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【北元から】その後のモンゴルを語ろう【革命まで】

1 :世界@名無史さん:2005/06/26(日) 12:27:19 0
明建国以降、世界史板にもあまり話題に登らない「北走以後」のモンゴル世界について
近代前夜まで様々に語ってみましょう。
諸ハーン乱立、明との戦い、清への服属、北から迫るロシア・・・

なお、司会を務めさせていただきますは
落ちスレから復活いたしました順帝ことトゴン・テムルでござい。

                彡¶
            _____∩____
           /;;;/;;;;/;;;;/丶;;;;;ヽ;;;;;; ヽ
         /;;;;;/;;;;;;;/;;;;/;;;;;;ヽ;;;;;;;ヽ;;;;;;;ヽ
       _/;;;;;;;/;;;;;;;;/;;;;;|;;;;;;;;;;;ヽ;;;;;;;ヽ;;;;;;;ヽ_
       ヽ  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄(大) ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ノ
        ヽ____________/
        §l::||::::              |l§
        / ̄\  (●)     (●)   ||§
      r┤    ト:::::  \___/     || §    <重ちゃんの子孫は生け捕りだよ。
     /  \_/ ヽ::: .  \/    ,ノ 《》
      |   _( ̄ l―---oo-――'"ヽ__
      |   _)_ノ  \\ハ//  /    ヽ   
     ヽ____)ノ      \ソ/   /     ヽ、

元朝ラストエンペラー、トゴン・テムル。

トゴン・テムルと共に苦難を乗り越えていくスレ
http://academy3.2ch.net/test/read.cgi/whis/1093346489/
より。


2 :世界@名無史さん:2005/06/26(日) 12:28:59 0
参考スレ:

清王朝について No.2
http://academy3.2ch.net/test/read.cgi/whis/1107540893/l50
 

3 :世界@名無史さん:2005/06/26(日) 12:30:17 0
清の時代、モンゴル人は漢民族の茶商人に家畜を巻き上げられて困窮化しておりますた。


4 :世界@名無史さん:2005/06/26(日) 12:32:17 0
その一方で、ある意味、
モンゴル史上、一番平穏な時代だったかも知れないね。

5 :世界@名無史さん:2005/06/26(日) 13:19:55 0
今はどうですか?

6 :世界@名無史さん:2005/06/26(日) 14:33:45 0
北元っていつまで存在したの?

7 :世界@名無史さん:2005/06/26(日) 14:44:44 0
徳王の内蒙古がロシア赤軍に滅ぼされる迄(ごめん嘘)

8 :世界@名無史さん:2005/06/26(日) 15:39:53 0
モンゴルの諸部族が大清太宗皇帝ホンタイジをハーンに推戴するまで、かも。

9 :世界@名無史さん:2005/06/26(日) 17:02:50 0
この頃のモンゴル史は「スケールの小さい」内輪もめばっかりで
おもしろくない。その辺がおもしろいという人もいるかもしらんが。

内輪もめはモンゴル王家初期から続くお家芸だけど、
さすがに延々続けてたら衰退するのは当たり前だわな。

10 :世界@名無史さん:2005/06/26(日) 18:51:08 0
キプチャク周辺なら18世紀まで語れるがな。

11 :世界@名無史さん:2005/06/26(日) 19:06:54 0
アスト部は本当にオセット人の集団だったのか

12 :世界@名無史さん:2005/06/26(日) 23:04:41 0
土木の変の時は北京包囲にまで追い詰めて、結構勢いを戻したんだけどなあ。


英宗(涙)  <嗚呼!太祖陛下、助けてくださりませぇぇぇぇ!
 

13 :世界@名無史さん:2005/06/26(日) 23:07:46 0
ただ、英宗はモンゴル側に丁重な扱いをされていたというね。

14 :世界@名無史さん:2005/06/26(日) 23:17:11 0
ゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴ

ヽ-=・=-′ヽ-=・=-′  <朕の可愛い玄孫を泣かせた輩はどこじゃあぁぁぁぁ

 

15 :世界@名無史さん:2005/06/26(日) 23:25:34 0
>>12-13
土木の変で正統帝を追いつめたのはオイラトのエセン。
大元ハーンを簒奪してはいるが、チンギス統ではないので
厳密には北元とは別扱いした方がいい。

