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北海道に昔話なんてあるの?

1 :-:02/07/28 09:41
北海道なんて出来てから100年でしょ?
  昔話なんてアンの?

2 :山野野衾 ◆NDQJtGoM :02/07/28 09:46
2げっと。本土系の民話とアイヌ系の民話があるでしょう。民話は知りませ
んが、私の曾祖父母もカマイタチ・カッパ・ヤマノカミなどの本土系の伝承
を色々と知っていたそうです。

3 :山野野衾 ◆NDQJtGoM :02/07/28 09:53
それと道南の歴史はかなり古いです。松前の玄狐稲荷は京から松前家13代
当主に嫁いで来た姫の護衛としてついて来た霊狐を祀ったもの。
コマヒキ、ホウソウババアなども和人系の妖怪。

4 :天之御名無主:02/07/28 14:08
ふきの葉の下にはコロボックルという小人族がいたそーな

5 :天之御名無主:02/07/28 14:11
北海道でも葬式は仏教式かな? 墓も本州と同じように作るの?

6 :天之御名無主:02/07/28 14:44
あたりまえだ!
アイヌ式の葬送儀礼もすでに失われているし。

7 :天之御名無主:02/07/28 14:59
北海道を、馬鹿にできる地域が、今の日本に、どれだけ残っている?
すべて、紙の歴史から、拾ったんだろ?

8 :山野野衾 ◆NDQJtGoM :02/07/28 16:04
>4
ふきといってもオニブキはかなり大きいです。傘代わりに使える。

9 :天之御名無主:02/07/28 16:09
アイヌ民話には「パナンペ、ペナンペの話」という、
内地の正直爺さんと欲張り爺さんの話に似た民話がある。
そのなかに、「鼠浄土」「鳥のみ爺」の話がアイヌ風に脚色されて
伝承されている。

10 :-:02/07/28 20:09
詳しく教えて頂けないでしょうか・・

11 :天之御名無主:02/07/28 20:17
>>10
岩波文庫の『アイヌ民潭集』だ。簡単に読めるんじゃないのかな。
>1は北海道煽りのつもりだったんだろうが、それはそれとして
「和人の昔話」があまりまともに紹介されていないのは確かだ。
北海道内での出版物にはいろいろあるけど、ちゃんとした研究は
少ないかもしれない。

12 :天之御名無主:02/07/28 22:20
有るところにパナンペとペナンペが居ました。
ある日パナンペが山にコクワの実を採りに行ったところ、かわいらしい
小鳥が
「カニツンツン ピイツンツン カニチャララ ピイチャララ」と
鳴いていました。パナンペが声の美しさに聞き惚れていますと、突然
小鳥はパナンペの口に飛び込み、腹の中にまで入り込んでしまったのです。
しかしそれ以来、パナンペが屁をすると
「カニツンツン ピイツンツン カニチャララ ピイチャララ」と
音がして大評判、ついに松前の殿様にまで噂が広まったのです。
殿様に呼び出され、体を清められ、豪華な着物を着せられたパナンペが
屁をひると殿様もご家来衆も大喜び、ドッサリ褒美を下されました。
パナンペが金持ちになって暮らしていますと、噂を聞きつけたペナンペが
「俺と同じくらい貧乏だったのにどうして金持ちになった?」と
尋ねます。パナンペが詳しく答えますと、ペナンペは
「悪いパナンペ憎いパナンペ、俺の考えを横取りしやがって!」と
神様が出入りするという神聖な東の窓に大小便しかけて出ていきました。
そしてペナンペは山に行って小鳥を飲み込み、松前の城に向かいました。


13 :続き:02/07/28 22:35
殿様が出してくれる御馳走をペナンペは次々と腹に詰め込みます。
「沢山食べてパナンペよりも大きな屁をひったならもっと沢山褒美
貰えるだろう」と
しかしそのために酷く腹をこわし、いざ屁をひろうといきんだところが
臭い屁と下痢便がでるわでるわ・・・
殿様もご家来衆も大立腹、刀や槍で突くわ斬るわ、大変な騒ぎ
ペナンペは全身血塗れ、よろよろうめき声立てつつ村へと帰り着きます。
一方、村ではペナンペのおかみさんが旦那の帰りを今や遅しと待ちかまえて
いました。遠くに夫の姿を見た彼女は
「あれまあ、赤い豪華な着物着せられたうちの旦那、褒美の品の重さに
よろめきつつ、鼻歌混じりでのご帰還でねぇか!」
などと勝手に解釈して、家にあった古い着物全部焼き捨てて裸で
待ちかまえていました。しかし実体は・・・
ペナンペ夫妻は着る物もなく、腹を合わせれば背中が冷え、
背中を合わせれば腹が冷え、そうしてやがて惨めに死にました。

だからこれからのペナンペ達よ、人を羨んで真似したりすると
ろくな事にならないぞ!

14 :天之御名無主:02/07/29 09:04
アイヌのおばあさんの家の戸を、亡霊が「これは自分のだ〜」と主張し
て墓場に持ち去ってしまい、おばあさんが凍死してしまう…という話を
子供の頃に読んだ。亡霊の主張が正しいのかどうかもわからないままに
老婆の命が奪われる理不尽さが、ある意味リアルな恐怖感を伝えた。
…今にして思うと、当事者が死んでいるのにその時の体験が伝えられる
と言うのは、怪談にありがちな矛盾なんだけど。

15 :天之御名無主:02/07/29 11:11
あるところにパナンペとペナンペがいました。

ある冬の寒い日のこと、パナンペが川に魚採りに行ったところが、
川は堅く凍り付いていました。そこでパナンペは川氷に穴を開け、
そこにチンチンを差し込んで置きました。するとウグイやらイワナやら
ヤマベやらアメマスやら、いろいろな魚が寄りついてきます。
パナンペはそれらを片っ端から捕まえ、家に持ち帰って串刺しにして
炉にズラリと並べて焼いていました。
するとペナンペがやってきて、断りもなく魚を食べながら、
「どうやってこの魚捕ったのだ?」と尋ねます。
そこでパナンペがありのままに答えますと、
「悪いパナンペ 憎いパナンペ、俺の考えを横取りしやがって!」と
東の窓に大小便しかけて出ていきました。
さっそくペナンペは川氷に穴を開け、チンチンを差し込みました。
すぐさま魚が吸い付く感触が伝わります。しかしペナンペは
「こんな小物に興味はない、大物が釣れるまで辛抱!」と頑張るの
でした。
しかしわけても寒さが厳しい晩、そうこうしているうちに氷穴は
完全結氷。当然チンチンは堅く凍り付いています。
「助けてくれ!」ペナンペは大慌て。悲鳴を聞きつけたペナンペの
おかみさんが鉞を振り下ろしたところが・・・
手元が狂ってペナンペの大切なチンチンをバッサリと切り落として
しまいましたとさ。
哀れペナンペは一方的に離婚され、一人寂しく死にました。
めでたしめでたし


内地民話の「尻尾の釣り」のアイヌ風脚色ですな


16 :山野野衾 ◆NDQJtGoM :02/07/29 14:24
>15
狐が伯父の狼を騙して尾で釣りをさせるという話が、中世フランスの「狐物語」
に載っていました。別々に成立したのかも。

17 :天之御名無主:02/07/29 21:41
ある天気の良い日のこと、パナンペが浜辺に出てチンチンをしごきますと
それが伸びに伸びて松前の城下町にまで届きました。
すると、武家の奥方や商家のおかみさんが「良い物干し竿がある!」と
タンスから出した上等の羽織、小袖、振り袖、布団などをパナンペのチンチンに
かけました。彼女たちが家に入った頃を見計らってパナンペはチンチンを
縮ませて引き寄せ。かけられて着物の類を全部自分の物にしてしまいました。
こうしてパナンペがにわか大尽になって良い暮らししていますと、
ペナンペがやってきて、
「俺と同じく貧乏だったはずなのにどういうことだ?」と、尋ねます。
パナンペがありのままに答えますと、また例のごとく激しく罵り、
東の窓に大小便しかけて出ていきました。
ペナンペは浜辺でチンチンをのばしました。しかし松前城下のおなご衆は
「やれ、またあの憎たらしい竿が来やがった!」と、刀や包丁持ち出して
バッサリと切り落としてしまいました。
こうしてペナンペは一方的に離縁され、寂しく死にました。

人を羨むとろくな事になりません。


18 :11:02/07/29 21:44
>16
アイヌの昔話の中には、日本と良く似ていても
北回りで伝わった可能性の高い例がある。でも、
この場合は日本昔話から伝わったのではないで
しょうか。「パナンペ話」は「和人昔話」の次に
外来要素の特に多いジャンルですし。ただ、日本
の伝承自体は狐物語がもとという可能性もある。


19 :天之御名無主:02/07/30 01:53
アイヌの昔話は良いよ。
独特の個性があってね。
普通は昔話となれば三人称で語られるが
アイヌの昔話は一人称にこだわってる。
語り手が途中で変わったりして老人が語ってたと思えば
老人の飼ってる犬が語り手になったりする。
こんな昔話は他にはないね

20 :山野野衾 ◆NDQJtGoM :02/07/30 10:05
>18
勿論、その可能性を否定するものではありません。ただあの川や池がよく凍
りつく環境の中でなら独自発生も考えられたので。

21 :天之御名無主:02/07/30 22:31
あるところにパナンペとペナンペがいました。
ある夏の日、パナンペが川で水浴びしていましたら、うっかり褌を流して
しまったのです。パナンペは慌てて川を延々と下り、褌を探しました。
しかし見つかった時はすでに夕暮れ、おまけに走り回ったせいで腹が空いて
たまりません。ふと見ますと川のそばに一軒の家がある。休ませてもらおうと
パナンペが近づきました。すると「パナンペよ、お入り」と神々しい
声がします。入ってみますと、家の中は上等の肉や魚、餅がドッサリと
積まれ、炉のそばでは姥神が刺繍をしていました。そして肉や魚の中から
とりわけ上等の部分を煮炊きしてパナンペに勧めます。パナンペが
いただきますと、姥神が言いました。
「パナンペよ、そなたの心根の良さは神の間でも評判、故に褒美を授けよう。
まもなくここに鬼どもがやってきて、博打をするだろう。だからそなたは
梁の上に隠れていなさい。朝が近づいたら一番鶏から三番鶏の鳴き真似
しなさい。そうすれば鬼どもの銭はそなたの物だ」
食事済ませたパナンペは梁の上に登りますと、やがて鬼どもわらわらと
集まってきて半丁博打にいそしみます。やがて朝方、パナンペが
コケッコウと一番鶏の真似すると鬼はそわそわ、二番鶏でどたばた、
三番鶏でで銭金放り出して逃げ去りました。


22 :続き:02/07/30 22:51
こうして鬼の銭金でパナンペが良い暮らししていますと、また例のごとく
ペナンペが尋ねます。パナンペがありのままに答えますと、
「悪いパナンペ憎いパナンペ、俺を出し抜きおって!」と、悪態付いて
東の窓に大小便しかけて出ていきました。
ペナンペは川で水浴びしましたが褌は流れません。ほどいてもすぐに
岸に引っかかります。流しても引っかかる。ペナンペは諦めて、
褌もって川をそのまま下りました。すると案の定一軒の家がある。
話の通り中は上等の肉や魚がぎっしり、炉端では姥神が刺繍しています。
「悪いペナンペ憎いペナンペ、ここはお前の来る場所ではない」
姥神が罵るにもかかわらずペナンペは勝手に鍋持ち出して肉や魚
勝手に食い、腹ぱんぱんに膨れています。そうして言われもしないのに
梁に登りました。鬼がわらわら集まってきて、半丁博打はじめる。
ペナンペはさっそくコケッコウとやります。
「はて妙な?真夜中に鶏が鳴く?」鬼がいぶかしんで上見ましたので
ペナンペはたちまち発見され、引きずり降ろされて袋叩き、全身血塗れで
ヨロヨロ呻きつつ逃げ出します。
村ではペナンペのおかみさんが旦那の帰り待っていましたが、この姿
遠くから見て
「家の旦那、赤い小袖来て銭金の重みによろめきつつ鼻歌混じりで
帰ってきたよ!」と勝手に解釈、家の古い着物すべて焼き捨てて
しまいました。しかし実体は・・・
ペナンペ夫妻は着る物もなく、腹を合わせれば背中が冷え、
背中合わせれば腹が冷え、そうして惨めに死にましたとさ。

完全に内地式の民話ですな。

23 :-:02/07/31 07:10
あげ

24 :山野野衾 ◆NDQJtGoM :02/07/31 10:27
>22
でもその手の「二匹目の泥鰌を狙って見つかってしまう」話は世界中にあり
ますから、内地系というと語弊があるかも。

25 :天之御名無主:02/07/31 11:21

>>24
しかし、「鬼」「半丁博打」「一番鶏」が出てくるあたり、
完全に内地式ですね。

26 :山野野衾 ◆NDQJtGoM :02/07/31 14:46
>25
その辺りは確かにその通り。鶏は何時からアイヌに飼われていたのでしょうか。

27 :天之御名無主:02/07/31 21:40
少なくとも明治以降からでしょう。一応調べておきますね。
しかしパナンペペナンペ譚は内地から伝来した要素が多分に含まれていますので
一番鶏もそのうちの一つとして盛り込まれているのでしょう。

ではもう一つ

あるところにパナンペとペナンペが居ました。
ある日のことパナンペが川の簗を見回りに来てみますと何とまあ巨大な
勃起したチンチンが入っていました。パナンペが
「手で持ち揚げようか?」と言いますとチンチンはいやいやします。
「口でくわえ揚げようか?」と言いますと嬉しそうにします。そこでチンチンを
口でくわえ揚げ、枕元に供えて寝ました。
翌朝パナンペが目覚めてみますとチンチンは無く、かわりに豪華な着物に
漆器、その他さまざまな宝物がドッサリ。
こうしてパナンペが金持ちになって暮らしていますと、ペナンペがやってきて
尋ねます。パナンペがありのままに答えますとまた例のごとく
「悪いパナンペ 憎いパナンペ 俺を出し抜きやがって!」と
東の窓に大小便しかけて出ていきました。
ペナンペの簗にも勃起チンチンが入っていました。しかしペナンペは
「手で持ち上げるのも汚らわしいのに誰がくわえるか!」と
足蹴にしつつ家に入れました。それでもとりあえず枕元に置き、
ワクワクしながら寝たところが・・・
翌朝、なんとまあ寝床の廻りは勃起チンチン、皮かぶりチンチン、
ズル剥けチンチンがギッシリ。ペナンペは半狂乱になって箒でチンチンを
掃き出します。しかし掃き出すそばからチンチンが沸きだしてくる。
ペナンペは掃除の疲れで死んでしまいましたとさ。

何でこうもホモが喜びそうな話ばかりが・・・


28 :-:02/07/31 23:08
和人 こらアイヌ、米をそんなに汚く食べるな、米は大切な食べ物なんだゾ
アイヌ 私は米よりも鮭の方が大切です、米はどうでもいい
和人 ならなぜお前達は大切な鮭の皮を靴などにする?
アイヌ 和人がワラでぞうりを作るのと同じことだ
和人 じゃあ聞こう、お前達はクマを神と崇めているがなぜクマの肉を食う?
アイヌ あなた達和人は神様に供えた米をほったらかしねずみに食われるしまつ
    もしそれで御神体が傷ついたらどうする、それなら私達が食べて
    しまった方がましだ


って話があったと思う、うるおぼえ

29 :天之御名無主 :02/08/01 01:06
>>27
激ワロタ

30 :天之御名無主:02/08/01 19:01
最近の研究ではアイヌ文学のいわゆる「1人称」は不定人称だ、
という見方が出てきています。実際には口語の単数1人称体で
語られるものはありません(複数1人称あるいは不定人称、あ
るいは引用文と解するべき)。

31 :天之御名無主:02/08/02 18:07
昔話つーか江差の繁二郎の話はメジャーじゃないのかな?

32 :天之御名無主:02/08/03 18:03
今回は樺太アイヌのパナンペペナンペ譚です。

ある日のことでした。パナンペはおかみさんに言いつけてエンゴサクと
姥百合の根を料理させました。そしてそれを木鉢に盛り、浜辺に出ます。
そして長い穴を掘るとおかみさんを裸にして仰向けに寝かせ、おまんこの
穴だけ残して生き埋めにしてしまいました。そしておマンコの穴に先ほどの
料理を美味そうに盛り付け、自分だけで家に帰りました。
すると、沖のほうからトンチトンチ、北海道本土で言うところのコロポックルが
船に米俵やら酒樽、鉄の斧といった様々な物資をを満載してやってきました。
おマンコに盛られた料理を発見した彼らは船を陸に揚げ、荷物も陸揚げして
皆で楽しく会食しました。たちまちおマンコは空です。そこで船頭が
残った汁を舐めようと指でなでさすったところが・・・
おマンコのことですから当然ヒクヒクとうごめきます。
「大変だ!穴が動く!化け穴だ!」トンチトンチ達は荷物を放り出し、
船に乗って逃げ去ってしまいました。
翌朝パナンペはおかみさんをを掘り出し、二人して荷物を家に運び込みました。
こうしてパナンペが裕福になりましたのでペナンペを客に呼びました。
しかしぺナンペは
「お前達のやったことなぞ俺にも出来るわさ!お前なんか茣蓙織り機から
靴を下げているんじゃねぇか、俺なんぞ靴は宝壇から下げているんだ!
お前なんか台所から残飯出すんじゃねぇか、俺なんぞは残飯でも宝壇から
出すんだ!俺がやればもっとりっばに出来るわさ、この出しゃばりが!」
と、妙な罵り方して招待をはねつけました。

翌朝、ペナンペは同じようにエンゴサクと姥百合煮炊きして妻を浜に生き埋めに
して、おマンコにそれを盛りつけました。
すると例のごとくトンチトンチが物資満載した船と共にやってきましたが・・
先日のこともあるので物資を陸揚げせず、用心しいしい料理を食べました。
そして空になったおマンコを指でなでさすりますとヒクヒク・・・
「やっぱり化け穴だ!」たちまちのうちに逃げ去ってしまいました。
結局ペナンペは宝物は無し、砂まみれの奥さんと共にしょんぼり家に帰ったと
いうことです。

よっぽどガバガバのおマンコだったのですね。

33 :山野野衾 ◆NDQJtGoM :02/08/03 18:17
樺太アイヌの妖怪には、男女の性器の形をしたものがおり異性がそいつに向
かって自分の性器を露出させて「やりたきゃやろう。」というと消えるとい
う。性器の呪力をあらわした話であり、沖縄の「上の餅は餅を食い、下の餅
は鬼を食う」という話やアメノウズメと猿田彦の話を思い出させてくれる。

34 :天之御名無主:02/08/03 18:37
北海道アイヌの伝承では、女は熊に対して大きな態度に出ることが
出来るという。理由は火の神が女であるためだとか。
山で熊に出会ったときは着物の前をはだけ、
「うちは火の神のアペフチカムイさんとおんなし物持っているんやでぇ
どや、面目立つかや?」などと言い張ると熊は退散するという。

35 :天之御名無主:02/08/06 08:17
マンコ保守

36 :天之御名無主:02/08/06 23:16
もっと上品な話キボンヌ

37 :天之御名無主:02/08/07 00:06
>>27
半角かモナ板にコピペしたい話だ。

38 :天之御名無主:02/08/07 00:10
>>37

じゃあお願いします。
ついでに同性愛板にも。

39 :天之御名無主:02/08/08 00:00
ティムポがばかでかい男がいて、そのため妻を突き殺してしまい、
再婚しても、新しい妻もまた突き殺して、悲しみのあまり旅に出て、
旅先で化け物鷲だったか熊だったかをティムポを使って倒して、村人を
救うという話を読んだ記憶がある。

40 :天之御名無主:02/08/08 11:34
>>39
イヤな勇者様だなァ(w

41 :天之御名無主:02/08/08 16:10
期待してみてみれば結局ネタスレかよ。

42 :コロボックル:02/08/08 17:25
蝦夷出身ですが。
夏休みの宿題帳(今そんなのないか。。。)に
毎年、コロボックルの話が載ってた。
小さくて、人間が来る気配感じると逃げる
ってことくらいしか書いてなかった。
もっと詳しい話と思っても、近所にアイヌの古老もいそうにないし。
詳しい話もキボンヌ!!

43 :天之御名無主:02/08/08 21:04
>>42
「コロポックル」の話はあまり伝承されていません。
昔話としては多分数種類しかないと思います。
「飢饉のときに食べ物をくれた」「文化を伝えた」
なんていうのだけ。あと「こびとの住んでた穴」
「こびとが作った得物」なんていう言い伝えとかね。

>>32
正確には、樺太ではパナンペ、ペナンペではなく
パンカンクフ、ペンカンクフのような気がする。


44 :天之御名無主:02/08/08 22:14
>>39

その昔、穂別町はカイカウニの沢にフリーというとんでもない巨鳥が
棲んでいました。そのフリーが厚真町のオイカルマイに移ったので
村の衆は恐れて逃げ去ってしまいました。
同じ頃、支笏湖畔のルイカヤルにとんでもなくチンチンの大きな男が
居りました。あまりにも巨根なので何人も妻を死なせてしまい、侘びしく
一人暮らししておりました。自分は化け物なのでは無かろうかと悲観して
居りましたが、フリーのせいで民が苦しんでいる噂を聞きつけ、
「その化け鳥を同じ化け物仲間の俺が退治してやろう」と考え
六尋もある槍を持って出かけて行きました。別にチンチンを武器に
したわけでは無いようです。ついに男はフリーを退治しました。
男は村に凱旋しました。しかしその祝いの席でチンチンを見せびら
かしたところ、なんとまあ膳に乗らないほどの大きさ。村の衆は
あきれかえって物も言えません。すると男は急に不機嫌になり、
「こいつのせいで俺は自分で飯炊いたり洗濯したりしなければ
ならなかったんだ!」と
自分の物をねじり折って死んでしまったということです。

更級源蔵『アイヌ伝説集』より

45 :天之御名無主:02/08/08 22:23
知里真志保や更科源蔵の採録発表資料には性的な要素が強いものが多い。
まずなにより、当時の学問的流行だった。それ以前のピウスツキや金田一
のものは必ずしもそうではない。因みにパナンペ話は特にエロネタが多い
ジャンル。

46 :天之御名無主:02/08/08 22:33
>>42

その昔、有珠山の噴火で道南地方のコタンが全滅し、生き残りの者が
はるばる道東まで逃れて来ました。彼らはそこに落ち着き、平和に
過ごしておりましたが、不思議に事に朝目覚めると枕元に魚が置かれて
いるのです。そこで不審がッた村の衆が寝ずの番しておりますと、
明け方になって身の丈三十pほどのコロポックルの女が魚を配って
いたのでした。村人はすかさずその女を捕らえ、村おさの家に連行して
色々尋ねますが、女はただ泣くばかり。
一方、娘をさらわれたコロポックルの一族は憤り、娘を奪い返すと
アイヌ達に「トカプチ、トカプチ!」と捨てぜりふ吐いて去って
しまいました。トカプチとは鮭の皮が焦げて縮むようにジワジワ
苦しめ、という呪いの言葉です。そのせいかどうか、その村の衆は
次々と若死にし、残った者も洪水で滅んでしまいました。
ともあれ、このトカプチと言う言葉が「十勝」の地名由来なのです。

ムネヲの出身地、十勝!

47 :コロボックル:02/08/08 23:21
>>43>>46
なるほど。ありがとうございます。永久保存版にします。

うちの先祖が松前藩のサラリーマンだったそうな。
16世紀から蝦夷に住んでたということです。
有珠山は1600年頃から9回ほど噴火してるはずですが
>有珠山の噴火で道南地方のコタンが全滅し
ということならば、
もっと昔ということですね。

そう言えば、明治30年生まれの祖父に子供の時聞いたおとぎ話は
今思えば「一寸法師」、「桃太郎」等でしたが
結末は、絵本で出版されているお話より
もっと厳しい現実(残酷な話)をつきつけるものでした。
今再現しろと言われても完全には覚えてませんが。

48 :天之御名無主:02/08/08 23:32
奥尻と寿都の間を帆立貝が海上を往復してた。

49 :43:02/08/08 23:33
>47
「一寸法師」「桃太郎」は口承の昔話というより、中世あたり
から書承で伝わったものであり、昔話バージョンはむしろ新しい
という指摘がなされています。ちなみに東北地方の伝承では
「瓜娘姫」の話なども残酷な要素が強い。
なお「コロポックル」の話もいわゆる「アイヌの昔話」とは少し
趣が異なります。むしろ「当時(つまり近代に)日本語で採録者に
語られていた伝承」として別に位置付けたほうがよさそうです。
江戸時代以降に書承を介して和人からアイヌ人に逆流した話である
可能性があります。

50 :天之御名無主:02/08/12 21:28
age

51 :天之御名無主:02/08/12 22:51
age


52 :天之御名無主:02/08/14 07:44
和人にあまり昔話が無いのは(繁治次郎除く)厳しい環境の中で昔話を語る余裕も
無かったから、というのは本当でしょうか?そういえば和人の伝説には暗いものが
多いですね。

53 :あぼーん:あぼーん
あぼーん

54 :天之御名無主:02/08/15 08:59
北海道の昔話ってメジャーじゃ無いよね

55 :あぼーん:あぼーん
あぼーん

56 :天之御名無主:02/08/15 23:25
今回は珍しくハッピーエンドです。

あるところにパナンペとペナンペがいました。二人とも独身でした。
ある時のこと、パナンペはペナンペをからかってやろうと考え、川で身を清めて
美女に変身しました。そして狩りに出かけたペナンペの留守宅に忍び込むと
男の一人暮らしで散らかり放題の部屋を綺麗に掃き掃除し、着物も鍋も食器も
洗い清めました。そして飯を炊き、汁を作り、炉のそばで畏まって待っていました。
さて、ペナンペが疲れ切って山から帰ってきますと家から煮炊きの煙が
上がっている。家の中には美味そうな香りが漂っている。そして炉端には
美女がかしこまっている。ペナンペは嬉しくてたまらず、女に会釈します。
女は恭しく食事を差し出す。ペナンペは実に美味く食事を平らげました。
食事が済むとペナンペは奥の間に床をとらせ、パナンペが正体の女を寝かせ、
「これから夫婦になるのだ」と、女の胸をまさぐったところが・・・
正体現したパナンペが戸口の方へバカ笑いしながら駆け出していきました。
騙されたと知ったパナンペは悔しくてなりません。
それからしばらくして、パナンペが狩から帰ってきますと、いつか自分が
したように、家が綺麗に片づけられ、美味そうに飯が炊かれ、炉端には
美女が座っています。ペナンペが仕返しに化けているのを知りつつパナンペは
美味しく食事を済ませました。そして奥の間に床を取らせ、女の胸を
まさぐったところが・・・正体現したペナンペがバカ笑いしつつ駆け出して
いきました、と思ったら、パナンペに術をかけられ、本物の女にされて
しまいました。

結局ペナンペはパナンペの妻になり、二人仲良く暮らしたということです。

57 :天之御名無主:02/08/17 17:40

          ____
        /      \           / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄\
       /●  ●     \        |  sirokane karkar wowowo- |
      /        Y  Y|      ○ \_____________/
     | ▼        |   | |    o
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         /   | \|  |   \        |\___/
        (((__|  (((___|-(( ̄ ̄     _/

58 :天之御名無主:02/08/19 23:11
>>57

ぞぬちゃんからのリクエストがあったので書きかさせていただきます。

ある秋の日のこと、パナンペが鮭をドッサリ捕って船に満載して運んでいますと、
川岸から痩せた雌犬が物欲しそうな目をして見つめています。パナンペは
いじらしく思い、鮭の中でも一番大きくて美味そうな物を放り投げてやりました。
犬は嬉しそうに鮭をくわえ、草原の中へ消えて行きます。パナンペは何故か
犬の行く先が気になりましたので、どこまでも後を付けて生きました。
すると、突然草原の中に大きな屋敷が現れました。家の前では沢山の
男衆女衆が餅をつき、金の犬と銀の犬が遊んでおりました。
パナンペを見ますと金の犬は「こがねワンワン!」
銀の犬は「しろがねワンワン!」と吠え、餅つきの衆はにこやかに出迎えます。
家の中には神々しい翁媼が座り、手前の席には美しい女が座る。女の前の
まな板には先ほどパナンペがやった鮭が乗っておりました。翁が申します。
「我らは犬の眷属、我は犬の王である。このたびは我が娘が産後の肥立ちが
悪くて苦しんでいたところ、あのように一番見事な鮭を下された。
その礼のためにあなたを招き、あのようにして餅を搗いているのだ。今夜は
どうか泊まって、存分に食べていただきたい。」
やがて一同が餅を高盛りにしてパナンペに差しだし、パナンペの鮭で汁を
作り、皆で賞味します。歓待の夜は更けていきます。
翌朝、翁はパナンペに餅を背負わせ、
「土産に金の犬と銀の犬、どちらが良いか?」と尋ねます。パナンペは
銀の子犬を所望し、大切に家に連れ帰り、枕元に供えて寝ました。
翌朝、パナンペが目覚めてみますと犬は居らず、かわりに漆器や宝刀、
豪華な着物がドッサリ。
「」

59 :58:02/08/20 00:12
こうしてパナンペが良い暮らししておりますと、例のごとくペナンペが
「俺と同じくらい貧乏だったのにどうした?」と尋ねます。
パナンペが正直に答えますとまた例のごとく悪態ついて東の窓に大小便
しかけて出ていきました。
ペナンペが舟に鮭満載して運んでいますと岸から痩せた雌犬が物欲しそうに
見つめています。ペナンペは「この腐れ犬が!」などと悪態ついて
一番小さくて不味そうな鮭をわざと砂まみれにして投げつけました。
犬は後ろも見ずにしょんぼりと草原に消えていきます。ペナンペが
つけて行きますと大きな屋敷がある。金の犬と銀の犬が吠えつきますが
無慈悲にもペナンペは石ぶつけて追い払います。餅つきの男衆女衆は
そっぽ向いています。
家の中には品の良い翁媼が座り、前では美しい女が泣いています。
まな板の上には先ほどの鮭が砂まみれのままで置かれていました。
翁が申します。「ペナンペよ、我が娘に一番ちいさな魚をわざと汚して
渡したそなたなぞ有り難くもなんともない、何しに来た?」
ペナンペは平然としております。それでも一同はペナンペに餅を
差し出しました。ペナンペは勝手にたらふく食ってごろ寝。
一同は砂まみれの鮭で汁を作り、まずがって食いました。
翌朝、翁が言うには「貴様なぞ有り難くもなんともないがうちの客で
ある以上土産は出そう。金の犬と銀の犬、どちらが良いか?」
ペナンペは迷わず金の犬を所望しました。そしてその犬を罵り足蹴にして
家に連れ帰り、部屋の隅に放り出して寝たところが・・・
翌朝、家の中は犬の糞だらけ。ペナンペは半狂乱になって部屋を
掃除しましたが、掃いても掃いても糞が降ってくるわくるわ・・・

ペナンペは掃除の疲れで死んでしまいましたとさ。

めでたしめでたし。

60 :梟の神の自ら歌つた謠:02/08/20 02:04
「銀の滴降る降るまはりに、金の滴
降る降るまはりに。」と云ふ歌を私は歌ひながら
流に沿つて下り、人間の村の上を
通りながら下を眺めると
昔の貧乏人が今お金持になつてゐて、昔のお金持が
今の貧乏人になつてゐる樣です。
海邊に人間の子供たちがおもちやの小弓に
おもちやの小矢をもつてあそんで居ります。
「銀の滴降る降るまはりに
金の滴降る降るまはりに。」といふ歌を
歌ひながら子供等の上を
通りますと、(子供等は)私の下を走りながら
云ふことには、
「美い鳥!神樣の鳥!
さあ、矢を射てあの鳥
神樣の鳥を射當てたものは、一ばんさきに取つた者は
ほんとうの勇者ほんとうの強者だぞ。」

厭きたから止めるネ

61 :天之御名無主:02/08/20 12:49
ほんと、みんなこれ好きだよね
アイヌ語読めば面白いけどさ
もうちょっと違う話ないんかなー

62 :天之御名無主:02/08/20 15:45
正直、パナンペが憎くてたまらないヤシの数→(1)

1 :ペナンペ◆PenaNpEs :02/10/28 09:41
今日も東の窓に大小便しかけてやりますた

63 :oya upaskuma:02/08/20 18:27
kotankarkamuy kotan kar katu tap ne an ruwe ne yak aye.

tures turano kar wa, ney tures anakne anrur mosir kar
orowa okkay kamuy anakne cupka mosir kar wa, wen tusmak
wa kar yak aye. awa, ney tures siwentep ne kusu, oyna
kamuy kot tures an. ayke turano monrayke somo ki no ney
tures tura uweneusar. rapoketa okkay kamuy kotan kar
okere ehanke, ne wa an pe nukar wa orwano kimatek kusu,
ney anrur mosir neyno kar. yakne tunasino kar kuni
esanniyo kusu, wenno wenno kar katuhu ne wa kusu, tan
anrur mosir ayaykikip uske patek poronno an ruwe ne.

... ari an pe upaskuma an.

64 :天之御名無主:02/08/20 19:50
moteki moteki!
tanepo kunukar!
kanna suy nuye yanani.

65 :天之御名無主:02/08/20 21:55
パナンペペナンペの話では、ペナンペがパナンペの成功を妬み、
東の窓に大小便しかけるシーンが定番です。
アイヌの考えでは東の方角は太陽が昇り、そして善人の魂が死後向かう
大変神聖な方角であるとされ、そして東の窓は神が出入りするという
神聖な窓。この窓から他人の家の内部を覗き込むことでさえ、
「賠償請求されても仕方がないこと」とされていました。
その神聖な窓に大小便ですから、ペナンペがいかに恥知らずな人間か
判ろうという物です。

また、物語の中には餅つきのシーンがたまにあります。しかし
厳密に言うとこれは餅ではなく、団子、アイヌ語ではシトといいます。
水に浸けた穀物を臼で搗いて粉状にしてから丸め、茹でた物であります。
潰したイクラをまぶした「チポロシト」は秋の御馳走です。

66 :天之御名無主:02/08/21 00:32
細かいこというけど神聖な窓が東側にある地域は限られている。
この窓は東西南北というよりも、その地域で信仰の対象になっている
山とか、あるいは川上に向いている。窓が東側にある地域は、たまたま
川上がそっちであることが多い。

だから樺太、北海道全域で(千島はよく知らない)神聖な窓の方向を
比較するとてんでバラバラである。

さらにいうと死人が行く所も地方差がある。たとえば静内では亡く
なった人はカムイモシリに行くという。そこでカムイとともに暮らす
というのではなく、カムイの世界はこれとは別にカンナモシリという。

67 :天之御名無主:02/08/21 00:42
そうかな?十勝アイヌのパナンペペナンペ話でも東の窓に大小便だったが
あの地方では「川下」が東だったぞ。

68 :天之御名無主:02/08/21 18:15
はあ。それは興味深い。出典は何ですか?
ちなみに内田祐一氏の「チセの地域差―十勝アイヌを中心に―」
(アイヌ民族博物館『アイヌの住まいチセを考える』所収)
によると帯広の伏古では西(4例)、芽室で西(1例)、本別で北(1例)、
音更で北(1例)といった感じ。いずれも川上にむけられている。

ちょっと疑問なんだが、67の見たテキストでは東の窓=神窓なのか?
この手の話では戸口に小便をかけていくというパターンもよくある。

この場合は東の窓(日常もちいる)にかけただけかもしれないし、これが
戸口の間違いならそれはそれで東にあるというのもわかる。原文では何と
言っているのか是非知りたい。

お答えを待つ。

69 :67:02/08/21 20:39
>>68

自分が読んだのはね、柳田国男に遠野物語を語った人物である佐々木氏が、
十勝の伏古コタンの村おさの家系に生まれ、伏古の小学校の校長を
勤めていた人物から聞いた話ね。
ストーリーはチンチンで釣りする話、松前までチンチンのばして着物
かっさらう話ね。『佐々木喜善全集』に載っていたはず。

70 :モー伝説:02/08/21 23:34
21年前の夏の日。室蘭の産院に2人の天使が舞い降りました。
それから16年後、2人が再会した時から新たな伝説が始まったの
です。かおりんとなっちのモー娘伝説が・・・

71 :天之御名無主:02/08/21 23:44
そしてパナンペのちんちんにさらわれましたとさ。

めでたしめでたし

72 :天之御名無主:02/08/22 00:02
すばらしい!!
パナンペの兄貴!!盃ください!!


73 :天之御名無主:02/08/22 00:39
重ね重ね1はアホだな。

74 :天之御名無主:02/08/22 20:05
おもしろいですね。
十勝川水系のあたりで神窓が東を向いている、
というのはとても珍しいんじゃないでしょうか。
支流沿いなら南か北、本流沿いなら西ですよねえ。
入口が川上向いてる家ってのも想像しにくい。
「東の窓」という部分にはひっかかるものが
あります。キリスト教つながりで幌別あたりの
伝承が紛れ込んだとか、なんてね。

75 :薙神:02/08/22 21:44
基本的にユーカラに昔話あるんじゃないんですか。

コンカニッペランラン シロカニッペランラン

本土のドベ共が移住してくる前から彼の地はアイヌの土地ですよ。昔話くらいあるでしょう。
歴史的な話をすれば、蝦夷の民の記述は小学校で習う所「坂上田村麻呂」が居る訳ですし。
人が居て神が居る以上、事実神話くらいはある訳だし。

道史が100年程度な訳がないでしょうが。

爺さんがアイヌの人だったけど、俺が生まれる前に戦争で死んじまったんで、爺さんから話を聞いたことはなかった。残念この上ない。

76 :あぼーん:あぼーん
あぼーん

77 :天之御名無主:02/08/22 23:07
76のいうことはとても納得がいく。

78 :あぼーん:あぼーん
あぼーん

79 :天之御名無主:02/08/27 17:34
age

80 :天之御名無主:02/08/28 19:56
agege


81 :天之御名無主:02/08/30 08:59
室蘭市にイタンキ浜という砂浜があります。
イタンキとはアイヌ語で椀のことでありますが、ここにはこのような
救いようのない伝説があります。

その昔、日高沿岸のコタンが不漁で飢饉に見舞われました。人々は
室蘭のエトモコタンが豊漁で景気がいいとの噂を聞きつけ、はるばる
何十キロもの道を歩いてやってきました。ところが一同がいざエトモに
たどり着いてみますと豊漁どころか天然痘が大流行、村人達は死ぬか
逃げ去った跡でした。人々は帰るに帰られず、辺りをプラプラするばかり。
と、一人が沖に黒い塊を発見しました、寄り鯨だ!今でしたら自然保護団体と
マスコミが救出キャンペーンをはる所ですが、当時は鯨はまたとない自然の
恵み、人々は鯨が岸に打ち上げられるのを期待しつつ盛大な焚き火して
夜を明かしました。
翌朝、依然として寄り鯨は沖にあるまま。一同は焚き火しつつ何日も何日も
粘ります。しかしたたでさえ乏しい手持ちの食料は少なくなる、
薪にするような流木も無くなる。そして大切な椀までも薪に焚いてしまいました。
それでも鯨は寄りつかない。ついに一同は飢えと寒さで全員死亡の悲劇!

寄りつく筈などありませぬ。沖の黒い塊はただの岩だったのですから。

いずれにせよ、それ以来この浜をイタンキ浜、沖の岩をフンペシュマ(鯨岩)
と呼ぶようになったと伝えられております。

82 :天之御名無主:02/09/01 17:39


83 :天之御名無主:02/09/01 23:47


84 :天之御名無主:02/09/01 23:49
ルビー モレノ

85 :天之御名無主:02/09/01 23:50
》81

提供は室蘭市観光協会でした。

86 :天之御名無主:02/09/02 00:54
道東十勝川の上流の新得町、この奥に「カムイロキ」の言われる
岩山があります。カムイロキとは「神の座」という意味ですが、ここには
暗い伝説があります。

かつてこの地にフリーというとんでもない巨鳥が棲んでおりました。
この鳥は一瞬で海まで飛び、鯨でも一掴みにするような化け物でしたが
人間に対しては決して悪さをするモノではありませんでした。
 ところがある日のこと、フリーがいつも飲み水にしている綺麗な小川を
ある生理中の娘が尻まくりして渡ってしまったのです。水をけがされたと
怒ったフリーは娘をくわえ上げるといつも鯨の食べ残しを捨てている
岩穴に放り込み、そしてもうこのような穢れた地には居られないと
遠い異国に飛び去ってしまいました。崖の上の岩穴に取り残された娘は
帰るに帰れず、フリーの食べ残しの骨をしゃぶって命を繋いで居りましたが
そのままどうなったか判らなくなってしまいました。
 数年後、麓のコタンの男が獲物を求めて山をさまよっておりますと、
山中にも拘わらず鯨の骨が散乱する奇妙な場所に出会いました。
突然、若いのかも年寄りなのかも判らない奇妙な女が現れ、麓へ連れて
行って欲しいとせがみます。しかし男は女の手があまりにも冷たいので
振り払って逃げ帰りました。しかし村に帰って程なく原因不明の
死を遂げたということです。
それ以来、クッタリコタンのアイヌ達はこの地を「ウェンシリ」
悪い場所、と言って恐れるようになったということです。

87 :天之御名無主:02/09/02 12:02
86よ

その話はお前のつくりではないのか?
そもそも地名がまちがっとるぞ。
お前みたいのに詳しいことを語りたくない
からこれで終了


88 :86:02/09/02 21:43
>>87

ハァ?
なに言ってるの、この出典は更科源蔵の「アイヌ伝説集」だよ。
もっとも更科氏は工藤梅次郎氏の著作からこの話を引用したらしいから、
工藤氏の創作である可能性もあるがね。少なくとも私の創作ではない。
この話は新得町のガイドブックにも載っていたしね。

地名の間違いとは?確かに現在の地名は「屈足」(くったり)で、
アイヌ時代の地名は「クッタルウシ」(イタドリ生える所)だったから
「クッタリコタン」ではなく「クッタルウシコタン」と書くべきだと?
それとも、「カムイロキ」のある十勝川とパンケニコロベツ川の
合流点とは別に、そこから三キロ下流に「ウェンシリ」という崖が
あるから、地名を混同しているとでも?

89 :天之御名無主:02/09/02 23:22
87=1

90 :天之御名無主:02/09/03 08:19
88はみっともない。取り乱すな。
ところで、ガイドブックがアイヌの話をちゃんと拾うとおもう?

ちなみに地名は間違えっぱなし。

91 :天之御名無主:02/09/03 10:52
じゃあ正しい地名書け!

