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★ 「歴史の終わり」後の歩き方 ★

1 :ウキッ!:2005/08/17(水) 04:41:20
すべてのパターンが既知になり、歴史的闘争から解き放たれたいま、
安逸と退屈のなかで僕たちはどのように歩いていけば良いのだろうか。
コジューブにしたがって、物質的に充足されたなかで惰眠をむさぼる「アメリカ的動物」か、
否定することそのものを目的化して、無意味な形式と反復と洗練に没頭する「日本的スノッブ」か。

2 :ウキッ!:2005/08/17(水) 04:47:59
「無印良品はブランドではありません。無印良品は個性や流行を商品にはせず、商標の人気を価格に
反映させません。無印良品は地球規模の消費の未来を見とおす視点から商品を生み出してきました。
それは「これがいい」「これでなくてはいけない」というような強い嗜好性を誘う商品づくりではありません。
無印良品が目指しているのは「これがいい」ではなく「これでいい」という理性的な満足感をお客さまに
持っていただくこと。つまり「が」ではなく「で」なのです。

しかしながら「で」にもレベルがあります。無印良品はこの「で」のレベルをできるだけ高い水準に掲げる
ことを目指します。「が」には微かなエゴイズムや不協和が含まれますが「で」には抑制や譲歩を含んだ
理性が働いています。一方で「で」の中には、あきらめや小さな不満足が含まれるかもしれません。
従って「で」のレベルを上げるということは、このあきらめや小さな不満足を払拭していくことなのです。
そういう「で」の次元を創造し、明晰で自信に満ちた「これでいい」を実現すること。それが無印良品の
ヴィジョンです。

無印良品の商品の特徴は簡潔であることです。極めて合理的な生産工程から生まれる製品はとても
シンプルですが、これはスタイルとしてのミニマリズムではありません。それは空の器のようなもの。
つまり単純であり空白であるからこそ、あらゆる人々の思いを受け入れられる究極の自在性がそこに
生まれるのです。省資源、低価格、シンプル、アノニマス(匿名性)、自然志向など、いただく評価は様々
ですが、いずれに偏ることなく、しかしそのすべてに向き合って無印良品は存在していたいと思います。」

3 :TAR:2005/08/17(水) 05:02:30
インターネット付きルームランナーとか。

4 :TAR:2005/08/17(水) 05:13:03
調子悪いな・・・。

5 :考える名無しさん:2005/08/17(水) 06:19:52
バーカ

6 :ウキッ!:2005/08/17(水) 09:46:06
無印は不思議な空間を形成している。生活全般にシンブルな製品を提供することを目標にしているが
シンプルであることによる差別化に成功さている。
製品バラエティは百均ショップに似ている。
しかしそのシンプルな差別化に成功しているのである。

7 :考える名無しさん:2005/08/17(水) 10:11:29
人類が続く限り歴史は終わらない

8 :TAR:2005/08/17(水) 10:53:15
無限回廊。

9 :考える名無しさん:2005/08/17(水) 11:41:41
歴史はまだ始まっていない

10 :考える名無しさん:2005/08/17(水) 11:43:34
うん、これからだよね本史が始まるのは。

11 :考える名無しさん:2005/08/17(水) 11:44:18
× 歴史の終わり (上) フランシス・フクヤマ
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4837956564/qid=1124246589/sr=1-2/ref=sr_1_10_2/250-3403783-3662647
○ 文明の衝突 サミュエル・P. ハンチントン
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4087732924/qid=1124246633/sr=1-2/ref=sr_1_10_2/250-3403783-3662647

12 :考える名無しさん:2005/08/17(水) 15:02:00
「フクヤマへの誤解に基づいた批判の中に、「各地で民族紛争が起こり始めたという事実が、
歴史はまだ終わっていないことを証明している」というものがある。
なぜこの類の見解が誤解なのかは繰り返さない。ここでは、フクヤマが、冷戦後、民族主義が
勢力を拡大していることについても指摘していたことを確認しておく。」

13 :ウキッ!:2005/08/17(水) 20:51:09
「強烈な共鳴」とはなにか?

少し前に、テレビで映画「火垂るの墓」やってましたね。サッピングしてたら、いきなり冒頭のシーンで見入って
しまって、もう涙が・・・あれは見たらあかん。思い出してもあかん。それだけで、うるうるしてしまいます。
ほんと、あれは強烈な映画で、あれほどの強烈さ、すなわち共鳴するものは、そうそうないですね。映画だと、
あと「ニューシネマパラダイス」のラストの「キスシーン」シーンとか。

で、この「強烈な共鳴」とはなにか?ということなんですよね。「強烈な共鳴」とは、他者になる、同化するという
ことなんだけど、それは、他者を理解するということではなく、理解を越えて他者に共鳴してしまうという次元
なんだと思う。すると、この「共鳴可能な他者」とはなにものか、ということでもある。

これを意味することは、「他者」とはなにか、ということであって、これが倫理的なものを支えているという
ことですね。すなわち「強烈な共鳴」できる者が「他者」であり、そこに「自分がされて嫌なことは、他者にも
しない」と倫理の根元につながるわけです。かつては「人間」の中に差異があって、「強烈な共鳴」できる者は
一部の特権的な人々であり、その外部は排除されてきたりしたわけです。それは「彼らを排除する」という
ことではなく、「強烈な共鳴」されない者たち、たとえば現在ではそれは人間/動物という差異にみられるように、
境界が信じられていたわけです。

14 :ウキッ!:2005/08/17(水) 20:52:31
政治的操作としての「人類学機械」

ジョルジョ・アガンベンは『開かれ―人間と動物』(ISBN:458270249X)の中で、このような境界生成を、
「人類学機械」という「人間」を「産出」する場と表現しました。「形而上学(メタフィジカ)は、まさしく動物の
自然(ピュシス)を人間の歴史へと止揚し温存させるようなメタに関わっている。(アガンベン)」

>>
(『開かれ』の)重要なキーワードとは、第9章のタイトルとなった「人類学機械」という概念である。
訳註によれば、この概念は1980年に没したイタリアのドイツ研究者フリオ・イエージが提唱したものらしい。
が、アガンベンは独自の解釈に基づきこれを使用しているようだ。端的に云って、本書における「人類学機械」とは
こういうことだ。「人間/動物、人間/非人間といった対立項を介した人間」を「産出」する「歴史化の
原動力」としての「操作の場」。通読してわかるのは、本書の一方の目的とは、この「人類学機械」の「操作
の場」においての政治の輪郭を素描することである。著者によれば、この政治的操作としての「人類学
機械」とは、なによりも「人文主義という人類学機械」のことであり、つまりは言語=哲学のことである。

開いた傷口としての宙づりの生 北川裕二 http://www.eris.ais.ne.jp/~fralippo/daily/content/200408260001/index.html
<<

まさに、この「強烈な共鳴」とはなにか?人間のみがもつ先天的な生理による共鳴か?後天的な文化(言語)
による共鳴か?ということがまさに政治的操作として作動しています。たとえば、現代の特にアメリカ的な
リベラルな民主主義は、「人間/動物」という人間のみがもつ先天的な生理による共鳴のふりをする、
「人間はリベラルな民主主義に共鳴するものである。」としながら、共鳴しないものを排除している面がある
ことは否めません。それは、アメリカナイズという「後天的な文化(言語)による共鳴」を、あたかも「先天的な
生理による共鳴」が短絡させているということです。

15 :ウキッ!:2005/08/17(水) 20:53:41
人間/動物の断絶的差異

ボクもこの「人間/動物」の差異、「人類学機械」がさまざまな倫理的な言説の裏で作動していることを
指摘しました。

>>
人間/動物の断絶的差異

ニーチェが神/人間/動物という差異に、進化論的(生物学的)な視点から、「力への意志」を導入し、
神を葬り、人間も動物であるという地点に立ったのに対して、ニーチェ前のカントとニーチェ後のラカンでは、
ともに「人間/動物の断絶的差異」が保持されている。

この差異はまったくの両極端である。カントは「アプリオリな他者(現実界の他者)」を重視し、「アポステリ
オリな他者」は、誤解、錯覚でしかないというのに対して、ラカンは「アポステリオリな他者(象徴界の他者)」
を重視し、「アプリオリな他者(現実界の他者)」は「存在しない」という。しかしともに、この差異によって、
他者との共有された世界観を可能にしているのである。すなわち「他者」は、人間/動物という差異によって
保証されるのである。このような差異によって「他者」の存在を確保することは、様々な言説においては根元
ではないかと考えている。たとえばデリダが人間/動物を形而上学二項対立として解体しようとしても、
デリダが「他者」という倫理を確保するためには、人間/動物に依存しているのである。

なぜ私の中には二人の「他者」がいるのか? http://d.hatena.ne.jp/pikarrr/20050620
<<

すなわち倫理とは、「人間/動物」という「政治的操作としての「人類学機械」」によって作られる。倫理的な
「「他者」の声を聞く」と言う言説の裏で、「政治的操作としての「人類学機械」」が作動することによって、
なんらかの境界において「他者」が作り出されている、ということです。

16 :ウキッ!:2005/08/17(水) 20:57:23
まなざしの下部構造

さらに、「まなざしの快楽」に繋がるわけです。「まなざしの快楽」と言うときには、「後天的な文化(言語)
による共鳴」を意味しますが、さらに「後天的な文化(言語)による共鳴」=「政治的操作としての
「人類学機械」」から逃れられないことを意味します。

共有される文化的なコンテクストこそが「まなざし」であり、共鳴していることによって快楽(生きている喜び)は
生まれるということです。それは根元的な喜びであるが故に、共鳴できないことそのものが理解の外にあります。
共鳴できないことは、まさに不快、あるいは恐怖として現れます。それは、「後天的な文化(言語)による共鳴」を、
あたかも「先天的な生理による共鳴」のように、短絡させ、共鳴しないものは、倫理的な「他者」の外に排除され、
あるいは正常へと回復させるという暴力が行われます。すなわち、この暴力とは正義であり、善意であり、
犠牲であり、思いやりなのである。まなざしの裏で「政治的操作としての「人類学機械」」は無意識のうちに
作動しつづけるのである。

17 :ウキッ!:2005/08/17(水) 20:58:23
つまんねぇ〜!

18 :ウキッ!:2005/08/18(木) 00:40:47
なぜ「コイズミ・オブ・ジョイトイ」なのか?

小泉に賛成しないわけにはいかない?

面白いのは、選挙ですね。これほど政治ネタを楽しくみるのはそうそうないのかもしれませんね。毎日毎日、
刺客とか、新党とか、そしてとうとうホリエモン登場ですか?ボクは、小泉支持ですね。とにかく郵政の
参議院否決から、衆議院解散へと、小泉首相「おもしろいすぎ」ですね。こういうの個人的に大好きです。

ボクも郵政民営化が一番の問題とは思わないし、その郵政民営化に関しても、いろいろ問題があると
思います。さらにこのわかりやすい郵政民営化の賛成派、反対派の2項対立が、そのまま改革反対で
はない、そんな単純なことではないとは思います。そんなことは国民はわかっているでしょう。そのメタ
メッセージを受け取っているところの、小泉支持率上昇ですね。

今回の選挙は、「郵便民営化が争点」と演出されながら、「郵便民営化そのものを争点にしていない」ように
演出されている。細かいところは色々あるが、それはひとまずおいて、「おれは構造改革一生懸命やってる
だろう。でも見てのとおりなにかと回りの妨害で進まないんだよ。とにかくそれが、うざいと思うなら、国民
投票でしめしてくれ。そしたらそのあとやりやすくなるからさ。」ということに賛成するか、反対するか、を問う
という形に持ち込んだということでしょう。こういわれるとひとまず賛成しないわけにはいかない、ですね。

国民もよくみえない国会内の孤立化する郵政民営化議論で、小泉ももうダメかなとというところから、一気に
国民を改革を問う形に持ち込み復活した展開のすばらしさに、感心します。細かいところは色々あるが、
がんばって改革進めるだろうと思わせてくれます。

19 :純一 ◆Fn0dptrDJw :2005/08/18(木) 00:43:00
やあ

20 :ウキッ!:2005/08/18(木) 00:43:11
「インリン・オブ・ジョイトイの日記−愛のエロテロリズム−」

インリンがブログをはじめたらしいです。ボクは以前にも書きましたが、このインリンの立ち位置が結構好き
ですね。

>>
インリン・オブ・ジョイトイは、「ほんと馬鹿ですねぇ〜」。その存在からつっこみどころ満載ですね。「エロ
テロリストって!、エロで革命かよ!」はてなキーワードによると、インリン・オブ・ジョイトイの「ジョイトイ」とは、
「JOYTOY人民革命。テーマはrelaxed sensuality=「常識や形式、習慣に囚われない官能性愛優先
生活」。パロディと様式美としての<共産趣味&アメリカン下品&謎の東洋美意識>に満ちたワイルドな
宇宙の果てで、インリンは自らの多重人格的天地創造に、女王のように君臨し、奴隷のように貪り食わ
れる。」らしいです。(爆

インリンやプロレスの面白さは、「ベタ」なところです。・・・ある対象を「ベタ」と名付け、呼ぶときに、・・・メタ
レベルに立って発言しています。本質的にはこのようなメタレベルの発言(まなざし)は権力構造の上に
なりたっているために、ボクたちは優越感を感じ、楽しいのです。

21 :純一 ◆Fn0dptrDJw :2005/08/18(木) 00:43:43
まなざしの快楽、あまり面白くないのでこっちに来ました。
どうぞ、よろしく。

22 :純一 ◆Fn0dptrDJw :2005/08/18(木) 00:45:09
歴史の終わりですか、
アレクサンドルコジェーブを読んではいかがでしょうか?

