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【比売大神】 宇佐神宮って卑弥呼の墓?【卑弥呼】

1 :16歳中卒ヒッキー ◆HCmIhYMlyc :2005/08/12(金) 10:50:39
宇佐神宮って卑弥呼が死んだところ。
すなわち邪馬台国なの?
宇佐神宮に祭られてる比売大神は卑弥呼だという
説もあるくらいだけど・・
だとすると一緒に祭られてる神功皇后・応神天皇も
卑弥呼や邪馬台国となんらかのかかわりがあるの?
皆さん若輩者の僕にご教授してくださいましな。

2 :日本@名無史さん:2005/08/12(金) 13:15:14
ホシュ

3 :日本@名無史さん:2005/08/13(土) 21:03:00
高木アキミツさんの本読んだの?

しかし、宇佐だと魏志倭人伝の「陸行○月」のところが問題になるような気が。
魏の使者というVIPを、船で行けるにもかかわらず、陸に上がってもらって輿なんかで
邪馬台国の都までお送りした、なんてことがありうるのか?


4 :日本@名無史さん:2005/08/13(土) 21:24:13
豊、伊予(台与)か卑弥呼(ヒムカ)いずれかの墓だな

5 :日本@名無史さん:2005/08/13(土) 21:26:17
>>3
直ぐ誰それの本読んだ?とか思考停止な発言しない
普通に考えて、宇佐は極めて怪しい

6 :16歳中卒ヒッキー ◆HCmIhYMlyc :2005/08/14(日) 10:20:57
宇佐八幡神託事件から察するに
やっぱ大和朝廷の始祖は卑弥呼なの?
じゃなかったら宇佐神宮に神託聞きに来る
理由がわからない

7 :日本@名無史さん:2005/08/14(日) 13:09:57
宇佐神宮の話は、すでに決着済みの話。
8世紀に建立された宇佐神宮で、3世紀を騙ろうなんて、無理があり過ぎる
んだよ。500年だぜ、500年。現在を、戦国時代に関連付けて騙っている
ようなもの。

大神比義が、倭人伝の卑弥呼、記紀の神功皇后、玄界灘沿岸に伝承される
オオタラシ姫伝承を元ネタに、建立したのが宇佐神宮。
後世の人までコロリと騙されてしまう、大神比義の手並みは大したもんだ。

8 :日本@名無史さん:2005/08/14(日) 14:54:00
馬鹿いいなさい、神宮建立始まったのが8世紀、
3世紀のことをもとに作られているという事は
否定はできない。

9 :日本@名無史さん:2005/08/14(日) 15:37:37
>>8
>否定はできない。

ここから考え直す必要があるな。
必要なのは、“ある”ことを証明すること。

10 :日本@名無史さん:2005/08/14(日) 20:11:48
宇佐に邪馬台国が”ある”ことは幾らでも証拠はある。
しかし”ない”ことは証明できない。

11 :日本@名無史さん:2005/08/14(日) 21:14:32
>>9-10
つまり、ないことの証明ができない以上、肯定派は宇佐=邪馬台国の証明
を先にする必要がある。

宇佐神宮が証拠とか言うなよ、厨房。

12 :日本@名無史さん:2005/08/14(日) 22:07:03
>>11
邪馬台国は相対的に推定されるものである
宇佐は相対的に頭一つも二つも出ているので
まず、宇佐=邪馬台国をベースに邪馬台国論争を始めるべきである。

13 :日本@名無史さん:2005/08/14(日) 22:18:09
 私は宇佐が祖母の田舎なのですが、宇佐神宮はもとは海神信仰だったという伝承もあります。
現在の宇佐駅と宇佐神社の中間あたりに、古代の塚というのがあって、地元の研究者
の話では、隼人族との合戦で死んだ人たち(たぶん敵の隼人)の鎮魂の塚だとされてます。
宇佐神社は「御もと山」(標高500?・ピクニック気分で登ると大変)が奥の宮で、
小涼山(亀山)は人工的な形状(少なくとも人の手が入ってる)。
 宇佐神社が史料的には8世紀の創建とされるのも、最近は考古学的にハッキリしてきて、
私が3年前に久しぶりに行ったとき、弥勒寺の縄張りが発掘されてました。
つまり、8世紀当時の宇佐神宮は仏教の普及によって、3世紀の海神信仰を仏教的に
再構築したのではないかと、そう解釈しています(私が)。高木あき光氏の小説では
昭和の造営のさいに、甕棺が「発見されたがそのまま埋められた」というのも
地元では誰でも知っている(70歳以上・・・笑)話です。地元の研究者の熱意と
神社本庁の裁断があれば、小涼山自体を発掘調査(甕棺と金印)することも可能かと思われます。
権宮司の至津氏や戦前の宮司横山氏との親交もありますので、新しい話が聞けたらアップします。



14 :日本@名無史さん:2005/08/14(日) 22:41:39
>>12
>宇佐は相対的に頭一つも二つも出ているので

一つも二つも出てるなんて思ってるのはお前だけ

15 :日本@名無史さん:2005/08/14(日) 22:52:55
>>12>>14

どっちも資料的裏づけはゼロ
どころか、論拠となる二次三次文献もワカラソ罵倒の応酬
>>13みたいな現地証言者が現れたんだから、傾聴するべし
と、スレの品質を気にする俺

16 :日本@名無史さん:2005/08/14(日) 22:57:39
>>15
お前は>>11を百万回読んでくれ。

17 :日本@名無史さん:2005/08/14(日) 22:59:17
>>13
ありがとうございます。
ただ、宇佐は邪馬台国の中心地だと考えますが
卑弥呼の墓自体は他の場所に祀られているものと考えております。
仮にあっても台与かそれに近い人物だと考えています。

18 :日本@名無史さん:2005/08/14(日) 23:08:56
>16

何度も読んでみたが、文章がまったく意味不明だった……。
リンクも読んだが、いったい何が言いたかったのか……。

ちなみに漏れは>15ではないが、>16よりもはるかに頭が悪いらしい……鬱。
スマソ……。

19 :日本@名無史さん:2005/08/14(日) 23:09:43
宇佐神宮が大和朝廷から伊勢神宮並みの別格扱いを受けており、
なおかつ、応神天皇・神功皇后から格上扱いの祭られ方をしている。
これらの事実は、大和朝廷のルーツがもともと九州にあったことを示唆している。

20 :日本@名無史さん:2005/08/14(日) 23:20:58
九州は様々な先住系が武力もって果敢に抵抗したので
とても中央政権ができるような状態ではなかかった。
更に、均一性が低く、とても巨大政権が生まれる素養がなかった。

21 :日本@名無史さん:2005/08/14(日) 23:27:55
>>20

>中央政権ができる
>巨大政権が生まれる

これは邪馬台国の意味なのか? それとも大和朝廷の意味なのか?
邪馬台国は連合国家であって中央巨大政権ではないから、九州に成立可能か?
答えてくれ。


22 :日本@名無史さん:2005/08/14(日) 23:32:34
>>19
皇室のルーツが九州にあったのは同意。
記紀にも日向のことがはっきり書かれている。
宇佐のことは殆ど無視だが。

23 :日本@名無史さん:2005/08/14(日) 23:41:21
>22
うひゃ!「記紀」はやめてよ。単なる藤原氏の歴史捏造だよー。
新史料か新しい研究結果を持ってきて!

24 :日本@名無史さん:2005/08/14(日) 23:43:42
>>21
おれは20じゃないが、九州島限定で、投馬5万戸、邪馬台7万戸の比定地を
探すのは難しいと思う。ていうか、そんな考古学的証拠は見つかっていないし。
やはり邪馬台国連合は、瀬戸内海経済圏を包括する広域的政権だったのだろう。

25 :日本@名無史さん:2005/08/14(日) 23:46:53
中臣は天皇を九州出身にしたいという願望があったのだろうか
隼人ではないな隼人征服しているから、しかし隼人にしたかったのかな


26 :日本@名無史さん:2005/08/14(日) 23:47:01
>>19>>22

もはや、古代史の文献史学の限界は明らか。歴史推理とか妄想はやめて、考古学分析に体を動かせるべし。
体を使わないで、新たに何かわかると思ったら間違いだ。ひたいに汗をして、発掘つか聞き取り
フィールドワークをしたほうが歴史学に貢献できる。

27 :日本@名無史さん:2005/08/14(日) 23:50:04
>>23
戦後の記紀アレルギーの弊害か。そんな低次元で思考が停止するのはどうか
と思うぞ。

少なくとも記紀から編纂時の皇室の考えは読み取れる。
日向は大切にされて宇佐は無視。それが当時の皇室の公式見解だった。
それで充分だろ。

28 :日本@名無史さん:2005/08/14(日) 23:55:31
>>27

「記紀」を皇室が編纂? え? 明治時代の意味か?
成立年と編纂者、知ってますか??


29 :日本@名無史さん:2005/08/14(日) 23:57:41

そんなことはない、奴国を博多周辺の小さな都市国家として二万戸ある
わけだから、例えば投馬を薩摩全体、邪馬台国を
豊国、日向一帯を想定すれば決して不可能な数ではない。
彼らは国交のある邪馬台国連合について事細かに語っているが
他の地域の連合国家については大雑把にしか把握できていない
実際にはもっと分けることができるはず。

30 :日本@名無史さん:2005/08/14(日) 23:59:48
>>25
応神以降、日向は大王家と密接になっている。
その時に、日向三代神話が皇室神話に入り込んだのかもしれない。
日向西都原の古墳は3世紀まで遡るそうで、昔より親ヤマト政権で
あった。また日向は対熊襲の最前線基地でもあり、軍事的にも強国で
あっただろうと推測できる。

31 :日本@名無史さん:2005/08/15(月) 00:00:52
>>29さんは>>24さんへの反論?ですよね。

錯綜してるけど、なかなかいいスレですね。

32 :日本@名無史さん:2005/08/15(月) 00:04:10
>30

>日向西都原の古墳は3世紀まで遡るそうで、昔より親ヤマト政権であった。

って、大和朝廷(ヤマト政権)を3世紀以前まで遡る史料的根拠は?
何か、新しい史料があるの?