92 :天之御名無主:02/09/03 13:00
帯広人なのに一つも知らないよ(´Д⊂ヽ

93 :天之御名無主:02/09/03 13:37
ほう、北大生が多そうなスレだな。

94 :天之御名無主:02/09/03 17:15
話がかみあってないみたいですね。

95 :天之御名無主:02/09/03 20:54
では新得町のカムイロキに関する伝説もう一つ。

この伝説では「カムイ」はフリーカムイではなく、
「キムンカムイ」つまり熊であるとされています。熊が冬越しする
穴があったので「カムイロキ」。
むかしある男がこの穴に熊を求めて入り込みましたが、二度と帰って
来ませんでした。その男の息子が父を求めて入り込みましたがやはり
これも帰ってきません。
熊にやられたのかそれとも異次元にさらわれたのか・・・
そこで村人たちはイナウを立てて祈り、不吉な場所だとして
近寄ることを戒めたと申します。

この話は新得のガイドブックには載っていません。



96 :天之御名無主:02/09/03 21:17
↑出典は松浦武四郎の「十勝日誌」。

次は新得(しんとく)の地名伝説
昔、十勝のアイヌが日高へシントコを買いに行きました。
シントコとは内地伝来の足付き蓋付き漆塗りの桶で、アイヌに珍重された
宝であります。それを無事に買い求めての帰り道、日高の山脈を
ようやく越えて新得の辺りまで来たときに日暮れとなりました。
そこで野宿をすることにしましたが、この地には大蛇が出没するという
噂が有りましたので用心してシントコをかぶって寝ました。
夜半過ぎ、頭のシントコがガタガタ言いますので飛び起きてみますと、
噂の大蛇が頭から自分を呑もうとしている。
すぐさまその大蛇を刀でズタズタに刻んでしまいました。
シントコで身が守られたのを記念して、この地をシントコ=新得と
名付けたと言われています。

しかしこれはあくまでも伝説で、新得山の突出部を肘(シットク)に
喩えたのが由来だとされています。

97 :天之御名無主:02/09/04 21:29
帯広市の十勝川を挟んだ対岸は音更町、そこからさらに北に向かうと
士幌の街があります。「シホロ」の地名語源はアイヌ語で
「鍋を水に浸ける」を意味する「シュオロ」が訛ったものですが、
この由来に関する伝説です。

昔、オトフケコタンの者が二、三人連れだって狩をしに北へ向かいますと、
何故か河原で煙が上がっています。怪しんで物陰から様子をうかがって
みますと、河原で二、三十人の何者かが焚き火をしている。その中の
長らしい老人がいやらしい口調で言います。
「お前ら気をつけろや。この辺りまで来ると何処からオトフケの者が来るか
判ったものではないわ。もし現れたならば鍋を川に放り込んで逃げろや。
我らが鍋を投げたところ、という地名でも付けばはるばるトカチくんだりまで
来たうちらの顔も立つってもんだからなァ」。
それを聞きつけたオトフケの者はすぐに物陰から踊り出しましたので一同は
言にたがわず鍋を川に放り込んで逃げましたが、結局皆殺しになってしまいました。
この一団は北見から来た夜盗だったそうですが、ともあれこれが
「シュオロ」士幌の地名由来なのです。

これ以外に、飢饉で食べ物が無く、ヤケ起こして川に鍋を捨てたから、
という伝説もあります。


98 :天之御名無主:02/09/05 19:52
十勝川の大支流の一つである音更川。この沿岸にオチリシというところがあります。
オチリシは二つの山の尾根が向かい合ったところ。尾根の先というのは神様が
下りてくるところで良い場所とされており、それならば両側の尾根から神が
下りてくるオチリシは最良の場所であるはず。
しかしそういう場所は「良すぎる」が故に人が住むことは出来ないとされています。
オチリシにもかつてコタンがありましたが、村人の夭折が続いて結局滅んで
しまったとのこと。

音更町の地名由来はアイヌ語の「オトプケ」。
アイヌ語で「髪が生える」の意ですが、なぜそれが地名になったか、
伝承はありません。

99 :天之御名無主:02/09/06 20:19
帯広市北西の伏古コタンのそばに「チョマトー」という不気味な古沼があります。

伝説に寄れば、かつて日高アイヌと十勝アイヌの戦が有ったとき、敗退した
日高アイヌが追いつめられ、六十人全員この沼で溺死したとのこと。
その死体が腐ってみるも無惨だったので腐った沼、と言う意味の
「チョマトー」という地名がついたとされています。

100 :天之御名無主:02/09/06 20:45
帯広市南部の売買地区。地名の由来は商売に関連したものではなく、
アイヌ語の「ウレカリップ」足跡を作るのもの、に由来します。

伝説に寄れば、かつてトカチの国には鹿が棲んでおりませんでした。
そこで頭の良い男が木を削って鹿の足型のようなものを作り、雪の上に
ペタペタとスタンプのように贋の足跡を付けておきました。
それに釣られて日高の山を越えて鹿がめでたく来るようになったそうです。

もう一つの伝説では、>>99の伝説でただ一人生き残った日高アイヌが
逃げ帰るときに雪輪をわざと逆にはいて追っ手の目を眩ませたので
この名が付いた、とも言われています。

101 :天之御名無主:02/09/07 01:17
アイヌ語に関する文献ってみんなどこで買うの?
都内じゃあんまり見かけないけど・・・


102 :天之御名無主:02/09/07 01:53
昔「まんが日本昔話」で北海道の昔話をやったことがあったよ。
カンナカムイ(うろ覚え)がチライという巨大な魚を退治する話し。
あと、本多勝一の本にもアイヌの子どもが帆立貝に乗って日本へ行く
昔話があった。

103 :天之御名無主:02/09/07 02:03
帆立貝に乗って日本本土に遊びに行く話はパナンペペナンペ話だったはず。
パナンペは殿様に綺麗な鳥の声聞かせて褒美もらうが、ペナンペは失敗
するのだ。
本多勝一は大嫌いだが。

104 :天之御名無主:02/09/07 02:08
アイヌ語の文献は札幌に逝くしかないね。
駅前通りの「なにわ書房」か「アテネ」がいい。

「アテネ」は『活動家』の機関誌やホモ雑誌も売っていてかなり危ないが。

105 :天之御名無主:02/09/07 10:59
アイヌ語文献のうち助成金で発行してる有料印刷物って
どう買うの?
直接取り寄せで購入?
それとも専門店(北大前とか神田の古本屋さん)?で


106 :あぼーん:あぼーん
あぼーん

107 :あぼーん:あぼーん
あぼーん

108 :天之御名無主:02/09/07 13:01
>105

ゴメン、そこまでは知らない。

109 :天之御名無主:02/09/07 18:16
帯広南部売買の集落の川向こうにはかつて鵺抜(ぬいぬっけ)という
地名がありました。アイヌ語の「ムイウンケプ」(箕がある高台)に
由来しますが、この地名伝説です。

その昔、大津波によって海から鯨が内陸のここにまで打ち上げられました。
サマイクル神がこれを発見し、切り分けて串に刺して焼いていたところ、
突然火が大きくはじけました。サマイクル神が吃驚して尻餅をついて
出来たくぼみが箕のようだったので、ムイウンケプの地名が出来たと
されています。

奇妙なことに、
「サマイクル神、またはオキクルミ神、はたまた源義経が焚き火で
鯨を串焼きにし、その串が岩になった。」
そして
「串が焼けて折れ、神が吃驚して尻餅付いて窪みが出来た」
という伝説は全道各地に分布します。
登別の虎杖浜、日高三石、様似、釧路の白糠など。

110 :天之御名無主:02/09/08 19:02
売買川が流れ込む札内川を遡りますと、昭和五十年代「愛の国から幸福へ」の
切符が有名になった広尾線幸福の駅が、線路が廃止になった今でも残っています。
今回はその「幸福」の由来です。

このそばを流れる札内川の地名由来はアイヌ語で乾いた川、と言う意味の
「サツナイ」です。明治になって開拓が始まってから川には「札内」の
字が当てられ、そばに作られた村には「幸震村」と命名されました。
古代日本語で地震を「ない」「なえ」と言うことを知っていた命名者は
よほど学が有ったのでしょう。しかしやはり部外者が即座に「さつない」と
詠めるはずがない。そこで次第に「こうしん」と読まれるようになりました。
ところで、この「幸震」の住人は福井県からの移民が大半でした。そこで、
それにちなんで「幸福」となったのです。
幸福になるには紆余曲折が伴うものです。

なお、同じ広尾線の「愛国」駅。この愛は男女の愛でも同性愛でもなく、
「愛国心」の愛。愛国ナントカという団体がこの一帯を開拓したことからの
地名です。
北教組や北海道新聞がもっとも嫌う「愛」なのだ。


111 :天之御名無主:02/09/09 14:16
>>110
ほうほう。帯広に住んでますが、ぜんぜん知らなんだ。
勉強になりますた。

112 :天之御名無主:02/09/09 21:49
十勝川の大支流札内川。この水源の日高山脈の主峰の幌尻岳。
ポロシリとはアイヌ語で偉大なる峰、と言う意味ですが、実際に
この山は周囲のアイヌから霊山として崇拝されていました。

この山は天界の一部、夕暮れになれば悪魔がやってきて歌い踊り、
夜半過ぎになれば今度は神が来て歌い踊るといいます。頂にはなんと
海水を満たした湖があって昆布が生え、海水魚が泳ぎ、アザラシまでもが
棲んでいる。時々それが札内川に流れ込んでくるとのこと。伝説では
昔海神と雷神が戦をし、その結果負けた海神が海のものを賠償として
天に捧げたからだと申します。この海水湖のそばには宮殿があるが
それを目にしたらすぐに拝んで帰らなくてはいけません。そして奇妙な
ことには、海水湖がある山でありながら、この山では海関連の話を
してはいけません。どうしてもしなくてはならない時は、
「海」を「沼」、「塩」を「灰」、「舟」を「桶」、「昆布」を「葡萄蔓」
などと言い換えて話します。

伝説とは別に実際幌尻岳の山頂近くには「七つ沼」と呼ばれる池があります。
もちろん淡水です。

113 :天之御名無主:02/09/10 22:10
山を越した日高地方でも幌尻岳は信仰の山、十勝アイヌと同じように
「山頂に海水湖がある」との伝承があります。
そして凄いことには、「幌尻岳には白熊が棲んでいる」との伝説がある、
とのこと。しかしその姿を見たとたんに突風が吹き、見た者は遙か彼方まで
吹き飛ばされてしまいます。しかし絶対に怪我をすることはありません。
人間の血で山が穢れるのを神がいやがるからです。
この白熊の家来になりたがる者がおりますが、よほど品行方正な者でなくては
なり得ません。しかし運良く家来になりますと、子孫は白熊の加護で幸運に
見舞われます。沙流川鵡川の流域でも、二、三の老人が白熊の家来にして
もらった、とのことです。

114 :山野野衾 ◆NDQJtGoM :02/09/10 22:31
沙流川には河童が棲んでいて人の腸を抜くと祖母が言っていました。
本土系の山の神様(女神)の話も聞いたなあ。

115 :天之御名無主:02/09/11 21:28
>114

昔、沙流川筋のある村おさが山で薪を採っていました。
しかし薪を背負おうとしても重くて立ち上がれません。そこで村おさが
「河童でもいいから手伝って欲しいが」と、つぶやきますと異形の者が
現れ、村おさの手を引いて起きあがらせてくれましたので、彼は河童を
礼として家に招きました。妻は河童を客座に招きます。やがて夜になりましたが、
村長達は急に激しい睡魔に襲われました。と、河童が
「早く村中の者をこの家に集めろ!」と怒鳴ります。村長が半ば睡眠術に
かけられた状態で村の衆を家に集めました。村人の大半が家に集まりましたので
村長は戸を閉めたところ、遠くで突然雷鳴が轟き、同時に集まらなかった
者たちの悲鳴が響きます。しかし確かめる間もなく村長も村の衆も
深い眠りに落ちてゆきました。村の衆も村長も同じ夢を見ていたのです。
「自分はこのコタンを守るために天から下ろされた河童の神、ミントチカムイ
である。今日は盗賊が村を襲う企てがあったので、わざと村長の荷物を
重くして、皆がここに集まるようにし向けたのだ。これをあげるから
魔除けとして大切にするように。」
翌朝一同が目を覚ましてみますと枕元には金の煙草入れがあり、外に出てみますと
集まらなかった村人の死体がゴロゴロと転がっておりました。
しかし村おさと生き残りの村人は魔除けの煙草入れのお陰でその後
平穏に暮らしたということです。


116 :山野野衾 ◆NDQJtGoM :02/09/11 21:38
>115
ミントチカムイの話は本で知りました。アイヌとの付き合い(という
か死んだ家畜の解体をやってもらっていた)があったそうですが、東
北の伝承と混ざったのかも知れません。

117 :天之御名無主:02/09/11 21:47
最初の
「河童でもイイから助けて欲しい」の台詞は
「猿婿入り」の昔話を思わせますな。

118 :山野野衾 ◆NDQJtGoM :02/09/11 21:52
>117
河童婿に「嫁入り道具」の瓢箪を川の中へ入れるように言われた河童が
娘をあきらめる話もあります。蛇の場合もありますが、古事記の中で人
柱に選ばれた男が難を逃れた話を想起させてくれる。

119 :天之御名無主:02/09/13 21:38
では話を十勝の国に戻して・・・

音更や士幌の北にヌプカウシヌプリという山があり、かつて十勝アイヌから
崇拝されておりました。

伝説に寄りますれば、むかし、道東阿寒の山は日高の幌尻岳と夫婦でした。
しかし何かの原因で夫婦喧嘩になり、離婚してしまったのです。そこで
ヌプカウシヌプリが仲裁しようとしたところが幌尻岳が焼き餅を焼き、
ヌプカウシに槍を投げつけたのです。それが大雪富良野のオプタテシケヌプリを
かすって飛んできたのでヌプカウシヌプリは慌てて逃げましたが片耳を吹き
飛ばされてしまいました。今現在十勝平野の北側に大石がゴロゴロしているのは
この耳の破片だと申します。そしてヌプカウシヌプリが元々いた場所に
水が溜まったのが然別湖なのです。


120 :天之御名無主:02/09/14 22:58
うちは松前藩の血をひいてるんだってさ(w
盛り上がってるとこ恐縮ですが、
江差のシゲジローは既出ですか?

121 :天之御名無主:02/09/14 23:19
繁次郎話はまだ出ていません。

「はらわん」「くさくって」あたりのメジャーな話でも書いて下さい。

122 :天之御名無主:02/09/15 01:50
シゲジローの本、手元にない(中村純三著)。
実家においてきちゃったよ!
とりあえずエチーな話ばっかりだった・・・

123 : :02/09/15 02:15
またエロかyp・・・(w

124 :天之御名無主:02/09/16 14:42
江差の繁次郎は頓知の名人でしたが、女性関係については非常にウブでした。

嫁をもらったのですが指一本触れようとしません。そこで嫁は思わず姑に
愚痴を漏らしたのです。姑は繁次郎に
「嫁もらったら、上の口だけでなく、下の口にも食わせてやれや」と
注意したのでした。

翌朝、嫁が姑の所に泣きながら駆け込み、「これ見てけれ!」と着物を
まくり上げたのです。

なんと、嫁のおマンコから飯粒がボロボロと・・・


125 :天之御名無主:02/09/23 21:23
あのハゲの松山千春の故郷である十勝の国は足寄の街。
ここの利別川とペンケオワシップ川の合流点そばにカムイトーと言われる沼があり、
周辺のアイヌ達は化け物が棲むといって恐れておりました。
ところがある年のこと、日高のアイヌがやってきて「ここに住まわせて欲しい」と
言うのです。そこでコタンの者は「カムイトーの化け物を退治したなら住んでもよい」と
答えました。すると日高の者は沼にやってきて水面に向かって何か語りかけておりましたが、
その後沼からは本当に化け物の姿が消えてしまいました。人々は「日高の衆は恐ろしい」と
語り合ったと言うことです。

このカムイトーから利別川を挟んだ反対側にはカムイロキと呼ばれる地元の
アイヌから崇拝された霊山があります。この山に迷い込むと神々がユーカラを
語ったりおしゃべりをしている声が聞こえてくるとのこと。
しかし聞こうと思い詰めて山に行っても聞くことが出来ず、
迷い込んだときでなくては聴けないと申します。



126 :天之御名無主:02/09/23 22:23
>>81
小学校んときに「私たちの郷土」で読んだよ!
悲しい話だと当時は思ったけど
今にしてみれば・・・だねぇ

>>81
イタンキ浜とクジラ半島のことは
かなりの市民が知っているので観光協会とは
限らないゾ!

127 :天之御名無主:02/09/24 22:36
利別川をさらに遡りますと、日本で一番寒い町だと評判の陸別の町があります。

ここのコタンにカネランと言う男がおりました。かれは雷神カンナカムイが
人間の女に産ませた子供だといい、彼の歩き回るところいつも雷鳴が轟いていたと
申します。しかしそれが災いして、狩りに出てもいつも音で獲物に逃げられ、
いつも手ぶらで変える羽目です。
ある日のこと、巨大な熊の足跡を発見したので追跡しましたが、例のごとく
逃げられてしまいました。しょんぼりとしておりましたところが、突然霧に包まれ、
そして霧が晴れましたらなんと目の前で角がある蛇が蠢いておりました。
そこでそれを捕まえて着物で包み、「こんな者よりもさっきの熊授けて欲しいが」
と独り言を言いましたら、さっきの熊が目の前で眠っておりましたので首尾よく
仕留めて帰ったと言うことです。
家に帰ったカネランは先ほどの角のある蛇を誰にも見せないように大切にしまって
置きました。するとそれからというものする事なす事成功続き、ついには名高い
大酋長になったということです。


128 :天之御名無主:02/09/25 22:03
利別川を下って十勝川に出、さらに川を下れば太平洋。海岸線を南に向かいますと
広尾の町があります。
ここにかつて夫婦の神が住んでおりました。しかし何が原因かは不明ですが、
離婚してしまいました。女神は遠く択捉に引っ込んでしまってからも
十勝の国が忘れられず、毎日泣いているばかり。その涙が凍って夏でも融けない
氷柱になったということです。
択捉はアイヌ語で鼻水を意味するエトゥロップが由来で、女神が涙と共に流した
鼻水が元だと申します。十勝のアイヌが択捉島に行くと、女神の呪いで早死に
するということ。トカチと言う言葉も死と言う意味で、女神の呪いで死ぬことを
意味しております。

以前のコロポックルの話でも書きましたが、トカチと言う言葉には良い意味は
なさそうです。

129 :天之御名無主:02/09/26 22:12
広尾からさらに南下すれば日高の国との境。
ここにピタタヌンケという地名があります。ピタタヌンケとは荷物を解いて運び去る、
という意味であります。

伝説では、ここで日高アイヌと十勝アイヌが争いました。そしてどちらが負けたかは
不明ですが、とにかく勝った方が負けた者の荷物を解いて宝物を奪い取ったことからの
地名だと言うことです。

このピタタヌンケから日高の国に通じる道は俗に「黄金道路」と呼ばれております。
近所に金鉱があったわけでも大富豪がいたわけでもありません。
このあたりは断崖絶壁の難所。従って道路改作の際に莫大な工費を必要としました。
したがって、「黄金」と呼ばれたと言うことです。

黄金道路を通って日高の国に入りますと「百人浜」と呼ばれる砂浜があります。
江戸の文化年間、南部藩の御用舟が難破してここに流れ着き、百人あまりの
乗組員が上陸はしたものの全員餓死凍死したためにこの名が付いたそうです。

130 :天之御名無主:02/09/27 21:16
昔、日高静内はノヤのコタンにハゲ頭の女がおりました。
ところが、疱瘡の神パコロカムイが彼女に一目惚れしてしまい、天に挙げて
神の仲間に加えたのです。蓼食う虫も好きずきと申しましょうか、捨てる神あれば
拾う神有りと申しますか・・・
ともあれ、彼女は疱瘡神と共に疱瘡を広めて回りますが、育ったノヤコタンのことが
忘れられず、村の衆に夢を見させて言うことには
「自分はこの村の生まれだが、家の屋根に目印として笹の葉を立てて置きなさい。
ほかの疱瘡神にも言い聞かせて寄りつかないようにするから。」

そんなわけで、ノヤコタンでは棟に笹の葉を立てて魔除けとするのだそうです。

131 :天之御名無主:02/09/28 20:01
日高静内のアイヌ達は、酒を醸すと酒粕を大切に取っておきます。
この辺りでは、津波は酒粕を嫌うと言う言い伝えがあるため、津波よけとして
取っておくのだそうです。

静内川には、河童が棲んでいると言われております。肌が緑色で頭に皿はなく、
普通に毛が生えております。
紫色の尻の者を好んで引きずり込み、引きずりながらくすぐります。
そんなわけで、河童に捕まった者は笑いながら沈んで行くのだそうです。

132 :天之御名無主:02/09/29 16:32
やっぱこういうとこだし出典でも書かないと意味ないんじゃない?
それとも自分で聞いてきた話?

133 :天之御名無主:02/09/29 20:01
>132

出典は全て更科源蔵著『アイヌ伝説集』、
昭和五十六年みやま書房発行です。

日高静内の静内川の支流、東川のそばにトヨクシナイと言う小川がありますが、
ここの柳ではイナウを作れないし、山菜も食べてはならないと言われております。

昔、十勝の国から盗賊の集団が攻め込んできました。ところがこの近くの
ポヨの沢に棲んでいた老夫婦がこれを発見しましたので古い鉈をアイヌ伝来の
魔剣、エペタムに見せかけて盗賊を脅して追い払い、その上首領を射殺して
しまいました。リーダーを失った盗賊団は烏合の衆になりかけましたが
それでも陣を立て直し、トヨクシナイの沢まで来て麓のペンケヌタップの
コタンを責めようとし、若者の一人をコタンに潜り込ませました。
ペンケヌタップコタンでは道に迷ってきたという若者を試してやろうとして
酒をたっぷり飲ませ、歌を歌わせました。すると若者は酔いにまぎれて
「懐に刀があるのを知らないのか」と歌いましたので怪しんで責め立てますと
盗賊であることを吐いてしまいました。そこで村の衆はトヨクシナイに攻め込み
隠れていた盗賊を皆殺しにしてしまいました。

それ以来、トヨクシナイの草木は盗賊の呪いが染みついてしまい、樹は
イナウに使えず、山菜も食べることが出来なくなってしまいました。
知らずに蕗などを取って食べるとひどい中毒を起こすと申します。


134 :山野野衾 ◆NDQJtGoM :02/09/29 21:53
直接聞いた、取材した話もぎぼんぬ。

135 :あぼーん:あぼーん
あぼーん

136 :天之御名無主:02/09/29 22:41
>134

あいにく若輩者で実際にエカシやフチに会って取材したことなど無いので
本からの受け売りしか出来ません。

失礼。

137 :山野野衾 ◆NDQJtGoM :02/09/29 22:52
>136
これはどうも。(不特定多数に向けた言葉だったのですが)私もシャモ
の祖母から聞いた和人系の話しか知りません。
山の神様は女だとか、12月12日には山に入るなとか。

138 :天之御名無主:02/09/30 20:48
日高は沙流川筋の貫気別には特別な薬草が生えていると申します。

昔この辺りで疱瘡神パコロカムイが暴れたためにコタンは全滅してしまい、
ただ一人生き残った老婆が家の中で泣いておりました。すると突然その家に
パコロカムイが現れ、袋の中から人間の腕を出して炉で焼いて食べ始めたのです。
そこへパコロカムイ達の長がやってきて、不幸な老婆の前で酷い真似するな、と
たしなめます。そうこうしているうちに家の守り神チセコロカムイ、火の女神
アペフチカムイ、そしてパコロカムイの口論となり、結局パコロカムイが負け、
その償いとして薬草を生やすことになりました。

そんなわけで、ここではパコロカムイにも酒を捧げて祈るのです。

139 :天之御名無主:02/10/01 23:36
貫気別の奥のアプシコタンの老人が夜に用便のために家を出ますと、
山の方から神の声がして「淫魔パウチカムイが来るから逃げろ!」と申します。
老人が家に飛び込んで「ここに来ないで十勝に行ってくれ!」と祈ったので
パウチカムイは十勝に向きを変え、各地のコタンの者たちを狂わせて裸踊りさせて
荒らし回りました。
このために十勝の神々がひどく腹を立て、その仕返しでアプシコタンは全滅
してしまったそうです。

140 :天之御名無主:02/10/02 22:07
昔々十勝の国のある老人が他人の家の薪を盗んだ罪で村を追われ、仕方なく
実子六人と養子一人を連れて日高山脈を越え、日高の国に逃れました。
ところが日高に入ったとたん、熊に襲われて崖から突き落とされてしまいました。
子供達は老人を助け上げましたが人事不省の状態、以後6日間も意識不明の
状態が続きました。ところが六日目の晩に急に目を覚まし、
「自分は死んでいたのではない、神様からお言葉をいただいたのだ。
それを教えてやろう」と、これまた六日六晩も語り続けたのです。
六人の実子は皆眠くて最後まで聞かずに眠ってしまいましたが、養子の
イネコッアイヌだけは最後までそれを聞き届けました。

その後子供達は静内や新冠など各地に分散しましたが、イネコッアイヌは
沙流川流域に住み着き、そこの人々の先祖となりました。

そんなわけで、沙流のアイヌは全てのことを良く知っているのだそうです。

141 :天之御名無主:02/10/06 00:24
沙流川の最上流のチロロの辺りには、昔からサキソモエップという怪物が
住んでいると申します。サルコタンのパレシナとサンコレアシの兄弟がチロロに
猟に逝ったところがこの怪物の毒気に当たり、兄は全身が腫れ上がって二目と見られない姿
になり、神に何度も祈願してようやく治ったそうです。ポロサルコタンの村長
ベケンノトクも同じくチロロで毒気に当たり、祈祷でようやく全快したとのこと。
サキソモエップの正体は歳を経た蛇だと申します。

沙流川上流のニセイの辺りにはあの世への入り口、オマンルパロがあると申します。
昔ある老人が狐がこの穴に逃げ込んだのを目撃し、捕まえてやろうと何も知らずに
オマンルパロに潜り込みました。入り口は漆黒の闇でしたが進むにつれて
明るくなり、よく見てみますと幽霊がウヨウヨとしています。しかし幽霊からは
老人が見えないらしい。老人の姿に気がつかず、幽霊がぶつかると幽霊の方が
バタリと倒れて死んでしまう。それが気持ち悪くて老人は穴から逃げ出したそうです。

幽霊は死んだらどうなるか、それは誰にも判りません。

142 :天之御名無主:02/10/06 06:41
名スレですね。ずっとROMさせていただいてます。

143 :天之御名無主:02/10/06 10:51
雷が鳴るときは刃物を研いだり、筵や茣蓙を織るものではない、と申します。

ところが沙流川筋フレナイの奥のシュマルペツコタンの村長の息子は
「それなら雷神様はどうやって刃物研ぐんだ?」と子細かまわず刃物研ぎ、
娘は娘で「どうやって神様は茣蓙編むんだ?」などと言ってかまわずに
茣蓙編みしつづけました。怒った雷神はシュマルペツの山をうち砕いて
コタンを全滅させたということです。
そんなわけで、あたりには今でも山の欠片がゴロゴロと転がっているそうです。



144 :天之御名無主:02/10/06 21:14
沙流川と額平川の合流点のニオイのコタン、このそばにトゥレプウンナイと言う小川があり、
ここに文化の神オキクルミが住んでおりました。
ある年のこと、日高の国が飢饉に見舞われた際、オキクルミの奥方は椀に飯を盛り、
一軒一軒の家々の窓から手だけ入れて施しをしておりました。ところがある不埒な男が
その手があまりにも美しいので窓から引き入れようとしますと、突然に鯱に変じて
家から出ていってしまいました。神はこの無礼を怒ってこの地を立ち去ってしまったために
ニオイのコタンは全滅してしまったとの事です。

ニオイの川向こうには砦があり、ここにウェニクンヂという老人が住んでおりました。
ある時十勝の国から盗賊がやってきて、砦を攻めますが歯が立ちません。そこで
枯れ木や萱を集めてきて火を放ちました。火は今にも砦の建物に届かんばかり。
ウェニクンヂは雨の神ペコンチカムイに祈りを捧げ、この祈りが天に届いて
大雨が降り、砦は助かりました。

しかし元々ペコンチカムイは精神が良くない神だったものですから、
結局砦は滅びてしまったということです。

「ニオイ」とは、アイヌ語で流木が沢山ある、と言う意味。現在では荷負と表記します。

臭いとは関係ありません。

145 :天之御名無主:02/10/07 22:13
昔、十勝アイヌが山脈を越えて日高の国に侵入し、沙流川を下ってチロロや
ウセップのコタンに言いがかりを付け、宝物をかすめ取って進軍してまいりました。
下流の方では慌てふためき、どうした物かと各コタンの長が話し合いましたが、
結局弁が立つ者が十勝アイヌに掛け合うこととなりました。
選ばれたのは二風谷コタンのピクンという足腰も立たないほどの老人です。
各村々の長は代わる代わるピクン老人を背負って沙流川を遡り、岩知志の辺りにまで
侵入した十勝アイヌに対峙します。ピクン老人は背負われたままで刀を抜き、
歌うように語ることには
「沙流川も十勝の川も同じ日高の山に源を発する。同じ山から流れいだす水を
飲んで育った日高と十勝はいわば兄弟。その兄弟が争っていいものか」

十勝アイヌはこの言葉に感じ入り、そのまま十勝の国に帰っていったと言うことです。
このピクン老人から数えて八代目か九代目の子孫が今でも二風谷に住んでいるとの
ことです。

日高アイヌは日本本土に近い場所に居住しているが故に漆器や絹織物などの
内地渡来の珍品を有していることが多く、それ故に十勝アイヌから狙われて
しまうのだそうです。

146 :天之御名無主:02/10/09 21:43
二風谷コタンの川向こうにはウカイロシキといわれる岩があります。

オキクルミカムイに追われた親子熊がどうしても捕らえられるのを拒んだので、
神の怒りを買って岩にされてしまったのだそうです。

同じく、二風谷の川向かいにユクウパシと呼ばれる丘があります。
オキクルミ神とサマイクル神が雪で鹿の形を作り、槍を投げ合ったものが丘になったとか。
サマイクル神が作った物はオキクルミの槍が上手く当たったので崩れていますが、
オキクルミが作った物はサマイクルの槍が当たらなかったので今でも形を留めています。

「ユクウパシ」とは、鹿の雪、と言う意味です。


147 :天之御名無主:02/10/14 22:34
日高静内に「サッウンコタン」、そこから静内川を三十キロ遡った支流の
メナシベツ川筋に「イタホラキ」、もう一つの支流のシュムベツには「イッケウナイ」
という地名があります。
それぞれ「乾いた村」「千石船が難破する」「腰骨の沢」という意味でありますが、
その由来についての伝説です。
昔、この地の者が外に出てみますと天気雨が降り、しかもその雨が塩辛く、川の水は
干上がっております。こういう時は津波が来るのものだと伝え聞いておりましたので
村に急いで帰り、津波の神が嫌うという酒粕を村中に振りまいて祈っておりますと
はたして凄まじく渦巻き立てた怒濤が迫って参ります。しかし酒粕を嫌う津波は
村を避けて通り、沖にあった千石船を遙か上流まで押し上げ、支流には鯨の腰骨を
打ち上げてしまいました。川口の村は酒粕で守られて水浸しにならず乾いたままだった
ので「サッウンコタン」、そしてそれぞれ「イタホラキ」「イッケウナイ」の
地名が誕生したのです。

伝説では、地震は地下に住む巨大なアメマスが動くために起きると申します。
そこでアイヌは地震が発生しますと「イッケウ、イッケウ!」と叫びつつ
炉の灰に火箸を突き刺します。
アメマスの腰骨を押さえ、地震を止める呪いなのです。

148 :天之御名無主:02/10/15 21:13
胆振の穂別川の上流にタプコプという切り立った岩山があり、ここには夜になると
神が天から降りてくる、と語り伝えられておりました。
ある口下手な老人が何とかしてこのタプコプに登ってみたいものだと考え、隣にある
蝦夷松の大木に登ってやっとの事でこの岩山に這い登りました。やがて夜になり
ますと案の定神様達が天から降りてきて様々な話や遊びに興じております。老人は
気付かれないように寝たふりをしておりましたが、着物の袖や裾から蛇や蛙が
モソモソと入り込んでくる。気持ちが悪くて仕方がないがそれでもじっとして
おりますと明け方近くになって神様が
シ ピリカ コンルシュイ(美しい顔になりたいか)
シ ウェンベ コンルシュイ(不細工になりたいか)
と、申します。こんな時に早口で神の口真似をすれば願いが叶うと申しますが、
元来この老人は口下手だったものですから「シ ピリカ コンルシュイ」と
言うべきところを「シュ クルカ コンルシュイ」(弁が立つようになりたい)
と答えてしまいました。
やがて夜が明けますと神の姿はなく、かわりにユーカラを語るときに拍子を取る
棒などが残されていました。
老人は村へと帰りましたが、それ以来願いが叶ってユーカラ語りの名人に
なったということです。


149 :天之御名無主:02/10/16 22:04
日高アイヌは父親をミチ、母親をトットと呼びますが、鵡川流域では
父をエヤポ、母をハポと呼びます。この由来についての伝説です。

昔、ある老人が山で獲物を求めていますと、岩山を大きな蛇が登って行くのを
目撃しました。やがて蛇は小さな岩穴に潜り込もうとします。蛇が穴に潜り込む
光景を目撃するのは非常に不吉なこととされていますので慌てて蛇を引きずり出そう
としましたが間に合いません。岩山なので掘り起こすことも出来ず、ただぼんやりと
していますと、穴の中で
「エヤポ へー、 ハポ へー 、エヤポ へー」と盛んに騒いでおります。
それを聴いた老人は
「蛇や、今、穴に潜り込んだ蛇はお前さん達の親なんだろ、それが帰ってきたので
そうして喜び騒いでいるのだろ。儂らもこれから父親をエヤポ、母親をハポと
呼んでお前さんたちの親戚になるから、悪いようにしないでくれ。」
と、頼み込みますと穴の中が急に静かになりましたので聞き届けられたものだと
理解し、村に帰りました。そして村おさたちと協議の末、ミチ、トットから
エヤポ、ハポと両親のことを言い換えるようになったとのことです。

150 :天之御名無主:02/10/19 21:12
鵡川の河口から少し南下した辺りにカムイトーという沼があり、ここには
サクソモイップという怪物が住んでおりました。この怪物の毒気のせいで周囲には
草木も生えず、人間が風下を通れば体中が醜く腫れ上がり、毛が抜けてしまうと
言う非道いものでした。
このサクソモイップは筵を巻いて両端を縛ったように真ん中が太く両端が
細く、そして胴には恐ろしいことに翼があって飛ぶことも出来る。全身黒く
目の縁と口先が赤く、その尖った口で突かれると大木でも裂けるという凄まじさ。
これが雪の上を歩けば丸太を引きずった様な跡が付き、2メートルごとに翼で
地面を叩いた跡が残る。この上を歩いただけでも毒にやられると言う酷さで
ありました。
しかし悪魔ウェンカムイだと言えば祟られるので、敬ってカムイと呼び、
その住む沼もカムイトーと呼んだのでした。



151 :天之御名無主:02/10/21 14:10
鵡川の河口の日高寄りにムレイトイという砂丘があり、たくさんの狐穴があって
そこに棲む狐は周辺のアイヌから守護神として崇拝されておりました。

ここの狐が激しく鳴き騒ぐときは野火の前触れ、ゆっくりと鳴き騒ぐ時は
疫病流行の前触れと申します。
そこでゆっくりと鳴き騒ぐときは稗と煙草と干し魚を狐に捧げ、病気の神に
余所に行ってもらうように頼み込んでもらうようにと祈るのでした。
そんなわけで、ここでは疫病が流行しないのです。


152 :天之御名無主:02/10/21 14:31
あいぬぷりちゃらんけ
はあうぽぽはうぇ

153 :天之御名無主:02/10/21 23:44
その昔、胆振は鵡川の中流、穂別のニワンコタンが疱瘡の神に襲われました。
疱瘡の神が弓の弦を鳴らすと皆疱瘡になって死んでしまうのです。

ニワンコタンでも疱瘡神の弦の音が聞こえて参りましたので村の衆は鵡川を
遡り、日高の平取に通じるルベシベの沢に避難し、火を焚いて夜を明かして
おりました。
するとどこからともなく蝙蝠が大量に現れ、周囲を囲んで飛び回るのです。
蝙蝠の向こうの方では何か
「ここまで追ってきたのに、何故か姿が消えやがった」と、騒いでおりましたが
それっきり何も聞こえなくなってしまいました。

蝙蝠の群が、ニワンコタンの衆を疱瘡の神から隠してくれたのです。
そんなわけで、ニワンコタンではルベシベ沢の神と蝙蝠に酒を捧げて祈るのです。

154 :ど素人:02/10/22 19:13
オホーツク海沿岸にはアイヌとは違うシベリア系のオホーツク人というのがいて
その人たちの伝承は豊かだったとかいうのを、網走の北方民族資料館と
ザッハ・ドグニ(名称不確)という民間の民族資料館のような場所で
書いてあったような・・・。

155 :天之御名無主:02/10/22 21:55
オホーツク人は九、十世紀オホーツク海岸沿岸に居住していた民族ですな。
このオホーツク人と北海道縄文文化、擦文文化が融合、発達してアイヌ文化が
精製されたそうです。

 
穂別町の中学校の辺りにかつてベップトコタンという村があり、ここには
妖剣エペタムが秘蔵されておりました。エペタムは村に盗賊などが攻め込み
ますと、ひとりでに鞘から抜け出して宙を舞い、敵を倒すという魔刀。
この刀のお陰で村は守られ、人々は盗賊の憂いもなく幸せに暮らしておりました。
しかしエペタムは久しく人を斬ることがないと血に飢えて暴れ出します。
その際、それを止める方法は有るのですが、それを知る長老が死に絶えた後に
刀が暴れたらどんなにか危険なことになるか・・・
危惧した老人達は、協議の末に刀を捨ててしまうことにしました。
(伝統を若者に伝承しようと思わなかったのか?)
しかしエペタムは魔剣、山に捨てても川に捨てても捨てに行った人が
村に帰り着くまでに戻ってきてしまいます。そこで考えた末に底なしの
泥沼に捨てたところが、それっきり戻ってくることはありませんでした。
ところが、実に間の悪いことにそれからまもなく村が盗賊に襲われたのです。
村の衆はエペタムを捨てたことを悔いましたが仕方なく、盗賊の群は
近づくばかり。そこである老人が柄がゆるんだ鉈を振り回したところが
ガタガタとエペタムが暴れるような音がして、これを聞きつけた盗賊達は
恐れて逃げ去ってしまいました。
こうして、また村には平和が戻ったということです。

エペタムを捨てた底なし沼は、明治31年の洪水で埋まってしまい、今は
存在しません。

156 :天之御名無主:02/10/23 15:23
>154
ジャッカ・ドフニですね。
http://homepage2.nifty.com/jakka_duxuni/

157 :あぼーん:あぼーん
あぼーん

158 :天之御名無主:02/10/23 20:32
国後島のアイヌが叛乱を起こしたときと申しますから恐らく江戸の寛政年間、
松前藩が胆振地方のコタンの長を勇払に集め、釣り天井を使って殺したことが
あったそうです。
その時鵡川の上流の人々がそのような企みがあるとはつゆ知らす゛、川を
丸木船で下って穂別のニワンコタンのあたりまで来たところが川を横切って
巨大な大蛇が待ちかまえており、どうしても川を下ることが出来ませんでした。
しかしこの為に釣り天井にかかることが無く、無事に生きながらえることが
出来たのです。
そんなわけで、鵡川上流の人々はここの神に酒を捧げて祈るのです。

159 :天之御名無主:02/10/24 22:46
穂別町の泉下のあたりにかつて大きなコタンがあり、そこに若い夫婦が住んでおりました。
夫妻は何かと目端が利き、松前に毛皮や干し魚を持って交易に出かけてはたんまりと
儲けておりましたが、ある時財欲にあかせて巨大な家を新築したのです。
さて、夫がいつものように松前で儲けて米や酒を持ってコタンに帰りかけたところが、
村の方から烏の一団が飛んできて
「我々が尊敬していたコタンもあんな家を建てたばっかりに死に絶えるしかない」
と、啼きつつ飛び去っていくのです。
それを聞きつけた夫が慌てて帰り着いてみますと、村は疱瘡の流行で滅んでおりました。

この夫妻が蓄えていた宝物が、今でもどこかに隠されているそうです。

160 :あぼーん:あぼーん
あぼーん

161 :天之御名無主:02/10/25 17:41
ぱぱぱぱぱ


162 :天之御名無主:02/10/26 14:51
僕は北海道出身なのですが、
子供の頃、アイヌの昔話を知る機会がなく大人になってしまいました。
とても興味深く読ませていただいています。
ありがとうございます。
これからもよろしく。

163 :天之御名無主:02/10/27 00:01
昔、天上界の柳の葉が、どうしたことか地上界の鵡川の川原に落ちてしまいました。
神は天上界の柳の葉が地上界で朽ちるのを惜しみ、その葉に命を与えて魚にしたのです。
これが鵡川名物のシシャモ、柳葉魚です。
かつては秋になると鵡川の川面が盛り上がるほどの柳葉魚がのぼってきたそうですが、
今では昔の話、土産物屋の柳葉魚はほとんどが北米からの輸入物だそうです。

鵡川上流の穂別と富内の間にプヨマナイという沢があり、ここの少し上流に丘があり、
ここにはイケマフチという姥神が棲んでいると申します。ここは神聖な場所であると
言うので、付近のアイヌは疱瘡が流行るとここに避難するそうです。
夜になると川向かいの赤禿の山から「みな休んでいるか?」という声がして
この丘が「みな休んでいるよ」と答えます。
赤禿の山には男の神が住んでいるそうです。

164 :天之御名無主:02/10/27 11:07
鵡川の上流に切り立った岩山に囲まれた場所があります。ここは昔から大変
マムシが多く、うねうねと蜷局を巻いて絡み合い、蛇の悪臭が漂う不気味な場所。
地元のアイヌから「エラミウンナイ」、妖怪の住む川、と呼ばれて恐れられて
おりました。
言い伝えでは、かつて道東北見の湧別から胆振地方に盗賊の一団が攻め込んで
まいりました。そしてエラミウンナイのあたりまできたところが、岩の上で
子供を背負った女神が赤い鉢巻きをして踊っておりましたので
「これは、女神様が我々の武運を祈ってくれているのだろう」と勝手に判断して
その夜はそこに野営しました。
しかしその晩に大きな崖崩れが起こり、夜盗の一団は一人の女残してすべて
埋もれてしまったのでありました。その女は北見に逃げ帰り、鵡川穂別に
攻め込むものではない、と報告したそうです。

また、エラミウンナイには熊の形をした岩があります。狩人たちは山に入る前に
運試しにこの岩に矢を射、返りにはお礼の祈りをするということです。

165 :天之御名無主:02/10/27 22:46
昔、あるコタンにそれはそれはかわいらしい少女がおりました。
ところが七つ頃になった辺りから顔や頭に吹き出物が出始めたのです。両親は
心配して色々治療したり、神に祈願を掛けてみたりと手を尽くしましたが効果は無く、
十七八の娘盛りになる頃には顔全体に広がって二目と見られないおぞましい形相に
なり果ててしまいました。そして、急に姿をくらませてしまったのです。
両親もコタンの衆も方々手を尽くして探しましたが手がかりは無く、自分の醜い姿を
恥じて蒸発してしまったのだろう、と、両親も泣く泣く諦めるほかありませんでした。

実は、これは神の計画的犯行でした。この娘の美しさに目を付けた神は年頃になったら
天界に呼んで女神にする事にしましたが、あまりに美しいのでそのままでは人間に
汚されてしまう。そこで、皮膚病に見せかけて人々から遠ざけておき、年頃になった
ので天界に呼んで女神にしたのでした。
女神は天界で六人の娘を生みましたが、その内の長女は母が人間界で病気で苦労したことを
思い、登別温泉の神になったと言うことです。この神は登別温泉の奥の山に住まい、
伝染病が流行る前触れとして、山に灯を点してコタンの衆に知らせるのです。

アイヌは温泉を「神が煮炊きをするために湯を沸かせている」と考えております。
そこで湯治の際は神に失礼のない用にイナウを捧げ、新しい褌や腰巻きをします。

なぉ、アイヌにとって五右衛門風呂に入るのはとんでもなく神を冒涜する行為でした。
水神に裸体を晒し、火の神に尻を向けるのですから。
また、開拓地によくあった大木の洞を使って作った風呂には女性は入ることを
許されませんでした。樹の空洞はコタンコロクルカムイである縞フクロウの住まい
だからであります。つまり・・・女性差別です。





166 :天之御名無主:02/10/28 21:14
登別の海岸に鯨の頭に似たフンベサパという小山があり、地元のアイヌから聖地と
して信仰されておりました。人々はイナウと酒を捧げて祈願し、天気や行方知れず
の舟を占ったのです。
その昔、太平洋の果てにショキナというとてつもなく大きな鯨の化け物がおりました。
口を開けば上顎が天を擦り、下顎は海底に届くという凄まじさ。漁に出た人も舟も
飲んでしまうので恐れられておりました。
天上界の神々は困り果て、誰かショキナを退治するものは居ないか、と協議しましたが
神々すら恐れて名乗り出るものはおりません。ところが一座の中のカワウソの神が
小馬鹿にした口調で「あんたら、あんなものが怖いのか?」と言いますので
神々はカワウソの神を退治に向かわせました。
ところが海に降りたカワウソはショキナと口論だけして逃げ回っているだけ。
刀差しているくせに抜いて戦おうとせずに泳ぎ回っております。終いには陸地の神に
向かって「誰か刀貸してくれ!」と哀願するのです。しかしどこの神もカワウソの
腰を見て呆れているばかり。カワウソは息も絶え絶えになって登別の海岸に上陸
すると「刀を貸してくれないとはなんて非人情な!」と憤慨するのです。
登別の神がニヤつきながら「腰の刀を忘れるとはなんて忘れっぽい奴だ」と
教えてやりますと漸くカワウソは腰の刀に気が付き、気を取り直してショキナを
一刀両断にしてしまいました。そして、登別の神に頭をお礼として置いていったのです。

この頭こそがフンベサパです。登別川の河口がフンベサパの方に動いたときは
川上りの鮭が不漁となりますが、これはフンベサパが食ってしまうからと申します。

この伝説にもあるように、アイヌはカワウソを「大変物忘れが激しいもの」と
しておりました。イオマンテなど、大切な儀式の際はカワウソの話をするのは
タブーです。
カワウソのように物忘れが激しくなって、大切な式次第間違えたら大変だからです。

167 :天之御名無主:02/10/29 21:31
登別のそばを流れる幌別川の上流にウカヌカルンベという山があります。
昔ここに男女の神様が居り、互いに愛し合っておりました。しかしそのくせに
ひどく内気だったものですから言葉を交わす勇気が無く、見つめ合っている間に
山になってしまったのです。

ウカヌカルンベとは、「互いに見合わせるもの」と言う意味です。

168 :天之御名無主:02/10/30 22:45
登別からほど近い支笏湖は秋田の田沢湖に次いで、日本で二番目に深い湖です。

伝説に寄れば、かつて神がこの湖を作り上げた際、どのくらいの深さになったか
確かめようと入ってみたところがあまりにも深く、海に入ったときにすら
濡らしたことがない股間のものを濡らしてしまったのです。
(自分が作った湖の大きさ知らないのか・・・)
それで神様はひどく腹を立て、湖に放した魚を全て海に放り投げてしまいましたが、
一匹のアメマスは取り逃がしました。そんなわけで、支笏湖にはアメマス以外の
魚は棲んでいないのだそうです。現在の支笏湖名物であるチップ、和名ヒメマスは、
明治になってから放流されたものです。

ところで、神が海に投げ込んだ魚はアシペプヨという海の怪物になってしまいました。
投げ込まれる際に神様に親指で頭を潰されたので、鼻の上が桶のような口になって
しまい、その口で船底をガリガリと囓るのです。
そこで日高沿岸のコタンでは出漁の際に舟に漬け物石くらいの石を積んで置き、
アシペプヨが襲ってくるとその口に石を放り込んで追い払ったということです。


169 :天之御名無主:02/10/31 22:29
江戸末期の嘉永年間、支笏湖畔は風不死岳の麓に戸数十二、三軒のコタンがありました。
ところがやがて夜になると大入道の化け物が現れて住民を睨み付けて脅すようになりました。
村人は次々に気が狂ったり病気になって逃げ失せてしまい、安政年間には
戸数わずか三軒の寂れたコタンになってしまったそうです。

170 :天之御名無主:02/11/01 00:57
私達はアイヌと沖縄の関連について真剣に考えています。
http://groups.msn.com/cnhaefclcq7oeh9rgqrh70gt27


171 :天之御名無主:02/11/01 11:46
昔々名前のない島にお魚をパクったのを漁民に見つかり惨殺された猫がいました。
猫にはえさを待つ生まれて間もない子猫がおり
その子を思うと死んでも死にきれずひどく恨みを残したまま果てました。
その後7日7晩島を怪異が襲いました。
島民はひどく恐れ総出で慰撫に努めようやく怪異は収まりました。
それ以来島は怨猫タン島と呼ばれるようになったそうです。

172 :天之御名無主:02/11/01 20:02
>171
北海道のどこの話ですか?

ある冬の厳寒期、道北の北見からはるばるやって来た夜盗の群が、支笏湖
沿岸のコタンを攻めるべく、雪の大平原の上で大きな焚き火をして露営して
おりました。
ところがその大平原が、実は結氷した支笏湖だったものですから、熱で
氷が溶け、夜盗の群は全て湖に落ち込み、村は救われたということです。
以後、沿岸のコタンの衆は村を救ってくれた湖の神に感謝の祈りをするのです。

しかし支笏湖は日本最北の不凍湖、つまり氷が張らない湖。
前記の伝説とは矛盾します。
妙な話です。

173 :天之御名無主:02/11/02 20:30
支笏湖から流れ出す千歳川に付随して多くのダム発電所がありますが、
そのうちの第四発電所のあたりに「シュトクンネ」という地名があります。
シュトクンネとは「棍棒が黒い」と言う意味ですが、これにまつわる残酷伝説です。

昔、太平洋岸の勇払のアイヌが千歳に攻め込みました。千歳アイヌはこの辺りの
山に逃げ込んで隠れておりましたが、ある娘が水汲みに川に降ったところを
発見されてしまったのです。勇払アイヌは娘も村人も棍棒で一人残らず殴って
殴って打ち殺し、周囲は死体累々。
棍棒の先が村人の血を吸って真っ黒くなってしまったとのこと。

この惨劇を記念して「シュトクンネ」という地名が出来たのです。

174 :天之御名無主:02/11/03 21:52
千歳の街から少し支笏湖寄りにシュネチセと言うところがあり、ある老人が
住んでおりました。

さて、この老人は冬になっても青々としたアイヌ葱をどこからか沢山採ってきて
食べているので若者達が分けてくれるよう頼みますと
「これは特別な場所から採ってきたものだ。自分はいずれ死ぬ身だから食べても
かまわないが、若い者が食べるものではない。」と言って断りました。
どうやらそのアイヌ葱はあの世の入り口オマンルパロから採ってきたものらしいが、
だれもその場所を知りませんでした。
シュネチセの近くのペサプトの川岸にもオマンルパロがあるそうです。

千歳市の神社の辺りにフルエトエヒという地名があります。
伝説に寄れば、現在日本海にある利尻島はここにあったのが、洪水のために流されて
千歳川から石狩川を流れくだり、さらに日本海に出て漂流し、現在の位置に
鎮まったとのことです。

175 :天之御名無主:02/11/04 20:11
千歳の街からさらに千歳川を下れば長都沼の大湿地帯。
ここのアンガリ沼には昔から化け物が棲むと伝えられ、村人達は誰一人として
近寄ることはありませんでした。明治になってからも開拓農家の娘が美男子に
変身したこの沼の主に見初められたと言う話が伝わっております。
また、千歳のアイヌは千歳川の菖蒲をシルククスリと呼んで煎じて薬にしますが、
アンガリ沼の菖蒲は毒だから使ってはならないと戒めております。
しかし、別に「人間に皮を剥ぎ取られた狐がアンガリ沼の菖蒲で治療した」と
いう伝説もあり、妙な話です。

現在ではこの一帯は全て干拓され、水田になっております。

長都近くの早来町馬追山にはイソポトノという足跡がカンジキほどもある兎が
住んでいると伝えられ、周辺のアイヌは崇拝していたともうします。


176 :天之御名無主:02/11/05 21:03
千歳川の支流である漁川の流域のコタンのある女が山で薪を採って居りますと、
突然熊が現れ、女の廻りをグルグルと歩き回るのです。そうこうしている内に
女はだんだん意識が朦朧となり、熊について山中深く分け入ってしまい、
そのまま雌熊になってしまいました。
その後このコタンのものが女だとは知らずに雌熊を捕らえました。するとその夜
村人の夢に女が現れ、その熊は自分だから食わないように、と哀願します。
しかし無視して食ったところが、コタンは全滅してしまったそうです。

177 :天之御名無主:02/11/08 00:18
室蘭の臨海実験所のところに突きだした岩は「ニラス岩」と呼ばれています。
ニラスとは木屑のことですが、伝説に寄れば天地を創造したコタンカラカムイが
大きな鉞で木を切り倒した際、その木屑が飛び込んでこの岩になったそうです。

神は天地創造を終えるとこの鉞その他様々な道具を地上に捨てたまま天に帰って
しまいました。それらの道具は時を経るに従って魔神になったり病気を起こす
木になったり悪い水になったりしましたが、例の鉞だけはあまりにも重いので
魔神にもなれず、そのまま岩になってしまいました。臨海実験所のノトマリと
ポロチケウエの岬の間にあるムカリショがそれです。ムカリショとは、
「鉞の岩」と言う意味。

神世の昔から産業廃棄物問題は存在した、ということでしょうか。

178 :天之御名無主:02/11/08 23:49
室蘭市の絵鞆の岬にエルムコタンといって鼠の村があるという話があり、
沖を猫を乗せた舟が通ると呪いで難破すると言う話があります。

しかしこれはアイヌ語では「鼠」も「岬」も、同じく「エルム」と発音することから
後になって連想で作られた伝説でありましょう。
あの襟裳岬にも、やはり鼠の村と猫の呪いの話が伝わっております。
言うまでもなく「絵鞆」も「襟裳」も地名由来はアイヌ語のエルムです。

179 :天之御名無主:02/11/09 21:05
絵鞆の岬のあたりにポロチヌエピラ、ポンチヌエピラという崖があり、その沖には
ムイ島という箕の形に似た島があります。

伝説に寄れば、ここで箕の神ムイカムイと鮑の神チヌエカムイが争ったと申します。
戦いの末にムイカムイは砂をかき集めて砦を築きました。
チヌエカムイもそれに対抗して砂をかき集めましたが、大きさでは箕にとてもかなわぬ
鮑の貝殻使ったものですから結局負け、泣きながら敗退したのでありました。
その際にチヌエカムイが流した涙でポンチヌエ、ポロチヌエの崖が削られ、
そしてムイカムイの砦がムイ島として残ったのです。




180 :天之御名無主:02/11/10 21:25
江戸の文化五年、幕府の役人が書き留めた話です。

室蘭にシャウチクという男が住んでおりました。毎日海で漁に勤しんでおり
ましたが、やがて病にでもなったのかやせ細り、その上家の中で独り言言っては
笑っておりましたので村の衆も気味悪がっておりました。
そんなある日、シャウチクの家に村の衆が集まって酒盛りをしていたところが、
酔ったシャウチクが
「俺の家にこのごろ毎晩神のような美人が訪ねてくる。でも俺は疲れてしまった
ので誰かに譲ろうと思うのだがどうだ?」
などと申しますので傍らの者が
「それならば是非譲って欲しいがその女は何処にいるのだね」と答えると
「ほれ。そこに座って居るではないか」
しかし女の姿はなく、気味悪がった村の衆は皆理由を付けて帰ってしまいました。

あとで話を総合してみますと、彼が漁をしていると美しい女が舟に乗り込んできて、
それからというもの毎晩訪ねてくるようになったと言うことです。彼は別に
家の中で独り言を言っていたのではなくて、その美人相手に話しては
笑っていたのでした。例の酒盛りの日からというもの、彼女は姿を消してしまったと
言うことです。

これは海獣に化かされたのだろう、と老人達は話すのでありました。




181 :天之御名無主:02/11/10 23:23
エルム病院ってあったな・・・室蘭じゃないが。

182 :天之御名無主:02/11/10 23:31
>>181
そのエルムは英語の「楡」じゃないのか?

