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   民明書房に学ぶ、世界史の虚像と実像   

1 :世界@名無史さん:04/04/16 11:14
『新素麗(しんすれい)』

一般的に2chのスレは1000レスを越えれば書き込むことが不可能になるが
それをさらに続けることができる方法がある。
新しく続きのスレとしてスレを立てるのである。
しかし新スレを立てることは困難で、幾十もの2chのセキュリティーチェックを
突破しなければならなく、新スレを立てられずに脱落し大怪我をする者も大勢いる。
ちなみに新スレの名前の由来は初めて新スレを立てた人、新素麗(しんすれい)から
来ていることは有名である。

(民明書房刊「2ちゃんねる−そのシステムの神秘−」より)


2 :世界@名無史さん:04/04/16 11:17
お約束だが…

『煮解賭 ( にげと ) 』

明朝末期、中國北東部の男達の間で、素麗建(すれたて)なる遊びが流行っていた。
先端に旗をくくりつけた棒を地面に立て、合図と共に棒に駆け寄りに旗を奪い合
うという、己の機敏さを誇示する遊びであった。
やがてこの遊びに飽きた者達が、毒草を煮込んだ煮汁を飲み、その解毒剤を旗代
わりにして奪い合うという遊びに発展させた。
命を落とす者が続出したが、戦いに勝利したものは英雄として賞賛され、朝廷に
仕える者を輩出するほどであった。
この毒草の煮汁の解毒剤を賭けた闘いは「煮解賭」と呼ばれ、時代を左右する勝
負の場でも競われてきた。
己の肉体を誇示する機会の少なくなった現代社会においては、インターネットで
の「2ゲット」と形を変えて、現代人が機敏さを争っているのである。

( 民明書房刊 「DNAに刻まれた中國 現代人の行動のルーツを探る」 より )


3 :世界@名無史さん:04/04/16 11:18
『酸下吐(さんげと)』

「煮解賭(にげと)」により、毒にやられて命を落とす者が続出したのは前述の通りだが、
全国的に流行するにつれて、これは深刻な問題となっていった。
そこで、時の皇帝である崇禎帝は、新しい規範を作り出した。
煮解賭に失敗した人間でも、その毒素を完全に吐き出すことができれば
煮解賭の勝利者に準ずる豪傑という評価を与えるというものである。
肉体を酷使して、大量の胃酸とともに吐き出すことから
庶民の間で、酸下吐(さんげと)と呼ばれるようになった。
酸下吐の登場により、煮解賭に参加できない文民の中には、
これを専門とする者も現れ始めた。
彼らの策謀能力を、朝廷が重宝したことは言うまでもない。
己の戦略を進言する機会の少なくなった現代社会においては、インターネットで
の「3ゲット」と形を変えて、現代人が狡猾さを競っているのである。

( 民明書房刊 「DNAに刻まれた中國 現代人の行動のルーツを探る」 より )



以下はよろぴこ

4 :世界@名無史さん:04/04/16 11:25
『かけそば』

我々が親しんでいる「かけそば」は、古代中国の修行者達が座して食べる暇を惜しみ
器をもって「駆け」ながら食べたそばがその名の由来である。

民明書房刊『あなたにも出来る!中国拳法修行百科』


5 :世界@名無史さん:04/04/16 11:30
『スパイダー(蜘蛛)の語源』

天釐蜘巣(てんりんちそう)…
中国拳法には猛獣・昆虫・爬虫類などを飼育・教育して独特の技として完成させたものが多々あるが
この奥義もそのひとつである。
ちなみに 英語で蜘蛛のことを「SPIDER」(スパイダー)というが
これは、この奥義を極めんと蜘蛛の調教に挑んだ西洋の武道家達がことごとく
失敗に終わり その時発した言葉「失敗だ〜」が「スッパイダ〜」→「スパイダー」
と変化したものでないのはいうまでもない。

民明書房刊「日本曙蓬莱武術協会理事長盛田慎之介談」


6 :世界@名無史さん:04/04/19 11:21
『藁(わら)』

明朝末期、中国四川省の南部にて、姦通の罪を犯した男女への、特殊な陵遅刑があった。
藁の束を姦夫姦婦の尻にくくりつけ、火をつけて狂い飛び回る姿を衆人に公開すると
いう過酷な処刑なものである。
この刑を受ける者の悲惨だが滑稽なさまに、衆人みなその姿を指さしてあざ笑った。
あげく、処刑方法をより滑稽なものにしようと工夫するものが現れ、藁束を、罪人
アベックの片足をくくりつけ、二人三脚…あたかもアルファベットのWの形にして、
罪人の男女をつなげてみたり、あるいは、それぞれの頭にカツラのように藁束をか
ぶせて火をつけ、頭髪をことごとく焼いて「禿藁」などとあざ笑ったりした。

もとより現在の中国では、そのような刑罰は完全に禁止されている。しかし今なお
インターネットの世界では愚かな相手をあざ笑う際に「藁」の一字を語尾に付けて
おり、その名残が現代社会に残っているのがうかがえる。

( 民明書房刊 「DNAに刻まれた中國 現代人の行動のルーツを探る」 より )



7 :世界@名無史さん:04/04/28 11:06
『費奇蝙蝠(ひきこもり)』


宋朝初期、費奇(ひき)という禅宗の修行僧が、悟りを開くべく洞窟のなかに
篭っていた。かれは単なる座禅では苦行にならぬとばかり、わざわざ逆さづり
の格好で天井からぶらさがっていた。しかも逆さづりのかたちで固定してくれ
た協力者には「修行の邪魔をしないよう、自分を吊ったらただちに洞窟を去れ。
自分は決して泣き言はいわぬ」と大見得を切ったが、そんな苦しい格好では、
悟りなど開くどころではないのは理の当然で、あえなく他界してしまった。

死ぬ直前になって悶絶し、固まった血液がたまって黒ずんだ手を、怪鳥のように
じたばたと広げた、「翼を広げた蝙蝠のような費奇の姿のおぞましさが有名にな
り、人々は悟りも開けぬ癖に洞窟にこもろうとする不信心な惰弱坊主を嘲るとき、
「費奇蝙蝠」と呼ぶようになった。

いまでは宗教的な修行にまつわる費奇蝙蝠はいなくなったが、飽食とサブカルチャー
全盛時代の日本国の若者が、それにはあき足らずに自己鍛錬のためにあえて生ゴミの
あふれる室内でアニメとゲームだけを相手に己を見据えるメンタルトレーニングを
おこなってしばしば社会不適応性に陥る結果をみているのは、まさに現代版の費奇
蝙蝠ということから、「引きこもり」という言葉が発生している。ヒッキ-なる略語
が費奇をおしゃれにカタカナで洋風に読んでみせたものでることは、中国の児童心理学者
にとって常識であり、とうぜん中国の言語学者の発見によるものである。

( 民明書房刊 「DNAに刻まれた中國 現代人の行動のルーツを探る」 より )

8 :世界@名無史さん:04/05/10 07:59
濃安岳和我血 (ノアだけはガチ)

古代中国に存在した封建民族「斬日凡」が民族内闘争により分裂した。
その後、民族の一部が濃安岳(現在の三澤山)へ移住したときに
その緑の映える木々の美しさに感動し
「濃安岳和我血(濃安岳は争いで怒りくるった我が血を和ませてくれる、の意)」
と叫んだという。その後、争いにより焼け爛れ禿山となった
武道山に残った残りの「斬日凡」民族が濃安岳の緑の木々を羨み何度も攻撃を仕掛けたり、
「異乃騎薪日凡」民族が濃安岳を侵略しようとしてきた。
そのたびに「濃安岳和我血」と叫びながら闘い、他民族を撃破したことにより
他民族の攻撃は次第になくなっていったといわれている。
また濃安岳の民族は鎖国的だとも言われていたが、他民族の太香弥真や猪宇埜らとも交流を
もち、発展に至った。

民明書房刊『濃安岳の歴史〜緑を守れ』より


9 :世界@名無史さん:04/05/11 12:48
>>8
禿山ワロタ

10 :世界@名無史さん:04/05/11 14:36
『濡流報(ぬるぽ)』

殷の時代、中国では、しばしば日照りが発生し、 そのたびに人々は甲骨を用いた占いで天候の行方を占ったといわれている。
この占いの結果、出された雨の知らせが、濡流報であった。
濡流報は、日照りで苦しむ農民達に歓迎され、農民達は、祝福の意味を込めて、「賀(が)」と言って、濡流報を伝える者をもてはやしたという。
「濡流報」「賀」のやり取りは、初めは言葉だけのやり取りであったが、やがて杖や棒を用いて、相手の頭をなでる行為が加わり慣習化した。後の三国時代には、連弩の技術を応用した自動式の賀装置も作られている。

なお、現代の「ぬるぽ」「ガッ」のやり取りは、いうまでもなく、濡流報が元になっており、棒のようなもので相手を殴るという、一見粗暴な行為に変化しつつも、祝福と感謝、五穀豊穣の願いが込められていることを我々は忘れてはならないだろう。

民明書房刊『知られざる甲骨文字発祥の歴史』より

11 :世界@名無史さん:04/05/15 19:23
治幕帝賂(じばくてろ)

古代中国において、帝の権力は絶対のものであった。
秦の始皇帝の例を見る限りでもそれは明らかであろう。
それ故、帝へ如何に取り入るかというのが当時の官職についていた者達の最大の関心事であった。

隋の時代、宮内の二大派閥であった至阿派(しあは)と寸爾派(すんには)の間では、権力闘争が激化していた。
互いに帝に取り入るために金銀、調度品、時には女性を帝にあてがう事で帝の威光を得ようとしていたが、
煬帝(604年-618年在位)が即位して間もなく、寸爾派の高官であり、強硬派であった瓶羅傳(びんらでん)は
「帝賂即治幕(帝に献上するものは政治を治めるものでなくてはならない)」
とし、王朝に仇なす者を葬り去ることが煬帝への至上の献上品であるとした。

当時隋朝を脅かす一団に、雄獲枢家(ゆうえすえ)なる武力集団がおり、瓶羅傳はその討伐に努めていた。
しかし、奇術「烈火有嵐(れっかうらん)」を用いた戦術に手をこまねいていた瓶羅傳は、とある決断をする。
それは間者を放ち、当時最新兵器であった火薬を用い、雄獲枢家を内部から崩壊させようとするものであった。
だが、この戦略には危険が伴い、命を落とす間者も少なくなかった。
しかし、この戦略で命を落とした間者は、「英雄」として奉られたという。
この故事から転じ、自らの国、信条のために命を落とすことも厭わないことを「治幕帝賂(じばくてろ)」と呼ぶようになった。

なお、「自爆テロ」がこの「治幕帝賂(じばくてろ)」に由来している事は賢明な読者にはもうお分かりだろうが、
一転して無差別に罪の無い一般の方まで犠牲になっているということには怒りを禁じえない。

民明書房刊 『歪められた美徳』より


12 :世界@名無史さん:04/05/15 19:46
みんなうまいね
面白いよ

13 :世界@名無史さん:04/05/15 20:17
覇州留(はっする)

古代中国、清王朝時代。当時の皇帝は乱れていた国政を1つにまとめ上げようと政策を打ち立てた。
もちろん広い国土の清であったのでまとめる事は困難を極めた。そこで当時の国防長であった
御賀倭(オ・ガワ)が仕切り、州全体を1つに留め、世界を制するとの意味から覇州留と名づけられた。
他国にも覇州留を広めようとした御賀倭は、両手をグーの形にして腰に当て、「覇州留!覇州留!」と叫び
PRした。そして見事に成功し、1つになり、他国にも真似をするところも出てきた。
我が日本にも広まり、挙仁藩の長でもある基世胎(きよはら)も真似をするまでに浸透した。

民明書房刊『中国の政策〜覇州留』より


14 :世界@名無史さん:04/05/15 22:36
慢努癖(まんどくせ)

かの孔子が、人間が憎むべきものとして呈示したのが、この慢努癖である。
慢努癖とは、「努力するのを怠る癖」という意味で、孔子はこれを、学問をする者が一番してはならぬ事と位置付け、弟子達を戒めた。
荀子は更にこれを発展させ、「慢努癖というものが人間にある以上、それを規制する法律が必要なのは明らかである」と、自説の正当性を訴える材料としている。
一方、無為自然の立場に立つ老子は、孔子の説を批判し、「慢努癖こそが、人間が生来持っているものなのだ。それを無理に矯正する事は本来すべき事ではない」とした。
やがて時代は流れると、乱世になる度に、領民達は年貢を渋り、「慢努癖」と連呼したという。この時、慢努癖とは、単純に努力云々ではなく、物事全てに於いて実行を渋る意味を持つ様になった。
それは現代にも「マンドクセ」または('A`)マンドクセという形で、インターネット上に受け継がれている。