33 :日本@名無史さん:2005/08/15(月) 00:07:34
>>28
古事記も日本書紀も天皇の勅だろ。
お前は大坂城は大工さんが作ったと言いたいのか?

34 :日本@名無史さん:2005/08/15(月) 00:10:20
>>29
>奴国を博多周辺の小さな都市国家として二万戸あるわけだから

九州内で奴国の遺跡を上回る遺跡って、なかなか無いと思うけどな。
まだ見つかってないだけだって? ああそうですか。

35 :日本@名無史さん:2005/08/15(月) 00:13:56
>>32
3世紀のマキムク政権がプレ・ヤマト政権であることは間違いないと思うがな。


36 :日本@名無史さん:2005/08/15(月) 00:15:39
>33

形式論議はするなよ。誰が編纂の主体だったかと、そう問うているのだ。

大阪城は秀吉が作ったわけではないぞ、清正をはじめとする建築プロパーの
子飼い武将たちだ。秀吉の築城思想と清正の築城思想とどちらが反映されているのかは
名古屋城や熊本城、江戸城の縄張りと石垣を見れば明白だ!

37 :日本@名無史さん:2005/08/15(月) 00:20:21
>>34
邪馬台国ってのは卑弥呼の時にできた国家群だというのは知ってるよね?
邪馬台国が元々あってこれに奴国やら松浦国がその連合に加わっていたわけで
この場合、国を二つの意味で使っている事に留意せんといかん、
つまり連邦国家群と国という二つね

38 :日本@名無史さん:2005/08/15(月) 00:22:56
http://inoues.net/wajindenx.html
魏志倭人伝訳文

39 :日本@名無史さん:2005/08/15(月) 00:24:00
>35
「マキムク(纏向)政権」って、実証性あるの?
万葉集以外に、具体的な一次史料キボンヌ(願

40 :日本@名無史さん:2005/08/15(月) 00:25:24
ま、ま、万葉集・・・・・_| ̄|○

41 :日本@名無史さん:2005/08/15(月) 00:26:08
>>36
記紀は天皇家が自らの王位の正当性を、大坂城は秀吉が自らの権力を誇示する
ために作らせたもの。
行為の主体は天皇家であり、秀吉。
分かったか?

42 :日本@名無史さん:2005/08/15(月) 00:26:25
話を宇佐神社に戻さないと、別スレと同じだよ


43 :日本@名無史さん:2005/08/15(月) 00:26:54
>>36
豊臣大坂城の築城された時代って、清正はまだザコじゃねぇ?
熊本城はともかく、名古屋城や江戸城の縄張に清正が関与してたの?

っていうか、秀吉の築城思想と清正の築城思想の違いって?

44 :日本@名無史さん:2005/08/15(月) 00:28:53
>>41
中身を聞いてるんだよ、形式を言うだけなら何も発見できんぞ
小学生や中学生の定期試験じゃないんだからさ・・・
誰が、何の目的で、どのように作ったのか、詳述せれ!

45 :日本@名無史さん:2005/08/15(月) 00:31:00
>>18
否定の証明は悪魔の証明といって、できないんだよ。
つまり、宇佐=邪馬台=ヤマト朝廷とか言うならば、まずその肯定側に
証明責任があるっていうこと。
分かりましたか?

46 :日本@名無史さん:2005/08/15(月) 00:34:05
>43

江戸城の基本的な縄張は室町中期で、徳川氏も与り知らないのでは?
清正が大阪城(本丸の清正石)名古屋築城、江戸城普請に主要な位置を占めたのは
通説の範囲だが、新しい異説でもあるのか??

築城思想の違いは、桃山城や聚楽第と熊本城を比較してみればよいだろう。
それこそ、縄張が明らかに違う。

47 :日本@名無史さん:2005/08/15(月) 00:36:01
>>45

「悪魔の証明」と解説される今までわからんかった・・・。
なにしろ文章が不明すぎる。わからんかった(感謝

48 :日本@名無史さん:2005/08/15(月) 00:36:24
>>44
せれ、げな方言つかうな!

49 :日本@名無史さん:2005/08/15(月) 00:39:10
>>48 些細なことで怒るなよ。

>せれ!

たぶん長崎方面だね、懐かしい。。。

50 :日本@名無史さん:2005/08/15(月) 00:41:01
>>44
質問の内容も意図も分からない。分かる範囲で一応答えてみるが。

何の目的かは>>41で書いただろ。天皇家が自らの王位の正当性を主張するため。

「どのように作ったのか」だって? 漠然とした質問だなあ。
大体俺はそんなことは問題にしていないんであって。
俺の言いたい事は>>27で書いている。

51 :日本@名無史さん:2005/08/15(月) 00:50:49
>>46
名古屋城の清正石ならしっとるが、大坂城の清正石は知らん。
肥後石の事か、別にそういうものがあるのか。
どっちにしろ、清正没後の話だが。
っていうか、石積み等土木工事の事じゃなくって縄張の事いっとるんだがな。
聚楽第は居館型だからほかと違うのはわかるが、伏見城と熊本城の違いって?

52 :日本@名無史さん:2005/08/15(月) 00:53:43
>>50

悪いが、記紀の編纂は藤原氏です。天智―天武・持統帝時代の律令制の確立
とともに、政権の中枢を占めたのが藤原氏だったのは明白な史実。
諸豪族の分立を抑えて、天皇(当時は大王)中心の政治体制確立のための
史書であって、もとは神話に過ぎません。記紀を歴史の傍証とすることは
できても、考古学史料抜きには文献史学は一歩も進まないと思います。
その意味で「天皇家が自らの王位の正当性を主張するため」という
御説は間違っていませんが、しょせんは神話の文章化なのです。

53 :日本@名無史さん:2005/08/15(月) 00:56:59
>>51
単に郭が四角いか、ごちゃごちゃしているかって事だったってりして。

54 :日本@名無史さん:2005/08/15(月) 00:58:13
>51

縄張りと石積みで錯綜したか??
そもそも、おまいが言ってるのは徳川の大坂城なのね?
伏見は平城、熊本は平山城なんではないのかい?

55 :日本@名無史さん:2005/08/15(月) 01:01:14
おまいら、脱線しすぎ
宇佐神社はどうなった

56 :日本@名無史さん:2005/08/15(月) 01:03:35
>>50
紀編纂の首班だった舎人親王は藤原氏の言いなりだったわけね。
で玄ムや吉備真備排斥を訴えた広嗣の乱も、所詮は藤原氏の内部抗争だった
んだろう。
後世、皇親政治とか言われてるけど、実質は藤原氏に操られていた、と。

何か君、時代を百年程勘違いしてないか?

57 :日本@名無史さん:2005/08/15(月) 01:08:16
>>54
いや、錯綜してるのはそちらだし。
こちらが言ってるのは豊臣大坂城だし。
なのに徳川大坂城の本丸の石(清正石?)持ち出してきたのはそちらだし。
伏見城は木幡山に築かれた平山城だし。

>>55
ごめん。

58 :日本@名無史さん:2005/08/15(月) 01:10:41
>>50さん(もとは>>22)の主旨が

>皇室のルーツが九州にあったのは同意。
>記紀にも日向のことがはっきり書かれている。
>宇佐のことは殆ど無視だが。

という以上は、記紀が

>天皇家が自らの王位の正当性を主張するため

なる偽書であることは明らか。にもかかわらず、この偽書をもとに宇佐神社を
無視するのが不可解。なぜなのだろうか?

59 :日本@名無史さん:2005/08/15(月) 01:12:54
>豊臣大坂城

こんなの現存しません。発掘しないかぎり。

60 :日本@名無史さん:2005/08/15(月) 01:13:20
単に秀吉の城=平城
清正の城=平山城

という主張だったりして。

61 :日本@名無史さん:2005/08/15(月) 01:14:10

ごく一部発見された。
本丸の図面も残ってる。

62 :日本@名無史さん:2005/08/15(月) 01:15:41
>>61

徳川家康が埋めたのか

63 :日本@名無史さん:2005/08/15(月) 01:17:35
宇佐神社!
宇佐神社!

宇佐神社卑弥呼墓説に関連せんテーマ、無視よろしこ!

64 :日本@名無史さん:2005/08/15(月) 01:20:50
DVD!
DVD!

65 :日本@名無史さん:2005/08/15(月) 01:25:25
>>1(16歳中卒ヒッキー)が立てたスレに、これほど歴史プロパー
が参入するとは・・・。大物かも・・。

66 :日本@名無史さん:2005/08/15(月) 01:27:34
いや、雑魚がちょっと網にかかっただけだよ。

67 :日本@名無史さん:2005/08/15(月) 01:29:58
邪馬台国は広いのです、豊国、日向一帯でしょう。
他の小国とは異なります。小国は従属国にしました、
あまり上手くいきませんでした。
邪馬台国は畿内王朝とも極めて密接に繋がっております。
すると、卑弥呼の墓が何処かとなると極めて難しい問題ではありますが
少なくも宇佐は邪馬台国の最重要拠点ですから、
ここに大和政権初期の有力者がいることは間違いありません!
宇佐の古墳には豊国文字で書かれた碑文があってもおかしくないですね。

68 :日本@名無史さん:2005/08/15(月) 01:31:29
>>1

>宇佐神宮に祭られてる比売大神は卑弥呼だという説もあるくらいだけど・・

比売大神は宗像社の三姫神と同じというのが通説なので、玄海灘方面の伝承や史料を
分析したらよいと思われます。当時の海運交通というか、海の道にヒントがあるのでは?
古代(2〜4世紀)の宇佐神社も海神信仰だという伝承があります。


69 :日本@名無史さん:2005/08/15(月) 01:32:19
>>58
>偽書であることは明らか。にもかかわらず、この偽書をもとに宇佐神社
>を無視するのが不可解。なぜなのだろうか?

