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お産の歴史

1 :日本@名無史さん:2005/08/01(月) 19:08:55
どの偉人も、元は母の腹から生まれてきたってことで、
日本史上での妊娠や出産にまつわる話を語ってみないか?

2 :日本@名無史さん:2005/08/01(月) 19:10:21
2

3 :日本@名無史さん:2005/08/01(月) 19:14:33
3婆

4 :日本@名無史さん:2005/08/01(月) 19:15:06
豊葦原の瑞穂の国は むかしむかしイザナギとイザナミが
高天原よりパ〜ッパ〜ッと粉を撒いてお作りにならしゃられた国 日ノ本にごじゃりまする


5 :日本@名無史さん:2005/08/01(月) 19:19:41
コノハヤサクヤヒメの出産は壮絶

6 :日本@名無史さん:2005/08/01(月) 19:25:34
>>1
おっさんの歴史なら

7 ::2005/08/01(月) 19:34:27
>>6
坊さんの?

8 :日本@名無史さん:2005/08/01(月) 19:50:17
>>1
昔は肥立ちを良くする意味もあって胎盤を食ったそうだ
わさび醤油がイケルらしい

9 :日本@名無史さん:2005/08/01(月) 22:36:58
>>8
母国へお帰りください。

10 :日本@名無史さん:2005/08/01(月) 23:53:48
>>9
日本でも胎盤は普通に食ってたみたいだぞ。実際、産婦の回復に良いとも言われている。
(プラセタとかいう名で胎盤組織を使った化粧品とかもあるらしい)
胎盤は、酒と水できれいに洗うから、生レバー食えるなら大丈夫だと祖母は言っていた。

あと、後産は神聖なものと信じられていたから、昔は大事に扱われていたし、
今は医療産廃といっても、きちんと火葬扱いされるのはその名残りなんだそうだ。

11 :日本@名無史さん:2005/08/02(火) 00:15:57
実際のところ、西洋医学が入って来る前の日本では
産婦人科に関する知識ってどのくらいまであったのかな?

12 :日本@名無史さん:2005/08/02(火) 00:51:56
胎盤って薬になるんじゃなかったっけ。
お産のあとに食べるのは本当にあったらしい。
胎盤じゃないけど、臍帯血は病院によっては
提供するかどうか聞かれるなじゃなかったかな。
そういうCMがあった気が…

13 :日本@名無史さん:2005/08/02(火) 01:19:44
臍帯といえば、道長や頼朝は自分の子供の臍帯を自ら切ったという話があるそうな
本で読んだ時、凄く以外に感じた。立ち会ったのかな?

14 :日本@名無史さん:2005/08/02(火) 01:40:18
頼朝が政子に頭が上がらなかった理由はそういうことだったのか…納得

15 :日本@名無史さん:2005/08/02(火) 05:55:06
>>13
それどちらも眉唾だな
平安貴族は血や死を穢れとして忌み嫌ったし、武家も妊婦は武具に触れないって
いうぐらいそういうことには神経質。

16 :日本@名無史さん:2005/08/02(火) 08:27:29
そんな細かいことは気にしない(゚ε゚)キニシナイ!!
という伝説のために後から創作された話じゃないの?

17 :山野野衾 ◆a/lHDs2vKA :2005/08/02(火) 10:10:58
『吾妻鏡』等では確認出来ませんが、ありえなくもないかもしれません。
なお、当時へその緒を切断する際には、竹の小刀を使用しました。
胎盤の扱いがはっきりするのは中世後期からですが、瓶に納め、山中に埋め、
上に松の木を立てて帰還しています(高位の武家の場合)。
同様の習慣は、朝鮮や中国にも存在していましたが、関連は不明。
民間でも、敷居や厩の入り口や辻に埋めたり、山中に埋めて「最初に上を通
ったものを怖れる子になるから」と言って、父親が踏み固めて帰るという事
が、昭和まで続きました。
松の木は墓標と同じでしたが、異界へ送るという意味もあったのでしょう。
なお、生れたばかりの子が死んだ場合、胎盤ごと葬られましたが、その時に
は墓標は設けられず、皇族でも布などで包んで遺棄されました。