23 :ウキッ!:2005/08/18(木) 00:45:48
そしてインリンが「あえてベタ」に「インリン」であり続けようとするときに、そこにあえてみじめであろうとする
自虐性が潜んでいます。・・・「あえてベタ」に徹底する「インリン」、「あえてベタ」に走り続ける加藤浩次を
前に、ボクたちはメタレベルのまなざしによって、笑っていればいいはずが、その自虐性という裂け目を
もつ対象a、欲望の対象であり原因である対象aとして作動します。そして、ボクたちは加藤浩次を、インリンを
欲望せずにはおれないのです。

さらにいえば、「インリン」へのアイロニカルにまなざしは、知らず知らずに共犯関係に巻き込まれている
のです。なんだ「ベタ」か、と処理するつもりが、見つめずにはおれない、欲望せずにおれない、それは
インリンにとっての「おいしい」ツッコミです。

続 なぜ加藤浩次は走らなければならなかったのか http://d.hatena.ne.jp/pikarrr/20050201
<<

はたして、インリン自身はどの位置に立っているのか。インリンが「エロテロリスト」というときに、明らかに
それは演出である。しかしインリン自身はそれを演じながら、そこにマジがあるのではないだろうか。
(ほんとのことはわからないが、そう思わせる。)そこに僕たちは哀れみを感じて、いとおしくなる。そして
そのときにはすでに僕たちはインリンに巻き込まれているのである。

24 :純一 ◆Fn0dptrDJw :2005/08/18(木) 00:46:16
フランシスフクヤマとかも読んでみると面白いですよ?

25 :ウキッ!:2005/08/18(木) 00:47:03
コイズミ・オブ・ジョイトイ

もしかすると、今回の小泉首相にも同様な「いとおしさ」と「巻き込み」の原理が働いているのでは
ないだろうか。

>>
コイズミが「あえてベタ」に「コイズミ」であり続けようとするときに、そこにあえてみじめで
あろうとする自虐性が潜んでいます。・・・「あえてベタ」に走り続けるコイズミを前に、ボクたちはメタレベル
のまなざしによって、笑っていればいいはずが、その自虐性からコイズミを欲望せずにはおれないのです。

さらにいえば、「コイズミ」へのアイロニカルにまなざしは、知らず知らずに共犯関係に巻き込まれている
のです。なんだ「ベタ」か、と処理するつもりが、見つめずにはおれない、欲望せずにおれない、それは
コイズミにとっての「おいしい」ツッコミです。
<<

言葉遊びですが、あながちおかしくもないでしょう。今回の「郵政民営化」議論において、参議院否決から、
衆議院解散、選挙への流れは、すでにドラマティックであり、解散後の演説含めて、小泉首相のマジな
悲壮感を感じました。そしていじめられた小泉が、僕たち国民に泣きついてきたのです。そこに僕たちは
哀れみを感じ、いとおしく感じているのです。

わかりやすい改革派と改革反対派という単純な2項対立、あるいは刺客?というような「ベタ」な展開さえも、
「あえてベタ」であることはわかっている。メタレベルのメッセージ=コンテクストの共有である。それは、
まんまとはまったと言えるのかもしれない。しかし僕たちはまんまとはまっているというアイロニカルな
まなざしも持っているでしょう。そしてインリンは応援しないわけにはいかないのと同様に、「小泉首相を
賛成しないわけにはいかない」のである。そこにあるのは、小泉首相のマジな悲壮感への共鳴であり、
すでに巻揉まれているのです。

26 :ウキッ!:2005/08/18(木) 00:47:42
つまんねぇ〜

27 :考える名無しさん:2005/08/18(木) 00:48:56




28 :考える名無しさん:2005/08/18(木) 00:50:20




29 :純一 ◆Fn0dptrDJw :2005/08/18(木) 00:50:23
しかし、ウキッ!さんの論はつまらないですね。
もうちょっと、知識が必要ですね。

30 :考える名無しさん:2005/08/18(木) 00:51:09























31 :純一 ◆Fn0dptrDJw :2005/08/18(木) 00:51:18
小泉さんのファッションセンス良いですね。

32 :考える名無しさん:2005/08/18(木) 00:51:48
>>1
(・∀・)ニヤニヤ

33 :考える名無しさん:2005/08/18(木) 00:51:53























34 :純一 ◆Fn0dptrDJw :2005/08/18(木) 00:51:59
ウキッ!さんは、クィア理論をご存知ですか?


35 :考える名無しさん:2005/08/18(木) 00:52:43



























36 :ウキッ!:2005/08/18(木) 00:56:08
ふふふ、ちょっとネタっぽかったですか。
「コイズミ・オブ・ジョイトイ」って受けないですか?

37 :純一 ◆Fn0dptrDJw :2005/08/18(木) 00:57:31
ネタも良いのですが、郵政民営化に対する
ウキッ!さんの政策的見地もお聞きしたいですね。

38 :純一 ◆Fn0dptrDJw :2005/08/18(木) 01:01:54
ウキッ!さんの書き込みでは、郵政民営化はデフォルメされていますよね。
記号化に潜む、象徴的効果によって初期化=デフォルアメネーゼされています。
私としては、記号化は暴力だと思うのですよ。エクリチュールの散種的デザイン
的なポジテーヴな運動活動を停滞=ストップさせてしまうでは?

39 :ウキッ!:2005/08/18(木) 01:03:45
支持とはなにか、ということがあると思うんですね。
たとえば、フクヤマの「歴史の終わり」でも、根底にあるのは、
人間の根底には「気概」があるということ、人として認められること
ヘーゲル的な欲望です。そして「歴史が終わる」のが、
リベラルな民主主義が、「気概」が満たす究極なシステムである
ということがあるんですね。

要するに、「コイズミ・オブ・ジョイトイ」的な方法論が、
「気概」を満たすときに、そこに納得、支持が生まれる。
逆には、支持とはそういうものであるということです。

40 :純一 ◆Fn0dptrDJw :2005/08/18(木) 01:07:16
根本的原理的な気概にヘーゲル的欲望をあてはめる訳ですな。
そして、リベラルな民主主義とは、気概を拡大させ、満たす
システム、いやシステマティックなシステムである訳ですね。
システムのシステムですね。

41 :ウキッ!:2005/08/18(木) 01:07:49
さらにつっこめば、言葉で、コミュニケーションに納得はあるのか、
ということです。
たとえば、良く議論をすれば、分かり合えるというのが、
漠然とあるんですが、そんなことはない。
どこかで誰かが決断する必要がある、ということです。

そしてさらにさらにいえば、「歴史の終わり」において、
郵政民営化の些細なことは、些細なことでしかない。
やってみなけれりゃわからない。というようなことです。

まあ、郵政民営化そのものについて議論することが無駄だとは
いいませんが、ボクは「コイズミ・オブ・ジョイトイ」に
着目したわけです。

42 :ウキッ!:2005/08/18(木) 01:19:32
つまんねぇ〜

43 :純一 ◆Fn0dptrDJw :2005/08/18(木) 01:21:03
つまんないね。

44 :ウキッ!:2005/08/18(木) 01:28:16
<なぜ「コイズミ・オブ・ジョイトイ」なのか? >

小泉に賛成しないわけにはいかない?

面白いのは、選挙ですね。これほど政治ネタを楽しくみるのはそうそうないのかもしれませんね。毎日毎日、
刺客とか、新党とか、そしてとうとうホリエモン登場ですか?ボクは、小泉支持ですね。とにかく郵政の
参議院否決から、衆議院解散へと、小泉首相「おもしろいすぎ」ですね。こういうの個人的に大好きです。

ボクも郵政民営化が一番の問題とは思わないし、その郵政民営化に関しても、いろいろ問題があると
思います。さらにこのわかりやすい郵政民営化の賛成派、反対派の2項対立が、そのまま改革反対で
はない、そんな単純なことではないとは思います。そんなことは国民はわかっているでしょう。そのメタ
メッセージを受け取っているところの、小泉支持率上昇ですね。

今回の選挙は、「郵便民営化が争点」と演出されながら、「郵便民営化そのものを争点にしていない」ように
演出されている。細かいところは色々あるが、それはひとまずおいて、「おれは構造改革一生懸命やってる
だろう。でも見てのとおりなにかと回りの妨害で進まないんだよ。とにかくそれが、うざいと思うなら、国民
投票でしめしてくれ。そしたらそのあとやりやすくなるからさ。」ということに賛成するか、反対するか、を問う
という形に持ち込んだということでしょう。こういわれるとひとまず賛成しないわけにはいかない、ですね。

国民もよくみえない国会内の孤立化する郵政民営化議論で、小泉ももうダメかなとというところから、一気に
国民を改革を問う形に持ち込み復活した展開のすばらしさに、感心します。細かいところは色々あるが、
がんばって改革進めるだろうと思わせてくれます。

45 :ウキッ!:2005/08/18(木) 01:29:12
「インリン・オブ・ジョイトイの日記−愛のエロテロリズム−」

インリンがブログをはじめたらしいです。ボクは以前にも書きましたが、このインリンの立ち位置が結構好き
ですね。

>>
インリン・オブ・ジョイトイは、「ほんと馬鹿ですねぇ〜」。その存在からつっこみどころ満載ですね。「エロ
テロリストって!、エロで革命かよ!」はてなキーワードによると、インリン・オブ・ジョイトイの「ジョイトイ」とは、
「JOYTOY人民革命。テーマはrelaxed sensuality=「常識や形式、習慣に囚われない官能性愛優先
生活」。パロディと様式美としての<共産趣味&アメリカン下品&謎の東洋美意識>に満ちたワイルドな
宇宙の果てで、インリンは自らの多重人格的天地創造に、女王のように君臨し、奴隷のように貪り食わ
れる。」らしいです。(爆

インリンやプロレスの面白さは、「ベタ」なところです。・・・ある対象を「ベタ」と名付け、呼ぶときに、・・・メタ
レベルに立って発言しています。本質的にはこのようなメタレベルの発言(まなざし)は権力構造の上に
なりたっているために、ボクたちは優越感を感じ、楽しいのです。

46 :ウキッ!:2005/08/18(木) 01:29:59
そしてインリンが「あえてベタ」に「インリン」であり続けようとするときに、そこにあえてみじめであろうとする
自虐性が潜んでいます。・・・「あえてベタ」に徹底する「インリン」、「あえてベタ」に走り続ける加藤浩次を
前に、ボクたちはメタレベルのまなざしによって、笑っていればいいはずが、その自虐性という裂け目を
もつ対象a、欲望の対象であり原因である対象aとして作動します。そして、ボクたちは加藤浩次を、インリンを
欲望せずにはおれないのです。

さらにいえば、「インリン」へのアイロニカルにまなざしは、知らず知らずに共犯関係に巻き込まれている
のです。なんだ「ベタ」か、と処理するつもりが、見つめずにはおれない、欲望せずにおれない、それは
インリンにとっての「おいしい」ツッコミです。

続 なぜ加藤浩次は走らなければならなかったのか
<<

はたして、インリン自身はどの位置に立っているのか。インリンが「エロテロリスト」というときに、明らかに
それは演出である。しかしインリン自身はそれを演じながら、そこにマジがあるのではないだろうか。
(ほんとのことはわからないが、そう思わせる。)そこに僕たちは哀れみを感じて、いとおしくなる。そして
そのときにはすでに僕たちはインリンに巻き込まれているのである。

47 :ウキッ!:2005/08/18(木) 01:30:50
コイズミ・オブ・ジョイトイ

もしかすると、今回の小泉首相にも同様な「いとおしさ」と「巻き込み」の原理が働いているのでは
ないだろうか。

>>
コイズミが「あえてベタ」に「コイズミ」であり続けようとするときに、そこにあえてみじめで
あろうとする自虐性が潜んでいます。・・・「あえてベタ」に走り続けるコイズミを前に、ボクたちはメタレベル
のまなざしによって、笑っていればいいはずが、その自虐性からコイズミを欲望せずにはおれないのです。

さらにいえば、「コイズミ」へのアイロニカルにまなざしは、知らず知らずに共犯関係に巻き込まれている
のです。なんだ「ベタ」か、と処理するつもりが、見つめずにはおれない、欲望せずにおれない、それは
コイズミにとっての「おいしい」ツッコミです。
<<

言葉遊びですが、あながちおかしくもないでしょう。今回の「郵政民営化」議論において、参議院否決から、
衆議院解散、選挙への流れは、すでにドラマティックであり、解散後の演説含めて、小泉首相のマジな
悲壮感を感じました。そしていじめられた小泉が、僕たち国民に泣きついてきたのです。そこに僕たちは
哀れみを感じ、いとおしく感じているのです。

わかりやすい改革派と改革反対派という単純な2項対立、あるいは刺客?というような「ベタ」な展開さえも、
「あえてベタ」であることはわかっている。メタレベルのメッセージ=コンテクストの共有である。それは、
まんまとはまったと言えるのかもしれない。しかし僕たちはまんまとはまっているというアイロニカルな
まなざしも持っているでしょう。そしてインリンは応援しないわけにはいかないのと同様に、「小泉首相を
賛成しないわけにはいかない」のである。そこにあるのは、小泉首相のマジな悲壮感への共鳴であり、
すでに巻揉まれているのです。

48 :ウキッ!:2005/08/18(木) 01:31:24
つまんねな〜

49 :ウキッ!:2005/08/18(木) 01:33:54
終わったな・・・

50 :純一 ◆Fn0dptrDJw :2005/08/18(木) 01:34:12
つまんないね。

51 :ウキッ!:2005/08/18(木) 01:41:35
<「強烈な共鳴」という感動はぜ暴力を導くのか(仮題)>

「強烈な共鳴」とはなにか?