>>19みたいな「宇佐が尊崇を集めている→宇佐がヤマト朝廷の発祥の地」
のような妄説を否定しているだけ。

宇佐=邪馬台国は否定せんよ。ただ文献上も考古学上も、甚だ可能性は低い
と思うが。

70 :日本@名無史さん:2005/08/15(月) 01:33:48
>66
お前みたいな雑魚がか?(w

71 :日本@名無史さん:2005/08/15(月) 01:36:12
>>69
どういう点で低いと考えますか?
幾つか挙げてください。


72 :日本@名無史さん:2005/08/15(月) 01:39:37
>68

宗像大社の沖ノ島の調査が必要という意味か?
銅鏡? 無理っぽいが。

73 :日本@名無史さん:2005/08/15(月) 01:40:37
>>71
まずはそっちから根拠を出せよ。

74 :日本@名無史さん:2005/08/15(月) 01:46:28
狗奴勢力が奴国一帯に影響力があったか、少なくとも
筑後川一帯には影響力があったとみるべきだ、そこを
邪馬台国が制圧したものだから狗奴国連合に執拗に攻められた。
この奴国一帯に影響を及ぼし、畿内との交易に利のある地域を
拠点にしたと考えても宇佐は丁度いい位置にある。
この後直ぐ畿内大和統一政権が誕生する。
宇佐がヤマト政権発祥地というのは無理がある。

75 :日本@名無史さん:2005/08/15(月) 01:47:06
>73

そう身構えるな、相手は(16歳中卒ヒッキー)なんだ。年長者として鷹揚なところを見せようぜ。
「文献的には皆無」、「考古学的にも」(高木の小説・上のほうにあった未確認証言以外)は
いまだ確定できない。ということで。>71君も今夜は納得してくれよ。なあッ。


76 :日本@名無史さん:2005/08/15(月) 01:57:21
現代に残る方言もかなり重要ですね、宇佐を中心とした
豊国一帯は畿内方言と東京イントネーションをミックスした
固有の言葉を構成しております。

77 :日本@名無史さん:2005/08/15(月) 01:59:28
>>73
結局、宇佐説には「宇佐神宮が後世、皇室より尊崇をうけた」以外に
根拠はないわけだよ。
で、魏志倭人伝を自説に都合のいいように読み換え、宇佐しかありえない、
みたいな事を言う。

記紀に宇佐神宮の記述はない。
記紀編纂当時の天皇家から完全に無視されていた宇佐が、
皇祖の本貫地な訳がないのに。

78 :日本@名無史さん:2005/08/15(月) 02:01:30
>>76さん

ではまた明日、方言の詳細(イントネーションの特徴)を教えてくださいな。
私も宇佐方面には幼い頃から慣れ親しんでますので、理解できると思いますので。


79 :日本@名無史さん:2005/08/15(月) 02:02:49
氏姓制度が導入され最初に大量に賜ったのもこの
豊国の人たちです、そのままヤマト朝廷の重職になっている人もいます。
公家の多い地域でもあります。

80 :日本@名無史さん:2005/08/15(月) 02:04:17
>>77は文献史学の限界。たまにはフィールドワークしろよ


81 :日本@名無史さん:2005/08/15(月) 02:08:36
>>79
初期前方後円墳の赤塚とかがあるから、古くからヤマト朝廷と交流が
深かったのだろう。
ただそれだけ。

82 :日本@名無史さん:2005/08/15(月) 02:10:01
>>80
君は具体的にどのようなフィールドワークをしてるのか?

83 :日本@名無史さん:2005/08/15(月) 02:11:04
>>81
君はどこが邪馬台国だと思う、前後の歴史も添えて
説明してくれない?

84 :日本@名無史さん:2005/08/15(月) 02:15:30
クレクレ、クレクレ

85 :日本@名無史さん:2005/08/15(月) 02:15:33
中津国というのも本州の人が九州地域のうち
最初にこの地を認識したという証拠にもなりえそうだな。

86 :日本@名無史さん:2005/08/15(月) 02:20:55
葦原の中ツ国のことですか?
中国地方のことだと思っていた…(あくまで個人的意見)

87 :日本@名無史さん:2005/08/15(月) 03:06:24
四墨墓を残したグループ初期北方渡来人
http://www5d.biglobe.ne.jp/~tosikenn/4sumi1.html
天孫族後期北方渡来人・・
http://academy3.2ch.net/test/read.cgi/min/1042041342/
倭(奴国)にこれらの影響が及び始めたのが
丁度魏志倭人伝だと思う。
ト部(ぼくせん)

88 :日本@名無史さん:2005/08/15(月) 03:36:47
たくさん釣れたなぁ

89 :日本@名無史さん:2005/08/15(月) 03:38:00
鹿は占いの名残かトーテムとは違うのか

90 :日本@名無史さん:2005/08/15(月) 03:40:55
鹿の骨占い師の末裔中臣、藤原氏。

91 :日本@名無史さん:2005/08/15(月) 03:45:08
二世紀頃か加羅から神武降臨、その後何度か天孫の本家
新羅から天下りしたようだけど、巨大古墳は全部渡来系だな
新羅系か加羅系

92 :日本@名無史さん:2005/08/15(月) 08:07:47
なんで宇佐神宮が第二の祖廟に定められたかの
なんで皇室発祥の地が日向に定められたかの検証は必要だなーーー

93 :16歳中卒ヒッキー ◆HCmIhYMlyc :2005/08/15(月) 08:27:41
スレが伸びててびっくりしましたよ^^
僕が思うに井沢元彦さんじゃないですけど
卑弥呼の怨霊を鎮めるために宇佐神宮があり
応神・神功まで一緒に祭られているのでは?
つまり卑弥呼は殺されたんでしょう。
大国主が殺され、アマテラスの息子が出雲国造として
出雲大社で大国主を祭ってるのと一緒では?
ではなぜ神託を宇佐へ聞きに言ったのか?ときかれれば
よくわかりませんとしか言いようがないですがw

94 :日本@名無史さん:2005/08/15(月) 12:17:59
ネタ投下
宇佐、阿蘇、浅間、、、u-sa、u-su、a-soはアイヌ語で火山の意味なのは周知だよね。
そこから推測すると宇佐の地を神聖視していた勢力は土着系なのは間違いないかと。
邪馬台国の支配層は渡来系弥生人だと思ってるオイラとしてはちょっと結びつかないんだけど
どうかな。

95 :日本@名無史さん:2005/08/15(月) 13:56:33
>>92
>宇佐神宮は第二の祖廟
>日向は皇族発祥の地

そんなの嘘っぱち、誰も言ってない
そう言った思い込みが、古代史を歪める原因になっていることは確か
人類が土から湧いて出たのは二千年位の浅い年月ではない

96 :日本@名無史さん:2005/08/15(月) 14:48:36
>>94
阿蘇はともかく宇佐周辺が渡来ぽいのは地元民には常識

97 :日本@名無史さん:2005/08/15(月) 14:49:38
オイラなんて言ってるあたり関東の出雲武蔵族だな


98 :日本@名無史さん:2005/08/15(月) 15:13:42
豊国一帯の豪族に一斉に氏姓が与えられ、同時にヤマトの重鎮に
なっている以上ここが曰く付きの土地であるとみるのが自然
それに東京アクセント(新羅)なんて渡来ぽいじゃないか・・

99 :日本@名無史さん:2005/08/15(月) 15:27:23

日向に日本土着の藤原(鹿由来)を従え神武が降り立った地がこの日向
これが天孫の始まり、このルーツはどうも加羅国らしい
しかし、この天孫族もシラ国の末裔である。
起源は北方系と馬韓土着系の混血みたいだ

本州にはこれとは別に四隅墓を残した高句麗系の北方勢力があった
彼らは出雲・武蔵族などといい本州一帯で国作りをしていた。
彼らは新羅と通交があった、彼らも起源は北方系である。
この二つの勢力が本州でぶつかり融合したのが初期畿内ヤマト朝廷だろう
この巨大勢力が西北九州で土着とぶつかるのが魏の使節がみた倭国大乱である。

100 :日本@名無史さん:2005/08/15(月) 15:48:24
神武が天孫として日向に降りたにもかかわらず隼人なんて先住民を
区別しているあたりまだ同化には時間が無かったんだろう、紀元後2世紀頃だから
大分の方の隼人も後の方で成敗されたらしいし、その時に
功績あった一族なんでは宇佐氏 佐伯氏

101 :日本@名無史さん:2005/08/15(月) 16:02:29
自然に考えて隼人も熊蘇も土着系で尚かつ相当な文明も持っていたと
思われる。遺跡からも明らか。
四隅を残した出雲・武蔵族は宗像地方止まりでそこより殆ど南下していない
九州に降り立った渡来系は2世紀の日向の天孫降臨が最初、まず
日向、大分という形で制圧していった、大分を取ったことで畿内への
足掛かりができた。西九州一帯の熊蘇勢力との対決こそ
倭国大乱とみるべし

102 :日本@名無史さん:2005/08/15(月) 16:15:58
土蜘蛛ってのはもしかするとヤマトに従わない
北九州の先住勢力だったんじゃない?
考えてみれば、倭国以前からいる山の民なら無害だし抵抗はしないでしょ
抵抗したからこそ叩かれたんでしょ、つまりヤマトに従わない
倭国の残党だよ


103 :日本@名無史さん:2005/08/15(月) 16:24:00
どうやら九州一帯は朝鮮出雲勢力が入らず、天孫の降臨も2世紀日向と
先住系が相当強かった地域ということですね。

104 :日本@名無史さん:2005/08/15(月) 16:33:34
大きな流れは二つ
紀元前2、3世紀出雲・武蔵族(本州一帯)
紀元後2世紀日向天孫降臨

105 :日本@名無史さん:2005/08/15(月) 17:00:11
>>95
文献も記紀もよめない電波

106 :日本@名無史さん:2005/08/15(月) 21:50:40
日本の古代史ってグチャグチャだよね
初心者にも付け入る隙があるもんだから電波も飛びまくり、飛ばし放題。
でもいい加減、妄想電波に慣れてくると、やっぱり国が宮内庁に
お伺いを出してでも”正史”を発行して欲しいと思うようになるだろう。

隔世紀で100年おきに出していけば、科学の発達や新しい発掘調査
などで刊が進むごとに真実に近づくことが期待できる。
国が無理なら東大と京大がすり合わせて出してくれんかしら。

107 :日本@名無史さん:2005/08/15(月) 22:05:29
なんで東大と京大だよ、全国の大学共同でだせ

108 :日本@名無史さん:2005/08/15(月) 22:19:30
>>106
素人の度合いからいえば学者も初心者もかわらんよ。
あいつら初っぱなはら矛盾した論を突きつけてきてるじゃねーか
だからこっちも負けじと意地になる。

109 :日本@名無史さん:2005/08/16(火) 00:19:31
>>108
同感 異議なし

110 :日本@名無史さん:2005/08/16(火) 07:17:18
>1
宇佐神宮は、記紀にあるように、ウサツヒコ・ウサツヒメが、
神武天皇をお迎えするために建てた、足一つ騰がりの宮が
濫觴です。卑弥呼とは関係ありません。

111 :日本@名無史さん:2005/08/16(火) 07:47:37
>110
あなたは何処だと思いますか?

