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本当の自由とはなにか?

1 :ローカルルール審議中:2005/04/02(土) 16:41:32
よく「自由には責任が伴う!」なんて言われてますけど。
責任が伴う自由などもはや自由ではないじゃん! なんて思いますw

自由って責任とか○○とかなんにも束縛されないのが自由なんじゃないですか?

どうなんでしょう?

2 :ローカルルール審議中:2005/04/02(土) 16:43:19
死ねばいいと思うよ

3 :ローカルルール審議中:2005/04/02(土) 16:44:43
どこまで行っても自分という束縛からは自由になれないと思います。
だから本当の意味での自由は存在しないと思うのですがいかがでしょうか?

4 :ローカルルール審議中:2005/04/02(土) 16:51:13
自分の意思のみに束縛されるのが自由。

まったく、何の束縛も無い、というのは、
意思が存在しないノと同じ。

5 :ローカルルール審議中:2005/04/02(土) 16:52:23
抵抗がなければまともに歩けません
重力がなければまともに歩けません
束縛があればこそ自由があるのです
まさに束縛こそが自由の母なのです
俳句は定型にしたがって俳句となる
もし型をはずせばただのキチガイだ


6 :小さなヨハネ:2005/04/02(土) 17:04:43
「わたしの言葉にとどまるならば、あなたたちは本当にわたしの弟子である。
あなたたちは真理を知り、真理はあなたたちを自由にする。」ヨハネ8・31

7 :小さなヨハネ:2005/04/02(土) 17:10:12
スウェーデンボルグ・天界の秘義1947より
 「人間は再生しつつある間は、かれは主から与えられている自由から、自己
を強制し、またその者の合理的なものがそれ自身を服従させるために、その
合理的なものを卑しくし、また苦しめさえもし、そのことによりかれは天界
的な自分のものを受けるのであって、その天界的な自分のものはその後主に
より徐々に完成され、益々自由になり、かくてそれは善の情愛となり、そこ
から真理の情愛となって、歓喜を得、その自由の中にも歓喜の中にも天使た
ちの幸福に似た幸福が存在するのである。この自由がヨハネの書に語られて
いるものである―

真理はあなたたちを自由にするでしょう、もし子があなたたちを自由にする
ならあなたたちは実に自由になるでしょう(ヨハネ8・32,36)。

この自由の性質は良心を持たない者らには全く知られていない、なぜならか
れらは自分が好きなように行い、誤ったことをほしいままに考えたり、話し
たり、ほしいままに悪いことを欲したり、行ったりして、強制したり、卑し
くしたりはしない、ましてやこうした欲望を苦しめたりはしないことに自由
があると考えているが、真理はその逆そのものであるからであり、そのこと
を主もまた同じ福音書に教えられているのである―

罪を犯す者はことごとく罪の奴隷である(ヨハネ8・34)

この奴隷的な自由をかれらはかれらとともにいて、それを注ぎ入れる奈落の
霊どもから受けており、かれらはこれらの霊の生命の内にいるときは、また
かれらの愛と欲念の中にもいて、不潔な、排泄物のような歓喜がかれらに吹
き込まれ、そしていわば激流に流されるかのように流されて行くときは、自
分自身が自由の中にいると考えているが、しかしそれは奈落の自由なのであ
る。この奈落の自由と天界の自由との間の相違はその一方は死のそれであっ
て、かれらを地獄に引きずりおろすに反し、他方はまたは天界の自由は生命
の自由であって、かれらを天界へ引き上げるということである。」

8 :宇宙原理:2005/04/02(土) 18:54:14
「自由」という言葉の直感として、自由は「善」とか「すばらしい」という
一方的な評価で受け止められやすいけど、広義にみれば「何でもやりたい放題」で
場合によっては人殺しの自由(戦争など)などということもあったりして、
自由は必ずしもすべての人にとっていつも良いとみなされないときもある。

自由と同じく「平等」も良い面と悪い面両方を考えなければいけないだろう。
自由とか平等は一見すると良い面だけで評価されがちで、デメリットの部分には
あまり触れることがない。欠陥のある側面については、その対峙する概念で
補う必要があると思う。「相互補完」がなされないと、そのひとつの
価値観のなかの「良くない部分」によって行き詰るときがくるような気がするのだけど。

9 :ローカルルール審議中:2005/04/02(土) 19:00:16
で、自由って何よ。
そいつよカキコしてよ。

10 :自由=発狂でつよ:2005/04/02(土) 19:12:48
                 / ´ ̄ ̄`ヽ
                ノ         ヽ
               ノ  -=・=-∴-=・=- ヽ
              ノ            `、
              l              l
              `、 \      / ノ
               丶  ` ―― ´   ノ
                 \,_   _/ヽ、
    ┌──-、   \___/~..十──---、
         `ニニ_  \  /\    ノ |      .\
            `T  ヽ/\  ヽ/ ├──‐‐ヘ  \
             ヽ     ヽ/   |      \  \
              \_____,/     |        し、_ノ
             r─‐┤       ト、
           /// `⌒⌒⌒⌒⌒  ヽ
          ////川i        ii iミヽ
         /ヾレ巛巛川川川川川川リリリ!
         |   、/`ゞW人八从川川リリ
         |、、ヽ |       |    |
         小ヽ、 |       \   ヽ
          ト、′〈        ヾ、ヽ `ー、
           |   )         \   ノ
          |  /           _|  /
         ⊂,__」           (__ノ


11 :宇宙原理:2005/04/02(土) 19:14:55
>>9
「自由」ということばだけをとるなら、物質界においては原理・法則の範囲内で
何でもできるということだし、人の空想や夢などの世界においては、
物質界の原理法則を超えた思考がすべて可能だということだろう。

12 :ローカルルール審議中:2005/04/04(月) 01:01:23
もし、神がいるとして神は自由なのか?
結局の所、完全なる自由意思なんてものは存在できないのかも知れません。
「何かをしたい」と思うのは、つまり、それをする為に造られたからです。
神も同様に、「何かを造る」為に造られたのかもしれません。
ロード・ダンセイニのペガーナの神々の冒頭にこんなくだりがあります。