少し前に、テレビで映画「火垂るの墓」やってましたね。サッピングしてたら、いきなり冒頭のシーンで見入って
しまって、もう涙が・・・あれは見たらあかん。思い出してもあかん。それだけで、うるうるしてしまいます。
ほんと、あれは強烈な映画で、あれほどの強烈さ、すなわち共鳴するものは、そうそうないですね。映画だと、
あと「ニューシネマパラダイス」のラストの「キスシーン」シーンとか。

で、この「強烈な共鳴」とはなにか?ということなんですよね。「強烈な共鳴」とは、他者になる、同化するという
ことなんだけど、それは、他者を理解するということではなく、理解を越えて他者に共鳴してしまうという次元
なんだと思う。すると、この「共鳴可能な他者」とはなにものか、ということでもある。

これを意味することは、「他者」とはなにか、ということであって、これが倫理的なものを支えているという
ことですね。すなわち「強烈な共鳴」できる者が「他者」であり、そこに「自分がされて嫌なことは、他者にも
しない」と倫理の根元につながるわけです。かつては「人間」の中に差異があって、「強烈な共鳴」できる者は
一部の特権的な人々であり、その外部は排除されてきたりしたわけです。それは「彼らを排除する」という
ことではなく、「強烈な共鳴」されない者たち、たとえば現在ではそれは人間/動物という差異にみられるように、
境界が信じられていたわけです。

52 :ウキッ!:2005/08/18(木) 01:43:23
政治的操作としての「人類学機械」

ジョルジョ・アガンベンは『開かれ―人間と動物』(ISBN:458270249X)の中で、このような境界生成を、
「人類学機械」という「人間」を「産出」する場と表現しました。「形而上学(メタフィジカ)は、まさしく動物の
自然(ピュシス)を人間の歴史へと止揚し温存させるようなメタに関わっている。(アガンベン)」

>>
(『開かれ』の)重要なキーワードとは、第9章のタイトルとなった「人類学機械」という概念である。
訳註によれば、この概念は1980年に没したイタリアのドイツ研究者フリオ・イエージが提唱したものらしい。
が、アガンベンは独自の解釈に基づきこれを使用しているようだ。端的に云って、本書における「人類学機械」とは
こういうことだ。「人間/動物、人間/非人間といった対立項を介した人間」を「産出」する「歴史化の
原動力」としての「操作の場」。通読してわかるのは、本書の一方の目的とは、この「人類学機械」の「操作
の場」においての政治の輪郭を素描することである。著者によれば、この政治的操作としての「人類学
機械」とは、なによりも「人文主義という人類学機械」のことであり、つまりは言語=哲学のことである。

開いた傷口としての宙づりの生 北川裕二 http://www.eris.ais.ne.jp/~fralippo/daily/content/200408260001/index.html
<<

まさに、この「強烈な共鳴」とはなにか?人間のみがもつ先天的な生理による共鳴か?後天的な文化(言語)
による共鳴か?ということがまさに政治的操作として作動しています。たとえば、現代の特にアメリカ的な
リベラルな民主主義は、「人間/動物」という人間のみがもつ先天的な生理による共鳴のふりをする、
「人間はリベラルな民主主義に共鳴するものである。」としながら、共鳴しないものを排除している面がある
ことは否めません。それは、アメリカナイズという「後天的な文化(言語)による共鳴」を、あたかも「先天的な
生理による共鳴」が短絡させているということです。

53 :ウキッ!:2005/08/18(木) 01:44:12
人間/動物の断絶的差異


ボクもこの「人間/動物」の差異、「人類学機械」がさまざまな倫理的な言説の裏で作動していることを
指摘しました。

>>
人間/動物の断絶的差異

ニーチェが神/人間/動物という差異に、進化論的(生物学的)な視点から、「力への意志」を導入し、
神を葬り、人間も動物であるという地点に立ったのに対して、ニーチェ前のカントとニーチェ後のラカンでは、
ともに「人間/動物の断絶的差異」が保持されている。

この差異はまったくの両極端である。カントは「アプリオリな他者(現実界の他者)」を重視し、「アポステリ
オリな他者」は、誤解、錯覚でしかないというのに対して、ラカンは「アポステリオリな他者(象徴界の他者)」
を重視し、「アプリオリな他者(現実界の他者)」は「存在しない」という。しかしともに、この差異によって、
他者との共有された世界観を可能にしているのである。すなわち「他者」は、人間/動物という差異によって
保証されるのである。このような差異によって「他者」の存在を確保することは、様々な言説においては根元
ではないかと考えている。たとえばデリダが人間/動物を形而上学二項対立として解体しようとしても、
デリダが「他者」という倫理を確保するためには、人間/動物に依存しているのである。

なぜ私の中には二人の「他者」がいるのか? http://d.hatena.ne.jp/pikarrr/20050620
<<

すなわち倫理とは、「人間/動物」という「政治的操作としての「人類学機械」」によって作られる。倫理的な
「「他者」の声を聞く」と言う言説の裏で、「政治的操作としての「人類学機械」」が作動することによって、
なんらかの境界において「他者」が作り出されている、ということです。

54 :ウキッ!:2005/08/18(木) 01:45:04
まなざしの下部構造

さらに、「まなざしの快楽」に繋がるわけです。「まなざしの快楽」と言うときには、「後天的な文化(言語)
による共鳴」を意味しますが、さらに「後天的な文化(言語)による共鳴」=「政治的操作としての
「人類学機械」」から逃れられないことを意味します。

共有される文化的なコンテクストこそが「まなざし」であり、共鳴していることによって快楽(生きている
喜び)は生まれるということです。それは根元的な喜びであるが故に、共鳴できないことそのものが
理解の外にあります。共鳴できないことは、まさに不快、あるいは恐怖として現れます。それは、
「後天的な文化(言語)による共鳴」を、あたかも「先天的な生理による共鳴」のように、短絡させ、
共鳴しないものは、倫理的な「他者」の外に排除され、あるいは正常へと回復させるという暴力が
行われます。すなわち、この暴力とは正義であり、善意であり、犠牲であり、思いやりなのである。
まなざしの裏で「政治的操作としての「人類学機械」」は無意識のうちに作動しつづけるのである。

これはとても卑近なところで作動してします。それは、コミュニケーションすることの難しさです。
「普通」の外部にいる、「理解」の外部にいることの理解です。 コンテクストが共有できない、
「普通」が通用しない人間を前に、誰もがいらだちます。「なぜこんな「当たり前」のことがわから
ないんだ。お前以外全員わかっているぞ。」 その苛立ち、そして恐怖、そこには、自分の何に潜む
狂気が顔を表します。ホンに哲学的な問題とは、 このような外部への沸きあがるいらだち(恐怖)
=狂気に如何に立ち向かうか、というものなのです。

55 :ウキッ!:2005/08/18(木) 01:45:36
つまんねぇ〜

56 :純一 ◆Fn0dptrDJw :2005/08/18(木) 01:47:06
つまんないね。

57 :考える名無しさん:2005/08/18(木) 01:54:19
>ウキ&純一

二人で話したいならメアド交換して二人だけで話してくれ。


58 :考える名無しさん:2005/08/18(木) 01:56:45
単なる言語遊戯だな。内容がない。


59 :ウキッ!:2005/08/18(木) 02:00:30
まったくね。

60 :純一 ◆Fn0dptrDJw :2005/08/18(木) 02:01:49
まったくだね。

61 :ウキッ!:2005/08/18(木) 13:43:50
すなわち「歴史の終わり」の後に生きるためには、ボクたちは
なんらかの否定を作り出さなければならない。
引きこもり、ニート、フリーターは、否定を作り出し、否定する
スノビズムを生きているのである。
でなければ、「歴史の終わり」にただ動物的に生きることなどできようか。

62 :ウキッ!:2005/08/18(木) 14:24:45
そろそろ階級制の復活か。

63 :考える名無しさん:2005/08/18(木) 18:06:48
1は50代か60代かどっちだろ

64 :ウキッ!:2005/08/18(木) 19:49:17
ん?

65 :考える名無しさん:2005/08/19(金) 00:54:02
ザッピング・・・

66 :サガ:2005/08/19(金) 18:28:50
少しまとめて見よう。問題は価値の相対化である。
よりどころとする絶対的なものはない、絶対的な、すなわち神的なそぶり、当然否定神学を含めて、に気をつけろということだ。
ジジェクはそれを神経症的ヒステリックと呼ぶわけだが
では、はたして地平は本当にないのか?

67 :サガ:2005/08/19(金) 18:44:41
現代においては生理的なところにもとめられる傾向があるだろう。
心理学化、認知科学化など
それは現実界への逃避とも呼ばれる。
しかしこれも転倒(絶対化、神学化)のひと形態であることは免れない。
ジジェクがいうようになぜ心理学化、あるいは認知科学化しようとするのか、すなわち意味論的次元がのこりつづける。
これは宮台が東の動物化することの不可能についていったことにつながる。
かならずなぜ動物化するのかを問うてしまう。
すなわち人は「人間」から、すなわち転倒からのがれられないサガにある。ということだ。

68 :サガ:2005/08/19(金) 18:57:32
このような意味で、地平はむしろ現実界にある。それがラカンの思想である。
それをデリダが否定神学とよぼうと、これはサガなのである。
そしてここには人間/動物の差異が存在する。これはアガンベが人類学機械と呼んだものである。
すなわち時代ごとにこの境界をひくことによって、ひとは人間という倫理をつくりだした。それが哲学という政治である、と。
しかし再度いえば、それは政治的な意図をもつ以上にサガである。
だからボクは脱構築とは記憶しつづける力であり、むしろ問題は忘却にあるといった。「正義は継続である」といったのである。


69 :サガ:2005/08/19(金) 19:05:42
では再度問う、地平はどこにあるのか
すなわち地平はどこかにあらねばならない。なぜならそれがサガだから。
そこからローティーのアイロニーは導かれるだろう。
あらねばならないことを認る寛容をもとう。

70 :サガ:2005/08/19(金) 19:09:11
これはある意味で一つの帰結かもしるない。
しかしあるうさんくささが残る。寛容とはなにか。

71 :ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/08/19(金) 20:28:58
問題は正義がないことでも、正義が功利化していることでもない。
そうではなくて、正義が必ずあることである。
アメリカの正義があり、テロリストの正義がある。
そしてボクたちが絶対的な正義がないからこのような相違が生まれるというとき、
あるいは様々な情報を入手し分析し、語るとき、
すなわちメタな位置に立つときにも、サガからは逃れられてはいない。
そこには必ず正義はある。

たとえば小泉に賛同するとき、反対するとき、
さらに郵政民営化についてテクニカルに語るとき、
そこに正義がある。
ボクが「コイズミ・オブ・ジョイトイ」とネタにし、小泉支持を表明するとき、
それはテクニカルな言説へのアンチテーゼでもある。
そこにはサガが働いている。

ローティーのアイロニーという寛容につづく、テクニカルな問題への転換を
阻むところに、サガはある。
それは言語化できない。言語化されることをこばみ続けるところで
作動する。否定神学としてのサガである。


72 :ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/08/19(金) 22:15:00
<なぜ正義はサガなのか?>

少しまとめて見よう。問題は価値の相対化である。よりどころとする絶対的な正義はない、絶対的な、
すなわち神的なそぶり、当然否定神学を含めて、に気をつけろということだ。ジジェクはそれを神経症的
ヒステリックと呼ぶわけだが、では、はたして絶対的な正義の地平は本当にないのか?