春楡が茂る北大のキャンパスを「エルムの学園」とも言うし。

183 :天之御名無主:02/11/11 23:24
室蘭と森町の間に存在する巨大な内海内浦湾。そこには様々な怪物が棲んでおりました。

まず一つは蛸の化け物アトゥイイナウ。大きさは何と1ヘクタールもあり、
これが浮かんでくると辺りの海が真っ赤に染まる。そして千石船でも鯨でも
一飲みにされてしまうので恐れられておりました。

次は巨大ナマコのアトゥイカクラ。口で流木に吸い付いていて、舟が近づくと
不意に暴れて転覆させてしまいます。これは海に落ちた女の下着が変化したもの
だと言うことです。

最後にレプンエカシ。鯨を一度に八匹も飲み込んでしまうという妖怪。
昔漁をしていた老人二人がこのレプンエカシに飲み込まれました。
二人は何とかして助かろうとレプンエカシの腹の中で火打ち石を打ち、
火を起こしました。これにはさすがのレプンエカシもまいって二人を吐き出し
ましたが、老人二人は頭がすっかり禿げてしまったそうです。

184 :天之御名無主:02/11/12 20:28
昔、十勝の国にイモシタクルという男が居りましたが、生まれつきの素行不良で
皆の鼻つまみ者でした。この男も命運が尽きてついに死んでしまいましたが、
生前の行いの悪さ故にあの世からも追い出されてしまいました。
行き場もなくこの世に舞い戻ってきたイモシタクルは嫌われるならば
徹底的に嫌われてやろう、と悪巧み。ある家に忍び込もうとしたところが
留守番していた老婆に発見され、へらで尻を叩かれて追い出されてしまいました。
逃げした彼はあちらこちらと悪事働く機会を窺いつつ道南は虻田のあたりまで
来ましたが、そこで神様に発見されてしまい、思いっきり蹴飛ばされた拍子に
有珠山が大噴火してしまったそうです。

オチが解らない話。

185 :天之御名無主:02/11/13 20:32
昔神が天地を創造したとき、天の神が人間達に幸福を授けようとイナウを沢山作り、
キラウシコロカムイという頭に角のある神に地上に届けるように言いつけました。
しかしキラウシコロカムイはそのイナウを独り占めしてしまったので天の神は
怒り、キラウシコロカムイは地下の地獄ポクナモシリに踏み落とされてしまいました。

この時に落ちていった穴が有珠山の噴火口になったそうです。


文政5(1822)年の有珠山の噴火では火砕流が発生してアブタのコタンは
全滅し、五十人以上の犠牲者が出ました。
伝説によれば、その時大酋長だけは避難せず、祭壇の前で祈り続けておりました。
するとイコリの神、レブンゲの神、ウェンシリの神が刀を抜いて応援に駆けつけるので
刀が稲妻のように光って凄まじい光景。
噴火が済んでから長万部に避難していた人々が帰ってきてみますと祭壇の前に
大酋長がそのままの姿で座っておりましたので「エカシ!」と肩に手をかけますと
そのまま崩れて無くなってしまいました。
座ったままの姿で焼かれて灰になっていたのです。

その後宝物をだして釧路や十勝からアイヌを買って村を再建しました。
そんなわけで有珠や虻田の者は性質が良くないのだそうです。



186 :天之御名無主:02/11/13 22:15
>1は明らかに煽りなのに良スレ化しているな・・・

187 :天之御名無主:02/11/14 23:02
有珠のコタンに三人きょうだいが居ました。兄と姉は人間同士の間に産まれた子供
でしたが、末娘は先妻が死んだ後に天から降った狼の女神と父親との間の子でした。
さて、末の娘は無事に婚約が内定しましたので、兄は祝宴の準備のために交易に
出かけました。その留守に、姉は自分よりさきに婚約が決まった妹に嫉妬し、
蒲狩りに行こうと妹を湖畔に誘いだし、鎌で斬り殺して湖に放り込んでしまいました、
洞爺湖の中島の神がこの様を見て、慌てて妹を救い出し、有珠山を守る自分の姉神に
介抱を頼みました。しかし中島の神は美しい妹のことが忘れられず、毎晩空を飛んで
有珠山の姉のところに訪ねてきます。それで姉神は心配し、弟を天に帰してしまいました。

さて、有珠山の姉神が下界を見ますと、妹の着物を着た姉娘が今にも嫁入りしようと
していましたので、慌てて妹に襤褸を着せ、婿の家に連れていって囲炉裏の木尻に
座らせました。すると姉は慌てて逃げ出していきます。
婿は唖然としています。しかし有珠の女神から真相を告げられ、あらためて
妹と結婚したのでした。


188 :天之御名無主:02/11/14 23:29
パラギ茶屋 男との戦い


189 :天之御名無主:02/11/15 13:54
シャブ警部、クビになる。北海道警、懲戒免職処分に
http://corn.2ch.net/test/read.cgi/police/1026528104/l50

【BNN】道警「覚せい剤警部」初公判
http://www.bnn-s.com/bnn/bnnTopics?news_cd=220011025254
【産経新聞】元警部、起訴事実認める
http://www.sankei.co.jp/news/021114/1114sha029.htm
【北海道新聞】訴事実認める 稲葉被告初公判
http://www.hokkaido-np.co.jp/Php/kiji.php3?&d=20021114&j=0022&k=200211141306
【札幌テレビ放送】◆覚せい剤元警部 初公判
http://www.stv.ne.jp/news/search?idno=20021114115336
【時事通信】元警部、覚せい剤密売認める=「暴力団から入手」と検察側−札幌地裁
http://news.lycos.co.jp/topics/society/police.html?cat=1&d=14jijiX957
【毎日新聞】覚せい剤所持:元道警警部、起訴事実認める 札幌地裁
http://www.mainichi.co.jp/eye/feature/article/police/200211/14-1.html
【読売新聞】北海道警元警部が拳銃密売も、覚せい剤事件初公判
http://www.yomiuri.co.jp/04/20021114i504.htm
【北海道文化放送】稲葉被告起訴事実認める
http://www.uhb.co.jp/uhb_news/20021114.html
【北海道テレビ】稲葉元警部が起訴事実を認める
http://www.htb.co.jp/newsarchive/0211/021114.html#am01
【札幌テレビ放送】◆元警部・稲葉被告 起訴事実認める
http://www.stv.ne.jp/news/search?idno=20021114190316
【札幌テレビ放送】◆けん銃密売にも関与
http://www.stv.ne.jp/news/search?idno=20021114185806
【BNN】あっさりと幕を閉じた“稲葉事件”初公判
http://www.bnn-s.com/bnn/bnnTopics?news_cd=H20021021067
【北海道新聞】稲葉元警部初公判 銃器捜査で立身、転落 「実績」に幹部沈黙
http://www.hokkaido-np.co.jp/Php/kiji.php3?&d=20021115&j=0022&k=200211151954
【朝日新聞】「裏の顔」驚き、戸惑い 稲葉元警部初公判
http://mytown.asahi.com/hokkaido/news02.asp?kiji=3933

190 :天之御名無主:02/11/15 14:29
うわ、漏れ道民なんですがこんなに沢山あるとは知らなかった・・・
勉強になりますた。

ちなみにコロポックルはジャンプの「シャーマンキング」にも出てきてたカナ。
あと水木しげるの漫画にも出てた気がするな。
キャラクター的には地名度ありそうだな・・・

191 :天之御名無主:02/11/15 22:02
昔、松前のお侍に娘一人と息子二人が居りました。
上の息子は学問でも剣術でも教えられるそばからモノにして行くのに
弟の方は容貌も体格も優れているというのに学問もそろばんも剣術も
まるでダメ、ついに勘当されてしまいました。
弟が当てもなく歩いておりますと向こうの方から同じ年頃の若武者がやってきて
彼に何か手紙を渡します。しかし学問がまるでダメで手紙すら読めぬ彼には
侮辱以外の何でもありませぬ。激昂した彼は刀を抜いて斬りかかりました。
相手はさっと身を翻して跳び去ります。弟は運動神経すらないのに思わず
跳び上がりました。すると何と軽々と跳び上がることが出来ました。
相手の若武者も斬りかかってきます。いつもの彼ならば一刀両断されてしまう
ところが、難なく除けることができます。
こうして二人は何重となく斬り合いましたが一向に勝負がつきません。

と、相手の若者が「待った!」と、叫び、今までの身の上を話すのでした。
彼も松前藩の侍でしたが、文武ともに不得手だったので勘当され、当てもなく
歩いていたのでした。するとサンタピラの川の神に出会い、
「人間界のアブタの湖を守らなければならないが、どの神も行きたがらない。
そこで、人間の中から文武も容貌も優れた者を二人選び出したのだ。
しかしこれをその者の親兄弟に伝えると反対されるので、周りから
社会不適合者に見えるようにして自然と勘当されるようにしたのだ。
ここにその神の酒があるのでこれを受け取り、手紙を読んで欲しい」
と、言われたとのこと。


192 :続き:02/11/15 22:10
弟が若武者の差し出す手紙を試しに見てみますと、今まで読むことすら
ならなかった文字がすらすらと読め、今までの話と同じ事が書かれておりました。

それから二人は六日六晩歩き続けてアブタの洞爺湖にたどり着き、神の酒を
酌み交わしました。すると神通力が付いて人間界も神の国も楽々と見渡せ、
自らの親兄弟が泣き哀しんでいる姿が見渡せました。
二人が空になった酒徳利を湖に投げ込むとそれが島になり、島に行ってみると
二人が住むべき家が二軒、それぞれ中には宝物が積まれ、そして妻になるべき
美女が待っておりました。

そして二人はそれぞれ末永く暮らしたということです。

193 :天之御名無主:02/11/16 20:50
その昔、洞爺湖は今現在ほど大きな湖ではありませんでした。
その洞爺湖には巨大なアメマスが棲んでいて、頭は湖の上手で目を月のように光らせ、
尾は湖の下手に届き、背鰭は日の光に焦げ、腹は湖底の砂で擦れるという状態。
つまり湖全体がアメマスだと言っても良い状態だったのです。暴れると舟を
覆されるので、村の衆は船底を黒く塗って闇夜にこそこそ渡るありさま。
神様ですら退治できず、みんな困っておりました。
ところがある日のこと、このアメマスが湖畔に水を飲みに来た雄鹿を丸呑みにした
ところが、角で腹を破られ、苦しんだ挙げ句に死んでしまいました。
死体は流れて、壮瞥の滝に引っかかり、湖の水はせき止められて満ちあふれました。

そして、今のような巨大な湖になったのです。

194 :天之御名無主:02/11/17 23:06
有珠善光寺の西側、虻田町と伊達市の境にチャランケ岩という岩があります。
チャランケとは議論、談判のことですが、それについての伝説です。

昔、有珠と虻田のコタンの境に鯨が漂着したことがありました。今でしたら
マスコミの圧力で砂に埋められてしまうところですが、当時は鯨はまたとない
自然の恵み、たちまち有珠と虻田のコタンで取り合いになったのです。

有珠の衆は「ここは我々の領地だから鯨も我らの物!」と主張し、虻田の衆は
「さきに見つけたのは我々だ!」と、お互い一歩も譲らず、三日三晩チャランケが
続いたのです。結局有珠の方が勝ち、有珠の酋長は勝ち誇り、虻田の酋長は
首をすくめましたが、議論疲れでそのままの姿で石になってしまいました。


そんなわけで、有珠の岩は勝ち誇った姿で悠然と立ち、虻田の岩は平べったく
平服しているのです。




195 :天之御名無主:02/11/19 19:30
むかし、人々に漁労の術を教えた神様が巨大な平目を釣り上げました。
そこでコタンの衆を集めて言うことには
「これは神の魚である。そこでこの魚を山に祀ることにしよう。これから
毎年春になって雪が融けても、山にはこの魚と同じ雪の形が残るだろう。
そうしたら海に漁に出なさい。この魚が大漁だろうから」、と。
言にたがわずそれから春になると山には平目形の雪型が残り、海では
平目がよく捕れました。
村の衆はこの雪型をウパシャマンペと呼びましたが、これが長万部の地名語源
だということです。


196 :天之御名無主:02/11/20 00:03
>>191-192
これってうしおととらに出てた話かね?
オヤウカムイとサンピタラカムイの。

197 :天之御名無主:02/11/20 21:45
>>196

あいにくうしおととらは十年近く前に読んだものの内容は失念しました。
とりあえずオヤウカムイの話でも書きます。
(十勝日高胆振と来てやっと長万部来たのにまた洞爺に逆戻り・・・)

英雄ポイヤウンペが洞爺湖に来たところが、羽の生えた毒蛇オヤウカムイに
苦しめられるので壮瞥滝の神に匿ってもらいました。ところが壮瞥滝の神が
何くれと無くポイヤウンベの世話をやくのに嫉妬したオヤウカムイは
ただの蛇神60、翼のある蛇神60駆り集めて激しくポイヤウンペと滝の神を
攻め立てたのものですから滝の神は戦死し、ポイヤウンぺは全身に大火傷して
石狩から厚田、浜益の方へ落ち延びていったということです。

支笏湖周辺のアイヌは伝染病の流行時はこのオヤウカムイと
有珠山の精霊イケエウセクルに酒を捧げて祈ったと言うことです。


198 :天之御名無主:02/11/20 23:54
支笏湖周辺ではなく、洞爺湖周辺の誤りですた。

199 :天之御名無主:02/11/21 01:35
>>196
うしとらの作者が、この話を参考にしたってことでしょうね。

200 :天之御名無主:02/11/23 00:50
長万部と八雲の境を流れるルコツ川筋のあるコタンの長老がよその宴会に行ったきり
帰りません。心配した村人が先方に訪ねても、「もう帰ったはず」とのこと。
そこで方々探し回っている内にルコツ川にそって山へ向かう老人の足跡を発見しました。
それをたどっていきますと老人愛用の弓が木に引っかかっています。
なおも後を付けますと今度は老人のいつも携えていた物入れ袋が落ちている。
これはもう間違いないと更に川を遡って山を登っていくうちに老人の右の足跡が
熊の足跡になり、やがて左足も以下同文。そして完全に熊の足跡になって遙か
山中に続いています。
「爺様は、熊になってしまったのだ、追うのは止そう」と、一同は納得して
村に帰りました。するとその晩村の衆の夢に例の老人が現れ、
「ルコツの山の主が天に帰ってしまったので、自分が後任になったのだ」
と、告げました。
それからというもの村の衆はこの熊爺さんをウレポロクルカムイエカシと呼んで
崇拝し、豊猟を願って酒を捧げて祈るようになったとのことです。

201 :天之御名無主:02/11/24 21:18
八雲のユーラップコタンの者がオットセイ漁に出ておりますと、突然に雲行きが
怪しくなり、船が思わぬ方向に流されそうです。
慌てて天に助けを求めたところが、ユーラップ岳の山頂から巨大な雲の塊が湧き起こり、
船めがけて舞い降りてきます。船の者たちがあまりの出来事におののいていますと
その正体は熊ほどもある白狐で、それが泳ぎだしたのでそれについて船を進め、
無事にコタンに帰り着くことが出来ました。

それ以来老人達はユーラップの狐神に酒を捧げて祈るのです。

202 :天之御名無主:02/11/24 21:35
http://alink3.uic.to/user/ranranxx.html

203 :天之御名無主:02/11/26 23:44
昔、ある狩人が猟犬を連れてユーラップ岳の麓で獲物を求めていますと、巨大な
熊の足跡を発見しました。彼はそれを見ると、この熊獲るよりも、熊の穴見つけ
だして自分の財産にしよう、と考え、足跡を追っていきました
(熊が冬眠に使うのに適当な穴を財産として所有しておけば、毎年熊に恵まれるのです)。
すると急に大きな沼を発見、しかしそのほとりに何とまあ翼のあるイルカの様な
怪物がいるではありませんか。「毒龍のオヤウカムイだ!」狩人は悟りました。
彼は連れていた猟犬と共にその場を逃れようとしました。しかし周囲は切り立った
断崖絶壁、木の根や蔓に取りすがって何とか逃れだしましたが、崖を登れなかった
犬は毒に当たって死に、狩人も村に着いてからまもなく死んでしまいました。

それ以来、村の衆はここには近づかないように戒めたと言うことです。

大正時代に沼の堤が切れて水は全て海に下ってしまいました。龍もそれと一緒に
海に行ってしまったのだろう、とシクシレと言う老人が語ってくれた、と
八雲町の椎久トイタレケエカシが語ったということです。

204 :あぼーん:あぼーん
あぼーん

205 :天之御名無主:02/11/30 00:13
まだこの世に火がなかった頃の事、オキクルミカムイが蜘蛛に教わって天に昇り、
天の神から火をもらいました。その際、地上に投げおろした火と灰が渡島の駒ヶ岳と
恵山に落ちたため、この二つの山はいまでも火を吐き、灰を降らせるのです。

駒ヶ岳の噴火の時は有珠山から光の玉が飛んでくると申します。これはエメルと
いって村に変事が有ったときに応援に駆けつける神の刀が光るのだと申します。
このエメルは礼文華のエコリ岬からの物が一番早く、次に豊浦から来ると申します。

206 :天之御名無主:02/12/01 20:24
八雲の黒岩はかつてコタンの人々から神として崇拝されておりました。

伝説では、昔盗賊の集団が海から船でこのあたりに侵入しようとしたところが、
この岩を迎え撃つ軍勢と勘違いして逃げ帰り、結果として村は守られました。
そんな訳で、この黒岩にイナウを捧げて祈るのです。

国縫川の上流にはかつてフリーというとんでもない巨鳥が棲んでいて、その鳥が
飛び回るたびに翼で日は隠され、周囲は暗黒状態。
国縫、クンヌイとはアイヌ語の「クンネ・ナイ」暗い川が語源だそうです。

207 :天之御名無主:02/12/03 23:00
南茅部町に精進川、という文字通り魚の棲まない川があります。

伝説に寄れば、この川の上流にかつて年老いた僧が住んでおりました。
僧がある日のことグミの実の塩漬けをおかずにして飯を食べておりますと、
口の悪い麓の村の若者がそれを見て「筋子食べていやがる、この生臭坊主が!」
と罵ったばかりか、それを村中に触れ回ったのです。

広まった悪い評判に僧は特別弁解もしませんでしたが、川に呪いをかけて
そのまま村を去ってしまいました。

それ以来、川には魚が棲まなくなったのだそうです。

208 :天之御名無主:02/12/04 23:02
北海道唯一の城下町、松前。
その城のそばには「手長池」という不気味な沼があります。

松前藩第十二代藩主、資広が京の中納言八条家の姫君を正室にしたのは延享2
(1744)年のこと。人々はこの正室を京御前と呼んで敬っておりました。

資広が江戸の参勤に出た晩秋のある夜、御前はただ一人城から抜け出し、
当てもなく歩いておりました。いつの間にか池の側に出ていたのです。
突然、水面が激しく渦巻き、池の畔に不気味な男が立ちつくしております。
御前は思わず懐刀に手をかけましたが男は動じる様子もない。御前は咄嗟に
「今日はあまりにも遅い故、明日、何か証拠の品を持参せよ」と言い残し、
城に駆け戻りました。
翌日の夕方、婦人が琴を弾いておりますと天は掻き曇り、季節はずれの雷鳴が
轟きました。風が灯火を吹き消しました。と、垣根越しに長い長い手が伸びて
皿のような物を差し出しました。御前はこれを受け取るなり懐刀で斬りつけるや
凄まじい悲鳴が上がり、腕は何処かへ消えました。騒ぎを聞きつけた家来衆が
御前を介抱する傍ら血の後を附けていきますと、昨夜の池のところで消えており、
水は赤く染まっておりました。以来、この池は「手長池」と呼ばれるように
なったのです。

御前は後に出産しますが産後の肥立ちが悪く他界、人々は悪霊の祟りと
噂し合いました。この時の子が松前藩第13代道広で、右大臣花山院の姫を
正室として持ちながらそれ以外に六人も妾を持ち、そのうえ吉原の花魁を身請け
して連れ帰るなど素行不良の連続、幕府の怒りに触れて隠居、幽閉された人物です。

手長池の怪物が差し出したのは直径二十pの青磁の皿、松前藩の家宝として
秘蔵されておりましたが、戊辰戦争の混乱で紛失しました。



209 :天之御名無主:02/12/05 01:23
昔「コロボックルの小さな物語」(だったかな)
とゆう本を読んだことがあるんだけど
知ってる人いるかな?続編も何冊か出てたみたいだけど…

210 :209:02/12/05 01:30
「だれも知らない小さな国」だった…
一応コロボックルが出てくるけど北海道関係無し?

211 :天之御名無主:02/12/05 01:40
それって古田足日だかの童話?
だったら北海道は関係ありません。あの話の中に確かモチの木の皮で
鳥もち作る話が出ていたが、北海道にはもちの木は自生していないのです。

小人の伝説を本州の田舎町に置き換えたのでしょうに。

212 :209:02/12/05 05:12
>>211
おお勉強になった
ありがとん

213 :天之御名無主:02/12/05 22:16
北海道の太平洋沿岸、オホーツク海沿岸は砂浜の穏やかな海岸風景ですが、
西海岸、日本海側は断崖絶壁の荒々しい風景。

伝説に寄れば、かつて神々が北の大地を造り上げた際、最後の海岸の仕上げは
東海岸が男の神が、西海岸は女神が受け持ちました。
男の神達はただ黙々と海岸を均しています。一方、女神達は無駄話ばかりして
仕上げ工事は遅々として進まず、結局西海岸は未完成のまま放置されたのです。
そんなわけで、白神岬からモッタ岬、積丹半島に雄冬海岸と、西海岸は
断崖続きなのだそうです。
この話は、平成八年二月、積丹半島の古平町トンネル崩落事故の際に
読売新聞で紹介された話でもあります。

214 :天之御名無主:02/12/06 23:37
明治元(1868)年11月5日、戊辰戦争で松前の城はたちまちのうちに
幕府軍に占拠されました。
松前藩主徳広は肺結核で半死半生のまま、婦人や世継ぎとともに家臣に守られて
松前を脱出、江差、乙部を経て熊石村に逃れました。強行軍で藩主の病状は
悪化、駕籠の中でうわごとを発するほどであったと伝えられております。
熊石に落ち延びた一行は家臣達の勧めで津軽半島に渡り、そこで再起を図ることを
決意、住民の助けでたまたま港にあった千石船、長栄丸に乗り込みました。
しかし季節は十一月、激浪荒れ狂う日本海。もとより老朽化して浸水水船
風雨に叩かれて沈没寸前のまま彷徨い、松前の小島から一海里も流される始末。
これでは津軽に行き着くどころか命も危うい。侍医の酒井玄洋は
「家宝の『法性の兜』を海神に捧げてみてはどうか」と、進言したのです。
この兜は元々武田家伝来のもので、武田家滅亡の後は秀吉の手に渡りましたが
天正18(1584)年、聚楽第で秀吉に謁見した松前慶広に与えられ、以来
松前藩家宝として大切にされていたのです。
重臣達は侍医の進言を受けいれ、兜は海中に投げ込まれました。と、見事に
静まる激浪風雨。願いは通ったのであります。
一行のうち、先代藩主の五女であるわずか五歳の鋭姫は不幸にも船酔いで
命を落としましたが、三日目にようやく津軽半島は平舘に漂着、一行が
上陸した直後に船はとうとう沈没しました。

肺結核の悪化で危篤状態の藩主、徳広はやっとの思いで弘前は医王院に辿り着きますが
結局絶命、享年二十五歳の若さ。しかしその死は自決として新政府に届けられました。
この遺書により、松前藩は取りつぶしを免れたのです。


215 :天之御名無主:02/12/09 00:59
五百年ほど前、江差の津花の浜に織江という老婆が住んでおりました。
彼女は予知能力があるためになにかと村の衆から大切にされておりました。
春先のある朝のこと、織江は沖の鴎島から不思議な光が発しているのに気が付き、
行ってみますと神々しい翁が岩の上で火を焚いております。翁は織江に徳利を
渡し、「この中に入っている水を海に撒けば、海が白くなるほどに鰊という
魚がやってくる。村の衆に教えてやりなさい。」とのこと。
織江がその徳利を大切に持ち帰り、海に水を撒けば言にたがわず鰊が大漁、
江差の村は大景気に沸き立ちました。
村の衆が礼を言おうと皆で織江の家を訪問したところが彼女の姿が無く、
彼女がいつも大切に拝んでいる神像が残されているだけでした。
そこで村の衆はその像を持ち帰り、祠を建てて拝んだということです。

江差の姥神大神宮の創建由来として残されている伝説です。

216 :天之御名無主:02/12/11 10:18
毎年北海道へ行ってるけど、
このすれのおかげで違った楽しめ方ができそう。

217 :あぼーん:あぼーん
あぼーん

218 :とてた:02/12/11 22:02
>>210 >>211
「だれも知らない小さな国」は佐藤さとるの作品です。

アイヌのコロボックル伝説とはあまり関係ありません。

219 :天之御名無主:02/12/11 22:18
永遠の命を手に入れたいならば、石仮面被ればいいのだ

さて、江差と言えばとんち名人の「江差の繁次郎」です。
幕末の頃に実在した人物で、五尺にも足りないチンチクリンの小男
目と頭が異様に大きく、口先だけの怠け者だったので何処でも持て余し者
だったとか。伝わっている有名な話をいくつか・・・

江差の港で奇妙な魚が捕れました。姿形が老練の漁師でさえ見たことが
ないという代物。皆正体を探ろうと考え込むばかり。
ついに殿様は「この魚の名を知る者は金十両をつかわす」というおふれを
だしたのです。
ここに登場したのが繁次郎、「この魚はキンキラキンノキンと申します」と
答え、見事に十両をせしめました。
しかし、役人達はこんな奇妙な名の魚がいるとは信じられない。そこで
その魚を干物にして保存し、しばらくしてからまたおふれを出したのです。
「奇妙な魚が捕れたので・・・」
またしても繁次郎は代官所に乗り込み、魚を一目見るや自慢げに
「この魚はカンカラカンノカンと申します」
「その方、これは以前貴様がキンキラキンノキンと申した魚と同じ物で
あるぞ、さては貴様、でたらめで褒美をだまし取ったな!」
繁次郎少しもうろたえず、
「お役人様、イカは干すとスルメと名が変わります。鰊は干すとみがき、
鮭は干して塩に漬けると新巻でございます。キンキラキンノキンの
干物をカンカラカンノカンと申します。」
こうして繁次郎はまたしても十両をせしめたということです。

落語の「てれすこ」の脚色ですね。

220 :山野野衾 ◆W7NDQJtGoM :02/12/12 17:57
>219
同じような話が山口にもありました。

221 :天之御名無主:02/12/12 22:33
こういう話の主人公は村はずれに住む貧乏者というのが世間のならいですが、
繁次郎も貧乏者、借金取りに追われまくる生活でありました。

今日もまた借金取りが家に押し掛けてまいります。彼が繁次郎の家の戸を
ガラリと開けたところが、繁次郎は仰向けに寝そべって、腹の上に椀を
のせておりました。そして一言「はらわん」。
借金取りはあきれ果てて帰ってしまいました。

それでも数日後にはまたまた押し掛ける借金取り、繁次郎は思いあまって
家の戸に「忌中」と書き付け、姿をくらましたのです。
忌中の書き付けを見た借金取りは「三途の川渡ってまで金は取り戻せないわさ、
香典代わりに帳消しにしてやれ」と、諦めて帰っていきました。
ところがそれから数日後、借金取りが山道でぴんぴんして歩いている繁次郎に
出会ってしまったからさあ大変。
繁次郎は道ばたの藪に駆け込み、一言。
「繁次郎はこの通り『草葉の陰』だぁ!」

222 :天之御名無主:02/12/13 21:43
貧乏もんの繁次郎、正月だというのに晴れ着の一枚もなく、仕事着姿でプラプラ
していますと、かつての仕事仲間、三助がやって来ました。
今では小金をため込んで羽振りがよく、最近では「山久」などと屋号を名乗って
いつも繁次郎を小馬鹿にするイヤな奴、紋付きを自慢げに着こなしております。
三助は貧乏ななりの繁次郎にイヤミたっぷりに
「おやおや貧乏神、新年早々何処さ行くだ?」
繁次郎はカチンときて、
「貧乏神は繁次郎の家から出て、お前の家さ行くとこだべさ。」
三助は正月そうそう縁起でもないと逃げ出してしまいました。

帰り道、またしても繁次郎に出くわした三助は今度は愛想笑いして
「おやおや福の神様、何処へいってきなされた?」
繁次郎は
「福の神様はお前の家から出て、繁次郎の家さいくとこだべさ。」
行きも帰りも繁次郎に言い負かされた三助でありました。

223 :天之御名無主:02/12/14 22:53
繁次郎が知り合いの家のそばを通りかかると中から炉で馬鈴薯を焼く香りが
流れてきます。芋にありついてやろうと繁次郎が戸を叩きますと中では何か
コソコソ
「繁の奴ぁ、芋見れば飢饉時の乞食みたいにガツガツしやがる。
芋も全部食われたらかなわないすけ、全部灰の中に埋けてしまえ」
図星でありましたがかまわずに家に上がり込みました。なるほど芋はすべて
炉の灰の中に埋められたようです。
繁次郎は炉端に腰掛けますと
「何たら良い香りでねぇか、芋でも焼いていたのかや。今日は大事な相談が
あってよ、魚売って儲けたしけ、家でも建てようか思ってよ・・・」
などと言いつつ火箸を手にとって
「まずここいら辺りに大黒柱押っ立ててよ、あんれ、イヤイヤ。芋でねぇか」
などと炉灰から箸で芋を突き刺して取ってはムシャムシャ
「ここの端にも柱たててよ。あんれ、またまた芋でねぇか」・・・

取っては喰い取っては喰い、ついに芋を全て食べると
「また芋焼いたら今度は納屋と蔵立てる相談するしけ」などと言いつつ
悠々と帰っていったのでありました。

224 :天之御名無主:02/12/15 23:20
繁次郎が山道を歩いておりますと妙な腐敗臭がする。
見ると、藪の中で馬が死んでおりました。繁次郎は慌てて馬商人の家を訪ね、
「オドさ、大したいい葦毛の馬見つけたはんで、かわねぇか?」などと商談を
持ちかけました。馬商人派はつられてその馬の居るという山に入ります。
しかし馬の姿など無い。「シゲやい、馬さ何処だ?」
「馬ならそこの藪の中でくさくってら」馬商人が藪にはいると例の馬の腐乱死体。
「馬鹿こげ、この馬死んでるべさ!だまくらかしやがって!死んだ馬が
草を喰うか?」
「この馬ッこ死んでるはんで、もうくさくってく臭くって・・・」

225 :天之御名無主:02/12/19 22:53
繁次郎は村で評判の小町娘、おヨシに懸想しておりました。
しかしおヨシの本命は村の名主の息子で美男子の清太郎。貧乏タガレで小男の
繁次郎と金持ちの美男子では初めから勝負になるはずが無く、二人はまもなく
相思相愛。祝言の日取りも決定いたしました。繁次郎が面白かろう筈がない。
繁次郎はおヨシの父親に
「清太郎はおなごにかけては大した物だべせ、晩げさ清太郎の家さ行ってみれ
おめさのしらねえおなご引き入れて肩だの腰だの揉ましてるべさ」
清太郎の方には
「この前おヨシさ道で見てよ、背の高え着物着た男と楽しそうに手さ繋いでよ」
などと吹き込んだ物ですから相思相愛は疑心暗鬼、話はこじれにこじれて
おヨシの父親と清太郎は大喧嘩
「あったら乗合船みてえなおなご、こっちで願い下げだ!」
「何!その船頭あてめえじゃねぇか、このツラツケナシ!」
結局破談決定です。
しかし実は未練たっぷりな二人が調べてみましたらば、話は全くの繁次郎の
捏造である事が発覚しました。双方からねじ込まれた繁次郎は
「嘘と坊主の髪はゆったことがねえ。清太郎、毎日晩げに婆按摩呼んで肩だの
腰だの揉ましているべさ。婆の按摩でも女だべ?おヨシはオドさとよく手ぇ繋いで
街さ行くべ。オヤジでも男には相違ないべさ。」

どこぞの女子校では「たとえ父親であっても、男と並んで歩いてはいけない」
などという校則があるそうですが・・・

226 :天之御名無主:02/12/21 00:24
道民です。小学生の頃に学校で分厚い昔話の本買いませんか?
ってお知らせがあって買ったけど、たくさんアイヌみたいな
ころぽっくるみたいなォカルティックな話が載ってたよ。
図書館にないのかな?
つーか、当時アイヌ名って英語だと思ってた。
「サッポロ」とか「クッシャロ」「シャコタン」「ウポポペペ」
みたいなの全部英語なんだな〜って思ってた。
アイヌとローマ字と英語の区別がつかなかった消防の頃。

227 :天之御名無主:02/12/21 13:12
繁次郎が知り合いの家のそばを通りかかるとまたしても馬鈴薯を茹でる
香りがしてきます。戸外の繁次郎に気が付いた家人は慌てて鍋の蓋を
閉めて隠そうとします。繁次郎はかまわずに上がり込みまして、
「ああ、驚いたの何の、今そこの魚屋でとんでもない夫婦喧嘩やっていてよ
あんな立ち回りは前代未聞だよ。」
などと話し始めるので家人も思わず話につり込まれます。
「まず、オドさ天秤棒振り上げてカカさ躍りかかったべ、したらカカァも
負けるもんか、こうして鍋の蓋取って棒を受け・・・」
話に漬け込まれて、思わず鍋の蓋を取り上げてしまった知り合いのおかみさん。
「あんれ、芋でねぇか!」
芋が全て繁次郎に食べられてしまったのは言うまでもありません。

228 :天之御名無主:02/12/21 19:58
繁次郎に舌先三寸でいつもだまくらかされている仲間達がある時繁次郎に
賭を持ち込みました。
「ここにある南部煎餅五十枚、百数える間に目の前で喰って見れや!
食べたならば魚汁一杯おごってやるしけ。」
繁次郎は擂り鉢を持ち出すと煎餅を入れて搗き砕いて擂り潰し、
粉にすると水を加えて捏ねて団子にして、たちまちのうちに
喰ってしまったということです。

229 :天之御名無主:02/12/24 12:55
age

230 :天之御名無主:02/12/25 23:03
【懐かしい】昔話はオカルト満載・第2話【語れ】
ttp://hobby2.2ch.net/test/read.cgi/occult/1035538023/324-332

231 :天之御名無主:02/12/28 20:10
繁次郎は口先三寸で魚場の親方をだまくらかし、魚場をのれん分けさせました。
手始めに若者を二人雇い入れ、
「おめたちも親から貰った名前があろうが、おらの鰊場で雇うすけ、おらが
新しく名前付けてやる。おまえは『重人』(じゅうにん)、
おめは『其太』(そのた)だ。名前呼ばれたら返事して働けよ」

しかし名前がどうであれ、鰊がこなければ商売にならない魚場、あいにくの
不漁で景気が悪いことこの上ありません。そこへもとの親方が様子を探りに
やってまいりました。「シゲ、最近はどんなものだ?」
そのとき若者の一人が外から繁次郎に向かって
「親方ァ、暇だしけ、街さ行っていいすか?」等と聞きました。
繁次郎はもったいをつけて
「アイせ、いつ鰊さ群来るさわからんシケ、ジュウニン浜さ下りれ、
ソノタ山さ行って薪採ってこい」
親方は感心して、
「シゲさ、「十人」からの人間使うとは、おめさも大したもんだな。」
と、感心しきりでかえっていったそうです。

232 :天之御名無主:02/12/29 14:15
アイヌ古譚

233 :天之御名無主:03/01/07 13:31
あげ

234 :天之御名無主:03/01/08 13:00
繁次郎話もネタが尽きましたのでまた道南地方の伝説に戻ります。

渡島半島は椴法華村の水無海浜温泉は波打ち際に湧き出した露天風呂、
ここの発見にまつわる話が面白い。

鎌倉時代のこと、日蓮宗の日持上人がここの波打ち際を歩いていますと、
岩陰に茹蛸が浮いて居るのを発見しました。周囲には民家もなく、街道からも
離れている。なのに何故茹でたタコなどが・・・
いぶかしんだ上人があたりをさぐってみますと、岩間から湯が沸いている。
タコはこの湯でゆだってしまったのでした。
ともあれ、これが温泉発見伝説です。

隣の戸井町(恵山町かもしれない)には、連理の栃の木があります。
心中したアイヌ娘と和人の若者の墓から生えた物だということです。

235 :天之御名無主:03/01/09 20:57
北海道夕張の髪の毛が伸びるお菊人形の話はあまりにも有名ですが、
江差には「成長する熊の木彫り」という話がございます。

昭和のはじめ、小樽に住む浦崎家の息子が原因不明の高熱に取りつかれました。
八方手を尽くして治療しても効果がなく、最後にある神社で祈祷して
もらったところが
「神棚の熊の木彫りに水を捧げ、不津桑幸(ふつくこ)明王をに祈りを捧げよ」
とのお告げ。
確かに浦崎家には神棚に三十センチ位の木彫り熊が安置されておりました。
訝しがりながらも神棚に水を捧げ、祈りますと息子の熱が嘘のようにひき、
替わりにコップの水が火の気もないのに煮えたぎっておりました。

一家はこの奇蹟に驚き、この熊を江差の笹山神社に捧げたのです。
ところが戦後になってからある人がこの熊をあらためてみたところが、
成長でもしたかのように大きくなっていたとのこと。
そこで新しい箱に移し変えたところが、四、五年してからまたしても箱が
窮屈になり、そこでテレビでも入るような大きな箱に移したということ。

今の状況はわかりませんが。

236 :山崎渉:03/01/11 04:22
(^^)

237 :妙見:03/01/13 04:49
天之御名無主 様は前の世で存在が崩壊してしまったはずですが、
直られて良かったです。
僕から見れば今世の出来事なんですが。
18回生まれ変わったのですか?

覚えています?
貴方が僕に北神菩薩妙見という名前はどう?と言ったのを。
北進菩薩妙見 略して「北見」の神様として。

北見のシンボルマークは陰陽のマークとか天開とか言われるんですよ。

もっとある意味もありますが。

ちなみにアイヌと仲良しです。


238 :天之御名無主:03/01/14 13:06
江差の曼荼羅寺の八地蔵は女性の篤い信仰を集めております。

大正の中頃、積丹半島の東海岸は余市のある寺が八体の地蔵を加賀の国の仏師に
注文しました。それが完成していざ北前船に積み込み、はるばる日本海を
北に航海していた際に江差の港に立ち寄ったのです。
ところがしばらく帆を休めていざ出航というときに突然空が掻き曇り、
波も荒くなり、そして肝心の地蔵の顔が何故か険しく見える。
不吉なものを感じた船頭は出航を延期しました。
翌朝天候も回復しましたのでいざ帆を揚げたところがまたしても海が荒れ、
地蔵様の顔が険しくなる。気味悪がった一行は曼荼羅寺の住職に供養を頼みました。
僧が地蔵様に経を詠んだところが、地蔵様は「ここに停まりたい」と言ったように
見えました。
一同は「地蔵様はここに居たいから、出航を妨げたのだな」と納得し、
結局八体の地蔵様は曼荼羅寺の境内に安置されたのです。

その当時から曼荼羅寺は街の女郎たちの信仰を集めておりましたが、やがて
「八地蔵様に米を供え、お下がりをおろして研ぎ、その研ぎ汁を飲むと
乳の出が良くなる」との噂が流れ、信仰は一層深まりました。

粉ミルクが普及した現在でも女性の信仰は篤いそうです。

239 :天之御名無主:03/01/15 13:25
文化神オキクルミが瀬棚の太田岬の神に出会い、遊びに行くと伝えました。
太田の神は期待して濁酒をこしらえて待って居りましたが、結局すっぽかされて
しまったのです。怒った太田の神は折角の酒を河にぶちまけてしまったので、
いまでも太田の川は濁っているのです。

それでも怒りが収まらないので嵐を呼ぶ太田の神。おかげでオキクルミの船は
木の葉のように揉まれ、積荷はすべて流されました。そのとき、船に積んでいた
銛と竿とアカ汲みが流れ着き、瀬棚の三本杉岩になったのです。

オキクルミはほうほうの体で上陸し、着物を崖にかけて乾かしました。
その着物が花柄だったので崖は赤く染まったのです。

240 :東海青竜王:03/01/16 12:50
地球にいてはいけない存在と言うのもこれからは、いると思います。

241 :天之御名無主:03/01/16 13:05
瀬棚と利別の間にカンヌプリという山があり、ここに昔十勝の国から来た
悪人が棲んでおりました。
様々な悪事悪戯をするのでついに追い出され十勝の国に追い返されましたが、
その際に山にいた悪い熊に復讐を頼んだので瀬棚と利別の衆は散々に
苦しめられたということです。


242 :天之御名無主:03/01/16 20:18
田中芳樹は絶対にホモだ!

243 :天之御名無主:03/01/17 13:08
瀬棚町の地名語源はアイヌ語の「セタナイ」(犬の川)。
昔ここの川口で犬が溺れ死に、岩になったのでこの地名が着いたと伝えられて
おります。瀬棚の沖の耳を立てた犬の形の岩「セタイワキ」がそれです。

瀬棚町の梅花都(ばいかつ)はアイヌ語のパッカイシュマ(子背負い岩)が語源。
その昔、沖に漁に出たまま帰らない夫を子を背負って待つ女が
そのまま岩になってしまったと伝えております。

244 :天之御名無主:03/01/20 12:44
a

245 :天之御名無主:03/01/20 13:12
寿都町と島牧村の堺にライケウシという地名があります。
正式名称は「シシャモライケウシ」(和人を殺したところ)。
ここに「呪いの石」があり、通行人が取り殺されたと申します。

246 :天之御名無主:03/01/20 19:19
ほぼ連日に渡って昔話書き込んでいる者ですが、最近家のpcが
クッキー関係で書き込めません。
仕事先やネットカフェに膨大なネタ本持ち込むのも大変なので、
クッキー関係が解決するまでまことに勝手ながら休業させていただきます。

まことに申し訳ございません。

ネットカフェのpcで失礼

247 :天之御名無主:03/01/21 12:15
(´・ω・`)

248 :天之御名無主 :03/01/21 16:55
おつかれさん。つーか、これで十分ですよ。

249 :天之御名無主:03/01/22 12:42
しかし、これから語るべき日本海側は
義経伝説、積丹半島の奇岩と伝説が一番面白い地域。
春休みが済んだらクッキーも解決するでしょうから又あとで。

(会社のPCで失礼)

250 :あぼーん:あぼーん
あぼーん

251 :ほうっておいてください。:03/01/26 17:18
北海道は1993年から歴史Aと歴史Bに別れています。
面倒くさい。
歴史Cにはクロトは行かない。男ですよ。

自分のことは自分が1番わかっているはず。

スタートレック nemesis お楽しみに!

252 :ひみつのじゅもん ハテナ?:03/01/26 17:25
自分の名誉のために打っておくが。

男に打たせなきゃならんときもあるんですが。
男と見せかけて女で男かもな。


253 :天之御名無主:03/01/28 17:58
http://bbssearch.naver.co.jp/search.naver?query=%C0%CE%CF%C3&x=0&y=0

254 :天之御名無主:03/01/28 23:35
今日は珍しくパソの調子がよいので久々に書き込みます。

積丹半島西海岸の泊村、ここには兜崎という兜型の岬があります。
かつて岩内の長がこの地に兜を秘蔵しておりましたが、その在処を
誰にも知らせないまま急死してしまいました。
その兜が存在を忘れられるのを嫌がり、自ら岩になった物と申します。

この泊村や神恵内村の辺りは「古宇郡」ですが、古宇(ふるう)の
地名語源はアイヌ伝説に登場する巨鳥フリーが棲んでいたことに
由来すると申します。

255 :通りすがり:03/01/29 01:30
ここ、ホントに良スレなの?
アイヌが北回り(樺太、千島列島経由)で北海道へ来たって、本当にホントですか?
北海道に生息するマムシ、ごく一地域じゃなかったかな。
北海道の古人=>アイヌ=>少数民族=>マイノリティ=>好き勝手に書いても裏取りできない。
お気楽な要素は否めないな。
いまじゃ純粋アイヌも極少数だしね。

>>170 さん。
沖縄とアイヌより、沖縄と津軽の関係を調べてみてはいかがか。

昔、白糠に住んでた者です。
アイヌを多少なりとも調べた方なら、白糠アイヌを知らないとは言わせない。
シャクシャインを長とした蜂起は既にご存知の通り。
鎮圧後のアイヌがどこに逃げ落ちたか、その後どうなったか、北大生なら卒研に調べてみてはどうか。

256 :天之御名無主:03/01/30 18:15
>>255
んで?
なんでアンタは、そんなにエラそうなのよ。

257 :天之御名無主:03/01/30 19:45
昔話の登場人物で801をやるスレを見つけたよ
北海道モノではオキクルミとケムシリの神で801があったよ
あの板の姐さんたち、想像力豊かすぎるわ
正直、感服した

昔話って、じっくり読むと萌える
http://www2.bbspink.com/test/read.cgi/801/1043160092/


258 :天之御名無主:03/01/30 22:06
255
朝のニュースに出てくるご意見番気取り。
しかし、悲しいかな言葉の端々があほっぽい。

259 :天之御名無主:03/01/31 21:32
北大生ではないのでなんとも言えませんな。

神恵内村のシシャモナイの沢にウェンクルという人食いの悪人が住んで居りました。
彼が文化神オイナカムイに鹿肉だと偽って煮た人肉を食わせました。
その結果オイナカムイは中毒を起こし、食べた肉を全部吐き出しましたが
この吐瀉物が今現在珊内の海岸にある大岩になったということです。

神恵内村と積丹町との境にある西河原は平成九年に周遊道路が全通するまでは
断崖絶壁に阻まれ、海上からしか近寄れない別世界。古はカムイミンタラ(神の庭)と
呼ばれて聖地とされておりましたが、和人が進出してからは賽の河原として
信仰を集めるようになるました。
此処には祠があり、流木で彫られた地蔵が祀られております。
言い伝えによれば、かつて此処の海岸の流木を焼き捨てたさい、どうしても焼けない
木がある。海に流してもすぐに流れ着く。そこでこの木を聖なる物と考え、
地蔵を刻んだと申します。
現在でも信仰は篤く、春の祭礼の日には集まった周辺住民が

オンカーカー  カジサンマー エーソワカー

と、唱えつつ祈りを捧げると申します。

260 :天之御名無主:03/02/01 23:46
らわんぶきはコロポックルの傘です。

261 :256:03/02/02 03:51
エラぶったつもりは無かったんだが、そう読まれたらスマソ。
わし、小学生の頃から白糠でアイヌの同級生と一緒で、白糠アイヌの云われも伝え聞いてたし、
オヤジはもろアイヌ部落に関わってたし。
ほかにもいろいろあるけど、ここのスレが、ただアイヌを題材に楽しんでるだけの感じがして、
とんがったレス入れてしまった、のだと思う。
個人的に、アイヌを客観視できんのよ。

262 :天之御名無主:03/02/03 06:26
261さんの批判はまじめに受け止めたいですね。でもあえて言うと、
私はこのスレ結構いいと思う。
伝統的にはアイヌ人と和人の口頭伝承はかなりちがうものだけど、
今では中間的な伝承が大量に書承(大部分はマスコミにのる形)
で伝わっている。このスレはその現場そのもの、って感じがする。
和人の神話的世界はsisam-uwepekerの鏡像としての「アイヌ昔話」
と「和人昔話」の二つで構成されているということがよく分かる。
いわば現代版「蝦夷趣味」のスレ、と捉えています。

263 :あぼーん:あぼーん
あぼーん

264 :age:03/02/03 09:43

祭りがはじまるぞ〜
未承諾広告送信業者をたたく祭りだ!
早くしないと乗り遅れるぞ
http://jbbs.shitaraba.com/news/938/

265 :あぼーん:あぼーん
あぼーん

266 :天之御名無主:03/02/05 20:09
このスレの話は最初にパナンペペナンぺ話書き込み、
十勝川上流新得のカムイロキ伝説から初めて十勝川下って太平洋岸南下して
襟裳岬巡って日高、胆振の伝説、支笏洞爺、さらに南下して道南。
日本海に出て江差の繁次郎話。
今は積丹神威岬の手前にいますから、白糠は北海道一周のラスト。あと三ヶ月は
待ってくださいまし。

白糠で私のネタ本に載っているのは音別川の「カラマ」の話ぐらいです。
シラヌカはアイヌ語で潮を表すシラリカに由来するそうですが、同じような地名が
青森にもあるそうですね。
シャクシャイン蜂起の事情は松前藩の侵略以外に、有珠山、樽前山、駒ヶ岳と
道南地方の火山が立て続けに噴火し、火山灰で環境が悪化していたことも
原因、と聞いたことがあります。



267 :あぼーん:あぼーん
あぼーん

268 : :03/02/05 20:33
http://www13.big.or.jp/~fubuki/chuu.htm
みんなで話そう

269 :天之御名無主:03/02/07 11:24
函館、五稜郭の堀に竜が住むと聞いて小さかったので信じ込んでしまった。
ほかにも聞かされたひといませんか?

