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≪近世〜近代ロシア史≫

1 :世界@名無史さん:2005/08/24(水) 22:10:21 0
について語ろう。
イヴァン雷帝、スムータ(動乱時代)、ピョートル大帝、
エカテリーナ2世、ナポレオンとの戦争、西欧派VSスラヴ派の
論争、ザ・グレート・ゲーム…

2 :世界@名無史さん:2005/08/25(木) 18:47:58 0
ttp://academy3.2ch.net/test/read.cgi/whis/1121149386/l100#tag133
ロシア古代中世史
ttp://academy3.2ch.net/test/read.cgi/whis/1098266867/l100#tag161
●●●古代スラブの宗教●●●
ttp://academy3.2ch.net/test/read.cgi/whis/1066564490/l100#tag315
【ロマノフ王朝】と、【怪僧ラスプーチン】のスレ

3 :世界@名無史さん:2005/08/25(木) 18:55:28 0
新紀元社は早く「ピョートル大帝の軍隊」を邦訳してほしい
ttp://www.amazon.com/gp/reader/1855323486/ref=sib_dp_pt/102-6336168-6773729#reader-link

4 :世界@名無史さん:2005/08/25(木) 19:21:51 0
ピョートル大帝が創設したプレオブラジェンスキー・プリカス(政治犯取調庁)
は、イヴァン雷帝のオプリチニキや、ソ連時代のKGBを連想させる組織だった。
犠牲者は軍務を逃れようとした貴族から、ツァーリを冗談の種にした酔っ払い
までいた。

5 :世界@名無史さん:2005/08/25(木) 19:24:14 0
帝政ロシアの酷刑ってどんなのがありますか?

6 :世界@名無史さん:2005/08/25(木) 19:32:42 0
アンリ・トロワイヤの「イヴァン雷帝」では「股間を綱で挽き切る」とかいう処刑方法があったけど・・・

7 :世界@名無史さん:2005/08/25(木) 20:08:34 0
すみません、ロシアの17世紀、18世紀の分離派の動向について知りたいんですが
邦訳されてるものでお薦めの資料がありましたらぜひ教えてください。

8 :世界@名無史さん:2005/08/25(木) 20:08:55 0
>>5
ステンカ・ラージンは四つ裂きの刑に処されたな。
ビザンツ帝国から伝わった目潰しとかもあったらしいけど…

9 :世界@名無史さん:2005/08/25(木) 20:23:34 0
>>7
分離派だけについて取り上げている本は多分ないと思います。
東方正教会関連、あるいはロシア史を扱った本の中から丹念に
拾い出していくしかないのでは。

分離派(ラスコーリニキ)は後にポポヴェツィとベズポポベツィに
分かれます。前者は聖職者の働きを認め、ベズポポベツィはそれを
認めないグループ。

10 :世界@名無史さん:2005/08/25(木) 20:29:59 0
>>9
あ、やっぱり無いですか。
できれば鞭身派の開祖、ダニーロ・フィリッポヴィチとその後継者イワン・スースロフに
ついて詳しい事を知りたかったのですが…。

11 :世界@名無史さん:2005/08/25(木) 20:59:06 0
ロシアで生まれた異端

フルイスト派…分離派の流れを汲み、聖霊のみを重視し、禁欲主義を実践。
新イェルサレム派…フルイスト派から禁欲主義と神秘的色彩を薄めたもの。
20世紀初頭にウルグアイに移住。
スコプツィ派…マタイ伝19章12節の記事を典拠に、「火の洗礼」として
去勢を行った。
ドゥホボル派…規制の教会制度・聖職・典礼・聖書を否認し、イエス・
キリストを神の英知を備えた単なる人間と考えた。財産を共有化し、
徴兵・徴税を拒否したため弾圧を招いた。19世紀には一部がカナダに
移住。
モロカン派…ドゥホボル派と同じく規制の教会制度・典礼などを拒否
したが、彼らほど過激に走らず、聖書のみを教えの根幹とし、その教えを
「純粋の霊的ミルク(モロコー)」と称した。弾圧によってカフカス・
モルドヴァなどの辺境に追われた。

12 :世界@名無史さん:2005/08/25(木) 21:05:36 0
イスカレリ・クリスタ(キリスト希求派)…キリストをいたるところに
見出し、賛美するという者の集まり。
ストラニキイ派…歩く者の集まりで、反キリスト者ばかりのこの世に
住むところはないと、街から街へと歩く流浪の民。