18 :日本@名無史さん:2005/08/02(火) 17:07:46
産穢が今に伝わるような厳しく複雑化したのは、実は江戸時代に入ってからみたいです。
内裏はもち別格だろうけど、貴族は案外とそこまで厳しくなかったのではないでしょうか?
月水の穢れと違って、お産の穢れは夫も穢れ扱いだったともいわれていますし。
物語上ですが源氏物語でも、夕霧が生まれる時に源氏は産室に入っていますし、
陣痛と生霊に苦しむ葵を介抱していたような書き方だったと思います。

19 :山野野衾 ◆a/lHDs2vKA :2005/08/02(火) 19:18:48
煩く言われる様になったのは10世紀以降、わけても11世紀の後朱雀天皇
の時代以降の様です(『中外抄』ほか)。
源氏も夕顔の死穢に触れた後は理由をつけて家にいましたし、家族が死んで
も出来るだけ死穢を避けてその場を立ち去る場合も多く、近世からという事
も無さそうです。
中世前期までは、葬送に参加出来たのは基本的に家族だけでしたが、これは
死穢(通常は30日ですが、この場合49日)が忌まれた為。
隣人が死んでもほったらかしで、遺骸は放置されています。
ただ、産穢は7日と比較的軽い為、気にしないという事もありました。

20 :日本@名無史さん:2005/08/02(火) 21:41:30
そう言えば、道長も頼朝も奥さんに高齢出産させてるな。
倫子が40歳くらい?政子が36歳。
今現在でも35歳からが高齢出産と呼ばれるらしいけど、なんかすごいな。

21 :日本@名無史さん:2005/08/02(火) 23:30:58
家康の娘は44歳(47歳説もある)で産んでるw

22 :日本@名無史さん:2005/08/02(火) 23:35:36
>>20
初産じゃないから大丈夫だろ。
○高ってのは、初産が35歳ってこと。

23 :日本@名無史さん:2005/08/03(水) 00:18:56
高齢出産の逆で、前田利家のかみさんなんて12歳が初産
その後も、子供を産み続けた。
同年齢では、信玄の先妻が13歳で妊娠したが子供と共に死亡
氏政のかみさんも12歳で出産したが死産といった感じだから
低年齢にも関わらず無事出産した彼女も、すごいといえばすごい

24 :日本@名無史さん:2005/08/03(水) 00:34:19
12、3歳のいたいけな少女を妊娠させるなんて鬼畜だ!

25 :日本@名無史さん:2005/08/03(水) 00:36:33
妊娠させてあげないほうがかわいそうだろ

26 :犬千代:2005/08/03(水) 00:41:36
>>24
儂は冤罪だって、まつを強姦した椰子に言えよ!

27 :日本@名無史さん:2005/08/03(水) 00:53:55
>>24
まつはともかく、信玄と氏政の場合はご夫婦ですからw

28 :日本@名無史さん:2005/08/03(水) 01:03:06
>>23
もうちょい若い子で出産した例を教えてくれ

29 :日本@名無史さん:2005/08/03(水) 01:05:05
みんな「お母産」

30 :28:2005/08/03(水) 01:08:38
>>28
そこまでは知らない

31 :日本@名無史さん:2005/08/03(水) 01:14:51
>>30の名前間違えた、28ではなく23。申し訳ない

32 :日本@名無史さん:2005/08/03(水) 02:37:52
>>24
年齢うんぬんより月経があるかないかが、やるか否かの判断基準。
10代なりたてでも、月経があれば子を産める体になったとして
普通に結婚するし、まだ10代に満たないうちに嫁いでいたとしても、
初潮がくれば、寝所も同じにしたそうな。
言い換えれば、初潮がきた女ならやってもいいってことらしい。
逆にきてない女とやるのは今で言うロリってやつで、変態扱いされたそうな。

33 :日本@名無史さん:2005/08/03(水) 03:12:12
鴎外の「渋江抽斎」を読んでたら、
抽斎の妻が出産したとき、へその緒を病気の知人にあげた、という記述があった。
妻はほんとはあげたくなかったので、たいそう悲しんだとのこと。

あとで該当箇所調べてみる。
なんか薬効があると思われてみたいだよ。

34 :日本@名無史さん:2005/08/03(水) 03:20:35
http://www.geocities.jp/hgonzaemon/sibuechusai.html
ここの「その五十一」の記述を参照してくり。