270 :天之御名無主:03/02/07 11:31
http://members.tripod.co.jp/umibenomakigai/index.html

271 :天之御名無主:03/02/10 21:06
積丹半島先端の神威岬、そして沖の高さ50mあまりの立岩、神威岩は
源義経に捨てられたアイヌ娘、チャレンカが岩に化したものとされ、
シャモの女に祟りをなすとされて江戸時代はこの地以北に女人禁制が敷かれておりました。

伝説によれば、奥州衣川をひそかに脱出した義経と弁慶は三陸海岸を北上して
津軽に至り、三厩村から蝦夷地に渡りました。そして一冬を酋長の家で過ごすうちに
娘のチャレンカと恋仲になったのであります。しかし野望を捨てきれない義経は
ひそかに大陸目指して出帆、残されたチャレンカは神威岬まで追ってきたものの
ついに力尽き、絶望して海に身を投げたのが巨大な神威岩になったと申します。
チャレンカは身投げの寸前、一行の船内に女の姿を認めていたとのこと。
和人の女に義経をとられた、というわけでそれ以来神威岬の沖を女を乗せた船が
通ると暴風に叩かれ、難破したとのこと。女のいない船でもこの沖を通る際は
お神酒と藁人形を捧げて祈り、江戸時代を通じて神威岬以北は女人禁制でした。

272 :天之御名無主:03/02/10 21:31
しかしドキュメンタリー作家の会田一道氏の説では、この伝説には
重大なウラがあると申します。
元々のアイヌ伝説では、神威岩は神が泳いでいるうちに寒さのために凍えて
岩になったもの、とされておりました。
しかし松前藩がアイヌの英雄サマイクルカムイ、オキクルミカムイを
源義経と結びつけて「アイヌ教化」をはかった上、さらに当時アイヌと和人漁師の
対立が激化していたのを見、反乱が発生した場合女子供は避難の足手まといに
なることからこのような伝説を流布せしめ、女の定住を妨げていたらしいのです。
ともあれ江戸時代通じて積丹以北は女人禁制、就航の際は船内を厳重に検め、
出帆あとでも女が発見された場合は出戻りでした。
民謡「江差追分」の一節

忍路高島およびもないが せめて歌棄磯谷まで

は、北の魚場に向かう漁師に恋人が
「神威岬越えた忍路高島の魚場までとはいかないが、せめて手前の歌棄までは
あなたについて行きたい」と歌ったものだとされております。
歌は「怨みますぞえ お神威様よ なぜに女子の足止める」と続きます。

273 :旭川:03/02/10 21:35
旭川にも神話ありますか?

神居、西神楽、神楽、神楽岡、
神がたくさんつく町がありますけど

274 :天之御名無主:03/02/10 21:48
しかし明治になって開拓が本格化すれば、この伝説は大変な障害と
なりました。開拓に家族の動向は必要不可欠、しかしその家族が伝説を恐れ、
神威岬沖を通ろうとしないのであります。
そこで幕臣だか開拓使の役人が妻子を伴って神威岬を通り、岩に銃弾を
打ちかけ、「祟りを破って」見せたりしたがたいした効果はなく、
開拓民も地元の漁師も祟りにおののくばかり。
明治半ば、業を煮やした役人はカムイ岬から離れたここも祟りの場として
有名な小樽のオタモイ海岸に軍艦で押しかけ、祟りを滅ぼすべく
砲弾を放ったのであります。しかし弾はおおきく反れて祝津の民家に
着弾、無関係の漁師の娘が爆死する悲劇となりました。

祝津の海岸には今でもその事故を批判する、遺族の怨みの石碑が建てられて
おります。

275 :天之御名無主:03/02/10 21:55
>273

旭川の神楽の語源はアイヌ語のヘッチュイウシ
ヘッチュイとはユーカラの調子を取ること。
ここで神がユーカラを語ったという伝説を日本的に意訳したものです。

276 :天之御名無主:03/02/10 22:00
積丹神威岬は北海道観光のメッカ、今では女人禁制の伝説は遠く、
海岸は全国からの観光客でにぎわっております。

積丹、シャコタンはアイヌ語の「シャック・コタン」(夏の村)が由来。
夏は烏賊と雲丹の旬、それを求めて観光客は集います。

277 :天之御名無主:03/02/14 15:26
シャブ警部、クビになる。北海道警、懲戒免職処分に
http://choco.2ch.net/test/read.cgi/police/1026528104/l50
銃摘発は自作自演 稲葉元警部、公判で供述
上司「1丁上げろ」→ロッカーに隠し同僚発見
自宅の拳銃「報告済み」
http://mytown.asahi.com/hokkaido/news02.asp?kiji=4412
「やらせ捜査、上司も承知」 稲葉元警部、被告人質問で供述 拳銃70丁摘発装う
http://www.hokkaido-np.co.jp/Php/kiji.php3?&d=20030213&j=0022&k=200302134813
崩れた道警のシナリオ−稲葉被告供述 内部調査覆る 元上司事情聴取へ
http://www.hokkaido-np.co.jp/Php/kiji.php3?&d=20030214&j=0022&k=200302145256
上司も承知の自作自演
http://www.htb.co.jp/news/index.html#pm02
やらせ捜査…稲葉元警部が暴露
http://news.hbc.co.jp/news0214775.html
拳銃摘発は自作自演
http://www.stv.ne.jp/news/search?idno=20030213191027

 
  

278 :いやいやするチンコ爆笑:03/02/14 20:13
15>パナンペは川氷に穴を開け、そこにチンチンを差し込んで置きました。
17>ある天気の良い日のこと、パナンペが浜辺に出てチンチンをしごきますと
27>そこでチンチンを口でくわえ揚げ、枕元に供えて寝ました。
32>おまんこの穴だけ残して生き埋めにし・・・自分だけで家に帰りました。
パナンペって良いお爺さんじゃないような気がする。

279 :天之御名無主:03/02/17 19:36
パナンペは正直じいさんと言うより知恵者だからね。

積丹神威岬の灯台、突端に行くには、現在では岬基部の草内集落から伸びる
よく整備された道路を行けばいい話。
しかしそれ以前は、草内の土産物屋の脇から伸びる、ゴロタ石の道を杖にすがりつつ、
激浪とフナムシにおびえつつ足を惑わせつつ歩く波打ち際の道しかありませんでした。
そうして進み、ワクシリ岬の断崖に穿たれた手掘りのトンネルを抜ければ視界が開け、
目の前には水無の立岩、彼方には神威岬の灯台と神威岩が見渡せる。そして断崖に
取り付けられたつづら折りの階段を登って漸く岬の灯台にたどり着きます。
このワクシリ岬のトンネルは「念仏トンネル」と呼ばれております。
大正元年、灯台職員婦人が草内の集落に天長節の祝いの買い物に行き、その帰りに
波に浚われて命を落としました。この事故を受け、灯台では安全な道を確保するために
ワクシリにトンネルを穿つことに決めました。
しかし専門の職人を頼むわけにもいかず、灯台職員が暇をみて鶴嘴で掘るものだから
工事は遅々として進みません。あまつさえ碌に測量さえしていなかったものですから
一年の工事の末に漸く貫通したトンネルは内部で大きく食い違い、太陽の光も届かない
暗黒のトンネルになってしまいました。
トンネルの開通で職員の安全道は確保されましたが内部はあまりにも暗く、通る際は
不安で思わず念仏を唱えてしまう・・・・
そんなわけで、このトンネルを「念仏トンネル」と呼ぶようになったのです。

ちなみにトンネル出口の「水無の立岩」は地元のユースホステルの職員からは
「女の一生岩」などと呼ばれております。
トンネル出口ではスラリとして見えるのに、離れるにしたがって横に膨れて見えるからです。
(詳しい説明不要だね)

280 :天之御名無主:03/02/17 20:18
草内集落の隣の来岸集落の地名語源は
アイヌ語のシシャモライケウシ(和人を殺したところ)。

ここで忌まわしき事件があったからと申します。

ここの宿屋「運上屋旅館」の厚焼き玉子は美味かった。

281 :天之御名無主:03/02/19 20:12
積丹岬の基部の島武意海岸の傍らに「女郎子岩」という
着物姿の女に驚くほど良く似た岩があります。
伝説では、義経に捨てられたアイヌ娘、シララが身投げしたのが
岩になったと言われております。
神威岬のチャレンカといいこのシララといい、義経は女ぐせが悪かったのですな・・・

しかし本来のアイヌ伝説ではこの岩を「シケオショラウシ」(荷を捨てたところ)といい、
神が邪魔な岩を捨てたものだとされています。
「シケオショラウシ」が訛って「女郎」になったのです。

282 :あぼーん:あぼーん
あぼーん

283 :天之御名無主:03/02/22 21:48
積丹の山中にはラップトッコニという翼のあるマムシが住んでいると申します。
この蛇は積丹に自生する幹に斑点のある学術的に貴重な「積丹竹」と関係あるそうですが
どのような関係かまでは伝承が途絶えて不明です。

当丸沼には、昔大蛇が住んでおりました。海に下って竜になることを願っておりましたが、
銚子口の桂の大木が邪魔して下れません。
そこで麓の村の若者に夢を見させて切り倒してもらい、めでたく海に下ったそうです。

284 :天之御名無主:03/03/12 21:14
【疑】室蘭の行方不明女子高生、パナンペのチンチンに攫われた?【惑】

285 :山崎渉:03/03/13 13:01
(^^)

286 :天之御名無主:03/03/17 19:45
age

287 :山崎渉:03/04/17 09:33
(^^)

288 :山崎渉:03/04/20 04:48
   ∧_∧
  (  ^^ )< ぬるぽ(^^)

289 :天之御名無主:03/04/23 19:49
山崎に異様に好かれている・・・・



290 :天之御名無主:03/05/10 21:33
積丹町最大の集落美国、ここでかつてアイヌ同士の戦がありました。
負けたほうの集団は茶津部落との境の洞窟に身を隠しておりましたが、
ある女が用便のために洞窟から出たところを発見されてしまったのです。
敵方から激しく攻められた一同は出るに出られず、全員餓死の悲劇!
後に江戸の安政年間、進出した和人が石垣用の石材を採りにこの洞窟に入った
ところ、多数のミイラを発見したと申します。

隣の古平町、例の平成八年豊浜トンネル崩落事故で有名になったこの町の
海岸には「セタカムイ岩」という岩があります。
伝説によれば、文化神オキクルミに置き去りにされた犬が主人を慕って
遠吠えをするうちに犬になった物と申します。

291 :天之御名無主:03/05/10 22:02
さらに隣の余市町、ここの海岸の蝋燭岩は文字通り細長い岩、
かつて神として崇拝されておりました。
ところがある娘が知ってか知らずかこの岩に登ったので神は怒り海は大荒れ、
シュマトマリのコタンなどは全滅しその挙句大不漁、人々は飢饉に迫られました。
そこで巫女が祈ったところが、娘が岩を汚したことが判明しましたので
イナウを捧げて一心不乱に祈ったところが、岩の中ほどに明かりが灯りました。
神が怒りを解いた印なのか、それからはまた豊漁に恵まれるようになったとのことです。

また、あるとき外国の神が「積丹半島はウリナラの領土ニダ!」
と言ったのかは不明ですが、嵐に紛れて積丹半島をもぎ取ろうとしました。
そこで神々は大綱で半島を蝋燭岩に繋ぎ、半島を守ったので異国の神も
ついに諦めたとのことです。

(外国の神とはサンタン『満州』の神であり、朝鮮の檀君ではございません
念のため)

292 :動画直リン:03/05/10 22:20
http://homepage.mac.com/hitomi18/

293 :天之御名無主:03/05/12 15:05
うーむ、このスレはリアル道民の俺も知らない話ばかりでおもろい。

294 :天之御名無主:03/05/15 20:40
余市町に妻に先立たれ、侘しく寡男暮らししている男がおりました。
ある日沖に出て漁をしておりますと、シリパ岬の断崖下の磯で海苔採りしている女を発見!
しかしとても人がいけないような場所で海苔を採っているのは妙なので様子を伺っておりますと、
その女は死んだはずの妻ではありませんか!
大喜びで船を漕ぎ寄せて磯に上がり呼びかけると、妻は後も見ずに逃げ出し、
コタンの衆からは恐れられている洞窟に走りこみました。男は妻恋しさのあまり
夢中で洞窟に入ります。
不思議なことに洞窟内は明るく、そして大きなコタンがある。そこにいるのは
不思議なことにすでに死んだもの達ばかりです。いぶかしがりながらも
妻を探しておりますと、突然あらわれた老人に
「ここはまだおまえのくる場所ではない、帰れ!」と凄まれ、ついに追い出されてしまいました。
男はコタンに帰り着きましたが、それきり腑抜けのようになり、若死にしたということです。
コタンの衆は、例の洞窟はあの世の入り口である、として一層恐れるようになったのでした。

余市(よいち)の地名語源はアイヌ語のイオチ(それがいるところ)の意。
それ、とはアイヌが不吉なものとして恐れた蛇のこと。
恐れるあまり口にするのも憚って「それ」と呼んだのでした。


295 :あぼーん:あぼーん
あぼーん

296 :天之御名無主:03/05/23 20:19
今ではその痕跡すら定かではありませぬが、かつて石狩川の河口にメノコシュマ
(女岩)という岩がありました。この岩は石狩の長エレクシュイの娘が
虻田コタンの長サカナに振られ、悲しみのあまり岩になったものと申します。
サカナは虻田の生まれではなく、十勝の国の生まれ、戦乱を避けて虻田に
来て住み着いたとのこと。別にマサチューセッツ州インスマウスの生まれでは
なかったようです。超人的な人物、虻田から日本海側の余市まで歩いて行き、
その日のうちにまた虻田まで帰ってきたとのこと。
そのサカナが支笏湖畔の恵庭岳に熊狩りにいき、そこで吹雪に巻き込まれました。
運良く狩小屋を発見し、難を避けておりますと中で美しい二人の娘が
凍えておりました。

297 :天之御名無主:03/05/23 20:35
サカナが火を焚き、イナウを捧げて娘の回復を祈っておりますと戸外で
凄まじい唸り声がする。見ると巨大熊がこちらに襲い掛かって参ります。
一矢で仕留めますと奇妙なことに嵐は収まり、娘二人は蘇生しておりました。
二人は石狩川河口に住む長エレクシュイの娘、アツシの材料の皮を剥ぎに
山に入って吹雪に巻き込まれたとのこと。
サカナは二人を背負って石狩川河口の家に無事に送り届けました。
エレクシュイ夫妻は大喜び、サカナをもてなし、宝物を差し出しました。
しかしサカナのほうでは受け取らない。そこで姉娘を土産として
連れて行くように言いましたが、
「人助けをしたのに娘を土産にするのは恥、改めて迎えにくるから」
と、辞退して帰ってしまいました。
そしてそれっきりだれにも娘のことは語らなかったのです。

298 :天之御名無主:03/05/23 21:12
さて、石狩川のエレクシュイ一家はサカナの来訪を待ち焦がれていたが
音沙汰がない。そこでついに使いを出し、嘘を伝えたのであります。
「娘はあなたに恋焦がれて死にました」と。
さすがにサカナも気の毒に思い、贈り物を舟に積んで太平洋沿岸を航海、
勇払川を遡って美々の湿地帯を抜け、分水嶺を越えて千歳川を下り、
石狩川に入りました。
ところが河口近くまで来ると死んだはずの姉娘が洗濯をしている。
しかしサカナは何食わぬ顔でエレクシュイ宅を訪問、丁寧に悔やみの言葉を
のべましたので、エレクシュイは仕方なく真相を告げ、許しを請いました。
するとサカナは憤然として
「音に聞こえた石狩の長が人をだますような真似をするのは石狩の
名折れ、我はそなたの娘は嫌いではないが、このような嘘吐きの
娘をもらうのは虻田の名を穢すことになる」
と、言い放って断ったのであります。
エレクシュイ夫妻は言葉もなく、先祖伝来のありったけの宝を出して
謝りましたのでサカナはそれを舟に積んで岐路に就きました。
さて、真相を知った娘は泣きながらサカナの舟を追い疲れて岩になって
しまったとのこと。
これがメノコシュマ、女岩の由来です。

さて、こうした冷たい行いの報いか、サカナは死後地獄に堕ちて
蛙にされてしまったと伝えられております。

299 :あぼーん:あぼーん
あぼーん

300 :葦原の瑞穂の国:03/05/23 21:33
300はわが手に!

301 :私もアイヌ:03/05/24 13:42
再開オメ!
PC直ったのかな?

302 :天之御名無主:03/05/24 19:19
しげじろう半

303 :天之御名無主:03/05/25 01:37
おれ沙流川流域の出身なのに、全然こんな話知らなかった…( ´Д⊂ヽ
変な漢字が当てはめられて今も残ってる地名が多いですね。

304 :天之御名無主:03/05/26 21:57
石狩川の河口から4キロほど川上、今の茨戸川の辺にかつて六抱えもある
ヤチダモの大木があり、アイヌたちから御神木として崇拝されておりました。
そのむかし石狩川の大洪水で流域のアイヌがほとんど溺死したさい、この木に登った
者だけが生き残りました。彼らはその後各地に分散してコタンを再興しましたが、
命を助けてもらった礼としてこの木の傍を通る際は必ずイナウを捧げたのでした。
この木も明治の初めころに倒れて朽ちてしまいましたが、それでも
人々はイナウを捧げ続けたと申します。

茨戸川に注ぐ発寒川の辺には、小さな小山があります。
これは造化の神コタンカラカムイの墓とも、英雄ポイヤウンペの家来で銭函に住んでいた
オタシュツウンクルの墓とも言われております。

305 :天之御名無主:03/05/28 01:32
                  |~ヽ
              _  ノ   \    _
               |ヽ_/ o  o\_//  / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
             √_  ._  ∀   __.( < 風の中のすばる〜
              ) (.ヽ´\  ./    ̄   \______
             ⌒_   .\/ 
                      ∩_∩
                    ⊂ ̄))) ̄⊃
                     / 0'ヽ 0ヽ
            ∩ /⌒ヽ  ∩ ヽ   i (   / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
  砂の中の  ̄\│⊂ ̄ ̄ ̄⊃  \(∩∩)< みんなどこへいったー?
     銀河〜   > ( ゚∀ ゚)/ |    /    \______
_______/  |    〈  |   |
              / /\_」  / /\」


306 :山崎渉:03/05/28 14:51
     ∧_∧
ピュ.ー (  ^^ ) <これからも僕を応援して下さいね(^^)。
  =〔~∪ ̄ ̄〕
  = ◎――◎                      山崎渉

307 :天之御名無主:03/05/28 23:07
あげ

308 :天之御名無主:03/05/29 20:48
今から二〇〇年ほど前、石狩川河口に近いピトイのコタンは水陸の幸に恵まれ、
村おさのイショウシクルエカシも立派な人物で、平和に治まっておりました。
しかし、春の融雪、夏の台風ではいつも洪水に悩まされておりましたので
安住の地を求めて河岸を探索しておりました。
途中で熊に襲われたりはしたものの、茨戸の蛇行地帯から発寒川に入って、
遡るうちについに適地を発見、村をあげて移住しました。

サッポロ周辺に人が住み着いたのはまさに是が最初と申します。

サッポロの地名語源はアイヌ語のサッポロペツ(乾いた大きな川)が由来、
豊平川の扇状地を表わした言葉です。

309 :あぼーん:あぼーん
あぼーん

310 :天之御名無主:03/05/30 21:05
札幌市の西南に聳える夜景の名所、藻岩山はアイヌ語でインカルシペ(いつも物見する)
といい、人々がイナウや酒を捧げる神の山でした。
山の中腹にはカムイシュネといって神が灯火を点ずるといい、そして山鳴りがあるときは
吹雪、暴風雨、疱瘡の流行の前触れとして人は警戒したと申します。
もし狩や山菜取りの最中でも人々は山鳴りを聞くと逃げ帰ったものでした。
そして伝染病流行の際はこの山が安全として皆で山中に避難したと申します。

ところで、本来インカルシペと呼ばれたこの山が何故今現在は「藻岩山」と呼ばれるか?
もともとモイワとはアイヌ語で小さな岩山の意、本来は隣の円山のことでした。
しかし明治時代に開拓使の役人が名前を取り違え、インカルシペがモイワとして
定着してしまったのでした。


311 :天之御名無主:03/05/30 21:22
札幌周辺の山の最高峰、北大寮歌「都ぞ弥生」にも歌われる手稲山のアイヌ語名は
「タンネウェンシリ」(長くて悪い山)。
この山には義経伝説と付随した財宝伝説があるそうですが、
どんな話だか失念しました。

豊平川の水源の札幌岳の山頂には、その昔奇妙な木が生えておりました。
葉に艶があり、揉めば芳しい芳香を発する。そして何より冬のさなかにも
葉が落ちず年中緑・・・。
江戸の文化年間にあるアイヌが魚場の役人にその葉を取ってきて見せたところ、
それが「楠」であることが判明しました。恐らく神が内地から運んできて
植えたものだろう、と皆で語り合ったとのことです。

しかし、この文章を書いている私が平成三年に実際に上ったところ、
そのような木は無かったと記憶しております。
やはり常緑樹に北海道の気候は合わないのでしょうか?

312 :天之御名無主:03/06/06 19:27
札幌に開拓の鍬が入れられたのは明治初期。
当時は街は急ごしらえの草葺小屋だけでしたので、町並みを整えるために
夫婦者の入植者には住居建築料として100円が貸し出されました。
独身者でも他人の女房を借りて申請をすれば多めに見られて貸し出されましが、
彼らはそれを家作に回さずに使い果たし、今までどうりの草葺小屋にすむ。
業を煮やした役人は「御用火事」の幟を携えて、草小屋を片っ端から焼き払ったと
申します。

開拓地には男ばかりでしたから、夫婦者の開拓民が入植するととかく男女関連の
揉め事や姦通が後を断ちませんでした。
そこで姦通が発覚した際は見せしめとして男女とも全裸にされた挙句四つん這いで
道を歩かされたと申します。
ひどい物で、この姦通の四つん這い見物は当時の市民の数少ない娯楽であったと申します。

さて、姦通が頻発するのは女がいないから。
そこで開拓判官の元土佐藩士、岩村は当時文字通りの草原だったススキノに
官営の遊郭、「東京廓」を作りました。現在のススキノ歓楽街の基礎であります。

さて、豊平川の上流、南区の簾舞あたりには「おいらん淵」というところがあります。
ススキノ遊郭を足抜きした女郎がここで身投げしたからだと申します。

313 :あぼーん:あぼーん
あぼーん

314 :天之御名無主:03/06/18 23:59
在るアイヌが丸木船で石狩川を遡り、日暮れになりましたので岸に上がり、
火を焚いて野宿しておりました。
するとやはり川下から何者かが大勢で船を漕いでさか上ってきますが、
そのかけ声が

フワイー フワイー 
ヘッチョ ヘッチョ 
と、奇妙な声なので旅人は水の上に延びている枝の上に身を隠して様子をうかがっておりました。
すると、船を漕いできたのは頭の禿げた子供のような奇妙な姿の者ども。
水に映った旅人の姿を見て、捕まえようと何度も川に飛び込んでおりましたが
捕まえられるはずがなく、やがて夜明けになったのでどこかへ立ち去ってしまいました。

これは、河童のミントチカムイだということでした。


315 :安東尚美:03/06/20 09:46
         ∧_∧                  ∧_∧
        ( ´∀`)                 (´∀` )
        /,   つ┳━━━━━━━━━━━┳⊂  、\
     (( (_(_,. )┃  >>1は馬鹿(本物)   ┃ ( ._)_) ))
         しし'  ┻━━━━━━━━━━━┻  `JJ


316 :天之御名無主:03/06/20 11:41
大学は単位制高校同様に無学年であり途中留年はなく
途中留年は違法である
途中留年経験者は大学に1回に付き200万円の損害賠償を請求できる
大学は謝罪して慰謝料と学費下宿代を加えて計300万円返還せよ


317 :_:03/06/20 11:55
http://homepage.mac.com/hiroyuki44/

318 :天之御名無主:03/06/20 12:39
面白いので、ひっそりと応援sage

319 :天之御名無主:03/06/20 21:11
江別市のあたりには、その昔大層根性曲がりの老人が住んでおりました。
自分の髭に綱を結びつけておいて、その綱を石狩川に張っておいて
知らずに通りかかった舟がその綱に触れると

「誰だ俺の大切な髭を引っ張る奴は! 謝罪と賠償を・・・(以下略)」

などと喚き散らし、賠償を取って生活しておりました。
このあたりに沢山住んでいたコロポックルたちがあるときわざと
舟を綱に引っ掛けてそのまま前進老人が痛がろうが喚こうが引きずって
川に沈め、老人を反省させたことがございます。

しかし少し経てば元の木阿弥、根性曲がりが直るはずがない。
ついに水汲み場に毒矢を仕掛けられ、心臓を射抜かれてしまいました。
しかしそれでも死にきれず、心臓に毒矢が刺さっていることを指摘されてから
ようやく納得して死んだと申します。

320 :_:03/06/20 21:29
http://homepage.mac.com/hiroyuki44/

321 :天之御名無主:03/06/27 21:28
札幌の南隣に位置する北広島市は、その名の通り広島県出身の移民が
開拓したのが開基、現在は札幌市のベッドタウンです。この開拓時代に
あったと言う怪奇譚。

開拓時代の北広島は千古斧鉞を知らぬ大密林地帯、開拓はその林を伐採し、
焼き払うことから始まります。
さて、開拓民の一人武右衛門の土地には直径2mはあろうかと言う
春楡の大木がありました。現在ならば銘木店が高値で引き取るでしょうが
開拓地では無用の長物、伐って焼き払うしかない。しかしこんな大木、
とても人力では倒せない。そこで焼き払うことに決め、根元に大量の
枯れ木を積んで火を放ちました。
 


322 :天之御名無主:03/06/27 21:48
火はたちまちに大木を包みます。
さて、その晩武右衛門が寝ておりますと妙な夢を見ました。美しい女が
現れ、「火を消して下さい」、と哀願するのです。妙な夢を見たものだ、
といぶかしがりながらも火を消すわけにはいかない。
次の晩もまた女が現れ、火を消してくれと哀願する。女の容貌が多少
衰えている。その次の晩もまた同じ。女はどんどん容貌が衰え、
ついには白骨同様の姿になってしまいます。
春楡の火は七日七晩燃え続けてようやく消えました。
連日連夜の悪夢に悩まされ続けた武右衛門が春楡の焼け残りを調べてみますと、
中の洞に大蛇の白骨死体がありました。あの女は蛇の精だったのであります。

祟りを恐れた武右衛門は骨を祀り、近隣住民は木の焼け残りに
祠を作って「大蛇神社」として祀りました。
しかし武右衛門の三人の息子はみな夭折して跡継ぎが居なくなり
結局彼は土地を手放してしまいました。

後にこの土地に入植した一家も、大蛇の祟りか、牛の育ちの悪さに
悩まされておりましたが、蛇の好物と言う酒と卵を供えて祈ったところが、
少しは運が向いてきたと言うことです。


323 :天之御名無主:03/07/04 18:44
天皇陛下様、今日は北海道で不敬な目に会われて大変でしたね。

さて、本日は趣向を変えて札幌市内の心霊スポット紹介。

中央区ではすすき野の「赤いスポーツカーに襲い掛かる老婆の霊」、
清修高校の、「開かずの部室の人影」
宮の森の小別沢トンネルの怪など。

北区では、茨戸川のボート部員を襲う人魂。北大研究室のポルターガイスト。
石狩街道の運転者の首を絞める手。代々木ゼミナール寮の霊。

西区では、霊の集まる平和の滝。地下鉄琴似駅ホームの首なし男。
昭和60年に両親殺害事件があった家。

手稲区では、霊のさまよう星置の滝。白いセリカとテケテケが襲う手稲山の
山道。稲穂地区で後部座席に乗り込む家族連れの霊。

南区では中山峠の血まみれ男。滝野公園の幽霊ロッジ。

豊平区では西岡水源地水面に浮かぶ無数の手。里塚霊園の幽霊電話ボックス。

白石区では有名な米里のお化け屋敷などなど。


324 :天之御名無主:03/07/05 02:51
学生時代、岩波文庫のアイヌ神謡集を読んでいました。

梟などの動物の中にいる神様が、その動物が殺された時、
「気がついたら私は耳と耳の間にいました」っていうのが
何度か出てきました。
「耳と耳の間」という感覚が不思議な感じがして、印象に
残っています。

325 :山崎 渉:03/07/15 12:30

 __∧_∧_
 |(  ^^ )| <寝るぽ(^^)
 |\⌒⌒⌒\
 \ |⌒⌒⌒~|         山崎渉
   ~ ̄ ̄ ̄ ̄

326 :天之御名無主:03/07/15 21:35
age

327 :天之御名無主:03/07/18 21:31
石狩川の支流、夕張川。
この中流に位置する栗山の町には、かつて呪いの神木がありました。
国道沿いの坂道に聳える樹齢300年ほどの春楡の大木。この木は交通の妨げになる
位置にありながら伐られない。この木には伐ったら祟る呪いの樹であったのです。

明治のころ、この近くにあったタコ部屋で酷使された挙句のたれ死にした
労働者の遺体を根元に埋めたためとも、そのタコ部屋の炊事婦が輪姦され、
それを苦にしてこの樹で首を吊ったからともいいます。
大正時代に道路拡張のためこの樹を伐ろうと鋸を入れたところが、女がすすり泣くように
樹が呻き、鋸が折れてしまう。斧で伐りつけると柄が折れ、樵の腰に刺さって惨死。
ロープをかけて引き倒そうとすればロープが切れ、馬が死ぬ。
結局樹を伐ることは無理、そのままで放置されていたのです。
昭和29年の台風で樹は上半分を折られましたが、それでも怪異な姿を
道路際にさらしておりました。
しかし、昭和40年代にまたしても道路拡張計画が浮上、泣く樹の
伐採問題で町は大揺れに揺れました。
そのとき、あるドキュソ作業員が歪んだ正義感か、単なる功名心かわかりませんが
酔った勢いでチェンソーを持ち出し、泣く樹に伐りつけたのであります。
呪いの神木も文明の利器には敵わず、数分で切倒されました。
その後、当然ながら作業員の家庭には不幸が続いて一家離散、完成した
道路は交通事故が多発・・・女性の幽霊を見た、との噂も絶えません。
たまりかねた町では慰霊碑を立て、そばにあった楡の若木を「二代目」として
植え、供養したところがようやく事故は減った、とのことです。

328 :あぼーん:あぼーん
あぼーん

329 :天之御名無主:03/07/18 23:17
どっちかっつーとオカ板むけかも。

御神木が祟るというのはわかりやすいが、呪う御神木はなんとなくイメージが
そぐわない気がする、個人的に。

330 :天之御名無主:03/07/23 21:00
夕張川の水源である夕張岳は古来魔神の住む異境でありました。

さて、寛文5年(1665)に北海道にやってきた円空上人は道南地方各地を
巡り、鉈彫りの素朴な仏像を刻んで行きました。
夕張岳が魔神の住処であることを聞きつけた円空はこの山で修行をつむべく
夕張川を遡ります。しかし険しい行く手についに登頂を諦め、
夕張川筋滝之上のカムイコタンに足を停め、七日かけて一体の仏像を彫り上げました。
円空はその像を川岸の洞窟に納め、次の目的地千歳を目指します。
ところがその夜に大雨が降り出し、山津波が発生、仏像は襲われ流されて
川を下り、千歳川に流れ込み、なぜか千歳川を遡ってしまいました。
さて、千歳にやってきた円空は自ら刻んだ像が先にやってきたことに驚き、
堂を建てて改めて像を祀りました。これが千歳の弁天堂の由来です。

さて、ソースとした本、
『北海道おどろおどろ物語』合田一道 著 幻洋社平成七年発行
では、
「古来から知られた霊山夕張岳には、かつて役の行者、行基、空海も登頂を試みたが
願いかなわず・・・・」

などとありましたが、いくらなんでもこれは・・・
山野さんあたりが答えてくれないかな。

ちなみに話のおおもとは松浦武四郎の記録だそうな。

331 :天之御名無主:03/07/23 21:05
ちなみに、夕張の奥にはトムンチコタンという、
熊でも狸でもカワウソでも蜂でも、この世でありとあらゆる悪事を働いた
悪者悪動物ばかりが住む村が」あるということです。

332 :天之御名無主:03/07/23 21:21
>>324
「耳と耳の間」はアイヌ語でアラハバキとか言うらしいぞ。
アラハバキ神のルーツはここにあるとか聞いた。

333 :山野野衾 ◆F6mxNHihgE :03/07/23 23:06
平取の奥にもあるそうです。>祟る木
>332
『津軽〜』自体が偽書ですが、元ネタということですか。

334 :天之御名無主:03/07/24 23:30
>>332
『神謡集』原文はそうなってないみたいですよ。

335 :天之御名無主:03/07/25 00:12
オカ板から流れてきたけどこんなスレがあったんだ・・・
俺もガキの頃はオキクルミやらサマイクルやらが出てくる昔話の本読んでますた。
子供向けの古典シリーズの中にあった「怪鳥フリュー」とか「ひとつぶのサッチポロ」とか。
こういうアイヌ独自の話や、義経伝説に代表されるような和人の影響の濃い伝説が
ごちゃまぜになってるところが北海道の神話・昔話のいいところですな。

義経伝説って先にアイヌ側に元となる話があって、それを和人側が巧いこと義経と結びつけて
今に残るような話になったんでしょうか?和人の教化策もあったんでしょうが、
和人の創作だけでは後々までアイヌ民族の間で語られることもないでしょうし。
まあ、ドゴンのシリウスB伝説みたいな例もありますけどね(w

336 :天之御名無主:03/07/25 22:56
>>101
大きな本屋だったら民俗学とか地域史とかのコーナーにアイヌ関係の本がまとめておいてあってアイヌ語の文献も結構置いてるよ。
あとは言語学とか語学、日本語の方言のコーナーにちょっと置いてあることもあるね。
神保町の地方出版の本屋・書肆アクセスにもまあまあ置いてるかな。
でも大部分は取り寄せだね。
それから北海道の古本屋が結構そろえてて電話とかネットで買えるよ。

337 :あぼーん:あぼーん
あぼーん

338 :あぼーん:あぼーん
あぼーん

339 :神居古譚:03/07/26 23:44
神居古譚の幽霊話を、きかせて。
春志内トンネルがすぐそばにありますが、開通後、幾人交通事故死していることやら。
開発局は、ヒタ隠す事情とは?

340 :天之御名無主:03/07/27 00:10
函館本線旧線あたりには何か逸話がありそうですな>神居古潭

341 :天之御名無主:03/07/27 00:58
舟で通っていたときから難所なので神居古潭なわけだが

342 :天之御名無主:03/07/27 01:10
このスレは今石狩川遡っているところですから、旭川まではしばらく待って下さい。
それに神居古タンの伝説は話者によって伝承がことなるので、一々紹介しないと
いけないし。
ただ、

魔神が石狩川をせき止めようとしたので英雄が退治した

という点では共通しています。

ちなみに春志内(はるしない)の語源はハルウシナイ(食べ物が沢山ある川)。
このあたりが山菜の宝庫だったからです。

343 :天之御名無主:03/08/01 20:29
岩見沢市はかつて開拓史の役人がこの地で湯浴みをしたので
「湯浴み沢」から岩見沢の地名になった地。ここには北海道には珍しく
「橋姫」の伝説があります。

この地では大小の河川があまた在るものですから、数多くの橋が架かっておりました。
某集落でも橋を架けたが、なぜか大雨の度に流出してしまう。
考えあぐねた末に橋のたもとに祠を祀って参拝し、それから再度工事を行います。
工事は順調に進みましたが、村人は流出が心配で深夜の見回りをしておりました。
すると祠から神々しい女が姿を現し、橋を渡って祠に戻るのを何人もの衆が目撃しました。
橋は無事に完成しましたが、村人は橋姫さまとして篤く信仰したと申します。

岩見沢と北村の境にはかつて大きな沼があり、ヌシが棲むと恐れられておりましたが
今はありません。

344 :ぼるじょあ ◆ySd1dMH5Gk :03/08/02 03:14
     ∧_∧  ∧_∧
ピュ.ー (  ・3・) (  ^^ ) <これからも僕たちを応援して下さいね(^^)。
  =〔~∪ ̄ ̄ ̄∪ ̄ ̄〕
  = ◎――――――◎                      山崎渉&ぼるじょあ

345 :あぼーん:あぼーん
あぼーん

346 :天之御名無主:03/08/06 21:34
三笠市の幾春別川に「魚染めの滝」という滝があります。
明治後期、この辺に立っていた大木を切り倒したところが、
それが大蛇の棲家だったものですから一大事、祟りで川では水死人が絶えません。
慄いた人々は側にあったヤチダモの大木を新たに神の木と定めて祠を建てて祀り、
一応無事に治まりました。
しかし大正年間、地元の旅館、羽村屋の主人がこの木を伐り、売却しようと
したのであります。周囲の人々は祟りを怖れて諌めますが、聞く耳もたない。

さて、早速鋸を入れたところが、切り口からなんと鮮血が噴出したのであります。
人々が呆気に取られていると切り口からなんと白蛇が飛び出し、女将の股に
もぐりこんだからたまらない。

女将は病に倒れ、売れっ子芸者は売上金を持ち逃げ、客足は遠のき、
ついには不審火で全焼・・・
一人残った主人は滝の側に小屋を建てて朝晩竜神を拝みましたが、
生活が持ち直すことはにどとありませんでした。

347 :_:03/08/06 21:40
http://homepage.mac.com/hiroyuki45

348 :直リン:03/08/06 21:42
http://homepage.mac.com/maki170001/

349 :山崎 渉:03/08/15 18:32
    (⌒V⌒)
   │ ^ ^ │<これからも僕を応援して下さいね(^^)。
  ⊂|    |つ
   (_)(_)                      山崎パン

350 :天之御名無主:03/08/20 22:49
石狩川の上流から、「旭川」「深川」「滝川」「砂川」の地名がありますが、
これらは皆アイヌ語の地名を日本語に訳して命名されたものであります。

旭川は「チュプペツ」(東の川)、深川は「オオホナイ」(深い川)
滝川は「ソラプチペツ」(滝が架かる川)、砂川は「オタウシナイ」(砂のある川)。
そしてアイヌ語の原語は市内の川の名として当て字されて残っております。
旭川は忠別川、深川は大鳳川、滝川は空知川、砂川は歌志内川。

さて、このうちの空知川をさかのぼると、有名な富良野の町があります。
地名の語源はアイヌ語の「フラヌイ」(臭いがする)の意味。臭いといっても
ラベンダーの芳香ではない。温泉の硫化水素の悪臭です。意味のよい当て字に
だまされてはいけません。

ちなみにこの富良野、「北の国から」が有名になるまえの名物は、
「北海道の地理上の中心」ということで、腹に顔描いて歌い踊る「へそ踊り」でしたw

351 :あぼーん:あぼーん
あぼーん

352 :あぼーん:あぼーん
あぼーん

353 :天之御名無主:03/08/22 11:54
知里幸恵の「アイヌ神謡集」の翻訳文は本当に美しいですね。
人気の高さも理解出来る。
彼女の夭逝は本当に惜しまれます。
アイヌ文学のみならず日本語文学に於いても大きな損失でしょう。

354 :天之御名無主:03/08/29 20:28
空知川流域の赤平のあたりで、創造の神コタンカラカムイが熊に襲われて
大怪我をしてしまいました。
知らせを受けた神の妹は泣きながら兄のところに駆けつけます。
その際、嗚咽のあまり唾を吐いたところが、それが白鳥になって妹の泣き声と
同じ鳴き声で飛び去っていきました。
さらに走り続けて洟水をかみ捨てると、水洟は萱になり、硬い洟は鬼萱に
なります。
やっとの思いで兄のところに辿りついてみますと、兄の怪我は案外軽かったので
二人は天に帰ることに決め、思い出として自分たちが使った品物は全て
地上においてゆくことにしました。

妹の貞操帯は蛸に変わり、モウル(鹿革の肌着)は亀になり、陰毛はノガリヤスという
草になったということです。

355 :天之御名無主:03/08/31 04:17
石狩川支流の雨竜川の流域で、巨鳥フリーに村人が浚われる事件が続発、
村の衆は外出も出来ずみな困り果てておりました。
その折り、体格は良いが多少頭が足りない若者が村おさの家を訪れ、
「俺がフリーを退治してやるから、頭巾と小袖を貸してくれ」と、申し出たのであります。
村おさは訝りながらも、とりあえずその品物を貸し与えました。
若者はフリーが住むという岩山に上りますと、枯れ木に頭巾と小袖を被せて
囮を作り、自分は物陰に隠れて待っております。
すると案の定フリーが飛んできて、発見するやいなや飛びかかって爪を立てる。
若者はすかさず刀でフリーの足をなぎ払えば、フリーは血の雨を降らしつつ
日高の鵡川の方角に落ち延びて行きました。

ともあれ、フリーが雨竜の地名由来、だということです。

356 :天之御名無主:03/08/31 15:20
雨竜川の上流には、キムンアイヌという妖怪が住んでいると申します。
雨竜沼の三つ又の奥にはウツという山があり、さらにその辺にある沼には
人など住んでいるはずがないのに人の声がしたり、筏が組まれていたりする。
また、二股とワッカウェンベツの間の蝦夷松林にもキムンアイヌが住んでいると申します。

ある冬の日のこと、狩人が雨竜川の川上に狩りに行ったときのこと。
森の中で三人が焚き火をしておりましたので、近寄ってみましたが人影は
かき消すように消えてしまいました。あとにはただ三張りの弓が残されているばかりで
あります。しかも奇妙なことには、雪の上で火を焚いていたのに雪が全く融けておらず、
雪の上に彼らの足跡さえ着いていないのです。
狩人は不審がりながらもその弓を村に持ち帰りましたが、それからは不思議と
猟に恵まれるようになったということです。

このキムンアイヌは性質が凶暴なものですが、煙草が大好きで、これを与えると大喜び、
決して悪さはいたしません。
そこで、奥地に分け入る狩人は用心のために必ず煙草を持参したと申します。

357 :天之御名無主:03/08/31 16:13
雨竜川の源流には、日本最大の人造湖、朱鞠内湖があります。
シュマリナイとは、アイヌ語で「狐の川」の意。

ここは戦時中に作られたダム湖、哀れなタコ労働者の人魂が出る、
北海道有数のミステリースポットです。

358 :天之御名無主:03/09/01 12:59
石狩川と雨竜川の合流点からさらに石狩川を遡りますと石狩平野から
上川盆地へと入りますが、その関所のごとく立ちはだかっておりまするのが
神居古潭の激流地帯。川が重要な交通路だった時代には、難所として大変に
恐れられた地帯であります。
それゆえに様々な伝説が伝えられておりますが、話者は違えど大概は似た内容であります。
まずは幕末の探検家、松浦武四郎が採録したものから。

太古、魔神が巨石で石狩川をせき止め、上川盆地の住民全員の溺殺をたくらんだ
ことがございました。それにいち早く気がついた熊の神が爪で岩をなんとか半分崩し、
ようやく水が流れるようにします。さて、魔神は企みを邪魔されて怒り、
熊に襲いかかります。
近くで舟の番をしていた創造神サマイクルカムイの妹がいち早く空知の国に走り、
そこにいた兄に急を伝えましたのでサマイクルは駆け戻って熊の神に加勢し、
魔神に斬りつけました。
魔神はこれはかなわじと退散したものの足が泥にはまり、もがいている内に
首を刎ねとばされ、敢えない最後を遂げたのであります。
その首はニッネシャパ(魔神の頭)という巨石になって水際に立ち、
胴は20mほどの岩になって残っております。サマイクルの太刀が勢い余って
周囲の岩に打ちあたった傷はエモシケシといって今も残り、そのそばには
魔神がぬかった跡が深さ三bにもなる岩穴になっております。
そばにはトゥレプサラニプといって、魔神が姥百合の根を入れていた袋までもが
岩になってしまい、現在まで残っております。

いにしえのアイヌはニッネシャパの岩にイナウを捧げて祈り、旅の安全を
祈願したものでした。

359 :天之御名無主:03/09/02 06:14
レス全部読んでないけど
悲恋の話が結構有名

360 :天之御名無主:03/09/02 21:58
近文コタンの石山秋三郎エカシが語るところでは

昔、神居古潭の駅の裏にあるクトネシリの岩山に棲んでいた魔神が岩で石狩川を
堰き止め、上川アイヌを不漁で困らせようといたしました。
そこで春志内のあたりで巨石で石狩川を堰き止めにかかったところが、
サマイクルの妹に発見されてしまったのであります。
跡の顛末は>>358とおなじ。
なお、このときに海の海馬も騒ぎを聞きつけて加勢するべく川を遡りましたが、
その時は既に堰が崩されていたのでそのまま素通りしてしまい、
はるか上流の愛別まで遡ったあげく岩になってしまったと申します。

また、川村ムイサシマツフチが語るところでは、魔神が持っていた姥百合入りの
袋というのは実はサマイクルのもので、それがあるためにこの付近では現在でも
姥百合が沢山取れる、ということです。

門野ナンケアイヌエカシの語るところでは、魔神が棲んでいたクトネシリの岩は
サマイクルケトゥンチ(サマイクルの皮張り枠)といい、サマイクル神が
熊の毛皮を干していたところ、と申します。それを犬が喰ってしまったので
半分欠けているのです。

361 :天之御名無主:03/09/04 18:49
十勝の国は芽室の勝川ウサカラベフチが語るところでは

魔神ニチネカムイが石狩川の中に杭を打って簗をつくり、魚も船も通れないように
してしまったので人々は困り果てておりました。
そこでサマイクルカムイが様子を伺っておりますと魔神は魚獲りの網をこしらえていましたので、
こげた木を焼き魚に見せかけて魔神に勧めたのであります。
魔神がそれをガリガリ齧っている隙に網でグルグル巻きにしてしまい、
魔神がもがいている間に簗を壊してしまいました。

一杯食わされた魔神は仕返しの機会をうかがっておりました。
さて、サマイクルはとがった杭を美しい娘の姿に変え、魔神に勧めたところが
まんまとだまされてしっかり抱いたところが、腹にブスリと刺さってしまったので
あります。杭をどう抱いたら腹に刺さるか、などと考えないように。

ともあれ、こうして魔神は退治され、コタンには平和が戻ったということです。


362 :山野野衾 ◆F6mxNHihgE :03/09/04 19:00
>>354
創造神が熊に・・・?

363 :天之御名無主:03/09/04 21:02
創造の神が不良品を作ってしまった、ということで...