まだこの世がはじまらない前の、
ふかいふかい霧のなかで<宿命(フェイト)>と<偶然(チャンス)>とが賽をふって勝負をきめたことがあった。
そうして勝負に勝ったものは霧を超えて、マアナ=ユウド=スウシャイのそばに近づきこう話しかけた。
「さあ、わしのために神がみをつくってもらおう。
わしは賽にふり勝ち、勝ちびとに渡されるものを手にいれたのだから」
その賭けに勝ったのはだれで、また、この世がはじまらない前の、ふかいふかい霧を超えて、
マアナ=ユウド=スウシャイに話しかけたものが、
<宿命(フェイト)>だったのか<偶然(チャンス)>だったのか
---それを知っている者は、ひとりもいない---

ロード・ダンセイニ 「ペガーナの神々」より


本当の自由を勝ち取ったとしても、それはつまり、
本当の自由を勝ち取る為に造られたに過ぎないのではないかと。

13 :ローカルルール審議中:2005/04/04(月) 18:48:36
お前は無責任だ!って言われたらムカつかないのか?
自分で考え自分で意思決定をするとき初めて自立や独立が出来る
責任を持つことが自由になることだと思うけど

14 :ローカルルール審議中:2005/04/04(月) 19:37:37
>>1
独房。

15 :ローカルルール審議中:2005/04/04(月) 20:12:20
>>4
「自(おのれ)由(よる)」に、束縛を意味するようなものは含まれていませんが。

16 :ローカルルール審議中:2005/04/04(月) 20:19:32
自由なんてない。

17 :ローカルルール審議中:2005/04/04(月) 20:24:56
>>15
「自(おのれ)由(よる)」の「由(よる)」↓の(3)の意味じゃないの。

---
よ・る 0 【因る/▽由る/▽依る/▽拠る】


(動ラ五[四])
〔「寄る」と同源〕
(1)ある物事が起きる原因となる。《因・由》
「不注意に―・るミス」「金属疲労に―・る破損」「人言の繁きに―・りて/万葉 3464」
(2)ある物事の手段・方法、あるいは材料となる。《依》
「武力に―・る解決」「コンピューターに―・る処理」
(3)ある物事の根拠・基準・理由となる。《依・拠》
「法律の定めるところに―・る」「人は見かけに―・らないものだ」
(4)軍勢・人などが根拠地としてたてこもる。《拠》
「大坂城に―・った豊臣方」
(5)ある物事に関係する。物事の有り様に応ずる。《依》
「成功するかどうかは君の努力次第に―・る」「相手の出方に―・っては実力行使もある」「所に―・り雨」「事と次第に―・っては…」「冗談も時と場合に―・る」
[可能] よれる

三省堂提供「大辞林 第二版」より
---

18 :ローカルルール審議中:2005/04/04(月) 20:47:02
>>17
(1)だろうね。
(3)に「由」は含まれて無い。

19 :ローカルルール審議中:2005/04/04(月) 20:56:59
>>18
>(1)だろうね。
>(3)に「由」は含まれて無い。

君のその定義によると、
外界の影響から完全に遮断された状態は自由だね。



20 :ローカルルール審議中:2005/04/04(月) 20:58:49
>>19
字義から離れた言葉遊びは、不毛だからやめた方がいいね。

21 :ローカルルール審議中:2005/04/04(月) 21:16:37
>>20
どういう点で離れているの?

論理的帰結が、自分の意図と異なることを、
「言葉遊び」でごまかすのは安直な逃げじゃないかな?


22 :ローカルルール審議中:2005/04/04(月) 21:17:52
おまいら国語学者の金田一さんにでも訊け

23 :ローカルルール審議中:2005/04/04(月) 21:20:56
>>21
「自(おのれ)由(よる)」は、「俺の定義」ではなく
>>17の(1)により明確。
「おのれ」が「原因」となっている場合に、「自由」となる。
「外界の影響から完全に遮断された状態」などという解釈は、自分勝手なものに過ぎない。
まあ、それも「自由」かな。

24 :ローカルルール審議中:2005/04/04(月) 21:34:35
>>22

他人によるんじゃ自由じゃない。自分で決めなくっちゃ。

25 :ローカルルール審議中:2005/04/04(月) 21:39:20
>>23
ええと、「例示」と「定義」を混同してるようだが・・・・。

>「おのれ」が「原因」となっている場合に、「自由」となる。
が、「君の」定義なんだろ?

>「外界の影響から完全に遮断された状態」
というのは、その定義に合致する一つの例として示しただけ。


26 :ローカルルール審議中:2005/04/04(月) 21:39:22
>>1

責任に束縛されるなら自由ではないね。自由には責任が伴うだろ。
責任も自分次第だよ。自業自得だね。

27 :ローカルルール審議中:2005/04/04(月) 21:44:54
>>25
「外界の影響から完全に遮断された状態」から
「おのれが原因となる」ことができなければ
「自由」が成立する保証は無いね。
論理的な帰結であるならば、成立が保証されなくてはならない。
顔を洗って出直して下さい。

28 :ローカルルール審議中:2005/04/04(月) 21:47:06
だから、「言葉遊びは不毛だ」と、予め釘を差しておいたのに。

29 :ローカルルール審議中:2005/04/04(月) 22:22:33
>>27
つまり、自分が蹴っ飛ばした石が壁に跳ね返って、
頭に当たって怪我したら、これは自由で、
他人が蹴っ飛ばした石が頭に当たって汚したら不自由ってこと?

30 :ローカルルール審議中:2005/04/04(月) 22:26:46
違う。というか例が不適切。
自由は自分でその理由を完全に決定できることを指す。
自分が蹴っ飛ばした石を確実に自分の頭に当てることが出来るならそれは自由だが実際にはそうではない。

31 :ローカルルール審議中:2005/04/04(月) 22:28:06
>>30
>自由は自分でその理由を完全に決定できることを指す。

それは、
>>4
と、どう違う?

