその後の長篠合戦はどうだ?
本当の現実家ってのはそう言う奴の事を言う。




79 :日本@名無史さん:2005/08/11(木) 12:33:27
わかるが、出来れば同時代の策士や保身栄達の達人出せよ。
杉山とか永野修身とか

80 :日本@名無史さん:2005/08/11(木) 13:01:48
>>79
違うよ。
俺が言ってるのは姑息な官僚主義の中で栄達した人間の事を言ってるんじゃ無い。
永野修身?奴の何処が策士なんだよ?何が策士なの?

俺が言う策士とは例えば勝海舟の様な改革とゆう目的の為には手段を選ばない傑物の事を言っている。
一方で幕府の担う重臣で有りながらもう1方では坂本竜馬を使い薩長同盟などを結ばせ幕府を追い込んだ。
手段を選ばないって事は固有の思想に固執する事無く自由な発想の元に事を成せる人間。
またそれが現実に具現化体現化出来る人間の事を言ってる。

俺は勝のこうゆう思考の根底には陽明学が大きく影響していると思う。
勝の師匠の佐久間象山は有名な陽明学徒だった。

81 :日本@名無史さん:2005/08/11(木) 13:27:32
上の追記。
但し陽明学は影響を受ける側にそれなりの器や素養を要求する学問でも有る。
それなりの器無く素養無い者が多大な影響を受ければ自身の身の破滅に繋がる。
江戸期の大塩平八郎や戦前の北一輝及びそれに影響され226起こした連中などがそれだ。

皮肉にも石原は北を抹殺する側に居たが 奴がもしもっと以前に陽明学を学び北に影響を受けていれば
荒唐無稽だった皇道派をもっと現実的な集団に作り変え統制派に対抗する大きなうねりを作れたかも知れんな。


82 :フーテンの虎:2005/08/11(木) 13:49:55
どちらも社会主義者だったからには無理ってものだな。
同時に観念論哲学の影響大ってとこ忘れちゃあかんよ大将。

さて、陽明学と観念論が合体するとどうなるか?やっぱ大東亜観念論の妄想しか
ねーんだな、これが。その本音は貧乏人への同「情」だったろうけどな。
心即理?知行合一?そのばあい人間は必ず理性より感情で動きまつ。

海の向こうには夢がある、、、、か。ほっといたらソ連貫通してドイツまで打通なんてね?
あーあやっぱ日本は浪花節だよ、おとうちゃん。


83 :日本@名無史さん:2005/08/11(木) 14:32:49
>>82
>>82
だからそれは素養や器の無い奴が陽明学に傾倒すればそうなる。
しかし勝海舟や俺の考える所、織田信長なども自身では学んで無いにしても
知行合一を体現した1人だ。

石原にそれだけの素養や器が有ったかどうか知らんが東亜連盟構想など実は
勝海舟が晩年に提唱したアジア3国連合構想に良く似ている。
奴の最終的な東亜とは現在のEUの様な日本を中心とした民主連合国家だった。
石原を取り除いた後で関東軍が始めた植民地化を前提とした国家では無かった。
これは日清戦争に最期まで反対していた勝も同じ考えを持っていた。

俺はこの東亜論自体が間違っているとは思わない。
問題だったのはそのやり方と手順などが現実に即したモンだったか?
と言う事。

石原は最終的な敵をアメリカとしたがそれだけにアメリカの持つ強大な国力も熟知していた。
だからいまアメリカと事を構えるのは愚の愚策だと思ってた訳だ。
但し石原の誤算はこの時期に統帥大権を破る事の危うさを軽視した事と
アメリカを取り込まない形での他国侵略だった事。また攻め込む先を中国にした事もかなり失敗だと思う。

思うがこれがもし日独伊同盟以前、事前にアメリカと通牒し、確実な外交担保を取り付けてやり始めた事だったら全然話は違っていたはず。
英、仏、ロをけん制する有効な手段とアメリカが見たかも知れないのにな。

相手が強大で有れば有るほど余計に恐れなければ成らないはずなのに石原はそれを軽視した。
だから失敗したんだよ。







84 :日本@名無史さん:2005/08/11(木) 14:55:06

>>83
うえ間違い、
日独伊同盟以前=日独防共協定以前
チト前後してるがこの満州事変以降日本は急速にドイツと接近して行く。
これも大きな間違い。まあ、石原は反対してたけどね。
当時連合国側と組もうとしてた海軍が主導権取れば満州建国後も
多分日本はあれほど孤立した状態には陥らなかったと思う。




85 :日本@名無史さん:2005/08/11(木) 15:05:13
漏れは日本の地方の貧乏をアジアに向けて同情しただけだと思うけどね。
勝の時代にはまだ深刻ではなかったものだ。

チミも外国のコツしか語っとらんな。近代日本の貧困を外国で救うには
アジア植民しかなかったろうな。急激な近代化は急激な人口増をうみ、
その対処ができんかったんだよ。戦前に社会主義思想が歓迎された理由もここにある。
海外で問題解決しようとすればいずれは欧米とは衝突したよ。
これは植民地化だろうが独立国家化だろうが併合だろうが関係ない。
戦略的には非合理な南下政策の本音がここにある。シベリアじゃ食えんだろ。
プランテーション労働さえない。南下が好きなのはなにもロシアだけでもない。
欧州の植民地は全て南下だよ。

この解決先として日本人が一番上手くやっていたのは実は米国でだ。
典型はハワイや西海岸や南米。これが頓挫した時点で中国南方進出しかない。
維新初期に遡るのなら征韓論だ、問題は。しかし当時既にハワイ移民は始っていた。

外国にはどうしても夢の国があると思うんだろうな−。多分島国の貧乏人の宿命だよ。
ただこれを批判するのは簡単なんだが、解決は難しい。
今の地方の地価と都市部のそれを比較して味噌。
面白いほど戦前の右翼や軍部の強硬派の出身地と下落率が未だに止まらない土地が一致している。

漏れは少しづつでは有るが現代は地方の反乱の要素が堆積しつつあると解釈している。
多分古墳時代以来の日本の課題だよ。
田中角栄の改造論もここいらを意識したものだろうが、経済成長の鈍化と共に終焉だな。
今の改革とやらの最大の敵は地方の不景気だろうな。都市部はお気楽なものだww

局所的な戦術論や戦略論よりも歴史の大局を見よ。

86 :日本@名無史さん:2005/08/11(木) 15:24:30
深刻まで読んだ。そのまえ2〜3レスは読んでない。今は反省している

87 :日本@名無史さん:2005/08/11(木) 15:31:15
このスレは面白いな。勉強になるよ。

88 :日本@名無史さん:2005/08/11(木) 15:44:17
>>85
だから俺は最初から南下で良かったと思うよ。
但し上で書いた通りドイツと接近する以前にアメリカと利権分配の下約束取り付けてから攻め込む。
ツウのが条件だけどね。

当時アメリカは東南アジアの間接的な植民地支配を目論んでいた。
フィリピンではかなり強引なやり方植民地化したりしてたがかなり焦っていた面も有る。
なぜならアメリカでは間接統治のやり方でしか米議会が認めない風潮が強くて
米軍部の進める直接統治には否定的な政治家が多かったから。

だから日本が米軍に変わりその役割を果し攻め取った領土を
アメリカとの民主化を前提とした利権分配統治も可能だったはず。
現に当時海軍はこの案に似た稟議書を政府に提出したはずだよ。

ともかく日本の失敗は
満州事変後 北進がなし崩しに進行して陸軍の権益が異常に大きく成ってしまった事。
同盟国にイタリア、ドイツを選んだ事。
そしてアメリカとの関係を悪化させ宣戦布告に至った事。
この3点だ。逆にこの3点をクリア出来た形の東亜構想ならばokだった訳だよ。


89 :日本@名無史さん:2005/08/11(木) 15:56:27
南進が=アメリカを敵とすると考えてる奴多いけど
この満州事変辺りの状況はそうでも無いんだよ。

この頃にアメリカの権益を考えた上で日本が東南アジアの侵攻作戦立ててれば
多分1、2年でオランダ、イギリス、フランスの植民地を全部奪えた。
当時の日本がやった様にね。
太平洋戦争との違いはアメリカと敵対してないから
石油も止まらず兵站もまったく心配ない。武器弾薬すらもアメリカから調達出来たかもね。
攻め取った後は下約束したアメリカに独立と民主化の為の仲介を頼む
無論利権権益の分配は攻め取る前に外交で秘密文書を取り交わし済ませておく。
と、いう案。



90 :日本@名無史さん:2005/08/11(木) 18:14:47
>>77
伝記ではないが、文化人類学者の山口昌男の「挫折の昭和史」(岩波書店)がお勧めだな。
石原莞爾が一軍人の立場を超えた昭和最大の知識人のひとりだというのが良くわかる。
最近出た岩波現代文庫版の解説は、福田和也が書いている。
それから、石原は、岩波書店創業者の岩波茂雄とも交友があった。右翼の児玉誉士夫から左翼の浅原健三と交友のあった石原らしい。
岩波は、陸軍最大の軍政家で統制派のドンの永田鉄山と竹馬の友である。石原の理解者であった永田との繋がりのようだ。
「岩波新書」の創刊は、石原莞爾が岩波に提案して実現したそうだ。
永田は、東條と石原に目をかけたが、東條が出世したのは、昭和天皇に信頼されたからだ。逆に石原莞爾は満州事変の謀略家として天皇に嫌われていた。
しかし、面白い事に、昭和天皇の弟宮の秩父宮、高松宮、三笠宮は石原を重用して、折にふれて意見を求めた。

91 :日本@名無史さん:2005/08/11(木) 19:15:54
>しかし、面白い事に、昭和天皇の弟宮の秩父宮、高松宮、三笠宮は石原を重用して、折にふれて意見を求めた。

これは知らなかった。
面白いな。例の「無責任な皇族が」って発言はこの辺のこともあるんだろうな。

92 :日本@名無史さん:2005/08/12(金) 12:06:06
>>89
南進論はアメリカに石油止められたからだろ。
石油あるのになんで南進すんだ?

93 :日本@名無史さん:2005/08/12(金) 15:39:13
>>92
日露以後アメリカが始めたオレンジ計画って知ってるかい?

アメリカは日露以後から日本がアメリカに対して大規模な戦争を仕掛ける事をもうこの頃に想定し
それに元付き対日外交をどう進めるか?また日本軍のどう封じ込めるかなどの作戦シュミレーションが行われていた。
これには太平洋戦争時に実際日本がやられた本土の大規模空爆や徹底的な海上封鎖による補給路の遮断など
もう太平洋戦争の40年も前に策定されていたんだよ。
つまりこの頃からアメリカは地政学的見地で国家戦略を見出した結果、日本が最終的にアメリカとの戦争に成ると結論付けた。

極端な話、あんな手(満州事変)で中国に手を出せば自らその術中へ入って行くに等しい。
国際的非難が集まるのは必至だしアメリカも日本を追い込んで行く格好の口実出来る。
スティムソン・ドクトリンなどで現にそうなったけどな。

この計画の全容を見抜けとは言わないがアメリカが打って来る対日外交の中で
少しは感じ取れる官僚やら政治家が居なかったのかと俺は思う。
少しでも感じ取れたならアメリカの外交担保無しで満州へ攻め込むなどと言う事はしなかったろう。

またこの頃より少し前からアメリカは人権保護とそれに伴う国家主権、植民地支配の否定などを議会で明確に打ち出している。
孤立主義の時代はもはや過ぎ去り 以後アメリカは積極的に国際外交へ干渉していく。

無論多分に横暴で勝手な言い草だと言うのは判る
しかし俺が言いたいのは今も昔も圧倒的な国力を持ち得る国家が法律であり正義なんだよ。
そうゆうポリティクスバランスを無視した行動に出たのが当時の日本だ 勝算も無いのにな。

だから俺はアメリカの国益を見越した対東南アジア戦略が必要だと言ったんだ。






94 :日本@名無史さん:2005/08/12(金) 16:44:38
上の補足だが
石原は最終戦争論などでアメリカとの戦争を予期していたが
予期した後の対応が非常に不味かったという事。
石油の問題1つ取って見ても日本がアメリカと事を構える事が出来ないのは明白なのに
満州事変でパリ条約をあっけなく破った。これでアメリカや世界が黙ってるとでも思ったのかな。

無論日本の言い分は「向こうが仕掛けたから自衛の為に軍事行動に出ただけ」だったがそれが国際的に通ると思ってたのかな?
また石原は満州とせいぜい沿岸部辺りを取って国際外交的には上手く韜晦しようという腹だった様だが
関東軍の親玉の板垣その他はそんな事は毛程も思って無かった。ツウより自分の権益を伸ばす為ならば
自国を亡国へ追い込んでも構わないとゆう東条と同じ官僚主義にドップリと漬かり切った連中だった。

それはその後石原を抜かした関東軍幹部連中の出世ブリと行動を見ても良く分かる。
ここら辺も甘すぎるとしか言い様が無い。

ただ満州事変もアメリカ軍部筋の了承を取り付け以前欲しがってた南満鉄の鉄道利権などを分配する下約束が有れば
あそこまで強硬な態度に出たかは分からない。

ただどうせ攻めるなら英仏の植民地が絡む中国大陸より
石油やゴムの有るオランダ領のインドネシアなどの方が日本にとって何倍も国益があるはずだ。
特にスマトラ島は石油、天然ゴムなどの資源が豊富でアメリカが最も欲しがっていた島の1つ
こういう外交的な動きを先回りして読める政治家官僚が居なかったのか?
ツウ事だよ。



95 :日本@名無史さん:2005/08/12(金) 18:21:35
>>93
そんな、仮想的に敵だと考えて、対策を練るのはどこの国でもやっていることだろ。
つーか、それをやらない国ってのは無策、無謀ってもんだと思うが?