364 :天之御名無主:03/09/05 13:16
川村ムイサシマツフチが語る別の話では

その昔、カムイコタンを舟で通る際は、海の鯱の神レプンカムイに木幣を捧げ、
旅の安全を祈ったものでした。
太古、魔神ニッネカムイが石狩川を堰き止め、魚が遡らず上流の民が困り果てた時、
分水嶺を越した天塩の山の熊神が魔神に挑んだものの敵わず、そこで海の神レプンカムイ、
水神のワッカウシカムイまでもが力を貸してついに魔神を倒したからと申します。
また、トンネルのところにはワッカウシカムイが住んでいた家が岩になって
残っているので、ここにも木幣をあげるのです。

365 :天之御名無主:03/09/05 22:06
いわゆる昔話とはちょっと違うけど…
先日、戦前に出版された「北方文明史話」という本を読んだんだが、
コシャマインの乱の発端となった例の事件について
鍛冶屋の主人→「南部三石村出身の3代目・四郎兵衛」
夷児→「アイヌの不良青年・鬼熊」
とはっきりと名前を記してあった。ちなみに喧嘩沙汰の原因も、
鬼熊に乱暴された四郎兵衛の正当防衛みたいに書かれてる。
他の本では見たことが無いが、この記述は全くの創作なのか?
それとも元になった別の詳しい伝承があったのか?誰か真相キヴォンヌ


366 :天之御名無主:03/09/06 11:45
>>365

そんな話は知らないなぁ。自分が知ってるのはアイヌをただオッカイ(わかもの)と
記録したものだし。

ていうか、アイヌの本スレで聞いたほうが良いと思われ。

367 :天之御名無主:03/09/06 13:16
近江正一氏が採録した話では

太古は石狩平野のあたりが全て海で、神居古潭のあたりで石狩川は海に注いでいました。
河口には石狩アイヌのコタンがあり、川には蝶鮫の神シャメカムイが住んでおり、
このシャメカムイと山の熊の神キムンカムイ、そして石狩アイヌたちは
大変に関係が良かったのです。石狩アイヌが川を遡る際は、必ず船端を打って
石狩アイヌだという合図をしました。この時合図がなければ、シャメカムイは
よそ者だと見なして舟を覆したと申します。
秋に鮭が遡り始めますと、コタンの衆は初物をキムンカムイとシャメカムイに
献上します。この神に守られて平和な生活が出来る、というのでこの地を
カムイコタン(神の村)と呼んだということです。
大抵の伝説では、激流が凄まじくて通行が大変危険、魔神が住むと恐れていたから、
というので意外であります。

さて、ある時に魔神ニッネカムイが大岩で石狩川を堰き止めたことが
ございました。シャメカムイは魔神を捕らえて殺し、岩にしてしまいましたが、
これが今に残るニッネカムイの岩です。
この時の戦で岩が削れて押し流され、海は埋まり、広大な石狩平野が出来たのです。

368 :天之御名無主:03/09/06 14:03
石山秋三郎エカシの語るところでは、神居古潭の吊り橋のところに
ベンザイトゥシコテシララという岩があります。
弁財船の綱繋ぎ石、という意味で、昔ここまで海で弁財船(千石船)が
入ることが出来たので、その綱繋ぎ石があったということですが、
幾ら何でもこれは・・・江戸時代に・・・

369 :あぼーん:あぼーん
あぼーん

370 :天之御名無主:03/09/09 13:06
その昔、創造神サマイクルが熊を捕り、解体して舟に積んでカムイコタンを下っていたところが
舟を覆してしまい、積荷の熊の腸を全て流してしまいました。

その腸が変じたものが石狩川の八目鰻だと申します。

371 :天之御名無主:03/09/09 13:29
カムイコタンと旭川の間に伊能の駅がありますが、ここにはサマイクルカムイの
漁小屋がそのまま岩になって残っており、傍らには天に戻る時に置き忘れたという
姥百合の根を詰めた籠がこれも岩になって残っております。
このためかどうか、このあたりは姥百合掘りの穴場として有名でした。

姥百合(トゥレプ)の球根はかつてのアイヌにとって大切な食料、
初夏に球根を採取し鱗片をはがして良く洗ってから搗き潰し、水を注いで
澱粉を採取します。これは団子にして粥に入れたり、草の茎に流しこんで
蒸し焼きにして食べます。
澱粉滓は醗酵させてドーナツ型にまとめて乾燥させ、戻してから粥の具にして食べます。

372 :天之御名無主:03/09/10 21:10
かつてはペニウンクル(川上の衆)と呼ばれた上川アイヌの長の屋敷、
その神窓に、開けることを禁じられた煤けた茣蓙の包みが吊り下げられておりました。
この中には妖刀が封じこめられていると伝えられ、代々家訓として戒められておりました。

ところがある日のこと、突然にこの包みから閃光が放たれ、家のものはおののくばかり。
その上夜になると光は他所の家にまで届き、魅入られた家のものは
カマイタチにでもやられた様に斬られて惨死、という事件が続発、
コタンの衆は恐慌状態でありました。
驚いた村おさはこの包みを山奥に捨てましたが、家に帰ってくると戻っている。
穴に埋めてもやはりだめ、石狩川で一番の深みに沈めても戻ってくる、
といった具合。そうこうしている内にも村の衆の惨死は増えるばかり。


373 :372続き:03/09/10 21:23
村長が困り果てておりますと神様のお告げ、
「ホトイパウシのアサミサクトの沼のほとりに大きな沼があるから、
そこで祈ればよい」とのこと。
そこで忠別川の河口を探しておりますと、はたして沼と岩が見つかりましたので
祭壇を作って祈っておりました。すると岩が真っ二つに割れて炎が燃え立ち、
中から胡桃をくわえたイタチが現れ、アサムサクトの沼にそれを
落としたのであります。程なく沼は沸き立ちます。村おさは刀を捧げ持ち、
「この刀のせいでわが民が滅びてしまう。この刀を水神であらせられる
あなたに捧げる故、どうかしっかり預かっていただきたい。
刀を受け取った印に、この水面を覆う波を消していただきたい」と
包みを水面に投じたのであります。



374 :372続き:03/09/10 21:32
大きな飛沫が上がり、その波紋が静まるや水面は鏡のように静まりました。
よく見てみますと、水面の沸き立つ波と見えたのは何百何千という子蛇の
大群であったのです。ともあれ、これで刀は二度と戻ってくることは無く、
コタンには平和がもどりました。

この時の沼の大岩は「エペタムシュマ」(人食い刀の岩)として
現在でも残っております。伊納駅と近文駅の中間あたり、
石狩川のほとりの大岩がそれであります。

375 :天之御名無主:03/09/11 13:16
石山秋三郎エカシの語るところでは

昔、ある老人が二振りの妖刀エペタムを所有しておりました。
この刀は少しでも物を食べさせないとひとりでに鞘から抜け出して暴れるので、
何時も刀の箱の中に小石を6つほど入れておきます。こうしておけば一ヶ月は
石を食っておとなしくしております。
しかしその石を食い尽くしてしまえばまた暴れ出す、このままでは自分の命までも
危ない。
そこでアサムサクトの底無し沼に沈めたところが、沼の傍に刀の形をした岩が出現し、
これをエベタムシュマ(人食い刀の岩)と名付けた、ということです。

その岩は上川アイヌの聖地ですが、現在ではロッククライミングの穴場になってしまいました。

魔神がすむカムイコタン、ここは最近では荒れ放題のドライブインの廃墟の
林立地帯、文字通りのカムイコタン「魔神の村」です。


376 :天之御名無主:03/09/11 19:18
石狩川の水源から分水嶺を越えて北見の国。
太古、真冬の厳寒期だというのに雷が轟き、天も崩れ落ちるばかりの豪雨の中、
川氷が割れて流れる網走川を、鎧を纏った子供が氷に乗って下っておりました。
岸の人々が驚いて助け上げ、引き取って養育しておりましたが、不思議なことに
成長が異常に早く、程なく成人して妻を娶り、六人の娘が生まれたのであります。
その娘たちもはや嫁入りの年頃になったころ、父親が不意に言うことには
「われは実は神、この地上の人間を増やす命を受けて天下ったのだ。
おまえたちも年頃になり、わが役目も終わったので天に帰ることにする。
おまえたちは嫁に行った先でも子孫を増やすことを常に心がけて欲しい」、
と言い、娘たちにそれぞれ形見の宝を授けると天に帰ったのであります。
娘たちは父の言いつけどおり子孫繁栄に心がけましたが、その子孫の
爺さんと二人の息子が海で船を漕いでおりますと、不意に鯱の大群に囲まれました。
すると兄の息子は
「我々は天の神の子孫だから、海の神にもならなくてはいけない」と、
海に飛び込むや鯱の神の仲間となりました。
残った爺さんと弟は石狩川の上流、近文のコタンの始祖となったということです。

さて、天の神が娘たちに授けた宝はそれぞれの子孫に大切に保存されておりました。
この宝、正体は不明ですが、山火事の際に取り出して祈るとすぐさま豪雨が降って
消し止めてくれる、という優れもの。しかし悪者が盗み取ったところ、
そのものは発狂して家とともに焼け死に、宝も焼けうせてしまったということです。

377 :天之御名無主:03/09/12 13:11
広告あぼーんしていただいてありがとうございます

上川アイヌの中心地近文のコタンの地名語源はアイヌ語のチカップ二
「鳥のいるところ」という意味で、オサラッペ川の河口に大鷲が二羽留まっている
木があったからと申します。

オサラッペ川の河口には砦の蹟があります。ここにはイワンレクコロクルという
村の守り神の狐の神が住んでおり、アイヌ達は酒を捧げて祈ったものでした。


378 :天之御名無主:03/09/15 09:34
旭川市の護国神社のところには二つの泉があり、その側には柏の生えた丘があって
そこにはイワンレクコルシトンビカムイという狐の神が住んでいると伝えられていました。
この神は危機が近づくと様々な声色で伝えるといわれ、地元のアイヌ達は崇拝していたと
申します。

379 :天之御名無主:03/09/15 10:55
戦前は北の軍都として名高かった旭川の街。
多くの兵士が第七師団から旭橋を渡って出征していき、そして帰らなったので
在りますが・・・・

昭和十七年8月17日の深夜、第七師団に完全武装の一団が軍靴の音も高らかに
帰還して参りました。当時、第七師団の大半は外地に出征しており、わずかな
部隊が留守を守っているだけでありましたが、ともあれ歩哨の兵は捧げ筒で
迎え、司令官に帰還を伝えました。深夜の帰還に驚きつつ駆け付けてみると
部隊は第二十八連隊の空き兵舎に押し合いへし合いで潜りこもうとしている。
気丈な司令官も思わず全身に粟粒、と、彼らはかき消すように消えてしまったのであります。



380 :379続き:03/09/15 11:03
丁度その日、第二十八連隊はガダルカナル島でアメリカの猛攻に死闘するも
玉砕していたのでありました。

この「幽霊部隊」の帰還は目撃者も多かったためにたちまち市内に噂が
広まりました。さしてそのうえ第七師団ではそれよりしばらくの間
怪奇現象が絶えなかったのであります。
「風邪もないのに屋根瓦がガラガラ鳴る」「空きの兵舎から笑い声がする」
「戦車の動く音がする・・・」
また、深夜軍靴の音がするのでその家の者が戸を開けてみると、出征した
息子が直立不動の姿で立っていた、とおもうかクルリと回れ右して
さって逝く。慌てて母が後を追うと、そのまま護国神社に消えていった・・・

市民は噂におののき、そして涙したと申します。

381 :天之御名無主:03/09/16 13:26
近文コタンの老人が山向こうの北見湧別のコタンの物に宝物を貸しておりましたが、
それを返してもらうために孫を使いに出しました。
さて、孫が山道を進み、丁度石狩と北見の国境の山中に至ったあたりで日が暮れて
しまいましたので、倒木がわだかまった辺りで野宿しようとしたところが、
突然現れた河童に「誰だ、俺の寝床を荒らすやつは!」と凄い剣幕で挑まれたのであります。
孫は平謝りに謝って煙草を差し出しますと、河童は機嫌を治し、孫に
「おまえがこれから会う湧別の者は性質が良くない。宝を返さないばかりか、
だまして巨鳥フリーに食わせるだろう。このお守りを持って行きなさい」
と、忠告の上でお守りをくれたのです。
孫が湧別についてみますと案の定、行った先の男は
「山に綺麗な鳥がいるから捕ってはどうか」と、山行きを勧めます。
孫はだまされたふりして山に行ってみますと、蝦夷松の枝に人骨が多くかかっている
不気味な場所に出る。たちまち巨鳥フリーが猛然と襲いかかってまいります。
しかしお守りのお蔭でフリーとて手出しかなわず、次第に弱るばかり。
ついに降参して一番綺麗な羽を残して去っていきました。
孫は湧別のコタンに帰り、羽を見せびらかすと欲深のものどもは次々山に羽を
求めて分け入り、フリーに食われて惨死!

孫は無事に宝物を持って近文に帰り、その後もお守りのお蔭で幸福に
暮らしたということです。

382 :天之御名無主:03/09/17 13:10
旭川市近郊の神楽地区のアイヌ語地名は「ヘッチュイウシ」。
ヘッチュイとはユーカラを語る際に炉縁を打って拍子を取ったり合いの手を入れる
ことでありますが、伝説ではこの地には神が降りてきてユーカラを語ったり、
踊ったりして遊ぶところだとされておりました。
この伝説を日本的に意訳して「神楽」の地名が出来たのです。

383 :天之御名無主:03/09/17 14:24
アンムヌツベ

384 :sage:03/09/17 21:47
ぎゃくだべ

385 :天之御名無主:03/09/17 21:59
逆って何が?

386 :天之御名無主:03/09/18 13:22
旭川市から北に向かう宗谷線が石狩川を渡り、比布川を遡る当たりにトゥッショッという
山があり、そこにあの世に通じる穴があると伝えられておりました。
昔、二人の老人が狩りのためにこの山に分け入りますと、一匹の狢が例の穴に入り込むのを
見かけました。と、狢は突然穴から飛び出すように逃げ出し、穴から弓を持った男が
顔を出して辺りを注意深く見回しておりましたが、また穴に消えていきます。
興味を覚えた老人二人が穴にもぐり込んでみます。はじめは息も出来ないような狭さだったのが
次第に明るくなり、大きなコタンがある。狩りの獲物も魚も多く、家々の乾し棚には
魚がドッサリ干されて豊かさを誇っております。しかし不思議なことに村人には老人達が
見えないらしい。ただ犬だけが怪しんで吼えまくります。老人はさすがに気まずくなって
帰ろうとしたが妙に袖が重い。見ると、なんと袖に村の者達がぶら下がっていたのです。
二人はそれを振り払ってやっとの事で穴を出ました。

帰り道、一方の老人は「魚も獣もたくさんいる、いい村でないか
あんなところで暮らしてみたい」。もう一方は「嫌だね、あんな気味悪い村は」
などと話しておりましたが、住んでみたい、などといった老人は病気でもないのに
ポックリと死に、住みたくない、と言った者はずいぶんと長生きしたということです。
これ以来、村人は例の穴を一層恐れるようになった、ということです。

「まんが日本昔話」でも紹介された話です。

387 :天之御名無主:03/09/19 13:14
↑「比布」(ぴっぷ)の地名語源はアイヌ語のピオプ(石が沢山あるところ)。
あの懐かしのピップエレキバンのCMにも登場した由緒正しい地名です。

さて、別の伝説では「あの世の入り口」は比布川流域ではなく、石狩川の支流
忠別川の上流の小山にあるとされております。この山はイチイの木が生い茂って
昼でも暗く不気味なところでありますが、この森の茂みに時折悪臭を放つ岩穴があり、
人々はウエンルパロ(悪しき路の口)と呼んで近づくのを恐れておりました。
ある日、二人の上川アイヌがこの穴の正体を確かめてやろうと中に潜り込みました。
はじめは漸く這って進む程の狭さだったのが立って歩けるほどの広さになり、
急に視界が開けて明るくなります。喜んでさらに進むと道が二股になっている。
そこで二人はそれぞれの道に分かれました。
さて、一人が行った道はやがて野原になり、仕舞いには海になる。海には舟が有ったので
近寄ってみると中にはなんと死体がギッシリ。そのうえあちこちから犬が集まって
吼えかかるので必死になって追い払っておりますと、突然頭上から
「シリクル トナシ フンナァ」(亡者の魂が早いなあ)などと言う声がしますので
急に恐ろしくなり、ようようの事でもと来た道を戻り、穴から出ました。
さて、後で聞くと、自分の連れもやはり似たような体験をしたとのこと。

それ以来人々はこの穴をあの世の入り口として、一層恐れるようになったということです。


388 :天之御名無主:03/09/21 02:57
石狩川上流の名勝、層雲峡はアイヌ時代は「パウチチャシ」「パウチカラコタン」と
呼ばれ、連なる奇岩断崖は妖精パウチが作った物と言われています。

パウチは創造神がドロノキを擦って火を起こそうとして失敗した際、出た木屑から
疱瘡の神パコロカムイと共に生まれたと言われている「淫魔」であります。
手先は器用で大変美しい着物を織り上げるのですが、

これ若者よ 二つの丘をなでさすり 緑の草むらかき分けて 谷間の泉に下りて来な

などと実に思わせぶりな歌を歌い踊って人間どもを誘惑します。
これに取り憑かれると男でも女でも裸になってあらゆる狂態を演じると言われて
大変に恐れられていたものでした。

現在ではシャモの国は全てパウチに取り憑かれてしまったのでありましょうか・・・

389 :天之御名無主:03/09/21 11:29
その昔、日高のアイヌが大雪の山を越えて石狩川の源流に至り、
上川アイヌを襲うべく進軍してきたことがございました。
水源に至った日高アイヌは丸太を縛って筏を作り、石狩川を
下ってまいりましたが、オベッカウシのところまできたあたり、
岸にとんでもない光景を見てしまったのであります。
なんとまあ一糸纏わぬ全裸の女神が豊かな胸をふりふり踊っているではありませんか。
日高の盗賊どもは筏を操ることも忘れて見とれていましたら
筏は全て滝に落ち込んでしまい、全員墜落死溺死の悲劇!

ともあれ、これで上川のアイヌは救われたということです。

390 :天之御名無主:03/09/21 17:54
またある時、今度は十勝アイヌが上川地方の自然の恵の豊かさを妬んで
上川に進軍してまいりました。しかしその一団は全員捕らえられ、
持っていた武器も宝物も全部奪われてようやく十勝に返してもらいました。
さて、これを聞きつけた十勝の長は大軍を組んで上川を襲いましたが、
またしても散々に打ち負かされ、長自身も傷ついて敗走する際に
矢を全て川に落としてしまいました。これ以来この川をアイペツ(矢の川)
と、呼ぶようになったとのこと。現在の上川支庁愛別町の地名語源です。
しかし結局のところ上川アイヌと十勝アイヌは講和を結び、
十勝の長は上川の長の娘を妻として迎えた、とのことです。

愛別川流域のチャシパオマナイ、伊香牛のあたりに今でも上川アイヌの
砦が残っているとのこと。


391 :天之御名無主:03/09/22 21:48
愛別川の奥にはサンという山があり、サンコロカムイという神が住んでおりました。
この神は病魔でも一喝の元に追い払う力を持っているとされ、村の衆は
疫病流行の際はこの山に逃げ込み、それ以外でも常日頃から酒を捧げて祈ったものだと
申します。

石狩川水源の大雪山には非常に位の高い神が住んでいると申します。
そこで魔神などは神を恐れて十勝連峰の美瑛川源流あたりに隠れているため、
この辺りに行くのは良くないと戒められておりました。

大雪山の赤くなっている岩場はカムイミンタラ(神の遊び場)と呼ばれ、
天の雷神がたまに降りてきて遊ぶので、あのように赤く焼けていると申します。

392 :天之御名無主:03/09/23 11:28
大雪山系の永山岳の火口原はカミイミンタラ〈神の遊び場〉と呼ばれており、
ここには善の神も悪魔もきて楽しく遊ぶところだ申します。

このカムイミンタラに人間が行くと、蛇だの蛙だの毒虫だの、様々な気味の悪いものが
人間の懐に入り込もうとします。しかしそれを我慢していれば神がやって来て、
願い事を言えば何でもかなえてくれると申します。

393 :天之御名無主:03/09/24 11:07
石狩川の支流美瑛川と、道東の大河十勝川の分水嶺である十勝連峰。
その最も北に位置するオプタテシケ山は〈槍が肩を反れた〉という意味を持ち、
太古から様々な伝説に彩られた山であります。

もともとオプタテシケ山と道東阿寒の雌阿寒岳は夫婦の山でありましたが、
何故か夫婦喧嘩の末に離婚、奥さんの雌阿寒は子供を連れて阿寒に引っ込んでしまいました。
しかしいつまでもネチネチと恨み続け、いつか恨みを晴らすべく思い詰めておりましたが、
ある時はるか雲間の果てに、憎たらしい元夫のオプタテシケを見つけたのであります。
雌阿寒はとっさに槍を手にとって投げつけました。ところが十勝平野のヌプカウシヌプリが
驚いて立ち上がり、槍をたたき落とそうとしたところが耳を削がれてしまいました。
そんな訳で辛くも槍はオプタテシケに当たらず、「槍が肩をそれた」などと呼ばれているわけで
ありますが、オプタテシケは槍を取り上げると一心に雌阿寒に投げつけたのであります。
違わず命中し、鮮血にまみれる雌阿寒。その傷は今に至るまで化膿し、
雌阿寒の山は硫黄に被われているのです。夫婦喧嘩は不毛な結果を生むのであります。
さて、ヌプカウシの山が立ち上がった跡に水が溜まったのか然別湖で、
削がれた耳が芽室町のポネオタプコプの小山です。

394 :天之御名無主:03/09/25 05:43
美少女カナチの物語

石狩川のほとりにあるタナセに住むカナチは、さえわたる如月の星
空のように美しく冷やかな、美少女でしたが、決して家を出ること
がなかったのでカナチのうわさは神秘のヴェールに包まれていまし
た。
ある日、カナチは病気になった父のかわりに石狩川へ、アキヤンチ
(鮭)を捕りに出かけました。
ところがカナチが外に出るのを一日千秋の思いで待ちうけていた悪
魔は、大きな沼貝(ピプウシ)に姿をかえて彼女を一呑みにしてし
まったのです。
美しいカナチが死んだ川岸には、それ以来可憐な忘れな草が咲き乱
れるようになり、コタンの人々はこれをピプウシと呼ぶようになり
ました。

395 :天之御名無主:03/09/25 05:45
地獄に通ずる穴

昔、二人の老人が突哨山に狩りに行きました。
ムジナを見つけ、後を追うと洞窟に逃げ込みました。ところがムジ
ナはすぐに飛び出してきたので、二人は後を追っていこうとしたと
き、洞窟から弓矢を持った男があらわれました。男はしばらくあた
りを見廻し、突然驚いた様子で洞窟に戻っていきました。
二人の老人は、男の後を追って洞窟に入ることにしました。洞窟は
だんだん狭くなりやがて這って進んでいくと広い明るいところに出
ました。なんとそこには山や川があり、人々も働いていました。そ
の中の若者に二人は声をかけましたが、若者は気づかずに黙って通
りすぎました。次に会った女も子供も同じでした。ある家の前で男
に声をかけようとしたとたん、その家の犬が吠えだしました。する
と村中の犬も吠えだし、村中大騒ぎになり、人々はぼろきれに火を
つけいぶしたので煙は村中に広がりました。この煙に二人の老人だ
け咳こみ、むせました。たまらなくなった二人はもと来た洞窟に逃
げ込もうとしましたが、着物が重くて動けません。よく見ると着物
のすそにたくさんの人間がぶら下がっているのです。
二人の老人は、必死でぶら下がっている人間をとってすて、やっと
の思いで洞窟を出て、もとのところに戻って来ることができました。
あとでその老人のひとりが「もう一度行ってみたい」といい、もう
ひとりの老人は「二度と行きたくない」といいました。それからま
もなく、行きたいといった老人はぽっくりと死に、行きたくないと
いった老人はとても長生きしました。

396 :天之御名無主:03/09/25 08:42
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397 :天之御名無主:03/09/26 13:15
上川アイヌがもっとも大切な儀式の際にしか歌わない神聖な歌の一節に

「オプタテシケの山ぶるぶる震え 雲の中に金の魚 銀の魚」

という歌詞があります。これは太古のオプタテシケの噴火を表現したものと
いわれ、噴煙の中躍動する火山弾と火山雷を歌ったものとされています。

398 :天之御名無主:03/09/30 22:50
石狩川の上流、ニセイ(峡谷)のあたりには昔キムンアイヌがすんでいるといわれ、
ここに野宿するものではないと言われておりました。
キムンアイヌは熊でも掴み殺すほど凶暴なものですが、タバコが大好きで
タバコを差し出すと決して悪さなどしないと申します。

399 :天之御名無主:03/10/02 17:21
アイヌにタバコを吸う習慣があったの?

400 :天之御名無主:03/10/02 23:14
アイヌは煙草を吸うよ。
アイヌ語で煙草はタンパク、煙管はキセリ

401 :天之御名無主:03/10/03 03:43
まあ,歴史から考えれば大昔からの風習ではないでしょうけどね。

402 :天之御名無主:03/10/03 10:45
たしか和人との交易品の一つでなかったかな、煙草。

403 :天之御名無主:03/10/03 13:10
煙草は米、麹、綿布、漆器、鉄器、酒ともに重要な交易品だった。
一部アイヌが栽培した煙草もあり、これをトイタタンパク(耕作煙草)と言った。
このスレの最初に出て来たパナンペぺナンペの二人は、創造神が一服している際に
煙草を地上に落としてしまい、それが朽ちるのを惜しんで人間に変えたもの、
という伝説もある。


404 :天之御名無主:03/10/03 17:26
石狩川と網走川の分水嶺、上川と北見の国境のチトカニウシの山は
神聖なる神の山、人間がそばを通っただけでも雨が降り、登ると神罰で大荒れに
なるとされておりました。
神代の時代、神々が集まり、この世でどの山が一番高いか話し合っております。
ある者はヌタクカムシュペ(大雪山)だといい、またある者はチトカニウシだという。
いずれにせよ、このいずれかが高いということになったので、神々は一同
夕張奥のカムイシリまで行き、二つの山に矢を射たのであります。
二つの矢は天を走り、ヌタクカムシュペの耳を掠め、チトカニウシの胸に命中!
こうして、チトカニウシが最高峰だと言うことに決定したのでありました。

実際のチトカニウシの海抜は1400mほど、北海道の最高峰は大雪山旭岳2290mです。


405 :天之御名無主:03/10/07 00:55
>>403
ちょっと興味があるんで、質問していいですか?
アイヌの側から、
本州へ輸出していた産品は、どうゆうものですか?
熊の毛皮くらいは思い付くんですが。
それと、
交易地は、松前の城下ですか?

406 :天之御名無主:03/10/07 23:00
アイヌ側からは毛皮、干し鮭、矢羽用の鷹の羽根などが移出された。
交易の場所は運上屋といわれた松前藩の出張施設。積丹、小樽、余市など
海岸部の各地にあった。
最初は藩士が交易を行ったが、やがて商人に任されるようになった。
しかし交易といってもひどく不公平で、干し鮭百尾に米二升とか、
背負い切れないほどの昆布が冷や飯ひと碗、という悲劇もあった。

407 :天之御名無主:03/10/08 00:36
>>405
いわゆる「アイヌ勘定」というやつだね。
そうやって交易は現地の運上屋の手代任せにしていたし、
松前地は和人以外の居住は許されていなかったから、
お城下の人々が身近にアイヌと接することは殆ど無かったと
聞いたことがある。
混在地だった「西の在」「東の在」に住んでいた漁民や商人は、
割と日常的にアイヌと接触していたと思うけど。






408 :407:03/10/08 00:38
>>405>>406

409 :天之御名無主:03/10/08 00:40
>>406
どうもありがとう。
毛皮、干し鮭、矢羽用の鷹の羽根など
それと、昆布か・・・

松前藩に禁止される以前には、敦賀あたりまで船を出して、
直接京都大阪と交易していた、と何かで読みましたが、
それが続いていれば、少しは豊かになったんでしょうね。

410 :天之御名無主:03/10/08 00:48
海岸部分には、
和人も、以外に早くから住み付いていたんですかね?
俺は、北見江刺で、その地の神社が松前藩家老の建立によると見たことがあります。
たしか江戸時代の半ば頃でなかったかな。
その時はあんまり興味がなかったんで、あっそう、で通り過ぎたけど、

おっと、
昔話の続きも、期待してますんで

411 :天之御名無主:03/10/08 01:14
>>409
アイヌ語で漆塗りの蓋付き桶、行器(ほかい)をシントコというが、これは
北陸の方言が語源、と聞いたことがあります。
>>410
厚岸の国泰寺は江戸文化年間の創建。
海岸はかなり早くから大和民族が住み着いている。

412 :天之御名無主:03/10/08 09:26
>410
洞爺には江戸時代から続く寺があって、そこの住職は
本山から送られるのだが、これが大名行列扱いだったとか。
んで、その寺にはアイヌを教化するためのアイヌ語訳お経の
版木が今も存在するそうだ。以前エネッチケーでやってた。

413 :天之御名無主:03/10/08 13:02
有珠善光寺でアイヌ語訳念仏子守歌や和讃広めていた坊さんは
ネンブチカムイと呼ばれて親しまれていたそうな。

有珠山は江戸の寛文以降、噴火の記録が詳しく残っているが、これは善光寺の存在故
でもある。

414 :天之御名無主:03/10/09 13:21
石狩山中であるアイヌが獲物を求めておりますと、むごたらしく殺された男の死体を発見しました。
これの犯人がキムンアイヌであることが判明しましたので、仇を取ってやろうと
追い求めます。するとキムンアイヌは洞窟に逃げ込み、中から小さな矢筒のような物を
投げてよこしました。
狩人はこれを謝罪と理解し、これ以上深追いすると良くないことがおこるだろう、と
その矢筒を納めて帰った、ということです。

415 :天之御名無主:03/10/09 22:48
アイヌの話はユニークだがおもしろくないと思ったよ。
下世話でオチ無しとか。
なんか桃太郎のつまんないバージョン読んだ時を思い出した。


416 :天之御名無主:03/10/09 22:54
昔話に強いて面白さもとめても・・・・

417 :とてた ◆0Ot7ihccMU :03/10/10 00:18
掛詞や囃子言葉、歌謡形式のも多いそうだから、
「直訳」したら面白みは減ってるんだと思います。

418 :天之御名無主:03/10/10 05:03
海岸部には、和人が早くから進出していたってことですか?
アイヌは海が苦手だったの? 大きな船を作れないとか?

アイヌの昔話、
本州にある話と似た話があるのも興味深いよね。
どうやって伝播したんだろうとか、
その土地らしく改竄しているのも面白い。

419 :天之御名無主:03/10/10 11:25
>418
アイヌも海に出ますよ。
というより和人がやってくるのが海からな訳で、
住み着くのもやはり海岸部から内陸へと入っていくわけですよ。

420 :天之御名無主:03/10/10 12:49
アイヌは果敢に海の漁に勤しんだが、確かに大船を作る技術は無かった。
それでも丸木舟の舷に交易で入手した板を取り付けて容積を増した「イタオマチプ」と
いう舟で樺太、千島、さらにサンタン(満洲)まで交易に出、
ガラス玉や清の官服を入手していた。カムチャッカ半島にまで日本の漆器や針が
伝わっていたという。
パナンペペナンペ話は、東北の漁民が伝えた話が元になっているのもある。

421 :天之御名無主:03/10/10 20:50
あるとき、北見の国の盗賊が分水峰を越えて上川に攻め込み、近文のコタンは
無残にも皆殺しにされたことがございました。
そのとき、辛くも逃げ延びた男が空知川流域のコタンに急を知らせ、みなで
盗賊の去った後を追っていきますと、盗賊一味の女が足を痛めて倒れて降りましたので
一も二も無く殺してなおも追っていきます。
一方、盗賊団は北見の国に入り、もう逃げおおせたものと一安心して酒盛りなど
しておりました。と、突然狐がコンコンではなくパウーパウーと鳴いて
「追っ手が迫っている!」と知らせましたが、一味は浮かれて結局無視。
そして程なくあらわれた空知の追っ手に全滅させられてしまいました。

今現在でも、盗賊が皆殺しになったクルオマペツの川沿いで野宿すると
気味の悪い鳥が「チエロペ・タチエ」(食べたものをまた食べたい)と、鳴きます。
盗賊の死体を食らった鳥がその味を懐かしんでいるので、決してここでは
野宿するものでない、と申します。

422 :天之御名無主:03/10/10 21:04

石狩川を遡ってついに水源の大雪山に達したので、次からまた海岸部、
石狩川河口北の厚田、浜益村あたりの話に戻りたいと思います。

423 :天之御名無主:03/10/13 16:25
松前郡炭焼澤村、俗に白神村と呼ばれる小村に、七人の子を抱えて漁りに励む、
作蔵という律儀な男がありました。貞享元年四月の初め、突如として
大嵐が村を襲い、陸奥の国よりの船便悉く絶え、お城下へ使いを出そうにも
海岸伝いの道が大波で崩れて叶わず、このままでは村民一同餓死を待つばかり。
一椀の飯にもありつけ得ない有様では、村の女達に乳の出ようはずも無し、
子を持つ親の苦しみはいかばかりでありましたろうか。しかし今やなすすべも無く、
せめて子供達だけは何とかお救い下さいと、ただただ必死で神仏にお縋りするより
他はありませんでした。

四月二十日の朝のことでありました。苦しむ妻子の姿を見るに忍びず、たとえ
昆布の切れ端でもあればと浜辺に出た作蔵は、巨大な白い獣が荒れ狂う波間を
縫って悠々と泳いでくるのを見ました。怪物めいたその姿に、思わず知らず
その場に突っ伏します。浜辺に泳ぎ着いたその獣は、低く柔かな鳴き声をあげ
ながら近付いて参ります。ようやく人心地の付いた彼が眼にしたもの、それは
一頭の大きな白牛でありました。

作蔵は涙を流し、喜び勇んでその白牛を連れて家に帰りました。この白牛の出す
乳によって、作蔵の妻子はもとより村民一同が飢えを凌ぎました。時同じくして
波は静まり、村は全滅の危機から救われました。人々は神仏に感謝し、作蔵の陰徳
を讃えたと伝えられます。
これが本道における、牛についての記録の初めなのであります。



424 :天之御名無主:03/10/13 17:27
江戸期から牛乳利用があったのですか?
当時は牛肉、牛乳にたいする偏見が強かった筈だが。

425 :423:03/10/13 19:20
まあ背に腹はかえられなかったということなんでしょう。
そもそも当時の白神村には広い田畑が無いので
牛が一頭もおらず、件の作蔵はじめ村人のほぼ全員が
このとき初めて生きている牛を見たということなので、
元々そういう偏見も余り無かったのかも知れませんが。







426 :天之御名無主:03/10/13 20:02
上ノ国に小砂子(ちいさご)という村があります。いつの頃かは
分かりませんが、その昔身の丈三尺程の男達が小さな船に乗って
大挙して押し寄せたかと思うと、磯山の土を次々に取り始め、
葦までも抜いて帰って行きました。驚いた村人達が船に乗って
沖合いまで追いかけましたが、結局見失ってしまったということ
です。その後、釣りの浮きに似た不思議な物体が浜に打ち上げられるようになり、
村人はこれを沖合いの小人島から流れてきた「小さ子がアバ(小人の浮き)」と呼んで、
黒焼きにして火傷の薬などにして珍重したそうです。

この話は小砂子という村名の由来として伝えられているもので、アイヌの
コロポックルとはまた別系統の小人伝承になります。菅江真澄の「蝦夷喧辞弁」
にも記されており、少なくとも18世紀以前から伝わる話であるようです。
「小さ子がアバ」を村人に見せられた真澄は、これは紅毛人の使う酒瓶の栓、
つまりコルク栓ではないか、という考察を書き記しています。




427 :天之御名無主:03/10/13 20:38
たしか上ノ国だか檜山地方に、姫ぎみと不義密通の濡れ衣着せられた坊さんの
呪い伝説なかった?

428 :天之御名無主:03/10/13 20:41
>427
松前だと思う

429 :天之御名無主:03/10/14 01:11
「門昌庵縁起」
門昌庵(もんしょうあん)こと、柏厳峯樹(はくがんほうじゅ)禅師は、
越後蒲原郡出雲崎の出身で俗名は土谷利助といいました。
松前法憧寺六世の山主となり、藩主矩広公の侍女・松江に和歌・茶道などを
教えていたのですが、松江を妬んだ同輩の侍女・幾江とその取り巻きの
家臣杉村・酒井某らの謀略で密通の噂を立てられてしまい、延宝5年10月22日
松前を追放され、同月26日配流先の熊石に到着。関所の衛士・岡田正則の好意で
草庵を建てて貰い、門昌庵と称しました。
奸臣達の讒言はこれだけに留まりませんでした。矩広公の身辺の不祥事は全て
柏厳による呪いのなせる業とされたのです。元和元年12月21日、遂に杉村某の討手が
熊石に向かい、禅師は庵の側の小川の畔で斬首の刑に処せられました。
享年49歳。処刑の際に「7代祟って怨みを晴らす」と叫び、大般若経を
唱えて小川を逆流させたと言われています。その後この小川は逆川(さかさがわ)
と呼ばれるようになりました。

430 :天之御名無主:03/10/14 01:12
首桶を担いだ杉村一行は福山城下を目指し、江差を過ぎ上ノ国に差し掛かりましたが、
雨も降らぬのに天の川が増水して進むことが出来ません。やむなく江差に戻ったが締め出され、
6か寺にくじ引きをさせて、延通寺に泊まる事にしましたがそこで最初の異変が起こりました。
仏間に安置した柏厳の首が、夜半口から火炎を吐いて桶を飛び出し本堂は全焼したのです。
首桶は灰の中で、少しも焼けずに残っていました。仰天した一行は城に飛脚を遣わし、
城中評議の結果、29日首桶は再び熊石に戻され、門昌庵に埋められる事になりました。
やがて矩広公の実子が次々病に倒れ、家老が4人も変死を遂げるなど、藩内に不吉な出来事が
立て続けに起こりました。城下一統藩内の人々は門昌庵の祟りと恐れ慄き、遂に巡検使が幕府に
この旨を時の将軍綱吉公に報告するに至って、矩広公は元禄5年、全山の僧侶を二の丸に招聘し
盛大な法要を営ませ、また神官常盤井氏に命じて神楽を舞わせ、悲運の死を遂げた
柏巌禅師を鎮魂したのでした。事件の発端となった侍女松江は巡礼となって奥州路に向かい、
そのまま行き方知れずとなったということです。


431 :天之御名無主:03/10/14 01:17
門昌庵は現在も熊石に現存します。60年に一度開帳される禅師の木像は2代住職が追善のため、
越後の仏師に彫らせたものですが、禅師は一行脚僧となって仏師のもとに現れ、その姿を刻ませた
とも伝えられています。代々の住職の更迭の度に禅師が姿を現すともいいます。
また乙部村蚊柱の名主であった厚谷家には代々精神薄弱の子供が生まれましたが、
それは禅師が死ぬ間際、我が首が城中に入るまで何処へも立ち寄ってはならぬと
言い残したのに、敢えて杉村一行を休ませたが故の祟りであると言われていました。
このような伝承は各地にあったようです。今でも熊石では何か異変が起こる度に、
人々の間で密かに「門昌庵様の祟り」が噂されるのだそうです。
上ノ国の「大蔵鰊伝説」と共に、道南の怨霊説話として長く語り伝えられている話です。


432 :天之御名無主:03/10/15 12:06
「大蔵鰊伝説」
慶長の頃、上ノ国に大蔵法印秀海という名高い老修験者が住んでおりました。
ある年のこと、もう5月も過ぎたというのにまだ鰊の郡来がありません。
村人たちが困り果てていると、法印が「私が鰊を呼び寄せてみせよう」と
持ちかけました。皆は「遅すぎる」と反対しましたが、法印は「時期外れに
呼び寄せてこそご利益というもの」と言いながら祈祷を始めると、果たして
7日も経たぬうちに、例年以上の鰊の大群が浜に押し寄せました。
喜んだ村人たちは法印に感謝しましたが、一人の男が「こんな事は偶然に過ぎない」
と嘯いて何としても法印の祈祷のご利益を認めようとしません。「この期に及んで
まだ我が法力を疑うか」と言い返す法印と諍いを始め、遂に打ち殺してしまいました。
その3日後、かの罰当たり男の一家は原因不明の病で死に絶えてしまいました。
またそれ以来毎年6月になると大蔵屋敷の浜に数匹の赤い鰊が打ち寄せられるようになり、
村人はこれを「大蔵鰊」と呼んで殿様に献上し、社を建てて法印の霊を鎮めました。
現在の上ノ国八幡宮に合祀されている若宮社がそれです。

433 :天之御名無主:03/10/15 12:07
この話の主人公である大蔵法印秀海は実在の人物とされています。上ノ国有数の古刹・
上国寺(嘉吉3年創建)の真言僧秀海です。永禄13年頃に3代目住職になり八幡宮の別当も
兼ねました。若宮社の創建年と同じ慶長3年に没したと過去帳に記録されています。
鰊を呼び寄せたかどうかは定かではありませんが、平成12年の上ノ国勝山館跡の発掘で
慶長年間のものとされる木製の祈祷用具が出土しており、他に該当する人物がいないことから
秀海のものではないかと推測されています。なお秀海の子孫はそれぞれ大瀧・小瀧
の姓を称して八幡宮の別当を継ぎ、現在もその家系が続いているのだそうです。

434 :天之御名無主:03/10/15 20:29
道南和人の昔話もいいものですな。
江差の繁次郎話や姥神伝説はこのすれにもありましたが、
江差といえば蛸が釣鐘を帽子にした話もあったはず。

乙部町には、悲恋の果てに女を角材の下敷きにして殺し、自分は鮪岬から
身投げした男のはなしもあったはず。

435 :天之御名無主:03/10/17 21:30
かつて石狩川の河口にあったコタンの者たちは、次第に多く移住するシャモを嫌って
コタンを捨て、厚田村のあたりに移住し、そこの山中に伝来の宝を隠しました。
しかし隠した老人たちはそのありかを誰にも伝えぬまま死に絶えてしまったので
宝のありかはなぞになってしまったのであります。

さてある年の初雪のころ、近くのモーラップコタンの者が、川獺が沢山棲む
エサマンナイのほとりで体長60cmはあろうかという大川獺が這った痕を発見しましとの出
喜んで後をつけますと、川の合流点でそれは消えておりました。不審に思って
よくよく辺りを調べたところが、小さな穴を発見、中を覗くと何かが光っていたのであります。

その光を石狩アイヌがかつて隠した宝に相違ない、と確信し、川獺のことなど忘れて
翌日村の衆を引き連れていってみましたが初雪はすでに消え、穴のありかも
結局忘れられてしまいました。第一、穴の中で光ったものが本当に宝なのか、
それとも川獺の目玉だったのか・・・

それでも、間違いなく宝はこのあたりにあると申します

436 :天之御名無主:03/10/18 00:40
>>435
アイヌの埋蔵金。大体いつ頃の話なのかなあ。
「シャモは石狩に多く移住しているけれども、厚田にはまだいない」
ということから、大体石狩場所が出来た頃から厚田場所が出来た頃までの間、
つまり大体慶長〜寛文の間の50年位の間を指しているということになるわけで、
その頃の松前藩側の記録と照らし合わせたら色々と面白い事が分かったりして。




437 :キサラ:03/10/18 09:50
芽室町のポネオタプコプの小山とは何処の事でしょうか。その意味も教えて下さい。新嵐山についての情報何でもよろしいのでお寄せ下さい。  さい

438 :天之御名無主:03/10/18 20:29
タプコプとはアイヌ語で「瘤のように盛り上がった小山」。
ポネとは骨のこと。現在の芽室町の丸山のことかと思われます。
この丸山と、美生川対岸の新嵐山の山頂にはかつて小人種コロポックルが
住んでいましたが、アイヌに攻められて全滅したという伝説があります。
現在このあたりを掘り返すと伝説はともかくとして、土器片が多数発掘
されるそうです。

芽室町内を流れる芽室川と十勝川の合流点に太い曲がった楢の木があります。
この木はシュプンアリシュイといって、文化神サマイクルカムイがこの木に
鍋をかけてウグイを煮て食べたと申します。

439 :天之御名無主:03/10/18 20:47
話を石狩海岸に戻して

厚田のコタンに、赤子を産んですぐの妻に先立たれた男がおりました。
男手ひとつで赤子を育てようとしましたが乳のあてはなく、子供は
弱るばかり。
困り果てていた男がある時、山の中の小川の水を飲んでみますと、
その水が不思議と甘いのです。そこで思いついてその水を汲んで持ち帰り
赤子に飲ませてみますと喜んで飲み干したのであります。
その後も赤子は父が汲んでくる川の水を乳として成長し、立派に成人しました。

それ以来この川をトヌムペツ(乳房の川)というようになったのです。

440 :天之御名無主:03/10/24 21:30
厚田村の北の浜益村。
ここにはユーカラに登場する英雄、ポイヤウンペの城があったと申します。
それは現在の黄金山とも擂鉢山とも言われており、近くを流れるピサンベツの
川は、ポイヤウンペの刀から生じたという蛇がウヨウヨ蟠っております。
この地には今でもポイヤウンペの使いが天からイナウの材料のミズキの枝を
取りに来るといい、そのときには特別大きな雷鳴が轟くと申します。

441 :天之御名無主:03/10/24 21:44
浜益の地名語源はアマムシュケ(穀物を炊く)。
伝説では、奥州平泉から落ち延び、積丹半島で娘二人をたぶらかした
義経がさらにここに落ち延びてきて、この地で飯を炊いたからだと申します。
町の北にはマラプトウンナイという川があり、ここでコタンの衆が
義経を歓待したと申します。

442 :天之御名無主:03/10/24 21:51
浜益村から日本海側最大の難所、雄冬海岸にいたるタイルベシベのあたりは
マムシが多いところですが、これは義経の鎧が変じたものと申します。

義経はカムイオトプイのあたりから山越えして増毛の村へとさらに
落ち延びていったと申します。

443 :天之御名無主:03/10/25 00:57
アイヌの動物系の話はイイッ

444 :天之御名無主:03/10/28 01:36
義経の伝説が残っているってことは、
鎌倉時代には、すでに和人が来て住んでいたってことだろうか?
アイヌには、義経なんて関係ないもんね。

445 :天之御名無主:03/10/28 10:08
あとからやってきた和人がアイヌの英雄サマユンクルないしオキクルミを
義経と見立てた、という話を聞いたことがある。

446 :天之御名無主:03/10/28 10:24
新冠にも義経が隠れたと言われる洞窟がある。


447 :天之御名無主:03/10/29 22:43
>445
義経伝説はほぼみんなそれやね。
サマイクルとオキキリムイだけ
じゃなく多分コタンカラカムイ
も全部だろうけど。

448 :太国玉:03/10/29 22:55
オテナの塔  新諸国物語

449 :天之御名無主:03/10/30 00:45
衣川から続く義経伝説、遠野、三陸海岸、津軽の三厩村から北海道に渡り、
日本海側、積丹半島からさらに厚田、浜益と北上して増毛でとだえる。

トンデモ学説では、義経は増毛から海を越えて大陸に渡り、ジンギスカンになったと
されている。

450 :天之御名無主:03/10/31 21:36
増毛町にオショロコッという沢があります。直訳すれば「尻のくぼみ」
創造神コタンカラカムイが天に頭をぶつけ、尻餅ついてこの沢が出来たと申します。



451 :天之御名無主:03/10/31 21:56
増毛町の阿分の集落に千吉という若い漁師が住んでおりました。
千吉は漁師の腕もよく、そのうえ性格も明るくて美男子でしたので
浜の娘たちの人気の的でしたが、沖の大蛸までもが彼にゾッコンにほれ込んでいたのです。
そんなことは知らない千吉、降るような縁談のなかから、おのぶという
これまた美しくて気立てのよい娘を選びます。村人は似合いの夫婦と賞賛するのでした。
さて、おのぶの父は金持ちでしたので、新造船を千吉に買って与えました。
彼がその船で漁をしておりますと、不意に例の大ダコが船端に足を絡め、
彼を海に誘ったのです。千吉は半狂乱になって足を切り落とし、難を逃れましたが
おさまらないのは大蛸、可愛さ余って憎さ百倍。
その夜、千吉とおのぶは上陸した蛸に寝込みを襲われたのであります。
蛸は残った足でおのぶを攫い、千吉にも足をかける。千吉はマキリを
翳して立ちむかうものの嫉妬の激しさ、ついに力尽きてしまいます。
幸い、騒ぎを聞きつけた村の衆が燃え薪を投げつけタコを追い払ったものの、
おのぶはついに海に引きずりこまれ、残った千吉も腑抜けのように
なって自失呆然、往々として楽しまず、ほどなく漁の最中に海に転落死、
死体はついにあがりませんでした。

これ以来、村人は捕ったタコが黒いものを咥えていると、
「千吉とおのぶの髪だ!」といって慄いた、ということです。


452 :天之御名無主:03/11/06 01:39
その昔、留萌にシリマオッテという半神半人の大男がおりました。
彼は烏神のカララッと海の妖怪コシンプイを、更に狐をに妻にめとって幸せに暮らして
おりましたが、ある時何者かに毒殺されてしまったのです。
そこで妻達は人間に化け、毒消しの薬を与えたり祓ったりしてようやく彼を生き返らせましたが
毒のために体が溶け、もと大男のシリマオッテはすっかり小男になってしまったと
いうことです。

453 :天之御名無主:03/11/06 02:11
日本海に浮かぶ焼尻島。
この島は元々現在の千歳市千歳神社あたりにあった小山でした。
ところがあるとき千歳山中で大陥没が起きて巨大な湖が出来、
その振動で太平洋では大津波が発生、千歳当たりまで激浪が突進してきたのです
小山は押し流されて石狩川に流れ込み、日本海になだれ込み、さらに
北へ北へと漂流し、ついに鎮まったのが現代の焼尻島と申します。

ちなみに焼尻(やぎしり)の地名語源はアイヌ語のヤンケシリ(水揚げする島)です。

454 :天之御名無主:03/11/06 13:16
岩波文庫で『アイヌ歌謡』とかいう本があったような。

455 :天之御名無主:03/11/06 22:26
>454
アイヌ神謡集だね。知里幸恵さんの本だ。

456 :天之御名無主:03/11/06 23:14
羽幌町の南どなりの苫前町では大正時代、古丹別川の支流三毛別川の支流六線沢沿いの
開拓村が熊に襲われた「三毛別熊事件」が発生しております。
詳細書くのは苦痛なのでこのリンクで許して下さい。
http://alecaoyama.hp.infoseek.co.jp/higuma.html

私はこの事件のドキュメントを中学生時代床屋の待合室で読み、被害者の一人の妊婦
斉藤タケの最期の絶叫
「腹やぶらんでくれ!喉喰って殺してくれ!」が耳に残り、十年以上経った今現在でも
町で妊婦を見かけると吐き気がしてしまうのです。