32 :ローカルルール審議中:2005/04/04(月) 22:32:33
他の何かの干渉を受けずに、自分で状況をコントロールできる状態。
という意味では>>30>>4も同じこと

33 :ローカルルール審議中:2005/04/04(月) 22:39:20
>>31
そもそも、「自由」という言葉においては、本来語られていない「束縛」という概念を
密輸しようという試みが、根本的に誤っているんだな。

束縛により、自由となることもあれば
束縛されることなく、自由となることもありうる。
というのも、「自由」という言葉においては
束縛を意味する概念が含まれていないからだ。

34 :ローカルルール審議中:2005/04/04(月) 22:44:22
論理学においては自由と束縛は二値的に決定するんだが、
日常的には自由は束縛に対して相対的に使われるな。

「前の刑務所に比べれば自由だ。」

35 :ローカルルール審議中:2005/04/04(月) 22:46:40
>>33
ようわからん。

>自由は自分でその理由を完全に決定できることを指す。

わけではないの?

36 :ローカルルール審議中:2005/04/04(月) 22:56:40
>>35
「自分で決定する」のではなく、「自らに由る」だけ。
この場合、意思が介在することは、特に言及されておらず、束縛の概念も見出せない。
例えば、「原因のわからないひらめき」や「思い付きによる行動」などには
意思の介在を見出すのは、はなはだ困難だろう。
外的要因により、そのようなことが起こったとしても
「自らに由る」のであれば、それは「自由」だ。
つまり、「外的要因のような束縛」があったとしても
「自由」の字義においては、関知するところではないということ。

37 :ローカルルール審議中:2005/04/04(月) 22:58:16
>>36
>「自分で決定する」のではなく、「自らに由る」だけ。
じゃあ、君の定義では、やはり、

>>29
は、真?

38 :ローカルルール審議中:2005/04/04(月) 22:59:40
>>37
「俺の定義」ではなく、「字義」だと
何度言ったらわかるのだ。

39 :ローカルルール審議中:2005/04/04(月) 23:00:23
束縛から解放されているだけではなく、自己実現が出来ること

40 :ローカルルール審議中:2005/04/04(月) 23:00:58
>>38
で、その「字義」とやらでは、

>>29
は、真?

41 :ローカルルール審議中:2005/04/04(月) 23:05:50
>>40
蹴った石がそのあとどのような動きをしようとも
蹴った人間の「自由」とは無関係だ。
他人が蹴った石なら言うまでも無い。
「自由」の意味が及ぶのは、「当人が石を蹴る」までだ。

42 :ローカルルール審議中:2005/04/04(月) 23:05:55
児戯だか字義だかしらんが、用例を無視した言葉遊びはやめないか

43 :ローカルルール審議中:2005/04/04(月) 23:12:24
>>41
>「自由」の意味が及ぶのは、「当人が石を蹴る」までだ。

でも「字義」とやらでは、
>この場合、意思が介在することは、特に言及されておらず
じゃないの?


44 :ローカルルール審議中:2005/04/05(火) 01:27:52
>>43
「言及されておらず」=「言及されていても、されていなくても構わない」

45 :ローカルルール審議中:2005/04/05(火) 02:01:27
>>44
>「言及されておらず」=「言及されていても、されていなくても構わない」

では、

>>36
>「自分で決定する」のではなく、「自らに由る」だけ。
>この場合、意思が介在することは、特に言及されておらず、束縛の概念も見出せない。

は、

>「自分で決定する」のではなく、「自らに由る」だけ。
>この場合、意思が介在することは、言及されていても、されていなくても構わない、束縛の概念も見出せない。

いったいここで「構わない」というのは、どういうことについて「構わない」ということを言っているのですか?



46 :ローカルルール審議中:2005/04/05(火) 02:45:33
>>45
言葉遊びの付き合いもここまでだな。
ちょっとしたミスに、目くじら立てることしか出来ない程、論破されている訳だ。
そのミスを、文章に代入し変な文章を作る。
論理的に破綻したら、この程度の反撃しかできない。
さて、ミスを訂正し
「言及されておらず」=「言及されていても、されていなくても構わず」
とすれば
>この場合、意思が介在することは、言及されていても、されていなくても構わず、束縛の概念も見出せない。
となり、「されていても、されていなくても構わず」が「意思が介在する」にかかることになる。
「構わず」だけを取り出すことが、どれほど間抜けな行為かわかるだろう。

ここで俺が、相手にすることを打ち切れば、おまえはもはや、書き込む何ものも持っていないだろう。
何か持ってるなら、俺の書き込みに依存しない書き込みをどうぞ。

47 :ローカルルール審議中:2005/04/05(火) 04:12:38
>>46
>となり、「されていても、されていなくても構わず」が「意思が介在する」にかかることになる。
いや、それは最初からわかっていますが。
まあ、それにあわせて、

>「自分で決定する」のではなく、「自らに由る」だけ。
>この場合、意思が介在することは、言及されていても、されていなくても構わず、束縛の概念も見出せない。

としてですね、この文章、日本語としてようわからんわけですよ。
これは、「自由」の「字義」を説明している文章のはずですね?