現代においては生理的なところにもとめられる傾向があるだろう。極限すれば、DNAのほとんどは人間
(ホモ・サピエンス)には共有されている故に、絶対の正義はDNAに書かれている、というわけだ。心理学化、
認知科学化なども同様に流れにある。それは「現実界への逃避」とも呼ばれる。

しかしこれも「転倒」(絶対化、神学化)のひと形態であることは容易にわかる。ジジェクがいうようになぜ
心理学化、あるいは認知科学化しようとするのか、すなわち意味論的次元が残りつづける。これは宮台が
東の「動物化」の不可能について言ったことにつながる。それでも人はなぜ動物化するのかと問うて
しまうだろう。そして「まったり」からこぼれ落ちていく。心理学化、認知科学化などが、「現実界への逃避」
とも呼ばれる理由もそこにある。すなわち人は「人間」から、すなわち「転倒」からのがれられない。それが
サガである。

73 :ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/08/19(金) 22:15:37
ここには「人間/動物」の差異としての正義ある。これはアガンベンが「人類学機械」と呼んだものである。

>>
「人類学機械」とは「人間/動物、人間/非人間といった対立項を介した人間」を「産出」する「歴史化の
原動力」としての「操作の場」。この政治的操作としての「人類学機械」とは、なによりも「人文主義という
人類学機械」のことであり、つまりは言語=哲学のことである。
<<

すなわち時代ごとにこの境界をひくことによって、ひとは人間という倫理をつくりだした。しかし再度いえば、
それは政治的な操作以上にサガである。だから正義の地平はどこかにあらねばならない。


そこからローティーの「アイロニー」は導かれるだろう。「あらねばならないことを認める寛容をもとう。」互いに
寛容をもとう。ジジェクは寛容とは不寛容の一形態であるといった。互いに不可侵であること、互いを外部に
おくことでしかないということである。アメリカの正義があり、テロリストの正義がある。互いに寛容をもとう。
しかしそれが接触することが避けられないとき、接触は避けられないわけだが、寛容は不寛容へ転倒する。

さらにプラグマティズムには、問題を功利的にテクニカルに処理することを意味する。そして最近の論理では、
功利的でテクニカルな処理とは、リベラルな民主主義化することである。

74 :ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/08/19(金) 22:17:07
サガは、寛容とプラグマティズムを越えたところにある。それは言語化できない。言語化されることをこばみ
続けるところで作動する。だから問題は正義がないことでも、正義が功利化していることでもない。そうでは
なくて、正義が必ずあることである。そしてボクたちが絶対的な正義がないからこのような相違が生まれる
というとき、あるいは様々な情報を入手し分析し、テクニカルに語るとき、すなわちメタな位置に立つときにも、
サガからは逃れられてはいない。そこには必ず正義はある。

たとえば小泉に賛同するとき、反対するとき、さらに郵政民営化についてテクニカルに語るとき、そこに正義が
ある。ボクが「コイズミ・オブ・ジョイトイ」とネタにし、小泉支持を表明するとき、それはテクニカルな言説への
アンチテーゼでもある。そこにはサガが働いている。これを認めずテクニカルに処理することそのものに、
サガがある。

75 :ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/08/19(金) 22:57:22
このような意味で、正義の地平は「現実界」にある。「転倒」(絶対化、神学化)は、時間とともに拡散する。
それが転倒/反転という現実界の作動原理である。

たとえば「歴史の終わり」を考えよう。フクヤマの「歴史の終わり」は、ヘーゲル、そしてコジェーブの「歴史の
終わり」から来ているわけだが、歴史の終わりには、人は動物化するか、スノビズムに進むかしかないと、
コジェーブはいった。東は、スノビズムとジジェクのシニシズムとつなげた。それはアイロニ−よりも「シニカル」
である。否定するために否定する。人間として居続けるために、反転(忘却)に逆らい、転倒し続ける。もはや
歴史は終わったとしてもである。それがサガである。

だから「正義はない」という言説に騙されてはいけない。言語を越えて正義は必ずあるのである。

76 :ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/08/19(金) 23:00:15
そしてボクたちは価値の相対化を越えてまず「正義はある」ということからはじめなければならない。
それが「他者」に開くということである。

77 :純一 ◆Fn0dptrDJw :2005/08/19(金) 23:26:53
やあ

78 :純一 ◆Fn0dptrDJw :2005/08/19(金) 23:27:29
言ったみたいに、また来ましたよ。

79 :純一 ◆Fn0dptrDJw :2005/08/19(金) 23:28:41
今夜もリクエストをお待ちしております。

80 :純一 ◆Fn0dptrDJw :2005/08/19(金) 23:29:26
257 名前:考える名無しさん :2005/08/19(金) 11:42:24
学哲(大辞泉の定義1)とマイ哲(大辞泉の定義2)との比較。
1)学哲で認められるようなマイ哲の持ち主は偉い。例:ソクラテス
2)学哲で認められるがマイ哲に関しては平凡な人はやや偉い。誠実だからね。
3)学哲で認められないようなマイ哲の持ち主はあまり偉くない。検挙じゃないからね。
4)学哲で認められないしマイ哲も持ってない人は偉くない。

普通は1>2>3>4と考える。哲学だっていまや専門家のいる専門分野なんだからこれが普通。
しかし中には1>3>2>4と考える人もいる。都会のマンションのほうが田舎の一軒家よりいいという人と同じで、
統計的には少数派だか確実にいる。こういう人がマイ哲学を振り回して学哲を否定するから常に荒れる。

81 :純一 ◆Fn0dptrDJw :2005/08/19(金) 23:30:22
ミスターXは何がしたいのでしょうかね?

82 :ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/08/19(金) 23:30:24
【東】スノッブな消費者は、記号的差異に対して意識的に反応していた。けれども動物化しデータベース化
してしまった消費者は、記号的差異に身体的に反応してしまうわけですよ。これはやはり以前とは違う
でしょう。

【宮台】論理的構造は東さんのおっしゃったことではっきりしています。ただ、繰り返すと、エンジニアリング的
思考と人間的営みとは──認知科学的な外的視点と文科系的な内的視点とは──表を辿ると裏に回り
裏を辿ると表に回る「メビウスの輪」の関係になるしかなく、どちらかだけでは一貫できません。

東さんの本で言えば、今は猫耳でいいけど、いつまで猫耳でやっていられるのかという問題ですね。猫耳の
後は、豚の尻尾とかいって(笑)、三つ四つ移動しているうちに死ねるとしたら、それでいいのかもしれない
けど、現に僕はそうやって移動すること自体ダルくなっちゃった。

宮台・東対談〜『動物化するポストモダン』を読む〜

83 :純一 ◆Fn0dptrDJw :2005/08/19(金) 23:31:44
また、東と宮台ですか。

84 :純一 ◆Fn0dptrDJw :2005/08/19(金) 23:33:43
ぴかぁ〜とミスターXは、オタクってものに何か妄想を抱いているでは
ないですかね?私はぴかぁ〜とかミスターXが現代思想を用いてオタクを
理論付ける意味がさっぱり分からないのですがね?

85 :純一 ◆Fn0dptrDJw :2005/08/19(金) 23:36:30
>>80
>3)学哲で認められないようなマイ哲の持ち主はあまり偉くない。検挙じゃないからね。

ミスターXは謙虚って字を間違えてますね。

86 :考える名無しさん:2005/08/19(金) 23:37:02
意味は作るものですよ

87 :純一 ◆Fn0dptrDJw :2005/08/19(金) 23:37:44
今日は何の話が良いですか?
リクエストお待ちしております。

88 :純一 ◆Fn0dptrDJw :2005/08/19(金) 23:39:33
>>86
オタクカルチャーを現代思想で括る意味、
をつくるとは?

89 :純一 ◆Fn0dptrDJw :2005/08/19(金) 23:40:30
ちなみに私が言ったのは、>>86みたいな意味じゃないのですが…。

90 :考える名無しさん:2005/08/19(金) 23:42:10
>>88-89
は同一人物ではないと判断せざるを得ないようですね。

91 :純一 ◆Fn0dptrDJw :2005/08/19(金) 23:42:26
私が>>84で発言したのは、

@現代思想とAオタクカルチャー

は全然違うもので、全く関連性がないって話なんですが。

92 :純一 ◆Fn0dptrDJw :2005/08/19(金) 23:43:43
>>>88-89
>は同一人物ではないと判断せざるを得ないようですね。

君のレスは時々意味がわからんのだが。


93 :純一 ◆Fn0dptrDJw :2005/08/19(金) 23:45:22
>>88>>89

純一=私なのだから、

>>>88-89
>は同一人物ではないと判断せざるを得ないようですね。

ってのは、当然私89=88だがね。

94 :ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/08/19(金) 23:47:00
とりあえずここまで簡単にまとめて見ました。
ではこのなかで問題点はどこにあるのか。
リベラルな民主主義は歴史の終わりか。実はボクもこの考えに多くにおいて賛同しています。
さらに根元的には、歴史が存在する。すなわち一元的な方向性があるのか。
フクヤマは近代科学の進歩が鍵を握るといいます。
実は東の動物化は、コジェーブだけでなく、フクヤマの影響を受けています。
ボクも以前、動物化はテクノロジーの発展だと言いましが、
東もどうように工学化を重要視します。

【東】僕はすべての根幹には「工学的な知」の問題があると思うんです。産業革命以降、私たちの世界
では工学的な知の重要性がどんどん上昇している。この二世紀のあいだ世界を変えたのは、実は文学部
でも理学部でもない、工学部の力だったんですよ。そしてその力はいまも拡張し続けている。
・・・社会のデータベース化や主体の動物化という現象は、実はこういう変化の果てに生じているわけで、
八〇年代や九〇年代といった枠組みよりも広い問題なんですね。だから僕は、それはもう止められない
と思う。

95 :考える名無しさん:2005/08/19(金) 23:47:38
>>91
哲学とオタカルチャーが全然違うならわかりますが.
現代思想を一体なんだと思われてるのか

96 :純一 ◆Fn0dptrDJw :2005/08/19(金) 23:48:20
ミスターXも、前に、連続スレ立ての不公正を話した時に、

連続スレ立てのシステムしか興味示さなかったのですよね。
ああ、こいつパソオタだなと思いましたがね。

97 :純一 ◆Fn0dptrDJw :2005/08/19(金) 23:50:32
>>95
現代思想も哲学でしょう。

98 :考える名無しさん:2005/08/19(金) 23:51:05
現実での不公正なら興味を示したでしょうが、ネットですからね。
ネットでの不公正に憤慨するほど暇ではないのでは?

99 :純一 ◆Fn0dptrDJw :2005/08/19(金) 23:52:33
>歴史の終わり

本当に終わりだと思ってるんですかね?
民族紛争もまだまだ頻発しているというのに。

100 :ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/08/19(金) 23:52:40
これは、アガンベンの「人類学機械」(=哲学)の歴史性にも適用できるでしょう。
「人間/動物」の政治的操作に、一元性があるだろう、ということです。

では、現代の「人類学機械」はどのように作動しているか?

101 :純一 ◆Fn0dptrDJw :2005/08/19(金) 23:54:44
>ネットでの不公正に憤慨するほど暇ではないのでは?

そりゃあ、違うね。
ネットはミスターXにとってはシステムのみで完結しているのかも
しれないが、それはあくまでパソオタだけの話だよ。

102 :純一 ◆Fn0dptrDJw :2005/08/19(金) 23:56:38
>では、現代の「人類学機械」はどのように作動しているか?

ドゥルーズが一行も出ないのが、ぴかぁ〜らしいと言えば、
ぴかぁ〜らしいね。



103 :純一 ◆Fn0dptrDJw :2005/08/19(金) 23:57:58
工学的な知ねぇ…。

104 :純一 ◆Fn0dptrDJw :2005/08/20(土) 00:00:16
ぴかぁ〜もミスターXもシステマティックな知が好きらしいね。
工学的な知やらなんか。

105 :純一 ◆Fn0dptrDJw :2005/08/20(土) 00:02:06
人類学機械なんてのは、ぴかぁ〜がそれなりの地位を社会的に占めて
なければ効果も何もないものなんですが…。

106 :純一 ◆Fn0dptrDJw :2005/08/20(土) 00:02:44
リクエストはないですか?


107 :ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/08/20(土) 00:04:56
歴史は工学が作る

とりあえずここまで簡単にまとめて見ました。ではこのなかで問題点はどこにあるのか。リベラルな民主主義
は歴史の終わりか。実はボクもこの考えに多くにおいて賛同しています。さらに根元的には、歴史が存在
する。すなわち一元的な方向性があるのか。フクヤマは近代科学の進歩が鍵を握るといいます。実は東の
動物化は、コジェーブだけでなく、フクヤマの影響を受けています。ボクも以前、動物化はテクノロジーの
発展だと言いましが、東もどうように工学化を重要視します。

【東】僕はすべての根幹には「工学的な知」の問題があると思うんです。産業革命以降、私たちの世界
では工学的な知の重要性がどんどん上昇している。この二世紀のあいだ世界を変えたのは、実は文学部
でも理学部でもない、工学部の力だったんですよ。そしてその力はいまも拡張し続けている。
・・・社会のデータベース化や主体の動物化という現象は、実はこういう変化の果てに生じているわけで、
八〇年代や九〇年代といった枠組みよりも広い問題なんですね。だから僕は、それはもう止められない
と思う。

これは、アガンベンの「人類学機械」(=哲学)の歴史性にも適用できるでしょう。「人間/動物」の政治的
操作に、一元性があるだろう、ということです。では、現代(歴史の終わり)において、「人類学機械」は
どのように作動しているか? 現在のテクノロジーにおいて「人間/動物」の境界はどこにあるのか。
それは認知科学的なものになるでしょう。すなわちより大きなグローバルな、意味での人権が守られる
社会でなっているということです。様々に言われても、歴史上もっとも基本的人権が広まっている時代です。
その意味でも、リベラルな民主主義がグローバル化している時代と言えます。

108 :純一 ◆Fn0dptrDJw :2005/08/20(土) 00:06:05
そうですか、ないですか…。

109 :純一 ◆Fn0dptrDJw :2005/08/20(土) 00:10:16
>>107
ここでまとめる意味があるんですか?

110 :ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/08/20(土) 00:12:01
しかしこれはユートピアということではまったくありません。
リベラルな民主主義は、フクヤマの「歴史の終わり」に書かれているように、
個人の欲望と、社会正義の両義性の上になりたっている。
この不安定性こそが、共産主義にはない、リベラルな民主主義が生き残った
理由だと言えます。すなわちリベラルな民主主義は、カオスの辺縁に立つという
ことです。

111 :純一 ◆Fn0dptrDJw :2005/08/20(土) 00:12:06
というか、ブロガーって普通はスレで書いた文を
あとでまとめて、
ブログにアップするってのはしませんよね?