457 :天之御名無主:03/11/07 00:08
道北の大河、天塩川。
天塩(てしお)の地名語源はアイヌ語の「テシ・オ」(川下に簗がある)。
伝説では昔魔神が岩で簗を作って川を堰き止めたので、文化神サマイクルが
簗を打ち壊したからこの地名がついた、と申します。

この簗は紋保内駅のそばにあったとも、美深町にあったとも申します。



458 :天之御名無主:03/11/07 02:22
>>456
多感な思春期ゆえのトラウマですねえ。
だけど、
斎藤タケの絶叫は、母性愛の絶叫なのにね。

459 :天之御名無主:03/11/08 01:24
三毛別熊事件にはいくつかの奇妙な符合があります。
最初犠牲になった太田一家、戸主と内縁の妻マユ、そして養子と雇い人のオド爺の四人でありますが、
養子である子供の実母である蓮見チセは事件の朝、奇妙な夢を見たと申します。
子供が夢枕に立ち、「うちのおっかあがこんなになってしまった」と古ぼけた櫛を差し出すのですが、
その櫛は両端以外全て歯が欠け落ちていたのです。
その夢の通り、太田マユは体の両端、頭と脚の一部以外全て熊に食い尽くされたのでありました。

また、事件当日の朝、戸主の太田氏が村の共同作業、橋の工事に出発しようとしたところ、
例の養子が「自分も連れていってくれ」、と駄々を捏ねましたが太田は子供が来てもしょうがない、
と叱りとばしておりました。
後になって思えば、子供は何か予感のようなものを察して家を出たかったのではないか・・・
ただ一人生き残った太田は終生悔やんだと申します。

また、妊婦の斉藤タケは豊満な肉体の持ち主で「熊は真っ先にタケさんを狙うだろ」と
皆冗談めかして語っておりましたが、まさにその通りタケは喰われたのです。

460 :天之御名無主:03/11/08 01:37
天塩川の支流、問寒別川の水源辺りには広大な蝦夷松の林があり、
此にはキムンアイヌが棲んでいると申します。
このキムンアイヌはたまに人間界にやって来ては人さらいをし、自らの仲間に
加えます。
キムンアイヌの住処は竪穴式住居で、煙草を好むともうします。

461 :天之御名無主:03/11/08 10:19
宗谷本線中川駅のそばにペンケヌプリとパンケヌプリという二つの山があります。
この山はもともと繋がっておりましたがある時大津波で真中が切れて海になだれ込み、
それが利尻島になったと申します。

462 :天之御名無主:03/11/09 00:47
道北の大河天塩川を南へ南へと遡りますと、かつて「赤字全国1」と鉄オタの間で
有名だった「美幸線」のあった美深の町があります。

ここにかつてシュロマップのコタンがあり、老いた母と二人暮らしの若者が住んでおりました。
ところがあるとき村の東の山が激しく鳴動を始めたのでありました。
村おさは「この村が天罰で水底に沈むのだろう」と、慌てて村の衆に避難を促したのです。
さて、丁度その時若者は他国に交易に出かけて留守でしたが、騒ぎを聞きつけて
母の安否を気遣いつつ、宝箱を背負って帰ってきてみたものの、山は増すます鳴動するばかり。
必死になって母を捜しますが、手がかりすら見あたらない。そしてやがて失意の若者も
行方知れずになってしまったのであります。
山鳴りがようやく収まった後、山の頂上には若者が背負っていた宝箱が岩になって
残っており、人々はこの山を「シュポペロシキ」〈箱がそこに立っている〉と
呼ぶようになりました。
やがて入植した和人は訳して「函岳」と命名したのです。

現在でも、嵐の4、5日前には山鳴りがあると申します。

463 :天之御名無主:03/11/10 02:47
>>456
別に揶揄するとか、ではないんだけど、
あなたのトラウマが、徐々に解消されることを願っているけど、
以下の部分を読んで、俺は、興味深く思いました。

>私はこの事件のドキュメントを中学生時代床屋の待合室で読み、
> (略) ^^^^^^^
>「腹やぶらんでくれ!喉喰って殺してくれ!」が耳に残り、
>十年以上経った今現在でも ^^^^^^^^^
>町で妊婦を見かけると吐き気がしてしまう

読んだことが、耳に残っている・・・

たぶん、若い感受性が、リアルに絶叫を聞いたように感じたんだろうな。
と、そんなことを思いました。

464 :天之御名無主:03/11/10 02:50
>>463
ぐわっ!
^^^^^^^^^^の位置がずれてる
ほんとは、「読んで」 と 「耳に残り」 にアンダーラインをしようとしたんだす(´・ω・`)

465 :天之御名無主:03/11/10 09:01
>464
半角スペースを複数連続でうつと最初の一つにまとめられてしまうので注意しる。

466 :天之御名無主:03/11/12 22:03
>>456
自分も子供の頃に、「熊にぶん殴られると、人の顔なんか卵みたくペチャンコに潰れて…」
とか色々と親類に聞かされて、それから暫く夢でうなされたよ

467 :天之御名無主:03/11/13 01:38
>>466
熊の前足の一振りは、馬の首をぶっちぎるって言うね。
逆に、振り上げる力は、弱いという (ワニでも似た話を聞くが)。

それで昔読んだ新聞か何かで、こんな話を憶えている。
ある日、50代のおばさんが、熊と出会った。
起ち上がって、ガオーッと威嚇する熊。
その両前足が胸の前にある瞬間に、
おばさん、熊に抱き付いた。
振り上げる力は弱いから、おばさんを振りほどくことができない。
ほえて威嚇するが、おばさんも必死で抱き付く。
抱擁が続くこと、45分。
ついに、熊は脳貧血で気を失い、おばさんは危機を脱することができた。

昨年、柔道技やボクシング技で、熊を撃退した爺さんの話題が3つほどあって、
2ch でも盛り上がっていたけど、
このおばさんほど、熊と壮絶に戦った話は、聞いたことがない…

468 :天之御名無主:03/11/14 01:08
熊の話が出たとたんに色々批評されて・・・案外このスレ見てる人多かったんだね。

札幌市内の篠路で明治初期、炭焼きの一家が熊に襲われて夫と赤子が喰われ、
妻が重傷を負う事件があったが、札幌市内北大植物園内の博物館にはその熊の胃から
取り出された、「赤子の遺体の一部のホルマリン漬け」が展示してある。
赤子の可愛い足がそのままになって残っていたよ。

469 :山野野衾 ◆UJr4Al4ZYM :03/11/14 01:15
>>467
「禁忌を犯すと熊の霊に噛み付かれるという信仰が存在しますが、熊の
攻撃は前足によるものの方が威力があるのでこれは熊の性質を猟師ほど
よく知らなかった宗教者の広めたものでしょう。」
とは千葉徳爾先生の弁。

470 :天之御名無主:03/11/14 01:43
さて、>>462のシュポペロシキ伝説もう一つ。
その昔、このあたりがノアの洪水もかくやという大水害に見舞われた際、
水面からこの現在の函岳の山頂のみが顔を出していたので、人々はそこに
避難しました。そのとき人々が置き忘れた宝箱がそのまま岩になって残ったと
申します。
現在でも洪水の名残で、この辺りを掘り返すと帆立や田螺の貝殻が
出てくると申します。

471 :天之御名無主:03/11/14 02:05
海からやってくる疱瘡神パコロカムイは、いつも天塩川の河口からやって来て
川を遡り、名寄から北見の方へと抜けていきます。
深夜に川の方で櫓や棹の音がしたり、大勢が騒ぐ声がするが戸を開けて
川を窺っても船一艘浮かんでいない・・・こんな時はパコロカムイが
間違いなく川を遡っています。
しかしこのために、名寄のアイヌは疱瘡にはかからないと申します。
パコロカムイが通り道の名寄に感謝しているからということです。

472 :天之御名無主:03/11/15 02:55
名寄のコタンは今から六代ほど昔、釧路の夜盗に襲われて全滅しました。
生き残りの男が北見で新住民を募って再興したのが今の名寄アイヌだということ。

そこで名寄アイヌは現在でも釧路アイヌとはつき合わないと申します。

473 :天之御名無主:03/11/15 03:10
天塩川上流、剣淵川との合流点には大きな沼があり、位の高い神が住んでおりました。
伝染病流行の際、付近のアイヌはみなここに避難したと申します。

474 :天之御名無主:03/11/15 12:07
現在の日本最北の街、稚内。
その市街から10kmほど南西の海岸に、抜海(ばっかい)という集落があります。
アイヌ語で「子を背負う」と言う意味のパッカイが語源、ここに子を背負った形の
岩があるからであります。
その昔ここに若夫婦がおりましたが、ふとしたことで夫婦喧嘩大喧嘩、
夫は若い女と共に船を出して蒸発を企みました。
そこで妻はこの子背負い岩に上って天の神に嵐を呼びますと、たちまち
暴風雨がおこって浮気船は波に飲まれました。

以来、子背負い岩に上ると嵐が起こる、と厳重に戒められてきたのです。

475 :天之御名無主:03/11/15 13:01
puge

476 :天之御名無主:03/11/18 06:10
このスレは大耳ショボーンがしばらく管理しますよ

                            +
.   +  (\_/)(\_/)(\_/)  +
      (´・ω・ ∩(´・ω・∩)(´・ω・`)
 +  (( (つ   ノ(つ  丿(つ  つ ))  +
       ヽ  ( ノ ( ヽノ  ) ) )
       (_)し' し(_) (_)_)

477 :天之御名無主:03/11/19 18:48
>>472
>名寄のコタンは今から六代ほど昔、釧路の夜盗に襲われて全滅しました。

コタンが全滅…
今まで読んだ中にも、皆殺しとか、そんな話があったよね。
アイヌの社会って、和人よりも平和的かと思っていたけど、
そうではない、ということですかねえ。

478 :天之御名無主:03/11/19 20:40
まあ、どこにも争いはあるってわけで。

479 :天之御名無主:03/11/19 20:53
日本海にクッキリと秀麗な山容を見せ付ける利尻島は利尻富士。
この山はもともと石狩川支流の千歳川の上流にあった山でしたが、
ある年の大津波が川を遡って山をもぎ取ってしまいました。
津波とともに流れ下る山は長沼町の山にぶつかってそれを
横転させ、さらにそのまま石狩川に流れ込んで海を漂流し、この地に鎮まった
ものとされております。

利尻富士が元々あった千歳には「フルエトエヒ」(坂が切れる)の地名が
残り、流れる利尻富士がぶつかって横転させた長沼町の山は
「サマッキヌプリ」(横になった山)と呼ばれております。

480 :マコマナイ:03/11/19 23:26
ピリカピリカ
タントシリピリカ
イナンクルピリカ
ヌンケクスネヌンケクスネ

481 :天之御名無主:03/11/21 18:57
「人身御供」系の話は割に多いけど、まだ出てないようなので一つ。

「照姫雪姫と戸切地の龍神」
元禄2年の秋のこと―――上磯は戸切地川一帯は昔から鮭漁の盛んな土地でありますが、
数年の間全く鮭の遡上する気配がなく、疲弊の末に離村する者は日増しに多くなるばかり。
郷士の岡田文太夫信忠は悲痛な決心を込めて、村の守護神である龍神に必死に祈りました。
「南無龍神様、願わくは戸切地川に鮭を遡らせ給え!そして幾多の人々の玉の緒を繋ぎ給え!
我が娘、雪姫を人身御供に捧げ申すべければ、お頼み申す!」
17日にも及ぶ祈願が終わった途端、夥しい鮭の群が戸切地川に遡り、村は救われました。
さて、律儀な文太夫は龍神との誓約を守ろうとしましたが、驚いたのは当の雪姫。
いくら言い聞かせても龍神に身を捧げることを承知しようとしません。
文太夫は困り果ててしまいましたが、成り行きを見守っていた姉の照姫が、皆の為に進んで
犠牲になろうと父に申し出たのです。
約束の夜。大嵐の吹きすさぶ中、不意に岡田家の門が叩かれました。
「我らは龍神の御使である。汝の誓願を叶えたによって、娘の迎えに来た」
父や妹を始め大勢の家人に見送られ、照姫は御使と共に小船に乗り沖に消えてゆきました。
翌年から、同じ日が来ると必ず海が荒れるようになりました。そしてその日は年に一度の照姫の
里帰りの日でもありました。照姫の様子は以前と変わりませんでしたが、唯一寝る時だけは寝所の
戸を堅く閉ざし、何人たりとも近寄る事を許しませんでした。
しかし好奇心のおさまらぬ雪姫は5年目の夜、ついに姉の寝所に忍び寄り、戸を開けたのです。
姉の照姫は恐ろしい大蛇の姿になっていました。雪姫は驚倒しました。
「あれほど堅く約束したのに、裏切ろうとは情けない。これが最後のお別れ」
翌日照姫は恨めしげにそう言うと、慄く妹に帯一筋を渡して海に戻ってゆきました。
そしてもう二度と家族のもとに姿を見せることは無かったのです。
郷士岡田家の屋敷は、現在「日向岡」と呼ばれる場所にあったといいます。また上磯の沖に
燈火のごとき光が連なることがあり、これを地元では今も「龍神の火」と称するのだそうです。

482 :とてた ◆0Ot7ihccMU :03/11/23 21:27
>>477
トパットゥミ(夜襲)なんて言葉もありますし…。

ウェンカムイにカムイノミをして、狙ったコタンの犬や住人を眠らせて皆殺しにして財貨を奪うとか…。

483 :天之御名無主:03/11/24 10:56
利尻島の秀麗な利尻富士は怪異の山でもあります。

ある時、一人の宗谷コタンの若者が登頂を試み、何日分かの食糧を用意して
それを背負って登り詰め、ようやく山頂近くの沼まで来たときのこと。
谷間や嶺の間、嶺の頂から様々な不可思議な妖怪が現れるのであります。
中には人面獣身、あるいは北海道には棲息しないはずの虎のような獣。
そのような実体か幻か定かならぬ者に怯えつつようやくのことで山頂の
沼まで来たところ、水面にはこれまた得体の知れぬ者が蠢いている。
そしてそれが水面から飛び出すや否や凄まじい大暴風雨となりました。
若者は這うようにしてようようのことで逃れたと申します。

実際、利尻富士の山頂近くには泉はございますが、沼はございません。
ただ、山麓にはいくつかの沼があります。

484 :わむて ◆WAmuTEuQD. :03/11/24 11:17
    .(\               /)  
     \\             /)″
     ((\\     ___    /)″
      ( (_ヾヽ <_葱看>ヽ/ヾ)
     .(  ( ヾ/ I .((ハ)) i \ヽヾヾ
    しし//   .ノゝ - `ノハ  ヾヾ)
     し/// /ヽ  /  L____ ヾ)   みるまらー
     ,し(/////ヽ/ .|∧|  〃
      (/(/(/  .  ||メ||  ヾ)
       (/(/     ||メ||
              |  |)

485 :天之御名無主:03/11/24 11:53
利尻島沓型の集落には、何故か昔から蛇がおりません。
よその土地から蛇を持ってきてもたちまちに変死してしまいます。
これは利尻富士の神が蛇を嫌うからとも、神社の祭神が蛇を嫌うからとも申します。
よそから来たサーカスが蛇に死なれ、困り果てたことがあるそうです。

486 :天之御名無主:03/11/24 14:23
利尻島鴛泊のシャモの漁場の若者と、コタンの酋長の娘とが恋に落ちました。
しかし当然ながら許されぬ恋、二人は密かに示し合わせ、駆け落ちしたのであります。
さて、コタンは大騒ぎ、酋長はこれが漁場の策略だと誤解して襲ったので
たちまち戦に発展し、シャモはポントマリ、アイヌはコタンに陣をとって
対峙しております。事態は膠着状態が続くばかり。
そのとき、妖術使いの老婆がベシ岬の岩に立ち、
「和平を乱すものは呪われるであろうぞ!」と叫んだのであります。
和平の願いというより単なる煽り、双方はますます殺気立ちます。
老婆が岩の上で絶叫して倒れると、轟然として周囲は黒煙に包まれ、雲中から
炎が燃え立ちます。双方唖然として恨みも戦いも忘れ、呆然としたままで夜があけました。
夜が明けて見てみますと、ベシ岬の岩は巨人の形になって漁場を睨んで立ち、
アイヌの陣にはあやかしの槍が刺さっておりました。

数日後、ポントマリから8km離れたタンネトンナイの岩山で、駆け落ちした
二人の遺体が発見されたとのことです。

487 :天之御名無主:03/11/25 11:11
アイヌの民度がわかるエピソードだな。

488 :天之御名無主:03/11/25 20:27
>>487
和人の社会でも、共同体の連帯よりも、恋愛を優先するものは、制裁されたんじゃないかな?

489 :天之御名無主:03/11/25 21:09
>488
まあまあ、釣られなさんな。

490 :天之御名無主:03/11/25 22:18
すぐ釣られるヤシw

491 :天之御名無主:03/11/25 23:14
礼文島は元々千歳市の辺りにあった山でしたが、ある時支笏湖の水が溢れて
大洪水となった拍子に千歳川から石狩川、さらに日本海に押し出され、
北に漂流して利尻島の北に鎮まり、今の島になりました。
このとき利尻島には女神が住んでおりましたが、島が流れてくるのに
恐れおののいて逃げ出し、樺太に逃れ突阻山になったということです。

別の伝説では、礼文島はサマイクルカムイが落とした宝箱が変じた物ということ
です。

492 :天之御名無主:03/11/26 04:53
北海道の昔話・・・むかしむかし冬季オリンピックがひらかれました
おれが生まれる前の超昔話

493 :天之御名無主:03/11/26 07:15
昭和47年札幌オリンピックの開会式、昭和帝が開会宣言をすぺく
壇の上に登られたとたん、それまで降っていた雪がぱったりと止んだそうでございます。

494 :天之御名無主:03/11/27 00:23
その昔、北海道本土の宗谷アイヌと天塩アイヌが戦を起こしたとき、宗谷アイヌは
利尻島と礼文島のアイヌにも応援を求めました。
カフカイコタンの長オムシアイヌは部下を集めて宗谷に援軍を送りましたが、
その援軍に加わった勇猛な男、カルアンの妻は夫の出征を哀しみ、海岸に登って
北海道本土の方を窺っているうちについに岩になってしまいました。
やがて礼文島にシャモが住むようになった頃、この妻の岩を見た者は何故か
不幸になる、という噂が立ったので、そこでこの岩に覆いをかけて隠し、
通行人は顔を背けて「見ない」ようにしたので「ミナイカムイ」と呼ばれるように
なったとのこと。
現在は見内神威神社の社が建ち、安産と病よけ、豊漁の神として
篤く崇拝されております。

495 :天之御名無主:03/11/27 23:20
礼文島西海岸トモチコタンの海岸に桃岩という、巨大な桃の形をした岩がございます。
昔、北海道本土の天塩アイヌが漁の最中に嵐に見舞われ、礼文島カフカイコタンに
漂着しました。ところが折悪しくカフカイの長と天塩アイヌの長は仇敵の間柄、
漂着した天塩アイヌの船頭は拉致監禁され、残った者は食物も与えられず
無慈悲にも荒海に投げ出されてしまったのであります。
命からがら天塩に逃げ帰った一団から知らせを受けた天塩アイヌたちはいきり立ち、
翌年の春に500名の兵で礼文に上陸し、夜陰に紛れてカフカイの裏手に陣取り、
一気にコタンに急襲します。不意をつかれた礼文アイヌはすぐさま防戦しますが
戦の用意もなく押されるばかり。そのうち監禁していた船頭にも逃げ出される始末。
ところが天啓か、突如として大雨が降り出し、戦は訳がわからぬまま休戦状態に
なってしまったのであります。
そこでカフカイでは講和の申し入れをし、天塩アイヌもそれを受けたので
カフカイの長は宝物を壺に入れて見内神威の丘に埋め、台地の神に捧げ、
桃岩の上で祭壇を作って天の神に宝を捧げると、天から七色の雲がたなびき、
宝を受け取った、ということです。

496 :天之御名無主:03/11/28 02:33
アイヌの社会では、宗谷、天塩、あるいは渡島、日高、根室のような地域ごとに、
互いに戦争していた……という理解でいいですか?

でも、国を作るほどではなかったんだね。
農耕がなかったから、国を形成できなかったんだろうか?
この、コタンよりも上位である集団は、何という名称ですか?
誰か、知りませんか?

497 :天之御名無主:03/11/28 22:39
コタンの上はモシリじゃないの?

狩猟漁労だけでは大勢の人間を養えないから、国家建設の意義が生まれなかった。

498 :天之御名無主:03/11/29 01:00
礼文島の桃岩伝説、別の話では、漂着したのは増毛アイヌだとされています。
当時カフカイコタンは増毛アイヌの支配下にありましたが、何時の頃からか
年貢を納めない。そして漂着した増毛アイヌを荒海に突き出す。
使者がこの非礼を問いただしたところが、傷を負わされて追い返される・・・
そこで増毛アイヌは大軍を率いて来襲、カフカイのものはコタンを捨て、
桃岩に陣を張ったもののあえなく陥落。
増毛アイヌは桃岩上で勝利の宴を開き、戦利品の一部をミナイカムイの丘に
埋めたと申します。

499 :天之御名無主:03/11/29 17:42
日本最北の町、稚内。
そこの声問川の流域にチトゥカンウシという山がございます。
チトゥカンウシとは「我らが射た山」の意。
伝説に寄れば、かつてこの辺りが大水害で残らず水没し、流域のコタンが
ほとんど全滅したときのこと。この山だけが山頂をわずかに水面から
出していたのであります。それを怪しんだ者が山頂に矢を射たところ、
命中とともに瞬時に水が引いたとのことです。

500 :天之御名無主:03/11/29 18:20
>>497
レス、サンクスコ
コタンの上位の共同体は、モシリですか。
その上が、ウタリ?

501 :天之御名無主:03/11/29 18:27
ウタリは仲間か同胞くらいの意味じゃないの?

502 :天之御名無主:03/11/30 01:34
>>494、495
アイヌの伝説が元になってる和人の神社があるのか…
神社を建てたのは、もしかして桃岩荘の柳谷さん家のご先祖とか?
こういうのって「義経神社」の他は余り聞いたこと無いんだけど、結構多いのかな。




503 :天之御名無主:03/12/04 19:09
宗谷岬の灯台より500mほど宗谷よりの海中に二つの岩があります。
沖のほうの岩には10cm四方ほどのきれいな模様と切れた縄のような
模様がついておりますが、これはサマイクルカムイの妻が夫婦喧嘩の果てに
宝箱を背負って家出しようとしたとき、荷縄が切れて転び、そのまま岩になった
ものと申します。

504 :天之御名無主:03/12/04 19:10
◎もうすぐクリスマスだよ◎
http://homepage3.nifty.com//hot-hot/7254.html

505 :天之御名無主:03/12/04 19:34
宗谷岬から程近く、オラムナイという川があり、そのほとりに若い夫婦が
住んでおりました。
ところがある年のこと、夫が他所の漁場に出稼ぎに出たとき、そこの
娘と恋仲になってしまったのであります。二人は駆け落ちを企み、
小船に帆をつけて樺太へと逃れようとします。
さて、この企てに気がついた妻は乳飲み子を抱えて悲嘆にくれつつ
沖に向かって叫ぶものの船が戻るはずがなく、絶望のあまり
投身してしまったのであります。
と、突然駆け落ち船には追い風の東風がぱったりと止み、船は進まなくなる。
夫と愛人は必死になって東風を呼ぶものの、あろうことか吹き出したのは
逆風の西風、しかも暴風。船はあえなく転覆沈没の悲劇!
その後、オラムナイの河口に二つの大岩が現れ、陸には子を抱いた形の岩が
生まれました。
そして沖の岩は風が吹き出すと、今でも東風を求めて叫ぶといいます。
沖の岩を東風岩、もうひとつを女郎岩、陸の岩を子持岩と申します。

506 :天之御名無主:03/12/12 19:28
宗谷の泊内のそばにチルラトイという地名があります。
直訳すれば「我等が運んだ土」。
ここに住んだコロポックルが土を運び、砦を築いたからと申します。

宗谷の時前の地名語源はアイヌ語のトキオマイ「杯のあるところ」。
山の形が伏せた杯に似ているからとも、酒盛りの際に杯を忘れたからとも
申します。


507 :天之御名無主:03/12/12 19:55
オホーツク海沿岸の北見枝幸、幌別川の河口に豊かなコタンがございました。
この村は二つの砦を有し、守りも堅く、押し寄せる盗賊団にもびくともしない
強さを誇っていたのであります。

さてある年のこと、北から来た夜盗の群れがコタンに襲い掛かりましたが
村人はいち早く砦に篭もり、篭城戦となります。やはり守りは堅く、
勝敗がつかぬまま夜を迎えました。
さて、夜が明けてみますと何故か盗賊団の姿はなく、代わりに砂浜に
黒く盛り上がった物体、海鳥が群れ集まっては鳴き騒いでつついております。
「寄り鯨だ!」
早合点したコタンの衆は自ら城門を開け放ち、浜にまろび出て見ますと
寄り鯨と思ったのは魚と海草をまぶした砂山、その隙を衝いて忍んでいた
盗賊団に激しく攻めれられ、砦はあえなく陥落してしまいました。
砂山が盗賊団の策略であったことは言うまでもありませぬ。

この砦跡は、幌別川上流に今でも残っているとのことです。

508 : :03/12/12 21:26
―――――――――――――――コピペ推奨―――――――――――――――

祭りキタ━━━━━(゚∀゚)━━━━━!!!!キタ━━━━━(゚∀゚)━━━━━!!!!
殺人予告祭り開催中!!!!
なんとあの司法試験板で殺人予告!!!
予告レス
http://school.2ch.net/test/read.cgi/shihou/1057116261/770
次スレ
http://school.2ch.net/test/read.cgi/shihou/1071230653/

509 :天之御名無主:03/12/22 18:46
パソコンが本格的にあぼーんしたため、
来年1月下旬まで休業させていただきます。

510 :私もアイヌ:03/12/22 21:46
つ、遂にあぼーんですか。

1月下旬までお待ちしております。

511 :天之御名無主:03/12/23 14:14
1ヶ月も放置したら、このスレがあぼーんされるぞ。
みんな。
がんがって保守しような!

512 :天之御名無主:03/12/23 21:24
この板は1年放置したって大丈夫さ。

513 :天之御名無主:03/12/25 19:53
とりあえず、保守

514 :私もアイヌ:04/01/03 08:11
あけましておめでとうございます。
今年も昔話楽しみにしています。

515 :あぼーん:あぼーん
あぼーん

516 :天之御名無主:04/01/13 19:52
誘導されたのでこっちで質問です

アイヌ神話についての事典とかありますか?

517 :天之御名無主:04/01/13 20:01
>>516

>>426 菅江真澄「蝦夷喧辞弁」 はどうでつか?

518 :天之御名無主:04/01/13 21:24
>>517
どうも
検索してみても「蝦夷喧辞弁」では出版されていないようなんですけど
菅江真澄全集みたいなのにはあるんでしょうか?

それと、明治以降?に収集された神話や神々についてのまとめみたいな本もあるでしょうか?

519 :天之御名無主:04/01/13 23:30
アイヌの神話・伝説に本土時代のものはあるんでしょうか?
おれたちゃ、昔からずっと北海道にいた。津軽海峡の先は知らん。
なのでしょうか?

520 :天之御名無主:04/01/14 00:33
本土時代って何よ?

521 :天之御名無主:04/01/14 12:56
本土にもアイヌ語の地名が広く残っていることから
昔はたくさんいたんだろと言うこと。

522 :天之御名無主:04/01/14 13:19
文化の神が内地から栗や穀物を持って来た、という伝説はあるが、
北海道アイヌの伝説に基本的に内地は登場しない。
内地にいたアイヌは北海道に逃れたのではなく、そのまま同化したのでは?

523 :天之御名無主:04/01/14 14:51
アイヌ伝説の大半は明治以降に採録されたものなんだが...

質問者はかなりの無知?

524 :天之御名無主:04/01/14 14:56
>>523
本土時代のことを語った伝説はあるのかという話とちゃうの?
どっちにしてもないと思うけど。

525 :天之御名無主:04/01/14 15:22
俺はシャモだけど、本州のことを内地とは呼ぶけど「本土」って言われると
なんとなくむかつくな。なぜだろう。

ついでに言えばアイヌ伝説に内地での暮らし云々が出てくるものはないと思う。

526 :天之御名無主:04/01/14 20:13
沖縄  で本州をさすコトバ → 本土
北海道で本州をさすコトバ → 内地

527 :天之御名無主:04/01/14 21:50
「内地」は本州だけではなく、四国九州も含んでいると思われ

いわゆる「大和民族」が古くから住み、いわゆる日本文化が古くから栄えていた地ね。

528 :天之御名無主:04/01/15 03:20
>>523
文章読めないバカ。

>>524
あたり。
本当かどうか知らんが
アメリカインディアンがベーリング海峡(当時地峡)渡る前からの
伝承持ってるのに(「一万年の旅路」)アイヌはないんかいなと思っただけ。
じゃ本土のアイヌは押されて北海道に逃れて地元アイヌと合流したわけじゃなく
同化、要するにおおかた殺戮されたと考えていいんですね。

しかし海挟んでいるとは言え、同朋の行く末全く無視というのもすごいな。

529 :天之御名無主:04/01/15 03:23
サービス残業を強要する企業名を公表するスレッド
http://school.2ch.net/test/read.cgi/shikaku/1073362351/l50

530 :天之御名無主:04/01/15 09:06
>>523>>518に対する言葉だと思われ。

531 :天之御名無主:04/01/15 11:41
当時の交通、通信技術で海峡のむこうがそんな簡単にわかるか?
第一、殺戮されたなどと言っている時点で厨だな。

532 :天之御名無主:04/01/15 12:14
津軽海峡はそうそう簡単に渡れる所じゃないしな。あそこは結構な難所だよ。

なんとなく>528の考え方に違和感を感じるなあと思っていたが、俺の頭の中では
アイヌは千島・樺太方面から南下していって内地の一部にも移動したという
考えがあって、逆に追われて北上したっていう頭がはなっからなかったためだと気付いた。

内地のアイヌが追われて北海道に移り住んだとしても、多分当時の生活様式とかは
ほとんど変わらなかっただろうから、あまり神話や伝承に違いもないんじゃないか。

533 :天之御名無主:04/01/15 15:11
縄文時代に既に海峡挟んでこれだけの交流があったと思しいのに
アイヌの時代になっていきなり難所になったというなら
アイヌって超無能じゃんと言ってるに等しいのでは。
http://www.pref.hokkaido.jp/skikaku/sk-ssnji/joumon/life/exchange2.html

534 :天之御名無主:04/01/15 15:23
津軽海峡が交通の難所なのは今も昔もかわらないのでは。
縄文時代にどのくらいの時間をかけてそれだけの量の交易がなされていたのか、
という部分をすっぽかしてはいかんと思う。

しかしスレの趣旨からずれてきたな。sage

535 :天之御名無主:04/01/15 15:32
質問者はかなりの粘着と思われ

536 :天之御名無主:04/01/15 15:57
てか「一万年の旅路」を例に出してる時点で

537 :こうじ:04/01/15 16:46
本州の最北端の大間に立ってごらんなさい、
北海道がすぐそこに見えます。
昔から津軽海峡の両側は交流が盛んでした。
いつもいつも海峡が荒れている訳ではありません。
海峡の両側で所謂「アイヌ語」が共通言語であった時代はそんなに
昔のことではありませんぞ。


538 :天之御名無主:04/01/15 22:14
津軽海峡はさんで交流あったのは事実だし、江戸中期まで津軽にはアイヌ語を
解する人がいた。
しかし内地が登場する伝説はないし、内地アイヌが殺戮された記録も無い。
内地からアイヌが落ち延びた可能性も少ない。むしろ文化的血縁的に同化したと見るべき

聞き方が悪意に満ちているから荒れるんだよ。

539 :518:04/01/15 22:32
>>523
私の場合、最初に紹介された文献が江戸のものだったので、
近代の、神話概説書やユーカラなどでよく見る神名などが事典としてまとめられているものはないのでしょうか?
とたずねたつもりです。

540 :天之御名無主:04/01/15 23:23
近代以降のアイヌ神話本ならば探すのに苦労はなかろう。
ユーカラなら金田一京介が色々研究して本だしているし

541 :518:04/01/16 00:09
やっぱ事典はないすかねえ

542 :天之御名無主:04/01/16 09:49
>541
540は「近代以降なら探しやすいから自分で何とかしる」って言ってるんだよ。
そもそも人に聞く前に調べたのか?

ttp://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4475018641/ref=sr_aps_b_/250-8856979-2305818

543 :542:04/01/16 10:14
補足すると、ベースが岩波の「アイヌ神謡集」らしい。
伝説・神話を集めたものというよりも、文法解説の書らしいので
>518の求めるものではないかも試練。

544 :518:04/01/16 18:24
金田一全集のアイヌ関係には目を通しました。
>>542にある事典は言語学的なものでした。
神話や物語に特化した事典を目にしたことがないので……

545 :天之御名無主:04/01/17 01:18
自分で探せ!

546 :518:04/01/17 05:02
探してます。

547 :天之御名無主:04/01/18 02:13
何で必死こいて事典探す必要ある?
論文書いているのか?

548 :518:04/01/18 12:43
いえ、特に何も・・・
ないならそれでいいです

549 :天之御名無主:04/01/19 22:41
パソコン買いなおしたのでようやっと再開できますわ
知らん間に荒らしがあったようですな。

寛政四年(1792)の夏、宗谷アイヌの女たち22名が付近の山に山菜取りに出かけましたが、
そのうちの二名が行方不明になってしまいました。このうちの一人は宗谷の長の
妻、夫である酋長は役人の案内人として樺太に出かけている最中でしたので騒ぎは大きくなる
ばかり。仲間の女たちがいくら叫んでも返事は無く、知らせを聞きつけた
男たちが捜索隊を編成して分け入ってもやはり音沙汰などなし。
と、占いの名人であるイフミヌという老婆が
「二人は今も山の峰を歩いていて、そのうち男衆と出会うだろうから心配ないわ」
というのであります。
その言葉に違わず、三日後、山の8合目辺りで二人の女を無事に発見することが
出来ました。
人々が占いの正確さに舌を巻いて尋ねると、老婆はこう答えるのでありました。
「わしが真夜中に神様に祈って魂を静めると、わが身が山になるんだわさ。
あの女衆が山菜取りに入った山にな。そうすると、背中あたりを何かがカサカサ
うごめいて上る。これは迷った女衆の足音だ。背から頭に上り、今度は顔を伝って
降りる。
反対に膝の方から大人数で這い登ってくる者がいる。これは探しに出た男衆だ。
この足音と速さから思うに、両方が出会うのはわしの目のあたり、
山にすれば八合目だよ。」
と、答えたということであります。
イフミヌ婆はそれ以外にも、我が身を海にして、交易船や鰊が海に現れる日を
ピタリと当てたということです。

江戸の寛政年間、幕府役人に随行して蝦夷地を巡った算学者、串原正峯が書き残した
話であります。



550 :天之御名無主:04/01/19 23:00
日本神話にアイヌや沖縄を組み入れるべきです。
彼らも日本を構成する一部だからです。

551 :天之御名無主:04/01/19 23:03
そういう文句はイザナギイザナミ、アマテラス様に直談判しなさい。

552 :天之御名無主:04/01/19 23:04
在日や中国人の神話も組み入れるべきですか?

553 :私もアイヌ:04/01/19 23:06
>>549
お帰りなさい。待ってました。
>>518さんは、荒らしではないと思うのですが・・・
ここに誘導したのは私です。
私では判らなかったので。
とりあえず、これからも宜しく御願いします。

554 :天之御名無主:04/01/20 09:46
>550
神話成立期には大和には含まれてないでしょ、アイヌ・琉球は。
互いの独自性を鑑みても別個に取り扱うべきでは。

>553
518氏のことではないと思いますよ。


555 :私もアイヌ:04/01/20 11:39
激しく勘違いしたようで、申し訳ないです。
論点がずれているような、いないような内容なので、
よく分かりませんでした。

ところで、アイヌ語は十勝地方とか、千歳地方とか、
沙流地方等しかなのに、ここを見ていると、
あちこちの昔話が残っているようですが、
自分の住んでいる周りだけではなく、遠くの昔話も
伝承していたのでしょうか。

556 :天之御名無主:04/01/20 23:38
アイヌは北海道全域に住んでいたのだから、あちこちに昔話があって当たり前。
沙流や十勝はアイヌ人口が多かったためにそれが言語学的にまとめられる機会も多かったのでしょう。
アイヌの神事典は知りません。ただ、かなり古くに出版された「日本の昔話全集」
みたいな本の北海道の巻に、アイヌの昔話が系統別にまとめられていたのを
見た記憶があります。

557 :私もアイヌ:04/01/21 11:46
>>556
レスありがとうございます。
あちこちに昔話があって当たり前なのですが、
例えば沙流地方の人が、宗谷の方の昔話を知っていたのかなと
思ったもので。
それとも各地で収集したんでしょうか。
あ!子供に日本語で伝承してたかも知れないですね。
何にせよ、残っていて良かったです。

558 :天之御名無主:04/01/21 21:53
おそらくシャモの学者が各地をを巡って採集したものでしょう。

559 :天之御名無主:04/01/21 22:18
北見枝幸の海岸に、ウクシュマ(手玉の岩)という地名があります。
伝説によれば、かつてここの山中に熊の王が住み、海にはトドが住んでおりましたが
両者は犬猿の仲、始終いがみ合っておりました。
あるとき両者はついに大激戦となり、死闘の末に熊はトドをむごたらしく斃しました。
あまつさえ四肢を無残に引き裂いて海中に投げ散らし、意気揚々と山に引き上げるところ。
それを見ていた天の神はあまりの惨さに激怒し、熊を捕らえて引き裂き、
トドとともに海中に投げ込んで岩に変えてしまいました。
これがウクシュマの起こりであります。それで、トドの背に熊が乗った形に
なっているのであります。

560 :天之御名無主:04/01/22 22:25
オホーツク海沿岸渚滑の河口のあたりにカムイポチという船に似た岩があります。
オイナカムイが乗り捨てた船がそのまま岩になったものともうします。

561 :天之御名無主:04/01/23 01:10
オホーツク海沿岸、紋別と元紋別の間にチウェンチャシ(我等の悪しき砦)という
ところがあります。
昔のこと、日高だか十勝だか、よその土地から来た者が勝手に付近の山で猟をするので、
その者を追い回して捕らえ、泣いて謝るのに立ち木に縛り付けてひどい拷問を加えた
ことがございました。
その者が宝物を出して謝罪しなおしたので漸く解き放ってやったのです。
しかし先方ではこの仕打ちを恨み、徒党を組んで攻め込んでまいりましたので
たちまち砦の者と戦になりました。この戦の勝敗の結果は定かではありません。
ところがその翌年のこと、夏になると見知らぬ裸の子供が二人、
この砦の砂浜で遊んでいるのです。紋別コタンでは元紋別の子供だと思い、
方や元紋別コタンでは紋別の子供だと思い、お互いに
「あんなところに子供だけで遊びにやるものでないべさ。危ないでないか。」
と、話し合っておりましたが、やがてどちらの子供でもないことがわかりました。
人々は、「戦のときに隠されていた宝が化けたのではないか」とおののき、
この砦をチウエンチャシと呼ぶようになった、とのことです。

562 :天之御名無主:04/01/25 02:38
遠軽(えんがる)町には、瞰望岩という人の顔に似た大岩がございます。
アイヌ語ではインカルシペ(物見をするもの)と呼ばれ、これが地名の語源なのですが、
伝説によれば川下の湧別アイヌと分水嶺を越えた上川のアイヌとが戦をしたとき、
湧別アイヌは劣勢につぐ負け戦、ついには瞰望岩の上に逃れたものの周囲を敵に囲まれて
四面楚歌、明日は玉砕を覚悟する状況でありました。
湧別アイヌの長は最後の望みをかけて月に戦勝祈願したところ、澄み渡った夜空が
にわかに掻き曇って凄まじい豪雨に襲われました。
増水した川は氾濫して麓の上川アイヌの陣はすべて流出し、結果として
湧別アイヌは勝利を収めたのであります。このとき、祈る酋長の顔が岩に移り、
現在の瞰望岩の姿になったのであります。

ところで、20年ほど前に遠軽町役場でこの瞰望岩の写真を撮り、それを
カレンダーに加工したところが、言いようの知れないおぞましい物が映っていたと申します。
オカルト板で以前スレが立っていた有名な話です。

563 :天之御名無主:04/01/25 21:50
>>562
>>言いようの知れないおぞましい物

どんなおぞましいものなんだろう?興味が湧きます。

564 :天之御名無主:04/01/25 23:03
>>563
ここで聞いてみたらいいかも

「心霊スポット北海道part2」
http://hobby4.2ch.net/test/read.cgi/occult/1065283430/l50

肝心の「がんぼう岩カレンダー」スレはかなり以前に落ちたが。

565 :天之御名無主:04/01/26 01:13
オホーツク海岸下佐呂間の砦は、昔佐呂間アイヌが湧別アイヌに攻め込まれた際に
立てこもった所と申します。佐呂間アイヌは苦戦し、終いには投げつける石も無くなって
干し魚の頭を投げるほどであったと申しますが、常呂アイヌの援軍の到着で辛くも
勝利を収めたと申します。

同じオホーツク沿岸でも湧別アイヌは千島系、佐呂間や常呂とは起源が異なるが故、
敵対関係にあったのでした。

566 :天之御名無主:04/01/27 20:57
オホーツク海岸、常呂のあたりにトイタコタンというところがあります。
「畑仕事の村」、の意味。昔オイナカムイが天井から粟を持って下り、
人間に畑仕事を教えたからと申します。

常呂川の支流、無加川の源流には、キムンアイヌが住んでいると申します。

567 :天之御名無主:04/01/28 15:16
>>566
キムンアイヌて何?

568 :天之御名無主:04/01/28 21:41
>>567

>>356参照。
直訳すれば「山の人」。ヒマラヤの雪男のような妖怪だよ

569 :天之御名無主:04/01/29 00:17
湧別川上流、石北本線常紋トンネルは、タコ労働者の幽霊が出るトンネルとして
有名です。詳しくはこのリンクで。
http://www.engaru.co.jp/osusume/joumon/1.htm

570 :天之御名無主:04/01/30 00:42
オホーツク海沿岸に点在する潟湖のうち、ノトロ湖は世界中の魚類の発祥地であると
されております。
その歴史に違わずこの湖は魚に満ち溢れ、魚で湖の口が塞がってしまうことすらあったとのこと。
時には六年余りも口が塞がることがあったとのことです。

しかしやがて漁をする人間が増えて魚も減り、六年おきが三年おき、
三年おきが一年おきになり、現在では開けっ放しのままになってしまったのでした。

571 :天之御名無主:04/01/31 02:00
あの刑務所で有名な網走の町の地名語源は、アイヌ語のチパシリだといいます。
「我等が発見した岩」という意味で網走湖湖岸の笠をかぶった人の形をした岩、
周囲のアイヌたちから崇拝されていた岩のことを指すとも、
この岩の上で神が「チパシリチパシリ」と歌って舞ったとも、白鳥がチパシリ
チパシリと鳴いたという伝承もあります。

これらは伝承が断片的で、話に何の脈絡もありません。

572 :天之御名無主:04/02/02 02:05
北見の美幌のコタンには、マッネモショミという宝刀が大切に守り伝えられておりました。
さて、オホーツク海沿岸のタンネシラリに魔神が住んでおり、数々の悪行三昧を働くので
皆困り果てておりましたが、誰にも退治出来ない。
そこで付近のものは美幌コタンに行き、訳を話して例の宝刀を借り受け、退治に向かったので
あります。
しかし魔神はとても登れない崖の上に陣取っていて、人間はとてもたどり着けない。
隣の岩から橋をかけようとしたところで折られてしまう。
そこでコタンの衆は思い余って刀を投げつけたのであります。刀は狙い違わず
魔神に命中!たちまちにして魔神に喰らい付き食い殺します。
こうして魔神は退治されましたが、刀は絶壁の上で誰も取りに行くことが出来ず、
放置されたままついに蛇に変じてしまったと申します。

結局、美幌のコタンは刀の貸し損になってしまったのでした。

573 :天之御名無主:04/02/02 21:43
道東美幌の駅から出発していた、すでに20年近く昔廃止された相生線。
その活汲駅があったあたりの川向こうに、かつてアイヌたちから崇拝されていた
立岩がありました。文化の神サマイクルが今わの際に自らの姿を岩に残したものといい、
周辺のアイヌたちに酒を捧げられていたものですが、昭和のころに道路工事で
破壊されてしまったと申します。

美幌の川向こう、野崎の立岩も、サマイクルの家臣の子、ポンオキキリマの姿だと
申します。


574 :天之御名無主:04/02/05 21:55
昔、美幌アイヌが網走方面に向かうときは、東女満別から中園、トイタコタン
(現在の昭和集落)のあたりを経由してニクルパケ(東藻琴)のあたりにでたものでしたが、
この中園からトイタコタンの中間あたりにウポポウシという地名があります。

直訳すれば「歌い踊るところ」。昔ある老人が美幌〜網走間の街道を歩いていると
どこからとも無く

ウン ウン ウンフ ウ チュイ  ロレアイク オキナ チュレイロ

と、歌い踊る声がします。藪を掻き分けて近寄ってみると一団が三つの輪になって
それぞれ輪踊りしております。なおも近寄ってみますと突然円舞は乱れ、一団は
鳥になって飛び去ってしまいました。
老人はこの鳥たちは先祖の神に相違ない、と確信し、美幌コタンに帰って
イナウと酒を捧げて祈った、と申します。

575 :天之御名無主:04/02/06 19:08
オホーツク海岸小清水町に蒼瑁(あおいまい)という地名があります。
地名語源はアイヌ語のシュマオイ(岩のあるところ)。
このあたりは砂浜海岸が延々と続きますが、この地のみ岩があるのでついた地名。
伝説では、太古魔神がこの地に岩で簗を作り、知床半島から網走に向かう魚を
一網打尽にしようと企んだことがございました。
創造神モシリエペンケカムイがこれを発見して弓矢で魔神を仕留め、簗を壊して
その岩をすべて浜に揚げ、旧に復したのです。その岩材がアイオイマイの岩です。

簗が壊された今でも、この地は豊漁の地です。

576 :天之御名無主:04/02/07 18:31
知床半島北岸基部の斜里。
その昔、斜里に在ったシャモの魚場に、年老いた狐が住み着いておりました。
魚場で働くアイヌたちはこの狐を神として尊崇し、この狐が蔵の屋根で昼寝などしていても、
決して手出しなどいたしませんでした。
ところがある時、魚場の吟味に来た木村万作という鉄砲自慢の足軽がこの狐に目をつけ、
アイヌたちが止めるのも構わず銃口を向けたのであります。引き金を引けば命中!
かと思ったら不発・・・火縄がいつの間にか消えておりました。
万作は腹を立て、鉄砲を取り替えて新たに狙いをつけたところがまた火が消えて不発・・・
意地になった万作は日を改め、例の狐が寝入っているところを棍棒で打ちのめしたのであります。
急所を打たれた狐は転げまわって屋根から落ち、そのとたん鳥に変じて飛び去ってしまいました。
万作はそれを見たとたん凄まじい恐怖に駆られて引きこもりになってしまい、
斜里の吟味役もクビ、気晴らしに狩に出たところが、仲間の者を誤射してしまい、
あやうく死罪になりかけたのをようようのことで許されたとのこと。

それもこれも、狐の祟りと申します。

577 :天之御名無主:04/02/08 12:11
斜里川の水源あたりに、ある猟師が分け入りました。
夜になり、このあたりは性悪で獰猛な熊が棲む、とかねてから聞き及んでおりましたので
大きな櫟の木の下で火を焚いて用心深く野営しておりましたが、夜半になったころ
櫟が風も無いのに軋む様な裂ける様な音を立てますので、気味が悪くなって
逃げ帰りました。
後日その場所に逝ってみますと、例の櫟の木はあちこち熊の牙や爪で痛めつけられ、
焚き火の跡も踏み散らかされておりました。
熊が狩人を食おうとしたのを櫟が音を立てて忠告を与え、狩人に知らせたので、
怒ったくまに仕返しされたのであります。


578 :天之御名無主:04/02/09 22:41
明治の初め頃、斜里のコタンにイぺランケと言う老婆が住んでおりました。
彼女が若かった頃の話であります。
彼女の夫は腕の良い猟師で、アザラシ捕りを生業としておりました。生活に不自由は無く、
やさしい夫との幸せな生活。
さてある日のこと、夫は全身に斑点のある珍しいアザラシを生け捕りにしてきましたが
それ以来、突然彼は豹変し、イペランケを酷く虐待するようになったのであります。
「夫が何者かに捕り憑かれたのではないか・・・」夫の豹変に戸惑うイペランケは考えた末
その結論に達し、ある晩深夜こっそり置きだし、戸口で鉞を構えて持ち構えております。
と、夜半過ぎそれほど大きくないものが家に入りこむ気配を感じる。鉞を一閃させると
手ごたえを感じ、何かが転がる音。見てみるとそれはきれいな女の片腕でありました。
彼女はその腕を箱にしまっておきました。
その翌晩、イペランケの夢に美しい女が表れて泣いて訴えることには
「我は海の妖怪コシュンプ。アザラシに化けてあなたの夫に憑いたが、昨晩は腕をとられてしまった
あなたに夫を返してあげるし、これから生活に不自由はさせないから、腕を返して欲しい」
とのこと。
イペランケが目覚めてみますと、例の腕はなくなっておりました。
夫は元の優しい男に戻りましたが、まだ若いのに腑抜けのようになって若死にしてしまい、
寡婦になったイペランケ。やはりコシュンプに夫を取られたのででありましょうか。
しかしコシュンプの言葉どおり、一生生活に不自由しなかったと申します。


579 :天之御名無主:04/02/10 15:41
▲全国心霊オカルトミステリースポット▲霊場廃墟怖い話怪談~
http://jbbs.shitaraba.com/travel/611/
                                     (゚∀゚ 〜アヒャヒャヒャヒャヒャ
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     ∧_∧≡    ∧_∧ |ヽ=       ∧_∧≡      ∧_∧ |ヽ
    (・∀・;)≡.   (゚∀゚  )|」=(゚∀゚)〜  (゚∀゚  )≡(゚∀゚ 〜(゚∀゚  )|」
    と  とノ≡   と    つ‖=アヒャヒャ ━━┳とノ≡      と    つ||
     Y  人≡     Y 人=          Y 人≡       Y 人=
     (_)`J≡     (_)`J=         (_)`J≡あひゃ  (_)`J=
               あーひゃひゃひゃひゃひゃ      あーひゃひゃひゃひゃ


580 :天之御名無主:04/02/10 20:55
知床半島北岸の玄関口、斜里の町は青森県弘前市と友好都市関係、夏にはねぷたが
市外を練り歩きます。この友好都市締結のいわれには、北海道開発の悲劇が隠されております。

斜里の魚場、交易場は江戸の寛政年間が開基。しかしこの時期、北のロシアは南下政策を推し進め、
文化年間にはロシア船が樺太、択捉島、さらには利尻礼文島にも現れて上陸、集落を
襲撃する有様。
驚いた幕府は松前藩を奥州梁川に移封して蝦夷地全体を直轄領にし、奥州の諸藩に対して
蝦夷地の駐屯、警備を命じたのであります。
さて、斜里は津軽藩の担当となり、藩士約100名が文化4年夏にこの地へ
入り、翌年春までの警備のため越冬することとなったのですが、皆夏の蝦夷地
滞在経験はあると申せ越冬経験者は皆無でした。一行が到着した旧暦八月下旬は
すでに秋に近く、28日には雪が降る。寒さに驚きながらも彼らは陣屋、長屋の建設に
取り掛かります、しかし満足に建設できたのは松前から移築した一棟のみ、
あとはすべて付近の山から蝦夷松や笹で作るしかない。不安のまま、秋は深まるばかり。
十月、凄まじい寒さが本格的に襲ってまいりました。昼も夜も火を焚くものの、
茅壁の建築は寒さに凍えるばかり。あまつさえ慌てて集めた生木の薪は煙り、
眼病を患うものが続出します。十一月には一面の雪に覆われ、この頃になると
米と味噌だけの単調な食事ゆえに脚気が蔓延、健常者は一人とて見当たらぬありさま。
11月25日、最初の犠牲者が出ましたが、これを皮切りにコロコロと藩士たちは斃れ、
二日に一名の割で死人が出る・・・暮れには犠牲者14名に達しておりました。
明けて文化5年、流氷が斜里の海岸に接岸。生き残りの藩士たちは一層絶望の思いに
苛まれました。敵国ロシアと蝦夷地が氷の海でつながり、遮る物など何もなし・・
寒さ、飢え、恐怖、絶望・・・ありとあらゆる負の項目が藩士を苛みます。

文化五年六月下旬、待望の迎えの廻船がやってきたとき、生き残りはわずか17名、
最初の100名が二割以下に減っていたのであります。
北海道の自然の厳しさを如実に表す事例であります。

581 :天之御名無主:04/02/11 01:21
アイヌの暖房法って、どうだったんですか?