>「自由」の「字義」は、「自分で決定する」のではなく、「自らに由る」だけ。
これはよくわかります。
しかし、これに続いて、

>この場合、意思が介在することは、言及されていても、されていなくても構わず、束縛の概念も見出せない。
というのがさっぱりわからない。
>>36
のオリジナルの文、
>この場合、意思が介在することは、特に言及されておらず、
であれば、
「自由の字義では、意思が介在することは、特に言及されておらず、束縛の概念も見出せない。 」
ということで意味はわかりますが、これを、
「自由の字義では、意思が介在することは、言及されていても、されていなくても構わず、束縛の概念も見出せない。 」
とするとさっぱりわからないのですよ。




48 :ローカルルール審議中:2005/04/05(火) 04:22:38
>>46
つまり、

>「自分で決定する」のではなく、「自らに由る」だけ。
>この場合、意思が介在することは、言及されていても、されていなくても構わず、束縛の概念も見出せない。

というのは、

 「自由の字義」においては、
 (自由であるかどうかを判断しようとする事柄について)
 意思が介在することが言及されていようがされていまいが構わず(自由の字義に適合すると言え)、
 束縛の概念は見出せない。

という意味なのか、

 「自由の字義」に、
 意思が介在することが言及されているかいないかは知らないが、
 それがいずれであろうと(自分にとっては)構わず、
 束縛の概念は見出せない。

という意味なのか、それとも、別の意味なのか、
あるいは、「自由の字義」とはまったく別のことを述べているのか。
ということですが。

49 :ローカルルール審議中:2005/04/05(火) 08:06:11 ?
[自由](名・形動)
1.心のまま。思うまま。自在。freedom
2.他からの拘束・束縛を受けないこと・さま。freedom
  -用例:君の〜にまかせる。
3.政治上は、参政権その他の政治的行動に国家権力の干渉が無いこと・さま。freedom
  -用例:言論の〜。
4.哲学では、自分の権利・義務・認識に基づいて他から支配されないこと・さま。liberty
5.法学では、法律の範囲内における自律的活動。liberty

(講談社 日本語大辞典 1989.11.6 第1刷発行)

50 :ローカルルール審議中:2005/04/05(火) 08:07:50 ?
そもそも「自由」って明治以降に作られた訳語じゃなかったっけ?
漢字1文字ずつに分解して意味があんのか?

51 :ローカルルール審議中:2005/04/05(火) 08:22:56
>>50
>そもそも「自由」って明治以降に作られた訳語じゃなかったっけ?

昔からあった言葉ようです。

 じゆう(‥イウ)【自由】
1 (形動)自分の心のままに行動できる状態。思うまま。「子どもの自由にさせる」*長門本平家‐一「自由に任せて延暦寺の額を興福寺の上に打せぬるこそ安からね」
2 ある物を必要とする欲求。需要。*浮・日本永代蔵‐四「是は小紅屋といふ人大分仕込して世の自由をたしぬ」

/国語大辞典(新装版)ゥ小学館 1988

>漢字1文字ずつに分解して意味があんのか?

漢字は表意文字なので一字一字に意味がりますね。
自分にとって初見の単語でも漢字で書かれていれば
その意味が感じられる。 



52 :ローカルルール審議中:2005/04/05(火) 08:36:01 ?
いつも忠実に表意文字として使われるわけじゃない。
熟語としてはじめてある読み方や意味を持ったりするだろ。

53 :ローカルルール審議中:2005/04/05(火) 08:37:23 ?
なんにせよこのスレで漢字1文字ずつの由来をうんぬんする事が有意義だとは思えないけどね。

54 :ローカルルール審議中:2005/04/05(火) 14:49:23
「本当の自由」を探求するにあたって、色々な角度で議論するのは悪くないと思いますよ。

55 :ローカルルール審議中:2005/04/05(火) 15:08:09
辞典通りに、また一般的な用法通りに解釈していては
例えば、「規律ある生活に意義を見出す人は、本当は自由なのだ」という
見方は決して出来ない。
そして、そういう見地に基づけば、そのような人間が嫌がるのは
自由なのではなく、無秩序なのだという解釈を導くことができる。

56 :ローカルルール審議中:2005/04/05(火) 15:12:44
>>1
範馬勇次郎

57 :ローカルルール審議中:2005/04/05(火) 15:26:55
本当の自由がある、なら、うその自由もある
といいたいのか>1
自由かそうでなければ不自由だろう。
自由にうそもほんともないのではなくなくない?

58 :ローカルルール審議中:2005/04/05(火) 15:54:27 ?
>>57
だからその「自由」の内容について検討したいんでしょ。
究極の自由とはどんなことか、みたいな感じ?

59 :ローカルルール審議中:2005/04/05(火) 19:40:22
何を自由と感じるかくらい各自の自由でいいじゃないか?
あれでなくちゃ自由でないとかこれから解放されなくちゃ
自由でないなんて思う方が自由に捉われてることだろ。
おれはなんでもかんでも自由ではありたくないけど。
型に従うのは結構気持いい。いちいち型を作り出すのも面倒だ。


60 :ローカルルール審議中:2005/04/05(火) 20:00:53
型に従ってりゃ、なーんも考える必要もないからな。


61 :ローカルルール審議中:2005/04/05(火) 20:05:40
「型にはまりたがる」ってのも、自由に入るな。

62 :ローカルルール審議中:2005/04/06(水) 08:28:28 ?
旧ソ連の空軍パイロットでアメリカに亡命した人が
「自由過ぎて何をしていいのかわからない(´・ω・`)」てなってたよ。

63 :ローカルルール審議中:2005/04/09(土) 20:03:38
ある自由思想家は考えた…
「我々の逆…つまり『不自由を探求する人』の究極の形は
『マゾヒスト』なのだろう。
…すると我々、自由思想家の行き着く先は
その逆である『サディスト』ってことになる?」

結論:「自由とは、他人を拘束することによって得られる。」


64 :ローカルルール審議中:2005/04/09(土) 20:12:37
>>63
不自由を探求すればマゾを突き抜けて永遠の奴隷に至るように、
自由を探求すればサドを突き抜けて永遠の主人に至る。
よって結論「自由とは絶対無限の主人たることである」

