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なんでローマは崩壊したのに中国帝国は存続した?

1 :世界@名無史さん:2005/03/29(火) 01:01:58 0
ローマ帝国は蛮族の侵入で崩壊して二度とローマ帝国を告ぐ帝国が成立
しなかったけど、なんで中国は蛮族の侵入で崩壊してもずっと
帝国が継続していったのでしょうか

2 :世界@名無史さん:2005/03/29(火) 01:03:13 0
ローマ帝国も東半分は存続したよ。

3 :世界@名無史さん:2005/03/29(火) 01:26:43 0
ローマはあれだけの文明と文化を誇ったのに東西とも時間差はあれ周辺の
諸民族や蛮族に飲み込まれちゃったね。
逆に中国は侵略されまくりの殺されまくりの人口激減しまくり中原も放棄し
異民族王朝に支配されまくりの・・・
それでも中華文明?は無くなるどころか侵略者達によってかえって拡大され
たのは不思議。

4 :世界@名無史さん:2005/03/29(火) 01:30:53 0
でも中国もなぁ。存続したって言っていいのかなぁ

5 :世界@名無史さん:2005/03/29(火) 01:36:42 0
ローマ帝国は実質「残りかす」である東ローマ帝国として存続した。
中国帝国が誕生したのが前200年で、途絶えたのは1900年。計2100年。
ローマ帝国が前500年に誕生したとすると、滅亡したのが1400年。計1900年。
さして変わらん。

6 :世界@名無史さん:2005/03/29(火) 01:39:42 0
>>5
ハァ?ローマ帝国の東側が残りカスだあ?
ちょっと古代史ナメすぎだろ

7 :世界@名無史さん:2005/03/29(火) 01:44:37 0
つうか中国帝国はずっと中国帝国だったじゃん
けどローマはずっとローマじゃなかった
東ローマとか言うけど、実際はローマであってローマじゃない
ピザンティン帝国でしょ?

8 :世界@名無史さん:2005/03/29(火) 01:46:23 0
>>7
そりゃ条件が違いすぎるわ。

>>6
ローマの文化的中心はどこですか?
まるで猿だな。

9 :世界@名無史さん:2005/03/29(火) 01:48:41 0
だって、イタリア狭いもん

10 :世界@名無史さん:2005/03/29(火) 01:49:09 0
このスレ自体の価値が見出せない。

11 :世界@名無史さん:2005/03/29(火) 01:51:21 0
ローマ皇帝が認知症気味の元老院から距離を置くために
東へ遷都したにすぎない。名実共にローマ帝国。

12 :世界@名無史さん:2005/03/29(火) 01:51:38 0
中華帝国と書くのはなんでだろう。
別にシナ人が世界の中心だと認めてなどいないし。

そもそもシナって統一と分裂の歴史だぞ。
それも分裂するときは100年単位で荒れたりしている。
帝国が存続していても実効支配ができず点と線の支配で
節度使や軍閥や反乱軍が実効支配しているなんてザラ
西域やチベットや半島のように形としては服属している時期も
あるが、実効支配できている時期は数えるほどしかないなんて
事もしょっちゅうあるし

13 :世界@名無史さん:2005/03/29(火) 01:58:08 0
中国の繁栄期ってどれくらい?
漢〜明ぐらいの間ですか?かなり長い。
エジプト・メソポタミアも2000年程度。ギリシャもそんくらい。
欧州は1000年ぐらい。
だとすると日本がアジアでトップに立ったのは江戸時代頃とすると、
繁栄はこれからと言う事になる。

14 :世界@名無史さん:2005/03/29(火) 01:59:00 0
始皇帝以来、中国は基本的に中央集権体制を維持していて地元豪族の
反発には終始悩まされながらも日本の武家政治よりは、はるかに強い
直轄支配が及んでいたと思いますが・・・
西域とかは辺境だし。
王朝交代のたびに独立勢力割拠→徹底鎮圧→直轄統治のコンボはお約束
だったかと。


15 :世界@名無史さん:2005/03/29(火) 02:05:58 0
>>8
明らかに東側だろ。
イタリアなんてギリシアの模倣をしただけ。
地中海の文化の中心は古代からルネサンス頃までずっと東側だ

16 :世界@名無史さん:2005/03/29(火) 02:07:59 0
>>13
統一国家→国権の衰退・簒奪→分裂→乱世→統一国家の繰り返しだよ

漢から髄まで何百年も戦乱の嵐だったし隋も崩壊して唐になるも
貞観の治ぐらいで唐も盛唐の時期なんて非常に短いよ。
節度使が暴れて五代十国になり、遼・金・モンゴルときて
そのモンゴルも80年で北帰し、明になるが、これが秘密警察と
宦官支配ーそして清の誕生となるわけだが。
清末になると列強やら太平天国やらでひどい事に・・・・

17 :ぢゅらさん:2005/03/29(火) 02:42:39 0
>>1
中華帝国は割と早い時代に皇帝制・官僚制度・イデオロギー(儒教)の三位一体が確立していたからでしょうね。
たとえ蛮族が侵入しても、儒教的教養を備えた文武百官がそいつを「天命を受けた天子」として推戴し、封禅その他然るべき儀礼を執り行えば、
そいつはもう中華帝国の天子で、歴史は彼を「高祖○○」とか「太祖○○」と書く。これで立派な中華帝国の継承者の出来上がり。

ローマ帝国も滅ぶ前にこういう装置を完成させていたら……と書いて気がついたが、東ローマ帝国(ビザンチン)はこういう感じのシステムが
出来上がっていたのでは。だからこそ千年ぐらい続いたわけで。

18 :世界@名無史さん:2005/03/29(火) 07:50:04 0
ハイハイクマクマ。
リア工はすっこんでな。

19 :世界@名無史さん:2005/03/29(火) 11:09:03 0
>>17
中国の場合、ローマ帝国におけるキリスト教やイスラームにあたるものが
存在しなかったからでは?

20 :世界@名無史さん:2005/03/29(火) 11:10:53 0
なんかコヴァ本をコピーしたような文章が目に付くな。

21 :世界@名無史さん:2005/03/29(火) 11:34:53 0
>>19
中国の場合、ローマ帝国におけるキリスト教やイスラームにあたるものが
儒教なのでしょう。

22 :世界@名無史さん:2005/03/29(火) 13:25:24 0

中国が帝国を維持できたのは帝国が出来やすい地理的な条件だったから。
黄河と長江という巨大な大河が南北に存在する
あとは北方遊牧民の圧力や侵略によって小国家が生き残るには無理があった。

ローマ帝国だと、一度分裂が始まれば、海あり山あり森ありで統一するのが難しい。
帝国を維持するには難しい地理的条件だったとおもう。

だから中国は統一され続け、ローマ帝国は分裂した。


23 :世界@名無史さん:2005/03/29(火) 13:57:56 0
中国に関しては
ttp://homepage3.nifty.com/ryuota/china.html
これとか参考になるんでは

24 :世界@名無史さん:2005/03/29(火) 16:36:04 0
>>22
まあな。
北方民族の存在が無かったら中国は小国が並立した国になっていたとも言われる。
団結する必要が無いから。

25 :世界@名無史さん:2005/03/30(水) 01:45:03 0
>>24
帝国の成立要因として北方遊牧民の影響はもう少し考慮されてもいいと思う。
大河や漢字は言われても北方遊牧民の影響を述べた文献はあまり見ない。

ヨーロッパのように弱小国が長期にわたって独立していける余地が中国ではなかった。

国が小さければ征服され、統一される。清や元や金など。
逆に北方民族に対抗しようとすれば帝国化する。漢や唐や宋や明など。


26 :世界@名無史さん:2005/03/30(水) 01:55:17 0
むしろ地中海帝国はなぜ再現されなかったのか?

27 :世界@名無史さん:2005/03/30(水) 01:58:13 0
国境線長杉

28 :世界@名無史さん:2005/03/30(水) 02:29:36 0
広大な領土の維持に必要なコストを考慮すると地球海帝国の再現は
無理でしょう。
ローマの時代はローマから見て「文明化」されていない蛮地が多く
自己領域化に伴うコストも比較的廉価でありましたが、時代が下ると
ローマ帝国ですら諸民族の圧力を受けて瓦解の道をあゆんだ事を
考慮すると再現は不可能だったのですね。

29 :世界@名無史さん:2005/03/30(水) 02:32:29 0
地中海帝国が続いていたらイスラムとキリストの対立もなかったかも

30 :世界@名無史さん:2005/03/30(水) 02:43:13 0
>>26
オスマン帝国はかなりいい線まで行ったと思う。
最盛期には西欧を除く旧ローマ帝国の領土をほとんど支配していた。

古代末期に、西欧(カトリック教会圏)、東欧(東方正教会圏)、
中近東・北アフリカ(イスラーム圏)に分かれてから、それぞれ
独自の文明になったということでしょう。

31 :世界@名無史さん:2005/03/30(水) 02:52:44 0
中国では一神教が普及しなかったってのが大きいんじゃないかな?
地中海諸国は一神教国ばかりで修復の仕様がなくなった。

32 :世界@名無史さん:2005/03/30(水) 02:53:12 0
ローマ帝国の後継者はどの文明か?とよく言われるけど、
ペルシア帝国の後継者はどの文明なんでせうか?

33 :世界@名無史さん:2005/03/30(水) 02:54:47 0
今のイランはキュロス大王を評価してないんだよね

34 :世界@名無史さん:2005/03/30(水) 02:55:06 0
むしろさ。ローマ帝国の中でも西欧の部分はさして重要じゃなかったんだから
オスマン帝国は地中海帝国を再現したといっていいんじゃないかな。
肝心なイタリア半島は領有してないが・・

35 :世界@名無史さん:2005/03/30(水) 02:57:21 0
イタリア半島の領有という視点で言ったら
ユスティニアヌス帝時代のビザンツが一番有力かな

36 :世界@名無史さん:2005/03/30(水) 03:52:13 0
ローマ文明の本質って何?
寛容さ?開放性?でもそれならペルシア帝国にも当て嵌まる品。

37 :世界@名無史さん:2005/03/30(水) 05:08:26 O
バタ臭さ


38 :世界@名無史さん:2005/03/30(水) 13:28:46 0
ローマと中国を比べる意味がわからん。

39 :世界@名無史さん:2005/03/30(水) 13:40:51 0
>>35
いつからがビザンティン帝国でいつまでがローマ帝国かって議論もあるけど
ユスティニアヌスの時代ってビザンティンなのかな・・・?

>>36
基本的には市民権力?なのでは。少なくても後代のビザンティン帝国が
「デーモス」(市民)と言う名の役人を雇ってまで「ローマ皇帝は市民の歓呼によって即位する」
と言う建前を維持しようとした事とか考えると・・・・まあ素人の勝手な空想ですが。

もっともアルサケス朝パルティアも法令その他の布告を劇場で民衆へ向けて
行ってたりするからオリエント〜ローマあたりに一般的な要素だったのかもしれませんけど。

40 :世界@名無史さん:2005/03/30(水) 13:46:27 0
インド(南アジア)も、異民族に侵入されたけどカースト制度&ヒンドゥー
は多数派のまま。

41 :世界@名無史さん:2005/03/30(水) 14:09:49 0
カール大帝のフランク王国が、まあ南北朝の北魏みたいな位置にいたでしょ。
カール大帝の子孫が、国土を分割相続などしないで、そのままイタリア統一、
ビザンツ征服といけば・・・
・・・封建制を採ってる以上、東まで統一してもいずれ分裂するか、史実の
神聖ローマ帝国みたいに、いるだけの皇帝になっちまいそうだな。

42 :世界@名無史さん:2005/03/30(水) 18:37:05 0
東ローマ(ビザンツ)帝国だって、オスマン帝国が存在しなければ、近代まで
生き延びたかもしれない。
中国の場合、オスマン帝国に相当するものが無かったからでは?

43 :世界@名無史さん:2005/03/30(水) 18:48:58 0
一神教が分裂を招いたとは思えない。
西欧はキリスト教だったが、統一されたことはローマ帝国崩壊後は一度もない。
イスラムもオスマン帝国でさえモロッコを支配できなかった。
逆にオスマン帝国は異教徒のバルカン半島の長期支配に成功している。

文明が発達した後のローマ帝国は維持するには地形が複雑で長大すぎて無理だったのだろう。

44 :世界@名無史さん:2005/03/30(水) 19:15:30 0
そもそも中華帝国なんて存在しないわけだが。。。

45 :世界@名無史さん:2005/03/30(水) 22:22:41 0
中国にいくつもの帝国は存在したが。

46 :世界@名無史さん:2005/03/30(水) 22:28:36 0
シナはいくつもの国が興亡しているわけだが…

47 :世界@名無史さん:2005/03/30(水) 22:36:08 0
>>46
「国」ではなくて「王朝」では?


48 :世界@名無史さん:2005/03/30(水) 23:01:27 0
清なんかは中華帝国の部分も含んだもっと大きい帝国じゃないの。

49 :世界@名無史さん:2005/03/30(水) 23:12:29 0
ローマって今のイタリアじゃないの?

50 :世界@名無史さん:2005/03/31(木) 00:23:55 0
ローマ帝国、続いてんじゃん。
三つも。
一つは、EU。位置的、精神的に一番合致する。
二つめは、アメリカ合衆国。政治制度はローマ帝国そのもの。
三つ目は、ロシア。連続性からいうと、一番合致している。


51 :世界@名無史さん:2005/03/31(木) 00:25:00 0
発祥の地がね

52 :世界@名無史さん:2005/03/31(木) 00:37:46 0
>>48
清なんか典型的な中華帝国だ。
中華というのは民族を指す言葉ではない。
文明を指す言葉だ。

53 :世界@名無史さん:2005/03/31(木) 00:55:52 0
元や清は中華なのに
フランク王国はローマじゃないの?