読んだばかりなのに、勘違いがいくつも…。

・抽斎夫婦は喜んで胎盤(当時は胞衣[えな]、と言っていたらしい)をあげた。
・癲癇に効くと思われていた。
・胞衣を他人に奪われた子は育たない、という俗説があり、それを信じていた乳母が
とても悲しんだ



35 :日本@名無史さん:2005/08/03(水) 03:23:51
>>32
勿体無い。
初潮がきてなければ
気兼ねせずにやりまくりだろうに。

36 :日本@名無史さん:2005/08/03(水) 04:30:31
33.34 それは胎盤。
プラセンタのことですよ、日本では豚や羊のものしか買えませんが米国だと人のプラが買えます。お産の際に自分用に取っておく人もいます。

37 :33:2005/08/03(水) 04:46:38
すいません、胎盤=へその緒だと思ってましたw
ここで恥をかいておいて良かった…

38 :日本@名無史さん:2005/08/03(水) 15:35:22
>>35
来たな変態!

39 :日本@名無史さん:2005/08/03(水) 16:01:49
なんかの時代劇で、いざという時はこの器具を使って子供を出すから大丈夫と
医者が言ってるシーンがあって、大きなトングみたいなやつを持ってた。
江戸時代、本当にこんな器具あったの?

40 :日本@名無史さん:2005/08/03(水) 16:23:44
ドラマを史実と(ry

41 :日本@名無史さん:2005/08/03(水) 17:24:10
>>11
武家や公家のような上流階級だけでなく、庶民の間でも
植物の茎を子宮口に差し込んで人工的に流産させる堕胎法が
知られていたというから、それなりの知識はあったと思われ
同時代の産婦人科学を、西洋医学と東洋医学で比較すると
東洋医学の方がすすんでいた傾向もあるらしいよ。

>>39
江戸時代は器具を使っての堕胎法もあったから
お産で器具が使われていても不思議ではないと思われ

42 :山野野衾 ◆a/lHDs2vKA :2005/08/03(水) 18:28:03
書写山の性空上人は、母の妊娠中に悪い事が重なったので、「毒」によって
堕胎されそうになったものの、無事誕生にこぎつけられたとか。
当時、妊娠中に妊婦の体調が悪くなると、初子でも無い限り、堕胎するか捨
てる(他人に預けるのも含む)事があった為。
五月生まれや、父親が四十歳である場合も忌まれました。

43 :日本@名無史さん:2005/08/03(水) 20:10:49
>>39
そういう形状の物は、確か早くても明治ぐらいに使われだしたのではなかったかな
器具自体はあったよ。主に江戸後期あたりから出だしたもので、鉄鉤状の物や
探顎器・ゾンデ・網・奪珠車等。蘭医学が入ってきてから、スポイトも分娩の
補助用具の一つになった。

44 :日本@名無史さん:2005/08/03(水) 21:42:14
>>43
鉄鉤状の物でどうやって赤ん坊を取り出すんだ?
普通に考えれば、体のどこかに突き刺さってアボーン

45 :日本@名無史さん:2005/08/03(水) 23:05:12
>>41
>植物の茎を子宮口に差し込んで人工的に流産させる堕胎法
現代でも、中絶する場合似た処置を行う場合があります。
今は植物の茎ではなく、海藻を乾燥させた物ですが。
昔の医学は案外バカにできないものなんですね、すごく驚きました

>>42
その毒は、もしかして腐胎薬って言われていたものですか?
父親が厄年の時の子が忌まれるのは聞いたことがありますが、
(家康の子供にもそういう子がいたとか?)
五月生まれは初耳です。どういう理由があるのでしょうか?

46 :43:2005/08/04(木) 01:10:17
>>44
酷い言い方だけど、鉄鉤を使う場合子供は助からなくても良かったらしい。
あくまで、母体を守るために行われた方法。
その鉄鉤の絵が残っているけど、見るからに鉄鉤で子供を引っ掛けて出す感じ。
だから、子供がパーツ化して出てくることもあったみたいで、出した子供は
家族には絶対見せなかったと言われている。他に胎盤が出てこない時も、この鉄鉤を使った。
どちらにせよ、悲惨な処置方法だったとのこと。