65 :ローカルルール審議中:2005/04/09(土) 22:37:58
主人は奴隷に拘束されているな。

66 :ローカルルール審議中:2005/04/09(土) 23:05:08
そうだな。奴隷が必要な主人は奴隷がいなくなると奴隷を支配する自由を失う。

やはり何も求めないのが最高の自由。


67 :ローカルルール審議中:2005/04/09(土) 23:43:49
最高ってことは比較された自由ってことだな。
絶対の自由じゃねんだな。

68 :ローカルルール審議中:2005/04/10(日) 00:03:34
自分の自由を追求すれば、他人の自由を奪うことになる。
他人を束縛する程度の束縛は、自分も受けることになる。
それが平等な社会というもの。

69 :ローカルルール審議中:2005/04/10(日) 00:07:07
考えてみれば、今も言語や肉体という存在に縛られている。
・・・究極の自由はどうやら逆に不便なのかもね。

70 :四式:2005/04/10(日) 00:48:18
思考停止や本能は極めて戦後左翼の言う自由に極めて近いが
福沢諭吉のいう自由とはまた違うものである。

71 :四式:2005/04/10(日) 01:02:00
福沢諭吉が生きた時代は民族的良心が国家中に広がりお互いに
合意を得ていた時代であり、時代も人間も上等だった。
福沢諭吉が寄せた人間自由への信頼に対して答えられる資格は
戦後を培ってきた今の人間達にはないだろう。

72 :ローカルルール審議中:2005/04/10(日) 08:26:41 ?
私たちは重力に縛られて生活していますが、
無重力な空間に放り出されたら身動き取れません。
私たちの体は重力があるところで地面を蹴って進むようにできているからです。

73 :ローカルルール審議中:2005/04/10(日) 17:56:05








  本当の自由とは 何をするにしても

  本人の自由にゆだねられているということだ










74 :ローカルルール審議中:2005/04/10(日) 21:05:46
>>72

自由とは何の関係も無いじゃん。
自由とはどういうことか何も解ってないじゃん。


75 :四式:2005/04/10(日) 21:46:30
制限こそ人の本質

76 :ローカルルール審議中:2005/04/10(日) 22:11:06
>>74
結局のところ、束縛がなきゃ逆に不便なことがあるって事では?

あと、自由には責任が伴うっていうのは
自己の自由な考えによる行動には責任が付き纏うって事じゃないのかな?

77 ::2005/04/10(日) 22:20:47
責任が付きまとうんじゃなくて裁き懲罰を加えようとする人間がいる
といったほうが近いだろ。その裁定者はだれだか知らんが。

78 :ヾ四/:2005/04/10(日) 22:30:16
裁定と懲罰を加える自由がやはり一番の自由だよな
クソ宗教ババアファシストどもを見てみろよ。
人が求めてやまない本当の自由はこの俗物達の追い求める権力にある。

79 :ヾ四/:2005/04/10(日) 22:34:45
人間この俗物の価値観によるパン食い競争に善を見出したのが資本主義
金の配分能力や権力やポストというものを求めてこそ人間、人間の力なんだ。

80 :ローカルルール審議中:2005/04/11(月) 05:36:22
>>78
観念の奴隷

81 :72:2005/04/11(月) 08:20:36 ?
>>74
わかりにくかったですかねえ?
たとえば他人との関わり合いが煩わしいからといって
独り孤島に住むことにしたとする。
そうするとコンビニも本屋もゲーム屋もネットも電気もガスもない。
衣食住ぜーんぶ自分でどうにかしないといけない。
何でも自分の好きなようにしていいけど、
できる事は制限されてしまう。
不自由だよね。

82 :ローカルルール審議中:2005/04/11(月) 13:54:02
>>81

自由だから快適と思う方がおかしいのでは。
自分で何もかもすることは確かに不便な生活でしょう。
しかし、不自由な生活ではない。

83 :ローカルルール審議中:2005/04/11(月) 18:20:20
>>82
実質的にできる事が制限されるんですよ?
テレビ見れない、ゲームできない、ネットできない、
どっかのお店のおいしいケーキ食べれない、
できない事だらけ。
不自由じゃないですか?

84 :ローカルルール審議中:2005/04/12(火) 11:03:27
>>83
>できない事だらけ。
>不自由じゃないですか?

できない事があるからすぐ不自由になるわけじゃない。
できる事だけど規制されていて出来ないなら「する・しない」
の選択の自由が得られないから初めて不自由となる。
人間が素手で自由に空を飛びたいと思っても実際は不可能だ。
だからといって不自由だというわけでもない。
自由だけで生きられるわけでもないのは常識でしょう。
人は「法」によって生きるのです。



85 :ローカルルール審議中:2005/04/12(火) 11:15:58
「規制されてできない」ったって、別に「できない」わけではないでしょ。
罰なりなんなりを受ける覚悟なら「できる」んだから。
そういう意味では人間は完全に自由ですよ。

86 :ローカルルール審議中:2005/04/12(火) 12:57:07
>>85
>人間は完全に自由ですよ。

完全に自由なら「自由」が問題になることはない。
規制しなくてもいいことを規制すれば「束縛から
の自由」が問題となる。
自由は法との対立として問題が生じる。
不自由がないなら自由は目的にならない。

87 :ローカルルール審議中:2005/04/12(火) 15:33:40
社会的な自由の問題もあるが、本質的な自由の問題もあるな。

例えば同一人物は別の場所に同時に存在することができない。5秒で火星に行きたくても行けない。

人間が本当の意味で完全に自由になるならこうした不可能をも可能にしなければならない。

88 :ローカルルール審議中:2005/04/12(火) 15:53:45
>>86
自由が専ら「法との対立」の問題だとしたら、
完全な無法状態(無政府状態・ホッブスのいう自然状態)に
おいてのみ人間は完全に自由だ、ということになるが、
それは普通の言葉遣いではないだろう。むしろそれは
「不自由だ」というのが通常の理解。
>>87
「科学技術の進歩が人間の自由を増大した」というような
言い方はそういう理解が前提だな。

89 :ローカルルール審議中:2005/04/12(火) 16:16:58
>>87
>例えば同一人物は別の場所に同時に存在することができない。5秒で火星に行きたくても行けない。