15 :14:04/05/15 22:39
忘れていた。
民明書房『民俗で見る中国史』

16 :世界@名無史さん:04/05/16 13:39
癒喜子(ユキコ)

古代中国には華余(カヨ)という女性がいた。華余はたいへんに可愛らしい女性であり、
「星短情(スターたんじょう)」(日本でいう俳句大会)で優勝するや、みるみる内に中国本土に
容姿、知性ある女性という事が知れ渡り男性はしかり女性の憧れの的となった。
皇帝は華余を見るや心が癒され嬉しくなる女性との意味から癒喜子の名を授けた。
美人であった為、プロポーズの言葉も多数受けた。うらやましい限りではあるが、
癒喜子は本命の男性と一途に恋をしたいとの気持ちが強く、多数の人からのプロポーズは本意ではなかった。
現に本命の男性からはもてすぎる為に高嶺の花だと思われ両思いになる事はできなかった。
それが原因で癒喜子は傷心してしまい、自ら命を絶ってしまったのである。
それにより多数の人がショックを受け続けて命を絶ち、混乱を招いた。
混乱を抑えるために皇帝は、癒喜子の話をした者に処罰を科した。そして癒喜子は封印された。

現在世界3大美女と呼ばれている1人に中国の楊貴妃がいるが、癒喜子が命を絶たなければ楊貴妃ではなく、
癒喜子になっていたかもしれない。

 民明書房刊「中国の美女〜悲劇のヒロイン」より


17 :世界@名無史さん:04/05/19 14:16
『象怒(ぞぬ)』・前編

かの蜀漢の軍師孔明が、南蛮征服戦争の戦死者をとむらうため、まんじゅうこと
肉入りの中華パン(饅頭)を創始した人物であることは、世に広く知られている
史実である。
ところがこの饅頭を食した一部の兵卒のあいだで、奇妙なうわさが立った。
「饅頭の食材には、蜀軍が倒した木鹿大王の呪いを封印するため、
大王が手足のごとく使っていた珍獣の肉が使われていたというのである。

ご存知のとおり、南蛮の八納洞の主である木鹿大王(ぼくろくだいおう)は象に乗り、
虎や豹、毒蛇などの猛獣を操って孔明軍に挑戦した南蛮の猛者である。
その恐怖の記憶が、あるいはそういう噂を生んだのだろうか?

「たぶん、木鹿大王が乗っていた象の肉だと疑ったに違いない」
孔明は、そうあたりをつけた。あとは、口を濁す兵士たちを計略にかけて、
真実を確かめるだけである。
一計を案じたかれは、或る日の演習において、陣営にたまたま異国出身の司厨兵が
いることを知り、かれに特に命じて異国の伝統的肉料理を作らせた。

(後編につづく)

18 :世界@名無史さん:04/05/19 14:17
(『象怒』後編)

演習がすんで空腹になった兵士たちに異国料理をふるまった孔明は、兵士たちが
堪能したのを見計らい、「じつはおまえらが今食べたのは、象の肉なのじゃよ」と
偽った。それまで司厨兵の出自から「●●肉料理」だと思っていた兵士たち
は、いっせいに顔をみあわせた。だが、ちっとも狼狽した様子ではなかった。
当てが外れた孔明はすかさず「残念でした、じつは蛇肉だよ」とか「虎肉じゃ」
とか言ってみたが、だれもが平気な顔である。
最初の確信だった「象」が外れたあと、すべてのあてが外れた孔明は、ついには
怒り出し、「おまいら俺様を馬鹿にしてるのか!」と、ついかれらしくもなく、
突破的に数人の兵士を斬首して憂さ晴らししてしまった。

この孔明の人生最大の汚点となった事件から、「象怒」という言葉がうまれた。
はじめは賢者でもたまには愚行をおかすことがある、という意味だったが、やがて
「賢者をも疑心暗鬼に追いやる、珍獣という形をとった」根も葉もない噂、という
意味になった。
現在の、永楽帝が新大陸を発見したとする西欧人の学者には、このとき蜀漢の兵士
たちが恐れた珍獣というのはアフリカのヌーのことであり、「ヌーにゾッとする」
ということから「象怒」ではなく「ゾッ・ヌー」であると主張するものもいる。

なお当の「異国の司厨兵」が何を作ったのかは記録がない。一般には楽浪郡出身者で、
●●湯を作ったという説が有力である。

民明書房刊「孔明異聞」より

19 :世界@名無史さん:04/05/22 12:23
アフガン航空相撲

11世紀ゴール朝の頃、時の国王の命により
アフガニスタン各地より集められた武術、格闘技に精通した者を中心に
編成された近衛兵の間での力比べが起源と言われる。
最初は地面の上だけでの競技であったが、やがて高いところからの攻撃や
空中に飛び上がっての闘い等時を経る毎に技が高度化し
現在のアフガン航空相撲の形が完成した。
後の元による侵攻の際もアフガン航空相撲力士は圧倒的多数を誇る元軍の攻撃を
得意の航空技により簡単に粉砕したと伝えられる。
その際元軍が航空相撲を研究し、アフガンに対抗するためにモンゴル式相撲を
完成させたが、空中戦ができなかったため実戦に使用されなかったということは
あまりよく知られていない。

「民明書房刊 『フビライ怒りのモンゴル相撲』より」


20 :世界@名無史さん:04/06/02 19:13
ゲバ棒

ゲバ棒といえば学生運動の象徴ともいえる兵器であり、1970年前後の学生運動の際に、
機動隊や対立セクトを攻撃するため学生たちが用いた角材である。
ゲバ棒の「ゲバ」とは独語実力闘争や暴力という意味のGewalt、というのが通説である。
しかしこれは学生運動の混乱期に歪曲されたデマゴギーであり、
真の出典は1950年代アルゼンチンにこそあった。
キューバの革命指導者チェ・ゲバラがゲリラ戦のさいに最もよく使った鈍器であり、
絶頂期の彼がこの棒をひとたびふるうと、
十数名が七つの穴から血を噴きだして絶命したといわれている。
いわゆる「ゲバ棒」は、その光景を目撃していた日本人傭兵がその後学生運動へと身を投じ、
角材を用いてチェ・ゲバラが使った棒を真似て作ったものだ。
一説によるとチェ・ゲバラ自身も学生運動に参加して、
このゲバ棒を振るったともいわれるが真相は定かではない。

民名書房刊 『世界の珍棒・奇棒』より


21 :世界@名無史さん:04/06/04 13:59
徹マン

麻雀といえば中国が発祥の地であり、日本には大正時代に伝来したと言われているが、
現在の両国における標準ルールは大きく異なっている。
これは、満州にて旧日本軍の将校たちが麻雀を行う際、現地のローカルルールを取り入れたことに端を発するという。
さて、満州といえば南満州鉄道であるが、首都・新京から大連までの道のりはおよそ700キロメートル、
所要時間は当時最高速を誇る特急「あじあ号」でも8時間30分という長大なものであった。
ゆえに、乗客の退屈しのぎとしても麻雀は流行した。
最初は紙牌を使用した簡単なものであったが、後に車内へ麻雀卓を持ち込む者も現れ、
上流階級の乗客には専用の娯楽車まで用意されるほどの流行ぶりであったという。
しかし、流行の熱が高まりすぎたせいか、はたまた車内という閉鎖空間での必然か、
そこではしばしば異常ともいえる独自ルールが追加されることがあった。
その一つが、「目的地に着いて列車を降りるまでは勝負も降りることができない」という過酷なものである。
これは目的地を同じくする4人が同席に集ったときのみ用いられたルールであり、
特に満州鉄道全線を徹して行われるものは「徹マン」と呼ばれ恐れられた。
現在、徹夜で麻雀を行うことを指して同様の呼称が用いられるが、
これは元来の徹マンがしばしば夜を徹して行われたことに由来する。
そこに徹夜の徹と麻雀を縮めたマンが重なり、現在の意味に至るのである。
なお、あじあ号の食堂車には白系ロシア人の女子がウェイトレスとして採用されていたが、
彼女らを指して「ハク」と読んでいたものがいたかどうかは定かではない。

民明書房刊 「超特急が鳴く」より

22 :世界@名無史さん:04/06/04 14:57
プロレスネタはつまらん
超アニヲタと同レベルの極小世界だって気がついて欲しい

23 :世界@名無史さん:04/06/04 15:49
知らぬが仏の語源

近現代以降の軍事組織において重要な役割を果たした参謀本部の起源がプロイセン
にあることはよく知られているが、軍事組織のもう一つの柱である諜報機関
が例外なくほぼ中国で完成したものを踏襲したものであることは意外と知られてない。
時は南宋初期、情報収集と分析の稚拙が靖康の変を招き河北一帯を喪失した原因の
一つであると考えた胡世将は四川宣撫使として着任後に諜圏司という情報機関を
設置した。この効果は抜群で紹興10〜11年の金の侵攻のおりにいちはやく
侵略の兆しをとらえることに成功し、胡世将の軍が岳飛や韓世忠といった
歴戦の諸将に先んじて効果的な反撃をあげる要因となった。

後に北清事変や日露戦争で活躍した情報戦の大家福島安正少将は諜報の基礎である
諜圏司を詳しく分析した。
その時に胡世将が部下に情報収集の重要性を戒めた言葉を日本人向けに邦訳したのが
「知らぬが仏」である。本来は「不知即決生死」という言葉で、意味は戦場では
事前の情報収集を怠った指揮官の部隊から先に壊滅していくという言葉であった。
そこまでして情報の大切さを訴えた福島少将であったがそれが充分伝わらなかった
ようである。
時代と共に「知らぬが仏」の意味も変質していき、わずかに殺人事件の現場などで
被害者を「ホトケ」と呼称するのがその名残として存在するのみである。

民明書房刊『軍事の奇才・中国人』


24 :世界@名無史さん:04/06/06 23:10
期待age

25 :世界@名無史さん:04/06/08 13:40
爺・性行・急(じい・えっち・きゅう)

倭国を制した美国は、東征都督として遮光眼鏡をかけ玉蜀黍煙管をくわえた老将軍・
真赤砂元帥を起用したが、元帥すでに齢古希にいたり、男性能力の喪失に密かに悩んで
いた。じっさい愛妻ジーナ夫人の欲求不満は高まるばかりであった。

陸軍中野学校残党は、講和条約の早期締結にむけてこれを利用すべく、動き出した。
ジーナ夫人を日本の子宝神社のお社に招待したのである。なおジーナ夫人はのちに、
男をたっても生きられる「いきかた」を東洋女性に提唱し、自慰那という雅号を奉られる。
それはともかく。ご神体に接した自慰那夫人が熱狂しもらい受けたのはいうまでもない。
自慰那夫人の毎晩の喜びの声は、帝都を震撼せしめた。いっぽうで日本のもくろみ
どおり、夫人は桑港講和条約への夫の好意的関与を約束してくれたのである。
だが、やはり気がつくときはくるものである。真元帥は愛妻のあられもない行状に愕然とし、激怒した。

いつものように自慰那夫人が張り型・・・もといご神体で楽しんでいるところへ、真元帥は乱入した。
「あらダーリン、いきなり何よ。マイルームにはいるときはプリーズノック」
「シャーラーップ! ユーはそこで何をユアセルフしている?」
「見りゃアンダスタンドできるでしょ。はげしく万刷りしてるのさ。このインポ将軍が。ぷっ」
「ゴルァ! 万刷りなんて敵国言語使ってんじゃねえ。漏れの力をみせてやる!」
というわけで、嫉妬に狂って夫人にとびかかった元帥ではあったが、無理に奮い立たせたものを夫人の秘部に突き立てたのがまずかったのだ。
「オーマイゴッド」
「ヘルプミー」

・・・膣けいれんをおこした自慰那夫人に、激痛の雄叫びをあげる元帥であった。
あげく軍医を呼ばずに無理やり引っこ抜こうとしたために「ぽき」・・・
「老兵はいかず。ただ抜きとられるのみ」という別離の言葉とともに、日本人に慕われた
元帥が故国に逼塞したのは数日後のことであった。大統領候補に「立たなかった」
のも、そのせいだと思われ。
いずれにせよこの惨劇が「爺・性行・急は、日本の民主化に多大な影響をあたえた」
と中国史家にいわれるゆえんである。