それを否定するっていったい…何を読んだんだ?

96 :日本@名無史さん:2005/08/12(金) 21:14:11
>>95
ちゃうでしょ。
敵を知り己を知る事が出来て初めてこうゆう計画は現実味を帯びてくる。
敵を知らず己の力量も考えず無謀な作戦を立てるぐらいなら無策の方が余程マシだ。

当時の日本はどれだけ地政学的見地から世界を見渡せていたんだ?
また日本の対米政策って何よ?




97 :日本@名無史さん:2005/08/12(金) 22:37:52
>>石原の戦略を批判する方
とりあえずサイパン島が陥落しなければ日本に大規模な爆撃はなかったですし、
一方的にアメリカにやられたというわけではないと思います。

石原が米軍に戦略を話したとき、アメリカ人も「あなたが指導者じゃなくてよかった」
とも話していますし。

>>57さん
近衛公爵は松岡洋右に何も言わなかったから駄目でしょう。まぁ重臣工作は
かなり頑張っていたようですが。
>>90さん
皇道派は昭和天皇に嫌われいたのは確かですが、東条のことを信頼していたのは
木戸内府ではないでしょうか?

98 :日本@名無史さん:2005/08/13(土) 00:19:30
無能極まりない東條上等兵の戦略と石原閣下の戦略を比較するなんて失礼です。

99 :日本@名無史さん:2005/08/13(土) 00:50:33
>>93
そういう基本的な事は皆知ってると思うが、
それでも南進が必要な理由がいまいち説明出来とらんな。

100 :日本@名無史さん:2005/08/13(土) 01:02:15
>サイパン島
9月の御前会議以降もラバウルに船舶を集中してた
あの赤レンガが石原さんの言うこときくかなあ

101 :日本@名無史さん:2005/08/13(土) 11:50:49
>>98さん
そうですね。東条は終戦工作も対米戦略も何も出来ない人でしたからね。
憲兵の強化で思想家や重臣工作を邪魔しただけでしたしね。

>>100さん
軍令部は石原の言うことは絶対聞かなかったでしょうね。
東条は石原に助言を求めましたがね。

102 :日本@名無史さん:2005/08/13(土) 12:33:12
>>99
南進が必要だと言う理由は日本がアメリカを敵に回せば生きて行けないから。
敵に回せないという事はつまり嫌な相手だとしても仲良くする。
仲良くというのは国家外交的に言えば相互で利用しあうと言う事。
利用しあうと言う事はお互いの国力と国益を考え、その分量と分け前の比率を計算し
相互に議論し戦略を練るという事。
そう考えた上で俺は当時の海軍が出した親米路線を根底に置いた対東南アジア戦略(南進)が有効だと考えたんだよ。

大正時代まで日米は仲良くやってきた。だがなぜ昭和に成って日本は手を切らざろ得ない行動に出たんだ?
右傾の連中の言い分はアメリカが聞分けが無くて向こうから勝手に手を切っただけと言うが
それで日本は成り立ったのか?

そうゆう部分をこの満州事変と重ね合わせて考えずただ石原を英雄視するだけじゃ妄想の域を出ない議論に成る。
歴史のifは幾らでも有って良いと俺は思うがそれは根本的な所を決めずにやっても意味が無いだろう。
もし俺の言う南進が間違ってるというなら対論だせよ。



103 :日本@名無史さん:2005/08/13(土) 13:25:31
>>102大正時代にアメリカと日本が良好な関係?聞いた事ないぞ。あなた近代史に疎いね。想像で歴史を語りなさんな。

104 :日本@名無史さん:2005/08/13(土) 13:36:23
>>102アメリカと上手く行く方法が南進?無茶苦茶言うな。南部仏印進駐でアメリカがキレたのに。…だいたい親米派の軍人はアメリカを刺激するのを恐れ、南進をためらったのに、あなた理論破綻してるよ。ってか昭和史疎いのね。

105 :日本@名無史さん:2005/08/13(土) 13:52:30
★満州事変=まだまだ国際的にもsafe(表明的には反発あるが) ★支那事変=世界戦争に発展する可能性ありOUt って言う高い洞察力に裏打ちされた石原の戦略眼が理解出来ない人は、口つぐんだ方がいいんじゃないかな?

106 :日本@名無史さん:2005/08/13(土) 13:55:08
>>102
日本史疎いんだ。

107 :日本@名無史さん:2005/08/13(土) 14:46:25
>>102
あんたオレンジプランて知ってるか?w


108 :日本@名無史さん:2005/08/13(土) 15:00:37
>>105
天皇も長城を越えて北支に介入する危険を認識してたがな
石原じゃなくても常識だったのでは?

結局調子に乗った後任どもによりドツボに
石原もアホな後任どもを止められない程度


109 :日本@名無史さん:2005/08/13(土) 15:22:54
>>108
ツウか総帥権干犯すればあとはなし崩し的に事態が進行するってのを事変起こす前に石原は分からなかったのか?
拡大派を自分1人で止められるとでも?

110 :日本@名無史さん:2005/08/13(土) 17:31:48
大正時代の日米関係は移民問題絡みで最悪だろ
日米もし戦わば、みたいな仮想戦記が出版されたりしてた

111 :日本@名無史さん:2005/08/13(土) 17:39:49
>>103
大正末期は幣原外交で表面上アメリカとはしごく良い関係だった。
また第1次大戦の特需で日本の経済力は大きく飛躍した。
この頃兵器を作る為の原料輸入などで対米貿易が大きく増大した。
軍部が軍拡を言い出す昭和2年まではね。
アンタこそもう少し歴史勉強してくれよ。

イギリスもこの頃はアジアの盟主としてシベリア出兵を日本とアメリカに要請し
当時の首相の原敬は「アメリカの出兵が有れば日本も出兵する」とまで言ったんだぞ?
逸る軍部を抑えてそれぐらいにこの当時の日本政府はアメリカに気を使ってたんだよ。
それをこのシベリア出兵でまた軍部が前線で勝手な事ばかりしやがって国際的な地位が揺らいで来たんだよ。
この頃から後の関東軍に通ずる軍部の独断に近い行動が目立つ様に成った。

>>104
当たり前だろ?そんなの。
仏印進駐なんて独伊と3国軍事同盟してからの話じゃないか。
俺が言ってるのは満州事変が起きた30年代初めの事を言っている。
もうちょい時系列ぐらい頭に入れて喋ってくれよ。





112 :日本@名無史さん:2005/08/13(土) 17:48:27
>>111さんよ110氏の知識にみらないなよ。

113 :日本@名無史さん:2005/08/13(土) 18:00:48
>>110
それはごく1部の話でしかも戦後右傾が満州建国の良い口実に使うが事実はまったく違う。
元々排日移民法が出来る以前から明治末期の紳士協定で日本政府は自主的に米移民の数を減らしていた。
大体アメリカへの移民なんか大正末期頃で総数1万人弱しか居なかったし
年間の総移民数は平均600人前後しか居なかった。こんなのはこじつけ以外の何物でも無い。

ただ実害は無いがこの頃からアウタルキー論などにより世論が反米に傾き当時の新聞社が大袈裟に報道したため
世論が過剰反応したのは有るけどね。不当な人種差別だとかって話しだがそれはこの頃に始まった事では無く
元々建国以来アメリカってのは人種差別の国だよ。

ただ当時リベラルで鳴る新渡戸稲造でさえこの移民禁止条項に過剰反応して
日本を他のアジア諸国と同列に扱うとはって激高したらしいが。

もうちょいクールに分析出来る奴が居なかったのかなと俺は思う。





114 :日本@名無史さん:2005/08/13(土) 18:21:37
上の続き
ともかく西欧のやってた植民地支配に乗り遅れたのは日本もアメリカも同じなのだ。
違いはアメリカは多民族が合議しなければ物理的に纏まらないから民主主義が深く根付き
国内には豊富な国土と資源が有った事。

日本は建前上民主主義国の体裁取っていたが多分に封建的なファクターが抜け切らず
その抜け切らない所へ官僚主義が乗っかる形の国体に成った。
また、日本は米穀以外全ての諸資源を輸入しなければ成り立たない国。

だから世界恐慌後に暴発した訳だがこれは多分に国の為というより
軍事官僚の権益を伸ばす為に継続された私益戦争だよ。
引き金の引いた石原はともかくその後の連中は全部その1点でこの戦争を考えていた。
国益など二の次でね。これがアメリカ軍部との決定的な違い。

石原が後世に残る様な革命者ならそこまで読んだ上で事を起こすべきだった。
またそこまで読めて居たなら満州事変などは起こさなかったはず。



115 :日本@名無史さん:2005/08/13(土) 18:27:56
>>113
せっかく紳士協定でうまくやってたのに、日本人向けの排斥法なんか
作られたら関係悪化するだろ

116 :日本@名無史さん:2005/08/13(土) 18:50:06
>>115
事実を良く見ろよ。
移民禁止による実害は無かったんだよ。
問題だったのは日本がアジアにおいて唯一の近代国家で
それを他の東アジア諸国と同列に扱う事へ腹を立ててただけ。面子潰されたってね。
日本はそんな御大層な国か?

一番過剰反応したのが軍部だよ。それを口実に反米を唱え軍拡し満州事変起こした様なモンだ。
まったく。


117 :日本@名無史さん:2005/08/13(土) 19:32:12
ともかくアメリカは1918年に十四か条の平和原則を打ち出して以来民族自決の原則を打ち出し
植民地支配を前提とした侵略戦争を国際的に否定した。イギリス、フランスは無視したけどね。



118 :日本@名無史さん:2005/08/13(土) 22:12:01
この人上海事変にも関わってたの?
日本人のしかも日蓮宗の坊さん襲わせるのは
日蓮主義者的にOKなのか?