112 :純一 ◆Fn0dptrDJw :2005/08/20(土) 00:13:43
>すなわちリベラルな民主主義は、カオスの辺縁に立つということです。

巡り巡って政治的には保守に落ち着いた訳だね。


113 :純一 ◆Fn0dptrDJw :2005/08/20(土) 00:14:38
>>111の理由って、宣伝なんですかね?
ぴかぁ〜なら、やりそうなんですが。

114 :ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/08/20(土) 00:16:16
しかし歴史が終わったのなら、何によってカオスの辺縁は維持されるのか、
すなわちリベラルのは生き続けているのか。それは空間的地理的なものと
考えることができるでしょう。
かつて帝国主義は、空間的な世界征服によって、生き続けました。
現在のリベラルも同様な征服によって、生き続けているのです。
たとえば世界がリベラルに征服されたとき、何が起こるのでしょうか。
これは大変興味深い疑問です。

115 :ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/08/20(土) 00:18:27
それが本当の「歴史の終わり」です。
カオスの辺縁は、無垢への征服を必要とする。
しかしこの先は、ガンダム的世界なのかもしれません。
それはひとまず、終わりにしましょう。

116 :純一 ◆Fn0dptrDJw :2005/08/20(土) 00:20:44
へえ。

117 :ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/08/20(土) 00:23:29
追記すれば、「歴史の終わり」にすでに書かれていますが
「文明の衝突」の問題は、このようなリベラルの拡散の問題であって、
「歴史の終わり」そのものとは関係がありません。
さらに「文明の衝突」は、二項対立神話という批判があります。
たとえば先進国/テロリストの対立は「文明の衝突」の問題でなく、
内部の問題であるということはよく言われます。

118 :純一 ◆Fn0dptrDJw :2005/08/20(土) 00:23:36
>ガンダム的世界

119 :scr ◆o0u.0jUo6c :2005/08/20(土) 00:27:42
(もし話の腰を折ったらすみません)
純一さんこんばんわです
ここでひとつ「哲学(した結果)を思想や信念として現実に実行すること」
について意見を聞かせてくれませんか
私はそれをやって今、会社も社会もつらい感じ
でも逃げないのが信念だし
すごくジレンマ


120 :純一 ◆Fn0dptrDJw :2005/08/20(土) 00:28:42
こんばんは。

121 :純一 ◆Fn0dptrDJw :2005/08/20(土) 00:29:32
>>119
じゃあ、それ考えてみます。


122 :純一 ◆Fn0dptrDJw :2005/08/20(土) 00:30:53
ぴかぁ〜とミスターXの話をまとめますと、
回線繋ぎなおせば、連続レス規制は回避できるみたいですね。


123 :ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/08/20(土) 00:33:11
そのような意味でも、問題は「歴史の終わり」の内部についてです。
たとえばボードリアールは「透き通った悪」の中で、
「歴史の終わり」の内部で、自己免疫性が低下し、
外部がウイルス(「透き通った悪」)として内部に進入してくると
指摘しています。エイズ、コンピューターウイルスそしてまさにテロリストです。
それが、外部が消失したあとの「他者(外部)」であると言えます。

たとえば、ボクはウイルス化は、なにも悪ばかりではないと思います。
オタク、引きこもり、コギャル、ニート、このような「不気味なもの」たち
ボクの言葉では「汚物」たちも、「歴史の終わり」にウイルス化した他者であり、
またそれはボクたちが感染しているものだと言えるでしょう。


124 :純一 ◆Fn0dptrDJw :2005/08/20(土) 00:34:23
じゃ、ぴかぁ〜も汚物なんですね。

125 :ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/08/20(土) 00:36:59
>scr ◆o0u.0jUo6c

一度だけ忠告します。純一のしていることは明らかに荒らし行為です。
それを承知の上で、このスレで純一を会話するつもりですか。
やりたければ、他でお願いします。
荒らしは放置でお願いします。あとはあなたの判断に任せます。

126 :純一 ◆Fn0dptrDJw :2005/08/20(土) 00:39:16
>ここでひとつ「哲学(した結果)を思想や信念として現実に実行すること」
>について意見を聞かせてくれませんか
>私はそれをやって今、会社も社会もつらい感じ

たぶん、この板っておなじ経験している人多いと思います。
中には殴られて人とかいました。


127 :ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/08/20(土) 00:40:41
リベラルな民主主義というカオスの辺縁

しかしこれはユートピアということではまったくありません。リベラルな民主主義は、フクヤマの「歴史の終わり」
に書かれているように、個人の欲望と、社会正義の両義性の上になりたっている。この不安定性こそが、
共産主義にはない、リベラルな民主主義が生き残った理由だと言えます。すなわちリベラルな民主主義は、
カオスの辺縁に立つということです。

しかし歴史が終わったのなら、何によってカオスの辺縁は維持されるのか、すなわちリベラルのは生き続け
ているのか。それは空間的地理的なものと考えることができるでしょう。かつて帝国主義は、空間的な世界
征服によって、生き続けました。現在のリベラルも同様な征服によって、生き続けているのです。たとえば
世界がリベラルに征服されたとき、何が起こるのでしょうか。これは大変興味深い疑問です。

128 :純一 ◆Fn0dptrDJw :2005/08/20(土) 00:41:00
>一度だけ忠告します。純一のしていることは明らかに荒らし行為です。
>それを承知の上で、このスレで純一を会話するつもりですか。

ぴかぁ〜って自分が連立てしてるの、見事に忘れてるよね?


129 :ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/08/20(土) 00:41:53
「透き通ったオタク」

「歴史の終わり」にすでに書かれていますが、「文明の衝突」の問題は、このようなリベラルの拡散の問題で
あって、「歴史の終わり」そのものとは関係がありません。さらに「文明の衝突」は、二項対立神話という批判が
あります。たとえば先進国/テロリストの対立は「文明の衝突」の問題でなく、内部の問題であるということは
よく言われます。

そのような意味でも、問題は「歴史の終わり」の内部についてです。たとえばボードリアールは「透き通った悪」
の中で、「歴史の終わり」の内部で、自己免疫性が低下し、外部がウイルス(「透き通った悪」)として内部に
進入してくると指摘しています。エイズ、コンピューターウイルスそしてまさにテロリストです。それが、外部が
消失したあとの「他者(外部)」であると言えます。

たとえば、ボクはウイルス化は、なにも悪ばかりではないと思います。オタク、引きこもり、コギャル、ニート、
このような「不気味なもの」たちボクの言葉では「汚物」たちも、「歴史の終わり」にウイルス化した他者であり、
またそれはボクたちが感染しているものだと言えるでしょう。

130 :純一 ◆Fn0dptrDJw :2005/08/20(土) 00:43:22
でも、scrさんの求めている、

>哲学(した結果)を思想や信念として現実に実行すること

って最高位に難易度高いですよね。
ぴかぁ〜とか見れば分かると思うんですが、
大量の書籍とかを資産に依存してますよね。
こういう人も意外と哲板に多いみたいなんですよね。

131 :純一 ◆Fn0dptrDJw :2005/08/20(土) 00:46:30
哲学ってのは、オーソドックスな流れとして、

@ある疑問・問題がある。

Aそれにたいしての解決する理論を考える

Bできた理論を実践する。

って感じだと思うんですよ。
scrさんの>哲学(した結果)を思想や信念として現実に実行すること

は、B番目だから、レベルとしては最高の、プロセスとしては、
最終地点ですよね。だから無理って訳ではないです。
続く。

132 :純一 ◆Fn0dptrDJw :2005/08/20(土) 00:49:59
私が思うのは、アマチュアも含めた哲学者って
このプロセス中、@〜Bのどれかで挫折する可能性が高い
のだなと思うのですよ。

大学の知識人とか、学生ってはAで止まるのですよね。
このへんはぴかぁ〜とかミスターXとかのインテリ気取りを
見てもらえれば分かると思うのですが、要するに口だけ達者になる
ってことですね。

133 :純一 ◆Fn0dptrDJw :2005/08/20(土) 00:52:31
そういう意味で、scrさんのやってるのはマイ哲の私からすると、
本気でやってるなーって感じがするんですよね。

134 :ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/08/20(土) 00:53:19
工学化が歴史を終わらせ、
オタクは動物化する、透き通る。(ウイルス化する)

すなわち「歴史は終わる」のはどうかは、別にして、
工学化は人をどのように変えたのか。
この視点は精神分析から、社会主義化から、リベラルの勝利から、
オタク化までの広いパースペクティブを持つでしょう。

マルクスの時代は、機械化、オートメーション化だったものが、
いまではメディア論的な言説になるでしょう。
そこにはボクの「2ちゃんねるはポストモダンを越えていく」
「ネットコミュニケーションは必ず失敗する」等も含まれるでしょう。

135 :考える名無しさん:2005/08/20(土) 00:55:23
終わってもいない歴史を終わったと考えるのは単なるバカ

136 :純一 ◆Fn0dptrDJw :2005/08/20(土) 00:56:44
>この視点は精神分析から

フロイト読まずしてラカンを語れるぴかぁ〜がかね。

137 :scr ◆o0u.0jUo6c :2005/08/20(土) 00:56:47
ほんとですか!?
うれしいです!
実は今必死でしゃべりたいことをまとめようとしてたんですけどもういいや
純一さんリードお願いします
あんまりたくさん返事書けないかもしれないですけどちゃんと見てますので
お願いしまーす!


138 :純一 ◆Fn0dptrDJw :2005/08/20(土) 00:59:30
ちなみに、哲板では99パーセントの人が、私を嫌っています。
私の発言は、一般からは遥かにずれているとお考えください。

139 :純一 ◆Fn0dptrDJw :2005/08/20(土) 01:01:25
私がBの実践とかしたことあったかなぁ…。

140 :純一 ◆Fn0dptrDJw :2005/08/20(土) 01:03:59
たぶん、私はBの実践に関しては、
あまりうまくできていないと思います。

そうすると、私が何のために哲学をやるのかが問題となるのですが…。

141 :純一 ◆Fn0dptrDJw :2005/08/20(土) 01:07:20
で、私も>>119と似たようなことした時がありました。
それに関して考えて見ます。


142 :純一 ◆Fn0dptrDJw :2005/08/20(土) 01:09:22
むう…。

143 :純一 ◆Fn0dptrDJw :2005/08/20(土) 01:17:21
>>119での>つらい感じってのを避けるには、
まず、世間で良くやってる処世術を身につけるのが手っ取り早いのですが、
今回はあくまで、それはとらない方針で…。


144 :純一 ◆Fn0dptrDJw :2005/08/20(土) 01:21:00
しばし、ミスターXAAでお待ちください…。


     ミミ ヽヽヽヽリリノノノノ    971 :ミスターX:2005/08/19(金) 01:21:11
    ミ   ,,、,、,、,、,、,、,、、 彡 わたしは哲学板における「議論誘導のプロ」です。
     l  i''"        i彡  ほとんどのコテハンはわたしの手の上で踊っています。
    .| 」   /' '\  |    
    ,r-/   -・=-, 、-・=- |  984 :ミスターX:2005/08/19(金) 01:30:35
    l       ノ( 、_, )ヽ  |  カオル、本物純一、ぴかぁ〜、 その他マイ哲系の小物は誘導の必要すらありません。
    ー'    ノ、__!!_,.、  | 自尊心をくすぐればいいだけですから。      
     ∧     ヽニニソ   l   わたしがいう誘導というのはもっと繊細な世論操作テクニックなのです。  
   /\ヽ           /      k)
 /     ヽ.  `ー--一' ノ/ヽ    ノ7_,,, 、    
/   (⌒、"⌒ソ⌒ヽ─ '"   `、  ( ィ⌒ -'"",う
    ~''(_)(_)(_)(_)ソ       ヽノ   ,イ^
    ヽ/`、_, ィ/           ヽ─/
   /     /  ミスターX   ) /
         /            i
\      ノ             |
  \__ /             ノ


145 :純一 ◆Fn0dptrDJw :2005/08/20(土) 01:23:39
まあ、今回テーマがちょっと難しいので、
細かくしていきます。

146 :純一 ◆Fn0dptrDJw :2005/08/20(土) 01:24:25
テーマ@

哲学=処世術か。

147 :純一 ◆Fn0dptrDJw :2005/08/20(土) 01:29:54
まあ、処世術的な面が無い訳ではないのですが、
>>119から読み取ると、処世術とは逆の効果、
処世術とは、世間を上手く渡る術ですので、
イコールとは言えないところがあります。

148 :純一 ◆Fn0dptrDJw :2005/08/20(土) 01:31:37
処世術と逆の効果=処世術と反対の技術

としておきますね。

149 :純一 ◆Fn0dptrDJw :2005/08/20(土) 01:34:43
難しいな。

150 :純一 ◆Fn0dptrDJw :2005/08/20(土) 01:38:44
で、ふたたび>>131を…。


151 :純一 ◆Fn0dptrDJw :2005/08/20(土) 01:41:59
>>131で、@→Aで起こる哲学的な思考の流れが、
具体的には、>>147-148という思考で固まる訳ですな。


152 :純一 ◆Fn0dptrDJw :2005/08/20(土) 01:46:49
ここらでまとめます。

>>131の哲学的な思考の流れのプロセスでは、

>@ある疑問・問題がある。
>Aそれにたいしての解決する理論を考える

@→Aへ思考するステージを進めるため、

哲学=処世術 から、
哲学=反処世術へと考え方を変える。


153 :純一 ◆Fn0dptrDJw :2005/08/20(土) 01:51:45
たぶん、こうすることによって、
@では、疑問や問題に対しての処世術的な対処法から、
読書などによって、抽象概念を身につける段階になるのでしょう。


154 :純一 ◆Fn0dptrDJw :2005/08/20(土) 01:52:21
(疲れた…)