16 :世界@名無史さん:2005/06/26(日) 23:55:58 0
「北元」という呼称は、クビライの血統が断絶した1388年までにしといてよ。

17 :世界@名無史さん:2005/06/27(月) 00:24:43 0
ダヤン・ハーンっていうのは「大元可汗」なんだからそうもいかない。

18 :世界@名無史さん:2005/06/27(月) 00:26:09 0
クビライの血統はダヤン・ハーンを経てリンダン・ハーンまで続いているが。

19 :世界@名無史さん:2005/06/27(月) 03:30:45 0
でもってリンダン・ハーンの子エジェイがホンタイジに降伏したのが1635年、
ホンタイジが満州族、漢族、モンゴル族の三族から推戴される形で大清の皇帝に即位し、
モンゴルをハーンとして服属させることになったのが1636年。

20 :世界@名無史さん:2005/06/27(月) 20:40:23 0
>>19
これでモンゴル全勢力が清朝に屈服したわけではない。
この時清朝支配下に入ったのは、今のいわゆる内蒙古諸部だけ。

ハルハ諸部やオイラト諸部が清朝支配下に入ったのは、

ハルハ諸部−1691年
青海ホシュート部−1723年
ジュンガル部−1755年
帰還トルグート部−1771年

21 :世界@名無史さん:2005/06/27(月) 21:10:54 0
蛇足になるが、

ブリヤートは1652〜54年にすでにロシアに征服されており、
清朝の支配下に入ったことはない。1689年のネルチンスク条約で
ロシア領であることを清朝も認めた。

トゥヴァは、テュルク系民族ではあるがウリャンハイとしてモンゴルの
一部とみなされてきた。ハルハの領地として間接的に清朝属領となったが、
ほとんど独立状態だった。19世紀には徐々にロシアが進出し始め、
1914年にはロシアの保護領にされてしまう。独立を宣言したモンゴル
政府(ハルハ諸部)からの抗議は無視され、辛亥革命以後混乱していた
中華民国はなすすべがなかった。

22 :世界@名無史さん:2005/07/01(金) 00:21:15 0
ブリヤートはモンゴル高原での覇権争いからは
蚊帳の外にいたんでしたっけ?

23 :世界@名無史さん:2005/07/02(土) 10:36:11 0
中興の祖ことマンドハイの一生は映画になったよね。

24 :世界@名無史さん:2005/07/02(土) 16:40:11 0
ダヤン・ハンの年増女房ね。そんなに烈女だったの?

25 :世界@名無史さん:2005/07/02(土) 19:29:35 0
>>22
ブリヤートの先祖は、6世紀頃「骨利幹(クリカン)」と
呼ばれたテュルク系民族。その一部は北へ移動しサハ(ヤクート)になった。
残留した「森の民」はモンゴル民族の勃興と共にモンゴル化、
「バルグト(ブラガト)」と呼ばれる。

バルグトはチンギス・ハーンに征服されモンゴル帝国に組み込まれる。

元朝北帰後、14〜16世紀はオイラトと連合して(ドルベン・オイラト)、
北帰モンゴル勢力と対立。この間、具体的にどのような働きをしたのかは
知らない。

26 :世界@名無史さん:2005/07/02(土) 19:30:32 0
1625〜28年に起きたオイラト内乱で、バルグトは首長を失い離散。
遺民の多くはオイラト諸部やハルハ諸部に吸収された。

故地バイカル湖周辺に残留していた人々は、新たに「ボリヤト(これの
ロシア語訛りがブリヤート)」と呼ばれ、小部族が分立。部族全体を
統括できる首長はいなかった。

西ブリヤートは小部族がてんでに独立した状態。東ブリヤートは小部族ごとに
ハルハ諸部(大半はトシェート・ハーン部)に臣属した。といってもその支配は
いいかげん。

ロシア・コザックがブリヤートをどんどん侵食して行っても、ハルハの殿様たちは
口で抗議するだけで、具体的に対コザック軍事行動をとらなかった。内輪もめ
ばっかりやってるから、大局的な動きには全然気が回らない。こうなると
もうダメ。結局ブリヤートはあっという間にロシア領になってしまった。