119 :日本@名無史さん:2005/08/13(土) 23:20:11
>>113
http://hawkeye.m78.com/442background.htm
20世紀の初頭には、ハワイの日本人移民は6万人を超え、1920年には10万人を超えた。
しかもその頃ハワイ経由で米本土に渡る者も増え、安い賃金で本土の白人労働者の仕事を奪う事態も
発生し始めた為、米国のヨーロッパ系白人はアジア人に対する人種偏見と相俟って、
1907年にハワイとフィリピンから米本土への出稼ぎを禁じるべく「移民法」の改正を行い、
日本人「移民」はハワイへの定着を始めることになる。手先の器用な日本人「移民」は農場労働で種銭
(たねせん)を貯めると、商工業を始める者も多く、すでにハワイ社会では不可欠な存在となっていた。
元々農園労働者としてハワイに来た独身男性は、写真見合い(工藤夕貴主演の米映画「Picture
Bride」に当時の移民の生活が描かれています)などで日本から嫁取りを行い、一家を構えて二世の為の
学校まで整備されるようになっていた。しかし、その後も本土へのアジア人の流入は続いたため、
業を煮やした米国政府は1917年の「移民法」で日本人とフィリピン人以外の「移民」を排除し、
1924年の「排日移民法」で1868年以来56年間に亘る日本人のハワイ「移民」は終わりを遂げることとなる。

少し正確に訂正させてもらう。米国がハワイを併合したのは日清戦争後の1898年(明治31年)。
因みに大戦時に収容所に収容された日系人12万人。満州の軍属軍人以外の移民30万人。
米国領への移民は決して小さな問題ではなかったよ。米国本土って意味かな?
KKK再興1915年、禁酒法1919年、1924年移民制限法、1925年進化論否定モンキー裁判、1927年サッコとバンゼッティ死刑、
1910-20年代(大正時代)は米国が最も保守化した時代だよ。
お互いにクールではなかったようだなww


120 :日本@名無史さん:2005/08/13(土) 23:45:31
http://www.pacificresorts.com/webkawaraban/nikkei/041007/
帝国臣民の帰化は非国民的行為】

当時の日系ハワイ移民家族
 しかし、日本側にも問題がありました。日本政府は日系移民の帰化を嫌っていたのです。
当時の日本人の移民意識は、出稼ぎであって帰化ということは念頭になかったこと、日本政府も日本人が
移民先の国籍を取得することは、帝国臣民から離脱する非国民的行為であるととらえていました。
これでは日系移民が移民先の国の市民権をとろうとしなかったのは当然でした。
何万人もの日系移民がいながら、ほとんどアメリカの市民権を取得しようとする者がいなかったことに
アメリカ市民からは警戒と不審の目が向けられるのもやむをえなかったことかもしれません。

ところが、1924年移民法改正では、日本政府は猛然とアメリカ政府に異を唱えたのです。そして、
埴原駐米大使が国務長官に対して脅迫するような書簡を送りつけるという外交政策上、大きな失態を演じ、
アメリカ全土に一層の反日感情をかき立てることとなったのです。この埴原駐米大使は、
1917年の移民法改正でも、日本人に対する移民制限は「中国人、インド人、及びその他の劣等なる有色人種と
同一の取扱いをするものだから、この法案は日本人に対する重大な侮辱である」と抗議しています。
第一次世界大戦中(1914年〜18年)のこととて、日本が連合国側に立っていたため、
アメリカに対しても強い態度に出られる状況にありましたが、同じアジアの諸国民を劣等扱いにするなど、
当時の日本の思い上がりを象徴するような態度でした。むしろ、日本政府はアジア諸国と連携して、
アメリカのアジア人蔑視をたしなめることこそが重要ではなかったかと悔やまれる対応でした。

 日本政府が1924年の移民法改正に強く抗議したのは、日系移民を慮ってのことというよりは、
日本国内における反米感情を煽る目的があったということができます。これに呼応するように、
日本ではアメリカに対する敵愾心が一挙に高まり、日米開戦を望む声さえ出てくるようになりました。
また、既に日本は台湾、朝鮮半島、そして満州における植民地化を進めるに従って、
日本の移民政策は南北アメリカから東アジアへと、その重点を移していました。

121 :日本@名無史さん:2005/08/13(土) 23:46:06
満州事変を柳条湖事件の自作自演だけを押し出して
侵略と非難し、敗戦への始まりとするのはおかしい
当時の満州は張学良の排日政策の真っ只中で
武装衝突が起こるのは必至だった
柳条湖事件は単なる合図にすぎず、
いずれあがる花火を自分たちで打ち上げてやったに過ぎない
侵略ではあるが戦略を持っていた満州事変と
その後の戦争を同様に解するのは
石原をはじめとした当時の関東軍に失礼だ
軍部は対ソ戦を念頭に置いた石原の戦略を尊重すべきだった
奇才を受け入れることができないように、
軍部の器量が狭かったことが、
敗戦の一番の原因か

122 :日本@名無史さん:2005/08/14(日) 00:08:14
(6)禁止期
 一九二四年にアメリカの移民法の改正によって成立したいわゆる「排日移民法」によって、日本からの移民は
全面的に禁止され、ハワイへの日本人移民も、これを機会に完全に停止された。しかし、この時期までに、
ハワイに渡った日本人は、二〇万人を超え、また、ハワイで誕生した日系人二世を加えて、ハワイにおける
日本人(日系人)人口は、戦前期で総人口の約四割を超えるまでに発展したのである。
 以来、日本からの移民の再開は、太平洋戦争終結後の一九四六年を待たねばならなかった。


昭和になると長田村では、フィリピンへ出稼ぎする人や台湾・朝鮮への移住、東南アジアで商業活動する人も
多くなった。昭和初期の東南アジア地域は、フィリピンはアメリカ、インドネシアはオランダ、ベトナム・ラオス・
カンボジアはフランス、シンガポールはイギリスというように、それぞれ欧米諸国の植民地になっていた。
白人に支配されていた東南アジアの人々には、日本海海戦で連合艦隊司令長官として、
ロシアのバルチック艦隊を撃破した東郷平八郎への崇敬の念は強かった。東南アジア地域で商業活動に
従事していた貿易商は、そのような現地の雰囲気を感じていたので、昭和8年に生まれた次男に東郷のように
なってほしいと願い平八郎と命名したのである。 http://www.suzugamine.ac.jp/kouhou/No34/imin.html

南下なんかしないほうがよかったんかなんか知らないけどね。
実際は米国出稼ぎの抜け道はあったろうがジリ貧になっただろ。


123 :日本@名無史さん:2005/08/14(日) 13:16:41
>>121
満州事変は確かに出発点ではあるが
無能&泥沼のはじまりは満州ではなく日華事変におくべきだな。

124 :日本@名無史さん:2005/08/14(日) 13:23:11
>>123その通り!

125 :日本@名無史さん:2005/08/14(日) 14:06:07
>>119
ハワイはアメリカの自治領でしょ?
この頃はアメリカの領土ではないよ。1959年に50番目の州として本国に組み入れられたが。

自治領とゆうのは近代に入り出来た言葉で本質的には本国支配下に置かれているが
形式上は独立国家の体裁を持った国家で実質的な植民地の事。経済植民地ともいうけどね。
これを米本土と同じ様に言うのがそもそもおかしい。

また日本の米領への移民のピークは明治末期〜大正末期まででアメリカとの紳士協定締結後はかなり移民数は減っていた。
ただ世界恐慌以後のスターリングブロックでまた国内的にそうゆう圧力が高まったのも確かだが
この頃の日本はアメリカと手を切るような真似をしなければ国内公共投資などで十分国内経済は回復出来たはず。

確かにABCD包囲網は存在した。しかしそれを単独の外征以外の方法で打破するのが
当時の日本が救われる唯一の道だった。
その相手国は当時の外交関係を考えてもアメリカ以外に無い。
しかも大正時代は稚拙な外交政策ながら幣原外交で上手くいっていたのだ
アメリカは体裁上孤立主義を取っていたのみでこの大正期は国益を海外干渉に求める比重がより大きく成っていた
それがウイルソンの出した十四か条の平和原則であり英仏の植民地支配を真っ向から否定した。
つまりこれは後の国際的な植民地解放運動の先駆けでも有る。

アメリカの了解の下に日本が東南アジアの植民地解放を掲げて侵攻しアメリカの外交担保の下に日本が自治領を分け合う事も出来たはず
つまり多面的な外交交渉の余地はまだ幾らでも有ったとは思わんかね?




126 :日本@名無史さん:2005/08/14(日) 14:18:44
>>123-124
同じ話何度も繰り返すなよ。
日華事変の原因作ったのはなんだ?
石原の総帥権干犯を当時の政府や知識人が見逃した上それに追従したのが始まりだろ。
その既成事実で陸軍の暴走が止まらなく成ったんだよ。

短絡的に物を言うなっての。

127 :日本@名無史さん:2005/08/14(日) 15:07:56
>>118
上海事変にも関わっている。
子分の田中隆吉(元陸軍省兵務局長で東京裁判で検察側証人となり、「日本のユダ」といわれてる)が仕組んだ。
石原莞爾が東京裁判で起訴されなかったのは、キーナン首席検事が起訴選定にあたって懐刀の田中のアドバイスを求めた。
田中は、「石原を起訴するのは勝手だが、石原は東京裁判を滅茶苦茶にする意図をもっている。彼は無類の論争上手だ。天皇が引っ張り出されても構わないか?」と忠告して結果、起訴されなかった。
その前に、キーナンの元に石原を取り調べた検事からの報告があって、容易ならぬ人物との情報を手に入れていたらしいが。

128 :日本@名無史さん:2005/08/14(日) 15:25:04
>>127
東京裁判の時点では石原が満州事変にかかわっていることを
 連合国側は知らなかったわけだが。


129 :日本@名無史さん:2005/08/14(日) 15:43:36
鈴木貞一は満州占領を目指す向けた研究グループの重要人物で板垣や石原と話し合っていたから
自分は満州事変の事を言われれば死刑だろうと思っていたが
実際には満州事変の事はほとんど問題にされなかったそうだ。

130 :日本@名無史さん:2005/08/14(日) 16:29:09
>>126統師権な。統制派…支那打倒後対ソ防衛。皇道派…支那に手を出さず満州強化対ソ防衛。22.6事件で皇道派は完全に壊滅、統制派は陸軍中央を完全に制圧した。石原は皇道派ではないが、支那、ソ連に対する認識は完全に一致してる。

131 :日本@名無史さん:2005/08/14(日) 16:50:25
>>130
俺はそんな事言ってるんじゃないの。
1作戦課長が仕掛けたテロに乗っかる軍部や政府が何処に有るかって事を言っている。

また引き金を引いた石原も自分のやった干犯行為でその後の国家的2重構造化を阻止できると思ってたのか?
前線不拡大を前提に軍部は自分で抑えられると思ってたのかよ?
天皇に嫌われ無ければとかそんな次元の話じゃない。
そこら辺の見通しがヒジョーに甘い。大甘ちゃんだよ。



132 :日本@名無史さん:2005/08/14(日) 17:17:58
>>131あなた昭和陸軍に疎いね。統制派…支那事変推進。皇道派…支那事変絶対反対。この認識は当時の陸軍軍人と陸軍担当記者共通の認識だよ。226後統制派が陸軍中央を完全に掌握その後支那事変勃発って事実があるじゃないか。両派の対支那方針も知らんとは…w

133 :日本@名無史さん:2005/08/14(日) 17:28:26
>>131武藤章…統制派。統師権云々や陸軍の下克上体質のみで当時の陸軍を全て語り尽そうとしてるんだから…w

134 :日本@名無史さん:2005/08/14(日) 17:54:27
統制派・・・永田鉄山、東條英機、今村均、武藤章、冨永恭次、下山琢磨、影佐禎昭、
池田純久、四方諒二

池田は事変拡大に反対した。
影佐は支那通の中では出色の人物で、石原からも期待されてたが、やや一撃論に
傾いてた。
今村は冨永や田中隆吉を連れて上京し、河辺弟に怒られた。
武藤は一撃論者だったが、暫くしてその誤りに気付いてたようだ。後に対米戦回避に努力した。

南京攻略は、渋る参謀次長多田中将に、部下と現地が圧力をかけまくって実現したもので
あるが、このとき召集され第十軍司令官を務めていた、皇道派の雄柳川中将が、
南京進撃阻止に積極的に動いたという話を俺は知らない。

支那事変とは、永田が敷いたレールを東條たちが走ったとかいう皇道派シンパがいるが、
それは穿ちすぎな考えだろう。統制派だからどうなった、皇道派だからどうなった
などという単純な色分けは全く無意味。


135 :日本@名無史さん:2005/08/14(日) 18:01:25
皇道派と仲がよかった近衛が後の手記で
最初の組閣を固辞した事について
二・二六の結果「対米自重派、対支自重派」の皇道派が連座された為
その後の軍部の動向は見るに耐えなかった。としているがどうかねぇ…。
さらに近衛は戦中に親ソ反米で抗戦を主張する統制派にはアカがいる為、
皇道派を起用して終戦へと導こう、ともしているがこれもどうか…。

136 :日本@名無史さん:2005/08/14(日) 18:08:18
>>132-133
だから結局統制派が実権握って大暴走したんだろ?
その原因は何んだよ?

石原が統制派に属していながら支那侵攻に反対してたんなら
満州事変を起こす前に統制派の暴走は予見出来たはずだろ?
で、226で皇道派が暴発したのも元々皇道派がその程度の集団だったからだよ。
自滅に等しい暴発で潰れた。鎮圧したのは石原だ。

俺は陸軍内の派閥争いで悪い方が主流に成ったからとかそんな視点で歴史は見てない。

石原は統制派の暴走を予見出来ていながらなんで満州事変なんか起こした?
それを政府はなんで追認した?内地に居る陸軍本部は何故石原を国家反逆罪で銃殺にしなかったんだ?