54 :世界@名無史さん:2005/03/31(木) 01:04:12 O
自称ならナチスドイツもローマ帝国かな?
神聖ローマ→プロイセン→ナチスで第三帝国だから

55 :世界@名無史さん:2005/03/31(木) 01:48:36 0
隋唐になると、ローマにゲルマン人がやってきて、フランク王国から、
カロリングルネッサンスみたいなところがあるよね。唐の皇帝は、
漢人ではないわけだし。

56 :世界@名無史さん:2005/03/31(木) 03:41:00 0
皇帝は天帝から地上を仮託されているに過ぎないからだ。

57 :世界@名無史さん:2005/03/31(木) 12:24:20 0
ローマ文明の後継者は、西欧・東方正教会圏・イスラーム圏のうち
どれだと思う?


58 :世界@名無史さん:2005/03/31(木) 12:33:47 0
>>54
第三帝国は自称じゃなくて他称だぞ。

59 :世界@名無史さん:2005/03/31(木) 12:56:28 0
>>57
東方正教会。

60 :世界@名無史さん:2005/03/31(木) 13:12:09 0
ナチスも蔑称。
もとは国家社会党と呼ばれていた。

61 :世界@名無史さん:2005/03/31(木) 13:36:37 0
中国帝国
なんだこりゃ?どこの次元に存在すんだ?

62 :世界@名無史さん:2005/03/31(木) 20:20:56 0
つーか、中国で一神教が根付かなかった(多数派にならなかった)のは
なぜなんだろう?


63 :世界@名無史さん:2005/03/31(木) 20:44:59 0
一神教の伝来自体がなかったためでは?
唐のときの景教が最初?組織として脆弱でシナの伝統を突き崩すことはできなかっただろう。
イスラムはどうかな。戒律が厳格過ぎて中国人には受け入れられにくいかもしれない。

64 :世界@名無史さん:2005/03/31(木) 20:51:59 0
中国は春秋戦国時代には創世神話が失われた特殊な文化圏で、
神の存在自体を信じることができなかったのではないか?

65 :世界@名無史さん:2005/03/31(木) 21:27:43 0
中国の北方民族と漢人の人口差、
ヨーロッパのローマ人対ゲルマン人その他の人口比ってどんなもんだろ。

何回も北方民族が漢人の地域に入って来たのに今も漢人だらけなのは、
漢人の住む地域がまとまりやすい地理的な条件のせいかな。

ヨーロッパだとローマ人がイタリア人、フランス人、スペイン人、ルーマニア人
その他になっちゃって同じ民族って自覚を持たなくなったのは、
互いにアクセスが難しくてどこも中心的な地域になれなかったからか。

66 :世界@名無史さん:2005/03/31(木) 21:38:06 0
>>65
中世のヨーロッパは、今では考えられないほど森林に覆われていて、
その中に荘園がポツンポツンと点在していた。
五胡十六国や元代の中国だと、森林もかなり伐採されていたのでは?

67 :世界@名無史さん:2005/03/31(木) 23:52:27 0
ローマがヨーロッパの帝国だと思っているやつがいるようだが
ローマ時代のヨーロッパの地域はあくまでオマケだぞ。
ローマの中核地域は首都圏のイタリア半島を西端として主に東方だったということを忘れないように。

68 :世界@名無史さん:2005/03/31(木) 23:53:49 0
食料生産事情もあったのでは?
中世で米と小麦の同面積あたりの生産量は30倍の開きがあったとか。
昔のヨーロッパの領主は食料を求めて本拠地を移動していたらしい。

69 :世界@名無史さん:2005/04/01(金) 00:05:00 0
華北は麦だ。

70 :世界@名無史さん:皇紀2665/04/01(金) 00:32:52 0
>>67
ローマ時代の文明の中心地はローマとアレキサンドリアとコンスタンティノープルかな。

71 :世界@名無史さん:エジプト暦2329/04/01(金) 00:50:21 0
>>1
せめて中華帝国と呼んでくれよ。

72 :世界@名無史さん:エジプト暦2329/04/01(金) 00:54:57 0
>>70
まあエイプリルフールですので。

73 :世界@名無史さん:エジプト暦2329/04/01(金) 08:29:22 0
高祖劉邦が匈奴との戦に倒れ、漢朝滅亡。中原は秦以前の小国分立状態に
戻り、再統一される事がないまま近世に至る。一方遊牧民族の西遷が起き
なかったため、ローマ帝国は存続し続け……というIfはどうでしょう。
いやそういう設定の小説があるのですがね。


74 :世界@名無史さん:エジプト暦2329/04/01(金) 13:27:21 0
遊牧民族の移動が起きなくてもローマは近いうちに滅んでたって。


75 :世界@名無史さん:エジプト暦2329/04/01(金) 14:52:25 0
西ローマ帝国の場合、ゲルマン人が新しい要素を持ち込んだが、
ビザンツ帝国の場合、周辺の異民族はこれといった新しい要素を
持ち込んでいない気がする。ビザンツ文明に同化されてしまった。

76 :世界@名無史さん:エジプト暦2329/04/01(金) 16:38:30 0
ただ単に西ローマが征服されただけだろ

ゲルマンが独創的な文化だから影響力があり、

ゲルマン風になったとか主張するのはやめてくれ

77 :世界@名無史さん:エジプト暦2329/04/01(金) 17:34:16 0
>>76
>ゲルマンが独創的な文化だから影響力があり

いやそんなことは思っていない、ただ現代のギリシアにスラヴ文化の
影響というのはどのくらいあるのか、と思ったんで。

78 :世界@名無史さん:エジプト暦2329/04/01(金) 18:18:45 0
>>62
先祖崇拝と、皇帝崇拝(現人神信仰)とがあるから。

79 :世界@名無史さん:エジプト暦2329/04/01(金) 19:32:10 0
現在のギリシア人は混血進みすぎてDNAがスラブなんじゃないか?

80 :世界@名無史さん:エジプト暦2329/04/01(金) 20:33:32 0
>>73
中国の小国分立はありえないって。
いつかは巨大な北方遊牧民に征服されるでしょ。
ヨーロッパが小国分立可能だったのは遊牧民のような外圧が少なかったから。
ロシアだってモンゴルに対抗するために帝国化した。
イランもインドも遊牧民の侵略を受けやすい地域に小国分立はありえないよ。

81 :世界@名無史さん:エジプト暦2329/04/02(土) 00:00:29 0
そういや秦が中国を始めて統一した時期って遊牧民族の侵入が激しくなった時期だっけな。

82 :世界@名無史さん:エジプト暦2329/04/02(土) 01:15:46 0
このスレを読んでるとビザンツ帝国というのはすごい国だと思えてきた。
西欧とイスラーム、両方に攻撃されながらあそこまで持ちこたえるとは…

83 :世界@名無史さん:エジプト暦2329/04/02(土) 01:33:28 0
単純に野蛮なゲルマン人やアヴァール人に攻城技術がなかっただけとも言う。

84 :世界@名無史さん:エジプト暦2329/04/02(土) 01:35:32 0
>>82
でも、ローマ人の国ってゆうより、ギリシア系の国だよなぁ。

85 :世界@名無史さん:エジプト暦2329/04/02(土) 01:36:45 0
>>83
孫子の兵法では城は攻めるなと語っておるぞ

86 :世界@名無史さん:エジプト暦2329/04/02(土) 01:40:51 0
>>85
城を攻めなられなかったからそこだけ残ったわけだが

87 :世界@名無史さん:エジプト暦2329/04/02(土) 01:41:57 0
被害や費用のかさむ城攻撃をしなくても戦いに勝つ方法はいくらでもあるってことさ!

88 :世界@名無史さん:エジプト暦2329/04/02(土) 01:58:40 0
しかし、中華帝国って一口でいうけど秦漢の後でのまともな統一王朝って
漢族系だと北宋と明くらいじゃないか?
ローマ滅んだっていっても西の辺境の話で西ヨーロッパ人の意見だしね。
隋唐、元清とかOKなら、東ローマ、ハプスブルク帝国、ロシア帝国オスマン
帝国あたりがローマの後継者ともいえなくはないね。後者3つはちょうど清と
同じくらいだし、滅んだの。

89 :世界@名無史さん:エジプト暦2329年,2005/04/02(土) 16:05:08 0
中国の文化に染まったら皆中国人だろ?
中華の全ての王朝が途中から漢化してるんだから良し。

90 :世界@名無史さん:エジプト暦2329年,2005/04/02(土) 16:54:03 0
ローマ帝国ってイタリアでしょ?
神聖ローマ帝国ってドイツでしょ?

91 :世界@名無史さん:エジプト暦2329年,2005/04/02(土) 17:06:49 0
>>89

でも東アジアだと文明っていうと中華一択じゃん。

地中海だとラテンキリスト文明(これがローマを代表するかはともかく)
ビザンツ文明、アラビア文明あたりがあるじゃん。でオスマン朝あたりは
十分清あたりと比較できると思う。

あー、つまりそんな言う程状況が違わんのじゃないか?と俺はおもうんよ。

>>90
ローマ帝国はイタリア発祥だけど時が下るにつれて他の地域の影響力が強く
なっていくので一概にはいえん。

神聖ローマ帝国は、「ドイツ人の」とかいう意味不明な形容が中世からつくな。
まあ神聖とかいうのもあとづけだし。「神聖でもローマ的でも帝国的でもない」とか
いわれた変な国。

92 :世界@名無史さん:エジプト暦2329年,2005/04/02(土) 17:20:23 0
>>89
元朝は漢化してないだろ。
漢化してたら漠北に帰ることはできん。

93 :世界@名無史さん:エジプト暦2329年,2005/04/02(土) 18:49:56 0
ロシア帝国は文化的継続性がないから違うと思う。
東方正教以外に類似性もない。
政治制度的に見れば、モンゴル帝国の後継者だな。


94 :世界@名無史さん:エジプト暦2329年,2005/04/02(土) 18:54:18 0
>>93
「モスクワ 第三のローマ」で検索!

95 :世界@名無史さん:エジプト暦2329年,2005/04/02(土) 18:59:06 0
>>94
そりゃ自称だろ。
まがりなりにも教皇から戴冠している神聖ローマ帝国より弱い。

96 :世界@名無史さん:エジプト暦2329年,2005/04/02(土) 18:59:50 0
>>62
契約という概念が受け入れられなかった、と愚考。

97 :世界@名無史さん:エジプト暦2329年,2005/04/02(土) 19:01:36 0
教皇からの戴冠がローマ的かといわれるとそれもまた

98 :世界@名無史さん:エジプト暦2329年,2005/04/02(土) 19:13:10 0
露助が偉大な東ローマ帝国の後継者を自称するなんてゾッとする。

ギリシア人皇帝にしてみればバルバロイ以上にバルバロイだ。

99 :世界@名無史さん:エジプト暦2329年,2005/04/02(土) 19:13:29 0
>>1 
日本がいたからだ!
あと自主性のない誇りばっかり大事にする国民性を
守り続けてたからだ!
ちょっと政治がんばったらすぐ神になれんだよ
だから英雄が多いの チュんごくは

100 :世界@名無史さん:エジプト暦2329年,2005/04/02(土) 19:25:52 0
でもたしかビザンツの皇帝の娘がロシアに戸嫁いでたんじゃないっけ?
文字もギリシアアルファベット系だし。イギリス人やドイツ人がローマの
後裔自称するくらいにはOKなんやない?

101 :世界@名無史さん:エジプト暦2329年,2005/04/02(土) 19:28:58 0
ロシアは寒くてくらいから認めん。

102 :世界@名無史さん:エジプト暦2329年,2005/04/02(土) 19:34:26 0
ローマ式の皇帝の正統性には血統はあまり関係ないからなぁ。

103 :世界@名無史さん:エジプト暦2329年,2005/04/02(土) 20:06:59 0
>>102
そうなの?ロマノフ家は選挙で選ばれたが、以後はロマノフ家から
ツァーリがでているんではないの?ちがったらごめん

104 :世界@名無史さん:エジプト暦2329年,2005/04/02(土) 20:09:31 0
>>98
落ちぶれた結果があれじゃないの?

105 :朱由檢:エジプト暦2329年,2005/04/02(土) 20:54:16 0
オスマン帝国もハレムにビザンツ皇女をいれてたよね。

でもさ、伝統的な制度や思想や文化を継承して初めて国家として存続
してると言えるんじゃないの?
中国も伝統的な中華思想や中華文化の継続性をもって存続していると
私たちは認識しているわけだし。
それに対してロシア帝国は当時のイタリアやドイツのようにローマ=
カトリック教会にヘゲモニーを握られたくない一心でオーソドックス
を利用したような気がする。

106 :世界@名無史さん:エジプト暦2329年,2005/04/03(日) 00:13:28 0
中国の場合は行政機構の仕組みとかもあんまり変化してないしね。
郡県制の基本は清代まで維持されるし。
同じ場所にあって同じような制度で言葉もあんまり変わらず、王朝名
もずっと似たような名前。
むしろあの変化の無さは一体・・・?


107 :世界@名無史さん:エジプト暦2329年,2005/04/03(日) 00:25:10 0
中華思想おそるべし。

108 :世界@名無史さん:エジプト暦2329年,2005/04/03(日) 00:59:33 0
>>106
変化しないことが良しとされていたからでは?


109 :世界@名無史さん:エジプト暦2329年,2005/04/03(日) 01:35:35 0
日本も律令機関が明治太政官時代まで存在した。
実権が院や幕府に移ったのも、内閣や軍機処が新設されて実権が移されたようなもんだし。

110 :世界@名無史さん:エジプト暦2329年,2005/04/03(日) 01:52:16 0
>>109
あははは、君臨すれども統治せずが徹底してるから。

無関心に見えようが生き残ったもの勝ちかな?
生き残りのプロフェショナル。

でも、嫌いじゃないな。

111 :世界@名無史さん:エジプト暦2329年,2005/04/03(日) 02:07:52 0
中国の話しようぜ!