民名書房刊『東征都督府秘録』

26 :世界@名無史さん:04/06/10 00:31
>>25
そりゃ没だろ。
まんまじゃねえかよ。


27 :世界@名無史さん:04/06/15 13:10
『児剃判(こてはん)』

三国時代後期の中国で、呉のとある村を中心に頭虱が大発生した。
医療・衛生技術の発達していない当時では有効な駆除法は皆無であったため、
呉の人々は頭髪を全て剃ってしまうことで対策とした。
これが功を奏し、虱はしだいに数を減らしていったが、全員が剃髪した事により、
似たような顔立ちの者、特に子供たちの見分けが付き難くなるという弊害も発生した。
そこで、子を持つ者たちは、それぞれ子供の名を刻印した大きな印鑑を作り、
毎朝我が子の頭に判を押すことで区別を可能とした。
これを「児剃判」という。

現在、インターネットの匿名掲示板で個人を特定するためのハンドルネームを
「コテハン」と称するが、これはこの故事を由来とするものである。

民明書房刊『君の名は』

28 :世界@名無史さん:04/06/16 10:56
涅罵陀(ねばだ)

唐代中国の武人。その武名は広く知れ渡っており、彼を慕う者は多かった。
『@u@』(あっとますますあっと)の旗印の下、多くの部下を抱えていた。
しかし彼と並び称された武人・沙斗巳(さとみ)は彼を快く思っていなかった。
ある時、涅罵陀がいつものように於派用備維務(おはようびいむ)の任についているとき、
沙東巳は彼の旗印を指して、「其変旗印如何。可否愚弄?」と侮辱した。
これに怒りを覚えた涅罵陀は沙斗巳に楠拿闘(なんだとう)の決闘を申し込み、
愕襲屡宇無(がくしゅうるうむ)にて見事沙東巳を打ち負かせて恥をすすいだという。

余談ではあるが、当時沙東巳は内府の役職を与えられており、
沙斗巳を討ち取った涅罵陀は興奮のあまり「勝った勝った、内府に勝った!」
と叫んだと言われる。
この時涅罵陀が使用した武器を改良して生まれたのが「カッターナイフ」であることは言うまでもない。

民明書房刊「少年犯罪裏面史」より

29 :世界@名無史さん:04/06/25 01:09
イイ

30 :世界@名無史さん:04/06/25 20:56
>>29
すまんがコピペで持ってきた。
しかしこのスレ伸びないなと思うのだが、ガイドラインがないため
考えるきっかけがないのがいかんのか?とも思う。

アイデア募集ageしておこう。ワシの分は考えとく。

31 :世界@名無史さん:04/07/02 12:10
外道裸印(がいどらいん)

基本的には「ぞぬ」「ぬるぽ」など、にちゃんねる用語が漢語圏を主体とした
世界史上の史実のどのような逸話から派生されたものであるのか、その歴史系統
と実像を探るのが本「素麗」の主旨である。
たとえば「がいどらいん」にしてからがその典型であるといえよう。これは清朝
の末期、西欧の侵略から中華を守るためには、あえて国法に禁じられた外道の暗殺
拳法を使うもあいかまわぬ、という命知らずの愛国武道家たちに、殺人許可証の刺
青を公認したのが最初なのである。外道拳法でも法に則って正しく中華の敵に使用
されれば、すなわち夷をもって夷を制す苦き良薬になろう。その刻印たる刺青が、
つまりは外道裸印であった。

具体的には、洋鬼誅滅のためにはあらゆる禁じ手の暗殺拳法を駆使しつつも心に
「礼」を守り以って先祖の「霊」を守り「七生報国」することを誓約したあかしと
して、「礼・霊・七」の三文字の刺青を、「全裸」の武道家の全身に「刻印」した
のである。暗殺拳には各種あるが、とりわけ亜門拳とよばれる拳法が有名であり、
この拳法をきわめた師父たちは大亜門とよばれ、中国は「大亜門が守る土地」という
わけで、一時期は「大亜門土」という隠語で呼ばれたほどである。
ともあれ、以上の事情が暗殺拳法家を許された男たちを「外道裸印」とするゆえんと
なった。

なお、この刺青をした武道家にたいし、宮廷は特典として無税の権利さえ与えた。
税無く、(中華の敵たる洋鬼の誅滅に)没頭する漢たち、というわけで、かれらは
「税無没頭」とよばれた。これが四川省あたりでなまって、「ぜいむすぼんど」と
なり、「れいれいなな」が英訳されたさい、「ゼロゼロセブン」と誤って伝えられ
たのとあいまって、「ジェームズボンドのゼロゼロセブンは、殺しのナンバー」と
恐れられるようになった。
げんざい、英国で大人気のあのスパイもののシリーズが生まれたのは、こういう
東洋における、苦痛に満ちた近代史が作用しているのである。

民明書房刊「歪められた殺しの番号・大亜門土は永遠に」より

32 :世界@名無史さん:04/07/02 12:19
民明書房の本はみな著者不明なんかい。

33 :世界@名無史さん:04/07/08 09:47
民明書房は社長が一人で書いてる

34 :世界@名無史さん:04/07/08 18:40
>>33
ワロタ

35 :世界@名無史さん:04/07/08 20:58
那礼哀(なれあい)、後場苦(ごばく)

他人の両目を人差し指と中指の爪で突こうとする(本当に突いてはいけない)、
中国古来の子供達の拳法遊びが那礼哀と呼ばれていた。また失敗し、相手の
目を本当に突いてしまった場合、その後ついた者・つかれた者ともに苦しむこと
から後場苦とよばれる。後に西洋に伝わり、爪・目(nail,eye)の語源ともなる。
同じく後場苦は元に戻りたいという希望をもふくめた、Go Backの語源ともなる。

後に明治時代、清を経由して来日し、日本海軍の創設に尽力したドイツ系アメリカ人
Hayrlo Joukie(ヘィロ・ユウキィ)氏が格闘教練中に誤って、目を突いた者をたしなめる
ときに出た言葉から、日本へと回帰輸入された。つまり、目潰しの振りをすることを
「なれあい」、馴れ合いのつもりのミスを「ごばく」と聞き違えたのである。

民明書房刊 「ちゃいるど・ぷれい」

36 :世界@名無史さん:04/07/09 21:12
>>34
事実だが

37 :世界@名無史さん:04/07/10 14:36
>>36
事実は小説よりも生成

38 :世界@名無史さん:04/07/19 11:02
むしろ、事実は小説から生成w

39 :世界@名無史さん:04/07/30 03:40
一石二鳥の誤変換から。

◆一石二兆…中国の一部の地域にのみ伝えられる、一つの石で二兆の鳥を落とすことができる技。その
一部の地域の中でも選ばれた1人にのみ伝承される。
現在では世界的な野鳥保護の観点から、その使用を禁止する動きがあると言われている。
(民明書房刊 『友達100人作ったら計101人』より抜粋)

40 :世界@名無史さん:04/08/04 00:06
『殺過亜』(サッカー)

自陣に攻め込んできた相手を圧倒的多数の味方で取り囲み、
彼らの頭を切り落としては、蹴りあっていたという故事に由来するスポーツである

民明書房 「世界の私刑大百科」より


41 :世界@名無史さん:04/08/04 16:47
>>40
これって、今回のアジアカップの皮肉か?w

42 :転載:04/08/05 13:19
摩駆 怒名立奴(まく どなりゅうど)

古代中国は宋の時代、摩駆(まく)と呼ばれる奴隷がいた。
この者は頭が良かったが、金がないため身を立てることができなかった。
そこで、仕えていた主人に「お願いです、科挙試験を受けるためお金をお貸しください」
と頼んだが、主人は「お前になど受かるはずもない」と説明も聞かず突っぱねたため、
摩駆は怒りを感じ、後日奇抜な服装でもう一度頼みに行った。
それは白く化粧した顔に、赤い毛のかつらをすることで己を目立たせ、
さらに「麻竺(まじく)」というインドの麻で織った服を着るというものであった。
この容貌は主人を大いに興がらせ、一度だけ摩駆のために金を貸すことにし、
その後、科挙試験に見事受かった摩駆は借りたお金を倍にして返したと言う。
人々はこの話から奴隷から役人まで成り上がった摩駆のことを「怒りによって名を立てた奴隷」
すなわち「怒名立奴(どなりゅうど)」と呼び、その行いをたたえた。

また摩駆の格好をすることを、その服から「怒名立奴麻竺(どなりゅうどまじく)」と呼んだが、
あまりに目立ち、さらに当時摩駆以外の者はこんな格好をしていなかったため
この格好で悪さを行い、摩駆に罪をなすりつけようとする者が多く現れた。
子供を誘拐するため窓から室内を覗き人々を恐怖に陥れたり、
「称們出屋外。」(訳:お前ら表へ出ろ)と言って挑発的な態度をとったり
椅子に座って一物をあらわにし、それを見た者に
「称契不契我?」(訳:やらないか?)と声をかけるなどする犯罪が行われ、
事態を重く見た時の皇帝はその格好をすることを禁止したと言う。
それでもしばらくは悪さが続いたが、「熊組」と言う自警団によって
取締りが強化されてからは犯罪が減ったとされる。

なお、現代でこのような風貌の者がファーストフード店のマスコットとなっているのは
この摩駆の由来からきているのはたしかであるが、あるインターネット掲示板で
「お前ら、表へ出ろ」というAAがあったり、クマーに殴られたりしているAAがあるのは
この話が由来なのかどうかは定かではない。

民明書房刊『中国奇人列伝第三巻 茂衆〜賢達記』より

43 :世界@名無史さん:04/08/06 06:34
>>42うまいっ!感動しました。

44 :転載(ハン板):04/08/06 11:24
417 名前:ほのかな質問 投稿日:03/06/22 17:55 ID:Vr9Wspyy
韓国式起源創成法(日本でやった場合)
「キムチは日本が起源だった」
朝鮮出兵の際、加藤清正が虎退治をした話は有名だが、唐辛子と漬物を伝えたことは
あまりというかほとんど知られていない。
その昔加藤清正は虎退治から帰る際、山で迷ってしまった。
その際1件の民家を見つけ泊めてもらおうとした。
しかし現地の農民は大きな虎の死体と鎧武者の一行を怖がって家を飛び出し、離れの小屋に隠れてしまった。
翌日加藤清正は一泊のお礼として寒さしのぎの唐辛子と保存食である漬け物1樽、イカの塩辛や昆布などを家の前に置き、大声で離れの
農民に言った、「これは拙者たちのほんのKIMOCHIだ、KIMOCHIだよ!」と。
こうして加藤清正は日本に帰ったのだが農民は樽の漬物を見てこう解釈した、「これはキムチという食べ物で(反復したので)、この樽の中に
周りにおいてある唐辛子や塩辛を入れて食べろと言ったのだろう」
こうしてキムチは韓国に広まって言ったかどうかは定かではない。

民明書房刊「あなたのキムチが良く分かる」より抜粋


45 :世界@名無史さん:04/08/06 21:46
『治殷 治殷 主!主!主!(ちんちん シュッ! シュッ! シュッ!)』

殷王朝最後の皇帝である紂王は寵愛する妲己にそそのかされ、悪政を重ねた後、
周の武王により打ち倒されたのはあまりにも有名な話である。
紂王は、牧野の戦いで大敗後、都へと逃げ戻り、鹿台に火を放って自刃するのだが、
自刃の直前、紂王の元で贅沢の限りを極めた役人や宦官たちは、
かつての贅沢がもうできないのを悔やみ、紂王に対し、泣きながら
「治殷 治殷 主!主!主!(※注・治殷=殷を治めて下さい、主=我らが主紂王よ!)」と懇願した。
その懇願ぶりは、悲惨としかいいようがなく、ある者は燃えゆく宮殿の中で「治殷 治殷 主!主!主!」と
ヨダレを垂らしながら、柱に体を激しくこすりつけ、そのこすりつけようは柱の塗装が剥がれ落ち、
血が噴出し肉がずたずたになるほどであったという。

なお、現代日本の匿名掲示板において「ちんちん シュッ! シュッ! シュッ!」という文言と共に
ヨダレを垂らした肥えた初老の男性のAAが貼られるのは、
根底にこの逸話が元になっていることはいうまでもない。

    民明書房刊 『古代中国王朝滅亡全書』より抜粋



46 :世界@名無史さん:04/08/08 00:58
「猛忍愚無守女。」
時の将軍、津久が女傑たちを集めて作った私兵部隊である。
代表的な構成員に那智、呉魔鬼、辻加護などがいる。
また彼女らとは別に津久の部下では亜矢矢、美鬼亭、女龍というのも有名である。
彼女らも含めた津久の部隊は破路不呂と呼ばれ時の皇帝をもしのぐ勢力をもったとさえ言われている。
猛忍愚無守女。には外部にも支援者がいて彼らは猛尾多と呼ばれていた。


47 :世界@名無史さん:04/08/12 20:07
縦読み》 文章の最初の段から縦もしくは、ななめなどに
かくされた文を埋め込む事により、からかったり
らんぼうな意見を包み込んだりする手法である。
読者諸君も、一度は引っかかった経験があると思うが、それも
むりからぬ事でもある。一流の縦職人は、むりのない文に
ないほうするので、中々縦とは気付かない物である
よく読むまでもなく、文として欠点がある縦は2流といえる。
なかなかそれが難しく、職人魂をくすぐるので一度作ると
馬車馬のように作り続けてしまうほどの魅力がある
が、しかしそんな縦職人にも敵はいる。それは、ずばり
厨房である。彼らの中には10行以上の文、いや5行でさえ
妨げにしか見えないらしく、いきなり縦から読み始めるので
どんなに苦心して作った完璧な縦と言えども、彼ら相手には
ものの数にはならないのである。
             民明書房刊 「縦読み、その凄惨なる歴史」より

48 :山野野衾 ◆UJr4Al4ZYM :04/08/13 22:08
対象範囲は2ちゃんねるネタ限定なんですか?