因みに、この鉄鉤を考案したのは、賀川玄悦って人で江戸末期まで産科系の主流を占めた
賀川流の祖で、この鉄鉤を使う方法は賀川流の回生術と呼ばれていた。
彼は産論という産科医学書を書いているから、興味あったら読んでみるといいかも。
胎児は最初から頭を下にしているとか、産椅使用は良くないとか、当時の常識を覆す内容が
書いてあっておもしろい。

47 :山野野衾 ◆a/lHDs2vKA :2005/08/04(木) 01:12:00
>五月生まれは初耳です。
捨てられたのは、『大鏡』の登場人物の一人夏山茂樹ですが、これは『大鏡裏書』
や、『東山往来』が明らかにしている様に、『史記』の中で孟嘗君という人物が、
五月(厄払いの月)の生まれで、親を殺すと言われて殺されそうになったもの
が、母親にかくまわれて無事成長し、却って才能を見せたという話があるの
に因んだものです。
これは迷信否定の話であったのに、民間では迷信の方が『史記』に登場する道
理よりも通りがよく、捨子の慣習の方が定着してしまった。
堕胎薬の種類については不明ですが、花山院の書き残された事です。

48 :日本@名無史さん:2005/08/04(木) 01:45:31
堕胎はほんとに痛ましいですよね。
だからやっぱり初潮が来る前に
やりまくるべきだと思います。

49 :日本@名無史さん:2005/08/04(木) 01:57:19
初潮が来る前でも、実は妊娠可能らしいぞ

50 :日本@名無史さん:2005/08/04(木) 16:10:11
閉経後でも妊娠の可能性がある

51 :日本@名無史さん:2005/08/04(木) 22:45:23
昔は堕胎より間引きの方が多かったんじゃね?
7歳までは神様の子だから、お返しするだけという理由で
平気で殺してたんだろ?

52 :日本@名無史さん:2005/08/04(木) 22:55:44
マジ?

53 :日本@名無史さん:2005/08/04(木) 23:00:18
日本に来た宣教師の記録に「日本人は平気で子供を殺しまくってるので教化してやめさせなければ」みたいなことが書かれてた、とか。16〜17世紀の話。

まあ詳しいことは不勉強でわからん。
明日図書館行ってくる。

54 :信雄:2005/08/04(木) 23:02:09
フロイスは嘘ばっかり書いてるよw

55 :日本@名無史さん:2005/08/04(木) 23:13:38
「日本の女性は処女性や貞操を重んじる傾向がないため、男女関係は乱れている。
驚くことにこれは町人に限らず、姫にまで及んでいる。
そのため望まれない子供が生まれることも多く、そういう子は産まれても
良くて養子に出されるが、ほとんどはすぐに殺されるか捨てられた」

56 :日本@名無史さん:2005/08/05(金) 00:02:23
繁殖力は国の発展、人類の発展につながる。
それに比べればごく僅かな犠牲。

57 :日本@名無史さん:2005/08/05(金) 00:10:15
>>51
出産と身体の近世という本によると、間引きがあまりに多いため大問題になり、
間引き禁止法を定めたり、養育費を出したり、預かったり、教化したりと
各藩でいろいりな対策を打ったそうだから、かなりの間引きがあったのは
確かな話だと思う。殺す方法も酷いのは酷い。
ただ、みんながみんな平気で殺していたとは思いたくない。
7歳までは神の子だから返すまでというのも、慰めの一種だろうと思う。

58 :日本@名無史さん:2005/08/05(金) 00:52:44
綱吉がここで一言↓

59 :江戸町民代表:2005/08/05(金) 01:24:53
お前の種が少なかっただけだろw

60 :日本@名無史さん:2005/08/05(金) 02:25:18
>>1
腹帯には旦那の褌を巻くこともあった。難産の場合、褌の切れ端を飲ませた。

61 :山野野衾 ◆a/lHDs2vKA :2005/08/05(金) 10:24:21
>52
幼児に葬礼の必要なし、と判断される事はありましたが、お返しするだけと
明言した記録に、憶えはありません。
フロイスの証言ですが、あれも大袈裟な人ですからね・・・。