582 :天之御名無主:04/02/11 01:44
>>581
ここできく!

アイヌ その3
http://academy2.2ch.net/test/read.cgi/min/1055765053/


583 :天之御名無主:04/02/11 02:31
誘導リンクはありがたいのですが一応説明。

アイヌは、北方民族でありながら防寒に対しては驚くほど無頓着でした。
民族衣装のアツシ、生地の樹皮布は丈夫で耐水性に優れるものの、防寒には優れず、
そしてその仕立て方も和服とほとんど変わらず、しかも「おくみ」が無い。
その上素肌の上にじかにアツシを着る。「重ね着」もしなかった様なのです。
加えて住居は茅壁、茅屋根で夏向き、朝鮮のオンドルやロシアのペチカのような発達した
暖房施設はなく、ただ炉で火を焚くのみ。
アイヌは着物や家、火で寒さをしのいだのではなく、脂肪分の多い食物を摂取して
寒さに強い体質を作り、そして山菜を乾燥保存してビタミンを補給し、冬を乗り切ったようです。

津軽藩士は米と味噌のみの生活だったので、脂肪、ビタミンの不足で斃れたのです。

584 :天之御名無主:04/02/12 00:14
斜里の町から知床半島ウトロに向かう途中に、マクオイというところがあります。
「幕があるところ」の意味、源義経が戦の際に幕を張ったところとされ、いまでも
土塁の址が残っていると申します。

585 :天之御名無主:04/02/12 02:13
>>583
親切な説明、ありがとう(^○^)
アツシ1枚で冬を乗り切ったんですか。すごい生命力だ!

586 :天之御名無主:04/02/12 21:59
知床半島北岸、海岸線沿いに陸路で行けるどん詰まりの地、ウトロ集落。
ここに怪獣のような姿をした奇岩、オロッコ岩があります。
伝説によればその昔、樺太の先住民族オロッコ族が何故かこの岩の上に住んでいて、
岩の下をアイヌが通りかかると石や木切れを投げつけて悪戯するので皆困り果てておりました。
アイヌはオロッコを何度も攻め立てましたが、オロッコが陣取る岩は高く、険しく
いつも退散させられてしまうのはアイヌの側。
そこでアイヌたちはあるとき一計を案じました。海岸に流れ寄っていた海草を大量に集め、
夜陰に紛れて積み上げて鯨の形を作ります。そしてそのあちこちに魚を仕込んでおきます。
翌朝、オロッコ族は海鳥が騒ぐ音に目を覚まし、浜を見てみますと、鳥たちが渚の大きなものを
ついばんでいる。
「寄り鯨だ!」早合点したオロッコたちは狂喜乱舞して岩を降り、浜に下ったところが、
潜んでいたアイヌたちの猛攻を受けて、ついに全滅してしまいました。
しかし現在でも、この岩はオロッコ岩と呼ばれております。

ところで、ウトロの地名語源は、アイヌ語のウトルチクシ(岩の間を通る)。
関西地方にウトロという地名があることは、2ちゃんねらあになって初めて知りました。

587 :天之御名無主:04/02/13 01:02
>>583
和人の高床の住まいも、防寒対策はゼロに等しい…
精々土壁の中に木の皮を塗りこめる位なもので。
無理に閉め切って火を焚き続けるものだから、冬の間に煙と煤で
眼病を患う人が多かったとか。

そういえば松前に行った時、再現武家屋敷の床の間付きの玄関に、
いきなり大きな囲炉裏があってびっくりしたことがある。
それがお客へのもてなしのつもりらしいんだけど、何だかなあと思った。
参考になる他のモデルが無いから、そういう工夫は出来ても、
家の構造事態を何とかしようとかは思い付きもしなかったんだろうなあ。





588 :天之御名無主:04/02/13 02:04
アイヌの家は高床式ではなくて土座住まい。
この点に関してだけは、和人住居よりも保温性があるがね。
囲炉裏には「木尻」の部分がなく、そのまま土間に通じている。
長い薪をそのまま焚くための工夫だ。

589 :天之御名無主:04/02/13 17:14
>>588
東北の古民家の囲炉裏もそうだね。
土座住まいは確かに高床よりは暖かいかもしれないけど、
和人にしたらそれは「身分の低さ」と直結してるからなあ。
鰊御殿の類も、あんな馬鹿でかい座敷に火鉢一つじゃ
冬寒くて仕方ないだろうけど、それがステータスなわけだし。

すれ違い御免

590 :天之御名無主:04/02/13 19:37
知床半島の突端に白い立岩があり、アイヌたちはここを通るときはいつも
丁寧に礼拝し、イナウを捧げたものでした。
伝説によれば、創造と文化の神サマイクルが天に帰るとき、その姿を残していったのが
この岩だといいます。

ところで、知床(しれとこ)の地名語源はアイヌ語のシリエトク(地の尽きるところ)。
昭和の後期、秘境観光ブームの際は「地の果て」と意訳されて盛んに宣伝されたものでしたが、
実際にはシリエトクにはそんな感傷的な意味なぞなく、単に「突端」くらいの意味。

現在の知床はすっかり俗化され、野生の狐は観光客に餌をねだるありさまです。

591 :天之御名無主:04/02/14 18:33
シシャモ漁で有名な胆振の鵡川。町名の由来である一級河川・鵡川の支流
イモッペ川に沿うた宮戸地区に、円空作とも言われている木製の地蔵菩薩像があります。
1825(文政22)年、ここに漂着していたものをアイヌの若者が発見し、
コタンの神様としておまつりしていたのが始まりです。
やがて鵡川町の開拓が進み、鵡川大漁地蔵尊、通称「イモッペ地蔵さん」として
多くの人の崇敬を集めるようになりました。イモッペ地蔵は大漁、厄除けの
お地蔵様であるのと同時に、縁結びのご利益があると専らの評判でした。
やがて何時の頃からか、毎年8月の例祭の晩に限り、未婚既婚に関わらず
男女がお互い好き同士に交わっても許されると言われるようになりました。
お蔭で祭りの期間は住民は勿論のこと、噂を聞きつけた近在の男女が大勢押しかけ、
いつも大賑わいの様相を見せていたということです。そして祭りの晩に
授かった子は地蔵の申し子として、父親が誰であろうと大切に育てたということです。

戦後はそうした不思議な風習もすっかり廃れ、祭りも以前とは比べ物にならぬ程
小規模なものになってしまいましたが、
イモッペ地蔵尊は今でも境内のお堂の中で、昔と変わらぬ微笑を浮かべながら、
町を見守り続けております。


592 :591:04/02/14 18:37
文政22年→文政8年


593 :天之御名無主:04/02/14 19:51
>>591
>>やがて何時の頃からか、毎年8月の例祭の晩に限り、未婚既婚に関わらず
>>男女がお互い好き同士に交わっても許されると言われるようになりました。

それはすばらすいお地蔵様だなあ。
乱交を楽しんだのはアイヌではなくて和人ですね。
一度参加してみたかったもんだ(w
ヨーロッパにも似たような神様がいたよね。メイデイの神様だっけ?

594 :山野野衾 ◆UJr4Al4ZYM :04/02/14 20:13
>>589
いえ面白いですよ。まあそれでもスレ違いとされるでしょうが・・・。

595 :591:04/02/14 21:13
>>593
仰る通り和人主体でやってたお祭りです。先述したように噂が噂を呼び、近在の町をも巻き込んで
大盛況になったらしいです。
ただメイデイとはちょっと違うと思います。その場で乱交というより、カップル毎に分散して。
お地蔵様公認の夜這い(スワッピング)大会。町の若者の多くが、この祭りの晩に初体験を済ませのだそうです。




596 :天之御名無主:04/02/14 23:12
知床半島を巡って半島南岸に至り、海岸線を南西に向かうと、ペキンノ鼻という小さな岬があります。
地名語源はアイヌ語のペケレノット(割れた岬)、中国の北京とは何の関連もありません。
さて、ここでは戦時中、武田泰淳の小説「ひかりごけ」のモデルとなった
「知床人肉事件」が発生しております。

詳細はこちらで
http://www.h3.dion.ne.jp/~oyama/boukenn-folder/bouken-hikarigoke-ziken.htm

597 :天之御名無主:04/02/16 13:13
知床半島南岸の羅臼集落、この近くにオショロコッという涸れ沢があります。
オショロコッとは「尻の窪み」の意味。
伝説では、オキクルミカムイが寄り鯨を拾い上げ、串に刺して焼いていたところが、
その串が焼けて折れ、びっくりして尻餅をついたくぼみだと申します。
この「オキクルミ、サマイクル、または義経が鯨を拾い上げ、串に刺して焼いた」
「串が岩になった、または串が折れ、びっくりして尻餅ついて窪みが出来た」
という伝説は、各地に存在します。

598 :天之御名無主:04/02/18 00:17
根室地方は目梨郡、ここにリコップオマナイという川があります。
伝説によれば、はるか昔天界に星の子が居りましたが、これが横紙破りの鼻つまみ者、
天界の規則は破るは、他の神や星を困らせるわの挙句ついに天界を追放され、この川の
河口に突き落とされてしまいました。
星はそれでも光り続け、天界に戻るべく許しを乞いましたが果たせず、そのまま岩になってしまいました。
リコップオマナイ川の河口にある大岩がそれ。
リコップオマナイとは、「星の有る川」の意です。

599 :天之御名無主:04/02/18 21:09
道東の浜中町と厚岸町の境辺りにエエスチャロ岩という岩があります。
伝説によれば、かつてこの地に口真似の上手い男女の神がおりました。
あるとき、天界の位の高い神が地の神に何か言いつけていたところ、例の口真似神が
そっくりそのままふざけて口真似したのです。
天界の神は、この無礼を起こって口真似神を、大きな口を開けたままの姿で岩に変えてしまいました。
それがエエスチャロの岩です。エエスチャロとは、「口真似」という意味です。

600 :天之御名無主:04/02/19 22:36
道東厚岸のアイヌとチクシコイのアイヌとが、猟場を巡って戦となりました。
チクシコイアイヌは負け戦、パラサン岬の隣のアイカップ岬まで追い詰められ、そこでも追われて
さらにアイニンカプ岬まで追われました。
チクシコイアイヌはもう背水の陣で防戦しておりましたが、不思議なことに
崖下の厚岸アイヌの矢は岬に届かないのに、上から射るチクシコイアイヌの矢は不思議と
命中する。結局、チクシコイアイヌは勝利を収めたということです。

ちなみにアイカップは「矢が届かない」
アイニンカプは「矢を放っても中腹までしか届かない」という意味です。


601 :天之御名無主:04/02/20 22:49
北海道を探検した松浦武四朗の「近世蝦夷人物誌」はおもしろいよ。
幕末に蝦夷地を探検してアイヌ人から聞いた昔話と和人のアイヌに対する
劣悪な扱いが詳細に書かれてる。

まぁ昔話よりは出会ったアイヌ人の思い出話ってところか。

602 :天之御名無主:04/02/20 23:39
その昔、厚岸の湾内にピラッカムイという怪魚が進入してまいりました。
ちょうどその時パラサン岬で魚を乾していた女がいち早くこれに気が付き、
コタンに御注進したので村は大混乱、上を下への大騒ぎです。
ところが、この怪魚、パラサン岬の辺りまで来て突然岩に変わってしまいました。

これが現在のパラサン岬の崖であるといい、コタンの衆は酒とイナウを捧げて祈ったと申します。

603 :天之御名無主:04/02/22 23:23
その昔、厚岸湾内に切り立った山がございましたが、なぜかこの山、阿寒の山々とは
犬猿の仲。しかし阿寒の山には兄弟が多いものですから多勢に無勢、ついに阿寒の山に打ち負かされて
この地を立ち去ることにしました。厚岸の山は立ち去る際、コタンの衆に形見として牡蠣を残していきましたので、
現在でも厚岸は牡蠣の豊漁地帯、地名からして「アッケ・ウシ」(牡蠣のあるところ)です。
さて、厚岸の山はとりあえず霧多布の琵琶瀬に落ち着きましたがそこにも阿寒の山の冷たい視線が届くので
いたたまれず、ついに国後島に逃れました。これが国後島の爺々岳です。
霧多布の琵琶瀬も国後も、牡蠣の好漁場です。
このような事情のため、厚岸アイヌが国後島に行くと爺々岳が昔を懐かしんでうれし泣きするため、
かならず雨が降ると申します。
そのため、厚岸アイヌは必ず年に一度国後に渡り、祈願祭をしたと申します。

604 :天之御名無主:04/02/23 19:46
昔、厚岸のコタンにカスンデという男がおりました。
カスンデは疱瘡の神パコロカムイが人間の女に産ませた半神半人、彼が歩くと闇夜が
月夜のように輝いた、と申します。
しかしこのカスンデ、性根が良くないものですから皆から嫌われ、ついに叔父に嫌われ、
寝入っているところを打ち殺されてしました。しかし半分神の彼は、殺してもすぐに生き返る。
何度殺しても生き返える。そこでついにたまりかねた人々は彼を殺した後、酷い事に顎骨をはずして
上顎は立ち木をたわめて跳ね飛ばし、下顎は大石を括りつけて川底に沈めてしまいました。
こうしてついに葬り去られたカスンデ。しかしパコロカムイはその行いを怒って
疱瘡を大流行させ、挙句津波まで起こしたものですから厚岸のコタンは全滅してしまいました。
パコロカムイは外れたカスンデの上顎を探し出し、下顎は見つからなかったので木で代用品を作り、
何とかカスンデを甦らせました。するとカスンデは厚岸どころか全世界の人間を疱瘡で殺してくれ、と
頼みますので、さすがに天上の神もたまりかね、ご機嫌取りに明けの明星をカスンデの嫁にしたのです。
こうして、一応カスンデは機嫌を直しました。

時々明星が空に無いときがあります。これは怨みに燃えるカスンデを妻が慰めているから、
と申しまして、伝染病の流行に皆用心した、とのことであります。

605 :天之御名無主:04/02/25 00:49
厚岸の町にお供え山、と呼ばれる小高い岡があり、そこに「逆さ水松」と呼ばれる
巨大なイチイの大木があります。
伝説では、昔の戦のとき、一方の長の母親が毒矢に当たり、今わの際に
「死んでもこの地を敵に渡してはならぬ!」と叫んで地に突き刺した杖が、
根付いたものと申します。

606 :天之御名無主:04/02/26 00:43
厚岸町の逆さ水松についての別の伝説

厚岸コタンの長カモイトクの妻、オッケニは大変位の高い老婆でありましたが、
彼女の死後墓標として立てた杖が根付き、現在の大木になったものと申します。

また、厚岸アイヌと釧路アイヌの戦の際、厚岸勢は劣勢に次ぐ劣勢、いまにも戦を捨てて敗走せんばかりのとき、
突如として現れた異様な風体の老人が厚岸勢に戦の妙法を伝えたので、見事勝利をおさめたとのこと。
その老人が持っていた杖を地に突き立てたのが、現在の逆さ水松と申します。

607 :天之御名無主:04/02/26 14:12
「鹿子舞由来」
宝永(1704〜1711)の頃、江差は林業でも盛んで、南部や津軽から毎年のように
人夫がやって来て、五勝手の檜の伐採に従事しておりました。
ある秋のこと、彼らが仕事の合間に山中で狩りをしていますと、椴川を越えたところで
青・赤・黒・白の牡鹿4頭が、1頭の牝鹿を巡って争っておりました。その様子の余りの面白さ、
気高さに打たれた人夫たちは村に帰ると、その光景の一部始終を村人に語りました。村人
一同も彼らの話に感心し、これを春日明神の神楽となして、永く後世に伝える事にいたしました。
これが、今も江差に伝わる五勝手鹿子舞の由来です。鹿たちの勇壮な名乗りあい、争いの末の和睦、
最後に5頭が皆で踊りながら立ち去る様は、人夫たちの話の内容を忠実に再現したものといいます。

厚沢部の各地区にも、同様の鹿子舞が伝わっております。上里地区では、古く天正(1573〜15
91)の頃津軽の福島から人が移住し、村人は林業で生計を立てておりました。
それから200年余り後の文化(1804〜1817)の頃、上里の人々は先祖の出身地において、
「金銀鹿の生き胆により病気が快癒した大名が、その霊を鎮めるために鹿子舞を始めた」という話を
聞きました。早速自分達も鹿子舞を始めることにし、津軽の福島に「鹿子分け」を申請して指導者を
招き、皆で鹿子舞を習ったということであります。
その他の地区でも、江戸時代の初期から中期にかけて、やはり多くの南部衆・津軽衆が移住してきて
おり、舞の原型も早くから伝わっていたようですが、村人が江差などにも出張し、市中で盛んに舞う
ようになったのは、いずれも正式の所作を学んだこの時期からになるということであります。

608 :天之御名無主:04/02/26 17:46
このスレに昔話カキコしているのは二人のようですね

609 :天之御名無主:04/02/27 00:14
できれば>>607の江差五勝手舞縁起はあと数日後にカキコして欲しかったな。
厚岸逆さ水松伝説は続きがあるのだから。

逆さ水松伝説はほかにもあります。
伝説では、この地に昔ツクノイ婆という占いの名人の老婆がおりました。
あるときツクノイ婆は「近いうち、悪い病気が大流行するだろう。避難するにこしたことはない。」
と、村のものに触れ回りましたが、多くのものは信じません。
ところがしばらくして、内地から来た千石船がこの地に疱瘡患者を置き去りにしたものですから
コタンでも大流行、予言を信じて避難したもの以外すべて斃れたと申します。
このツクノイ婆は長寿の後に他界しましたが、婆の墓に村のものが生前使っていた杖を
突き立てたところ、それが根付いて現在の大木に成長したと申します。


610 :天之御名無主:04/02/27 12:15
>>471-472
おっ、漏れの故郷だ。嬉しい。

611 :天之御名無主:04/02/28 02:15
さらに別の、厚岸逆さ水松伝説

江戸の寛永元年(1789)、国後島や根室地方のアイヌが、場所商人飛騨屋の残酷きわまる
収奪に耐えかねて反乱を起こし、70名あまりのシャモが殺害された「クナシリメナシの乱」が
ございました。
このとき、オイコノイケという老婆がシャモたちが虐殺される場において一人の幼児を
「かわいそうだ」と、ひそかに着物の中に包み込んで匿い、あとで無事に松前の殿様に
送り届けたので殿様から褒美をもらいました。
しかしコタンの者達は「裏切り」ともいえるこの行為を憤り、オイコノイケを追い立てたのです。
彼女は洞窟の中に隠れたまま出ることができず、そのまま餓死してしまいました。
オイコノイケが洞窟の入り口に突き立てた杖に根が付いたのが、現在の逆さ水松だと申します。

612 :天之御名無主:04/02/28 09:16
亀レスだが、>>562の瞰望岩カレンダー(グロ注意)

遠景信用金庫カレンダーの瞰望岩
ttp://www.occultland.com/j/p_2.html
ttp://www.occultland.com/j/img/akanbou_iwa.jpg


613 :天之御名無主:04/02/28 14:03
>> 562
> 遠軽(えんがる)町には、瞰望岩という人の顔に似た大岩がございます。
> このとき、祈る酋長の顔が岩に移り、現在の瞰望岩の姿になったのであります。
> ところで、20年ほど前に遠軽町役場でこの瞰望岩の写真を撮り、それを
> カレンダーに加工したところが、言いようの知れないおぞましい物が映っていたと申します。

>>612
本当に人の顔に見えるよーん。スゴい画像ですね。
カレンダー配布した銀行もすぐに回収してしまったとか書いてありますね。

でも、瞰望岩ってもともと人の顔に見えることで有名な岩なんでしょ?
なのに、なんで今さら回収騒ぎになるのかがギモンでした。

614 :天之御名無主:04/02/28 14:41
まったく同じ角度から撮った写真を比較してみましょうw

通常: ttp://www.engaru.jp/kankou/taiyou/ganbou/gannbouiwa.htm
グロ: ttp://www.occultland.com/j/img/akanbou_iwa.jpg

615 :天之御名無主:04/02/29 00:30
たくさんのふしぎのアイヌ ネノアン アイヌの号に 二つあたまのクマ と言う話がありました。
既出かな。

616 :天之御名無主:04/02/29 04:44
>>612-614
単に写真に手を加えただけだろ。つまらん。


617 :天之御名無主:04/02/29 10:30
草心館「アイヌの神謡」購入
こんないい本が出てるとは知らんかった

618 :天之御名無主:04/03/01 00:05
かつては漁獲高日本一を誇った釧路の港。
この釧路の知人岬には、かつて付近のアイヌたちの尊崇を集めていた二つの岩がありました。
はるか太古、夫婦の神が人間に福を授けるために天下って岩になったものと言い、
春の漁期には盛大な豊漁祈願祭が開催されたものでした。
しかし釧路の港を作る際に男神の岩は爆破され、女神の岩は土中に埋められてしまったと
申します。

619 :天之御名無主:04/03/01 17:09
瞰望岩って「がんぼいわ」だと思ってた…。
自分が子供の頃は飛び降り自殺の名所とよく聞かされてましたが、グロっていうのはどうかと。

620 :天之御名無主:04/03/03 00:53
釧路の知人岬には、橋杭のような一列の岩の列があります。
これはカムイルイカ(神の橋)といい、沖の神である鯱のレプンカムイが
陸の神に逢うために架けた橋だと申します。鯱がここを通る際は人間に姿を見られぬよう、
必ず暴風雨を起こすと申します。

621 :天之御名無主:04/03/04 00:31
釧路市トンケシのあたりには、河童のフントチカムイが出没するといいます。
ある者が霧の深い晩、トンケシのペットオマイのあたりを歩いておりました。
すると目の前を、見知らぬ何者かが歩く後姿。知っている者かと思って呼びかけても、何故か返事をしない。
しかも足跡は鳥の足のよう。いぶかしんでいるとフッと姿を消してしまいました。
彼が唖然としていたところ急に背後から襲われて水中深く引きずりこまれてしまったとのこと。
このフントチカムイは犬のような姿をしているといい、春採の沼にも棲むとの事。
付近の住民は、深夜の一人歩きを堅く戒めたと申します。

622 :天之御名無主:04/03/05 01:10
釧路市春採の春採湖の湖畔には、チャランケチャシという砦があります。
この砦はもともと湖中の島で、この島が陸地と繋がったオヤコツのあたりは、
沼の神トーコロカムイの遊び場として、穢れたことをすることを禁止されておりました。

623 :天之御名無主:04/03/05 20:21
釧路アイヌの始祖キラウコロエカシはもともとアウモイというところに住んで居りましたが、
あるとき一族60名を引き連れて網走に向かい、ここで網走酋長に妹を嫁がせました。
このエカシの妹と網走酋長の間から、美幌、白糠、足寄のアイヌが生まれたと申します。
その後キラウコロエカシは釧路のトウヤに落ち着き、弟は春採湖畔に砦を築き、
別の弟は上川の美瑛に縁付きました。

さて、キラウコロエカシは丹頂鶴のつがいを飼っておりました。
キラウコロエカシの孫、カネキラウコロエカシの代にはその数を大いに増やし、
湿原は鶴が飛び交う、平和な有様。鶴はよく人間に馴れておりました。
ところが千島列島に住まうクルミセ族が突如として道東地方に攻め込んで参りました。
カネキラウコロエカシは祖父の代からの縁戚、美幌や十勝のアイヌをも味方に引き入れ
大いに戦いますが、裏切り者のモイナイという男が本拠地のトウヤの砦への間道をクルミセ側に
タレこんだのであります。
クルミセの急襲を受けるトウヤの砦。男たちは戦いに出払い、女子供ばかりの守りはあえなく陥落しました。
あまつさえクルミセは鶴を面白半分に射落とし、残った鶴もすべて逃げ去ってしまったのであります。
本拠地を奪われたカネキラウコロエカシは三年にも渡る戦の末に、漸く砦を奪い返し、
クルミセを千島へと追いやりました。
こうして漸くのことで釧路の湿原には平和が戻りましたが、丹頂鶴たちは湿原の奥深く
隠れ住み、二度と人間を信じようとしなかったということです。

624 :天之御名無主:04/03/06 23:16
釧路アイヌの始祖についての別の伝説

その昔、雄阿寒の山と海の鯱神は仲が良く、互いに妹を取替え、そして妻に迎えました。
さて、雄阿寒と結婚した鯱神の妹が無事に男の子出産しましたので、ある男の子を子守に頼みました。
ある日のこと、鯱神の妹が我が子を背負ったその子守を連れて山を登っておりました。
ところが着物の裾が枝に引っかかって着物がめくれ、鯱の妹の肌があらわになってしまったのです。
すると彼女は後ろにいた子守を「我が肌を見たな!」と、理不尽にも蹴飛ばしたのです。
子守の男の子は鯱の子を背負ったまま川に落ちたのを漸く流木につかまり、ワッカクンネップ川から
阿寒川、阿寒川から釧路川へと流れ下っていきます。
ちょうどその時、東釧路の御供山のあたりで二人の女が針仕事をしておりましたが、
子供が流木に乗って流れてくるのを見て驚いて救い上げ、養育し、子供たちが成長してから
その女たちと子供たちは結ばれて二組の夫婦となりました。
これが釧路アイヌの祖先だということです。

625 :天之御名無主:04/03/08 00:40
今 釧路ブームなん?

626 :天之御名無主:04/03/08 08:28
このスレのネタ本に、釧路の話が多く載っているんですよ。

627 :天之御名無主:04/03/09 01:41
釧路湿原の東端にある塘路湖は、古来から菱の実の豊かな場所と知られ、ここでは
狩猟民族のアイヌとしては珍しく、植物の菱の実に対する祈祷、「ペカンペカムイノミ」が伝えられております。
古来には菱の実の争奪戦が争われたらしく、湖岸には四つもの砦跡が残っております。
このうち南岸の低い砦はウェンエカシ(悪者爺さん)の砦と呼ばれております。
この砦の主だった老人は素性は定かではありませぬが、悪人でした。
この悪爺さんが守る砦は深い濠を廻らし、丘からの侵入者には万全の守りながらいかんせん
標高が足り無い。そこで湖の中に沼貝の殻で作った鳴子を廻らし、湖からの侵入者にも万全の構えを見せておりました。
しかしこの砦がついに陥落したとき、悪者爺さんは逃げ出そうにも鮭皮の靴がカラカラに乾いて
強ばって足が入らず、唾で湿らせて漸く靴を軟らかくし、何とか履いてやっとのことで脱出したと申します。

ところで、湖畔のコタンには舟歌が伝承されております。
ホー チプ テレケレ フン  ホー チプ ホー フン
意味は「それ船よ飛べ飛べ それ船よそらそら」。
もともと狩猟民であるアイヌは戸外で歌を歌う習慣がございません。
大騒ぎしていますと、獲物を逃がしてしまうからです。
しかし村人が湖の菱の実を採りにゆく時には、声高らかにこの歌を斉唱します。
菱の実は幾ら騒いでも逃げも隠れもしないので、差し支えないのです。


628 :天之御名無主:04/03/09 17:02
文学的な訳だな。俺だったら
ho cip terkere hum
ho cip ho hum
ホ、船 を走らせ フン
ホ、船(を)、ホ、フン
(ホ、フン、は掛け声)
因みにこの手の歌は延々とこの2行を繰り返すのが普通。
なお必ずしも戸外で歌を歌わない、というわけではない。
山菜取り、魔よけ、農作業などの歌は多い。

629 :天之御名無主:04/03/10 00:35
種まきの時は

イホレヤホウ イホレヤホウ スチョイナ スチョイナ

という歌を歌ったはずだな。歌詞に明らかに内地民謡の影響がある。
昭和60年に旭川川村カネトアイヌ記念館で執り行われたイオマンテで、
この歌が歌われていたのビデオで見た。
建築材や船材用に大木を伐り出す際にも、祈りの歌があったはず。

630 :天之御名無主:04/03/10 01:17
塘路湖からさらに釧路川を遡りますと、今度はシラルトロ湖があります。
この沼の東岸は見渡す限りの広葉樹林ですが、そのさなかに二本だけ椴松の大木がございます。
これは天地創造のサマイクルカムイが此処で飯を食べ、
そのときの箸を地面に突き立てたのが根付いたものと申します。

いわゆる「箸立伝説」の最北の例と申せましょう。

631 :628:04/03/10 01:44
>>630の例だが、このネタは刊行物ではなく原資料に再確認したいところだ。
この手の話はオリジナルでは串焼きの串imanitとされていることが多い。
もちろん日本の伝承では二本箸とされる。もとのアイヌの伝承に被せて
作り変えた話という可能性もある。だとすると「箸立伝説」の最北では
なく、北方に広がる大地創造神話の一部ということになるだろう。

632 :天之御名無主:04/03/10 01:50
>631

塘路コタンの島太郎エカシが語った話、ということになっています。
焼串のイマニッの話は海岸部のあちこちに伝わっていますが。

633 :628:04/03/10 01:58
エカシが日本語でわかりやすくした話ではないか、ということ。
同じ語り手の話でも、アイヌ語版と日本語版で単語が異なる場合
がある。「2本」というのが箸っぽいといえなくもないけど。

634 :天之御名無主:04/03/10 02:09
焼串も箸もシャモが知っているものだから、
わざわざシャモにわかりやすく言い換える必要は無いと思いますが。
アイヌも食事に箸(パスイ)を使っていたんだし。

635 :628:04/03/10 02:14
類話が少ないから疑っているだけ。
「箸と二本の大木」は日本の箸立伝承そのものだ。
日本の伝承を取り入れたエカシがサマイクルの話を
書きかえたんじゃないか、と疑っているのよ。
それも日本語で。
まあ、原文なしでは水掛け論になるだろうけど。
アイヌ文化オリジナルの伝承かどうか怪しい。


636 :天之御名無主:04/03/10 02:23
まあ、ペナンペパナンペ話も和人昔話の影響をもろに受けているし、
サマイクルやオキクルミの伝説は義経伝説に塗り替えられたものが多々ある。
明文化されたものでない「口承文芸」変貌しやすい、ということで。

637 :628:04/03/10 02:35
そうそう、時代が問題なのよ。
ペナンペパナンペは日本からの影響はおそらくとても古い。
それにアイヌ人の間で語られたものだ。
だが、日本的要素の入ったサマイクル、オキクルミの伝承は
ほとんどが幕末から明治にかけてのもので、しかも和人に
対して語られている。だからアイヌ人側はそれが日本的伝承
だと知っていた可能性が高い。

638 :628:04/03/10 02:44
あ「幕末から明治」は当たり前だったね。
ペナンペパナンペが古そうというのも異論はあるかもね。
そこは議論が逆になった。要は「日本人向け」という点。

639 :天之御名無主:04/03/10 02:57
しかしシラルトロ湖畔の箸立松伝説が、もとは焼串伝説だったと論じるのは疑問点がある。
「焼串岩伝説」は、
サマイクル神、オキクルミ神が浜で鯨を捕まえ、それを蓬の串に刺して焼いていた。
その串が岩になった。
または、その焼串が焼けて折れ、ビックリした神が尻餅ついてそれが大きな窪みになった、というもの。
この類の伝承地は、やはり鯨が獲れる海岸部である。

しかしシラルトロ湖はかなりの内陸、鯨は難しい。湖の巨大なアメマスでも焼いたのだろうか?
それとも熊でも焼いたのだろうか?

640 :628:04/03/10 03:05
それもそうだ。その土地の話ではないかもしれない。
エカシは塘路のひとだったんだから。
彼のオリジナル素材は塘路の話と考えるべきだろう。
とすると、箸立伝説はどこから来たんだろうな?

641 :628:04/03/10 03:12
エカシはシラルトロ湖畔の出身じゃなかったんだからますます怪しい。
彼が知っていたのは焼き串の話で、それはサマイクルの話だったんだろう。
それをヒントに日本の箸立伝説をサマイクルで語ったんじゃないかな。


642 :天之御名無主:04/03/10 03:16
しかし現にシラルトロ湖畔には二本松があるという。私自身が目にした訳ではないが。
松が現実にあるとすればエカシは現実にこの松を目にした可能性は大きい。
塘路からシラルトロまではそう遠くはないし。

アイヌも食事に箸を使うから、アイヌ自身が箸立て伝説を考え付いたとしてもおかしくは無い。
箸の使用はもちろんシャモが伝えたものだから、箸伝来とともに伝説も伝わったのかもしれないが。



643 :628:04/03/10 03:35
そうかもしれない。
ただ、エカシが思いついたのだとしたら「箸立伝説の北端」ではない。
アイヌ人の箸の使用法については分らないことが多い。
(移動中の食事の際、ということね。サマイクルは移動中だったはずだ)
箸の使用が日本由来という可能性もあるが、断定は出来ない。
サハリンでは北方系の単語で呼ぶし、pasuyが借用語だという根拠もない。
ところが「箸立伝説」は非常に少ない。
日本のに似すぎてますよね、この伝承。そう思いません?

644 :天之御名無主:04/03/10 03:50
似ていることは認める。しかしそれがエカシのリップサービスだったという確証は無い。
サマイクルは箸を持ち歩かず、その辺の枝を折って箸にしたとも考えられる。

いずれにせよ、真相はエカシに詰問しないかぎりわからない。

645 :628:04/03/10 04:04
そりゃそうだ。
エカシは笑ってんだろうな。
それとも無礼な奴と叱られるか。

646 :天之御名無主:04/03/10 04:30
ジュンク堂池袋店の谷さん、かわいい。

647 :天之御名無主:04/03/10 10:49
箸でも串でもどっちだっていいじゃん。
つまんない論争でレス消費するな。

648 :628:04/03/11 17:46
>>647
じゃあもっと有意義な話をふってくれ。
刊行本の要約や箸串論議より実のある
ことがあんたにできるならね。

649 :天之御名無主:04/03/11 19:09
>>648
激しく同意!
この板(というか2ちゃん)って、口のきき方知らない香具師に限って知識量が乏しい・・・。
むしろイタい子だから口のきき方も知らないのかなあ?

不言実行とはいうけれど、批判する人って実のあるネタを提供してくれないよねえ。
所詮はくれくれ君なんだよねえ・・・。

650 :天之御名無主:04/03/11 23:25
>>648
「文献批判」は研究者として大事なのでしょうが、煽りめいた口調は控えたほうが。
荒れたら元も子もないし。

釧路川の水源である屈斜路湖は日本で面積第七位の巨大な湖であります。
ここにはかつて巨大なアメマスが棲んでおりました。その大きさときたら
頭は湖の上手に岩のようにもたげ、鰭は釧路川の銚子口を覆い、背びれは水面はるか
そそり立って日光に焦げ、腹は湖底の砂で磨れる、といったありさま。
もうほとんど湖全体がアメマスと言っても良い状態でありました。
湖畔のものが船を出すと覆され、神様でも退治できない。みな困り果てるばかり。
ところがあるとき、皆の苦難の噂を聞きつけた英雄オタスウンクルが銛を携えて
湖にやってきて、死闘の末見事アメマスの目玉を射抜きました。
しかし怪魚はそれだけでは容易にまいらず、手負いの恐ろしさで銛を握るオタストンクルを
湖底に引きずり込もうとする。オタストンクルは必死になってそばの小山に銛の縄を結び付けましたが
悶絶の末についに小山は引き抜かれ、湖に飛び込んでアメマスはその下敷きになってしまいました。
このとき飛び込んだ山が現在の中島、山がもとあった後のくぼ地がポントーの沼です。
現在でもこの地は地震の多発地帯ですが、これはアメマスが未だ死に切れずもがいているから、とのこと。
昭和13年の地震では湖底に裂け目が出来て強酸性の温泉が噴出し、湖の魚は全滅してしまいました。
未だに屈斜路湖は死の湖。地震で同族を滅ぼすとはなんとも皮肉です。

昭和中期には屈斜路湖に謎の怪獣「クッシー」が棲むとの噂が立ちましたが、アメマスとの
関連性は不明です。




651 :天之御名無主:04/03/14 00:01
屈斜路湖の南岸にある和琴半島。ここの元に「義経岩」という岩があります。
もともとはこの半島の先端にあり、アイヌたちは文化の神サマイクル神が姿を変えたものとして
酒を捧げて祈るのを通例としておりました。
ところがある年出稼ぎに来たシャモの樵が「こんな岩が神なものか、バカバカしい!」と
岩に無作法にも小便を仕掛けたのです。すると神の怒りか数日間は外に出られぬほどの大嵐が荒れ狂い、
やっと天候が回復してみますと岩の姿が忽然と消えておりました。
アイヌたちは怒りますがどうにもならない。ところがしばらくしてから、この岩が湖中に落ち込んでいるのが
発見されました。そこで人々は岩を現在の場所に据えて「義経岩」と名付け、
「義経の弁当岩」と言うのまで据えて「名所」をこしらえたのです。

一方、湖北岸にはサマイクルプウといってサマイクル神が魚を蓄えた高倉が岩になって残っており、
サマイクルオタという美しい砂浜もあります。

652 :天之御名無主:04/03/15 00:09
屈斜路湖畔のクトゥンヌプリには、キムンアイヌが棲んでいると申します。
このものは常人と見た目変わった所は無いが、木を斧や鉈で伐るときは
下に切り下すのではなく、上に切り上げるとのこと。
犬を連れていますが、その犬は石を咥えていて投げつけると申します。
このキムンアイヌは煙草を好み、煙草をあげると喜んで熊の肉などくれますが、
何もやらないと害を加えると申します。

653 :天之御名無主:04/03/16 13:44
屈斜路湖の銚子口、丸山のあたりに昔シュツという位の高い老婆が住んでいて、
この老婆が料理をすれば、鍋のつるが立てる音が高らかに周囲に響いたと申します。
ある年の夏、不猟でコタンが飢饉になったときのこと。コタンの衆がこのばあさんに頼み込みますと
ばあさんはやおら立ち上がって「雪乞い」を行いました。すると夏の盛りなのに
大雪が降って鹿が身動き取れなくなって立ち往生、コタンの衆は皆でたやすく鹿を捕らえ、
飢饉から救われたと申します。

しかし鹿狩りのために天変地異、異常気象を起こしていいものか?山菜が大被害被るのでは?
筆者は非常に引っかかるのです。

654 :天之御名無主:04/03/17 20:19
屈斜路湖北岸の藻琴山のあたりにニセイカウンクル(峡谷の上の衆)のコタンがあり、
湖東岸にはメナシトーチャコタン(東岸のコタン)、西岸にはシュムマトーチャコタン(西岸のコタン)、
そして湖の銚子口のコタンといった具合に、屈斜路湖畔には四つのコタンがありますた。
北岸ニセイカウンクルコタンの者は根性が良くないので北見のウラシベツのコタンに夜討強盗に出かけたものの
打ち負かされ、かえって反撃を受けて全滅してしまいました。
しかし他のコタンのものは善良だったので、無傷で残ったと申します。

655 :天之御名無主:04/03/20 16:57
屈斜路湖北岸の藻琴山は、太古何度も噴火して噴石や火山弾で周囲を苦しめるので
神も人も困り果てておりました。ところがある時、湖銚子口のピンネシリの山が、
無法な藻琴山を懲らすべく槍を投げつけたのであります。槍は狙い違わず藻琴山の
胴に命中!山は真っ二つに裂けて血の奔流が山麓を紅に染めます。
それでも藻琴山は槍を抜き取って構え、ピンネシリに投げ返すものの深手の苦しみで狙い外し、
ピンネシリを僅かに傷つけ、そのまま摩周湖畔の何の関係もない山に刺さってしまいました。
その山はすっかり腹を立てて摩周から抜け出し、国後に引っ越してチャチャヌプリの山になったということ。

この事件後は藻琴山もすっかりおとなしくなってしまいましたが、槍を受けた傷跡は
ヌプリエペレップの大沢となって残り、湖畔には血に染まった大岩。
対するピンネシリには槍を受けたガレ場が残り、「オプタテシケ」(槍が肩を反れた)
という山名になっております。
一方、国後に落ち延びてチャチャヌプリになった山は未だに釧路地方を恋い慕い、
釧路アイヌが国後に行くと山の嬉し泣きで必ず天候が荒れると申します。

656 :天之御名無主:04/03/21 23:36
別の伝説では、藻琴山とオプタテシケ山の争いの巻き添えを食って傷つけられ、
国後に行った山はチャチャヌプリになったのではなく、チャチャヌプリの隣に一度は
鎮まったと申します。
しかし西の空を見るとそこからでも憎たらしい藻琴山が見えるので、その地にも愛想を尽かして
再び飛び立ち、択捉島に安住したと申します。
チャチャヌプリのそばにある沼が、その一時避難場所の跡だと申します。

657 :天之御名無主:04/03/24 01:17
釧路地方から阿寒湖に行くには阿寒川を遡って行きますが、その途中発電所の
ピリカネップ取水口のところに小山があります。
伝説では、文化の神が此処で鮭を獲って小山のように積み上げていたところ、
突如としてレプンクルとオタスウンクルとの戦の知らせが届きました。
文化神は慌ててオタスウンクル側の応援に駆けつけたので鮭はそのまま放置され、
小山になってしまったのでした。

658 :天之御名無主:04/03/24 22:15
その昔、阿寒湖の水面には一面にペカンペ(菱)が茂っておりました。
ところが何故か阿寒湖の神は何故かこのペカンペが大嫌い。
「お前らが湖に茂れば水が汚れるではないか。その上お前らの実を摘みに人間どもが集まって、
一層水を汚してしまう、この厄介どもが!」などと始終嫌味いっております。
ペカンペたちはいつも神のご機嫌をとっては押さえつけておりましたが、
度重なる嫌がらせについに怒り、憤然として湖の藻や岸の草を丸めて湖に投げ込み、
全て立ち去ってしまいました。このときペカンペが投げ込んだ草や藻の玉が、
阿寒湖名物マリモの起源です。湖畔のコタンの者はマリモを「トーサラウンペ」(湖の妖怪)と呼んで
嫌っておりました。

ところで、観光ガイドブックなどには「マリモ伝説」として
「湖畔のコタンの娘がやくざ者と婚約させられたが、彼女の本心は家の使用人の若者だった。
やくざ者は女の本心を知って恋敵を始末しようとしたが、返り討ちにあって死んだ。
しかし使用人も罪の意識で入水し、一連の出来事を知った娘も後を追った。
相思相愛の男女の魂がマリモになった。」とありますがこれは大正時代の創作。
アイヌ出身学者の知里真志保氏などは、本来の伝説を踏まえ、この創作伝説と阿寒湖の
「マリモ祭り」を「でっち上げのいかさま祭り」と、散々こき下ろしておりました。


659 :天之御名無主:04/03/25 02:06
そう言えば、「マリモ」って、「毬藻」だから和語なんだよね。
アイヌ語じゃあない。

660 :とてた ◆0Ot7ihccMU :04/03/25 23:39
>>658
観光客向け創作伝説…この当時からあったんですねぇ。

661 :天之御名無主:04/03/26 00:40
阿寒湖の東の全山針葉樹林に覆われた雄阿寒岳、西の赤ハゲの活火山雌阿寒岳。
この二つの山は夫婦の山でしたが、雄阿寒には北見留辺蘂のポンヌプリを妾山として囲っておりました。
あるとき魔神のニッネカムイが突然やってきて「山のくせに妾を持つとは生意気千万!」と
持っていた槍で雄阿寒を突き刺し、何の罪の無い雌阿寒まで突き刺しました。
雌阿寒の噴火口はこのときの槍痕と申します。
勢いついてポンヌプリまで突き飛ばすニッネカムイ。ポンヌプリは恐れて留辺蘂から屈斜路湖畔に逃れます。
そしてどこに鎮まったかは不明ですが、ここで血の涙の赤い川を流していると申します。
現在でも、阿寒のアイヌが屈斜路湖に行けば、その山が昔を思い出して泣くので、
必ず雨になると申します。

662 :名無し象は鼻がウナギだ!:04/03/26 08:58
このスレに初めてお邪魔します。
東北地方などの昔話に出てくる「天狗」についての話題です。
このスレの雰囲気に合えば幸いです。既出の場合にはご容赦下さい。  
色々,ウェブなどでも調べましたが、「天狗」についての話題は、案外少ないと感じました。

天狗の特徴というのは、赤ら顔で鼻が高く、目がギョロッとしていて、背が高いので、
良く考えてみると、ちょうどロシア人とかスラヴ人達の特徴ではないかと感ずるのです。
(例えば,ひと昔前のソ連の、フルフチョフ書記長のような容貌を思い浮かべて下さい。)

つまり、江戸以前の日本には、シベリアなどからロシア人達が、少しずつ日本に入り込んで
来ていていたのではないかということです。
そして、東北地方などの山奥に隠遁者のように、隠れ住んでいたのを誰かが目撃して、その
人種的特徴を「天狗」として表したのではないでしょうか? 
江戸時代の林子平などは、千島列島にロシア人達が現れてきた頃の 1793年に「開国兵談」を
書きましたが、東北地方にも既にロシア人達が入って来ていたとしたら、面白い研究材料にも
なると思われます。
天狗の話の古さを調べるのが先ず第一歩かも知れません。

あまりにもその特徴がロシア人やスラヴ人に共通した容貌なので、天狗は隠遁ロシア人という
解釈が一番自然だと思いますが、どうでしょうか?
或は,東北だけでなく、北海道でも天狗と似たような昔話などが有るのでしょうか?  
また、関連文献などが有ったら、お教え下さい。