27 :世界@名無史さん:2005/07/02(土) 19:46:44 0
これ読んでみな、おもしろいよ
http://www10.ocn.ne.jp/~okamiya/tosuitaidan.html
刀水 No.7 〔対談〕モンゴルとは何か?
岡田英弘(東京外国語大学名誉教授) 
宮脇淳子(東京外国語大学非常勤講師)

それにしても社会主義独裁政権って恐ろしいね

28 :世界@名無史さん:2005/07/09(土) 05:44:30 0
司会のトゴン・テムルはどうした?
病死か?
だったら、息子のアーユシュリーダラがやれ。

29 :世界@名無史さん:2005/07/09(土) 06:55:39 0
ウクライナのクリミア半島にあるクリム汗国なら、
18世紀まで続いたが。
開祖のカシ=ギレイ一世はキプチャック汗国の開祖の
ジュチの第11子のバイタルの後裔に当たる。
因みに、足悪帝のティムールと戦ったトクタミシュは
その中間の世代に属する。
(つまり、バイタルの子孫でカシ=ギレイの祖に当たる)

30 :世界@名無史さん:2005/07/09(土) 13:26:11 0
ボハラ汗国やヒヴァ汗国は20世紀まで続いたけど
途中でチンギス裔がトップではなくなった。

途中まではジュチの子シバンの後裔が汗だったかな。

31 :世界@名無史さん:2005/07/09(土) 20:42:10 0
>>28
アーユシュリーダラも死んだ?
なら、弟のトクズ・テムルが来なさい。

32 :世界@名無史さん:2005/07/14(木) 23:54:53 0
グシ・ハーン朝時代にチベットに駐屯したモンゴル人の末裔たちは
今も現地に残っているのでしょうか。
中共「解放」当時で2万人弱いたそうですが、半ばチベット人化してた様子。まだいるかなあ。

33 :世界@名無史さん:2005/07/15(金) 00:33:21 0
いるよ。青海省の蒙古族は約7万人。たぶん政府認定の
(今もモンゴル語を話す)蒙古族で、チベット人に同化した
連中はカウントされていないと思う。

青海蒙古族の現状については、青海省 黄南蔵族自治州
河南蒙古族自治県の例が

シンジルト 『民俗の語りの文法 中国青海省モンゴル族の
日常・紛争・教育』 風響社 2003

という本に紹介されてるから、読んどくといいよ。

34 :世界@名無史さん:2005/07/15(金) 00:34:36 0
×民俗
○民族

35 :世界@名無史さん:2005/07/15(金) 00:41:36 0
モンゴル人のチベット移住は、元代から18世紀まで
いろんなフェイズで続いてるから、すっかり同化してる
連中も相当多い。ナムツォからナクチュあたりの牧民は
元モンゴル人が多いね。

36 :世界@名無史さん:2005/07/15(金) 00:54:14 0
青海省玉樹蔵族自治州には蒙古爾津(モンゴルジン)族と
いうチベット人がいて、これはもう名前からしてトゥメト部
出身とわかるが、もはや由来がよくわからなくなっている。

おそらくグーシ・ハーン以前にアムド南部に移住した
ホロチェに関係していると推測されているが、よくわからない。

37 :世界@名無史さん:2005/07/18(月) 23:07:10 0
> マンドハイの一生は映画になったよね。

モンゴル王家の女なら、アルタン時代から四代に渡って
トゥメト部を引っかき回した三娘子の生涯の方が
圧倒的におもしろいと思うけどね。

ただ筆力のない人が書くと「妖婦三娘子」なんてタイトルで
安易なエロ小説にしそう。

何せ、三娘子はアルタンの外孫なのに、美貌に驚いて
アルタンが許嫁から略奪した、とかアルタン以下四代に渡って
結婚したとか、最後は新婚早々老衰で死亡、とか
下世話ネタがてんこ盛り。

38 :世界@名無史さん:2005/07/19(火) 05:00:59 0
雲南省にも蒙古族が約一万三千人いたりする。

39 :世界@名無史さん:2005/07/25(月) 23:04:15 0
現地の文化にだいぶ同化して、遊牧を手放して今じゃ温和な農耕民だね。
ただ、祖廟にはチンギス・モンケ・フビライの三柱がいまも祀られているそうな。

40 :世界@名無史さん:2005/07/29(金) 18:42:39 0
雲南南部の西双版納あたりにもモンゴル人(蒙古族)が数百人いるらしい。
彼らは「鉄」姓を名乗っていて、これは「テムル」を姓にしたと
いわれている。