112 :日本@名無史さん:2005/08/16(火) 07:52:07
http://www.page.sannet.ne.jp/tsuzuki/mojizukan3.htm
この日向のハングルの信憑性はどこまであるのか?
また豊国文字→後のカタカナ
つまり畿内と豊国の親密・緊密な繋がりはどうか
http://www.page.sannet.ne.jp/tsuzuki/sinmoji.htm

113 :日本@名無史さん:2005/08/16(火) 08:04:47
>>112
自己レスだがこれ自体は江戸時代に
作られた碑である可能性が高い。
ではなぜこのような事をしたか?
ハングルと日向を結びつけたかったのか?
いずれにしても極めて極めて謎に満ちている。。

114 :16歳中卒ヒッキー ◆HCmIhYMlyc :2005/08/16(火) 08:14:26
皆さんの意見を拝聴していると
やはり宇佐神宮は卑弥呼とは関係がないっぽいですね。
しかし僕は北九州に邪馬台国があると
思ってるので北九州に卑弥呼の墓や霊廟があるんじゃないでしょうか?



115 :日本@名無史さん:2005/08/16(火) 08:24:11
何言ってるんだ、宇佐は邪馬台国。
少しは根気強く調べてみてくれ

それか他にあるなら挙げてくれ、
もう其処までみえている、後一歩。

116 :16歳中卒ヒッキー ◆HCmIhYMlyc :2005/08/16(火) 08:34:02
まだ16歳なので他に吸収すべきことが多く
邪馬台国の研究ばかりやってられないんですよ^^
宇佐が邪馬台国というより豊前一体が邪馬台国だと
考えるべきじゃないでしょうか?じゃなきゃ
7万戸も養えきれないでしょう。

117 :日本@名無史さん:2005/08/16(火) 08:38:48
http://www.plan.gr.jp/kodai/koshi01.htm
これが真実で、後の記紀が紛い物ならば
神武は正真正銘土着の縄文勢力で73代目の当主だったという
ことになるべな

118 :16歳中卒ヒッキー ◆HCmIhYMlyc :2005/08/16(火) 08:58:47
女王国の東へ海を渡る事千余里で、また国がある。皆倭人である。

という倭人伝の記述から察するにやはり宇佐は邪馬台国と
関係があった気がしないでもないですが

119 :日本@名無史さん:2005/08/16(火) 10:30:57
今さらなんだけどどうしても納得のいかない部分、
水行10日…ってのをどうとらえるかだなー。九州内だとどう考えても無理かなと。
この使者は邪馬台国までは行ってなくて伊都国にいて伝聞で報告したわけだよね。
周囲の倭人から聴いたとして方角を聞き間違えることはあっても「水行10日陸行1月」を
聞き間違えることってあるかな。伊都国から陸行1日程度だよね。九州内の推定地だと。

120 :日本@名無史さん:2005/08/16(火) 11:01:10
魏の人は会稽の東に倭があるとか思ってたんんだぞ
なんでもある

121 :日本@名無史さん:2005/08/16(火) 13:04:30
>>106
同感
少なくとも学者は電波は飛ばさない


122 :プラム ◆RvhHf7kqyY :2005/08/16(火) 13:06:31
>>119-120
その話題はスレ違いになるから 関連スレに移動しませんか?

123 :日本@名無史さん:2005/08/16(火) 18:27:15
http://inoues.net/ruins/usafudoki.html
宇佐は邪馬台国(大和)の一つの起点といえよう。
西都、宇佐の流れは正しい、甘木、小城はその後である。

124 :日本@名無史さん:2005/08/16(火) 18:31:54
http://inoues.net/ruins/usajingu.html
宇佐神宮です

125 :日本@名無史さん:2005/08/16(火) 18:35:24
地名の一致だけで装飾古墳群の一つのある三輪、甘木を
邪馬台国推定しているチョン学者安の頭かち割りたい

126 :日本@名無史さん:2005/08/16(火) 18:37:50
豊国文字も吉備、大和と一つの大きな文化を構成していたりする。
こんなに多方面から一致しているのにチョン安の奴は・・

127 :日本@名無史さん:2005/08/16(火) 18:47:09
正倉院
に残る「大宝戸籍」(大宝2年:702)は、仲津郡丁里など豊前地域の3つの村に住む683人を記載している。このうち秦氏(はた
し)や勝姓(すぐりのかばね)といった、渡来系と思われる人たちの割合は83%と極めて高い。一方「新羅の神」が祀られていた
ことを伝える「豊前の国風土記」逸文の記述は、渡来系の人たちが様々な信仰を持ち込んでいた事を示唆している。田川郡香春郷
(かわらのさと)に、新羅の神が祀られてあったと記述する。「日本書紀」には、天皇の病気を治すために、「豊国奇巫」(とよの
くにのあやしきかんなぎ)や「豊国法師」という人物が招かれたとあるが、これも豊の国の渡来人である可能性が高い。

128 :日本@名無史さん:2005/08/16(火) 18:49:43
一説によれば、古来より豊前地域は秦氏やその一族である漢氏の居住していた地域とされ、新羅系加羅人と思われる秦氏の故地であ
る「加羅」から、辛島(からしま)という名前も来ているという。辛島氏も秦氏一族なのだ。「八幡」は「はちまん」ではなく「や
はた」が古名で、「八」は多さを表し「八咫の鏡」の「八」と同義だという。「幡」は「秦」とも「旗」とも言われる。八幡とは文
字通り、多数の「秦氏」が住むところ、あるいは多数の「秦=旗」が立つ所なのだ。そして欽明の出自も豊前辺りだという。この説
によれば、八幡神は新羅からの外来神で、宇佐においては新羅系加羅人の氏神だったという事になる。宇佐八幡神は新羅の神だった
のだ。「どんな神だったかについてはわかっていない。」と書くはずである。この説を信じれば、日本中が「新羅の神」を祀ってい
ることになるのだ。

欽明天皇御代の国際的な記事として見逃せないのは「任那日本府」の滅亡である。「任那」という呼び方は日本書紀の中にしか現れ
ず、中国・朝鮮の記録には一切その名前は出現しない。位置的には「書記」では伽耶とか加羅と呼ばれる、朝鮮半島南部中央部分を
指すが、学者によっては「金官伽耶」と呼ばれる伽耶の中のごくごく一部の地域を指しているという意見もある。最近はこの「任那
日本府」の存在そのものを否定する説もあるが、従来からの定説に従って「金官伽耶」の中に「任那日本府」が存在し、これが滅び
たとすれば、その滅亡時に豊前へ逃れてきたという考えも成り立つ。いずれにしても、宇佐八幡神は宇佐地方の一地方神だったので
ある。記紀にも出てこない。

129 :日本@名無史さん:2005/08/16(火) 19:00:14
倭人の多く住む西九州一帯を避けこの宇佐を中心とした豊前に
新羅系が多く住み着いたのである、これが邪馬台国、吉備、大和の始まりだ
香川には積石塚があるこれは馬韓系だろうから縄文に近い種族か・・
日本海、東日本の出雲・武蔵族、四隅墓(初期高句麗)とこの新羅系が相まって
大和朝をつくり西九州一帯の倭を征服した・・
日向神武一族が何であったかはわからない、もしかすると縄文系の一族(隼人)で
豊国宇佐のこの新羅の連中と合流したのかもしれない。
公家の多い、もっとも氏姓制度が最初に発展したこの宇佐が
邪馬台国であることはもう間違いない。
装飾古墳など土着臭のする熊本、福岡南部は邪馬台国が征服した、
あるいはそれと戦った狗奴国である。
甘木の文化は畿内他の地域への文化的伝播が一切無いではないか・・

130 :日本@名無史さん:2005/08/16(火) 19:04:58
つまり新羅系が征服し甘木(天来?)という新地名をつけられたということね
畿内の地名もこの新羅豊国勢力の征服地かもしれない。
あるいはもっと古い倭の王朝があった時の名残かもしれないな

131 :日本@名無史さん:2005/08/16(火) 19:23:48
>>122
どこのスレに行けばいいですかね

132 :日本@名無史さん:2005/08/16(火) 20:08:22
ウガヤ朝を縄文人の作った王朝かそうではないかで
その後の神武の評価も変わってきそう。

133 :プラム ◆RvhHf7kqyY :2005/08/16(火) 20:13:51
>>131
「魏志倭人伝」スレなんてどうですか
そこならスレ違いになりませんよ

134 :日本@名無史さん:2005/08/16(火) 20:26:27
まず北に韓神2つも祀る
京都チョンの言い草は色眼鏡でみた方がよい。

135 :日本@名無史さん:2005/08/16(火) 20:37:35
電波は氏んで下さい

136 :プラム ◆RvhHf7kqyY :2005/08/16(火) 20:49:44
以前私は、金官伽耶の前身=狗邪韓国 任那日本府の前身=一大率と考えてました。