やはり儒教の現状維持に死力を尽くすという
秩序の論理が効いたからではない?それより不思議なのは、
中華帝国が滅んだことの方。まあ、原因は明代以後
目だって発展しなかったからだけど。
宋代以前と明代以後が極端に「違う」んだよなぁ。
やっぱ鄭和の大航海を否定したあたりからか。

112 :世界@名無史さん:エジプト暦2329年,2005/04/03(日) 10:53:14 0
ローマも中国も異民族の侵攻を受けたのは同じだよね。
ローマは異民族に占領された地域はローマでは無くなっていった。
でも中国は異民族に占領され人口でも異民族が上回ったケース(五湖とか)
でも侵攻側は中国化しちゃうんだよね。
そもそも周も秦も中原に攻めて来た異民族なのに、自分達こそ中華民族で
ございという顔して居座ったしね。

113 :世界@名無史さん:エジプト暦2329年,2005/04/03(日) 12:22:36 0
>>111
万暦ルネサンスと清代の隆盛をナメとんのか。
ちゃんと唐じゃなくて宋を評価してるようだから
まだ分かってるらしいが。

114 :世界@名無史さん:エジプト暦2329年,2005/04/03(日) 12:43:20 0
>>112
同化力は中国のほうが一枚上手だったってことかな。
中国はすでに「中原を制覇した民族=中国」という次元まで行き着いていたが、
ローマはそこまではかろうじていかなかったんだね

115 :世界@名無史さん:エジプト暦2329年,2005/04/03(日) 12:50:34 0
ローマ領内に侵入したゲルマン人はラテンに同化してるんだが・・・

116 :114:エジプト暦2329年,2005/04/03(日) 12:53:24 0
>>115
いやまあローマの同化力も十分すごいとは重々承知しているが。

117 :世界@名無史さん:エジプト暦2329年,2005/04/03(日) 12:57:06 0
国民主義が台頭するまで「欧州キリスト教世界=ローマ」という観念は存在したと思うが。
ただ統一権力が現れなかっただけ。

118 :世界@名無史さん:エジプト暦2329年,2005/04/03(日) 13:10:03 0
>>115
両者の婚姻などは禁止されていたぞ。

119 :世界@名無史さん:エジプト暦2329年,2005/04/03(日) 13:21:47 0
>115-116
でもローマの領域の連中はだんだん自分はローマ人っていう自覚をなくしていった。
中国人はしつこいぐらい中国人なのに。

120 :世界@名無史さん:エジプト暦2329年,2005/04/03(日) 13:22:34 0
地形の問題も大きそう。

121 :世界@名無史さん:エジプト暦2329年,2005/04/03(日) 13:37:52 0
中国も何度も王朝交代が起きているわけであり、ローマは滅んだが中華帝国は存続したとはどういう意味かよくわからんが
ただ。地政学的に見て、東アジアでは中国は圧倒的に優位な環境にある。
巨大な王朝が出現するには、やはり地政学的な条件が必要ですからね。
現実に東南アジアでは世界帝国と言えるだけの強大な帝国は出現したことがない。
それが中華帝国を東アジアでは常に優位な立場に起こせた最大の理由だろう。

122 :世界@名無史さん:エジプト暦2329年,2005/04/03(日) 13:51:13 0
ラテン人と漢民族では分母が圧倒的に違うと思われる。
漢民族は周辺異民族全部足した数より多いだろうが
ラテン人はそれに比べると少ないのではなかろうか。

123 :世界@名無史さん:エジプト暦2329年,2005/04/03(日) 14:01:11 0
ローマの成立自体が、オリエントの圧倒的な文化が流れてきた
吹き溜まりとして起きたものだったでしょ。
オリエントの優越が続きつづけたから、ローマ人は
文化の主宰者としての格を最後まで、全く持てなかった。
それが結局滅ぼされてしまった理由じゃないかな。

124 :世界@名無史さん:エジプト暦2329年,2005/04/03(日) 14:05:54 0
>>122
中国の歴史書は民族的な特徴というのをほとんど書かないのだよね
西欧では熱心に書かれているが。
これは中国ではその当時から雑多な人種の塊で、異民族と言われても人種的な特徴は統一された民族ではなかったのだろう

125 :世界@名無史さん:エジプト暦2329年,2005/04/03(日) 14:18:36 0
>>122
でもローマ人も数千万人の規模だったからな
ローマ末期では帝国民のほぼ全員が自分はローマ人だという意識を持っていた
侵入する十数万人規模のゲルマン人はほとんど同化吸収されてしまった

126 :世界@名無史さん:エジプト暦2329年,2005/04/03(日) 16:08:08 0
ある時期以降は圧倒的な人口になったね>>漢族
でも五湖とかは人口で負けてた筈なんだけど、そこが不思議。
あと対抗勢力はいくらでもいたでしょ、何度も中央〜西アジアには大帝国
が建設されたし、モンゴル帝国の侵攻も真っ先に受けたし。

127 :世界@名無史さん:エジプト暦2329年,2005/04/03(日) 18:38:55 0
北京官話と広東語、福建語、呉語はイタリア語、フランス語、スペイン語くらい差がある。
国民主義の発生以前はラテン語が漢文のように統一教養語だったし。
文化的な「強さ」という意味では西欧も中華も変わらないんじゃないかな。

128 :世界@名無史さん:エジプト暦2329年,2005/04/03(日) 18:41:29 0
>>125
>>126
清朝時代には支配階級であったはずの満州族が漢民族にほぼ吸収されている。
侵略民族が被侵略民族に比べて文化的に劣る場合は、侵略民族の方が優勢な被侵略民族に吸収されるのは歴史的によくあることだ

129 :世界@名無史さん:エジプト暦2329年,2005/04/03(日) 18:46:19 0
孫文によると、文化的に劣るっていうのもあるかもしれんが
圧倒的に漢民族の数が多かったから逆に九州できたらしい。

130 :世界@名無史さん:エジプト暦2329年,2005/04/03(日) 18:48:29 0
元朝は大筋において文化的に吸収される方向には進まなかったが。
たまに漢文化かぶれの皇帝が出た程度。

131 :世界@名無史さん:エジプト暦2329年,2005/04/03(日) 18:58:47 0
>>130
だから叩き出された。

132 :世界@名無史さん:エジプト暦2329年,2005/04/03(日) 18:59:42 0
>>125
しかし最早ローマ人でもローマ帝国でもないという皮肉。

133 :朱由檢:エジプト暦2329年,2005/04/03(日) 19:03:46 0
元だけは歴代王朝の中で確実に浮いてる

134 :世界@名無史さん:エジプト暦2329年,2005/04/03(日) 19:08:01 0
だからこそモンゴル人は別格なんだな

135 :世界@名無史さん:エジプト暦2329年,2005/04/03(日) 19:08:07 0
>>131
清朝も滅満興漢のスローガンで潰されたんだから、
異民族ならいずれ漢文化に馴染んでいようがいまいが排斥されたのは一緒だろ。
中国人に清室を立憲君主として担ぐ賢明さがあれば軍閥政権に瓦解することはなかったのにねぇ。


136 :世界@名無史さん:エジプト暦2329年,2005/04/03(日) 19:13:27 0
>>135
清朝は滅満興漢のスローガンで潰されたのではない。
太平天国は失敗したし、孫文は独力での革命は全く不可能だった。
あれは自壊、内部から倒れたもの。

137 :世界@名無史さん:エジプト暦2329年,2005/04/03(日) 19:16:28 0
吸収された異民族は悲惨だな。
北魏の六鎮の乱なんかみてるとそう思う。
お偉方はみんな漢服を着て文明人気取り。
内実、漢人に馬鹿にされるの心底恐れて必死に漢字のお勉強。
下っ端のはいつまでたっても待遇は変わらず、辺境の守備をさせられ、
征服したはずの漢人に馬鹿にされ、嫁も来ないような状態。


138 :朱由檢:エジプト暦2329年,2005/04/03(日) 19:29:34 0
>>137 賛成

漢人に馬鹿にされないように伝統を頑なに守り続けた結果、
清朝は文化的ダイナミズムを失ってしまい
新しいことを何も取り入れない
後進国としての地位を確立したように思えます。

139 :世界@名無史さん:エジプト暦2329年,2005/04/03(日) 19:45:07 0
ゲルマン人もキリスト教化したわけだが、ローマに吸収されていない。
そもそもローマがオリエントに吸収されたようですw

140 :世界@名無史さん:エジプト暦2329年,2005/04/03(日) 19:47:43 0
されてないのもいるけど大分吸収されただろゲルマン人

141 :世界@名無史さん:エジプト暦2329年,2005/04/03(日) 19:50:44 0
中華は吸収して、ローマは吸収されたってことじゃね?

142 :世界@名無史さん:エジプト暦2329年,2005/04/03(日) 20:02:24 0
ゲルマンはプロテスタントだべ

143 :世界@名無史さん:エジプト暦2329年,2005/04/03(日) 20:08:26 0
>>119
中国人が中国人としての自覚を持ったのは日清戦争以降のような。

144 :世界@名無史さん:エジプト暦2329年,2005/04/03(日) 20:12:24 0
>>139
ゲルマニアのゲルマン人は同化されなかったし
ローマ領内に侵攻したゲルマン人は同化された。
モンゴリアのモンゴル人が漢化されてないと言うのと一緒だ。

145 :世界@名無史さん:エジプト暦2329年,2005/04/03(日) 20:55:25 0
>>143
国民国家という考え方の点ではね。
日本だって御一新あたりまで日本人だと認識していた人は少ない。

146 :世界@名無史さん:エジプト暦2329年,2005/04/03(日) 21:24:51 0
>>145
つか、いつから日本なの?

147 :世界@名無史さん:エジプト暦2329年,2005/04/03(日) 21:50:48 0
元朝を「中華帝国」と呼ぶのは
(メフメト二世やスレイマン大帝がローマ皇帝を称したからといって)
オスマン帝国を「ローマ帝国」と呼ぶのと同じくらい無理があると思う。


148 :世界@名無史さん:エジプト暦2329年,2005/04/03(日) 22:13:05 0
逆に、元朝以後中華帝国の変質、という考え方もできなくない。
明朝も、清朝も元朝の権威を引き継いだ、と考えることができるわけで。
明朝の皇帝も対外的にはダイミン=カァンを称していたという記録もある。
それに、清朝は元朝の玉爾を受けたことが権威を主張する根拠になっているし……

149 :世界@名無史さん:エジプト暦2329年,2005/04/03(日) 23:27:33 0
地政学的っいうのは結果論じゃないのかな
地理なんて関係ないって
例えばイメージ的に中国人の人々がヨーロッパ大陸にいて
ローマ人・ゲルマン人が中国大陸にいたら、絶対同じ結果になって
ないと思うよw

150 :世界@名無史さん:エジプト暦2329年,2005/04/04(月) 00:20:28 0
いや地中海沿岸からヨーロッパと中国じゃ地形が違いすぎるだろ。
中国の対抗馬となる遊牧民とかはいても文明はなかったし。

151 :Ryuju ◆RlujhF6VrA :エジプト暦2329年,2005/04/04(月) 00:21:31 0
このスレではゲルマン人だけ注目されてるけど、ローマの場合には
東方のパルティアやペルシア(更にその周辺の小王国)にも
注意しなければならなかった。つまり常に二正面作戦を強いられてきた。
これで国力が疲弊したということも考慮に入れていいと思う。

中国だと「北さえ警戒していればいい」という印象なんだよね。
つまり遊牧民族以外は大して脅威じゃなかった。
西の内陸は砂漠と山脈地帯だし、東は海だ。南も大して心配しなくていい。
明になって倭寇の問題は出て来たけれども、あれも中国人が多かったというし。


152 :世界@名無史さん:エジプト暦2329年,2005/04/04(月) 00:38:26 0
>>151
その北からの侵略者の規模と強さ、速度が洒落になっていないのだが。
そして華北平原には遮るものがなにも無い。
ローマと違って常に首都を脅かされてる。

153 :世界@名無史さん:エジプト暦2329年,2005/04/04(月) 01:08:35 0
ローマは強固な市民社会が存在して結束していたからこそ滅びたのかも。
西ローマなんて最後は奇跡的な粘りを見せているしね。
一方、中国は首都が落とされればあっという間にみんな降伏して新たな
皇帝として迎え入れちゃうし。
蜀のような断崖絶壁に守られた辺境に至るまであっさり討伐され分裂す
らせず丸ごと異民族の軍門に降るから。

154 :世界@名無史さん:エジプト暦2329年,2005/04/04(月) 01:11:51 0
南宋は中国じゃないですか。そうですか。

155 :世界@名無史さん:エジプト暦2329年,2005/04/04(月) 01:33:10 0
当時のヨーロッパ半島はほとんどが湿地とジャングルで戦略的、商業的価値
に魅力の乏しい地域で、
ローマ帝国にしてみれば攻められない限り攻める必要がない地域だったから
長城を建造すれば、ゲルマニアに出てくるゲルマン人(実はケルト人)に対し
十分な防衛と移民抑止の効果があり、
国内に流入してもたいした数ではないから教化できた。

しかし、375年のゲルマン民族大移動は、あまりにも急激に大量の野蛮人が
流入したため、量的、質的、時間的制約から教化できなかったと思う。
その結果が西ローマの暗黒時代への逆戻りだと思う。

ゲルマン人の想像を超える野蛮さや、文化に対する無知という要素もあった
とも思うけど。

156 :FGN ◆JZUES2ozoY :エジプト暦2329年,2005/04/04(月) 01:34:18 0
ffsdfsd

157 :Ryuju ◆RlujhF6VrA :エジプト暦2329年,2005/04/04(月) 01:36:53 0
>>152
遊牧民族が征服に成功しているのは、王朝の衰退期が多いからね。
皇帝が暴君だったり、反乱が起きていたり、分裂していたりで
長城以南の方に問題があることも少なくない。
最盛期にはむしろ逆に、王朝側が征服もしているし。
脅威ではあったろうが、実際に征服が成功するかどうかは王朝側との
力関係次第という面が大きいと思う。

ローマは全盛期とされる五賢帝時代ですら、ラインードナウ防衛線を
東方に押し出すことが出来なかった。
全兵力をそちらに回せれば出来たかも知れないが、
東方の脅威がそれを許さなかったんだと思う。


158 :世界@名無史さん:エジプト暦2329年,2005/04/04(月) 01:52:40 0
>>155
>当時のヨーロッパ半島はほとんどが湿地とジャングル
 
そ れ は 初 耳 だ ! !