41 :世界@名無史さん:2005/07/29(金) 18:43:32 0
雲南省通海県興蒙のモンゴル人は、「地球の歩き方」なんかでも
紹介されたりして結構有名だけど、実は四川省の方がモンゴル人口は多い。
こっちは約2万7千人。

木里県(屋脚蒙古族郷、項脚蒙古族郷)、塩源県(大坡蒙古族郷)
のモンゴル人は雲南と同じく元代駐屯兵の子孫らしい。
言語や風習では彝族の影響が強い。服装なんかも細かいところまで
見ないと彝族と区別つかない。

成都周辺にもモンゴル人がいるらしいが、こちらは清代の
駐屯モンゴル兵の子孫。人数としてはこっちの方が多そうな気がするが、
実態がよくわからん。たぶんもう漢族と何も変わらんのだろう。

42 :世界@名無史さん:2005/07/29(金) 18:44:18 0
チベット・カム地方にも、元代のモンゴル駐屯兵やらホシュート部やらが
かなり来ていたようなのだが、たぶんみんなチベット人に同化しちゃった
んだろう。消息がつかめない。青海省や西藏自治区じゃかなりわかっているが。


43 :世界@名無史さん:2005/07/29(金) 20:24:59 0
モンゴル人も仏教徒で、歴代の有力者はみんなダライラマに進貢しているから、
往来するうちにどっちかわからなく混ざってる人とかも多いのでは?


44 :世界@名無史さん:2005/07/29(金) 22:05:18 0
中国と田代について熱く語りましょう

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45 :世界@名無史さん:2005/07/29(金) 23:58:11 0
>>43
まあチベットでソクとかホルという地名の場所には
そういう人たちが住んでいることが多いんだが、
一応「出自はモンゴル」という記録は残ってるもんだけどね。

例えばナクチュの西にいる巴爾達族というのは、モンゴル・
トゥメト部出身のダライ・ラマ4世の護衛としてチベットに
やって来た軍勢の子孫。もう完全にチベット化してる。

46 :世界@名無史さん:2005/07/31(日) 22:09:28 0
アルタン・ハーン記
http://www.geocities.co.jp/CollegeLife/2887/genryuu.html

47 :世界@名無史さん:2005/07/31(日) 22:35:34 0
>>46
サイキさんも亡くなられてもう4年?かあ・・・。

48 :世界@名無史さん:2005/08/03(水) 00:47:05 0
革命前夜といえば、ロシア・チベットを股にかけ、清を牽制し独立を果たすべく
外交戦で暗躍した怪僧、アグワン・ドルジエフも面白そう。

言語政策の面から田中克也が書いた著書に結構経緯が詳しく載ってますた。

49 :世界@名無史さん:2005/08/03(水) 02:00:40 0
中国関内に満州八旗に混ざって駐屯していた蒙古八旗の子孫はどうなったの?

50 :世界@名無史さん:2005/08/04(木) 00:00:51 0
太平天国征討に出動してなかったっけ? <蒙古八旗

51 :世界@名無史さん:2005/08/04(木) 01:17:42 0
エセンが「皇帝」を名乗っていたとはw

52 :世界@名無史さん:2005/08/04(木) 23:51:36 0
>>48
一時期モンゴル西部を占領してたトゥシェグーン・ラマって人もいたね。
オッセンドフスキーの本では司馬遼太郎の小説に出てくる怪僧みたいなキャラに描かれてたが。

53 :世界@名無史さん:2005/08/08(月) 22:30:38 0
>>52
> 一時期モンゴル西部を占領してたトゥシェグーン・ラマって人もいたね。

これはジャー・ラマ(ダンビ・ジャンツァン)のことですな。

ジャー・ラマにトゥシェグーン・ラマという別名があったかどうかは知らないが、
オッセンドフスキーの『動物・人間・神々』では、ホブド攻略で活躍した人物
として描かれているから、同一人物(ジャー・ラマをモデルにした架空の人物?)
とみていいでしょう。

ジャー・ラマは1890年頃、アムルサナーの化身として現れたが、まもなく
姿を消し、1900年頃一旦再登場、また姿を消し、本格的に西モンゴルで
活躍を始めるのは1910年頃から。