板垣と石原のやった事は明らかにテロだ。しかも陸軍本部はまったく認知しない内に事態が進行した
軍を天皇の了解無しに勝手に動かしたこれは明かに国家反逆罪だろ?
そこの議論から逃げるなよ。


137 :日本@名無史さん:2005/08/14(日) 18:10:54
>>134武藤は後に誤りに気づいたんじゃなくて、支那までOK対米戦絶対反対。支那が対米戦の呼び水になると言う認識にかけていた。統制派、皇道派の方針対立の共通認識は派閥に関わらずの共通認識。永田の対支那感情は皇道派統制派に関わらず有名だ。

138 :日本@名無史さん:2005/08/14(日) 18:18:14
>>136石原が統制派?笑わせるなwたまに統制派と分類してる不完全な資料があるがな…石原が統制派とはねワロタ(^^)

139 :日本@名無史さん:2005/08/14(日) 18:22:43
>>134>>135>>137
そんな視点の議論で物事の根本には辿り付かない。

組織内部の事では無く組織その物の成り立ちや変遷と拡大
また統帥権に関わる解釈の変化。
それによる文民統制の欠如。
それがこの戦争をダメにした原因だよ。


140 :日本@名無史さん:2005/08/14(日) 18:24:37
皇道派という概念はある程度わかるけど、統制派ってのは
それ以外の全部って意味でしかないね。
こんないい加減な言葉誰が作ったんだ?


141 :日本@名無史さん:2005/08/14(日) 18:28:55
>>135両派に属してない軍人にその見方をしてる人もいるよ。特に満州事変後の省部会議での小畑(対支那戦絶対反対)と永田(支那戦推進)対立と言う事実は超党派的な定説。小畑は支那事変は世界戦争になるから反対と言う意見は今では超党派的に卓見とされている。

142 :日本@名無史さん:2005/08/14(日) 18:29:19
支那事変の拡大について統制派、皇道派のくくりで語るのは無意味だよ。

143 :日本@名無史さん:2005/08/14(日) 18:38:57
>>140
皇道派の統制派感というのはまさにそれだね。
当事者の池田は、総動員体制をつくるために研究努力する人々を指して統制派と呼んでる。


近衛の軍人感は、後世から見ればお笑い以外の何物でもないな。

144 :日本@名無史さん:2005/08/14(日) 18:39:57
文民統制万能論?ドイツ軍の敗北と米軍のベトナム敗北も文民統制の弊害ちなみに政府が参謀本部を抑え支那事変を拡大した局面もあったじゃないか。多田参謀次長が政府の人間より事変解決を訴えたじゃないか。ちなみに多田中将も支那事変不拡大派だ。

145 :日本@名無史さん:2005/08/14(日) 18:42:28
>>138
統制派も永田鉄山が生きてたらって話だろ。
そんな事はどうでも良い話。
板垣征四郎はどっちだ?統制派じゃなかったけどあとで鞍替えしたか?それとも元々統制派か?(笑)
出世欲の権化で陸軍権益伸ばす為だけに前線拡大を強硬に主張して無かったっけ?
じゃあ板垣の下で満州事変起こした石原は統制派だよなぁ(笑)
アフォらしいだろ?

つまりそんな色分けでこの戦争語るのが間違ってるんだよ。



146 :日本@名無史さん:2005/08/14(日) 18:45:09
永田が対支戦を主張したというソースは?
北鉄買収で小畑と永田が対立した話は知ってるが。

147 :日本@名無史さん:2005/08/14(日) 18:50:28
>>142無知の開き直りだwあなた別の時代には詳しいんだろうが…昭和の陸海軍については資料読む気にならんてクチ?あるいは偏見に満ちた事情に疎い学者の書いた資料は見たのかな?

148 :日本@名無史さん:2005/08/14(日) 19:01:11
>>147
いやだから池田が事変拡大に反対したのは何故?
柳川が南京進撃に反対しなかったのは何故?

149 :日本@名無史さん:2005/08/14(日) 19:01:46
>>147
本当に統制派という派閥の実体があるというなら、メンバ表でも
 出してみてよ。いくらでも反論できると思うよ。


150 :日本@名無史さん:2005/08/14(日) 19:04:15
>>140そうです。皇道派以外統制派ではありません。阿南大将などは両派閥に属していません。石原などはひどい資料は統制派に属していたり満州派?とか書いてるのもあります。

151 :日本@名無史さん:2005/08/14(日) 19:07:33
>>149いくらでも反論出来ないと思うよw

152 :日本@名無史さん:2005/08/14(日) 19:13:14
>>151
メンバーはどうでもいいから146と148に答えてよ
詳しいんでしょ

153 :日本@名無史さん:2005/08/14(日) 19:16:26
>>146ソースね 支那事変勃発と陸軍中央部の動き 陸軍大佐今岡豊 かつて荒木さんが陸軍大臣のときに満州事変が収まった時に省部の首脳を集めて会議を行なった。すると永田鉄山少将は支那をまずたたいて国力を充実してから対ソをやるべきだと述べた。

154 :46氏へ続き:2005/08/14(日) 19:24:04
これに対し小畑さんは(支那ともし戦争になったら世界戦争になる支那には絶対手を出しては行けない)といっている。中略 日本にもこの様な卓見の士がいたのである。

155 :46氏へ:2005/08/14(日) 19:29:36
なお今岡豊大佐は皇道派ではありません。同大佐は後にインパールで補給の困難による作戦の中止を進言。著作に石原莞爾の悲劇 芙蓉書房 があります。

156 :日本@名無史さん:2005/08/14(日) 19:29:46
>>144
石原の満州事変が美味く行き過ぎたからね。
あと支那事変が政府主導っていうのも違うな。
軍の中に一撃論や華北分離論が有ってそれを近衛に具申した奴が居てアフォの近衛が取り上げたと言う訳だ。
また天皇も乗り気だった。

つまり軍主導は変わらない。問題だったのは事の中心に居なければ成らん石原が蚊帳の外だった事。
その後周到に石原は軍の中枢から外される。これも予定調和の中の話で
つまり支那事変は多分軍内部で満州事変直後から検討されていたって事だよ。
大体親玉の板垣が陸軍大臣に成った後何してるんだよ?それ考えれば話の辻褄が全部合うだろ。


157 :日本@名無史さん:2005/08/14(日) 19:33:51
>>145板垣征四郎が統制派?板垣大将も資料によってちがうよ。大陸派やら満州派やら、無派閥やら。

158 :日本@名無史さん:2005/08/14(日) 19:38:01
>>155
ありがとう。
「石原莞爾の悲劇」はなら私も持ってます。あれはいい本だ。今調べたら、
あなたが引用した発言は「作戦の鬼小畑敏四郎」にも、荒木貞夫の言葉として載ってました。
荒木の言葉だけで断定するのはちょっとどうかな?

ちなみに今岡は論争当時陸大生です。


159 :日本@名無史さん:2005/08/14(日) 19:42:31
>>157
だからドッチでも良いんだよ。
問題は板垣が陸軍権益伸ばしたいが為に中国戦線の拡大を強硬に主張した事。


160 :日本@名無史さん:2005/08/14(日) 19:57:20
>>158作戦の鬼小畑敏四郎を読まれましたか。荒木云々はそうかも知れませんね。私は作戦の鬼でこの事実を知り今岡大佐のレポートで、この事実が書かれてるのを知り正直驚きました。丸の別冊なんですがね。

161 :日本@名無史さん:2005/08/14(日) 20:02:02
>>158昭和陸軍を語る上で芙蓉書房の本は好資料ですよね。

162 :日本@名無史さん:2005/08/14(日) 20:17:27
芙蓉書房の本は殆ど持ってます。
「作戦の鬼」の永田評はやや偏りがあるように思います。
一方「秘録永田鉄山」の永田評は持ち上げすぎのきらいが。
人物評というのは、評者の立場によって大きく変わります。
後世の人間としては、色々読むしかないでしょう。

163 :日本@名無史さん:2005/08/14(日) 20:39:10
>>162なかなか読み込んでますね〜同好の士に出会えて実に嬉しい。あなたは相当な昭和陸軍通だ。秘録石原莞爾もよかった。しかし今岡大佐の著作の方が詳細でさらに正確ですかね。

164 :日本@名無史さん:2005/08/14(日) 21:01:03
石原関連なら横山本、青江本あたりが基本でしょう。
第一部長時代に特化した今岡本も良い。
石原莞爾資料も良い。最近の本は個人的にはつまらんです。

軍内派閥というのは当然は恥で、自分で、自分は○○派ですなんて云う人は殆どいない。
自分は統制派だと書いた池田純久なんかは例外的。
黒崎貞明も、自分は皇道派の端くれで、みたいなことをしきりに書いてるが、
一方同じ青年将校でも、末松太平なんかは、皇道派のエリート将校たちと
自分たちは別物、みたいな意識が強い。

165 :日本@名無史さん:2005/08/14(日) 21:08:16
http://www.lib.kobe-u.ac.jp/kanpo/13-4/13-4-2.html
また「統制派」という用語自体も、陳述で使用しているのは、私が確認した範囲では
実業家の石原広一郎にとどまる。「統制派」と皇道派の対立という図式自体、秦郁彦
氏が『軍ファシズム運動史』で、回想などに基づき「便宜的」と断って記述したもの
だったという(林美和「派閥対立史観の形成とその虚構」〔『鶴山論叢』第4号 2004
年3月刊行予定 参照〕)。自明とされてきた「統制派」・皇道派の対立も、史料的に
きちんと裏づけられた概念では必ずしもないのである。

166 :日本@名無史さん:2005/08/14(日) 21:26:16
http://www.kokubou.com/document_room/rance/rekishi/gunji/226_gunbatu/rikugun_habatu.htm
永田によれば陸軍には荒木・真崎を頭首とする「皇道派」があるのみで「統制派」たる派閥は
存在しないという。皇道派が全盛の時代、つまり荒木陸相時代(犬養内閣時)だが、皇道派に
反する者に対して露骨な派閥人事を行い、左遷されたり疎外された者らは反皇道派として団結
するようになり、同じく皇道派に敵対する永田が、自らの意志と関わりなく、周囲の人間から
勝手に皇道派に対する統制派なる派閥の頭領にさせられていたのである。
永田自身には派閥そのものに否定的見解を持っていたのだ。


167 :日本@名無史さん:2005/08/14(日) 21:32:07
>>165ひぇ〜!!!お見逸れしました!! m(__)m昭和陸軍どころか、戦史の鬼ですな!!!いきなり(作戦の鬼小畑敏四郎)の名が出た時にギクッとしましたが…いやはや。

168 :167ですが:2005/08/14(日) 21:42:51
訂正165氏…でなく>>164さんに対してでした。>>164さんは戦史全般に強いですね。最近本(特にメジャーな出版社)のは戦史に対して虚心坦懐じゃないので幻滅します。

169 :日本@名無史さん:2005/08/14(日) 21:49:12
須崎教授の「二・二六事件」は良いね。

しかし西安事変に関する磯谷発言は、石原を持ち上げる目的でよく持ち出されるけど、
磯谷中将にちょっと気の毒だなあと思うね。
西安事変の重要性を見抜いた石原の慧眼は認めるが、磯谷は磯谷で、
満洲事変に反対だったらしいし。どっちが先見性があるのかは・・・

170 :日本@名無史さん:2005/08/14(日) 21:56:11
「統制派」なる概念が自明であるかのように語る方々のおつむのレベルが
知れますな。これは自分を「皇道派」側に置くため起きる現象なのでしょうか。


171 :日本@名無史さん:2005/08/14(日) 22:04:14
>>165->>166
そんな事は今と成っちゃあどうでもいい訳だが。

それよりアンタの石原評を聞かせてくれよ。
それで判断する。


172 :日本@名無史さん:2005/08/14(日) 22:23:57
磯谷と石原は関東軍でもそりが合わず、石原は病気と称して帰国してしまうが、
幸い石原を気遣う板垣と多田が陸相と参謀次長だったため事なきを得た。

そもそも石原が関東軍に転任したのも、石原に対する多田の恩情に依る処が大きかった。
参本内で孤立し、転任を訴える石原を、多田は気の毒に思い、好きな満洲に行かせて
やろうと、阿南人事局長に、石原を関東軍参謀副長にしてくれるよう頼んだ。
阿南は一旦は断ったが、どうしてもという多田に押し切られた。阿南が反対した
理由は、その職には笠原幸雄が就任して間もないということだろうが、石原と東條の
対立を見越して、石原の為反対したという説もある。