159 :世界@名無史さん:エジプト暦2329年,2005/04/04(月) 01:56:23 0
当時のゲルマニアは鬱蒼とした森林に覆われてるんじゃなかったっけ
けっこうよく聞く話だと思うが

160 :世界@名無史さん:エジプト暦2329年,2005/04/04(月) 02:12:57 0
>>158
まだ、ビーバーがダム作ってる時代だ。覚えとけ!

161 :世界@名無史さん:エジプト暦2329年,2005/04/04(月) 02:16:25 0
ジャングルですか?

162 :世界@名無史さん:エジプト暦2329年,2005/04/04(月) 02:17:42 0
【ジャングル】
常緑樹・蔓性(つるせい)植物などが絡み合うように密生した森林。一般には熱帯降雨林をいう。密林。


163 :世界@名無史さん:エジプト暦2329年,2005/04/04(月) 02:24:57 0
ジャングルってか熱帯雨林じゃなくて針葉樹林ね。
でも仮にドナウライン線から防衛ライン進めたところで
異民族が完全に侵入してこないようにするのなら、
北はスカンジナビア北極圏、東は下手したらモンゴル高原まで行かなきゃ行けないと思うんだけど
どこらへんで新しい防衛ラインを築くんだろう?
また、征服した土地の防のために植民するにしても八千万総人口から減らしたら
本国がさらにスカスカになっちゃうし、人口増やそうたって農業技術はてんでダメだし、
じゃあしょうがないから征服はあきらめて国境付近のゲルマン人だけでも根絶やしにしようとしても、
(仮にそれが出来たとしても)東からスラヴやらスキュタイやらが移動してくるだけで、
結局ゲルマニアの脅威にまともに対抗するなんて不可能だと思う。
そこらへんわかってたから全盛期の皇帝達も征服はあきらめて懐柔に血道をあげたんだと思います。
>Ryuju氏

164 :世界@名無史さん:エジプト暦2329年,2005/04/04(月) 02:30:16 0
ダキア戦役は有効だったの?


165 :世界@名無史さん:エジプト暦2329年,2005/04/04(月) 02:30:30 0
>>42
>東ローマ(ビザンツ)帝国だって、オスマン帝国が存在しなければ、近代まで
>生き延びたかもしれない。
>中国の場合、オスマン帝国に相当するものが無かったからでは?

むしろ、コンスタンティヌスがコンスタンティノープルに固執しすぎたことが
後期ローマ帝国滅亡の原因でしょう。
メフメトU世の退去勧告に応じて、ニケーアやトレビゾンドのような亡命帝国
を建国して、利害関係の一致するイタリア都市国家を利用しつつ再起を図る道
もあったのだから。

166 :世界@名無史さん:エジプト暦2329年,2005/04/04(月) 02:32:19 0
ゲルマン人なんて正攻法で叩いても暖簾に腕押しなゲリラのようなもんだからな。
キリがない。

167 :世界@名無史さん:エジプト暦2329年,2005/04/04(月) 03:20:03 0
>>165
長けりゃいいってもんじゃないでしょw

168 :世界@名無史さん:エジプト暦2329年,2005/04/04(月) 10:11:00 0
>>148
元朝以後、中華帝国はどのように変化した?

169 :世界@名無史さん:エジプト暦2329年,2005/04/04(月) 16:12:28 0
>>153

おいおい
>>154
も言ってるように宋は金に開封奪われてから元に滅ぼされるまで100年以上あるし、
三国時代が終わった後の晋も南朝考えれば200年以上もってるぞ。

正直、明から清への短期間かつ順調な移行の方が特異だと思うぞ

170 :世界@名無史さん:エジプト暦2329年,2005/04/04(月) 17:51:48 0
アッティラ・ザ・ハンShow!

171 :世界@名無史さん:エジプト暦2329年,2005/04/04(月) 18:35:31 0
>>169
まあ清も実質的な大陸統一は三藩の乱を統一した1670年代だからけっこう時間かけてるけどな。

172 :世界@名無史さん:エジプト暦2329年,2005/04/04(月) 18:36:07 0
×三藩の乱を統一
○鎮圧

173 :世界@名無史さん:2005/04/05(火) 18:26:47 0
>>148
>明朝の皇帝も対外的にはダイミン=カァンを称していたという記録もある。

まじですか? 詳しくお願いします。

174 :世界@名無史さん:2005/04/05(火) 20:53:42 0
>>173
杉山正明氏によると、『華夷訳語』という本におさめられている文章の中に、
洪武帝の事をダイミン・カアンと呼んでいた、ということが書かれているとのこと。

まあ、杉山節だけに……orz

175 :世界@名無史さん:2005/04/05(火) 21:56:12 0
>>1
つうかローマ帝国と中華帝国ってだいぶ意味がちがう罠。

176 ::2005/04/05(火) 22:21:06 0
ていうか、なんで中華帝国は存続していったというか、中華の場合
新しい王朝は前の王朝の政治制度を大まかに取り入れて、領土もほぼ同じ
首都も洛陽 長安 北京とか前の王朝とほぼ同じ、ただ帝位簒奪者が
すりかわっただけで文化的にも前とほぼ同じでしょ?中国は。だから中華帝国は
ずっと存続性があるように感じるかもしれないのだけど
でもローマは帝国のあらゆるものが西ローマ崩壊と同時になくなったし
それ以後にできた国も領土もばらばら、ローマ帝国をそのまま、ある程度
受け継ぐような国はできなかったよね。帝位簒奪とか以前の問題でね。
帝国をそのまま受け継ぐ新しい
王朝ができなかったじゃん
俺はそういうことを言いたかったわけ


177 :世界@名無史さん:2005/04/05(火) 22:30:16 0
ていうかなんでゲルマン人とか蛮族どもはローマの文化とか政治とか
を受け継がなかったのだろう。そのほうが統治が、手っ取り早くない
ですかね

178 :世界@名無史さん:2005/04/05(火) 22:36:18 0
>1
中央アジアでのトルコ人は
コンスタンティノープルを奪ってそのまま首都としているが…
領土もほぼ同じだし

あっ、フランクの方が正統なのか、ご免ご免

179 :世界@名無史さん:2005/04/05(火) 23:00:18 0
中華帝国っていつの中国のこと?

180 :世界@名無史さん:2005/04/05(火) 23:33:50 0
>>177
ゲルマンはそこまで頭がよくない。

当時のゲルマン人はローマ帝国領民と生活習慣、思想、文化が
あまりにかけ離れていたために文化的衝突を繰り返した。
水に入ると穢れると信じていたゲルマン人達は入浴を禁止し、
公衆浴場を破壊した事例からも明らかである。
入浴を禁止したことにより欧州は衛生環境が悪化し、中世以降
疫病が蔓延しやすい風土を形成した。

181 :世界@名無史さん:2005/04/05(火) 23:41:52 0
>>180
中世のヨーロッパ人があまり入浴しなくなったのはキリスト教の
影響では?

182 :世界@名無史さん:2005/04/05(火) 23:42:15 0
>>180
とはいえ、ガラ・プラキディアとその兄貴のホノリウス帝とか、
いろいろみると、当時マトモに活躍していたのはゲルマン人で
ローマ人はふぬけだったことがよくわかる。

ローマ帝国が崩壊したのは、たんに、オドアケルが、ローマ皇帝
にならなかっただけ。ローマ皇帝になることにうまみを感じなか
ったから、カール大帝まで西ローマ復活がなかったってことだ。


183 :世界@名無史さん:2005/04/06(水) 23:28:29 0
イタリア人とドイツ人を思い浮かべると、
決して相容れない人達だと思う。

まぁ、俺が勝手に思ってるだけだが。

184 :世界@名無史さん:2005/04/07(木) 17:47:23 0
>>182
今の日本みたいなものか。声のデカい、しかし、野蛮で低俗な韓国人に乗っ取られる寸前の。

185 :世界@名無史さん:2005/04/07(木) 23:27:21 0
ローマ再興についていえば、結局フランクやオットーの帝国ががんばりきれなかっただけと思う。
封建制といいつつ、南仏などでは、古代地中海社会がかなりの期間存続した。
13世紀のアルビジョア十字軍が最終的な、北のゲルマンによる、西側における古代の
残滓の征服と消滅。フランク時代、旧ローマ領の住民はローマ人が9割方だったのだから、
長期間フランクが存続し、領土を保持し、教皇を配下におければ、西ローマ帝国は
存続できたでしょう。カール5世のハプスブルクにもチャンスはあった。

中国の場合、人口が激減したことも、統一を容易にしたのでは。西ローマの場合、
地域が各地ごとに発展し、独自性がでてきて、更に各地人口もそこそこあったので、
統一は難しくなった。

ところで、なんで誰もインドに言及しないかな。インドは地域分裂性において、
ローマより統一しやすく(ほぼナルバダー川を境に南北に分かれている程度)、
中国よりは統一しにくい(やっぱ、ナルバダー川の境目が地域の境と民族の境目に
なったから)。 という、ローマと中国の中間にあるようなインドが統一帝国を
保持できなかったのはなぜか? 

186 :朱由檢:2005/04/07(木) 23:57:55 0
>>185
インドは山が多く馬の数も少ないために大兵力の行軍に不向きで、
言語数もあまりに多かったために征服領域の掌握も一苦労だから
一番統一が困難な地域とか聞いた気がする。

やっぱり、カーストの違いを理由に従軍や徴兵拒否とかしたのかな。


187 :世界@名無史さん:2005/04/08(金) 00:41:35 0
中国の統一期間というのは思ったほど長くはない。概算で
221-18頃、36-200頃の400年くらい、280-301の20年くらい、
589-760頃の170年くらい、978-1125の150年くらい、1279-以降1911の630年くらいの
合計約2100年中1400年くらいで2/3。

ペルシャの場合、550-189頃の360年くらい、BC140-651年の800年くらい、
1502ーだいたい現在(アフガニスタンとかイラクなしでも統一と言えればだが)
合計2500年中1650年くらいで中国より長かったりする。

インドでも、サムドラグプタやムハマンド・アーディル(1325-51)の頃、
一瞬程度にしてもほぼ全土を制圧している。北部に限ってみれば、結構
統一されている期間も長く、南北統一しそこなった中国状況に似てる感じもするし、
北部の統一は、ビザンツとだぶる感じもする(言い過ぎか)

ま、統一をどう定義するかにより、かなりぶれるので、お遊び数字に過ぎないが。

188 :世界@名無史さん:2005/04/08(金) 00:42:16 0
>>185
人口が激減って言ったって単に戸籍が散逸して国家が把握してないから
そう見えるだけだろう。でなきゃ王朝交代後の復興の速度が早すぎる。

189 :世界@名無史さん:2005/04/08(金) 00:47:02 0
>>186
インドは古代から人口も多いしな。確か、始皇帝が統一した頃の中国は2000万程度だが、
同時期既に5000万くらいいたという説もあるしな。

190 :世界@名無史さん:2005/04/08(金) 00:50:04 0
イスラム圏は、ビザンツのことは、ルーム、西欧はフランク、
とずっと呼んでたはず。この世界観、いつまで(イスラム)にあったんだろう?
オスマン征服時期くらいまでかな。イスラムが政治的分裂してても、カリフが
いたように、多分西欧もフランクということで、要は外から見れば、
一体に見えていたのではないか。

191 :世界@名無史さん:2005/04/08(金) 18:19:43 0
>>184←馬鹿晒しあげ

192 :世界@名無史さん:2005/04/08(金) 21:20:16 0
>>186
インドと言っても北インドは統一国家がたくさん出来ている。
南部の歴史はよくわからない・・・・・・・

193 :世界@名無史さん:2005/04/08(金) 22:09:22 0
インドの北と南では人種が違うからなー。
北は白っぽいアラヤン系の人種で印欧語、南は黒っぽい人種でタミル語みたいな
系統の違う言葉だし。
なんで一地域として扱うかな?

194 :世界@名無史さん:2005/04/08(金) 22:09:48 0
>>190
中央アジアをトルコの住む土地、トルキスタンと読んだように、
ヨーロッパはフランクの住む土地、フランキスタンで知られていたからでは?

195 :世界@名無史さん:2005/04/08(金) 22:53:35 0
これは中国の伝統料理です。
http://www.tcnweb.ne.jp/~perfect/china.htm

196 :世界@名無史さん:2005/04/09(土) 04:08:35 0
>>157
清以前の王朝でモンゴル高原全体を持続的に支配した王朝ってありましたっけ?