663 :名無し象は鼻がウナギだ!:04/03/26 10:43
>>662のカキコで、林子平の「かいこくへいだん」は「海国兵談」が正しい漢字と
思われます。ウェブに出ていたのでそのまま信じ込んだのが、たたったようです。
今、日本史の教科書が手元に無いのですが、やはり「海国兵談」はウェブサイト
が600以上も有るのに比べて、「開国兵談」のほうは10か所位しか無いので、
「海国兵談」が正解と思う次第です。失礼しました。

664 :天之御名無主:04/03/26 11:17
白人のシベリア進出の時期は1650以降。それを考えたら、その説は怪しい。
白人進出以前から、日本には天狗が伝承されていた訳だし。
第一白人が日本に来るなら当然海路で来るわけだし、住むとしても海岸部。
急に山深く分け入る必要は無い。
天狗のイメージは、古事記の猿田彦と修験道の行者のはず。


665 :天之御名無主:04/03/26 12:46
>>664でレスして下さった人に、この機会を借りて、今のうちに質問します。
蝦夷やアイヌ人達には、スラヴ人達の特徴は全く無いのでしょうか。

666 :天之御名無主:04/03/26 13:00
こんにちは。最初から読んでますがアイヌのお話は面白いですね。
カナンペ、クナンペなんてすごくリズミカルで楽しいです。

667 :天之御名無主:04/03/26 13:05
あ、パナンペとペナンペの間違いでした。ごめんなさい。

668 :天之御名無主:04/03/26 14:15
>>665

もしかしてアイヌ=白人説信じてます?
アイヌは顔の彫りが深く、体毛が濃いとは言え紛れも無い黄色人種です。スラブとの血縁は皆無
ていうか、此処は昔話スレなので続きはアイヌの本スレで。

669 :天之御名無主:04/03/26 15:16
>天狗の話の古さを調べるのが先ず第一歩かも知れません。

山の精霊としての天狗は源氏物語にすでに登場してます

670 :天之御名無主:04/03/27 01:16
>>665

そういう話題は、地理板のアイヌスレで。
http://academy2.2ch.net/test/read.cgi/geo/995061773/l50

671 :天之御名無主:04/03/27 02:06
また別の伝説では、北見の北見富士と雄阿寒の山は、ともに雌阿寒の山に恋焦がれておりました。
そしてそれが元で争いとなり、北見富士は雄阿寒に槍を投げつけたものの撥ね返され、
近くの雄阿寒の妾山に当たってしまいました。思いがけぬとばっちりを受けた妾山は
その場を抜け出し、知床半島にまで逃れてそこに鎮まりました。
それが現在の斜里岳、もともとあった場所がリクントの沼です。
このリクント沼のほとりには見事なアイヌ葱の群落がありますが、
これを採りに人間が近寄ると山の魂は昔を思い出して大泣きし、草も腐るばかりに
雨が降るのでこのあたりに近寄ることは堅く戒められておりました。

672 :天之御名無主:04/03/28 01:06
雄阿寒と雌阿寒は夫婦山でしたが、元来は雄阿寒と摩周岳が夫婦でした。
にもかかわらず雄阿寒は、雌阿寒を妾にしたのであります。
そんなあるとき、雄阿寒は友達の斜里岳と弓の腕比べをしました。ところがふとしたことで
流れ矢が本妻である摩周岳の腿を射抜いてしまったのです。
摩周岳は「妾を持った挙句に我を邪魔者あつかいし、こんなことまでするのか」と
悲しみ憤り、はるか国後にまで隠棲してしまいました。摩周岳の麓の赤い岩はそのときの血、
現在の国後の爺々岳が摩周岳の成れの果てです。
それ以来、釧路や阿寒のアイヌが国後に行くと山は昔の恨みで泣き悲しみ、天候が荒れるので、
必ず煙草を捧げて祈ったと申します。

673 :天之御名無主:04/03/30 00:53
その昔、石狩の山の峰続きにニッネヌプリという、魔神の住まう山がありました。
この山の魔神どもはいつも人間界に出没しては不埒な悪事を働いておりましたので、
ついに英雄オタストンクルが退治すべく山に分け入り、六日六晩もの間天地も崩れ落ちるばかりの
凄まじい戦いの末、多くの魔神を退治しました。しかし魔神の頭目との勝敗は容易に決せず、
なおも死闘は続きます。
しかし魔神は次第に劣勢となって峰から峰、川から陸と逃げ隠れておりましたが
そのつど意図も簡単にオタストンクルに発見されてしまう。進退窮まった魔神は
雄阿寒の山に助けを求めたところ、問答無用で雄阿寒に岩の拳骨で殴り倒されました。
そこで今度は雌阿寒の女神に助けを求めたところ、情にもろい雌阿寒はついつい
魔神に同情して、懐に隠してやりました。
しかしこれを知ったオタストンクルは大立腹、魔神を懐から引出して斬首の上、
雌阿寒に呪いをかけたのでした。
これ以来、雌阿寒の山肌は赤ハゲ、山頂からは臭い噴煙と硫黄の膿が出るのです。
コタンの衆も、魔神を殴った雄阿寒には酒を捧げますが、魔神の味方した雌阿寒には一切祈りなどしませぬ。

674 :天之御名無主:04/03/30 01:00
オタストンクルってかわいい響きですね。

675 :天之御名無主:04/03/31 00:45
別の伝説では、雌阿寒に隠れた魔神を追撃したのはオタストンクルではなく、
国々から選ばれた選り抜きの六十人の勇士だとされています。
六十人の戦士は十二日間の激戦の末魔神の手下を全て退治しましたが、その争いで
で戦士たちも傷つき仆れ、その数を十二名に減らしておりました。
結局最後に魔神を倒したのは僅か六名。この六名と他の神から談判をつけられた雌阿寒は
魔神を匿った罪を詫び、薬湯を沸かして斃れた五十四名の勇士を甦らせてあげたということです。
この薬湯が、現在の阿寒の温泉です。
アイヌ達は魔神を匿った雌阿寒を軽蔑して祀りませぬが、阿寒の温泉の薬功を知ってからは
また酒やイナウを捧げるようになったということです。

676 :天之御名無主:04/04/02 01:15
ある時、悪い魔神が雷神カンナカムイに追われ、逃げ回った末に雌阿寒岳に匿ってもらいました。
そこに一年余りも厄介になっておりましたが、いつも雷神カンナカムイが天空を鳴り騒ぎ通りかかるのが
気がかりで逃げ出したところ、目敏く雷神に捕まってしまいましたので雲を被って逃げ、
逃げて逃げて有珠山のところまで来て今度は有珠山に匿ってもらおうとしたところ、
雷神の投げた槍が魔神を掠めて有珠山に突き刺さりました。これが原因で有珠山が噴火したと申します。
辛くも逃げおおせた魔神が、数年後また阿寒に現われ、またしても雷神の追撃を受けました。
魔神は今度は雄阿寒に匿ってもらおうとしましたが、そこの土は石だらけてもぐりこめない。
マゴマゴしているいちに雷神の槍が天空を裂いて飛んでくる!と思ったらまた狙いを
はずし、そばの小山に命中!小山は訳の判らぬまま泣き喚き、そのままその地を
抜け出し、涙の大雨を降らせつつ日本海の方へと飛びさってしましました。
その山が現在の利尻島、山の痕がペンケ沼です。
このドサクサ紛れに、肝心の魔神はどこかへ姿をくらました、ということです。

677 :天之御名無主:04/04/02 10:09
コシャマイン
木と風と火の男 血 トチをふるわせ 風 みなみをめぐる
夕日 芭蕉布をそめ くれない 頭をつつむ

678 :天之御名無主:04/04/02 10:19
>>677
なんでアイヌのコマシャインが沖縄の芭蕉布で頭を包む?
アイヌと琉球を組ませて、大和民族のアンチテーゼにしたがるサヨのようだな。

679 :天之御名無主:04/04/02 12:23
>>678
沖縄料理は昆布をいっぱい使うので有名だろ。
昆布はどっから来てたと思ってるの?
江戸時代以前から交易はあったんだよ。
北海道で遺跡から沖縄産の貝殻が出土してる。
コシャマインが芭蕉布を纏っていたとは思わんが。
(単なるアイヌの英雄マンセーの文に邪推しすぎ)

680 :天之御名無主:04/04/02 12:29
>>678
ああそうだ、お前さん山丹交易って言葉しらないだろ。
アイヌの一部は遠隔商業もやってたんだ。沖縄も東南
アジアまで交易やってたのも学校で習わなかったのか?
日本の高校なら教科書に載ってるぞ。ミンジョク学校
では教えてもらわなかったのかもしれんがな。


681 :天之御名無主:04/04/02 12:45
>678
さよーな者ではありません。「クオンタインとシフク」を読んで
コシャマインを知り、適当に浮かんだ言葉を並べました。


682 :天之御名無主:04/04/02 12:47
じゃあコマシャインが清の官服着ていれば問題ないだろ。
芭蕉布着ているのは大いに問題ありだが。
第一昆布はアイヌが直接沖縄に持ち込んだものではないし。沖縄の貝も
琉球人が直接持ち込んだものと断定できるか?内地を中間点にしたものだろ?

やっぱり逆切れのサヨですかw

683 :天之御名無主:04/04/02 12:58
>677

念のため言うと、北海道には道南の一部を除いて栃の木は自生していないよ。
コマシャインは道南のアイヌだから問題はないけど。

684 :天之御名無主:04/04/02 13:01
コマーシャルのお時間ですが。芭蕉布って薄くてすごくきれいだなというのと
コシャマインはすごいなっというのが組み合ってなんか悪かったなと思います。

685 :天之御名無主:04/04/02 13:06
まあ、芭蕉布もアイヌのアツシ織も、繊維の質に似た所はあるけどね。

686 :天之御名無主:04/04/02 13:09
>683
ありがとうございます。

687 :天之御名無主:04/04/02 15:34
>>682
いや漏れは自民党(と横山ノック)にしか投票したことのないやや右だよ。
蝦夷地と沖縄の間にはペンチャイ(弁天船)という日本の商人が介在して
るんだが、まあ細かいことは省いたんだ。 少し足りなさそうなのに
詳しい説明をするとこんがらがるんじゃないかとね。

688 :天之御名無主:04/04/02 15:37
あ、そうそう、山丹交易をググったらしのは誉めてあげるよ。
えらいえらい。

689 :天之御名無主:04/04/02 16:50
煽り、荒らしはさりげなくスルー。
煽りや荒らしに反応するのも荒らしと同類です。

690 :天之御名無主:04/04/02 22:39
阿寒湖の東に屈斜路湖、さらに東に世界一の40数メートルの透明度を誇る摩周湖があります。
この湖の中心には岩山の小島があり、カムイッシュと呼ばれております。
カムイッシュとは、神のような老婆、という意味。伝説では、その昔道北にいた名高い長が、
騙まし討ちにあって非業の死を遂げました。長の母である老婆は孫息子を連れ、
辛くも逃れましたが、追手の追撃を逃れるうちに大切な孫と生き別れになってしまったのです。
精根尽き果てたまま道東まで逃れ来た老婆は、摩周湖の神に一夜の宿を求めました。
神は哀れに思い快く宿を貸しましたが、老婆はそこに落ち着くなり、疲れのあまり
島になってしまいました。これがカムイッシュの小島です。
それ以来、人間がこのカムイッシュに近寄ると、老婆は孫が来てくれたと勘違いして嬉し泣きするため、
どんな晴天の日でも必ず天候が崩れると申します。

691 :天之御名無主:04/04/04 15:28
また、別の伝説では

十勝の足寄のあたりに、狩人が住んでおりましたがこれが妾を囲い、
本妻を始終責めさいなんでおりました。
本妻はついに耐え切れず、子供をつれて出奔します。女の足で子供をつれ、疲労困憊。
それでも何とか分水嶺を越えて阿寒の地に逃れ、雄阿寒の山頂に登って神に救いを求めました。
しかし雄阿寒の神は「お前が男なら救ってもやるが、女だから出来ない。」とすげない返事。
あきらめて屈斜路湖に出。北岸の藻琴山に救いを求めますが同じ返事。
さらに西の摩周湖を目指すうちに雪が降り出します。それでも何とか摩周岳に上り、
息も絶え絶えに救いを求めるがまたしても同じ返事。
そうこうする内に雪は見る見る降り積もり、本妻は雪の中で瀕死の状態であります。
摩周岳の神は
「このままお前にそこで死なれては、我は頭を上げることが出来ない。この下の湖の主にしてやるがどうか」
本妻は朦朧とした意識の中、「どうにでもしてください」と答えますので
摩周岳は子供を背負ったままの女を摩周湖に投げ入れ、島の姿にしました。
そんなわけで、今でも島に人間が近寄ると、過去の恨みで泣くのであります。

なんとまあ、救いの無い話ではありませんか。

692 :天之御名無主:04/04/06 01:24
確かに救いのない話ですね。
本妻でそうということは、
アイヌ社会は相当の男尊女卑だったんですね。

693 :天之御名無主:04/04/06 08:38
一つの伝承例を社会全体にスーパーインポーズはできないと思うぞー
男尊女卑云々はどこの社会にだって多かれ少なかれあったと思うし。

694 :天之御名無主:04/04/07 01:27
その昔、摩周湖にはとんでもなく巨大なアメマスが棲んでおりました。
ところがある日のこと、このアメマスが湖水を飲みに岸に下りてきた牡鹿を一飲みにしたところが、
鹿の角が腹に刺さってしまいました。そして苦しんで苦しんでのた打ち回った末に死に、
その死体は湖底から地下水脈に乗って西別川源流の湧水に流れて行きましたが、
あまりの大きさゆえに出口に引っかかってしまったのです。そのために出口を失った
摩周の湖水は今にもあふれそう。
それをいち早く発見した郭公鳥の神があちこちのコタンに急を知らせます。
川上のコタンの衆はいち早く安全な高台に非難しましたが、川下のコタンの衆は神の忠告をまるで無視、
そればかりか、湧水に引っかかったアメマスを発見して「これで何人分になるべか!」などと
大喜びして皆で力を合わせ、アメマスを引っこ抜いてしまったのです。
そのとたん溜まりに溜まった摩周の湖水は大決壊、川下の衆も村も全て押し流されてしまいました。
このときの水流で全てのものが押し流され、出来たのが平坦な根釧台地です。
さて、このとき助かった川上の衆は逃げた高台を聖地とし、今でも篤い祈りを
捧げると申します。

695 :天之御名無主:04/04/08 19:57
摩周岳の東にある西別岳は古来、地獄ポクナシリがあると伝えられて恐れられ、
だれも近寄るものが有りませんでした。
ところがある日のこと、山麓の虹別コタンのトスムシという男が山中を歩いておりますと、
向こうから異様な風体の男がやってまいります。奇妙に思って立ち止まりますと、
男はトスムシに「これから二人でポクナシリに行くんだ!」と命令口調で誘います。
「何でそんなところに行くんだ!」とトスムシが狼狽しても男はやはり厳かな口調で先の言を繰り返す。
そうこうしているうちにトスムシは意識が朦朧となり、催眠術をかけられたかのごとく
男の後についていきます。辺りは昼間だと言うのに暗闇に包まれ、鳴き騒いでいた鳥の声虫の声も
ぱったりと止まります。と、突然男はトスムシを縛り上げ、高い木の上に吊るしてしまいました。
意識がはっきりしたトムスシは驚き慌て、もがき、必死に暴れますが山の中で助けは無く、縄は解けない。
疲れたままで意識をまた失い、やがて本当の夜を迎えます。
翌朝、虹別のコタンではトスムシが行方不明というので大騒ぎとなり、山に分け入って木の上で半死半生のトスムシを発見、
漸く助けました。トスムシをさらった男は死神だろう、と言うことになり、
それからは一層この山を恐れるようになったということです。

696 :天之御名無主:04/04/11 01:53
釧路と十勝の間にある白糠。この白糠を流れる音別川の上流にカラマという地名があります。
伝説によればその昔、厚岸アイヌがこの地にやってきて、木を削って魚の形を作り、それに魚の皮を着せて
川に投げ込んで皆で銛で突いて「カラマ カラマ カラマ!」と騒いでいると突如として山津波が発生、皆は
巻き込まれて水死してしまいました。
それ以来、この地に狩りや山菜取りのために野営すると、水中を走る水音、水を汲んで小屋にかける音、
大勢で騒ぐ声、木を伐る音などがして一睡も出来ないと申します。

しかし、筆者はこの伝説の真意がどうしてもわかりません。

697 :天之御名無主:04/04/12 01:00
>>696
霊魂が残って騒いでいるって事ではない?

698 :天之御名無主:04/04/12 01:04
>>697

「カラマ」と叫びながら魚の模型を銛で突く行為の意味が解らないんですよ。

699 :天之御名無主:04/04/12 10:00
何も根拠が無いのですが、アイヌをおびき寄せるための偽餌では無かった
んだろうかと思いました。

700 :天之御名無主:04/04/13 21:13
音別川の支流、尺別川のそのまた支流にパシウシペツという小川がございます。
伝説では、その昔この付近の海上でトドと鯨が争いました。死闘の末に鯨は劣勢となり、
この小川を遡って何を逃れたのはいいものの、あまりにも遡りすぎて身動きが取れなくなり
結局渇きでのた打ち回った末に無残な最期を遂げました。

そのときの悶絶で川の泥が真っ黒、炭の様になったので「パシウシペツ」(炭のある川)
の地名が生まれたのであります。

701 :天之御名無主:04/04/13 23:04
>>699
これのことですね?
ttp://www.tokachi.co.jp/kachi/jour/01.tokachi/9.html
厚岸勢が白糠勢との戦いで似たような計略を用いたという話。
ちなみにkarmaは「チョウザメ」。

702 :天之御名無主:04/04/13 23:38
しかし十勝厚内のオタフンペ伝説は、「厚岸アイヌが白糠アイヌをおびき出すため、砂で鯨を作った」という話だからね。
白糠の相戸ヤエフチが語った音別川のカラマ伝説では、厚岸アイヌ自身が魚の模型を作って銛で突いている。
何でこんなことする必要があったのか?

「こんな訳の解らないことすると、天罰が下りますよ」という戒めの伝説なのかもしれないし。

703 :天之御名無主:04/04/14 14:45
>>702
魚の模型を作って銛で突くのは、豊漁祈願の儀式なんじゃないの?
狩猟民は狩猟の真似事をして獲物が捕れるように願い事をするというのが、世界中に
普遍的にあったように思う
この伝説は、
儀式の途中、水にのまれて多くの者が死んだ
その霊が今も残っている
 という話なのだと思うけど

704 :天之御名無主:04/04/14 19:06
>701
ありがとうございました。実はまったく無知でして勘で書いたのです。
民話のスケールの大きさに感動していつも楽しみに読んでます。

705 :天之御名無主:04/04/14 20:24
白糠町から二キロ西の海岸に、オショロコッという沢がございます。
アイヌ語で「尻の窪み」の意味。
伝説では、その昔オキクルミだかサマイクルの神がこの海岸で鯨を獲って串に刺し、
焚き火で焼いていたところが、鯨油に火が移って大きな炎が立ち上る。
びっくりした神が尻餅ついたので、こんな窪みの沢が出来たと申します。

706 :天之御名無主:04/04/15 20:34
>>703
俺も、豊漁祈願の儀式だと思います。
そして、この話を収録した当時(明治?)には、
儀式の意味が忘れられていたのではないでしょうか?

707 :天之御名無主:04/04/16 20:37
白糠町を流れる庶路川の水源辺りに洞穴がありますが、この穴はあの世の入り口であるとも、
阿寒方面に通じているとも申します。
その昔、二頭の猟犬を連れた狩人が山中で大熊を発見し、犬に追跡させます。すると
熊は例の穴に入り込んだので犬達もそのまま穴に入り込みましたが、一方は阿寒のほうに出、
もう一匹の犬はついに出てきませんでした。
そこでこの穴は内部で二つに分かれ、一方が阿寒に、もう一方があの世に通じているのだろう、
と噂したということです。」

708 :天之御名無主:04/05/01 00:40
白糠と十勝の厚内の中間辺りにオトベという地名があり、そこに砦の址があります。

その昔、この砦は老夫婦が守っておりました。ところがある年のこと、厚岸から来た盗賊団が
砦を攻めるべく、麓にひそかに進軍してまいります。何も知らない婆さんは砦から出て水汲みに河へと降りていきますが、
月明かりで耳飾りが光ったところを目印にされ、哀れにも射殺されてしまいました。
一方、何も知らない爺さんは砦の中で婆さんの帰りを待っておりましたが、おもてが騒がしいので
見てみると、浜に黒い小山のようなものがあり、海鳥が啼き騒いでいる。
「寄り鯨!」爺さんは喜び勇んで飛び出したところが、その山は厚岸勢が作った砂山のまがい物だったので
厚岸勢に射られ、睾丸を裂かれ、川の中に中身が全部流れ出し、それでも音別まで落ち延びたものの
無残な死に方をしました。
しかし砦を落した厚岸勢も凱歌をあげて船で帰る途中、蜂の大群に襲われて刺しに刺され、
この事実を伝えた者以外全員惨死してしまいました。

その後、音別の者達はこの蜂の居た場所を「チノミ」(拝むところ)と呼び、
通る際はいつも木幣を捧げて祈ったと申します。

709 :天之御名無主:04/05/02 23:59
音別と白糠の中間辺りに馬主来(ばしくる)という地名があります。
地名語源はアイヌ語のパシクル(カラス)。
伝説では、此処に住んでいた位の高い神が船で沖を回っていたとき、突然の濃霧で
進路を失い、困り果てておりました。
と、どこからかカラスの声が聞こえてくる。その声を頼りにして漸く着岸出来たので、
この地名がついたと申します。

710 :天之御名無主:04/05/05 00:04
釧路の国と十勝の国の境辺り、十勝浦幌は厚内。
ここにオタフンベ(砂の鯨)の伝説がございます。
その昔、根室は厚岸のアイヌが白糠アイヌを攻め立てたことがありました。
しかしそれに大して白糠アイヌは砦に篭って頑強に抵抗しますので、戦は長引くばかり。
ところがある朝のこと、砦の白糠アイヌがふと浜を見下ろして見ますと渚に黒い小山があり、
海鳥がたかって鳴き騒いでいる。
「すわ寄り鯨!」
白糠アイヌは戦のことも忘れ、喜んで飛び出したところが、これが厚岸アイヌが砂を盛り上げ、
あちこちに魚を仕込んでおいたまがい物。手薄になった砦はあえなく陥落してしまいました。
この戦で白糠の長は音別の辺りで戦死し、その血で川は赤く染まりました。
ここの小川がフレナイ(赤い川)と呼ばれる由縁です。
音別と白糠のあたりで多くの白糠アイヌが戦死し、死体累々。それにカラスが集まって鳴き騒いだので、
馬主来(ぱしくる)の地名がついたとも申します。

711 :天之御名無主:04/05/05 18:53
釧路の国と十勝の国の境辺りにウコタキヌプリという山があり、狩人が猟をする前には
必ずイナウを捧げて祈ります。
ここはユクランケウシヌプリともいい、天界の鹿を司る神が人間のために鹿の入った袋を
降ろした場所と伝えられ、この辺りに特別鹿が多いのはこのためだと申します。
白糠のアイヌは峰続きの石炭岬やサシウシの岬にも酒を捧げ、鹿が降りてくるように
祈願したと申します。

712 :天之御名無主:04/05/09 01:24
十勝の国は十勝川、その支流利別川の上流、大誉地に近いトプシコタンの対岸には
トミルベシベという川があります。
その昔、この川を数え切れないほどの蕗の刃が葉を広げ、上流から一斉に流れてまいりました。
ところがこれが単なる蕗ではなく、分水嶺を越えた北見だかから攻め込んで来た盗賊団が
「水遁の術」よろしく蕗の中空の茎で息をしつつ水中に隠れて川を下る姿だったものですから
コタンは大混乱、あえなく攻め込まれ、全滅してしまいました。
トミルベシベとは「戦の通り道」の意味です。

このコタンの者が姿を隠した洞窟が、今でも残っているとのことです。

713 :天之御名無主:04/05/09 11:29
このスレ丹念に読み返して見たんだが・・・
もしかして>>255>>261は、アイヌの本スレで「例の問題」で最初に騒ぎ立てた人間と
同一人物?

714 :天之御名無主:04/05/09 15:17
>>713
関係ないだろ。
他スレの揉め事を、このスレに持ち込むな。

715 :天之御名無主:04/05/09 19:46
足寄駅そばの利別川河岸の崖にニカルウシピラという崖があります。
ニカルウシピラとは「梯子のある崖」の意味でありますが、その語源伝説。

その昔、此処には砦がありました。さてある年の冬、日高だか厚岸からきた盗賊団が
利別川を遡り、攻め込んできたのであります。折悪しくその時砦に残っていたのは
老人一人のみ。
防ぎようが無いと悟った老人は、葡萄蔓の梯子で砦から脱出し、カンジキを逆さに履いて
追手の目をくらまし、漸くのことで落ち延びました。

この故事からニカルウシピラの地名が生まれたのです。

716 :天之御名無主:04/05/10 20:26
その昔、利別川と足寄川合流点あたりで、ある老婆がレタルペ
(イラクサの皮で取った繊維で織った、白っぽい色の着物)を作るために、イラクサを盛んに刈っておりました。
夜になったので仮小屋で休んでおりますと、小屋の中に突如として狼が入り込み、
炉の灰の上に丸くなってそのまま眠ってしまいます。突然のことで唖然としておりますと、
今度は熊が小屋の中に入り込んできました。もはや絶体絶命。
しかし老婆は、かねてよりこんなときは「ユーカラを語ればよい」と伝えられているのを思い出し、
炉縁を火箸で打って拍子を取りつつ歌います。
気丈な老婆、しかし熊は隙を見てはとびかからんとする。しかしその度に
先ほどの狼に牽制され、いつも出鼻をくじかれる。
ついに我慢ならなくなった熊は仁王立ちになって老婆に組みかかる所が狼が
下から熊の喉笛に食いつく。そして果てるとも知らぬ死闘大乱闘、
ついに両者全身ずたずたの共倒れになってしまいました。
結局、老婆は無傷のまま助かったということです。


717 :天之御名無主:04/05/12 02:14
本別町はピリベツのコタンに、ケネウイトッパといって大鱒を家紋とする一族があります。

はるか昔、この一族の先祖である男がピリベツ川に蕗を採りに行きますと、見慣れぬ女が
鼻歌歌いつつ蕗を摘んでおりましたが、男の姿を見ると驚き慌てふためいて
鱒の姿になって逃げようとします。
しかし男は慌てずに、大胆にも褌をはずして腰のものを露わにすると、鱒の泳ぐ先に先回りして
腰のものを鱒に見せびらかしました。
鱒は仕方なく女の姿に戻り、男の妻になったということです。
その後子孫も増えましたが、鱒の子孫であることを忘れないように
鱒を家紋とするのであります。

718 :天之御名無主:04/05/12 15:28
>>717
ソレダ!

719 :天之御名無主:04/05/12 23:54
本別町フラツナイに小さな小川がありますが、この水源にあの世の入り口があると言われています。
冬に此処に行くと、寒中だというのに老人が集まって新鮮な蕗を食べている。
しかしそれを見たものはまもなく死ぬといわれております。

720 :天之御名無主:04/05/13 01:11
>>717

アイヌにも家紋があるのですか?
家紋て、豪族みたいなのが目印に始めたものかとおもてた。
米を生産して、それを貯めて、豊かになった者が始めたのだとおもてました。

721 :720:04/05/25 02:21
家紋の質問は取り下げるから、お話の続きを書いてくらさい。(汗

722 :天之御名無主:04/05/26 00:35
本別駅のそばに、義経山、という山があります。
この山の本来の名はサマイクルカムイサンテ。サマイクル神の乾し棚、の意ですが、
伝説ではサマイクル神がここで鯨を料理したといい、山の上には鯨の食べ残しが
岩になって残っております。
さらに隣のオチルシオンカムイの峰は、鯨の頭の残りが岩になったものと申します。


723 :天之御名無主:04/05/27 02:30
利別川流域の池田町、本別町の沼には昔から河童が棲むと申します。
頭が禿げていて、時々「フン!」と大きな声を出す。
海に行きたくなると大水を出すと申します。

724 :天之御名無主:04/05/29 12:47
ある

725 :天之御名無主:04/05/29 23:53
十勝川の支流利別川のそのまた支流に、フンペポネオマナイという川があります。
訳せば、「鯨の骨の川」の意。大昔、津波で鯨が此処まで打ち上げられて死んだからと申します。

726 :天之御名無主:04/06/07 11:09
アメリカンだから

727 :天之御名無主:04/06/10 00:38
十勝の国の南端、広尾町の海岸に一つの立岩があります。

伝説では、その昔山の婆様に一人娘がありました。年頃になったので嫁にやることにしましたが、
どこに嫁にやったらよいかわからない。熊の神は声が大きすぎる。雷神はもっと声が大きくて困る。
考えあぐんでおりますと、娘は突然沖の鯱の神に攫われてしまいました。
心配して心もそぞろの婆様。ところが、年に一回だけ娘は戻ってくるのであります。
そこで年に一回のみの面会を母娘ともに楽しんでおりました。
さて、その年も娘が帰ってきたので喜んでおりますと、その様をジッと見ている者がいる。
無礼な奴だ!と婆様が頬を膨らませますと、その男が実はサマイクル神だったものですから
そのまま天罰で岩にされてしまったと申します。

728 :天之御名無主:04/06/10 21:52
阿寒湖でよく霊がでるってマジ?

729 :天之御名無主:04/06/10 23:42
>>728
そういうネタはオカルト板で聞いて下さい。

730 :天之御名無主:04/06/11 00:00
ほれ、オカルト板の北海道スレ

http://hobby5.2ch.net/test/read.cgi/occult/1077739030/l50

731 :天之御名無主:04/06/13 00:48
>>642
>しかし現にシラルトロ湖畔には二本松があるという。
亀レスですみません。
地元出身の者です。

私も数年前にこの事に興味を持ち、調べましたが、今はこの二本松はありません。
確かに椴松はありますが、明らかに植樹されたものや、樹齢の若い木ばかりです。

しかし、年配の方に伺いますと、確かに”あった”といいます。
残念ながら、湖岸と道路整備の際に伐採されたそうです。(時期は失念)


732 :天之御名無主:04/06/13 00:56
>>731

ありがとうございます。
しかし何故あの人物は「箸じゃなくて串だ!」と固執したのやら。

733 :天之御名無主:04/06/13 01:11
日高山脈南部のラッコ岳は、雷神の住まう山とされております。

その昔、十勝には年に二回千石船がやってきて交易をしておりましたが、
ある年の春幾ら待っても船が来ない。
そこで祈祷してみると、難破したとの神託が下りました。それから一月して漸く
例の船はやってきましたが、嵐にやられて帆柱も舵も折られた満身創痍の状態。
そこで人々は船を陸揚げして修理しました。
しかしいざ完成して進水しようとしたところが、船が大きすぎて動かせない。
そこで長老達は正装し、ラッコ岳の雷神に祈ったところがたちまちの豪雨となり、
船は押し出されて見事に海に浮かんだと申します。

734 :天之御名無主:04/06/14 23:06
>>732

単なる頭でっかちだよ。

735 :天之御名無主:04/06/16 01:27
広尾町は豊似川の上流に砦の址がございます。

ある年、北見のアイヌが十勝に侵攻し、十勝アイヌは広尾町の辺りまで圧迫されてしまいました。
そのとき十勝利別の村おさだったチャンラロも娘のツンランケとともに広尾まで逃れてきましたが、
土地の豊似アイヌの手を借り、豊似川沿岸に砦を築き、北見アイヌの侵攻に備えました。
さて、北見アイヌが怒涛のごとく突進してまいります。激しい戦闘で味方は次々と斃れ、ツンランケの許婚
ポンシコテネも犠牲となります。あわれツンランケは捕虜となり、勝ち誇った北見の長は砦のチャンラロに
「貴様の娘は俺が北見に連れ帰って妻にする。もう何人か美人があったらよこせ」などと
無礼な申し立てをします。これを聞いたチャンラロはなおも抵抗しましたが、哀れ毒矢を受けて斃れてしまう。
しかしこの隙にツンランケは脱走し、ほとんど戦士を失った味方の先頭に立って女だけで戦を進め、
ついに北見アイヌから十勝の国を奪い返しました。

この故事により、豊似の砦址は「メノコチャシコツ」(娘の砦址)と呼ばれております。


736 :天之御名無主:04/06/27 01:50
広尾町に「エチキサイ」という地名があります。訳せば「我らがこすって火をおこしたところ」。
伝説では、雷神と春楡の神が結婚して火を起こし、エゾニュウという草を煮て食べたということ。

昔のアイヌは、春楡の木をこすって火を起こしたのでした。

737 :天之御名無主:04/06/27 01:58
更新乙です
お茶ドゾー つ且

738 :天之御名無主:04/06/27 23:42
日高の沙流川の川筋に、カピウという地名があります。カピウとは鴎のこと。
伝説では、その昔海岸に巣をつくるはずの鴎が何故か山奥のこの地に巣をかけました。
村の衆がいぶかしんでおりますと、まもなく大津波が起こって海岸が全滅したとのこと。
「この鳥は津波来襲を予言したのだ」と、村人は感心し、この地にカモメと地名をつけたのです。



739 :天之御名無主:04/07/01 00:38
保守

740 :天之御名無主:04/07/01 00:38
その昔、日高の国は沙流川河口、サルプトのコタンに男やもめが住んでおりました。
ある日のこと、彼が浜辺で薪を拾っておりますと、死んだ妻に瓜二つの女が妙な風体で昆布拾いをしております。
男が女の顔をよく見ようとすると、女は恥ずかしそうな表情を一瞬浮かべるや逃げ出してしまいました。
男があわてて後を追うと、女は小さな穴の中へ走りこんでいきます。
男も続いて後を追って穴に入る。口の狭い穴は進むにしたがってどんどん広くなり、
やがて穴の中に大きなコタンが見えてまいります。女はコタンに走りこみました。
ところが、女がその父母らしい老夫婦に触れると、かき消すように姿を隠してしまいました。
すると近所の者達が三々五々集まり、葬式の支度を始める。
男はこの様子を呆然と見ておりましたが、ふと気がつくと袂の中に葬式の道具が
いつの間にか入り込んでいる。

男は村に帰り、「あそこはあの世の入り口だ」と、皆に戒めたと申します。

741 :天之御名無主:04/07/01 15:29
そろそろ北海道一周かな?
支援age

742 :天之御名無主:04/07/02 01:12
鵡川の奥のコタンにメトットゥイランという名の長がおりました。
本妻との間に六人、妾との間に一人の子がありましたが、本妻の子はみな親不孝者、
年老いた父の面倒等誰も見ない。しかたなく、妾の子サラパカヨシピンナの世話になっておりました。
メトットゥイランがついに老いて死ぬ直前、妾の子に言い残すことには
「沙流川筋のサルパコタンに移住しなさい。あそこには守り神のフリーがいるから、運が向くだろう」とのこと。
そこで彼は、鵡川から沙流川筋、サルプトコタンの奥、巨鳥フリーの棲むサントヌプリヒに移住しました。
ところがある日のこと、ある女が土豆を掘ろうとしていたところが雌のフリーに先をこされ、
腹立ち紛れに石を投げつけたところがフリーは女を攫ってしまったのです。
そのコタンの長たちは憤り、例の妾の子に「お前の守り神のせいでとんだ災難だ!お前が責任持って退治しろ!
退治した暁には、サントヌプリヒから川下はすべてお前の猟区にしてやるから」といいます。
そこで妾の子サラパカヨシピンナは幅跳び名人のオカタンポトに協力を頼み、フリー退治に望みます。
まず鹿二十頭を狩り、皮を剥いでしっかり縛ります。そしてその皮の固まりをフリーの棲みかの岩穴の口に投げ込むや、
すかさず大きな爪をたててつまみかかる。しかし鹿20頭分の生皮は重く、いくら巨鳥フリーとて飛び立てずもがいている所を
翼を斬って足を断ち、後は滅多切りにして退治してしまいました。
こうして雌のフリーは退治され、連れ合いを失った雄もどこかへ消えてしまいました。

サラパカヨシピンナはめでたく漁業権を手に入れましたが、親不孝者の本妻の子達は
落ちぶれ、各地に落ち延びていったと申します。

743 :天之御名無主:04/07/03 01:17
日高の平取コタンの奥に、周囲からカムイフチと尊敬されている老婆がおりました。
この婆さんは土を入れた壷をいつも持っておりましたが、これが不思議とどんな病にも効くのです。
ところがある月夜のことこの婆さんが皆を集めていうことには
「これから山奥に行かなければならないが、誰も後をつけてはいけない。
後をつけたものは災いがあるだろう」
そして本当に姿を消してしまいました。
しかしある薬草採りの男が、どうしても婆さんの居場所を知りたく、知っているという人を見つけ出して案内を頼みました。
その人は神に酒を捧げて祈ってから薬草採りを山の中に途中まで案内しましたが、
帰り道に熊に襲われて大怪我をしてしまいました。

薬草採りが婆さんにあえたか、それは判りません。

744 :天之御名無主:04/07/05 20:51
age

745 :天之御名無主:04/07/08 23:29
このスレ興味深いね。
2日かけてやっとここまで読んだ。
で、>>650を読んでハッ!と思い出したんだけど、俺が低学年まで通っていた小学校の音楽の授業が変わっていてさ、教科書を使わないし、良くある童謡も習わなかったんだ。
どんな授業かって言うと、ハーモニカやリコーダーの演奏なんかはたまにやっていたんだけど、ダンスと歌が中心。その歌の授業ってのが、音楽の先生が大きな模造紙に歌詞を書いたのを張り出して、それをみんなで歌うわけ。
で、その歌詞の内容ってのが、アイヌの昔話のものが多かったんだよね。
もう大昔の事だからその時に習った歌詞は悲しいかなほとんど覚えてない。>>650の話だと思われる歌の出だしは「アメマス昼寝のその暇に〜」だったかな?
曲調自体はテンポもやや速め、メロディーも起伏に富んでたと思う。
先生は歌の後にその歌に関する物語もちょろっとしてくれたと思うんだけど、まあ>>650に近い内容だったかな。
他にも熊の神様の歌とか、森の主の歌とか、王様の玉座がなんたらって歌とか、星の歌もあったなぁ。
あー、もっときちんと聞いておくんだったと後悔。
この先生のオリジナルの歌詞とメロディーなのか、それとも北海道とかでは普通に習うような歌なのか、どっちなんだろう。
こういう歌を他にも教わったって人いない?

ちなみに、これ、北海道の小学校じゃなくて、東京都区の小学校の話ね。



746 :天之御名無主:04/07/09 01:13
>>745
漏れは屈斜路湖近くの道東出身だが
アイヌに関する授業はほとんど無かったな
1980〜1990年代頃は

他の年代の方はいかがザンス?

747 :天之御名無主:04/07/09 22:55
二年近く書いてまいりましたが、ついにネタ切れです。

残った250レスあまり、何か他の昔話知っている人はご自由にお書きください。
あとは答えられる質問に答えるくらいにします。

748 :天之御名無主:04/07/10 00:08
>>747
もつかれさん
おかげで稀に見る良スレになったな

749 :天之御名無主:04/07/10 03:45
乙ーー

750 :私もアイヌ:04/07/10 12:48
>>747
長らくお疲れ様でした。
私が生まれた小さな部落の話しもあって、楽しかったです。
少しごゆっくりして下さい。

751 :天之御名無主:04/07/11 00:20
>>747
長い間ありがとうございました。

北海道出身なのですが、アイヌの民話をぜんぜん知らなかったので、興味深かったです。

>>745
小・中・高は北海道の学校へ通いましたが、すべて教科書どおりでした。
その音楽の先生は只者でないような気がします。(アイヌ研究家?)
歌や踊りは無形文化財として保存する価値があるものと思うので、その先生にがんがっていただきたいと思いました。

752 :とてた ◆0Ot7ihccMU :04/07/13 22:27
>>747
お疲れ様でした。
>>750
おや、お久しぶりです。

753 :私もアイヌ:04/07/16 22:54
>>752
とてたさん、お久しぶりです。
行き場を無くしてしまいました。ははは

754 :とてた ◆0Ot7ihccMU :04/07/17 01:13
>>753
まあ、あそこは沈静化してよかったですし(ヲチで出来ることなんてほんと限られますから)、
細々とでもアイヌ関連スレを覗いたり書き込んだりでよいのでは。


755 :天之御名無主:04/07/17 01:28
昔話ネタ無くなっても、需要のあるスレだな。

756 :天之御名無主:04/07/27 22:18
他に昔話ないの?

757 :天之御名無主:04/08/08 22:02
保守age

758 :天之御名無主:04/08/12 23:58
だけど、思っていたよりもたくさんあったよね

759 :天之御名無主:04/08/20 19:09
粘着保守age

760 :天之御名無主:04/08/20 20:11
揚げるのは、落ちそうになったときだけでいいよ。
あまりレス消費しないように。

761 :天之御名無主:04/08/24 22:49
= チパシリ =
 いま、この地を網走と呼んでいますが、
 元の名をチパシリといいアイヌ人が名づけたもので、のちになまってアバシリというようになったのだそうです。
 この地方に和人(日本人)が現われなかったずっと昔のこと、
 アバシリの海はもっと奥地まで入り込んでおり、林やよし原が一面につづき、動物などがたくさん住んでいました。
 コタンはニクルの丘とモヨロの丘に分かれ、そこでアイヌの人びとは平和に暮らしていました。
 ニクルの丘には、ロセトという美しくて気立てのよい娘が母のイパンローと住んでおり、
 また二つの丘には、ノッカとシマカというすぐれた若者がおりました。
 コタンの人びとは、「ロセトの婿になるのは、この二人のうちの一人に違いない」
 「それがカムイ様の思し召しなのだ」と信じていました。
 二人はいつしかコタン一の勇者になりたいと、ことあるごとに競いあうようになっていったのです。
 ところが毎年、二人の捕った獲物の数は、ふしぎなことに同じでした。仲間たちは面白がっていましたが、
 二人の果てしない競いあいを心配していたのは、長老で予言者でもあるイカシでした。
 ちかごろ、霊鳥のカムイチカプ(シマフクロウ)が飛んで来てしきりに鳴くのです。
 その鳴き声から、近くコタンに大異変が起こることを予感していました。
 しかし、それがなにであるかは心当りがありませんでした。
 その年も秋になりました。
 カムイチカプは、ますます気味悪く鳴いています。
 大異変が近づいていたのです。

762 :天之御名無主:04/08/24 22:51
 「いよいよこの秋だぞ。コタンが滅びる大異変が起きるのは!」
 そう予感したイカシは、ニクルの丘の砦に祭壇を設け、人びとを誘ってカムイに祈りつづけました。
 その秋は雨ばかりが続き、その日も絶え間なく強い雨が降っていました。
 そうしているうち昼すぎになると、沖合に大きな白い魚が現われたのです。
 コタンは大騒ぎになりました。
 人びとのなかから、「あれはカムイチェップ(神の魚)だ! あの魚を捕った者こそコタン一の勇者だ」といいふらす者が現われました。
 そして人びとは、その大きな白い魚をめぐってノッカとシマカが競いあうにちがいないと思いました。
 イカシはそれを聞くと、
 「それは大変なことになる。だれか二人を止めさせなさい」と命じましたが、すでに遅く二人は大波に向かって丸木舟を漕ぎだしていたのです。
 ポンモイの沖合にはノッカが、
 そしてはるかバイラギ浜にはシマカが見えました。
 「ゴー、ゴッ」と、突然轟音がとどろいて大波が起こり、天まで届くように海水が吹き上がりました。
 そして津波のようになって打ち寄せてきたのです。
 二人が操る丸木舟も見えなくなっていました。
 「大変だ! これではコタンは水浸しだ!」と人びとは青ざめました。
 やがて、イカシの必死の祈りが通じたのでしょうか、雨も大波も鎮まってきました。

763 :天之御名無主:04/08/24 22:53
 そこへ、
 「大変です! 娘のロセトが見あたりません」息きってイパンローが駆け込んできました。
 「ロセトは荒ぶる海をなだめに行ったにちがいないのだ」とイカシは沖合を指差しました。
 「あの波間の豆粒のようなのがロセトだ。ロセトはコタンを救うために飛び込んだのだ」やがてその豆粒は、波間にかき消えるように見えなくなりました。
 「あぁ!とうとう沈んでしまった」
 と、突然天地と海が裂けるような、すさまじい地鳴りがとどろました。
 見ると河口に一つ、バイラギ浜に二つのワタラ(岩)が頭をのぞかせています。
 海水が引くにつれて、それがだんだんと姿を現わし帽子の形になっていきました。
 そのとき、河口の方の岩の陰から一羽の白い鳥が飛び立って、
 「チパシリ! チパシリ!」と鳴きながら、バイラギ浜の二つの岩まで飛んでいき、そのあたりを飛び回っています。
 イカシは厳かにいいました。
 「あれはロセトの生まれかわりなのだ。チパシリ、チパシリと鳴いている。あの岩こそ我らの見つけた岩だ。あの岩があるかぎり、コタンは平和で栄えるのだ」
 なおも白い鳥は、海の上や二つの岩の間を高く低く飛び回っています。
 それから、このコタンをチパシリというようになったということです。

764 :三戦板で採集した和人の伝承:04/09/06 15:55
99 名前:無名武将@お腹せっぷく 投稿日:04/08/14 07:57
〜戦国時代の最中、松前一帯を統治していた相原周防守季胤は、海神の怒り
 を鎮めるためアイヌの娘10余人を捕らえ、人身御供として海に沈めました。
 娘たちを殺されたアイヌの人々は激怒し、決死の覚悟で季胤の軍勢を攻め、
 ついに本拠地大館を陥落。季胤は、2人の娘と共に大沼の湖畔まで追いつめ
 られました。
 2人の娘は湖に身を投じ自決、深手を負った季胤も覚悟を決め、愛馬の手綱
 を引き寄せると湖心の小島に駆け上がりました。そして鞍を解き、背を撫で
 静かに「急ぎあの峰に逃れるのだ」と言い残し、合掌をすると自ら湖底へと身
 を沈めました。じっと見守っていた馬は、ひときわ高くいななき、主人が指した
 方角へ向け湖を渡ると、一気に峰を駆け上がり姿を消しました。
 永世9年(1512年)7月3日のことでした。
 以来、7月3日なると、山に悲しげな馬のいななきが響き、大沼からの形容が
 馬首を西にとり湖畔に伏す姿にも見えることからいつしか山は、駒ケ岳と
 呼ばれるようになったそうです。 〜

 蝦夷駒ケ岳近辺に伝わる伝承。アイヌではなく蠣崎氏が松前大館を攻めたと
 する一本もある。

765 :天之御名無主:04/10/01 21:41:01
久しぶりに覗いてみたら、
新しいカキコミが!
>>761->>764、ありがとう!

実は俺、中高時代、網走に住んでいたので、
チバシリの話は興味深かったです。
モヨロは、アイヌではなく北方から来た部族だと習ったような記憶があります。

>>アイヌではなく蠣崎氏が松前大館を攻めたとする一本もある。

戦国時代では、北海道でも和人同士戦っていたのか?これも興味深い。

766 :天之御名無主:04/10/17 22:13:46
道東に住んでいます
こんなスレを見つけて感激です
アイヌの神話や伝説を調べていたので
私の頃は小学校で副読本をもらい
オホーツクの歴史を勉強しましたが近代が中心で

いまも副読本はもらって授業していますが子供たちは興味なし
もうちょっと関心を持ってほしいですね

767 :天之御名無主:04/12/08 02:30:03
たまにはあげ

768 :天之御名無主:05/01/01 04:53:07
音別の三滝の沼にまつわる悲しい伝説ってどんなの?
教えてエロい人

769 :天之御名無主:2005/03/28(月) 21:54:10
age

770 :天之御名無主:2005/06/18(土) 22:15:47
age

771 :天之御名無主:2005/06/19(日) 01:20:22
自分の地元は平取です。
消防から高校までずっとアイヌの血を引く同級生と共に学んできました。


スレをはじめから少しずつ読んでますが、特に岩知志、フレナイ、貫気別、ニセウ、荷負二風谷など、馴染みの地名が出てくるので、驚きつつも大変おもしろく感じております。




772 :天之御名無主:2005/08/08(月) 22:04:44
保守

773 :天之御名無主:2005/08/09(火) 16:07:07
北海道は130程前まで蝦夷という名前だっただけ。
100年前に出来たわけではない。
昔話ぐらいある。馬鹿にするな。


774 :天之御名無主:2005/08/09(火) 17:13:43
>773

すでに論破された話題を蒸し返すな。

775 :天之御名無主:2005/08/09(火) 19:46:28
道産子乙

776 :天之御名無主:2005/08/11(木) 00:17:00
道民は日本の歴史を語る資格無いよ。

777 :天之御名無主:2005/08/12(金) 02:03:11
>776
なぜだ?
歴史を語るのに資格がいるとは知らなかったなw
俺はヨーロッパ史も日本史も
語るぞ
北海道人だから
他人事としてな

778 :天之御名無主:2005/08/12(金) 02:08:15
大事なスレだから、つまらない議論でレス消費するなよ。
煽りはつとめて無視しろ。

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