これらは自由と自然法の対立の問題でしょう。
ヒトは物理法則に反する行為はできない。

90 :ローカルルール審議中:2005/04/12(火) 16:19:47
>>88

無法状態なら「法」がないのだから「自由」と
対立できない。
法があってはじめて自由との対立問題が生じる。

91 :ローカルルール審議中:2005/04/15(金) 18:37:19
法の無い古代にも自由、不自由はあった。
自由は自由を阻害する自然、病気など
すべてと対立している。
対極は法に限らないということだ。

92 :ローカルルール審議中:2005/04/15(金) 23:36:13
全てが選択可能 それが本当の自由

93 :ローカルルール審議中:2005/04/16(土) 00:40:56
↓自由論議があった。
自由をいくつかに分類している。

www.geocities.jp/enten_eller1120/diary/2005/log_essay_2005.html

94 :ローカルルール審議中:2005/04/16(土) 21:49:50
人間を超越すること

95 :ローカルルール審議中:2005/04/16(土) 21:51:18
おめーら本とか読まねーの?
貧乏人?

96 :ローカルルール審議中:2005/04/16(土) 21:57:53
読まなくても生きていけるけど?

97 :ローカルルール審議中:2005/04/16(土) 21:58:53
所詮凡人人間が書いた本なんて私の人生の何の参考にもならない

98 :ローカルルール審議中:2005/04/16(土) 22:00:23
ぎゃはは
おめーの書いたものが何の参考になるんだよw

99 :ローカルルール審議中:2005/04/16(土) 22:01:34
別に?

100 :ローカルルール審議中:2005/04/16(土) 22:24:25
人間じゃないものが書いた本と言うと、
ネクロノミコンみたいなの?

101 :考える名無しさん:2005/05/23(月) 20:43:57
以前は道に迷う自由もあった

102 :考える名無しさん:2005/05/23(月) 21:51:09
自由に責任を感じる人間は
自由を理解できない不安におびえている人間である。
自由を理解している人間は
「サガ」として責任を受け入れる人間である。

103 :考える名無しさん:2005/05/23(月) 21:52:49
自由はどう説くかで異なる印象を与えるでしょう。
一概に、不安におびえている人間である、とは言えないのではないか。

104 :考える名無しさん:2005/05/23(月) 22:11:15
「自由は説くものである」と言う時代は自由な時代ではない
真の自由は自らが掴むもの
そして、自然に自由である時代は
つぎの世代のものになる。

105 :考える名無しさん:2005/05/23(月) 23:50:21
義務とか責任とか権利を叫ぶ人間は明らかに自由ではない。
そこには、命令と服従の関係があるからだ。
「〜しなければならない」というのは前近代的な考え方で、
薄弱な根拠や道徳観から生まれたに過ぎない。
また、希望や期待をしている人間も不確実な結果に拘束されているから自由ではない。
以上から、精神状態や観念に束縛されていない人間を自由な人間というのだろう。

106 :考える名無しさん:2005/05/23(月) 23:59:41 ?
あるのは空のみ。


107 :考える名無しさん:2005/05/24(火) 00:01:45
あるのは苦うのみ。

108 :考える名無しさん:2005/05/24(火) 02:15:46
自らを由(ゆかり)とするもの
つまり自己の能力にて行う事が可能なものを意味します

「自己の能力にて」ですよ。そこの所をよく考えてみてください。

109 :考える名無しさん:2005/05/24(火) 23:30:21
>>108
自由の概念自体西洋からからの借り物だろう。
いちいち厨房の教師のような意見を提示しないでよろしい。
リベルテやフリーダムをラテン語・ギリシャ語の起源から遡るなら分からないでもないけどね〜(藁

110 :考える名無しさん:2005/05/25(水) 00:17:27
・西洋ではいつごろ、どのように自由の概念が生まれたのか
・東洋には自由に該当する概念は無かったのか

111 :考える名無しさん:2005/05/25(水) 01:17:53
自分の選択の意志があること=自由

つまらないことも楽しいことも自分の意志の選択の上ででしょ。


112 :考える名無しさん:2005/05/25(水) 22:55:33
>>110
学生君じゃないんだから本当に知りたければ自分で調べろよ。
議論厨はウゼー

113 :考える名無しさん:2005/05/27(金) 19:06:19
>>112
自分でろくに調べずに適当な主張をしてる奴の開き直りの典型だな。
「俺の主張の根拠をお前が調べて証明しろ。」といってるのとかわらん。

自由について何か主張が為されてるから、聞いてるだけで、
それ単体について質問してるわけじゃなかろう。



114 :考える名無しさん:2005/05/28(土) 18:21:06
周囲から影響を受けない自由意志なんて存在しないと思う。

115 :考える名無しさん:2005/05/28(土) 18:32:03
日本人はどうも 知識としての自由しか知らないようだ
「自由と独立の為に戦う」と言う経験が無いからしょうがない事だけど。

116 :小さなヨハネ ◆1oKmZSIAF. :2005/05/28(土) 20:47:44
自由にも色々な段階のものがあるでしょう。肉体的・自然的なレベルの自由、
社会生活上の自由、道徳上の自由等々です。しかし、最も内的な自由・高度
な自由があります。それは霊的な自由と呼ばれるものです。

霊的な自由とは、自己愛(支配欲、名誉欲など)、世間愛(金銭欲、物欲、
肉欲など)に打ち克った状態です。それらの欲から解放され、神に安んじ
た平安の状態です。そこに至るには自己との戦いが必要です。

117 :考える名無しさん:2005/05/28(土) 20:50:19
ねらーやってる段階で負けまくってますが

118 :小さなヨハネ ◆1oKmZSIAF. :2005/05/28(土) 20:50:36
天界の秘義5660
「それは主から与えられる新しい意志から生まれており、(中略)自分
 自身を求めはしないで、主御自身を求める。天界的なものである自分
 自身のものを与えられている者はまたおだやかで平安である。なぜな
 らかれは主を信頼し、悪いことは何一つ自分にはふりかかりはしない
 と信じており、欲念も自分にとりついて自分を悩ましはしないことを
 知っている。天界の自分自身のものの中にいる者たちは自由そのもの
 の中にいる。」

119 :小さなヨハネ ◆1oKmZSIAF. :2005/05/28(土) 20:53:59
>>117
いいえ。2CHはなかなか良い漁場です。真理を求めている魚がたくさん
います。

120 :考える名無しさん:2005/05/28(土) 21:27:47
おまいが釣られてんだよw
まわり見てみろよ

121 :考える名無しさん:2005/05/28(土) 21:29:17
おれたち、魚か?