49 :世界@名無史さん:04/08/19 11:42
>>48
そんなことは無いと思うが、できれば皆が良く分かるようなものが好ましい。

50 :世界@名無史さん:04/08/19 20:16
『着募憤怒(きぼんぬ)』
古代中国、秦の時代。圧制に苦しめられていた民たちの密かな娯楽『素取婦(すとりぷ)』。
妖艶な衣装に身を包んだ踊り子が客の前で着衣を一枚ずつ脱いでいくというものであるが、
当然政府がこのような娯楽を容認するはずもなく、民たちは地下の劇場で官吏の目に脅えながら
月一回の素取婦を唯一の楽しみとしていた。
しかし、ささやかな楽しみも長くは続かなかった。
ある日、なかなか脱がない踊り子に業を煮やした『宇不(うぷ)』という男が『着募憤怒!!』
(俺は怒っているぞ!!早く着ている物を脱げ!!)と大声で叫んでしまったのだ。
不運なこの男の叫び声は、たまたま警備中だった官吏の耳にまで届いてしまい、
哀れにも処刑されてしまった。
踊り子の裸体を見ること叶わず殺されてしまった宇不らの無念と怒りは、『エロ画像うpキボンヌ』などと形を変え、
時を超え国を超えなお現代日本のインターネット上に受け継がれているのである。
               民明書房刊−古代中国〜下層階級の性と風俗〜−より

51 :世界@名無史さん:04/08/20 07:38
この間、暁!男塾読んだんですよ、暁!男塾。

そしたら、「民明書房」って出てるんです。もうびっくりですよ。
てっきり2ch自体が発祥の地かと思ってたんですけど、実はコミックだったのですね。
暁に出てるって事は、最初は魁ですかね。そっちは確認してないけど。

そんだけ。

52 :世界@名無史さん:04/08/20 18:36
>>51
YES

53 :世界@名無史さん:04/09/02 04:08
ぬるぽ

54 :世界@名無史さん:04/09/04 01:37
がっ

55 :世界@名無史さん:04/09/04 23:47
小名弐(オナニー)

校則により異性間の交際が認められていなかった旧制中学では、思春期の学徒達の性の
処理方法として手淫が奨励されていた。小名濱町(現いわき市)に在った旧制小名濱
第弐中學校では、「健全な精神は健全な肉体に宿る」の教育理念に基づき毎年全国の中
学校から手淫部の精鋭達を招き校内射精大会が開催されていた。その時の応援に使う
声援は学校名を省略することが通例となっていて、過去9回も優勝した主催校である小
名濱第弐中學応援團の会場に轟く蛮声『小名弐頑張れ!』の声援は特に感銘を憶える
ものであったと伝う。現代に於いて自慰行為の事をオナニーと呼ぶのはこの声援に由
来すると言われている。また、大会に出場する選手たちは日々のトレーニングや練習
試合等のため体力の消耗が激しく選手生活は長くは続けられなかったと伝う。自らの
体力の限界を悟った選手たちは潔く現役からを引いた。現代に於いて辞職や辞退を意
味する言葉に【辞意】という文字が当てられるのは【自慰】の音(Jii)が語源で
あると言う説が学会では支配的である。

民明書房刊『ひとりでできるもん』より

56 :世界@名無史さん:04/09/05 04:48
コンビニで民明書房大全みたいなのが売ってた。

立ち読みしたけど、トンでもねー本だった。

57 :世界@名無史さん:04/09/05 04:59
ちなみに小名浜第二中学校は実在します

58 :世界@名無史さん:04/09/05 05:00
>>51
お宅、たぶん女性か大学生未満かのどっちかだね・・・。

59 :世界@名無史さん:04/09/05 19:14
>>42
イイ! 
でも、消防低学年に読ませたらいけない本、No. 1だな
教育上サイアク

60 :世界@名無史さん:04/09/08 15:50
首都来喜(しゅとらいき)

中国では国の中心的な都市を決める為に、たいそう苦労した事があった。
現在の首都は北京であるが、中華人民共和国の名称に決まった時には、まだ、首都は
決まっていなく、各地の人間が「俺の町を首都にしろ」と言って反乱がおきた。
暴力に訴える者もいれば、強盗などの盗みを繰り返す者も現れた。
しかし、北京の人間は、暴れずに血を流さずに北京を首都にしてもらえるような考えを起こした。
それは、労働を拒否する事によって国に損害を与える事だった。
もちろん税金が入らなくなり、国政を圧迫する事を危惧した皇帝は、首都を北京にすることを
決定した。そのとき北京はのものは「首都来期」(次の時代は北京が首都の意)
と言って、作戦の成功を祝った。

現在日本のプロ野球界では、ストライキ問題が世をにぎわせているが、「首都来期」が
語源なのは言うまでも無い。

(民明書房刊 『プロ野球の行方』より抜粋)


61 :世界@名無史さん:04/09/08 17:19
世界史板では出ると荒れ易い単語「民度」について説明している本は出ていませんか?

62 :世界@名無史さん:04/09/10 13:13
民(明書房)度

63 :世界@名無史さん:04/09/11 07:13:31
日本国は民度も民明書房度も高い国ですね。

64 :世界@名無史さん:04/09/13 19:32:23
炊く

今から約2000年前の前漢の時代、ある儒教の壮いうものがいた。
壮は儒教の教えの書物を覚えるため一枚ずつ正確に書き写した。
やがて幾年か経ち、全ての書物を書き写した。
それを見た師の吏は「一枚ずつ正確に写すことは、事の他難しい。
お前はそれを見事にやってしまった。それは百姓が一粒一粒の米(魂を「篭める」)から
飯(はん=米粒が集まったもの)を作る為の工程に等しい。」と言った。

つまり、一粒の米(一枚)から飯(書き写した物が集まった物)
を作る作業が似ていることから人間に食べれる(製本する)ようになるまでの工程
を「炊く」といい今日の「炊く」を意味するのである。

民名書房刊 『吏伝樂山気』より


65 :世界@名無史さん:04/10/09 20:42:33
【猫御身望道(ねこみみもうどう)】
エジプトでは猫を崇拝する習慣があったのは有名な話だが
古代中国でも猫を崇拝する宗派が存在した。
彼らは陰暦の十五日、望の日に猫の耳を模したものを頭につけ
夜通し「猫御身望道(ねこみみもうどう)猫御身望道(ねこみみもうどう)」と唱え続けたという。
それは王朝の圧制に苦しむ民衆の心のよりどころとなったが、いつしか王朝の打倒運動にまで発展した。
民衆は「猫御身望道(ねこみみもうどう)」と唱えながら死をも恐れぬ勢いで突撃したという。
なんとか乱を鎮めた時の皇帝は信者を処刑し関連書物を焼き払い現在このことを記した書物は少ない。
深夜アニメのOPで「ネコミミモード」と言い続ける歌があるが
猫御身望道と関連性があるのかもしれない。

民明書房刊『宗教に見る中国史〜着黄泉(つくよみ)の章〜』より

66 :処女作:04/10/13 13:49:37
【血用肝胃(ちようきもい)】

中国は秦の時代、時の将軍・蒙恬(もうてん)が北方を制圧している最中のことであった。
その進軍中、幾日にもわたり日照りが続き、軍隊は疲弊しきり蒙恬とて例外ではなかった。
蒙恬は兵を集め
「它是密集的與那些強健出來的地方。」(訳・何か元気の出るものを持ってこい。)
と言い、その半日後、一人の兵が紅色の飲料を献上した。

蒙恬はそれでたいそう元気になり、その兵に
「那是什麼。」(訳・あの飲料は何だったのだ?)と問うた。
「那, 是肝臟和胃的血液。」(訳・あれは、動物の肝、胃から取った血でございます。)
これを聞くと蒙恬は大層驚嘆するとともに憤慨し、
「血用肝胃!(ちようきもい!)」(訳・肝、胃の血を飲料に用いたというのか!)
と言い放ち、その場でその兵を処刑した。

近年まで「血用肝胃(ちようきもい)」と「血用奇所異(ちようきしょい)」(訳・そのような異物の血を用いたのか)
とで学会の論は真っ二つに分かれていたが、文献からの調査により前者の方が有力説となっている。

現在日本の主に若者の間で
気持ちの悪く、嫌悪感を与えるものや人に対して
「超キモい」また程度によっては「キモい」と言い放つことがあるがこれらはその所以であり、
また少数ではあるが「超キショい」と言う人がいるのも、上の事から明らかである。

民明書房刊『日中言語あれこれ』

67 :もいっちょ:04/10/13 14:15:10
撰斗里合戦(せんとりがっせん)

殷が中国を支配する少し前のことであるが、
数十もの小国が争いを繰り返している時代があった。
その中でも撰(せん)という国は小国とは言えないほどの勢力を誇り
その次に台頭していたのが斗里(とり)という国であった。
ある時撰が斗里を滅ぼそうと斗里の領土に進軍したのであるが
その2つの国の軍事力はとても大きな差で勝敗は誰の目にも明らかであった。

しかし歴史というものはそう理屈通りには動かないもので
撰が斗里を征服するのは容易だと考えていたのであろう、撰はその防護を怠っていた。
その戦争の最中、亜(あ)というそれは小さな国の兵が撰の将軍を討ち取ったのである。
その時の兵の言葉として有名なのが
「頭挫亜!(ずさあ)」(訳・亜が撰の頭を討ち取ったぞ!)である。

現在しばしばインターネット上において
スレッドが1000(撰と同音である)に近づくと皆が「1000!」「1000!」と書き込み>>1000を取りたがることがあるが
これらの人たちは撰国の末裔ではないかと言われている。
しかしながら実際>>1000に書き込まれるのは亜国の兵の言葉をもじった「ズサー!」であったりし
古代中国の小国紛争の面影がいまだに伺えることがわかる。
ちなみに、「1000ゲトー」というものは同著の「煮解賭(にげと)」の解賭と撰からの派生語であることは
察しのよい読者ならすでにお気づきであろう。

(民明書房刊『DNAに刻まれた中國 現代人の行動のルーツを探る』)

68 :世界@名無史さん:04/10/20 15:14:27
 ヨッシー
平安時代末期、一度だけ短期間だが朝廷が平安京から別の大都市に遷り日本の首都が京ではなくなった時期があった。
平清盛が源頼政一党を内戦で破ったことと、日宋貿易の権益の莫大さが主因である。
この福原京遷都からわずか3年後に源頼朝の先遣隊(約2000)が都市城壁の正門に押し寄せ、
壊滅の危機に陥ったが防災兵の碧龍一味が鳳天舞の陣、デザートランスやクローズデルタのような陣形から
展開した魚鱗陣を組み先遣隊を城門付近に塞き止め、碧龍(黒装束で丸坊主頭の男性。このとき23歳、とある。)
自身は平宗盛の館に毀れ出た敵兵を数匹屠りつつも駆け込み平氏一門を救った。
 碧龍は後に平家一門に加わりこの地に根付くが、鎌倉時代以降の系図展開は杳として知れない。
この碧龍が素の大音声で指揮系統を動かしていたこと、彼の上役と思しき武士の存在が示唆されていること、
碧龍一味が魚鱗陣を展開するまでは虚言で先遣隊を撹乱していたこと、城門の性質を巧く利用できたこと、
一味に討たれた兵も多数存在することから「経礎で茶を沸かす」の語源はこの斎宮の変にあることはいうまでもない。
また、後の柔術の掴み技の起源と思しき動きが見られることも興味深い。ヒトが腕や服を掴む、
という動きは獣には甚だ不利なものであり柔術が対人主体の素手の武術であることからも、
平氏と辺境人の人口と文明の均衡具合もここから伺える。近年の「スーパーマリオ」シリーズに登場するヨッシーも、
初登場時は接敵すると乗り手を置いて駆け出すことから元ネタは碧龍の史実ではないかと唱える社会学者も居るが、
詳細は定かでない。この福原京も、やがては源義仲を始めとする源氏の軍が迫り首都も平安京に戻るわけだが、
現在も神戸市として先進諸国有数の海洋大都市の威容と環境を誇っている。現代では商売繁盛の神様「えべっさん」の
全国総本社として知られる西宮神社(兵庫県西宮市)で毎年行われる神事『福男選び』に、
遠い源平合戦の実在の名残りを見ることができる。 昨年の福男(22歳男性)が平碧龍の子孫であるかは定かではないが、
平碧龍と平家の繁栄を模して短期間で栄誉や副賞を同神社に返納したことには感動を禁じえない。