173 :日本@名無史さん:2005/08/14(日) 22:31:20
では失礼します。石原は深刻な戦史研究により、決戦戦争、持久戦争の類型を発見前者の天才をナポレオンに見出し後者をフリードリッヒ大王に見い出した。満州事変前夜極東ソ軍に惨敗した張学良は露骨な侮日行動を取り、日本の在満権益は危機に晒された。

174 :173続き:2005/08/14(日) 22:41:03
関東軍作戦参謀石原は内外諸状況よりアメリカ、ソ連の介入無しと判断、独断専攻。奉勅命令無しで張学良軍20万に作戦行動を開始した。懸念された米ソの介入はなく張軍20万を撃破した。

175 :日本@名無史さん:2005/08/14(日) 22:42:29
172より
石原を仕留めそこなった東條にまたチャンスがやってきた。
浅原事件である。浅原は石原や多田、板垣と親しかった。東條はこれを利用して
石原を追い落とそうとしたのである。しかし結局これも失敗に終わる。

田中隆吉は、”浅原事件は虚構であるにしても、石原の普段の言動は
不謹慎なところがある。いまここで軽く謹慎処分を下しておくのが、
石原自身の為に良い”と考え(←飽くまで田中自身が書いてること)、その旨板垣に
伝えたが、板垣は血相を変え、「こういう陰謀(浅原事件)は許されない。この陰謀を
行った連中はそれが航 空 総 監たると、憲兵隊長たるを問わず、断固として解雇する」
と憤激した。その後板垣は、自身が陸相を辞する直前に石原を師団長に栄転させた。

石原も死ぬ間際に、「多田さんや板垣さんが先に逝かれたが、寂光への道で、
ウロウロしていてはいかんから早く行って案内してやりたいと思います」という
石原一流の言い回しで、二人への気持ちを現してる。

176 :日本@名無史さん:2005/08/14(日) 22:46:05
158、162、164、169、172、174を書いたものですが、一段落ついたので
173さんはどうぞ続けてください。


177 :174続き:2005/08/14(日) 22:53:48
独断専行で満州事変を処理したツケは、支那事変勃発の際に露呈。北支で日支軍衝突の際参謀本部第一部長であった石原は事の重大性を直感、作戦課員に泊まりこみを指示、先にソ満国境で日ソ軍の紛争が生じた際の平穏の様子とは急変した石原の心中を課員は、はかりかねた。

178 :日本@名無史さん:2005/08/14(日) 23:02:03
>>171
石原は何と言ってもセンスがいい。
 国際社会の力学をよく理解して、どこまでがぎりぎり可能でどこからは無理か
 よく分かっている。
 ってのが俺の評価だ。

179 :177続き:2005/08/14(日) 23:06:30
石原は極東ソ連軍との軍拡競争に苦慮していた日本はこれ以上兵力を無尽蔵に吸い付くしなおかつ世界戦争に発展する恐れのある支那との衝突は絶対に避けるべき戦争と判断した。ナポレオンのスペイン戦争の教訓が思い出された(石原曰く儲からない戦争)

180 :日本@名無史さん:2005/08/14(日) 23:06:49
>>170
皇道派だって持ち上げるに値しない奴等ばっかりだけどね。
頭が良い連中なら226なんか起こさない。

海軍の親米派(リベラル派)が主流に成れば満州事変は無く最初から南進してただろうと思う。
問題なのはその外交をやれるだけの人材が居なかった事
幣原喜重郎は平時にはある程度の働きをしたが
ココまでアフォの陸軍が幅を効かせた時代ではねぇ。
新聞を始めとして世論がそれに完全に乗せられちまったのも相当に痛いよ。

陸軍を大幅粛清して
堀悌吉や米内光政、山本五十六、井上成美
ここ等が軍の主流に成れればまだ日本は救われたんだよ。
彼等は間違っても軍の独断とかはしなかったはずだしな。岡田啓介だってずっとやり易かったろうし
内閣も長続きしただろう。
特に山本は大艦巨砲主義を否定し航空機戦術が主流に成る事をずっと以前から言ってた。
日本が航空機による対艦戦で大戦果を上げたのは真珠湾の時のみ。

まあ、やっぱ馬鹿ばかりが突出した戦争だったとゆうのは間違いじゃ無いね。



181 :日本@名無史さん:2005/08/14(日) 23:09:26
>>180
ネタだよな?

182 :179続き:2005/08/14(日) 23:25:11
一方武藤作戦課長は事態に速やかに対処する為内地から三個師団を急派する必要があると判断した。現地では小競り合いが続き中央部でも逐次強硬論が盛んになった。

183 :日本@名無史さん:2005/08/14(日) 23:25:59
>>178
自分だけが分かっててもダメでしょ。
自分が起こす事象(満州事変)に対しての担保とか全然してないじゃん。
確かに石原はここで独断しても後で軍や政府そして世論も付いてくると読んだ。
事実そう成ったがその後前線の不拡大は守れなかった。

その原因は軍の独断を政府、世論、軍本部が追認した事による陸軍権益の急拡大だよ。
だから結果として拡大路線で行く事に成った。
まあ、親玉の板垣とかがアフォだった事もアレだが 天皇の周りに居る連中にツテが無かった事や
キッチリ自分で掌握した派閥らしきモンが関東軍内に無かったのが痛すぎる。

無派閥を言っても数の論理で押さえ込まれるならジリ貧だろ?
そうゆう面ではホント無頓着だったんだよ。それが追い込まれた原因。
予備役に落とされた時「これで全てがパーだ。」そう石原本人も読めただろう。

その後も何のアクションも起こしてないし太平洋戦争時に内部工作(軍事クーデターとか)らしき事はしてたのかよ?
してないだろ?だからそれじゃあダメなんだよ。

184 :日本@名無史さん:2005/08/14(日) 23:31:56
>>181
ネタじゃねえよ。
対論出してね。

185 :日本@名無史さん:2005/08/14(日) 23:36:29
水野成夫は浅原事件に連座して検挙された。
後に水野は国鉄スワローズを買収する時、浅原の息子に仲介を頼んだ。
というのも当時の国鉄の総裁が十河信二だったからだ。
十河─(石原)─浅原─水野というラインが機能して、球団売却はあっさり決まったそうだ。

186 :182続き:2005/08/14(日) 23:36:57
石原部長が現地に長距離電話で不拡大方針を説くと、その電話の直後、武藤課長が(ただいまの部長のご意見は個人的見解です省部は成功を祈ってます。どんどん進撃してください。)という有り様であった。

187 :日本@名無史さん:2005/08/14(日) 23:39:29
>>183
神の視点で語るというわけだ。
 俺は大東亜戦争の種は満州事変などではなく日露戦争だと
 思ってるんであしからず。満州事変は大局から見ればエピソード
 の一つに過ぎない。



188 :日本@名無史さん:2005/08/14(日) 23:43:05
ああ、上のほうで満洲事変以前に、米国と話つけて南進とかいってた人か。
それ自体に対論なんかないよ。

ただどうでもいいけど>>170はどうみても皇道派を批判するカキコだろ。
それに対し、皇道派だって〜と返すのは、よく読めてないんじゃないの。


189 :186続き:2005/08/14(日) 23:48:58
石原部長と武藤課長は議論を戦わしたが武藤の(閣下の模範にしたがったまでです現に支那側の抗日侮日は激しいじゃありませんか)石原に返す言葉はなかった。石原は3個師団動員を決定した。

190 :189続き:2005/08/14(日) 23:55:56
一気に大部隊を派遣、支那側を圧倒して平和交渉を開始しょうと計画したが、戦火が上海に飛ぶと戦線はさらに広がり目的は達成されなかった。

191 :日本@名無史さん:2005/08/15(月) 00:04:00
武藤の模範発言自体は、内蒙江作を止めに石原が渡満したときに出たもの。

192 :190続き:2005/08/15(月) 00:12:14
満州事変当時は張学良の激烈な排日運動の激化により在満権益は風前の灯、満州青年連盟員の懇願、満州北辺では極東ソ軍の赤化浸透等の危機により一刻の猶予もならなかった。

193 :192続き:2005/08/15(月) 00:21:38
しかし後の石原部隊と武藤課長の間に展開されたような、下僚の独断専行ならぬ専断ないし越権という下克上的軍規の荒廃と言う副作用も生じた。 191氏ご指摘m(__)m

194 :193:2005/08/15(月) 00:28:07
石原部隊…× 石原部長…〇 m(__)m

195 :日本@名無史さん:2005/08/15(月) 00:43:36
>>187
良いんだよ。神の視点で歴史をアレコレ言い合って構わないだろう。
後世の人間のする事は歴史の記述ではなく歴史を多面的に検証し議論する。
その過程でifが幾つ出て来ても構わないだろう。

実は俺も日露にこの戦争の遠因が有ると思ってるよ。
1つは日露で余りに上手く日本が大逆転して日本軍の強さを国際的に誇示してしまった事で英米が過剰に警戒した事。
またこの勝利により日本が本格的に先進国の仲間入りをした為、急拡大した海軍力はそのままにし
また陸軍も大きく増員されるなど軍部の権益が大幅に大きく成ったそして放置した。
政府も第1次大戦の好景気のなどで国力に見合わない軍事力や軍事予算などを無頓着に見逃していた。

もう1つはアメリカの欲しがってた南満鉄の利権を土壇場に成って小村が引っ繰り返した事。
じつはこれがオレンジ計画発案の契機に成っている。
こんな所か。

アンタの大局論も書いてくれよ。


196 :日本@名無史さん:2005/08/15(月) 00:51:28
>>188
いや、おれは念押しで皇道批判しただけだが?

それよりアンタもおれの南進に同意なら
対論なんか無いよってのは素っ気無いんじゃないの。

南進を仮説としてアンタの持論をドンドン言って欲しいな。


197 :日本@名無史さん:2005/08/15(月) 00:54:51
俺は南進なんて全然賛成じゃないよ。アメリカがそんなこと許すとは思わないし。
それに海軍リベラル派も大して買ってない。
ただ>>183の石原評は的確だと思うよ。自分だけわかっててもダメなんだよな。


198 :日本@名無史さん:2005/08/15(月) 07:30:00
>>195
それならこういうのはどうだ。
 「満州事変がなくても、日中戦争も大東亜戦争も起きた」という歴史ifは。
 俺はかなり可能性は高いと思っている。


199 :日本@名無史さん:2005/08/15(月) 07:38:18
二十一か条の要求
第一次大戦によるドイツ租借地の獲得
第二次山東出兵
万宝山事件
などは満州事変とは無関係に発生している。

またこの板の
日本史から見た「日中戦争」を語ろう 4
に誰かがこんな資料を提示してくれた。

「元来今次事変を以て抗日容共政策に対する膺懲なりとするは”看板”にして実は新興国として伸び来れる支那の成長力を一応破壊するに在り」
  (野村外相宛加藤公使電信写 昭和14年12月6日)


200 :日本@名無史さん:2005/08/15(月) 07:45:24
満州事変がないと、満州軍閥、国民党、共産党で三国志を繰り広げた
かもしれないね。

201 :日本@名無史さん:2005/08/15(月) 09:08:53
衆議院総選挙投票調査
http://cgi.bookstudio.com/qu/user/hide.html

民主党は売国奴です。小泉自民党に清き1票を!