ただ1890年頃見た目は30〜40歳だったのに、1910年頃にもまだ見た目が
40歳過ぎだったというから、おそらく昔のジャー・ラマとは別人。

まあ「抗日の英雄・金日成」みたいなもので、同じコードネームを名乗る
ゲリラが何人もいた、という話でしょうな。

54 :世界@名無史さん:2005/08/08(月) 22:31:34 0
ホブド占領後、ジャー・ラマは独立したモンゴル政府から西モンゴル支配を
任されたが、1914年当時衝突していたロシア軍に逮捕され、アストラハンに
投獄される(ジャー・ラマはもともとカルムイク人)。

ロシア革命のおかげで1918年に釈放され、西モンゴルに舞い戻り
そこで独立愚連隊として活躍する。

オッセンドフスキーが報告しているのはこの時期だが、怪しげな妖術使い
として描いており、その話は到底信用できるものではない。

オッセンドフスキーはジャー・ラマと会っておらず、いろいろなうわさ話を
膨らませてでっち上げた話と見た方がよさそうだ。

55 :世界@名無史さん:2005/08/08(月) 22:32:27 0
オッセンドフスキーの話は、他にも「アガルタへの入口がモンゴルにある」など
インチキくさい話がかなりある。

アガルタというのは、19世紀に、とあるオカルト屋さんが「インドのどこかにある
地下王国」として書いたもので、その後いろいろなオカルト屋さんが続々と
無批判に取り上げて、どんどん増幅されていったもの。

「インド旅行中アガルタへの入口を見つけた」と書いているのは、オカルトの
大家(詐欺霊媒師)ブラヴァツキー夫人。いかに胡散くさいものかわかるだろう。

アガルタとシャンバラを混同させて、その場所を中央アジア方面に初めて
持ってきたのがこのオッセンドフスキー。その後さらにオカルト屋さんのネタと
して重宝され、荒唐無稽な話がどんどん生産されているのはご存じの通り。

オッセンドフスキーの紀行自体も、よく調べればたぶんボロが出てくる
だろう(チベットがらみではインチキ紀行本がたくさんある)。

56 :世界@名無史さん:2005/08/08(月) 22:33:19 0
ジャー・ラマの話に戻ると、1921年にモンゴル人民政府が成立すると、
共産党政権からは邪魔者扱いされ、1922年12月に暗殺されてしまう。

ジャー・ラマについては、20世紀前半のモンゴル旅行記に多数登場するほか
最近では大阪外語大の生駒雅則先生が詳しく研究されているので、
著書や論文などを当たっておくといいよ。

57 :世界@名無史さん:2005/08/08(月) 23:00:39 0
×→共産党政権
○→人民党政権
でした

58 :徳王[ドムチェクドンロップ]:2005/08/09(火) 00:07:59 O
【蒙古聯盟自治政府組織大綱】

第一条 蒙古聯盟自治政府に首席及び副首席を置く。
首席及び副首席は蒙古大会において蒙古における徳高望重、蒙古復興運動に大勲労ありたる者を専任す。
首席は蒙古聯盟自治政府の主権者とす。
首席事故により職務を執行せざる場合は、副首席これを行なう。
第二条 蒙古聯盟自治政府は蒙古固有の疆土をもって領域とす。
暫くウランジャプ盟、シリンゴル盟、チャハル盟、バインタラ盟、イクジョウ盟及び厚和市、包頭市をもって統治区域となす。
第三条 蒙古聯盟自治政府は防共、民族協和をもって基本方針とし、生、娶、教、興、養、衛の六事をもって施政の綱領とす。
第四条 蒙古聯盟自治政府は従前のとおり、蒙古軍政府当時使用の旗章を使用す。
第五条 蒙古聯盟自治政府はジンギスカン紀元をもって年号とす。但し陽暦を使用す。
第六条 蒙古聯盟自治政府は厚和豪特に設く。
第七条 蒙古聯盟自治政府の権限及び地方に与える権限は、均衡の原則によりて、法律をもってこれを定む。
第八条 蒙古聯盟自治政府の組織法は別にこれを定む。

昭和12年10月28日採択

∀ <_☆_>
G\(〇m〇)
 \ ※:@*\ ♪我が同邦に乾杯!