( 民明書房刊 「絆の社会学 --つながっていたい--」 第2版 2004年10月20日 発行 154頁『一騎駆け』 より )

69 :世界@名無史さん:04/11/03 12:47:15
素婦痢(す ふり)

中国宋代、都の西沃省に勢力を誇った秘密結社。
その首領である倭堕惨(ワ ダサン)は全国制覇の野望を抱き、把裸把裸拳
という拳法を編み出し、人々から恐れられた。その秘奥義・非情戒弾とは、
狙いを付けた敵(倭堕惨娯乃味と呼ばれる)を宴席に招き、遊技に誘って
油断させ、密かにアルコール度数の高い酒を立て続けに飲ませて泥酔させた
挙げ句、集団で襲うという手段を選ばない卑劣きわまるやり口であった。
倭堕惨とその一党の手にかかった相手は500人とも1000人ともいわれ、
倭堕惨魔術(ワダサンマジック)の名で恐れられたという。
今日、学生コンパ等で同様の手口を使う者がまれにいるが、倭堕惨の
後裔であるかどうかは定かではない。

(民明書房刊『中国異常性欲物語〜倭堕惨の野望〜』より)



70 :世界@名無史さん:04/11/05 20:44:27
イノキボン・バイエ(いのきぼんばいえ)

正確にはサン・インノケンヴォン・ヴァイエと称される。
中世カソリックの神父。本名はウィノ・アントニオ・キカンディ。
裕福な貴族の出自であったが、ルターやカルヴァンの宗教改革を見、
失われゆくカソリックへの信仰を憂い、
イグナティウス・ロヨラやフランシスコ・ザビエルらと共にイエズス会を設立した。

彼はカソリックではあるが聖書の暗誦や教会への信仰などは重要視せず、
ただ神に祈るその心こそが最大の大事として、
「イティニ・サン・ディアー(親愛なる神に祈ります)」と祈る事こそが肝要である、と説いた。
当時の日本の農民の識字率は高くなかった為、彼のこの簡素な教えは、
キリスト教禁止令が発令されるまで、民衆に広く伝播したという。

彼は信仰の道だけでなく、スポーツの交流にも力を注ぎ、
日本の柔術に卍固めを伝来したのも彼であるとされる。

民明書房刊「カソリックの年代史」より

71 :世界@名無史さん:04/11/13 23:33:34
馬威撫 (ばいぶ)

古代中国の武道家、禮汰(れいた)が考案したとされる武具であり
棍の先に取り付けた、軟体状の物体を持って相手を打ち据える事を
得意としていたが、禮汰自身の類稀なる体術をもって先端部のみを振動させ
その高速振動する軟体を相手に接触させる事で、文字通り相手を骨抜きにすると
いう奥義をも体得していたと伝えられている。
(中略)
なお、今日に大人のオモチャとしてあげられる「バイブレーター」は、禮汰と馬威撫の
合成が語源になっていることは、賢明なる読者諸氏には、言うまでも無い事であろう。

太公望書林刊
「中華好色一代記〜韋駄天いかせ男」より抜粋。



72 :世界@名無史さん:04/11/17 10:43:19
裏千家

かの有名な「ボルジア家の毒」の秘伝は、スペインを経由して、より洗練され
ポルトガルの修道院でさらに研究が進められ、極秘として一部の者に伝授されていた。
ルイス・フロイスはこの秘伝を知る者の一人である。彼は場合によってはこの秘伝により
日本の王を殺害しても良いとの許可をローマから得ていた。
彼は千利休と会見し、その人柄にすっかり惚れ込み、互いに信頼する仲となる。
豊臣秀吉のバテレン追放令が出ると、彼は毒薬の秘伝を千利休に伝えた。
千利休の茶道にはこうして知られざる必殺の暗黒側面が加わることとなった。
この暗黒側面を引き継いでいるのが「裏千家」であることは周知の事実である。

太公望書林刊
「お〜いお茶 あなたとティータイム」より抜粋。

73 :世界@名無史さん:04/11/27 00:40:11
『奴号解』 (どごうかい - ドキュンネーミングガイドブック)

下層民にふさわしい名前を命名するために編纂された書物。
「諡法解」にヒントを得て編集されたと伝えられるが、詳細は不明である。
下層民の命名には以下の漢字を用いるべきであるというのが本書の主張。

「翔」「勇」「竜」「龍」「太」「輝」「丈」「也」
「純」「涼」「斗」「樹」「亜」「菜」「麗」「璃」
「虎」「駿」「未」「夢」「遊」「隼」「紫」「飛」
「蘭」「星」「聖」「宙」「流」「駆」「舞」「羅」
「月」「風」「嵐」「華」「琴」「繭」「萌」「闘」

民明書房 「こんにちは赤ちゃん・懐妊から出生まで」 より

74 :世界@名無史さん:04/12/01 21:46:21

「あれはまさしく暗拳・乱那兎衛!」
「知っているのか雷電!?」
「うむ……」

 暗拳・乱那兎衛(らんなうぇい)、その起源は古く中国は蜀の時代に遡るという。
 当時、戦乱に疲れた人々をさらなる困窮においやる存在として、軍からの脱走兵が
山賊や夜盗と成り果てたものがあった。軍で戦闘を経験したこれらの賊に、非力な
町民・村人では為す術がなかったのは言うまでも無い。
 だが、そんな中に義憤のために立ち上がり人々を護った者がいた。
 闇夜に潜むために顔を黒く塗り、相手の混乱に乗じて兎のごとく俊敏に駆け回る
攻防自在の拳法、暗拳・乱那兎衛を極めたその人物の本名は後世に伝わっていないが、
賊を狩り屍山血河を築いたその老人を、時の人々は多屍老(たしろう)と呼び敬ったという。
 しかし例え義憤のための戦いとはいえ、相手が非道な賊とはいえ、官憲ではない者による
虐殺は罪であった。多屍老は何度も捕らえられては釈放され、しかし己の信念を
貫いたがためにまた捕らえられたという。人々は多屍老を神と称え、時の官憲に
弾圧されつつもその信仰は途絶えることがなかったという。
 この暗拳・乱那兎衛は、現代のヒット・アンド・アウェイに通じる攻撃を主体として
いたが、兵法三十六計をも重んじたという。英語のランナウェイは、この拳法の
名前から生じていることに間違いはなかろう。
 余談であるが、今も世間をにぎわしている田代まさし氏は、己の信念を貫き、逮捕される
ことを繰り返している。人々が彼を神と呼び称えているのは、この多屍老の伝説の
再来ではないかと思えてならない。

 民明書房刊「拳法で覚える英単語」より抜粋

75 :世界@名無史さん:04/12/20 00:15:32
age

76 :世界@名無史さん:04/12/27 04:07:31
hage

77 :山野野衾 ◆a/lHDs2vKA :04/12/27 17:31:43
日本史無双乱舞(にほんし・むそうらんぶ)

 文永年間の事である。当時蒙古襲来の恐怖にとりつかれていた朝廷は、寺
社に祈祷を命ずる一方で、日本が仏の垂迹の守護する「神国」たる証左を明確
にする様、時の文章博士大江広房に勅命を下した。
その結果、神功皇后以下の故事が、百首の歌として編纂される。
これに気を良くされた後深草院が、大力のものに、歌に合わせた組み手を行
わせよとのたまわれた結果、西大寺の僧兵であった叡尊に白羽の矢が立った。
還俗し、力士として「神風」の名を賜った叡尊は、百首の歌に合わせた百の技
を開発し、「日本史無双乱舞」と命名。弘安の役においては、敵船ごと蒙古兵
を撃破する働きを見せる。
後に、京・鎌倉には「西大寺の僧叡尊の祈祷により、神風が吹いた」という話
が伝わる事となるが、実はこれが力士神風の活躍を誤伝したものであったと
いう事、賢明なる読者諸君は、既にお気づきの事であろう。
なお現在でも、世界史(異国史)を語る場において、日本史の書き込みを連発
する行為の事を「日本史無双乱舞」と呼ぶ事があるが、これは諸外国の歴史に
うつつを抜かし、神国日本の歴史を忘れた輩に鉄槌を下す行為であるという
点から、神風の雄姿になぞらえて言ったものである。

民明書房刊『日本闘技史裏話』より抜粋

(神田本の傍注):後半は、原住民からすればただの荒し行為であり、著者の偏
見による身びいきの感が否めない。

78 :世界@名無史さん:04/12/29 00:08:44
『米爺醗葉(マイヤハッハ)』

古代中国は殷の時代、殷最後の皇帝紂王は堕落の限りを尽くしていた。
ある時、菩提樹の葉を使って最高の米酒を作る米爺(マイヤ)という老人に
紂王は米酒を献上することを命じたが、米爺はそれを断り
拷問で製造法を吐かせられることを恐れ自害してしまった。
時の詩人はこの米爺の行動をたたえ、
「米爺否 米爺封 米爺宝 米爺醗葉」
(訳:米爺は断った、米爺は封じた、米爺の宝を、米爺の醗酵させる葉を)
と歌い伝えたという。
一方紂王は米爺から奪った米酒で池を作り、飲み踊り、肉を簒奪し、
後世に酒池肉林と語り継がれる宴会をし、周に滅ぼされたのは皆の知るところである。

現在「マイヤヒー マイヤフー マイヤホー マイヤハッハー」と歌う曲が流行っているが、
これは米爺の詩が由来であることは明らかである。
しかし、その歌詞が「米さ!米酒か!飲ま飲まイェイ!」と聞こえてしまうのは
我々が酒池肉林を知っている日本人だからかどうかはわかっていない。

民明書房刊「伝説の酒めぐり 〜恋の呪文は毎夜日入」より


79 :世界@名無史さん:05/01/09 16:50:59
保守

80 :世界@名無史さん:05/01/15 17:54:01
魔卦墓野(まけぼの)
いにしえの中国では古くから競腕(けいわん)という大会が開催されてきた。
競腕とは決まった規則や規定のない、いわば大規模な野試合であるが、
それがゆえにその勝者は大陸一の武芸者とされ、その称号をかけて多くの男たちが闘った。
漢の時代になると、朱母之(あけぼの)という男が競腕において永く君臨した。
朱母之は優れた易者でもあり、占卜によって相手の動きを読んだというが、
そのあまりの的中率に、朱母之は「魔卦(まけ)」と呼ばれた。
また、朱母之の闘った後には必ず墓が出来ると言うことから「墓野(ぼの)」とも呼ばれ、
以降、競腕における実力者のことを「魔卦墓野(まけぼの)」というようになった。
競腕は現代ではK-1と名を変えていることは良く知られているが、
あまりに不甲斐ない元横綱・曙が「マケボノ」と揶揄されるのは、
なにか皮肉めいた物を感じざるを得ない。

(民名書房刊『大晦日は打稲舞都!!』より抜粋)

81 :文字だけでゴメン:05/01/23 14:39:23 0
 「九無九無(キュムキュム)」

   鎌倉時代初期、駿河国や相模国で活躍した名僧大輔上人(だいすけしょうにん)
   が説いた教え。
   「仁 義 礼 孝 忠 真 善 徳 誠」
   を大事にし、仏の教えによって行いを正し、それが欠けることが無いように
   戒めたもの。この教えは広く親しまれ、上人が決まって「九無九無」と唱えた
   ので信徒もこれに習い唱えたのがなまって「キュムキュム」となった。
   何故かプロ野球板で大輔上人のAAを見かけるが、これは上人の遺徳が今日も
   生きていることの現われだろう。