※キリスト教と直接の関係がないカルト(ロシア古代宗教の末裔か?)
クリーッイ派…性にまつわる迷信を信奉していた集団。禁欲を完璧に
するには、一度肉欲に溺れなければならないとした。ラスプーチンは
この派に属していたといわれる。

13 :世界@名無史さん:2005/08/26(金) 09:08:24 0
>>11
兵役拒否して弾圧を受けたドゥホボル派を援助するため、文豪トルストイは「復活」を
書き上げて原稿料を彼らの輸送費に当てたんでしたよね。
彼らがいなかったら、「カチューシャ、かわいーや♪」の歌もうまれなかった、と。

14 :世界@名無史さん:2005/08/26(金) 11:58:58 0
ttp://www.geogen.ge/Russians_in_Georgia/Russians_in_Georgia.htm
ドゥホボル派の画像


15 :世界@名無史さん:2005/08/26(金) 20:16:35 0
ttp://www.bekkoame.ne.jp/i/ga3129/roronn2rosia.htm
ピョートル改革の多くは、スウェーデンという優れた軍事力をもつ敵国との
対決の中から立案されたと言われるが、このことは特に軍制改革にいえる。
ロシアの軍事力はすでに17世紀末の段階で、海軍をのぞき規模、装備とも
ヨーロッパ諸国にひけをとらなかった。だが、中小貴族層を主とする旧来の
騎兵部隊、銃兵部隊を、歩兵部隊、騎兵部隊、竜騎兵部隊からなる新軍に
かえ、北方戦争(対スウェーデンとの1700〜21年にかけての戦い。バルト海
沿岸を獲得)前夜には約16万の陸軍を擁していた。だが緒戦のナルヴァの戦い
で敗北したピョートルは、早急な軍隊立て直しを迫られ、徴兵制を導入した。
これにより、毎年2万人以上の農民兵士が、全国の村々から補充された。
海軍はゼロからの出発であったが、バルト海艦隊を創設し、1724年の段階で、
48隻の大型艦船、約18隻のガレー船をもつまでに至っている。 スウェーデンと
の戦いは長期化したが、軍制改革もあってようやく1721年にロシアの勝利と
なる。 勝利の祝典でピョートルは、元老院から「皇帝」、「祖国の父」、
「大帝」という称号を送られた。

16 :世界@名無史さん:2005/08/27(土) 21:19:57 0
ロシアのツァーリ信仰や、偽ツァーリ事件について語ろう。
偽ドミートリーや、偽ピョートル3世(エメリアン・プガチョフ)。

17 :世界@名無史さん:2005/08/28(日) 12:24:02 0
イワン雷帝の治世には偽キリストまで出たらしいぞ

18 :世界@名無史さん:2005/08/28(日) 13:41:27 0
>>17
詳しく。

19 :世界@名無史さん:2005/08/28(日) 21:48:24 0
ロシア農民のツァーリ信仰を調べていると、ほとんど現人神に近い扱いだ、
と思うときがある。

20 :世界@名無史さん:2005/08/29(月) 14:49:40 0
なんでロシアはあんなにでかくなったんだ。

当時シベリアなんか支配しても利益ないだろうに。


21 :世界@名無史さん:2005/08/29(月) 14:59:34 0
毛皮

22 :世界@名無史さん:2005/08/29(月) 16:23:58 0
毛皮のためにさらに寒いところへ進出したのか。


23 :世界@名無史さん:2005/08/29(月) 16:27:48 0
当時、黒貂の毛皮は「走る宝石」と呼ばれた。

24 :世界@名無史さん:2005/08/29(月) 17:03:42 0
>>22
本当は南下したかったんだけど、イギリスがそれを阻んだ。
例えばクリミア戦争など。

25 :世界@名無史さん:2005/08/29(月) 18:17:36 0
>>23
>>24
レスありがとう
みんな詳しいな。

26 :世界@名無史さん:2005/08/29(月) 20:55:06 0
毛皮を獲っていたアリューシャンからロシア本土まで毛皮を運ぶのはシベリアと言う難所があり、
そのため日本との通商を望んでいたんだよね。

