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なぜに条件?

1 :& ◆T0MkcsPhj. :2005/07/03(日) 06:47:36
すべての物事には条件がある
なぜに?
条件なしで「ある」ものが存在するだろうか?
ということはすべては何も無い状態で生まれ
いまだ確かな「ある」ものを持たないままだ
ということではないのか?

2 :考える名無しさん:2005/07/03(日) 06:51:56
うちの彼女は条件なしでかわいいが?

3 :考える名無しさん:2005/07/03(日) 06:53:42
おれのバイクも条件なしでカッコイイぜ。

4 ::2005/07/03(日) 07:05:18
それは自分の脳がそう反応するからです
という条件があります。


5 :考える名無しさん:2005/07/03(日) 07:06:46
>>1
上三行が、下三行「ということは」以下で書かれている結論の条件になってない。
したがって、非常に難解で私には何が言いたいのか分からない文章になっている。

上三行については、
すべての実在とは、条件と結果の連鎖の中にある有限性と同義である、
という趣旨として解釈する限り同意。

そこでなぜ、
>すべては何も無い状態で生まれ
となるのか?

>いまだ確かな「ある」ものを持たないままだ
「確か」とはどういうことだ?本質ということか?
本質は実在ではなく無だ。

それから、
「あるものを持つ」というのは、
誰がだ?何がだ?

6 :1:2005/07/03(日) 07:47:10
確かとは
条件がすべての物事を決めているのだから
何もなしに(何の理由意義的定義も無く)
存在する
>条件と結果の連鎖の中にある有限性
というしがらみみたいなものたとえばわれわれを縛っている鎖
(社会、人間関係、自然)
が存在してそれが全部を交錯している
のなら本質すべてには何も無いという風になってしまうでは
ありませんか。そこの思考停止には私も至りました。

条件が無いならばすべては成り立たないし存在し得ないことですべては
成立しているのではないか

ということで「確かな」とは確固たるといったニュアンスで不動で
あり正確に自己完全性があるといったものです

あるというのはまぁなんでもいいです。


7 :考える名無しさん:2005/07/03(日) 09:04:28
1の言いたいことが分かってきた。

すべてが因果の連鎖で決定論・機械論・運命論で説明できるもので、自由意志が否定されるなら、
初めから何も存在しないのと同じになってしまう。
でも、実際はそうなっていないのだから、決定論こそ否定されるべきだ。
ということだろ?なら納得だ。しかも同意だ。

俺の書き方も悪かった。謝る。

「条件と結果の連鎖」と書いてしまうと、
すべてが因果律で決まった決定論みたいに読めるな。
だが、私の言いたいのは、そういうことじゃなかったんじゃないんだ。

「本質」は無だというのは、実在なんて「本当は」無い、という意味じゃない。
「本質」とは、「実在」の対義語で、「非実在=無」ということだ。

本質というのは、哲学ではイデアや物自体と呼ばれるような、「理論の世界」のことで、
実在の世界の在り方、実在と実在との関係について、その背後にあるものとして、
普遍的・無限的・無時間的・自己完結的に捉えられた世界像であって、実在ではない。
実在しないのに、「真実在」だとか「物自体」なんて呼ばれるからややこしい。
一神教的意味での「神」もこれにあたる。
つまり、神は存在しない。無限的「存在者」といいながら存在しないのが神なのだ。

ただし、ややこしいかもしれないが、
本質は、理論として、仮に(模倣的に)、
人の脳内に銘記された記憶や、紙の上に書かれたインクの染みとしての実在ではある。
ややこしければ、とりあえずこれは忘れてもらってもいい。

8 :考える名無しさん:2005/07/03(日) 09:25:28
物質と呼ばれるものの挙動は、決定論的・機械論的・運命論的に見える。
これが「因果律」と呼ばれるものだ。
それに対して、自分自身を含めて、人の挙動は非決定論的に見える。
「自由意志」による決定をしているということだ。
人は物質で出来ているのに、それではおかしいじゃないか、ということになる。

これをどう解決するか。
意外に簡単なことだ。
物質の挙動も非決定論的だ、というだけのこと。
物質は、可能性という条件の範囲内で自らの挙動を決定して動いている。

可能性という意味では、必ず、実在に条件は付きまとう。


説明が十分でないのは承知しているが、先程から連続投稿にひっかかっているし、
時間が無いのでとりあえずここまでで失礼。

9 :考える名無しさん:2005/07/03(日) 10:22:17
脳の反応を条件とするなら、全てのものに条件がつく事になる。
それがなぜと聞かれるなら、脳があるからとしか言いようがない。

10 :1:2005/07/03(日) 11:48:36
脳があるとするするならば脳の働きとそれ以外の働きの
理屈がわかればそれで「すべてに条件が付きまとう」という命題に
取りかかることができる。