所でアルサケス朝パルティアを「ローマの東の脅威」って表現するのはよく見るけど、
所詮東の属州を時折攻撃されるに過ぎないローマと国家の中枢部分たる現イラク領域を
度々攻撃されたパルティアを思うと、ローマの方がずっと恐るべき脅威だったような気がする。
ってのは単に見る側の視点の違いでしょうか。

197 :世界@名無史さん:2005/04/09(土) 10:51:25 0
中国って地理的に統一しやすいですか?
あちこちに険しい山脈に囲まれた肥沃な盆地が孤立し、
長江や漢水の大河で国土は分断されているし。
秦嶺山脈はとてつもない難所だし、四川盆地も数千M級
の山脈に囲まれた中に中国最大の農業生産地が広がってる。
中原からは長安も地理的に孤立して、江南へは長江が立ちふさがる。
しかも自然の要害に守られた多くの地域は後方の異民族の領域へは
交通が開けていると来ます。

198 :世界@名無史さん:2005/04/09(土) 11:26:16 0
>>197
整備された行政機構があるので、乗っ取るだけで統一完了。

明朝滅亡時に皇帝とともに殉死したのは宦官一人だけ、
残りはちゃっかり再就職。

199 :世界@名無史さん:2005/04/09(土) 14:09:42 0
>>198
だから政権が南へ逃げると統一がかなり遅くなるわけか。

200 :世界@名無史さん:2005/04/09(土) 18:39:47 0
>>188
でも、前漢末に5000万以上の人口があったのは確実。
三国期にそれが1000万近くに減少したのも確実じゃない?

呉は地方豪族が強かったし、魏も中原の戦乱の影響から回復する過程だったから
かならずしも100%は把握できなかったろうけど、
蜀は、内部は戦乱の影響を受けていない一方、
常に国境で戦時状態に在り、兵力不足に悩んでいたんだから、
隠れ田の摘発は厳しそうだ。


201 :世界@名無史さん:2005/04/09(土) 20:19:18 0
>>200
> でも、前漢末に5000万以上の人口があったのは確実。
> 三国期にそれが1000万近くに減少したのも確実じゃない?

「確実」とは信じられない人が多いから揉める。
中国の人口ネタは他所でやった方がいいのでは?荒れるよ。

行政組織の点ではローマってどうなんですか
中国同様に頭替わっても運用されるほどの高度な組織化がされてた?


202 :世界@名無史さん:2005/04/09(土) 22:41:42 0
>>201
官僚は少ない。皇帝お抱えの解放奴隷なんかをつかっていた。
有力な市民(貴族・元老院議員)が自発的に公共事業をしていた。
属州総督は、有力な市民から起用される人と、職業軍人出身の二通り。
軍人の賃上げ交渉はたびたびあり、帝国を覆しかねないときもあった。
皇帝も元首制時代なら最も有力な市民という位置づけだった。
ローマのコロッセウムの闘技だって、国庫じゃなくて皇帝のポケットマネーででていた。
パンの配給は国庫から出ていたはず。だからこれは国家事業だ。

203 :世界@名無史さん:2005/04/09(土) 22:42:24 0
あが

204 :世界@名無史さん:2005/04/10(日) 00:08:25 0
官僚機構の強さの違いが中国とローマの持続性の違いだったのでは。
その官僚組織の存在を支えたのが紙の存在だったのかも。
記録が大量に残せるようになると行政組織も複雑にすることが出来る。


205 :朱由檢:2005/04/10(日) 00:31:12 0
ローマで官僚機構が整備されたのはビザンツ帝国期以降かな。
宦官も導入するし、ある意味中華帝国化していったのかな?

206 :世界@名無史さん:2005/04/10(日) 00:56:26 0
>>205
中国というよりオリエント

207 :世界@名無史さん:2005/04/11(月) 23:38:19 0
>>205
宦官が必要だってことは血縁による相続がより重要になったってことだね。
そりゃあたりまえか

208 :世界@名無史さん:2005/04/12(火) 10:32:40 0
中国との違いはゲルマン人がローマと同化しなかったってことだよね?
発音の違いを文章上で無化する漢字の存在はでかいと思う。

209 :世界@名無史さん:2005/04/12(火) 13:20:44 0
>>190,>194
「トルキスターン」という呼称はイラン系の人々がトルコ系の連中の
居住地域を指した言葉でトルコ勢力の伸張に従って地理的範囲が天山方面から
マーワラーアンナフルまで時代を経るごとに移動している。

「ファランギスターン」なる呼称はアラブやイランではそれほど使われているわけでは無いようだが、
十字軍時代にはアラビア語文献でイングランドは「インクタール」、フランスは「フランクorフランジュ」
ドイツは「アルマーン」などと呼ばれている。(ちなみにハンガリーはそのまま「マジャール」)
これらの呼び方は現在まで受け継がれている。

一応西欧世界はフランク王国の後継だったせいか「ルーム」以西のカトリック教圏は一括して
「フランク」とする見方が優勢だったようだ。ただ、アンダルスやマグリブでは時折フランス
やイタリア方面なども「ルーム」と称している例はある。

210 :世界@名無史さん:2005/04/12(火) 13:21:57 0
>なんで中国は蛮族の侵入で崩壊してもずっと
>帝国が継続していったのでしょうか

秦漢帝国が崩壊して民族大移動が始まってから、隋唐帝国が再統一する
まで、魏晋南北朝時代の大分裂期が400年も続いているよ。この400年の間に、
「中国」を構成する人種は、すっかり入れ替わってしまった。少なくとも、
「ずっと帝国が継続していった」とは言えない。

211 :世界@名無史さん:2005/04/12(火) 13:28:37 0
川勝博士の名著「魏晋南北朝」でも、「東洋では漢の滅亡も文明が継承されて
いったのに、西洋ではなぜ、ローマ帝国が滅亡すると共に文明が衰退したのか」
というテーマで長大な論考が展開されていたが、これは設問がおかしいと思う。

古代において、ドイツ・フランス・イギリスは、もともと辺境だった。
ローマ帝国はそもそも欧州の帝国ではなく、地中海沿岸の帝国、それも
どちらかといえば文明の重心は東地中海にあった。

西ローマ帝国が崩壊してからも、東ローマ帝国は脈々と続き、ユスティニアヌス
大帝は大帝国を再建する手前まで行った。その後、アラブ人のサラセン帝国が
それにとって代わった。

西洋文明は、東ローマ帝国やサラセン帝国によって立派に継承・発展されたので
あって、「衰退」などしていない。

212 :世界@名無史さん:2005/04/12(火) 17:08:35 0
>>211
しかし、ビザンツ帝国に五賢帝時代ほどの繁栄は質量ともに戻らなかったよね。

一般的には、中原に統一政権ができやすいのは、平原であるために、軍事的に統一する上でたやすいこと。
また黄河のような大河の治水を行うには強大な権力が必要であったため。だった気がする
(異民族からの防衛上もあったかもしれないが、定かではない。覚えていない)。
そしてこれをむずかしいカタカナでなんとかっていうんだ。ごめん、忘れたよ。
ともかくこれは結構説得力があって、黄河流域は比較的統一されやすいが、南北の統一は難しい。
そして統一王朝は黄河長江の大運河を作りたがる。経済的な意味だけじゃなくて戦略的な意味があったのは周知の事実だろ。

213 :世界@名無史さん:2005/04/12(火) 20:45:48 0
力の空白地帯は作ってはならない
ビザンチン帝国の滅亡は、イスラムの侵攻を防げる強力な国の存在を失い
欧州は暗黒時代に入ってしまった。
近代でもイギリスの衰退が、二度の世界大戦に繋がった。
力の真空地帯を作ることは、必ず世界を混乱させる。

214 :世界@名無史さん:2005/04/12(火) 21:01:06 0
>>212
> 経済的な意味だけじゃなくて戦略的な意味があったのは周知の事実だろ。
大運河建設の軍略上の意義って具体的には?挙げづらいとは思うけど・・・
物資の運搬は、ほぼ平時の活用を目的としてると思うんだが。


215 :世界@名無史さん:2005/04/12(火) 21:20:14 0
>>213
むしろビザンツが滅びた頃は欧州が暗黒時代から抜け出しつつあった時期だと思うが・・・

216 :世界@名無史さん:2005/04/12(火) 23:06:32 0
中国ではなぜ外来の宗教(夷教)が多数派にならなかったのか?
仏教でさえも、儒教に匹敵するほどの地位を獲得することはできなかった。
ローマ帝国は、彼らが蛮族と軽蔑していた民族の一新興宗教を受け入れた。

217 :世界@名無史さん:2005/04/12(火) 23:17:57 0
儒教は教とついてるから宗教と思われがちだが、宗教ではない。

218 :世界@名無史さん:2005/04/12(火) 23:31:52 0
神様より俺様のほうが偉いと全員が思っていたから。
戦乱ばっかだと宗教流行そうなもんなんだがな。

219 :世界@名無史さん:2005/04/13(水) 01:52:05 0
>>216
>仏教でさえも、儒教に匹敵するほどの地位を獲得することはできなかった。

だから、宮崎市定の概説書ぐらい読んでから書き込めっちゅーに・・・。

220 :世界@名無史さん:2005/04/13(水) 02:24:23 0
>>214
俺が言いたいのは、川と川がつながるということが社会に与える影響ってこと。
万里の長城が軍事的意味だけじゃなくて、中華と野蛮を分ける文化の境界線になったように、
大運河も南船北馬の統一に貢献したんじゃないかってこと。

221 :朱由檢:2005/04/13(水) 19:54:24 0
ユスティニアヌス時代のカタフラクト(重装騎兵)や、ヘラクレイオス時代が整備したプロノイア、
(忠誠心はともかく)後期ビザンツ帝国のトルコ騎兵も優秀な軍隊だし、
イサキオスU世(1135-1204)が官僚ポストを売買する以前は、官僚機構もよく整備されていたよね。
時代の流れとはいえ、惜しいなあ。

222 :世界@名無史さん:2005/04/13(水) 21:29:57 0
っていうか、霊帝が売官しているのと同様の転落コースじゃん。
洋の東西とわず潰れるケースってパターン化していると思わぬでもない。

223 :世界@名無史さん:2005/04/13(水) 23:17:23 0
>>174
故本田実信博士が『華夷訳語』の1編として載録されている『回回館訳語』の
研究を行っていて、そこに来文としてローマ字転写したペルシア語文と漢文が
併記されている。一例を挙げると、

Z
大明皇帝明同日月志過乾坤天下遠近無所不至奴婢…
dāīmīn[g] χān raušan barādar aftāb māh himmat [g]udaštah samā'
arż rūy zamān dūr nazdīk nīst šūy nah rasīd bandah azānī...

他にも数カ所「大明皇帝」について述べられている。某教授のいうダイミン・カアンはこれのことかと思うのだが、
現物を確認してないので表記が خان なのか قآن なのか分からない。今度調べてみることにする。

224 :世界@名無史さん:2005/04/14(木) 18:53:17 0
中国よりもむしろ西欧の方が特殊なんじゃないかな。
他の地域は、もっと激しく食ったり食われたりしてるでしょう。
西欧は分裂状態が続きすぎて、ローマ帝国の後継になれるほどの
国ができなかったんだと思う。
その原因は多分、外敵が少なかったから。
ビザンツ帝国が防波堤になってくれたし、あんまり魅力もなかったし。

225 :世界@名無史さん:2005/04/14(木) 19:39:33 0
外敵もそうだと思うけど、始皇帝のような協力な指導者がいなかった
からじゃないの?始皇帝は春秋戦国の六国を滅亡させて言葉とか
貨幣とか重さの単位とかも全部統一したし、それまでは中国も
言葉も違えば文化もまっさく違う国がヨーロッパみたくたくさん
あったんでしょ?西洋はそういう個人に強大な権力が一極集中しにくい
社会だったからかもしれないし

226 :世界@名無史さん:2005/04/14(木) 21:24:28 0
東ゴートのテオドリックがローマ皇帝を名乗ったりすれば面白かったのに。
…東ローマ皇帝が認めないか。

227 :世界@名無史さん:2005/04/14(木) 22:18:08 0
>>225
ナポレオンはそれをやろうとしたけど、結局失敗したな。


228 :世界@名無史さん:2005/04/14(木) 22:48:15 0
彼は最終的にローマ皇帝を名乗りたかったんだろうけど
神聖ローマ皇帝が「ローマ」を投げ出してしまったかr

229 :世界@名無史さん:2005/04/14(木) 22:48:17 0
富と権力が集中しすぎな気がする。
あれじゃ誰もが皇帝に取って替わろうとするのも仕方ない。

でもローマを含むイタリア都市もそれに近かったと思うが
そうはならなかった。何故だろう

230 :世界@名無史さん:2005/04/15(金) 00:07:28 0
孫文が項羽と劉邦の争いは皇帝の座をめぐる争いだったと評しているね。

231 :世界@名無史さん:2005/04/15(金) 02:56:50 0
>>225
始皇帝って秦の制度があってこそじゃない?
それまでの積み上げの結果だから
彼の個性だけではないと思う。

232 :世界@名無史さん:2005/04/15(金) 08:32:52 0
キリスト教が入らなかったから


233 :世界@名無史さん:2005/04/15(金) 11:46:44 0
ネストリウス派は?