62 :日本@名無史さん:2005/08/05(金) 12:46:15
お返し申すと関係しているかわからんが、地元にはお返し流しっていうのが残っている。
腹帯済後の流産や死産、赤ん坊が初宮参り前に死んだ時にだけやる風習で、
箒を川に流す、お返し申しますと書いた紙を貼った箒や桑の木の枝を一緒にお棺に
入れるなど。厳密にいうと赤ん坊が死んだ状態により遣り方は変わってくるらしい。

63 :日本@名無史さん:2005/08/05(金) 15:09:34
>>60
褌が発生したのも女の生理帯のためだとか…

64 :日本@名無史さん:2005/08/06(土) 00:20:18
>>61
日本産育習俗資料集成というのにオカエシモウスが載ってたよ。

65 :山野野衾 ◆a/lHDs2vKA :2005/08/06(土) 10:04:04
御礼を申し上げます。それでは、また参照しておきます。
ただ、『諸国風俗問状答』などを見ておりますと、北東北にはそうした意識
もあった様ですが、地域や時代の差も考えてみたいと思われます。
私がご紹介するのは、特に断りが無ければ、提示した各時代の京都一帯の
事例だとお考え下さい。

66 :日本@名無史さん:2005/08/06(土) 19:37:01
民俗学のネタじゃないかなと思うんだが・・・・まぁ学際的なボーダーラインか

67 :日本@名無史さん:2005/08/06(土) 21:41:58
出産が可能な年齢は何歳から何歳までですか?

68 :日本@名無史さん:2005/08/06(土) 23:37:31
10代から50代(レアケースは省く)
でも高齢になると母体だけでなく子供へのリスクも高くなると言われている。

ところで、歴史上人物でこんな場所でとかこんな状況でとか生まれた時の
おもしろ話ある?

69 :日本@名無史さん:2005/08/06(土) 23:42:26
平安時代末期のお産の絵が残っているよ。
国宝の「餓鬼草紙」で岡山の河本家伝来、東京国立博物館蔵。
原本は展示されていないけど、伝田中納言(たなか、とつげん)の
剥落模写本が9月11日まで展示されているよ。


70 :日本@名無史さん:2005/08/07(日) 00:03:44
>>68
>10代から50代(レアケースは省く)
それ誰だってわかるだろw
実際に記録が残っている範囲では何歳から何歳までか?

71 :日本@名無史さん:2005/08/07(日) 00:13:44
このスレ内でみると、12歳〜44or47歳

72 :日本@名無史さん:2005/08/07(日) 00:29:42
それは常識の範囲内だから面白くない。
それを凌ぐ記録を教えてくれ。

73 :日本@名無史さん:2005/08/07(日) 00:42:32
少しは自分でも調べろ

74 :山野野衾 ◆a/lHDs2vKA :2005/08/07(日) 08:33:09
>>69
『彦火火出見尊絵巻(江戸初期模写)』、『法然上人絵伝』、『源氏物語絵巻』、
『北野天神縁起絵巻』、『融通念仏縁起』
・・・で古いのはおおよそ揃いますね。

幼齢出産の記録は、江戸後期の複数の記録に登場する、八歳児のそれでは。
何故か父親の詮索が出て来ませんが、真偽については談論風発でした。
1562年、丹波で九歳児が出産していた事をたてに肯定する論者も。
少なくとも、授乳は可能であったそうですが、根岸肥前守鎮衛などは、妖
怪や幽霊ならばまだ実在するかもしれないが、生身の子供の出産は考え難
いとしていました。

75 :日本@名無史さん:2005/08/08(月) 09:08:46
産屋を平安貴族は立ててたのでしょうかね?
古事記にも産屋の記述は出てきますよね、
「一回で妊娠?俺の子じゃねーだろ?」
「あ?じゃ、あんたの子だったら助かる、あんたの子じゃなきゃ焼け死ぬ」
って、産屋に火をかけて出産って話が。
で、昭和初期でも、田舎じゃ、産屋が使われていたそうだし。
平安貴族はどうだったの?

76 :日本@名無史さん:2005/08/30(火) 13:57:30
『紫式部日記』に出てくる藤原彰子の出産の記述をみると
出産専用の家(産屋)を建てた様子はない。

77 :日本@名無史さん:2005/08/31(水) 17:33:00
産屋って、日本のみ?沖縄や南洋諸島やアイヌや朝鮮や中国じゃあるのかな?
古事記のウガヤフキアエズのくだりは九州だし、南洋の風俗かな?

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