59 :世界@名無史さん:2005/08/09(火) 21:59:16 0
> ジャー・ラマにトゥシェグーン・ラマという別名があったかどうかは知らないが、

ユーリ・レーリヒ 『アジアの奥地へ 上 西域を行く』 p.273 を見たら

> ジャ・ラマは新モンゴル国家に対するその大きな貢献によって、
> ツシェグンの称号を授けられ、

とあった。

ただ、一般的にはジャー・ラマの方が圧倒的に知名度が高いから
使うときは「トゥシェグーン・ラマ(ジャー・ラマ)」としておいた方がよさそう。

60 :世界@名無史さん:2005/08/13(土) 20:13:16 0
アフガニスタンのモゴール族の研究って最近どうなってるんだろうか?
京大探検隊が集めた資料も、山崎忠先生がテヘランで客死して散佚?
あのモゴール語文書はどうなったんだ?

あれだけやって、成果が『モゴール族探険記』1冊だけってのも情けない。
その後研究を継続したという記録も見当たらないし、もったいないなあ。

61 :世界@名無史さん:2005/08/15(月) 23:40:54 0
>>48
ドルジエフは、日本では河口慧海の著作で有名なので、
どうしても当時の日本・イギリス寄りの視点、すなわち
「ロシアのチベット工作=悪」というものになる。

だから彼の外交活動も「暗躍」という否定的な言葉で
語られるのであって、現在の我々がそういうフィルターで
見る筋合いはない。外交活動なんてどこの国もすべて
「暗躍」そのもの。

62 :世界@名無史さん:2005/08/15(月) 23:41:58 0
アグワン・ドルジエフ(ロサン・ンガワン・ドルジェ)はブリヤート出身
(1853-1938)だが、21歳で出家した後、26歳でラサにやってきて
デプン寺ゴマン学堂で修行。ゲシェ・ラランパ(チベット仏教ゲルク派
顕教での最高博士号)を修得。

その後もラサに滞在し続け、論理学の教授(ツェンニー・ケンポ)、
ダライ・ラマ13世の問答の教師(シェンシャブ)となった人。
突如チベットに現れた「素性のあやしい怪僧」などではない。

ドルジエフは1898〜1906年にかけて、ダライ・ラマの指令を受けて
4度ロシアに派遣されたのであって、立場は一貫してチベット側の
特使(ロシア側の扱いはともかく)。その後ペテルスブルクに住んでいた
期間も「チベット政府代表」を名乗っていた。

63 :世界@名無史さん:2005/08/15(月) 23:42:34 0
ロシアは、1905年の血の日曜日事件やら日露戦争敗戦で、チベット
工作どころではなくなり、1907年の英露協商でチベット干渉から
手を引くことになる。ドルジエフの積極的な対ロシア工作もこれで終わり。

20世紀初頭は、チベット、モンゴル、中国、ロシアは激動の時代で、
1904年のヤングハズバンド率いるイギリス軍のチベット侵攻、
1911年の辛亥革命とチベット・モンゴルの独立、と事態はめまぐるしく
変転し、ドルジエフの力では手に負えないものになった。

64 :世界@名無史さん:2005/08/15(月) 23:43:42 0
ドルジエフの業績というのはこれだけじゃなくて、ペテルスブルクに
僧院を建てたり、ブリヤート・カルムイク仏教界の指導的な立場に
立ったり、ブリヤート語を表記するためのワギンダラー文字を
発明したり(普及しなかった)、といろいろな活動をしている。

あまり知られていない業績としては、1913年1月のチベット・モンゴル
相互承認条約の際、チベット側全権代表として署名している。

ドルジエフについては、ソ連崩壊後新資料が続々と出てきている。
自伝も公表されているし、詳しい評伝も出ているので
興味があるなら読んでみるといいよ。

65 :世界@名無史さん:2005/08/15(月) 23:44:57 0
ドルジエフの最期についてはあまり知られていないから一応簡単に
書いておくと、

ドルジエフは1909年以降はペテルスブルクに住み、自分の僧院を
ベースにカルムイクやブリヤートの仏教界に影響力を持った。
チベットには時々行く程度だったが、ダライ・ラマ13世とは連絡を
取り続け、絶大な信頼があった。

ロシア革命後は共産党の政策を当初支持したが、共産党を支持
しても用が済めば始末されるのはお定まり。1920年頃には僧院が
赤軍に略奪され、1937年に僧は全員逮捕処刑。ドルジエフも
逮捕され、1938年1月ブリヤートの刑務所病院で死去。