155 :純一 ◆Fn0dptrDJw :2005/08/20(土) 01:53:51
備考

156 :純一 ◆Fn0dptrDJw :2005/08/20(土) 01:57:21
Aのデメリットは、>>132参照で。

157 :純一 ◆Fn0dptrDJw :2005/08/20(土) 01:59:50
で、あとはAからBへの変化ですが…。
私もまだ上手くできまいませんね。


158 :純一 ◆Fn0dptrDJw :2005/08/20(土) 02:05:47
暫定的な結論を申しますと、
>>119では、やはり処世術のほうが楽だってのがあります。
で、多少苦しいコースが次のステージに繋がっておりますが、
当然、危ないのであまりお勧めできないってことでしょうか。

159 :純一 ◆Fn0dptrDJw :2005/08/20(土) 02:08:15
今日はここへんでやめときますね。

160 :scr ◆o0u.0jUo6c :2005/08/20(土) 02:16:20
ありがとうございました!
先生の講義が見事すぎて口をはさめませんでした
未成年の私にもよくわかる授業、ありがとうございます
今すぐ意見を言おうとしても熱血しか出てこないですね
それは哲学にふさわしくないので
もっとじっくり熟考してみます
間違いなく私の人生はまた一新しました
本当にありがとうございました
またいつかお話聞かせてください


161 :scr ◆o0u.0jUo6c :2005/08/20(土) 02:50:01
純一先生、書き置きしておきます
「よく生きる」ための処世術なんでしょうけど、私は「上手くズルくラクして」が「よい」とは思えないんです
私は「何も知らずに安穏と生きるより真実を知って傷つく方を選びたい」んです(引用)
苦しいコース、もしよければ教えて下さい
あと私は信念の方向に偏りすぎですね
名言にも頼りすぎ
哲学濃度が薄いですね
でも信念の底には哲学がないとダメ
盲信なんてダサい
そこが哲学人たる情熱です
ではまた、いつか近い日に


162 :純一 ◆Fn0dptrDJw :2005/08/21(日) 22:51:35
やあ

163 :純一 ◆Fn0dptrDJw :2005/08/21(日) 22:52:16
続きはこっちで
http://academy3.2ch.net/test/read.cgi/philo/1124298307/l50

164 :ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/08/22(月) 12:23:57
再度いえば欲望はローティー的アイロニーを越えていくということであり
結局は偶然性は自然淘汰にいきつく


165 :ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/08/22(月) 14:31:28
これをネオ自然主義とよぶこととする。
すなわち価値は自然淘汰により作られる。それはアイロニーさえも巻き込む。
ここに働く原理はカオスの辺縁=転倒/反転のバランスである。

166 :ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/08/22(月) 17:07:25
<ネオ自然主義への道>

■転倒・・・「偶有性から単独性への転倒では神性が捏造される」
 象徴界(言語、社会)という内部を作り出す。内部の帰属として主体がつくられる。
 内部の価値としての真理が作られる。 形而上学、「デリダも必ず恋をする」

■反転・・・「単独性から偶有性の反転では神性は解体される」
 内部が解体され、外部へと浸透する。 主体を解体する。真理を解体する。
 ポストモダン、「デリダの恋も必ずいつか冷める。」

■カオスの辺縁・・・転倒/反転の往復運動の起点、自己組織化が起こる位置、
 生命が維持される位置、内部(言語、社会)が維持される位置。主体が維持される位置

■転倒/反転の構造は、虚像/真実の構造ではなく、継続/忘却=エントロピーの減少/増加である。
 「時間」という反転に逆らって、「無垢を求める欲動」(現実界)によって転倒が起こる。
 この新陳代謝によって内部(主体、真理)は維持される。

■すなわち自然淘汰によって内部(言語、社会)は維持される。

167 :ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/08/22(月) 17:08:15
これは一見、ローティーの「リベラルアイロニスト」に近いように思う。しかし根本的に異なるのは、
「メタ言語は存在しない」ということであり、ローティーのいうようなアイロニストは存在しない。
それでも「転倒」は起こる。「手紙は必ず宛先に届く」のである。
これは、デリダの脱構築にも言える。脱構築は意図的な「反転」思考であるが、意図的である時点で、
否定神学、「転倒」である。本来の「反転」は忘却されることのみにある。
「手紙は忘却されたときのみ、宛先に届かない」のである。
これを「ネオ自然主義」と呼ぶ。これは完全なる価値の相対化であり、哲学の敗北だろうか。

168 :ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/08/22(月) 17:08:50
たとえば、ナチズムなどの悲劇を再び起こさないことは可能なのか、と考える。
ローティー的にはイデオロギー的な矯正は不可能であるが、
「他者の生の具体的な細部との想像上の同一化によって」可能性が見いだされる。
「苦痛や辱めという点での類似性」を感じることによって、可能になると考える。

「ネオ自然主義」では、なにものも偶然性にゆだねられる故にナチズムの回避は不可能である。
ただ「ネオ自然主義」は、無法地帯ではない。そこには物理的な制約が存在する。
たとえばローティーが漠然と定義した「苦痛や辱めという点での類似性」、
生物的な同一性、人としての物理的な制約は存在するだろう。
そして「苦痛や辱めという点での類似性」によって、たとえばナチズムの再帰を回避する
ためには、「転倒」し続けることである。「ナチズム」についての忘却を妨げることである。

ここで、デリダの脱構築の意味が現れる。デリダが「脱構築は正義である」というときには、
継続することによって、意味がある。また同様にローティーの「アイロニスト」は、「アイロニスト」で
あり続けるという継続することによって、意味がある。
だからといって、ナチズムが起こらないとは言えないのであるが。
すなわち「ネオ自然主義」においては、「継続は力なり」である。

169 :ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/08/22(月) 18:31:42
この継続主義において問題になるだろうことは、いかに忘却をさまたげるか
より記憶に残すか、洗脳するか、すなわち情報操作である。

170 :ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/08/23(火) 19:01:52
真理は遺伝子である。といってみる。

171 :考える名無しさん:2005/08/23(火) 19:19:27
ぴかぁ〜さんはブログは作らないんですか?


172 :ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/08/23(火) 19:40:31
http://d.hatena.ne.jp/pikarrr/

173 :ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/08/23(火) 19:44:03
真理は遺伝子である。といってみる。
これを、アガンベンが「人類学機械」を通過させると、
「人間/動物」の差異を遺伝子で規定しようということである。

>>
「人類学機械」とは「人間/動物、人間/非人間といった対立項を介した人間」を「産出」する「歴史化の
原動力」としての「操作の場」。この政治的操作としての「人類学機械」とは、なによりも「人文主義という
人類学機械」のことであり、つまりは言語=哲学のことである。
<<

すなわち遺伝子が限りなく同一である人間種は、倫理的な「人間」である、ということだ。

174 :ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/08/23(火) 20:10:11
これをさらにローティのリベラルにつなげると、「連帯とは伝統的な差異(種族、宗教、人種、習慣、
その他の違い)を、苦痛や辱めという点での類似性と比較するならば、さほど重要でないと
次第に考えていく能力、私たちとはかなり違った人々を『われわれ』の範囲のなかに包含されるものと
考えていく能力である。」というときの「苦痛や辱めという点での類似性」による内部とは、
このような種的な類似性を根底を持つことがわかる。

しかしローティのリベラルの疑問にもなるが、人はなんにでも同期する生き物である。ペット、人形、
さらには神聖なものへの崇高な感情は、このような同期の一種である。そこでは同類の人間よりも、
身近な物質へ強く同期し、その「生」を優先することは起こる。

「苦痛や辱めという点での類似性」という同期は、必ずしも遺伝子的な同一性を意味しない。
それがまさに症候としての「人間」である。

それでもあえてまず真理は遺伝子である。といってみる。 すなわち「人類学機械」を作動させる、
ということである。人間は遺伝的に確実な他の動物とか差異がある。ここにリベラルの構造ができあがる。

175 :純一 ◆Fn0dptrDJw :2005/08/23(火) 20:15:41
つまんないね。

176 :考える名無しさん:2005/08/24(水) 06:36:20
歴史の終わりったって発展段階的歴史観が破綻したってダケだろう。
それに便乗して「すべてのパターンが既知になった」とか抜かすアホは
ホントに知的怠惰というか、愚昧というか…

177 :ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/08/24(水) 08:53:13
テロ後のアメリカが示しているのは、ローティ的アイロニーの寛容が
容易に「転倒」するすがたである。
すなわち「アイロニストは存在しない」

178 :ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/08/24(水) 08:55:18
「歴史のおわり」、リベラルの勝利、
すなわちソ連の崩壊に対するアメリカの勝利のおたけびである。

179 :考える名無しさん:2005/08/24(水) 20:46:24
日系のフクヤマがこんなアメリカ的な理論を振り回すのはなんだか面白い

180 :ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/08/24(水) 23:30:53
『空気の読める社会(1)
以前、子どもたちの間では「空気が読めないこと」が最も嫌われる、という話があったが、これは、大人の
間でも共通しているようである。価値観が多様化した、とされる社会では、「素直に」考えれば、
ハイコンテクストな(共有する文化的・社会的背景や情報が多い)コミュニケーション空間から
ローコンテクストな(共有する文化的・社会的背景や情報が少ない)コミュニケーション空間へと変化する
ということであり、「コミュニケーション」の本来の意味である、(特に異なる価値観の人の間での)意思疎通の
ためにはより明確に言語化した対話が重要になると考えるのが一見自然である。

しかしその一方で、冒頭の「空気を読む」というのは、明確に言語化されたコミュニケーションの手法とは
全く異なるようにも思われる。このねじれは、一体どういうことを意味しているのだろうか。今回のエントリ
では「多様な価値観」「コンテクスト」という2つのキーワードについて触れ、次回のエントリで引き続き
「コミュニケーションの種類」という観点からアプローチを試みたい。』

181 :純一 ◆Fn0dptrDJw :2005/08/24(水) 23:34:50
つまんないね。

182 :ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/08/24(水) 23:38:35
『まずは「多様な価値観」について。「価値観が多様化した」というのは何らかの説明をしたい時に、
理由付けとしてなかなか使い勝手の良い文句であり、自分でも結構使ってしまったりしているのだが、
1つにはそもそも本当に日本人の価値観は多様化しているのか、ということがある。どうも、今の日本では
「多様な価値観」がマジックワード化しているように思える。
SocioLogic(lovelesszero 5.0) ttp://www5.big.or.jp/~seraph/zero/』

183 :純一 ◆Fn0dptrDJw :2005/08/24(水) 23:40:52
>>182
パクリかい?

184 :純一 ◆Fn0dptrDJw :2005/08/24(水) 23:44:37
まあ、パクリでも
もういいですけどね。

185 :ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/08/25(木) 09:12:19
価値の多様化においては、「空気を読む」ということは、
単に受動的なことではなく、「空気」、すなわち場の支配闘争があるだろう。

186 :ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/08/25(木) 09:33:08
たとえばいじめも闘争場としておこるといえる
闘争場においてだれもが外部として排除される可能性があるという緊張において、
外部になる前に外部をつくることによって内部を作動させる
いじめにおいて、いじめっこは排除される危機を感じる者がその緊張にたえかね、
弱いものをおとりにすることである。
それにより場の緊張はやわらぐ
このような場の鎮圧としていじめは生まれる故に
いじめの問題は解消されにくい
いじめられはだれでもよいのであり、ボクであるかもしれないから、共犯的に維持される。

187 :凡人:2005/08/25(木) 09:39:41
1>>
長い人類史で今が一番大切な時と考えていますけど、、、、

188 :ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/08/25(木) 09:43:45
価値の多様化とは、大きな物語の凋落、社会的規範の低下、小さな物語といえる。
ここでも闘争場という緊張が生まれている
都会で「無関心の儀礼」が発達するは、闘争を避ける故、最低限求められる
場の空気である。
そこではゆるい内部がさぞうしている。
電車内で席をかわることが恥ずかしいのはこのような場の空気をやぶるからであり、外部として突出する。
このように内部の強度においてコンテクストは階層を形成している。
深部のコンテクストを読めないことはひとり外部へと排除される
外部とは意味が共有できない。不安、不快な他者である。

189 :ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/08/25(木) 09:46:00
戦争そのものが場の闘争であるのだから

190 :ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/08/25(木) 10:02:26
「歴史の終わり」後、もはや大きな闘争=戦争はないのであり、
内部、外部の境界は大きな内部の差異化運動に求められる。
すなわちそれでも内部、外部は求められるのであり、大きな闘争の消失後には大きな内部内の小さな闘争に求められる。
しかし小さな闘争だからと舐めてはいけない。この小さな闘争から脱落したものたちがあふれているのがわかる。
引きこもり、ニートなど
なぜなら闘争の大小にかかわらずそれは「私とはなにものである」をかけた。
生死をかけた闘争であるからだ。
とくに少年犯罪のナイーブな時期は、まさに闘争なのであり、
大きな内部のコンテクストでは些細なことが自分の生死をかける意味をもつ。
だから大きな内部のコンテクストからはその危機はみえないのである。

191 :ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/08/25(木) 12:40:30
すなわちこのような内部を形成する運動がボクがいう「転倒」である。
そしてデリダの脱構築とは転倒を暴露する行為であり、
ローティのアイロニーとは転倒に対して俯瞰の位置に立ち、寛容を示すことである。
さてこれらが「転倒」への対処法として難しいことがわかりだろう。

192 :ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/08/25(木) 12:46:22
たえばワールドカップは疑似戦争と言われる。
異民族、異文化でもコンテクストの共有は存在する
それは単にサッカーのルールを共有しているということではない。
たとえば人工知能の不可能性はフレーム問題、すなわちコンテクストの読みの問題である。

193 :ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/08/25(木) 12:56:05
たとえば「電車男」の感動とは、内部にいることの共有であり、
この内部を作動させているのは、エルメスを女神とすること、すなわち外部に疎外し超越させることである。
「転倒」において神性は捏造される。

194 :ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/08/25(木) 13:52:54
どの階層までコンテクストが異なるかは興味深くなおかづ倫理的な問題につながる
その拡張は人間/動物へとつながる。すなわちアガンベンの「人類学機械」を作動させる。

195 :ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/08/25(木) 14:01:54
内部はコミュニケーションにより、作動するわけであるが
かならずしも対面している必要はない。むしろそれは主体内部にあり、主体を主体たらしめている。
特に最近はマスメディアの影響が多い。
あゆファンというコンテクストを共有するためにぱあゆにあう必要がないだけでなく、あゆファンにあう必要もない。
マスメディアを通して、あゆファンがいるという情報のみで強い帰属意識をもつことができる。
ボクがいうハニカムハーツはこのような繭状態を呼ぶ。
この場合、社会的、物理的に近接した周りは外部である。
繭の中で一人で、内部を作動させることができる。
このようた繭の中で作られていくコンテクスト、すなわち価値観が、社会的なコンテクストと離れたとき、問題はおこる。
あるいは完全に遮断去れない故に社会との接触、親からの注意、女性問題などにより、
外部への生死をかけた闘争がおこるのである。

196 :考える名無しさん:2005/08/25(木) 14:30:00
昼間から引きこもって自己満足のぴかぁ〜

197 :考える名無しさん:2005/08/25(木) 19:01:27
さて今日もぴかぁ〜をいじめて、場の緊張をやわらげるか!