202 :日本@名無史さん:2005/08/15(月) 16:26:41
>>199
まあね、俺は21か条の要求なんかいきなり突き付けないでアメリカ型の自治領統治でやれば良かったと思う
自治権限は清に返還し、しかし軍閥連中からの治安維持を名目に駐屯軍を置く。警察権と治安維持権限だけ日本が
担当して何年後に返還予定って事にする
で、清と権益を分配しながら統治するって事。

それをアンタ、あんな要求突きつければ誰でも怒るわなぁ。そうは思わん?
旅順・大連の租借期限の延長。南満州鉄道の期限延長。南満州・東部内モンゴルの権益の拡張。
ってこれなんの関係も無いじゃん。。。

北京議定書で無茶苦茶ヤラレテそのあとこれだもん。
この要求書以降抗日運動が激化してい行く。
兎も角この第1時大戦以降アメリカは英仏の古臭いある意味火事場泥棒的な領地侵略を否定する。
まあ、自分勝手と言えばそうだがそれでも英仏に与えた影響は大きい。

しかるに日本はこの後 張作霖爆殺から始まってまったく時代と逆行する事を軍主導でやり始める。
議定書の賠償金も日本だけ先に大幅減額とかしてればその後の満州事変や大東亜も現実味を帯びてくるが
この頃もうごり押し謀略なんでも有りのやりじゃあさぁ。

あとコレ↓
「元来今次事変を以て抗日容共政策に対する膺懲なりとするは”看板”にして実は新興国として伸び来れる支那の成長力を一応破壊するに在り」

なんてのかな。もうちょい時代が読める人間居なかったんかなぁと。
悲しくなるよ。








203 :日本@名無史さん:2005/08/15(月) 17:22:09
>>198
ドイツ領取った時に日本が無茶言わなけりゃ日中戦争は無かったと思う。
無論日本が第1次大戦以後 中国に対しての領土的野心を捨てて海軍リベラル派台頭&親米路線&南進政策に入ったと過程しての話しね。

で、そうなると中国はどうなるかっていうともう第1次大戦後中国は国家の体を成していない。
軍閥が勝手に割拠してそれに西欧列強が武器援助、内乱状態のまま収集が付かず
多分アフガンの様に成ったかも知れないね。そうこうしてる内にナチスが台頭し西欧はヨ−ロッパに掛かりきりに成る。

中国は益々内乱が激しくなり>>200の言う三国志状態。ロシアも食指を動かし始めるが
しかし日本は中国では無く突如植民地解放を叫びながらオランダ領のインドネシアに攻め込み
その後東南アジア諸国へ次々に進行し植民地支配から解放して行く。







204 :日本@名無史さん:2005/08/15(月) 17:23:31
上の続き。
英仏はナチスに掛かり切りで身動きが取れない、ロシアもナチスのバルバロッサ作戦によりヨーロッパへ
全軍を向けざろ得ずその準備に掛かり切りに成っていた。中国はまだ内乱状態。
仕方なく英仏はアメリカに泣き付く。しかしアメリカは非情にも日本の植民地解放戦争を支持する。

しかしその条件としては日本以外の第3国(アメリカ)を共同監視軍として日本軍と共同して治安維持に当たる事。
自治権限は当事国に返還し監視軍両国の自治領とする事。諸資源の利権は両国で分け合う事。
これにより東南アジアの治安維持と権益保護を目的とした日米軍事同盟が誕生した。

これにより日本は石油利権、ゴム鉄鉱石の採掘権限得て対米輸出などで日本経済は更に活性化して行く。
中国の内戦も同様に日本が圧倒的戦力を持って鎮圧し上記と同様 アメリカと共同で自治領化した。

しかし1940年代に入りナチスの台頭はもはや英仏のみでは対処出来ず日米に参戦機運が高まり
アメリカと共にヨーロッパ戦線への参戦を決めノルマンディー上陸作戦を決行する。
山本五十六率いるゼロ戦部隊はドイツのフォッケウルフFw190の大編隊と大空中戦を繰り広げ大戦果を上げる。
しかしノルマンディー上陸作戦で苦戦した米軍は一旦撤収、アメリカの新型核爆弾をドイツ各地に5個落としドイツを無条件降伏へと導いた。



205 :日本@名無史さん:2005/08/15(月) 19:06:27
ここはお前のif戦記なんか読みたいやついねーつーの。

206 :日本@名無史さん:2005/08/15(月) 19:07:05
>>203-204
スレ違い。他でやれ。

207 :日本@名無史さん:2005/08/15(月) 19:15:53
アメリカに幻想抱きすぎだな。

208 :日本@名無史さん:2005/08/15(月) 23:13:47
>>202
このスレの住人ならご存知の通り、中国人が日本に対して決定的に反日に
なったのは21カ条要求だろう。さらに、第一次大戦後日本は「人種平等」
を訴えながら、しっかり青島のドイツ権益を押えてしまったから
「日本は欧米同様の侵略国家」ということになった。

209 :日本@名無史さん:2005/08/16(火) 00:14:09
さらに注意深い人なら気づいていると思うが、昭和天皇は日本の中国進出に
決して否定的ではなかった(昭和天皇は個々の強引なやり方には嫌悪感を
示したが日本の中国進出そのものを否定していたわけではない)。


210 :日本@名無史さん:2005/08/16(火) 14:57:06
海軍左派トリオの神格化って、やっぱ阿川弘之の小説の影響なのかな。


と、考えると司馬遼太郎の小説読んで幕末〜明治を語る奴と同レベルに見えてくるから不思議だ。

211 :日本@名無史さん:2005/08/16(火) 17:06:21
>>208
右傾連中は全部「それはそうゆう時代だったから仕方が無い」
だもんな。
それで明かに日本は失敗したのにそれを未だに認めてない戦後のアフォ右翼。
なんてったっけ?朝生に出てた眼鏡掛けたハゲオヤジ?
名前忘れたけど右傾連中には有名な某大の名誉教授らしいが
少し前の朝生で「戦前はそうゆう時代だったんだ!仕方が無いんだ!」とか叫んでたよ。

それじゃあココに居る連中と変わらんっての。
あんなのが右傾代表だと思うと寒気がするよ。


212 :日本@名無史さん:2005/08/16(火) 17:07:16
>>211の追記だがそのオヤジが新しい歴史教科書の策定にも関わったんだとさ。

213 :日本@名無史さん:2005/08/16(火) 17:11:13
>>210
ツウかあんな時代でもああゆう良識派が居た事が唯一の救いだと思うが?
陸軍のアフォ連中より余程歴史を見れた人々だと思うが?


214 :日本@名無史さん:2005/08/16(火) 17:50:01
まるであの3人だけが人間みたいな言い草だなw

215 :日本@名無史さん:2005/08/16(火) 18:45:23
石原は満州で力をたくわえてソ連を倒した後、
中国からも外国資本を排除するつもりだったの?

216 :日本@名無史さん:2005/08/16(火) 18:49:13
しかし、戦後のあのショボクレた言動見てると、そんな大物には見えんが

217 :日本@名無史さん:2005/08/16(火) 21:57:11
>>215
それは岸とか鮎川の担当でしょ。
とゆうより石原自体がかなりマルクス主義的な考えと言うか計画経済主義者だった。
ソ連通の宮崎正義の影響受けてたからね。
石原はね、アメリカとかイギリスに留学すべきだったんだよ。

俺は岸はともかくこの頃海千山千の鮎川辺りが満州5ヶ年計画だっけ?
これに本気で取り組んだとはとても思えない。
鮎川ある程度自分がイニシアチブ取れると思って参加したんだと思うよ。
外資(アメリカ)導入とかも検討してたって聞いてるし。ココ等は俺は鋭いと思うけどね。
しかし軍部が許可せずその後はドンドン軍主導で無理難題言われて
最期は降りちゃったでしょ。鮎川は。

やっぱ石原は学者肌ってゆうかなぁ。坊主はだしってのか。
切れる謀略は考えるがそれに政治や利権を絡めて考えられない感じ。物事の好悪が激しい。
軍事的な大局は読むけど実務家では無い。あくまで軍師的な軍略家。
やっぱ日蓮信者だった事がネックだったんだろうね。

石原がもう少し現実家で清濁併せ呑める奴なら明治期の山県や井上馨の様に
自分に近寄ってくる財閥連中をもっと有効に使っただろう。
利を食わせて代わりに上がって来る金で自分の軍閥を作り上げそれで子飼いの部下や内部協力者を多く作る。

まあ、ただこの頃は全てドラスティックだったからねぇ。カネより理想。国益より軍の権益。
その先に大きな理想が有っても個人の利権なんか認められる時代じゃ無かったのかも知れない。
そうゆう余裕の無さが東条見たいな奴を重用してしまった原因だろうね。

218 :日本@名無史さん:2005/08/16(火) 22:02:28
>>211
現代人は忘れてしまいがちだが、日中戦争というのはどうも本当に
 「熱い経済戦争」らしいね。戦前「も」日本は中国本土に多額の投資を
 していた。中国民族資本が日本の国益を脅かしたり、反日活動が日本の
 経済に悪影響を及ぼしたりすることを軍事力で処断するという性格があった。


219 :日本@名無史さん:2005/08/16(火) 22:10:48
石原はあれだけスケールのでかい人物なのに、
自分がトップに登ってやるという気概を持ってなかったのか?
スケールがでかいゆえに立身出世には興味がなかったのだろうか・・・
そもそも石原が幼年学校に入った動機とは何なのでしょうか
家が貧しかったから?

220 :日本@名無史さん:2005/08/16(火) 22:37:59
この人と宮沢賢治の関係を教えてください。

221 :日本@名無史さん:2005/08/16(火) 22:40:35
ホケキョー

222 :日本@名無史さん:2005/08/16(火) 23:07:30
石原は軍事理論家として「教育」の場にいるべきだったね。
実務家としては失格(結果責任)

223 :日本@名無史さん:2005/08/16(火) 23:09:53
>>220
同じ宗教(国柱会)を信じるもの同士。


224 :日本@名無史さん:2005/08/17(水) 01:59:18
石原が望むように、
226以降、統制派が軍の主導を握り国政に大きな影響力を持つようになった
それなのになぜ日本は国家改造をして力を蓄える前に
日中戦争なんかを始めてしまったのか
開戦に差し迫った理由はなかったはずだ
泥沼の戦況に焦らされるように確立した40年体制は、
石原の構想した世界最終戦へ向けた国家改造とは当然大きく異なる
陸軍中枢は石原を追い出してなお、
前提や戦略を無視して石原が掲げた輝かしい到達点だけを目指してしまった
陸軍幹部どもに信念などはなかったのだろう

225 :日本@名無史さん:2005/08/17(水) 02:38:06
>>218
国家政府は熱くなったら終わりなんだよ。
歴史上どんな国のどんな政府も体制翼賛が国民の骨髄と成った国は例外無く不幸に成ってる。

なんかアンタ見たいに当時の日本を勘違いしてる人多いけど
様するにこの頃の日本てのは今の北朝鮮や毛沢東政権下の中国となんら変わらんのよ。
石原の目指してた王道楽土ってのはアジア全域を日本が傘下に収めて軍政を中心にした全体主義社会の事。
国家総動員法なんか正に社会主義の考えでしょ。




226 :日本@名無史さん:2005/08/17(水) 02:44:14
>>213
そうは言っても日中戦争の引き金となった1937年の上海事変でトラウトマン工作の
打ち切りを強行に主張したのは米内だし、「半年や一年は暴れてみせるが
その後のことはわからない」と無責任なことを言いつつ、太平洋戦争のターニング
ポイントとなったミッドウェー海戦を立案したのは山本だからなあ…。


227 :日本@名無史さん:2005/08/17(水) 02:59:08
>>224
それは石原にも言えるのでは?
なんで満州なのよ?
高橋内閣で初めて赤字国債発行し始めた訳だがこれは国内公共投資に使っても良かった訳よ。
経済のみで考えるならね。住宅が足りないなら住宅、高速道路計画。重工業振興
まず内地を拡充させるのが第1だったのでは?

それを軍事費をいきなり大幅増大させて更に満州へドボドボ金つぎ込めば陸軍権益が大幅増大するのは自明の理だ。
またすぐインフレに成るのは分かり切った事 当然軍事費は減らすしかない。元々大きすぎる予算だ
それを経済が何たるかも分からず自分達の権益を阻害する者は全部暗殺だよ。

この226に前後して日本の良識ある政治家や要人が殆ど殺された。
これをアフォと言わんか?統制派も皇道派も関係無い。この頃の陸軍は全部アフォだ。
海軍はまだマシだったけどね。

満州事変が無ければその後の支那事変も無いってなんで右傾は分からんのかねぇ。


228 :日本@名無史さん:2005/08/17(水) 06:33:58
>>226
>この頃の日本てのは今の北朝鮮や毛沢東政権下の中国となんら変わらんのよ。
で、当時の満州や中国てのは高度な民主主義国家かなにかですか?
>>227
>満州事変が無ければその後の支那事変も無い
ダウト。
 外交官が支那事変の実態は経済圧迫戦争と白状している。
 そもそも日本側に「動機」がなければ小競り合いが全面戦争になるわけがない。




229 :日本@名無史さん:2005/08/17(水) 10:57:22
江戸時代は、日本の経済の大動脈だった「北前舟」で、酒田を中心とする庄内は大繁栄した。
しかし、明治以降の日本海側の落ち込みは凄かった。官軍に刃向かった藩が多かったせいもあるが、経済の中心は太平洋側に移ってしまった。
石原は、そのように落ちて「裏日本」と蔑まれた故郷を思い。満州国を建設して、「環日本海経済圏」を作ろうとした隠れた意味もあったのだ。
満州事変の裏の部分だな。

230 :日本@名無史さん:2005/08/17(水) 11:12:46
>>228
違うよ。満州は軍部権益とそこで公共投資をすれば移民と経済問題が一挙に片付くと思ってやり始めた事だ。
しかし移民問題は軍部のでっち上げだ。当時それほど国内的に移民希望者が多かった訳では無い。
満州に移民が急増したのは軍部の宣伝。
確かに1時的にはこの公共投資で経済は回復したが膨らんだ財政赤字でもうどうしようも無くなった。
言っとくがここ等は全部軍主導で行った経済政策だからな?