137 :日本@名無史さん:2005/08/16(火) 20:52:49
金官伽耶は新羅系が征服した土地だと考えている
伽耶自体はもっと以前からある勢力のものだろう・・
これが何かを突き止めれば

138 :日本@名無史さん:2005/08/16(火) 20:58:19
高句麗族は農耕に適さない場所に住んでいたせいで
略奪を美徳と考えていたという記述があったね

139 :日本@名無史さん:2005/08/16(火) 21:30:02
http://www3.coara.or.jp/~primrose/kawara4.html
もし、宇佐が邪馬台国なら
辛島は卑弥呼の子孫である可能性があるな・・

140 :日本@名無史さん:2005/08/16(火) 23:29:26
豊前とかに新羅からの渡来人が多く住んでいたのは、香春の銅採掘に従事して
いたからだろ。
渡来人の居住した地域は一杯ある。その全ての地域は渡来人に征服されたとか
思ってるのか。
あほらしい。


141 :日本@名無史さん:2005/08/16(火) 23:35:19
>>140
隋書倭国伝の秦王国は豊前の可能性はあると思うが、確かに邪馬台国の時代とは
4百年近く違うわな。
豊前に渡来人が入植して発展したのは、3世紀邪馬台国よりもっと後の時代。
ごっちゃにしている輩の多いこと。

142 :プラム ◆RvhHf7kqyY :2005/08/16(火) 23:42:09
>>139
歴史に[もし〜]が許されるのであれば、全ての出来事に無限大の妄想を描かなければならない。
それに、[もし〜]に対しては否定も肯定も出来ない

143 :日本@名無史さん:2005/08/16(火) 23:44:35
邪馬台国を宇佐に持って行きたくて、色々証拠集めを必死にしてるみたいだけど、
いまいちなのが多いな。
>>129
>公家の多い、もっとも氏姓制度が最初に発展したこの宇佐が
>邪馬台国であることはもう間違いない。
とか、本当かよ?

144 :日本@名無史さん:2005/08/17(水) 00:06:08
宇佐神宮が隼人征伐や大仏事業に助力したことで、皇室から尊崇を受ける
ようになったのは事実。それまでは単なる地方社の一つに過ぎない。

大神氏が北部九州に縁のある応神を八幡神との同一化に成功し、皇室の耳目を
集めたのが、宇佐神宮のそもそもの飛躍の画期になったのだろう。
ヤハタという名前も邪馬台の音に近く、応神=八幡神としていく過程で、
倭人伝の卑弥呼や神功皇后伝承を取り込んだ結果。大神比義の手練手管
と言える。
では、何故応神が選ばれたのか?
九州に縁がある天皇は応神以外にも、神武を始め、景行・仲哀と色々いる。
大神比義が何故神武でなく応神を選んだのかはよく分からないが、
恐らくは、応神が継体の直接の祖先であることから、事実上の始祖王
であるという認識が当時の朝廷にあったためではないか。

145 :日本@名無史さん:2005/08/17(水) 00:20:16
>>27
>少なくとも記紀から編纂時の皇室の考えは読み取れる。
>日向は大切にされて宇佐は無視。それが当時の皇室の公式見解だった。
>それで充分だろ。

記紀の編纂って
宇佐神宮の神託で天皇の後継問題が決まった時代と
そんなに離れてないと思うんだが。

146 :日本@名無史さん:2005/08/17(水) 00:24:32
隼人の種類

日向隼人・大隅隼人・阿多隼人・甑(こしき)隼人、種(たね)隼人
阿多隼人は後の薩摩隼人。甑隼人は薩摩国甑島郡に住んでいた隼人の一部族。
隼人は海幸彦をその祖とする。熊襲の熊は肥後国球磨地方。襲は大隅国贈於郡。

日向国(宮崎県)高千穂から南下し、日向北部中部を勢力下に治めた
火遠理命(山幸彦)の息子であるウガヤフキアエズは日向南部(現在の日南市)に拠点をおき
薩摩大隅までを勢力内においた。

大隅国狭野に生まれたウガヤフキアエズの息子狭野尊(神武天皇)は
東征し大和朝廷をたて、日向国は天皇の故地として一種特別な待遇を
受けるが、律令体制の整備により日向国から大隅国薩摩国が分離され
国司を派遣され独立的な地位を得られなくなると、隼人族は反乱を繰り返した。

特に養老四年には、大隅隼人と日向隼人が大反乱を起こし朝廷は大伴旅人を
大将軍とする征討軍を派遣した。1年以上の戦いの後、隼人は敗れ、律令
国家に組み込まれた。宇佐神宮には百体神社があり大隅隼人霊、日向隼人靈が祀られて
いる。

隼人は律令時代夷人雑類とされ、山幸の子孫と称す天皇家に“狗人”
として奉仕した。

他方、朝廷は和銅3年(710年)には、日向隼人の曾君細麻呂を外従5位下に
叙するなどの懐柔策もとった。
中央への移住策も取られ現在の京都府京田辺に隼人の移住が行われ
日向隼人は松井村に、大隅隼人の移住先は大住村に、薩摩隼人は薪村に、移住された。

147 :日本@名無史さん:2005/08/17(水) 00:24:58
>>145
>宇佐神宮が隼人征伐や大仏事業に助力したことで、皇室から尊崇を受ける
>ようになったのは事実。それまでは単なる地方社の一つに過ぎない。



148 :日本@名無史さん:2005/08/17(水) 00:33:44
免ケ平古墳現在直径25mの円墳。
元来は全長約50m
の前方後円墳4世紀鏡・碧玉・勾玉・鉄刀・鉄剣・農耕具など。約5mの竪穴式石室を持つ。箱式石棺から
若い女性の人骨、中国鏡、石釧が出土した。

若い女性の人骨←台与か???
http://inoues.net/ruins/usafudoki.html

149 :日本@名無史さん:2005/08/17(水) 00:39:16
ナガスネヒコと新羅の部族が起こした反乱を鎮める為に
神武は東征したという古文書があるな

150 :日本@名無史さん:2005/08/17(水) 01:47:04
常識的に考えて地元民が
近畿に一番近い言葉喋ってると考えるのは
豊国。

151 :16歳中卒ヒッキー ◆HCmIhYMlyc :2005/08/17(水) 07:38:43
邪馬台国はどこにあったか?ではなく
どこにあるべきかという視点でみたほうが
いい気がします。ようは北九州連合の首都は
どこにおくのが1番かということです。


152 :日本@名無史さん:2005/08/17(水) 08:44:17
宇佐八幡は三韓征伐の戦利品だろ。


153 :日本@名無史さん:2005/08/17(水) 08:52:50
宇佐神宮の山が巨大古墳であることは間違いなさそう。
元北九州の王墓が神功伝説等と結びついて皇室の崇拝を受けるようになったものか。
ヒミコの墓ではないでしょうがその時代の部族長の墓でしょう。

154 :日本@名無史さん:2005/08/17(水) 22:19:36
宇佐の3女神は、卑弥呼と、台与と、文献に残ってない、
シャーマンだったりしても、おかしくはない感じはしますな。
宇佐と太陽がもっと絡んでればねぇ。

155 :日本@名無史さん:2005/08/17(水) 22:52:17
西九州の豪族の名前が磐井の乱の頃に沢山が、
畿内豪族を思わせる名前が一切ないんだよね。
この乱の後、豊国の豪族は畿内と結びつきを深める。
また、同時に八幡信仰が本州に広がる。

156 :日本@名無史さん:2005/08/17(水) 22:58:14
>>155
少なくとも、八幡信仰が本州に広がるのはもっと後の時代だよ。
前半2行は意味不明なんで、もう少し説明して下さい。

157 :日本@名無史さん:2005/08/18(木) 04:44:51
http://academy3.2ch.net/test/read.cgi/min/1033886907/
秦(はた)一族とは?

常世信仰に纏わる地名を多く有する豊国

158 :日本@名無史さん:2005/08/18(木) 05:20:43
>>156
磐井の乱の頃のこの地域の豪族の名前が朝廷にみられませんね。
>薩野馬と同族の筑紫鞍橋君・筑紫火君・筑紫火中君
大和朝廷はこの筑紫の勢力を削ぐ為に白村江の戦いをしたという説があります。
そして豊国の辛島とは韓嶋勝というのが本名らしいですね。
なんか終わってるわ。

159 :日本@名無史さん:2005/08/18(木) 05:37:49
http://www.ne.jp/asahi/wacoku/tikushi/prolog01.htm
真実はこれかな?

160 :日本@名無史さん:2005/08/18(木) 05:44:26
>>159
これも邪馬台国が豊国になってるな・・・

161 :日本@名無史さん:2005/08/18(木) 08:52:39
武って雄略天皇のことだというのは
学界では定説らしいですが・・

162 :日本@名無史さん:2005/08/18(木) 09:21:19
>>158
九州王朝説ですか…


163 :日本@名無史さん:2005/08/18(木) 09:33:32
九州王朝が是かはともかく、近畿と九州は全くの別者だと思いますよ。
豊国を介して唯一共通しているくらいでしょ。
中臣のような対馬のト部出身者以外で畿内朝廷に九州の人居ましたけ?
言葉もまるで共通点はないですよ、本物の九州弁とは…


164 :日本@名無史さん:2005/08/18(木) 10:33:59
>薩野馬と同族の筑紫鞍橋君・筑紫火君・筑紫火中君

狗奴国、薩摩隼人系の名前ですよね?

165 :日本@名無史さん:2005/08/18(木) 10:42:42
>>163
大和朝廷に九州の人間がいないのは、九州がそういう扱いだったからだろ。

166 :日本@名無史さん:2005/08/18(木) 21:48:34
宇佐神宮が卑弥呼の墓である証拠、あるいは邪馬台国が宇佐であるっていう証拠って結局何よ?