脳も概念も宇宙も「こうなればこうなる」「こうしたいがこうしないと
ならない」などの因果(条件といいたいですがここではしつこいので)
にとらわれているし、原子でできていて粒子でできているとされる物質
を介さない限りその現実はわれわれにはやってこない。

物質を介さないとしても「条件」は承諾せざるを得ない
なぜならそこには理屈が伴うからです。

可能性についてですが。
なぜ可能性があるのか?と考えてみると
私は「すべてが(主語)すべて可能でありそれを可能性という」
と考えたことがあり

それならば条件が無い「something」(「個」)の成立も可能であろう
という空想といえばバカにされるかもしれませんがそこにいたったのです。
それが成立すればありとあらゆることが可能になる
神なんておもちゃにしか過ぎないと

同感と捉えてくれる方がいて幸運です。

11 :1:2005/07/03(日) 12:09:53
2重投稿になりますが
とはいっても私は神を信じる信じないでは
信じますけどね。

今の時代何といっても「伝統と文化」でしょう。

人間社会は「条件と基準でできている」ので
取りようによってはいろいろ楽しいし

すべての物事に条件があると突き詰めていっても
すべてのことがありきたりに見えてしまい
良くないこともあるでしょうから・・・


12 :5:2005/07/03(日) 15:27:15
断っておくが、>>7-8は俺だが>>10は俺ではない。
10の言うことはよく分からなかったので、10に対してレスはしないでおく。

>「すべてが(主語)すべて可能でありそれを可能性という」
>・・・それならば条件が無い「something」(「個」)の成立も可能であろう
>・・・それが成立すればありとあらゆることが可能になる

まず、実在とは有限性であり、分節されたもの以外のものではないので、
実在の全体を想定することは不可能だ。
言い換えると、「すべての実在」といった時点で、指し示されているのは実在ではなくなる。
「すべて」という言葉で指し示し得る実在は、特定の範囲内の実在だけだ。
したがって、「条件が無い「something」(「個」)」も成立しえない。

また、「可能性」とは、
実在する主体の、判断の選択肢という内的条件、あるいは、外的要因によって、
結果として現れる運動の範囲限定だ。
したがって、無限定な「ありとあらゆること」は、可能性ではない。

>とはいっても私は神を信じる信じないでは
>信じますけどね。
「一神教的神は存在しない」と書いたが、「非偶像的神は実在しない」と訂正する。
多くの場合実在しないものが神と呼ばれている、と言っているだけのことだ。

そして、実在しないものを神として信仰するのは信仰として当然のことで、
例えば、関係・論理・本質・理想といった個々の実在の有限性に対する否定性や、
有限性そのものに対する否定性、つまり、無や無限に対する衝動が、
道徳心や宗教心、そして物質の挙動にも関わっているのだろうと思っている。
つまり、より楽に、より理想的に、より効率的に在りたいという衝動だ。
この辺、自信はないが。

13 :5:2005/07/03(日) 15:32:32
訂正。

>断っておくが、>>7-8は俺だが>>10は俺ではない。
>10の言うことはよく分からなかったので、10に対してレスはしないでおく。

>>10ではなく>>9だった。
大変失礼した。

14 :5:2005/07/03(日) 15:50:40
自分ではごく当たり前で簡単なことを書いているつもりなんだが、
「機械的唯物論」者スレみたいなスレが結論に至らず長く続いているということは、
一体どういうことなんだろうか?
人が入れ替わって議論がリセットされて一から繰り返しているだけなのだろうか?

15 :5:2005/07/03(日) 15:54:56
度々失礼した。
釣りのつもりで書いたのではない。
読んでしまった人は、>>14の発言を無かったことにしていただきたい。

16 :5:2005/07/03(日) 15:57:39
今自分で気がついた。
物質の自由意志による挙動という考えでは、反証可能性に抵触するから無効なのだろう。

17 :1:2005/07/03(日) 17:03:11
ということは現状は実は何も無く
条件(と人が名づけた)というものを介在しつつ
関係、関連している
ということでいいんですか?

18 :5:2005/07/03(日) 17:39:00
「ということは」は何処に掛かってるんだよ?
俺の書き方だと反証可能性がないというところか?
それとも、それ以前の部分か?

反証可能性がないというのは書き方の問題だから、
何とか書き直せばよいだろうと思う。

それ以前の部分には、
>>17で書かれているようなことを書いたつもりはない。
分かりにくい部分を指摘してくれれば書き直す。

「現状」というのもよく分からなかった。

>・・・実は何も無く
>条件(と人が名づけた)というものを介在しつつ
>関係、関連している

実在とは、有限的文節的なもの。
物質は実在で、物質を条件として出来た我々人間も実在だ。

無とは、実在を文節する否定性・関係性そのもの。
本質、観念、関係、理想、神(天)、法則、原理といったものは無だ。

しかし、関係性は実在はしないが、
名づけること、概念として実在に置き換えることで捉えることが出来る。
「伝統と文化」といったものもこうして捉えられ、人の挙動の条件となる。