27 :世界@名無史さん:2005/08/29(月) 21:01:44 0
露土戦争やクリミア戦争は不凍港をめ求めるロシアの南下政策を契機とした戦争だったことはあまりに有名だが
日露戦争も同じような解釈する教科書多いんだよね
あの当時、シベリア鉄道の完成で、不凍港と南下政策の意義はロシアにとってはもうそれほど重要なものでもなかった
日露戦争でロシアがあっさり朝鮮をあきらめたのもそれが背景

28 :世界@名無史さん:2005/08/29(月) 21:16:31 0
ドストエフスキーは、クリミア戦争でフランスとイギリスがオスマン朝と同盟を
むすんだことにショックを受けて、次のように書いている。

キリスト教徒がトルコに味方してキリストに手向かうのか!
キリスト教徒が―マホメットの擁護者であるのか!
君らに恥じあれ!―十字架に背くものよ。

1774年のキュチュク・カイナルジャ条約で、オスマン帝国はロシアによる
オスマン帝国内の正教徒の保護権のほかに、商船のボスポラス・ダーダネルス
両海峡の航行権も与えることになった。
これがいわゆる「東方問題」の第一幕。


29 :世界@名無史さん:2005/08/29(月) 21:20:39 0
>>17
>>18
イヴァン・エメリヤノフのことかな? 名前だけで詳しくは知らないですが。

ロシアは中世からノヴゴロドの商人らが北方の狩猟民から毛皮を巻き上げてた歴史があって
シベリア進出というのはそれがウラル山脈を越えただけなのかも。

30 :世界@名無史さん:2005/08/30(火) 01:11:45 0
>>29
ノヴゴロドでパトロミニア(父兄大家族集団)が解体しなかったのは
なぜなんだろうね?

31 :世界@名無史さん:2005/08/30(火) 13:39:18 0
>>30
市内の政治抗争のために団結する必要があったからでは?

32 :世界@名無史さん:2005/08/30(火) 16:20:10 0
バルト海のゴットランド島は、対ノヴゴロド貿易の重要な中継地だった。
16世紀に白海ルートが発見され、港湾都市アルハンゲリスクが建設されるまで、
ハンザ商人はロシア貿易を独占。

33 :世界@名無史さん:2005/08/30(火) 16:40:10 0
黒死病もハンザ同盟経由でロシアに入ってきたんだよな。

34 :世界@名無史さん:2005/08/30(火) 18:42:11 0
ポロツクやスモレンスクもハンザ同盟と協約をむすんでいるね。
北西ロシアの寒冷な気候のせいで、ノヴゴロド滞在者は秋に到着する
越冬組と、春から秋まで夏期組に限定した。
帰国する越冬組は商館の鍵をノヴゴロド大司教に渡し、商館の
全財産を、この街のロシア正教会の首長に委ねるのが規則だった。

35 :世界@名無史さん:2005/08/30(火) 23:34:19 0
>>27
クリミア戦争当時、ロシア側は帆船を使用していたのに対し英仏は蒸気船、
ロシア軍は馬車で輸送していたのに対し英仏は鉄道、
そのほか兵器の性能差もあった。

ttp://images-eu.amazon.com/images/P/1855321610.02.LZZZZZZZ.jpg
この本も早く翻訳して欲スィ…

36 :世界@名無史さん:2005/08/31(水) 12:52:05 0
>>35
ロシアはイギリスより遅れていたんだな。
いつごろからイギリスへ追いついたんだ。


37 :世界@名無史さん:2005/08/31(水) 14:48:49 0
ロシアが産業革命に突入したのは、日本と同じで19世紀末頃
なのよねえ。


38 :世界@名無史さん:2005/08/31(水) 14:53:24 0
日本のほうがずっと進んだ国だったんだよ。
憲法も議会もなかった。

39 :世界@名無史さん:2005/08/31(水) 16:04:29 0
19世紀のロシアを観察した西欧人で、
フランス人のキュスティーヌはロシアを罵倒したが、
ttp://www.ohtan.net/column/200308/20030826.html
ドイツ人のハクストハウゼンはロシア、特に農村共同体ミールを賞賛した。


40 :世界@名無史さん:2005/08/31(水) 17:56:42 0
>>37
でも少なくとも大黒屋光太夫の時代は、
航海技術も兵器もロシアの方がずっと上回っていたよ。
高田屋事件の前、日本の防衛ラインはロシア海軍に蹂躙されている。

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