   民明書房刊 『日本名僧伝』より

82 :世界@名無史さん:05/01/24 11:09:09 O
( ´д`)ダイチャン…

83 :日本@名無史さん:05/01/26 18:50:20 0
煮堕(ニダ)

清朝初期、『煮解賭 ( にげと ) 』の流行が朝鮮半島まで及び当地では
煮堕(ニダ)と呼ばれた。

民明書房刊 『雑学の泉』より

84 :世界@名無史さん :05/01/30 14:40:39 0
湯子(ヌコ)

本来は湯子(ユコ)がなまり湯子(ヌコ)と呼ぶようになった。
冬に布団に入ると冷たいので、それをあらかじめ暖める幼児のこと。
主に大名家で、貧民救済のために雇われたがそのまま殿様の手が付くことがあり
悲観した温子(ヌコ)が自殺し化けて出た話は鍋島化け湯子騒動(なべしまばけぬこそうどう)
として有名である。1949年東宝にて映画化もされた。


民明書房刊 『江戸時代に見る職業大辞典』より

85 :世界@名無史さん:05/01/31 17:11:24 0
皮肉の嘆(ひにくのたん)

三国時代、荊州の劉表に仕えた武将嘆蔡瑁(たんさいぼう)のあだ名。
君主の劉表に対し皮肉ばかり言っていたが武将としての才能はあった。

民明書房刊 『三国志英雄伝説外伝』より

86 :世界@名無史さん:05/01/31 19:30:04 0
在世委灯油牛(ざいせいとうゆうし)

古代インドで、出家していない仏教信者は当時非常に高価だった財産である
灯油と牛を安全なお寺に預けていた。お寺では預り証を発行し、在世信者から
要求があった場合返還する義務があった。
この制度のことを、在世委灯油牛(ざいせいとうゆうし)と言う。
ところが寺では宗派拡大のために、灯油と牛を勝手に売却し壮大な寺院や仏像を
作った。はじめ都会に寺を建てていたときは参拝者も多くお布施がたくさん集まり
信者からの灯油と牛の返還要求に答えられていた。
しかし、人のあまり住んでいない田舎にも寺を作ったためお参りする
人はほとんどいなくてお布施は集まらなかった。それでも寺を作り続け
やがて在世信者からの灯油と牛の返還要求答えられなくなり、
在世委灯油牛(ざいせいとうゆうし)制度は破綻した。

民明書房刊 『歴史は繰り返す』より

87 :世界@名無史さん:05/02/11 10:24:46 0
麻通権散馬痛(まつけんさんばつう)

三国時代、劉備の漢中平定戦において
魏の将軍麻通権が、白眉で有名な馬良の5番目の弟で蜀の武将馬痛の勇猛ぶりに
恐れをなして逃げたことを
正史の三国志外伝は麻通権散馬痛(まつけんさんばつう)と記録している。
三国志演義において死せる孔明生ける仲達を走らすのモデルとなった。

民明書房刊 『そのとき歴史は動いたよ』より

88 :世界@名無史さん:05/02/11 22:20:07 0
大阪民国(テハンミングク)Republic of Osaka【国名】    <略称: 東朝鮮>

 日本列島にある朝鮮民族国家。人口883万人。面積1893.54ku。国土の大半は
平野で占められている。政治体制は大統領制。前ノック大統領が女子学生に対する
猥褻行為で辞職後、大田房江が大統領に就任(現在二選目)。
朝鮮由来の独特の文化様式をもち、祝い事があると下水の流れ込むドブ川に飛び込み、死者を出すこともある。
交通事情も日本と大きく異なっており、信号の青は「進め」黄色は「進め」赤は「進め」である。
更に、4車線道路で3重駐車するなどマナー、順法精神が皆無である。
執行猶予中の犯罪者「辻元清美」に70万票も投票するほどの犯罪者びいきの無法地帯であることが証明された。
また、「お笑い100万票」と言われ、面白い者に投票するという政治を全く理解していない有権者が多いのも特徴。
朝鮮系ヤクザの総本部があり、治安の悪さもアジアでワースト1位2位を韓国(本国)と争うほど悪く、同国は「韓災地方」とも呼ばれ、「犯罪者」の語源は「阪在者」である。

 大阪民国人は一般に阪国人(ハンゴク人)または阪人(ハン人)と呼称する。
アクの強い阪国語(ハン国語、例「〜やで」「ちゃいまんがな」等)を話し、第二言語としてハングル語を使う。
民族の仇敵である日本国と、日本の首都東京に強烈なコンプレックスと敵意を
抱いており、一方で同胞の朝鮮総連、韓国民団には強烈なほど好意的。
大阪民国の経済は近年悪化しており、失業率は日本で最悪の沖縄県に次ぐ7.7%と高水準。
また大企業が本社機能を日本国内(主に東京)に移す傾向がある。
阪国人の経済観念は「金に汚い」の一言で表すことが出来る。
決して人には奢ったりせず、「ワリカンやで」「奢ってくれ」「安ぅならんか?」などが口癖。
注意したいのは、阪国人は節約家なのではなく、ただ単に意地汚いだけという事である。
朝鮮企業のプロ野球球団「ロッテ」を応援せずに、阪神タイガーズを狂信する事が東朝鮮今世紀最大の謎である。
グリコ森永事件(お菓子に毒が入れられて脅迫された事件)で、なぜかロッテだけは狙われなかったので、
犯人はまさかロッテ社員ではないだろうが、犯人は在日朝鮮人という嫌疑がかかっている。(防犯ビデオに写った犯人はキツネ目の朝鮮人顔!)

89 :世界@名無史さん:05/02/12 19:05:42 0
空残業(からざんぎょう)

お釈迦様は全ての現象は空であると教えるが、
人は生きていくうえでどうしても業(カルマ)を背負ってしまう。
また、何もしなくてもお金だけは欲しいと思う。
そのことを仏教では空残業(アーカーシャ・アパリグラハ・カルマ)という。
現在、ろくでなしの公務員が仕事もせず税金だけむさぼる姿はまさに
空残業(アーカーシャ・アパリグラハ・カルマ)といえるが、
実際に仕事をしていないのに空残業(からざんぎょう)をつけているのは
誠に嘆かわしいと言える。

民明書房刊 『仏教用語辞典』より

90 :世界@名無史さん:05/02/13 22:30:48 0
泣いて馬謖起きる(ないてばしょくおきる)

三国時代の人馬謖は幼児期に寝起きが悪かったことを
三国志馬謖伝は、泣いて馬謖起きる(ないてばしょくおきる)
と伝えている。

民明書房刊 『有名人の子育て論』より

91 :世界@名無史さん:05/02/14 04:41:36 0
「かくれんぼ」って五胡十六国時代の夏を建国した赫連氏と関係があるのでしょうか?
このスレのエロい人教えてください

92 :世界@名無史さん:05/02/14 18:29:46 0
↑と、秋葉ファッションのデブヲタがメガネを中指で上げながら言っています。

93 :真実:05/02/14 19:57:38 0
貂蝉 犯痛 臭夷

民明書房刊 近代民俗学論評
『三国志が関東地方のジヤンケン
に与えた影響』より抜粋。


94 :世界@名無史さん:05/02/14 21:42:57 0
韓民国(はみんご 転じて はみご)

関西地方で、自己中心で嫌われ仲間はずれにされる子どものこと。
先般行われたワールドカップにおいて韓国応援団が
大韓民国(てーはみんご)と叫んでいたのは記憶に新しい。


民明書房刊 『関西弁の起源』より

95 :世界@名無史さん:05/02/15 16:21:26 0
>>91
赫連慕(かくれんぼ)

その昔五胡十六国は夏の国にて赫連という君主がいたそうな
ある日赫連がお忍びで城下町を歩いていると美しい女性に出会った
しかし身分の差からかなわぬ恋と分かっていたため、いつも街角から眺めてばかりいた
その姿を見た町人が「赫連慕」(赫連が慕う)といっていたことから遊びとなり、対象の相手に発見されずに上手く隠れるゲームとなったそうな

民明書房刊 『ストーカーの起源』より


96 :世界@名無史さん:05/02/16 21:33:48 0
拳法違反(けんぽういはん)

中国から伝えられた拳法は、日本においてさまざまな流派に分かれた。
中には明らかにおかしい流派、戦車やジェット機を使う自営態や
学校にお金を投げる紙額女性などはどう考えても拳法ではないが
日本では、試合前の介錯によって拳法違反でないとされている。
介錯によってまさにやりたい放題であるが、国民も特に気にしない。

民明書房刊 『世界の拳法』より

97 :世界@名無史さん:05/02/18 13:32:03 0
『兵、兵、兵』(へい、へい、へい)

「来週の志願者は学徒(ガクト)!」
中国は蜀の時代、毎週、休日明けの月曜日に定期的に希望に燃える
若い好青年を召集し、恐ろしい二人の訓練教官によって短期間で鍛え上げ、
ステージ(戦地)に送り出すという軍隊による伝説の集会。特に毎週召集される若者
はこれまでにも教官たちから「お前やるきあんのか!」「声が小さい!」
などの暴言をうけながらどつく、しばく、という行為を受けて何も言い返せなくなる。
学徒兵として無理やり動員されているのだから、やる気がないのは当り前。
そして訓練が終了すると雰囲気は一変し、戦場で縦横無尽に活躍する若者、
熱狂的に万歳をする観衆、満足げに見守る教官の笑顔に溢れ場は一変。
戦での功労を賞賛し集会は幕をおろす。
現代、同じ月曜日にHEY!HEY!HEY!という音楽番組がゴールデンタイムに放送されているが
兵、兵、兵の再来ではないかと思えてならない。

   民明書房刊『知られざる若き兵士の歴史』より




98 :世界@名無史さん:05/02/18 20:36:00 0
不輸のそなた(ふゆのそなた)

任那日本府(現在の韓国)において、税金を納めなくていい権利を
(不輸の権)を得た人のことを不輸のそなたと呼んだ。
この古代朝鮮半島の下級役人の話は韓国国営放送(KBS)においてドラマ化され、
昨年日本でもブームとなった。

民明書房刊『朝鮮歴史用語辞典』より

99 :世界@名無史さん:05/02/21 19:47:30 0
クレ無理ん(クレムリン)

人のものを欲しがり、すぐ断られること。

民明書房刊『人付き合いとマナー』より

三艇廻船(さんていかいせん)

江戸時代、江戸・大阪間の海運の主力。3隻一組で運用された。

民明書房刊『日本海運史』より

100 :世界@名無史さん:05/02/24 22:44:08 0
期待アゲ

101 :世界@名無史さん:05/02/25 00:27:42 0
百偈戸(ひゃくげと)

明朝末期に仏陀を称える偈が民衆に流布した。
それを唱えることにより、解脱することができるされ僧俗問わず唱えられるようになった。
熱心な教徒は一日に百回唱える行を自らに課し、これを百偈と称した。
百偈を行う者は大いに尊敬され、その家を誉め、人々は百偈戸と呼ぶようになった。
煮解賭、酸下吐などを軽薄行いと軽蔑し、百偈戸こそ真の聖人君子としたのだった。
信仰心の薄れた現代においても、インターネットで「100ゲット」と書き込むものがいるが、
その由来が百偈戸であることを知るものは少ない。

(民明書房刊 「仏教とインターネット」)

102 :真実:05/02/25 17:41:35 0
惨無寸(サムスン)
支那が半島に楽浪郡を設置して現地の
蛮人を仔細に観察すると、仁、礼、徳が
全く無い事が解った。それで時の朝廷に
仁、礼、徳の三要素が無い蛮人、惨無寸
と銘々し報告した。この報告書を大いに
参考にした元は日本侵略の時この蛮人を
重用した。

今、現在、朴利、ダンピング、不良多発などの
倫理が欠如している某ウリナラ企業があるが
これは5千年にも及ぶ民族の伝統の成せる業なのか??