19 :5:2005/07/03(日) 17:44:42
「伝統や文化」も、理想や「道徳法則」も、
ある人の挙動の可能性をその人が無意識の内に制限したり、
その人の衝動として挙動を導いたりするものだが、
意識して抵抗すれば、その人の意志でそれに従わないでいることも可能だ。

20 :5:2005/07/03(日) 17:51:09
偉そうな口調でゴメソ♥

21 :5:2005/07/03(日) 17:59:41
しかし、いくら自分の置かれている条件に抵抗しようとも、
その条件の置かれている条件、さらにその条件というふうに、
条件は連鎖しているので、必ず何らかの条件の上に立って挙動していることになる。

注意していただきたいのは、
この連鎖は因果の連鎖ではなく、意志の連鎖であるということだ。
因果律だとか物理現象というものは人が物質の挙動を捉え易い様に捉えた一つの方法で、
現実と近似しているだけであり、ここから決定論は導き出せない。

22 :5:2005/07/03(日) 18:10:20
先程、信仰について書いたが、
決定論を信じ主張することは、法則という非実在への衝動から来る人の挙動なので、
宗教と相似であり、信仰し布教しているのと同じことなのだ。

23 :5:2005/07/03(日) 18:21:21
× 文節
○ 分節

24 :フルーチェ:2005/07/04(月) 02:19:34
袋叩きに合うと思ってビクビクして名前も変えていたが、
1と俺以外誰も来ないな。好条件だ。
人が少ないほうが話しやすい。

だが、やはり淋しい・・・。

25 :210:2005/07/04(月) 05:47:10
>>22
量子力学は?

26 :1:2005/07/04(月) 18:39:38
フルーチェさんの言われること
は何度も読み直し少し辞書も
引きました。
>>24
私もなにかこう無機的なむなしさをこの数日感じていました。
 私の一意見を別に真っ向から否定されたわけでもなく(私から)自分勝手な見方をすればこういう風な理論もあり
こう書かれているんだよ。と指摘された感もあります。
>>25の210さんのはよく判りません。
唯物論は昔からたびたび出てくると書かれていたので過去の哲学者の多くも命題に於いていたのでしょう。
 2、3日では語彙も学習もそんなに進まないのでここは反証可能性の部分も控えさせていただきます。
>>1
>>6の部分で同感と書いていただきましたので
今日少し考えたこと勝手ながらに書かせていただきます。
例えばある条件の元に置かれたものがある目標、目的を
持っている
目標、目的にもそれらに関する条件があり(この場合絡
んでいるという風に言い直してもいいと思います)
目標、目的を持ってるものがそれらを広い範囲で多く
得られたならたとえ困難なことも達成までの道のりも
自己の視点がが変化したり、実行する際にも多種多様な
選択肢を得られることができ、目標、目的の達成もより
容易になる。
これは客観的に観て人間の作品を観ることにも通用する
例えば漫画、小説、ニュース、絵画、発明、法律等

27 :1:2005/07/09(土) 08:37:06
すべての実在というとそう捉えられる点は賛成ですが
「すべて」という単語の原義的にはどうなんでしょうか?
そこのところどう捉えていますか?


28 :1:2005/07/09(土) 08:39:47
現象で言うとすべてとは
>>5
のとおりかもしれません

29 :1:2005/07/17(日) 06:01:08
ただしくは
すべてとは「宇宙」(哲)といったもので
しかもある範囲を言ったわけではありません
人間は宇宙の法則やそのものの条件を
知りそれを基準として発展してきた
経緯があります。

30 :1:2005/07/17(日) 10:59:54
このスレには他に書く方が居らんのか?

31 ::2005/07/17(日) 14:15:39
例えば現状すべて物質から出来ているのなら
フルーチェさんは
錬金術から産業革命以後の西側主要の思想の
根底を言っているのだと思います。

ただしこれからは(将来)また新たな事を
期待してしまう人に対し機械論的唯物論では
人あるいは人間は飽きてしまう傾向がある
で今注目されているのが神秘主義だと思いますが
わたしは構造主義から人々はなにも得なかったならば
これから新たなこと(地球環境変化、宇宙人がくる、
国際的直接の問題など)が無ければ今までどおりでは
ないか_? また新たな人材を欲しているのか?
と思いますが・・・。

32 :ハル:2005/07/22(金) 05:04:47
人間中心ではなく、何らかの神秘的超越存在の力で魂を手段として用いることによって現存の構造内部の人間的な力を超越出来る可能性はあると思います。ただ、人間的に危険ではありますが・・・。・・・一種の賭けですね。

33 :考える名無しさん:2005/07/27(水) 00:19:39
人間には限界がある。できもしないことに努力を傾けるのは馬鹿らしい。
無内容な語句を駆使して、ありもしない逃げ道をあるように見せかけるのも
くだらない。

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