122 :考える名無しさん:2005/05/28(土) 21:35:11
私がすなどりまつ

123 :考える名無しさん:2005/05/28(土) 22:01:16
自由とは自らの「心」を自らの「心」で支える強い意志
「心」を「意識」と言い換えれば、「意識」を「意識」で支えるとなる
しかし支えるものと支えられるものが同一では、いかにもオカシイ
支えられる「意識」は自我、支える「意識」は主体である自己
人々は無意識のうちに主体である自己に気がつき始めている
そして自我という虚構に踊らされること無く
自己の主体性(自らの由来)を理解しつつある。

124 :小さなヨハネ ◆1oKmZSIAF. :2005/05/28(土) 22:23:40
>>120
皆さんが生け捕られる良い魚でありますように。

マタイ13・47−50
 「また、天の国は次のようにたとえられる。網が湖に投げ降ろされ、
 いろいろな魚を集める。網がいっぱいになると、人々は岸に引き上げ、
 座って、良いものは器に入れ、悪いものは投げ捨てる。世の終わりに
 もそうなる。天使たちが来て、正しい人々の中にいる悪い者どもをよ
 り分け、燃え盛る炉の中に投げ込むのである。悪い者どもは、そこで
 泣きわめいて歯ぎしりするだろう。」

125 :考える名無しさん:2005/05/28(土) 22:28:57
>>124
123を読め、完結してるだろ!
論理無きものはどうするんだ?

126 :小さなヨハネ ◆1oKmZSIAF. :2005/05/28(土) 22:39:31
>>125
そうですか。私には意味が分かりません。

127 :考える名無しさん:2005/06/22(水) 10:02:52
これまでにも多く述べられているように、<本当の自由>が指し示すのは
人間的自由であること、すなわち<本当の自由>というときの<本当>が
人間の外側でなく、<内側にある>という意味が込められているのだろう。

だから、自由と人間特有なものとしての意思とを並置した論述がおおくある。

ところでこの意思とは自己におけるものである。
であるからさらに自由と自己とは深いむすびつきがある、ともいえる。

では、ここでいう自己とはなんのことであろうか。

128 :考える名無しさん:2005/06/23(木) 10:10:20
>>108-113
「自由」という記号は支那から輸入されたモノ。
放埓とか快楽とかニャンニャンとか、そういう意味。

libertyはもともとのアングロサクソンの言葉に無く、フランスから輸入したもの。
freedomは-domを考慮して自由郷と訳すべき哉。只の自由ならfreeでいいはず。

まぁ、つまり輸入のそのまたの輸入だよ >自由

129 :考える名無しさん:2005/07/03(日) 04:47:44
「記号は」輸入したものだがな。
まあ、漢字自体がそうだし。

これは言語学のスレなのか?

130 :考える名無しさん:2005/08/06(土) 00:14:30
自由って誰かに指示されなくて操られなく束縛されず。すべてが自分の意識で自分を動かせる事なんじゃないかな


131 :考える名無しさん:2005/08/06(土) 00:16:33
束縛がない状態というけども、物理の法則に始まり
無数の法則がこの世にはあるのでそこから逃れることはできないよ。

132 :TAR:2005/08/06(土) 00:21:50
誰かのついた嘘に束縛されないのが何より自由だよ。

133 :考える名無しさん:2005/08/06(土) 00:30:07
サルトルが言ったのは、

自ら自由を望む自由とは、それがあるところのものであらず、あらぬところのものである存在である

だれか修正キボーン

134 :考える名無しさん:2005/08/06(土) 00:31:20
人間に自由はないだろう。

135 :考える名無しさん:2005/08/06(土) 00:37:01
あるがままの自分で在ることが自由である。
本来の大いなる自己であることこそ究極の自由である。
裸になれば良いのだ。
女に振られて泣きながら布団の上を転げ回って
チクショーと叫びながらオナニーをする僕が、
本来の自由な僕である。自由。

136 :考える名無しさん:2005/08/06(土) 00:54:42
自分が自由だと思い込んでいる人間があまりにも多すぎるよな。

137 :考える名無しさん:2005/08/06(土) 00:57:14
まぁ程度の問題だ。

138 :考える名無しさん:2005/08/06(土) 01:21:00
自由が本来的に辛くて厳しいものだって理解してる人間が少ないよな。

139 :考える名無しさん:2005/08/06(土) 01:27:49
物に不自由すると互助の精神が育まれるし欲を自制するべく
理性も育まれる。それらから阻害された人は自分で理性の働きを
再発見しなければならなく、それはとてもつらい作業だ。

140 :考える名無しさん:2005/08/06(土) 01:27:56
>>135
欲望の奴隷

141 :考える名無しさん:2005/08/06(土) 01:34:58
>>140
それはあなたの欲望が偽の欲望だからです。真の欲望に従うなら自由なのですよ。

142 :考える名無しさん:2005/08/06(土) 01:37:03
>>141
欲望は単なる自己保存本能の発露。欲望だけじゃ犬と変わらん。
欲望を自分の理性で抑えてこそ自由。他人に抑えられるようじゃ
不自由さ。

143 :考える名無しさん:2005/08/06(土) 01:39:58
>>142
それは、あなたが未だ真の自己をつかんでいないからです。

144 :考える名無しさん:2005/08/06(土) 01:44:18
>>143
その「真の自己」というのは理性の事で、
個人の欲望を抑える方向に働くでしょ(藁