民明書房刊『楽浪郡外伝、夷の中の蛮人』より

103 :世界@名無史さん:05/02/26 13:03:43 0
難陀慰問市場(なんだいもんしじょう)

お釈迦様の弟子阿難陀(アーナンダ)が出家する前開いた市場のこと。
高品質のものが安く買え、訪れる人の心を癒した。
現在韓国にある南大門市場(なんだいもんしじょう)はこれをまねたが
安く品質の悪いものばかりで、市場の喧騒さは人の心をすさませ大違いである。


民明書房刊『韓国パクリの歴史』より

104 :世界@名無史さん:05/02/26 13:33:49 0
奢他意汗国(おごたいかんこく)

ジンギス・カーンの第三子オゴタイカーンが作った国
奢他意汗国(おごたいかんこく)(1226〜1310)
みえっぱりで、お金がないくせに人に奢ろうとする風習があった。
滅亡後、朝鮮半島に移動し現在の韓国(かんこく)となった。
尊大で、みえっぱりなのにけちな風習は今も続いている。

民明書房刊『モンゴル帝国史異聞』より

105 :世界@名無史さん:05/02/27 07:37:36 0
余金封鎖(よきんふうさ)

お寺の門を閉めること。
自己資本比率が1%をきったことを知った
(預り証には牛100万頭、灯油100万樽、実際に持っているのは1万ずつ)
古代インドの王コーイズム(漢訳 古泉)は
中国の僧明衛家に在世灯油牛制度を任せたがどーなるものでなく失敗した。
押し寄せる在世信者に対し
寺の門番アマルナーゴールド(漢訳 余金)はお寺の門を封鎖した。
このことを余金封鎖(よきんふうさ)という。

民明書房刊 『歴史は繰り返す 第二版』より

106 :ようやく分かった:05/03/01 15:39:51 0
>93
元ネタは 朝鮮 軍艦 布哇で
貂蝉は三国志に出てくる美人だね。

107 :世界@名無史さん:05/03/02 19:17:16 0
各ヌしめEカーソ

108 :世界@名無史さん:05/03/03 19:27:28 0
印出す文明(いんだすぶんめい)

現在では、印鑑を使う国は日本と中国の一部くらいであるが、
その起源は古く、5000年以上前のメソポタミアで使用されはじめた。
粘土板の上にさまざまな文様が押された。

民明書房刊 『雑学の泉』より

109 :世界@名無史さん:05/03/08 20:00:55 0
期待age

110 :世界@名無史さん:05/03/09 03:59:45 0
ツーンデレー

5世紀頃、アジアの北部で、白人系遊牧民が創始した兵法。それがツーンデレー
である。その闘法は圧倒的な戦力を持つモンゴル系騎馬民族に対して、硬軟取り混ぜた
戦略を臨機応変に行うことにあった。ある時は、死に物狂いで戦ったと思うと、次の日には
にこやかな顔で、和睦を勧めてくるなど現在で言う高等心理戦術であった。彼らの見事な戦いに
感服したモンゴル人はその後、モンゴル帝国を築いた時に、都会のすました感じのくせに仲
が良くなると態度が軟化し、人前で平気で腕を組んでくる女性のことを「都腕麗(つうでれい)」
と呼ぶようになった。なお、現在でも彼らの住まう地が、季節によって、寒い氷原や温かい平原
に変わるツンドラというのはもちろんこの名残である。

民明書房刊「偉大なるかな真(まこと)の亜細亜」より抜粋


111 :世界@名無史さん:05/03/09 21:17:02 0
ツンドラ地帯(積むドラ地帯 転じて ツンドラ地帯)

19世紀ごろの清では、日米欧の進出とともに文化の融合が生まれ、
西洋と東洋のゲームのルールが混合し、ほぼ現在の麻雀が誕生した。
当時の麻雀牌は、骨と竹から作られており、碑の裏側の竹の模様は
微妙に異なり、麻雀の名人はその全ての牌を模様で暗記することができた。
そのため、積み込みも相手の上がり牌を見抜くことなど自由自在で、
弟子には、ドラ牌をまとめて積み込むことを積むドラ地帯とまず教えた。

民明書房刊 『驚異の中国の名人たち』より

112 :世界@名無史さん:05/03/19 22:49:38 0
理科にカン、無理を正さず(りかにかんむりをたださず)

ノーベル賞受賞した田中氏が言ったかもしれない言葉。
誤って試薬を大量に調合してしまったが、もったいないのでそのまま観測したら
ところノーベル賞級の大発明をしたことから。

民明書房刊 『保守強引な展開』より

113 :世界@名無史さん:2005/04/05(火) 13:37:47 0
保守

114 :世界@名無史さん:2005/04/05(火) 19:56:17 0
宿題に字、朝鮮戦争(しゅくだいにじちょうせんせんそう)

反米デモのたかまりに、アメリカが韓国から軍を引き上げ
北が38度線を突破し、民族同士殺し合いをしてくれ
日本の景気も良くなる。

民明書房刊 『試験に出る漢字書き取り問題集』より

115 :世界@名無史さん:2005/04/24(日) 07:43:38 0
DELLの株を買って資産を何百倍にしました。
マンションを家賃を払うのが面倒だから1棟買いました。

民明書房刊 『私の資産は300億 山本一郎著』より


116 :賃個:2005/04/24(日) 20:20:28 0
(γ)
民明書房に書かれたイタズラ書き

117 :世界@名無史さん:2005/04/25(月) 04:17:04 0
 ;-;
 II 
(.)(.)
(γ)
 IL

118 :世界@名無史さん:2005/04/27(水) 21:57:45 0
;//:/::;;:]




119 :世界@名無史さん:2005/05/01(日) 20:08:12 0
・はんたきたな(名)
週刊少年ジャンプの連載マンガ「HUNTER×HUNTER」のスキャンがWinny・ShareなどのP2Pソフト上で流され始めたこと。またそのスキャンが汚い様子。
2chダウソ板のWinny週刊少年ジャンプの住人が作業員に対して待ちきれない様子を間接的に表すときの台詞。木曜日になってもスキャンが流されないとスレッドのほとんどがこの言葉で埋まってしまう。
ハンタ来たな、ハンタ汚、はんちきたな、繁多北菜、はんた北田、半田きたななども同じ意味。

120 :世界@名無史さん:2005/05/10(火) 15:56:27 0
保守

121 :世界@名無史さん:2005/05/16(月) 19:48:54 0
T.O.B.(ティーオービー)

世界最初のゴルフのルールは、18世紀に定められているが、
それ以前に、ローカルールとしてT.O.B.(ティーオービー)があった。
Tee shot がO.B.に入ると負けとなるルールである。ドライバーの飛距離を競い合い
ドライバーだけで遊べて人気があった。貴族でも特に騎士の間で盛んで
ホワイトナイトとかブラックナイトと呼ばれた。特にランカスター家の当主pack
の保守的な戦法はパックマンディフェンスと言われた。

民明書房刊 『雑学の泉』より

122 :中国武術ネタが好きだった:2005/05/21(土) 16:31:33 0
呉起振(ごきふり)

中国・春秋時代。
孫子と並ぶ呉子兵法で名の知られる「呉起」は、
法制改革を断行し、南方の大国・楚を発展させた。
しかし、急速な改革は多くの政敵を生んみ、のち楚王が死に太子が即位すると、
呉起は政敵によって命を狙われるようになる。
逃げ切れぬと悟った呉起は先王の遺体にすがり付いたが、政敵たちは
かまわず王の遺体ごと呉起を射抜いた。このことで彼らは後に新王によって処刑される。

時の人々は、己の死後に敵を抹殺した呉起の粘りを「呉起振(ごきふり)」
と称して恐れかつ称えた。

現在、呉起の粘りにも負けぬ生命力を持つ害虫を指して使われているのは
読者諸賢の知るところである。

123 :世界@名無史さん:2005/05/26(木) 20:00:41 0
倉庫牛暖(そうこうしだん)

第二次大戦時、ドイツ軍の編み出した新戦法クローゼ・コーペン・ヴァームの訳を倉庫牛暖(そうこうしだん)と言う。
当時日本とは潜水艦で情報を交換しており、平家物語がヒントになったともいう。木曽義仲に習い牛を一箇所で集中的に運用すると
英仏連合軍はたちどころに敗れた。特に牛は通れないとされた
アルデンヌの森突破は有名。ロシアの冬将軍に敗れた。
英米軍の場合は、着個牛暖(きこうしだん)と訳す。
ドイツ軍の場合牛を倉庫で暖めたが英米軍は服を個々に着せていた。

民明書房刊 『雑学義経』より

124 :世界@名無史さん:2005/05/28(土) 00:45:52 0
「怒瑠砲/牙津(ぬるほ/がつ)」 

中国は元の時代、国土拡張を目論み周辺諸国への侵略を行っていた。 
なかでも日本を攻めたものを日本では元寇と呼んでいるが、 
その際に使用された艦載兵器が「怒瑠砲」である。 
怒瑠砲は船首に固定された投石器から西瓜大の瑠璃(ガラス)を 
打ち出すもので、その威力たるや凄まじいものであった。 

怒瑠砲を驚異とみた日本側は九州北西部の湾岸に対怒瑠砲用の 
防壁を建設。超大型の槍状のものを海に向けて並べて突き出し、 
怒瑠砲から放たれた瑠璃を未然に海に突き落とすもので、 
その形状が獣の牙のようであったことから「牙津」と名づけられた。 
牙津は絶大な効果を発揮し、元寇が失敗に終わった主因とされている。 

なお、現代にインターネット上で「ぬるぽ」と書き込まれた際に「ガッ」と 
(殴るなどの描写を添えて)返されるのは、この名残りであるのは言うまでもない。 

125 :世界@名無史さん:2005/05/28(土) 00:49:33 0
【マツケンサンバ】 

正式にはマッケンサンバである。 
小説家アーサー・マッケンが魔術結社ゴールデン・ドーンに所属していたことは有名で、その宗教的な儀式に起因する。 
結社を抜けた後、友人のモントゴメリー・エヴァンスに儀式について尋ねられたマッケンは、エヴァンスの前でそれをして見せた。 
それはまるでブエナ・ビスタ・ソシアルクラブのパーカッショニストのごとくノリノリでマラカスを振るという儀式で 
その時にエヴァンスが「まるでサンバだ」と笑いながら言ったことが始まりだとされる。 
そしてそれを「使える!」と判断したマッケンは他の友人にもことあるごとにその儀式を披露した。 
他の友人にもウケは良く、いつしか「マッケン・サンバ」と友人内で喜ばれる宴会芸へと昇華した。 
遠く離れた日本にもそのサンバは知れ渡ることになるが、当時英語力の低かった日本人は 
「アーサー・マッケン」を「朝松健」と勘違いし「マツケン」となってしまったことは意外と知られていない。

126 :世界@名無史さん:2005/05/28(土) 13:37:57 0
【北派 華箕山 万月張】(ほくは かみやま まんげつちゃん)

中国拳法には肉体を鍛え外的な破壊力を追求した「南派」と、体を水と見立て内部からの破壊を目的とした「北派」があることは
賢明な格闘技マニアの読者方ならご存知だろうが、その北派の中でも最強と呼び声が高い拳士に清の時代の「万 月張」
(まん げっちゃん)という者がいた。山東省の華箕山(かみやま)で修行した彼の内頸は、その威力ゆえ喰らった相手が
両手両足を広げ飛びあがったといわれる。また相当のサディストとしても有名で、相手に止めをさす時に
「おまえはどの拳士に打ちのめされたい?」などとつぶやき、そして相手は
「北派 華箕山 万月張!(華箕山出身の北派拳士、万月張にです)」と叫びながら宙に舞ったという。
それ以降「北派華箕山万月張」という言葉は、絶対に敵わない相手への畏怖の言葉を指すようになった。
VIP板などを中心に「どのアニメキャラと○○したい?」といった旨のスレが乱立した際、モナーが飛び上がりながら
「僕は、神山満月ちゃん!」と叫ぶAAが頻繁に見られたが、これが>>1に対する恐怖を表していたことを知るものは少ない。

民明書房刊「おまえらどの男塾生と油風呂入りたい?」より


127 :世界@名無史さん:2005/06/01(水) 07:17:47 0
スレッド位置ageます。

128 :世界@名無史さん:2005/06/03(金) 21:55:02 0
         ∧_∧   ┌────────────
       ◯( ´∀` )◯ < 僕は、神山満月ちゃん!
        \    /  └────────────
       _/ __ \_
      (_/   \_)
           lll


129 :世界@名無史さん:2005/06/08(水) 20:52:37 0
保守

130 :世界@名無史さん:2005/06/10(金) 21:34:19 0
三個の零(さんこのれい)

日本海軍戦闘機零戦の1小隊運用を三個の零(さんこのれい)と言う。
それに対して米軍はサッチウエーブという戦法で、大戦末期圧倒した。

民明書房刊 『戦闘機戦術』より

131 :世界@名無史さん:2005/06/11(土) 22:36:17 0

         ∧_∧   ┌────────────
       ◯( ´∀` )◯ < 僕は、こうやまみづきちゃん!
        \    /  └────────────
       _/ __ \_
      (_/   \_)
           lll