234 :世界@名無史さん:2005/04/15(金) 11:57:11 0
政治機構が未熟な地域ほど統治に宗教を利用する必要がある。

235 :世界@名無史さん:2005/04/15(金) 12:19:37 0
>>233
唐王朝は宗教に対して寛容だったが、その反面、それらの諸宗教を
統率しようとした。仏教との間ではいわゆる「礼教問題」が起こっている。
僧侶は皇帝を礼拝すべきか、僧侶は父母から拝を受けるべきか否か、など。

そういう状況で、景教は皇帝崇拝を経典に書き、皇帝像を教会に安置
したりしている。こういう姿勢は、景教教団の主体を成していたのが
商人たちであったことも関係しているかもしれない。
こうして中国固有の価値観との妥協・融和を図った結果、しだいに景教は
中国社会に根付くことなく消えていった。

236 :世界@名無史さん:2005/04/15(金) 12:24:08 0
唐王朝が寛容だったというけどマニ教が弾圧されたのは唐時代では
なかったか。

237 :世界@名無史さん:2005/04/15(金) 12:34:58 0
>>236
会昌五年(845)には武宗の拝仏が行われている。


238 :世界@名無史さん:2005/04/15(金) 12:41:02 0
廃仏だよな? 拝仏だと意味が180度ちがう。

239 :世界@名無史さん:2005/04/15(金) 12:43:18 0
>>238
スマソ。廃仏が正しい。
マニ教の場合、景教のように、皇帝権力や中国社会との妥協・融和を
行わなかったことが、弾圧された原因かもな。

240 :世界@名無史さん:2005/04/15(金) 13:50:55 0
所詮は庇護者をビザンツ皇帝にするか、中華皇帝するかの違いに過ぎないな。
庇護者のいない宗教は滅亡する運命なのだから権力者の歓心を引くのは必要だ。
南北朝時代の半端に教化された時代ならば異教の入り込む余地はあったのであろうが
中華思想が本格的に復活し昇華された北宋に入ると外来宗教は生き残る余地がない。

241 :世界@名無史さん:2005/04/15(金) 18:26:57 0
考えてみれば、北方の遊牧民族にはヨーロッパと中東という二つの侵攻候補が合ったな。
中国のように南一辺倒じゃないから、その分だけ戦力も分散されたんじゃね?

ローマ帝国の場合は文明が東と南と北に分裂しちゃったからな。
統一しようにもキリスト教とイスラム教と言う熱心な一神教だから、必ずdでもない抵抗が予想される。
イスラム勢力は東方への侵攻に忙しい。
西ヨーロッパでは法王がいたのと東ローマ帝国が健在だったのも大きいかも。
東ローマ帝国が持ち堪えたおかげでイスラム勢力の侵入口はスペイン=マグレブ地方に限定されたのが大きい。
そして遊牧民族も神聖ローマ帝国という防波堤が存在したし。
で、内部で何とか統一しようにも法王が横槍入れるは封建領主達の抵抗で遅々として進めないは。
地中海の都市国家は単独では弱いけど結束されると強いし、何より経済力がなぁ〜
フランスや後のスペイン、神聖ローマ帝国やビザンチンなどなど強敵も一杯。
ハプスブルグ家が良いところまで逝ったけど、その頃は産業革命前夜のイギリスが立ち塞がったね。
フランスもイギリスに阻止されたし。

242 :世界@名無史さん:2005/04/15(金) 18:29:57 0
仏教も異郷で外来宗教だが、景教同様現地化していったのに
両者の明暗は何処にあったのだろうか。
マニ教のようにほぼ根絶においやられたわけではなし。

243 :世界@名無史さん:2005/04/15(金) 18:44:26 0
モンゴル→欧州よりシナの方が豊かだったのでバトウもモンケが死ぬと
東欧進入を中止

チムール→オスマンを壊滅状態においこんだが、出自をモンゴルの末と
している以上、永楽帝との決戦をこれ以上伸ばせなかった。
実利的に見ても当時の欧州<<<<中国の方がうまみあった。

オスマン→ウイーン陥落寸前までいったが、暗黒時代を脱した欧州は
それなり実効的な防衛力を所持した。欧州方面のリソースを強化
しようにも3大陸に拡張した事が仇となってこれ以上展開に厚みをまさせ
なかった。 新大陸にも拡張する意思を見せず、容易に侵攻できる辺境
がこれ以上みいだせなkった。

ルドルフ一世からはじまるハプスブルグ家の婚姻政策による拡張は
それなりにうまくいったし、中世の大乱の一因となるプロテスタントの
出現にも逆説的に助けられたし(侵攻の絶好の口実)
しかしノルマンディー公ウイリアムの頃とは海戦に対するノウハウに
格段の差があり、海という天然の要害を超えられず
→やはり着上陸戦は近代戦では格段の難易度
 

244 :世界@名無史さん:2005/04/15(金) 18:51:19 0
>>225
だから西欧には外圧が少ないからだよ。
外の敵に対抗するにはなるべく大きくまとまる必要がある。


245 :世界@名無史さん:2005/04/15(金) 19:14:33 0
>>242
仏教の場合、伝来の時期が早かった(1世紀)のも原因の一つでは?
この時代はまだ体系的な儒教哲学が発達していない。
さらに発祥の地であるインドが地理的に近いので、継続的に伝播して
きている。


246 :世界@名無史さん:2005/04/15(金) 19:16:45 0
>>242
「あなたはわたしのほかに、なにものをも神としてはならない。」
これはユダヤ教とキリスト教で最も大事な核となる部分。
皇帝に対する崇拝を認めざるを得なかった時点でアイデンティティを喪失したといえる。
そうして他の宗教の間に埋没していったのだろう。

247 :世界@名無史さん:2005/04/15(金) 19:30:32 0
でもそれだとロシアのツァーリ崇拝はどうなるんだろう。
ロシア正教も皇帝への崇拝を認めていたような。


248 :朱由檢:2005/04/15(金) 21:20:04 0
エウセビオスも皇帝崇拝を肯定しているからキリスト教は皇帝崇拝でしょ

249 :世界@名無史さん:2005/04/15(金) 21:46:24 0
>>247
ロシアの皇帝崇拝はビザンツの影響では?


250 :世界@名無史さん:2005/04/15(金) 23:12:22 0
初期の段階と皇帝自身が教徒、または聖職者の場合は別。

251 :朱由檢:2005/04/15(金) 23:47:54 0
初期の皇帝を神の代理人とする皇帝崇拝の伝統をビザンツ帝国が維持して、
ロシアはその流れを踏襲したんでしょ。
ロシアが強大化した近世でも教会はオーストリアやイタリアに対して、
度々内政干渉してるから政策的意味合いも強かったんだろうね。

252 :世界@名無史さん:2005/04/15(金) 23:54:31 0
聖と俗が分離した西欧のほうが世界的に見ると特殊なように思えるが。


253 :朱由檢:2005/04/16(土) 00:31:04 0
>>252
ヨーロッパは聖と俗が分離なんてしたことないでしょ?

254 :世界@名無史さん:2005/04/16(土) 10:05:09 0
>>252
??

255 :世界@名無史さん:2005/04/16(土) 10:25:36 0
政教分離なんてのは教会権力との抗争で出来た概念だもんな。
宗教組織がそれほど力を持たなかったイスラムでは逆に政教分離せず
にズルズル来ちゃったけど。


256 :世界@名無史さん:2005/04/16(土) 12:59:50 0
>>253
中世に起きた叙任権闘争(グレゴリウス改革)は?

257 :世界@名無史さん:2005/04/16(土) 15:35:58 0
意味わかんね>スレタイ
中華王朝だって漢王朝で終了崩壊してんジャン

258 :世界@名無史さん:2005/04/16(土) 15:40:36 0
>>243
バトウの西征はオゴタイ。
モンケならフレグの西征だろ。

259 :世界@名無史さん:2005/04/16(土) 16:13:59 0
ていうか、なんで中華帝国は存続していったというか、中華の場合
新しい王朝は前の王朝の政治制度を大まかに取り入れて、領土もほぼ同じ
首都も洛陽 長安 北京とか前の王朝とほぼ同じ、ただ帝位簒奪者が
すりかわっただけで文化的にも前とほぼ同じでしょ?中国は。だから中華帝国は
ずっと存続性があるように感じるかもしれないのだけど
でもローマは帝国のあらゆるものが西ローマ崩壊と同時になくなったし
それ以後にできた国も領土もばらばら、ローマ帝国をそのまま、ある程度
受け継ぐような国はできなかったよね。帝位簒奪とか以前の問題でね。
帝国をそのまま受け継ぐ新しい
王朝ができなかったじゃん
皇帝の位を簒奪し続けた中国と、しなかったヨーロッパ、それは
なんでだろうって言うこと>>257

260 :世界@名無史さん:2005/04/16(土) 17:02:30 0
>>259
>帝国のあらゆるものが西ローマ崩壊と同時になくなったし
そんなことはない

261 :世界@名無史さん:2005/04/16(土) 23:28:19 0
東ローマ帝国とその名を受け継ぐ国々はスルーですかそうですか

262 :世界@名無史さん:2005/04/16(土) 23:48:00 0
コンスタンティノープルが中心地になって以降の西ローマなど無価値だろ

263 :世界@名無史さん:2005/04/16(土) 23:51:58 0
>>259はもの知らず

264 :世界@名無史さん:2005/04/17(日) 00:56:35 0
イスラーム圏の場合、西欧と違って「ローマ文明の後継者になりたい」とは
思っていなかったのでは?

265 :世界@名無史さん:2005/04/17(日) 01:00:28 0
しかしローマ文明の遺産を最も良質に保存していたのは
イスラム帝国だしなぁ。

266 :世界@名無史さん:2005/04/17(日) 01:33:33 0
>>256
オドアケルが皇帝にならなかった、ってことだろ。
で、当時のローマ皇帝っていうのは、成る価値がぜんぜんないくらい
しょーもない存在だったわけだ。そのあたりのデタラメさは、
ガラ・プラキディアとそのアホ兄貴のホノリウス帝の話でもよめば
わかるだろ。

267 :世界@名無史さん:2005/04/17(日) 06:49:38 0
オスマン帝国のスルタンはカエサルだかインペラトールだかの称号を持ってたはず。
現トルコだってその頃はルームって言われてたし。
もじどおり、ローマが東に遷ってたわけだ。

268 :世界@名無史さん:2005/04/17(日) 07:40:01 0
中国人留学生による福岡一家4人惨殺事件の実像 :04/08/26 10:05 ID:WNXfIBqI
あまりにも残酷なので、報道では伏せられている。

一人が最初に風呂場の奥さんをレイプ。
他の二人が室内を物色中に長男を見つけて、即頚椎を折って殺害。
そして夫が帰ってくるまで暇つぶしに奥さんを「拷問」。その時、カード等の暗礁番号を聞く。

「拷問」は、凌遅刑と呼ばれ、「順番に肉を刃物で切り取っていく」というもの。
死亡した時に最後に肉を切り取った人間には罰ゲームがある。
その罰ゲームとは、「幼い女の子を殺す役」。
そこで、最終的に奥さんに致命傷を与えた男が、○○ちゃんを殺すことになった。

帰ってきた夫の前で○○ちゃんを盾に金を出せと脅した。
なかなか金のありかを言わないので、夫の目の前で○○ちゃんを絞殺。
「俺は死んでもいいから、○○だけは助けてくれ」という必死の嘆願は無視した。
結局、金のありかを言わなかったので夫もそのまま絞め殺した。

妻と長男を殺された事実を中国人留学生から伝えられ、目に前で最愛の娘が首を絞められて殺される絶望感はどんなものであっただろうか?
あまりにも無念だ。

これが特定の中国人留学生だけの話だと思ったら大間違い。
実は中国人の大部分が、日本人には何をしても構わないと教えられているのだ。彼らのモラルからすれば日本人を殺して褒められることはあっても貶されることは無い。

269 :世界@名無史さん:2005/04/17(日) 12:32:03 0
ビザンツ帝国はユスティニアヌスの時代に地中海帝国を再現したが、新興の
イスラーム勢力に押されてシリアや北アフリカを失う。
オスマン帝国はビザンツを滅ぼした後、ウィーンまで迫ったが、結局西欧を
手に入れることは出来なかった。
この地域は三つの文明が並立しているし、イスラーム勢力はもっぱら東方に
関心を向けていたから、統一は難しかったと思う。

270 :朱由檢:2005/04/17(日) 17:15:21 0
>>256
「グレゴリウス改革」は教会(聖)による皇帝権(俗)の侵害では?

中世ヨーロッパは密林に覆われた未開の土地。
諸侯は開墾能力を持っていた修道院に森を寄進して開墾させ、
修道院から税金を取ることで歳入の増加を図っていた

このシステムは順調に機能し、
オットー1世時に100余しかなかった修道院の数は、
ハインリヒ4世の時代には700近くに増加していた。

当初、新設修道院の叙任権は皇帝権に帰属していたが、
皇帝が自国領内の修道院に干渉することを警戒した諸侯は、
皇帝権の排除を狙い教皇に接近。
教皇も教会の長としての示威行為と新利権獲得を狙いに
皇帝と対立し、カノッサの屈辱へと発展。

「グレゴリウス改革の意義」は、
「皇帝権の屈服(教会優位と聖による俗の支配を確認)」と、
「聖による介入の慣行化(教皇の政治権力化)」であり、
「政教一致の原則」が貫かれている。

参考文献:世界の歴史5 中世ヨーロッパ/堀越孝一、三浦一郎著/教養文庫
参考文献:ヨーロッパとの対話/木村尚三郎著/日本経済新聞社

271 :世界@名無史さん:2005/04/17(日) 19:02:59 0
まあ政教一致を原則とした強い教皇権も
シュタウフェン家ぶっ殺した途端にアナーニ事件でボロボロだけどね。

272 :世界@名無史さん:2005/04/17(日) 20:26:15 0
グレゴリウス改革以前の西欧では、皇帝や国王は俗人とみなされていなかったし、
逆にローマ教皇のほうも武器を手にとって戦ったりしていた。

273 :世界@名無史さん:2005/04/18(月) 16:08:31 0
東方正教会では聖=俗で皇帝が最高権力者兼最高聖職者なんだっけ?