145 :考える名無しさん:2005/08/06(土) 01:50:08
>>144
あなたの欲望は犬レベルなんですよ。犬並みの欲望では、真の自己の欲望
を理解することはできません。

146 :考える名無しさん:2005/08/06(土) 01:52:11
「真の自己の欲望」が「犬レベルの欲望」を抑えるものなら
呼び名は何でもいいさ。普通は「理性」と呼ぶと思うが、
「集合的な自己(の欲望)」と呼ぶ人もいる。単に「大欲」と呼んだり。
別に「真の自己の欲望」と呼んでも一向に差し支えない。

147 :138:2005/08/06(土) 02:49:12
>>139
俺が言ったのは、そういう意味じゃないんです。
主体には「可能性」が多すぎるという問題です。
わかりにくいかな。

148 :138:2005/08/06(土) 02:59:06
「良心に従うならば、なすべきこと」をなさなかった、という罪の意識。

例えば、小さな例で言えば、自分の発言の3秒後に、
それを相手がどのように理解をするかを想像し、誤解に気づき、
言い直そうとするが、既に別の話題に切り替わっているため、それを諦める場合。

大きな例で言えば、社会問題を嘆くならば、政治的行動を起こすべき。
というのは理想論で、俺も含め、普通の人は様々な制約の下、諦めてしまう。

(´・ω・`)

149 :考える名無しさん:2005/08/06(土) 03:06:02
うーん。思考は行動より自由度が高い。だから妄想なども
発生しうるんだが。自由に考えたり理想を抱いたりできるというのは、
却って行動できない事をきわだたせて苦痛だというのはわかるなぁ。
いっそ行動できることだけを思考したほうが幸せかもと
思うことは確かにある。

150 :凡人:2005/08/06(土) 19:59:02
自由とは他の全てに痛みを伴わぬ思考および行動です。
常に自己の良心と対話を繰り返し探求すれば答えを見つける事ができます。

151 :ぬえ:2005/08/06(土) 21:36:15
1しか読んでないけど。

単体としてならすべてが自由だけれど、群体として、社会としてなら自由は責任の上でしか成り立たないだろう。
ま、社会があるんだから人間は安心でき、そして補えあえるんだと思うよ。
そして人間は束縛があるからこそ安心できる。
社会、人間関係、この空間…色々な束縛が。
個体としては不完全なんだろうね。人間は…

152 :ねこぢる:2005/08/08(月) 04:32:26
社会的な自由じゃなくて、真の自由の在り方(完全なる自由)って言うのは、
「全てにおいて何にも縛られてない(←物理的にも精神や思想、魂でさえも)というコト」で、それは「全てから解き放たれた状態」だって事だと思うの。
それがめぐって最終的に辿り着く先は絶対的な「無」じゃないのかな。よって「無」こそが「自由」の本当の形で…。
そして、多くの人が求めている自由は「自由」と「無」との間に位置する「中途半端な自由」だと思う。だからいろんな形の中途半端自由ってのがたくさん存在する。
例えば、子供の頃に持ってた自分勝手でワガママな「利己的な自由」や「社会的自由(「責任が伴う」って大人がよく使うヤツ)」はこの中に分類されると思う。
と、いうのが自分が自由に対してもつ考え方です。
とらえ方によっては宗教的な面も入ってきてしまって申し訳ないけど(´・ω・`)

153 :ぬえ:2005/08/08(月) 06:37:46
まあ、無だったらすべてが自由であり、自由でないわな。

人間には、やっぱ自分ありきの自由しか得られない。だってエゴの塊、矛盾の塊なんだから。
世の中には束縛から逃れて自由になりたいって人間がいっぱいいるだろうけど…
人間には逃れられない束縛がある。
有機体のなかの動物のなかの哺乳類のなかの人という種の束縛が。
自由の前に人に生まれたんだから絶対の自由はないわなw
あと、人には間という社会の束縛もあるね。
人という束縛があるのに、社会という束縛もある。
人という束縛は捨てれないが、社会という束縛はいつでも捨てれる。
しかし、世の中には自由が欲しいって人間がいるが、何で社会を捨てないのか?
それは、人間にとっての自由とは社会という束縛の上に成り立つからである。
自分という存在が社会にあった上での自由が欲しいのだから。
だから人間にはある程度の束縛と、ある程度の自由が必要である。
よって人は矛盾の塊であり、エゴの塊である。

ごっつあんです(´Д`)

154 :考える名無しさん:2005/08/08(月) 10:03:51
本当の自由 = 無法

155 :考える名無しさん:2005/08/08(月) 13:30:14 ?
怒りを無くす。愚痴をなくす。欲ばらない。

156 :考える名無しさん:2005/08/09(火) 11:21:38
「俺はこうしたい」という実感が「自由」。たとえそれが神に操られていたとしても

157 :考える名無しさん:2005/08/09(火) 11:44:11
本当の自由は死ぬこと。

158 :考える名無しさん:2005/08/09(火) 12:41:46
本当の自由 = 殺される自由
守られていない、自己責任

159 :考える名無しさん:2005/08/09(火) 12:45:19
自由なんて死と鉢合わせ。

まあ強く生きてくれ。

人間のほとんどは弱いから強者に自由を差し出し、保護されるもの。

自由を選んだら、強者になるしかない。

(ドストエフスキーとかの影響受けすぎかな)



160 :考える名無しさん:2005/08/09(火) 16:55:29
線路のない列車は不自由
羅針盤のない船は不自由
ハンドルのない車は不自由
ルールのない社会は不自由

161 :考える名無しさん:2005/08/10(水) 11:19:24
全ての物質に対して
束縛が見える。自由が見える。
全ての物質に対して反対性が見える。
虚な人々は束縛が見えない。
束縛は知らぬ間に一部となってしまっているから。

だから自由なんて口にだして言ってしまう。

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