198 :ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/08/25(木) 21:53:40
「空気を読む」ということには、単に受動的にその場に合わせるということだけではなく、場の支配を賭けた
闘争という意味があるのではないだろうか。

内部を維持するための「いじめ」構造

価値が多様化した時代には、コミュニケーションの場は、だれもが外部として排除される可能性がある。
この緊張において、場から排除される可能性が高いものが、その緊張にたえかね、危機回避から、
「弱いもの」をスケープゴードとしていじめて、外部へ排除する。このようにして外部をつくることによって、
内部を作動させ、場の緊張を和らげる。

いじめは、このような場の安定として生まれる。ここではいじめられるのは、だれでもよいのであり、僕で
あるかもしれない。そして外部に転落しないように、みな懸命に「場の空気」を読もうとするのである。
ここではいじめられている外部は、内部を維持するため、自分が外部に転落しないために必要とされる
という共犯的に維持される。いじめはこのような集団の力学で発生する故に、解消されにくい。

199 :純一 ◆Fn0dptrDJw :2005/08/26(金) 00:04:18
ジラール読めよ。

200 :純一 ◆Fn0dptrDJw :2005/08/26(金) 00:05:01
200

201 :ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/08/26(金) 01:29:38
ローティのアイロニストは「儀礼的無関心」とかぶる。
それは、まるで「歴史の終わり」の、「大きな内部」の姿である。
すなわちそもそもにおいて、民族闘争などのような「大きな内部」の
闘争ではなく、知らず知らずに「歴史の終わり」に住むローティは
「大きな内部」を標準しえいるのでは、ないだろうか。

202 :考える名無しさん:2005/08/26(金) 01:31:37
それは人間の自然じゃないの?

203 :ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/08/26(金) 01:34:23
「儀礼的無関心」とは「ゆるい内部」である。まさに「動物化」の生き方である。

だから「大きな内部」間の「大きな闘争」や、「大きいな内部」内の「小さな闘争」に
おいては、有効ではない。すなわち「屈辱をかける」闘争において、アイロニーは通用しない。
まさに「屈辱をかけた」闘争だからである。

204 :考える名無しさん:2005/08/26(金) 01:49:36
歴史の終わりってのは温度差なき世界であって、それはダイナミズムも
ない世界なんだろうけどね。イスラム-先進国、中国は内部だけでも
温度差充分。



205 :考える名無しさん:2005/08/26(金) 02:02:39
歴史の終わりってのはいってみりゃ究極のブルジョア思想だよね。
現に歴史は終わっていないし、単なる表象の問題だと思う。

206 :ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/08/26(金) 07:59:05
「歴史の終わり」ってそんなことではないんだけ・・・

207 :ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/08/26(金) 08:33:22
たとえばボクたちは北朝鮮を「間違った」、「遅れた」国と
考えているけど、なぜそのように言えるのか、ということ。
歴史において、独裁的、差別的な国はたくさんあって、
国それぞれではないか、ということ。

それはボクたちが、歴史には流れがある。すなわち「歴史」があると
漠然と考えて、日本はその先を行っていると思っているわけだよね。
それを考えると、アメリカ、日本などの、物質的に豊かで、
平和、平等を目指すリベラルな民主主義が先端で、
世界中がそれを目指して進むだろう。
さらにリベラルな民主主義の先はもうないのではないか、
すなわち「歴史はおわった」のではないか、ということ。
アメリカのイラク侵攻も、民主化する、それが正しい流れだと
いう思想のものと行われたわけだね。

208 :考える名無しさん:2005/08/26(金) 08:37:19
だから要するに歴史の終わりってのは
進歩史観が破綻したってだけの事でしょ。
ヘーゲル以降の歴史哲学が無に帰したって事で
それはそれでめでたい事では。
それでも人々の生活は続くし
時は流れ出来事は起こる。

209 :ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/08/26(金) 08:38:57
コミュニティの最終的なあり方は、「豊か、自由、平等」だろう。
それは、人間の本質に根ざされている故に、最終的だろう、
ということ。

ただこれはユートピア思想でない。「豊か、自由、平等」が目指されることが最終的である、
ということであって、みんなが「豊か、自由、平等」が実現するということではない。

210 :考える名無しさん:2005/08/26(金) 08:42:16
>>209
最終的なありかたって事自体
進歩史観では?
インド人の本質的意識に根ざせば
地球が滅びるまで不平等だと思うが。

211 :ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/08/26(金) 08:42:57
>>208
だから、「だけの事」だよ。
そして、「だけの事」という物言いが、「歴史の終わり」的わけだね。
もはや本質的な否定はできず、「だけの事」と空虚な否定だけでを
繰り替えさぜるおえない。

212 :考える名無しさん:2005/08/26(金) 08:45:35
>>211
歴史自体が空虚な否定の繰り返しかも知れないでしょ。
でもそれが繰り返される限り「歴史の終わり」とは言えない。

213 :ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/08/26(金) 08:45:48
>>210
「歴史」とは進歩史観だから。
では日本が平等か?そういうことではないわけ。
ユートピア思想と混同している。

214 :ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/08/26(金) 08:47:05
空虚な否定の繰り返しなら、まさに「歴史の終わり」だね。

215 :考える名無しさん:2005/08/26(金) 08:47:37
>>208
「ヘーゲル以降の」というより、歴史哲学自体が無に帰したことに
なりゃしませんか。

216 :考える名無しさん:2005/08/26(金) 08:48:26
>>213
歴史=進歩史観なんて決まってないでしょう。
ヘーゲル以前の史書は存在しないとでも言うの?

217 :考える名無しさん:2005/08/26(金) 08:49:20
>>215
歴史学が無に帰したのなら
新しい歴史学を立ち上げればいい。
進歩史観無しのね。

218 :考える名無しさん:2005/08/26(金) 08:50:56
要するに歴史学の終わりを「歴史の終わり」と騒ぐ知的無能と怠惰という事。

219 :ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/08/26(金) 08:51:37
人間社会のエントロピーがもっとも高い状態が
「豊かさ、平等、平和」だろうということ。

雨は最後は海に流れ込む。
その海が「豊かさ、平等、平和」だろうということ、
しかし雨はやまないだろう。
でも最後は海に流れ込む。

だからボクたちはもはや革命を目指さない。
2ちゃんねるで、空虚な否定を繰り返す。

220 :ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/08/26(金) 08:52:30
>>218
まさに「歴史の終わり」的発言。

221 :考える名無しさん:2005/08/26(金) 08:52:38
>>214
かも知れないと言っただけでしょ。
それを検証するのが学問ではないの?
だとしたら歴史も学問も終わってない。

222 :ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/08/26(金) 08:58:34
>>221
だから「歴史の終わり」の意味が違うって・・・

223 :考える名無しさん:2005/08/26(金) 09:12:26
>>222
相対性理論が否定されたら物理は終わりかね?
進歩史観が否定されたら歴史は終わりかね?
意味を拡張して怠惰にふけるのも
いい加減にしないとみっともないよ。

224 :ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/08/26(金) 09:18:31
なんで相対性理論!?
はぁ〜歴史終わってるよ

225 :考える名無しさん:2005/08/26(金) 09:20:38
>>224
進歩史観自体歴史学では終わってるんだが。
あなたは自分が終わってるだけだな。

226 :ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/08/26(金) 09:23:41
アイロニーもなく、ただ延髄反射的にレスをかえしてるだけか
歴史の終わりの「動物化」だね

227 :考える名無しさん:2005/08/26(金) 09:29:41
>>226
いやいや、「歴史の終わり」と叫ぶ本人の
知的能力が終わっていただけだった。
これ以上のアイロニーがなかなかあるとは思えませんね。

228 :ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/08/26(金) 09:36:38
ボクは「スノビズム」派なので「動物化」派の
意味なき連鎖にの退屈さには耐えられない故、
ここらでお開きだね。
あとは「動物化」派どうしてやってくれたまえ
まあお互いがんばってこの「歴史の終わり」を生き抜こうや

229 :考える名無しさん:2005/08/26(金) 09:46:17
>>228
まあどちらが「意味なき連鎖」を始めたのか「歴史」に照らせば明らかだが。
頑張ってこれからの「知性なき人生」を生き抜いて欲しいものだ。

230 :ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/08/27(土) 08:39:38
「空気を読む」ということには、単に受動的にその場に合わせるということだけではなく、場の支配を賭けた
闘争という意味があるのではないだろうか。

価値が多様化した時代には、コミュニケーションの場は、だれもが外部として排除される可能性がある。
この緊張において、場から排除される可能性が高いものが、その緊張にたえかね、危機回避から、
「弱いもの」をスケープゴードとしていじめて、外部へ排除する。このようにして外部をつくることによって、
内部を作動させ、場の緊張を和らげる。

いじめは、このような場の安定として生まれる。ここではいじめられるのは、だれでもよいのであり、僕で
あるかもしれない。そして外部に転落しないように、みな懸命に「場の空気」を読もうとするのである。
ここではいじめられている外部は、内部を維持するため、自分が外部に転落しないために必要とされる
という共犯的に維持される。いじめはこのような集団の力学で発生する故に、解消されにくい。

231 :ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/08/27(土) 08:46:43
これもボクが「転倒」という構造のひとつの表れだろう。
人は人であるために、内部/外部を作動させるのである。

そしてこのような内部/外部の作動は、倫理に深く関わっているのである。たとえば、デリダの
「脱構築」とは「転倒」による内部を暴露し、疎外された外部の「他者」に開く行為である、
またローティの「アイロニー」とは「転倒」によって様々な内部が作動することを認め、お互いに
寛容でいようということである。

またアガンベンの「人類学機械」では、「人間/動物」の境界制定によって、歴史的に倫理が決定され
てきたと、指摘する。すなわち「人間」という内部が時代とともに変わっている。たとえばかつて黒人が
あるいは女性が「人間」のそこにおかれたのである。

232 :ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/08/27(土) 08:50:06
そしていま「歴史の終わり」では、「平和と平等」という思想のもとに「ゆるい内部」として
作動している。「人間」という内部は最大に広げられ、「人間/動物」は生物学的な境界=種まで
広げられているのである。



233 :ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/08/27(土) 09:04:18
そして「人間/動物」が生物学的な境界=種まで広げられたときに、
「人間」はもはや懸命に内部/外部を作動させ「人間」でありつづける
必要がない。だから「動物」化するのではないだろうか、ということが
コジェーブの予測である。

しかしいまこのような簡単にいかないようである。

>>
他者(外部)を根絶するために企てられたあらゆることがらは、かえって
他者(外部)が破壊不可能であるという事実と、それゆえ他者(外部)の
破壊不可能な宿命を、照らし出す。
ボードリヤール「透きとおった悪」
<<


それでも、懸命に内部/外部を作動させ「人間」でありつづけようとしてる。
では外部はどこにいったのか。



234 :ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/08/27(土) 09:21:30
「ゆるい内部」で、「動物化」できずに、それでも、懸命に内部/外部を作動させ「人間」でありつづけ
ようとするとき、あるいは「動物」と「人間」の間の葛藤の中で、予測不可能的に「ゆるい内部」の中で、
「小さな内部/外部」が作動し、「外部」=他者が生まれる。

『「われわれは、もはや悪を語ることができない」と続ける。あらゆる空間の隅々に、どこまでも透明に
なった悪が漂っている。悪は自分と他者として対峙することのできるものではなく、いま吸っている
空気そのものにも静かにまぎれている。いつも凶暴であるわけではないのだが、ふとしたはずみに
透きとおった悪がうごめきだす。』

そこではだれもが、内部を作動させる可能性がある。悪になる可能性があり、なおかつ誰もが悪に
巻き込まれる可能性がある。どこに、だれが、いつかはわからない。「ゆるい内部」で予測不可能に
生まれる。「透きとおって」いるのである。