167 :日本@名無史さん:2005/08/18(木) 22:53:52
>>166
証拠なんてないよ。
まず、佐=邪馬台国の結論ありき、なんだから。

168 :167:2005/08/18(木) 23:07:14
宇佐ね。何故宇が消えたんだろう?

169 :日本@名無史さん:2005/08/18(木) 23:21:26
包茎ボーイだからだろ。

170 :日本@名無史さん:2005/08/19(金) 17:48:32
天照大神が卑弥呼であり。 比売大神こそが天照大神。

比売大神が天照大神だとすると、おかしいのは神宮に祭られる神の最上位であるはずの天照大神が二の殿に祭られていることですが
これは宇佐神宮の勢力拡大の為に、八幡さまを天照よりも上位に位置づけたことによるもので

これによって神明宮(主祭神:天照大神)よりも多い八幡宮の総本山となり、皇族も信仰するところとなったということです。

豊前一帯が邪馬台国であったかどうかは定かではありませんが、中津市の耶馬渓は耶馬の字が残る唯一の地名だったりしますね。


171 :日本@名無史さん:2005/08/19(金) 18:16:44
難しい話ですが、緒方は大神の末裔で本来「おおみわ」
と読むそうです、九州地方ではかつて神をクマと呼んだのか
クマという言葉、あるいは生き物を神聖視していたようです。
神代と書き「クマシロ」と読ませる地名が多くあります。
投馬国の「つま」も妻であり宮崎から福岡南部にまで集中してある地名です。
ツマ、ミワ、クマに関しては現代には受け継がれていないので
よくわかりませんが、現在の天皇によって消された神話であることは
間違いないと思います。
八幡信仰自体が新しい信仰のようなのでそこに隠蔽された可能性の
高い古代宗教を紐解いていけばもっと明らかになるかもしれません。

172 :日本@名無史さん:2005/08/20(土) 01:46:33
>>170さん
御説はごもっともですが、二の殿(比売大神・中央)が一の殿(応神・左)よりも下位にあたる
というのは間違いです。じつは参拝形式も二の殿が上位で、三の殿(右=参道の手近)から順番に拝礼すると
先輩によく叱られたものです(巫女のバイトをしてた頃)。
>>152さんが述べられているとおり、宇佐宮は三韓征伐の土産というのが地元でも
有力な解釈です。八幡信仰そのものが、巴紋にみられるように半島のものだった
のだと思われます。比売大神(三女神)が天照大神というのは、宗像社の例からも
明らかだと思いますが、いずれにしても海神ですね。宇佐の古文書・考古学研究では、
もとは海神信仰(漁民たちの神)だったとされています。宇佐は今でこそ内陸
ですが、漁猟を傍証する貝塚や狩猟具も出土していますし。


173 :プラム ◆RvhHf7kqyY :2005/08/20(土) 22:01:30
と、いうか
神様にも上下関係があるのか?

174 :日本@名無史さん:2005/08/20(土) 23:23:29
というか三韓征伐は本当にあったのですか?
ちょうど、同じ頃、隈背、隼人、土蜘蛛との戦争があったらしく
北部九州地域ではそれらをともらう塚に関する伝説があります。
地元にある神功(じんぐう)皇后を始め大和軍を讃える逸話ですが。
例の末盧国、松浦の名前の由来についても勝者(現政権)が後で取って付けたような
強引さ、胡散臭さがあり、不可解さを拭えません。
今までこれらについて一切検証されなかったのが不思議でなりません。
また、八幡は熊襲、土蜘蛛、隼人征伐に功績のあった氏族に関係する
ことも史実として明らかのようです。
これらのミッシングリンクを繋げていけば自ずと答えは出そうですが?

175 :日本@名無史さん:2005/08/20(土) 23:40:43
神功皇后は卑弥呼だと思う。
勝者側からみた倭国大乱に関する伝説ですね。


176 :日本@名無史さん:2005/08/20(土) 23:49:32
要は、これ作ったのが朝鮮人の八幡族なので
被征服側を朝鮮人に仕立てて適当に牽強付会したんでしょ?
神武とはイワレヒコという名前で天孫とは全く関係の無い名前ですし・・

177 :日本@名無史さん:2005/08/21(日) 00:10:02
>>176
違う、八幡は朱を尊ぶ中国系。
後に新羅のスサノオと対立する、ヤハタノオロチ

178 :日本@名無史さん:2005/08/21(日) 07:52:30
宇佐神宮の山が巨大古墳というのは妄説。地形図をみればただの自然丘陵だと分る。
すでに原田大六が『卑弥呼の墓』で指摘、批判している。
石棺が出た云々というのも怪しい伝聞のたぐい。仮に石棺であったとしても卑弥呼の墓と断定する証拠等はない。
宇佐神宮の祭神は宗像三女神。神功、応神の三韓征伐伝承から、航海神が祭られたにすぎない。
宇佐が重用視されたのは隼人征伐などの奈良時代の特殊事情によるもので、それ以外では無い。
軍神の応神を祭ったに過ぎない。

宇佐説は糸冬 了 ということでw

179 :日本@名無史さん:2005/08/21(日) 08:25:04
>>178

地図を見ながら、じっさいに逝ってごらん。
亀山が周囲の山系から独立した人工的な丘だということがわかる。
菱形池なんかも人工的。奥宮の御許山なんて、完全に別の山系だし。

原田大六『卑弥呼の墓』はフィールドワーク抜きの机上の書


180 :プラム ◆RvhHf7kqyY :2005/08/21(日) 10:21:40
>>179
フィールドワークの結果を聞きたいのだが。

亀山周辺の古墳状況等はどのような様子か
宜しければ教えてもらいたい。
亀山自体の調査は不可能だろけど、周辺古墳の様子から亀山を推測することは可能だろうから

181 :16歳中卒ヒッキー ◆HCmIhYMlyc :2005/08/21(日) 10:55:23
では宇佐神宮は卑弥呼の墓ではないのですか?

182 :日本@名無史さん:2005/08/21(日) 14:00:30
>>180
宇佐風土記の丘(歴史博物館)↓

ttp://inoues.net/museum/usa_museum.html
ttp://rekisihakubutukan-b.oita-ed.jp/

183 :日本@名無史さん:2005/08/21(日) 14:39:13
宇佐風土記の丘(古墳群)
http://inoues.net/ruins/usafudoki.html

184 :日本@名無史さん:2005/08/21(日) 14:39:52
>>179
>>原田大六『卑弥呼の墓』はフィールドワーク抜きの机上の書
嘘付けw大六さんが生きてたら大変な目に合うぞ(ケンカ大六)w 大六は実際行っているが。
だいたい藻前は考古学的な地形の見方できないだろ?
「菱形池」はまさに菱形であって、古墳の周溝(濠)の形ではない。
池としては人工だろうが、そのことと古墳かどうかは別問題。亀山の丘陵も不整形で、前方後円などの墳墓の形状もしていないし、段築なども認められない。
『卑弥呼の墓』(六興出版=つぶれてるので古本屋でみつけてね)の42ページ以降参照。


185 :日本@名無史さん:2005/08/21(日) 14:42:25
確かに「周囲の山系から独立」してるからというだけで人工の山だということなら、日本中(いや世界中)、人工の山(=古墳?!)だらけになってしまうなw

186 :日本@名無史さん:2005/08/21(日) 14:47:26
>亀山の丘陵も不整形で、前方後円などの墳墓の形状もしていないし、
>段築なども認められない。

こいつ、亀山を発掘調査をしたらしい
乙!

187 :日本@名無史さん:2005/08/21(日) 14:54:27
>>186
揚げ足とりだってw
あれだけの規模の丘陵が人工墳墓なら、その特徴が地形図に現れるし、また歩けば分かるが(宇佐神宮周辺の2mコンタ−の地図はある)。それも分らないのかw
今、古墳と分る全ての古墳を発掘調査したわけじゃないのだが。
分 か る ?

188 :日本@名無史さん:2005/08/21(日) 14:56:15
>>こいつ、亀山を発掘調査をしたらしい
とか言うなら、逆に、発掘調査とかしないのに何故あれが古墳と分かる、と言うことになる。
無意味なツッコミはやめなさい。

189 :日本@名無史さん:2005/08/21(日) 16:09:51
>>182-183

宇佐って古墳だらけじゃん

190 :日本@名無史さん:2005/08/21(日) 17:38:07
それぐらいで古墳だらけというなら全国いくらでもある。

191 :日本@名無史さん:2005/08/21(日) 18:41:41
1キロメートルの範囲に6基の大型古墳、周囲に多数の墳墓。
こんなの全国にいくらでもあるん?

192 :日本@名無史さん:2005/08/21(日) 20:13:43
>>191
西都原、八女、古市、百舌鳥、備中総社、佐紀、オオヤマト、馬見丘陵、上野太田、埼玉 etc.、、、

193 :日本@名無史さん:2005/08/21(日) 20:18:55
筑後地方にはない、こっちは古墳後期の八女、筑後市の磐井系を祀る墓、
熊本と同一の甘木、朝倉の装飾古墳、
それとクマソ、土蜘蛛を弔うという山門郡の塚
久留米には古代神籠石、佐賀の基山の朝鮮式山城が
分散してある、集中はしていない。
それより、神功皇后のクマソ、土蜘蛛征伐伝承(征伐された側)
がこの地に多い事に驚いた。
筑前の方は太宰府、大野城以外にあるなにかありましたっけ?