あと国内経済が圧迫されたからと言って支那に攻め込んでどんな得が有る?
中国にはろくな資源も無い。奪うべき財産も無い、公共投資ももう出来ない。何が得だったんだよ?
つまりこの時日本の国益は明確に無視された訳だ。陸軍権益温存の為だけに支那事変が行われた。
戦争状態を継続しなければ陸軍の存在意義が問われるからな。予算も出なくなる。
後は拡大派の連中が近衛唆せば1丁上がりって訳だよ。

231 :日本@名無史さん:2005/08/17(水) 19:55:44
>>230
おいおい、戦前の日本の主要産業の一つが紡績業。
その紡績業で日本と中国は激しい競争をしていたのだが。

http://www.gispri.or.jp/newsletter/1994/9404-1.html
第1次大戦が終わると列強は経済復興に力を入れ、戦時中異常に膨張した日本産業
は整理合理化の時代を迎える。その苦境に輪をかけたのはアジアの工業化が進展し
たことで、当時の主力産業である紡績業はインド、中国の繊維産業との競争にも直
面した。低賃金労働力を求めて中国大陸に工場を建設した紡績業者(在華紡)も多く、
その中国民族資本、および日本国内の紡績業者との競争、摩擦も厳しかった。

http://www.wako.ac.jp/souken/touzai00/tz2003.html
さらに在華紡に関しても、帝国海軍陸戦隊の軍事力に守られた進出という
意味で、一体性ということは指摘できるわけであります。

232 :日本@名無史さん:2005/08/17(水) 20:09:30
鐘紡の津田信吾なんか結構強硬なこと言ってる>支那事変初期
こういう連中の後押しがあったんだろうな拡大派の近衛内閣は。

233 :日本@名無史さん:2005/08/17(水) 23:10:11
あえて言うのも大人気ないが、戦後左派の学者は「国民に隠された
日中戦争の本質」が経済問題と指摘していた。
左派の衰退とともにあまりそういう見解は見当たらなくなったが、
当たっている部分も結構あるように思う。



234 :日本@名無史さん:2005/08/17(水) 23:48:12
>>229
永田鉄山は長野。確か満州に一番多くの移民を出した県だ。
ことの是非はともかく、故郷のこつ考えるとそれぞれ思いがあったとは思う。
>>230
正確には、過剰労働力や貧困問題はあったが満州が希望の土地(軍部に限らず
戦後でも北朝鮮にも似たようなこつ言って在日、その妻5万人が渡朝した。
自主的とは言え、これは棄民に近いな。)と言うユートピアプロパガンダはしたな。
当時の満州の全入植予定は500万人で、勿論大法螺w、将来満州が5000万人の人口に
なると言う推計から。つまり役人お得意の作文だwしかし当時の庶民も学問はあまりない
とは言え馬鹿じゃない、集まったのは僅か30万人。先ずは200万人は考えていたらしい
から作文信用する連中ばかりでもなかったと言うことだな。
結果移民30万人、軍人軍属70万人で終わったはずだ。



235 :日本@名無史さん:2005/08/18(木) 00:02:51
この板の「日中戦争の原因」には上海に進出した日系紡績工場での
ストの記事が二つある。つい最近も見たような話だね。

青島の日紡スト暴動化 〔昭和11年11月27日 大阪毎日〕
(青島二十六日発同盟〕
かねて怠業中の大日本紡の職工三千名は二十五日午後五時ごろ、二、三百名ずつ
一団となって四方街道付近を進行中、折から病院からの帰途、女中とともに自動車
で通りかかった豊田紡績支配人三田氏の令息勝悟君(十三)を襲撃、勝悟君は
顔面その他に負傷した。
右罷業騒ぎは国民党中央の声援を得て漸次悪化の傾向あり、青島市長沈鴻烈氏は
西青島総領事の了解を得て、賃金五分値上げの条件で調停に乗り出すこととなったが
罷業団側では来る三十日、給料受け取り後、全面的に罷業を拡大すると強がっている。


236 :日本@名無史さん:2005/08/18(木) 00:06:29
満州事変がもしなかったとしても、経済を主因とする日中紛争の種はいくらでも
あり、国民党に優越する武力を持つ日本はそれを行使した可能性は高いだろう。


237 :日本@名無史さん:2005/08/18(木) 01:05:24
在中の経済人は1920年代は穏健だったけど
1930年代に軍部が獲得した利権(冀東政権経由の密貿易など)に目が眩んだね
当時は中国が高関税をかけていたので輸出しにくかった

238 :日本@名無史さん:2005/08/18(木) 07:42:46
もう一つの記事。こちらは陸戦隊が出動。

豊田紡のスト暴動化、陸戦隊が出動 〔昭和11年11月21日 大阪毎日〕
〔上海本社特電23日発〕
上海東部の邦人紡績工場の争議は賃金値上げの実施によってひとまず沈静に
帰したが、西部紡績のうち豊田紡績ゼスフィルド工場では十七日午後六時の
交代時間に、一部男工の扇動により三千名の職工が怠業状態に入り、極めて
不穏な形勢をなすに至ったので、同工場では直ちに操業を停止し職工を帰宅
せしめたが、争議の首謀者とみられる男工の一団は第二工場に殺到し、
工場内部の機械設備を破壊し、事務所、食堂を荒し廻り暴動化の虞れがあっ
たので、同工場をやむなく操業を中止した。
第二工場の伊沢紡績課長は軽症を負ったが、工場一帯は工部局、公安局の手で
厳重警戒中であるが、騒擾により数名の職工が検束されたのでいったん工場外に
出た職工集団は午後十時に至るもなお解散せず、約一千名に及ぶ職工は工場
付近に集合して不穏の形勢を示しているので、かねて警戒中の我が陸戦隊員を
増派することとなり、陸戦隊員は数台のトラックに分乗、同工場に急行した。
なお豊田紡の争議は職工側から賃金値上げの要求が持ち出されず、いきなり
騒擾化したところに左翼団体抗日団の扇動運動による悪性のものとされ、七日
以来の在華紡争議において暴動化の過程をとった最初の争議として成り行きを
注目されている。


239 :日本@名無史さん:2005/08/18(木) 07:50:29
これらの状況を考えると、「満州事変」は「日中戦争の原因」などでは
なく、台湾・遼東半島・青島などに並ぶ日本の大陸利権拡張の1イベント
に過ぎないとも考えられる。


240 :日本@名無史さん:2005/08/18(木) 07:56:30
石原はそうしたくなかったんだけどね。石原が関東軍から転任してからはそうなっちゃたね。

241 :日本@名無史さん:2005/08/18(木) 09:50:46
>>239
だな。関東軍の起源も日露戦後の満鉄、遼東半島守備隊からだったな。
関東州の都督は当初武官。後に文武分離し政務と軍務を分けた。
これが癇に障ったのかな?


242 :日本@名無史さん:2005/08/18(木) 09:59:17
アメリカと戦争出来るようになるための戦略だったはずが
いつのまにか今すぐアメリカと戦争するはめになるこの皮肉。
本末転倒。

243 :日本@名無史さん:2005/08/18(木) 12:55:57
>>242
というかウイルソンドクトリンとか見ればアメリカが出て来るのは自明だったと思うが?
アメリカが第1次大戦以降 旧来の孤立主義から脱却した事を見通せてる奴が皆無だったのがこの戦争の敗因。
言っとくが支那事変が無ければアメリカは出て来なかったとか甘い事言うなよ?

また英米が国家主義的な国体を一貫して敵視していた事。まあ、イギリスは事なかれに流れた時期も有るが
アメリカは一貫して共産主義を否定し続けた。
日本の場合大正期まではまったくそうゆう気は無かったのに石原が出てきて以降一挙にファシズムへ傾く。
俺は単純にこれが日本を亡国に追い込んだ最大の原因だと思う。

何度も言うが1930年代初頭に日本がファシズムへ傾かず脱亞的(中国朝鮮から距離を取る)な方向転換をし
アメリカを取り込んだ形の大東亜共栄を日本が推進していれば大成功したのは間違い無い。
また後世大きく評価され全アジアにおける1大革命に成っていたのも間違い無い。





244 :日本@名無史さん:2005/08/18(木) 13:23:36
満州国を門戸開放すればよかったんだよ
でも軍部は日本の財閥すら排除しようとしていた
彼らは国家社会主義者だから


245 :日本@名無史さん:2005/08/18(木) 13:47:06
上の続き。
日本にも牧野伸顕とか良識派も多数居たのだ。
しかしその中間を取り持てる人間が居なかった。現実派とゆうかな。
実はこの確執はマスコミ、知識人を中心に今でも続いている。

明治末期〜大正期とゆうのは大まかに分けて親大陸派と親英米派に分かれていた。

パリ講和会議で牧野の出した人種差別撤廃条項はそうゆう意味で極端だった。
これをもう少し現実とすり合わせた形の案なら英仏はともかくウィルソンは賛成に回ったかも知れない。

まあ、これやり始めると話長く成るから辞めるが
やはり日本は近代の政治的な熟成を得られないままに列強との格差を呪い時勢を焦り
そして最期は暴発したって形なのよ。。。これは何をどう言ってもその結論に成る。

明治維新が外圧的圧力で行われたものでは無く
例えば天明の大飢饉などを契機として西方の各藩が民衆暴動蜂起を画策しもし100年早く行われていたら
俺は日本の歴史はまったく違ったモンに成ったと思う。
まあ、幕藩体制がガタガタに成った江戸中期以降に成ってもそうゆう野心の有る藩は居なかったけどね。
また商人層主導でも数多く有る天領を中心に農民と商人が結託すれば革命は可能だったんじゃないかと思うがな。





246 :日本@名無史さん:2005/08/18(木) 16:14:05
またif戦記ヲタかよ!!w

247 :日本@名無史さん:2005/08/18(木) 16:27:00
>>246
最期の数行だけだろ。
それぐらいは大目に見ろよ。

ツウか歴史は飛躍が無いとツマランよ。


248 :日本@名無史さん:2005/08/18(木) 19:44:15
アメリカに対する認識がおかしすぎる。共産主義を否定?
パラレルワールドの住人か?

249 :日本@名無史さん:2005/08/18(木) 21:07:55
>>248
マッカーシズムとか知らないのか?
これは戦後の話だが第1次大戦中も社会党員は
アメリカの参戦に反対したから非国民扱いを受けている。
有名どころではヘレンケラーとか社会党だな。彼女が常にFBIにマークされてたのは有名な話。

第1次大戦後もそうだが第2時大戦後もアメリカでは移民が急増しその移民達の多くがこの社会党に入党した。
危機感を募らせた白人保守派が戦後レッドパージを始めたって事だ。
これは第1時大戦後も労働者の暴動鎮圧の名目で共産主義者への過剰な弾圧が行われている。(レッド・スケア)
裏を返せばこれも国家主義なんだけどね。

まあ、今も昔もだがアメリカは緩やかな国家主義と白人優勢とゆう危ういパワーバランスで保たれている国だよ。
日本やドイツと違うのは多民族国家ゆえに極には振れない事。




250 :日本@名無史さん:2005/08/18(木) 21:14:05
ボルシェビキに甘甘だっただろうが>アメリカ
大体、(日本が)どんな体制だろうが、米が日本の東南アジア進出なんて認めるはずない。
アメリカという国に幻想抱きすぎ。


251 :日本@名無史さん:2005/08/18(木) 21:28:46
釈迦に説法だが、在華紡をマルクス主義者は「帝国主義的資本の進出」という
理論の証拠と位置付けた。このためアンチマルクス主義者は在華紡のような
経済的進出をあえて軽視する傾向がある。

しかし、常識で考えれば反日感情が燃え上がる中国に日本が多額の投資をして
しかもそれが中国民族資本と激しく競争するのだから、時限爆弾を抱えているよう
なもの。

252 :日本@名無史さん:2005/08/18(木) 21:32:33
まあ日本製品だけ関税を高く設定してた南京も良くないことは良くないんだけどな。

253 :日本@名無史さん:2005/08/18(木) 21:59:37
>>250
それはレーニンとトロツキーがユダヤ系だったのと
内乱で帝政ロシアの勢力の殺ぐのが欧米の利益だったからだ。
だから彼等はアメリカや欧州のユダヤ勢力の庇護の下に革命を成功させた。

しかし国内の共産主義者は別なんだよ。アメリカってのはそうゆう国だろ?
一方で世界平和と人権尊重を叫びながら国内ではアジア人排除、黒人への激しい人種差別を繰り返した。
どちらも上で書いた白人優勢を保つ為のアメリカの国益であり国策だよ。

254 :日本@名無史さん:2005/08/19(金) 01:03:03
アメリカ共産党を描いたハリウッド映画「レッヅ」はよかったなあ。


255 :日本@名無史さん:2005/08/19(金) 04:02:40
所見なし!