132 :世界@名無史さん:2005/06/14(火) 23:09:50 0
保守

133 :世界@名無史さん:2005/06/17(金) 20:41:28 0
下の席上焼く(しものせきじょうやく)

焼肉屋で接待すること。
接待先に上座についてもらい
煙が行かないように気を使うこと。

民明書房刊 『社会人としてのマナー入門』より

134 :世界@名無史さん:2005/06/20(月) 08:00:17 0
負陰気(ふいんき)

古代中国は春秋時代において、諸子百家と呼ばれる説法家が数多くいたが
その中に、万物を陰と陽で表す陰陽説を唱える鄒衍(すうえん)と言う者がいた。
この鄒衍が治世にあたり、当時仕えていた秦王に進言したのが
「王に対する害や恨み(すなわち陰の気)を王の代わりに受け、これを守る」という
呪術的な役職である。
この役に着いた者は「王の陰気を負う」ことから「負陰気」と呼ばれ、
また任命されてしまうとなぜか死ぬまで任を返還できないことから
人々はこの任に任命されることを恐れたという。
しかし、これらの者が王の害を代わりに受けてくれたおかげで
秦王は何度も刺客などから逃れ、ついには中国全土を統一することができた。
この「負陰気」は中国統一後も歴史の裏で代々受け継がれ、それがやがて日本に伝わり
陰陽師などになったことは意外と知られていない事実である。
なお、現在で掲示板に「ふいんき(←なぜか変換できない)嫁よ。」と書かれていると
恥ずかしい打ち間違いと勘違いされることがあるが、本当は現代日本でこの役に
自分の嫁が任命されてしまったという者が書いた悲しみの慟哭が書かれているのである。

民明書房刊「黒歴史〜平和な世間の知られざる恐怖〜」より

135 :世界@名無史さん:2005/06/24(金) 23:16:09 0
      _,,..:--─‐-=,,._
    ./;;,ィ''"´ ̄`゙゙ヾ;ミミミ;;、
   ./ミミ/゙       ゙:::゙iミミミ:l
   iミミ′:     :  ..::::_;ミミ;ミ;リ
    ヽ,! ゙ .,;;;..''  ''゙゙;;_ ゙:::ヾ;;;;;;/
.    } :'゙::“:゙:. l::'゙.”:゙;.::'':;;゙irく
.    | ヽ .,r ..:::、   ..::::;;;トl;|
    |..  :' ''ー;^''::ヽ. :':::::;;;i::ソ <ホロコーストは支那起源
.    l、 ←‐'‐→、! ..::::;;;l゙´
     ヽ.. `゙゙゙.,゙´ '":::';;;ハ、
    _,,/`i、 -:: -:::'::゙:::;;ツ'::::`;、_
_,...-‐''" | ゙;、 i":;;:::::;,/':::::::::;!::::`::-、.._
     .l゙  ゙ヽ:;,ン'":::::::::::::/::::::::: : -ー `
     l   .,/;l     ,r"
     .ヽ /r;:ヘ、 ,,/;''
      ゙ ''::'`'´ ヽィ::'

136 :よろずこ:2005/06/25(土) 21:20:23 0
>>134
そうだったのか。
重いよ。

でも、がんばるよ。
「ふいんき(←なぜか変換できない)」


っていうか、
単語登録したら。。。。。。。。。。

137 :世界@名無史さん:2005/06/26(日) 09:29:14 O
空気(からけ)の語源教えて下さい

138 :世界@名無史さん:2005/06/26(日) 21:45:21 0
空気嫁(くうきよめ)

俗に「ダッチワイフ(オランダ妻?)」と呼ばれる、男性の性的欲求不満を解消する
抱き人形の中国語訳。古くは南極○号、現在ではラブドールと呼ばれる。

民明書房刊 『可口可楽をはじめとする中国語訳例集』より

139 :世界@名無史さん:2005/06/27(月) 01:36:54 0
カコ

140 :世界@名無史さん:2005/07/01(金) 20:52:49 0
印欧語・中国語などでは、詩歌の修辞法に文の頭で韻を踏む頭韻と
末尾で韻を踏む脚韻があります。日本語ではこれがとても難しかったので
縦読みと言う技法が生まれました。古文の授業で習ったと思う。
伊勢物語の東下り、かきつばたがそれである。また異説ではあるが、いろは歌を
7文字で区切ると末尾に とかなくてしす 咎なくて死んだ 無実の罪をうたう
とも言う。

民明書房刊 『縦読みは伊勢物語からはじまった』より

141 :世界@名無史さん:2005/07/14(木) 17:34:24 O
民明
ってどんな意味なの?

142 :世界@名無史さん:2005/07/14(木) 23:54:15 0
>>141
学問によって民に明かりをもたらす、という願いが込められているそうだ


143 :世界@名無史さん:2005/07/15(金) 06:03:42 0
マジレスすると人名
周 民明
または
大河内 民明

漫画の作者の分身とおもえばよろしい

144 :世界@名無史さん:2005/07/18(月) 10:22:20 O
せんきゅ

あたしゃてっきり私の彼はパイロットかと思いましたよ

145 :世界@名無史さん:2005/07/18(月) 10:49:12 0
同じく、愛は流れるのかと・・・・・

146 :世界@名無史さん:2005/07/18(月) 15:29:55 0
同じく、シャオパイロンのかと…

147 :世界@名無史さん:2005/07/20(水) 06:04:38 0
キューンキューン♪キューンキューン♪

148 :世界@名無史さん:2005/08/02(火) 01:40:48 O
かいしょなし

ってどういう意味でしょうか。ご存じの向きがおいででしたら、ご教授願いたく存じます。

149 :世界@名無史さん :2005/08/02(火) 14:38:00 0
家遺書無(かいしょなし)

家で遺書を書かずに自殺した人を家遺書無(かいしょなし)と言う。
歴史上では、唐の時代のひと政治(せおじゅい)が政治家遺書無
(せおじゅいかいしょなし)として有名。
政敵の民営化(みんえいか)と争い敗れた。

民明書房刊『中国歴史異聞』より

150 :世界@名無史さん:2005/08/09(火) 04:46:53 O
ありがとう☆

151 :世界@名無史さん:2005/08/14(日) 03:11:37 0
(・ω・)ノセンセー
「テンプレ」「荒らし」「人大杉」「あぼーん」「アクセス規制」
「既出」「厨房」「マターリ」「ドキュン」「オマエモナー」
この辺りは民明書房では、どう書かれていますか?

152 :世界@名無史さん:2005/08/14(日) 21:35:17 0
『亞羅子(あらし)』

後漢末期、未成年の美男子を集め、彼等を皇帝への慰め役として派遣する、
そのような商売を糧に生活をする「蛇爾委(じゃにい)」という商人が居た。
蛇爾委の選別眼は非常に優れており、彼と彼によって選ばれた美男子ら「亞羅子(あらし)」は
皇帝の寵愛を一身に受け、蛇爾委一族は未曾有の栄華を誇っていた。
また宮廷内においても亞羅子の人気高く、熱狂的な女官たちは「蛇爾於汰(じゃにおた)」
と呼ばれる亞羅子愛護集団を結成し、亞羅子の擁護を行っていた。

或る時、宮廷内でも権力を擁していた女官「紀玖磨(きくま)」が亞羅子の一人を誘い、
宮廷内で酒を呑ませ、彼を悪酔いさせ、酔った亞羅子の一人が宮廷庭園内で騒ぐという事件が起きた。
事件当時就寝中だった皇帝はこれに激怒し、紀玖磨、亞羅子及び蛇爾委をそれぞれ自宅謹慎させた。
しかしこの処置に対し「蛇爾於汰」は亞羅子への同情、及び彼に呑ませた紀玖磨に対する非難により、
皇帝の寵愛を受けている女官らが皆一斉に亞羅子の謹慎処分をとくよう懇願し、
紀玖磨へはさらに強い処分を行うよう毎日強く訴え、その訴えがあまりにも多く強かったために、
これ以降同じ人に対し、同じ場所において、人の意見を聞かず、
ずっと同じような一方的主張を繰り返す行為自体を「亞羅子」と呼ぶようになった。

現在の中国においても「亞羅子」は非常に嫌悪される言葉であり、
またいつの頃からか中国から日本へこの言葉が伝わり、
日本のインターネット上でも激しく忌み嫌われる行為となっているのは周知のとおりである。

(民明書房刊 「中國と日本の間における言語交流 第二巻後漢期」より)


153 :世界@名無史さん:2005/08/20(土) 20:53:27 0
『茶暗婆 ( ちゃんば ) 』

去勢した男を使役する宦官という制度は、長く続いた中國文明の闇として有名であるが、
その女性版とも言える「茶暗婆」については案外知られていない。
彼女らの仕事はもっぱら茶を入れるといった雑務であり、秘密漏洩を防ぐために両目を潰されていたが、
皇帝への影響力は絶大であった。
権力欲に取り付かれ、皇帝にまとわりつく茶暗婆たち。
それを見た誰もが不快に感じた事は想像に難(かた)くない。
現代日本の蹴球界において、花形選手とその追っかけの様子を
「あいつが走ればチャンバ(茶暗婆)も走る」と揶揄するのは
歴史の闇に葬られた文化が、日本で生きているからに他ならない。

( 民明書房刊 「始皇帝からキャプテン翼まで」 より )


154 :世界@名無史さん:2005/08/22(月) 02:57:01 0
どうせなら東南アジアで攻めてほしかったな、世界史板なんだし

155 :世界@名無史さん:2005/08/28(日) 22:50:09 0
ウプレカス[Uprecus]
(紀元前1世紀前半〜没年不明)

ローマ帝国の思想家。(元軍人の説アリ)
当時帝国により厳重に秘匿されていたあらゆる伝統技術
の開放を訴え、ローマ市街で市民や外国人、奴隷達を煽動して暴動を起こした。
その為に帝国から疎まれ元弟子のコニウプにより毒殺(暴動の罪で処刑、地雷で爆殺説等あり)
されるが、彼の名は後世まで受け継がれ、自由を愛する文化人や思想家などに親しまれ続けた。
インターネット上で同人誌や商業漫画のアップロードを求める際に
「うpれカス」と叫ばれるのは、ウプレカスの名前をもじったものであり
「総ての文化(同人誌の内容)を開放せよ」
と彼の思想を踏まえた上での発言かと思われる。

ttp://cgupload.dyndns.org:8080/~upuser/up/img/1125234813403.jpg

156 :世界@名無史さん:2005/08/30(火) 10:16:31 0
禁網(きんもーっ☆)

遡るは弥生の時代、自己の土地を主張する為に注連縄(しめなわ)で境界線を引いていたが
境界線が不明瞭な場合、互いの一族の代表が綱を引き合い勝った者が領地を広げていくという習慣があった。
その綱引きはまさに一族にとっては死活問題であったため、死にモノ狂いで競い合っていた。
ある者は策を凝らし、またある者は3日間勝負がつかず互いに倒れ臥すという事もあった。

それを知った伊都国の大王はこれ幸いとその争いで疲弊した集落を吸収していった。
その際『綱引きによって民が疲弊せし事まかりならん』と禁網の御触れを出したが、
真実は神社に使われている注連縄を漢達の血・汗・小便で穢れていくのを許せなかったという。

2005年熱犬店従業員が同人誌即売会会場にて漢達がぶわぁぁぁと集まっている光景を見て
交通整理の縄に沿って目を血走らせている姿はまるで弥生時代の禁網のようだと錯覚し、
自己の日記に記録したが、その日記が発覚し皆に叩かれたのはあまりにも有名。


(民明書房刊 「ゆかりの家には鏡が無い」より)

157 :世界@名無史さん:2005/08/31(水) 00:08:18 0
          ,, --──-- 、._
       ,.-''"´           \
     /                ヽ、   
    /     (Φ),   、(Φ)     ヽ
     l    `ー ,,ノ(、_, )ヽ、,,.        l   
    .|  ///   `-=ニ=-.   ///     |   
     l       `ニニ´.           l
    ` 、  /⌒⌒i   /⌒ヽ        /
      `/    |   |    \    /

妖怪まんこ嗅ぎ
もし嗅いだ時、悪臭を放っていたならば?妖怪まんこ嗅ぎが悪臭を全部吸い取って
くれて翌朝にはほのかに薔薇の香りのするアロマまんこになっているという。
このように妖怪まんこ嗅ぎはやさしい一面を持っている。
                 (民明書房刊 「妖怪まんこ嗅ぎ」 より)

158 :世界@名無史さん:2005/08/31(水) 01:07:55 0
名作の予感…!
職人さん乙!

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