66 :世界@名無史さん:2005/08/19(金) 20:24:58 0
ドルジエフが建てたペテルスブルクの僧院 Datsan Kuntsechoinei は
今もある。

1937年に閉鎖されたが、建物はそのまま残され、現在は元通り
ゲルク派の僧院として活動を再開している(活動再開はソ連崩壊後?)。

St.-Petersburg buddhist monastery "Datsan Kuntsechoinei" Official site
http://www.geocities.com/Athens/Academy/3528/indexe.html

1998年11月「ギャングに不法占拠されて困っているから支援してくれ」
というメッセージで更新が止まっているが、その後ポツポツと活動の
ニュースは伝わっているから、どうやら無事取り戻すことができたようだ。

67 :世界@名無史さん:2005/08/20(土) 14:30:15 0
>>53-56
詳しい情報ありがとうございます。俺が読んだのも「動物・人間・神々」でした。
それで興味をもってネットで検索してみたら「最期は刺客に殺されて心臓を食われた」
などと凄まじい情報が色々とw
(ちなみにソースはこのページですがttp://www.trimondi.de/SDLE/Part-2-10.htm)
実態は割と普通のゲリラだったんですね。

生駒雅則さんの本をどこかで借りれないかと探してみたけど、近場にある国立大の図書館を検索しても
「モンゴル民族の近現代史」しか置いてなかった・・・
ユーラシア・ブックレットかよ・・・

68 :世界@名無史さん:2005/08/20(土) 22:00:40 0
> 生駒雅則さんの本をどこかで借りれないかと探してみたけど、近場にある国立大の図書館を検索しても
> 「モンゴル民族の近現代史」しか置いてなかった・・・

あの本の一般の評価はどうなの?

69 :世界@名無史さん:2005/08/21(日) 18:46:50 0
> ユーラシア・ブックレットかよ・・・

いやいや馬鹿にしたもんじゃないよ。特にジャー・ラマについては、モンゴル
近現代史の本でちゃんと取り上げてるのはこれだけ。

ジャー・ラマの写真もこの本で初めて見た(力道山にも似た精悍なオヤジ)。

安いし(600円)買っといて損はないと思うけど。

70 :世界@名無史さん:2005/08/22(月) 15:01:42 0
ttp://www.doncroner.com/Mongolia/Dambija/dambijantsan.html
ジャー・ラマの写真ってこれかな?
顔デカイ・・・

71 :世界@名無史さん:2005/08/22(月) 20:22:50 0
>>70
これは生駒本に載ってるのとは別人ですな。
こんなおばちゃんみたいな男じゃない。

生駒本には2枚載ってるが、その2枚は同一人物で、
上記の写真とは全然違う。

72 :世界@名無史さん:2005/08/25(木) 19:46:58 0
オカルト界隈ではラマ・ドルジェフの正体がG・I・グルジェフだったとかいう人もいる(w

73 :世界@名無史さん:2005/08/25(木) 20:26:43 0
ドルジエフの写真
http://www.tsahimurtuu.mn/topic.php?id=6

グルジェフの写真
http://www.gurdjieff-movements.net/music/gurdjieff.htm

どう見たって同一人物のわけないw。
グルジェフがドルジエフに化けたり、間違えられたりすることもありえない。
経歴を比較しても同一人物にはなりようがない。

だいたい「グルジェフのチベット行き」自体インチキくさい話だらけで、
まあこの人お得意のホラ話と見るべきでしょう。

74 :世界@名無史さん:2005/08/25(木) 20:28:28 0
オカルト屋は、「グルジェフ=ドルジエフ」の出典がどこか明らかにしない。
調べようともしない。怪しげなルートで聞いた又聞きをさらに脚色して、
意図的に混乱に拍車をかけてるだけ。

飛鳥昭雄やナチス・オカルトの本などで歴史の裏側を学んだつもりに
なっちゃダメだよ。

75 :世界@名無史さん:2005/08/28(日) 13:43:51 0
>>73
ドルジエフって北野武に似てるな

76 :世界@名無史さん:2005/08/30(火) 00:44:52 0
飛鳥昭雄ってモンゴルとかの話にも触れてるのか
・・・読んでみようかな(w

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