256 :所見:2005/08/19(金) 06:52:45
>>253
まぁ、時期にもよるな。レーニンがユダヤ系かどうかはともかく、
スターリンはユダヤ系の団結の甘さをついて片端から粛清しただろ。
これは1920-30年代で米国内でもユダヤ系の左翼は多かったはずだ。
ユダヤ系だから海外では左翼に寛大だったと言う理由で米国政府の
国内政策と区別するのは無理があるよ。革命前後の1910年代とは少し違う。
戦後の反共主義も寧ろカトリックの多いアイルランド系に目立つ。
マッカーシー、マッカーサー、ケネディ等は典型だな。
他方戦前のものはラテン系移民労働者への差別と重なっているな。
海外の米国の政策は単に外交上、大国に対する牽制の延長と考えるべき。
ユダヤ資本の利用はその手段でしかないだろ。

米露ともども差別されていた連中はどうしても社会主義に傾倒していくのだよ。
これは日本も中国も同じ傾向。で、愚にもつかない革命論から或いは伝統を破壊し
原始共産主義的貧乏路線に、或いは戦争から自滅路線に突っ込んで行くわけだ。
溺れる者は笑をも掴む、と批判するのは容易だが、問題はこの貧乏思想に代わる
理想を保守体制側が提示できなかったことだ。
今でも何千年も前の民主主義なんて持ち出しているようでは貧乏復古主義者は説得でけんだろーなー。

人種論よりも日本に北一輝や石原莞爾がいたように米国にもマハンやペリーの弟子がいた
と言う視点はもった方がいいぞ。オジキのルーズベルトと甥のルーズベルトもそれほど違いが
あったとは思えないしな。20世紀前半の米国は明らかに領土拡大路線だよ。


257 :所見:2005/08/19(金) 06:53:38
>>254
漏れは「追憶」がなかなか秀作だと思う。左翼ユダヤ人の(そして多分ロシア系と言う前提だな、
字幕では邦訳されてないがバーバラストライザンドが相方にシャリアピンステーキを勧めるくだりがあり、
原作者はロシア系だ)左翼と言うよりユダヤ人としての問題点がよく表現されている。
舞台は1930-50年代だな。ユダヤ人は才能ある人間がよく出るが、まとまりが悪い。
典型はトロツキーだが天才肌で超然としていて他のユダヤ系革命家に妬まれていた。
スターリンはここを徹底してついたわけだ。
どこかの世渡りの下手な戦略家と良く似てるわなw
石原の戦略思想の種本は末法思想と日蓮の立正安国論だろ。
そういえば日蓮も幕政批判から流刑だったなw

才気走った人間はどうしてこうも世渡りが下手かなーww

258 :日本@名無史さん:2005/08/19(金) 07:57:47
樋口季一郎が、石原は良い意味での派閥をつくれなかったと書いてたな。

259 :日本@名無史さん:2005/08/19(金) 17:28:33
>>256
>これは1920-30年代で米国内でもユダヤ系の左翼は多かったはずだ。
>ユダヤ系だから海外では左翼に寛大だったと言う理由で米国政府の
>国内政策と区別するのは無理があるよ。

トロツキーは米国内で活動する気は無かった。逃亡先にアメリカを選んだだけ。
だから見逃された。そうゆう理由でしょ。

大体この頃のユダヤ人の場合は自分がユダヤだって事をを認識している人間は
なるべくその事を公にしない者の方が多いからな。財を成し有力者に成るとかしなければな。
だから表向きカトリック教徒の隠れユダヤ人なんかアメリカには大勢居た。

中世にはそれすら迫害の対象に成ったろうがこの頃のアメリカは上流階級は兎も角
下層階級においては当の本人すらユダヤ系かどうかすら認識できず
ただ先祖は何処何処からの移民(例えばドイツ、フランス)と言うだけだったかも知れない。
特に19世紀はドイツやアイルランドから食い詰めてアメリカに流れて来る移民が多かった。



260 :日本@名無史さん:2005/08/19(金) 17:29:04
まあでも、1800年代後半〜1900年代初頭はユダヤ系財閥が勃興した時期で
また民主党などに政治権力を扶植していた時期でも有ったから
左翼ユダヤ勢力に対する目こぼしが有ったのも事実だろうが
人種、宗教を問わず共産活動家が当局により多数投獄されたのもまた事実。
俺は政治は人種や宗教のみで全て整理が付く物では無いと思う。

なぜかと言えば政治的要素を主導している勢力と国民世論と国民個人はまた別の物だからだ。
特にアメリカという国はそうゆう色分けが難しい。
簡単に言えば当時南部から北部へ流れて来てユダヤ系企業で働いているプアホワイトはたくさん居たよ。
彼等は共和党を支持しないかも知れない。

戦後の赤狩りは確かにアイリッシュがワスプを廃除しようとしてた要素も有るが
この頃はアメリカ自体に共産敵視を植え付けた方が国益に成ると考えたから
マッカーシーの様な山師を持ち上げたんだろう。
で、ある程度やらせて御用済みに成ったらチョンだ。マッカーシーはその後アル中に成って早死にしている。

アメリカの歴史を見れば分かるがアメリカはイギリスを中心に
欧州のプロテスタント弾圧で逃れて来た白人(ワスプ)が中心と成って作られた国だ
その後移民として入ってきたのがアイリッシュ、カソリック、そしてユダヤだ
その後ワスプはアメリカでバプテスト教会とゆう巨大宗教団体を作る。
これの1部がいまブッシュを支えているメガチャーチへと変化した。

つまりさ、アメリカってのは1面のみで切る事が出来ない国なんだよ。
切る事は出来ないが多分に国益を前提にした国家主義的要素を持った国である事は確かだ。


261 :日本@名無史さん:2005/08/19(金) 18:33:26
>米露ともども差別されていた連中はどうしても社会主義に傾倒していくのだよ。

いや、はやり民族としての多様性の無さと民主主義の成熟の無さが原因だと思うな。
>>257で書いたがアメリカの場合は建国前から植民地というよりは一種の白人合議国家の様だったからね。

>今でも何千年も前の民主主義なんて持ち出しているようでは
これは何の事だ?

>20世紀前半の米国は明らかに領土拡大路線だよ。
その通りだよ。それは>>243で俺も書いた。
アンタとの見解の相違はそれが民主主義に元付いているかって事だろうが
建前では元付いているが本音は違う。アメリカは国益主義なのだ。



262 :日本@名無史さん:2005/08/19(金) 18:59:16
日本と決定的に違う所はアメリカは国策が失敗した場合は方向を転換出来る事だ。
例えばベトナム戦争は東南アジア全域の赤化を防いだと言う点では成功だが
アメリカ1国の事で考えれば米軍が直接統治に乗り込んだのは明らかに米国内的には失敗だった。
またカンボジア空爆なども大失敗。これがポルポト台頭に繋がった。

反戦運動が高まりその世論を尊重して米軍が撤収する。日本ならその反戦運動自体が認められないだろう。
また、ベトナムを従軍したマスコミ関係者の影響も大きい。

つまり国体自体が変質してしまう国としない国 この差が大きいという訳だ。
なぜアメリカが変質しないかと言えば民主主義に元付いた共和制の原則を変える事をしないからだ。
それはなぜかと言えば一般市民が直接戦って手に入れた政体だから。

日本の場合は明治大正は広義には立憲君主制だったが昭和に入り統帥権の拡大解釈で大きく変質した。
また国内的にこれを正す勢力も皆無だった。これは異常だとは思わんか?
つまり中国も日本も国民自体が過度な体制翼賛に走る要素を持った国家という事なんだよ。

民主主義が外国からの借り物って事もあるが
歴史から見て民主主義がアジアの国体にはそぐわないとゆう側面も確かに有る。
しかし借り物の民主主義が厭なら自分達でそれに代わる政体を手に入れようと言うイデオロギーも無い。
だから欧米に敗れ去ったと言う訳さ。

但しアメリカは国外的にはまったく節操の無い国だ。反ソとゆうだけでポルポト政権を支持したりな。


263 :日本@名無史さん:2005/08/19(金) 21:56:40
石原マニア集団のスレはここですか?

264 :日本@名無史さん:2005/08/19(金) 21:59:38
あたりまえじゃん。
スレタイみりゃ分かるだろ。


265 :日本@名無史さん:2005/08/20(土) 08:13:31
実務者の永田鉄山さえ死ななきゃもっとマシな国だったろうに。


266 :日本@名無史さん:2005/08/22(月) 01:41:10
戦争史大観と最終戦争論って
どちらを先に読んだ方が石原の考えが伝わりやすいでしょうか?

267 :日本@名無史さん:2005/08/24(水) 17:46:10
最終戦争論だね!戦争史大観はいらん!読むとぞくっとするよ!

268 :何妙法蓮華経・石原莞爾が浜四津とキス:2005/08/24(水) 17:52:49
「2chの書き込みが膨大な内閣機密費を使って行われていることすら知らない若者が多いのには驚く。」
と簡単に軍需利権に煽られる単細胞な若者の無知に元カナダ大使館公使が警告した。
「2チャンネルの書き込みが、当初と違って右傾化、政権擁護的になってきているのは、権力者がネットの影響力に気づいて、機密費を使って役人や「さくら」に書き込ませ、世論誘導をはかろうとしているからだ。
これはもはや知る人は知っている。実に卑劣な手口だ。」 ,,,これは,もはや知る人は知っている。
http://amaki.cc/bn/Fx.exe?Parm=ns0040!NSColumnT&Init=CALL&SYSKEY=0097
http://www.shii.gr.jp/pol/2001/2001_02/2001_0218.html
首相 何に使われるか申し上げるわけにはいかないわけですから、そのことがいいか悪いか、私が申し上げる立場ではない、こう申し上げています。
志位 許されないこととはいえませんか。つまり、(「機密費」の目的は)「国の業務を円滑にする」というんでしょ。国会対策というのは、これは党派の問題でしょ。こういうものは許されないといえませんか。『内閣機密費の闇』
http://esashib.hp.infoseek.co.jp/isiikoki09.htm
また『読売報知』は次のようにいう。
「″戦争は儲かるものである″侵略主義者はさう思ってきた、なかでも僅か三五才の無一文の一青年がたった三年間に三三億円といふ天文学的数字に近い巨大な富を築きあげた実例は世界戦争史上にも稀有のことだろう。四五・十二・六」
http://www.shii.gr.jp/pol/2001/2001_02/2001_0212.html
http://www.linkclub.or.jp/~teppei-y/tawara%20HP/2000.10.2/korega.html
改憲・有事法制利権が右翼にとってどれほど美味しいかを児玉誉士夫はみごとに体現している。
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik2/2003-10-31/03_01.html


269 :日本@名無史さん:2005/08/24(水) 21:05:01
盛岡の諸君!喜んで下さい!
あの東条という男は盛岡の本当の市民ではない!
あれは祖父の代に能役者として盛岡に流れ込んで来て、盛岡に住みついた男で、根っからの盛岡人ではなかった。
あんな馬鹿者が盛岡市民でなかったことは、東北人として、お互いに大いに喜びとするところである!

270 :日本@名無史さん:2005/08/27(土) 03:03:09
石原の霊を成仏させるためにも、
東アジア共同体構想を実現させよう!!


271 :日本@名無史さん:2005/08/27(土) 08:37:48
 石原の霊を成仏させるためにも、
 朝鮮中国を離れて、大平洋海洋国家として発展しよう。

272 :日本@名無史さん:2005/08/27(土) 09:08:40
あいつらとかかわったってろくなことはない、と石原は教えてくれたんだな。

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