194 :日本@名無史さん:2005/08/21(日) 20:30:05
単に1H四方ぐらいに大型古墳が複数あり、さらに中小古墳がある例をあげただけ。時期は問わずに。
八女丘陵も後期だが集中して存在しているが。
宇佐だけが特別ではない。
九州では、宮崎に多いが(祇園原、西都原、持田、生目など)
全国的には似たようなものは結構多いのは事実。

195 :日本@名無史さん:2005/08/21(日) 20:49:30
江戸時代、筑前から筑後地方に至ルートは三輪の山家
から小郡の松崎、久留米御井の国府に通じていた。
律令制成立の頃迄は太宰府から筑紫野を通り
小郡市乙隈、横隈、力武、大保、小郡官衙遺跡の横にある大板井、小板井
大崎、鰺坂、宮の陣、筑後川の神代橋を超え神代(クマシロ)
御井の高良山(国分)に至ルートだったと思う。

196 :16歳中卒ヒッキー ◆HCmIhYMlyc :2005/08/22(月) 09:30:19
日向にも古墳がたくさんありますね。
天皇陵の発掘が許可されればもっと
いろいろなことがわかるのになあ・・

197 :日本@名無史さん:2005/08/22(月) 10:59:11
豊前が邪馬台国だったという説が有力ですね。と、いうより畿内説に無理がありすぎる

しかし、面白いことに当の宇佐・中津ではそういう説がまことしやかに語られることはありません

私は宇佐で育ちましたが、そういった話は聞いたこともありませんでした
当然、宇佐神宮を含む史跡・資料館も卑弥呼には一切触れておりません

198 :日本@名無史さん:2005/08/22(月) 11:39:25
邪馬台国連合を作ったあとは首都を別の場所に移している可能性大
ですけどね。

199 :日本@名無しさん:2005/08/22(月) 13:07:31
>>197
宇佐説は富来隆『卑弥呼』で提唱されたもの。
畿内・九州説の論争は江戸時代(本居宣長)から始まっているのに対し、
宇佐説は戦後に出た新説なので地元の知名度が低いのでしょう。

松本清張をはじめ小説家にはウケがよいようですが。


200 :日本@名無史さん:2005/08/22(月) 14:16:40
>>197

>当然、宇佐神宮を含む史跡・資料館も卑弥呼には一切触れておりません

大分県歴博(宇佐)公式HPより↓

赤塚古墳出土三角縁神獣鏡・龍虎鏡(重文)
断面三角形の縁をもつこの種の鏡は、邪馬台国の女王卑弥呼が
中国魏王朝の明帝から贈られたものと考えられています。


201 :日本@名無史さん:2005/08/22(月) 14:34:04
<夜須町町名の由来>
日本書記によると、神功皇后が甘木朝倉の強力な豪族
(羽白熊鷹:現秋月町野鳥に居住したとされる。)を倒したその
案堵感からこの地で「我が心安し」と言われた「安」に由来する
ものだと話りつがれている。
http://inoues.net/yamahonpen19.html
画像の多い重いHPです。

202 :日本@名無史さん:2005/08/22(月) 14:44:26
>>200
遠まわしすぎ

203 :日本@名無史さん:2005/08/22(月) 17:04:15
>>200
三角縁神獣鏡が日本のいたるところで出土しているのは周知の事実で
結局、それが出土したからどうなのかっていうとこには触れてないでしょ?

204 :日本@名無史さん:2005/08/22(月) 20:00:11
卑弥呼と天照が同一という説は、昔話題になってなかったかな。
確か卑弥呼の時代に、と日食の周期を調べていくと
卑弥呼の時代に日食が起こり、そのことから「天の岩戸」の話が
生まれたとかいう説。ヒミコ=日巫女=天照

205 :日本@名無史さん:2005/08/23(火) 01:26:02
>>204
で、その皆既日食は北九州で見られたって話だね

206 :日本@名無史さん:2005/08/23(火) 02:57:35
帝(大王)の平均在位を逆算して、神武でも邪馬台国に届かない
という推論で、神話世界の天照大神が卑弥呼(姫皇女)だと。
九州説では主流ですな。で、>>204-205の岩戸神話(日食)……卑弥呼殺害事件!

207 :16歳中卒ヒッキー ◆HCmIhYMlyc :2005/08/23(火) 08:04:31
アマテラスは男でしたw

208 :日本@名無史さん:2005/08/23(火) 09:51:29
色んなことを無視して書くけど


卑弥呼(比売大神・天照大神)→台与(神功皇后)→応神天皇(八幡大神)

っていう王位の継承があって

卑弥呼は天岩戸事件で殺害され、台与が卑弥呼になりかわり女帝として君臨

息子である応神天皇の即位にあたって、それまでの女帝制を覆すことにより

より強大な信仰を得て東遷、大和朝廷となる

で、個人的にしっくりきます


209 :16歳中卒ヒッキー ◆HCmIhYMlyc :2005/08/23(火) 10:00:05
>>208
それは16歳の僕からみても
めちゃくちゃな意見ですよw

210 :日本@名無史さん:2005/08/23(火) 10:19:00
>>209

でも、八幡大神がスサノオだなんていう話もあるくらいなんで
結局、どの説も根本から創作に近いものがあるよw

211 :日本@名無史さん:2005/08/23(火) 10:22:06
八幡大神を信仰していた人がハタ姓になったのか?
それともハタの子孫そのものなのか?


212 :16歳中卒ヒッキー ◆HCmIhYMlyc :2005/08/23(火) 10:25:27
まず息長氏出身で仲哀天皇の妃の神功がなぜ
壱与になるんですか?あと壱与の子供が応神では
時代的につじつまがあわなくなりますよ。
応神は4世紀中盤から後半の人です。
それまでの女帝制もなにも最初から男王制ですよ。
それがうまくいかなかったときに巫女による
臨時の女王制だというだけの話でしょ。
東遷も狗奴国(熊襲)の戦力は4世紀後半でも
十分残ってますし、邪馬台国の兵力を東に
向けるだけの余裕が果たしてあったのでしょうか?


213 :日本@名無史さん:2005/08/23(火) 10:28:27
八幡大神がスサノオではないと思うよ。
スサノオは関東で那須とかの地名つけた連中。
関東、東北に広がっているのは四隅墓を残したイズモ系。
スサノオはヤハタ(ヤマト)のオロチと畿内で戦ってたとおもう。
常世信仰というのもあるがこれもイズモ系の信仰で関東東北に広がっている。
同時に人も広がっている。

214 :16歳中卒ヒッキー ◆HCmIhYMlyc :2005/08/23(火) 10:33:28
そういえばドラクエ3でも
ヤマタノオロチがでてきたなw

215 :日本@名無史さん:2005/08/23(火) 10:34:41
畿内は銅鐸系でこれも元はイズモ系の信仰だろ?
これって日向の隼人(イワレヒコ)が東征した勢力じゃないか?
この畿内の勢力と豊国のヤハタが
意気投合して邪馬台国同盟みたいなのを作ったのかな?
と妄想してみる。
それに交易ルートでも半島→小倉→畿内で利害関係も一致するだろ


216 :日本@名無史さん:2005/08/23(火) 10:40:06
豊国のヤハタ勢力は殆ど南下できず、名目上祀られたのも
中世以降。やはりヤハタとヤマトは半島・小倉(八幡)・畿内で
しっくりくる。
イズモ・ムサシグループについては
新羅→出雲→京都→関東みたい。文化(歌舞伎とか)の流れもこのルートで
京都、東京に入る。

217 :日本@名無史さん:2005/08/23(火) 10:53:45
鞍手の物部が信仰していたのは倭大王魂かもしれないな・・
すると物部って倭の地元の勢力なんかな・・
玉垂命

218 :日本@名無史さん:2005/08/23(火) 10:54:56
今でいう靖国神社

219 :日本@名無史さん:2005/08/23(火) 10:57:00
>>212
時代的つじつまって何を基準に決めてるの?

元々、この時代の天皇の年齢と在位期間とかはあやふやな材料しかないし(120年以上生きてたことになってたりね)

今、主流で語られる誰がどこの出身でどこに嫁いだかってのも古人が勝手に推測したものでしかないよ

220 :日本@名無史さん:2005/08/23(火) 11:07:29
応神と磐井の乱って繋がるのだろうか?
応神の前の天皇が御井の磐井の戦いで死んで
応神自身がそこで天皇になり磐井を討って、
畿内に凱旋帰国したんではなかろうか?

221 :日本@名無史さん:2005/08/23(火) 11:10:09
>>212
じゃあ神功皇后が卑弥呼な説はどうなんだ
日本書紀にはさもそのように書かれているし
応神が神功皇后の息子なことはまったく疑われてないのに

222 :日本@名無史さん:2005/08/23(火) 11:21:32
卑弥呼(比売大神・天照大神)→台与(神功皇后)→応神天皇(八幡大神)
これは違うと思う。
神功皇后は英雄だからおそらく卑弥呼を象徴したものだろ、
時代的には台与だが何かの手違いがあったのだろ、
台与はクマソに負け火氏、薩野摩氏に政権を奪われる。
そのまま畿内のヤマト同盟国に亡命


223 :日本@名無史さん:2005/08/23(火) 11:32:16
倭の五王が畿内九州同盟なのか九州だけなのかわからないが
半島にも相当な倭勢力があったらしいので九州だけでも不可能
ではないのかなと思う。

224 :日本@名無史さん:2005/08/23(火) 12:01:45
宇佐が邪馬台国というのはオモシロイ説かも。でも物証がないから出てくるのは小説レベルの
話ばかりだな。
私が小説書くならこんな感じ。夜須町周辺に勢力のあった元大和朝廷と宇佐近辺の勢力
(便宜上邪馬台国とする)が戦争して邪馬台国が勝利し、負けたほうは大和に移って
新天地を開拓。その過程で地名も持っていったと。その後大きく成長した大和勢力が
邪馬台国を討ち滅ぼした。2000部




225 :日本@名無史さん:2005/08/23(火) 12:19:16
夜須という地名は明治にできた地名だもんな。。
魏志倭人伝にもないし
その前は安だからな(神功皇后がクマソの豪族を倒して安堵したのが由来)
安佐久良(朝倉)はその時の駐屯地
久留米は元々神代(クマシロ=熊城?)、久留米は新しい地名。
三輪が難しいが、あの近辺三潴、御井、三井、
三輪、三国、三沢、三根という最初に「み」が付く地名がやたら多い。
「み」を抜くとツマ(投馬)、倭(和)、根、井