274 :世界@名無史さん:2005/04/19(火) 15:16:59 0
ttp://encyclopaedicnet.com/japan/ae/ae_a_a_a_a_a__14.html
帝国の国教であった東方正教会はセルビア・ブルガリア・ロシアといった東欧
の国々に広まり、今でも一億人以上の信徒を持つ一大宗派を形成している。
詳しくは東方正教会を参照のこと。ビザンツ帝国は皇帝教皇主義(チェザロ
パピズモ)と呼ばれるシステムをとっていた。これは、西ヨーロッパにおいては
神聖ローマ帝国「皇帝」とローマ「教皇」がいたのに対し、ビザンツでは皇帝
が教皇を兼ねており、ビザンツ皇帝は「地上における神の代理人」であった。

275 :世界@名無史さん:2005/04/19(火) 20:59:36 0

■時間が近づいてまいりました 同志は是非ご参加を■

      【糞シナ】  日本特攻隊本部  【百度】

   http://ex10.2ch.net/test/read.cgi/news4vip/1113827510/l50



276 :世界@名無史さん:2005/04/19(火) 21:54:12 0
蛮族=大陸勢力

中国は中国自体が大陸勢力

中国にもモンゴル人という蛮族はいたが
人口の差が圧倒的なので中国は瓦解しない。

277 :世界@名無史さん:2005/04/19(火) 22:10:39 0
東ローマ帝国=ロシア
ローマ帝国=ヨーロッパ
西ローマ帝国=アメリカ
その他属州

なんか何倍にも増えてるけど。


中華愚民帝国(ポツン)

278 :世界@名無史さん:2005/04/19(火) 23:48:59 0
>>277は戦力比較スレを荒らしていた香具師か?

279 :世界@名無史さん:2005/04/20(水) 00:10:47 0
>>278
西ローマ帝国=ヨーロッパ
東ローマ帝国=ロシア

というのはキリスト教徒側では正しい解釈だと思うけどな。
イスラム帝国はどんな立ち位置なんだろうな。

280 :世界@名無史さん:2005/04/20(水) 00:18:03 0
夜郎自大のヨーロッパに自己分析は無理

欧米諸国がローマの正統後継者なんてゆとり教師みたいな事言うなよ

281 :世界@名無史さん:2005/04/20(水) 07:21:18 0
>>279
東ローマの後継はトルコ

282 :世界@名無史さん:2005/04/20(水) 10:04:37 0
>>281
いい加減トルコって言うのはやめようぜ。
正しくは(トルコ系)オスマン朝ローマ帝国

283 :世界@名無史さん:2005/04/20(水) 19:37:10 0
>>147

284 :朱由檢:2005/04/20(水) 19:48:25 0
オスマン皇帝は世界帝国にふさわしく人種不詳になちゃてたものね。
イラン、ギリシャ、グルジア、ロシア、フランスと王妃の出自もさまざま。
そういえばオスマン帝国はビザンツ帝国にならって宦官も導入してたよね。
黒人宦官はいたみたいだけど、黒人の寵妃はいたのかな?

285 :世界@名無史さん:2005/04/20(水) 21:42:55 0
数百人も居たからな、もしかしたらいたかもしれんしいなかったかもしれん・・・
ハーレムはほとんど表に名前が出てこないし。

286 :世界@名無史さん:2005/04/21(木) 10:21:41 0
>>282
ローマ皇帝を名乗ってたっけ?
東ローマ皇帝はギリシャ正教の教皇も
兼ねていたはずだけど
オスマン帝国の皇帝はギリシャ正教の教皇
を兼ねてたっけ?

287 :世界@名無史さん:2005/04/21(木) 14:13:12 0
>>286
「東ローマ皇帝はギリシャ正教の教皇も 兼ねていたはずだけど 」
 
 これはあやまりであくまでギリシア正教での教皇にあたる、コンスタンティノポリス世界総主教の任命権があっただけ。
 つまり自分の意に従いそうな人間を選べたわけ。

288 :世界@名無史さん:2005/04/21(木) 19:23:32 0
西のカエザロ・パピズムに対して、東のビザンチン・ハーモニーという。

289 :世界@名無史さん:2005/04/21(木) 20:32:34 0
都市国家のときのローマのとなりにソウルがあったらローマは一日にして滅びぬって結末だったんだろうな。

290 :朱由檢 :2005/04/21(木) 22:05:25 0
カトリックはいわば「議院内閣制」で、(枢機卿で構成される)「議会」が
「首相」(ローマ法王)を選ぶ仕組み。
オーソドックスは「大統領制」で、「大統領」(ビザンツ皇帝)が
「首相」(東方正教会総主教)を選ぶ仕組み。

291 :朱由檢:2005/04/21(木) 22:22:06 0
>>282
スレイマン1世は、ヨーロッパの君主相手(仏、墺・西)に
ルーム(ローマ)のパディシャー(大王)を名乗ってる。

1453年東ローマ滅亡と共に、東方正教総主教任命権はオスマン帝国皇帝に移行し、
征服直後メフメト2世は東方正教会の総主教にゲオルギオスを任命してるよ。

292 :世界@名無史さん:2005/04/22(金) 02:31:29 0
異民族が征服しても中国化したからよかったが
いまや西洋の文化が主流になったから
中華文化で統一されることはないかも

293 :世界@名無史さん:2005/04/22(金) 05:54:50 0
オスマンが欧州的にはあくまで「王」でしかないフランス君主をパーディシャーと呼んだわけだが
称号の価値を下げることになるとか思わなかったんだろうか?

294 :世界@名無史さん:2005/04/22(金) 14:32:12 0
中国人は誰が支配者でも自分の国だと思ってるおめでたい民族だから

295 :朱由檢:2005/04/22(金) 18:42:08 0
>>293
フランス国王は大王(パディシャー)じゃなくて、
フランス州(ヴィラエト)の王と呼ばれていたよ。

296 :世界@名無史さん:2005/04/22(金) 18:52:11 0
>>287
教会の首長ではないの?アングリカンチャーチの長は英王だよね。

297 :世界@名無史さん:2005/04/22(金) 19:08:42 0
中華帝国は中国語だけで言葉の壁はないのに、
旧ローマ領はイタリア語、ドイツ語、フランス語、スペイン語、
ポルトガル語、ギリシャ語、アラビア語など多数の言語が存在し、
意志団結を図ることが難しかったから。

298 :世界@名無史さん:2005/04/22(金) 19:11:24 0
>>中華帝国は中国語だけで言葉の壁はないのに

いいえ、あります。厳然とあります。

299 :世界@名無史さん:2005/04/22(金) 20:39:00 0
>>297は釣りだと思いますが

300 :世界@名無史さん:2005/04/22(金) 20:39:39 0
300げっと

301 :世界@名無史さん:2005/04/22(金) 20:41:37 0
中国人民が腰抜けだから。

302 :世界@名無史さん:2005/04/22(金) 21:08:50 0
中国人が同郷人同士で固まるのは、言葉の問題もあるのでは?

303 :世界@名無史さん:2005/04/22(金) 21:33:25 0
蒙古とか女真とかが支配してても別に気にしないからな。

304 :世界@名無史さん:2005/04/22(金) 23:50:32 0
>>298
文字(特に文語)では、壁はかなり低いんじゃ?

口を開いた途端、外国語になる。

305 :世界@名無史さん:2005/04/23(土) 00:33:32 0
あれだけ中央集権なのに外国語ほども違うのか。
地方を転々とする科挙官僚は大変だな

306 :世界@名無史さん:2005/04/23(土) 00:52:05 0
>>304
ラテン語を忘れるなかれ。

>>305
その為の漢字です。

307 :世界@名無史さん:2005/04/23(土) 01:42:46 0
>>305
>地方を転々とする科挙官僚は大変だな

平凡社東洋文庫から出てる、宮崎市定訳の『鹿洲公案』を読め。
清代地方官の実情が分かる上に、読み物としても抜群に面白い。

308 :世界@名無史さん:2005/04/23(土) 13:45:09 0
文語は無理に工夫すれば日本語でも読み解けるようなもんだしね>>漢文
これが共通語の役割をしたのはやはり大きいんだろうね。


309 :世界@名無史さん:2005/04/24(日) 05:10:28 0
それもあるけど、政治技術の優劣が一番大きいでしょ。

310 :世界@名無史さん:2005/04/24(日) 08:03:57 0
>297
中国語の各方言ををアルファベットに直したら....


311 :世界@名無史さん:2005/04/25(月) 09:12:10 0
現代でも言葉の壁はある程度ありますよ。
上海の大学での話ですが、雲南省から来た学生と
遼寧省から来た学生が筆談してました。
テレビが普及して北京語が標準語になりつつある現代でも
しばしばあることのようです。

312 :朱由檢:2005/04/25(月) 20:15:21 0
香港返還時に広東語中心の香港で、
北京語会話教室が繁盛したのは記憶に新しいよね。

313 :世界@名無史さん:2005/04/30(土) 01:26:59 0
中国は何百年分裂してても権力者の闘争に過ぎなくて、民衆レベルでの
分裂につながらないよね。
ローマ、フランク、オスマン・トルコとかどれも短期間で別民族に分化
しちゃったのに。
南北朝なんてあんだけ何百年も分裂した上、北側はほぼ異民族の勢力だ
ったのに結局統一しちゃうんだよね。

314 :世界@名無史さん:2005/05/01(日) 03:12:45 0
儒教と中華思想の影響は大きい。

315 :世界@名無史さん:2005/05/02(月) 00:40:32 0
隋唐の政策でしょう。もし彼らが史書を書き継がなかったら、
「中華帝国」の連続とみなされたかどうか。
北魏隋唐は元や清と同じような征服王朝。なのになぜか隋唐はその色彩があまりない。
これは彼らの史書編纂政策の賜物。
例えばイランで、史書が書き継がれていたら、アラブもセルジューク朝も
「正統王朝」とされていたかも。

316 :世界@名無史さん:2005/05/02(月) 01:00:29 0
中華帝国と一言に言っても、漢民族の王朝の方が少ないくらいだからな
後に中原に入り込んだ民族が王朝を建ててから同化したのが多いくらいだ
一方、ローマ帝国の方はそうではなかったようだけど

317 :世界@名無史さん:2005/05/02(月) 01:30:15 0
ローマのローマたる所以が
継承できるものではなかったからではないかな
敗者同化やインフラ整備みたいな基本政策はあったけど

318 :世界@名無史さん:2005/05/02(月) 01:32:01 0
ああでもローマ皇帝は
支那でいうところの異民族出身も多いわけだし
理由になってないな

それにローマが存続してた頃はローマらしさみたいな概念はあったわけだし

319 :乳1号:2005/05/02(月) 01:34:01 0
>一方、ローマ帝国の方はそうではなかったようだけど

ローマも属州出身皇帝は珍しくないのでは。

320 :世界@名無史さん:2005/05/02(月) 01:34:21 0
>>147
ビザンツ帝国(キリスト教化されたギリシア人の地中海帝国)
をローマ帝国と呼ぶなら、
オスマン帝国(イスラム教化されたトルコ人〔まあ実際そうでもないけど〕の地中海帝国)
をローマ帝国と呼んで呼べないことはないと思う。
古代ローマとの共通点はコスモポリタニズム

321 :乳1号:2005/05/02(月) 01:36:02 0
というかこれ、
ヨーロッパはなぜ統一されず
中華は統一され続けた(もちろんかなりの分裂時代もあるが)のか
ということではないかと。

322 :世界@名無史さん:2005/05/02(月) 01:45:30 0
・地形の差(欧州大陸は入り組んだ地形)
・中国での大運河の存在(経済が分裂状態を許さない)

323 :世界@名無史さん:2005/05/02(月) 01:56:36 0
おれはヨーロッパみたく、いろんな見た目のヤシ(金髪茶髪黒髪・碧眼とか顔の造作の
あきらかに違うヤシ)が入り乱れてる地域と中国みたく同じ顔した黒髪の
ヤシばっかいた地域では視覚的・感覚的に国としての同一性の持ちやすさって
分かれると思う。

324 :世界@名無史さん:2005/05/02(月) 02:09:52 0
>>323
>中国みたく同じ顔した黒髪のヤシ

お前、華北人と華南人の顔をよく見比べたことないだろ・・・。

325 :世界@名無史さん:2005/05/02(月) 02:26:36 0
>>323
正直、ヨーロッパ人のほうが見た目の差は少ない気も・・・
黒髪・黒目の純アジア風の中でも地方によっては凄まじい美形ぞろい
のとこがあったりするしね、正直日本のアイドルとか目じゃないくらい
のがいたりする。


326 :世界@名無史さん:2005/05/02(月) 02:43:14 0
>>320
確かオスマントルコはコンスタンティノープルを手に入れたことで
旧ビザンツ帝国領を主張する正当性をえたとか
本人達は地中海帝国の継承者のつもりだったのかもしれない

327 :世界@名無史さん:2005/05/02(月) 13:58:15 0
>>325
詳細きぼんぬ!!!!

328 :世界@名無史さん:2005/05/02(月) 22:51:03 0
ヨーロッパはハリウッドみたいな美形はまれ

329 :世界@名無史さん:2005/05/02(月) 22:55:35 0
>>325
そんなに褒められると照れるニダ

330 :世界@名無史さん:2005/05/02(月) 22:58:47 0
んでも西洋って金髪茶髪黒髪白金髪・碧眼・茶眼とか
いろいろまざってね?ラテン系と北方系のコーカソイドって
中国のモンゴロイドより見た目の差はげしいじゃん
なんかイメージかもしれないけど
向こうのが統率とるのむずかしそう

331 :世界@名無史さん:2005/05/03(火) 13:14:37 0
現代の「民族意識」を基準に当時の意識を
語るべきではないと思う。
今意識されているものと当時意識されていた
感覚は同一ではないのだから。

332 :世界@名無史さん:2005/05/04(水) 11:42:41 0
>>331
空気嫁

333 :世界@名無史さん:2005/05/24(火) 00:24:20 0
殷周時代から既に最高j君主の称号として「天子」は使われてたのね。
案外欧州では「殷のエンペラー」とか「周のカイザー」とかいう言い方してたりして?