これは「歴史の終わり」の中にあるボクたちの「漠然とした不安」である。

235 :ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/08/27(土) 09:26:40
たとえば、アメリカのイラク侵攻は、このような「漠然とした不安」とした
不安に耐えきれなくなったのである。
そのために「透きとおった悪」という宙づりから、明確な「悪」へのヒステリックな
攻撃となった。
フセインという外部=「悪」を想定することによって、「大きな内部」としてのアメリカを
作動させる。これによって「漠然とした不安」を解消させようとすることである。

236 :ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/08/27(土) 09:30:01
たとえば、日本における「北朝鮮」の意味とは、なんだろうか。
日々流される「北朝鮮」の悲惨な映像の意味はなんだろうか。


237 :ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/08/27(土) 09:39:03
「空気を読む」と「漠然とした不安」は密接に関係している。
「空気」が共有された「ゆるい内部」で「動物」的にまたーり生きていくためには、
みなが空気を読む必要がある。だから「空気を読む」ことが求められる。
どこに発生するかわからない「悪」という、「漠然とした不安」から回避するためにも
「空気を読んでいる」ことは求められるのである。

「歴史の終わり」では、「空気を読む」ことが過剰に求められる社会になるだろう。


238 :ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/08/27(土) 09:57:40
「漠然とした不安」とは、かつてのような外部があり、そこから来る
圧力ではない。「漠然とした不安」とは、「ゆるい内部」の中で
「空気が読めず」に波風を立てる他者からの、予測不可能な悪への
不安である。だから「空気を読む」ことを求める。

しかしこれは正確ではないかもしれない。
「動物化」してまたーり生きれば良いはずなのに、耐えられず、
そこから逸脱しようとする自分自身への不安である。
すなわち「空気の読めない」他者とは、また自分でもある。
このような自分をも巻き込む、予測不可能な外部の発生そのものへの不安である。


239 :ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/08/27(土) 10:00:07
「漠然とした不安」とは、僕はいつ外部へ排除されるかもしれない、ということであると
ともに、僕は本当は内部から逸脱したいのだ、という不安である。

240 :ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/08/27(土) 10:05:49
たとえば、引きこもり、ニートなどがあるが、
ボクたちは彼らを外部への排除し、非難したり、
あるいは「社会とは」と説教したりするが、
僕が彼らであること、その可能性を排除できない。

引きこもり、ニートが放置されている理由にもこのようなところが
あるのではないだろうか。
完全に外部へ排除することができないのである。
完全に外部へ排除することができることによって、それが間違いである、
だから更正しろと、本心から言うことができる。

しかし彼らへの言説は、どこか中途半端である。
それは僕たちが彼らであること、その可能性を排除できないからである。

たとえば彼らの親が彼らと向き合えないのは、そのような理由かもしれない。

241 :ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/08/27(土) 10:21:38
引きこもり、ニートたちの「なぜ空気を読まなければならないのか」
「なぜ社会に迎合しなければならないのか」、「なぜ懸命に生きなければならないのか」
それがセカイ系なレトリックであるとわかっていても、
このような問いに、僕たちはとまどうのである。それは、僕たちの内部のある問いだからです。

242 :ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/08/27(土) 10:30:10
「空気を読め」とは、
空気を読めない、場を壊すものへ不快
空気を読み続けるという、強迫への不安
空気から逸脱したいという、離脱への不安

動的な内部/外部の中でゆらぐ「漠然とした不安」である。

243 :考える名無しさん:2005/08/27(土) 10:50:01
      _
      /,.ァ、\
     ( ノo o ) )  空
      )ヽ ◎/(.    気
    (/.(・)(・)\ . 嫁
    (/| x |\)
      //\\
   . (/   \)


244 :凡人:2005/08/27(土) 10:51:29
ぴかぁ〜さんの空気を読むとは隠された悪意を見つめる心を持てとの解釈で宜しいですか?
ニートも蒙昧意識の社会に依って必然的に産み出された人達と思っています。
また悪意に満ちた世界体制を産み出した要因は我々大衆に有ると認識して居ります。
それを正すのには大衆が知能を育て絶対的な非暴力に依って行うことが肝心と思います。


245 :考える名無しさん:2005/08/27(土) 10:55:12
ぴかぁ〜さんは原因原因へとかんがえるんじゃなくて結果結果へとかんがえるんですね。


246 :考える名無しさん:2005/08/27(土) 10:57:37
空気読めは、同時にサインを織り交ぜなさいということでしょうか

247 :ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/08/27(土) 10:57:53
>>244
がんばってください。その熱い決意が、だれかにとっての
暴力にならないことを、お祈りします。
「歴史の終わり」では、悪は「透き通って」いますから、
誰もが悪でもあることを自覚するまなざしをお忘れなく。

248 :ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/08/27(土) 10:59:26
どんどん、ローティ的アイロニストになっていくなあ。

249 :ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/08/27(土) 11:32:44
しかしもはや内部しかないのである。
すなわち漠然とした不安とはどこにもいけない、どこにいるのか不安である。
それは過剰な繋がりへの欲望をむかう

250 :ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/08/27(土) 11:50:07
死への恐れとは痛みへの恐れではない
自分が消失することのおそれであり、だから死は人間にしかない
歴史の終わりに自分そして生、死は希薄化する

私とはなにか、この現実界が回帰する
無垢への過剰な欲望
繋がりへの過剰な欲望

むしろこの宙吊りに人々はよく耐えているものである


251 :考える名無しさん:2005/08/27(土) 12:20:13
ぴかぁ〜、死にそうな勢いの書き込みだな。はやく就職しろよ!死ぬなよ!

252 :ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/08/27(土) 12:42:39
たとえな「漠然としてた不安」は、
コギャルの流行言葉を理解しようとするオヤジである。

253 :ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/08/27(土) 12:53:07
ブログにも同様な力で作動している。
懸命にリンクをあさることは、繋がっているいたいという欲望である。
最近の言葉で言えば、「ムラ社会」と呼ぶのだろうか。

254 :考える名無しさん:2005/08/27(土) 13:38:52
ぴかぁーうざい

255 :ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/08/28(日) 00:51:26
*なぜ「漠然とした不安」を感じるのか。

大きな不安

「漠然とした不安」とは、かつてのような明確な「外部」があり、そこから来る「不安」ではない。「漠然とした
不安」は、「空気を読む」ことと密接に関係しているだろう。

本来、内部/外部は倫理的な問題として語られてきた。人は人であるために、内部/外部を作動させるので
ある。これをボクは「転倒」という読んだ。アガンベンは、「人類学機械」として、「人間/動物」の境界制定に
よって、歴史的に倫理が決定されてきたと、指摘する。すなわち「人間」という内部が時代とともに変わって
いる。たとえばかつて黒人があるいは女性が「人間」のそこにおかれたのである。

「不安」とは、このような大きな内部/外部のせめぎ合いとしてあった。たとえば、デリダの「脱構築」とは
「転倒」による内部を暴露し、疎外された外部の「他者」に開く行為である、またローティの「アイロニー」とは、
「転倒」によって様々な内部が作動することを認め、お互いに寛容でいようということである。

いまも「文明の衝突」などの言説では、世界的な「大きな不安」が語られているのである。日本でも、北朝鮮をはじめ、
近隣諸国との軋轢がましているのである。


256 :ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/08/28(日) 00:53:09
「動物化」できない不安

北朝鮮のテポドンが打ち込まれる、あるいはテロ攻撃があるのは、「不安」ではないが、ボクたちの日々の
「漠然とした不安」は、必ずしもそこにはない。

アガンベンは、「人類学機械」において、「人間」という内部は最大に広げられ、「人間/動物」は生物学的な
境界=種まで広げられているのである。これが「歴史の終わり」であり、「平和と平等」というリベラルな民主
思想のもとに「ゆるい内部」として作動している。そして「人間」はもはや懸命に内部/外部を作動させ
「人間」でありつづける必要がない。だから「動物」化するのだ、ということがコジェーブの予測である。

しかしそう簡単にいかないようである。たとえば、日本における「北朝鮮」報道の意味とは、なんだろうか。
日々マスメディアで流される「北朝鮮」の不条理な映像とは、本当の「文明の衝突」的な「大きな不安」だろうか。
ボクたちは、「北朝鮮」という超越的な外部の神話によって、ボクたちの「内部」を実感し、「北朝鮮に生きて
いなくてよかったよな」と繋がり、「漠然とした不安」を解消しようとしているだけではないだろうか。

257 :ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/08/28(日) 00:54:18
なぜブログは書かれるのか。


「漠然とした不安」とは、たとえばコギャルの流行言葉に乗り遅れないようにするオヤジのようなものである。
たとえば、ブログそのものにも大きく働いている。なぜブログは書かれるのか。懸命にリンクをあさり、
そんなに毎日書くべきことがあるのか。それは書くことがあるから書いているというよりも、ブログを続ける
ために書かれているのである。繋がっていたいということであり、「内部」にいたいということである。懸命に
リンクをあさり、繋がっているいたいという欲望である。このような内部を最近の言葉で言えば、「ムラ社会」と
呼ぶのだろう。

>>
おもしろいのは、それがなぜ今さら、差異化され、排他され、「モヒカン族」なるある意味蔑視されるのか、
ということである。すなわちブログ界隈に「ムラ社会」なるあたらなコミュニティー感覚ができつつあることを
表しているといえる。「ムラ社会」という内部を作動させるために、「モヒカン族」なる外部が必要とされた、
ということだろう。

なぜ「モヒカン族」なのか。 
<<

258 :ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/08/28(日) 00:55:24
どこにもいけない不安

「空気」が共有された「ゆるい内部」で「動物」的にまたーり生きていくためには、「空気を読む」ことが
求められる。だから「漠然とした不安」とは、「ゆるい内部」の中で「空気が読めず」に波風を立てる他者
への不安である。しかしこれは正確ではない。「動物化」してまたーり生きれば良いはずなのに、耐えら
れず、そこから逸脱しようとするのは「他者」だけではなく、自分自身でもある。「空気の読めない」他者とは、
また自分でもある。

「空気を読め」とは、空気を読めない、場を壊す「他者へ不満」であるとともに、空気を読み続なければ
ならないという「強迫への不安」、空気を読むことによっても満たされない、逸脱してしまいそうな「離脱へ
の不安」である。もはや内部しかないのであり、「漠然とした不安」とは究極的には、どこにもいけない、
どこにいるのか不安だろう。

259 :ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/08/28(日) 00:55:55
引きこもり、ニートという外部と内部

たとえば、引きこもり、ニートなどがあるが、ボクたちは彼らを僕たちとは違う、社会の外部にいる人たち
として排除し、非難し、あるいは「社会とは」と説教したりするが、僕が彼らであること、その可能性を排除
できない。

引きこもり、ニートが放置されている理由にもこのようなところがあるのではないだろうか。完全に外部へ
排除することができないのである。完全に外部へ排除することができることによって、それが間違いである、
だから更正しろと、本心から言うことができる。

しかし彼らへの言説は、どこか中途半端である。それは僕たちが彼らであること、その可能性を排除でき
ないからである。たとえば彼らの親が彼らと向き合えないのは、そのような理由かもしれない。引きこもり、
ニートたちの「なぜ空気を読まなければならないのか」 、「なぜ社会に迎合しなければならないのか」、
「なぜ懸命に生きなければならないのか」 それがセカイ系なレトリックであるとわかっていても、このような
問いに、僕たちはとまどうのである。それは、僕たち自身の内部にある問いだからだ。

260 :ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/08/28(日) 00:59:29
「漠然とした不安」からのヒステリックな「転倒」

このような「大きな内部」内の「漠然とした不安」の蔓延は、容易にヒステリックに「転倒」する。
それはたとえばイラク人質事件であり、アメリカのイラク侵攻であり、中国、韓国での日本排斥であり、
2ちゃんねるのヘイトスピーチである。だからこれらのヒステリックの裏では、繋がりの欲望による「大きな
内部」が作動している。

261 :考える名無しさん:2005/08/28(日) 01:14:23
>リンクをあさり、繋がっているいたいという欲望である。このような内部を最近の言葉で言えば、「ムラ社会」と

×最近の
○昔からの

262 :考える名無しさん:2005/08/28(日) 01:29:44
ひさしぶりに哲学版に来たら、
ぴかぁ〜さんは、進化してコラムニストになっていたのかぁ〜

263 :考える名無しさん:2005/08/28(日) 01:39:21
あきらかにスレの私物化してまつね。2ちゃんは自分のコラム発表の場。
ぴかぁは他人の意見には無関心だかんねー。

264 :考える名無しさん:2005/08/28(日) 01:51:52
あからさまな人生相談や単なる自己主張といった類のものは、趣旨の対象外です。

265 :ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/08/29(月) 02:25:49
小泉首相の郵政法案に対する態度は、「空気を読めないヤツ」ということ
ことであった。その象徴が「森氏とのチーズで酒飲みの下り」である。
その演劇性は、不思議なものであった。三文芝居であった。
「おれはもうさじをなげた」、「命をかけてやる」

それが、衆議院解散からの展開で、一気に「空気を変えた」のである。
この展開の見事さ。もはや反対派が「空気を読めないヤツ」へと転倒した。

266 :ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/08/30(火) 16:42:45
「お金でかえないものはなにもない」それが「歴史の終わり」である。

267 :ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/08/30(火) 19:17:40
もまいらローティ読んでから来い。すべての答えはそこにある。

268 :考える名無しさん:2005/08/30(火) 19:25:00
こりゃあ文才も発想力もないね。

269 :ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/08/30(火) 19:31:55
>>268
モマイガナー

270 :考える名無しさん:2005/08/31(水) 01:51:48
『ハニカム・ウェア』100S(百式)
↑なかなか良曲

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