226 :評論:2005/08/23(火) 12:29:29
このスレを一言で説明すると

一人で作文の様に書き連ねている様に思える
誰かさんのブログスレみたい

227 :16歳中卒ヒッキー ◆HCmIhYMlyc :2005/08/23(火) 14:25:00
神話と現実を混同するのはどうかと思いますけどw

228 :日本@名無史さん:2005/08/23(火) 14:38:55
>>227
天皇の系譜を語る上で神話は無視できないものがあるけどね

229 :日本@名無史さん:2005/08/23(火) 15:00:15
卑弥呼の墓と断定するために必要なモノは親魏倭王の金印でしょ。これが出てこないうちは
ここだあそこだ言っても全て仮説なんだよね。妄想と言ってもいい。

230 :16歳中卒ヒッキー ◆HCmIhYMlyc :2005/08/23(火) 15:20:52
いや、壱与が魏に朝貢したときに金印を
使っていると思うので卑弥呼の墓の中に
金印はありませんよ

231 :日本@名無しさん:2005/08/23(火) 15:43:31
おまいらみんなまとめてこっち逝け

「邪馬台国の会」第197回活動記録
http://yamatai.cside.com/katudou/kiroku197.htm

232 :日本@名無史さん:2005/08/23(火) 15:48:47
金印は宇佐神宮の菱形池に沈んでいたものを何年か前に見つけた人がいたんですけど
歴史的発見に気付きながらも、史的財産として国に接収されることを恐れて

溶かしてただの金塊にしたらしいです

233 :日本@名無史さん:2005/08/23(火) 19:06:27
>>232
そんな与太話ダレも信じないよ。
>>230
卑弥呼と一緒に埋めたか、伝世されたかも妄想するしかない。とすると何をもって
(何が確認されたら)宇佐が卑弥呼の墓だと断定できるの?その条件が決まらないと
議論も、妄想すら時間の無駄なんだが。

234 :日本@名無史さん:2005/08/24(水) 10:33:01
>>233
何が出ても断定するのはかなり難しい

235 :日本@名無史さん:2005/08/24(水) 10:40:28
卑弥呼の後、大和朝廷から
降臨するのは鞍手の物部らしいので
豊国が邪馬台国本家であることは間違いないのだけれど
仮に、宇佐に政治の要があったとしてそこに墓があるとは
限らないでしょう。

236 :日本@名無史さん:2005/08/26(金) 10:17:28
宇佐っていうのは土着系縄文人の整地だと思っているので、邪馬台国の支配層の墓という
考え方にはちよっと疑問あるんだよなあ。仮に卑弥呼の墓だとしたら土着系を追い出して
定着したって話を作らないといけない。
それより宇佐の勢力に破れた渡来系邪馬台国支配層が近畿に移動したって説の方が
同じ作り話でもしっくりくる希ガス。

237 :日本@名無史さん:2005/08/26(金) 10:54:49
>>236
>宇佐っていうのは土着系縄文人の整地だと思っているので

って、しっくりくる理由もこない理由も自分で作ってるじゃん。アホか。

238 :16歳中卒ヒッキー ◆HCmIhYMlyc :2005/08/26(金) 11:03:34
邪馬台国の東に海があり
1000里渡ると国があると
言ってますし宇佐がうさんくさい。

239 :日本@名無史さん:2005/08/26(金) 11:32:47
魏志倭人伝の”そこんとこ”読むと宇佐で決まりって思えるね

240 :日本@名無史さん:2005/08/26(金) 12:23:15
大分は近畿・本州に近いから本州では大分は縄文
という感じで刷り込まれている人も多いよね。
素人は特にそうだそうだろう。
しかし、実際には
http://www.sysken.or.jp/Ushijima/KyuYamaDen.html
韓の神様を祀り、八幡を祀っている。
本州の秦氏、勝氏始め渡来性はここが発祥。

241 :日本@名無史さん:2005/08/26(金) 12:25:26
朝鮮の人は自分が朝鮮だとむしろ日本人が朝鮮人にみえる。
そういうものでしょう。
遺跡みれば大方の想像は付くのだが、自分が朝鮮だと、
やはり中々認めがたいんだよね・・

242 :日本@名無史さん:2005/08/26(金) 12:44:27
学者はみんな知ってるよ、でも福岡を朝鮮に仕立てたいと
いうのは本州人の切なる願い。
記紀、中華正史、神社、地名、苗字歪曲して
福岡・佐賀を差別するのが狙いでしょう。
なぜならここで天皇が何度もコロされているから
しかし、本家倭人はもう殆ど残って居ず
宇都宮、藤原みたいなチョン武士の末裔しかいない

243 :日本@名無史さん:2005/08/26(金) 12:44:52
普通邪馬台国はどこ?といった場合、都をさしますが、この場合は国全体のという意味になります。

244 :日本@名無史さん:2005/08/26(金) 12:48:09
邪馬台国は広いのです、筑豊から大分一帯。


245 :日本@名無史さん:2005/08/26(金) 13:24:46
>>244
関係ないかもしれないけど
北九州・筑豊・大分県県北地域は方言が似てますね

近いから当り前みたいに思うかもしれないが
大分県内でも北と南ではかなり違う

246 :日本@名無史さん:2005/08/26(金) 13:33:11
倭人は方言がきつかったので本州の渡来人に
田舎者としか見られなかったのかもしれない。
神社もまともな神社は殆どなく、しかも本州の神様を拝む信仰w
相当、当時の人は本州人に虐められていたとと思うな。
根っから本州と九州は異質・異民族同士だったのだと思う。

247 :日本@名無史さん:2005/08/26(金) 13:36:29
>>246
たしかに近いとはいえお互いが一つの島だから
渡るのも今思うほど簡単じゃなかっただろうね

248 :日本@名無史さん:2005/08/27(土) 08:57:18
>>237


議論に加わる気のない(加われない?)ヤツに言われてもなw

249 :ニワカ:2005/08/27(土) 21:40:21
藤原はチョンでも武士でもないと思うのですが・・・・

250 :日本@名無史さん:2005/08/27(土) 21:53:08
藤原から武士に発展した人は結構いますよ。
チョンかどうかですが、姻族関係結んだ一族に
その系統の人が多ございます。

251 :日本@名無史さん:2005/08/29(月) 09:23:11
燃料投下>>>
ttp://cgi.din.or.jp/〜washi/cgi-bin/mult/index.cgi

ここと近い説みたいだけどどうかな。比較的よくまとまってるようだけど。

252 :ニワカ:2005/08/29(月) 18:42:01
・・・・・・・・なるほど、よく分かりました。

253 :ニワカ:2005/08/29(月) 18:45:00
↑252は250さんへのレス

254 :日本@名無史さん:2005/08/29(月) 18:45:39
mixiのほうレベル高すぎです。
本出してるほんまものの歴史家や
博物館の研究員や作家とかばかりで
ついていけん。

255 :日本@名無史さん:2005/08/30(火) 08:40:06
>>254
どんな歴史家も研究者も古代史についての説は半分以上想像の世界だから気にするな

256 :日本@名無史さん:2005/08/30(火) 10:48:01
邪馬台国とか卑弥呼に関する本出してる人もアマチュア史家上がりの人多いよね。
アマチュアと専門家の敷居が低いから2chも盛り上がるって側面はあると思われる。

257 :16歳中卒ヒッキー ◆HCmIhYMlyc :2005/08/30(火) 11:31:17
アマチュア史家とかそんなんで生計がたてられるんですか?w

258 :日本@名無史さん:2005/08/30(火) 11:46:25
かなり名がうれてからでなければ無理です。
というか、生計がたてられるようになったらアマチュア卒業ですけどね。

259 :日本@名無史さん:2005/08/30(火) 11:48:42
かなり名がうれてからでなければ無理です。
というか、生計がたてられるようになったらアマチュア卒業ですけどね。

260 :16歳中卒ヒッキー ◆HCmIhYMlyc :2005/08/30(火) 11:52:04
じゃあアマチュア史家の人は
他に仕事やってて副業で歴史の勉強して
本書いてるんですか?

261 :日本@名無史さん:2005/08/30(火) 11:54:36
いや、無理だろ、安本氏のようにデンパ学者になる
なんてどう考えても不可能。
っていうかスレ違いとまた、五月蠅い人から言われるよ。

262 :日本@名無史さん:2005/08/30(火) 12:02:48
仕事にもよるでしょう。
後藤幸彦と言う人は、小学校の教員であったが、夏休みを利用して研究をし、
10年かかってようやく本を一冊だした。
退職して毎日が夏休みになってからは、2,3年で出版できるようになった。


263 :日本@名無史さん:2005/08/30(火) 12:06:44
普通の人が想像する史家は 教授か博物館所司を指している事が多いのですが
 このあたりの時代は非常に曖昧で資料も乏しく(神社やゆわれが中心となる)ので、資料購入費用等や調査許可が比較的おりやすいところが多く アマチュアが参画しやすい土壌があります。
アマチュアと言ってもかなり勉強したうえで解釈や論文を出している人がほとんどで 仕事をしながら研究をおこなっている人が大半です。
その中から 書籍を販売したり、印税や講演会、説明会の謝礼でで生活ができる人がごく少数存在しています。

264 :日本@名無史さん:2005/08/30(火) 12:26:02
逆に専門家、教授とかになってしまうと自説を容易に
曲げられない、政治的な圧力、周囲の反応など足枷が多いように
思うね。アマチュアの研究成果にもっと目が向けられて
いいと感じる。

265 :日本@名無史さん:2005/08/30(火) 12:40:01
たとえば宇佐、八幡を中心とした豊国説なんてのは
中国正史、記紀、遺跡、宗教から
本来もっとも有力とされるべきである。勉強熱心な研究者ほど、
邪馬台国=豊国ほぼで固まっているのであるが、商業的には
ぱっとしない。これは東京人の希望にはそぐわず
市場の支持が得られないという事であろうか?
つまり、正論で必ずしも収入が得られるとは限らない世界なのであろう。


266 :日本@名無史さん:2005/08/31(水) 19:26:17
いえ正論よりも邪推によるオカルト的な説のほうがよくうれますよ。

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