334 :世界@名無史さん:2005/05/25(水) 01:50:03 0
いや、
周は王=天子でいいが
商は帝のはず。

335 :世界@名無史さん:2005/05/28(土) 16:55:43 0
>328
つーか最近のハリウッドは明らかに見た目のレベルは落ちてる。

336 :朱由檢 ◆MfD.4zQt1. :2005/05/30(月) 22:17:08 0
例え王朝が断絶しても、継続性があるとして滅亡としないヨーロッパ諸国に似てるね。
フランス王国が滅亡扱いじゃないのに、オスマン帝国が滅亡扱いなのは納得いかない。

337 :世界@名無史さん:2005/05/30(月) 22:55:15 0
>>336
フランス革命前後で失った国土は僅かだしなぁ。

338 :世界@名無史さん:2005/05/31(火) 08:56:43 0
シナじゃ太公望の斉→田氏斉ぐらいか?

339 :世界@名無史さん:2005/06/25(土) 23:17:58 0
 徳川王国も滅亡なんだけど日本は滅亡していないことになってるし良いんじゃない。

滅亡ってのは古代エジプトみたいに王朝も文化も文字もすべて失ったときに起こるということで...

340 :世界@名無史さん:2005/06/26(日) 20:37:15 0
ソ連も東ドイツも「滅亡」したとは言われないよな。

341 :世界@名無史さん:2005/07/27(水) 22:00:09 0
ソ連は滅亡というより分裂。
東ドイツはドイツとして存続してるから滅亡してないから。

342 :世界@名無史さん:2005/08/01(月) 22:20:42 0
>>336
東ローマ(ビザンティン)帝国も7世紀に一度滅亡したという説がある。
その後立ち直ったのは別の国家だと。

343 :世界@名無史さん:2005/08/02(火) 08:53:44 0
こう言っては何だけど、だから何なの?って感じだなあ。
1204年からかなりの間、(ニケーア帝国が強勢になるまで)東ローマ帝国は「滅亡」してたってことは
少し世界史をかじった人なら誰でも知ってるわけだし。


ちなみに世界史の授業で習ったときは
単に都を奪われただけかと思ってた。

344 :世界@名無史さん:2005/08/05(金) 18:38:37 0
>>339
徳川王国ってあーた・・徳川は王ではなくて地方総督のようなもんでしょ。
唐で言えば節度使みたいなもんかいな・・


345 :世界@名無史さん:2005/08/05(金) 21:33:10 0
ローマは崩壊したが
中国帝国は存続・・って定義はどうかな?

 中国つ−ても外郭は似たような統一中華帝国に収束しやすいとはいえ
結構内輪では地方に軍閥割拠したり異民族王朝がたっている。

 対してローマは外郭は瓦解したように見えるが、中国が中華という定義によって
まとまっているように「ローマ」という定義によって、その後裔たる欧州がひとつの
世界観を共有しているのは事実。
最たるものはローマ教皇(ありゃローマ皇帝の変質というか残照とはいえないかな)
 ナポレオンに体現されるフランスも、ドイツは論を待たずだし
帝政ロシアも、更にはオスマントルコや大英帝国、今日のアメリカやバチカン・・
今日のEUなんぞそうだろうし、
形を変えてローマ帝国は今日に息づいているように思える。

いまならアメリカ合衆国が形を変えたローマ帝国元首といっても
さしつかえないように思えるし・・

346 :世界@名無史さん:2005/08/05(金) 21:36:32 0
>>344
京都朝廷を過大評価する天オタ乙

347 :世界@名無史さん:2005/08/05(金) 23:21:17 0
>>345
ヨーロッパと中国は根本的に違う展開をした。
ヨーロッパは細分化し、中国は統一が続いた。
国家としての行政機構で見れば一目瞭然だ

348 :朱由檢:2005/08/05(金) 23:35:57 0
そうそう、徳川政権は世襲制のある首相みたいなもので、
あくまで名目上は天皇が国王だから滅亡とはいえないでしょ。
やっぱりオスマン帝国滅亡表記は間違ってると思う。
明治憲法改正をもって昭和革命論にしたがって日本も滅亡表記になっちゃうわけ?

349 :世界@名無史さん:2005/08/05(金) 23:58:04 0
逆に、ローマ帝国の版図だった地域が、ローマ・カトリック圏、東方正教圏、
イスラーム圏の三つの文明に分かれていったのに対し、
中華帝国の版図に異なる複数の文明が生まれなかったのはなぜ?


350 :世界@名無史さん:2005/08/06(土) 00:02:13 0
>>348
トルコの大統領ってスルタン・カリフから指名されてたっけか?
俗権を完全に奪われたんだから、滅亡で合ってると思うが。
日本史関連は板違いで知らないから言及しない。

351 :朱由檢:2005/08/06(土) 00:12:50 0
>>350さん
えっと、勘違いしてる?
昭和革命論っていうのは正式な手続きを踏襲しないまま大日本帝国憲法を廃止し、
日本国憲法を成立できたのは、国民が昭和革命で天皇を打倒したって見解のこと。
俗権を完全に奪ったのは日本も一緒ね。

352 :世界@名無史さん:2005/08/06(土) 01:49:32 0
>国民が昭和革命で天皇を打倒したって見解のこと。
_| ̄|○ なんだよそりゃ 日本史板ももうダメか

353 :世界@名無史さん:2005/08/07(日) 13:33:37 0
中国が官僚国家だったからではないの?
王朝が交代しても官僚制度はそのまま前王朝と同じ状態で存続したそうだし。
あとはキリスト教が無かったというのも大きな理由だと思う。
欧州の文明水準が一気に下がったのはキリスト教の所為だしね。

354 :世界@名無史さん:2005/08/07(日) 21:57:33 0
前漢〜南朝陳までが第一次中華帝国、だな。一応禅譲によって王権が受け継がれてきたわけだし。
隋を建国したのが南朝の勢力だったならもっと続いてたってことになるんだろうけど。
王蒙の新はローマ帝国でいえばフォカスの簒奪みたいなもんか?

355 :世界@名無史さん:2005/08/07(日) 23:01:49 0
>欧州の文明水準が一気に下がったのはキリスト教の所為だしね。

東ローマ帝国は文明水準が高いままだったが?

356 :朱由檢:2005/08/07(日) 23:53:04 0
>>252さん
日本史じゃなくって、法曹家・法学者のなかに提唱者がいる論法だよ。

357 :朱由檢:2005/08/08(月) 00:00:05 0
>>352さん
一般的には“八月革命説”と呼ばれてて、
この説を採用する法曹家派閥は大きいよ。

358 :朱由檢:2005/08/08(月) 00:01:44 0
>>356>>252さんを>>352さんに訂正〜。
最近ボケキャラが定着して(ry

359 :世界@名無史さん:2005/08/08(月) 01:23:53 0
>>354
新〜東漢は、禅譲では無く放伐なのですが…

360 :世界@名無史さん:2005/08/08(月) 02:33:53 0
問題の建て方がおかしいと思う。
むしろ、問題にするべきは、今中国と呼ばれている広大な地域は政治的統一を維持した期間が長かったが(現在もそうだ)、なぜヨーロッパは分裂した(まま)か、だ。
言葉の問題だって、広大な中国省部は、同じシナ・タイ語族だが、北京語と上海語その他諸々の言語は、口語では意思疎通はできない程度の差がある(あった)。
内モンゴル・ウイグルは語族のレベルでも異なっている。漏れの仮説は、こうだ。
(1)政治的に統一されているのがあるべき姿である、という認識がその住民(知識層)にあったかどうかだ。ヨーロッパはそうではなかったということだ。
→なぜそうか、というのが次の問題になるが。
(2)公式の書き言葉が確立されていたこと(漢文のこと)。ヨーロッパは宗教改革時にバベルの塔が崩壊して、各民族語が確立されてしまった。
もちろん、ラテン語系とゲルマン語系で言語的に距離があり過ぎたことも一因だろうが。
→逆からいうと、宗教改革時までは、客観的に見れば、ヨーロッパは(緩いとはいえ)政治的にも統一体だったということだ。
→ウエストファリア条約が決定的だったということになる。
そもそも近代国家とは、そうやって分裂したヨーロッパ内部の政治体制の産物として生まれた形態の国家だった。
今の中国と呼ばれる政治的統一体は、ヨーロッパとは別世界・別次元の政治体制を無理矢理ヨーロッパ的な近代国家として評価したものだ。
たまたま前代の清朝が征服王朝で、広大な地域に政治的・軍事的覇権を確立していたために、それがそのまま近代国家として位置付けられてしまった。
欧米諸国はそれ以外の政治体制(国際体制)を知らないからだ。
本来は古代帝国的政治体制、あるいは中華文化的政治体制として評価すべきもので、ヨーロッパ的近代国家の考え方からすると、今の中国という政治的統一体はいろいろな意味で大きすぎると思う。
しかし、これも逆からいうと、ヨーロッパの方が特異な国家思想を持っているとも評価できる。
世界地図を見れば分かるが、現代のヨーロッパは、世界の中でも突出したモザイク国家地帯になっている。


361 :世界@名無史さん:2005/08/08(月) 12:47:42 0
>政治的に統一されているのがあるべき姿である、という認識がその住民
>(知識層)にあったかどうかだ。ヨーロッパはそうではなかったということだ。

東ローマ帝国にはそういう考え方があったように思えるね。
ユスティニアヌス帝の地中海帝国再現も、そのイデイオロギーに
駆り立てられたものだろうし。
やっぱし西欧は特殊だな。


362 :世界@名無史さん:2005/08/08(月) 18:42:45 0
>>341
東ドイツは西ドイツに吸収されて滅亡したと見なすべきじゃないの?


363 :世界@名無史さん:2005/08/08(月) 20:44:00 0
>>357
8月革命は大日本帝国憲法→日本国憲法への変更を法的に説明するための概念で、
歴史的事実としての革命云々とは関係ないんでは?

364 :世界@名無史さん:2005/08/08(月) 22:35:03 0
>>362
消滅ととるか発展的解消ととるかだな・・・・・・・・

365 :世界@名無史さん:2005/08/09(火) 21:26:14 0
>>360
旧オスマン帝国の領域も、モザイク状になっていますが、これは19世紀以降の
西洋諸国が分割したもの。
いずれこの地域は統一されるのでせうか?

366 :世界@名無史さん:2005/08/09(火) 21:37:38 0
>>365
アラブ統合国家はナセルの悲願だったが足並み揃わず
シリアのバース党がクーデター

367 :世界@名無史さん:2005/08/10(水) 12:40:15 0
>ヨーロッパ的近代国家の考え方からすると、今の中国という政治的統一体は
>いろいろな意味で大きすぎると思う。

ロシアやヨーロッパは?


368 :367:2005/08/10(水) 12:40:58 0
×ヨーロッパ→○アメリカ合衆国

369 :世界@名無史さん:2005/08/10(水) 13:41:28 0
なんの脈絡もありませんが、台湾女性の珍しい?ヌードでつ:
http://www.peacehall.com/news/gb/jiachang/2005/08/200508022236.shtml




370 :世界@名無史さん:2005/08/10(水) 14:31:43 0
>>368

アメリカは、かつては事実上の独立国だった13州が、あえて連邦政府を
作って統合したものだ。今でも州の独自性は高い。

ロシアは、中央アジアやカフカス諸国、東欧諸国を手放した。
現在も国土は広いが、国土の大部分を占めるシベリアは、人口が極めて
希薄だ。



371 :世界@名無史さん:2005/08/13(土) 04:01:02 0
>>1の無知・無学を晒し続けるthreadですな。

支那は文明の継続はしてないし、異民族だらけで言語もばらばら。
清帝国の版図を今の中共が引き継いでいるだけ。

ローマはコンスタチノポリスに遷都してから1000年以上も
帝国が存続。
西ヨーロッパは単なる蛮地。帝国から放棄されただけ。

372 :世界@名無史さん:2005/08/13(土) 05:50:41 0
アメリカは「ローマ+支那」みたいな感じ

373 :世界@名無史さん:2005/08/13(土) 09:44:19 0
今は東ヨーロッパのが蛮地だけど
ビザンツは強力な国家だったけど
これといって新しいモノを生み出さなかった
地域的にかぶるオスマン帝国も同じ


374 :世界@名無史さん:2005/08/13(土) 22:28:58 0
新谷英治氏が、オスマン朝がウィーンを越えて西に入れなかったのは、
自らの世界へはいらせまいとする「ドイツ」的な強い意思があったからだと
指摘していた。
ハンガリーはモハーチの戦いで支援を得られなかったが、ウィーンが包囲
されたときはハプスブルク家だけでなく、バイエルン侯率いる2万人もの
軍勢が防備を固めたと。


375 :世界@名無史さん:2005/08/19(金) 15:16:46 0
バイキングによる侵攻の有るなしと地形が
問題だったと思うけど。

ゲルマンは分裂したとは言えフランクが統一
した訳だし、陸上からの異民族侵入はイスラム、
モンゴル共に欧州連合軍が成立していることから
逆に纏まるきっかけになりやすいのでは。

海上、河川からの侵入、略奪に対しては、海岸線が
長い欧州では連合くんで対処する訳にも行かず、
個々で対処せざるを得ないから封建制が進み、
王権は弱まり、分裂状態になったと。

中国の場合、海岸線の割合が少ないから
いくら倭寇が頑張っても決定的な分裂には
至らなかったのかも。

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